自己紹介 - ちょーくのブログ

たった 1 日の作業で 5 万円…!?
ネットビジネスの可能性と、お金の価値観が歪む瞬間。
はじめに、これをご覧ください。
ネットビジネスを知って初日に叩きだした報酬額です。
1 ヶ月ではありません。1 日です。しかも始めた初日です。
作業時間も 2 時間くらいでした。
これは自己アフィリエイトと言って、
正確にはこの報酬がすぐに貰えるものではなく
もう少し作業を行う必要があるのですが、
正しくこなせば間違えなく手に入るお金です。
どうでしょう。
1 日数時間の作業+α で、人によっては 1 ヶ月の給与の半分、
サラリーマンでも四分の一には及ぶ額が手に入ってしまうのです。
難しいことは何もしていません。
あなたにも簡単に出来る事です。
ネットビジネスに無限の可能性を感じた瞬間でした。
同時に、今まで楽しくもない仕事を
「お金のためだから…」
と、自分に言い訳をしながら行なっていた生活が、
「…変えられるかもしれない…」と、
足元が揺れ動いた瞬間でもありました。
では、なぜ私がネットビジネスの扉を開いたのか、
自己紹介を踏まえて、お話させて頂きます。
強い絶望も眩しい希望も無い。
ただ漠然とした不安と、捉え様のない違和感を抱えた
社会人生活 10 年間だった。
改めまして、はじめまして!ちょーくと申します。
私は現在、派遣社員として電話受付の仕事をしています。
「派遣社員」と聞いて、一昔前に巷でよく耳にした
「えっ、日雇い労働のこと?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
実際はそうではありません。
3 ヶ月や半年を満期として派遣先と契約を組み、
安定したお給与をもらっています。
よっぽど勤務態度、実績が悪くない限り、
契約更新は事務的に行われます。
イキナリ満期終了で契約を切られるというケースは
少なくとも私の周りでは聞いたことがありません。
今働いている派遣先でも、そろそろ 5 年目を迎えます。
現在私は 31 歳。
我ながら、高校卒業後 10 年以上、
よくここまで大きい挫折や曲がり道をせず
社会人生活を営んできたなあ、と感心する次第です。
それはなぜか。
私は中学生の時に不登校を経験しているのです。
閉ざされた空間で、生きている意味をひたすらに問い続けた 2 年間
中学の勉強について行くことが出来なくなり、
テストを受けることがこの上なく恐怖でした。
その恐怖から逃げるようにして
中学 2 年生の始めくらいで不登校になりはじめます。
私は小学校の時に、私立の中学へ上がるべく
中学受験を経験していました。
中学受験の勉強は小学生が学ぶものとしては
相当高度なものだったのでしょう。
中学受験は失敗、公立の中学へ上がることになりますが
塾の授業に出ているだけで、小学校のテストは
わりと良い点数を取ることが出来たのです。
私は勝手に「勉強ができる奴」と
思い込んでいたフシがありました。
それが中学校へ上がった途端、みるみる点数が落ちてゆくわけです。
1 年生の 1 学期の中間テスト 80 点
1 年生の 1 学期の期末テスト 65 点
1 年生の 2 学期の中間テスト 40 点…
2 年生に上がった頃には、ほぼすべての科目で
1 桁の点数しか取れませんでした。
おそらく性格なのでしょう。
その状況が、悔しい、辛い、という気持ちよりもとにかく、
「恥ずかしかった」
テストの答案用紙が配られると、みんながこぞって
「この問題どうだったー!?」
「うわ!そういうことだったのかー!」
「難しかったよねー!」
「人には向き不向きがあるからさー、英語なら負けないしー!」
と、皆テストの結果に一喜一憂しながらも、
満面の笑顔で話を弾ませていました。
私は、開示することなんて出来ない低得点が
赤ペンで書かれた答案用紙を恐る恐る折りたたみながら、
胃液が出そうになるのをこらえつつ机に張り付いていました。
「誰とも顔を合わせられない。
顔を合わせれば、「何点だった?」って問われるに決まっている。
いや、もう、誰も僕と顔を合わせようともしない。
『可哀想なやつだから、そっとしておいてあげようぜ」
そんな雰囲気を肌で感じ、さらにその場に居られなくなりました。
「自分はどうして勉強が出来ないんだろう」
来る日も来る日も、この問題が頭を支配していました。
きっと「勉強をする理由が見つからなかったから」だと思います。
私は何をするにも、人一倍自分の中で
理由が無いと動けないんですね。
けれども、それが分かったのは随分あとになってからです。
中学生の私はずっと、こう思っていました。
「今、目の前に広がっている暗号のような教科書たち。
これらを学び、こなしていくことで、一体何になるんだろう…。
分からない…。イメージが全く浮かばない。
英語?海外で生活でもするのか…?
微分?積分?科学者にでもなるのか…?
歴史、社会、国語…何かの研究者になりたいならば
魅力的なことばかりだけれども…。
なりたいものなんて分からない。
必要かどうかも分からないにもかかわらず、
勉強というただの暗記作業の苦行に
時間を費やすことなんて出来ない…。」
ある日「そうか!」、と思い学校に行き、
友達に聞いて回りました。
(体育の授業がある曜日だけ、気が向いた時に学校へ行っていました)
「ねえ、どうして勉強しているの?」
今思えば、完全に頭がオカシイやつですww
学校休み続けて、部屋でずっとゲームばっかりやっているから
ついに頭おかしくなっちゃったんだ…
って質問された側は思っていたことでしょうw
もしタイムマシンがあるのなら、
真っ先に過去の自分へ会いに行って
優しくさとしてあげたいですww
でも当時の私は本当に分からなかったんです。
そして、学校に登校してまで聞いて回りたかった、
「そうか!」と思ったのはどういうことかというと、
「みんな、勉強をする確固たる理由があるんだ!
だからあんなに必死になって勉強が出来るんだ!
それさえ掴むことが出来れば僕も、
みんなと同じように勉強が出来るはずだ!
知りたい! 知りたい!!」
…けれども、返ってきた答えはどれも一緒でした。
「何となく」
「当たり前だから」
「みんながやってるから」
「高校行かなきゃいけないから」
(何で高校に行くの!?って聞くと上の 3 つが返ってきてループです)
当然、私は驚愕します。
何となく!?
当たり前?!
そんな理由であの、辛くて苦しい勉強をこなしているのか!?
私はその時の情景を今でもはっきりと覚えています。
学校の天井や遠くの方が真っ白になって私を包み込み、
時間の流れが急に止まって、スローモーションで動き始めました。
つまり、ものすごいショックを受けたんです。凄まじい心の衝撃。
同時にこう思いました。
「あ…何かが違う」
…みんなは僕と何かが違う…。
…社会は僕と何かが違う…。
こうして私の中の苦悩、
「どうして勉強が出来ないんだろう」は、
「どうして勉強をするんだろう」となり、
「そもそも勉強って何なんだろう」と考えるようになります。
やがて「勉強って何なんだろう」という疑問が、
「社会って何なんだろう」
「生きているって何なんだろう」
「宇宙って何なんだろう」
「そもそも自分って何なんだろう」
という、いささか哲学めいたものへと変化をしてゆくのに、
さほど時間はかかりませんでした。
考える時間だけはたっぷりありました。
狭い部屋の中で一人、来る日も来る日も何かを考え、何かを感じ、
自分の中で何かの答えが出ると、また新たな疑問が生まれました。
まあ、一日の大半、ゲームばかりしていたんですけれどもねw
ある日いきなり頭の中に現れた空前絶後の大発見
中学 3 年の末、まだ寒さが猛威を奮っている時期でした。
私はまた、色々とあーだこーだ考えていました。
そしていきなり、こう思ったのです。
「全てのことに、価値や意味は無い」
は?って思われますよね。
すみませんw 言葉を加えます。
「全てのことに、普遍的な価値や意味は無い」
どんなことでも全ての価値観は流動的、ということです。
何一つ変わらないものなんて無い。
今持っているお金 10 円だって 100 年前には大金だった。
人を殺めることは絶対にいけないことだけれども、
昔の戦争では「何人敵国の兵士を倒したか」で英雄扱いされた。
すべての価値観は変化してゆく。
意味は変動してゆく。時と場所によって。
絶対に正しいものなんて無いし、絶対に間違っているものも無い。
全部、全部、何から何まで、ぜーーーんぶに言える話だ…!
私の中でこの発見は重要でした。
今の自分を形成する大きな基礎になっています。
そして一見ネガティブに捉えられがちな言葉ですが
とんでもない。私は歓喜しました。
「なんだ!世の中の全てのものって、
こんなにも不確かなんだ!
どんなに、テレビが、親が、教師が、
世間の誰かが言っている正しきものも
未来永劫続く約束なんでどこにも無い、
今は正しいらしい、というだけだ。
勉強が出来ない?人と少し考え方が違う?
そんなあやふやな基準に苦悩することなんて、
自分を責める必要なんて、何一つなかったんじゃないか!」
それまで何となく、常に頭のなかに
モヤがかかっていたのですが、
それがパァっと晴れてゆくのがはっきりと分かりました。
その時の感覚を、私はきっと一生忘れません。
もちろんその後、友達に目を輝かせながら
「超大発見したんだけど!!なんと、全てのことに意味なんて無かったんだよ!」
…はいw キ○ガイですねww
タイムマシン、マジに下さいww
それはさておき、価値観は変化する、というのは、
こういう言葉に置き換えることも出来るでしょう。
「全ての価値は、作られたものである」
社会の価値も、お金の価値も、仕事の価値も、
何から何まで全て、普遍的なことなどは何一つ無く、
後発的に作られた価値だと感じています。
一つ分かりやすい例を上げましょう。
今や空前の婚活ブームであると言えます。
2、3年前までは女性が中心で沸き起こっていましたが
今や男性にもそれが飛び火して、
婚活支援会社、晩年の方々の出会い系業者、
それらの広告が目立っています。
ただ、ものの 10 年くらい前までは、
「結婚する女性はカッコ悪い」
なんて言われていたんですよ。
キャリアウーマンがもてはやされ
「働く女性がカッコイイ」
という風潮が巻起こっていました。
それがたった数年で 180 度変わってしまうのです。
そして皆一様にこう言います。
「あの時はそうだったんだよ」
このように、結婚の価値、女性労働の価値も
めまぐるしく変化して行きます。
これは全ての常識、当然とされている
事柄に対して言えることです。
もっと言えば私は、生きるということも、
死ぬということも、自分という概念も
その時代の人間がただ付け加えただけの
価値、事柄であると思っています。
(あ、先に言っておきますが、変な宗教とか入ってませんからねw)
すみません、少し話が反れました。
「普遍的な価値観は無い。常に流動的だ」
この考え方を基礎として、
私は中学卒業後、高校へ進学します。
(もちろん普通の高校は行けずません。
不登校を抱えた人達が通えるような定時制の高校です)
時を刻むにつれてその考えは更に強くなり、
また穏やかさを保ちつつありました。
そんな中で高校の時、私が出した結論。
「人生、楽しく生きてゆきたい」
全ての決まり事は、誰かや何かの都合で決められている。
そんなもののためにつまらない思いをしながら生きてゆくのは御免だ!
もちろん、脱法すれば圧倒的に自由が奪われるし、
社会のルールから外れたり
お金が無くなってしまうと命の危険に及ぶ。
何より沢山の人に多大な迷惑をかける。
社会やその場の決まり事に反旗を翻すつもりなんてさらさら無い。
つまり、
「やりたいことだけやって生きてゆきたい」
アルバイト生活で垣間見た、「仕事の奴隷」
高校を卒業してからアルバイト生活を始めます。
当時は音楽、バンド活動と、ゲームに明け暮れる日々でした。
音楽活動やゲームをやっている時には楽しい時間が流れました。
「このまま、ずっと楽しい時間が続けばいいのに」
何度そう願ったことでしょうか。
けれども、バンド活動やゲームをプレイするにも、
当然のことながら、お金が必要です。
バンド活動を経験したことがある人はご存知と思いますが、
小さいライブハウスで 5、6 曲披露するのにも
都内近郊であれば 1 回で 5 万円程かかります。
いわゆる、ノルマ、というやつです。
それをバンドメンバーみんなで割って支払います。
私は 5 人編成のバンドをやっていたので、
一人あたま 1 万円ですね。
例えばそれが月に 4 回あるだけで、4 万円かかるわけです。
決して安くない出費です。
ライブにお客さんを呼ぶことが出来れば
チケット代と差し引かれて負担額も減るのですが、
初めのうちはノルマをチケット代でまかなえるような
バンドはほとんどありません。
つまり、楽しいことを実現するには、当然働かなければいけません。
労働…労働…労働!
生きている意味や死の意味などの根幹部分でさえ
「その価値は流動的である」などと
理屈をこねくり回している小僧です。
お金のために自分自身の時間を切り売りするような、
「仕事」なんぞに打ち込めるわけがありませんでした。
私はバイトを転々としました。
自分が少しでも興味があるものを選びました。
(好きなものに囲まれていれば気が紛れるかもしれない)
そう思い、なるべく自分の好きなものを扱うバイトに就きました。
飲食店、CD ショップ、アパレル店員…
しかし、どこへ行っても中身は何も変わりませんでした。
初めて働いた飲食店のアルバイトは、
オープン直後の新しい店舗で、店長と呼ばれる人も
清潔感のある明るい雰囲気の人でした。
しかし、お客さんが思ったより入ってこなく、
開店記念の特別価格で提供していた時こそ、人が押し寄せましたが、
それが終わるやいなや、お客さんの足取りは途絶えました。
売上が下がると共に人当たりの良かった店長が
みるみる豹変していったのです。
私は、キッチンで作られた料理をお客さんのテーブルまで運ぶ、
ホールのアルバイトスタッフとして働いていました。
自分としては何ら変わりなく接客していたのですが、
どこか鼻についたところがあったのでしょう。
店長にホールの裏、いわゆるバックヤードに呼ばれ
「チンタラ歩いてんじゃねーぞ!
お前のやる気の無さで、客が逃げてくんだよ!」
と、最初は満面の笑顔を浮かべていた人と同一人物とは
到底思えないような禍々しい表情で罵声を浴びせられました。
お客さんがオーダーしたメニューとは
異なるものを提供してしまうミスを犯したことがありました。
その時、店長から放たれた言葉に驚かされました。
「あのな。俺ら会社は、お前という人間を
『1 時間 800 円で買い取ってやってる』んだよ。
金払ってもらってる以上、ふざけたミスしてんじゃねーぞ!」
自分の価値が 800 円にも満たないと言われたことのショックよりも、
この人、大丈夫かな…という思いが胸をつきました。
本当に人のことを、お金で考えているのか、
仕事が出来るか否かで、その人の人格まで言及するのか…。
その後働いたバイト先でも似たり寄ったりでした。
売上ばかり気にしている店長。
初めは優しく接してきたキレイ目な女の先輩も
自分が要領の悪さや手際の無さを少しでも見せると
「おい、お前仕事なめてんのかよ!」
と、平気で態度が変わったりして
思わず仰け反りました。
働けば働くほど、心がすり減ってゆくのが分かりました。
「そうか。仕事っていうのは、心と体と時間を犠牲にして、
その対価を受取る。なんだ、身売りみたいなものじゃないか」
本当にそう思いました。
毎朝、起きると同時にため息をつきました。
そして、人間らしさのかけらも感じない言葉や態度を
示してくる職場の人たちにこういう感情を抱き始めます。
「この人達は、心底『仕事の奴隷』なんだ…」
仕事が上手く回れば笑顔で向かい入れ、
ヘマをしたり都合が悪くなると
信じられない言葉で人をバカにしてくる。
たかが仕事でどうしてここまで真剣になれるんだろう。
ただのお金稼ぎの手段に過ぎないのに。
どうしてここまで感情をあらわに出来るんだろう。
いや、この人達はお金の手段、だけとは思っていない。
仕事>>>>人間、なんだ…。
仕事が出来ればようやく、相手を人間として認められ、
仕事が出来ない奴は人間として認めることが出来ないんだ。
そんなの仕事の奴隷じゃないか…。
なんてバカバカしいことをしているんだ…。
それから私は、安い給与に耐えかねて、
2 年間のアルバイト生活から、派遣社員の道を進むことになります。
心と体があやふやなまま、出会った天職
時は約 10 年前。
私が 20 歳の頃です。
アパレルでアルバイトをしていた私は、
月 10 万程度の収入でした。
実家で暮らしていたために生活には困らなかったのですが、
そこで働くのが死ぬほど嫌でしたし、
それに加え、さすがに安すぎるだろうと思い、
次なる仕事を探し始めます。
そこで、派遣社員のコールセンター、
という仕事を求人雑誌で見つけます。
あっけなく面接に受かり、
新しい仕事が始まりました。
派遣先のコールセンターを運営する会社は、
多くの宿泊施設やレジャー施設と提携をして、
独自の福利厚生サービスを展開している企業でした。
詳しい企業形態は省きますが
私の仕事の内容は、福利厚生を受ける会員の人たちから
「ここのホテルに泊まりたいんですけれども予約お願いします」
「ディズニーランドのチケットが割引になるこのサービスを受けたいです」
などの電話を取る仕事です。
その受けた電話を元に、宿泊施設などに電話をし、
「○○様という方が、この日に予約希望しています
宿泊可能でしょうか?」
という具合に、宿の手配などをするわけです。
コールセンターの仕事が自分に向いていたのでしょう。
それまでは実店舗で、直接お客さんと接する
接客業だけをアルバイトとしてきた自分は、
「…なんだよこれ、、めちゃくちゃ楽じゃん…!」
と驚き、また喜びました。
なんといってもそれまでの時給が 800 円だったのに対して
1100 円の仕事だったので、月 5 万円程収入が上がりました。
もう立ちっぱなしで笑顔を振りまく必要なんてない。
デスクに座ったまま、お茶を飲みながら電話にさえ出ればいい。
売上のことだけを考えて、罵声陰口を平気で叩くような
社員に怯えながら働く必要なんて無い。
電話の応答件数は重要でしたが、
仕事内容が苦ではなかったので
何も意識せずに問題ないレベルで件数を稼げました。
「仕事の大変さが報酬に比例するというのは嘘!」
身を持ってそれを体験したわけです。
その福利厚生サービスの仕事は 3 ヶ月の短期契約であったため、
そのまま更に時給が高い別のコールセンターの仕事に移ります。
そのコールセンターは、車のトラブルに見舞われた
自動車保険の会員の人から電話がかかってくる、
いわゆるロードサービスの受付窓口でした。
「バッテリーあがっちゃいました」
「溝にはまっちゃって自動車動かなくなっちゃいました」
「事故にあって車動かないんだ。レッカー頼む」
みたいな感じの電話がほとんどです。
これも私にとって、何のストレスにもなりませんでした。
アルバイト時代に受けた
人格を否定されるようなこともありません。
が、何の楽しみもやり甲斐もありませんでした。
ただ、その日の作業をこなしているだけの毎日。
単純作業、同じ事の繰り返し。
その職場で 1 年半程働いた時、
上司から、新人の研修講師にならないか、
という誘いの話がありました。
研修講師は興味があったので、快く了解しました。
更に時給は 1700 円と跳ね上がり、
一人でも余裕で生活出来るお金が手に入るようになります。
研修講師。
これが、自分にとって天職と言わざるおえない、
やり甲斐と喜びに満ち溢れた仕事だったのです。
今まで嫌々とは言え、得てきた仕事の内容を
自分なりに資料にまとめて、新人さんに教育する。
何よりも、初めは分からない様子だった新人さんが、
自分の言葉を尽くして教えた後に、笑顔で
「おおお。。分かったよ!」
と喜んでくれた瞬間…!
自分の体の中で、快感がこみあげてきて止まりませんでした。
「これか…!これが『やり甲斐』ってやつか…!」
何度、この言葉を脳裏に浮かべては
ニヤニヤしながら興奮したかわかりません。
相手が喜んでくれることで、何より自分が喜びをもらっていました。
私の 30 年の人生の中で、唯一、「仕事が楽しい」と思った半年間でした。
ん、半年間?
そう、半年後、同じ課の人達との面倒くさいイザコザがあって
あえなく退社することになります。
その時に正社員雇用の話も頂いたのですが、
日々感じている社会への、得も言えぬ恐怖があり、
「ここで正社員になったら、自分のやりたいことも出来ないまま
会社に媚びへつらう人生が待っている…。
研修担当だっていつまでやらせてもらえるか分からない…無理だ」
私は、別のコールセンターへ転職をしました。
それから現在に至るまで数社転々としましたが、
全て電話を取る仕事、コールセンターの業務のみ選んで来ました。
とにかく時給が 1500 円以上のものが多いのです。
そして、自分にとって全く苦じゃない。
しかし、人間慣れてくると不思議なものです。
理不尽な罵声を浴びせられるわけではない。
ストレスがあるわけではない。
この、苦ではないが、しかし楽しくもない、
可もなく不可もなくという作業。
これを繰り返し繰り返しこなしてゆく毎日が、
だんだん辛くなってゆきます。
同じデスクに吸い込まれて、
同じ時間にパソコンのスイッチを入れる。
同じような問い合わせの電話に対して、
なるべく機械的にならぬように、
声に暖かみをもたせようとしながら、
マニュアルに沿って機械化してゆく。
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
昼休みにご飯を食べる。帰ってきたらまた、
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
電話が鳴ったら、受ける。
電話を終えたら、内容を記録する。
…
派遣社員になってから約 10 年間。
深い絶望も悲しみもありませんでした。
アルバイト時代から比べれば、
「『苦痛ではない』というだけでラッキー」です。
しかし同時に眩い希望もありませんでした。
そしてぼんやりと心に、まとわりついてくる、
「何をやってるんだろう、俺は…」
という自分自身の所在の無さが、常に常にありました。
31 歳を迎えた私はついに決心します。
ネットビジネスを?アフィリエイトを?
いいえ、違うんです。
長くなってしまいすみません。
アフィリエイトの前に、最後に 1 つだけ、
ものすごく重大な出来事が私を襲ったのです。
ボーナスに狙いを定めろ!正社員への道
そう。私は正社員になるべく就職活動を始めたのです。
生まれてこの方アルバイトと
派遣社員しか経験をしていなかったので
ボーナスというものをもらったことが無かったんですよね!w
それと、派遣労働をしていて常々感じるのは、
正社員と派遣社員、仕事量や勤務時間は左程変わらない、
っていうことです。
もちろん職場によってこれは全く異なってくるので、
一概には言えないのですが、私が働いていた職場は、
割りと派遣社員にも役割が与えられていました。
それならば正社員になってボーナスを貰いたい!
この思いは少し以前から抱いていました。
しかし、それよりも強く思っていたのは
「つまらない仕事で一日の大半を使っているのは嫌だ」
ということです。
かの有名な社会学者、マックス・ウェーバーもこう言っています。
「仕事が喜びならばその人の人生は天国だ
仕事が苦痛ならばその人の人生は地獄だ」
しかし、仕事でやりたいことってなんだ…。
労働そのものに根底から嫌気を覚えている自分に
幸せを感じられる仕事なんてあるのか…。
コールセンターの仕事で正社員を見つけるか…。
でも、また電話か…流れ作業…単純作業…。
色々と思い悩むうちに、以前の仕事を思い出します。
そうです。7、8 年前に経験をした研修担当の仕事です。
そうだ!人に何かを教えるような仕事を探そう!
そう思い立ち、色々と探してゆくうちに、
パソコン教室の講師に興味が湧いて来ました。
「自分、パソコン好きだし、むしろパソコン中毒だし、
いつまでもいじくりながら教えること出来るっしょ!」
っていう気持ちも確かに強かったんですがww
本質は、
「インターネットの存在を、より多くの人に知ってもらって
『マジで便利だよね!』って感動して貰いたい」
という感情が芽生えていました。
ただ、この仕事はどこも給与が高くありませんでした。
間違えなく月給はダウン…。
でも楽しいことが出来るならば少しくらいなら…
そう思いながら求人サイトを読みあさっていました。
そんな中、他のパソコン教室とは
給与、その他の待遇も優れていて
なおかつ残業も少ないという
奇跡のような企業を求人サイトで見つけます。
求人サイトで広告を打っていたのは、
実際にその教室を運営している会社ではなく、
いわゆる転職支援の職業紹介会社でした。
紹介会社というのをここで初めて知ることになります。
まずはその紹介会社の人と面談があり、
その中でまず人を絞って、パソコン教室運営の教育支援会社に
紹介出来る人だけを、面接まで受けさせる、という按配でした。
紹介会社の人は、ものすごく好印象でした。
話を進めやすいように、この紹介会社の人を
A さんと呼ばせて頂きます。
A さんは、今まではサラリーマンとして
転職支援活動をしていたのを
ついこの間脱サラをして会社を立ち上げた様子でした。
どうやら、一人で面談、企業へのパイプライン、
アフターフォローなどをこなしているようでした。
A さんとの面談で、紹介予定の教育支援企業の全容、
企業理念などを説明していただき、
パソコン教室になぜ応募したのかなどの
理由を問われたりしました。
私は素直に、
「以前研修担当をしていた時に
教えること、自分の説明で理解をしてくれることの
何物にも代え難い喜びを覚えたためです」
と思いのままを語りました。
パソコン教室は今後、どのような道をたどると思うか、
というような抽象的な質問もされましたが、
これも素直に答えました。
「応募しておいてなんなのですが、
パソコン教室は今後衰退していくだろう。
それをカバーするにはスマートフォンや
タブレット型端末の教室を開くなどの工夫が必要だ…」など。
面談は無事に終え、数日後に電話で結果をもらうことになりました。
自分の中でもかなり手応えがありました。
自分のやりたいことを伝えられたし、
何より、紹介された教育支援の会社が
「教育の理念」というのが素晴らしかったのです。
・教育は人を幸せにする。
・インターネットという技術は何百年かに一度の
産業革命レベルの重大な技術である。
・それを身近に感じてもらうためのパソコン教室。
インターネットを使ってもっと便利な生活を提供したい。
これらは日頃自分が思っていたことと
完全に一致していたのです。
「この会社で働きたい」
こんなことを思ったのは生まれて初めてでした。
金稼ぎの手段としか、仕事なんて見たことがなかった、
そんな自分に、こんな感情が芽生えるなんて。
数日後、A さんから携帯電話に着信が入ります。
平静を装いながらも指が震えていました。
「ちょーくさん、この間の面談の結果なのですが…
是非、紹介させていただきたいのですが、
ちょーくさんのお気持ちはいかがですか?」
やった!!
「はい!是非チャレンジさせてください」
A さんの目には私が適任であると映ったようでした。
それからの A さんの転職支援っぷりは
眼を見張るものがありました。
履歴書の写真は必ず街の写真屋さんで撮ってもらうように、とか
親切丁寧な、履歴書と職務経歴書の添削。
更に、スカイプ(無料でテレビ電話が出来るソフト)を
使った面接に向けてのコツ、具体的なテクニックを踏まえた
心構えの作り方など、オンラインサポートまでしてくれたのです!
「ちょーくさんの教育に対する思い、
スマートフォンなどを念頭における先見、
これを面接の時に自信を持って伝えれば、
絶対に、絶対に大丈夫です!」
笑顔たっぷりでそう A さんはおっしゃってくれるのです。
本当に A さんは転職支援が大好きなんだな…!
そう思える魅力全開の支援に
自ずと自信が芽生え始めます。
こりゃ、今回絶対に受かるぞ!
A さんに教わった面接のテクニックと
自分自身が持っている熱意を信じれば、必ず…!
そして面接当日がやってきました。
面接会場に行く前に、A さんと喫茶店に入りました。
最後の面接対策です。
A さんはこうおっしゃってくれました。
「今回面接にあたる方は、この会社を 30 年以上も
勤められている超ベテランの女性の方なんです。
でも全く緊張することはありません。
マインドは同じ、教育、インターネット、
パソコンの重要性をものすごく真剣に感じてらっしゃる方です。
ちょーくさんの思いをそのままにぶつけられれば
絶対に大丈夫ですよ!」
いざ、面接会場へ!!
会場に着くと、思った以上に応募の人が居ました。
不景気…。
そう感じずには居られませんでした。
そして驚いたことに、今回この会場には、
自分のように正社員を希望している人と、
アルバイトとして希望している人が
みんな一斉に集められていたのです。
まずは A さんが言っていた、超ベテランの
女の人が、会社説明をし始めました。
30 分以上、話をされていたと思います。
A さんにも大分詳しいところまで話しを聞いていました。
しかし、実際にその中で働いている人、
その、超ベテランの女性の話しを聞いていくうちに、
…話が違う…。
そう思いました。
どう話が違うのか。
思っていた以上に素晴らしすぎる…!!
会社説明にも関わらず、こういうワードが飛び出すのです。
「リーダーというのは、いかに部下を大切に
部下が働きやすい環境を、物理的にも精神的にも
作り出せるかというのが非常に重要。
アルバイトも、正社員も、契約社員も、
仕事の内容は違えど、そこに敷居、壁を作ってはいけない。
アルバイトは正社員が、正社員はアルバイトが、
それぞれどんな仕事をしているか、透明性をもって
把握していなければ、良い職場環境など作れるわけがない。
今回皆さん一度に集まってもらったのもそれが理由だ。
あなた達はお客様のことだけを考えて仕事に就いてほしい。
私達本部は、あなた達のことだけを考えて仕事をしています。
いかにストレス無く働けるか。
理不尽なこと無く業務が遂行できるか。
それだけを考えています。
業績なんていうのは後からついてくるものです。
とにかく仕事を楽しんで貰いたい。
楽しさの輪が広がっていくことで企業が成長できるんです」
…なんだこの会社は…!?
一言一句、自分の思っていることと完璧に一致している…。
こんな会社があったなんて…奇跡じゃないだろうか…。
A さん、この企業を紹介して下さって
本当にありがとうございます…。
この熱い思いを、早くこの会社に伝えたい!!
会社説明が終わった後、
一人ずつ簡単な挨拶と、会社説明に対する感想を
述べるように言われました。
しかし 40 人以上会場には集まっているので、
一人一分でも 40 分以上の時間がかかる、
なので、本当に一人一言程度。
その後に、5、6人ごとに
個別面接があるとのことでした。
最初の挨拶、自分の番が回って来ました。
ものすごく緊張しましたが、精一杯伝わるよう
声に抑揚をつけながら、
「御社の理念、従業員に対する姿勢に感動しました。
特に、業績は後からついてくる、まずは楽しめ
というところは、私も常に思っている事です」
はい、どうもありがとう、じゃあ次の人。
私に限らず、このくらいの言葉しか言えない時間配分で、
すぐに「はい次」という感じで回ってゆきました。
なので私も、他の人と何ら変わらぬ
若干流れ作業的に対応されたのです。
時間配分的に仕方のないことでした。
しかし、この会場に入ってから私が初めて
どこか違和感を感じた瞬間でした。
(さすがに言える言葉が限られすぎて無いか…。
でも、この後個別面接だしな…。)
何人かのグループが個別面接を終えて
いよいよ自分のグループの番になりました。
おそらく役員室だったのだと思います。
高そうなソファ、デスク、
調度品が飾られた部屋に案内されました。
そこで先ほど会社説明をした
超ベテランの女性、オバサンが座っていました。
開口一番、その女性が放った言葉に
耳を疑いました。
「さっきの会社説明の内容で、分からなかったこと
もしくはもっと聞いておきたことある?
無ければこの面接はおしまい、解散とします」
は…?
いや、、まだなんにも伝えてないんだけど…。
志望動機は?
めっちゃ練習したんだけど…。
パソコン教室運営のビジョンについては?
相当考えてきたんだけど…。
おそらく私以外、部屋に呼ばれた他の人も
同じように困惑しているようでした。
肩透かしをされた気分。
結局、給与体系の話や
職場環境のもう少し詳しい話、
それらを1、2点質問、解答してもらって
個別面接は終わってしまいました。
「結果は今日中に、紹介会社を通してお伝えさせて頂きます」
かなり落ち込みました。
そして、結局面接では何をするのが正解だったのか。
それを半日ぐるぐる考えてしまいました。
A さんが必死になってレクチャーしてくれたこと、
何一つ生かせなかった。
いや、生かせなかったというか、その場が無かった…。
2 次面接、3 次面接と続くらしいから、
次で根掘り葉掘り聞かれるのか…!
あれこれ考えているうちに、
早速 A さんから連絡が入りました。
緊張しながら電話を取ります。
「ちょーくさん、今回の面接結果なんですが…
私の力不足でした。不採用とのことです。
本当に、本当に申し訳ないです!」
いやいや!A さんは何も謝ることなんて無い!
ものすごく良くしてくれて、感謝しかしてないです!
「今回、不採用となった理由なんですが、
ちょーくさんが、穏やかすぎた、とのことです。
パソコン教室を運営する上では、
もっとグイっと力強く引っ張っていけるような
そういう人を望んでいるため、とのことでした。
本当にごめんなさいちょーくさん…!」
謝り続ける A さんに、もう一度深くお礼を言って、
電話を切りました。そして、こう思いました。
「…チクショウ!あのバアさん、なめてんのか…!!
会社説明の話で、
俺がどのくらい感動したと思ってるんだ!!?
奇跡を感じたレベルだよ!奇跡!!
今まで、好むと好まざるに、否が応もなく、
心と体をすり減らしながら労働してきた苦悩!
楽しむということが何よりも大切だと思ってきた感性!
それらがあんたんとこの会社の理念と
絶妙に合致しあって、噛みあったイメージが
頭のなかでガツンと響き渡ったんだよ!
それを伝える事ができないまま、
『穏やかすぎるから』とかいう理由で…!!」
ものすごく悔しかったです。
いいえ、悔しいというよりも、怒りでした。
たった、数十秒間の挨拶と、
数分間の個別面接だけで
「穏やかすぎる」というレッテルを張られたことの怒り。
そんなほんのちょっとの情報だけで
お前に俺の、何がわかるっつーんだよ!!
A さんとの電話を終え、しばらくこのように
怒り狂った感情を持っていましたが、
それもやがて、諦念、虚しさへ変わります。
今まで働いてきた全ての会社に共通する、
「労働することへの圧倒的虚無感」
これが、ろくな面接もせぬまま合否をつけたその会社と
どこかで結びつき、こういう思いに変化します。
「なんだ、結局、やっぱり同じじゃないか」
結局、誰かに支配されて、自分の意見は通らず、
誰かや何かの都合、感性で、自分の人生が決まる。
それが、会社労働っていうことだ。
そして、一日のほぼ大半が、
「やりたくもないこと」で専有され、
得るお金だって、好き放題使える程の額じゃない。
節約に節約を重ねて、
ようやく自分の趣味に使える程度のレベルだ。
このままずっと、やりたくないことをやり続け、
どこかで折り合いをつけながら生きていくのか…。
…おい… おい…! おい!!おい!!!!
おい俺!!!!!
何が就職活動だよ、おい!!俺!!!
ガキん時、確かにお前、思ったよな!
「人生、楽しく生きてゆきたい」
「やりたいことだけやって生きてゆきたい」
そう思ったよな!!
そして、今までもずっとずっと、思い続けてきたよな!
でも現状はどうだ!!?
一日のほぼ大半の時間が、つまらない時間じゃないか!
コールセンターで働き始めてから、
辛くはないけれども、ずっとどこか、くすぶってて、
自分の人生なのに、自分の人生じゃないような、
同じことの繰り返しばかりの仕事、生活で。
常に、その一日の大半を占める、労働に対して
不満を抱いているから、それを揉み消すように
友達と酒を飲み交わし、躍起になって趣味に没頭したがる。
だからろくに貯金も出来ずに、
ボーナスなんかに目が眩んで。
お金に支配されていること、それが嫌で、
何か新しいことを始めたいとずっとずっとどこかで思っていて。
でも、やっぱり、現状が逃げるほど辛いわけじゃないから
ずっとその場に居座り続けて、早 10 年…。
なあ、もう、このまま同じ事を繰り返していても、
『絶対に楽しい人生なんてやってこないぜ』
…
深く深くそう思いました。
そう、それで探し始めたのです。
少しでも会社労働以外の収入を得るための手段を…!
そうしてネットビジネス、アフィリエイトという
無限の可能性を秘めた世界を知るわけです。
…
職場の人達でも、
「仕事なんてしたくねーよー」
「お金があったらすぐ仕事やめるしー」
そういう人、たくさん居ますよね。
私は、そういう人達ほど実際に、
話を掘り下げてがっかりすることはありません。
やりたくもない仕事をこなす時間が長ければ長いほど、
自分の心がどんどんすり減っていって、
自分の心ではなくなってしまいそうで怖くなります。
私がそうやって「仕事、労働に対する嫌悪感」を話すと、
そういう人に限って
「いや、さすがにそれはダメだろ」とか
「大人なんだからそこは譲ろうよ」とか言ってきます。
もし、あなたが今、一日の大半が仕事で、
その仕事という時間が、苦痛で、
私と同じように、
「労働で自分の心が擦り切れそうになる」
と、感じていらっしゃるのであれば、
一緒に、素晴らしい人生を取り戻す切符を手に入れませんか。
子供の頃、漠然と描いていた、
楽しい人生の形。
それを今、労働という鎖に足を繋がれているため、
歩く歩幅が限られていて
追い求められないのであれば、
その鎖を断ち切る道具を手に入れる冒険に出ませんか。
私は切符を切り、冒険を始めました。
次はあなたの番です。