東高野街道を行く(南コース)(PDF:667.1KB)

大東市歴史の散策道
~ 東高野街道を行く(南コース)~
野崎駅⇔寺川バス停(所要時間1~2時間)
野崎駅から市内最古の街道「東高野街道」を南下するコースです。東高野街道の周囲に
は多くの歴史・文化遺産があり、コースに掲載しているところ以外にも、野崎駅周辺では
観音浜石碑や野崎観音、街道沿いに「来ぶらり四条」(大東市の歴史を解説した歴史民俗
資料館(無料)と東部図書館などの複合施設)があり、少し山道に入ると堂山古墳群史跡
広場などがあります。終点の寺川バス停付近から「古堤街道を行く(東コース)」に進む
ことができますし、東高野街道は生駒山地の西側を高野山まで続いていることから、この
まま南下して東大阪市、八尾市の市域まで足を伸ばすことも可能です。
(始)野崎駅 ⇒ 東高野街道 ⇒ 専應寺 ⇒ 宝塔神社 ⇒ メノコ橋⇒ 法妙寺
⇒ 大谷神社 ⇒ (終)寺川バス停
→ 古堤街道を行く(東コース)
野崎駅
観音浜の碑
野崎駅から東に真っ直ぐに山麓まで来ると東
高野街道に出会います。
野崎観音
道 標
東高野街道は、長岡京・平安京時代
の官道、南海道がはじまりです。弘法大
師空海ゆかりの高野山金剛峯寺と京都
の東寺を結ぶ道路で、平安時代後期か
ら鎌倉時代初期には高野山参詣の道と
して利用されていたと考え られていま
す。
専應寺
街道を南に少し下った所にある専應寺は、山号を戸森
山といい本尊は阿弥陀如来です。境内には本堂・太子
堂・鐘楼・山門・庫裏があり、江戸時代中期の建物と考え
られています。開基は親鸞の高弟二十四輩の一人、唯
信で、永正17 年(1520)の「阿弥陀如来絵像」などが残
されています。
来ぶらり四条
旧四条小学校の跡地を活用
して設置された生涯学習の
複合施設(愛称:来ぶらり
四条)で、歴史民俗資料館
のほか、図書館や体育施設
を併設しています。
阿弥陀如来像(専應寺)
専應寺
本堂
「狸のとめやん」
宝塔神社
高吉大明神
専應寺から登り坂をしばらく進むと谷あいに宝塔神社があり、その
横の石碑には「とめやん」と呼ばれた狸にまつわる不思議な民話が
伝えられています。
昔、この辺りに住ん
でいたとめやんは、毎
日のように悪戯をして
いました。困った村人
が捕まえると「みんなが
とめ公と呼んでバカに
する、高吉大明神と呼
んで祀って欲しい」とい
うのです。そこで村人
たちは「高吉大明神」と
いう石碑を建て、食べ
物を供えてやったそう
です。
法妙寺
メノコ橋
宝塔神社から東高野街道に下り少し南へ行くと、メノ
コ橋の欄干が道ばたに残されています。その昔、村里
で宿を断られた弘法大師が連日の様に寝ていたのが
この橋で、欄干を枕に寝ていたことから「ネノコ橋」、次
第に「メノコ橋」と呼ばれるようになったという民話が残
っています。
メノコ橋から南へ向かい再び東へ坂を上がると法妙
寺があります。法妙寺は、大阪市中央区谷町から昭和
42年にこの地に移転しました。近松門左衛門の墓を模
した供養墓、大坂冬の陣、夏の陣で亡くなった人を弔
ったとされる供養塔が建てられています。
供養塔(法妙寺)
大谷神社
東高野街道を南へさらに下る山際に、大谷神社
があります。祭神は大巳貴命でこの地区の氏神とし
て鎮座しています。過去何度も修理されましたが、
平成19年にあらたに再建されました。手水舎の東側
には、文政2年(1819)のおかげ灯籠を見ることがで
きます。
寺川バス停
約15分ごとに住道行や新石切・瓢箪山
行があります。曜日や時間帯によってはバ
スの頻度は異なりますので、あらかじめ時
刻表には御注意ください。
新石切駅
瓢箪山駅
おかげ灯篭(大谷神社)
住道駅
古堤街道を行く
(東コース)
須波麻神社
平野屋新田会所跡
住道駅北デッキ