スピリチュアルケアを臨床哲学はこう考える Spiritual Care from the Clinical Philosophy 浜渦 辰二* Shinji Hamauzu Keywords:スピリチュアル,実存的,ケアの人間学,臨床哲学 はじめに 私は哲学を学んできた者だが,おそらく哲学を志す人の多くが,その出発点において, 次のような問いに囚われたことがある(あるいは,今でも囚われている)のではないだろ うか.曰く, 「私は,どこから来て,どこへ行くのか? 私は,何のために生きているのか? 私が死んでも,世界は何の変化もなく続いていくとすると,私が生きている意味はあるの か? 私は死んだらどこに行くのか? 死後の世界などあるのか? ……」といった問い である.これらの問いは,いまスピリチュアルペインと呼ばれているもののなかにも見い だせる問いであろう.ふだん私たちが「あたりまえ」と思っていることに「驚き」を感じ, 「自明」と思い込んでいることを「理解」できるようにしたい,というのが哲学の営みだ とすると,それは,日常生活のなかに潜んでいながら,人生の危機的状況のなかで姿を現 すスピリチュアルペインと似ていてもおかしくはない.その意味で,スピリチュアルペイ ンは,「哲学的なペイン」と呼んでもおかしくないだろう.古代ギリシアの哲学者プラトン も,哲学することは「死の訓練」だと言っていた1.日常生活の欲望やしがらみを言わば「括 弧に入れ」,死者の視点から自己を見つめ直すところから,哲学する営みは始まったわけだ. ここでは,哲学を学んできた者として,スピリチュアルケアを考えたい. スピリチュアルとは何か しばしばWHOにおける「健康」の定義をめぐる議論からスピリチュアルケアを語り始 める人には,そこでスピリチュアルという新しい概念が導入されたかのように思われるか も知れないが,哲学を学んできた者にとって,スピリチュアルという語は耳新しくはなく, * 大阪大学大学院文学研究科臨床哲学講座:Clinical Philosophy, School of Letters, Osaka University (〒 560-8532 豊中市待兼山町1番5号) -1- むしろ,西洋哲学史のなかではあちこちで聞き慣れてきた言葉である.古代のプラトンか ら近代のデカルトに継承された心身(ラテン語では,魂 anima と身体 corpus)二元論の流 れと並行するようにして,ヘブライズム(ユダヤ・キリスト教)には霊と肉(ラテン語で は,spiritus と caro)の二元論があり,二つが合流したところで,アウグスティヌスやル ターにおいて,霊と魂と身体(ラテン語で spiritus, anima, corpus,ドイツ語で Geist, Seele, Leib)という三分法が成立していた.霊(spiritus)や霊性(spirituality)という語は,宗 教的な信仰と結びつきながら,心身を統合する働きとして考えられていた2. しかし,宗教改革に端を発したキリスト教の世俗化は,18 世紀の啓蒙主義によって広ま り,霊性も世俗化の道を辿ることになった.19 世紀ドイツの哲学者ヘーゲルにおいても, 精神(Geist)という語は,キリスト教的な霊(spirit)の含みを残しながらも,「宗教の超 越的な霊性を行為的な理性である精神の次元に引き下げる」3という世俗化がなされていた. 他方で,同時代のフランスの哲学者メーヌ・ド・ビランは,人間の生を「動物的生」「人間 的生」「霊的生」に分け,「人間は動物的にも,人間的にも,霊的にも生きる,統一的生を 生きる存在である」として,霊性を復権させようとした4.そこから,フランス・スピリチ ュアリズム5と呼ばれる流れが始まった. スピリチュアルとは西洋哲学史の長い伝統を背負う言葉であり6,スピリチュアルケアに も西洋の長い伝統が流れ込んでいる. 実存的とは何か スピリチュアルは,そうした経緯からして,宗教的(religious)を含むとしても,世俗 化を経たため宗教的と重ならなくなった.そこで,スピリチュアルのうちで宗教的とは重 ならない側面が,実存的(existential)と呼ばれるようになった7.この語もまた,医療関 係者にはなじみの少ない語かも知れないが,哲学を学んできた者には珍しいものではない. もともと本質(essentia)と対比された存在(existentia)という語は,中世以来使われてき たが,19 世紀デンマークの哲学者キェルケゴールが, 「大切なのは客観的真理ではなく私に とっての真理」であって,「たとえ全世界が崩れ落ちようともそれに絡みついて離れること のないようなもの」として実存(existence)という語を初めて使った.実存というのは, 「現実存在」 (現にあること)のなか二文字を取って作られた語であった.20 世紀ドイツの 哲学者ハイデガーが主著『存在と時間』の中心概念の一つとして,この語を広めた後,ヤ スパースの実存哲学やサルトルの実存主義で有名となり,カフカやカミュらの作品が実存 -2- 主義文学と呼ばれた.私の学生時代,多くの若者達を惹きつけた言葉であった. スピリチュアルとの関係で実存的という語が使われるようになった経緯を私は知らない が,一つの系譜は,ナチスの強制収容所での体験を描いた『夜と霧』で有名なオーストリ アの精神科医ヴィクトール・フランクルを通じてのように思われる8.彼はフロイトの精神 分 析 ( Psychoanalyse ) に ハ イ デ ガ ー の 実 存 ( Existenz ) 結 び つ け た 実 存 分 析 (Existenzanalyse)を唱えたが,その入門書『死と愛:実存分析入門』9の原著名は,Ärztliche Seelsorge である.この Seelsorge(魂のケア)という語は現在もドイツで普通に使われ10, 英語ではスピリチュアルケアとも訳される語で,この書名は『医師によるスピリチュアル ケア』と訳すこともできる.彼は実存分析に基づく方法としてロゴセラピー(Logotherapie) を唱えたが,それは人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す 心理療法のことで,そこに実存的という語がスピリチュアルケアとの連関で使われる道筋 が見える.「生の意味」への実存的な痛みとは,すぐれて哲学的な問いであった. 「ケアの人間学」合同研究会 さて,私は前任校で長年,人間学とヒューマンケア学の教育に携わってきた.人間学と は哲学・倫理学・宗教学の専門家からなる講座で,それは哲学の新しい姿とも言え,同じ 学科に属する他分野の学問について,心理学は人間の心理に,社会学は人間の社会に,文 化人類学は人間の文化に,歴史学は人間の歴史に,それぞれ照明を当てるが,人間学は心 理も社会も文化も歴史ももつ全体としての人間を扱おうとしている,と謳ってきた.WH Oの健康や緩和ケアをめぐって,「身体的」「心理・精神的」「社会的」「スピリチュアル」 という四つの次元での全人的なケアが必要だという議論は,人間学・ヒューマンケア学が 目指すものと軌を一にしていると言えよう. そんな大学の同僚たちと看護専門学校の教員および卒業生の看護師の方々とで,5年前 から始め今も続いているのが「ケアの人間学」合同研究会である.そこでは,私自身の「末 期がん患者の精神医療のあり方をめぐって―ケアの人間学へむけて―」11と題する発表から 始まって,テーマもターミナルケアから高齢者ケアへ,ホスピスケアから在宅ケアへと広 がり,参加者も医療・看護・介護・福祉・教育の関係者へと輪を広げ, 「研究と臨床の対話」 が行われている.スピリチュアルケアについても,沼野尚美,高橋卓志,内藤いづみとい った,この分野でよく知られた方々の講演会を始めとして,静岡県内各地でそれぞれに活 動している方々による現場からの報告とさまざまな角度から意見交換を続けてきている12. -3- おわりに 私は現在,大阪大学の臨床哲学という講座で教壇に立っている.「臨床」という語を私た ちはベッドサイドという狭い意味ではなく,もっと広く捉え,誰もが何らかの仕方で苦し み問題を抱えている,そういう人たちに寄り添って,彼らが生きている世界のなかからと もに哲学するという試みこそを,臨床哲学という名で呼んできた13.とは言うものの,それ は同時に,ベッドサイドとしての臨床の場を哲学することをも含まざるをえない.今学期 は「死の臨床を考える」と題する演習を行い,とりわけ近年話題になっている尊厳死の問 題14を学生たちとともに考えている.ケアの人間学を背景にした臨床哲学という視点から, スピリチュアルケアと尊厳死とを別々にではなく,ともに関係づけながら考察する――そ んな試みをしているが,そこからこそ見えてくるものがあると考えている. 1 プラトン:パイドン,66D-67E. 金子晴勇:人間学から見た霊性,教文館,2003. 3 同:ヨーロッパ人間学の歴史,知泉書館,2008,p.386. 4 同上:p.389f. 5 増永洋三:フランス・スピリチュアリスムの哲学,創文社,1984. 6 以上簡単に見ただけでも,心−魂−精神−霊といった言葉が錯綜しているのが分かる.そこへ更に,ギ リシア語のプシュケー(psyche)をともに含む psychology と psychiatry とが,日本語では心理学と精神 医学と,異なる語で訳されることが,一層の混乱を招いている.こころのケア・心理的ケア・精神的ケア・ スピリチュアルケアという語が,重なりながらずれることになる.更に,日本では心理士が国家資格化さ れていないため,病院で常勤として雇うのが困難という台所事情が,こうしたケアの医療施設での位置づ けを困難にしている. 7 恒藤暁:最新緩和医療学,最新医学社,1999,p.6;森田達也,角田純一,井上聡,et al;終末期癌患者 の実存的苦痛─研究の動向,精神医学,41(9), p.995-1002, 1999. 8 恒藤前掲書,p.234. 9 ヴィクトール・E.フランクル(霜山徳爾訳) :死と愛 : 実存分析入門,みすず書房,1985. 10 拙稿:魂のケアについて─仏独・ホスピスとスピリチュアル・ケア研修報告─,人文論集(静岡大学人 文学部),第 56 号の2,2006,1-23 頁. 11 ケアの人間学─合同研究会要旨集─,No.1,2004. 12 同研究会の活動については,次を参照.拙稿: 「ケアの人間学」合同研究会,臨牀看護,特集: 2 死生観と看取り,2007/11. 13 鷲田清一:「聴く」ことの力─臨床哲学試論─,TBSブリタニカ,1999;大阪大学文学部倫理学研究 室:臨床哲学ニューズレター,1997. 14 その一端については,次を参照.拙稿:緩和ケアと尊厳─ケアの現象学的人間学からのアプローチ─, 緩和ケア,Vol.17 No.5,2007. -4-
© Copyright 2024 ExpyDoc