2.奉納行事一覧

2.奉納行事一覧
①「共鳴 ReSONATE」
【日 時】 4 月 12 日(土) 13 時~
【奉納者】 黒澤有美・山田晋也
②鈴木哲也奉納音舞台
【日 時】 4 月 19 日(土) 13 時~
【奉納者】 このはな桜記念芸術文化振興会 代表・鈴木哲也はじめ 33 名
【演 目】 歌物語「ヤマトタケル魂魄の賦」ほか
③三遊亭好楽一門奉納
【日 時】 4 月 20 日(土) 14 時 15 分~
【奉納者】 三遊亭好楽一門 代表・三遊亭好楽はじめ 4 名
【演 目】 落語
90
④琉球古典芸能奉納
【日 時】 5 月 10 日(土) 13 時 30 分~
【奉納者】 琉球古典芸能奉納団 代表・宮城茂雄はじめ 10 名
【演 目】 琉球舞踊
⑤『「藤の会」日本舞踊』
【日 時】 5 月 18 日(日) 10 時~
【奉納者】 紫派藤間流「藤の会」 代表・藤間信乃輔はじめ 34 名
【演 目】 日本舞踊
⑥式年遷宮邦楽奉納演奏
【日 時】 5 月 24 日(土) 11 時~
【奉納者】 小川しず子社中 代表・小川しず子はじめ 56 名
【演 目】 邦楽(箏・三絃・尺八)
91
⑦式年遷宮邦楽奉納演奏
【日 時】 5 月 24 日(土) 13 時~
【奉納者】 森田耕山社中 代表・森田耕山はじめ 49 名
【演 目】 邦楽(箏・三絃・尺八)
⑧邦楽奉納演奏
【日 時】 5 月 25 日(日) 11 時~
【奉納者】 中日本高速道路株式会社名古屋支社
【演 目】 邦楽(尺八・箏)
⑨奉祝 豊受大神
【日 時】 6 月 8 日(日) 13 時 30 分~
【奉納者】 小林芙蓉 はじめ 10 名
【演 目】 書の揮毫
92
代表者・浅井善昭はじめ 15 名
⑩第十七回伊勢の伝統の能楽まつり
【日 時】 9 月 20 日(土) 12 時 30 分~
【奉納者】 伊勢の伝統の能楽を継承する会 代表 吉川貞夫 はじめ 50 名
【演 目】 能・狂言・仕舞
⑪奉音コンサート
【日 時】 9 月 21 日(日) 11 時~
【奉納者】 illy(イリィ) 代表 木村理恵子 はじめ 5 名
【演 目】 歌・楽器演奏
⑫陳式太極拳
【日 時】 10 月 26 日(日) 10 時 30 分~
【奉納者】 日中武術文化研究会 代表 修 振杰 はじめ 30 名
【演 目】 太極拳
93
⑬フルートカルテット&ボーカルライブ
【日 時】 11 月 1 日(土) 11 時~
【奉納者】 伊勢アートビレッジ設立準備委員会 代表 三沢直子 はじめ 5 名
【演 目】 歌・楽器演奏
⑭すまいる連 伊勢音頭奉納
【日 時】 11 月 8 日(日) 11 時 30 分~
※当初は 10 月 13 日(月・祝)11 時 30 分・13 時 30 分からの予定
台風のため延期
【奉納者】 伊勢商工会議所すまいる連 代表 吉川真知子 はじめ 100 名
【演 目】 声楽・器楽
94
⑮奉納演奏
【日 時】 11 月 15 日(土) 13 時~
【奉納者】 ドーザンイレブンバンド
【演 目】 声楽・器楽
代表 三木真一 はじめ 5 名
⑯声楽と電子ピアノ演奏
【日 時】 11 月 16 日(日) 11 時~
【奉納者】 ナチュラル 代表 大西真理 はじめ 4 名
【演 目】 声楽・器楽
⑰オカリナ
【日 時】
【奉納者】
【演 目】
アンサンブル演奏
11 月 24 日(月・祝) 11 時~
ライリッシュ・オカリナ連盟 代表 岩間昌一 はじめ 45 名
器楽(オカリナ)
95
⑱ドンアルマスによる演奏
【日 時】 12 月 19 日(金) 11 時~
【奉納者】 ドンアルマス 代表 桜庭伸弘 はじめ 3 名
【演 目】 器楽(フラメンコギター・パーカッション)
⑲アイリッシュ音楽
【日 時】 平成 27 年 3 月 7 日(土) 13 時 30 分~
【奉納者】 アイリッシュ・ネットワークジャパン
【演 目】 器楽
多言語音声端末の利用状況
【概
要】 平成 25 年 3 月に国土交通省中部運輸局の外国人観光客受入環境整備事業の
一環として、せんぐう館をモデルとした多言語音声端末導入調査が行われま
した。事業実施後、館に寄贈となった多言語音声端末については、外国人受
入環境の充実と来館者の満足度向上へ繋げるものとして、せんぐう館の日常
業務の中で貸出しを行っています。
【導入時期】 平成 25 年 4 月 24 日(水)~継続中
【内
容】 ①「多言語端末(音えんぴつ)」20 機(英語・中国語・韓国語・台湾語)
②「展示案内マップ」各言語 30 枚(予備 10 枚含む)
『多言語端末(音えんぴつ)』はペンのかたちをした音声ガイド端末で多言
語の音声を再生することができ、長さ約 16 ㎝、重さ約 50gでストラップを
首からかけて誰でも手軽に利用できます。
96
専用の館内展示マップに『多言語端末(音えんぴつ)』でタッチすると端末
から展示解説の音声が流れます。
【運用方法】 せんぐう館受付にて貸出案内を掲示、外国人来館者から申し出があれば無料
で貸出しをする。
①貸出時に保証金(1,000 円)を預かる(返却時返金)
②申し込み用紙に住所・氏名・電話番号を記入してもらう
③音声端末、展示案内マップをセットで貸し出す
【貸出対象】 外国人:英語圏・アジア圏(中国・韓国・台湾)
【利用状況】
言語
件数
(平成 25 年実績)
語
236
(459)
中国語
73
(55)
韓国語
24
(20)
台湾語
44
(31)
合計
377
(565)
英
○報道取材、記事掲載への対応
①図版掲載
62 件
番号
申請者
内容
1
株式会社ライティング プランナーズ アソシエーツ
建築雑誌「Architectural Record」
2
JTB プランニングネットワーク
JTB 西日本団体旅行 WEB チラシ
3
公益社団法人
構
伊勢志摩観光ガイドブック「美し国
4
クエストルーム
夏ぴあ東海版
5
㈱バドインターナショナル
阪急交通広告
6
株式会社エトヴァス
クラブツーリズム集客用チラシ
7
日本科学未来館
講演会用スライド
8
株式会社アイブレーン
プラザ洞津 20 周年記念パンフレット
9
Shin office
KADOKAWA「関西 夏旅 Walker2014」
10
株式会社 Believe
GALLERY いせのもり HP・チラシ
11
株式会社バドインターナショナル
阪急交通社広告
12
シモデン FOP ツアー
自社企画旅行商品のチラシ掲載
伊勢志摩コンベンション機
97
伊勢志摩」
13
旅行サイト「たびねす」
同サイト内でせんぐう館の紹介記事作成
14
株式会社 JTB プランニングネットワーク
同社のパンフレット掲載
15
(株)SIC 中部ディレクションセンター
クラブツーリズム名古屋のパンフレット掲載
16
鳥羽シーサイドホテル
同ホテルチラシ作成
17
(株)SIC 関西ディレクションセンター
クラブツーリズム西日本のパンフレット掲載
18
バドインターナショナル
阪急交通社東京支店パンフレット
19
大成建設三重営業所
PR 誌「CORPORATE REPORT 2014」
20
新日本工業株式会社
三重県観光連盟「季刊誌 観光三重 秋号」
21
株式会社ゼロ
Simple9 月号
22
公益社団法人フォーリン・プレスセンター 外国特派員向けプレスツアー案内
23
ライティングプランナーズアソシエイツ
照明学会誌 10 月号
24
アド・フジプランニング
まっぷる「大人の旅と宿」
25
JTB プランニングネットワーク
パンフレット
26
㈱エトヴァス
クラブツーリズム
27
㈱トリニティ
WEB サイト神社.com に掲載の為
28
日本科学未来館
「THE 世界一」展図録の転載
(東京書籍「Edu Town」)
29
神姫バスツアーズ企画販売課
ツアー発行物とホームページ掲載
30
JTB コミュニケーションズ九州
パンフレットの製作など
31
JTB パブリッシング
るるぶ情報版『るるぶ ふたりでおでかけ関西』
32
エトヴァス
クラブツーリズム四季の華・別冊 11 月号
33
(株)ZTV
番組「でかけるネット」の挿入図として
34
名鉄観光バス
ドラゴンズパックチラシ掲載
35
ライティングプランナーズアソシエイツ
照明学会誌 12 月号
36
読売新聞
読売新聞発行『遷宮浪漫』(仮)
37
JTB プランニングネットワーク
団体旅行向けパンフレット
98
パンフレット掲載
38
(株)シーアンドアイ
JR 東海ツアーズ旅行パンフレット
39
(株)バドインターナショナル
阪急交通社 首都圏版チラシ
40
(株)エトヴァス
クラブツーリズム
41
國學院大學院友会
院友会報
42
(株)北白川書房
月刊なごや
43
(株)バドインターナショナル
阪急交通社
44
(株)エトヴァス
クラブツーリズム
45
あどおーみ株式会社
大阪トヨペット「mitemite1 月号」特集記事
46
(株)三重毎日広告社
毎日新聞三重版新春伊勢市特集
47
(株)グラース
近畿日本ツーリスト
48
有限会社エヌツー
春ぴあ関西版
49
大成建設三重営業所
2016 年度大成建設新卒採用パンフレット
50
㈱バドインターナショナル
阪急交通
51
(株)エフスタイル
健康サポート向け小冊子の特集記事
52
クラブツーリズム㈱ロイヤルグランステー
ツアーカタログ
ジ
53
(株)グラース
観光誘客イベント
54
伊勢市教育委員会
広報いせ
55
(株)林企画工房
実業之日本社「てくてく歩き伊勢・志摩・名古
屋」
56
全国高等学校家庭科実践研究会三重県大会 大会冊子掲載のため
57
伊勢やまだ大学
58
日本工業大学
59
株式会社シーアンドアイ
JR 東海ツアーズ旅行パンフレット
60
JTB プランニングネットワーク
パンフレット
近鉄で GO
61
JTB プランニングネットワーク
パンフレット
近鉄で GO
62
株式会社ユーラシア旅行社
ツアー旅行パンフレット
首都圏版チラシ
首都圏版会員誌
チラシ
チラシ
伊勢まるごと博物館だより
左記 HP へのバナーリンク
学生
松原武朗
大学の学習レポートとして
99
②取材対応
番号
21 件
申請者
番組・雑誌
取材日
撮影媒体
1
外宮にぎわい会議
「外宮さんゆかたで千人お参り」ポスター
など
4月6日
スチール
2
ピースファクトリー
DVD「伊勢への道」
4月9日
ビデオ
3
文藝春秋社
「CREA」7月号「今こそ訪れたい伊勢神宮」 5 月 7 日
スチール
4
歴史教育者協議会
歴史地理教育
5月6日
スチール
5
共同通信社
全国地方新聞に配信する「旅ルポ」
6月9日
撮影なし
6
毎日新聞伊勢支局
佐藤和子氏献納式取材
6 月 21 日
スチール
7
阪急交通社広島支店
広島ホームテレビ
『あっぱれ!熟年ファイターズ』
7 月 16 日
ビデオ
8
株式会社枻出版社
『トリコガイド
7月6日
スチール
9
NHK 大阪放送局
「ニューステラス関西」
9月2日
ビデオ
10
(株)SIC
クラブツーリズム会員誌「旅の友」及び同
HP
10 月 2 日
スチール
11
小学館
和楽
9 月 30 日
スチール
12
早稲田大学稲門建築会 早稲田建築アーカイブス
10 月 17 日
ビデオ
13
㈱テイクス
三重テレビ「ええじゃないか」
―
ビデオ
14
あどおーみ㈱
大阪トヨペット㈱「mitemite1」
12 月 2 日
スチール
15
御遷宮対策事務局
光文社「STORY」
12 月 8 日
スチール
16
(株)ネクスト
Web サイト「HOME'S PRESS」
12 月 22 日
スチール
17
(株)ヤマプラ
18
日本海ツーリスト
19
三重テレビ
三重テレビニュース
20
茨城県鹿島市役所
歴史館建設の為の視察
21
㈱テイクス
三重テレビ「ええじゃないか」
伊勢・志摩』
HP「滋賀ガイド」「滋賀トヨペット」「湖
12 月 19 日
国ドライブマップ vol.177」
北日本新聞発行フリーペーパー「まんまる」
1 月 11 日
特集記事
100
スチール
スチール
12 月 28 日
ビデオ
2月5日
スチール
―
ビデオ
○特記事項
皇太子同妃両殿下並びに愛子内親王殿下御来館
7月 28(月)15 時 57 分御着 16 時 18 分御発
駐日米国大使 キャロライン・ケネディ氏来館
4月 16日(水)11 時 20 分着 12 時出発
○主な行事・来館者
4月5日
伊勢茶道協会「野点茶会」奉仕
(6 日・12 日・13 日、6 月 14 日・15 日・21 日・22 日)
愛知淑徳大学メディアプロデュース学部 200 名来館
4月7日
岡山県神社庁新見支部 410 名来館
4 月 10 日
水指献納者 美濃不二窯 佐藤和子氏来館
4 月 12 日
山田晋也氏「共鳴 ReSONATE」奉納
4 月 15 日
刀匠 宮入小左衛門行平氏来館
星と森の詩美術館館長 丸山秀二氏来館
4 月 16 日
自由民主党滋賀県議会議員団 10 名来館
駐日米国大使 キャロライン・ケネディ氏来館
4 月 17 日
熊本県神社会 90 名来館
滋賀県神社庁 110 名来館
4 月 19 日
鈴木哲也氏「鈴木哲也奉納音舞台」奉納
漆器工芸師・芝山細工 宮崎輝生氏来館
4 月 20 日
三遊亭好楽氏「三遊亭好楽一門落語」奉納
4 月 22 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
4 月 23 日
近畿日本鉄道新規採用者研修 18 名来館
三重県警察学校 103 名来館
4 月 26 日
慶應義塾大学名誉教授 真壁利明氏、同教授 長谷山彰氏来館
4 月 28 日
伊勢市立有緝小学校 5 年生教員生徒 104 名来館
参議院議員 山本順三氏夫妻来館
5月2日
伊勢市立中島小学校 1 年生教員生徒 58 名、6 年生教員生徒 50 名来館
伊勢市立浜郷小学校 5 年生教員生徒 62 名来館
伊勢市立御薗小学校 3 年生教員生徒 96 名来館
5月8日
㈱井筒ほか伝統工芸技師 18 名来館
5月9日
伊勢市立明倫小学校 2 年生教員生徒 59 名来館
101
5 月 10 日
琉球古典芸能奉納団・宮城茂雄氏「琉球古典芸能」奉納
5 月 17 日
重要無形文化財保持者 川北良造氏来館
5 月 18 日
紫派藤間流「藤の会」藤間信乃輔氏「藤の会
5 月 21 日
栃木県神社庁北松支部 104 名来館
日本舞踊」奉納
鶴岡八幡宮職員研修 21 名来館
5 月 24 日
小川しず子社中「式年遷宮邦楽演奏」奉納
森田耕山社中「式年遷宮邦楽演奏」奉納
5 月 25 日
中日本高速道路㈱「邦楽演奏」奉納
5 月 26 日
明治神宮名誉宮司 外山勝志氏夫妻来館
岡山県神社庁 39 名来館
5 月 27 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
5 月 28 日
寒川神社職員研修 36 名来館
5 月 29 日
高倉山幼稚園園児引率 41 名来館
5 月 30 日
ユニバーサル・インフォメーションサービス㈱取締役 島山博明氏
(公財)江北図書館理事長・滋賀大学名誉教授 冨田光彦氏
㈱テレビ静岡顧問 小寺健一氏
東京新聞・中日新聞相談役 宇治敏彦氏来館
アクテリオンファーマシューティカルズジャパン代表取締役社長・医学博士
田中諭氏来館
金刀比羅宮敬神婦人会 43 名来館
6月2日
日本テレビ報道局 笛吹雅子氏来館
6月4日
浅間神社敬神婦人会此花会 30 名来館
せんぐう館職員視察研修実施
6月6日
住吉大社権宮司 富澤昇氏来館
6月7日
大阪教育大学准教授・作曲家 猿谷紀郎氏来館
㈱ゴールドウィン代表取締役社長 西田明男氏来館
6月8日
小林芙蓉氏「書揮毫式」奉納
6月9日
三重県神社庁亀山関支部 80 名来館
6 月 11 日
埼玉県神社庁秩父支部 200 名来館
秩父神社宮司 薗田稔氏来館
三峯神社宮司 中山高嶺氏来館
宝登山神社宮司 中山高明氏来館
6 月 12 日
新潟県神社庁北魚沼支部 122 名来館
102
栃木県神社庁塩谷支部 76 名来館
6 月 13 日
美術品献納者入江酉一郎氏長女望月真千子氏来館
6 月 15 日
海陽中等教育学校教員生徒 137 名来館
6 月 16 日
企画講座「月次祭奉拝」開催
6 月 18 日
岩手県神社庁西磐井支部 25 名来館
新潟県神社庁南蒲支部 85 名来館
島根県神社庁浜田支部 120 名来館
6 月 19 日
新潟県神社庁中頸城支部 236 名来館
6 月 21 日
宮内庁正倉院事務所技官 吉松茂信氏来館
6 月 24 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
職員研修実施、講師 ANAビジネスソリューション㈱ 長田三女氏
湯呑献納者真葛窯 6 代 宮川香斎氏夫妻来館
6 月 25 日
企画展「別宮の宮遷し」開催(~9 月 23 日)
三嶋大社権宮司 矢田部盛男氏来館
6 月 27 日
東京芸術大学教授 橋本明夫氏来館
6 月 28 日
㈱森本錺金具製作所代表取締役 森本安之助氏来館
7月2日
山形県神社庁山形支部 94 名来館
東京都神社庁世田谷支部 118 名来館
7月3日
福島県神社庁安達支部 180 名来館
奈良県農林部部長 福谷健夫氏始 4 名来館
7月4日
長野県神社総代会 299 名来館
7月6日
㈱枻出版社『トリコガイド
7月8日
錦織美術家・龍村光峯氏来館
7 月 13 日
元学習院初等科教諭 上谷節子氏来館
7 月 16 日
広島ホームテレビ取材
伊勢志摩』取材
美術刀剣鞘師 高山一之氏来館
刀剣研師 小野博柳氏来館
学校法人塚本幼稚園 72 名、教員 20 名来館
7 月 19 日
修養団教育事業部部長 根岸秋吉氏来館
7 月 20 日
学校法人浪速学院浪速高等学校教員生徒 230 名来館
7 月 22 日
展示替実施
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
7 月 23 日
展示替実施につき臨時休館
103
中日新聞・毎日新聞・読売新聞・伊勢新聞展示替取材
重要無形文化財保持者・漆芸家 室瀬和美氏父子来館
7 月 24 日
彫金師 浅井盛征氏夫妻来館
三重県神社庁第 24 回権正階並びに第 512 回直階神職養成講習会参加者 23 名
来館
第 111 回中堅神職研修参加者 59 名来館
学校法人浪速学院浪速高等学校教員生徒 210 名来館
三重テレビ展示替取材
7 月 25 日
岐阜県親子参宮団 29 名来館
7 月 26 日
学校法人浪速学院浪速高等学校教員生徒 216 名来館
7 月 27 日
國學院大學神道文化学部教授 岡田荘司氏来館
国士舘大学文学部教授 藤森馨氏来館
7 月 28 日
午前 11 時 30 分より臨時休館
皇太子同妃両殿下並びに愛子内親王殿下御来館
7 月 29 日
学校法人浪速学院浪速中学校教員生徒 75 名来館
7 月 30 日
ZTV展示替取材
8月1日
「伊勢神宮外宮さんゆかたで千人お参り」開催
8月3日
皇學館大学博物館実習生 18 名実習
8月5日
山形県神社庁親子参宮団 30 名来館
福井県神社庁親子参宮団 30 名来館
岡山県神社庁津山支部 147 名来館
山口県神社庁神職養成講習会 48 名来館
多摩美術大学教員学生 53 名来館
8月6日
㈱森本錺金具製作所代表取締役 森本安之助氏来館
8月7日
㈱小西美術工藝社職員 11 名来館
8月9日
國學院大學神宮実習生 24 名来館
台風接近のため夏季限定特別企画延期につき館内特別ガイド実施(・10 日)
8 月 10 日
國學院大學神宮実習生 20 名来館
文部科学大臣 下村博文氏来館
8 月 12 日
夏季限定特別企画「夏休み!親子で行こう伊勢神宮―せんぐう館で夕涼み―」
開催、開館時間延長(~午後 6 時 30 分)
8 月 16 日
國學院大學神宮実習生 24 名来館
8 月 17 日
國學院大學神宮実習生 19 名来館
104
8 月 19 日
大阪府神社庁親子参宮団 24 名来館
8 月 20 日
講座「別宮の遷宮を知る」開催(月夜見宮上棟祭奉拝)
岡山県神社庁親子参宮団 44 名来館
重要無形文化財保持者・竹工芸 藤沼昇氏来館
8 月 21 日
岐阜県神社庁親子参宮団 44 名来館
京都府神社庁階位検定講習会 44 名来館
8 月 22 日
解脱会 80 名来館
8 月 23 日
國學院大學神宮実習生 16 名来館
8 月 24 日
神宮崇敬会主催伝統文化体験教室開催
國學院大學神宮実習生 16 名来館
三重県神社保育団体連合会 36 名来館
8 月 26 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
8 月 30 日
皇學館大学神宮実習生 17 名来館
8 月 31 日
皇學館大学神宮実習生 13 名来館
9月2日
NHK大阪放送局「ニューステラス関西」取材
9月3日
広島大学国史談話会 40 名来館
9月4日
香川県神社庁香川支部 56 名来館
9月6日
皇學館大学神宮実習生 19 名来館
9月7日
皇學館大学神宮実習生 16 名来館
フリーアナウンサー馬場典子氏来館
9月8日
奉納舞台にて観月会開催
9 月 10 日
ふじのくに自然環境ミュージアム(仮)設立関係者 16 名来館
9 月 13 日
中部森林管理局森林整備部長 中村直人氏来館
神田神社(神田明神)宮司 大鳥居信史氏来館
9 月 16 日
㈱高田装束店 加藤敏晃氏来館
宮城県護国神社宮司 田中光彦氏来館
9 月 17 日
パレードカレッジ・セントモニカカレッジ交換留学生 40 名来館
富山大学工学部教員学生 42 名来館
9 月 20 日
伊勢の伝統の能楽を継承する会「第 17 回伊勢の伝統の能楽まつり」奉納
日本色彩学会東海支部見学会 18 名来館
9 月 21 日
illy(イリィ)氏「奉音コンサート」奉納
9 月 22 日
陸上自衛隊第 10 師団副師団長兼守山駐屯地司令・陸将補 大庭秀昭氏来館
9 月 24 日
展示替実施
105
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
9 月 25 日
企画展「式年遷宮はつづく―萱山の営み―」開催(~12 月 23 日)
日本文化大学教員学生 150 名来館
東京都神社庁 30 名来館
湯島天満宮宮司 押見守康氏来館
産経新聞企画展取材
9 月 26 日
伊勢新聞企画展取材
9 月 29 日
自然保護委員・木村政生氏はじめ 19 名来館
伊勢新聞企画展取材
10 月 4 日
㈱ゴールドウィン代表取締役社長 西田明夫氏来館
10 月 9 日
第 71 回表千家同門会全国大会三重大会参加者 505 名来館
10 月 10 日
第 71 回表千家同門会全国大会三重大会参加者 515 名来館
表千家不審菴 14 代千宗左氏来館
玉城町立有田小学校 6 年生教員生徒 34 名来館
刀剣研磨師 小野博柳氏はじめ 29 名来館
10 月 12 日
㈶霞山会理事長 日野西光忠氏はじめ 15 名来館
10 月 14 日
池田厚子祭主御観覧
10 月 15 日
外宮初穂曳・神嘗祭奉祝団体「越中おわら風の盆・西馬音内盆踊り・尾鷲節・
佐渡おけさ・さんさ踊り・宮崎県民謡・木曽木遣り・関東木遣り・おんぽい
節」奉納
10 月 16 日
企画講座「神嘗祭奉拝」開催味の素㈱代表取締役会長 山口範雄氏来館
10 月 17 日
早稲田大学稲門建築会「早稲田建築アーカイブス」取材
10 月 18 日
東京都神社庁参宮団 18 名来館
10 月 20 日
企画講座「風宮 上棟祭の奉拝」開催
読売新聞企画展取材
10 月 21 日
明徳学園相洋高校商業科教員学生 51 名来館
10 月 22 日
中田英寿氏来館
10 月 23 日
藤井寺市立道明寺東小学校 6 年生引率生徒 60 名来館
10 月 24 日
神宮顧問・久邇邦昭氏来館
10 月 26 日
日中武術文化研究会「陳式太極拳」奉納
10 月 28 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
10 月 29 日
平成 26 年神職養成機関普通課程合同研修Ⅰ研修生 31 名来館
MIHO美学院教員生徒 42 名来館
106
10 月 31 日
東北芸術大学准教授 小林秀幹氏来館
11 月 1 日
竹下正登氏「フルートカルテット&ボーカルライブ」奉納
11 月 2 日
フランス国ヴァルドワーズ県訪県団 20 名来館
11 月 4 日
高等工科学校引率学生 346 名来館
11 月 5 日
出雲大社職員研修 17 名来館
11 月 7 日
新潟県神社庁 30 名来館
11 月 8 日
伊勢商工会議所すまいる連「伊勢音頭」奉納
金工師 浅井征盛氏来館
第 32 回地域づくり団体全国研修交流会三重大会参加者 15 名来館
11 月 11 日
全日本刀匠会 41 名来館
東京都神社庁 28 名来館
長野県神社庁南佐久支部 73 名来館
11 月 12 日
伊勢市消防本部・神宮司庁合同防災訓練実施
刀剣研磨師 本阿弥毅氏来館
日本藝術院会員・洋画家 山本文彦氏夫妻来館
11 月 13 日
日本工芸会会員・七宝焼作家 粟根仁志氏来館
11 月 15 日
ドーザンイレブンバンド・三木道三氏「バンド演奏と歌唱」奉納
11 月 16 日
ナチュラル「声楽と電子ピアノ演奏」奉納
彫刻家 長江眞弥氏来館
11 月 18 日
静岡県神社庁駿東支部 273 名来館
11 月 19 日
徳島県神社庁 146 名来館
11 月 21 日
第 62 回全国博物館大会参加者 95 名来館
山梨県神社庁峡北支部 81 名来館
11 月 22 日
講座「神宮の萱山について」開催(講師 営林部 中川典之技師)
11 月 24 日
ライリッシュ・オカリナ連盟「オカリナ・アンサンブル演奏」奉納
11 月 25 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
11 月 27 日
静岡県神社庁 41 名来館
日本建築家協会千葉地域会 26 名来館
11 月 28 日
静岡県神社庁 35 名来館
11 月 29 日
せんぐう館開館より総入館者数が 150 万人を超える
11 月 30 日
講座「萱工の仕事」開催(講師 萱工 田中正光氏)
12 月 2 日
あどおーみ㈱ 大阪トヨペット広報誌「mitemite1」取材
12 月 3 日
石川県神社庁小熊支部 171 名来館
107
12 月 4 日
外務省招聘客・ベルギー王国ルーバンカトリック大学文学部東洋学科日本学
専任教授 ウィリー・ヴァンドゥワラ氏来館
12 月 5 日
日本工芸会会員・染織家 萩原いづみ氏来館
日本工芸会会員・漆芸作家 市島桜魚氏来館
12 月 7 日
福井県神社庁 20 名来館
12 月 8 日
御遷宮対策事務局 光文社「STORY」取材
静岡県神社庁 30 名来館
12 月 10 日
環境省自然環境局野生生物課 高辻陽介氏来館
熊本県立熊本高等学校教員学生 59 名来館
12 月 12 日
三重県立特別支援学校玉城わかば学園高等部 2 年生引率学生 19 名来館
12 月 16 日
企画講座「月次祭奉拝」開催
12 月 19 日
ドンアルマス「フラメンコギターとパーカッションによる演奏」奉納
㈱ヤマプラ 滋賀トヨペット広報サイト「湖国ドライブガイド」取材
12 月 22 日
㈱ネクスト
住宅情報サイト「HOME'S
12 月 24 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
PRESS」取材
大掃除実施
12 月 25 日
企画展「伊勢への信仰―次の 20 年へ」開催(~平成 27 年 3 月 23 日)
伊勢市観光協会「神宮奉納餅つき」実施
12 月 28 日
三重テレビ企画展取材
12 月 31 日
大晦日につき午後 11 時より夜間開館実施
午後 9 時より休憩所にて三重県茶業会議所三重県茶業青年団呈茶奉仕
(~1 月 1 日午後 4 時、1 月 2 日・1 月 3 日は午前 9 時~午後 4 時)
1月1日
前日午後 11 時より終日開館、午後 5 時半まで開館時間延長
1月9日
滋賀県神社庁高島支部 127 名来館
1 月 11 日
北日本新聞取材
1 月 20 日
岐阜県神社庁各務原支部 161 名来館
1 月 21 日
滋賀県神社庁大津支部 537 名来館
1 月 23 日
鳥取県神社庁八頭支部 420 名来館
賀茂別雷神社新春参宮団 91 名来館
1 月 26 日
和歌山県神社庁東新支部 60 名来館
1 月 27 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
1 月 28 日
国家公安委員会委員 山本剛嗣氏来館
1 月 29 日
日光ティーエス紙業㈱代表取締役社長 白澤紳児氏来館
108
1 月 30 日
陸上自衛隊第 10 師団幹部候補 21 名来館
1 月 31 日
佛所護念会教団宮城教会 186 名来館
2月1日
佛所護念会教団青森教会 174 名来館
建築家 平沼孝啓氏来館
2月5日
茨城県鹿嶋市役所重点事業推進プロジェクトチーム本部長 千葉功氏始め 3 名
視察のため来館
2月8日
富山県神社庁 31 名来館
佛所護念会教団福岡教会 205 名来館
甲斐国一宮浅間神社宮司 古屋真弘氏来館
2 月 12 日
伊勢神宮崇敬会京都本部 208 名来館
2 月 13 日
佛所護念会教団青森教会 166 名来館
2 月 19 日
京都府神社庁 130 名来館
2 月 20 日
佛所護念会教団秋田教会 104 名来館
2 月 22 日
佛所護念会教団弘前教会 173 名来館
佛所護念会教団福岡教会 163 名来館
2 月 23 日
鳥取県神社庁岩美支部 207 名来館
山形県神社庁鶴岡西田川支部 99 名来館
2 月 24 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
2 月 25 日
佛所護念会教団秋田教会 32 名来館
佛所護念会教団大分教会 167 名来館
佛所護念会教団弘前教会 32 名来館
2 月 26 日
「伊勢」と日本スタディプログラム引率・参加者 16 名来館
静岡県神社榛原支部 59 名来館
2 月 27 日
佛所護念会教団青森教会 170 名来館
2 月 28 日
柄巻師 坂入眞之氏来館
月夜見宮遷御奉仕宮掌補 5 名来館
歴史街道推進協議会 22 名来館
3月1日
佛所護念会教団岩手教会 110 名来館
佛所護念教会福岡教会 172 名来館
3月2日
三重県立稲葉特別支援学校引率生徒 16 名来館
3月5日
陸上自衛隊明野駐屯地 15 名来館
3月7日
駐日アイルランド大使 アン・バリントン氏、エド・ミリアーノ氏夫妻来館
アイリッシュ・ネットワークジャパン「セント・パトリックパレード伊勢2
109
015」音楽奉納
3月8日
佛所護念会教団札幌教会 134 名来館
3月9日
佛所護念会教団台湾教会 48 名来館
神奈川県神社庁鎌倉横須賀三浦連合支部 223 名来館
3 月 12 日
陸上自衛隊明野駐屯地 21 名来館
3 月 15 日
講座「時は江戸、絵図で巡る外宮参拝」開催(21 日・22 日)
風宮遷御奉仕宮掌補 5 名来館
3 月 16 日
皇學館大学階位検定講習会 42 名来館
3 月 17 日
三重大学教育学部附属特別支援学校引率生徒 11 名来館
3 月 19 日
三重県庁主催三重テラスツアー参加者 11 名来館
新規採用内定者研修会 38 名来館
3 月 21 日
伊勢市教育委員会主催「旧豊宮崎文庫の講演会・史跡見学会・せんぐう館見
学会」参加者 28 名来館
伊勢志摩バリアフリーツアー参加者来館
3 月 22 日
大阪府神社スカウト協議会 10 名来館
3 月 24 日
休館日につき、館内各種保守点検作業実施
3 月 25 日
企画展「御装束神宝の源流ー古代の意匠ー」開催(~5 月 25 日)
神奈川県神社庁本宗奉賛委員会 9 名来館
3 月 26 日
國學院大學久我山中学・高等学校引率学生 20 名来館
学習院中等科桜友会副会長 斎藤正彦氏来館
110
出品作品概要
神宮美術館企画展
《A・C~コロナ》の「A・C(アニミ
「美の創造者たち―次世代へつなぐ心と技―」
ギャラリートーク
スティック・コンステレーション)」は私
彫刻のリアリティ の造語で、シリーズ化しており、全部で
講 師:長江眞弥 10 体ほど造っております。 開催日:平成 26 年 11 月 15 日(土)
「アニミスティック」 とは、民俗宗教的
午後1時 な精霊信仰的という意味です。「コンステ
会 場:神宮美術館展示室Ⅱ レーション」 の、「コン」 は 「一緒に」・
「と
もに」、「ステラ」 は 「星」 のことですか
ら、「コンステレーション」 は、星座のこ
とで、「アニミスティック・コンステレー
ション」 を直訳しますと 「精霊信仰的な
星座」 となります。ユング心理学では、
「コ
ンステレーション」 を 「意味のある偶然
の一致」、「内的状況と因果関係のある外
的状況が一致する」、という意味で使いま
今日は、私自身の作品について簡単に
す。各所に散在しているもの、またある
お話をさせていただきます。
視点から見れば纏まりのないものが、纏
私の作品《A・C~コロナ》の隣に展
まって見えること、それがコンステレー
示していただいております《陶さん帰る》
ションです。星座とはそのようなもので
の作者・長江録彌が父になります。父は、
す。大熊座や白鳥座などの星座は、点在
愛知県瀬戸市の生まれで、家は陶磁器関
している星をある一つの見方をした時、
係の仕事をしていました。父の兄たちは
熊や白鳥などが生まれてきて、ストーリー
陶磁器関係の仕事をしておりましたが、
が生じます。これに気づくことが重要で
父は八男で末子でしたので、自由な立場
あるというのがユング心理学の見方です。
で17歳の時に上京し、現在の多摩美術
一見関係無かったことが、友達の話を
大学に入学、彫刻の道に入りました。
していたら、それに関係する何かをテレ
川崎に住まいを構え、彫刻家としての
ビが報道する。それは今話していたこと
人生を全うしました。彫刻家としては父
と同じではないか、と。ふっと友達を思
が初代、私が2代目になります。本企画
い出した拍子に、家に帰ったらその友達
展のサブタイトル「次世代につなぐ心と
から手紙が来ていた。それは気にとめな
技」に照らすと、父から受け継いだものと、
ければそれだけのことですが、偶然だよ
東京学芸大学在学中に師事した橋本堅太
ね、面白いよね、と思い、それに縁を感
郎先生から学んだもの、ということにな
じること、それをユング心理学では 「コ
ります。橋本先生も二代目で、今回《韻》
ンステレーション」、もしくは 「シンクロ
の隣にはお父上・橋 本 高 昇 先生《仔連れ
ニシティ」 と言います。
の鹿》も展示されています。
私はそれを非常に面白いと感じました。
はし もと こう しょう
物理学の勉強やそれに関連する本を読む
111
ことが好きです。宇宙のことを勉強する
たのでしょう。学者は、アニミズムに特
のは、ある意味原子物理学に似ており、
殊な説明を加えておりますが、私は学者
小さいものを突きつめていくと、非常に
が使うような意味でアニミスティックと
大きな宇宙のビックバンとなる。また宇
いう語を使用しておりません。世界宗教
宙を調べていくと、古代に繋がり、歴史
といわれる唯一神を信仰する宗教が発生
を紐解いていくと未来に繋がる。その両
する以前、全ての民族・全ての人間に自
極端にある様々な概念、対照的な概念が
然に対する畏敬の念を中心とした、心の
両方あってこそバランスがとれるのです。
問題がある。そのような意味で私はアニ
白は全ての光を反射し、黒は全ての光
ミズムという言葉を使用しています。
を吸収します。白があるからこそ黒があ
「コンステレーション」 は宇宙なので、
り、黒があるからこそ白がある。一見白
この語には、未来ないしは科学的な意味
が正しくて黒が悪いと思われがちですが、
をも持たせています。つまり 「アニミス
いずれかが正しくて良いもの、というこ
ティック・コンステレーション」 は、古
とではありません。黒がなければ白はな
代と未来の両方を併せ持つ言葉としても
く、白がなければ黒もありません。それ
使っております。コンステレーションは、
と同様に、対照的なもの、一見対照的な
心の内的状況と外的状況が偶然に一致す
ものには必ず両方があり、両方があって
ることです。
こそ宇宙が成立しているのです。
唯識主義と唯物主義、それが一致する
電子は通常マイナスの電波を持ってい
ような、対立したモノを両方併せ持つよ
ます。しかし陽電子というプラスの電波
うな概念が私の好きなところです。
を持った電子もあります。プラスがあれ
ばマイナスがあり、マイナスがあればプ
この作品をご覧いただいてわかるよう
ラスもあるということが、最近の物理学
に基本的に左右対称のポーズをとってい
で判明した真義です。つい戦ってしまう
ます。コンステレーション(C)のシリー
と考えがちですが、戦ってしまうと両方
ズはいくつもあります。その中でもこの
無くなります。両方あってこそ宇宙があ
作品は光と水を意識したものです。両手
る、ということを大変面白い、と思いま
に天から与えられた光と水を受けてその
した。
間に入るもの、そうした存在を作品にし
「アニミズム」 は精霊信仰とか民俗宗教
たいと考えました。根本的な意味合いと
という意味です。いわゆる世界宗教は、
して、光と水の間に入って、それを受け
キリスト教・イスラム教・仏教のような
止め、それを下に伝える、そういう存在
国や民族を越えた宗教のことを指します
の作品を作りたかったのです。それは人
が、比較的新しい宗教です。そうした「世
間の姿を伴わない形でも、抽象作品でも、
界宗教」 発生以前の固有の神話や宗教(宗
あるいは絵画でも良いと思います。
教というより信仰)が、全ての民族にあっ
私は彫刻家として、それをどのような
たと思います。その信仰心は、自分を取
フォルムに置き換えていったらいいのか
り巻く自然と宇宙に対する畏敬の念、愛
をずっと考えてきました。元々抽象作品
情を伴った畏敬の念がベースになってい
を作っていたのですが、様々なアプロー
112
チをして十数体試作を重ねた結果、最終
この作品の頭部のデザインのヒントに
的にはこのような一見女神像のような形
なったもののひとつは縄文時代の火炎土
になりました。
器です。原日本人が持っていた陶芸感覚
は縄文土器のダイナミズムにあらわれて
コロナ(太陽)と命名をしたのは、平
います。そこからヒントを得たことがひ
成 24 年5月に 129 年ぶりに本州で観測さ
とつです。
れた金環日食がきっかけとなっています。
もうひとつは仏像です。私は仏像が大
これは非常に珍しく一生に一度あるかな
変好きです。また、日本の彫刻家として
いかの機会だ、とご覧になった方も多い
仏像の研究を怠ってはならないと思って
かもしれません。朝の5時、6時、7時と、
います。6世紀の飛鳥時代から伝統的な
徐々に太陽が欠けていき、最終的に太陽
仏像、世界に誇れる仏像彫刻が沢山残さ
のまわりに金環が現れる。私はアトリエ
れています。日本人の彫刻家としては、
の庭から肉眼で具さに見ました。丁度こ
仏師でなくても研究すべきであると考え
の作品が完成して名前を考えていた時で
ます。私も仏師ではないですが、仏像に
したので、「あ、これは何かあるな」 と思
ついては色々勉強しております。
いました。この作品の特徴のひとつは頭
仏像は人間の形をとっていますが人間
部の意匠です。冠を被っているようなデ
ではありません。たとえば十一面観音像
ザイン。冠の英語名はクラウンですが、
や、最近人気の高い興福寺の阿修羅像は、
コロナ・コロネットにも冠の意味があり
頭部のデザインが異様なほど大きくまた
ます。とくにコロナは太陽の光の輪、光
様々なものが付いていたり、顔がいくつ
冠という意味を持ち、「これはぴったりで
も付いており、一見異様に見えながら決
はないのか」 と思い、「アニミスティック・
して異様ではなく美しく、かつ荘厳な感
コンステレーション」 に 「コロナ」 を加
じがします。彫刻家として非常に興味の
えて命名しました。すなわち、ここに至っ
あるテーマです。もう少し細かいことを
てこの作品は、表面的には“太陽の女神”
申せば、腕が凄く長いとか、如来像のよ
という意味合いになりました。
うな肉桂があるとか、人間としては不思
今回この展覧会への出品のお話をいた
議な造形を仏像は沢山備えています。し
だいたときに、すぐこれを出そうと思い
かし、素晴らしい仏像彫刻はパッと見て
ました。「コロナ」 と命名したこの作品が、
美しいと感じます。バランスがとれてい
今回お話をいただいたときにパッと浮か
ます。何故不思議な造形を有しているの
んだのです。この作品を天照大神と申し
にバランスがとれて美しく見えるのか。
ているのではありませんが、我々日本人
私ども彫刻家には非常に興味があるテー
としては、この“太陽の女神”に何か繋
マです。色々自分でも試してみたり、解
がるモノを感じました。天照大神を意識
明しようと試みてきました。その延長線
して製作したわけではありませんが、何
上に、今回のテーマ 「彫刻のリアリティ
か思し召しのような気がして、今回これ
―デフォルメと写生―」に繋がる概念が
を出品することに決めました。
生まれたのです。
113
リアリズム
彫刻のリアリティ
「リアリティ」 という語を、私は、「実在
彫刻の場合は、元々あるものを作る。
するような」 「本当にありそうな」 「真実味
存在を作るので、絵のように、イリュー
溢れる」 と云う意味で使ってきました。ま
ジョン、つまり二次元のものを立体的に
た 「リアリズム」 という言葉があります。
見せる、とういうことではありません。
「リアリズム」 は一般的には写実主義と解
そこに存在しないものをまるで存在する
釈されますが、どちらかといえば絵画から
かのように見せるのではなくて、どのよ
来た言葉です。絵画は、三次元でできてい
うなものでもそこに「存在する」ものな
る実際の空間を、平面・二次元に置き換え
ので、絵画で云うリアリズムとは少し違
ます。そこに物体はないがあるように見せ
います。
る、空間がないがあるように見せる、それ
私は、彫刻にはリアリティが必要であ
が絵画です。
絵空事という言葉があります。
ると思います。ただの木偶人形ではなく、
嘘ではないのですが、錯覚を利用したイ
本当にこの彫刻は“存在するものなのだ”
、
リュージョン(幻影)
、マジックのような
“生命があるものなのだ”、“動くようなも
モノが絵画の伝統にはあります。実際は何
のなのだ”、と思わせる何か、それを彫刻
もないのですが、筆で描くことによって存
が持ったとき 「彫刻のリアリティ」 と云
在するように見せる。それが絵画にとって
えるのではないか、考えます。
は必然的な目標でした。写真が出てくる前
ただ人間の形を作っただけでは、木偶
は、
それが絵画の目的でした。
“リアリズム”
人形になります。私どもは木偶人形と彫
“写実的”であることが常に絵画にとって
刻は異なったものと思い一所懸命に作っ
の目標でした。ところが写真ができてから
ています。どこが違うのかと言うと、な
は、「写真があるではないか」、「描く必要
んとなくお気づきになる方、わからない
はないのではないか」、ということになり、
という方、色々いらっしゃると思います
そこで写実的でない絵画がでてきました。
が、
私は“造形性”が違いを生むのだと思っ
一方写真に対抗して、写真のようにリアル
ております。その造形性によって、リア
に描いた絵画が 「写実主義的な絵画」、「リ
リティが持てる彫刻なのか、リアリティ
アリスティックな絵画」 と位置づけられる
の無い彫刻なのか、という差が生まれて
ようになった、と私は理解しています。リ
くるのだと思います。
アリズムはまず絵画からおきたのです。
写真のように克明に描いた絵画、たと
小説・演劇にもリアリズムという言葉が
えば 19 世紀新古典主義の画家ジャン・オー
使われます。元々の演劇は、過剰な演出に
ギュスト・ドミニク・アングル(1780―
よる〝作り物″であったのですが、近代の
1867)初期の作《玉座のナポレオン》
(1806
演劇になってから、あたかも本当にその場
年 パリ・軍事博物館蔵)
、当時はまだ写真
で事件が起きているかのように、本当にそ
が発明される直前だと思いますが、そこ
こで人がリアルな生活をしているような、
には、本当に写真のようなナポレオンが
そのような演劇が出てきました。これを
います。
それから数十年後に、印象派が出てき
「リアリズム」、「リアリスティックな演劇」
ました。もう少し後のフィンセント・ファ
と呼び、次第に波及していきました。
114
元にしたものだと、父から聞きました。
ン・ ゴ ッ ホ(1853―1890) と か ア ン ヌ・
ルイ・ジロデ・トリオソン(1767―1824) 「帰去来辞」 という詩は、官吏としての
が描く人物は写真のような人物画ではあ
お勤めを辞して故郷に帰って自然の中で
りません。しかし、そこにその人の性格
風来人として生きていく、そうした陶淵
まで表れているような人物画が浮かび上
明の覚悟と喜びを歌った詩だと思います。
がってきます。それは、「表面的な写真の
実際には、当時の陶淵明のビジュアル的
ようにどこまで細かく写すか」=「写実
な情報は一切残っていません。陶淵明の
的、リアリティ」ではないと思います。
画像があったとしても、それは後世の人
何がそのリアリティを生むのか、その人
が一般的な詩人風に描いただけですので、
の内面まで写すような真実みのある作品
陶淵明の風貌を表した資料はありません。
になっていくのか。
また、父は、あたかもそこに陶淵明がい
それを我々は彫刻だろうが絵画だろうが、
るかのような、陶淵明のそっくりさんを
様々なことでわからないながら、様々考
作ろうと思ったわけではありません。陶
えかつ実際の作品にしていこうと取り組
淵明の 「帰去来辞」 という詩から受けた
んできているつもりです。
人物像、人物ドラマを作ろうとしたのだ
と思います。この像が実在の陶淵明に似
コロナに関して、別にモデルは居るわ
ているか否かということは、意味があり
けではない。誰かを写した訳ではない。
ません。陶淵明の 「帰去来辞」 の詩を父
何かそういう存在、天から降り注ぐモノ
が読み、そこに自分が共感を持てたとこ
を受けて下に伝えることのできる存在。
ろ、それをこのようなひとつの男性像と
それを形にするにはどうしたらよいのか。
して表現した、と私は理解しています。
それを考えていた時にこういう形ができ
人間の像であることには違いないですが、
てきたわけです。果たしてそのような存
ここでも様々なデフォルメ(対象を変形
在にこの作品が仕上がっているかどうか
して表現すること)が行われています。
……。私は精一杯そのようにしたつもり
私のデフォルメと父のデフォルメは、
ですが、それが皆さんに伝わっているの
デフォルメをしているという意味では一
か自信がありません。そのように制作す
緒なのですが、目的もタイプも違うと思
ることがこの作品のリアリティを追求す
います。
ることだと私は考えています。
デフォルメのもう一つのテーマとして、
素材というのがあります。
タイトル
隣に展示されている私の父の《陶さん
私はFRPという繊維強化プラスチッ
帰る》という作品は、陶 淵明(365―427)
ク、父は同じ塑像からブロンズ、橋本高
という中国六朝時代の人がモデルになっ
昇先生と橋本堅太郎先生は木彫です。他
ています。「 帰 去来辞 」 という詩が有名
にも彫刻の場合には土を焼いたテラコッ
で、父は、その 「帰去来」 をモチーフに
タ、金属を叩いて形を作っていく鍛造の
してこの作品を作りました。「陶さん」の
ような技法、西洋中心の石彫などがあり
陶は陶淵明の陶、「帰る」 は 「帰去来」 を
ます。
とう えん めい
ききょらいのじ
115
そのように考えています。
例えばそれぞれが同じ「人間」を作る
ときに、素材の違い、技法の違いに応じ
てそれをよりよく表すためのデフォルメ、
父と師から学んだこと
つまりちょっとした形の変形・省略・誇
私は父から彫刻家としての“考え方”
張表現を必ず行います。単純な物理的な
“心”を学びました。師匠である橋本堅太
問題として、彫って作るのと鋳型で作る
郎先生からは、彫刻とはどういうものな
のとでは同じではありません。素材・工
のか、彫刻に必要なものは何か、作家と
法によって得意なこともあれば苦手なこ
して生きて行くにはどうすればよいのか、
ともあります。固い素材がよいこともあ
そうしたことを沢山教わりました。
れば、難しいこともある。そこでそれぞ
もう一つ、父と橋本堅太郎先生から、
「受
れの先人達が、さまざまに拓いていった
け継ぐこと、受け継いで自分のモノにし
知恵と技法があります。技術・素材・道
ようとすること、そこから新たに考える
具も発達してきますから、それらを踏ま
こと、前に進むことを日々行うこと、教
えたうえで、昔から伝えられたものを受
わったことをしているだけではダメだ」
、
け継ぎつつかつそれを活かすような新し
ということを教わりました。私の父は彫
いアプローチ・解釈・工夫・努力をしつ
刻家ですから、父から学ぶことは沢山あっ
つ毎日を送っているつもりです。
たと思いますが、彫刻を一から学んだの
は橋本堅太郎先生です。なぜ父から教わ
今回の企画展では「次世代へつなぐ心
らなかったのか。あるとき父が私に言い
と技」というテーマを与えていただきま
ました、「おまえは俺と同じような彫刻を
した。受け継がなければならないこと、
作っていてはだめだ。おまえは俺から変
伝えていかなければならないことは、ど
わっていかないとだめなのだ」と。それ
のようなものにもあると思います。常に
を私は心にいつも刻んでいました。父で
新しく変わっていかなければならない、
すからついマネをしてしまいます。日常
壊していく、捨てていく、といった消費
一緒に居て、様々なモノを受け継いでい
主義的な概念が一時期世界を覆っていた
るわけですから、似てしまうことも沢山
時もあります。古いものは捨てて、どん
あります。しかし、そこから前に進むた
どん新しくなっていかなければ、という
めには、他の様々なモノを受け入れてい
概念です。
かなければなりません。橋本堅太郎先生
ただその後、数十年経たたないうちに、
もお父上・橋本高昇先生のご子息でいらっ
しゃいますが、実際に彫刻を学んだのは
それに対する反省が世界を覆いました。
ひらぐしてんちゅう
平櫛田中先生です。
何千年も培ってきた民俗の知恵、人間の
知恵、先達の知恵は大きな真実をもって
今回の第 62 回式年遷宮にあたって神宝
います。それを踏まえて、学んで、そこ
の彫馬を彫られたのは橋本堅太郎先生で、
から前に進むための、新しく考えること、
前々回の第 60 回式年遷宮で彫馬の調製に
努力、それがあってこそ先人達の知恵が
当たられたのが、
師匠の平櫛田中先生です。
活かされるのではないか、彫刻家として
また、前回の第 61 回式年遷宮で携わら
の立場で、日常の様々なことに関しても
れたのは圓鍔勝三先生です。圓鍔勝三先
116
生は私の父長江録彌の師匠にあたります。
受け継いでくれていると考えております。
父は圓鍔先生の一番弟子です。橋本堅太
これから先、二人にどのような人生があ
郎先生も大学では平櫛田中先生に学びま
るのかはわかりませんが、納得のいく人
したが、その後日展のなかでは、圓鍔先
生を送ってもらいたい、と考えています。
生に多く学んでいたと伺っています。そ
うした意味では、父と橋本堅太郎先生は
美術で大切なこと
兄弟弟子の関係になります。私は圓鍔勝
余談ですが、私は昨日ニューヨークから
三先生の一番弟子である長江録彌の息子
帰ってきました。何度かヨーロッパへは
であり、平櫛田中先生と圓鍔先生のお弟
行ったことがありますが、ニューヨークは
子さんである橋本堅太郎先生の弟子でも
初めてです。自分の作品を出品するための
あり、そうした方々から様々なものを受
アプローチで行ってきました。様々なギャ
け継いでいます。それがあってこその今
ラリー・美術館を回り、非常にすばらしい
の私です。
ものがある、今の日本に通じる様々なもの
私の妻は橋本堅太郎先生の東京学芸大
もあるとは思いましたが、一方ニューヨー
学での教え子の一人です。卒業後、小学校
クで中心になっている美術のほとんどが、
の美術指導をしていましたが、結婚してか
所謂視覚的エンターテイメントが中心で
らは、盲学校を中心とした特別支援教育の
あったように思います。
「どうだ、面白い
現場で指導にあたっておりました。
でしょう、すごいでしょう。
」と、例えば
私が橋本堅太郎先生から受け継いだこ
ハリウッド映画のように次々と新しい刺
とのひとつに、彫刻だけではなく、教育
激をもって「わー面白い」
「わー格好いい」
について学びました。それは、人に伝え
といった表現のされる美術、それはそれで
ていく、今まで教えられたことを自分の
素晴らしいと思います。しかし、美術の有
中でもう一度考え直し、自分の中で組み
り様としてエンターテイメントだけでよ
立てたことを教え子に伝えていく、そう
いのか、先ほど“信仰”と申し上げました
いうことを橋本堅太郎先生から教わりま
が、美術・彫刻は、何か別のものを伝えら
した。
れるのではないか、精神面の安らぎである
私の息子は、二人とも現在彫刻をして
とか、毎日の糧になるようなこともあるの
おりません。長男は元々美術関係のこと
ではないか、ということに改めて気づかさ
をしていましたが、母親の影響もあり、
れたような気がします。ニューヨークで作
現在は特別支援教育の方に進むべく勉強
品を発表していくにあたり、エンターテイ
をしています。次男は高校生ですが、良
メントに走りすぎない、日本人としては、
き人と巡り会ったこともあり、数学の教
もっと別の大事なものがありますよ、とい
師になりたいと勉強しています。
うように示して行きたいと、改めて思いま
教育とは、美術に通じるような“受け
した。
継いでいく”、それをまた“発展していく”
、
つたないお話で面白くなかったかもし
れませんが、これにてギャラリートーク
“人間が人間に伝えていく”
、そういうこ
を終わらせていただきます。
とだと思います。息子は二人とも彫刻を
しておりませんが、私の気持ちを確りと
117
で、まず先生の作品からお話しします。手
神宮美術館企画展
おお ば しょう ぎょ
前の作品が大 場 松 魚 先生の《平文箱花宇
「美の創造者たち―次世代へつなぐ心と技―」
まつ だ ごん ろく
ギャラリートーク 宙》
、その奥が松田権六先生の作品《櫻文
講 師:市島桜魚 散盛器》です。漆の神様と言われている先
開催日:平成 26 年 12 月6日(土)
生で、素晴らしい仕事を沢山なされた方々
午後1時 です。大場先生と松田先生はお二方とも伊
会 場:神宮美術館展示室Ⅰ 勢神宮には深い関わりがあり、御神宝の制
作に携わってこられた先生方です。
私の師匠である大場松魚先生の作品
ひょう もん ばこ はな う ちゅう
《平文箱花宇宙》の 「花宇宙」 とは、先生
がこの作品のために付けられたタイトル
で、先生の造語です。「平文」 とは技法
のことで、金属の板金を文様に切って漆
の面に張り付けて、漆を塗り込め、研ぎ
皆さんこんにちは、沢山の方に来てい
出していく技法です。平文の面が地面の
ただいてうれしく思います。ギャラリー
黒い面よりも盛り上がっています。それ
トークに先立って館内を観覧致しました
だけ厚みのある金属を使っているからで
ところ大変素晴らしい展覧会になってい
す。使用するのは純金と純銀です。つま
るという印象を抱きました。ものごとを
り十八金などは使えません。金属は1+
次につなぐということは非常に意味のあ
1は2にはなりませんので1の物にわず
ることですし、大変な年月等々がかかる
か 0.1 でもなにか異物が混入したら、もの
ことです。とくに手仕事の世界というの
すごく固くなる場合もあります。大場先
は、技術を修得するまでに大変な年数が
生のこの作品は純粋な金と銀の素材を使
かかります。師匠から学び、それを次へ
用して作られています。蒔絵は、漆を用
繋ぐということは大変意味のあることと
いて筆で絵を描き、そこに金・銀などの
思っております。
様々な粉を蒔き付けて文様を表す技法で
企画展のテーマが 「次世代へつなぐ心
す。蒔きながら絵を描くので蒔絵といい
と技」 ですので、作品の解説よりも、私
ます。これに対して、平文は相手が金属
の師匠と先輩の話、そしてまた先の師匠
の板金ですので、板金を切ることに難し
の話で私が知っていることをお話しし、
さがあります。アルミホイル一枚にして
そうした世界の一端を皆さんに知ってい
もそれを思い通りに切ることはできませ
ただく機会にしたいと思います。
ん。金属の板金、とくに金と銀にはそれ
物作りは、作品との対話であって、大
ぞれが持つ性質があります。金は粘りが
勢の前でお話する仕事ではないため流暢
強く鋏を入れていくとその鋏の刃にまと
にお話ができるわけではありません。私
わりつくように切れていきます。比重も
の話の途中で聞きたいことがございまし
重いので金粉を下に蒔いていくとざらざ
たら遠慮無く仰って下さい。
らと下に落ちていく感覚があります。一
自分の作品については話がしにくいの
方銀粉は蒔いていくと少しの風でも舞っ
118
てしまいます。また銀の板金に鋏を入れ
また 「蒔絵」 のなかにも「平蒔絵」「高
ますとぷつんぷつんと切れていくので金
蒔絵」「研ぎ出し蒔絵」など様々な技法が
とは逆に鋏の刃で切り込みを入れすぎな
あります。中野先生は模様を盛り上げた
いように注意します。単に切るだけでも
立体的な表現の作品が多いです。
難しいのに、鳥の形や様々な形に切り透
「平文」 という技法は、中心と側面の青
かして、それを器物に馴染ませて一つ一
く輝いている箇所は玉虫貝という貝を用
つ漆で張り付けていきます。遠くから見
いて作っています。どの角度から見ても
ていただければ金がとてもよく光ってい
青く光る貝で、ここに展示している大場
るのがおわかりいただけると思います。
先生の作品で使用しているような玉虫貝
よく 「箔ですか」 と仰る方がいらっしゃ
はもう入手できません。貝は自分で作れ
います。確かに金沢は全国の 99%の箔を
ませんので、問屋から取り寄せて、青く
生産しているところですが、箔は手で持
光る所だけを抽出します。それを紙に蒔
てません。箔は光も通します。箔を十枚
いて割り何回も篩いに掛けて自分で作り
合わせてもこの平文の厚さには絶対にな
ます。球体の粉は蒔けば球体の状態でくっ
りません。箔は一円玉一枚のものを畳一
つきますが、貝は一つ一つくっつけてい
畳分まで伸ばしたもので非常に薄いので
かないと抜けてしまいます。そうした工
す。要するに蒔絵は、粉を蒔き付けて漆
程をすべて経ている作品です。
で挟んで研ぎ出したもので、漆についた
ここに展示されている作品全てに言え
球体のものを研ぎ出して一番光る最大面
ることですが、「この仕事すごく大変だっ
積まで磨いたものです。つまり蒔絵では
たね」という、技術が先に目立ってしま
いかに綺麗に磨いても金属の板を張って
う作品はありません。皆さんそれだけの
いるような輝きは出せません。大場先生
技術をすべて修得された上でいともたや
はいろいろなモノの中で漆黒のなかにキ
すく作品に仕上げておられます。最初に
ラリと鋭い光を放つような表現方法を常
技術が見えてしまう作品はあまりたいし
に求められていました。平文は奈良・平
たことはないと思います。一定以上の高
安朝には盛んでありながら、鎌倉・室町
い技術が備わった方が、その技法を自由
では蒔き絵の一部にしか使われなくなっ
自在に駆使して制作された作品がここに
ていたものを、大場先生が工夫されて現
並んでいるのです。
代に蘇らせたのです。また大場先生は中
この作品には「花宇宙」というタイト
尊寺金色堂の修理も手がけられました。
ルがつけられています。これをお作りに
私の兄弟子にあたる中野孝一先生の作
なった当時の大場先生は、〝寸尺の器に宇
品《栗 鼠 に葡 萄 文 蒔 絵 箱 》と、大場先生
宙の調和を盛る〟というのをテーマとし
の作品の金色の光り方は違います。大場
ておられました。一寸二寸といった寸尺
先生の作品は、漆黒の中にとても綺麗な
の器物に自然の摂理や宇宙観を表現して
金が光っています。板金のパンと反射す
おられるのです。先生は平和の和、輪っ
る 「平文」 の光の輝きと、粉のなかに輝
かの輪、愛・慈悲といったことを考えて
きを閉じ込めて放つ 「蒔絵」 の光の味わ
おられました。すべてのものは自然の色々
いの違いがあるのです。
な摂理の中で生かされている。宇宙の中
り
す
ぶ どう もん まき え ばこ
119
心に太陽があり、その周りを惑星が回っ
しいものです。図案というものは楽には
ている。地球もそのひとつで、その地球
できません。ラフスケッチの中からこれ
にいる我々も全て生かされているという
と思うものに色を付け、少し大きい図に
ことです。先生がこの作品を作られてい
するなどして育てていきます。まずアイ
る当時には私も側に居りました。漆黒で
ディアを出してそれがどの技術とどんな
表した宇宙のなかに様々な図案化された
材料を用いるのかいうことを決めながら
花が一つ一つの小宇宙のように浮遊して
完成度を上げていきます。松田先生が『図
いる。それらのバランスがすべて取れて
案日誌』という本を出版されたときは爆
いることが大切である、そのように思わ
発的に売れました。染織の方の中に、「そ
れて制作されておられた時代の作品です。
の本から着物の図案を起こしています」
そこにある花を描きたくて描くという
ということを聞いたことがあります。漆
こともあると思いますが、作り手は何年
作家は漆作家の先輩の作品だけを見てい
もかかってあるテーマや表現に臨みます。
たら勉強になるわけではありません。ヒ
そしてそれを追求するのは大変難しいこ
ントになること、教えてくれること、何
とです。その難しいことを確実に遣り遂
かハッとさせられることは、全然関係の
げておられます。漆の神様・松田権六先
無い分野にこそあります。それは、例え
生が提唱されたものに 「図案日誌」 があ
ば金工の作品、聖書の作品、ある種の建
ります。「1日1案、作品のアイディアを
築物、もしかしたらヨーロッパの壁画か
出し、それをノートに書きなさい」 とい
もしれない。そういうものに対して気付
うものです。「1日1案出したら一年で
く状態でありたいと常に自分に言い聞か
365 案出るでしょう、どんなに下手くそな
せています。大場先生もよく「物から学べ、
人でも 365 案を作ったらその中の3つぐ
人から学べ、自然から学べ」 と仰ってい
らいはいいアイディアが出ます」、と松田
ました。「人から学ぶ」 のは楽です。大学
先生に言われたとき、大場先生は毎日挑
では大学の先生から、幼稚園児が幼稚園
む気持ちで取り組んでおられたそうです。
の先生から、お父さん・お母さん・お祖
そして沢山作った図案を松田先生に意気
父ちゃん・お祖母ちゃんから、人を通し
揚々とお見せしたら、「ものすごく変えて
て教えて貰えます。「自然から学ぶ」 と言
いるつもりだろうけど、どれも同じだね、
うことは、
例えば、
写生をして初めて 「葉っ
何の展開もされてない」 と言われたそう
ぱってこんな風に付いているんだ、花っ
です。つまり大事なのは出し癖を付ける
てこんな風なんだな」、ということがわか
ということで、ちょっと違ったものでは
ることです。大場先生がデザインを習っ
なく、「もっと大きく展開してどんどん考
た方に、重要無形文化財 「友禅」 保持者
えましょう」 ということだったようです。
の木村雨山先生がいます。大場先生から
は 「図案の天才」 と伺っております。そ
大場先生は 「図案日誌」 というノート
の木村先生は、壺に生けた花を枯れて散
を何十冊も持ってらっしゃいました。「も
るまで毎日観察をしたそうです。枯れた
しあれが私の手にあったらこの先の作品
から替えますというのは許さない。「その
作りは困らないのに」 と思うほど素晴ら
花の一生、その中の変化を自分で捉えな
120
くてはいけない、それこそが自然の摂理
わせていただいたとき、手も足も出ません
なのだ」、という考え方です。そして 「物
でした。全く金属を扱えないのです。板金
から学ぶ」 ということ。物は口を利いて
の何処を持ってよいのかもわかりません。
くれません。
気をつけて持ってもグニャっとなり、思い
昨日外宮にある式年遷宮記念せんぐう
通りに曲がりません。先生がされると綺麗
館で素晴らしい物も沢山観ました。タッ
な円形になりますが、私がすると十角形に
チパネルの説明をはじめ色々な展示があ
なる。それを先生が丹念に全部修正されま
りました。しかしその物自体は何も喋り
した。先生の寝ていらっしゃるそばで、
「お
ません。その物が教えてくれているもの
まえやれ」 と言われて必死になってやりま
を聴けるようにならなくてはいけません。
した。始めから自分でされた方が早くて綺
そこにも御宝物が沢山あります。例えば
麗に仕上がるのに、私が作った十角形や
正倉院にも御 物 は一杯あります。どのよ
十六角形の板金を文句も言わずに全部直
うにして作ったか判明していない物もあ
されました。私はそのようにして勉強させ
ります。その物から学べるようにならな
ていただきました。そして自分が平文に取
くてはいけません。一作作るごとに少し
り組んで気がついたことは、蒔絵の感覚と
だけわかってきます。途中で図案が気に
はまた別で、大事なのは蒔絵とは逆に下地
入らなくなったから、「これ辞めます」
、
を整えることだということです。下地は上
と言っていたらその世界ではやっていけ
に漆を塗ることで最初の工程が見えなく
ません。「この図案の何処が悪いのかな」
なります。生地が檜であることすらわから
と思っても、大場先生は、「まだ駄目だ」
なくなります。しかし一つ一つの工程を手
と言われるのです。毎日毎日、「まだ駄目、
抜きすると必ず仕上げにそれが表れます。
まだ駄目」 と言われ、その内、仕事に掛
完成時にはわからなくても一年後、場合に
からないと搬入日に間に合わない状況に
よっては十年経って表れます。そのような
なっているのに、「駄目だ」、と仰るんです。
訳で、大場先生も弟子の中野先生も私も、
私には何が駄目かわかりません。先生は
下地を全部自分で整えます。中野先生は生
〝コツン〟と来ると仰ります。「よしこれ
地もご自身で作られる。私は、図面を作成
だ」 という状態が自分で把握出来ないと
し、それを元に業者に作っていただいた生
スタートしてはいけないのです。十年経っ
地を使って下地の工程を行います。工程内
たらその図案の悪いところがわかるかも
容はせんぐう館で見本がありますので、是
しれません。その時の〝精一杯〟ではこ
非それをご覧いただきたいと思います。
れ以上考えられない、この鳥の位置はこ
大場松魚先生の実家は塗師屋さんです。
こに飛ばさなきゃいけない、小花一つが
松田権六先生の元に弟子入りされた時に
この位置じゃないといけない、というと
は、既に一流の塗師としての職人の腕を
ころまで完成度を上げてから作品制作に
持っていらっしゃった。その後に蒔絵に
取りかかるのです。ですから一旦制作に
取り組まれた方ですから、蒔絵だけをさ
取りかかったら迷いはありません。そし
れてこられた人ではありません。その「塗
てそれを完成させると次のことがわかる。
りの感覚」 が必要だ、と自分が取り組む
初めて大場先生の平文のお仕事を手伝
ようになってはじめてわかりました。大
ぎょ ぶつ
121
場先生は一度も口にされたことはありま
先生は私どもの目の前であらゆる技を
せんでしたが、先生と向き合っていると
開放して見せて下さいましたが、それを
きに、「ここ、こういう感覚がないと平文
本当に理解するには、自分がそのレベル
はできないと思いました。
」 と申しました
まで到達しないとわからないと思います。
ら、「うーん、そっか……。わかったの?」
作品を鑑賞するときに、模様やデザイン
と仰りました。
にばかりに気を取られがちになりますが、
もう一つ先生に教えていただいたこと
何もない部分もよくご覧下さい。漆の作
で印象に残っているのは、「秘伝」 という
品には黒い余白の部分があります。優れ
ことです。〝秘伝のタレ〟〝秘伝のスープ〟
た作品はその〝余白〟が美しいのです。
描いている図柄も素敵ですが、何も描か
〝秘伝の調合〟などという言葉をよく耳に
します。テレビ番組の取材などで、「はい、
れていない部分にある〝空気感〟
〝情緒性〟
ここからは秘密です。」、「ここからは写さ
〝優しさ〟〝深さ〟
、そこが作品の善し悪し
ないでください。
」 という場面があります
を判断する決め手です。黒くて何も描か
が、あれは本当の意味での秘伝ではない
れていない部分が美しいからこそ文様と
と思います。本当の秘伝というのは、〝見
のバランスがとれているのだということ
てもわからないもの〟です。重要無形文
も念頭に置いて作品を鑑賞していただき
化財保持者いわゆる人間国宝に認定され
たいと思います。
た方々の使命として、「持てる技術のすべ
ここに展示している中野孝一先生の作
てを公開しなければならない」 ことが定
品《栗鼠に葡萄文蒔絵箱》は中心部分の空
められています。美術記録映画制作では、
間を大きくとっています。普通ですと怖く
大きい 35㎜フィルムのカメラが回る前で、
てできないことです。箱の一番上の面は顔
重要無形文化財保持者は全ての仕事をな
です。その中心に空間を大きく取って収ま
さいます。「ここは写さないで」 とは言え
ることができるというのは、余白を上手に
ません。全てを撮影します。しかし見て
使っておられるからにほかなりません。
いる方は、何処が秘伝なのかわかりませ
素人や私のように未熟な者は、空間が
ん。「ここから秘伝です」 と言うことは絶
大きいとそこに何かを付け足そうと思い
対ありません。全ての技術を公開しても
ます。「ここに蝶を飛ばしたら空間が収ま
見ている方にはわからないのです。
るかな」 などと思うものです。しかし、
大場先生には弟子が二十人ほどおられ
それではいけません。どこまで省略でき
ます。みな肝要な箇所は押さえていると
るか、少しでも多く空白を設けることが
思いますが、それぞれ感じ方は違うと思
大事なのです。ここで展示されている大
い ま す。 だ か ら 「 ど こ が 秘 伝 で す か?」
場先生の作品も晩年に行けば行くほど、
と聞かれても口頭では絶対説明できませ
シンプルになって行きます。必ずそのよ
ん。どのように説明してもわかりません。
うになっていきます。
わかった気になるかも知れませんが、そ
うまく行かない時は、足して直そうと
れは本当にわかった訳ではありません。
するのではなく、どれだけ引けるか、引
何故なら秘伝は体得するものだからです。
き算が可能かということを考えながら図
私は今そのことをすごく実感しています。
案を直していかなければなりません。完
122
成度の高い作品はそれが出来ているから、
訳ではありません。金工でも染織でも良
それを観る人に訴える力が強くなるので
かったのですが、たまたま側に漆の世界
す。百の言葉よりも十の言葉の方が響き
がありました。そして 「良い仕事をする
ます。さらに言えば、たった一言言われた、
ためには良い先生につかないとだめだ」
それが真実であればその言葉こそが響く
という信念を持っていた生地職人の祖父
のであり、そのことだけで全てが表され
が、大場先生に私の弟子入りを頼みに行っ
ることになります。それが実に大切なこ
たのです。死ぬまでやることになった訳
とだと思うのです。
ですから、今となっては〝大変なことを
私は肩こりの治療のため鍼灸院に通っ
考えた、定年があった方が楽だった〟と
ています。そこの鍼灸院の先生が、「一番
思います。大学教授としては定年がある
良い治療は一本で治すこと、その人の体を
のでいずれ辞めることになりますが、漆
見て一つのツボを探り当てそこに一本だ
芸は一生の仕事として続けていきます。
けを打ったらよくなる、これが最高の針の
大場先生・松田先生も死ぬまで勉強だと
治療」 と仰っていました。二十本打った方
仰っておられました。
がいいと思っている先生には申し訳ない
伝統工芸の世界は永遠に勉強なのです。
ですが、たった一箇所を探すということ
〝今作った物よりも少しでも良い物を作ろ
は、針灸の世界も伝統工芸の世界も変わら
う〟と思って続けること、それしかありま
ないと思います。たった一つのことを見つ
せん。だから漆芸に関わった以上は一所懸
けることは本当に難しいことです。
命やらなければいけないと思います。こう
大場先生の言葉では〝純粋になる〟こ
して大勢の皆さんを前にお話ししていま
とだと思います。純粋さは人に突き刺さ
すし…。「お前あの時言っただろ」 と囁い
ります。いかにシンプルにできるか、そ
ているもう一人の自分がいたりします。
の作品で表現するのはたった一つのこと
一番端にあるのが私の作品《蒔 絵 日 月
まき え じつ げつ
すすき の
です。一つのことが上手に最少のデザイ
こ だん す
薄 野 小 簞 笥 》でして、余白が何にもあり
ンで表現できていれば、その作品は成功
ません。中野先生の作品、私の作品、い
したと言えるのだと思います。そして完
ず れ も が 蒔 絵 で す。 私 が 用 い る 技 法 は
璧はあり得ないので作り続けなければな
〝引っ掻き技法〟です。下に漆を塗り、そ
ひ
か
らないのです。
の上に金粉を蒔きます。これは丸粉では
私が漆芸の世界に入ったのは、祖父が
なく平たい粉です。私が蒔いているのは
大場先生の作品の生地を作っていた職人
平たくて薄い粉で、それを全面に撒きま
であったからです。私の卒業した高校は
す。つまり金のキャンバスみたいなもの
ほとんどの人が大学に進学していました
です。下の漆が乾かないうちに文様を掻
ので、当たり前に大学に行くものだと思っ
き落とす技法なので、やり直しが効きま
ていました。しかし、大学受験に失敗し
せん。一発勝負です。宇宙観を持って仕
て初めて自分がやりたいことについて考
事をされていた師匠の側に居たことが影
えさせられました。その時に明確に自覚
響したのか、器物が四角か丸にかかわら
したのは、定年の無い仕事に就きたいと
ず、そこに無限の広がりを表現したいと
いうことでした。何も漆芸に拘っていた
思います。片方に太陽、もう片方に月、
123
それが広大に広がる秋のススキ野に出て
ススキを引っ掻きまーす」 と、やってい
いて気持ちいい風が吹いている、という
たら良い作品にはなりません。今までで
ような情景を想像しながらこの作品を作
引っ掻きに掛かった最長時間は三十時間
りました。後ろには鈴虫を引っ掻き技法
ぐらいです。
で入れています。これは、広いススキ野
制作に取りかかる前には下書きをしま
に鈴虫を入ることで、メロディーが奏で
す。しかし、「下書き通りにしなければい
られるような印象を伝えたいとのと思い
けない」 と思うと固くなります。下絵通
からです。
りに方向で引っ掻こうと思うとうまくい
漆は、温度と湿度の関係で液体が固体
きません。違う方向で引っ掻きたいとき
になります、それを〝漆が乾く〟と言い
は自然に手がそのように向きます。そこ
ますが、実は性質が異なります。この地
まで集中してやる状態が続かないとうま
で丁度良い漆が金沢で丁度良いとは限り
くいきません。またやり始めたら最後ま
ません。この作品は夏に制作しました。
で一貫した状態で作り上げていくことが
元々石川県は湿度が高い所ですから下の
実に大事なことなのです。
漆が急速に乾いて行きます。引っ掻き始
この作品は、手前が開いています。実
めと引っ掻き終わりでは漆の形が変わっ
は彫り込んで磁石をいれています。その
て来ます。休憩しているとその間に漆が
磁石を隠すために銀の薄い板を張ってい
乾きますから、一旦やり始めたら途中で
ます。閉じていき、ある程度の所まで来
は休めません。引っ掻き始めと引っ掻き
ると密着します。外側は金地で、中は真っ
終わりでは、道具の先の丸まり方が違い
黒にしようと思いました。それで太陽が
ます。しかし丸くなったので削ればそこ
ある方の側はつまみも朱金にして赤くし
から違うものになってしまいます。その
ました。引き出しを開けると赤系の布を
調整をしながらリズム感を崩さないこと
貼っています。一方月の方の引き出しの
が一番大事で、気分が変わってしまうの
中には、青地の布を貼っています。
で、食事もしたくない、トイレにも行き
桟は横にあり板の上に引き出しが乗って
たくありません。うまく引っ掻ける時は
いるのではなくて、桟の上に引き出しが引っ
自分であって自分でなくなっています。
掛かかり動くようにしております。間に板
最初の一掻きは手が震えます。その一つ
がないので、「引き出しにしよう、その方が
で全てが決まります。どの方向でどの大
スッキリした感じなる」 と思い、かなり大
きさで引っ掻くかで全部が決まるのです
変でしたがそのように仕上げました。
から。最初の引っ掻きからは手が何かに
私の作品ではたくさんの天然素材を使
動かされているようで、勝手に動いてい
います。玉虫貝・夜光貝・鮑貝、中野先
るように進んで行きます。風の方向が生
生は夜光の厚い貝を使っておられます。
まれてきて、自然とそれが繰り返されて
そして、それが黒地にあるのか、金地に
いきます。そうなると良い気持ちで仕事
あるのか、朱色の地にあるのかで随分異
ができてるし、自分であって自分でない
なります。勿論、白蝶貝・黒蝶貝などの
ような状態に置かれていて気がついたら
貴重な貝も使います。必要に応じて小粒
終わっています。これを 「この大きさで
の真珠も使います。半分埋まるように彫
124
り込んで小さくします。また珊瑚など色々
にしたいと思うところはありますが、当
な材料を使います。
時、一所懸命に作った作品です。その一
大場先生はよく漆の仕事は、蓑虫だと
所懸命な気持ちと同等のものが今の自分
仰っておられました。色々な天然素材を
にあるのか、ということをこの一作目の
自分の蓑にくっつけて飾る仕事という意
作品が、絶えず私に教えてくれているの
味です。金・銀だけでなく貝・真珠など
です。制作した直後には余裕がありませ
のさまざまな物も使い、それが漆の表現
ん。七月の終わりに伝統工芸展へ出品し、
を豊かにしています。貝を使った表現は
九月に三越日本橋本店の展覧会の会場で
人が好みますし、貝の発する柔らかい色
見ます。近くで見て 「うーん」 と思い、
合いは、効果的に使うととても存在感が
一年かけて戻ってきて、また 「うーん」
ある物になります。私の作品については
と思います。なにか感じるものがありま
以上です。ありがとうございました。
す、一言で言えば 「もっと頑張れ」 と言
われているのだろうと思っています。
質問3:蒔絵の中では金貝が特徴的なもの
質疑応答(抄)
だと思います。平文というのは始めにくっ
質問1:作品を作るにあたって注意なさっ
つけた後に漆を塗って研ぎ出すことですか。
ていることがあればお教え下さい。
回答:金貝をどのような意味で使われて
回答:嘘をつかない、手抜きをしない、
いるのかわかりませんが、私が金貝と思っ
ここは漆を塗らない方が三日ほど助かる
ているのは鈴金貝のことで、地金を痛め
なと思ってもしないということです。要
ずにその部分だけを研ぐときに手当する
は手を入れるときに全ての責任は自分に
ためにそれを貼るので私の場合はずっと
あるのだと心に決めます。とくに漆芸で
貼りっぱなしにするということはないで
は仕上げてしまうと中のことがわかりま
す。例えば中野先生のように盛り上げた
せん、しかしどのような生地を使ってい
蒔絵をしている上に薄く金貝を貼り付け
るのか、十年、五十年経つと木目が徐々
て分厚い金属を貼っているように見せる
に出てきます、それは木目が上がるとい
ことを仰るのでしょうか。私は金貝とい
うよりも細かい年輪が見えてくることが
う言葉を使いませんので余り上手に説明
あります。丁寧な仕事をしていれば、表
ができません、すみません。
れてきた木目ですら美しいものです。一
質問4:引っ掻きに三十時間要したとの
つ一つこのようにして疎かにしないこと
ことですが、漆の乾燥を止める手立てを
をいつも心がけています。
何か施されますか。たとえば焼き漆は使
質問2:作品に語りかけられたり、話し
用されますか。
かけることはありますか。どのようなこ
回答:漆には早く乾く性質を持った物と
とを語りかけていますか。
遅く乾く物がありますので、乾くのが遅
回答:作品からは 「もっと頑張れ」 と言
い漆を配合します。焼き漆は焼く配合の
われているのだと思います。伝統工芸展
仕方で全然違います。ただし湿度を与え
初入選の作品は手元にあります。時々今
た時グッと乾燥して貰わなければ困るの
も出して見ます。今なら図案をこのよう
で、そういう漆を探して調合します。
125
神宮美術館特別展
深い感じがする漢字の線と異なり、日本
「本―歌会始御題によせて―」
民族(大和民族)が太古から持っている
記念講演会
民族性がかな文字が生まれるときに線に
かな文字について 現れたのではないか、換言すればかな文
講 師:井茂圭洞 字の線は、弥生時代に作られた銅鐸のな
日 時:平成 27 年 3 月7日(土)
かにあると感じたのです。
午後1時 中国の文字である漢字は朝鮮半島を通
会 場:神宮徴古館新館2階会議室
して紀元前後頃に入ってきたといわれま
す。たとえば志賀島から出土した 「漢委
奴國王」 の金印や新(8~ 23)の時代に
作られた貨幣が出土していますので、紀
元前後頃から色々な形で漢字が入ってき
たことは想像に難くありません。
漢字の楷書の一部分をとってできたの
がカタカナで、漢字の草書をより簡略化
日本人の心の線
したのがひらがなです。元を正せば、ど
今日はかな文字の美しさについてお話
ちらも漢字から生まれたものです。ひら
しします。
がなは漢字の草書を簡略化して生まれた
文明国家といわれる国で、文字をもた
ものですが、私は、すでに文字ではない
ない国は世界にひとつもありません。即
銅鐸の絵の中に、日本人の心の線がある
ち文明国は文字を持っているという風に
と思ったのです。ひらがなは漢字の草書
解釈しても良いと思います。
から生まれましたが、大和心がそのなか
神戸市灘区の桜ヶ丘遺跡からは銅鐸が
に入っているのです。この話をさせてい
たくさん出土しております。先日、東京
ただくのは今回が初めてでございます。
の博物館で改めて銅鐸数点を見たときに、
いん
今までと違った感覚を懐きました。殷(商
要 白 の 美
紀元前 17 世紀?~紀元前 1023 ?)の時
大原美術館館長の高 階 秀 爾 先生(1932
代に書かれた甲骨文字、これは直線的で
~)は、かな文字のことを曲線文字と仰
大変力強い文字です。弥生時代に作られ
られています。漢字の草書をより簡略し
たであろう銅鐸には文字はありませんが、
たひらがなに、曲線文字という名称が与
絵が描かれており、輪郭線があります。
えられるのも、宜なるかなと思います。
その絵の線を見ますと、非常に温かくて
かな文字は日本で草書を簡略化して生ま
丸みを帯びています。銅鐸に描かれた絵、
れた文字ですが、その線と、その文字の
たとえば脱穀は、中央に臼があり、杵を
中に生まれている、書いていない白い部
振り上げた絵になっています。文字では
分の働きが非常に大きいと思います。空
ございませんが、甲骨文字の線と比べる
間、文字でいうと書いてない空白部分が
と、非常に柔らかい印象を与えます。そ
持つ意味、あるいは線そのものに漢字の
のようなことを考えると、直線で厳しく
世界とは異なるかな文字の世界があると、
たか しな しゅう じ
126
感じています。ここにも大和民族が持っ
小さな字の細い線のところの文字--勿論
ているそのものが形として表れているの
かな文字ではありません--にかな文字と
ではないかと思うのです。
同じような印象を与える造形と線が認め
たとえば、「い」。「い」 は 「以」 から作
られます。独断ですが、私は 「三筆の時
られました。左右にある紡錘形の線二本
代にすでに和風は生まれている、日本人
から成り立っています。二本の線が紡錘
が書く唐様の字には大和民族の心が出て
形で綺麗に引かれていても、間の空白を
いる」、と考えています。
少なくして接近している場合、その字は
漢字が伝来する以前は、約束ごとがあ
美しくありません。「い」 の美しさの中で
る時に、縄に結び目を作って、いくつ結
は、書いていない空間が大きな部分を占
んだかということを相手と二人だけで約
めているのです。つまり字はその余白が
束をする 「 結 縄 文字」 というものがあり
非常に重要なのです。
ました。
〝文字〟の名前はついていますが、
かな文字と漢字の線は異なります。空
いわゆる文字ではありません。また万葉
間の取り方が違います。その空間、文字
仮名は、〝仮名〟という名はついています
のまわりにできる白さを一般に 「余白」
が、いわゆるかな文字ではなく漢字の楷
と言います。師の深山 龍 洞先生(1903 ~
書または行書です。正倉院文書も同様に
1980)からは、「余白」 は本当は必要な白
楷書か行書です。
さであるから、「要白」 が正しいと教わり
10 ~ 11 世紀には、草 仮 名 の代表的遺
ました。
品 「 秋 萩 帖 」 と散らし書きの優品 「 継
そのような観点で銅鐸に描かれた絵と
色 紙 」 が表れます。小 松 茂 美 先生(1925
けつじよう
み やまりゅうどう
そう が
な
あき はぎ ちょう
しき し
つぎ
こ まつ しげ み
ひらがなを見たときに、造形の美しさや
~ 2010)によると、11 世紀中葉の永承年
線の美しさに加えて、書いていないとこ
間(1046 ~ 1052)の『古今和歌集』の写
ろ(いわゆる余白)
、あるいは字の中の白
本 「 高野切 」 の丹精な美・典型的な美し
さ、ここに 「要白」 を見いだせるのでは
さを以て書体としてのかな文字が完成し
ないかと思います。
たといいます。漢字を一字一音で利用し
こう や ぎれ
た8世紀の『万葉集』編纂の時代からは
かな文字の成立
三百年ほど経過しています。
かな文字が最初に現れるのは、教王護
せん じゅ かん のん
ひ おうぎ
国寺(東寺)千 手 観 音 の檜 扇 に書かれた
かな文字の特徴と美
かな文字(877)、「 円珍 病 中 言 上 書 」・
私はかな文字の特徴を、① 「至簡の美」・
「円珍書状」(ともに9世紀)、そして第 59
② 「流麗の美」・③ 「切断の美」・
(「間の美」)
・
代宇多天皇(867 ~ 931 在位 887 ~ 897)
④ 「墨法の美」・⑤ 「余情の美」(「要白の
宸翰『周 易 抄 』です。一般的には三筆の
美」)に五つに分けています。
空海(774 ~ 835)の時代は唐様で、小野
まず、「至簡の美」。かな文字には、一
道風(894 ~ 967)を代表とする三蹟の時
つ線を抜いても文字性がなくなる、これ
代が和風であると、高等学校では学びま
以上簡素にできない美しさがあります。
す。ところが銅鐸の話と同じく空海(774
草書も簡素になっていますが、かな文字
~ 835)撰『灌 頂 記 』(812 年頃)には、
はより簡素です。
えんちんびょうちゅうごんじょうしょ
しゅう えき しょう
かん じょう き
127
次に 「流麗の美」。かな文字は流れが美
川の流れと創作
しく最もかな文字らしい特徴です。流れ
かな文字がもつ五つの美しさは、川の
が美しいならば、全部を流れるように書
流れの一生によく似ています。山で雨水
けば美しいかというとそうではありませ
が溜まって水滴になって、一筋の流れが
ん。流れが美しく見えるためには、止まっ
できる。一筋の流れが集まって小さな流
たところに間が要ります。それが三番目
れができ、それが集まって小川になり、
の特徴 「切断の美」(「間の美」)です。
小川が集まって大きな流れになります。
四番目が 「墨法の美」 です。墨は無彩
はじめは見えない流れが、集まって目に
色ですので、書き方によっては非常に軽
見える流れになります。小川になり、川
い雲にも重たい岩石のようにもなりま
になります。川が普通に流れていくとき
す。これは無彩色であるがゆえの性質で
は自然に流れて行きますが、同じ水量で
す。たとえば赤や黄などは、色に性質が
も、山と山とが接近している谷あいでは
ありますので、技術力が確かであれば赤
急流になり、広い処では瀬となり、落差
で雲を描くこともできるでしょう。しか
のあるところでは滝になります。滝つぼ
しそれ以上に無彩色の墨こそが書く人の
から流れだしたものが急流になり、ある
心を表現するには適しています。私が一
いは緩やかな流れになる。そして最後は
番大事にしていることは、平面(二次元)
海に流れ込む。変化が多い川ほど美しい
に書いて立体的に見せることです。これ
ものです。
は作家によって異なり、平面に書いて平
作品を作る際、興に乗ってきたらある
面に見せたいという人もいます。私は平
程度荒く、滝のように激しい運動になり
面に書いて立体的に見せることを古筆で
ます。激しくなった鼓動と呼吸を整えな
選びました。『関戸本古今和歌集』がその
おして、穏やかな流れに戻し、あるとき
最たるものです。墨の滲みかた、かすれ、
は筆を紙面から浮かして軽妙な線にして
墨を足して一箇所に集中させる、といっ
みたり、筆先を紙面により深く突っ込ん
た墨の扱い方をするため 「法」 の字をつ
だ厚みのある線にしたりします。これが
けて 「墨法の美」 と呼んでいます。
川の流れによく似ています。川の中に大
かな文字にしかできない散らし書きに
きな岩があり、流れが中央に当たります
よる 「余情の美」 が五番目になります。
と、予期しない美しさが生まれます。こ
そして字と字の間に生じる空間の美しさ、
こが見せ場ですよというところは、ある
行と行の間にできる美しさ、これらすべ
意味滝のようなところであったり、ある
てが必要な空白、つまり 「要白の美」 と
いは鏡のような美しさを持った大きな湖
言えます。
であったりします。「静の美」 と 「動の美」
また平安時代末期の装飾写本である国
があり、「高野切」 三種が 「静の美」 とす
宝『西本願寺三十六人家集』の料紙の美
れば、『関戸本古今和歌集』は 「動の美」
しさ・工芸美と助け合ってできる美しさ
になると思います。
せき ど ぼん こ きん わ
か しゅう
もかな文字の特徴であると思います。
美とはなにか
美しいとはどういうことか、美は自然
128
に存在するのか。美は見る人が美しいと
り」 という言葉です。書は散らすもので
感じたときに、美しく見えるのではない
あると書いています。
のか。これは美学者の考え方で、対象物
もう一つは明治の三筆といわれる中 林
とともに美は存在します。
梧 竹(1827 ~ 1913) の 「 凡 そ 書 に 法 な
対象物を美しいと感じる感性が磨かれ
きものは、固より論ずるに足らざるなり。
ていなかったら、美しい景色を見ても、
法ありて法に囿 せらるるのもいまだ可な
大体は一般的にいう絵葉書的な美しさに
らざるなり。有法よりして無法に帰し、
留まります。しかし落ち葉がささやかな
法なくして法あるは、いはゆる神にして
風で動いている、そこに美を感じる有名
化するもの、これを上と為す」 という言
な彫刻家もいます。
葉です。
絵葉書のような場所が美しいと十人が
書家にとって、頭が指揮者ならば、手
十人思うかもしれませんが、その人にとっ
は演奏家です。指揮者である頭が命令し
ての本当の美しさとは、対象物とともに
たことを啐啄同時に演奏家である手に伝
自分の感性が響き渡ったときに感じるも
え動かさなければなりません。これが練
のです。西 田 幾 多 郎 先生(1870 ~ 1945)
習です。指揮者のいないオーケストラを
の言葉を借りますと、「美は主客の合一に
想像してみて下さい。
ある。美しいものが存在するのではなく、
作家には、どのような作品を、どのよ
見る人とそのものが合一してこそ美は生
うな構成で書きたいかという書作理念が
まれる」 ものです。
頭の中にありますが、それに束縛されて
にし だ
き
ご ちく
なか ばやし
およ
もと
いう
た ろう
11 世紀後半の書写と伝わる『関戸本古
筆が動かないようではいけません。
今 和 歌 集 』 や 王 羲 之(303 ~ 361) の 手
これを克服するには、まず下書き通り
紙を集めたもので、草書の神品とされる
に三点近い作品を作ります。段々と勉強
『十 七 帖 』
、あるいは王羲之の行書から文
していくと、三点の原本を元に十数通り
おう ぎ
し
じゅう しち じょう
しょう ぎょうのじょ
字を集めて彫った石碑『聖 敎 序 』などを
の作品が作れるようになります。
見ると大抵の方は美しいと言います。そ
私は、頭の中で白い紙面に書きます。
の一方で、枯葉一枚が微風によって動く
イメージで書くとき、イメージの設定を
さまが美しいと思う感覚も必要で、そう
する時、真珠の核のようなものが必要に
したことに美を感じなければ、書も偏り、
なります。核がなければ美しい真珠がで
絵葉書的な美しさ、平凡な美しさに留ま
きません。その核は、
自然の場合もあるし、
るのではないか、独断と偏見ですが、私
『関戸本古今和歌集』
・「高野切」・「香紙切」
といった古典・古筆の場合もあります。
はそう思っております。
核とするものは多いほうがよろしい。一
核 と 発 酵
つの古典しか知らないとそれだけになっ
私が書を書くに当たってバックボーン
てしまいますので、多くのものをインプッ
としていることが二つあります。一つは
トしておいて、自分の書の理念に併せて
空海の詩・碑銘・上表文・啓・願文など
アウトプットする、それが理想です。た
を弟子真済(800 ~ 860)が集成した『遍
だアウトプットするときに取捨選択を誤
照 発揮 性 霊 集』巻三にある 「書は散な
ると、作品にまとまりがなくなります。
しん ぜい
へん
じょう ほっ き しょう りょう しゅう
129
頭の中で描いたイメージに近い原稿を
んにご紹介するまでには至っていません。
作るには、核をもとに推敲に推敲を重ね
個人では難しいので、昨年 11 月に、高木
ます。古典・古筆を大豆に喩えますと、
聖鶴先生・日比野光凰先生と連名で文化
大豆を砕いて煮た汁に苦汁などを加えて
庁に提出致しました。登録には世論の後
豆腐にしなければなりません。頭の中で
押しも必要です。また大勢の日本人が、
発酵・醸成させ、様々に考えることで、
書道に理解を示すことが必要です。英語
作品ができます。変化は納豆くらいでは
は喋れるが日本の文化については話せな
足りません。豆腐にしなければいけない
いのでは困ります。英語教育は大切です
と思います。推敲を重ねて、形の違うも
が、学校における書道の教育を充実して
のに仕上げなければなりません。
欲しいと思います。
色々と古筆を勉強し、作った作品が見
作 品 解 説
た目に大豆と異なった一見豆腐になって
いたとしても、混合では無く化合の状態
Ⅰ.神宮への献納作品
になっていることが大切です。
①秀罇
私の師匠に『桂 花 賞 』という作品があ
平成 25 年に奉納した作品で、『古事記』
ります。これは珍しく明末の張瑞図(1570
下巻を出典とする雄略天皇御製です。小
~ 1640 以降)の風体で書いたものです。
さい字と大きい字を一つの紙面に入れて
作品を二つ作ったら、どちらにしよう
墨法・要白を用いて近景と遠景を作りだ
かとよく悩みます。師匠がいたら、どち
して立体的に見せています。
らか言っていただけましたが、今、師匠
1行目下部の 「ゝ」 と 「く」 の間の空間
に会いに行けば二度と帰って来られませ
には緊張感を、4行目下部の 「罇」 は作品
ん。師匠は有り難い存在でした。ちなみに、
に横の広がりをもたせ、
6行目最初の 「し」
一番最初に書いた作品が一番良いことが
は流れをつくり縦の線を強調しています。
多いものです。
また1行目下部の 「ゝく」 と5行目下部の
ほ
けい か しょう
ちょうずい と
だり
「とらせ」 には打楽器の働きを持たせ、5
か た
ユネスコの世界遺産登録にむけて
行目上部の 「 賀堂く」 と7行目下部の「ら
平成 21 年に漢字がユネスコの無形文化
勢 」 には弦楽器の役割を負わせています。
遺産に登録され、今年、来年には 「山・鉾・
一行ごとに役目があり構図上行を入れ替
屋台行事」 などの日本の祭りが登録され
えることはできません。 るそうです。私は 「かな文化」 を世界遺
違う要素、異質のものを調和させる、私
産に登録すべく取り組んでいます。かな
はこれを 「矛盾抵抗の美」 と呼んでいます。
文字がなければ、源氏物語もなく、今の
同じような字が調和するのは当たり前で
日本文化になっていたでしょうか。かな
すから。これが私の作品の特徴です。
せ
文字だけで登録を目指すのは難しいので、
「日本の書道文化-中でもかな書道」 にし
ました。これは二年前に日本藝術院会員
になったとき種を蒔く仕事がしたいと思
い、今は少し進んでいますが、まだ皆さ
130
をとめ
② 國のまほろば
② 孃子
平成 23 年に日展に出品した作品で今回
やはり『古
の展覧会にあたり神宮に奉納致しました。
事記』中巻
『古事記』中巻に収載する倭建命(日本武
の應神天皇御
尊)の御歌2首を書いたものです。
製です。これ
この作品には法隆寺東院伽藍廻廊の柱
も 「寝」 の字
の中ほどがふくらんだエンタシスの形状
を大きく書
を取り入れました。
『関戸本古今和歌集』
きました。左
の一行も同じ状態の部分が多くあります。
下の小さな字
実際より長く見えます。法隆寺東院伽藍
「三」
・「於」・
廻廊の柱や古代ギリシアの神殿も高く見
「毛」と署名
せるためにエンタシスになっているとい
を入れた十文
います。これは人間の目の錯覚を利用し
字ほどを太鼓を打つように表現していま
た遠近法と同じです。つまりこの作品は
す。「寝」が弦楽器ならこちらは打楽器、
人間の目の錯覚を利用したものです。
私はそのように思いながら書きました。
質 疑 応 答
【質問1】
一般の方が展覧会で鑑賞しても、何を
書いているか解らず、親しみをもちにく
いことが多いです。世界文化遺産登録を
目指すということですが、一般の方に興
味を示してもらえるようにする術をお持
Ⅱ.第 59 回現代書道二十人展(平成 27 年)
ちでしょうか。
出品作品2点
【応 答】
①御酒
『 古 事 記 』
一般の人にもわかりやすく書いてくだ
中巻に収載す
さい、とのことですが、大変な命題です。
る應神天皇御
かな作家は変体かなを使います。往時、
製です。
一般の庶民が読めたかはどうかは疑問で
矛盾する大
すが、公卿は読めました。
きい字と小さ
調和体という分野があります。漢字と
い字を一つの
かなを調和よく書いた書のことで、書体
紙面の中で調
は楷書と行書を用い、草書は使いません。
和するように
漢字・かな文字ともに古典がありますが、
書きました。中間に空間をとり、広さを
調和体にはまだ古典がありません。調和
作っています。流れを重視して、「我醉」
体の分野でも作家を育てなければなりま
の文字の懐の中に空間を広くもたせ白さ
せん。絵画では、具象絵画と抽象絵画の
を出した作品です。
両方ともが絵画です。書にも形や線、要
131
白の美しさなど、もっと親しんでもらわ
ないといけないことがあります。偏らな
いようにしているのが今の書家の立場で
す。これは時代性や文化がどのような人
たちにとって享受されているかというこ
とにも関連することだと思いますので、
もう少しお待ちいただけますか。
【質問2】
最近は印のみで、無署名の作品が多い
と聞きますが、いかがでしょうか。漢字
とかなの書道ではどのような印が良いの
でしょうか。またどのような勉強をした
らよろしいのでしょうか。
【応 答】
歴史的に見ると、漢字の作品には署名
がありますが、かな文字の作品にはあり
ません。「高野切」・『関戸本古今和歌集』
ともに署名はありません。専門外ですの
で、詳細は解りかねますが、漢字は、漢
文の素養がある人が書いたと思われます。
漢字作品には前例もあります。これに対
して、よくわかりませんが、かな作品は
日本で創造されましたので、署名がない
のではないかと思います。
印の有無や署名の有無は、そこに必要
か不要か、空間が引き締まるか否かの問
題で、個人の意識だと思います。従って
絵画の署名とは違うと思います。どのよ
うな印が良いのかは、その人の書の感覚
で決めることです。
書は最初は本筋から入って勉強してい
く。発達段階であんまり高望みをしない
ことが大切です。上達と共に目標を高め
て下さい。
132
いては、神宮では「艹(くさかんむり)
」
神宮の萱山について
平成 26 年 11 月 22 日(土)
に「宣(せん)」の字を使います。他にも
午前 11 時から 12 時
「艹(くさかんむり)」に「矛(ほこ)」の
講師:神宮技師 中川典之
字があります。これは、矛の様な形をし
た草という意味ですので、この場合は「屋
神宮司庁営林部の中川と申します。私
根を葺くための尖った草」という意味と
が所属しています営林部は、神宮の森、
捉えることが出来ます。このススキは色々
宮域林の管理を担当しています。宮域林
な別称があり「ヤマガヤ」と呼ばれるこ
の目的は、神宮の風致景観を保ちつつ、
ともあります。ヤマガヤは
「大萱」
と
「小萱」
神宮式年遷宮に用いられる御用材、すな
に分かれ、大萱はススキを指し、小萱は
わちヒノキの生産を行うことです。そし
イネ科の植物の総称を指します。この小
て本日お話させて頂きます萱 山、萱 地と
萱は「チガヤ」「カリヤス」「オギ」など、
も申しますが、この管理も行っています。
地方に拠って様々な呼び方があります。
神宮式年遷宮で用いられるヒノキと萱、
このことからも、萱は身近にある建築材
つまり材料の調達と生産を担当していま
として使用されていたと考えることが出
す。
来ます。
森の管理と、萱地の管理は大きく違う
萱地の目的は、言うまでもなく神宮式
点があります。それは対象とする植物の
年遷宮で行われる社殿の造営に用いられ
違いということもありますが、一番大き
る萱を供給することにあります。御正殿
なことは時間の捉え方です。宮域林は 200
は神明造と申しまして、萱葺屋根が一つ
年を一つの単位として管理をしています
の特徴となっています。せんぐう館にも
が、一方の萱は多年生の草 本類です。森
外宮正殿の模型がありますが、一番厚い
の管理は数百年という単位の中で手入れ
ところで 1m を超える厚さになります。葺
を行い、萱地の手入れは、1 年間という比
き上がった萱葺屋根は黄金色といえる程
較的短い期間、極端には日単位で実施し
美しく仕上がります。神宮式年遷宮では、
ていく事になります。特に萱地の場合は、
内宮・外宮両正宮だけではなく御門の御
気候条件など毎年違った条件となります
造営を行います。32 棟の萱屋根の一つ一
ので、その年毎に合わせて非常に細かな
つに萱の必要量が決まっています。採取
作業が必要となります。この森と萱地の
した萱は荒 萱と呼びますが、同じ萱でも
時間の捉え方の違い、その点を常に注意
材料の段階という意味で荒萱と申してお
しながら手入れを行っています。そして
ります。荒萱を数えるときは「束 」を用
本日は神宮の萱地の具体的な管理につい
いていますが、1 束は荒縄で 4 尺 3 寸〆と
て、お話をさせて頂きます。
いうのが昔からの決まりです。荒萱を結
かややま
かやち
そうほんるい
あらかや
たば
*
束する荒縄が 4 尺 3 寸(約 120㎝)ですか
神宮で用いられる萱は、全てススキの
ら直径は約 40cm になります。高さは 7 尺
ことを指します。一般的に広い意味では、
(約 210cm)以上が一つの目安となり、重
萱は屋根を葺く草の総称であり、狭い意
さは一番乾燥している時期でも約 25㎏に
味にはススキを指します。萱の漢字につ
なります。
133
ところで外宮正殿の萱の量が内宮より
に選別をすると本当に良いものはほとん
も多くなっていますが、これは外宮の御
ど採れません。まっすぐな萱を一束にし
社殿の方が少し大きい為です。全ての屋
て山田工作所という萱工がいる場所に引
根 を 葺 き 替 え る の に は 23,000 束 必 要 と
き渡しします。
なります。先にご覧いただいた一覧の数
*
値は荒萱ですので、材料としての必要量
次はススキの生産地についてお話しし
となります。実際に屋根に葺く萱は、山
ます。神明造には萱は必要不可欠なもの
田工作場に引き渡した後、萱工が拵 えた
です。しかし明治より前は特定の萱地は
葺 萱となります。このように萱は、萱地
なかったとされています。それはあまり
から一束一束鎌で刈り取り、一度集積し
資料が残されていないことがありますが、
て選別した後に結束し、隣の場所で萱の
日常的にススキを採取することが可能で
拵えを担当する萱工に渡すまでが私の担
あったということが言えると思います。
当でした。今回の第 62 回式年遷宮では、
実際伊勢市の中でも 5 ~ 60 年前まではち
この 23,000 束の荒萱を確保するため平成
らほら萱葺や草葺の屋根の家があったと
17 年度から、約 7 年間掛けて採取いたし
聞いておりますので、身近な素材であっ
ました。私は平成 20 年から担当し、何と
たと考えられます。しかし社会情勢が変
か目標を達成することが出来ました。
化し、日常的に萱を使う環境が少なくな
ススキを一時的に集積している場所で
り、ススキの確保が難しくなって来た為、
ある保管倉庫は、本当に圧倒されるよう
明治以後、伊勢市を始め、度会町、大紀
な大きさと存在感があります。参拝の時
町、
大台町に計 6 箇所の萱地を求めました。
に屋根を実際に見ると遠いので分からな
地元の方のご奉仕を受けながら、ススキ
いのですが、改めて大きいものだと感じ
を供給していましたが、今後のより安定
ます。一時的に保管する場合でも、荒萱
したススキの供給を目的として、川口萱
は乾燥させて保管する必要がありますの
地が整備されることとなります。これは
で、風通しを良くすること、また夜露を
第 59 回式年遷宮の付帯的な事業として造
避ける為に天井は出来るだけ高くして管
成されました。この事業は、大日本青少
理する必要があります。
年神宮御萱地勤労奉仕隊の献身的なご奉
良い萱とはどのような物かと言います
仕によって行われました。昭和 17 年 4 月
と、絶対にこの条件でなければいけない
より昭和 18 年 6 月にかけて、延べ 53,800
というものはありません。実際に使われ
名もの貴いご奉仕をいただきました。諸
る萱工との打合せの中で、規格というか
先輩方の何事にも替えがたい大変な労力
こういった萱が欲しいというものを供給
によって造成されたのです。山を切り拓
しています。基本としては長さが 7 尺以
いて萱地にするとはとてつもない力が必
上ある、曲がりがない、穂が付いている、
要です。当時は、
もちろん重機などもなく、
葉が旺盛であることです。実際に作業を
萱地に泊まりこんで、人力にて山を切り
しているとこれらは非常に厳しい条件で
開き、根を掘り、開墾し、萱を植え付け
す。萱地でもある程度の選別をして一束
るという、大変な作業だったと記録され
作り、それを持って集めるのですが、更
ています。また、女性も炊事・洗濯とい
こしら
ふきかや
134
う大切なご奉仕を頂きました。こうした
見えない大きな流れが存在します。時間
開墾地は全面積で約 100ha にのぼります。
の流れもそうですが、自然の見た目の移
そして前回と今回の式年遷宮では、川口
り変わりを植生遷移(しょくせいせんい)
萱地から全ての萱が供給されています。
と呼びます。最初に出てくる植物を先駆
空中から撮影した萱地の写真がありま
植物(パイオニアプランツ)といい、裸
す。この写真より読み取れることがあり
地からコケなどの地衣類が侵入し、草本
ます。黄緑色の場所は萱が生えている生
類、多年生の草本類から陽樹とよばれる
息地ですが、中にちらほら木が生えてい
木本類が表れ、最終的にはその土地の気
る所があります。こちらは谷沿いになり
候にあった陰樹林などの極相林(きょく
ます。全てを開墾するわけではなく、谷
そうりん)に行き着きます。この大きな
沿いや地盤が軟弱な場所には木を残して
流れの中でススキは先駆植物に分類され
あるのです。これは、土地の安定化を図
ます。つまり自然の遷移の中で見ますと、
る為です。宮域林の管理でも言えること
初期の段階で生育する植物になります。
ですが「水をいかに扱うか」というのが
つまり荒れ地に生える植物がススキであ
非常に重要になります。水の流れを止め
るという事になります。自然の流れに任
ることはできません。水を無理に止めて
せますと、木の植生に負けてしまいます
しまうと、土壌中に水がたまり、全てが
から存在できない、いずれは消滅してし
崩壊してしまいます。いかに水の流れを
まいます。そこで萱地として留めておく
止めることなく下方に流して行くかが重
には「継続的に人の手を入れる必要があ
要となります。木というのは、存在する
る」ということになります。マツタケも
だけで一定の役割、その中の一つにいわ
そうですが、マツタケの菌は比較的弱く、
ば国土保全機能があります。谷沿いはも
地面が豊かになりすぎると他の植物に負
ちろんですが、点在している木の残って
けて生えてきません。落ち葉や落枝を集
いる場所は、一見すると必要ではないよ
めて薪炭材(燃料)として使うなど、人
うな場所にも木があります。ひとたび雨
が入って適度に荒らしておけばマツタケ
が降り長雨になると、そこから水が出て
は生えてきます。かつて萱が日常的に使
くるのですから、先人の知恵には及びま
用されていた時代は、必然的に萱地に人
せん。この様な水を巧みに制する技術、
の手が入り、萱地としてとどまっていま
それは「自然に寄り添ってうまく付き合っ
した。しかし現代に薪炭材を使って煮炊
ていく」という何より必要な知恵です。
きする家庭はほとんど見られなくなりま
昔の人たちは自然と共生していましたか
した。こうした生活環境の変化により、
ら、このような色々な知恵があったのだ
萱地に人の手が入らなくなると、木が生
と思います。私も萱地を担当するように
え、そこは森へ森へとなっていきます。
なってから様々な先人の知恵に触れるこ
一度、森になってしまいますと、それは、
とが出来ました。
大きなエネルギーを得て森になった訳で
*
すから、これを再び萱地に戻そうと思っ
萱地の管理の具体的な作業についてお
ても、並大抵のエネルギーでは戻りませ
話をさせて頂きます。自然界には、目に
ん。昔の人がやっていたように、毎年継
135
続的に萱地の手入れ、管理を実施してい
奪う植物の勢いを弱らせるために行いま
くことが重要となります。川口萱地では、
す。最近はセイタカアワダチソウなどの
四季の変化に合わせて手入れを実施して
外来種の侵入も認められるので、こちら
います。春の青刈り、夏の夏刈り、秋の
の刈り取りも今後の課題として考えてい
地拵え、冬の植付け、萱の採取を行う場
ます。また育成旺盛な時期に実施するこ
合はここで実施します。
とで草刈りの効果を高めることができま
続いて実際の作業についてお話をさせ
す。山の管理も同じですが、草刈りで一
て頂きます。まず春の青刈りの作業は、
番大切なことは、雑草が一番元気な時に
徒 長(伸びすぎている)のススキを手鎌
刈ることです。盛りが過ぎた時に行って
で刈ることです。青刈りという表現は神
もあまり意味がありません。雑草にはハ
宮だけで使われている用語だと思われま
ギ・笹根・セイタカアワダチソウがあり、
す。作業は梅雨の時期までで、梅雨を越
特に笹根が繁茂するとススキが駆逐され
えるとススキの丈が高すぎて作業が出来
てしまいますので、きちんと処理してお
なくなります。青刈りの目的はススキの
かないと萱地が萱地ではなくなってしま
生育状況を確認して、その後の作業を決
います。こうした作業を繰り返すと、夏
めていくためです。もし伸びすぎると台
には 180 センチ程の非常に旺盛なススキ
風の被害を受けて倒れ込みやすくなるこ
がこんもりと出来てきます。
とや、冬の採取時期に萱の曲がりが大き
秋になりますと穂が出始めます。私が
くなってしまうことがあります。経験則
萱地を担当して思うようになったことが
ですが、伸びすぎるとやはり曲がりが強
あります。それはススキの穂が出るとい
くなってしまう傾向がありました。あと
う当たり前のことに対して、すごく気を
は背丈を揃えることで管理が合理的に行
揉むようになったことです。これは実際
いやすくなることも挙げられます。刈っ
に経験したことですが、あまりに土地が
たススキは残して土地の養分にします。
肥えすぎると穂が出ないことがあるので
5 月から 6 月になると美しい色合いに
す。穂が出ないという時点で、萱は規格
なっていきますので、徒長なものがない
外になってしまいます。穂が出始める風
か確認をします。また色は黄緑くらいが
景を見ると本当にほっとしていました。
ちょうど良く濃すぎてもダメです。青が
またこの時期にはススキに実がつまって
強いのは窒素が多いためで、柔らかく育っ
堅くなり、背丈も一段とぐっと伸びてき
てしまうので良くありません。全体に濃
ます。萱地はきらきらと日に輝くような
淡がないように配慮し、濃すぎる所や薄
美しい黄金色の風景になるのです。なお
すぎる所は覚えておき、冬に土壌改良を
川口萱地は原則的に一般の方には公開し
しています。
ておりません。県道筋からご覧いただく
次に夏刈りをします。これはいわゆる
ことは構わないのですが、中に入っての
草刈りであり、萱の間にある雑草を草刈
見学はご遠慮いただいています。また秋
機で取ることです。目的は萱の成長に影
はススキを採取するにあたって準備をす
響を与える雑草・低木を刈り払うことで
る、冬の植え込みにあたって準備をする
あり、イタドリ・笹根など萱の生息地を
時季でもあります。秋の期間をどのよう
と ちょう
136
に過ごすかによって。萱の出来のカギを
るものを規格外として一本一本手作業で
握る事にもなります。
選別しています。この作業をおろそかに
この時期で一番恐ろしいのが台風の襲
してしまうと、後の工程が全て変わって
来です。秋になるとススキは 2 メートル
しまいます。刈り取り作業に従事したの
近くまで伸びていますので風の影響を強
は前回の平成 5 年の遷宮にも奉仕した志
く受けます。この時に背丈が低すぎると、
摩の方々です。今回は熟練した方々に仕
冬に刈るべき 7 尺(2 メートル 10 センチ)
事を固定して一定の質を保つことに努め
という規格を満たせないことが多いので、
ました。萱山でも私たちがススキの選別
非常に気を揉みます。この様な事になら
を行っていますが、こちらでもう一度選
ないように、春の青刈りのような高さを
別を行って使えるススキをまとめます。
調整する作業が大切です。私は毎年夏に
萱といっても色々な場所や機能によって
背丈を測りながら管理をしていますが、
種類があります。まず「隅 萱 」は隅っこ
こればかりはいくつかの数値を合わせて
(コーナー)にあわせて角度を付けたもの
マニュアル化することは大変難しいと感
です。つぎに「蛇 腹」は、外宮正殿原寸
じました。毎年の気候状況によって違い
大模型を下から見ると、萱が綺麗に一列
もあります。言えることは春の青刈りは
に並んでいる所があります。節を揃えて
培った経験がものをいうことになります。
文様のように作り上げるもので装飾的な
いよいよ冬になりますとススキの採取
意味合いもあります。萱工の腕の見せ所
が行われます。通常は 2 メートル以上、
でもあります。
すみ かや
じゃばら
大きいものでは 3 メートルになりますか
*
ら、萱地は先が見えずに迷路のようになっ
次は萱地の手入れの今後についてお話
ています。作業は女性が主体となって行
しします。いままで管理を行って来た経
われ、鎌を使ってススキを一束一束丁寧
験から、これからの萱地を考える上で色々
に刈り取っていきます。男性はススキを
な課題が見えてきました。
集積する所まで運びますので補助的な役
その解決策の一つは環境の変化に対応
割です。ススキの採取の最盛期は 1 月か
することです。この 20 年間には風倒害や
ら 3 月で、1 日あたり最大 120 名の方が従
雪害をはじめ、例年にないような大型の
事しました。1 年間の作業日数は計 60 日
台風が来ることもありました。私は伊勢
間ですから、延べ 7,200 名で 4,000 束の荒
の育ちですが、小さい頃には雪が降るこ
萱を採取したことになります。
とはあまりありませんでした。しかし今
集積所で気を使うのが雨や夜露で、と
は毎年のように雪が降るようになりまし
にかく乾燥させた状態を保つことに苦心
た。雪が降ると萱に関わる全ての作業が
しました。床は全てざら板を敷いて空間
止まってしまい、またススキも折れてし
が空くようにし、屋根もできる限り高く
まうため甚大な被害となります。必要な
してもらえるように設計をお願いしまし
量を確保する上で、環境の変化にどのよ
た。最後の支度上げである拵えの作業は
うに対応するかを考えています。
山田工作所にいる萱工が行うのですが、
もう一つの策は作業システムの改善と
萱山でも葉や穂がないものと曲がってい
効率化を図ることです。前回も今回も鎌
137
を使い人の手でススキを採取しました。
間隔で萱を植えつけたとあります。これ
ただし今回の従事者は平均年齢が 60 歳を
を現在は縦横 2 メートルにしています。
超えています。中には 2 回目の御奉仕の
これは機械化を見据えた設計です。あま
方も見えましたが、次の御遷宮に奉仕す
り近すぎると機械が入っていけません。
るとすれば 80 歳を超えてしまいます。若
そして昔は手鎌しか無かったのでこの間
手をいろいろと探したのですが難しい状
隔でも充分刈ることが出来ましたが、効
況になっています。これは日常的に鎌を
率的な作業を考えても 2 メートルが妥当
扱うことが無くなってきたこと、また 3 ヶ
であると考えています。ですからこれか
月だけの作業ですから勤めの関係など社
らの 20 年、40 年、それ以上先を見据え
会の変化のために年若い方は集まりにく
た計画を立てて事業を実施しなければな
い現状があります。こうした問題に対応
りません。川口萱地が大日本青少年団神
するための一つの方法は機械化、つまり
宮御萱地勤労奉仕隊により開墾されたの
機械を使って何とかススキが刈れないか
は昭和 18 年ですから、すでに 70 年以上
と考えています。しかし全てにおいて目
経っています。これからも萱を作るため
指していることはより質の高い荒萱を供
に、我々の世代、そして次の世代がどの
給することであり、それが骨子であると
ように管理していく必要があるのかを常
考えています。
に検討していく必要があります。この時
品質の高い荒萱の供給に向けては、効
にススキの植生を無視するわけにはいき
率的な管理とススキの採取が出来るシス
ません。昭和 18 年に萱地が造成された時
テムの構築が必要であり、様々な提案を
も株分けで改植が行われました。株分け
しています。
された萱の株は円柱状ですが、それが外
一番大きな改善は萱地の改植(植え替
に向けてどんどん大きくなります。そう
え)です。ススキは株分けをして改植を
すると真ん中が枯れて無くなるためドー
していますが、天然更新、つまり放って
ナツのように拡がります。ただ一定の大
置いてもススキは生えてきます。川口萱
きさになるとまた中の方に萱が生えてき
地でも試験的に天然更新した場所があり
て徐々に生育面積が拡がっていきます。
ますが、そこでは一斉に生えてきます。
二つ目の改善は作業システムの合理化
すると管理する上で非常に扱いづらく、
です。具体的には車輌系を主にした作業
刈っていくことも大変ですし、草が生え
システムの構築に取り組みました。前回
てきても萱だけ残して雑草だけ払うのも
の遷宮におけるススキの採取と、今回の
困難です。ですから昭和 18 年の開墾の
遷宮でのススキの採取で大きく違うこと
時と同じ様に、株分けによって格子状に
は、車輌系のシステムを導入して作業に
植えていく作業が非常に合理的な方法で
車を最大限に使用したことです。これは
あって今日も実施しています。萱の改植
平成 5 年から計画をしてきました。前回
について昔と今で違うことは植え付けの
のススキの採取ではワイヤーロープを
間隔を広く取ったことです。資料による
張って架線による集材を行っていました。
と、造成当初は縦 6 尺(1 メートル 80 セ
しかしこれからの時代は車を使ったシス
ンチ)横 4 尺(1 メートル 20 センチ)の
テムにしなければならないとして作業道
138
の整備を始めました。この計画は私が担
でも何年か前にススキが生えていた場所
当した時も引き続き実施しました。実際
も笹根で駆逐されてしまったところがあ
に採取作業をするにしても、管理をする
ります。
にしても車輌系のシステムは非常に便利
四つ目の改善は団地化です。機械化す
で合理的でした。今後は、作業道をいか
る上で一つ問題となっているのが急傾斜
に効率的に配置していくかが重要な課題
地での作業の安全性です。あまりに傾斜
であると考えています。
がきついと車は入れませんし、草刈機を
三つ目の改善は機械化することへの検
使う作業についても危険が伴います。団
討です。これは生えたススキをただ刈れ
地化ができる所、平地化ができる所は、
れば良いという効率だけを目的とするの
それを目指して造成しています。しかし
ではなく、今後は草刈機を使用した作業
急斜面だからといって平地化を進めすぎ
を検討して荒萱の質の向上を求めるもの
ると山を壊してしまうことになるので、
です。現在鎌を扱える人が本当に少なく
手刈りと機械化を上手く合わせたシス
なってきました。草刈機を使ったシステ
テムを考えています。私たちにとってス
ムを考えても、今までの事をしていては
スキはとても尊い植物です。しかし世間
上手く刈ることができないので、先に萱
一般ではススキは雑草です。ホームセン
の頭を縛る結束をして下から刈ってはど
ターなどで売っている除草剤を使うとス
うか、といった色々な方法を試している
スキが良く枯れます。笹根を枯らしたい
段階です。今後は萱工が居る部署と協議
が為に除草剤をまくとススキが無くなっ
をしながら、できるだけ機械化を実施し
ていきます。現時点では化学的にススキ
たいと考えています。また機械化に関わ
だけ残して笹根だけ枯らす方法がないの
る最近の問題として、今まで出てこなかっ
で、機械によって物理的に剥がしていま
た笹根や外来種の駆除があり、その解決
す。昔の方はこれを手作業で行っていま
が非常に重要となりました。黄色い花を
したが、今ではやっていただける人がい
咲かせるセイタカアワダチソウは発生に
ませんので先ず考えられません。この先
波があり、ピークの時に放っておくと爆
はグラップルと呼ばれる建設機械を付け
発的に増えます。ですから例えばとにか
て笹根を取っていく事になります。笹根
く種を増やさないように手鎌で穂の部分
を取るためには表層を剥ぐのですが、あ
を全て刈り取るようにしています。本来
まり深くやると土地を壊してしまうこと
は穂が出た時に取りたいのですが、でき
になるので非常に難しい作業となります。
る限りの対策はしています。さらに笹根
笹根を取り去った後、生育の良い所の萱
の駆除処理は重要です。そもそも笹根の
を 20 センチくらいカットして持ってきて、
根はススキの根より下に入り込み、笹根
今度は人力で植えつけます。
が育ってくるとススキを持ち上げてしま
ススキのような先駆植物は荒れ地に生
うので、結果的に萱が負けてしまって生
えますが、荒れ地を好むわけではありま
えなくなるのです。一旦笹根が生えてし
せん。植物が生育する戦略として、荒れ
まうとすぐにはススキが生えてこないと
地に生えて光合成ができる性質を持つ植
いう状況になってしまいます。川口萱地
物がススキなのです。栄養があれば良い
139
に越したことはないのですが、実際は栄
これからも私たちは時代にあったものを
養が良くなってくると木に負けてしまい
採り入れながら、ただし守らなければな
ます。元は森であった土地を萱地に開墾
らないものは絶対に変えることはない様
したと言うことは、ススキが生育するた
に日々気をつけて作業をしていきたいと
めには少し栄養が豊かであるという事に
思います。
なり、他の草や木が生えやすいというこ
最後にこれは私の職場の人に言われた
とにも繋がります。萱地というと奈良の
事であり、これまで一番印象に残ってい
曽爾高原や富士山の山麓の御殿場などが
る言葉をご紹介します。先ほど自然の移
知られていますが、もちろん伊勢とは土
り変わりを説明しましたが、ススキは最
の質が違います。伊勢の土地で萱地を作
初に出てくる先駆植物です。そして御造
り、土地を荒れさせてススキを生やすた
営に使われるヒノキは寒い土地に生える
めには別の強いエネルギーが必要なのだ
最終段階の極相林です。御正殿に代表さ
と感じます。
れる神宮の建物は、植物の移り変わりの
ススキの植えつけが終わったところで
最初と最後を用いていることになります。
はとても綺麗に並んでいます。2 メートル
ですが極相林は終わりではありません。
くらいの間隔を取っていますので 20 年後
極相林となっても、例えば台風などで木々
にはちょうど良くなるのだろうと思って
が倒れてしまえば、またススキが生えて
います。この間隔は株の大きさを見て決
くることから始まるのです。だから神宮
めたことです。これから先の社会でもっ
の建物はわが国の自然の移り変わりの「始
とよい機械が出てくる、また人が集まっ
まり」と「極み」のものを用いているのだ、
てもらえれば、その時にどうすればよい
というものです。私もその通りだと思い
かを考えて変更したいと思います。改植
ます。日々の日本人の感覚、ひとつの大
後は 3 年程度で規格を満たす萱を採取す
きな流れに身を委ねながら絶え間なく生
ることが出来ます。3 年経つと高さ 2 メー
きてゆくという一つの形が、神宮の社殿
トルを超えますので、萱として遷宮に用
をご覧いただくと感じていただけるので
いることが出来ます。ただし、萱地は大
はないかと思います。御清聴ありがとう
変広いので 20 年掛けて少しずつ萱を改植
ございました。
していかなければなりません。改植をし
ながらこちらも指導していきたいと考え
ています。総合的な検証が進められるの
はこれからです。
*
神宮式年遷宮は今回で第 62 回を迎えま
した。式年遷宮を続けるためには「変わ
らないために変える必要があること」が
たくさんあります。長い間「本質」は何
も変わっていませんが、周りの技術的な
ものは絶えず変化していると思います。
140
平成 26 年度神宮研修所学事報告
一、教 育 方 針
神宮の神徳を仰ぎ神職としての必要な学科及び雅楽を教授し、神宮の祭祀及び事務を習得
せしめ、以て神祇奉仕の精神を研修せしめる。
人格形成に重点をおき、実習その他日常生活においては規律、信義、礼儀等精神訓育を旨
とする。
二、在 学 者 数
①在学者数
学年
入学者数
進級者数
一年 5名
二年 備 考
受験者7名・合格者6名 退学者1名(平成 26 年5月8日退学)
4名
②出身県別在学生一覧表
都道府県名 二年 一年 合計
岩 手 県 1名
1名
福 島 県 1名
1名
群 馬 県 1名
1名
栃 木 県
1名 1名
滋 賀 県
1名 1名
岡 山 県 1名
1名
徳 島 県
2名 2名
長 崎 県 1名 1名
合 計 4名
5名 9名
③平成 26 年度神宮研修所在学者名簿
平成 26 年5月1日現在
[二年生]
氏 名
生年月日
年齢
出身県
石 田 達 也
昭和 63 年 11 月7日
25 歳
群馬県
鈴 木 啓 太
平成4年7月 20 日
21 歳
福島県
田 村 匠
平成3年7月 18 日
22 歳
岡山県
古 川 導 正
平成3年1月 10 日
23 歳
岩手県
生年月日
年齢
出身県
いし
だ
すず
き
た
むら
ふる
かわ
たつ
けい
や
た
たく
みち
まさ
[一年生]
氏 名
しも
い
もと
き
とみ
さき
のり
まさ
下 井 紀 貴
平成4年9月 11 日
21 歳
滋賀県
富 﨑 則 匡
平成7年 11 月8日
18 歳
徳島県
141
むら
くも
しょう
た
むら
さと
やす
ひろ
わた
らい
のり
ひこ
村 雲 将 太
平成3年9月 12 日
22 歳
徳島県
村 里 泰 裕
平成元年7月 11 日
24 歳
長崎県
度 會 紀 彦
平成3年8月1日
22 歳
栃木県
三、開設学科目・教員等について
①開設学科目並びに時間数
科 目
神
神 社 神 道 概 説
神 道 史 概 説
60
祭
60
道
概
祀
概
二 年
論
論
一 年
60
60
(含神宮祭祀概論)
神
道
神
学
神
道
文
献
60
古
記
60
日
紀
60
延 喜 式 祝 詞
60
神社祭式同行事作法Ⅰ
事
本
書
60
60
時間外演習あり
60
時間外演習あり
(含神社故実)
神社祭式同行事作法Ⅱ
(含神社有職)
祝
詞
講
読
祝
詞
作
文
60
神 道 教 化 概 説
60
60
(含神宮教化概説)
関
係
法
規
60
宗
教
概
説
60
国
史
60
国
文
60
神
説
60
宮
概
60
(含神宮制度史・式年遷宮概説)
雅 楽 120
120
古
60
60
60
60
備 考
典
講
読
(含神宮古典講読 )
書
道
142
情
理
60 60
武
道
60
60
合
計
960
960
②教員並びに同資格
職 名
氏 名
資 格
担当学科
摘 要
所 長 相 見 和 紀 皇大・国史学科
祭祀概論
神宮禰宜・ 文教部長
主 幹 小 内 聡 國大・経済学科
祝詞講読
神宮権禰宜
三 輪 和 平
皇大・大学院
情報処理
神宮主事
小 堀 邦 夫
皇大・大学院
神宮概説
神宮禰宜
報
処
本年度は居合道
専任講師
主 任
専任講師
講 師
(含 神宮制度史・式年遷宮概説)
講 師
堀 川 孝 雄
皇大・大学院
宗教概説
講 師
吉 川 竜 実
皇大・大学院
武道(居合道) 神宮権禰宜
講 師 石 垣 仁 久
國大・大学院
神道神学
神宮権禰宜
神宮権禰宜
(含 神宮古典講読)
講 師
木 本 雅 文
皇大・専攻科
神道概論
神宮権禰宜
講 師
廣 津 悟
皇大・専攻科
国 文
神宮権禰宜
講 師
松 井 宏 賴
國大・専攻科
神社神道概説 神宮主事
講 師
尾 﨑 友 季
皇大・専攻科
『 古事記 』
神宮宮掌
講 師
野 村 卓 秀
神宮研修所
祝詞作文
神宮宮掌
講 師
時 田 雄 平
國大・神道学科
神社祭式
神宮宮掌
(含 神社故実)
講 師
中 西 直 樹
國大・神道学科
『日本書紀』 神宮宮掌
講 師
鐙 谷 嘉 樹
皇大・神道学科
講 師
芝 本 行 亮
皇大・大学院
神道教化概説 神宮宮掌
(含 神宮教化概説)
古典講読
神宮宮掌
(含 神宮古典講読)
講 師
北 島 良 一
神宮研修所
書 道
神宮宮掌
講 師
工 藤 正 弘
國大・神道学科
神社祭式
神宮宮掌
(含 神社有職)
講 師
中 野 泰 志
皇大・大学院
関係法規
神宮主事
講 師
音 羽 悟
皇大・大学院
延喜式祝詞
神宮主事
講 師
黒 川 典 雄
皇大・大学院
神道文献
神宮主事
講 師
小 林 晃
雅楽講習所
雅楽
神宮楽師
講 師
辻 幸 孝
雅楽講習所
雅楽
神宮楽師
143
講 師
岡 山 源
雅楽講習所
雅楽
神宮楽師
講 師
堀 川 秀 徳
皇大・大学院
国史
出仕
講 師
窪 寺 恭 秀
皇大・大学院
神道史概説
主事補
144
2限目
③平成二十六年度 授業時間割表
1限目
3限目
4限目
~
堀川 孝
~
黒 川 ①宗 教 概 説
~
廣 津 ①神 道 文 献
野 村
~
8 時 田 ①国 文
窪 寺 ②祝 詞 作 文
小林 晃
辻 幸
岡山 源
①②
神 宮 概 説
小 林 晃 ①②
辻 幸 雅
楽
岡山 源
松 井 ①国 史
中 西
島
小 堀
北
(含神宮制度史
式年遷宮概説)
大 本
工 藤 ②神 道 史 概 説
16:20
音 羽 ②神 社 祭 式
(含神社有職)
14:50
小 内 ①②
14:40
堀 川 秀 ①祝 詞 講 読
13:10
相 見 ②神 道 概 論
②日 本 書 紀
①②
中野 泰 ① ②
情 報 処 理 三 輪 雅 楽
①②
古 典 講 読
社頭実習(土曜日・日曜日二部宿衛勤務)
(含神宮古典講読)
①古
事
記 尾 﨑 ①②
書
道
芝 本
②
神
道
教
化
概
説
鐙 谷
(含神宮教化概説)
①関 係 法 規
①神社神道概説
11:50
吉 川
10:20
居 合 道
10:10
②神 道 神 学 石 垣 ②祭 祀 概 論
(含神宮古典講読)
①神 社 祭 式
火 (含神社故実)
②延 喜 式 祝 詞
水
木
金
土
日
月
:40
※①②不定期に神宮関係講義と教養講座を実施する
145
日 曜
月
実 習 先
館
齋
両 宮
楽 殿
神
土 曜 日
日 祝 日
月 曜 日
土 曜 日
日 祝 日
月 曜 日
齋 館
宮
両
楽 殿
神
齋 館
両 宮
楽 殿 神
備 考
風 日 祈 祭
神 御 衣 祭
祭典奉仕 六 月 月 次 祭
神 御 衣 祭
神
嘗
祭
祭典奉仕 新
嘗
祭
十二月月次祭
旦
祭
歳
元
始
祭
祭典奉仕 建 國 記 念 祭
祈
年
祭
約 二 十 日 間)
指 定 神 社 実 習( 土 曜 日
日 祝 日
月 曜 日
実施日
四、年間神務実習実施計画
四 月
七月(中旬)
七月(下旬)
八月(下旬)
九 月
十 二 月
一 月
三
※ 毎週土・日曜日に二部宿衛(夜間奉務)
※ 十二月下旬~一月上旬に年末年始社頭実習を行う
146
~
~
~
~
五、年間主要行事
4月 4日(金)
「神田下種祭」 奉拝
4月 8日(火)
新入生入寮・対面式・定例打合会
4月 9日(水)
入学式準備・予行練習
4月 10 日(木)
第 46 期生入学式・学事懇談会
学生及保護者説明会
両宮参拝(外楽/御神楽)
・各所挨拶
オリエンテーション・入学奉告祭
4月 11 日(金)
市内別宮並二見興玉神社参拝・実習準備
4月 13 日(日)
社頭実習(一年生斎館・14 日)
4月 15 日(火)
前期授業開始
4月 16 日(水)
「神宮大麻用材伐始祭」 奉拝
4月 18 日(金)
「植樹祭」 参加(本年度雨天中止に付通常授業)
4月 30 日(水)
「春の神楽祭」 拝観
5月 8日(木)
早朝禊・定例打合会・月次祭
5月 10 日(土)
「神田御田植初」 奉拝
5月 13 日(火)
健康診断受診
5月 14 日(水)
「風日祈祭 ・ 神御衣祭」 奉仕
5月 15 日(木)
賀茂祭奉拝 ・ 京都市内神社巡拝
5月 22 日(木)
「延寿大々御神楽」 助勢(~ 23 日)
5月 29 日(木)
神職養成機関普通課程合同実習Ⅱ [ 二年生 ](~ 31 日・於東京)
6月 5日(木)
早朝禊・定例打合会・月次祭
6月 9日(月)
「参与・評議員会」 助勢(~ 10 日)
6月 15 日(日)
「六月月次祭」 奉仕(~ 17 日)
6月 24 日(火)
伊雑宮参拝(御神田奉拝)
6月 30 日(月)
瀧原宮参拝・「大祓」 参列並奉拝
7月 1日(火)
御塩浜整備作業助勢
7月 2日(水)
早朝禊・定例打合会・月次祭
7月 4日(金)
前期授業終了
7月 7日(月)
前期試験(~ 10 日)
7月 11 日(金)
夏期鍛錬会(~ 12 日)
7月 15 日(火)
神宮関係特別講義(~ 16 日)
7月 17 日(木)
前期終業式・大掃除・部屋替
7月 18 日(金)
夏期実習準備
7月 22 日(火)
夏期実習(八坂神社・住吉大社・宇佐神宮・富士山本宮浅間大社・鶴岡八幡宮)
147
夏期休暇(~9月5日)
9月 6日(土)
後期始業式・大掃除
9月 8日(月)
「神宮観月会」 助勢
9月 9日(火)
神宮文庫助勢(~ 10 日)
9月 16 日(火)
後期授業開始
9月 18 日(木)
早朝禊・定例打合会・月次祭
9月 24 日(水)
「秋の神楽祭」 拝観
9月 27 日(土)
「常典御饌」 習礼(二年生)
10 月 1日(水)
「常典御饌」(乙番)奉仕(二年生~2月末)
早朝禊・定例打合会・月次祭
10 月 3日(金)
「神御衣奉織」 奉拝・斎宮歴史博物館見学
10 月 7日(火)
「御塩焼固」 奉拝 ・ 神宮御園見学
10 月 14 日(火)
「神御衣祭」 奉仕
10 月 15 日(水)
「神嘗祭」 奉仕(~ 17 日)
10 月 27 日(月)
神職養成機関普通課程合同実習Ⅰ(一年生・~ 30 日)
11 月 10 日(月)
研修旅行(一年生~ 11 日)
修学旅行(二年生~ 12 日)
11 月 19 日(水)
早朝禊・定例打合会・月次祭
11 月 23 日(日)
「新嘗祭」 奉仕
12 月 4日(木)
五十鈴川幼稚園餅搗行事助勢
12 月 5日(金)
早朝禊・定例打合会・月次祭
高倉山幼稚園餅搗行事助勢
12 月 6日(土)
神宮大麻暦頒布活動参加(県神青会)
12 月 12 日(金)
年内授業終了
12 月 15 日(月)
「十二月月次祭」 奉仕(~ 17 日)
12 月 19 日(金)
終業式
冬期休暇(~ 25 日)
12 月 26 日(金)
始業式・研修所餅搗行事
12 月 27 日(土)
年末大掃除・迎春準備
12 月 28 日(日)
年末年始社頭実習(~1月 12 日)
12 月 31 日(水)
「大祓」 参列
1月 1日(木)
「歳旦祭」 奉仕
1月 3日(土)
「元始祭」 奉仕
1月 12 日(月)
成人の日参拝(本年度該当者無し)
1月 13 日(火)
授業再開
1月 14 日(水)
早朝禊・定例打合会・月次祭
1月 30 日(金)
後期授業終了
148
2月 2日(月)
後期試験(~5日)
2月 6日(金)
所外研修(神宮美術館見学)
冬期鍛錬会(夜行軍・~7日)
2月 11 日(水)
「建国記念祭」 奉仕
2月 13 日(金)
早朝禊・定例打合会・月次祭
茶道教室(神宮茶室)
2月 17 日(火)
「祈年祭」 奉仕
2月 20 日(金)
禊・卒業並進級奉告祭・送別会・予餞会
2月 24 日(水)
神職養成機関普通課程合同実習Ⅱ [ 一年生 ](~ 26 日・於東京)
2月 28 日(土)
熱田神宮参拝 ・ 尾張大國霊神社実習(~3月5日)
3月 6日(金)
大掃除・卒業式準備
3月 7日(土)
両宮参拝(内楽/御神楽)
3月 9日(月)
卒業式予行練習
3月 10 日(火)
第 45 期生卒業式(壮行会)
3月 11 日(水)
平成 27 年度入学試験(一次募集)
「献酒奉告祭」 助勢
3月 19 日(木)
平成 26 年度終業式
春期休暇(~ 26 日)
3月 24 日(火)
平成 27 年度入学試験(~ 25 日・二次募集)
3月 27 日(金)
平成 27 年度始業式・大掃除・部屋替
149
平成26年度 神宮道場使用状況
○神社本庁総合研究所直轄研修
研
修
名
期間
日数
受講者数
第110回中堅神職研修(丁)
4/10~14
5日
43名
第92回指導神職研修
4/21~25
5日
36名
第77回正階基礎研修(乙)
6/6~12
7日
30名
第88回明階基礎研修(甲)
6/18~27
10日
39名
第93回指導神職研修
7/10~14
5日
37名
第111回中堅神職研修(丙)
7/21~25
5日
59名
第112回中堅神職研修(丁)
7/26~30
5日
49名
第113回中堅神職研修(丙)
9/25~29
5日
51名
第89回明階基礎研修(乙)
10/6~15
10日
26名
第114回中堅神職研修(丁)
11/10~14
5日
57名
第94回指導神職研修
12/4~8
5日
29名
第78回正階基礎研修(丙)
1/17~23
7日
20名
第115回中堅神職研修(丙)
3/12~16
5日
55名
79日
531名
期間
日数
受講者数
7/15~17
3日
21名
3日
21名
日数
受講者数
4日
23名
4日
23名
計
開閉講式参列
開:渡邊和禰宜
閉:相見禰宜
開:相見禰宜
閉:相見禰宜
開:長内参事
閉:相見禰宜
開:相見禰宜
閉:相見禰宜
開:相見禰宜
閉:相見禰宜
開:宮川禰宜
閉:杉谷参事
開:宮嶋禰宜
閉:杉谷参事
開:相見禰宜
閉:宮嶋禰宜
開:長内参事
閉:栂坂参事
開:相見禰宜
閉:齊藤禰宜
開:渡邊修禰宜
閉:宮嶋禰宜
開:相見禰宜
閉:栂坂参事
開:栂坂参事
閉:相見禰宜
備考
21日講義:西村技師
「神宮式年御遷宮御造営について」
25日大宮司招宴
20日講義:三輪主事
「神宮祭祀」
24日講義:鐙谷宮掌
「神宮式年御遷宮について」
26日講義:芝本宮掌
「神宮の祭典について」
17日講義:堀川権禰宜
「神宮祭祀」
13日講義:大野宮掌
「神宮の祭典について」
○神社本庁総合研修所主催各種研修
研
修
名
女子神職祭式研修会
計
開閉講式参列
開:渡邊和禰宜
閉:渡邊和禰宜
備考
○神社本庁総合研修所主催生徒合同実習
研
修
名
期間
神職養成機関普通課程生徒合同実習Ⅰ 10/27~30
開閉講式参列
開:相見禰宜
閉:相見禰宜
計
150
備考
27日講義:日比権禰宜
「神宮の創祀」
28日講義:小内権禰宜
「神宮大麻と奉賽」
28日講義:辻村権禰宜
「神宮の祭祀」
28日講義:佐藤宮掌
「神宮式年遷宮」
27日禊指導 道彦:北島宮掌
助彦:北川出仕
○國學院大學・皇學館大学神宮実習
平 成 26 年 度
学 校 名
國學院大學第1期
國學院大學第2期
明階検定合格者
國學院大學第3期
明階検定合格者
國學院大學第4期
皇學館大学第1次
京都國學院専修課程履修者
皇學館大学第2次
明階検定合格者
合
期間
8/8~14
35日
受講者数
44名
43名
0名
30名
2名
0名
29名
0名
31名
4名
183名
平成25年
受講者数
31名
31名
5名
0名
0名
0名
29名
4名
0名
0名
100名
平成24年
受講者数
33名
32名
4名
34名
0名
0名
35名
9名
41名
0名
188名
日数
5日
受講者数
155名
平成25年
受講者数
164名
平成24年
受講者数
156名
日数
2日
1日
2日
1日
3日
2日
11日
受講者数
20名
23名
45名
41名
6名
7名
142名
日数
7日
8/15~21
7日
8/22~28
7日
8/29~9/4
7日
9/5~11
7日
計
平 成 26 年 度
第64回神宮雅楽講習会
○平成26年度神宮道場使用状況総括
研修会及び講習会名
神社本庁総合研究所直轄研修
神社本庁総合研究所主催各種研修
神社本庁総合研究所主催生徒合同実習
神宮実習(國學院大・皇學館大)
総
計
期間
7/4~8
日数
79日
3日
4日
35日
121日
受講者数
531名
21名
23名
183名
758名
○平成26年度神社庁主催神宮研修(神宮道場は使用しない)
研修会及び講習会名
主催神社庁名
期間
鹿児島
直階検定講習会
7/14・15
三重県
神職養成講習会
7/24
山口県
神職養成講習会
8/5・6
京都府
階位検定講習会
8/21
青森県
神宮教養研修会
10/2~4
岐阜県
階位検定講習会 2/28・3/1
合
計
6件
備考
案内:小内主幹・三輪主事
案内:杉浦権禰宜
案内:三輪主事
案内:小内主幹
案内・講義:小内主幹・三輪主事
案内・講義:音羽主事
平成25年度 各県研修及び講習会開催依頼件数 2件
受講者計 76名 日数 2日
平成24年度 各県研修及び講習会開催依頼件数 5件
受講者計 139名 日数 7日
151
平成26年度 神宮文庫・教学課事業報告
《神 宮 文 庫》
1.図書受入
年 度
冊 数
26年度
1,888
内
訳
購入96・寄贈1,208・引継578・編入6
2.蔵書冊数
年度
内
冊 数
26年度 312,658
訳
和装本207,195 洋装本105,463
3.主な献納図書
年
月
資
料
名
26
4
中臣祓瑞穂鈔 上
7
小川貴寛 登録済
26
11
板木 伊雑皇太神宮御師谷楠大夫
1
谷 正直 登録済
27
1
伊勢参宮名所之図 (錦絵)
2
高田信敬 登録済
点 数
備
献納者
考
4.図書整理(未整理本)
資
料
名
点 数 整
理
作
業
状
況 献納者
献
納
年
三條家文書
8,856
仮目録との照合60%済、データ入力70%済
三條実春 昭和25年6月
御巫家旧蔵資料
1,491
仮目録との照合70%済、データ入力済
御巫清和 平成19年3月
月
5.図書修補
和書:虫損等の劣化の著しい和書・古文書・巻子本等を調査し、3ヶ年一期ですきはめ・裏打ち修補を実施
年 度
26年度
部 門 実施冊数
第一門 神祇
59 *1年次
*この他に脆弱した糸の綴じ直しを実施
6.図書閲覧
年 度 閲覧日数 閲 覧 者 閲覧冊数 開庫日数 来庫者数
26年度
147
251
2,550
284
152
762
7.資料貸出
展
示
会
名
貸出点数
会
場
期 間
年
月
27
3
大坂の陣四〇〇年記念特別展 豊臣と徳川
1
大阪城天守閣
3/21~5/10
27
3
茶道関係史料特別展
2
神宮徴古館
3/19~3/22
8.図書頒布
年 度 頒布冊数
26年度
226
9.主な図書頒布
書
名
頒布数
神宮教養叢書 第7巻 神宮祭祀概説
52
神宮教養叢書 第2巻 伊勢信仰と民俗
10
神宮教養叢書別冊 第3巻 式年遷宮と御神宝
30
153
平成17年度~26年度 図書閲覧・図書受入・図書修補・頒布図書一覧
図書閲覧状況
年 度 閲覧日数 閲 覧 者 閲覧冊数 開庫日数 来庫者数
17年度
145
418
4,100
290
549
18年度
142
415
4,697
281
557
19年度
140
420
5,095
280
591
20年度
144
396
4,674
275
718
21年度
150
548
6,954
282
765
22年度
168
454
4,586
287
790
23年度
144
683
6,593
284
941
24年度
173
677
6,152
287
845
25年度
116
287
2,614
241
603
26年度
147
251
2,550
284
762
年度別図書受入冊数並びに内訳
内
訳
年度
冊 数
17年度
4,168
137
1,058
233
2,740
18年度
14,629
114
13,961
95
459
19年度
6,992
139
1,557
1,266
4,030
20年度
609
135
411
56
7
21年度
494
194
247
51
2
22年度
306
94
176
34
2
23年度
585
130
319
134
2
24年度
794
112
612
64
6
25年度
292
45
190
51
6
26年度
1,888
96
1,208
578
6
購 入
寄 贈
引 継
154
編 入
年度別すきはめ・裏打ち修補の実施冊数
年度
部 門
16年度 第一・十門
17年度
18年度
冊 数
4 試験的に実施
51 本格実施
第一門
68
19年度
57
20年度
75
21年度
第三門
54
22年度
50
23年度
66
24年度
第五門
25年度
26年度
92
28
第一門
59
頒布図書数
年 度 頒布冊数
17年度
916
18年度
737
19年度
304
20年度
397
21年度
235
22年度
271
23年度
321
24年度
142
25年度
270
26年度
226
155
《教 学 課》
1.教学課研究員
名 称
職 階
氏 名
所属部署
主任研究員
禰 宜
小堀 邦夫
祭儀部
研究員
権禰宜
吉川 竜実
広報室広報課
権禰宜
廣津 悟
文化部神宮徴古館
宮 掌
吉田 吉里
綜合企画室
宮 掌
大野 由之
総務部総務課
宮 掌
小川倫太郎
祭儀部儀式課
宮 掌
山口 祐樹
祭儀部内宮斎館
主 事
音羽 悟
広報室広報課
出 仕
神田 直久
奉賽部外宮賽務課
出 仕
堀川 秀徳
綜合企画室
出 仕
山口 武徳
総務部総務課
主事補
窪寺 恭秀
文教部神宮文庫
2.増補大神宮叢書の編纂
書
編 集 担 当
名
出版社 備
考
年
月
26
9
二宮叢典 後篇
教学課
吉川弘文館
新組新版7冊目
27
3
神宮近世奉賽拾要 前篇
國學院大・神社本庁・教学課
吉川弘文館
新組新版8冊目
*増補大神宮叢書 全25巻〔平成17年~平成27年7月完結予定〕
*新組新版9冊の編纂状況は【別紙1】参照
3.瑞垣総索引の編纂
*既刊の『瑞垣総索引 創刊号~175号』(弘報課編、平成9年3月)の増補版を作成
*平成28年2月刊行を目指して鋭意編集作業に取り組んでいる
4.主な図書頒布
書
名
頒布数
「ご遷宮」って何ですか?
222
神宮への祈り
122
156
【別紙1】
『増補大神宮叢書』新組新版編集進捗状況
書
名
編
編 集 担 当
集
平成27年3月現在
状
況
神宮神事考證 補遺上
皇學館大・教学課 平成22年8月出版
神宮神事考證 補遺下
皇學館大・教学課 平成23年10月出版
神宮教院大成
皇學館大・教学課 平成24年7月出版
神宮神事図録
教学課
平成24年12月出版
二宮叢典 前篇
教学課
平成25年5月出版
二宮叢典 中篇
教学課
平成26年1月出版
二宮叢典 後篇
教学課
平成26年9月出版
神宮近世奉賽拾要 前篇
國學院大・神社本庁・
教学課
平成27年3月出版
神宮近世奉賽拾要 後篇
國學院大・神社本庁・
教学課
平成27年7月刊行予定
校正作業を鋭意執り進めている。
157
平成 26 年度行事
神宮五十鈴川幼稚園
月 日
幼 稚 園
双 葉 会
4月
8(火)始業式
9(水)宇治神社参拝(進級児)
11(金)入園式【写真1】
16(水)キャロライン・ケネディ大使お迎え【写真2】
17(木)鯉のぼりとあそぼう【写真3】
21 ~ 家庭訪問・面談開始 (23 日まで)
22(火)五月人形記念撮影
23(水)入園進級奉告参拝(内宮:お神楽奉納)
会長・副会長参加
25(金)避難訓練
5月
2(金)宇治神社参拝(進級児)
7(水)鯉のぼりをいただく(園にて)
13(火)
第1回役員会(予算審議、他)14:00 ~
14(水)内宮参拝(進級児)
15(木)内科健診(13:00 ~)
3歳児給食試食会 / 健診付添
16(金)
第1回双葉会総会(14:00 ~)
19(月)年長児交流会(高倉山幼稚園年長児と)
20(火)
伊勢私 P 総会(10:00 ~)正副会長
22(木)春の遠足(外宮様へ入園進級奉告参拝)
園児と職員のみ
28(水)田植え
29(木)歯科検診(13:00 ~)
全園児付き添い無し
30(金)バラ園見学【写真4】災害時園児引き渡し訓練
6月
2(月)宇治神社参拝(全園児)
8(日)親子であそぼう(父の日参観)
進修小体育館
13(金)お誕生会(4・5・6 月生まれ)
17(火)内宮参拝
18(水)さつま芋つるさし(年長)
19(木)交通安全教室(10:00 ~)
新入園児保護者付添
24(火)全園児参加(絵本読み聞かせ)
第1回双葉会研修会(10:00 ~)
27(金)
第2回役員会(夏まつりについて)13:30 ~
30(月)避難訓練(地震想定)
158
月 日
幼 稚 園
双 葉 会
7月
1(火)宇治神社参拝
2 日 3 日 夏祭り音頭お稽古
両日に分かれて保護者参加
4(金)七夕記念撮影(10:00 ~)
6(日)合同夏祭り(高幼と)
役員手伝い
15(火)創立記念:内宮参拝
16(水)入園説明会
18(金)第1学期終業式
22(火)夏季預かり保育開始
9月
1(月)第2学期始業式
2(火)教育実習開始(10 月2日迄)
3(水)内宮参拝
5(金)避難訓練(地震想定)
11(木)稲刈り
12(金)来年度入園児 面接
17(水)来年度入園児 入園許可
20(土)進修小始、各小学校運動会(年長児)
22(月)宇治神社参拝
お誕生会(7・8・9 月生まれ)
25(木)
第3回役員会(運動会について)13:30 ~
26(金)運動会予行練習
29 日 30 日 伊勢音頭お稽古
両日に分かれて保護者参加
30(火)避難訓練(地震想定・2次避難)
10 月
2(木)運動会
役員手伝い
3(金)宇治神社参拝
16(木)神嘗祭内宮参拝(稲奉納)
17(金)神嘗祭休園
20(月)秋の親子遠足(志摩スペイン村)
28(火)お芋ほり
年長親子
30(木)焼き芋大会
159
月 日
幼 稚 園
双 葉 会
11 月
4(火)宇治神社参拝
七五三参拝(内宮参拝)
13(木)
祖父母参観
御神楽奉納(園児と祖父母)
21(金)生活発表会
神宮美術館見学・鑑賞(年長児)【写真5】希望保護者参加
26(水)
就労体験学習(五十鈴中学生)28 日迄
体力測定(年長・年中児)
28(金)
避難訓練(地震想定)
12 月
1(月)宇治神社参拝
4(木)おもちつき
全園児親子
10(水)来年度入園児 採寸
12(金)雑煮会
役員手伝い
15(月)内宮参拝
お楽しみ会カレーパーティ&
17(水)
お誕生会(10・11・12 月)
年長役員手伝い(前日カレー作り)
19(金)第2学期終業式
1月
8(木)第3学期始業式
22(木)初詣内宮参拝(宇治神社遙拝)
20 日 21 日 木工遊び(年長)
27(火)卒園記念製作:陶芸(年長)
29(木)全園児参加(食育パネルシアター)
【写真6】第2回双葉会研修会(10:00 ~)
2月
『1年生になったら』収録(年長)
2(月)
豆煎り
3(火)豆まき【写真7】
6(金)宇治神社参拝
10(火)保育参観
13(金)進修小学校訪問(年長)
17(火)祈年祭内宮参拝
18(水)入園準備説明会
19(木)お店やさんごっこ
25(水)お誕生会(1・2・3月)
27(金)お雛様記念・卒園記念撮影
会長・副会長
160
月 日
幼 稚 園
双 葉 会
3月 4(水)卒園式予行練習
5(木)お別れ会サンドイッチパーティ
卒園奉告参拝(内宮:お神楽奉納)
6(金)
佳子様奉迎送(全園児)
年長保護者付添・会長
希望保護者参加
10(火)
第4回役員会(決算案審議,他)
11(水)年長児園外保育(神話の館見学)
宇治神社参拝
12(木)
避難訓練(宇治地区防災訓練に合わせて)
13(木)
最終総会決算報告
17(火)卒園式【写真8】
19(木)神宮美術館見学庭園見学(年中・年少)
20(金)内宮参拝(年中・年少)
25(水)平成 26 年度修了式
161