中性子 醫博 佐々木隆興 東京・駿河台 追々齢をとると人並に雅名をつけたくなって、中性子と云ふ事にした。陰に偏せず陽に 黨せざる「ノイトロン」が氣に入ったからである。 無難坦々年々歳々平凡に暮したいのが自分の念顧である。まづ昭和十年も大過なくして いきて居った事を感謝してほっとする次第である。 雅名が出來たから之から俳句か詩か歌かを稽古し始めたいとは考へたこともあったが、 怠けて居るくせに、頭にまだ其餘裕がない。 何れ出來る様になったら三十一文字か十七字で新年スモーキングルームに對する責をふ さぐ事にする。 (初出;日本医事新報 695 号 昭和 11 年)
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