by トールキン ~森について

5つの「森」から探る
"THE LORD OF THE RINGS"
はじめに
"The Lord of the Rings"の第一部の中盤から、いよいよフロドたちの旅がはじまる。生ま
れて初めてホビット庄から出た彼らは、中つの国の自然のなかを冒険することになる。そ
.. ..
こで初めて味わう恐怖と歓喜は計り知れない。第一部でこのことが特によく描かれている
のは、「森」そのものがタイトルになっている"The Old Forest"であろう。
そこで、本論では「森」について追求してみたいと思う。取り上げるのは、テキスト中に
おける森、著者・トールキンの森、その他のイギリス文学における森、地形状からみたイ
ギリスの森、そして金枝篇における森の5つである。
様々な角度から「森」をみていくことで、" The Lord of the Rings"の「森」に隠されている
さらなる意味を探ることが目的である。
1.
"The Old Forest"の「森」
今回は第一部に焦点を当ててみていくので、そのなかの"The Old Forest"の章を取り上げ
ることにする。ここには「森」の不可思議が描かれている。そのことは、以下の文で表され
ている。
They (the hobbits) began to feel that all this country was unreal, and that they
were stumbling through an ominous dream that led to no awakening.
かれら(ホビットたち)には、この森全体が現実のものではいように思えてきました。
けっして覚めることのない不吉な夢の中をよろめきながら歩いているような気がして
きました。
(The Lord of the Rings、 119、括弧内筆者)
ホビットたちにとって「森」は非現実的と思えるほど不可思議なものであり、文中では
queer(奇妙な)、 ominous(不吉な)ものとして表現されている。それは彼らに不安を抱
かせるものであった。不安を抱かせる具体的なものとして、この森のなかでは全てのもの
が生きているようであったり、木々たちが森の侵入者を見張っていたり、わからない言葉
で囁き合ったりしていること挙げられる。(Tolkien 108)
これらからわかることは、森が擬人化されているということである。常識的に言えば、
我々が「森は生きている」と言うとき、これは比ゆ表現として使われる。言いかえれば、森
は人間のように心も魂も持っていないので感情はないはずであり、ましてや動くなどとい
1
うことはありえないのである。だが、この「森」ではその現実とはかけ離れたことが頻繁に
起こっているので、非現実的で不気味なのである。
「森」の不可思議を表現するために、この章は非常に上手く構成されている。それは一見
.... ......
矛盾した2つの要素である、「森」の不気味さと壮大な美しさを交互に織り交ぜ、いかにも
「森」が生きているかのようにみせることで効果を発揮している。それがわかる箇所を物語
の流れに沿って抜粋してみる。
- They all got an uncomfortable feeling that they were being watched with
disapproval,
↓
+The light grew clearer as they went forward.
↓
-A dreary place:
↓
+But it seemed to a charming and cheerful garden after the close Forest.
↓
-A large branch fell from an old over hanging tree with a crash into the path.
↓
+At first their choice seemed to be good:
↓
-But after a time the trees began to close in again,
-
四人とも非難の目で見られているような不気味な気持ちに取りつかれました。
↓
+ 前に進むにつれて、だんだん明るくなってきました。
↓
-
荒涼としたわびしい場所でした。
↓
+ 魅力ある楽しげな庭に見えました。
↓
-
大きな枝が一本、すさまじい音を立てて落ちました。
↓
+ はじめのうちは、彼らがこの方角を選んだことは正しいように思われました。
↓
-
彼らは再び木に取り囲まれ始めました。
:
2
このように、ホビットたちからみて、「森」は敵意的(-)であったり好意的(+)であっ
たりする。この感情の起伏のようなものが、ホビットたちに一層「森」への不安を募らせ、
「森」の不可思議さを助長しているのだと推定できる。
2.
トールキンの「森」
J.R.R.トールキンは、樹木崇拝者であることを恥じなかった。子供時代から、彼はこのい
にしえの生物を敬い、愛して、ある意味で木々には心があるのだと考えていた。
(ディヴィ
ット 110)
そのことも影響してか、" The Lord of the Rings"には、エントという樹木の牧者であっ
た巨人やフオルンが登場している。そのなかで「森」が動くことを描写している箇所がある
が、これもトールキンの樹木崇拝が反映しており、木に生命が宿っていることがわかる。
また、イギリスの古い伝承にグリーンマンというものがある。(ディヴィット
112)これ
がエントのモデルとされた神話上の生き物である。これは本来、ケルトの自然精霊である
らしい。
ケルト民族の伝統やしきたりにはトールキンを感動させるものが数多くあった。その理
由の一つは、ケルト民族は「森」を恐れず、樹木を崇拝していたことにあると言えよう。超
自然的な存在として描かれているエルフも、アイルランドの伝説に出てくるシーという種
族からきている。(ディヴィット 90)
3.
イギリス文学の「森」
ヨーロッパ文学には、多くの「森」が登場する。よく知られているものとしては、グリム
童話の『赤ずきんちゃん』
、
『ヘンデルとグレーテル』、
『白雪姫』がある。どれも" The Lord
of the Rings"に出てくる Mirkwood のごとく、陰鬱なたたずまいを醸し出している。
イギリス文学においても、「森」は同じような象徴として用いられることがある。たとえ
ばウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』がそうである。
DEMETRIUS
Are you sure that we are awake? It seems to me
That yet we sleep, we dream. (Act4-1,184-191)
僕たち、確かに目が覚めているのだろうか。
まだ眠っているような気がする。夢を見ているようだ。
これは、4人の恋人たちが「森」から出てきた直後のデミートリアスのせりふである。恋
人たちは「森」に入り、妖精たちに操られるようにして不可思議なことを多く体験する。こ
れも「森」に精霊が宿っていることが根本にあり、「森」はその精霊たちの住処であることが
3
わかる。このように、樹木のような自然にも霊が宿っているという考え方をアニミズムと
いが、イギリス文学にはこの考え方が広く反映していることがこのことから言える。
また、「森」の不可思議を助長しているものとして眠りがある。
『夏の夜の夢』にも池のほ
とりで眠りこけてしまう場面があったが、" The Lord of the Rings"の"The Old Forest"の章
でもそれに似た場面がある。
Suddenly Frodo himself felt sleep overwhelming him.(The Lord of the Rings、 114)
突然フロドは自分が眠気に襲われるのを感じました。
必死で眠りをこらえようとするにもかかわらず、この場面ではみんな眠り込んでしまう。
これは単なる偶然の一致ではなく、「森」の不可思議な性質のひとつだと言えよう。
4.
イギリスの「森」
当然のことながら、日本人の考える「森」とイギリスの「森」は地形的に異なる。日本の「森」
はある程度の傾斜があり、たとえ迷ったとしても下へ下っていけば、いつかはふもとにた
どり着けると考えるのが一般的である。
一方イギリスにおける「森」は、傾斜がない。松岡和子氏によれば英国の森は「平ら」だと
いう(河合,121-126)。それゆえ、迷ったら最後、どこまでもさまよい続けなくてはならな
い。このイギリスの「森」の特徴が、人々が「森」を恐れる理由のひとつになっていると思わ
れる。
「ピクチャレスク」もこのことに大きく関係している。今まで平らな「森」しか知らなかっ
たイギリス人は、グランド・ツアーに出た折にアルプスの高い山を体験する。そこで彼ら
は非常に危険な思いを強いられた。
(小池 22)驚きはもちろんだが、それよりも彼らにと
っては、死と隣り合わせであるという恐怖心のほうが大きかったにちがいない。
と同時に、彼らはその山から大きな感動を得たという。壮大な自然美を目の前にして、
新しい美というものを初めて体験したのである。矛盾しているように思えるけれどもこの
...... .....
山への恐怖心と山への感動という2つの対立した要素は、18C にイギリス人が初めて体験
した文化ショックであった。
.... ......
ここに、第一章で述べた「森」の不気味さと壮大な美しさを交互に織り交ぜて構成されて
.. ..
いる"The Old Forest"と共通したものを感じる。自然とはこのように人々に恐怖と歓喜を与
えるものなのである。
5.
『金枝篇』の「森」
J.フレイザーは『金枝篇』で、イタリアのネミにおいて「森」がどのような意味を持ってい
たのかを探っている。タイトルにある「金枝」というのは、祭司になるときに「森」のある樹
4
木を手で折らなければならなかったので、その枝のことを指している。さらにフレイザー
はその樹木がどのような意味を持つのかについて明らかにしようとした。
多くの社会で樹木には豊穣の力が宿るとされ、特に古代ヨーロッパではオークの木がそ
の意味合いを最も多く含んでいるとされた。(フレイザー
39)オークの木は"The Two
Towers"のエントで知られている。このことからも、トールキンの作品はヨーロッパの古い
伝統や習慣に影響を受けていることがわかる。
第三章でも少し触れたが、精霊崇拝のことをアニミズムという。この場合、古代から精
霊は樹木に生命を与え、樹木とともに苦しみ、樹木とともに死んでいくと考えられていた。
特にケルト人のなかでオーク信仰は有名である。
(フレイザー 95)この証拠に、聖所を表
す古いケルト語は、その語源と意味がラテン語の「ネムス」と同じなのである。これは「森」
の空き地という意味で、ネミという名称として残っているらしい。
"The Old Forest"では樹木が大きな音を立てて落ちてきたり、木々が囁き合ったりしてい
る描写があるが、これに似た記述が世界各地に残っている。例えば、オークの木が倒れる
とき、「まるで木の精霊が嘆いているかのように、一マイル先でも聞こえるほどの叫び声や
呻き声を発する。E・ワイルド氏は何度もそうした声を聞いたことがある」という。
(フレイ
ザー 97)
しかし、しだいに樹木そのものが精霊だとは考えられなくなり、樹木は精霊が気の向く
ままに出ていける棲み家にすぎないとみなされるようになった。そこで、宗教はアニミズ
ムから多神教へと形が変わってきた。それぞれの樹木が生命も意識もあると考えるのでは
なく、樹木は生命を持たず自力では動けない存在として考えられるようになった。そして
一時的ではあるが、超自然的なものがその樹木に宿るのである。その超自然的なものは木
....
から木へと移り住むことができる。よって精霊は一本一本の「樹木の精霊」というのではな
...
く、森全体を支配する「森の神」になったのだった。
「森の神」はしばしば人間に姿を変え、お祭りなどに登場する。ヨーロッパにおける豊作
を祈る代表的なお祭りとして、「五月の柱(メイポール)」がある。これらの一部では、人
間を精霊に見立てて行なうものもあるという。(フレイザー
103)また、これらの行事に
参加した者たちは卵とベーコンを贈り物として捧げなければ、祝福を受けられないという
習慣もあるらしい。これは、"The Hobbit"でビルボが毎朝食べていたホビット庄での食事と
重なるところが興味深い。
いずれにしても、「森」を崇拝し、精霊が宿っているという習慣は古くからあり、トール
キンは少なくとも、この影響を受けていると思われる。
おわりに
"The Old Forest"の「森」に注目して、5つの視点から「森」を探ってみた。
第一章では「森」
は不可思議なものとして擬人化されていることがわかった。第二章で
5
は、ケルト文化やアニミズムについて触れ、第三章では他のイギリス文学にもその影響が
あったことがわかった。第四章ではイギリスの地形的な面から「森」の不可思議さをさらに
裏づけることができたとともに、これに関わる歴史的美学としてピクチャレスクにも触れ
た。第五章ではアニミズムの成り立ちについて有名な『金枝篇』から探ることができた。
これらのことから、「森」は"The Lord of the Rings"に関わらず、イギリスに深く関係して
いる注目すべきテーマであることがわかった。
引証資料リスト
J.R.R.Tolkien The Lord of the Rings, Houghton Mifflin Company,2003
ディヴィット・デイ 『図説・トールキンの指輪物語世界』 東京、株式会社原書房、2004 年。
ジェームス・フレイザー 『図説・金枝篇』 東京、東京書籍、1994 年。
小池滋 『ゴシック小説をよむ』 岩波書店、1999 年。
河合隼雄・松岡和子『快読シェイクスピア』新潮文庫、1999 年。
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