会 報 紅万作 広島県立宮島工業高等学校同窓会 創 刊 号 平成 27 年 5 月 25 日 発行 〒739-0425 広島県廿日市市物見西二丁目6-1 (TEL)0829-55-0143 (FAX)0829-55-0609 ホームページ http://www.miyajima-th.hiroshima-c.ed.jp 会報誌,紅万作(べにまんさく)とは,宮島工業高等 学校のスクールカラーである紅色のもとに 1 万人を越 える同窓生が参加して作ることを意味しています。 1.ごあいさつ 「同窓会会報誌の発刊について」 宮島工業高等学校同窓会会員の皆様方には,会の運営にいつもご協力いただ きお礼申しあげます。 さて,これまでの同窓会活動は会の運営や学校の現状について,年一度の総 会で報告するのみでした。本会の今後の発展のためには,少しでも多くの会員 の方に同窓会の現状,同窓生および在校生の活躍や学校の様子などの情報発信 をすべきだと考え,会報誌の発行を企画しました。初めてのことにて,内容に ついては期待に添える記事になっていないかもしれませんが今後,回を重ねる ごとに,より充実したものになるよう努力してまいります。会員の皆様方より, 同窓会会長 ご指導やご意見を頂ければ編集に活かしてまいりますので,宜しくお願い申し 田村 敏文 上げます。 2.同窓会活動 毎年 7 月第 1 週目の土曜日に同窓会総会・懇親会を行っています。この会には諸先生方や世代 を超えた同窓生の出会いの場になっています。平成 26 年度は七夕の日に,広島サンプラザを会場 として 72 名の会員が出席しました。当日は田村同窓会会長のあいさつにつづき流田校長のあいさ つ,素材システムクラブが製作した七宝焼きによる五十周年記念碑のプレートを披露しました。 五十周年記念碑の除幕式を 3 月 31 日,挙行しました。流田靖校長,前原廣榮教頭,金子隆之教 頭,難波至聖主幹教諭,同窓会からは山形顧問,田村会長,迫田理事,中島理事,大江理事が参 列し吹奏楽部によるファンファーレの後,除幕しました。この記念碑はインテリア科の林忠一教 諭がデザインし,素材システムクラブが七宝焼きを作成しました。さらに記念碑設置に向けて, 平本理事,山田理事,同窓生の藤田(寺尾)秀治氏にご尽力いただきました。 同窓会総会親睦会(広島サンプラザ) 50 周年記念碑除幕式 平成 26 年度の活動内容 ○ 同 窓 会 総 会 親 睦 会 7月 7日( 土 ) 18時 30分 ~ 20時 30分 広 島 サ ン プ ラ ザ ○同窓会役員会 4月 26日( 土 )5月 24日( 土 )6月 21日( 土 )議 題:同窓会のビジョン,同窓会総会・親睦会に向けて 9月 27日( 土 ) 議 題 : 同 窓 会 総 会 懇 親 会 の 反 省 , 学 校 支 援 の 要 請 に つ い て 10月 18日( 土 ) 議 題 : 同窓会広報誌の発刊について,広島土砂災害義援金(報告) 11月 29日( 土 ) 議 題 : 同 窓 会 広 報 誌 企 画 に つ い て 1月 24日( 土 ) 議 題 : 同窓会会員名簿発刊,同窓会広報誌企画,記念碑の設置について 2月 21日( 土 ) 議 題 : 同 窓 会 広 報 誌 企 画 , 平 成 26年 度 同 窓 会 入 会 式 と 新 会 員 に つ い て ○五十周年記念碑除幕式 3 月 31 日(火)17 時 正門ロータリー前にて 3.輝く同窓生「同窓生の紹介コーナー」 「甲子園出場の思い出」 同窓会顧問(初代同窓会副会長) 山形 昇 昭和 37 年に地域の学校として大野町が宮島工業高校を誘致し,今日まで 50 数年いろいろな出 来事がありました。そのなかでも私が最も印象に残っている出来事について,執筆させていただ きます。 平成 7 年,第 77 回全国高等学校野球選手権大会広島大会で,母校宮島工業高校が見事決勝 戦まで勝ち進み,地域の学校として関係者はもちろん町民の方々が広島市民球場に足を運び, 町長をはじめ多くの町職員と私も同窓生として応援に駆けつけた事を今も鮮明に覚えていま す。多くの方々の応援が叶い見事,甲子園出場の栄誉を勝ち取りました。大野町内での歓喜 の渦のなか私は町職員として同窓会役員代表として学校に出向きました。 学校長をはじめ関係者と栄誉のメダルを胸にかけた生徒の前,町を代表して「町民に夢と 感動を与えていただきました」とお礼の言葉を直接伝えることが出来ました。 私は町民,学校,同窓会との交渉窓口を担当し,甲子園出場の対応を全て任されました。 試合前日の夜,40 台のバスは生徒,保護者,教職員,同窓生,町民で満席となり学校を出発, 翌朝にはJRにて移動してきた町民有志 40 名,合計 1,620 名が大阪で合流し,大応援団を結 成,甲子園へと向かいました。試合は1回戦で敗れはしましたが,この快挙は「広島県に宮 島工業高校あり」と全国に知れ渡りました。 これまでの数多くの卒業生は「宮島工業高校で学んで良かった」と思ったことでしょう。 同窓会役員としての思い出は数知れませんが,40 年余りの間,役員としての役目を全うで きたのか?これは同窓会員が決めることでしょう。これまで同窓会役員として努められたこ とに感謝いたします。 ありがとうございました。 「思い出」 初代同窓会長 橋上 親義 昭和 40 年に宮工同窓会が立ち上がって 50 年が過ぎました。当初は同窓会の運営も手探り 状態で,会員相互の親睦を深める総会や各会議開催への盛り上がりも今一つでした。 昭和 56 年に創立 20 周年を迎えるにあたり,同窓会もこれに協賛する意味から同窓会名簿 (約5千名)の作成,記念行事のための資金援助,加えて地域当局の援助によるプール建設 事業に,PTA,学校と共に賛同致しました。当時の一番の課題は活動資金の確保と会員の 動向把握でした。それから 10 年の歳月は瞬く間に過ぎ,平成 4 年には創立 30 周年という大 きな節目を迎えることとなりました。学校,PTA,同窓会が一体となって記念事業に取り 組み,盛大なる記念式典,記念祝賀会が行われました。この時期に 2 度目となる同窓会名簿 (約 7 千名)を発行することが出来ました。これらの運営には各代表幹事の方々に約1年と いう長い期間携わっていただき,かつ募金へのボランティア活動にもお力をいただきました。 また,同じ同窓生でもあり母校の教壇に立たれていた諸先生方には,多忙にもかかわらず快 く援助していただいたことが何よりも大きな力となりました。 この年から徐々に頭角を現し始めた母校野球部が,平成 7 年夏の甲子園初出場を決め一気 に宮工を世に知らしめた瞬間でした。この快挙に同窓生の皆さんと共に大喜びしたのは言う までもありません。全国大会出場記念の募金活動にもたくさんのご支援をいただき,改めて 横のつながりの強さを感じました。これを契機に同窓会も未来を見据えた活動をしていくべ きとの気運が高まり,平成 13 年に新体制で運営することに決定しました。現執行役員の皆様 の力強い指導力のもと平成 24 年には 50 周年記念事業も開催され,改めて在校生および同窓 生の皆様のご活躍を拝見することができ,本当に嬉しく思いました。 「開拓者精神」に始まった宮工が永く歴史に刻まれることを祈念し,皆様のご健勝をお祈 り致します。 4.学校の近況報告 平成 25 年度に,本館,教室棟,旧体育館(現第二体育館)の耐震工事が行われ,平成 26 年度は売店食堂の耐震化が図られました。機械科の溶接,鋳造,鍛造実習棟については,新 設されました。 (before) 本館,壁(after) 校章が入り,校名は大きく壁は明るくなりました。 (before) 売店食堂(after) 明るく清潔的になりました。 (before) 溶接,鋳造,鍛造実習棟(after) 天井高が上がり日当たりも良くなり学びやすい施設になりました。 5.在校生の話題 在校生はクラブ活動,資格取得,コンテストなどさまざまな分野 で活躍しています。その様子は新聞をはじめテレビなどにもとりあ げられていますが,中国大会および全国大会規模の活躍については 横断幕を体育館前の壁に掲示しています。 近くにお越しの際は是非ご覧ください。平成 26 年度の主な活躍(横 断幕)について紹介します。 「 新 た な 夏 ,プ レ イ ボ ー ル 。」 「夏の高校野球フレーズグランプリ」 今夏の第 97 回全国高校野球選手権大会のキャッチフレー ズコンクール(朝日新聞社,朝日放送主催,日本高野連後 援)で,山本守人さん(3年)が「新たな夏,プレイボー ル。」でグランプリ,松本成大さん(2年)は「僕らの夏を 見せつけろ!」,西あずみさん(1年)は「ミラクルハジケ ル,甲子園!」で優秀賞に選ばれました。山本さんの作品 は,大会のポスターやテレビ CM などに使われます。 【お知らせ】 ○平成 27 年度同窓会総会懇親会 会場:広島サンプラザ 日時:7 月 4 日(土)18 時 30 分~20 時 30 分 会費:5000 円 ※皆様のご参加をお待ちしています。 ○輝く同窓生「同窓生の紹介コーナー」への投稿,本会報誌スポンサーを募集しています。 ※詳しくは同窓会事務局 0829-55-0143 宮島工業高校内までご連絡ください。
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