1993年秋号 - 一般財団法人住総研

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力の掠の培耐を飾っているのは隠の下顎である。二階には人がや
に隠の脂とススを体に捻り込んでいるが、夜はかなり冷え込む
二二ソ年代の半ばである。現夜インドネシア領イリアン・ジヤヤ(揮
っと通れる大きさの孔をよじ殺って入るが、内部は竹の答のタずの
ニュ I ギ ニ ア 布 地 に 人 が 住 ん で い る こ と が 発 見 さ れ た の は 一 九
け る 熱 き 大 地 ) と 呼 ば れ る 隠 ニ ュ l ギニア高地で、円以も人口の樹
トいに細い片山十が丁寧に数き詰められていて、寝室になっている。
住僚の造りは切の棟もたの棟も共通で、先ず両端部を尖らせた
{飴な地域はパリエム峡(八日である。
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一)(Um余 り で あ る が 、 こ れ は マ ラ リ ア を 媒 介 す
矢板状の板を際問ができないように二重の円形に巡らす。次に、
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るハマグラ蚊の楼息域を越え、かつサツマイモやタロイモ等の作
細い本のタがを内外に沿わせ、両者を蔓で縛り壁を固定する。上
谷の標高は
物が充分生育できる絶妙の高度である。この谷にグニ族は住んで
ド二か所に巡・りされたタガは、床組みを組む際に、恨太を支、える
のに使われる。上下二時に床両が張られたこの円時状の構造は、
L〆広場を/1言むたの棟、担.
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百と災{こす;の後。
立っているが、 屋根の荷平一況を主に支えているのは吋ぼである。
グニ肢の社会にも昔、幣経済が浸透しつつある。 しかし、
未だに豚本位性の伝統的な価依感も健在で、 豚 数 頭 で 花 嫁 が 買 え
る。行斧も立派に現役で、 日常的に使用されている。
ている。
中じい・あきら//京京大山下乍必技術仰究所助教授
からドげている。 パ リ ヱ ム 蚊 谷 に は 続 行 指 時 代 の 時 が 悠 久 に 流 れ
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強策で作ったホリムを付け、 ル久は腰安ひとつで、 万 能 の 網 袋 を 頭
一帯は民間で、 中 央 に 炉 が あ
でいる。 切実の細長い障が広場に面してあるが、 こ れ は 共 同 の 尉
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、 中には炉が終然と並んでいる。
住出恨の内部は二回になっている。
り、その上部に薪等を乾かすための械がある。 ダ ニ 旅 は 寒 さ よ け
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ちょうど桶に相当している。 中 央 に 屋 根 ま で 届 く 西 本 の 通 し 柱 が
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グニ族の性問はコンバウンドを形成している。住同への狭い入
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口をくぐると納長い広場が開けている。 こ の 広 場 に 帰 し て い く つ
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のが男の棟で、 その他は全てたの棟である。 ダ一一肢は一夫多妻制
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の拡大家族であるが、 同は幼児期を過ぎると八王て男の棟に集まり、
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生共同午前を行なう。 女 の 棟 に は 吋 親 と 幼 い 子 供 が 住 ん
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誇るべき日本の伝統の街や住まいはあるかっ・
去、歩。
がし残した課題や二O世紀の汚点の証言を見るはずである。
住まいの研究の問題
な 量 的 な 観 点 の 把 握 か ら 、 生 活 領 域 と か 伝 統 性 と か 快 適 性 な ど の テi マによ
確かに小住宅を対象にしたり商棋の制約の中で合理的な計画方法を探るよう
活を分析して計画への示唆を得ょうとしてきた。内容を少し細かく見ると、
かと、疑問を出してみる。研究は、戦後から一貫して小規模な庶民住宅の生
待が狭い住宅からゆとりある住宅へ向かっていくことに対応しているだろう
たとえば、住宅計画に関わる研究は、居住水準の向上によって、人ぴとの期
こでは、まず住まいにかかわる研究の方法や解答のことを一一一一向いたいのである。
世間で心配し不満になっている住宅問題が問題だという筋もあろうが、
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ば、普段の一言動を書き記すことにすぎないのだが、読者はそこに、二O世紀
試みた。執筆は、各方面の若手第一人者に依頼した。執筆者たちにしてみれ
そこで、︽少しばかり未来に行って、振り返って今を見る︾という企画を
り、方向を見失うことにもなる。
覚える。現在に生きていると、目先のことだけでいい悪いと即断しがちにな
こから導き出される解答の何もかもがきな臭く崩れていくようで、胸騒ぎを
うこともできるが、昨今の世情の騒然たる様に、住まいを見つめる方法やそ
二O世 紀 が 終 わ る と い う こ と に 、 単 純 に 時 間 の こ と だ か ら と 済 ま し て し ま
ーー目世紀に、
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ように思う。すなわち、研究方法が変化していくものはその表面だけで、結
現代の住まい研究には、近代の合理主義精神にかかわる共通の問題がある
しよう、自然を守ろう、あるいは歴史を見直そう、と主張するのである。
失させていくことへ向けられている。そこで、反省は、人聞の総合性を復活
服破壊していくこと、さらに技術開発によって伝統やよさ人開の創造力を喪
ように要素に分解し説明していくこと、また進歩への信頼によって自然を征
とする﹁進化主義﹂などがある。合理主義への批判や反省は、人間を機械の
想の特徴として、要素に還元していく﹁要素還元主義﹂、歴史の進歩を正しい
といわれる。たとえば、人聞は知性と感性の所有者であると。合理主義の発
め、生物は、合理的な論理の中で分析され、あらゆる論理の要素が得られる
的なもののみを重視し非合理的なものを排斥していく。その結果、人閣を含
近代の精神は、合理主義の精神である。一般に、合理的な考え方は、合理
いうことである。
精神がもたらしたものへの批判や反省が入っているのではないだろうか、と
けられないもっと本質的なものがあるのではないだろうか。それは、近代の
というふうに表現するが、その中には、﹁ゆとり﹂というようなことでかたづ
せてきているように見える。しかし、住まいに対する人びとの期待を﹁質﹂
現 在 の 研 究 の 関 心 は 、 時 代 の 要 請 に 合 わ せ て 、 対 象 や テl マ、方法を変化さ
って質的な観点の把握をしようとする方向に変わってきている。このように
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局 の と こ ろ 分 析 手 法 は ﹁ 客 観 化 ﹂﹁や
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ためにただただ絞訟になり、
人間や住まいにある自然を科学化しようとしていることだ。自然の科学化が、
れるだろうか。
めて、日本の住居と居住の問題を見つめる文化の限を与えたし、領域・感覚
海外居住研究は、おもにアジアの住居やそこでの居住を研究するもので、定
住み方研究に対して、海外の居住研究や、領域・感覚研究などが提案された。
方法や概念を生み出した。住まいの研究分野でも、それまでの機能主義的な
誕生させた。これらの新しい哲学は、近代合理主義の枠内で、新しい認識の
と い う ス ロ ー ガ ン や ﹁ 文 明 か ら 野 生 へ ﹂ と い う ス ロi ガ ン が 、 新 し い 朽 学 を
は、多くの識者の指摘することである。それに対応して、﹁科学から反科学へ﹂
本 の 伝 統 の 街 や 住 ま い は あ る の だ ろ う か 、 あ る い は ん I伐 し て い る の で あ ろ う
在り方を議論する気はないが、ともかく一二敗紀になった時に、誇るべき日
が、エキゾチックな遊同地の印象を与えているのかわからない。修学旅行の
を愛する精神となって伝わっているのか、あるいは昨今ならひょっとしてだ
良に行って行本の伝統を円けんたのである。それが、子供たちに、まともに伝統
一一一位紀の修学旅行というものを想像してみた。戦後では、多くがい以郎や奈
戦後の極端なん日開主義化で失った伝統の救済活動のようにも忠うのだ。ふと、
という考え方も山山てくる。出願主義であるものもあろうが、むしろ、日本の
このような此紀の終になったからであろうか、近代が駄けで、服史がよい
世記宋のムiド
研 究 は 、 住 宅 地 計 画 の 新 し い 方 法 と な っ て い っ た 。 し か し 、 Aーや、このよう
近代化や合理化の成功の秘密であるとともに、悲劇の係悶であるという考え
な科学にこそ、単なる微調整だけでは済まされない問題があると忠われるの
か。まさか、新宿副都心ではないであろうし、多摩ニュ i タウンではないだ
C- アレクサン
美 術 館 の 空 間 の 型 は ﹁ か た つ む り ﹂ と 伎 は 提 案 し た iiiそ の 型 を 返 し て 社 会
コ ル ビ ュ ジ ェ の 主 張 し た 、 建 築 家 は 型 の 提 案 を 責 任 と し て お り [ii例えば、
人は、 2 D Kを な じ っ て き た 。 こ の 標 準 的 な 型 の 提 案 と 実 施 の 方 法 は 、 ル -
がり、将米の文化創造のエ、不ルギーになると考えてもよいが、なにか込山路的
に取り込もうとしている。これも、いつかは一般史や伝統を愛する精神につな
i ドがある。削ろうとするより、未発見の桜山九を探って、ドラマやデザイン
映ってくる。いろいろな分野で、これまでの出火の泣ぷを消費するようなム
ろうしと、考、えると途点に暮れる。叶⋮紀末になると、人ーの桜山九が問題として
あ・りた
だ
ダ ! の パ タ ー ン の 発 想 も 同 様 で あ る 。 ア レ ク サ ン ダl は、建築計同の問題を、
な匂いがあるようで、味いである。
は進歩し型は淘汰され安定していくという合理主義である。
部分に分解していく方法を確立し、この部一分の問題をきわめて人日現的に解決
しかし、経史への川一版刷出味もそうだが、住まいの佐川介では外野が多すぎる。
独特なヒュ i マ ニ ズ ム の 臭 い が あ り 、 合 理 主 義 を 超 え る 点 を 見 い 出 す 入 も 多
するパターンを提案したのである。確かに、彼のパターンの考え方は、彼の
られる。この特定の捌似を強制するというやり万は、人口剖主義における、論
呪われで、もっとも確実で共通の良心ともいえる倒似怠識であるように考え
義 と い う 合 理 主 義 と 同 じ 穴 の む じ な で あ る 。 2DKを 批 判 す る 感 覚 の 底 流 に
理主義や要素還元主義に類以している。特定な価値ではなくて、総人什的なも
続一腿ごとの﹁健康願望﹂﹁安全願担﹂を一台定はしないが、これも反符や批判の
は、このような建築全体への批判と反省の精神があるはずであり、そのこと
のに口標が向かわなくてはならない。川一紀末現象と断定してはいけないかも
いが、その方法はコルビュジェの型の提案と同様である。これらは、客観、正
に気付くならば、私たちは、自らを否定することになり、反省することが恐
しれないけれど、このような多様な試みが各分野で兄られる。これに対して
も、それにかかわる、五張を持つ執筆者を選び、抗日中を依頼したわけである。
ろしくなってくる。
本口すの執筆者たちは、このような批判や反省の小で、どのような米米を兄
ているのだろうか、またそういう未米からどのようなメッセージを投げてく
特集⑧すまい未来からのレビュー
歴史から見る現代のすまい
藤森照信
過ぎ去った昔のことをあれこれほじくり返して何が面白い、と他人からも
く て 、 た い て い そ の 家 で 生 ま れ 育 っ た 御 子 息 や 娘 さ ん が 八O歳 と か 九O歳で
の邸宅を建てた本人が御存命なら一番いいが、そういう幸運な例は一度もな
十東京大学生産技術研究所助教授
言われるし、自分でも内省する。建築の歴史の勉強をしていると、こんなこ
御元気で、その回想によることになる。したがってさかのぼっても明治の末、
家族が一つ麗根の下で暮らしていることさえ、
引世紀には不思議なことになっているかもしれない?
とが本当に何か現在の役に立つんだろうか、まして未来を切り拓くための手
たいていは大正から昭和にかけての時期の話になる。
正の初めまでさかのぼって使い方を追っかけることができる。
たとえば明治二九年にコンドルの設計でつくられた岩崎久弥邸の場合、大
がかりになりうるんだろうか、と我ながら‘不安になるが、しかしその反面、
考える力を付けるトレーニングには歴史は最適だという気持もある。脳味噌
の筋力アップには歴史的見方は結構役立つはずである。
﹁洋館と和館が並んでいて、日頃は和館で暮らしていました。和館の一画に
久弥の末娘の綾子様によると、
しか身に付くようになる。現在、誰もが当たり前だと思っていることも、実
畳敷きの食事の部屋があり、そこで家族一緒に食事をしました。しかし居間
歴史をやっていると、グすべては可変的で相対的である。という認識がいつ
は数十年の歴史しかないごく日の浅い習慣で、将米いつ消えたっておかしく
に当たる部屋はなく、食事が終わってしばらくしてから、それぞれの部屋に
昭和八年に宮内省と仏人ラパンの設計でつくられた朝香宮邸の場合は、長
引き上げました﹂
ない、という目で現在のすべてを桃めるようになる。
たとえば家族の国壌という問題がある。現在の住宅で一番重要なのは家族
の団壌の場、つまり居間や茶の間で、中小住宅はむろん大邸宅でも家の中心
当たり前と思い、ずっと昔からそうなっていると思い込んでいた。ところが、
ーヒーなんか飲みながら、なんやかや話をしてから二階(の個室)に引き上
﹁一階の家族市の小食堂で食事が終わると、たいてい、その場でしばらくコ
男の朝香宮鳩彦様によると、
戦前の西洋館の歴史、とりわけその使い方の歴史を調べはじめて驚いた。大
げます。特別、皆が集まる部屋は決まっていなくて、その時に、適当にやっ
にこの場が置かれ、他の機能はその周囲に配される。このことを僕は長い問、
邸宅になればなるほど、つまり西洋館として立派であればあるほど、居間に
ていました。父の居間におしかけて憩っていたこともあります。寒い時など
は父と母の部屋の前にあるベランダが塩かいので、なんとなくそこに集まっ
相当する部屋が見当たらないのである。
戦前の邸宅の使い方をどうやって調べるかというと、聞き取りによる。そ
たり・・・・・・、﹂んな具合で、 と り た て て 家 族 の 居 間 と い う も の は 決 ま っ て い な か
ーム)と台所(キッチン)を同じ空間で緯接させるダイニング・キッチンの
例をひくと、例のダイニング・キッチンの問題がある。金堂(ダイニングル
人の一代の範囲内で起きた変化である。ということは、そうした変化が起き
邸宅における居間の成立も、普通の住宅におけるダイニング・キッチンも、
だ四二年しかたっていないやり方なのである。
六年に住宅公団で第一号が試みられてから一気に広まっている。つまり、ま
宅でもそうとうの割合で採用されているが、歴史をたどると、戦後の昭和二
やり方は、マンションなどの集合住宅では例外なく行なわれているし、大邸
った﹂
昭 和 四 年 に 高 崎 良 太 郎 の デ ザ イ ン で 完 成 し た 前 田 利 為 邸 の 場 合 は 、 長女の
酒井美意子様によると、
﹁居間はございませんでしたが、母の居間がその代わりになっておりまして、
食事の後などはそこに行って憩いました﹂
成立の状態にあり、昭和初めの朝香宮邸と前田邸では家族の団壌は成立して
た 後 で 生 ま れ た 人 、 た と え ば 昭 和 三O 年 以 後 に 生 ま れ た 現 在 三O 代 前 半 よ り
以上の実例から分かるように、大正初めの岩崎久弥邸では家族の団畿は未
いるが、そのための専用の空間は未成立である。邸宅の場合、どうも戦前い
若い人は、今後の人生の途上で大きな変化にさらされてもおかしくない。
どんなふうに見えるだろうか、想像してみよう。
し た 変 化 を こ う む っ た 後 の 未 来 の 人 に は 、 二O 世 紀 の 世 紀 末 の 現 在 の 住 宅 は
いったいこの先、日本の住宅にどんな叩変化があるだろうか。そして、そう
っぱい、家族の毘撲のための居間というものは無かったらしいのである。
こと邸宅に限ってだが、家族団壌というのは数十年の歴史しかない日の浅
い習慣といっていい。
話が以上のような邸宅だと速いことのように忠われてしまうから、 身近な
れバロックだルネッサンスだという歴史主義の様式から分離してモダン
な美学を打ち出そうどいう士心から命名されたものたった。今日の授業の
分 離 派 は そ れ か ら 百 年 後 の ニ O ニO 与 に 結 成 さ れ た グ ル ー プ で 、 住 宅 の
られないかも知れないが、ニ O 世紀の人びとは、家族が一緒に一つ屋根
一二世紀末の、とある大学の建築史の授業で
教授が二O世紀建築史を講義しだ後のシ lン
学 生γ今 日 の 授 業 の 最 後 に 一 言 だ け 先 生 い か 触 れ ら れ た か 分 離 派 建 築 会 グ と い
の下で暮らしていた。昨年行った昭和村の中に展示されていた住宅の中
諸機能を家から分離してしまおうどいう運動なんだ。学生諸君には信じ
f どは別の組織なんですか?
う の は 前 々 回 の 時 に 出 た か 分 離 派 建 築A
談笑したりしていたんた。食事も、居間ど一つづきの食堂どいうコーナ
食事の後なんか親も子も一緒に伝ってテレビを見たりお菓子を食べたり
という部屋があったのを覚えていると思うが、あの空間で、
当時の言い方によると大正の九年になるが、帝国大学の建築学科を卒業
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したての堀口捨巴、山田守、石本喜久治などがか分離派建築会。を結成
ー で し 、 調 理 も 同 じ く 一 つ づ き の 一 画 て し て い て 、 そ れ を 当 時 は MLD
にか居間
し、建築の本質は美にあることを言い、具体的にはドイツやオランダの
KG な ん て 呼 ん で い た と い う こ ど が 近 頃 明 ら か に な っ て い る 。 一 つ づ き
教 授 一 ア ア そ の こ と か 。 説 明 不 足 だ っ た 。 前 々 回 は 一 九 二 0年代のことで、
表現派のデザインを日本に導入した。分離派という名は、それまでのや
椅子式つまりソファー式ドかいいかそれとも日本や中近東や本来の東南ア
ジアのように畳やジュータンに座るのいかいいかが争われた。当、初は欧
の空間で調理ど食事と家族の憩いが営まれていたんだ。
われた。靴を脱いて畳の上に座ったりゴロっとすると疲れがとれるし、
学 生 一 フl ン 。 ど い う こ と は 縄 文 時 代 の 受 穴 式 住 居 と 同 じ た っ た ん で す か ?
た後、家族内の民主化が叫はれ、それまての客間を重視し台所は日陰も
気分的にも、解放感が増すって言うんたナ。たしかに住みくらべてみる
米・中国路線が復位たったいか、アメリカ人の中に日本式を好む連中いか現
の扱いだった間取りが終わり、家族いか一緒に使、つ食堂ど居間ど台所は同
とその透りなんだ。て、世界的に広まったが、この広がりには石油の中
教授一そういうとミもフタもないが、一九四五年に第二次大戦に日本が敗れ
一空間の中に等しく納まるのか新しい、佐まい方どいうことになったんだ。
近東ど良質な労働力の東南アジアの経済パワーの増大があずかつて大き
かったとすロわれている。
学生一縄文時代みたいなのが新しかったんですか。食堂ど台所ど居間が一一緒
で当時の人は美的にガマン出来たんですかつだっていいム!ドで食事
教授一アッ、君はドイツからの留学生たったネ。心配はご無用。ヨーロッパ
どに伝ると、ヨーロッパの立場はないじ?ないですか。
学 生 ・ 食 堂 は 中 国 風 て 居 間 は B本 式 も し く は 中 近 東 、 東 南 ア ジ ア 風 と い う こ
教授一そうなんた。ニO 世紀の人のやってることはどうも理解しづらい。二
のモダニズムの華ともいうべきハウハウスにはじまるインターナショナ
てしょ。落ちつかないし、汚いでしょ。
してる時、台所のガスム口や水道やナベカマなんかいか見えちゃってるわけ
という、主張があって、これを機
O世紀の建築理論にか機能ど美の一致
ル様式は、さっき述べたように台所ど便所ど風呂ど洗面所に生かされて
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能美主義の美学なんてす口ってた。言葉透りにどると台所には台所にふさ
学生一フランスのロココ夙の居間の快適さや、イギリスのピクチュアレスク
いる。モダンデザインの美学は便所で立派に役立ったんだ。
それそれの美はちがうから一緒の空間に収めるなんてことにはならない
美学の自然趣味や、イタリアバロックの彫塑性は二一世紀には役に立た
わしい美があり、食堂にはそれの美いかあり、居間には居間の美いかあって、
はず伝のに、実際にはそうじ?なくて、機能主義の美学に従うとどの用
伝かったんてすか。
が区分され、それそれにふさわしい美しさ、たとえば台所はレストラン
張が起こって、台所は台所、食堂は食堂、居間は居間というように部屋
教謹一ソウソウ。機能のちがうものを一緒くたにするのはおかしいという主
学生一知ってマス。か新機能主義の美学。っていうんでしょう。
ったことたかネ。イギリスの自然を重視する美学なんてのも、日本の庭
なってから、日本人や中国人による西洋建築史研究いか進んだ結果、分か
ア全体が中国の影響を受けていたんだ。もっともこの事実は二一世紀に
ると、中国の染付の金いか必ず飾ってあるが、受たけじゃなくてインテリ
の影響で成立したものなんだヨ。ヨーロッパの王宮のロココの部屋に入
その通り、役には立たなかった。ロココ風伝んてのは中国のインテリア
教授一アッ、君はラテン文化習の、たしかバリあたりからの留学生たったナ。
途、機能の空間も向じ美学で統一し、一つのま問に収めて構わなかった。
ずいぶん乱暴なことをやってた。ところが、今から百年前の平成という
の一尉一房のように機能むき出しの美学てデザインされ、食堂は中国の清戦
や茶室にくら=へたら、マア純度は低い。バロックの彫塑性なんてのも、
時代の初め頃から新しい変化いか起った。
風に飾られた。食堂を中国趣味にするかフランスのロココ風にするかが
学生・先生のお話を間いてると、それそれの文化国や国に固有な住まいの伝
東南アジアのヒンズー教の美学にくら、へたらメじゃ伝いだろう。
華料理の方が奥行が深いことが明らかになり、中国風が二一世紀の食堂
統か住宅金体を支配するこどは一二世紀になると消えてしまうというこ
中華料理派とフランス料理派で争われたか、ちゃんと食べ︿らべると中
のべ i ス に な っ た 。 居 間 は ど う な っ た か と い う と 、 欧 米 や 中 国 の よ う な
とになるんですが、それは本当ですかっ
教授一君も伝統のカの強いヨーロッパからの留学生一だネ。その通り、
紀には、住宅は全体どしては国籍から分離する。部屋ごとに機能に応じ
紀 の イ ン タi ナ シ ョ ナ ル は ど う 関 係 し て い る ん で す か 。 克 た 自 に は と て
もちがって見えるんですが。
教授一良い質問です。(せき払い)お答えしましょう。ニO 世 紀 の は 、 各 国 各
地域の伝統的なスタイルや風土的な材料を拒み、鉄どカラスどコンクリ
ートによって無国籍な造形を生んだけれども、二一世紀のは世界各国各
て一番ふさわしいスタイルを、さっきも述べたように採用するが、それ
地の作り方を冷静に住みくらべて、その中から部屋の用途に応じ、俗人
の好みに応じ、選んでいる。決っして自国の伝統にアプリオリに優位性
だってそうとうデフォルメされてのことだ。日本をはじめアジアの学生
ているんだ。ところが君たちヨーロッパの人たちは、自分たちの伝統が
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rミやどこ/'7"B:巧み
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'、将来!手間界め寝室用
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勺イ/しめどち内カ、だろ勺。
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どかマアいろいろある。しかしどれも本来のスタイル
子供たちは生まれ育ったんた。それが当たり前て育ったんだから、自分
の家の隣りにはグ数寄屋の味わい。が建っているような中で二一世紀の
教授一もちろん批判する人も少なく訟かった。しかしネ、かスパニッシュ風
テクトは平気だったんですか。
学生一そんなオモチャ箱を引っくり返したようなこどして、良心あるアーキ
で組み合わせていたんだネ。
行してよく知っていたし、そういう知識を体験の中から、好みのを選ん
びどは、世界中の住宅の情報を集めるのに熱心だったし、世界各地に旅
ど は ち が っ て 勝 手 に 自 分 に 都 合 い い よ う に 変 え て い る 。 当 時 の B本 の 人
チl プ シ ッ ク に
風 。 ど か か ヨi ロ ッ パ の 風 格 。 ど か グ 数 寄 屋 の 味 わ い 。 ど か か モ ダ ン で
ん だ が 、 そ れ に よ る と 、 か アi リi ・ ア メ リ カ ン 風 。 ど か か ス パ ニ ッ シ ュ
込みチラシや新聞の広告のぺ│ジを史料どして研究者たちは調べている
ったのかもしれない。当時の住宅の実態については、当時の新聞の折り
しかしたら、誰がリードするともなく国民の問で自然に無国籍化が始ま
っているんだが、特定の建築家ということになるとはっきりしない。も
O世紀末にそういう傾向が顕著に怠っていたことまでは学界の常識にな
教授一それがどうもはっきりし伝くて、歴史家も困っているんた。日本のニ
学生一そういうやり方は、何どいう建築家が主張してリードしたんてすか
ショナル性があるんだ。
を与えず世界のレパートリーの中から遂んているところに、インターナ
A ロココめ台戸庁!きこめとあ、 e
)明 3
宅 が 函 籍 を 持 っ て い た の は ニO 世 紀 ま で で す 。 - 二 世 紀 に 入 る ど 、 国 籍
にしばられて、ニ一世紀の世界の住まい方には遅れてしまったんた。住
世界で一番正統的だという大航海時代に始まりニO 世 紀 に い た る 考 え 方
はそんなこど当たり前で、みんなそういう、住空間の中で生まれ育って来
世
く清潔で訊 3。 将 来 σ
¥t空界的台所
d)美学 1
3=,ロココとパウハウスス
不明というかインターナショナルが世界の主流になります。
学 生 一 一 九 二0 年 代 に 始 ま る パ ウ ハ ウ ス 流 の イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ど 、
ヨ{口、ヮパめ伝統様式マ、2
1世紀に
通罵守 3め段、ロココだけかもしれ芯 ν
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伝 っ た ん た 。 な に せ 一 二 世 紀 は ア ジ ア い か 世 界 の 経 済 を リi ド し た ん だ か
やがて世界に、とりわけまずアジアに広まり、二一世紀の世界の、三流に
いうやり方が一二世紀に入ってどんどん洗練され一つの美にまて到達し、
取り込むのは当然伝結来たろう。当時は批判も多かったが、結局、そう
たちが家をつくる段になって、一軒の家の中にそうしたいろんな要素を
まう。セックスも夫婦がしたい時にホテルで会ってする。恋人時代みた
トランの充実した台所を借りて認理し、友だちゃ子供や夫を呼んてふる
電話で連絡して外のレストランでするし、調理したい時は調理専用レス
父ど母ど子供はバラバラのところに住んでいて、一緒に食事したい時は
があるんだが、子供も親と一絡むのは大学に入るまでで、それ以後は、
族制←ニ O 世 紀 の 核 家 族 制 ← 二 一 世 紀 の 分 離 家 族 制 、 と い う 大 き な 変 化
教授一君は田舎の出身たろう。東京では分離派を支持する層が着実に増えて
学生一でもそういう家族は、私のまわりには見ないんてすか。
いでとても新鮮だという話だ。
ら、ヨーロッパの保守派が何をすロってもしかたないヨ。
学生一ということは、ニO世紀末の日本のあのハチャメチャな住宅のっくり
方は、ニ一世紀の先駆的現象たったという評価になるんてすか。
教授一マア一応それが現在の学会の定説ということだがネ。ジャ、今日はこ
い る ん だ 。 現 在 、 世 界 の 住 宅 史 研 究 の テl マ の 一 つ は 、 こ う し た 分 離 派
的な動きがいつどこで始まったかで、ニO世紀末の日本にあると言う学
こまて。
学生一一アラ、先生、最初に出た分離派のことは:
るためさっき触れた新聞の折り込みとか当時の住宅を研究組織が出して
者もいるし、いやアメリカの方が早いという研究者もいる。決着を付け
食堂どか台所どか居間どかは、一軒の家に必要無いっていう過激伝主張
いたレポートとかを皆で調べているところだが、山ほとあってたいへん
教授一言い忘れるどこだった。簡単に説明しておこう。一二世紀に入ると、
をする若い途中が現われるんた。各機能をバラバラに分離して都市の中
(ふじもり・てるのぶ)
なんだ。
神戸大学工学部建設学科助教授
重村力
に散らしてしまえって彼らは言い張った。この背景には、前近代の大家
住
特集鳳躍すまい未来からのレビュー
O年よら見た今日の
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村落@下問・コーポラティブハウス・戸建て住宅地
は継承されている
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ーよまちと主体の欠落した供給政策
な統制政策まで、話はさかのぼります。この時代には、民間の自由な住宅建
設が統制され、国家社会主義的な強制的な住宅﹁供給﹂政策がとられました。
議な時代だったと思います。
ましたが、あくまで公的な供給、標準的で効率のよい供給という観点が強く、
え、応急復興するという命題から、とにかく住宅及び住宅地を供給するため
さらに戦後になりますと、市街地の六五%の破壊焼失に伴う住宅不足をふま
この時代には、年間に一 O O万一戸を優に超、える住居が建てられ、時には一一
0 0万 戸 に 近 い 住 居 が 建 て ら れ ま し た が 、 記 鉢 を み る と い っ こ う に こ の 時 代
倒々の住民主体のちがいや、その開発区画の特性や場所性、連続する環境と
二O世 紀 後 半 の 集 住 を 、 い ま の 時 点 か ら レ ビ ュ ー し て み ま す と 、 実 に 不 思
を代表する集住が残っていません。次々に建てられては壊され、まったくス
の関係、地域の個性等はおろそかにされ、﹁計画﹂は配置の合理性や、供給対
ここで私が集住というのは、集合住宅からなる町並みや環境、一戸建ての住
が重視されたのです。たしかに応急的に行なわなければならない事情があっ
象である﹁標準的な家族﹂に与えられた而積を合理的に区画するということ
のさまざまな政策がとられました。ここでは、﹁計画﹂という考え方が発達し
トックになっていかなかったからです。
宅地、村落を対象にしています。こうした集住というものは、たしかに建設
たのですが、﹁都市の単位﹂として住宅の典型をつくってゆく、市街地を形成
ここで、間住者や家族が先に集まって、ルールをつくりながら、住宅地を
する集住の単位として住民のモデルを考えるという意味での﹁計画﹂は﹁供
相互に隣り合う人ぴとと、環境とのつきあい方について約束事を形成し、住
つくることに対して、公共が資金提供を行なうという仕組みが、もっと積極
されるということにおいては、専門の建設業者や、供給主体が関与すること
み子が変わってもこの約束事が、受け継がれ、発展していくものです。これ
的につくられていたら、街の風景は変わっていたかも知れません。人びとも
はたしかですが、あくまでもその後は住み子が、環境に予を入れながら住み
が﹁集住の文化﹂というものだと思います。もう少し具体的に山中しますと、
時代の変化やニ l ズ に 対 応 し な が ら 、 住 宅 地 の 骨 格 を い っ そ う 豊 か に し て い
給政策﹂の視点から欠落していました。
いろいろな場合ごとに人の家を訪ねていくときの作法や、子供の遊ばせ方、
ったかも知れません。二O世 紀 の 前 半 に 協 同 組 合 の 思 想 が つ く ら れ た 時 の 小
こなしていくものです。さまざまな生活の型をもった家族がいるものですが、
隣近所の協力の形やっきあい、家のまわりの庭づくりやちょっとした手入れ
﹁住宅を供給する﹂という考えには、たとえば、自発的な改造を制限して
さな、密度の濃い﹁協同﹂の考え方のもとは、日本人の心の基底に町内や村
いましたし、さまざまな公共空間の利用や改造を制限していました。このこ
や措除、さまざまなハレの場合の家のメイク・アップ、増築や改築の作法な
この頃の集住の特徴としては、建設された時点を完成とみなし、内部空間に
落として根深くあり、これをこそ近代的に発達させるべきだったのです。
おける変更は意識されていても、時間と共に住環境を﹁成熟﹂させるという
とは、人びとが住まいのまわりに発揮していた、さまざまな創造性や自発性
どなどです。これらが熟成する余地がプログラムされていなかったのです。
観点や、時間を越、えて環境を﹁継承﹂していくという観点が欠けていました。
Zロ巳守)の発達を妨げました。公共的な集合住宅を設計する建築家達も、
ロ
(印℃O
さまざまな官僚主義的な制約にがんじがらめとなったこの﹁供給﹂にまつわ
別の言葉でいいますと、住宅を﹁供給﹂するという即物的な観点が勝って
いて、もっと人くさい﹁居住環境を形成する﹂﹁地域社会を生成する﹂という
るプログラムを変更するアイディアを出すよりは、もっぱら外見の工夫にの
また人びとが自分の家を建てる、あるいは借家やアパートを建てるという
み、その創造力を自主規制してしまったのです。
居住者主体や自然環境や時間にかかわる概念がおろそかにされていました。
この寸供給﹂という考え方が勝っていたことについては、いくつかの理由が
あ り ま す 。 一 つ に は 、 二O世 紀 の 前 半 に 起 き た 戦 争 の 渦 中 に と ら れ た 国 家 的
いと損などのように実に変化したために、必ずしも人ぴとは﹁終の柄﹂とし
つ い ↑ 9みか
ことに対して、融資とか宅地供給とかの対応はありましたが、ここでも集住
て住宅を考えないようになりました。
このような投機の就いた品川氏には、 慢 性 的 な 住 宅 の 不 足 が あ リ ま す 。
つ μ住 宅 の 質 と は 何 か
これでは﹁集住の文化﹂など行ちょうがありません。
の単位と拠点をつくるという観点が欠落していました。たとえば、都市計一間
における地域・地区制などの規制や区同務理、道路や八ム闘などの事業と、住
宅による都市づくりのイメージは、全く接合していませんでした。その上、
税に関わる財産法と、所持の何分配に関わる属人的な制制法体系や、ハ林地・
生態・環境水準に関わる環境法の体系が、八五くリンクしていなかったため、
美しい住宅地が一時的には現われても、しばらくすると、環境が崩壊してい
とによって、築き上げられてきた近隣景観の作法か交わってしまう。住民構
なって、住み子が土地を手放してしまう。ちがう川途の筏築物が混入するこ
川することは、 実に符い切になされていました。 また、 住 肘 を 建 て る べ き 地 域
も知れません。 ですが、 中己初は住民として往設されても、 非 住 民 の 別 途 に 転
山にさんんかが発生していたというのに、 地 性 的 不 足 と い う の は 不 思 議 だ と 思 う か
一九七0 年代に住宅一ド紋が叶一信数を上洲り、 九0 年 代 に は 大 抵 の
成が変化していくために、職業的な基蝶や社会的な基盤を失って住みつづけ
あるいは住民の山める氷雨柏の訓人口は、 部 山 計 同 で 絞 し く 規 定 さ れ て い ま せ
くことになりました。土地の山川騰によって柱出や環境の水準を維持できなく
られなくなってしまう。これらの理由によって、住み千がいやいや移り住む
また住戸数が多いといっても、 も っ と も 人 の 移 動 ・ 住 民 の 取 引 き の 多 い 大
んでした。 その結果、 住 民 の 川 途 と 業 務 の 削 途 が 競 介 す る こ と が 多 く 、
ン ド ・ ビ ル ド で す 。 ス ト ッ ク が 形 成 さ れ な い こO 併 記 の 口 本 の 住 宅 事 情 の 代
都市においては、 劣悪・狭小な住一戸や隙脱化した住山、 不 滅 切 な す 地も多く、
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表事例でありますが、日本の経済構造の小にこのプロセスが組みこまれてし
端的に一三えば人びとがその入の生活にふさわしい住居を、 通 切 な 場 所 に 適 切
件は存在しないか、 法 外 な 価 格 で し か 得 ら れ な い と い う 状 況 、
つまり
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な広さで、 適 切 な 空 間 と 相 隣 環 境 を も っ 形 で 得 ょ う と す る と 、 そ の よ う な 物
実していく条件が終っていなくてはなりません。民間の住宅建設は、宅地や、
良好な都市型集合住宅の集まる現想形を民間決給業者に提
たしかに、 よ く な い プ ラ ン の 住 民 は 売 れ な い と い う 状 況 は あ り ま し た 。 し
いつまでも続いたのです。
千市場﹂が、
ればなりません。このような民間住宅市場が健全に機能し、これを育てるよ
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ぷする建築家は、 細川能呼ばわりをされ、 わ ず か に 附 山 を 知 ら な い 詩 人 や 、
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うに、公共の政策誘導や、公共の住宅供給、公共的補助などが仕置づけられ
抗日家のクライアントに出会うまで、 その設計瑚念を形で示す、}とはできない
のが実情でした。 多 く の 建 築 家 は 集 介 住 宅 に 関 し て は 、 本質的解決を避け、
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ボ ッ ク ス メ ー カ ー や デ コ レ │ タi に徹していました。 倫 明 観 と 四 恕 を も っ た
潟市計同行政・建築/行政を超えて、
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上一千り介。
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常に即物的﹁供給﹂として、融資政策や地価政策と連動して政策的にコント
そ の 政 策 変 動 は 実 に 許 し い も の が あ り 、 ある年には買わないと川、
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都市計同プランナーや、 行政山永遠も、 さまざまな苦闘を続けました。 ですが
し か し な が ら 、 二O 此 紀 後 半 の 民 間 住 宅 住 設 は 、 マ ク ロ な 経 済 政 策 の 小 で 、
るべきであることは、誰もがわかっていたはずです。
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社会の計同プログラムの上に適切に建設されていく仕組みが築かれていなけ
分譲住宅や、借家(アパート)等が、公共的インフラストラクチャーと地域
本来であれば、住宅というものは、それを住民とする住み千が主体的に充
まったことも、またもう一つの大きな問題です。
ということが大きな要国になって、都市の住宅地はつくられては、熟成の過
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什江川仙の別途が長けることになりました。
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程で崩壊することを繰り返してきたのです。これがいわゆるスクラップ・ア
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政策に及ぶと、 問 題 の 解 決 は 一 筋 縄 で は い か な く な り ま し た 。 都 市 の 地 域 社
ニO 此 紀 も も う 終 わ ろ う と す る ギ リ ギ リ の 頃 で し た 。
会計一間とアーバンデザインの結びついた問題として、 ど う に か 解 決 ら し い 方
向が見えてきたのは、
っd 都市の単位としての集合住宅
都 市 に ま で 及 ん で い っ た こ と を 考 え ま す と 、 このことは悔やまれます。
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っと平く建てはじめられていればと、 後悔されるのです。 現在
住 宅 市 街 地 の 集 合 住 宅 需 要 者 に は 、 三部類の人ぴとがいます。
一つは、 その地区で小事業を常み、 街 路 に 接 し て 応 や ワl ク ス ペ ー ス を 出
きながら住まう人ぴと。 彼 等 は か つ て の 防 備 併 川 役 宅 民 性 お の 役 割 を 演 じ て
マチ社会運常の主体的知い干になり
ます。 彼 ら は ま た ス ト リ ー ト ウ ォ ッ チ ャ ー と し て 、
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。 川穴も夜もそのマチにいながら、
会問題が、この集住に関わる問題として指摘されていました。環境と共生し
担 保 し て い る 人 び と で も あ り ま す 。 住宅地における向菜の役訓は、 大 き く 変
既 に 九0 年 代 の 初 め に は 、 出 生 率 の 大 幅 な 低 ド や 都 市 犯 罪 の 急 増 と い う 社
ようとする市民運動、﹁地域おこし﹂や地底を活性化しようとする﹁まちづく
わりましたが、 住宅地における小事業担問の一需要というものは、
マチの安全を結果として
り運動﹂が起こりつつありました。ですが、欧米やアジア近的諸制と大きく
と共に発生し、 巾山守肝住宅ぽ住者の内部からも発生するものです。 これら住ん℃
ことは、 定住の促進や、 長心一一付社会における一向齢おの役制、 凶住、五体の複合性
マチの成熟
の論府一での価似観を他と共有して議論することが大変乏しかったことです。
異なる所は、日本ではさまざまな専門家述がそれぞれ独自のムラを持ち、そ
地の環境と矛慌しない、 非 日 出 住 別 途 の 小 事 業 を 住 宅 地 の 小 に プ ロ グ ラ ム す る
の昨保、子供の教育のい向から兄ても、 お然の、}とだと忠います。
特に建築家を自覚する人びとの、住宅問題や地域社会への無明解には符しい
も の が あ り ま し た 。 六0 年 代 に は 郡 山 改 造 の イ メi ジ を 先 行 的 に 提 示 し て い
り前の問題をあまり取り上げなくなり、後発のミニ・メディアや、子づくり
これらの人びとは、
比 較 的 に 主 内 空 間 の 性 能 を お く 保 ち な が ら 、 在宅時間の奴い府間がいます。
または準綾地の間欣皮のおい、 自 然 と の 関 わ り を 強 く も と う と す る 前 凶 と 、
すこに、比較的定住性のいけ川い咋間住宅問住者がいます。 彼 等 の 小 に は 抜 地
の運動や、先進的な自治体などが、集住の内構築のプログラムにチャレンジ
小 家 抜 ・ 単 身 で 比 較 的 年 齢 附 貯 が 低 い 人 ぴ と で す 。 止とちがって、 社 会 の 構
た連築家の論明は、いわば、このような誰もが考えなくてはならない、あた
することになりました。
成 は 随 分 と 交 わ っ て き ま し た 。 訂 作 T述 は 成 人 と 共 に'
H一分述の拠点をボめます。
、 このネットワーク民住は、
ベ 共同日住(山一戸包括三5525など
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一時期より減少しましたが、 この ﹁近日出﹂
相机の老化や単身化等に伴い近絞間性をとる傾向が強まっています。
す三に、 これらの肘に加えて、 比較的流動性のい HMい民住者がト仔在します。
マチの間住名の山中心的構成川口を形成しています。
O枇紀後半のうちに、日本型の市街地型集合住宅の版取が形成されなか
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ったことは火変残念です。町屋や、トぃ立の長一回など、それなりに街区の情泣
てもっていました。ですが、この形態の境代化販をつくることはできません
わゆる三叶一代此系阿川山家族は、
いうネットワークが発達してきました。
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内包して的対させ
街路山川上小肘集合住宅の引が地域ト切に発反してきました。 所有形態や町一竹内述内川
これらの三つの同とさまざまなネットワーキングを
のさまざまな形をとって発注しています。
結とは限らない、
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と合致し、自然環境と共作できる築住形態を、私達は伝統形態の発民形とし
でした。あるいは機を逸したのです。そのため、ペンシルビルから、せんぺ
いピルへ、さらには面開発の業務ビルや、ん九 積
H めいっぱいのかマンション
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や、閉鎖的闘い込み烈のかマンション。に、これらの地区が変貌することを
許してしまいました。
自動車問題、路線化方式の上地評側など、その川町一山はいくつもあります。
し か し 、 こO 政 紀 塑 マ ン シ ョ ン が 、 大 都 市 の 郊 外 か ら 、 一 部 の 小 規 模 な 地 方
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形 態 は さ ま ざ ま で す 。 ニO 世 紀 の よ う に 外 か ら 見 て 、 公 営 賃 貸 ・ 公 共 分 譲 ・
の有機的な姿を見ることができます。
国人や若年層の住居を合み、彼らも原動力となって中層商住市街地としてそ
て替わったものもありますが、社会的紐帯が維持され、居住環境組合として
郊外型、一戸建てとさまざまな形態があります。一部にはその物理的形態が建
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コ iポ ラ テ ィ ブ ハ ウ ス ヘ こ の 形 態 は さ ま ざ ま で 、 都 心 型 マ ン シ ョ ン か ら
民 間 賃 貸 ・ 民 間 分 譲 等 の 見 分 け が つ き ま せ ん 。 そ れ ば か り か 二O世 紀 に は 充
分発達しなかった社会住宅の仕組みが発達しているので、この所有区分さえ
も徐々に変化していきます。
今日も残っています。この方式は、一戸建て開発や、賃貸方式の社会住宅にも
二O世 紀 の 住 宅 と 大 き く 異 な る の は 、 も う 誰 も あ の 閉 鎖 的 な 結 を 好 ま な い
こと。高層はオープン・スペース沿いや、都心の複合住居、リゾート等を除
適用されて、ごくあたり前の子法として尊重されています。
と異なるのは、むやみな高容積化が行なわれず、最小限の改編(建築も外部
周聞のマチと共に再整備する芳三次の建て脅えが進行中です。ただし、前回
や公共用地面積比の高い﹁団地﹂は、かつての閉鎖・完結型の構造を改め、
公共住宅は高容積、高層のものは民間と同じ道筋をたどっています。は林被率
マンションやアパートは、中層の街路型社会住宅へと姿を変えつつあります。
こ う し た も の が こO 世 紀 の 集 住 と の 連 続 性 を 保 っ て い ま す 。 い わ ゆ る 民 間
するものへと変わってきました。
見は、かつての格式ばったものから、もっとハッピ!なものへ、自然を享受
地方都市の﹁戸建て住宅地﹂はまだまだ残ってゆくでしょう。ただしその外
﹁戸建て住宅地﹂、都市の中心部に近いものは次第に中層化してきました。
いて、殆んど好まれないこと。
そして、中層住宅というものを居住主体が自ら子を入れながら住んでいる
ことです。住居と植物との美しい共生関係が立体化されて再現しています。
なぜ、これがもっと早く建ちはじめていたらと悔やんでいるかといいます
と 、 ち ょ う ど 今 、 二O 世 紀 末 型 の ラ ス タl タ イ ル を 貼 っ た 閉 鎖 的 な 中 庭 型 巨
大マンションを壊すのに都市じゅうが苦労しているからです。その産業廃棄
物の処理が今、大問題になっているからです。
ィ生ニ OニO年 の 集 住 形 態
二O 世 紀 か ら の 集 住 で 、 二O 二O年 現 在 も 継 承 し 、 今 後 も 残 り そ う な も の
への包含によって、一 O 万 弱 に 減 少 し て い ま す が 、 田 園 居 住 形 態 と し て 、 新
﹁村落﹂、これは、かつて一四万程あったものが、奥地からの撤退等や都市
仕組みをつくると、地域社会が醸成され、成熟するのかということが、いつ
みが重視されています。環境はむやみに大改編されません。どういう空間の
会的ネットワークを重視し、住みつづけたいものが、住みつづけられる仕組
ニO 二O 年 に お い て も ま だ ま だ 、 多 く の 問 題 を 抱 え て い ま す 。 し か し 、 社
も)として進行していることです。
し い 郊 外 居 住 形 態(
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B
E
σ員
も意識されています。重要なことは、環境を改編する時に、その読みとりが
を列挙しておきます。
域の分散、情報網の発達、労働時間の短縮が、この自然とふれあい、基礎的
含されていた過密商住混合地区も合め、﹁まちづくり運動﹂と自治体との提携
﹁下町﹂、これは必ずしも伝統的な下町に限らず、いわゆる山の子の中に包
ます。人ぴとの小さな自力建設による自己表現・自己表出のウオッチングが
いることです。居住と集住の目的は生活の歓ぴの一部であると考えられてい
住民も参加して撤底的に行なわれ、方向が共有されるプログラムがとられて
zaの核となり再生しています。交通の発達、地
社会集団をもっ集住形態の人気を高めています。
がうまくいったものは、見事に再生しています。これらの地区はインフラ整
一二世紀の路上観察学会の裾野を広げています。
しげむら・つとむ
備 に と り 残 さ れ た た め に 、 ニO世 紀 末 の 大 規 模 破 壊 の 手 か ら 免 れ ま し た 。 外
特集@すまい!未来からのレビュー
集合住宅は文化の器となるか
大野秀敏
このように、将来のことを予測するのは私には手に余るので、そのかわり
どとは簡単には言えなくなる。
その執筆者として適任かどうかということになると、はなはだ心許ない。ま
に、集合住宅の将来のありかたを考えるときに何を考、えなければならないか
私 は 、 編 集 委 員 よ り ﹁ 集 合 住 宅 の 原 型 創 造 ﹂ と い う テl マをいただいたが、
し て や 、 未 来 か ら 見 て 現 在 を レ ビ ュ iす る と い う こ と に な る と 、 ま す ま す 見
て易しい問題ではないのだが、ともかく、それを列挙してみよう。①選択的
ということについて、最近考えていることを述べてみよう。これも私にとっ
コミュニティイメージに対応した集合住宅のありかた。②定住できる集合住
当がつかない。私は建築家としても研究者としても集合住宅に興味を抱いて
恥ずかしくてとても集合住宅の専門家とは言えない。そのうえ現代は日本の
宅のありかた。③都市を構成する要素としての集合住宅のありかた。④集合
い る し 、 集 合 住 宅 を テl マとした研究劫成の企画審査までしているのだが、
集合住宅にとって大きい曲がり角であろう。例えば、これまで日本の一貫し
住宅は文化の器となるか。
都市型の集合住宅の開発と定着が必須であるという認識が高まっている。更
いスブロ l ルといった都市構造の歪みや不経済・非効率の解消のためには、
もまだまだ高い地価とか都心の空洞化、あるいは郊外の低層による際限のな
つそれが計附設計の目標であると信じているように見、える。だからなるべく
く暮らすべきであり、建築の一計一間設計次第でそれを助長することができ、か
も附に落ちないところがある。多くの役築関係者は、凶地の人たちは皆仲込
集合住宅に関する建築関係者のおおかたのイメージを見ていると、どうに
漂泊する住空間
に、集合住宅で生まれて育ち、一戸建て住宅での生活経験のない人たちが成人
塀を作らないとか、立ち話のできるコーナーやベンチの置かれた広場や住人
-Ei--
-選択的コミュニティイメージに対応した集合住宅のありかた
た集合住宅のシェアの増加の背景には、首都関や地方中核都市への人口集中
という全国的な規模での人口の大移動が続いたことが関係しているのだが、
この集中傾向が鈍化してきている。また、人口の自然増も頭打ちで老人社会
がすぐやってくる。こういったことを考えると、集合住宅は必ずしもこれま
しはじめ、集合住宅を特殊な住宅形式と考えない人たちが無視できない量に
どうしが出会える階段室や廊下などを計十附することになり、計十慨した広場が
でのように増え続けないかもしれない。しかし片方では、下がったといって
なりつつあるという側面も考、えあわせると、集合住宅の増加傾向が止まるな
設蹄りやバザーの会場に使われたりすると狂喜する。建築関係者は皆、地域
めざしてのお速移動子段の大衆化と通信手段の幣典的発展、 それらがもたら
諸凶での女性の役割と意識の変化、 あ る い は 空 間 的 時 間 的 拘 束 か ら の 自 由 を
であるとも言える。 あらゆる志昧での加入の平等、
O 附一紀後半の先進
一
活動に熱心なのだろうか。それとも設計者自身に同地はそもそも非人間的で
す現象である。
ー
し
い L h、十 、 白山と一平等を目指して都市空間のなかを漂、泊しており、
*
ー
の上野千鶴子氏もそれを難じていた。上野氏によれば、同内のいろいろな住
あるという信念があり、それに対する賄罪意識からなのだろうか。社会学者
宅団地の調査から、現代社会では地縁的なコミュニティの役割はどんどん低
生活や立識は空間にあまり拘束されなくなってきている。 しかし同時に、
我々の
下しており、かつての全体的包括的地縁的コミュニティから部分的選択的非
ぴとは空間のなかに暮らさざるを得ないということも事実なのだから、
日
ノ rTrjfMJF
地縁的コミュニティへ移行している。それは、車などのパーソナルな高速移
ω
に体。で見る影もない。そのかわり郊外の日開地帯を貫通する環状椋沿道にフ
よ う に 町 屋 が 駐 車 場 や ア パ i トに変わっており、両信街としてはほとんどか死
ら市の人口はたいして増えていないのだが、最近訪れてみると、歯が抜けた
古い街道の沿道には町屋型の商家や専用住宅が粁を連ねていた。そのころか
都 市 の こ と で あ る 。 昭 和 三0年 代 に 私 が 小 学 校 へ の 通 学 路 と し て 毎 日 通 っ た
うすれば戸建て住宅並みに、水住の相場所と口凡なされるようになるか、という課
のまま、これまで仮の住み処として次長ロの住民でしかなかった集合住宅がど
の希求とは逆に、﹁定住﹂というテl マ が 現 わ れ て く る 。 そ し て こ の 諜 題 は そ
め高度成長一本槍から一歩身を引き生活の買を問い始めるとき、前一頃の自由
冒頭にも触れたように、戦後ずっと続いた同内民政移動が少し落ち者き始
で特徴づけられる都市空間は弱体化している。この傾向は都市空間の非空間
いる。建築でもつきあいでも空間的近接性のもつ重要性は減じ、空間的高広川
この二つの現象には共通したものがあり、日本の都市の大きな流れを示して
段である。その結果この団地には強い性格が与えられ、設計者はそれを﹁イ
として成功している。そもそもユニ i ク な 設 計 体 制 も 街 並 み を 作 る た め の 子
徴的な設計体制でも話題をよんだが、やはり﹁街並み形成﹂をめざした団地
整 備 公 団 の 団 地 で あ る 。 こ の 団 地 は 、 マ ス タ ー アi キ テ ク ト 制 の 採 用 な ど 特
多摩一一ュ l タ ウ ン の 大 沢 地 区 に 計 同 ・ 建 設 さ れ た ベ ル コ リl ヌは住宅都市
化として捉えられるが、この傾向は私の郷里の都市に限ったことではなく、
タリア山岳都市のイメージ﹂と諮っている。
このような都市の非空間化はある意味で、人ぴとが 目
r 前と平等を理念とし
までとは迷う動きが山山てきているようである。﹁街並み﹂を気に入っているあ
に受け止められているかの調査がなされ、その結果を開く機会があった。今
さて、今回公団によってこの団地の開発・設計の日標が入居者にどのよう
て掲げて今日まで進んできたモダニズムの流れの先に確実に羽われる都市保
われ、此界中で進行しているひとつの傾向である。
また日本の田地の、王婦に眼ったことでもなく、日本の山中小都市に共通して現
車場を伴ってぽつんぽつんと並ぶ、いわゆるバイパス風景が帽をきかせている。
題となって我々に突きつけられる。
つ μ定住できる集合住宅のありかたlii仮顕としての街並み
るいは使えない社会的弱者はどうなるのかという問題も残る。
にはたしてどんな意味が残るのかとい
社会の非空間化を認めた後に
凶コ山川﹂
動手段を手にし、電話を代表とする高述通信子段を子にして、現代のコミュ
うことが問題となってくる。 また、 自動車やファックスを所有できない、
;i
ニティ形成の主役である主婦のつきあう範問は地理的に極めて広い範同のな
かから選ばれることになる。そういう状況のところで団地の人は皆仲良く
式の建築を建てられたら、住民にとってはおせっかいというしかないという
ことだ。
現
ァミリーレストランや量販山やクルマのディーラーやらがいずれも大規模駐
話が都市のことに飛ぶ。私が一八歳まで暮らした地方の県庁所在地である
代 人
あ
り環境の保全)は昔から支配階級(恵まれたもの)の専有物であった。貧民
街の街放みをコントロールしようという話を開いたことがない。街並み景観
問題はすぐれて階級的なのである。ベルコリ!ヌでこの階級性を担っている
1﹂
た
ン
のが﹁イタリア山岳部市のイメージ﹂であることは明らかであるが、住宅内
的で保守的で安定感があり﹁小市民的﹂な﹁仮面としての街並み﹂は相いれ
拡散的で不安定で未米的であり﹁革新的﹂な﹁漂泊する住民空間﹂と求心
街並みは日本の現代のモダンリビングに被せられた仮面なのである。
のインテリアであるということは注目に値する。これは言ってみれば、この
部は決して﹁イタリア山岳郷市﹂ふうではなく、日本の現代のモダンハウス
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沢剛山コ
大正山併
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ヌの住
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リリ集
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ない価値体系のように思える。しかし、実はこの二つは現代の状況の二つの
ベf H
ルイ本
る量の人が確実に存在し、更にこの街並みを維持するために(居住者まちま
く装飾的になってゆき﹁仮面性﹂を許山令するようになる。一方ベルコリi ヌ
現われであり、相補的に鋤いているように私には見えるのだ。前述のように
しようという人が現われているということと結びつけて良かろう。いままで
においてかつてのような求心的な地縁閲係が発生するかと一ず古一
漂泊する住居空間は建築に何も要求しないから、時処築形態そのものは限りな
の集合住宅を誰も永住の場所とは考、えなかった理市にはさまざまな要閣が絡
o 漂泊する住居の住人は何処かに臼﹀らりの住居先空エ間を且停仔泊させたい
いであろ、う1
つ
る。街並みを維持しようという人が現われるということは、この団地に、氷住
んでいて、そう簡単に一つに絞ることはできないと思うが、設計の側だけで
と願願、、うつが、同時に自由も制限されたくないと考える。すると、そこに仮面が
ちの改造等を制限する)連動を始めている人すら出てきているというのであ
言えば、これまでの集合住宅が日照や設備のグレードといった性能や広さや
問題の一つは、﹁漂泊する住居空間﹂が空間の専門家を必要としないように
必要になってくるのである。
るマイホーム﹂といった一般的なイメージが問題にされてきた。いずれも普
﹁仮面としての街並み﹂も建築家よりマ│ケッティングの専門山系を要請する。
価格といった量を問題にし、質的な爵でも﹁住み心地が良い﹂とか﹁心温ま
遍的に過ぎる価値であり、﹁定住﹂の要求に応えるためには不十分であった。
いずれも我々の職能の存在をあ Hか す 。 も う 一 つ は ま さ に こ の 仮 面 性 ゆ え の 弱
都市を構成する要素としての集合住宅のありかた
電
iii立体袋小路の都市
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a
のかという素朴な疑問)。
点である文化的継承性の欠如である(何故、多摩丘陵にイタリア山岳部市な
﹁定住﹂とは特定の場所を選ぶということである以上、どこの場所にも通用
する価値が説得力をもたないのは当然であった。
れ ﹀﹂
ではこの他に何が必要なのか。その一つは警えて言えば名門私立高校の制
服のようなものではないかと思う。つまり普通の高校で制服を強要すれば倒
性無視としか受け取られないのに、名門私立校の制服は逆に羨望の対象にな
るという階級性である。これは明らかに近代社会の臼由と平等という理念に
原広可氏が新梅田シティ/梅田スカイビルの雑誌発表にあたって、超高層
反する(だから公立校は制服自由化に向かう)。バブルの時代がこのモダニズ
ムの理念を弱体化させ、階級性という甘美で分かりゃすい概念を建築と都市
は一つの都市並みのスケi ルを持ちながら、葉直勤線は日以上階で止まりそれ
まと
に 纏 わ せ る こ と に 成 功 し た 。 そ も そ も 町 並 み の デ ザ イ ン コ ン ト ロ ー ル (つま
以上どこにも繋がっていない。つまり
*ワ日
﹁袋小路﹂だというのである。﹁袋小
路﹂とはうまい表現だと思う。集合住
宅も袋小路である。私達が筑波松代ア
パi トで提案した﹁上の道﹂はまさに、
この袋小路を空中で繋ぎ、集合住宅の
廊下や階段を都市の街路のような性格
を与、えるために導入したのである。
もともと集合住宅は、都市に十日間 怖い院
で住むための住居タイプであるはずだ
が、近代の集合住宅は必ずしもそうで
はない。モダニズムには色濃く反都市
主義的な色彩があり、今枇紀初頭のオ
ランダやウィトンでの試みを傍流とし
て建築史の一一日(に閉じ込め、むしろ戸建て住宅の特質を如何に集合住宅のな
かで実現するかにエネルギーが注ぎ込まれた。例、えば﹁アビタ訂﹂では、一
戸一一戸のア千デンティティがきわめて明瞭にされ、大きなテラスが取られて
いる。そのかわり全体の形はまるで柏木を乱雑に柏んだようであり、少なく
つ ま り 供 給 者 側 で は な く 市 民 の 間 で 集 介 住 宅 が 州 Jとして
Aバヨ集合住宅は文化の器となるか
計両者や開発名、
あるいは映一向にいろいろな形で登場することが示しているように、
の叩があるいは舞台になったときである。かつての長時という集合住宅は、小
定汗するとしたら、 そ れ は あ る 集 合 住 宅 の 形 式 が サ ブ カ ル チ ュ ア ( 下 位 文 化 )
説ょやザ治江川、
そ の 性 問 形 式 を 舞 台 に 確 実 に サ ブ カ ル チ ュ ア が 形 成 さ れ て い た 。 その時長一回
は市民のあいだで川上として志士一付していたと九二けってよいであろう。
ベルコリi ヌは附級性を衣到していると述べたが、 で は こ れ は ど の よ う な
性松山の階級性であり、 どのような文化の川俗であるのか。 階 級 は 社 会 的 支 配 力
の主によって引われるが、 過去の附級性が経済だけでなく、 人 や 情 報 そ し て
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出授の差でしかない。 モ ダ ニ ズ ム が 内 山 経 済 と 結 び つ い た 所 で は 山 政 の 俗 芸
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ついては絞絡な制限が加えられる。例
えば、 文 化 の 支 配 は 許 さ れ ず マ ス メ デ
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ーや誰でも同じ振る舞いをする。
ィアを通じて均等に大衆に分け与えら
れ
、
人の支配は契約に置き換えられ、 たと
とも既存の町放みのなかに溶け込む意志は見出せない。これまで集合住宅が
並んで町並みをつくるという視点から集合住宅地計両が議論されることは、
ベルコリーヌが背景としている
引代け本の戸建て住宅と集人口住宅の
文化的成の浅さを示している。
上寸こ、
このことは引代の階級性の気安さと同
きなければ若は出裂の若だけとなる。
に経済力があっても人も文化も支配で
められて住宅空間には及ばない。
えあっても、 ビ ジ ネ ス の 帆 界 に 閉 じ 込
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M住宅の<1'11¥)附に第 2のI
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) を設定する試み。
少なくとも行本では非常に少なかった。一方、集合住宅の内部を兄てみると、
各住戸を繋ぐ廊下や措段は一戸建て住宅地の区画街路に相当するはずなのに、
実際の街路がもっているアクティビティの多様性は無く、経路の選択性も殆
ど無く、部外者が通り抜けられるという公共性を持ちえなかった。まさに袋
小路である。このように近代の集介住宅はどのな味でも﹁都市性﹂を持ちえ
なかったのである。集令住宅が今後、都市の要主として都市のファブリック
に織り込まれていくとすれば、側々の集合住宅が都市性を備えなければなら
ないし、そのためにはいろいろな工夫がなされなければならない。
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香港の市街地
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茨城県営松代アパート
ル総合計州事務所
決定的な差はこの下位文化の差であり、構成している部分のもつ場而の買の
差であると思う。一戸時総て住宅は背後に厚い文化を背負っており集合住宅のそ
れは貧弱であるが、それは膝史の弟一である。集合住宅を舞台にした文化とい
おおの
ひでとし)
えるようなものが誕生したとき、集合住宅ははじめて﹁型﹂として定浩一付した
と言えるのではないだろうか。
一二世紀に我々はどんな所に住んでいるのであろうか。
特集鳳躍すまいl未来からのレピュ i
域との共生!人関居住の多 な形態
ii居住問題の引世紀
︿
註
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*I 上
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郎 μ千 鶴 子 ・ 他 ﹁ ク ワ エ イ テ ィ ブ ミ ズ が 住 ま い を 交 え る ﹂ 往 築 文 化 ⋮ 九 九 二 年 一 Oバ
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日げ、上野T 鶴 子 ・ 山 本 均 一 以 ﹁ 住 宅 そ し て 家 族 と は ﹂ 住 宅 判 集 一 九 九 二 年 ⋮ け
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* 2 以 広 刈 ﹁ 定 小 都 市 へ 述 結 超 ぃ 川以川住築の刷州市論的な味﹂祈処築一九九三年仁川け
* 3 茨城県沢松代アパート第 I別大野五万紋﹁郊市川よ集合住宅﹂締役築一ー九九一年一一一
布野修司
京都大学工学部建築学科助教授
社会のあり方が変化し、生活様式が変化すれば、住民のあり方は変化して
なくなりはしなかった。モ、ダンリビングの理想が説かれ、普及していく一方、
や﹁玄関﹂の追放が声高に叫ばれたけれど、日本の住居から床の間も玄関も
住居というものはつくづく保守的なものだと思う。戦後まもなく、﹁床の間﹂
ステムが大きく変わったのは決定的な変化である。この下肢紀の変化は、日
い。ムハ0 年 代 か ら 七0 年 代 に か け て 住 宅 産 業 が 成 立 す る こ と に よ っ て 生 産 シ
戦後のことだ。空気調和設備や家電製品など住宅の設備のお茂化は近年著し
普及したのは大きな変化である。集合住宅が一般的な住民形式になったのも
住居の保守性
和室の﹁続き間﹂も消、えはしなかった。住宅近代化の指針は、さまざまな形
本の住民の長い牒史の中では版めてドラスティックなものであったといって
いく。ダイニング・キッチンが日本の戦後住宅の象徴としてあっという問に
で、スローガンとして、提言として、モデル住居として提出されてきたので
いいだろう。
く根強く存在してきたように見える。一般に和風住宅や在来木造住宅へのこ
しかし、 それにもかかわらず、 行 本 の 伝 統 的 住 宅 へ の 晴 好 は 大 衆 の 間 に 広
あるが、住居というのは単なるスローガンやモデルによってすぐさま変わる
っても、それが根付いて行くのには相当の時間がかかるものである。
ものではないのだ。指針やモデルが毘史の行く末を的確に予見したものであ
だわりがそれを示している。その構法や材料は急激に変化してきたのだけれ
ど、一方で保持されるものがある。和風の瓦屋根への晴好や畳の問、和室の
伝統がわかりやすい。象徴的なのが椅子座と床座の二重生活の問題である。
の問点を与えられる。ヴァナキュラ!な住民の形態の多様性と地域性、
と差異性のありかたはおよそ以上のようであった。
しかし、それに対して、住居の産業化の趨勢は住民の地域性を消失するこ
るのは、工場生産化によって住民と共体的な土地との結びつきが回開的に切
とを基本的な原理にする。住宅生産の産業化によって住民の地域性が失われ
半世紀の後、あるいは一世紀の後、日本の住居のあり方がどう変わってい
り離されるからである。住居の地域性を支えてきた基本的な仕組みに変わっ
一位紀を経てその問題は未だに解決がついていないのである。
るのか。住居の以上のような保守性を思うと、あまり変わりがないのではな
て、一般的な生産システムが導入されるとすれば、地境を地域として特権的
この半世紀の変化にしても、一方である穣の停滞を指摘できる。つい先頃、
いか、というのが正解のような気がしないでもない。
システム原理となるのである。問題は、したがって、住居の産業化の行く末
に関わる。ここで住居の産業化という時、もちろん、住宅生産の産業化のみ
に区別する明白はなくなるのである。そこでは、産業的な合理性が一元的な
あった。閉山先生は、何を今更﹁食寝分離論﹂か、あれは過去の状況の中の
な ら ず 、 住 民 に 関 わ る サi ピ ス 体 系 の 起 業 化 も 合 ん で い る 。 要 す る に 産 業 社
﹁食寝分離論を超えて﹂と題して、四山矧三先生にインタビュ iす る 機 会 が
理論だよ、と怪⋮訪な様子であったけれど、日本の現在の住居の実態が﹁食寝
会全体を支える原理がここでは問題となるのである。
脱めて素朴な問いを発しよう。世界中の住居が一般的で普遍的な生産シス
分離論﹂の時代とかけ離れているかどうかというと、大いに疑問なのである。
特に大都市閣で毎年供給される住居の住戸面積は以前とそう変わりはない法
テムによって同じように生産される事態が果たして訪れるであろうか。何も
に関わる問題が根底にはある。世界資本主義は果たして世界を覆うことがあ
ら寒い実態がある。 nLDKと い う ワ ン パ タ ー ン の 住 居 が 日 本 中 に 蔓 延 し て
それでは半世紀後もこの実態に変わりはないのであろうか、というといさ
いるのである。
るのか、素朴な問いは、とてつもなく大きな問いにストレートに結びついて
住宅生産に限ることはない。何でもいい。要するに、資本主義の行き着く先
さか考え込まざるを得ない。日本の住居のこうした歴史と現状を念頭に置き
いるのである。
ながら、グロ i パルな視野において、遠い未来を展望してみよう。
興味深いのは、そこに大きなパラドックスがあることだ。資本主義は世界
大のレベルで、安定的かつ自律的な唯一のシステムになることを原理的に閉
のパターンを持っていた。例々の住居の差異はもちろんあるけれど、マクロ
は地域ごとに多様な形態をとってきた。一方、各地域においては住居は二足
近代の産業社会以前において、住民は本来ローカルなものであった。住居
す る た め に は 複 数 の ロ ー カ ル な シ ス テ ム の 存 在 が 前 提 に な る 。 ロ i カルなシ
呉化する運動を駆動力にするのが資本主義である。つまり、資本主義が成立
を駆動力にする利潤追求システムである。基本的に差異を前提として、鉱山差
資本主義というのは、端的に言って、複数のローカルなシステム問の差異
住居の産業化
にみれば、共通性があり、それが地域性を形づくってきた。地域の 討
z 然や生
ステムの差異を前提にし、その差異を利用して利潤を得るけれど、結果とし
ざされているのである。どういうことか。
業形態によって生活様式は異なり、必要とされる空間の形式も異なる。植生
て、システム開の差異を消滅させる、それが資本主義の原理である。
日い換えると、資本主義はそれ臼体では自立できない。それが駆動するた
や土壌、利用可能な建築材料や建築技術の水準によって地域の住宅生産シス
テムは異なり、一方、そのシステムによって住居の形態や空間の形式は一山近
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めには外部システムの存在が不可欠になるということだ。要するに、資本主
バラバラな音がホワイトノイズ化するイメージだ。日本の都市は既にそうし
住賠に関わるサービスの体系の産業化の究極の姿もまた我々にはイメージ
た相貌をとり始めている。最もありうべき一二世紀の日本の都市や住居の姿
こう極めて素朴に考えてみれば、およそ、極端にこつの道筋が見えてこよ
できる。その究極的な姿とは、例えは、ホテルのようなサービス・システム
義は普遍的な制度であるが、それは附一界レベルでの不均衡が消滅しない限リ
う。一つはもちろん、住居の産業化が極限までに押し進められ、世界を覆っ
を 稿 、 え た 住 民 の イ メ ー ジ で あ る 。 そ こ で は 全 て の サi ビ ス が 外 部 化 さ れ 、 産
は 、 現 在 の 延 長 と し て 容 易 に イ メi ジできるのである。
て い く イ メi ジ で あ る 。 そ し て 、 も う ひ と つ は 、 全 く 別 の 原 理 に 基 づ い た 地
業的なシステムで運営されるのだ。住居は容器としての空間そのものに還元
においてなのである。
域単位の住居システムが地球規模で成立するイメージである。
され、その多様な機能はほとんど八三て外部化されるのである。
側々の家族があるいは倒人が思い思いの住間に住むことが出米ること、そ
住居の産業化が極端に押し進められた究憾のイメージについては、我々は
しているのは、以上のようなシステムが全体を覆うことはあり得ないことで
は理想である。問題はそうした理想の実現可能性である。そして、はっきり
して、その住居にありとあらゆるサービスの体系が付属していること、それ
既に手にしている。例えば、商品化住宅のデザインを考、えてみるとわかりや
ある。産業的なサービスの体系は、一方でサーブする側を常に外部として必
無眼の多様性を生み出す原理
すいだろう。オイルショック以降、各メーカーは実にさまざまなスタイルの
要とするからである。
装飾要素、部屋や部位の特徴などが強調される。結果として、和風、洋風と
さ ま ざ ま な ネi ミ ン グ が 胞 さ れ 、 ス タ イ ル や 屋 根 形 態 の 差 異 、 さ ま ざ ま な
ある日突然、全体的に訪れるわけではない。そのシステムは差異のあるロー
義のシステムの破綻が限に兄える形で現われる場合である。システムの破綻は、
以上のようなシナリオとは別のシナリオがあり得るとすれば、叶一 m
介資本主
世界単位と共生
住宅を販売し出した。商品化住宅という言葉が定着し出したのはその頃から
であるが、焦点となったのがデザインである。画一性から多機性へ、標準住
宅の大量生産から多品種少量生産へ、住宅生産の工業化のパラダイムが大き
いった大まかな二分法がどんどん制分化され、まるで枇界各地の住宅スタイ
カルなシステムを前提にしているのであるから、その歪みはローカルなシス
く転換する中で、デザインの差異が競われ出すのである。
ルが日本に建てられるかのような、そんな事態が出現したのである。
のシステムについてイメージすることはできるであろう。その究艇のイメー
う難しいことではない。少なくとも、差奥を無仮に生み出していく住宅住い肢
ず、生産システムとして、無限の多様性を生み出す原理を組み込むことはそ
うヴァリエーションはなかったといっていいのであるが、デザインのみなら
南の悶々にその破綻が現われてくることだ。既に、その兆扶は現われていると
カルな状況を迎えるとされるのだが、最悪のシナリオはそのはるか以前に、
明確にある。資源問題、エネルギー問題、食料問題など一二昨紀にクリティ
る議論がそれを示唆していよう。地球環境をめぐっては南北の対立、世十 一収ハが
鍵になるのは地球環境の問題である。地球環境と﹁持続的発展論﹂をめく
テムの破綻として先に現われるからである。
ジは、附一界中どこでも、側々人が思い思いのスタイルの住民に住む、結果と
見ることができるかもしれない。アフリカの飢餓などがそうだ。一社紀半ば
日本の場合、デザインの百花締乱にも関わらず、基本的な空間構成にはそ
して、世界中の都市が同じような相貌をとる、そんなイメージである。例々
に主題になる時、住居の問題は上の地球環境全体の問題そのものに抱摂され
には百億人を突破するという世界の人口問題とそれに伴う居住問題が全而的
ラ ン タ リiな ア ソ シ エ ー シ ョ ン が 必 要 と さ れ る の か 、 出 家 や 自 治 体 の 打 政 シ
サービスの体系に委ねるのか、親族関係に期待するのか、地域におけるヴォ
る。具体的に、高齢者のケアの問題を考えてみてもいい。すべて、産業的な
とでも呼ぶべき自律的な地域単位が相互に調整可能な形で成立することが必
ろう。社会の編成によっては、コレクティブ・ハウジングのような住居形式
の社会進出にともなって、職場も変われば、住居も変わらざるを得ないであ
ステムがポイントとなるのか。女性の社会進出の問題を考えてもいい。女性
る筈である。
要である。例えば、日本は﹁此界単位﹂としての地域になり得ないであろう。
も必要とされよう。家族の形態がどうなるか、その動向によって住居の形態
地 球 と い う フ レi ムの下で、別のシステムが成立するためには、﹁社一回介単位﹂
エコロジカルに自立する基盤を欠いているからである。もちろん、﹁此界単位﹂
は異なるのは当然なヲ}とである。
は、要するに地域の国有牲をどう創り上げるかということであろう。無限の
向立できるか、如何に独自の関係のネットワークを創り上げるかということ
各地域において、あるいは各地区において、エコロジカルな意味で如何に
の内部においても、それぞれローカル・システムとその調整システムが問わ
れることはいうまでもない。各地域において多様な住居のあり方が求められ
るとすれば、以上のような大きな理論的、現実的な背景があるからである。
いきなり単純化すれば、身近には側々の附一帯がどういう形をとり、どうい
のサブシステムとして求められるのである。
多様性を生み出す一つのシステムではなく、多様な地域原理が﹁附⋮界単位﹂
コモンリビング{j)J
J
i
;
O
ンデイ│(パス・トイレ)が共別である。もう少し正慌にニ一一口、っと、一必品川一山の尚一
具体的に言うと、リビングが共別である。間一局が北ハ別である。カマ l ル・マ
ェクトである。その特徴は、共用スペースが主体になっているところにある。
そのプロジェクトを呼ぶのであるが、いささかユニークな集合住宅のプロジ
﹁マルチ・ディメンジョナル(多次元)・ハウジング﹂とJ ・シラス教授は
シラス教授を中心として実践に移されつつある。
あ る が 、 イ ン ド ネ シ ア で も 同 様 で あ る 。 あ る 試 み が ス ラ パ ヤ 工 科 大 学 のJ-
い。そこでさまざまな工夫をしたハウジングの試みが各闘で試みられるので
であるが、先進諸国におけるこれまでの計画理論では必ずしもうまくいかな
インドネシアに限らず、発展途上国では、深刻な居住問題を抱えているの
多様な試みの積み重ねの上にしか未米はないと思う。
実に具体的な例をあげよう。インドネシアの例だ。プリミティブであれ、
マルチ@ディメンジョナル@ハウジング
う関係をとるのかが基本である。佃々の世帯がそれだけでは自立できない以
件 )-311上に|メ:~ '
J
I
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Jされたコモンキソチン。
上、相互にどういう関係をとるか、どう共生していくかが鍵となるからであ
グの併ーインドネシア・スラパヤのソンボ地区
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叶主コ一︿間一 Oぴ
ω一一以﹀︾の同一0
0
ω一
このインドネシアのハウジング・プロジェクトの事例は、 インドネシアの
カンポン (都市内集落) の現'一九の小から生み出されたものである。
のハウジングに決定的に欠けているのである。
えはしないか。 マルチ・ティメンジョナル・ハウジングという概念は、
ひとことで三えば、 経済同開である。 また、 それから発するさまざまな尚一
何 が 日 本 の 住 民 の 支 配 原 則 に な っ て い る の か 。 什口頭に確認したのであるが、
路や廊下に当たるスペースがリッチにとられている。礼拝スペースが符階に
性原明である。
ハウジングの基本問問としての、 築住の論辺、 共生の原則 が
設けられている。厨房は、各一戸毎に区切られたものが一筒所にまとめられて
合住宅とはずいぶん違う。専有するのは、二至か二軍で、あとは共有する立
これだけではイメージできないかもしれないのであるが、日本や同欧の集
だけで住凶が少しも際史的ストソクにならない、 社 会 資 本 に な ら な い と も 繰
が欠如していることも問椋である。 ス ク ラ ッ プ ・ ア ン ド ・ ピ ル ド を 繰 り 返 す
捕は慨にさまざまになされている。 行本の投印刷がワンパタi ン で 多 様 性 原 型
﹁集柱形式が陣立されていない﹂、 ﹁共石空間が欠如している﹂ と い っ た 指
体 的 な ﹁ コ ア ハ ウ ス ﹂ で あ る 。 一 九 七0年 代 か ら 八0年 代 に か け て 此 界 中 で
では半没紀の後、日本の住居のあり方はそうした指捕に従って大きく転換
り返し一バわれる。
しているであろうか。残念ながら、その見通しは甘くない。最もありそうな
のは、基本的に現在のシステムを高度化していく方向であろう。産業、主義の
潜在力は実に強大と一言わざるを得ないのである。
日本に突然の転換があり得るとしたら、日本経済が失速するとか、突然の
カタストローブに見舞われる場合であろう。グローバルには円十晩それは訪れ
丘
一
やかではあれ、最低限の指針である。月並みではあるが、、円 E D W包 Cぴ
MJ
る 。 地 域 性 の 原 唆 を グ ロ isパ ル な 視 野 に お い て 鍛 え て お く こ と 、 そ れ が さ さ
ンボ地区の三ヶ所でプロジェクトが進行山中である。千ンドネシアでは、こう
﹀三 ]
C
S
}ぞ 如 何 に 実 践 す る か で あ ろ う 。 ( ふ の ・ し ゅ う じ )
とはかなり様相を異にしている。
して新しい形の集合住宅建設が本格化しようとしている。日本の戦後の民間
央体的には、ジャカルタのブロガドン地区、スラパヤの一プュパッ地区とソ
的、文化的、あらゆる次元を合み込んだハウジングという怠味なのである。
らない。マルチ・ディメンジョナル・ハウジングというのは、経済的、社会
供の教育援助も組み込まれている。コミュニティの民も維持されなければな
単なるシェルターだけではない。経済的な支えもなければならないし、子
る 形 の も の で あ っ た が 、 そ れ を 立 体 化 し た イ メi ジだ。
設備とワンルl ム だ け を 供 給 し 、 後 は 、 セ ル フ ・ ビ ル ド ( 自 力 建 設 ) で 建 て
盛んに実施された﹁コアハウス﹂プロジェクトというのは、簡単な水間りの
いる。まとめた共用部分をできるだけオ!ブンにし、通風をとる。
W
.
、
ハウジングの基本原理を強烈に去呪しているとヮ日
合 住 宅 の ボ 単 か ら み る と ず い ぶ ん プ リ ミ テ ィ ブ か も し れ な い 。 しかし、
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本
ミティブであるからこそ、
*
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大きく欠けているのである。
外観一一ベランダ{こは総が。
いる。カマ i ル ・ マ ン デ ィ ー は こ 戸 で 一 側 を 利 用 す る か た ち で ま と め ら れ て
マルチ@デイメンジョナん・八ウジン
洋嵐十軒長屋(千 i
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一
特集鳳躍すまい未来からのレビュ i
且尽の
文中、*印は現存する建物
一一一一一ー一
一一一一一
ム田小の
下関の生活
消失を嘆く
文と富/薮野
武蔵野美術大学教授・画家
古屋歯科(台東区小お 1丁目)
つの地図がある。
一つは心踊る
楽しみのあふれた地図で、もう一方
したたかに生き続けてきたのだ。江
たのだから。根本的なものには子を
﹁三味線堀マーケット﹂がそれであ
戸以米自然の災害によって壊され、
あった三味線堀は、台東小島ビルと
る。建物の地下には水路がそのまま
ただちに復興を繰り返してきた。そ
染めず、対症療法でこの巨大都市は
残っているという。堀跡の斜め角に
れがこの町を活性化し、また第一の
化したが、一階に名を残している。
彩り鮮やかな﹁江戸名所図絵﹂に
洋館がたつている。﹁古屋歯科﹂で
産業ともなった。大火があり、震災、
は哀しみが漂う。同じ場所を伝えて
は図を彫りおこした職人の喜ぴが感
震災後の東京を彩った復興折衷洋風
水害とめまぐるしい。その都度打ち
いるのにひどく違ってみえる。
じられる。﹁浅草鳥越堀田原辺絵図﹂
建築の一つだ。
きた。幾分意匠の変更や火除地設置
*
を播いてみよう。左上に両国橋があ
ンサイスの﹁東京都お区分地嗣帖
といったマイナーチェンジを経なが
のめされながらも一冗の姿を再現して
てみると下流寄りに架かっている。
(昭和二一年版、八年前に復刻)﹂で、
ら町は少しずつ広がり、新たな表情
もう片方の地図を聞いてみる。
そして櫛の歯のような浅草の御蔵が
﹁戦災焼失匝域表示﹂が赤でなされ
る。これは現在の地問と重ね合わせ
ある。後に東京職工学校が置かれた
ている。
きな変化がみられない。切絵図では
かめられる。江戸の町は明治まで大
かる。かつての浅草区小島町の一部、
りだけ焼失をまぬがれているのがわ
﹁三味線堀﹂跡を境に、このあた
然と一体となった深い件いが思われ
にあらわれ、偲ぶことができる。自
震災前の東京は激石や荷風の小説
を加えてきたのだ。
地で、それは明治一七年の地図で確
御蔵を経て水路が現在の清洲橋通り
よう。南千住の浄閑寺にある荷風の
問ひそ今の世とまた米る時代の
今の世のわかき人々われにな
の思いが伝わってくる。
歌碑には、去ってゆく江戸の商影へ
鳥越それに歳前橋通りをはさんだ向
で昭和の初めの東京を歩いているよ
にまで伸ぴている。右折して三味線
東京は名古屋や広島と違って、震
うな気分がするのはそのためだ。そ
柳が、戦前のまま残ったのだ。まる
災と戦後の二度の復興計画で区画整
れにしても、この地図は開く頁ごと
堀に至る。
理がうまく実現しなかった都市だ。
芸を。われは明治の児ならずや
とはいえ、震災復興後の東京にも
に赤く塗られ、憂穆になる。無念さ
これに震災焼失区域や江戸の大火
心惹かれる。被害が関東に集中した
そのため、建物や町並みからは江戸
的道や水路跡はみつけやすい。道路
毘域を重ねていくと、江戸東京の満
がこめられているからだろう。
が拡幅された蔵前橋通りや清洲橋通
身創療の姿がみえてくる。東京は自
状況が戦後とは違う。日本中ほとん
前の時代をよく伝えていた。これは
の面影を辿るのは難しくとも、比較
りも、左右の地形や路地から、暗渠
然体都市なのかもしれない。運命の
こともあり、地方の有力都市風景は
となった水路が読み取れる。
赴くまま、その場その場を凌いでき
かつて舟溜りがあり、柳の大木の
震災前の東京の姿...... (
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台東区、[[1谷 '
I
'
J二三崎南 !
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)
コ
どの地方都市が空襲を受け、無傷だ
景だったら土日間健一は何と=一一口うだろ
。
風も見受けられる。バルコニーがあ
ル・デコ風、表現主義風、シユ│ル
あったのだろう。ギリシア風、アー
ている。幾分の夢と憧れの気持ちも
実に語葉壊かな建築が次々と登場し
議な建築群に取って代わっていった。
りが和洋あるいはアジア折衷の不思
が赤煉瓦に代わり、出し桁や土成泣
耐 震 耐 火 の 鉄 筋 コ ン ク リi トのビル
表現に復興の心意気が感じられる。
でもあり資金や資材に梢みながらも、
震災から戦争までの東京は、帝都
ているように忠われるからだ。
日本の美への思いがここでふっ切れ
精神だったのではないかと忠われる。
大学の講義の合い聞に英文学者の吉
めの建物で一階にあった。そこには
ない。ランチョンもかつては昭和初
思い出す度に、復元が望まれてなら
長屋だ。十軒長屋の揃っていた頃を
それにしては見事な出来栄えの洋風
るともいえなくはない。
を思わせ、表商だけを取り繕ってい
たりする。あるいは舞台の書き割り
中身とフアサードに食い違いがあっ
不足の時期に作られたものなので、
のある町並みが連続する。何もかも
幾分歯が欠けたようであるが、魅力
ていない。昨今の取り壊しのせいで
移してみよう。神田も戦火に遭遇し
かけ、窓際に座って靖国通りに眼を
たとえば神保町のランチョンに出
でも高度成長、バブル期でもなく今、
災で残った建築群が、オリンピック
ンギン文庫も無い。振り返ると、戦
は姿を消し、そのうえ靖国通りのペ
くら通りに入る。ここもモダンな家
あった。すずらん通りを抜けて、さ
い出しの防止に刻まれている。それが
書籍及ぴ雑誌と、それも色遠いの洗
化数学常一目、一般参考書、国定教科書、
階 の フ ァ サi ド は 文 字 だ ら け だ 。 埋
全体が看板の、高岡高底を探す。一一
すずらん通りに足をのばす。建物
、
﹁
ノ
ったり銅板張りの変化の豊かさに驚
田健一がよく通ったという。食事の
ければならない。人災消失毘域表示
ったのは数える程しかない。それに
く。再現された建築や新たに加わっ
あと、彼専用のティーが運ばれる。
とサブタイトルがつけられると性格
並みが続く。ところが、あの、ダダイ
ズムの建築版というべき東洋キネマ
壊されようとしている。
赤色で塗りつぶされたお区分地問
帖は、今、もう⋮度作りなおされな
建築家の無名性について言及され
する力となろう。であれば、過ぎ去
傷ついたのは都市ばかりではなく、
たものに異和感がないのは、建築家
それはウイスキーに形ばかりの紅茶
がはっきりしよう。
もう無い。既に次の建物が建設中で
や棟梁のイメージの中に、個々の建
が注がれていた。少々酪町ぎみの教
たことがある。優れた建築について
在のように無残に途切れた記結の風
*
築にとどまらず連続の風景としての
授が、学生を前に語り始める。吉田
J
商
都市が共通してあったからであろう。
そ
は建築家と施工者の名を刻もうとい
れ
健一にとって神保町は民心地の良い
が
場にみえる。在るべき所に在るべき
グ
〉
これは綿々として伝えられてきた美
方
うものだ。これは建築の意義を公に
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風景が横たわっていたのだから。現
層
建
築
群
の人びとにとっては、⋮時期的なバ
。グ〉
意識である。復興した表通りは当時
し、臼
ラックに映ったかも知れない。むし
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川 仲 間1
高凋商底(千 [
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)
東洋キネマ(千代川 i メ f中川村lü~llIf)
わろ
し今
然性的的、無表情に変え、生活の場を
単純明快化しようとする。でなけれ
ば思い付きのデザインで、町並みの
連続した風景を簡単に消し去ること
は山米まい。それは文化を消してい
くことと等しい。十日いもの、本物が
もっ章一厚さ、繊細さ、行まいはそこ
が、景観や住む楽しさ、良い建物が
飽き飽きする今日建築に置き換えて
能なため、過去の建築も生活掠式も
れた東京を、もう⋮度見すえる必要
無い。このあたりから京橋にかけて
人のアイデンティテ
つまり強い理念で、東京で生活
としているのではないかと思えてく
あるいは東京は現在を否定しよう
うしても発言する必要があろう。両
った建物たちのことを考えると、ど
それにしても、とぴっきり美しか
があるのではないだろうか。
は、大正、昭和の建築群が目白押し
している一人
国橋の畔の問問爵劇場の八角堂。こ
だった。もし厳密に経済効率を計算
してみたらどうだろう。今はまだソ
ィを、表通りのファサlドのように
メ
場
露
国
商 げli
7
常態座(白木│ベ;支市)
では悪玉で、ひたすら新しさのみ牟
て深読みすべきなのだろうか。実は
切正義という訳だ。あるいは勘ぐっ
大変なデザイン、生活環境計闘の戦
っていった町並みについても言及が
町に与えるイメージ効果、絵に出来
いるのだと。やがて意欲あふれた本
略があって、明日の大胆な変革が可
あったってよかろう。
るかどうか、といったさまざま詳側
しても大胆な対策をとらず、インフ
それは壊されていった建築や町並
だったと後惟思われることだろう。
ラ ス ト ラ ク チ ュ アiも 最 少 限 に お さ
俗的な、文化としての都市づくりの
浅草六区の常盤座はどうだろう。
何故なら都市の計画が、都市の住ま
えるのだと。こんな過激な気分にな
を組み入れると、きっと現在の取壊
東京クラブと三つ並んだ第⋮級の建
い子主体とは思われないからだ。
る程、東京の変化は激しい。
みが余りに美しく、残念でならない
築群を壊す、﹂とは浅草の灯を消す、﹂
﹁非文化としての都市、東京一一O 依
日々がやってくる。だから災容に対
とにつながらないだろうか。銀座か
紀 末 ﹂ と い う テi マが今から頭をよ
し万能の東京が、ひどく奥常な時期
ら日本橋に至る中央通りに唯一残っ
ぎる。
ここでやはり、現在の新旧入り乱
ていた国帝関製麻の赤煉瓦の建築も
からだ。
I
B・帝国製麻('1'央区 [
1本続安田n
フトが開発されていないから無理だ
る
ー
この優雅な橋は、後ろに常盤門、前
常盤橋はどうだろう。明治初年の
とって風景の財産だったのに。
となく泊、えていった。これも東京に
田川に面していたのに姿をみせるこ
隅閏川のカミソリ堤防で隠され、隅
れは上を高速道路で遮ぎられ、下は
の気風が伝わってくるし、生活が閉
に富み、会話が楽しい。町の人たち
の町だったのだ。それにしても変化
出米る。隅田川沿いの勤労者のため
成程かつて養魚池だったことが納得
曲がりに曲がり迷路を形成している。
京島の一菌に行ってみよう。道は
から。これほど強いものはない。
﹁生活﹂がドラマとなっているのだ
はないか。親子代々演じ続けてきた
深い。そのうえ生き生きしているで
え よ う 。 し か し テi マは重く大きく
られぬ役者ばかりが登場する劇にみ
として考、えるなら、ずいぶん名の知
いこうした市井の生活である。 舞台
ものだって、姿を消していった。日
じられていない。絵を描いていると、
﹁美しいから﹂と答えると満面笑み
劇も新橋演舞場、帝劇、六区の劇場
に日本銀行と、屈指の名風景だった。
しい車の氾濫をくい止める駐車場と
となる。本当はそう思いつつ世の流
街ももう出会うことはない。とした
下町という舞台装置は、共有の記憶
しての役割を果たしてはいるが、い
れから乗り遅れていると思っていた
ら今まだ生き長らえている﹁下町﹂
最初は怪訪な顔をする。﹁何故こん
たるところ水路を破壊してしまった。
と語る。むしろ胸を張るべき所だ。
の老建築ぐらいは大切にしたって良
それが高速道路で塞がれて、ほとん
これも対症療法が生んだ都市生活や
下町に残されているのは第一級の生
いではないか。
システムでもある。実際の劇場その
風景の例だ。
活風景で、これは次の時代の都市計
新旧、老若、生死、さまざまあっ
な古い町を描くの﹂ときかれる。
それでも東京に惹かれるのは、去
一闘に学ばせるべき、あるいは生かす
ど死に体だ。首都高速は都市への移
ってゆく風景と生まれつつある光景
雑さ、雨の音、広場の役割りを果た
る現代建築に見とれることもある。
てこそ都市は自然だ。どちらかだけ
していた井戸端、水路、橋詰めの緑、
とっておきの新旧風景が出会うのも
べきものが多い。生活のリズム感、
もう既に表通りは昔日の而影はな
都電、祭礼、華やぎ、学校、駄菓子
実は楽しい。一二世紀の東京が、豊
が緊張と期待、諦感と幾分の額廃を
い。だが⋮歩足を踏み入れると断片
屋、惣菜屋(鳥越にはおかず横丁と
るほどであって欲しい。その時は、
能で、何から絵を描いたら良いか附
でもいけない。
的ではあるがかつての町の面影は残
いう素敵な通りさえある)、物売りの
開放感、会話、路地のスケールと複
っている。戦争で失った風景や、乱
声、鉢、縁台と枚挙に暇ない。いわ
苧んでいるからだろう。
開発後の歯の抜けた淋しい表情には
現代建築も記世の町議みを生かして
やぶの・けん
実際、下町の路地を抜けて、鈴え
ない、深くしみじみとした光景と会
は都会生活を演出する仕掛けの宝庫
いるだろう。
、とi
話に出会うことが出来る。実にすが
なのだ。
、 注目すべきなのは、
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何でもな
すがしい、年齢を重ねて尚、しゃき
っとした江戸っ子の姿がそこにある。
井戸端の風景(f
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{池之端)
京島のー薗 (
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V
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(
品 3TII)
特築@すまい未来からのレビュー
みどムリ
在 ま で を バ リ ア ・ フ リl 開 拓 矧 ( 超 高 齢 に な っ て も 障 害 を 負 っ て も 住 み 続 け
私 は 、 こ こ で 、 一 九 七0 年 代 を バ リ ア ・ フ リl 梨 明 期 、 一 九 八0 年 代 か ら 現
拓が進行中か、自らの取り'組みを整理することでその一端を明らかにしてみ
事
也
、
。
ふムし
立場からの環境整備に関する取り組みが始まる(しかし、現在に至るも全国
日 本 で は 、 一 九 七0 年 代 か ら 、 公 共 施 設 を 中 心 に 、 ハ ン デ ィ キ ャ ッ プ ト の
一九七0年代
と 全 般 が 含 ま れ る 。 ハ ン デ ィ キ ャ ッ プ ト 配 底 設 計 で あ る バ リ ア ・ フ リl ・デ
的な基準はつくられていない)。
バリア・フリi禁明期
ザイン(障壁除去設計)の導入について歴史的に概観してみると、先進諸国
私は、ハンディキャップト関連の研究者として、また一牌療技術や福祉分野
加と平等を旧民すために関連施策が展開される。
九八一一一年から一九九二年までは﹁障害者の一 O 年 ﹂ と し て 、 障 害 者 の 完 全 参
一九七五年
一九七四年
一九七三年
日本建築学会一建築計同委民会ハンディキャップト小委員会の
建設省一身体障害者の利用を考慮した設計資料の作成
町出市一役築物に附する福祉環境整備要綱の制定
厚生省一身体障害者福祉モデル都市
誕生
一九七七年
研究に取り組むことの必要性を痛感し活動している。このような立場から、
ア・フリ!の生活環境の整備・構築を推進できる教育や実務をサポートする
の学生の教育者として、建築・医療・保健・福祉・教育分野の人ぴとがバリ
一九七0 年 代 ま で に 出 揃 っ て い き 、 一 九 八 一 年 は ﹁ 国 際 障 害 者 年 へ そ の 後 一
におけるその基準づくりの動きは、一九六一年のアメリカ合衆国を皮切りに、
幼児、妊婦、乳母車を押す人など、物的環境にハンディキャップをもっ人ぴ
要な障害の捉え方である。また、ハンディキャップトには、障害者、高齢者、
社会のあらゆる分野の人ぴとがその軽減に貢献できるという意味で、最も重
障害をもっ人間と環境との相互作用によって相対的に生じる社会的不利で、
ここでまず、基本的な考え方を整理しておきたい。ハンディキャップとは、
日 本 が 、 由 人 に 一 人 は 高 齢 者 と い う 未 曾 有 の 高 齢 社 会 を 迎 え て い る 二O 二
教
O年 頃 か ら み て 、 現 在 の す ま い を ハ ン デ ィ キ ャ ッ プ ト の 立 場 か ら 評 価 す る こ
期
大
られるすまいづくり開拓の時代)と位置づけてみたい。では、どのような開
喜村
と が 私 に 与 え ら れ た テl マである。
ハンディキャップトの立場から見た
現在のすまいづくり
Z野
図 -1 南加瀬コートハウス
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-:聖子村みどり+小林i
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引宅創作宅 )
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にハンカードアを 1没I
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"f. J~/ fI,
写真一 i 温室のある家の玄関(設計/野村みどり
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内外情 l
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Jの融合を 1
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1った。
スの 3主 f;'/i:YI:を[JHt~ した。
⋮九七五年、私は、養護学校について何の知識もなかったが、思師、長合
成彦先生のお勧めをきっかけに、また、これからは阿古者への配慮を無視し
て設計は成り立たないと直視し、修士論文のテーマを養護学校に決める。当
時、養護学校は、⋮九七九年の義務制に向けて各地で設定が進められつつあ
っ た 。 養 護 学 校 の 調 五 研 究 を 通 じ て 、 私 は バ リ ア ・ フ リl ・デザインを学ん
で わ く 。 し か し 、 一 九 八O 年 前 後 、 私 は 、 敷 居 の な い ハ ン ガ ー ・ ド ア 、 内 外
空 間 の 段 差 解 消 設 計 な ど バ リ ア ・ フ リi ・ デ ザ イ ン を 導 入 す る こ と で 、 空 間
1)。 た と え ば 、 医 者 と 養 護 教 諭 の 高 齢 に 近 い 夫 婦
の述続性を美しく確保でさることに注口し、それらを部分的に取り入れて住
宅設計を行なっていた(図
附帯住宅の設計をしたときにも、日影規制に配慮しつつ、できるだけ天井市
をおくしサイドライトを設けるために、地盤耐にコンクリートを敷き詰めて
1)。すまいをバリア・
一階床応を抵くしたが、玄関には少し段去を設け、将米平いすでも使える配
慮については、残念ながら全く念頭になかった(写真
一九八0年 代 か ら 現 在 ま で
フリーにするという考えは、私が医療技術者の教育を行なうようになってか
ら明確になっていく。
バ リ ア ・ フ リi開 拓 期
一九八0 年 代 、 日 本 に お い て も 、 公 共 的 な 施 設 を 小 心 に バ リ ア ・ フ リi ・
デザインが帯及していく。私のような建築の専門家が医療技術短期大学の教
師になって授業を受け持ち、また、たまたま調査訪問させていただいたこと
をきっかけに、日本福祉大学の卒論ゼミ指導を非常勤で担当するなど、医療・
保 健 ・ 福 相 分 野 に お い て も バ リ ア ・ フ リi 知 識 を 受 け 入 れ 始 め る 状 況 が 生 ま
れてくる。私は、教材や教科書づくりに者干する一方、ハンディキャップト
のすまいつくりに閲する剥五研究に取り組む。
口貧留なハンディキャップトのすまい
加 し 仏 大 学 長 合 研 究 宗 と れ 本 福 祉 大 学 野 村 ゼ ミ の 共 同 研 究 ﹁在ん℃サiピスを
受ける高齢者の住環境に山附する研究﹂(一九八九 l 一九九一年)では、
Bさ ん は 住 宅 改 造 し た 一 階 全 体 を 移 動 し て 、 少し込の一小 凶
r 巾な
引き寄せられていて、 寝 た き り 老 人 の 居 室 そ の も の と い う 感 じ で あ っ た 。 し
かし、
が衰えた高齢者に合わせて、すまいを改造するというポジティブな支援が欠
余人の高齢者の自宅訪問面接調査を実施した。これらの調査では、身体状況
市 い す の 友 人 と 居 間 で 将 棋 を 楽 し ん で い た よ う に 、 Aさ ん と 同 じ よ う な 身 体
1)。 在 宅 サ ー ビ ス は
実に任せず自分のことは自分でするようにしている。 制資当日も遊びに米た
ブな対応をせざるを得ない状況を明らかにできた(文献
いることが注目された。
-h
川
ができなくなり、 当初銭湯に通っていたが、 それも凶雌になり、 亙
iル
1ベ
1好
J二
1
/
談に行き、 デ イ サ ー ビ ス セ ン タ ー で の 入 討 を 勧 め ら れ た 。 社交的で、 友人の
、
、
訪 問 も 多 い C さんのような方は、 デイサービスの対象でなく、 浴 惜 の 改 造 を
ふ/手/?し
-J
出 揃 っ て き て い る が 、 在 宅 生 活 を 効 果 的 に サ ボi ト、するためには、どうも何
入浴はできていない。 リフターを導入し、 介助者がつけば、
、旬、、、
かうまく噛み合っていない。噛み合わせのポイントには住宅改造がありそう
ケースと判断できる。
じ一
41ζJK
Jl 了Jじ
ド
l
' 寸ノリ、
J、
リパ
Hh H
ムJ
である。鵡査の中で、私に強烈な印象を焼きつけた多くの高齢ハンディキャ
事 例 3 一 公 営 住 宅 に 出 住 す る 一 人 暮 ら し のC さんは、 深い和風川町摺の出入り
事 例1 二 、 ア イ サ ー ビ ス セ ン タ ー で お 目 に か か っ た 車 い す を 自 力 操 作 し て い る
行 な っ て 口宅入浴すれば良い方と忠われるが、 公 営 住 宅 の 改 造 サ ー ビ ス が な
でほとんど視力を失っていても治療のための通説もできない状況であった。
少し足が不自由な老妻一入では玄関出入り介助は行なえず、 Aさ ん は 白 内 陣
入り寸助をしているにもかかわらず、玄関の段差解消の改造対応がないため、
のである。保健婦やデイサービスセンターの職員が日常的に事いすの玄関出
てくれるのが大きな楽しみで、そのため、近隣の様子をよく把捉されていた
きりの生活をされていた。保健婦がときどき車いすを押して周辺の散歩をし
事山中の建物も含めて近隣の様子をよくご存知であった。ご自宅に拐、っと寝た
食堂の山を干すりにつかまって階段昇詳し生活しているが、 自 宅 の 市 京 で 老
事 例 4 一 夫 婦 二 人 暮 ら し で 持 ち 家 に 間 住 す るD さんは、
になると忠われる。
るシステムがあれば、 C さんの生活はもっと便利に、 サービスも述一止なもの
民 で あ る ホ ー ム ヘ ル パ ー が そ の よ う な 住 宅 改 造 二 i ズをみつけて、 解 決 で き
置き料開一に使っている。 Cさ ん は ホ 1 ム ヘ ル プ サi ビスも受けており、
ため、 ガスレンジの点火ができないので、 夏でも石油ス卜!ブ二台を一社主に
いため、 入 浴 サ ー ビ ス に 依 作 し な け れ ば な ら な い 。 Cさ ん は ま た 上 肢 附 古 の
主だけの介助では入浴できないため、 む た き り 老 人 入 浴 サ ー ビ ス を 受 け て い
一
ひさんは玄関から担架に采リ、 寝 た き り 状 態 に な っ て 送 迎 サ │
こ
、 山 た き り 老 人 の 入 浴 サi ビスをみると、 送 迎 サ ー ビ ス と 家 肢 の 付 き
上
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入 浴 前 の 右 護 婦 に よ る 健 収 チ ェ ッ ク 、 またそれだけでは不安で、
持Alp-M
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も必要という要望など、 人 市 と い う 基 本 的 生 活 行 為 を 外 郎 機 関 に 依 存 す る こ
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の意見であった。
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MM甲 山 知 て
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般
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事 例2 一 持 ち 家 の 一 階 に 老 夫 婦 、 二 階 に 子 供 此 読 が 応 住 す る8 さ ん の ケ l ス
ビスを受けなければならないが、 浴 室 の 改 造 と ホi ム ヘ ル パ ー に よ る 入 浴 介
一階のんいし去と一階の
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を指名し快諾して下さった。電話で駅から家までの行きかたを伺ったら、工
Aさ ん は 、 た い へ ん 積 極 的 な 方 で 、 自 宅 訪 問 調 査 の 依 頼 も 、 調 究 者 と し て 私
住宅改造のことを説明したが、貸家だし、お金もないし無四というのが本人
ノ三、
を み る と 、 取 い す を 自 力 操 作 す るB さんのために、居間に山山人り別スロープ
〆/
助 が あ れ ば れ 宅 で 入 浴 で き る ケl スである。
ま
1
"
i
J
在を記してお、﹂う。
ップトの事例の中から、いくつか紹介し、ハンディキャップトの住まいの現
通の生活が民間できて
状況の B さんであるが、 住宅改造することで、 より抜 M
、 浴京は改造したが、 介 助 が た い へ ん で 自 宅
如しているため、高齢者は生活行為を簡略化したり、省略するなどネガティ
F
I
O
O
べ J
I
'
が設設され、浴室や便所も事いすで使えるように改造され、一階全体の数印刷
わ
の 段 差 解 消 も 図 ら れ て い る 。 自 称z
Mた き り 名 人 の nわさんの肘主をみると、
山市の際には、,慨を隔てた部室の心裂を呼ぶと共に、
、
y
しぴん、ポータブル便器、 テ レ ビ 等 日 常 及 び 非 常 の 際 に 使 う も の が た く さ ん
f之
、
表
とによって、重装備化していく傾向がみられるが、基本的なサービスは住宅
改造と在宅ケアの両面からの対応を整備して、自宅で行なえることを基本と
すべきであろう。住宅改造を推進するためには、高齢者・障害者のプライバ
シーの領域に入り、その援助に取り組む医療・保健・福祉分野の専門職が、
自らのケアサービスと住宅改造を結び付けて効果的に展開することが重要で
あ る 。 で は 、 住 宅 改 造 指 導 の 専 門 家 と 考 え ら れ て い る 理 学 療 法 士P Tと 作 業
療養士O Tは 、 現 在 い っ た い ど の よ う な 取 り 組 み を し て い る の だ ろ う か 。
口専門職の教育と補助制度の整備が緊急課題
一九九O年 、 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン の 専 門 家 と し て 住 宅 改 造 指 導 を 行 な う 代
(文献
表 的 専 門 職 で あ るP TとO Tが 、 住 宅 改 造 に つ い て ど の よ う な 取 り 組 み を 行
なっているのか全国アンケート調査を実施し、実態を明らかにした
2 1 一六一人の P TとO Tが 率 直 な 回 答 を 寄 せ て く れ た 。 住 宅 改 造 に 関 す る
病院における改造業務(%)
勤務先
軍事翠
奇 l
邸婆な窓者全部 1
:
:
指導
霊童り
特に@饗な懇書i
こ指導
務
と
し
改造指導すること膏り
て無
し
とくに対応していない
応
g
1
)ハ・老人
その他病院
その他
全体
。
PTIOT 会 PT OT 全 PTIOT 全 PT T 会
1 8 14110
6
1 7 15110 7110 9
13120 1
16123 20111 23115 13112 13112 19115
11
6
2 64133 46165 43155
4
16
95
58150 5
11
1
5 24119
1
2
1 7 9114 11112 17143 3
110
無回答・不明
。
。
1 0 111
- 12 2
2 住宅改造の経験内容別、勤務先職種別人数(%)
表
勤務先
改選内容
隠翠
リハ・老人
その他病院
その他
。
金1
本
。
PT OT 会 PT OT 全 PT T 全 PT T 全
手すり設霞
自
由
8
4 88185 8
11
7
8
11
8
3 75157 65184 7
慰径の段差解消
70159 65162 57160 60138 47162 49156
便器の取り替え
56152 54157 49154 54135 43156 43150
浴室床 i
こすのこ設霞
5
7
.
1
4
8 52145 43145 42136 38147 40144
玄関」ニガり擢│こスロープ設璽
11
3
9 32136
45140 43138 38138 40124 3
浴槽の取り替え
11
1
8 24128 23126
4
11
2
8 35126 26126 3
ド戸の取りはずし、又は、改造 34132 32126 23125 27120 23127 23125
q階層烹i
こ出入りスロープ設璽
3
11
2
0 26121 22121 24114 18122 17120
道諮・叡地段差にスロープ設盤 23121 22119 15118 25114 19120 16118
レバー式蛇口の取位 1
7
26128 27113 17115 19119 19116 20118
塁塁!こカーペットやシートを叡く
2
11
2
0 20117 16117 1
6
1 8 12118 14116
盤床を木床!こ改造
23114 18115 13114 1
5
1 7 10116 10113
洗面器のl&り替え
12114 13110 10110 1
2
1 9 10110 10110
19 8
15 7
19 8
19
玄関」ニガり援に随易リフト設璽 12113 1
3
18 9
専 門 教 育 を 受 け て い な か っ た も の はP T七割弱、 O Tの 五 割 に 上 る が 、 住 宅
改造に関する知識と応用力をほとんど全員が必要としている。病院における
住 宅 改 造 の 業 務 と し て の 位 置 づ け は 未 確 立 で あ る が ( 表 11)、 ほ と ん ど の P
T、O Tは 住 宅 改 造 の 経 験 を 有 す る 。 過 半 数 が 経 験 し た こ と の あ る 改 造 内 等
は、予すり設置、敷居の段差解消、便器取り替、ぇ、ベッドやポータブル便器
の 活 用 な ど 簡 単 な 改 造 が 主 体 で あ る ( 表 │ 2 )。 ま た 、 玄 関 上 が り 拒 に 簡 易 リ
フ ト 設 置 、 水 平 ト ラ ン ス フ ァi 設 置 、 エ レ ベ ー タ ー 設 器 、 環 境 制 御 装 置 の 設
置など、本来期待される専門的なテクニカルエイドの活用経験を有するもの
3 の項目の中から三つ以内選ん
は極めて少なく、実態としてそのような改造はほとんど行なわれていないこ
とがわかる。住宅改造実施上の問題点を表
でもらったところ、自らの知識不足が六割と最も多く、次いで補助制度が不
十分が五割であり、住宅改造に取り組む前提条件が未整備な状況が示された。
このような調査結果からも、住宅改造に関わる専門職への教育とその活動を
8111 9
181
0
19 8
18 8
18 9
18
スイッチ類の認さ変更
水平トランスフ戸一設翠
5110 8
181
119 1
3
181
0
18 9
18
調理台の取り替え
16 6
16 5
18 6
15 7
16
6
19 7
エレベーター設璽
15 7
14 5
15 5
15
4
19 6
14 6
緊急逮絡装璽の設蜜
15 4
14 6
15
6
17 7
14 9
16 3
出入り口の鍵の取り替え
14 5
13 3
5
15 5
13 3
13 5
13
環境制御装箇の設鐙
12 2
13 3
3
14 4
13 4
14 2
13
道i
i
l・星空地段禁l
こ箔易リフト
13 3
12 3
2
12 2
12 3
13 2
13
ベッドの活用
7
11
6
8 69169 62166 57135 44166 52159
ポータブI
L
便器の活用
70165 68171 64168 57137 45167 52160
その他の福祉機器の活用
44145 45144 4
11
4
3 48131 38143 38141
その他
2
17 4
15 6
1 5 8111 1
0
15 9
17
不明
1 9 14127 2
119 16112
6
16 6
18 9
表
3
住宅改造実施上の具体的問題、勤務先部職種別人数(%)
勤務先
聖書種
リハ・老人
その他病院
その他
主主体
PTIOT 会 PT OT 全 PTIOT 全 PT OT 金
自分の知識が足りない
11
5
9 60159
5
11
7
2 62160 65162 52149 5
経済的格闘用U
Il>が不十分
11
5
2 5
11
3
6 43153 44149
59149 54152 5
3
11
2
8 30133 28131 24116 19131 24128
m翠にくい
11
2
4 27130 27128
28131 2
9i3
0 30130 3
住宅内のスペースガない
11
2
4 24114 18125 18122
29121 25125 2
家族の協力が得られない
119 10118 10114
19114 17118 10115 1
新星裂昂の橋幸霊
量施工業者に正確な指示困難
4
1 7 10113 9111
8110 9114 11112 1
E
翠
泣
要 住宅改造できる糊がない
16 8
15 6
17 5
16
1
0
16 8
16 5
3適切な高昂機器がない
19
9110 9
18 8
1 8 9112 1
118 9
設計者に正確な指示毘重量
14 3
11 2
13 3
13
2
16 5
14 4
その他
17 6
1 7 8111
5
17 6
不明
171
11
2
5 1
9
1 7 14110
6
14 5
16 8
9
16 8
17
注)表 1-3とも数字は勤務先別殺種別の l
回答者i
実人数に対する苦Ij合(%)
3
2
1
支援できる制度の確立が急務の課題であることがわかる。
H
-17/ 守口一向 4 f l j t
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一
一
L(
秋
(のむら・みどり
齢行の住まいと交通
同パHM
L 作業療法トしの住宅改法に関する研究その
野村みどり、大以・興﹁収学療法ト と
山
'
5 、 iLトドん服l t L L :
:
ト三 j
τ
A6
11
悶MllM
ノノ
昨U
﹂
村みどり、 日試合成彦﹁い 川紛おの建築的ニ l ズ
性を痛感している今日この頃である。
i2
しむことはないのに﹂という思いにかられるのは、偶人の人生においてもよ
彼らが生きている時代状況についてどうしても近視眼的で、客観的になり得
を受け縦いだという怨時をもたせてしまう障は一体何であろうか。本誌から
とすると、二O 佐 紀 米 に 生 き る 我 々 に と っ て 、 引 き 続 く 佐 代 に 、 負 の 遺 産
なかに留まるもので、人類の悠久の歴史から見れば大半はささいなことに過
残した﹂と一百われかねないという懸念を、二一川町紀龍平の未米人による二
ο
連中は、あっという間に使えなくなる。しかも改造もできない住宅はかりを
﹁ストック型住宅支持﹂という仮題を与、子りれたので、将米﹁一一つ佐紀末の
東京という都市については、現在の生活者である我々が苦しむ問題を防ぎ
わたって受け継がれていく点が奥なり、そういう意味ではより深刻である。
ぎないのであろうが、まちづくり・住まい、つくりに関する悔恨は何佐代にも
ある。ただ、個人の人生に関する悔恨はその人の人生というタイムスパンの
ないというのは歴史的な街命なのであろうか。
は当時はごく少数であったようである。その時代に生きている人の視点は、
れば明らかなことでも、その状況が千絞一遇のチャンスだと洞察している人
得た絶好のチャンスが何度かあったそうである。しかし、後肢の我々から見
野域智出
1414 ﹂ 一九九0 年度日本建築山下会開京支部研究級行集 P 出 問 、 一 九 九 一 年 一 月
文献
J
建築・毘療・保健・福祉分野の連携による住宅改造のシステム化に関する
専門職の意識の向上、ハンディキャップトのニ lズの顕在化など、ここ数年
め ざ ま し い 進 展 が み ら れ る 。 今 後 、 更 に 、 バ リ ア ・ フ リi環境料品備を推進す
るためには、教育現場や実務者を巻き込んだ学際的研究活動、また、教育者・
研究者・実務者は自らの日常生活や仕事の中まで、研究の裾野を拡げる必要
特集繭躍すまい未来からのレビュー
加世紀末の建築人が残した住宅ストック
への未来人からのメッセージ
我々が使わざるを得ないということを深刻に考えて欲しかった
はじめに
、
くあることであるが、まちづくり・住まいづくりにおいてもありうることで
﹁あの時こんなことをしておけばよかった。そうすれば今こんなことで苦
jT望
I
L
J文〈
折市~ 5
1
リ
論i
,
i1 議
予測に基づく想定であり、必ずしもそういう筋道を辿るわけでもないし、ま
以下に表してみたい。なお、文中に述べられる近未来の状況は、筆者の主観的
叶一紀末の日本の建築人たちへの悔恨を込めたメッセージという体裁をとって
いて、それが二O世紀末での、いわずもがなの常識を形成していたとしても
であり、町の景観は刻々と変わるもの﹂という感覚を暗黙のうちに共有して
劇的である。とすれば、彼らが、その生活体験を通じて、﹁建物の寿命は有限
九0年 代 初 頭 の 写 真 を 比 べ る と 、 そ の 僅 か な 間 に お け る 変 化 の 大 き さ は 誠 に
延床面綴 (
m
'
)
7,
000,
∞0,
000 f
6,
000,
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2,
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,
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,
000よ
沿0,
000
1
0
図-2 現在の日本の建築ストックの建築年度別分布
(文献 2.3による)
25凹 00000
150000000
100000000
こ と で あ る が 、 一 九 七0年代以降吐紀末に至るまで、日本では毎年二億円昨か
仁 1し
︿
、
このことに気づくチャンスは何聞もあった。 例 え ば 版 史 上 ﹁
7 レ γ々
ノ 一 ノ l'r
ι平日﹂
量生産するはずがない。
う潜在意識が身に染みていたのだ。そうでなければ、あんな粗末な建物を大
代を生きてきたので、知らず知らずのうち﹁いつでも建て替えられる﹂とい
あろう。彼らは僅か一年間の別に建築ストックの一O%も新築更新しうる時
築 ス ト ッ ク の せ い ぜ い 二 1三 % に す ぎ な い こ と に 気 づ い て く れ な か っ た の で
どうして彼らは、後枇の我々が一年間で新築によって更新できるのは、建
深い悔恨を抱くのである。
ってよい。この小学生でも分かる算術を黙殺していたことに、後世の我々は
して二徳川を足すインパクトの相違には、ほとんど関心を示さなかったとい
倍。貯を新たに積み上げることのインパクトと、六O佑ぽの建築ストックに対
量の変動には大変敏感だったにもかかわらず、一一O市川の建築ストックに二
ら一二億ぽもの建築物が新築されていた。しかし、当時の人ぴとは、その新築
1
9
却
1
9
5
5
1
%0
1
9
6
5
1
9
7
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1
9
7
5
1
9
8
0
1
9
9
0
五倍もの建築ストックを形成するに主っている。今となっては信じられない
な っ て い る 。 こ の 僅 か 問0年間の間に、総量で四倍弱、国民一人あたり約二・
初頭には約六三指針、国民一人あたり約五OUの建築ストックを持つまでに
国 民 一 人 あ た り 二 O M 足 ら ず で あ っ た こ と が わ か る 。 こ れ が 、 一 九 九0 年 代
トック総量は、延べ床面積総量で約一七億ぼであり、当時の人口で割ると、
例 え ば 、 手 元 に 残 る 統 計 を 見 て み る と 、 一 九 五0年 代 初 頭 の 日 本 の 建 築 ス
能であったはずである。
うことを述べることは酷なことであろうか?いや、九時でもそれは予測可
覚は、開史的には希有な例外であることをはやく気づいて欲しかった﹂とい
不思議はない。後世の我々にとって、その時代の人に、﹁そのあなたがたの感
たそうならないことを筆者も切に願っていることを予めお断りしておきたい。
悔 慢 1111
いつでも建て替えられるという潜主意識が支配していた。
二O世紀末の建築活動を支えていたのは、二O世紀前半に生まれた、
の時代区分でいえば大正、昭和に生まれた佐代である。この世代ほど、その
3凹 加 叩 叩 「
1~
19M
1
9
0
0
1~5
本
建設年度
日
一生のなかで、激しい物関一的な生活環境の変化を体験した世代というものは
(
文h
l
K3、4とI
司叫の手法による措測にもとづく)
延床面積(
m
'
)
過去の j
音工殺をもとにした推t郎
{
直
+題定資産税対象建物
l~O
1%5
1~
19~
19~
1
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4
5
1
9
8
5
あ る ま い 。 一 九 四 五 年 当 時 の 東 京 の 写 真 と 、 一 九 六0年 代 中 葉 、 そ し て 一 九
0α)
凹
5
α
1 8本の建築ストックの移りかわり (
1
l
i定)
額一
と呼ばれている時代に、二億五千万ぽ程度の新築をするのに、建築産業はフ
i フーいっていた。当時の人ぴとが新築能力に限界があることが意味するこ
とを冷静に考えてもらえれば、と悔やまれてならない。
揮慢 2 │ │ │
残 さ れ た ス ト ッ ク は 後 世 の 我 々 に フ リl ハ ン ド の 決 定 権 を 与 え て
くれない。
文 献 を み る と 、 既 に 一 九 七0年 代 か ら ﹁ 良 好 な 住 宅 の ス ト ッ ク 形 成 ﹂ と い
う 言 葉 が 、 日 本 の 住 宅 政 策 の ス ロi ガ ン の な か で 用 い ら れ て き た こ と が わ か
る。しかし、そのスローガンのアウトプットをみると、具体的に有効な施策
はなんら打たれなかったといってよい。
ど う い う つ も り で 、 関 口 六 mお き に 戸 境 壁 を い れ た ウ ナ ギ の 寝 床 の よ う な
住戸ばかりの集合住宅を大量供給し、同時代の人はそれを許したのか?後
世の我々が、そんな所に喜んで住むと思っていたのか。せめて、隣接するこ
住戸の間の戸境壁をぶち抜いて使いまわしたいが、それもままならない。当
写真/編集部
時、地価が高騰したことは我々も知っているが、大都市ほどに土地利用効率
を追及しなくてよい地方都市でも、東京と同じようなウナギの寝床を作り続
けたのを見ると、当時の設計者が思考且仔止をしていたとしか忠えない。
一九八0年 代 中 葉 に 、 当 時 の 住 宅 都 市 整 備 公 団 が 、 五 階 建 て 住 宅 に エ レ ベ
ーターをつけようとして、それが新聞に掲載されたら、財政当局が約束が違
うとオカンムリで、公団の幹部の人びとが頭を下げに行ったことがあったそ
うだ。今から思えば全く信じられないことだ。その頃は金余り時代とかで、
今から思えばあだ花のような投資がされていた事例も多い。にもかかわらず、
どうしてエレベ i タ│設置という堅実な将米への投資がなされなかったのか。
国家財政が当時赤字国債漬けということもあり、財政当局も苦しんでいたの
だろうが、今、高齢化社会を迎えて、怠を切らせて五階まで階段を上下させ
られ、少しでも足が不自由になれば四階、五階住戸での居住そのものを放棄
せざるを得ない我々には、一体誰が頭を下げてくれるのだろう?
間 知 の と お り 、 二O 位 紀 に 作 ら れ た 集 合 住 宅 は 、 少 数 の 例 外 を 除 い て 、 設
備機器・配管・配線の更新に膨大な手間ひまが多大にかかるし、事実上不可
能なものも多い。これは、建物の躯体と、仕上げ、そして設備機器・配管・
配線の空間的な位置関係が複雑に錯綜しているためである。コンセントの位
置一つを変えるのに、天井・床・援の仕上げをブロの職人さんを煩わせて剥
がしてみないと対策すらたてられない、浴室ユニットを交換しようにも壁を
大規模に撤去しないことにはできない、自分の住戸の配管の一部が隣接する
住一戸を貫通している、などなど錯綜のもたらす弊害ははかりしれない。
こ れ ら 枚 挙 に い と ま の な い 、 二O 叶一紀後半に作られた住'一色、とりわけ集合
住宅の欠陥に共通するのは、後世のユーザーの裁量を大きくしておくという
配慮が極めて乏しいことである。未米のことは予測しがたいことが多い。我々
も、過去の人ぴとが米米のユーザーがその建物をどのように使っていくかを
予見できなかったことを非難するつもりはない。ここで非難したいのは、そ
の住宅ストックを引き継いだ我々が今日のニ iズ に 合 わ せ て 改 造 す る 可 能 性
を 奪 っ て し ま っ て い る こ と 、 い い 符 え る と 後 祉 の ユ ー ザ ー に フ リi ハンドの
ストックの改造も改修もできないという身動さのならない状況に追い込まれ
我々は、使い勝手やニ i ズ が 建 設 さ れ た 当 初 と 全 く 異 な っ て い る の に 、 住 宅
決定を委ねようとする態度がまるでみられないということである。そのため
空 陪 的 に 錯 綜 さ せ ず に 独 立 さ せ る の だ と い う こ と 、 つ ま り サ ポ ー トi イ ン フ
で改造できる範囲を広範に確保するという考え方がまずあって、そのために
として短絡して埋解されていたふしがある。あくまでユーザーが自らの裁量
(な エ レ メ ン ト の 分 割 と し て 、 あ る い は 共 同 専 別 の 一 分 離
な る ハ ー ド な 建 築ω
的
本では、サポート
(22) の 分 離 と い う こ と が 、 単
ている。
ィルの分離が日的を達成する一つの千段にすぎないということが一体どれだ
若宮え)│インフィル
O世紀末にも、こういう事態にたち至ることを予想した人ぴとが多くい
一
一
た 。 そ し て そ れ を 防 く た め に セ ン チ ュ リl ハウジングシステム (CHS) や
け の 人 に 理 解 さ れ て い た の だ ろ う ? そ の た め 、 一 九 八0年 代 か ら 九0年 代
そのユーザーの裁量の及ぶ範囲(インフィル)を、建築家が決定する部分と
づいた住宅も少なからず建設された。しかし、世のマジョリティを獲得する
二段階供給論など、多くの示唆的な提案がなされたし、そういった考えに基
にかけての日本の実験住宅のなかには、﹁インフィル﹂部分に将来のユーザー
にすぎないような住宅部品が用いられていたりする例も兄られる。また、ど
に至らなかった。その原因を我々は注意深く探る必要があるが、筆者の調べ
まず第一に、これらのシステムを普及させる施策に乏しかったことが考え
のようなサポートを作ることが、インフィルにおけるユーザーの裁量の度合
がその裁量を及ぽすには複雑すぎて、ユーザーから兄ればブラックボックス
CHSに は 当 時 の 住 宅 金 融 公 庫 の 割 増 融 資 が 得 ら れ る こ と に な っ て
を 高 め る こ と に な る の か 、 と い う 技 術 開 発 努 力 も よ う や く 九0年 代 前 半 に な
るところ次のようなことも要因の一つとして絡んでいるようである。
いた。だが、割増融資を得るための技術的要件が当時の住宅供給者には厳し
って顕在化してくる。もう少し早期に着手されていれば、もっと多様で広範
られる。
い と 映 っ た よ う で あ り 、 し か も 一 九 八0 年 代 半 ば か ら 九0年 代 初 頭 に か け て
な展開がなされ普及したように思う。
ーーー
住宅ストックの維持保全のコスト負担の仕組み作りが遅れた。
毎限 3
の低金利が政策的手段としての割増融資の効果を減じている状況にあった。
ひらたくいえは、パーの高いわりには、そのパーをクリアすることによるメ
CRSの 全 要 件 を 満 た さ な く と も 、 例 え ば 躯 体 に 配 管 ・ 配 椋
リットがあまりに小さいと供給者に感じられていたと想像される。ならば次
善の策として、
資 本 主 義 の も た ら し た 諸 産 業 の 生 産 性 の 飛 躍 的 な 向 上 に よ っ て 、 二O 世 紀
を埋め込まないなど、後世の人びとの裁量を少しでも大きくする工夫をした
ものには、なんらかの優遇策をするということも考えられる。また、こうい
制令が大きくなっていたためだと想像されている。それほど、維持保全工事
興味深い事実がある。この原悶の一つは、建設需要に占める維持保全工事の
ては、第二次世界大戦以降、その生産性は下降の一途をたどっていたという
中葉から後半にかけて未曾有の反映をした米国においですら、建設業に回附し
CHSと い う ﹁ 項 ﹂ を 築 く だ け で な く 、 そ の ﹁ 裾 野 ﹂
ったシステムの啓蒙を推進することも考えられる。が、そういった施策が試
みられた形跡がない。
CHSや 二 段 階 供 給 論 の 具 体 的 な テ ク ニ ッ ク だ け が 強 制 さ れ す ぎ
を広げる必要性もあったのだが、誠に残念なことだ。
第二に、
れていなかったきらいがある。日本での先駆者たちと交流のあった、ファン・
何割かを維持保全工事に向け、少しでもその生産性を向上させる努力は払わ
勿論、新築建築物の生産性向上のためだけに払われてきた技術開発努力の
は新築工事に比べ、労働集約的にならざるを得ない側面がある。
ランデン教授(デルフト工科大学)らの率いるオ!プンハウジングのグルー
れていた。しかし、本質的には、維持保全工事の生産性は新築工事よりも低
て、その根元にある﹁ユーザー指向﹂という基本的な考え方があまり理解さ
プの著作をひもとくと、﹁ユーザー指向﹂という考え方がよく読み取れる。日
ρhu
巧ペ d
成され、諸制度が整備されたのが、事態がいかんともしがたくなるに至って
したがって、当然のごとく、新築する建物における過去の教訓の反映とい
からであるというのは、悔やんでも悔やみきれない。
るかどうかにかかっている。誠に残念なことであるが、その社会的な容認が
うことも後手にまわってしまった。ちょうど残業手当の上昇が、勤務時間内
かどうかは、維持保全工事の費用が、必要なコストとして社会的で容認され
なされるのに多くの時を費やしてしまい、結果として、維持保全が不十分な
での業務効率向上のインセンティブになるように、建物の維持保全コストの
く、割高であることは否めない。住宅ストックの維持保全が適切になされる
ために見るも無惨な姿を晒した住宅ストックを抱、ぇこむことになってしまっ
これと対象的なのが、高齢化に伴、っ医擦コストの上昇である。一一O 世 紀 末
フィードバックされないという状況が長く続いてしまったのである。
期に少なからざる中部管理職がヤミ残業をさせたがごとく、設計者に実相が
の設計の改善につながるはずであった。残念ながら、かつて日本の経済繁栄
掛け値のない上昇が、維持保全に十分に配慮した建物を作るという、新築時
から医療保険制度の収支悪化は深刻化していたが、その制度においては、そ
ふ/﹂
のコスト増加を拒絶する社組みをもっていなかった。これは、収支バランス
や費用負担の公平性という点では問題なのであるが、高齢化に伴う医療コス
当の公共建築が﹁健康を害した﹂無惨な姿を晒している。しかしこのことの
築においては、実に過小な修繕費率しか計上されていなかった。その結果、
す る と い う 制 度 的 仕 組 み は 二O 世 紀 末 に は な か っ た 。 そ れ ど こ ろ か 、 去 共 建
しかし、建物の維持保全に関する限り、そのコスト増を消極的にでも許饗
をもっと深刻に考えて欲しかった﹂と。そしてタイムマシンがあれば我々の
であえて彼らに言いたい。﹁一二世紀人の我々が使わざるを得ないということ
るを得ないという危機感は乏しかったように思う。繰り言であることは承知
らず現時点以前に作られた建物を住宅として次世代の人びとが使っていかざ
ックすべきという浬念は彼らの間に存在したものの、好むと好まざるにかかわ
以 上 、 二O 世 紀 末 と い う 時 代 の 建 築 人 を 総 括 す る な ら 、 良 好 な 住 宅 を ス ト
より重大な弊害は、公共建築における倍繕費に対する建て前上の過小評価が、
やしろ・ともなり
4
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︿参考文献﹀
この悔恨を彼らに送り届けたい。
ト増加が、消極的には許容されていたという見方もできよう。
*
維持保全のコストがかかるという世の中全体の常識が形成されるのを妨げて
きたということである。したがって、管理組合による自力救済を原則とする
分譲集合住宅において、修繕費の積み立てがなされていなかったり、あって
も不十分な額しか積み立てられていないという悲惨な事態を多く招くことに
なった。
O世 紀 末 に お い て は 、 諸 制 度 は 過 去 と の 連 続 性 を 尊 重 し て い た 。 今 ま で 、
一
一
建 て 前 で は 足 り て お り ま す と い っ て い た 維 持 保 全 コ ス ト が 来 年 か ら は 一 O倍
になりますというのは、公共体の財政当局においては一般に許内令されないこ
とであった。虚構に虚構を塗り重ねてきた過去のしがらみを断ち切れなくな
っていたのである。歴史上こういった硬直性をもった問が下降線を辿ったよ
うに、残念ながら日本も例外ではあり、えなかった。折角作り上げた建物を大
事に使い続けるためのコスト負担が必要だという社会的なコンセンサスが形
3 2
4
〉
【
ピラ・セレーナ
渋谷区原宿
I:
800
ビラ・フレス力
渋谷区原宿
I:800
3 港区西麻布
③
8
ム
額都市内集合住宅の主題
私の都市内での集合住宅の道程は、人寸ふり返る
と か な り 長 い も の で あ る 。 も う 二O 年 ほ ど 前 に な
るが、都心型のマンションの設計を坂倉建築研究
所で担当したのが最初であった。ある程度高密度
な住戸の集合体を都市内にど、つつくるかという設
計上の方法、テーマを模索していた時であった。
当時の﹃都市住宅﹄誌の特集﹁複合と都市性﹂の
時 談 会 で 、 最 初 の 集 合 住 宅 の 作 品 ︿ ピ ラ ・ セ レl
ナ﹀について以下のように述べている。
ば学校とか病院とかといった分類でとらえるので
@︿建築というものを、建築の種類とか目的j l例え
はなく、建物を、その間有の機能をもった部分と、
それ以外の流動的な部分とに分けて考える﹀とい
ったとらえ方で建築がつくれないかということを
考えていまして・:集合住宅の場合は、その間有
の部分というのが住居になるのですが、住民をつ
くるという怠識よりも、それ以外の部分を積極的
なスペースとしてつくれないかと考えたわけです。
港区白金
1:1
0
0
0
1:1
0
0
0
茅ヶ崎市緑が浜
@
マ
①
6 目黒区三悶
1:1
0
0
0
渋谷区渋谷
ピラ・モデルナ
4
の機能を持たない部分ということで、個人の領域、
@ そ れ 以 外 の 部 分 と い う の は 、 集 An
住宅として悶有
住まいとしての領域以外の全てということでとら
えられると思いますが、︿ビラ・セレlナ ﹀ の 場
計画上先取りしてつくったのですが、間十付なもの
合、建物の真ん中に外部スペースというかたちで
ーターとか、通路とか、ブリッジとか会部立体的
以外を併でもここに持ち込んで、階段とか、エレベ
にまとめてしまう。そのまわりが住民ということ
で、全体の構成を単純にしていくというかたちで
す。普通、計画する場合、集合住宅ですから、住居
ステムとかそんなことが手がかりになるところで
単位とか、住印刷のユニットプランとか、集合のシ
すが、最初にそれ以外の部分を確保してしまう。
@もう一つのテi マとしては、このスペースを往一戸
の壁で岡むということにあったわけですが、そん
なことで関われた外部というかたちができたわけ
です。容積率に入らないような外部でないとスペ
ース的に余絡のあるものがつくれないということ
もあったわけですが、この場の性的情としては、居
住者の共有の場でありながら、街路からの導入部
分は共用性がより強く、住戸に近い部分は専有性
連続して都市
がおいという性絡の序列ができたわけです。
︿ビラ・セレl ナ﹀ の 計 同 以 降
内 で い ろ い ろ な 集 合 住 宅 を 計 闘 し て き だ 。 ここに
集合のシステム
そ
最初の計同
集合住宅
つ一つのプロジェクトに
そ れ ら の 主 な も の の 配 置 の パ タi ン を 放 列 し て 示
それらの
集合の形態
しているが
おいて
がつくる住環境を考えてきているが
で考えた設計上のコンセプトをべ!スにして
I:800
杉並区浜田山
I:800
目黒区八雲
日
!
I:
800
8 杉並区荻窪
こから考えを出発させ、それぞれの個別の計画上
の条件を付加させ展開させるという方法をとって
きている。これは数学を解くとき、あるマニュア
ルを使って応用問題を解くような解析と相通じる
よ う な も の と も い え る が 、 集 An
住宅という建築を
解く場合の応用の条件は一律ではなく、それぞれ
の計画に向有のものであるために、結果としての
集合体の解は多様化し、複雑化し、それぞれが独
自のものとなってきている。そのために一つ一つ
を 個 別 に 見 る と 共 通 性 や 計 画 の テi マは見えない
かも知れないが、横一列に並べて通してみるとそ
れらに共通したものが見えてくる。それが私の集
合住宅の、王題といえるものであり、それについて
のこだわりが設計作業といえるのである。
欝集合住宅の中間領域
都市内での集合住宅を計両するうえで着目しな
ければならないこと、考えなければならないこと
り方を見出すということ、どのような住空間をつ
はいろいろある。都市での生活を容れる住居のあ
くるかということは重要なことであろうが、集合
す る こ と に よ っ て 生 ず る 共 用 ス ペ i スを住戸との
関係において建築化された空間としてどのように
つくるか、またその場をどのような共用意識の場
にするのか、ということに私は都市住居の主題と
設計の興味を見出すのである。
集合住宅と⋮戸建て住宅とを比較して考えたと
き、二戸建て住宅が平而プランや内部の住空間、
Z
斗
ハ
U
b
専 用 庭 な ど の 住 宅 そ れ 自 身 が 設 計 上 の テi マにな
るのに対して、複数の住居が集合してできる集合
住宅の場合は、二戸建ての住宅にはなかったが、
集合することによって休まれる新たな要素が計雨
上 の テl マになってくる。それは︿共有する﹀︿共
用する﹀という意識である。二戸建てでは全てが
専用スペースであるが、これらの部分も集合する
ことによって共用のスペースに変わってくる場合
がある。しかもそのスペースは全体で共用する場
合、数戸で共用する場合など、いろいろな形態が
生じてくる。
集合住宅の所有形態を夜分する場合は、市寸有部
分か共有部分かという明確な足分線が必要である
が、利用形態使用形態については、全ての部分が明
慌に区関されているとは限らない。専用部分と共
用部分はオ│パ i ラ ッ プ し た り 、 ま た 両 者 の 抜 点
などに眠昧な部分が坐じたりする。共用部分でも
専用的な使用になったり、専用スペースでも共用
空間の連続としてつくられることがある。これら
の両方の領域で、より専用性の高い領域から、そ
の中間の領域、さらに共用性の高い領域まで、そ
れぞれの性格に応じて、区分、区耐の仕方に段階
が生じる。このことは集合住宅の中で領域のヒエ
ラルキーについて考えることであり、それをどの
ような建築的な空間につくるか、住居部分と一体
化されてどのように構成するかが必要となる。
っ
このように一戸建てではほとんど意識されなか
︿専有﹀と︿共有﹀、︿専用﹀と︿共用﹀とい
た
1
2 大田区中馬込
1:
8
0
0
1:1
0
0
0
横浜市緑区青葉台
②
1:1
0
0
0
1
4 町田市中町
1:1
0
0
0
1
5 多摩市永山
@
④
1
6 八支子市
南大沢
1:1
2
0
0
n
った意識が、集合住宅の場合には重要になってく
る。集合住宅を考えているといつもこれに出会う
わけだが、集合住宅の設計は、これら二つの意識
をどのような領域としてつくるか、二つの領域を
どう区画するか、融合させるか、また二つの聞の
中間的な領域をどう構成するか、このようなこと
が 設 計 の う え で の テl マ と な る 。 更 に こ の 部 分 に
独自の発想と提案をすることが倒性的な集合住宅
をつくることになると考える。
集合住宅の共用スペースは、住戸の戸口を出た
部分から街路にいたるまでのスペース、階段、通
路などの勤続部分など共用の機能をもっ部分から、
遊ぴ場、溜り場、くつろぎの場など、またそのよ
聞につくられた小スペースなどでも共用スペース
うな目的や機能をもたないが、ちょっとした住一戸
となる場合がある。
そのような場のつくり方として、私は計画の最
初から意図的に、住一戸の壁や住一戸のブロックで顕
み外部スペースとして内包するようなかたちでつ
くることが多い。敷地内での住戸以外の部分は外部
スペースとして残されるが、閉じ外部であっても、
ある意図をもって外部空間を眼定すると、ただ単
なる外部スペースではなくなる。ここは意図をもっ
た共用の場となる。この場は内部化、建築化され
た外部空間として、自然の光と外気の通う場とし
て確立され、魅力ある空間として住一戸から街毘へ
と連続する場になるのである。
都市内における計画の場合、その地域のもつ部
1
8 鎌倉市大町
1
9 江戸川区総堀
1:1
2
0
0
1
7 茅ヶ崎市東海岸
1:1
2
0
0
①
また近郊の比較的住居密度の低い地区では、集合
度の住居環境を集合体としてつくることになる。
ってくる。都心における計同は、ある程度の高密
のことであるが、この住居密度が計画に関係をも
市性の高さによって住居密度が決められる。当然
立体化、往築化された空間構成となる。
領域の構成としては、古川層住局で同まれた狭間的な
I 都心の古川容積率地区の高層集合の型となる。中間
それぞれにいくつかの型で分類することができる。
くり方、住戸の集合の形態、中間領域の買など、
性松川・構成などが見えてくる。共用スペースのつ
化された共用空間として構成される。
しては、住戸と建築的に一体化された買の高い立体
考える。都市型低層集合の型といえる。中間綴域と
に計同される集合形態、時間の既成環境との調和を
日比絞的に住環境が加設備されている住居専用地域内
形態は都心とはちがったものになってくる。しか
し、ここで述べてきた計耐の、主題となる共用の領
域に関しては、共通の考え方で計闘し得ると考、え
ている。いずれにしても、この領域に着目し、その
あり方つくり方を考えることが、集合する住戸と
の領域を明確なものにする。集合住宅の設計の手
地域の集合形態で、接地、準綾地型の独立性のおい
問第一種住居専用地域で低容積率が指定されている
てこの領域を考える。また集合住宅の住一戸と住一戸
な空間をとり、プレイロット、緩街緑地などの平河
集合形態である。共用スペースの構成としては十分
掛かりをそこに求め、住戸を集合させる媒介とし
との、住戸と周辺との接点としてこの場を考える。
的な構成を主とする。
私が設計してきた集合住宅をパターン化したもの
ここに並べた配置図は、ここ一 O年 ほ ど の 照 に
都供給公社など三実例も含まれている。今後も実
る関連があることがわかる。この中には住都公団、
中間領域の性格などの聞に共通項として区分でき
これでみると、計画地と集合形態、計画硲度と
である。これらは計画された地域の立地条件、周
際 の 計 画 を 通 し て 、 こ の テl マ の 追 求 を 続 け て み
髄集合住宅の集合形態と中間領域
辺環境、敷地の大ききゃ形状、道路位置、規模、
たいと考えている。
[}jith
(せいた・やすお/清川育問刀A両設一一川[一防)
集合密度、民間、公共住宅、分譲・賃貸など、そ
れぞれの計画条件のちがいによる、個々の解とし
ての集合住宅であるが、これらに共通していえる
ことは、前に述べた集合の主題の追求と、展開と
応用による具体的な計両であるといえる。これら
を計画容積率、計画規模などのスケールの上に置
いてみたり、また都心からの距離を地図の上にプ
ロットしてみると、集合形態の型や、中間領域の
特集@すまい i未来からのレビュー
すまいのテクノロジー
NEXT引が自指す
グ未来の住まい'
形成技術
近角真
ル住宅の場でドッキングさせ、開発技術や生活提
案を公開することで幅広く議論を巻き起こし、二
一世紀の住まいの開発に向けてさまざまな潮流を作
N E X T引のねらい
未 来 型 実 験 集 合 住 宅NEXTnは 一 二 世 紀 初 頭
りだしていこうというのが大阪ガスのねらいである。
ードの開発を通し豊かな住まいづくりの提案をし
ス事業者として、住関連のさまざまなソフト・ハ
組んできた企業であるが、同時にまた生活サービ
ルギー供給業者として地球環境や都市問題に取り
このプロジェクトを進めている大阪ガスは、エネ
テl マに関して刺激的な問い掛けを仕組んでいる。
居住・建築に関わるソフト・ハードのさまざまな
方式、施工方式など、エネルギー・環境・都市・
地球環境との関わりかた、住宅の供給方式、設計
の提案のみならず、住一戸の集合形式、その都市や
実験住戸は全部で一八一戸であるが、個々の住宅
プロジェクトの推進体制
の生活予測の上に立ち、実際の都市内に集合住宅
を試作し、設計・建設・居住の各段階でさまざま
てきた。地球規模での限りあるエネルギー・環境
プロジェクトの推進主体である大阪ガス自身を
な実験を展開しようというプロジェクトである。
のあるべき論と住まいの豊かさへの希求論をモデ
n
;
:
r
V
J
J
A
l
f
付広 i
f
,
)
はじめ、グループ各社、学識経験者、研究者、設
め、幅広い議論を巻き起こしながら開発設計を行
計者、施工者、協力メーカー等の人材と智恵を集
ない、住まいの未米像にアプローチしてきた。議
論 の 集 約 と 設 計 の ま と め はNEXT幻 建 設 委 員 会
(委員長1 内 田 祥 哉 明 治 大 学 教 授 副 委 員 長1 巽
和夫福山大学教授)が担った
プ ロ ジ ェ ク ト は 九O 年 の 春 に ス タ ー ト し 、 委
員会の下に課題分野別にワーキングが組織され、
海外の先進事例の調査も経て、二年後の九二年三
が完了した。工事は設計完了に先だって同年五月
月にスケルトンの設計、同年二一月に住戸の設計
に着工され、九三年一 O 月に完成する予定である。
竣工後半年の問、一般公開され、その後九九年三
月までの五年間は居住実験を行ない入居所帯(大
阪ガス社員)の協力によりデi タが集められ、二一
世紀が明ける前に成果が集大成される予定である。
適生活の両立を呂指す。
エネルギ iの古田効率活用により、省エネルギiと快
ーエネルギーに関するテーマ
験内存を分野別に簡略に紹介してみたい。
い 報 告 が な さ れ る と 思 う が 、 こ こ で は テi マと実
大を見せている。いずれ各分野の専門家から詳し
の進行に伴い関わっている人の数も実験項目も拡
テーマは多方面にわたっており、プロジェクト
N E X T幻のテiマ
NEXT21の模型写真
人と自然とのより豊かなふれあいを作りだすこと
りだすことによって野生生物をそこに呼び込み、
一戸建て住宅を超、える肱力を持った住まいを提案する。
の空間から光と風を取り入れる街夜型住棟など、
ィの形成をは指す立体街路、東西南北の街路上空
フラを組み込み高層空間内でも思かなコミュニテ
住宅に対して日本ではじめて導入される燃料電
を試みる。附日本野鳥の会の参両により、野'品や
池に関わる実験が行なわれる。燃料電池はオンサ
イト(電気を使う場所)で発電できるので送電ロ
ンフィル)の二つに分けて集合住宅の供給を考え
!ジに合わせ短期に可変して繋備すべき部分(イ
分(スケルトン)と、居住者の個性やライフステ
社会的対応としてロングライフで撃的すべき部
合住宅の供給手法を提案する。
家族やその生活スタイルの多様化が一層加速さ
れる状況を踏まえ、高度な偲性対応技術を備えた集
4 居 住 に 関 す る テi マ
チョウ、トンボなどの成育環境を集合住宅の屋上
(O
業務化が進行し人口が減っている都市中央部に
おいて、居住環境を回復しコミュニティ形成可能な
街区護備方策を提案する。
3 都 市 に 関 す る テl マ
G法 ) に よ り 処 理 さ れ 中 水 と し て 再 利 用 さ れ る 。
用の排水管で集められ、触媒接触湿式酸化法
生ゴミは厨一房の破砕機で細かく砕かれたあと専
や中庭(エコロジカルガーデン)に作りだす。
スを極小化でき、給電と伺時に冷暖房や給湯設備
の熱源にも活用(コォジェネレーション)されるの
で 将 来 の 高 効 率 な エ ネ ル ギi源として有望である。
太 陽 エ ネ ル ギi等の未利用エネルギーの回収、
蓄電池の充放電によるピークカット対策も試みる。
建築サイドでも高気密高断熱の仕上手法や、繰・
水 ・ 土 に よ る パ ッ シ ブ クl リングにも取り組み、
エネルギーの効率化を目指す。
2環 境 に 関 す る テi マ
スケルトンはプランを制約する回定壁を持たず、
るこ段階供給方式の実験を行なう。
負担、収益型用途への純化等が要因で人口の空洞
) で、階毎に設備のミニイン
古川い階高(一二・六 m
古川層化による居住環境の悪化、高地価による税
化が進む高密市街地においても住宅機能が回復可
約
一寸
巾角レ
AH的
私舟ィ
部別つ
約侶ノ
¥
Z
E
/ L 五工一
的戸一一一一二
Lr
E
口
分久メ/工一一一一
﹂﹁し一
ス
ld記
部耐ヂ
刊
誌
的卜
社共吐
幹レ
峰引
図 -4 二段階供給の概念
高密市街地に動植物と人との共生環境を創出す
るとともに、生ゴミ・排水をリサイクル手法により
図 -3 エコロジカルガーデン断面イメージ
処理し、環境負荷の低減を図る。
Y
フラが整備される。一八戸の別々のインフィルの
2 生ゴミ・水リサイクルシステム
関
より自然度の高い自然を作
下水道
能な街区再編の方策を提案する。植栽や設備イン
人が踏み込まない
1 エネルギーシステム
図
工の 一段階の実験をオーバーラップして行なう。
設計を工事と並行して行ない、設計のニ段階と施
に共存するとなると互いの領域が絡み合い両立し
的容易に解決しそうに見えても、一つの建物の中
けだす予法で行なわれた。技術課題の各々は比較
機能を導入する都市基盤の一つとみることができ
なり、下部に都市対応機能、その上部に居住対応
調整を行なっている。この階は一種の人工地盤と
を持つ結合階になっており、ここでスパン割りの
低 層 階 部 分 と 上 層 階 部 分 と を 繋 ぐ 階 はY の字の柱
5建 築 に 関 す る テl マ
がたい場合が少なくない。構造系と設備系、自然
⑮居住対応の構造システム
ヲ
令
。
領域と生活領山城、街臨空間と住一戸空間、居住機能
と都市機能等、古川鉱山空間の中でこれらがどのよう
に取り合い、またどう折り合いを付けるのかは設
集合住宅においては、所有者やテナントの入れ
ビルディングの総合、スケルトンと立体街路そし
の案をぶつけ合った。一一段賠供給論とシステムズ
の場であり、各委員が分業し、あるいはそれぞれ
建設委員会の場は議論の場であるとともに設計
く 設 計 さ れ て い る 。 ス パ ン 七 ・ ニ m部 分 を テ ー ブ
るようスラブが他の部分よりも低く、梁成も小さ
ネルギー等の設備が構造躯体と干渉せずにおさま
一一一・六 mの 部 分 を カ ナ ル ゾ ! ン と 呼 ぴ 、 給 排 水 エ
と比較するならばはるかにお階高である。スパン
階市の一一一・六 mは 、 現 状 の マ ン シ ョ ン の 階 高
替わりゃ、居住者のライフステージの変化に伴う
て設備供給系の結合、住戸設計調整とモデュラ│
ルゾl ン と 呼 ぴ 、 給 排 気 系 の 通 り 道 の た め に 中 央
計上大変な難問である。
内装設備の更新対応は必須条件であるが、耐久力
コォディネ!シヨンの結合など、参加委員のそれ
部の梁成が低くなっている。充分な厚さ(一八 i 二
エネルギー設備、人工土壌、都市機能、多種多様
な住戸インフィルなどのフレキシピリティを高度
に確保する建築手法Hシステムズビルディングに
よる集合住宅を提案する。
のあるスケルトンを長期に繰り返し使用するため
ぞれのブロパ l領 域 が う ま く 鴨 み 合 い こ の 設 計 が
o
NEXT幻 で は 、 外 壁 の 移 動 、 庭 の 移 動 、 水 田 り
四叩)を持った二枚のスラブに挟まれた居住域に
には、さらに高度なフレキシビリティが望まれる
の移動までも射躍に収めた集合住宅の開発をねら
生まれた。
対して、下方からは配管配線系が、上方からはダ
クト系が自由に抜統でき、⋮種の人工地盤を構成
している。すなわち住戸の設計は設備の位置や壁
の位置に何の限定も無く、あたかも一戸建て住宅を
ーブル部分を宅地にたとえるならば、設備系を明
設計するかのような自由度が確保されている。テ
構造躯体は低層階部分(地階・一階・二階)と
⑧都市対応の構造システム
1構 造 体 の 設 計
て設計のポイントを紹介したい。
以下、﹁構造体﹂﹁共用部﹂﹁住戸﹂の一二つに分け
っている。システムズビルディングは、建築を構
成する個々のサブシステムが、設計・生産・施工・
保守の各段階において必要に応じてその要求内容
が変化しても、サブシステム相互間の調務手法が
確立している建築を目指すものであり、システム
ズビルディングが未来の住まいの形成子法として
最適な構法であることを実証する。
考案された抗体は、一つの住棟のためだけの特
設したカナルは街路そのものとして機能している
等の都市機能がおさまる標準解として階高田・ニ
殊解でなく、外装や内装等のサブシステムとのモ
0 生産対応の構造システム
NEXT況 の 設 計 は 、 あ ら か じ め 設 定 さ れ た 未
m、スパン一 0 ・八 mの 架 構 体 で あ る 。 上 層 階 部
デュラl コォディネl シ ョ ン が 般 密 に 行 な わ れ て
ンに別れている。低層階部分は商業・業務・文化
米論に導かれて行なわれたのではなく、テーマと
分は階高一二・六 m、 ス パ ン 七 ・ 二 m /一一了六 mで
おり、他の多くの集合住宅に適用可能な共通性を
上層階部分(一一一階 i六 階 ) と で 二 種 類 の ス ケ ル ト
して掲げられた技術課題を一つ一つ丹念に検討し、
あり、居住機能に対応した架構体となっている。
N 正X Tれの設許
全体をバランス良く満足させる解を手探りで見つ
0
持っている。戸数が少なく、敷地の広さの点でも
引用されている。
まり通銘など伝統的な路地空間に見られる技法が
住一戸を煩わすこと無く工事ができる。
処理されていることから、増改築時には上下階の
に潤いを与、えるため、立体街路には豊富な植栽が
憩い、語らい、遊ぴなどの街路上での生活行為
。緑の立体ネットワーク
で、セキュリティロックによらない安全な街路空
確保される。植栽スペースと設備配管とが重なら
エコロジカルガi デンは地平措(一部平地下)
土壌が組み込まれる。
ないよう調整され、カナルの深さを活用して人工
間 を 作 り だ し 、 高 層 高J
M空間内での新たなコミユ
考えかたは、防災上も安全な通路空間を形成する。
経路の選択肢が豊富となる、﹂うした立体街路の
ラアイスペースの創出を目指している。
このような見守られる街路づくりを行なうこと
無 理 が あ っ た が 、 施 王 者 の 協 力 に よ り 複 合 化P C
技術を駆使した工業化構法としての実証実験も行
なった。
2共用部の設計
⑧立体街路
人工地盤上の街路として位置づけられるカナル
空間には、階段、吹き抜け、ブリッジ等が設置さ
と屋上に設置されるが、立体街路はこの二つのエ
コロジカルガi デンを結合する所に位寵しており、
カナル空間同は立体街路の空間であるが、もとも
⑮設儀インフラのネットワーク
とは設備のための空間として発想されている。カ
立体街路沿いの植栽は緑の立体ネットワークを形
れ、上下階あるいは隣接棟が結合される。歩行者
と居住者との聞に、見たり見られたりの関係が生
ナルのスラブ上に薄板の P C板 を 置 き 、 そ の 上 部
図 -8 立体街路見取り図
まれるようヒューマンなスケールに配慮しながら、
2F
成する役割を果たし、ここが野為や昆虫類の移動
4F
を立体街路、下部を設備系として活用している。
図ア
共用部の構成システム
地平部分の街路まで連続した一繋かりの歩行者空
テーブルゾーン
空間となる。
際慈雲習:テーブルゾーン
区~:設備トレンチ
1
:
::
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
1:カナノレゾーン
E ヨ:設備シャフト
その階のすべての設備配管配棋がスラブの上側で
MM
1
7
掠
6 カナルとテーブルの配置I
関
比1
到
7
.
2出
7
.
21
.
1
L
3
J
!
l
UM
間系を作りだしている。通り庭、南通路、行き止
図 -5 スケルトンの晃取り函
3住 戸 の 設 計
③ルールブックによる住戸設計調整
自由度
同時点の仕按内山符
地の中に自由に墜を配詮し設計を行なうことがで
。 ただしここに示したように
主
﹂
ヲ hv
や配置ル l ル 等 は 細 か く 規 定 さ れ て い て
戸設計以前に基本仕様が決まっていて、 ど の よ う
に可変しでもスケルトンや設備システムとのイン
一白河一l
ふみ,
一品又いH3J
タ!フェースが変わらないものが求められた。
長期的な可変性を担保するためには、
に流通しているオーブン部品から選択するのが望
ましいが、 条件を満たすものは無いので、 既存の
には限定がついている。住一戸設計が終わったあと
は外壁間リの情報はすべて住陳側に引き継がれ
オーブン部品を複数組み合わせ、 ア レ ン ジ し な が
住 棟 の 設 計 (守一体街路・共用植栽・設備インフ
ラ等の共用部の他、 外 壁 等 の 基 本 仕 様 ) は住一戸設
外壁等は住棟側の責任で施工された。
部
関
口
擦
住
{
設
儲
そして再び住一戸から住棟へ、情報のキャッチボー
ルが行なわれた所で、今関の二段階設計の裂の部
分にあたっている。この可変クラディングは、住
不
C穂 控 は タ イ ル 貼 リ 押 出 し 成 型 セ メ ン
カーの部品が府状に組み合わされており、
冗
引
以
語
一
、
mhMH
ガスの社員の依然 wが 居 住 す る 。 あ と の こ 戸 は 非 居
住宅は全て八戸あり、このうち一六戸には大阪
。実現された住戸
とになろう。
ムズビルディングの真怖がその時こそ問われるこ
ィングは大々的に移動される予定である。システ
れており、 居 住 実 験 が 終 了 す る 五 年 後 に は ク ラ デ
竣工後には、 住 み な が ら の 噌 改 築 実 験 も 企 画 さ
関係者に伝達徹底することの難しさを痛感した。
て、適切なタイミングで情報が誤りなくすべての
必要であった。特に設計変更や過誤の修正に際し
を、すべてのクラディングについて制かい調整が
i ルの各工事をどのメーカーのどの業種がやるか
の山地 だし、 現場穴明け、
1
I
に大変苦労があった。 ク ラ デ ィ ン グ は 複 数 の メ i
られた。 何 れ も 関 口 部 や 設 備 関 口 と の 取 り 合 い 部
ト日以
草、 バ ル コ ニ ー 床 に は 洗 い 出 し P C板が川い
11AJ1
レ
/
A種 壁B韓同僚一はカラl ス テ ン レ ス の ス パ ン ド レ
ら開発設計を行なった。
⑮可変クラディング
節
シ
1~f.J
外俊一の可変にまで踏
i
占
i
)
井
天
L
つ
ノf
スケルトン及びインフィルの外周部分を寵うもの
当
イる計
表中の可変クラディングが、住棟から住一戸へ、
フ
応
備
設
対
室
部
通
電
宅
住
備
設
として定義できる。
@
ク
デ
フ
1
1
補
強
従米の二段階供給論では外壁をスケルトンの
@
ノ
ー
イ
/
レ
クラディングは覆いという意味の英語であるが
計に引き継がれる前に固められた。 ま ず 街 路 が 存
授
住
梁
きるという自然なプロセスに従って住戸設計を行
住
擦
ン
在して、 そ の 道 沿 い に 不 が 立 ち 並 ん で 町 並 み が で
)
能
指
定
性
クラデ千ングという概念
柱
E
ま
なうためである。
定
)
下
地
限
寝
床
住戸設計者には、 住 棟 設 計 の 情 報 が ル l ルブッ
定
〉
下
期
綬
ル
ケ
ス
ト
クという形で提示され、 住 棟 側 と の 詳 細 な 調 諮 は
g
自 選
択
l
I
.
f
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今回
築
建
て
部に分類していたが
か
コォディネi タi (住戸設計監理推進室) が仲立
グ
ン
イ定
箇
み出したことによって
f
i
3
1
E
E 3
ちをして行なわれた。 二 段 階 供 給 論 に よ る 将 来 の
自
白
住戸設計者は一戸建て住宅を設計する感覚で、敷
グ
ン
の政広場が必要となった。
由
自
@
住一戸設計のイメージに近づけたものとするためで
帯
法
電
限
定
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ス
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l ルは以下のようなもので
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棟
住
住
様
住
様
住
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床
装
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室
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部
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部
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ふ
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制
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自
霊
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地
童
装
内
@
ものがべ i ス と な り 、 住 戸 設 計 者 の 見 直 し も 加 え
トレンドを解析し未来の生活提案として設定した
住 戸 の テl マ は 大 阪 ガ ス の ワ ー キ ン グ チl ムが
クラディング、インフィルの供給体制が成熟すれ
マに精通した専門家達の中から選ばれた。将米、
ー、住宅設備のリフォーム設計者、その他各テー
住宅の設計者、集合住宅の設計者、工業デザイナ
住戸設計者は関西在住の建築家を中心に、戸建
怒備も必要となろう。建築確認等の行政対時にも
ディングの更新も繰り返しできるような法制度の
スケルトンの区画の権利が白白に譲渡され、クラ
に対応した概念としても確立される必要がある。
インフィルといった概念が、社会や倒人の財産権
れるようになる。またスケルトン、 クラティング、
ン
ス
サ
キ
住のモデルハウスと短期体験居住用ハウスである。
られ以下の形となった。
ば二段階供給における住宅設計には多種多様な職
+
ターなどが住まい手と応答しながら設計を閏めて
カー、家具メーカー、インテリア・コォディネ│
グだけに通う街でなく、人びとが助けあいながら
できるようになる。都市がビジネスとショッピン
建て住宅に近い質の居住空間が立地を選ばず確保
一二世紀には核家族がさらに小家族へと分化を
いくようになるだろう。今回も四戸については、
を通じプランをまとめる住まい子参加設計の実験
いるが、こうした小家族が、血縁に頼らず助けあ
遂げ、孤独へと追い込まれていくと予測する人も
楽しく生活する場として再生することもできる。
が行なわれた。今回は誌面の都合で残念ながら住
NEXT
乱で実験され開発される住まい形成技術は、こう
も再生することができないであろうか。
い協力し合うそんな地域コミュニティが都市内に
一戸設計の紹介はできない。またの機会としたい。
設計当初から居住者を決め、居住者との設計相談
こうした産業体制や法務舗が構築されれは、戸
種の人びとの参入が予測される。建築家、工務宿、
員
害
者
襲
書
撃
警
善
事
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徳
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ハウスメーカーに加え、設備メーカー、建材メー
多くの課題が桟されている。
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ヨ 最 大 外 壁 線 の 車i
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き
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都市再生へ向けてのシステム構築
NEXT幻 の よ う な シ ス テ ム ズ ビ ル デ ィ ン グ が
した都市再生の鍵を握るものではないだろうか。
頭筑
臼本野路の会、立花直義+フフトリ工 E2
普及すれば、スケルトン、クラディング、インフ
地鼠地区 伎底地主主・翠防火地域・容積率 3
0
0
%
叡地面積 1
.
5
4
2m' 延床面積 4
.
5
1
9m'
構
造 池上 6
隠地下 T
隠註骨銑筋コンクリート遣
8
戸
駐車場 2
0
台
戸
毅 1
設 計 者 大 阪 ガ ス NEXT2
1l室設設員会
(内田祥哉巽和夫深尾精-.,富田光援
近角築
高陽三郎干務雅弘・ 2
霊藤彰三)
総括 内田祥苗+築工害建軍部市デザイン研究所
構造 木何世章構造設計事詰所+松本構産設計室
設憾科学応用冷暖研究所、大柿組
(ちかずみ・しんいち/集工合建築協山デザイン研究所所長)
NEXT21デ ー タ
ィルはそれぞれ専門の業種によって独立に供給さ
工大林組
筋
地 大 阪 市 天 王 寺 区 潜 水 谷6
刊
車
聖
1
2 住戸設計完了後の立商劉
函
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1
ノフウクの立面図
図 ~11
住戸設計の例
1
0
図
g ルール表示の例
図
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カナルゾーンにはみ出して
第羽田住総研シンポジウム
於l 建 築 会 館 ホ l ル
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司会
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清水建設情報システム本部長
みねまさ・かつよし
峰政克義
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差2恒 ス
語お男ト
重r
星
雲
手深
部お臣
教
授
持保全の開
展
長い集合住宅の歴史を持っているヨーロッパやアメリカとちがって、我々は共同で生
このシンポジウムの八しえは、研究年限初日ザ(一ー九九問午問川刊)に拘快いたします。
と専有部介のそれぞれの作り方への工夫について、講演いただきました。(峰政克義)
深尾先生からは、長期の耐用性を考えた集合住宅の設計・建設の手法、そして共用部介
サルティングから設計監理にわたって奮闘されておられる、その実態と将来への展望を。
持管理のあり方について。星川先生からは、実際にマンションの維持係会・改修のコン
梶浦先生からは、集合住宅における維持保全などの行為の窓士山決定の問題と今後の維
こうしたことを話し合うために企画したシンポジウムです。
がもっとあってもよいのではないか。
経済的に多額の費用が一時的に発生することに備えて、費用を積み立てやすい税制導入
土では合意に達しにくいもののガイドラインを決めることはできないだろうか、また、
ての機能を持っている共用部介を公的にうまく誘導する方法はないだろうか、所有者向
できないだろうか、専門の技術家を育てる役割を公が担えないか、社会的インフラとし
みんなが合意できる見積り、工事予算、工事のやり方を、公的な機関がオ│ソライズ
活するための知恵ゃ、呂常の管理、音羽田 U決定の方法などが未熟です。
⑧
から、そう簡単に建物を壊せなくなってきたということもあげられます。
っていくということなとがあげられます。そして新しい問題として、地球環境への配慮
ること、使う人そのものが替わることや老鈴化、あるいは世の中に応じて考え方が変わ
とや、新技術の出現による影響のために、もっと高度な土地利用が求められるようにな
けではなく、建物を取り巻く社会環境、経済環境、問周辺環境がとんどん変わっていくこ
改修が必要になる理由は、建物自身が時とともに劣化して機能が低下していくことだ
すのかといった、たくさんの問題が出てきています。
い費用がかかるのか、それを予知することができるのか、どういすプロセスで決断を下
さしかかっています。いっ、どの程度の修繕・改修の手を加えたらよいのか、どのくら
た。それがこ O年、一一一O 年 経 過 し て 、 ち ょ う ど 更 新 と か 大 規 模 な 修 繕 な ど を す る 時 期 に
わ が 国 で は 二 度 の マ ン シ ョ ン ブi ム を 絞 て 、 た く さ ん の マ ン シ ョ ン が 造 ら れ て き ま し
と
m同d
n
u
{講演 1
}
集合住宅の
持管理のあり方
的 な 賃 貸 住 宅 は 問O 年、民間のマンションは一二O年弱という経験をしてきました。
てそれが取り附慨されるまでの経験を振り返って見ることは、維持管現を考えるうえ
言葉を代えていうと、一循環したという状態にあるわけです。一循環、つまり筏て
で、大変重要なことではないかと思います。
経 過 を 振 り 返 り ま す と 、 公 的 な 賃 貸 のR C造 共 同 住 宅 、 次 い で 公 団 や 公 社 の 分 談
アパートが出てまいりました。そして氏聞の分譲、賃貸と民間のマンションがっつ
るのは、公党にしろ公開にしろ、一一一十数年で寿命を終ったとして建て終えられ始め
くわけですが、その一術環を維持管理という凶から考、えたときに、いちばん気にな
っと長く考えられていたのではなかったかと思うわけです。
て い る こ と で す 。 こ の 程 度 の 寿 命 でR Cを 建 て 替 え て い い も の だ ろ う か 、 寿 命 は も
偽造的な老朽化よりも、社会の応住水準にん円わなくなってきて陳腐化しているこ
と、それが当初の予測になかったことが原因です。
F規 模 の 問 題 と 設 備 の 耐 の 陳 腐 化 が 大 き な 現 山 に な っ て
そ の 内 零 を 兄 ま す と 、 住-
いて、これが住みづらい、社会的に合くなったという理解につながって、それでは
建て替えようかということになる。建て替えをやる家主側にはもっと別な大きな現
山もいろいろありますが、いずれにせよ、規模の問題は大変大きいように思います。
人家族になりますと、これでは狭い。やはり建て替えが切実な要求になってくるわ
初 期 に 建 っ た も の は 問0 1瓦O M程 度 の フ ァ ミ リi タ イ プ で し た が 、 子 供 二 人 の 四
けです。日本の住宅の平均的規模の駒大はコンスタントにつづいており、この傾向
そういうことを考えますと、現在供給されている分譲マンションも、規模という
は今後もつづくのだろうと思います。
は、ガパナンスと呼ばれたり、アドミネス・ミニストレ│ションと呼ばれたりして
義と広義のものがあります。三つの側同を包含した管理全体を舵取りしていく行為
一ドの附川口川の問題です。前古川は伸ばしょうがないもので、設備而の更新とか室内をい
題にもあることを、管川町一のす一場から私は一一二日いたいのです。端的に現われるのは、住
ところが規模の問題は、平面的な而積の問題だけにあるのではなく、立体的な問
ではないかという心配があります。
而 で ま た 二O 年 後 に は 狭 す ぎ る と い う 話 が 出 て き て 、 同 じ よ う な こ と を 繰 り 返 す の
いますが、今心不められているのは、そういう広義のマ、不│ジメントの質の向上であ
ンス)、生活管理という三つの側而から見る必要があります。マネージメントには狭
集合住宅の管理を考える場合、一地営管現(マネージメント)、維持管関(メンテナ
管理の三側面││良い維持管理のために、良いマネージメントが求められる
梶
捕
恒
』
男
ると思います。
ろいろいじるという、リフレッシュの際の非常にネックになっています。もう少し
振り返ってみますと、維持管理プラス改善という考え方が足りなかった。もう少し
もう一つ、現在の公的な賃貸のアパートは、四十数年供給されてきたわけですが、
階古川に余絡のある、什江戸の大きさに立体的なフレキシビリティを持った住一戸の供給
を考えておけばよかったということが、振り返ってみて考えられるわけです。
さて、 わ が 国 の 集 合 住 宅 、 特 にR C造 の 集 合 住 宅 が つ く ら れ る よ う に な っ て 、
一循環したR C集合住宅の維持管理の経験から
公
うが良かったのではないか。その点も含めて、公的賃貸アパートと比べて、民間マ
住戸をその時代時代に合った形で新しくしていくことに、もっと考え方が及んだほ
サイドとしては、どうしても修繕積立金がかかるとは言いにくいわけですから、い
どは要らないと思っていた﹂という感覚があります。それを受けるディベロッパ l ・
へんも分譲する時点から、修繕計画を付けて売ることができてくるといいのではな
ま だ に 月 五O O円とか一 000円 と い っ た 程 度 の 例 が 横 行 し て い る わ け で す 。 こ の
もちろん民間マンションの管理の現状は、ピンからキリまであって、全部がうま
ンションはわりと維持管理をうまくやってきたのではないかと思います。
で は ど こ と ど こ を ど の よ う に や っ て い く べ き か と い う メ ン テ ナ ン ス フランを付けて
かろうかと思います。建物を供給する段階で、長期修繕計画を含め、日常的な修繕
じます。それと是非、図面一式が欲しい。
売ることが、これだけ複雑な大規模な建物を売るときには必要なのではないかと感
0
で維持管理をしていますから、柔軟性のある対応ができる所では、修繕を紋切裂の
くいっているというわけではありませんが、それぞれのマンションの管理組合単位
いった、よりフレキシビリティのある対応の仕方をしてきで、いい状態を維持して
ものとして捉えないで、もっと積極的に改善やりフォーム的なものを含めていくと
マンションを購入したときは、図面がないわけで、簡単なパンフレットくらいしか
一戸建ての家ですと普通、設計図や竣工図があります。ところが、何千万同もする
さらに民間マンションのほうは大規模修繕のための対応が、わりと定着してきま
ことが入居する人にはわからない。自分の住んでいる住まいの基本的なことを説明
購入者は波されない。そうすると、給水管とか排水管がどう通っているかといった
いるということがあるように恩います。
した。大規模修繕のための積立金制度を採用しているマンション、そしてそれを居
理組合というのは、基本的に一年交代のところが多いわけですから、そういう問書
については基本的には管理組合が保管して引き継いでいくべきだと思うのです。管
各専有部分についてはそれぞれの区分所有者が一つずつ持つと同時に、共用部分
した図書類を、やはり購入者が持っているべきなのではないか。
住者がある程度理解しているマンションは九割近くに及びます。これは、行政なり
民間企業側、あるいは居住者たちの努力によるもので、当初マンションが建ち始め
得だという、いわゆる﹁マンションパパ抜き論﹂などが一言われたりしたものですが、
たときには、非常に早くスラム化するのではないか、したがって早く売ったほうが
そういうものに対応するための修繕積立金制度、計画的大規模修縫制度の普及が功
類を引き継いでいくシステムを考えておくことはぜひ必要です。
しかし、建物診断にもとづく大規模修議の長期的計画といったものが整備されて
を奏してきでいるように忍われます。
喚起などによって一定の成果を上げてきております一方、日常的な修織のほうは必
次に申し上げたいのは、大規模修繕、計画修祷については、行政的指導や世論の
民常修繕について
解はかなりの多くのマンションに及んでいますが、建物を診断して計画を作成して、
ずしもそうではなく、常識的に管理組合で消化されているという現状になっていま
いるマンションはまだ半数ぐらいです。修繕のために積立金制度が必要だという理
やっているかといったら、まだ不十分だと一言ヲんます。こういう点の課題は、まだま
す
。
傾向にあります。
行なうべき大規模修繕のための費用を食ってしまう、といったことが度々出てくる
てきて、日常修繕はどうしても控え目になる傾向になって、そのため本来計画的に
会計で行くわけです。ここで一般会計のほうは、予算がどうしてもギリギリになっ
管理組合の費用の使い方を見ますと、日常修繕は一般会計、大規模修繕は積立金
だ民間マンションについてもあるように思います。
計画修繕を進めるために
大規模修繕が定着してきたものの、必ずしも必要な費用が積み立てられてはいな
いことは、修繕計画と結び付いた形で修繕積立金が決められていないところに原因
これは最初の積立金の額をディベロ、ッパーのほうで決めていることが圧倒的に多
四%、税金・保険料二%、組合運営費二%弱、保全改良資一一一九%、委託管理費四二
の費用を約一 O年 に わ た っ て 集 計 し た も の で す が 、 共 用 部 分 運 転 費 ( 水 光 熱 費 ) 一
分譲マンションの管理費用の内訳を見ますと、複数のマンション(高層委託型)
いこともその原因です。入居者の心情としては、新しいマンションに入ったときに
%、共同生活費一%となっています。これを見てもわかりますように、マンション
があるように思います。
は﹁将来の修縫のためになぜ何千円も積み立てるのですか、私の家なのに、家賃な
きでに年きの
一り次よほい管
方表年つぽ影理
、わ度て同響費
1
「
7
万
管れのかじを用
理て予な程与の
"
1
5
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0万内
紐い算り度え約
合まを支のる田
"
1
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のす組出費こ害1]
2
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1
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手。みが用とは
1
1
年
ま変がが保
1
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すわ出わ全
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収
かるてか改
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{呆常定すが
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全的常。占
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(出典新住宅岱及会住宅建築研究所「中高層共同住宅の管環費用の研究(l)
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図 -2 同(換算額)
関 -1 マンション別経年別管理費分担金
(戸当り年穣、実額)
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日
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うなシステムの開発を強調したいわけです。
もう一つは、民間マンションの維持管理を考えると、修繕だけではなく、改造、
改造・改警に積極的に取り組むこと
べきだと思います。住戸専有部分については、リフレッシュ、リフォ!ムは、最近
改善などプラス・アルファをしていくという而に、もっと積極的に采り出していく
わりと行なわれるようになってきました。しかし、これも共用部分との取り合いの
部分、あるいは全体に影響を及ぽす部分については、管制吐組合はどうしても保守的
になりがちで、何か問題が起こったらかないませんから抑えがちになります。専有
部分と共用部分の区分、その改造のルールをきちんと管理組合が浬解して、各区分
の関係、ベランダや窓や玄関ドアなどについての個性ある改造が全体を乱すことな
所有者に徹底することは大事ですが、それを理解したう、えでさらに、倒、えば水回り
く、各居住者の要求を実現していくような、よりレベルのおい全体的な管理組合の
かかります。この点、大阪の例ですが、非常に進んだマンションが兄られます。大
活動が実現されていってほしいと思います。これは広義のマネージメントの力量に
規 模 修 繕 の キ ャ ッ チ フ レi ズ を ﹁ 人 に や さ し い マ ン シ ョ ン 改 修 ﹂ な ど と し て 、 共 用
部分にスロープを作ったり、外壁の塗り替えに対応していろいろな工夫をしたり、
組合で議論をしてプラス・アルファの改善を行なっていく例が出てきています。こ
ういう機運を大いに育てていくことが、これからのマンションの維持管理には大事
行政対応の重要性
なことなのではないかと思います。
そういう点で強調したいのは、素人の居住者にメンテナンスのソフト面をアドバ
イスできる専門家の育成、行政的な対応の重要性です。特に後者についてはわが国
でも、国レベル、建設省のいろいろな行政指導等はわりと行なわれてきましたが、
府県レベル、市レベルといった地方自治体レベルでの指導をもっと強められないだ
ろうかということです。その点ではディベロッパーや管理会社への指導は比較的や
りやすいわけですが、もう一つ重要なのは、管理組合への行政指導です。これはな
かなか難しい。しかしこういう点でも、アメリカのカリフォルニア州が非常に進ん
だ行政をしています。
カリフォルニア州では、修繕計幽の作成と積立金の義務付けを州法で行なってい
ます。修性時計画の作成は、専門家によることが義務付けられています。さらに、財
政運営についての規定があって、財務報告書の作成と、その作成に必要な標準額を
!1)。 ま た こ れ 以
定めて、マニュアルをつくってな介符理組合を指導しています(表
次に広い立味でのマネージメント、巡山下以一日開をどのようにしたらいいかという訴
運営管理 (マネージメント) システムのあり方
に移りたいと思います。これの小心は符刊行為の机中ーをどういう形態で行なってい
外にも専有部分の改修の基準を提示しているといった而もあリます。
そのような行政の指導は、山中古の売只のときにも注意が払われ、樹立金制度や専
くかということになるわけで、県門家と川什江川引の分担ということにもなるわけです。
1
0
年周期
3 ドル/戸・月又は
5
0ドル/丹以上
食用
(税金・保主主料等)
-不動産税
-法人税
-保険料
-免許・調主主 1
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-所得税
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-安全対策
-雑補修費
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3 修繕準備費用
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5
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(湯沸,ソーラーソステム)
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-道路(街路と車道)
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-テニスコート
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-その他
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その他
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-雑費
務
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請求と徴収の会計管湿のみ委託した場合の
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印生浦
町活恨
同科男
やフランスでとられている形態とは大きく
るのに対し、ドイツやフランスはいわば作
迷います。日本やアメリカが駅事会川主であ
て、物事を決めていきます。いいかえると
必脳的作業のプ泌を出住おが行なっていく。
アメリカも大ル仲間引事会が作られていて、山内
おんぶが物心不を決定して、川に一一川ぐらい会
ているケ│スが多く、ぽ一分所有帆れや日出什はい引
合を叩いて処刑問していくという形態をとっ
が、汀常的な物事を決定していく過ねに参
加しているわけです。
それに対してドイツやフランスの校時打
山内よというのは、⋮年に一一川のば一分所有朽の
総会がありますが、日常的に削川市会といっ
たものはあリません。日常的な物引の込町、
決 定 、 判 断 は 、 符 収 行 と い う マ 、 千 laジ メ ン
がって、符附刊行がそういうものを会総込山川
トのブロに全部任せてあるわけです。した
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ジメントタイプに非常に大きな違いがある
していくという形です。ですから、マ、不│
臼市広
﹀
く
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わけで、どのタイフが良いか、今後のマ、不
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臼大斉
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別者間ムと呼べるタイプが一般的です。
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汀本の場合は、
まま応
4時間管理体制による管理の
w.径の従業員による 2
愛用(10
0戸以上)
ロ お 凶 釘 一 Mm開
作られていて、そこには区分所有者が人っ
管耳互設の諮求、徴収、請求惑の支払い、未収金の
徴収、予算及び決算等の会計業務を委託した場合
の費用
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有部分の改修基準などを新しい購入者に山中し送るよう指導することにも力を入れて
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九 八 八 年 の デl タ で す が 、 八0 ・ 七 % が 、 管 引 は 専 門 の 引 開 会 社 に 任 せ て も い い
が、決定過程については、その方針はみんなで集まって決めるべきだ。すなわち物
事の決定は区分所有名(間住者)が行ない、実際の作業は州日開会社に任せるという
実際の執行過税に印刷住者はどのぐらいかかわっているかについては、処設中刊の調
のが、圧倒的なな日んです。
3)。 行 為 をA、B、C の三つに分けてけれんますと、生活に関係す
るC の作業には市住折、仏一日現組合が非常にかかわっている傾向にあることがわかっ
査があります(図
ていただけると思います。
このように、政初に中し上げましたように、い必山川叩一日間引、州制判官判、生活行開とい
う三つの側而で凡て、さらに決定過程、執行過税に分けた見方をしますと、住一円の
るということと、執行過程では日常的な生活管理の部分、維持管朋の汗子引場的な
所有者という点からいうと、決定過程では、広義のマネージメントの部分に参加す
部分への応住者の参加が認められると思います。またそれは管思への理解を進める
ためにも重要なことと思います。
中間システムを活用すべし
私は論文でも、 円 以 後 に 中 間 シ ス テ ム を 大 い に 活 用 し て は ど う か と い う こ と を 提 案
私が今までお話してまいりました管塑ということは、一戸建ての場合であれば、
しています。
備のと誕の迷
各位戸から業者に対していろいろものを頼むというんおか庭と企業社会がストレートな
惑と者火互配
、庁業(栂、
防官分妨住郵
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Fやす
マンション居住者の意識を調べたところによりますと
(文資 H編集部)
てあるのではなかろうか、ということを申し上げて話を終えさせていただきます。
宅ないしはそこでの生活をより買のおいものにするためには、管理がポイントとし
そしてここを指導していくということを重く見てはどうかということです。集合住
けですが、町一日則一組合などの小山システムをもっと育てていって、ここへ働きかける、
ンション業者など企業に対しての行政指導がとうしでもやりやすく、中心になるわ
うがいいのではないか。例えば、先ほど行政の指導ということを申しましたが、マ
求されるわけです。管明紛合を重視して、これを育てることにもっとカを注いだほ
たのですが、集合住宅の管理は専門性、計画性、それにプラスして継続性が特に要
組合があるわけです。論文の中では小間システムということばを佼わせていただい
形で結ばれる形で解決されるものでした。しかし集合住宅の場合は、その問に管理
犯公認提民臣
速の・科物
絡述地害、
渉の畳
渉交へ整白
交、等調客
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策・
図 -3 管理業務作業の分担
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(出典建設省住宅局「中高層共向住宅実態調査結果報告J昭和 5
6年 3月)
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(注) r
郵便,配達物,来客の受付・取次ぎj行為については Cグル プに含めたカ¥他の行為と性格が異なる。
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マンションの診断@改修計画@
改修工事の実際
晃
郎
マンションという一一一一口葉には、正確な定義は、まだないようですが、ここでは、非
に大きな問題の発端があるからです。
分談マンション、賃貸マンションという使われ方もありますが、分譲と賃貸では、
木造の区分所有集合住宅、あるいは共同住宅をマンションと呼びたいと思います。
そのメンテナンスに関してはんよく性格が異なります。
マンションの特徴は、専有部分と共用部分があることです。区分所有法というの
は、非常にややこしい難しい法律なのですが、マンションに住んでいる限り、その
管理運営はすべて、区分所有法に恭づいた管理規約に則って行なわれるのが基本に
なっています。簡単に専有部分と共用部分と言っていますが、これがなかなか難し
い。一言葉として考、えますと、専有部分に相対する言葉は共有部分です。共用部分と
いえば専用部分となります。ところが区分所有法では、一特有部分と共用部分という
分け方をしています。ここに、マンションの特殊性、区分所有建物の特殊性があり
ます。私は、法律の専門家ではありませんし、どういう経緯でこういう一言葉が使わ
れるようになったのかは知りませんが、かなり特殊な状況があったのではないかと
思います。
さらに、その専有部分と共用部分の反一分がはっきりしていないというところに、
﹁岡市﹂は使用上の概念です。ところが、マンションの各部分については、所有上の
いちばん大きな問題があります。専有の﹁有﹂というのは所有上の区分で、共用の
一戸建ての場合は、基本的には全部同じです。個人が所有し使用し、管理してお金も
区分、管理上の区分、使用上の区分があり、もう一つ費用負担上の区分があります。
テナンス、リフォーム、改修を困難にし、あるいは大きな問題が生じてなかなかそ
仕分けされているかは、必ずしも明確になっていない。ここに、マンションのメン
があって、それがマンションという一つの建物のやで、どの部分がどういうふうに
出す。ところがマンションの場合には、所有、使用、管理、費用負担の四つの区分
ですが、よその設計事務所が設計した建物にかかわるようになったのは、ここ七、
の解決方法が探せない、という原図があります。
改修に関わる現状の諸問題
非常に大きく複雑にしています。それは、分譲された時点で、ひとりの発注者から、
てはまるとは思いませんが、対象部分を①から⑤までに分けてみました。専有部分
表1 1は モ デ ル で あ り 、 マ ン シ ョ ン ご と に 設 備 の 内 容 も 追 い ま す の で 、 一 概 に 当
改修費用と合意形成
実際に所有して住む人が何十何百何千というふうに分かれてしまう、というところ
理されているのですが、マンションというのは非常に特殊な状況で、これが問題を
一
O年 経 と う が 、 何 か 問 題 が あ れ ば す ぐ に 相 談 に の る 、 駆 け つ け る と い う こ と で 処
ができた後もその三者は非常に密接なつながりがあります。それは五年経とうが、
通常の建物は、発注者がいて、設計者がいて、施工会社がいるわけですが、建物
八年米のことです。
計した建物のメンテナンス、修繕、増築には当然のことのようにタッチしてきたの
私は、二十数年間、建築の設計と工事監理をやってまいりました。自分たちの設
問題が複雑なマンションの改修
星
}
I
(
極めて不明確
(全体に影響するもの〕 -玄関扉
-住棟内共用設備
(住戸内の共用車主管共)
-付属建物
というのは、いちばんわかりやすい部分で、構造躯体で図まれた住戸の中というこ
区分
とになり、それ以外はすべて共用部分になります。ところが実際に改修計画、工事
(住戸内を除く)
-網戸
を進めるときに、例、えば②﹁緩めて不明確﹂な部分を直さなければいけないとさ、
誰がどういうふうにするのか、という辺りが非常に難しい。
{
3
例えば﹁建具金物﹂とあります。建立(金物というのは、アルミサッシュの場合、
戸車だとか、クレセントなどですが、アルミサッシュそのものは、大体は共用部分
-外構、共用施設
ト
と言えると思います。玄関扉もそうだと思うのですが、戸市→はどうかというと、少
し首をかしげ出す。戸市 γ
が悪くなったとき、誰が取り脅えるか、通常は倒人でやっ
ているかもしれませんが、その費用負担はどうするか。伺人でやるのが共用部分と
有
合
組
理
はなぜだというふうに、わけがわからなくなる。明確な部分と不明確な部分が人り
ろうとすると実は大変なことになってくる。現状では、ケース・パイ・ケースで処
混じっている。その仕分けが組合規約で、きちんとなされている例は少ないし、や
ている現在、これをちゃんと詰めていかないと、ますます迷路にはまってしまうお
理しているということですが、設備の問題がこれから非常に大きな問題になってき
それがあります。
管理組合の執行力と外部の協力・支援体制
次に管理組合の執行力と外部の協力・支援体制の問題があります。これも、管理
組合方式、あるいは管破者方式の二つがありますが、果たして現行の区分所有法に
基づいた管理組合の方式で適正な運営ができるのかは非常に問題です。管理組合の
役割というのは、企業と行政の両方兼ね備えた役割を担っていると思うのです。会
社、企業を経営するような立場でやっていかないと、うまくいかない。さらに行政
機関的な弱からいうと、政治的な凶でのやり方、進め方が非常に大きなポイントを
いずれにしても、そうなりますと素人ではできない。広く外部の協力が必要にな
占めているのではないか、ということを最近は感じております。
ります。この場合、外部の協力者は、外部の専門家、コンサルタントですが、まだ
まだ十分にコンサルできるだけの力を備えている人は少ない。分野も新しいですか
いません。
-展外設備
-共用ダクトまでのダク
組
理
管
戸
各
費用負担上
共
有
専
所有上
-サッシ
、専用庭
-パルコニ
用
共
用
専
使用上
安
戸
各
管理上
-玄関ドアチェック
配線
-玄関 E
管内側塗装
メ
ルー 7 テラス
の内装
-住戸内防火戸
-共用管までの排水管
-建物内、外装
-間発信器
ター以降の配管、
-住戸内自火報感知器
.{主戸内〔躯体の内側〉
⑤
④
③
②
①
確 部 分
不 明
明確な部分
混同されやすい部分
明確な部分
分
部
用
共
専有部分
-構造躯体
-建具金物
-ガラス
対象部分
ら、そういう専門家も数が少ない。また、そういうための教育がほとんどなされて
具体的にどうメンテナンスしていくか、管理していくかということに関しての教
育は、学校ではどうもやっていない。また社会に出て仕事をし出してからも、設計
表 -1 専有部分・共用部分の各種区分モデル
事務所にしても、新築のための設計のいろいろなことは教育をしたり勉強をします
が、メンテナンスに関しての教育はほとんどない。適任者が少ないのは事実ですが、
その原因として、教育、脊てていくという体制そのものがまだない、ということが
公的な外部の協力・支媛体制ですが、各自治体、行政にとって、マンション問題
一一弓えると忍います。
は非常に大きな問題になっており、講習会など催されているようですが、それ以上
に踏み込んで対応している自治体は非常に少ない。その支援の仕方も、いろいろな
啓蒙の形で支援をするとか、コンサルタントや管理の専門家を育成するほうで支援
するとか、いろいろな形があると忠うのですが、そのどれをとっても、まだまだ不
十分だという感じがしています。
お 金 で の 支 援 と い う こ と も が Jえ ら れ る わ け で 、 低 利 の 融 資 を 付 け ま し ょ う 、 と い
う方法があるわけです。金融公庫のいろいろな制度がありますが、それと同じよう
一戸建ての場合ですと、当然自治体なり公的な団体が、給排水などの幹線部分はや
なことを行政で考えよう、といういき方もあると思います。
ができるような体制、方策をお願いしたいという感じがします。これは、管型組合
るわけですが、マンションの中の共用の公的な部分についても、是非秘秘的な支援
最近の公常住宅などでは、新しい試みとして、新築持にそういう公的な部分には
と話すたびに出る話題です。
ても、新築の場合、また当然のことながらそれが出米た後のメンテナンスについて
何か特別な処置をする、ということがあるやに開いていますが、マンションについ
も、できるだけ公的な支援があるべきだと思っています。
また行政の方に、支援するコンサルタントをマンション居住者の方とうまく結び
つける、縁組みさせるようなシステムを、被秘的に考、えていかれることをお制限いした
いと思います。実例もあり、多分実績も上がっていると思うのですが、まだ何から
始めていいかわからないという管現組合もたくさんあります。
竣工図と長期修繕計萄
次は竣工図と長期修繕計画の問題です。長期修繕計闘の策定を、一分譲者に義務付
けてほしい、というのが私の考、えです。去年、昨一日現組合による長期修総計両の策定
を進めるようにということで、総務庁から建設省に勧告され、建設省から業界に通
達が出されましたが、それは、管開組合は長期修緩計画を作りなさい、そういうこ
屋上のアスファルト防水。コンクリiト
アゴの厚さが小さくて鉄筋が露出してし
まった例。{宮間さ出制限などで無理をしてい
る古いマンションには、こういう事例は
多い。
浴愛から山山る湯気で、玄関ポ iチの天井
に力ビが生えている。換気に問問題。かある
わけですが、改修はなかなか難しい。
ドレンまわり、通気管の立上がりまわり
の防水の施工は難しいところ。こういう
所からえてして水が回ってきます。
得ません。
2
バルコニの手援の支柱の付け畑山の状態。
赤錆たアンカープレートが露出していま
す。これもマンションでは非常に多い
設計と絡エがまずかった、と一冨わ京るを
とを田周知するように努めること、というぐらいの言い方になっています。要するに
分譲時に長期修繕計画を作っておくことがいいと思うのです。そのままでは使えな
くても、だんだんアレンジしていけば、かなり精度のいいものができますので、是
非ともそのようにしていただきたい。そうすれば、現在生じているマンションの問
現在でも、修縫積立金が管理費の一 O%とか二O %という少ない例はまだたくさ
題の半分以上は解決すると思うのです。
んあります。ユーザーのほうも、最近はそれでは不十分ということが、よくわかっ
てきています。土日と比べたらはるかに、必要な金額を積立てることの理解は得られ
やすくなっています。ですからディベロッパーはお初から長期修繕計嗣舎を是非と
も付けるべきだと思います。その費用は販売価格にのせてもいい。仮に設計事務所
に、長期修繕計画の作成を一緒にやらせても、戸当たり一万円はいかないと忍いま
す。販売側格の数千分の一ですから、後からやることに比べると、はるかにユーザ
ーの利益になります。
これは、試行錯誤的にいろいろやってきたのですが、やっと建設省から設計基準
改修工惑の技術上の問題
やら、改修工事の共通仕様書が山山ましたので、今後、少しずつ共通の手法、技法が
定者していくのではないかと考えています。
改修の廊唱え方。進め方
ここでマンションの改修をどの程度のタイムスパンで捉えるかという問題があり
ます。一 O年長から一五年目は、マンションの防水、外廷ですが、ニO年目から二
つがいちばん大きい問題で、大変さは外壁どころの話ではありません。二五年ぐら
五年目にかけては、設備の大規模改修が目白押しになってきます。給水、排水の二
い経ちますと、二回目の外壁等の大規模修繕ということになリ、二五年以降の訴に
なりますと、まだマンションの膝史が三O年程度の現在では、どうなるか、私とし
ても何とも申しあげられないところですが、建日山口え論議は当然起きるでしょう。市
街地の一棟型のマンションと、郊外の団地型のマンション、それもお併のマンショ
ンと、中低層のマンションでは、一五年目以降の改修の仕方、考え方、存続をどう
するかという論議は、かなり遠わざるを得ないのではないかと思います。山街地の
ケ
七
スチール製の消火栓ボックス。柱聞が山山て
います。ここが躯体と取り合っている部
分ですが、足場をかけるか何かしないと
メンテできない。メンテしにくい所にメ
ンテしないと保たない材料を使っている
ところが問題です。
高架水槽を外部から
見えないようにしてい
たA L Cの壁。これは
屋根がないので、鉄骨
がサビて、 A L Cはも
ろいですから、壊れか
けている。これも材料
の選定を誤った設計の
一例。メンテをしやす
くしなければいけない
ということで、 A L C
の笠は取り外し、ルパ!として溶融主鉛メ
ツキのガードレールを
取り付けました。
度外避難階段の手摺。これも付け根はボ
ロボ口です。設計事務所なとに話がこな
ければ、︿実装問屋さんはペンキを護るだけ
で、こういう所は霞さないし、箆せない。
それでは改修にはならない。無駄金をか
けるだけになります。
鉄骨の避難階段は非常に多い。鉄板の上
に防音のためのシートを張ったが、サヒ
でボロボロになっている。シー卜の下に
入った水が、サとさせる一方だったわけ
です。剥がさないとメンテができないと
いうのは駄目です。
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日叫
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高
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建物診断のポイント
】
修繕計画で大切なのは﹁建物診断﹂です。診断には
りますし、いろいろな意味で
一棟型のほうが、お金もかか
のだが、どこがどの程度に怒いのか、ちゃんと見てほしいという診断もあります。
細に診断しようという特定の問題のこともありますし、あちこちいたみかけている
たと、えば排水管、給水管の水漏れがしているとか、赤水が出るから給水管だけを詳
工事中でも節目ごとに計算して、管理組合、理事会に提出して承認をもらうことが
言うと、これはトラブルの元になります。管理組合もお金の用意ができませんから、
設計段階では一 O Oと 見 て い た の が 、 実 際 に や っ た と こ ろ 一 五O になりましたと
いうシステムでやる、ということを徹底させることが大事だと思います。
なかった、という例もありますから、この辺はしっかり管理組合に話をして、そう
り始めると、直すべき範囲がどんどん広がってしまい、結局、予定の半分しかでき
最初の見積りでは必要な改修は全部できるという怨定でやっていても、実際にや
予め数量を仮に指定しておき、工事中に確定した段階で清算する方式です。
わからないものについては、清算一項目とするわけです。サビ鉄筋の補修の長さなど、
事をやるわけではないので確定できない。こういう現場に入ってやってみなくては
簡単な調査だけではそこまでわからないし、足場を級んで誠査をしても、実際に工
の中では一 mぐ ら い に な っ て い る 、 と い う こ と は 随 分 あ り ま す 。 事 前 の 目 視 調 査 や
筋のサビの長さなどはわかりません。表一聞から見えるのは二O mだ が コ ン ク リ ー ト
躯体の改修、修繕補修というのは、実際に足場をかけて、はつり出してみないと鉄
決めた金額で全部やってほしいということはあるのですが、例えばコンクリートの
とを、私どもは管理組合に勧めています。管理組合も予算がありますから、最初に
改修設計のポイントとしては、﹁清算項目﹂と﹁指定数量﹂という考え方を使うこ
改修設計のポイント
てしまいます。
劣化と混同しますと、ちゃんとした改修ができませんし、対策も媛昧なままになっ
設計が悪かったり施工が悪かったりすることは度々ありますが、それを単純な経年
るわけです。診断で特に大事なのは、経年劣化と新築時の欠陥を見分けることです。
診断で明らかにしてゆく。建築・設備、構造躯体とか、全般にわたっての診断をや
かなくても、。フロであれば気がつくようなレベルの問題は、節目、節目の総合的な
それ以外の部分、自に兄えない部分ですごく大変な所がある。普通の人には気がつ
頼むほうは惑い所しかわからないので、その部分だけを頼むわけですが、実際には、
大変です。
いろいろなランクがあり
長期修繕計画の
ポイント
長期修繕計画グラフ(例)
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【長期修繕言十窃グラフ】
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必要です。やむを得ない場合には、すでに決まっているお金、管理組合で調達でき
定着させていただくことをお願いしたいと思います。
重一ねた施工管理の手法とか、品質管理に対する考、ぇ方の徹底を、是非改修工事にも
しては、専業者系が先行しており、ゼネコンは後発という感じですが、新築で積み
工具とか、材料、段取りについては、人が住んでいて工事をするものですから、
るお金を踏ま、えて、優先順位をもう一度付け直し、いつでもできる工事は外してし
私がいつも設計していて迷うのが、外壁塗料の選定です。塗料だけに限りません
とした工事が可能かということが、改修をする側にとってセールスポイントになる、
低迷惑型といいますか、これからは間住者の我慢皮をどれだけ少なくして、ちゃん
まい、大事な工事を優先的にやっていく、という操作も必要です。
が、新しい材料が、どんどん出てきて、サ巾に現場で、メーカi か ら テ ス ト 施 工 を さ せ
います。いままで改修といえば、専有部分だけとか、共用部分の外壁だけとか、駐
最 後 に 、 総 合 的 改 修 ﹁ ト ー タ ル リ フ ォi ム ﹂ と い う こ と を 強 調 し て お き た い と 思
トータル・リフォームの重要性
戦略的な要素になっていくのではないか、と感じています。
られている、という感じがしでしょうがありません。これがいいなと思ったときは、
その材料がない。また別のもの、少しずつ何かが変わっているものが出て、どれが
本当なのかよくわからない。名前は同じでも、成分か全然変わっているというのも
のほうでも良いものはちゃんと残す、ということを考えるべきだと思います。
あります。そういうことについては、我々にも責任はあるのでしょうが、メーカー
大規模改修工事のポイント
折角、住戸の中をリフ才、iム し た ば か り な の に 、 排 水 管 な ど 共 用 部 分 を 工 事 す る
車場だけとか、個別にやられていました。
いても、建築と設備絡み合わせて一体的に改修が行なわれていることはまだ少ない
ためにそれを無駄にしてしまうといったことが起こり得るわけです。共用部分につ
次はコンサルタントの選定です。常にお金が問題になるわけですが、施工会社に
私は設計事務所だしコンサルタントですから、その立場で﹁コンサルタントに頼む
し、全面的に屋外環境も同時にグレードアップしましょうということも行なわれて
頼むか、コンサルタントに頼むかは、新築でも改修でも同じ問題があります。ただ、
ほうが、はるかにいいですよ﹂と言っています。コンサルタントの費用は、全体の
いかないと駄目だということ。それは実は、お互いを関連づけないと改修ができな
いない。これからはそれぞれが単独ではなくて、お互いが関連づけられて改修して
いという現在の集合住宅の仕組みによるところも多いわけですが、その辺を総合的
工事費から比べればごく僅かなものです。また、誰がやっても設計したり診断した
に考、えないと、ちゃんとした住まいとして満足できるようなものになってこないと
りする費用はかかるわけです。設計施工で一式頼んでもかかるものはかかるわけで
ぞと思った所に頼んでください。
部分修繕とか、個別対応だけではちゃんとした住まいの改警とは一一一日えません。専
思います。
す。それが表面に見えるか見えないかだけです。あまり高い安いを言わずに、ここ
実際に工事を始める場合にいろいろ問題になるのは、工事金額です。共通のベー
有部分も共用部分も、建物の設備も建築も、屋外も屋内も全部一体になって、トー
スがないときには、倍以上違っても当然かもしれませんが、私どもで仕様書を組み、
足場などは比較的値段の差は出ないのですが、鉄筋の改修になりますと、各社によ
改 修 の 設 計 図 書 を ち ゃ ん と 付 け て や っ て も 倍 ぐ ら い 違 う ケi ス が あ り ま す 。 例 え ば
いろいろ難しい問題がありますが、新建築家協会とか、建築学会でも、建物のメン
いでしょうか。そういうことが居住者からは求められています。費用の問題など、
タルとしての底住性能を向上させていかないと、本当の改修にはならないのではな
テナンス、マンション問題に取り組んでおり、トータルリフォームといったことを
工事契約と工事保証の問題ですが、マンションについても保証が今年からできま
って一 O倍ぐらい違ってしまうこともあります。
ぶ状況は良くなってきております。保証を書類にして残すことは大事なのですが、
し た 。 ま た 、 ア フ タ ー ・ サi ビ ス 基 準 も 改 定 さ れ て い る よ う で す 。 で す か ら 、 だ い
大事な問題として捉えて、活動をしております。これが非常に大事だということを、
私としても最後に強調しておきたいと思います。(文資日編集部)
本当に大事なのは、ちゃんとした設計をして、ちゃんとした工事をすることです。
品質管理については、ゼネコンの方はいろいろやられていますが、改修工事に関
{講演I3}
集合住宅の設計@建設手法と
長期の耐用性
部分の更新を考慮した設計@生産体制について
精一
会があるたびに中し上げているのですが、日本の集合住宅の附おは、絶対にもう少
怠っています。
し上げるべきです。そういう手刷気をみんなで作り上げていかなければいけないと
ここ七、八年の集合住宅の府高の変化を調べてみますと、昨附巾品、に附おは上がって
き て お り ま す 。 す の ま ま の こ ・ 六 五 m、 ニ ・ 七 mと い う 程 皮 の も の ち 依 然 と し て 建
っ て い る の で す が 、 二 ・ 八 瓦 mとか一一一 mという物件がかなり増、えてきて、超高併の
場合には一二・一五 mと い う 物 件 も い く つ か 建 っ て お り ま す 。 後 で お 話 す る 羽 夜 建 設
中 の 大 阪 ガ ス の 実 験 集 合 住 宅NEXTnの よ う に 二 了 六 mと い う 板 端 な 例 も で で き
ました。
日間以の問題、その他いろいろ難しいでしょうが、赴非ともこの間おをおくする運動
を皆さんと進めていきたいと思っております。
現 在 の 段 階 で 新 し い 設 計 方 法 が 非 常 に 雌 し い も う 一 つ の 泌 山 は 、 も と も と 維 持m
w
牒史が作るということです。先ほど米、コ一一O 年絞った、一一如探したわけであって、
mと か 耐 久 性 と い っ た こ と に 閲 し て 、 山 長 い 集 合 住 宅 と い う も の は 、 結 局 の と こ ろ は
ジウムに二O O人 を 超 え る 方 々 に お 集 ま り い た だ け る と い う 時 期 に き て い る わ け で
ちょうど見広す時刻だ﹂というお訴が何度もあリました。だからこそ、このシンポ
り、良い集合住宅はできないと芯います。それをなるべく早めるためにはどうした
すが、これも一つのサイクルで、こういうサイクルを何皮も繰り返していかない限
らいいか、というお訴をさせていただきたいと思います。
長期の耐用性を考えてどういう設計をしたらいいかということに関して、最初に
星川先生に、パラペットの辺りやバルコニーの部分が問題になっている実例をた
日本の集会住宅の、構法からみた歴史と特殊性
答えを申し上げさせていただくと、そういう設計方法はありません、という絶望的
で す が 、 も う 一 つ 前 に 遡って考えるべき問題だとも思うのです。
くさん見せていただきました。改修工法をどうしたらいいかはもちろん主要な問題
の世の中で設計をされていらっしゃる方々か泊りすれば、﹁そんな設計方法はない﹂と
けない限りそれはできない。コストが非常に上がってしまう。そういう意味で実際
ろ提案をさせていただいたこともあります。しかしともかく初期投資をたくさんか
れはある意味では、日本の集介住宅の桜めて特徴的な所ということができます。起
と い う の は 、 例 え ば 鉄 筋 コ ン ク リi トでパルコニ i が で き て い る わ け で す が 、 こ
ただ一つ、さほどコストを上げなくてできそうだと忠われることは、加問浦先生の
ったのが一九一 O年 ぐ ら い で す か ら 、 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト が 作 ら れ 始 め た の と 、 日 本
いうのはそれほど膝史がある防法ではありません。叶一界的に作られ始めるようにな
ぐらいからこうしたやり方が入ってきて巡り始めたようです。鉄筋コンクリートと
お話にもありましたように、階高をもう少し上げるべきだということです。私は機
いうことになるだろうと思います。
源 を い つ ご ろ と 捉 え る の は 難 し い と こ ろ で す が 、 日 本 の 集 合 住 宅 で は 、 一 九 二O 年
p
な感じを持っております。実は設計方法はたくさんあると思いますし、私もいろい
どういうことを考えどのように設計したらいいかをお話したいと思います。
という、非常に具体的なことのお話でしたが、私は、これから設計する集合住宅は、
梶浦、円余川両先生の講演は、実際の世の中の補修・維持管現をどうされているか
深
尾
いう構法が極めて優れた構法で、非常に使いやすい。ある意味では集合住宅に大変
で集合住宅が造られ始めたことがほとんど同じ時期です。その鉄筋コンクリートと
向いている構法だったために、我々は例の疑いもなくそれで集合住宅を建て始めて
しまったのです。これが海外、主にヨーロッパの集合住宅に比べて、かなり達、つ点
だと忍います。
例えば、中間の上海などは、鉄筋コンクリートによってもたらされたモダニズム
の前から集合住宅が入っていました。同じように、ヨーロッパの集合住宅はレンガ
それを維持管理する方法を何ー皮もフィiドパックを貫一ねてやってきたのです。鉄筋
造 、 石 造 で で き て い て 、 遡 る こ と 一 O O年 以 上 の 歴 史 が あ る わ け で す が 、 そ の 聞 に
コ ン ク リ ー ト が 入 っ て き た と き に 、 船 体 の 代 詩 口 聞 と し て コ ン ク リiト を 使 っ た わ け
です。そのとき、一冗のもの、例えばレンガとか石造に比べて、どこが良くてどこが
同
大変有名な公品川口出C 型 と い う 、 戦 後 の 日 本 の 集 合 住 宅 の 典 型 に な っ た と さ れ て い
題ないと、私から言わせれは銘党をして集合住宅を造り始めたとさえ思います。
けですが、そのときのいろいろな記録が伐っています。是非とも法りたかったのは、
る集合住宅があります(函
入らないと鉄筋コンクリートでバルコニーを出すことはできなかったのです。そう
たかったということが、当時設計された方の記述として残っています。
シャワーを浴ぴる空間です。それからバルコニーを造って、そことの述絞性を山山し
こ れ は 日 本 の 木 造 住 宅 の 土 聞 な ど の 空 間 、 日 本 の 生 活 形 態 を 、 新 し い 集 AH
住宅の
そ れ で 鉄 筋 コ ン ク リi ト が 生 ま れ た と き に 、 ど う し よ う か と 考 、 え た は ず で す 。 バ ル
日本の集合住宅は、こうあるべきだとされたことは大変素晴らしいことだと思いま
の 所 が 洗 而 ・ 洗 濯 ゾi ン に な っ て 、 完 全 な シ ャ ワi ル│ムにはなっておりませんが、
す 。 し か し あ る 意 味 で は こ う い う シ ャ ワ ー ルl ム を 集 合 住 宅 に 造 る と い う こ と は 、
小に持ってきたいということだったようです。実際に怨てられたものは、シャワー
ると、大変おかしいことではないか。これももちろんお金がかかることですが、、ハ
筋 コ ン ク リi ト で 造 っ た パ ル コ ニ iを抑制体をむき出しで使うこと自体が、考えてみ
桜めて資沢なことだったと思うわけです。そのあと住宅公開が、集合住宅を造っ
を造りたいということで、浴室を浩一りました(図
i2)。 こ れ も 大 変 有 名 な フランで
ルコニ iを 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト で 出 す の で あ れ ば 、 着 物 を か ぶ せ る と か 何 か 工 夫 が あ
すが、こういう形で浴室が非常に早い段階で日本の集合住宅の中に人ってきたわけ
浴室が日本の集合住宅の中に入ってきたということも、考えてみると、大変授沢
0
間様に、康相恨の防水に関しても、例、えはバリの集合住宅はほとんどマンサードと
たときに、公常住宅に比べて差別化をしたいということもあって、日辺非とも内風呂
いう屋根がかかっているはずです。当時は屋根をかけない限り、ちゃんとした集合
です。
てやりますと、浴室の改装が非常に大変です。防水がどのようになっているのかわ
というか、不思議なことです。現在、初期のマンションの改修工事を住戸内に関し
からない、浴室の先の縦配管、共用配管との桜ぎがどのようになっているかわから
一九O O年 ぐ ら い か ら で 、 防 水 層 が つ く れ る よ う に な り ま し た 。 そ れ と 日 本 の 集 合
たアスファルト防水をしておりませんが、それでも陸屋根で住宅を造って、何ら問
住宅を造り始めたのは同じ時期です。もちろん臼本の初期の集合住宅はちゃんとし
からありますが、人工的に石油から羽衣のアスファルトがとれるようになったのは
住宅はできませんでした。天然アスファルトというのは、紀元前のノアの方舟時代
るべきではないか、というのが私の持論です。
コニーは、そのほかにも断熱の問題とか、いろいろ問題がありますが、もともと鉄
いう一昨がどのように傷むかということは、彼らはちゃんと石造時代に蓄積していて、
大変です。事実、そういう構法はない。木造で床を造っていましたから、今世紀に
1)。 こ の 集 合 住 宅 は 、 吉 武 研 究 室 で 原 案 を 作 ら れ た わ
つ く ら れ て き ま し た 。 レ ン ガ の 壁 式 構 造 の ア パ ー ト だ っ た ら パ ル コ ニ iを 造 る の は
えばパルコニ iを 造 る と い う こ と は ご く 当 た り 前 の こ と と し て 、 日 本 の 集 合 住 宅 は
日本の集合住宅にはなかった。その結果、非常に強引な論理かもしれませんが、例
惑いのかを当然考えながら、鉄筋コンクリートを使ったはずです。そういう経験が
7
4
N2
0
1
く
E 公団標準設計5
図
1 公震 51C型
図
ったらいいかもよくわからないという形で、一つの専有部分の改修に関しては、共
ない、図碩も残っていない。開けてみないとわからないし、どういう改修工法をと
最初に申し上げたように、 日 本 の 集 合 住 宅 の 維 持 管 理 し に く い 最 大 の 問 題 点 は 腔
史のなさです。
を流してはいけない。木造で床を造って、その上に砂とか孫子のモルタル風のもの
ヨーロッパの風呂の入り方は、パスタブの中でしか洗つてはいけない、外側に水
部分のフィードバックのサイクルを平めることがいちばん必姿なのではないか、そ
ています。現在の状態が我々が求めている理怒的なものでないとすれば、その部分
日本の集合住宅は現在でも、まだ理想的な形ではないという前提に立ってお話をし
のフィードバックを少しでも早めることにつながります。いま申し上げているのは、
そういう中で部品化、建築の中のサブシステム部分を独立させていくことは、そ
を采せただけですから、日本みたいな風呂を造ることは不可能でした。入浴の作法、
してそれはまたメンテナンスの川組織が構築されるうまいやり方ではないかと思うわ
用部分と絡んでしまうために大変難しい問題を持っている部分です。
ワーを浴びたいのです。
システムズ八ウジング
けです。
しきたりが違うと文化論的に言ってしま、えばそれまでですが、彼らだって外でシャ
ところが、戦後の日本では、防水をすれば浴室を住一戸の中に入れていいのではな
いかと思ってそのとおりゃってしまった。しかし、メンテナンスから考えると、防
ころです。しかしそういうことに全く対応できないという状態になってしまったの
水の耐久性は躯体に比べて当然おちます。浴室田りは機能的要求の変化も激しいと
る仕'組みを四O O年 以 上 持 っ て い ま す 。 日 本 の 木 造 住 宅 の シ ス テ ム が そ う い う 形 に
部分に分けるといいのではないかと一一一円いましたが、我々は部分に分けて生産をす
混在は民間のマンションだと、超高級を除けば、ほとんど浴室ユニットの形にな
なっています。日本の木造住宅の仕組みは、大工さんが躯体を建てたあと、そのほ
が、初期の集合住宅の浴室の造り方です。
っ て い ま す 。 浴 室 ユ ニ ッ ト が 日 本 に 入 り 始 め た の は 一 九 七O 年 ぐ ら い か ら で 、 そ の
かのかなりの部分を大工さんが造りますが、問、えば長を入れるのは登渥さんで、障
あるいは技術として分離していたほうがいいこともありますが、メンテナンスのサ
子を入れるのは建具屋さんというように、かなりの部分が分化している。職能として、
イクルが違うということが非常に大きかったのです。そういう仕組みが非常にうま
おっしゃる方が多いと思います。ただ、当時は工業化とか住宅産業が華やかなりし
ころで、工業化、生産の合理化をするために浴室ユニットを入れるべきだ、現場に
後一 0 年 間 で 非 常 に 広 ま っ た と 思 い ま す 。 現 夜 で も ﹁ 浴 室 ユ ニ ッ ト は 大 嫌 い だ ﹂ と
おける施工管理が、そのほうが圧倒間的に楽だということで入ってきたのだと忠いま
経つと床まで取り替えるとか、陣子は毎年張り替えるといったことをして、日本の
そういう意味でのメンテナンスは、例えば査は四年で袋返しをして、八年ぐらい
く臼本の木造住宅はできていたのです。
住宅はいつまでも新しい、といった仕組みになっているわけです。その仕組みが崩
めて賀沢なことで、そこに工場製品の防水パンみたいなものを含んだ浴室ユニット
すが、いま私が申し上げたような意味からすると、現場で防水をするというのは極
いが非常に少ない。ということは、とりもなおさず将来取り替えることが非常にし
を持ってくるというのは、大変うまいやり方だと思います。かっ、極体との取り合
います。例えば住戸の内部の専有部分のリフォーム等に関していえば、その部分を
れかかってきているわけですが、そういう仕組みを過去に持っていた我々は非常に
やる職種、改修組織と、一戸建て住宅の保全、メンテナンスをする叩組織を一体化すべき
強みを持っています。そういう仕組みを集合住宅にも活かさなくてはいけないと思
さらに、それ以上にうまい点は、浴室ユニットの設計は、設計者がやっているわ
ではないか、と私は思います。これは星川先生や梶浦先生の意見とは対立する考、ぇ
やすいわけです。工程の合理化、生産の合理化からの発想でしょうが、結果的には
けでも、ゼネコンがやっているわけでもなくて、独立した浴室ユニットのメーカー
方の部分があると思います。少なくとも専有部分に関しては、共通化を図るべきだ
大変、 7まいシステムになっていると思います。
っているかどうかという心配が一方にありますが、そのことによって浴室ユニット
がやっているという点です。これは建物のトータルとして繋合性がとれた設計にな
と思います。
先ほどいまの段階でいい設計を考えることはできない、 そ れ を や っ て く れ る 生 産
は、改良のサイクル、進歩の度合いが非常に早くなっています。それは﹁フィード
バックのサイクル﹂ということができると思います。
d斗
ρhU
は共通化し始めている部品も、州問、えは厨⋮岸川の仕組みなど、かなりあります。そうい
ことです。共通化するというのは、三一口うは易く、実際には難しいのですが、実際に
います。それを解決する一つの方法は、例えば山中の部品などを一戸建てと共通化する
住宅を鉄筋コンクリートで造っているかというと、必ずしもそうではありません。
すから、そうやればいいわけですが、個々の専有部分に関しては大変な問題だと芯
大型のレンガブロックみたいなものを組み立てて、七、八階のマンションでも造っ
はないかと思います。
うことを進めれば、木造住宅の大変優れた仕組みを集合住宅に継永していけるので
組織が追いつかないからだという訟をしました。ヨーロッパの集合住宅と戸建て住
ています。そういう組積造の躯体にプラスターを塗ったり壁紙を貼ったりして集合
宅の関係を考えてみますと、それほど遠いはありません。例えば、ドイツなどで集合
住宅を造る。一戸建て住宅もほとんど同じ躯体の構法に同じような内装で造っているの
アメリカを見ますと、鉄筋コンクリートや組積造ももちろんありますが、圧倒的
ですからたやすいことではありませんが、方向としてはそういうことも考える必要
さることを是非とも考えていくべきではないか。これは区分所有法自体に絡むこと
う方法が普通です。しかしもう一つの方向として、居住名の判断で外壁がメンテで
例えは外壁を補修する場合、管理組合の仕紛みを通じてゼネコンにやらせるとい
にツl パイフォ l で 造 っ た ほ う が 安 く 、 鉄 筋 コ ン ク リi 卜 の 六 1七 割 の 値 段 で 集 合
があるのではないかと忠います。
J
です 。
住宅ができます。それと戸建て住宅とは基本的な違いはそれほどありません。当然中
えるかもしれませんが、ある年にその町の全部の人が問討を取り替えるのではなくて、
業者は育ちません。逆に一戸一口うと、刷川、えば北自の畳屋などは、問日を暮れに一斉に取り替
た工事が米るのは五年後であるということでは、補修を担当してくれる健全な組織、
修理のような場合、折角ある地域で工事がまとまっても、その次にまたまとまっ
身を改修する場合にも遠いはそれほどありませんから、それを犯当する職種もそれ
ほど違いはありません。もちろん戦域として住み分けが行なわれているでしょうが、
ところが日本の場合は、初期の集合住宅の室内は、真壁の柱が立っていて襖が立
基本的には違いはありません。
っている状態で始まります。これは当然集合住宅の内装を担当する職種がなかった
分だけ、全体としての工事需要は安定するということがあるわけです。
今年はあそことあそこ、来年はあそことあそこというふうに、需要が散在している
板端な話、集合住宅の外壁が住戸ごとに分かれていて、それを、今年はうちは余
か ら で す 。 と こ ろ が 、 だ ん だ ん マ ン シ ョ ン フl ム に な っ て き ま す と 、 新 築 の 場 合 に
絡があるし、みっともなくなってきたからうちの前をきれいにしたい、という形で
関していえは、内装を担当する職稜が出てきて、一戸建て住宅とは別の形で内装を造る
メンテナンスと、戸建て住宅の改修メンテナンスを考えるうえで、我々にとって非常
と い う 形 に な っ て き ま し た 。 こ れ が 今 後 二O年 く ら い の 過 渡 期 の 日 本 の 集 合 住 宅 の
ただ、そういう仕組みが過去の任屋みたいな形でうまくいくかというと、社会自
いう感じがします。
あいていればお金も安くなるでしょうし、全体としてはうまくいくのではないかと
戸別に改修することがもし可能であるとすれば、そういう形のほうが、職人の子が
と い う の は 、 例 え ば 一 九 七O 年に建った一戸建て住宅と集合住宅の比率は、圧倒的
に重荷になると思います。
ています。新築の場合にどういう職種でやるかは、その比率の変化に応じて労務の
に 戸 建 て が 多 い の で す 。 こ こ 三0年 間 で 戸 建 て と 集 合 住 宅 の 比 率 が ど ん ど ん 変 わ っ
たとき、そういう改修を担当するのは、おそらくゼネコンでも設計事務所でもなく、
体が変わっているわけですから必ずしもそうはいかないでしょう。しかしそうなっ
と こ ろ が 、 メ ン テ ナ ン ス の ほ う は 築 二O年後のメンテナンスであれば、一一O 年 前
部品メーカーなのではないかと思います。実際に作った人がそれをフォローする形
需婆が出てきますから、それに対応しています。
の 比 率 に 対 し て 、 そ う い う 職 種 を 用 意 し な け れ ば な ら な い し 、 築 一 O年 後 の 改 修 な
でないと、どこかに無理が出てくる。
星川さんは大変有能な方ですが、なかなか割に合わない仕事をやっておられると
らば、一 O 年 前 の 比 率 に 対 し て 、 そ う い う 職 種 が 用 意 さ れ な け れ ば い け な い 。 こ の
変 化 は 今 後 ま だ 二O年 ぐ ら い 常 に 変 化 し て い っ て 、 そ う い う 状 態 で 生 産 組 織 を 仕 組
私はそういった形は成り立たないと思うのです。当然有能とはいいにくい人もそれ
いうのは、少数の例としては結構なことですが、これが世の中全般になってくると、
もちろん共用部分の外壁を改修するといったことはゼネコンに任せなければでき
をやらないと、数として合わない。そうなると、いいコンサルタントを宵てるとい
んでいかなければいけません。これはかなり難しいと忠わざるを得ません。
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、a、 と い う お 話 が あ り ま し た 。 そ う い う 部 分 は ま と ま っ た 仕 事 と し て や る わ け で
JLd}ν
戸川d
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うのは理想であるけれども、かなり難しい。実際には部品メーカー等に任せるとい
そ の 場 合 に い ち ば ん 大 切 な の は 、 そ の メ ー カi と 最 終 需 要 者 、 つ ま り 入 居 者 が 直
う形にもっていかざるを得ないのではないか、という感じがします。
に結びついて、その反応、フィードバックが直接されるということです。現在の集
合住宅の建て方の問題の一つは、実際の入居者と設計者ないし建設会社が直には結
びついていない、中にディベロツパーがあって分譲するという形で、ダイレクトに
はつながっていないことです。そのことがフィードバックを遅らせている一つの原
因ではないかと思います。そういう意味からすると、できるだけそこから分離でき
るところは分離してしまって、極端な話をすれば、プレハブ住宅、ハウスメーカー
の住宅のような売り方みたいな形で、最終需要者と作り予測がつながるという形が
必要ではないかという気がしています。
資源問題・地球環境問題と集合住宅の長期の耐久性
こういうふうにフィードバック・サイクルを早めることは、資源問題、環境問題
か ら す る と 、 こ れ は 大 変 問 題 に な り ま す 。 か つ て セ ン チ ュ リl ・ハウジング・シス
テムをやったときに、浴室ユニットの耐用年数の設定をするという段階で委員会で
や ら ざ る を 得 な く な る と 思 い ま す 。 そ う い う メi カ ! の 責 任 で や っ て も ら う と い う
現 在 建 設 中 の 、 大 阪 ガ ス の 実 験 集 合 住 宅 の プ ロ ジ ェ ク トNEXT況をご
戸へ供給される。
議論がありました。ある先生は長持ちをする住宅を造るのだから、浴室ユニットは
O年 も つ も の に す べ き だ と い う ご 発 言 を な さ い ま し た 。 私 は ち ょ っ と 極 論 で す が 、
二
一
八年でいいのではないかと一言いました。
三O O万円とか一一O O万円する自動車が当時六年ぐらいで乗り換、えられていまし
た 。 浴 室 ユ ニ ッ ト が 六O 万 円 と か 八O 万 円 で 毎 日 使 っ て 、 日 本 人 が 大 好 き な も の で
のが、世の中の仕組みとしていちばんうまくいく。現在の建設廃材のような処理の
むしろそのほ、つがいい。短く設定しておいて、どんどん,換えられる仕組みを考えて
あまり公窓口もまき散らさない。それが八年サイクルでどんどんよくなるのであれば、
おくことのほうが大切だ、という意見を一一一一回いました。自動車はかなり完壁になって、
仕方というのは、決してよくないやりかただと忍います。
、
﹂
主又阜久 4
よ MHノ
イlpu
新しい集合住宅の一切能性lliNEXT目
これ以上性能を上げてもしょうがないが、浴室はもっともっとよくなる。その過渡
とに伴なう廃材をどうするか、それを再利用するかとかが、メーカーの実径として
任を持たざるを得なくなってくる。引き取って新しいものをつける。引き取ったこ
化するということは将来、部品メーカーないし作り手側が、その改修に関しても責
ただ、そうした場合に、これは資源問題と当然かかわるわけです。サブシステム
期の状況では、サイクルを早めることはかなり有意義な部を持っています。
NEXT21の総体と設備配管路地はミニイ
ンフラであり、エネルギーは路地から{主
紹介させていただきます。今年の一 O 月 に 竣 工 予 定 で 、 そ の あ と 半 年 間 見 学 の 期 間
庭に面した所は変えられるようになっています。一八戸の住戸は二二人の設計者の
体を分譲するということではないものですから、往一戸に関しても一戸一戸外壁が中
ないかというお話です。私は、それほど単純にはいかないだろうと忍う。たしかに、
深尾先生のお話は、メーカーに絞ったほうが仕組みとして多分うまくいくのでは
がしっかり理解できていれば、私はどこに払ってもいいと思います。
な い 。 そ れ を メ ー カi に 払 う の か 、 コ ン サ ル タ ン ト に 払 う の か 、 そ の 違 い 、 仕 組 み
星川誰かが何らかの労力を払ったことに対して、設かが対価を払わなくてはいけ
お願いします。
う星川先生の主張もあると思います。この点について、日生川先生から二一同ご反論を
それに対して第三者のコンサルタントとしていいアドバイスを与えていこう、とい
しかし、部品メーカーに任せると、やはり資本の論理で動くようになりますから、
います。
がるのではないかということも、一つの論破だと思
き受けて部口聞を改良していくほうが買の向上につな
後まで責任を持って、フィードバックをちゃんと引
は非常に努力しておられますが、部品メーカーが最
計者、コンサルタントとしての質の維持を星川先生
ンに対してかなり思い切った発言がありました。設
峰政(司会)先程、深尾先生から、設計者やゼネコ
(編集部註111NEXT引については、本号記事︿すまいのテクノロジー﹀に、近角官民一氏が詳しく
寄稿しています。併せてお読みください。)
文資日編集部)
参考になるのではないかと思って、ぁ、えてご紹介させていただきました。
が、このような実験から得られた知見が、今後の機能的に長持ちする住宅づくりの
これは現想で、こんなものをふつう建てられるかという印象が強いかと思います
ます。
方々によって一戸一戸の住宅をすべて注文住宅風に別々のデザインで設計されてい
として、なるべく多くの方々に見ていただこうと考えているものです。
大阪ガスのプロジェクトですから、エネルギーがメインテ!?ですが、その他、
いること、建物全体を緑で覆って野鳥を呼ぼうとか盛り沢山ですが、今日お話したよ
台所のゴミは全部この集合住宅の中だけで処理をしてしまうとか、市中水を利用して
住居階の階高は一二・六円柱梁構造で、住居スペースとして平面的には七・二 m
うなこともかなり取り入れて進めているプロジェクトです。
角 の 部 分 が あ り ( 床 厚 二 回 虫 、 そ の 周 り に ト レ ン チ ゾl ンで六O mぐ ら い 下 が っ た
部分を設けています。ここは路地であって、ミニインフラですから、エネルギー供
外壁は区分所有法では共有部分なので勝手に変えられない部分ですが、これは全
給は路地から住戸に入るわけです。
{討論}
司会の峰政克義先生
り理解され浸透しつつある。そんな感じを持っています。
は、第三者的なコンサルタントの役割が、居住者の方々、管理組合の人たちにかな
にくく、わかりづらい。しかし、徐々にではありますが、この改修の分野について
設計者というのはソフトの部分ですから、部品メーカーに比べると、なかなか見え
いコストのかかった凶定化したよい住問、一二階以上の階、特に小原一災はすべての移
うに、一慨は都市の変化に対応できる改築スペース、一一階は将米改築しなくてもい
負担し、同じような改交の姿求に応、える方向に向かっています。かつての欧州のよ
めとする現実の問題への対処は、あまりにも各間共通の、誰もが同じような首刑を
階によって維持コストとか改修の容易さの迷いが大きい。しかし、建築構法をはじ
り 、 民 間 マ ン シ ョ ン で す と 金 尚 と か デ ィ ベ ロ ッ パ l、要するにお金を山山す人がいる。
星川おっしゃるとおりです。設計は設計者がやりますが、その上流に発注者がお
計が多いと芯うのですが。
どうもデザインが優先された設計になっていて、維持、保全という視点に欠けた設
しょうか。メンテナンスに必要な設計而での配慮は十分になされているのですか。
山際(東急コミュニティ)メンテナンスの軍要性は掛け声だけになっていないで
メンテナンスを考えた設計
しいことだと思います。
う 形 で す 。 そ う い う 混 在 形 が 、 本 中 lに い い 都 市 の 街 区 を 作 っ て い く た め に 大 変 望 ま
比べれば違う筑間であって、そこに住む人も述、っ。それを納得して住んでいるとい
をかけないと、集合住宅の機能は満足できないけれども、その部分は当然下の附に
住 宅 は 、 い ち ば ん 上 は アl テ ィ ッ ク と か アi テ イ コ と 時 ば れ て い て 、 と も か く 尿 般
ふく向感です。故初に防水のことをお話しましたが、例えばパリの集合
深尾私は A
のではないでしょうか。
対集合住宅とお肘の均一化した集合住宅とは、考え方を根本的に変える必要がある
動の激しい改築しやすいスペースという考え方もあると思います。つまり、低・小
峰政ありがとうございました。では、会場からのご質問を受けたいと思います。
また、公的な集合住宅でもやはり発注者の意図があります。発注者とユーザーがか
いますが、日本の場合にはジ
1ド ル ン ク 的 な 均 質 な 集 合 住 宅 が ポ ン と 人 っ て き て し
一八、九位紀に都市集小が起きたときにそういう解決方法を見い出したのだと思
ィードバックしようとすると故後はお金の誌になってしまう。長いタイムスパンで
て、住宅と路桜との間には担問を設けて設計していたはずですが、そういうのが忘
ま っ た 。 も っ と も ブ ルl ノ ・ タ ウ ト の ジl ドルンクなども、日以上階は洗泌室があっ
け離れているというところにいちばん問題があります。メンテナンスの問題点をフ
見れば明らかにいいと思われることでも、当庄のお金がかかるからできない。設計
法体系というのは一一日一決めたものは変えられないわけですが、何らかの方法でま
構法とか泣り方の問題まで迎って芳、えてみても、どうもそれはおかしい。
ッチ箱のように並んでいることが、京聞の買として長い間非矧されているわけです。
れられてしまって、すべて同じものを追ってしまった。このすべて均一位なものがマ
者の気配り、努力があれば解決がつくことももちろん随分あるのですが、そうでは
ないところも非常に大きい。
東 京 都 町 聞 で 、 一 期 を 在 米 型 、 二 期 を セ ン チ ュ リl ・ ハ ウ ジ ン グ ・ シ ス テ ム で や
た別な新しい日本風の集合住宅、⋮絡に住む形態を考えていかなければいけないと
った例があります。しかし結局売り値がおくなってしまって売れ行きがよくなかっ
ユーザーですから、使う入、住む人がそれなりの思解をして対処してくれないこと
たので、一二期のときにはまだ在米に一反してしまっている。最終的にお金を出すのは
思います。
区分所有法でも問分の一一一の開立があれば、北ムハ川部分の変克ができます。ですから、
梶浦いまのことに悶巡しますが、区分所有法では降かに難しい而もあるのですが、
係論かもしれませんが、例えばそれぞれの什江戸の外践を違った色で塗るとか、ベラ
ただ、維持管環の重姿性は認識されてきましたので、マンションに住む入もそれ
には、どうにもならない。
いう機運は上がりつつはあると思うのですが、これから光の訴になりますと、おそ
なりの知恋はだんだんっきつつはある。多少はお金を先のために出してもいいよと
ンダを変えるとか、それぞれ違った窓をつけることなども、川%在の法で全然できな
は物足りないということがあると思うのです。いろいろ違った窓の形態を造りなが
それぞれの住戸の似性を出していこうとすれば、どうしても山中の専有部分だけで
いわけではない。町⋮
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m一印刷八日がその気になればできるわけです。
らく日本人の国民性にもかかわってくるところも多いのではないでしょうか。
もっと戸出な、自出な改造を実現する道はないか
太 田 ( 東 洋 大 品 十 ) 集 合 住 宅 の メ ン テ ナ ン ス の こ と を 考 え る と 、 多用住宅の場合、
ないという改法もあり得ると思う。第⋮段階として、勝手な各戸の改造は駄目だと
ら、全体としてのデザインがいい、防災上の問題がない、全体に対して迷必を与え
深尾この、殺だけを売るというやり方は、日本でも制々とやっており、一つの例
すか。住宅は一戸ずつ倒性があるべきものと思いますが。
フラン投資は、賃
と し て 公 団 の フ リlプ ラ ン 賃 貸 な ど も そ れ に あ た り ま す 。 フ リ 10
ろ宅街があると忍いますが、何年か後にその方が山山られるときに小身をどうするか
貸でありながら小の物は全く例人に回附するという理怨の形だと思っておりますが、
というソフトなれ日印刷みが会くわからない。今後そういう仕総みを作った場合に、い
いう認識が行き波ったうえで、第二の段階として、それを認めたうえで谷戸の共用
アメリカのタウンハウスなどは特にそうなのですが、各戸が共用部分もいじりた
ろいろソフト上の問題が出てきても、それをサポートする体制、人材が全くできて
部分の改造をより高いレベルでできるような管理組合ができてくれば、かなり而白
い と い っ た と き に 、 そ の 要 望 を 管 興 組 合 に 山 山 す わ け で す 。 守 派 紛 AHの 小 に 全 体 の テ
いないということもあります。そうすると、どうしても制々とやっていってだんだ
公団の方でもほとんど宣伝しておりません。どうしてかと一一一日、えば、公同にもいろい
ザインを考、える専門家がいて、その人が検討して許可を与えるわけですが、この人
ん広げていくしかない。これは生泌総織の出題と人よく同じような出題として、そう
い改造が共別部分も含めてできていくのではないかと思うのです。
は強い権限を持っていて、この共市部分の改造が、全体の調和にマイナスをきたさ
ですから、アイデアが出てもそれがワッと広がるということは、住宅の場合には
いうことなのだと思います。
絶対あり得なくて、制々と広がっていく。その広がり方をみんなでだんだん広げて
ないということであれば許可を与える。改造の時点、時点において、山山された要求
これは非常にレベルのおい問題だと思いますが、現在の区分所有法は四分の三の
を全体の視点からチェックする、そういうシステムを持っているわけです。
多数決で決するということですから、ある意味で柔軟性を持っているわけで、その
いくという方向にもっていかなくてはいけないと忠います。
るような力畳がつけば、できるのではないかと思っています。中間システムと私が
柔軟性に管理組合が応えていって、倒別性と共通性というものの岐点を求めていけ
シュを付けて室内化したり、丸山此のように四O 仰 ぐ ら い 張 り 出 し て ( お 龍 な ら 張 り
合 住 宅 の 例 が あ り ま す 。 バ ル コ ニ ー が 付 い て い る の で す が 、 そ の パ ル コ ニ i にサッ
深 尾 台 湾 に ﹁ 国 民 住 宅 ﹂ と 呼 ば れ る こO 階建てぐらいの、政府が間関与している集
が差別化して売られている。あるいは、イタリアではともかく天井市に法規制的な
深尾アメリカの凶海伴などのマンションは、故近は天井市、情古川をおくしたもの
と思います。
れると、先ほどの天井をおくするという問題も、自然と解決してくるのではないか
財 で 売 っ て い る ケi ス が あ り ま す 。 そ う い う 方 法 を 日 本 の 不 動 産 業 界 に 取 り 入 れ ら
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M和
清水(住総研)外国の不動産業者の場合には、マンションなどを売るときに 廿
出してもいいらしいのですが)、そこを出窓みたいにして物を渋いている。そのかな
問題もあって、階山口川をおくしないと売れない。これは計調がない状態で暑い国だと
容積制は実現しないか
り大きな集合住宅団地の一角に建材屋があって、外壁をそういうふうに居住者が勝
いうことがあると思いますが、そういう気候条件からいっても、日本は向くすべき
中しますところのレベルが高まれば、そういういろいろバラエティのある対応の仕
手に変える部品を売っているのです。相対的にはある意味ではバラバラですが、大
だと忠います。
方ができていくのではないかと思っているわけです。
ている集合住宅なのですが、ちっとも違和感がないのです。
変アジア的な風景を作り出している。全体がかなりポストモタン風にデザインされ
中島(東京ガス都市開発)べルカの長期修繕賀川計算予法のパソコンソフトはよ
修繕麗用の簡易計算法
全部きれいに組合で管理するというやり方よりは、多少佃人が自由にするほうが
どうもアジア的な集合住宅ができるのではないか。勝手な言い方ですが、そうも思
フリ 1フランはなぜ実現しない
峰政私が政抜お応えしたほ、つがいいと思いますが、 ベルカはラ千フサイクルコス
法を標準化することはできないものでしょうか。
くできていますが、素人の管瑚組合が概算費用の見通しを立てるための館易計算方
っております。
竹田(花設計工房)日本では空間だけを売るアパート形式がなぜ造られないので
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せになれば、いつでも子に入ると思います。建物のほとんど全部位について、修繕
な各部位材料の修繕周期だとか更新周期について記述した本があります。それをご
トの計算のソフトウェアを出していますが、それとは別にベルカから出した襟準的
期も違って、というようなことも行なわれている。管理方式をどういうふうにやっ
棟ごと管理といったらいいような例があります。棟ごとの積立金綴が違って改修時
い る 所 も あ り ま す 。 ま た 、 昭 和 四0年代の前半に分譲された公団の回地タイプでは、
ったり形式が違ったり大きさが違っても、修繕積立金の額は同額に決めてしまって
一律に、いまここでどういう方法が最適だということは申し上げられませんし、も
ているか、運営方式をどういうふうにやっているかということと絡んでいますので、
参考になさったら、多分それで計算できると思います。これはベルカへお問い合わ
周期と更新周期、更新のパーセンテージ、それに対し時価でどうやって掛けていっ
う項目。ですからそれはコンサルタントが主体的に決めていいと思うのです。基本
星川清算項目については、最初の診断とか調査の時点で数量が確定できないと思
して定めるのか、お教えください。
どういうふうに定められるのか、また、指定数量の基準になるものは、どのように
うに思います。メンテナンス・コストの負担を考えると、山中古といえども非常に価
メンテナンス費用と市場での購入価絡とのバランスがほとんど釣り合っていないよ
古マンションの市場も形成されつつあるようですが、中古マンションの残存余命と
水 口 ( 雄 設 計 工 房 ) 築 一 一O 年 以 上 経 過 し た マ ン シ ョ ン も 多 く な り 、 そ れ な り に 中
中古マンションの価格とメンテナンスのバランス
しかないと思います。
で、それは加藤さんの属している団地の中で最適方法は何か、というのを見つける
う本当に管理組合によって全部違うと一言っても一言いすぎではないぐらい違いますの
たらいいか、という計算方法も全部出ておりますので、個別におやりになる場合は
そのほうが楽だと思います。
清算項自の実際
的には、組体改修だとか、モルタルやタイルの浮きといった部分です。指定数量は、
スと袋腹の資産としてのコスト・バランスという考、ぇ方は、行政指導的な分野には
格が高い。いわゆるパパをつかむことになる恐れはないのでしょうか。メンテナン
高橋(東海興業)清算項目と指定数量とき口われましたが、項目の指定というのは
きます。詳細な関商に全部落とし込むということまでは、私どもでは部分的にはや
事前の調査・診断時点で、ヒビ割れ数や、鉄筋のおかしい所とかを概略当たってお
梶浦これは市場のメカニズムに佼された部一分ですから、非常に難しい。山中古とな
どの程度反映されているのでしょうか。
ただ、最初にいくらで数最を指定するかは、非常に難しいわけで、そこのところ
が下がらないのは、やはり値段のうちで地側が占める割合が非常に高いですから、
れば、当然、それに対してメンテナンス費用がかかるにもかかわらず、中古の値段
ったりしますが、それほどそれに時間とか費用はかけません。
は経験だとか、コンサルタント、設計者の判断が重要になってくると思います。一
そこのところを行政指導していくのはなかなか難しいし、どういう対応をしてい
古の値段は高い。
マンション自体が非常に十日く資産価値が非常に低くても、地価がおい部分、その中
稜のノウハウみたいなところがあります。
いずれにせよ最初に何か指定しておかないと、金額の予想がつきませんし、予め
それで予算を確保しておいて、後は工事中に数量を確定して、最後に清算するとい
うことです。
けばいいのか、そこまで介入できるのかという議論になってくるわけです。
金子(新宿-区役所)マンションは分譲も含めて一生の住まいと考えず、ライフス
積立金への合意形成と賃貸佑への対策
大規模修繕の負担金の不公平について
ております。閉じ築一五年ですが、 R Cの一 O棟は負担金約一 O 万円、 P Cの二O
テ ー ジ の 変 化 に 伴 っ て 買 い 替 え な が ら 移 り 住 む 人 た ち も 多 い 。 二O年 後 を 考 え て 高
加藤(団地の修繕委員)実は大規模修繕の負担金に差をつけるべきかどうか迷っ
額な積立金を山山すことに否定的な居住者も多いのではないでしょうか。それともう
一つ、賃貸化のパターンとして一括ではなく、一一戸単位で入居当初から賃貸化され
ことなのですが。
いろいろタイプが違
棟 は 負 担 金 約 二O 万 円1 二 五 万 円 。 技 術 の 差 で 劣 化 の 程 度 が 違 っ て き て い る と い う
星 川 一 般 的 な こ と を 申 し 上 げ ま す と 、 管理組合によっては、
ウ
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への賃借入の参加を凶りながら、
ユニティ面での融合を図っていく努力
る 例 、 例 え ば 資 産 運 問 と し て の マ ン シ ョ ン の 例 が 新 宿 に は 多 い け れ ど も 、 これに対
が必要なのではないかと思っています。
%ぐらいに借家が増えますと、管理が
する対策をご教示ください。
非常に難しくなります。ですから、供
梶滞修繕積立金を入居当初から積み立てていくのは抵抗が多いのではないかとい
マンションを買うときの費用とか、登記の手続費用等に比べると、それほど大きな
給するときに、行政が事業主を指導し
特に全一戸数に対して二O%から三O
額ではない。最近は入居当初に、例、えば一O万円ないしはこO万円という金額を一
て、投資型で借家人を中心にするなら
うご質問ですが、そういう抵抗があるかもしれませんが、この綴は当初の居住者が
時金として積み立てるというマンションも出てきています。やはりそれ相応の額を
ば、そういうものをむしろまとめる工
夫をさせたほうがいいと思います。ど
徐々にスライドしていく方法も考えられますが、入間当初に一度決めた額を管理
うしても借家人とオーナーが混ざって
積み立てておいて、その積立ては当然そのまま次に買われる方に引き継がれていく。
り 入 居 当 初 か ら 一 定 の 額 を 決 め て お く と い う こ と で す 。 デ ィ ベ ロ ッ パ l の方にある
居住する形態が避けられず、そして借
組合で徐々に上げていくのは、総会にはかったりしてかなり大変なことです。やは
家人が少ない場合は、いろいろな物事
の決定、総会への出席等を、できるだ
程度の相場を踏まえたものを設定していただくことを希望しますが、これはそれほ
け借家人を不在オーナーの代現人とし
ど難しいことではないだろうと思います。
次に二番目の質問ですが、騨納入者自身の居住からスタートした分譲マンションも
ていく方向に規約を作って、所有性の
は 、 不 在 オi ナ ー も 含 め て い く け れ ど
高い、財産性の高い物事の決定の場合
で居住者と、オーナーだが住んでいない層、そして借家人という三つのタイプに管
理にかかわる人間が分かれてきて、管理上、非常に複雑な形態が生まれてきており
賃貸化が進み、オーナーとそれを借りているテナントに分かれて、しかもオーナー
ます。メンテナンスの商でもいろいろと意見の食い違いが出てきます。この問題は、
決定は借家人でやっていく、というシ
も、日常的なことを中心とする物事の
一般に賃貸化のタイプには、少しずつ賃貸化していくタイプと、一気に賃貸住戸
日本だけではなく、諸外国でも問題になっています。
ステムを規約で工夫されたらいかがで
私は、総会等で管理組合が決める内
しょうか。
容を大きく三つのグループに分けて考
が増えるタイプがありますが、どちらかというと、前者の蚕食型のほうがまだ問題
いろいろ理解してもらっていくには都合がよいので、うまくいくのですが、一括し
が少ない。それは一般に少しずつ借家人が増えていくほうが、時間をかけて管理を
て、初めからかなりの数まとまって賃貸住戸というような形態をとりますと、問題
えております(図│1)。A は 生 活 、 居
住に関係した物事です。ベットの飼育
管理蜘の改正について
ですからこの対応としては、一括裂を避ける方向で、どうしても一括して賃貸住
が一時に出てくる可能性があります。
4 年間予算の決定について
とか共同清掃の時期、駐車場の使い方、
2 小規模な補修の決定について
自転車置場の使い方、排水管の清掃の
B3
1
戸を入れなければならないときには、例えば棟などでまとめて管理単位を分けるの
l 滋率域内地設について
がいいのではないかと思っています。管理単位を賃貸住戸ばかりの所と、それ以外
自転車置き場内使い方について
日 の 決 定 な ど 、 居 住 、 生 活 に 関 連 し た 物 事 。 そ れ に 対 し てC は 財 産 に 関 係 し た 、 大
A卜問哨哨につ川
規模修繕の時期、方法、費用など、そういったことを決定するという項目です。
1 ベットの餌脊について
の所、ォl ナi が 居 住 し て い る 部 分 と に 分 け る 。 ど う し て も 少 し ず つ 借 家 人 が 増 え
2 共間消掃の時刻について
はその両方の性格を含んでいる決定事項です。
CI
1
1
B
1
2
大規模修繕町時期・方法ー愛用
について
建幸子えや地設について
"
ていくのは避けられないわけですから、その場合には、できるだけ借家人とそれ以
図 -1 管理行為決定過程への借家人参加意向(1'
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外の人たちの居住者のタイプが似たような性格にして、できるだけ居住者の生活断
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5 管理費の改定について
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5 排水管の輔自の決定について
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0 S
O 60108090100
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と工夫をなされば、賃貸化に対応できる案が考えられると思っております。
意向んです。この点は、私の論文の末尾の参考文献等を読んでいただいて、いろいろ
体七割以上の人が、生活的な行為については借家人も参加して決めてもいいという
こ れ に つ い て 居 住 オlナi と 借 家 人 と 不 在 オ ー ナ ー の 意 見 を 開 い て み ま す と 、 大
梶滞私も﹁住居管理﹂という講義を持っていますが、やはり地味な講義になって、
いします。
井さんの質問はそういうことまで合めての話だと思いますので、是非その辺をお願
ル・マネージメント﹂といった学科がありますが、日本にはそれがない。多分、(糸
がフィードバックされてきていることは理解できます。今後とも同じような失敗を
室井(武蔵工業大学)臼本の集合住宅のライフサイクルにおけるさまさまな問題
建築教育の必要性
教育がでてくることが必要だと思っています。
てていくために、大学教育の中で、例えば不動産学科とか、もう少し学際的な研究
そういう課題に応えていくべきことはもちろんですが、マネージメント・ブロを育
こで、これは非おに活一一市立なことなのだということがわかる学生も出てくるわけです。
繕などの見学会に学生を述れていったりすると、これは非常に興味を持ちます。そ
学生にはそう務ばれない。ただ、講義の他に、年にてこ凹マンションの大規綴修
しないように、僕らのような若い人たちにもう少し教脊というか、知識を与えるべ
マネージメント・ブ口とは
しかしやはり経験蓄積というものが夜要な機種、仕事だと思います。
きではないだろうか。例えば大学での講義等や設計実技の中で思うのですが、この
点は各先生方はどのように忠われますか。
えばどういうことをやったら雨が漏るのだとか、被るものが少なければこういうこ
んな技術、どの辺の学識をお考えなのでしょうか。
中村(大妻女子大学)マネージメント・。フロの育成とは、どんな資質であり、ど
深 尾 私 は ﹁ 構 法1﹂ と い う 講 義 を 持 っ て い ま す が 、 こ の 一 般 構 造 の 講 義 で は 、 例
とになるのだという講義をしています。ただ、学生にとってはそういう講義は全く
から仕事を任されて管攻殺という形で対応しています。日本の場介、管理者という
梶浦例えば、ドイツ、フランスなどでは、そういう人が育って、実際に管理組合
面白くないのです。格好いいデザインの話のほうが圧倒的に面白いわけです。
実は、﹁構法2﹂というもう一つの講義も持っておりまして、これは一二年伎の後半
ーが対応してきでいるわけです。必ずしも日本の専門家のように、建築のメンテナ
と 、 管 理 会 社 が な っ た り し ま す が 、 こ れ ら の 国 で は こ こ は 一 人 の 有 能 な マ ネi ジャ
ぐらいでやるのですが、その講義では、今日お話したような集合住宅の新しい動き
ことを考えておかなければいけないのだよというかたちで、私は努力して講義をし
ませんが、かなり総合的な判断が適切にできる能力が求められるように思います。
う職についている例が多いわけです。会社の経常者と言ったら適切かどうかわかり
ンスだとかハ l ド 部 だ け で は あ り ま せ ん 。 税 理 士 さ ん と か 弁 護 士 さ ん な ど が こ う い
とか、新しい設計の考え方を、なるべく学生の興味を引くように、かっ、こういう
ているつもりなのです。
ただ逆に、いま学校で、床の間の話をしても学生は全くわからない。伝統的な構
法のことを教、えるほうが大変悩みで、集合住宅のことはむしろ学生も身近に怠って
中間システムへの期待
いるので、割に簡単なアドバイスで彼ら自身非常にいい知識を身につけていくと思
います。そういうことから言うと、木造で育ったのだけれども集合住宅を造らなけ
地方自治体、市区町村レベルの支援体制は続めて遅れをとっているのが実情です。
は、行政指導が管理組合や自治体へなされるシステム等の提案を合んでいますが、
世田谷区では区が音頭をとって、財団法人土地整備公担に町づくりセンターを設置
野村(集合住宅デザインハウス)梶浦先生のお話にあった中間システムについて
スパンで世の中は動いていかないと、ものはよくなっていかないのではないか。
し、集合住宅の建件甘え基準をつくることに者手しました。市区町村が具体的にどう
ったほうが、きっといいものを造ってくださるのではないか。そのぐらいの長さの
峰政実は私も、梶浦先生にも同じようなことをお伺いしたいのです。梶浦先生か
支援していったらよいかをもう少し詳しくお話願いたい。
ればいけないというこれまでの方々よりは、いまの学生が社会に山山て集合住宅を造
かファイナンスとか、本当のマネージメントの素養がある人がどうもメンテナンス
梶浦私の論文にも、地方自治体に何を期待するか、その方向についてふれていま
らはマネージメント・プロというご提案があり、建築の素養というよりも、会計と
に必要だというお話がありました。確かにアメリカとかイギリスの大学ですと、﹁ビ
のです。
持管卵、住設を誘導する新たな制皮を舷立するというようなことを提汚しているも
Hに 係 長 マ ン シ ョ ン を 認 定 す る な ど 、 マ ン シ ョ ン の 良 好 な 級
そ れ は 、 横 浜 市 が 独'
させていただきます。
てそれに基づいて、どんな規約を持っているのか、管理組合が修繕私立金を一体ど
す。数からいえば、リストをきちんと作るのはそれほど難しいことではない。そし
① ﹁ 優 良 マ ン シ ョ ン の 認 定 に よ り 、 新 築 、 小 lrnマ ン シ ョ ン の 水 準 を 向 上 さ せ る ﹂ と
すが、まず、自分の行政区域の小のマンションの把提をしていただきたいと思いま
思うのです。そしてそういった点検あるいは把握と指導ができないものだろうか。
ういうふうに積立てているのか等を把握するのは、それほど大変なことではないと
対する購入、リフォーム資金融資の優遇措置。小市マンションの住戸規模拡大の支
の維持管問指針の制定。成浜型優良マンション認定制度の確定。認定マンションに
政 と し て で き る と 思 う の で す 。 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 の よ う に 、 管 理 抑 制 A目の子算書や決
援﹂を誠っています。
して﹁新規供給マンション向けの設計指導指針の制定。新築、中古マンション向け
算書をチェックしろというところまでは大変かもしれませんが。もう一つは、マン
②﹁相談情報提供体制を充実する﹂として﹁第三セクターを活用した相談情報提供
建築基準法のロ条に定期調査報告を行なう制度があります。こういう制度をもっ
ションの管理組合いがいろいろ凶っていることに対して、相談窓口を設けることがで
別組合、管則一会れの致録制度の創設による情報提供体制の充実。管照一組合の白、王的
体制の拡充。マンション管則一専門家の育成、相談、指導。情報提供体制の光実。符
と実質的に活かして、管理組合のマンション管現の内容を把揮するようなことが行
のです。
きないか。それは外部のコンサルタントにお願いをするということでもいいと思う
③﹁コミュニティ育成を挽進し、小規模マンションに対する支援を強化する﹂
ネットワーク形成支援による身近な情報の充実﹂。
ごく大事なわけです。やはり行政が地方自治体レベルででさることはかなりあると
ンの管理向上のための専門家による支援、検査体制の確立。小規模マンションに日過
ということで、﹁横浜型標準管理規約各種モデル協定の作成、普及。小規模マンショ
供給する時点できちんと規約、ルールを作ることがその後の管理にとってものす
思っております。確認行政、指導行政があるわけですし、また建設省はそれぞれの
野 村 世 田 谷 区 に は ﹁ 住 宅 マ ス タ ー フラン﹂と﹁住宅条例﹂とがあって、その山中に
タした問題が妨げるように思います。
ーが作ることが多いわけですから、そこの指導を徹底すれば、かなり管壊のゴタゴ
梶浦そういう外﹂祁団体で対応されるのも広い意味で行政の対応と考、えていただい
ということです。
くか、あるいは正規の符埋をしてもらうかということにも、十分力を入れましょう
告も免れているような、そういう小焼撲のマンションをいかにレベルアップしてい
ここでいう小規模マンションとは、保健所への受水憎の水質のチェックなどの報
した管理修繕マニュアルの作成﹂を誠っています。
業界を指導していることがございます。刷川、えば標準管理規約とか、襟単の委託契約
といったことがそこの行政区域の山中で徹底するように、ディベロッパーなり、管叩引
改善システムということが前われていますが、一方それとは別に、市民活動のレベ
て、大いに進めていただければと思います。非常に光駆的な事例として注目したい
会社なりを指導することをしていくならば、いちばん出発点の規約はディベロソパ
ルの中で、町づくりファンドという、企業と住民とが参回附して恭金を作って、その
と思います。
0
基金の迷府誌で補助を進める財団が生まれました。
私 ど も の 集 合 住 宅 デ ザ イ ン ハ ウ ス は こ れ の 助 成 の 認 定 を 、 つ け て 、 テl 夕 べ │ ス の
とか、そういった問題に対して後予をとるのではなくて、先手をとる形で地元の専
しみを示すものであったと思います。これをもとに次世代へ灼る集合住宅はいかに
第 一 位 代 の 日 本 のR C集 令 住 宅 の そ の 次 に 生 み 出 さ れ る も の を め ぐ っ て 、 生 み の 苦
峰政本日は長時間、力の入った討議をしていただきました。今日一日の討議は、
構築はもちろん大切ですが、これから非常に多くなる改善の問題とか娃経えの問題
ろです。
ヨ ン 問 題 を ど う い う ふ う に 扱 っ た か と い う 簡 単 な レ ポ ー ト が あ り ま す の で 、 、}紹介
星川横浜市はマンションが多い都市ですが、市が進める住宅政策の小で、
どうもありがとうございました。(文資日編集部)
あるべきか、お考えいただければ、主催者としてそれに勝る存びはございません。
マンシ
門家集団が、地元の集合住宅に対してアクションを展開していこうとしているとこ
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問弁・情報委員になってから、主に生活の場溺・
て ま と め ら れ た 二C C聞を越える防止日書が投ぶ様子
C年間にわたっ
中!然なのだが、⋮九七三年以来、一 -
の報合宍を一摂できる場所もここ以外にはあまリな
は 圧 巻 で あ る 。 住 宅 研 究 を リi ド し て き だ 、 こ れ ら
環境としての住陪に関する問書を収集してきた。今
田はこれを中心に紹介したい。
いのではないか。
はじめとする、住居に関係が深く、建築家や研究者
まな著作があるが、レヴィン、メルロ・ポンティを
計画書、雑誌に紹介され、気になっていた﹁巴)の拘
塚委員が収集された、全国の自治体のお齢者住居の
現在第一線で活摂されている先生方の学位論文、在
小隆に而した静かな図書室の来日架を巡っていると、
盟住宅研究者が一度は訪れる場所
が場、領域、イメージ等を語る時にしばしば引用す
りである。大げさでなく住宅を取り巻く過去・現在
わロイ﹄等々:::思わず手に取ってしまうものばか
ができない待代・文化ごとの住様式の多様さを改め
(すずき・たけし/東京大学工宇部建築学科助手)
膨らませたい人が訪れる場所として育ちつつある。
え て 住 居 を め ぐ る 現 況 を 舷 認 し 、 新 た な イ メi ジを
す入が最初に訪れる場所として、またジャンルを越
このこじんまりとした限書{会は、住宅の研究を志
.未来への広がりを感じることができる。
またこの分野の海外文献としては、横山勝樹委員
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(閉山口三吋。ロヨ巾ロ門とり巾盟関口列巾印巾同門口 Y ﹀
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報告書や、守口ヨとえ同町三吋。コロ再三回一司
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に よ っ て 、 中 心 的 な 学 会 組 織 の 一 つ で あ る EDRA
る基本図書をほぼ揃えることができた。
学をはじめ、いわゆる環境行動研究においてさまさ
生活の場としての空間については、心環学、現象
圏住居に関連する環境行動研究
朝日文庫、等を眺めていると、平而関で読ん取ること
できる。
な雑誌が選定・購読されており、研究の動向を概観
いが、やはり住生活の某一本データであるので、積極
て確認することができる。まとまった資料は多くな
世の中には建築作品としての住宅、あるいは文化
酒生活の場としての住居のビジュアルな記録
盛充実してきた住宅に関する研究論文
的に収集していきたい。
今回改めて紹介しておきたいのは、住宅に関する
遺産としての住宅に関する図商・写真集は多いが、
研究論文である。鈴木成文先生の東大退{日時の寄贈
住居の中で営まれる実際の生活場面をビジュアルに
記録したものはごく少ない。これはプライバシーの
ん に よ る 着 実 な 収 集 活 動 に よ っ て 統 に 一 五O 冊を越
問問題や、研究の直接の分析対象となりにくかったこ
えた。研究の集大成でありながらアクセスしにくい
からスタートした住宅に関する学佼論文は、宮崎さ
しかし、民俗学的資料の集大成である﹃写真でみ
学位論文を自由に開覧できることの意義は大きい。
とが原図だと思われる。
る日本生活図引﹄!弘文堂、世界の著名な集合住宅の
報告求円である。本家本元であるから揃っているのは
忘れてならないのは、住総研の助成を受けた研究
生活シl ン を 集 め た 写 真 集 で あ る 平 地 勲 ﹃ ア パ ー ト
メントへいささか演出過剰の感はあるが日本の食
卓風景を集めたアサヒグラフ編﹃我が家の食卓﹄
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:烹には、内外の主要雑誌、機 1
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揃っています。ぜひ、おれ既にご利Fflドさい。
ューブ内を乗物が行き交うというあの
りした国はないと言われているのだが、
求めてしまう。日本ほど四季のはっき
か抵抗感を抱いている。特に札枚のよ
として、私はこの屋内化傾向にいささ
とんど感じられない。よく南方系の人
いった肌で感じる季節感も屋内ではほ
った現代にあって、気団胤や温度や風と
風物に季節を感じることすら少なくな
ととされ、各人各所の研究も﹁冬をい
ず冬のことを念頭に置くのが当然のこ
かし、安定した環境に長く居るとその
さまざまな調撃機能をもっている。し
言われる。肉体は自然の変化に対して
沼
発
日
行
ハ ウ ス 栽 培 の 都 市 生 活 i l快 適 な 屋 内 環 境 化 は 何 を も た ら す ?
川口雪枝
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最 近 船 橋 市 に 屋 内 人 工 ス キl 場がオ
ープンしたそうである。全長約五
に住む私としては﹁何もそこまでしな
しく、人気も上々と聞いている。札幌
って犀内化は強まっていると忍われる。
うな積雪寒冷地では、生活全般にわた
屋内の安定した環境に当然四季はない。
くても冬を待てば良いではないか。季
と北方系の人とでは毛穴の数が違うと
想像の世界はさておき、現実の問題
絵である。
節の到米を待つ等ぴだつであるのに﹂
これまで北海道では何を考えるにもま
かに快適に過ごせるようにするか﹂が
機能も弱まってしまうのではないだろ
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mの ゲ レ ン デ は 結 構 滑 り 応 え が あ る ら
と思ってしまうのだが、人間の欲求は
と こ ろ で 、 こ の 人 工 ス キl場 に 代 表
うか。太陽光を直核汚ぴる機会が少な
やはり際限など無いのだろう。
されるような屋内型のアミューズメン
は大いに発揮され、市民生活はずいぶ
大きなテーマとなってきた。その成果
くなれば皮膚も弱くなると一言われる。
思 う 。 遊 園 地 あ り 、 人 工 ビl チあり、
んと向上した。特に札幌では地下鉄と
風 邪 を ひ き や す い と か 、 ア ト ピl性 皮
ト施設が、近年ずいぶん増えたように
地下街の恩恵が大きく、雪と寒さから
府炎とか現代病の原因の一端は、肉体
各種スポーツ施設等々、この先何が出
現するか少々恐い気もするくらいであ
った。住宅に目を向けても、寒地建築
ハウス栽培のパラの花のように病気に
であるが故にわかりにくく恐ろしい。
完全に逃れて生活することも可能とな
もちろん結露対策・凍害対策・雪対策
かかりゃすい体質は、やはり抵抗力の
る。札幌にもこの夏﹁サッポロファク
心とした複合潟業施設が誕生した。ガ
等どれを見ても性能的にはかなり向上
なさからきているものだろう。快適が
言いすぎだろうか。肉体の変化は緩慢
ラス屋根付の公鴎に飲食・物販・温泉・
した。しかしここにきて、快適すぎる
を甘やかす屋内環境にあると一一二日つては
映画館等が連続しただけのものなのだ
屋内環境の創出が人間の肉体に微妙な
論がほぼ確立され、高断熱・高気密は
が、札幌では珍しさもあって賑わいを
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ト リl﹂ と い う 、 巨 大 ア ト リ ウ ム を 中
見せている。こういった都市空間の屋
(かわくち・ゆき、ぇ/クレア建築設計引務所)
いのだが。
生み出す不快。私一人の杷五変ならば良
らないのである。快適な尾内環境は季
変化をもたらしているように思えてな
るから、人間はやはりそこに川場所を
節を問わず一年じゅう快適なわけであ
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住総研の卒業の小心をよ円める今年度の助成研究は、昨年同様多数のたけすべき応募奈があリ、その山中から、トペ起
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特に、治外国の住まいに関係するものやユニークな佼点にたった研究が多く、九州年九汀までの却しハか凡の研究
足
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の 六件の研究が選ばれました。
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期間を経て、九五年間川発刊の住総研のは川山九年織にその以来が川均出帆されることになっています。ご別待トさい。
叫川
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研究助成内容一覧表
広範囲に注目課題
住総研 1
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3年 度
住総研
研究論文
刊行物のご案内
③ 研 究 um8001
在来構法の研究木造の継手仕ロについて
内田祥哉
とソフトの間の﹁往還迷動﹂を活性化させ
鳳噛高齢者のすまいづくり通信
7号発行
本 号 は 、 第 6回 高 齢 者 の す ま い づ く り フ ォ
るという仮説に基づき、内外の事例を相互
参照することにより、これからの望ましい
ーラムの記録として、﹁板陣例区立おとしより
1 8 0 0円(送料別)
集合住宅のあり方を提示している論文です。
A 4判 刈 べ │ ジ
る、直按ケアとリハの普及・ネットワーク
││割安の三年継続購読をどうぞ
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一一一年間のご自宅郵送制です。一一一年間継続購
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いずれの場合にも、氏名、住所、電話番
にお送り下さい。
を悶封の上、財団﹁すまいろん購読係﹂宛
または郵便切手(小額切手でお願いします)
込警(振替用紙)をご利問いただくか、現金
購読申し込みは、本誌はさみ込みの購読申
科ミコミ三
構 築 を 両 輪 と し たC B Rの理念と活動の詳
堀川進氏による、多くのしがらみの中で懸
細報告、﹁杉並花上井草保健相談所﹂ O Tの
命 に 取 り 組 むP T ・O Tの ヒ ュ ー マ ン な 活
共割 込送
我国で発達した木造の継手仕口を、広い技
術的視野でとらえ、現代及ぴ将来にかかわ
りを持つと思われるものを中心に、目的、
⑧ 日 本 の ハ ウ ス ・ ア ダ ブ テl ション
lll建 築 ・ 医 療 ・ 保 健 ・ 福 祉 の 逮 携 に よ る
動の実態報告を掲載しています。
3人 以 上
初人以上
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ま約
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にル年年間
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6人 以 上
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468年 。 場 四
000間三合
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形態、機能、強度、そしてその発生と展開
住宅改造のシステム化をめさして
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の歴史的経過を集大成し、豊富な図面と模
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円円円
高齢者のすまいづくりシステム研究委員会
本音一日は、高齢者の在宅介護のネックともい
える﹁住宅改造﹂にかかわる建築・医療・
Q
購読の受付けはしておりません)。
おりますのでご利用下さい(蔚頭での予約
まち居住研究会
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電話 (03)32911338
・南洋堂書出拍手代凶区神田神保町・ 1
電話 (03)34562051
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小菅寿美子(こすげ・すみこ/住宅総合研究財団)
松井精子(まつい・はるこ/松井編集室)
塩路安紀子(しおじ・あきこ/ジオ・プランニング)
稲葉佳子(いなば・よしこ/ジオ・プランニング)
でお詫びいたします。
号、勤務(所属)光名、所在地、郵送希望先
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を
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を明記してお申し込み下さい。
で
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前口万三九九三年夏号)︿私のすまいろん﹀
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お詫びと訂正
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@﹁すまいろん﹂は次の底頚でも販売して
金
支
の執筆者の所属が抜けておりました。議ん
苅
殿
型写真を掲げて解説したものであり、研究
者はもとより、広く実務に携われる方々に
も貴重な資料として、また、教科書として
もお薦めできる内容を持つものです。
目指して、一昨年以来取り組んできた﹁高
福祉など各職稜の連傍活動のシステム化を
齢者のすまいづくりフォーラム﹂の活動を
中心に、各地の実状調査、更に、英国にお
え て 、 わ が 国 に お け る ハ ウ ス ・ ア タ ブ テi
け る ハ ウ ス ・ ア ダ ブ テi シヨンの詳細を加
ションのあり方を展望したものです。
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⑧研究胤 8 6 1 6、8 7 1 4
︿第二刷﹀
在来構法の研究
シンドラー邸
住スタイルに対する自由な発想、と挑戦的な構法
松村秀一
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・イ│ムズ自邸?(一九四九年)とルドルフ・
で礁かめたい住宅が二棟あった。チャールズ
には、かねてよりそのリアリティーをこの限
アメリカ閥海岸を訪れる機会のなかった私
人 の 集 合 ﹂ と い う シ ン ド ラi の 家 紋 観 は 、 機
る点にある。﹁共通の汀的を持つ独江した倒
術波川とによって、みごとに呉羽化されてい
川符おと悦渋川河な伐
自力な発刊むが、変札たゐに m
れたこの住宅の魅力は、住スタイルに閲する
他の外部空間と区分けされている。温綬な気
ク ン ・ ガi デ ン や 楠 込 み 等 に よ っ て 、 巧 妙 に
に計附されている。パティオは燐接するサン
み関かれ、この開放耐でパティオを臨むよう
L字 形 プ ラ ン の 空 間 は 、 そ れ ぞ れ 入 隅 測 に の
の中で S字 形 の 建 物 プ ラ ン が な 味 づ け ら れ る
が分かちがたく計幽されている点にあり、そ
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シンドラlzH邸 三 九 二 二 年 ) で あ る 。 幸 い
能別の空間構成とは全く災なる計画内山九日を生
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日常の食事や友人とのパーティーのためにフ
ラ!の考えであった。パティオの一角には、
ァイアl ・プレi スも設霞されている。 L字
形プランの中央部尾上には、星空の下で限れ
る よ う に ﹁ ス リlピ ン グ ・ バ ス ケ ッ ト ﹂ と 名
付けられた寝室(?)が配寵されている。二
組の L字 彩 が S字形に結合されているため、
の両側に分けられ、それぞれのプライバシー
作々の硲外生活の場であるパティオは、往物
このように、建物の内と外とを一体的に考
を手近する彩となっている。
ので、他地域のモダニズムからは生まれよう
える方法は、まさにこの地の気候に過したも
のないものであったろう。船体締法もまた、
こうした。プランニングにリアリティを付与す
る絶妙なものである。
L字形の山山附側は二 m×一 mの コ ン ク リ ー
会‘つの Lア形プランが一一組の犬い州共同の、キッ
トパ、不ルで構成される閉鎖而である。このパ
チ ン ・ ユ ー テ ィ リ テ ィi部分で結合され、 S
そして、硬化したコンクリート板を連て起こ
地耐のヒに別枠を涜きコンクリートを打設し、
して慢パネルとする。いわゆる﹁テイルト・
法を保別している。パネルのぷ置場所の足元、
ネルの施工にあたってシンドラーは新しい工
により初期のぷ計どおりに修復・保存され、
んーでは住む人もいないが、多くの愛好殺の子
が付加されることで筏物の一千而が山米、上がる。
シンドラ│犬長とその友人チェイス犬英、
一総のカップルの共同生活の場として汁同さ
シンドラl 郎 の 点 付 項 は 、 外 部 空 間 と 内 部
字形のプランを構成し、そこに突起状の名家
でのほ光。
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な こ と に 、 作 年 の 夏 、 両 者 と も 実物に触れる
んだ。平而関山中、 R M S、snrG等 と 記 さ れ
はもか、なく伎の代ぷ 1
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機会を得た。このところ長らく建築不感症気
伎の南カリフォルニアの住生活は屋外生活に
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公開されている。
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よっていっそう堕かになる。これが、シンド
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味であったが、この二械のおかげで私の感受
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仕事、遊びの場として問つの笠間が設けられ
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ニア・モダニスムを代去する
にカリフォルニア・モダニズムの山崎氏である。
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開放而の “フス","と屋上の寝室 (7)。
PC板による閉鎖面。
“平日"を思い起こさせる内部空間。
アップ工法﹂の最初期の例である。パネル相
互は一 O 叩ほど離して置かれ、相互の施工誤
差を処理するとともに 、後でガラスを山飲め込
みスリット状の効果的な採光を得ている。上
手い処理である。
一方 、 パ テ ィ オ に 面 し た 側 に は 木 製 柱 が 立
てられ、コンクリート墜との聞に木製の梁が
架け波される。木造軸組による開放面および
内部空間の構成は、驚くほど日本的である。
柱と柱の聞には、全開口の引違い木製建具が
ャンパス地の二種であり、後者は日本の障子
仕掛けられている。建具の商材はガラスとキ
のように微妙な調光機能を備えている。いず
れも引き込めは、内部空間とパティオの一体
類の天井高の段違い部に通風、採光のための
利用が可能である 。天井は非常に 低く、二種
た陰臨調を持つこの室内空間と南カリフォルニ
高窓が設けられている。日本の木造家屋に似
竣工後三年を経てチェイス夫妻は去ったが、
アらしいパティオの対照が、印象的であった。
その後ノイトラ夫妻との共同居住、ライトや
小説家ドレイサl、作曲家ジョン・ケl ジら
多士済々の短期滞在等、シン ドラl邸は、西
海岸の文化交流の場としても記憶されるべき
住宅になっていた。今では竹林の中に静かに
たたずむ一棟の住宅。ロスを訪れる折には、
(まつむら・し 申 う い ち /東京大学工 学部建築学科助教授)
真っ先に足を運んでほしい場所である。
一九九三年四月)
* 1 筆者の見た イl ムズ邸に関しては、﹁プロダクト とし
ての住宅 2 │ │幻想の源﹂(群居認号、
戸一山田一可
*参考文献=悶富山︹リ}出 Zり円、何回z
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