館長候補 助役の大谷がソファーに腰をおろすやいなや、市長の橋本が言った。 「 大 谷 さ ん 、 来 年 の 市 制 五 十 周 年 記 念 事 業 の 件で す が ね 、 蕪 村 記 念 館 は 間 に 合 う で し ょ う ね」 「ええ、順調に進んでいます」 と、大谷は明るく応えた。 こ こ 、 京 都 府 宮 津 市 は 天 橋 立 を 控 え た 小 さ な 海 岸 都 市で あ る 。 元 は と い え ば 、 京 極 家 宮 津 藩 の 城 下 町で あ っ た 。こ の 町 に 、 宝 暦 年 間 の ほ ん の 少 し の 間 で は あ る が ( 一 七 五 四 か ら 五七の三年間)、蕪村が住んだことがある。宮津の見性寺を本拠にし、丹後与謝地方で画作 を中心とした活動を行った。 それから二 百五十年 た っ た平成十 六年(二○ ○ 四年 )は 、ち ょうど 宮津 市制五 十周 年 に 当るので、蕪村を記念する行事を盛大に行おうというのが、橋本の考えであった。 「ところが、ちょっと困ったことが起きまして」 と、市長が続けた。 「 実は 、 そ の 蕪 村 記 念 館 の 館 長 に 自薦 、 他 薦 の 候 補 が 何 人も あ り ま し て 、 誰 に お 願 い し た ものかと、困っているのです」 「候補者の名簿がありますか」 と 、 大 谷 が 聞 く と 、 橋 本 は 机 の 上 の フ ァ イ ル を 取 って 手 渡 し た 。 し ば ら く そ れ を 眺 め て いた大谷は、 「たくさん名前が並んでいますが、MさんかKさんのどちらかでしょうね」 と、断定的に言った。 「 大 谷 さ ん も 、 そう 思 い ま す か 。 私 も そ の 二 人 の ど ち ら か 、 と 思 っ て い る ので す が 、 決 め 手がなくて。どうしたもんでしょう。何かいいアイデアはありませんか」 う ー ん 、 と 声 を 詰ま ら せ た 大 谷で は あ っ たが 、 市長 秘 書 が テー ブ ル に 置 い たコ ー ヒ ー に 砂糖をたっぷり入れて一口飲むと、明日の朝まで時間が欲しい、と言った。 翌 朝 、 市長 室 を 訪 ね た 助 役 の 大 谷 は 、 ポ ケ ッ ト か ら 取 り 出 し た 紙 を 広 げ 、 橋 本 市長 に 示 した。そこには、大谷独特の柔らかい字で、次のように記されていた。 この度、宮津市では、市制五十年を祝 い、当地見性寺に三年間住んだ蕪村と、 そのときこの俳人をお世話した宮津藩 の城主・住民の暮らしぶりを再現する ことを計画しました。景気の悪い折な がら、市民各位におかれましては、暖 い御醵金を通じ、市の文化事業へ変ら ぬ御支援をたまわりますようお願いす る次第です。市民税一割減額に取り組 む方針は変えません。総務部秘書課長 ほか、秘書課全職員が担当しますので、 どうぞ、何なりとおたずね下さい。 大谷の顔を不思議そうに見ながら、橋本が言った。 「 何で す か 、 こ れ は 。 募 金 依 頼 の 文 章 に し て は 、 妙 に ぎ こ ち な いで す ね 。 文 章 の 上 手 な あ な た が 書 い た と は 思 え ま せ ん 。 そ し て 、 一 割 減 税 の こ と を 今 こ こ に 書 く の は 時 期 尚 早で す し、不自然ですよ」 「一割減税のことは、既に議会に提出済みですから、構わないと思います。 『市役所の職員 で な く 市 民 が 喜 ぶ こ と を 前 面 に 』 が 市 長 の 口 癖で は あ り ま せ ん か 。 そ れ よ り 、 こ の 文 の 味 噌は下手なところにありまして」 と 、 大 谷 は 一 晩 考え た 案 を 市長 に 披 露 し た 。 す な わ ち 、 館 長 候 補 の M 氏と K 氏 にこ れ を 見 せ 、 字 数 を 大 き く 変 え な いで 、 読 み や す く 分 り や す い 文 章 に 直 し て も ら う 、 と い う の で ある。その修正文を見れば、どちらが文才にたけ、人に訴えかける能力があるかが分るし、 蕪 村 へ の 思 い 入 れ が 大 き け れ ば そ れ な り の 迫 力 あ る 文 章 も 書 け る で あ ろ う 、 と いう の が 大 谷の考えであった。 橋 本 は 、 こ の 案 に 不 安 が な いで も な か っ た が 、 財 務 に 明 る い 上 に 、 文 芸 に も 秀 で て い る 市役所内きっての文化人である大谷の言う通りにしてみようと思った。 数日後、大谷は、二つの封筒を持って市長室に現れた。 市長の前に置かれたM氏からの封筒には、きちんとした黒い文字で『修正案』とあった。 中には、大谷の作った原稿とは別 にもう一枚、ワープロで 打たれたものが 入って いた。橋 本が目を通すと、最初の「この度、宮津市では」と最後の「おたずね下さい。」は同じであ ったが、その間の文章があちこち直されていて、見事な依頼文に生れ変っていた。 な る ほ ど う ま いも ん だ 、 と 感 心 し て 、 橋 本 は 次 の 封 筒 を 取 り 上 げ た 。こ ち ら に は か な り 見 劣 り が す る 筆 跡 で 『 春 雨 』 と 表 書 き が して あ っ た 。 字 を 見 る 限 り 、 M 氏 の 方 が 館 長 に は 向 いて い る の で は な い か 、 と 思 い な が ら 、 ま た 『 春 雨 』 と は ど う い う 意 味 か 、 と 訝 し み な がら、中を見て驚いた。元の原稿に直接、朱が入っていたのである。修正されていたのは、 市民税一割減額に取り組む方針は変えません。 九行目から十行目にかけての一部だけであった。わずかに、 が、 市民税一割減額は必ず守ると約束いたします。 と直してあるだけであるのを見た橋本は、半ばあきれて、大谷に言った。 「 私 に は 、 M さ ん の 方 が い い よう に 思 え ま す が ね え 。 た だ 、 K さ ん の 『 春 雨 』 と いう 表 書 きが気にはなるんですが。提案者の大谷助役のご意見は」 大谷は応えた。 「 記 念 館 の き ち んと し た 経 営 を お 望 み な ら 、 Mさ ん 。 多 少 い い 加 減 で も 楽し い 経 営 を お 望 みなら、Kさんでしょうか。私は、どちらかと言えばKさんですね」 「なぜ、Kさんなんですか」 「 実 は 、 あ の 元 の 文 章 に は 、 ト リ ッ ク が あ り ま して 。 K さ ん は そ れ を 見 破 っ て 、 表 に 『 春 雨』と書いてこられたんです」 そして、大谷はそのトリックの種明しをした。 蕪 村 の 俳 句 に 『 春 雨 や 小 磯 の 小 貝 ぬ る る ほ ど 』 と いう の が あ る と い う 。 大 谷 が 用 意 し た 元の文章の各行の最初の文字を並べると、 『こいそのこがいぬるむほど』になる。蕪村の句 を 多 く 諳 ん じて い る な ら 、 こ こ は 蕪 村 の 句 に し た が って 『 ぬ る る ほ ど 』 に して 欲 し い 。 文 章 を 読 み や す く す る よ り 、 十 行 目 を 『 る 』で 始 ま る 文 章 に 直 せ と い う の が 今 回 の 依 頼 の 眼 目だ、と分ったので、Kさんはそこだけ直して、表に季語の『春雨』と記したのだという。 橋本市長は笑いながら言った。 「 大 谷 さ ん も 面 白 いこ と 考 え ま す ね え 。 い っ そ あ な た が 記 念 館 の 館 長 に な っ た ら ど う で す か」 「えっ。じゃあ、助役は首ということですか」 と、大谷も笑った。
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