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追悼インタビュー
鮫島愼司 Samejima Shinji
㈱日本ケーブルテレビジョン 代表取締役
山本陽一 Yamamoto Yoichi
㈱日本ケーブルテレビジョン 取締役
(放送事業局担当)
鈴木隆泰 Suzuki Takayasu
㈱日本ケーブルテレビジョン放送事業局長 兼 ネットワーク営業部長
橋本太郎 Hashimoto Taro
ブロードメディア㈱ 代表取締役社長
隅田 徹 Sumita Tetsu
㈱プラットイーズ 取締役会長
写
真
提
供
特別寄稿
石川正毅 Ishikawa Masaki
石
川
正
毅
元㈱日本ケーブルテレビジョン 専務取締役
追悼文
水島太藏 Mizushima Tazo
元電通マルチチャンネルビジネスセンター 局長/元衛星チャンネル 常務
取締役業務局長/元日本ケーブルテレビ連盟 常務理事事務局長
矢島照久 Yajima Teruhisa
釣りビジョン ケーブルテレビ担当/元朝日新聞 郵政担当記者
小林 樹 Kobayashi Takashi
1936年新潟県生まれ。東北大学法学部を卒業後、2期生として日本教育テレビ
(後のテレビ朝日)
に入社。1964年には三大ネットワークのABCで長期放送研
修生として放送技術、放送制度、番組制作、
ネットワーク運営などを学ぶ。東京五
輪からの日本のメディアビジネスはすさまじく発展を遂げたが、朝日新聞社系はテ
レビへの参入をヘジテートし、後れをとった。東京12チャンネル同様、
日本教育テ
レビは後発の強みを活かし、
モーニングショーなど新種の報道番組に挑戦。その
ような高揚する気分のなかで、NETはJCTVプロジェクトに加わる。その中心人物
の一人が小林だった。JCTV初代社長の松岡謙一郎
(松岡洋右の長男)
は漢
(お
とこ)
で、組合活動歴のある小林を庇護した。
メディア開発で意気があったのであ
ろう。小林はJCTVを創り、育てはしたが冷たい形で
「放逐」
された。
しかし、小林は
CS放送時代に賭けた。お話にならないくらバカ高いトラポンでの商売にも、植村
伴次郎らと歩調をともにした。以降、
ブロードメディアやプラットイーズなど独立系
のニューメディアビジネスを哺育した。最後の仕事ともいえるプラットイーズの徳島
県神山町のサテライトオフィス
「えんがわ」
を実現させた。
もしかして、
そういうワーク
スタイルが小林の望むところであったのかも知れない。2015年7月8日、静かに旅
立った。
(天野昭・月刊「ニューメディア」発行人)
10
10-2015