〜遺族の想い〜 - みやざき被害者支援センター

〜遺族の想い〜
宮崎県警察本部
公益社団法人 みやざき被害者支援センター
妻の7年忌に想う
天国のお父さん聞こえるね? 話したいことは山ほどあっとよ!
平原 松子
笹森 義幸
小磯 信夫
古川 静子
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もくじ
交通安全を祈る公園 「ふみやの森」
岩﨑 静子
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雨の日に想う
あなたのことを想って
原田 紀男
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自動車、自転車を運転する皆様へ
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12
-
-
天国のお父さん聞こえるね? 話したいことは山ほどあっとよ!
古川 静子
しい様子がわかりませんでした。でも、長いことタ
クシー運転手をしていた主人が間違った事をする
年 が 経 ち ま し た。月 日の 経つの は 早い
主人が交通ルールを守っていた事を証明したく
て、現場近くのコンビニエンスストア、ラーメン屋
あれから
けど、私の心は事故の日のままです。
貼り紙も貼らせてもらいました。
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「ただいま。」を言う事も笑う事もありません。
息 子 と 駆 けつ け た 病 院 で 、やっと 主 人 に 会 え ま
し た が 、主 人 は 目 を 閉 じ た ま ま。いつ もの よ う に
いつまで待っても帰ってきませんでした。
で も その 日 は 、 時 半 を 過 ぎて も 帰って き ま せ
んでした。
り、夢の中を彷徨っているような事がありました。
私 は 現 実 が 受 け 入 れ ら れ ず、主 人 が 生 き てい る
よ う な 気 が し て 、どこ に 行ったの だ ろ う と 捜 し た
突然の事故。今まで傍にいた人がいない。
したが、駄目でした。
し か し 目 撃 者 は 現 れ ず、貼 り 紙 も し ば ら くし て
剥がしました。ちょっとした事でもと期待していま
な ど 全 ての 店 に 聞い て 回 り、事 故の 情 報 を 求 め る
早朝の散歩は主人の日課でした。
朝 時 分 頃 出 か け、 時 半 頃 に は 帰って き て 仏
平 成 年 月 日 、主 人 は 家の 近 くの 交 差 点 で
事故に遭いました。朝の散歩に行く途中、交差点を
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はずがありません。
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渡り切る一歩手前の出来事です。
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様のお茶をあげてくれるのです。
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早 朝の 事 故 だったの で 目 撃 者 も な く 、事 故の 詳
即死でした。
の前の現実に気付かされたりしました。
かと思うと急に我に返り、「ああ、
いないんだ」と目
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2
中をうろうろしたり叫びたい気持ちになったりも
その後も突然私を襲ってくる悲しみと寂しさで
身の 置 き 所 が な く な り、主 人 と 生 活 し てい た 家の
ことの多かった私でしたが、同じ境遇の人の話を聞
友達に癒されても一人になると気持ちが重くなる
まっています。
被 害 者 遺 族の 方々の 集 ま り で す。い ろ んな 人 が 集
しました。
いているうちに、次第に気持ちが楽になりました。
した。
り、友 達の 心 遣 い で ど う に か 元 気 になって い き ま
と 、主 人の 思 い 出 を 語った り 線 香 を あ げ て く れ た
高千穂に紅葉狩りにも連れて行ってもらったね。」
をたくさん撮ってもらったね。
三股のしゃくなげの花を見に行って、花の下で写真
「一緒にいろいろな温泉に連れて行ってもらったね。
主 人のあ り が た さ を 実 感 し 、“ 今 まであ り が と う ”
そばにいる事を当たり前のように思っていました
優しかった主人はもう帰ってきません。
ります。
わ ぎが し てい ろい ろ な 事 を 考 え 、眠 れ ない 時 が あ
だけど今でも、夜、救急車の音を聞くとハッと胸さ
本当にありがたいと思っています。
りすると、癒されます。
今 も 月1回 、皆の 話 を 聞い た り 私の こ と を 話 し た
こ んな 私 を 心 配 し て 、私の 友 達 が 毎 日の よ う に
人 人と家に来てくれました。
日も終えしばらくたったちょうどその頃、私の
友 達 と 同 じ よ う に 、私の 心の 支 え になって く れ た
と毎日手を合わせています。
「自助グループ」
の集まりでした。
が、
いなくなってあらためて、
のが、
被害者支援センターで毎月1回開かれている
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自 助 グ ループ と いうの は 、私の よ う な 交 通 事 故の
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妻の7年忌に想う
小磯 信夫
ま も な く 携 帯 電 話 が 鳴った。救 急 車の 救 急 隊 員 か
ウスの管理に行った。
今 年 も、台風 号(平成 年 月)が九州に接近
しつつある。風に加えて大雨の予感。ビニールハウ
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らだった。
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スの 台 風 対 策 をし な が ら 、 年 前の 悪 夢 が ま た 頭
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号 が 襲 来 し て い た 。台 風
こ の 台 風 が 大 隅 半 島 に 上 陸 し て 、暴 風 雨 が 強
さ を 増 し て く る 中 で 、朝 方 、自 宅 で 待 機 中 だった
で襲いかかってきた。
それから
白になり座り込んだ。
「意識はあります」
の一言だけだった。目の前が真っ
「状態はどうなんですか?」とだけ尋ねた。
時間後、妻は死亡、 歳でこの世を去っ
妻 は 、勤 務 先 か らの 連 絡 を 受 け て 出 勤 す る こ と に
ることも怖かった。
私 は 足の 力 が 抜 け て すく ん だ。妻の 容 体 を た ず ね
「 奥 さ んが 交 通 事 故 に 遭 わ れて 、今 、市 民 病 院へ搬
日 も 、台 風
をよぎる。
月
送中です」とのこと。
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メー ト ル と いう 過 去 最 大 ク ラ スの 強 さ
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妻 が 、暴 走 車の 犠 牲 と な り この 世 を 去った 平 成
年
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は 、風 速
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た。
歳だった。うまく表現で
た。
とは・・・)
妻が亡くなる時、私は
なった。私は自宅の車庫で出勤して行く妻を見送っ
私は妻を見送った後、台風に備えて、ビニールハ
月 日の 過 ぎ るの は 早 い もの で 、今 年7年 忌 を 迎 え
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た。( こ れ が 妻 と は 、この 世 で 最 後の 別 れ にな ろ う
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し、崩れるのはあっという間である。
きないが、積木を積み上げるのは大変である。しか
謝申し上げます。
おぞら」
の皆さんのお力添えを頂きました。深く感
若い 時 か ら こ れ まで 、コ ツ コ ツ と 築 き あ げ て き た
人生を、
一瞬にして土台から崩されてしまった。
全 国の 交 通 事 故 死 亡 者 数 は 、交 通 違 反 者 に 対 す
る厳罰化、取り締まりの強化等よって、年々減少傾
向にあるようです。
し か し 、身 近 な 所 で 未 だ に 、暴 走 運 転 や 飲 酒 運
転、ひき逃げによる悪質運転事故が起きており、被
月日は流れ、あれから 年、これまで多くの方々
のご支援や、励ましを頂いた。
それが心の支えとなり、今日に至っている。
害者ご家族の心情を思うと胸が痛みます。
平成二十五年七月
がけ、悲惨な交通事故を無くしましょう。
ドライバーの皆さん。思いやり運転、安全運転に心
事故は悲惨です。犠牲者が出ると、多くの人が悲
しむことになります。
二 人の 子 供 も 、母 親 を 亡 くし た 辛 さ を 背 負 いつつ
も、今は、どうにか前向きに人生を歩いてくれてい
るようであり、幸いに思う。
だが、生涯、忘れることはない、あの時の衝撃、悲
しみは。
妻の 事 故 後 、加 害 者の 刑 事 裁 判 にお け る 取 り 組
みなり、対応の仕方については、みやざき被害者支
援センター及び、ここに所属する自助グループ「あ
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交通安全を祈る公園 ー「ふみやの森」ー
笹森 義幸
そして友達思いの優しい子供でした。
「碑に刻まれた文」
ーご両親の思いをこめて
運転手の皆さんへ
息 子の 供 養 と 、こ んな 悔 しい、悲 しい 思い は 、我
が子だけでいい、
一人でも、
一件でも悲惨な事故がな
く な れ ば と いう 思 い
不幸にして、最愛の息子を、交通事故で亡くしま
し た。野 球の 練 習 後 、坂 道 を 、自 転 車 を 押 し て 帰 る
途中の事故です。
た。
息 子の 死 を 無 駄 に
しないためにも、皆さ
で この 碑 を 建 て ま し
プロ野球選手になることでした。
息子の夢は、
親バカと思われるでしょうが、確かにセンスはあっ
た と 思 いま す。
プ ロ 野 球 選 手 と ま で は い か な くて
年 まで 野 球 が ど れ く ら い 伸 び て
ん、安全運転をよろし
も 、せ め て 中 学
いたか見たかったものです。おそらく郁也のこと、
くお願いします。
郁也は、妻が 日かかって生んだ長男です。兄弟
の面倒をみたり牛の世話をよくする、家族思いの、
しょう。
悔しいだろうね。ま
だ 生 き た かっ た ろ う
ふみやへ
けて天国でグローブやバットを握っていることで
「 野 球 し よ う や 」と か 言って 、い ろ んな 人 に 声 を か
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に。やりたいこと、行きたい所がたくさんあったろ
うに。お父さん、お母さん、啓太、恭平、なつき、じい
「ふみや、おまえの事故は無駄にしない」
「 ふ み やの 森 」と 名 付 け ら れ た 公 園 が 、宮 崎 県 国
富町の県道沿いにあります。この近くで、同町八代
森」をつくってやるよ。
郁 也 は きっと 、み んなの 心の 中 に 必 ず い て く れ
る よ ね。家 族 や、み んなの 思い で こ こ に「 ふ み やの
くれた先生やいろんな人を見守り助けてやってね。
族や友達、野球部のみんなや、今まで郁也を支えて
園内には「祈交通安全」と
刻 ま れ た 供 養 塔 、野 球 ボー
込めて造ったものです。
購 入 し 、交 通 安 全の 願 い を
の杉林三千平方メートルを
の 死 を 無 駄 にし た く ない と 、事 故 現 場の 向 かい 側
で亡くした笹森義幸さん、ひとみさん夫婦が、息子
ちゃん 、ばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、そし
て、
先生、
友達、
悔しくて、
悲しいよ。
夢であればいい
歳)を交通事故
中
郁也が寂しくないように、四季折々の花が咲き、
果物が実を付け、くわがたやかぶと虫、そして小鳥
ルのモニュメン ト が建立 さ
年だった長男の郁也君(当時
と思ってるよ。でもしかたないよね。これからは、家
が群がり、みんながいつでも来てくれるそんな、森
れ て いま す。同 級 生 た ち も
木を購入し、植樹しました。
本の樹
息子よ、天国で安らかに眠れ。
以 来 、生 徒 た ち は 折 に ふ
れ 、草 取 り や 学 校 生 活の 報
国富町
● 役場
県道26号線 ●スーパー
至宮崎→
本庄高校●
薬局●
エネオス●
国富町
十日町
交差点
←至綾
〒 郵便局
←至法華嶽
小 遣い を 貯 め て 約
にしてやるよ。だから安心してね。
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●
大坪の
一本桜
ふみやの森
県道40号線
上り坂
JASS
● 大坪バス停
下り坂
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告にやって来ています。
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八代中野球部、名サード笹森郁也
背番号「 」
父、母より
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県道356号線
あなたのことを想って
年 月 が 過 ぎ ゆ くの は 早 く 、忘 れ ら れ ない 日 か ら
早くも 年。
月の 出 来 事 で し
平原 松子
言を吐く。だが、警察官の前では人が変わってしま
う。
「 遺 族の 想い 」、「 遺 族の 気 持 ち 」は 裁 判 官 に 意 見
陳述で伝えた。
歳 になった
あ れ は 、主 人 が
た。
あ な た は も う 、真 実 を 伝 え る こ と は で き な く
なっている。
回目の春が巡ってきた。
何の変哲もないただの道。
道行く人も、通る車も。
く。
周囲の人にも、私にさえも、何事もなかったかの
よ う に 時 が 過 ぎ ゆ き 、同 じ 景 色 が 繰 り 返 さ れてい
あれから
私はあなたの気持ちをうまく伝えられたのだろ
うか。
あ の 日 も 、今 日 と 同 じ よ う に 白 い 可 憐 な カ モ
ミールが咲き誇り、庭一面に爽やかな香りを漂わせ
ていました。
主人はもう還暦を迎えました。
「あと1秒遅かったらぶつからなかったのに。」
で も その 運 転 者 は 、私の 傍 ら で 吐 く よ う に 言っ
た。
ら。」で終わってしまう。しょせん他人事。
交 通 事 故 な ん ていつ も 理 不 尽 。我 が 身 に 降 り か
か ら な い 人 や 家 族 に とって は「 交 通 事 故 な ん だ か
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自 分の 罪 は 棚 に 上 げ て 、私 た ち 遺 族 に 平 気 で 暴
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この場所で、あの大惨事があったのか。今更なが
ら考えてしまいそうになる。
歩道を占拠していたあのカイヅカイブキの大木
も、今は切り倒され、悲惨な事故の記憶は皆の心の
中から消え去りそう。
風化し
この場所で事故があったという事実さえ、
つつあるようだ。
今はもう、きれいに整備されてしまった国道。
危 険 な 道 が 、せっか く「 あ お ぞ ら 」を 見 上 げ ら れ
る場所になったというのに・・・。
見 るの も 辛 く 、写 真1枚 撮 る こ と もでき ない 私
です。
寡黙な人でした。
いつ もた く さ んの 人 に 囲 ま れ 、み んな に 優 し く
家族思い。
器の大きい人でした。
明け方の
は冷えると独り言
今朝
あさもや
朝靄の中 亡き夫に語りぬ
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雨の日に想う
岩﨑 静子
バカ と 言 う 言 葉 は よ く ない か も 知 れ ない が 、その
時、加害者の言葉で「そんな、バカな。」と思った。「
鶏、犬、猫と、子供もいっぱい居た。誰の家に行って
母 や 母 が 縫 い 物 をし た り 団 子 を 作った り。牛 、馬 、
皆、器用に造って、いつも人が居た。家の中では、祖
細工や藁で縄やムシロ、ソラクチなど、家庭用品を
雨の日は嫌いでない私。子供の頃、雨が降ると家
族 が そ ろって 賑 や か で 、近 所の 人 達 も 作 業 場 で 竹
車 は タイヤ が す り 減って 摩 耗 し 、ネット が 出 て
いる状態。スピード、雨、はみ出し、対向車と正面衝
のか、公道の生活の道に、と思った。
㎞ / h も 出 る スポ ー ツカー で。こ んな 車 が 必 要 な
向に車がいないのでスピードが出せて、と。
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たの?」と聞いた私に返ってきた言葉は、自分の走
梅雨。草木は伸び、雑草が生い茂り、晴れ間がほ
しいなと誰もが思うほど長い雨が続いている。
も 、その 家 で 食 事 し た り、か く れ ん ぼし た り、遊 び
突 ! もった い な い 命 が ! か わ い い 素 適 な 命 、や さ
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こんな口惜しい、悲しい、辛い思い、こんな良い子が
か、皆の人生も変わった。誰にも会いたくなかった。
兄 、姉 、父 、母 、ど れ だ けの 悲 し い 涙 を 流 し た こ と
人の為に!と神を恨んだ。後を追いかけたかった。
の為に娘も私も生きて来たわけではない!こんな
もいっぱいあった。テ レ ビ も ゲーム も ない 時 代 、誰
年 前の わ が 家 も 、活 気 と 笑 顔 であ ふ れ
しい 娘の 命 が 惨い 型 で も ぎ 取 ら れ た。こ んな こ と
㎞/hの所でしょう、なんでそんなスピードで走っ
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もが行き来し活気と笑顔があった。
そし て
ていた。
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梅 雨 に 入 ろ う か と し た 月 日 、 才の 若い 芽
がもぎ取られた。なんとも知れないバカなことで。
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ながらも、法律もやっと改善され、少しずつ犠牲者
いかにも悟ったような理不尽な言葉を浴びせられ
他にも沢山の犠牲者の遺族が悔しい悲しい想い
をしていることだろう。
なんで?居なくなる?
誰 に も 知 ら れ る こ と な く 、どこ か で 平 然 と 元 気 に
今は、何ごともなかったかのように、事故のことは
裁判の時にだけ現れた。
それなのに「そんなバカな」加害者は一度も来ない。
りですべった」と加害者の弁。
だ 居 な い か な 、帰って 来 る 、
一緒 に 居 る 、旅 し て い
る 、な ど ― 。や が て 、誰 も が 行 く 世 界 で 会 え るの
が楽しみ、などと思って、日々を送っている、悲しみ
と悔しさは不変です。
こ んな 雨の 日 、思 う こ と が あ る だ ろ う か 、「 申 し
訳ない」と・・・。
暮らしているだろう。
大切な未来を断たれ、大切な命が消えた。
の人権が認められてきました。
今 で は 当 た り 前 の こ と が 、当 時 は そ う で は な
かった。
ウソのような本当の話です。
年前、今年で 年になります。
年 と 言 う 月 日 、な んでしょう か 、私の 想 い。心
を静ませて、あきらめさせる為の時間!いいえ、ま
今、娘が居たら・・・といつも思いながら。
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「 前 に 車 がい な くて 、スピード が 出 せ て 、水 溜 ま
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自動車、自転車を運転する皆様へ
息 子( 長 男 歳 )が 2007 年 に 交 通 事 故 で 亡 く
なった。それから毎年の法要をしているが、家族の想
いはあのときのまま。しかし、私たち家族の気持ちと
は関係なく世の中は変わらず進行している。
息子はいつまでも心の内に生き続けています。
事 故 発 生 時の 事 は 昨 日の 出 来 事の よ う に 脳 裏 に
残っている。
遺 影 を 見 な が ら 、悔 し さ 、悲 し さ が 蘇 り、や り 場の
ない憤りが込み上げてくる。
未だに元の生活には戻れない日々だ。
人 間 が一人 前 に 成 長 す る に は 多 くの 時 間 と 努 力 、
そして周りのたくさんの人の支えと協力が必要であ
り、感謝しなければいけない。
交 通 事 故 に よ る 死 は 予 期 でき ず、と て も 受 け 入 れ
られるものではない現実に、
精神的にも参ってしまう
のである。
運転する人もしない人も、日常生活で、いつ・誰が・
どこで・被 害 者 に ? 加 害 者 に ? な るか わ か ら ないの
予 期 で き る 死 な ら 少 し は あ き ら め もつ い た の で
は?と考えてしまう自分がいる。
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原田 紀男
が現代の車社会です。
まして飲酒運転は犯罪である。
スピードの出しすぎなどで、車を
『走る凶器』にしないで下さい。
関 係 ない 第 三 者 を 巻 き 添 え にし
て 人 生 を ダメ に し て し ま う 事 程 愚
かな行為はない。
社会の道義に反しており、人間失
格です。
日 本 で は 、明 治 年 に 初 め て 車 両の 左 側 通 行 が 制
度化されて以後、大正、昭和にかけて時代を追うかの
ように、法の改正が続いている。
昭 和 年 に 制 定 さ れ た 現 在の 道 路 交 通 法 も 、少 し
ずつ厳罰化されているが、遺族としては、まだまだ厳
しくしても良いと考えています。
こ こ 数 年 、全 国 で 悪 質 かつ 危 険 な 運 転 に よ る 交 通
死亡事故が報道される事が多くなったと感じる。
いや、人間としてのモラルを守り、
日本人、
明るい幸せな社会生活を過ごしていけるよう、
切にお願い致します。
合掌
2015年
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自助グループ
自助グループ
『あおぞら』
は、
交通事故被害者遺族で構成されています。
毎月1回、
被害者支援センターに集い、
安心して自分の考えや気持ちを話し、
それぞれ
の想いを語り合っています。
また、
イベントでのパネルディスカッション、
遺族の想いを綴った作品の展示など、
「悲惨な交通事故を少しでも減らしたい」
という強い信念を持ち活動しています。
ここに、
遺族の想い、
願いをひとつにまとめました。
ご覧いただいた皆様が、
少しでも遺族の悲しみ、
苦しみを理解され、
安全運転の意識
をより高くお持ちいただける事を希望します。
被害者支援フォーラムにおける
自助グループ﹁あおぞら﹂の作品展示の模様
宮崎県公安委員会指定 犯罪被害者等早期援助団体
公益社団法人 みやざき被害者支援センター
賛助会員募集
(公社)みやざき被害者支援センターは、一人ひとりの県民の会費で運営される、県民による、県民のための被害者支援センターです。
賛助会員となって活動を支えてください。
■賛助会員会費(4 月から翌年 3 月までの年会費)
■寄付の受付
賛助会費のほか、香典返し寄付金等も広く募っています。
●個 人 会 員の年会費 1口 3,000 円
●法人・団体の年会費 1口 10,000 円
■入金手続き
入会または寄付のお申し込みは事務局までお電話をお願いします。
また、ホームページからもお手続きいただけます。
※複数口の加入も可能です。
●会員章・会員之証の送付
●センターニュースの送付 当センターは、特定公益増進法人です。
会費を納めたり、寄付をした場合は、
税法上の優遇措置があります。
会員の
特典
【特定公益増進法人とは】
教育又は科学の復興、文化の向上、社会福
(正会員個人・賛助会員個人) (正会員法人・賛助会員法人)
祉への貢献、そのほか公益の増進に著しく
寄与するものとして政令で認められている
法人をいいます。
公益社団法人
みやざき被害者支援センター
法律相談
カ ウ ン セ リン グ
原則として 毎月第2・第4火曜
原則として 毎月第2・第4木曜
※法律相談・カウンセリングは予約が必要です。
事前に電話でご相談ください。
支援 活 動 の内容
電話相談・面接相談
専門的な研修を受講した支援員が
相談を受けます。
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(祝日・年末年始を除く)
午前10時∼午後4時
相談専用電話
ミヤザキ ナ ヤ ミ ナシ
0985-38-7830
関係機関・団体等との
連携による支援活動
付き添いなどの
直接的支援
希望に応じて、支援員による病
院、法廷への付き添いなど、直接的
な支援を行います。
警察をはじめとする関係機関・団体等
と連携を密にし、被害者の立場に立った
支援活動を行います。
● 病院への付き添い
● 刑事・民事手続きの概要に
ついての説明
● 警察・検察庁の事情聴取、
検証の付き添い
● 裁判傍聴、
証人としての出廷の
付き添い
● 防犯ブサー等の物品貸し出し
● 弁護士による無料法律相談
● 精神科医・臨床心理士による
無料カウンセリング
※まずはお電話ください。
い
さい
下さ
談下
相談
ご
ご相
無料
支援員の養成
被害者グループへの
援助
相談員・被害者支援ボランティアの
養成を目的として基礎研修、実地研修
を継続的に行うほか、専門講師の指導
を得て、
相談受理等、
支援技術の向上を
図っていきます。
同じような被害にあわれた被害者
の方へ交流場所の提供や活動の支
援を行います。
広報・啓発活動
被害者の置かれた現状と支援の必要性
を社会に周知するための広報・啓発活動
を行います。
ボンベルタ
橘●
公益社団法人
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橘通
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★
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JR
宮崎駅
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