国宝松江城はかくして残った 中沼 尚 松江城 平成27年7月8日松江城は国宝に指定された。松江城は慶長5年関ヶ原の戦いの後 堀尾吉晴が築いた城で重箱造りの二重櫓に3階建ての櫓を載せた外観四重内部五階で、 下見板張りで桃山文化様式の城である。地下に井戸をもつなど数々の特徴ある構造物で ありながら築城の詳細が定かでなかったことで国宝指定が見送られてきた。最近築城日 時を示す祈祷札が発見され国宝に指定されたのは嬉しい限りである。 松江城の歴史をみるとあやうく取り壊されるところだった。2001年山陰中央新報 に次のような記事があった。 「築城当時十一もあった櫓がなぜなくなってしまったのか。明治時代になると、多く の城は維持費が重荷になり、無用のぜい物として廃城するものが出た。旧松江藩主松平 定安も明治四年に廃城を申請し許可を得ていた。明治八年十月、廣島鎮台から斎藤大尉 が来て松江城を焼却するため入札にかけたところ、天守閣が百八十円、十一の櫓は四円 八十銭で石橋の人が落札した。百八十円は釘と鉄代であった。 これを聞いた雑賀町の 足軽高城権八は、この貴重な天守閣を焼却することを残念に思い、現斐川町の豪農で事 業家の勝部本右衛門と協議し、百八十円は自分らで負担するから天守閣だけは残してほ しいと陳情したので残った。」 この二人のお陰で今美しい千鳥城を見ることができることを忘れてはいけない。 -70-
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