需給調整懇談会の投資調整

The 4th East Asian Economic History Symposium 2007
EHCJ 5
第1論文
需給調整懇談会の投資調整
―石油化学工業を中心に―
山崎
志郎
(首都大学東京)
はじめに
本報告では、戦後高度成長期の装置産業で実施された投資調整を概観する。日本における
需給調整は20世紀初めに端緒的に行われ、1920年代になると業界各社の設備能力を把握す
るカルテル組織が本格的に活動を始めた。1930年代に入ると、重要産業統制法など一連の
制度に補完されて市場統制力を強め、戦時・戦後統制経済の下で投資・生産・配給の計画
化が実施された。戦後、独占禁止法が施行され、一連の統制が解除された後も、通産省に
よる勧告操短がしばしば実施され、改正独占禁止法に基づく不況カルテルも見られた。こ
のほか単独の事業法などに基づく独占禁止法除外カルテルは広汎に実施され、短期の市場
調整は1970年代まで広汎に行われた。70年代以降も、勧告操短に代わるガイドライン方式
が実施され、鉄鋼、石油化学などの装置産業では、今日まで継続している。
ここでは特定産業振興臨時措置法の廃案を受けて、政策介入色を薄めた需給調整システム
を模索した1960年代半ばの需給調整懇談会での調整作業を検討する。
1 復興期の統制―前史
戦後の需給調整政策を概観しておこう。ドッジライン以前の復興統制期までは、民間統
制団体が一時解散・再編という変化があったものの、基本的に戦時動員体制が緩やかにな
りつつ継承されていた。
統制解除の後、原料の配給統制を利用した需給調整方式は姿を消す。1950年前後に始まる
産業合理化政策の一環として、ソーダ、セメント等で、通産省が企業合理化投資の需給計
画を策定することはあったが、これは投資促進を目的としたものが多く、朝鮮戦争ブーム
によって需給調整の必要性は一時的に後退した。
2 短期的生産調整方式の変遷
しかしその後も景気動向に応じて需給調整は継続した。1947年の独占禁止法施行以後、
定着した一般的な短期需給調整方式は、通産省による勧告操短であった。勧告操短は、独
占禁止法上、問題があるとして、公正取引委員会と通産省の間で長期にわたって摩擦を生
んだ。1960年代に入ると勧告操短と独占禁止法に基づく不況カルテルを使い分けながら、
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需給調整が行われた。1970年代以降、統制色の残る勧告操短方式は後退し、通産省はガイ
ドライン方式を採用した。これは半期ないし四半期ごとに需給見通しを公表し、関係各社
の適切な生産計画の策定を促すというもので、装置産業では今日まで継続している。
3 設備投資調整の推移
次に数年後の市場規模や国際的な適正投資規模を予想した設備投資調整を概観しておこ
う。これは3年から5年先の市場の成長に合わせて投資を促すとともに、小規模設備投資の
乱立を避けることを目的とした。特に1960年代以降は国際競争力を持つ投資規模、適正技
術選択を選定し、各社の通し順位、規模を決定し、企業統合や業務提携を促進した。
このため1950年代にはいると、通産省は、新興産業なdのへの投資促進などを目的とし
て、中長期的な投資計画を立案した。
こうした長期設備投資計画の調整はまもなく産業団体によっても行われるようになり、
必要に応じて通産省が指導するという関係が成立した。1955年から60年頃にかけて、さま
ざまな産業で、業界組織が整備された。
4 需給調整懇談会による投資調整
1960年代初め、貿易・資本自由化の中で、通産省は官僚主導で設備投資の大型化、企業
合同を推進するため特定産業振興臨時措置法体制を構想した。遅れを取っている日本の装
置産業の国際競争力を一挙に引き上げようとするものであった。統制色の強い同法案は、
産業界・金融界の反対から廃案となったが、官民が協力する投資調整機関として需給調整
懇談会は定着し、多くの装置産業で協調的投資調整が行われた。
化学繊維工業では、1964年10月化学繊維工業協調懇談会が設置され、ナイロン、ポリエ
ステルなど5つの分科会で繊維産業の設備投資を調整した。懇談会では数年後の天然繊維、
合成繊維、化学繊維の市場規模を予測し、数社からなる懇談会企業の間で投資規模や投資
速度を決定している。
1964年12月には、石油化学協調懇談会が設置された。ここでも、国際競争力の強化とい
う課題があった。石油化学工業は1957年以来、急速な発展を遂げてきたが、欧米先進諸国
に比較すると企業規模および生産規模において相当な格差があった。
協調懇談会メンバーは、通産省代表、製造業者(必要な場合は企業化計画企業を含む)
及び適切な第三者から構成された。数年間の市場の成長に合わせて、エチレンプラントの
投資規模、投資順位と、コンビナート内の誘導品担当企業とその配置などを総合的に調整
し、需給バランスの取れた最適生産体制を創り出した。60年代末になると、適正規模が30
万トンを超えることになり、1社で担うには巨大すぎる事態となり、懇談会では、新たな巨
大プラントに向けた企業提携、輪番制など、巨大化に対応した協調方法を開発した。
その後オイルショックによって石油化学工業自体が構造不況業種となり量的拡大をやめ
るまで、超長期的市場見通しを基に毎年各社の設備投資規模、着工時期などを調整し、下
流産業との需給関係の安定を進めた。
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5 協調的投資調整の衰退
これら装置型素材産業は、オイルショック後の長期不況の中で、①原料・エネルギー価
格体系の変化、②市場成長率の鈍化、③産業構造の高度化などによる国内外の市場の変化、
④新興工業国の台頭などによって、構造的な低収益に苦しむことになった。構造不況業種
では過剰設備の処理問題が最大の懸案となった。競争的設備の調整という課題が消滅し、
設備廃棄・事業転換を円滑に進めることが、業界調整の主たる課題となった。このために
とられたのが特定不況産業安定臨時措置法であり、これは主に協調的共同行為としての設
備廃棄を助成する法律であった。その内容は、①事業者からの申請に基づいて構造不況産
業を指定する。②主務大臣は関係審議会の意見を基に当該業種の設備廃棄、事業転換など
の安定計画を策定する。③指定産業の事業者は計画に沿って自主的あるいは共同して設備
処理を進める。④自主努力によって計画が進まない場合、主務大臣は設備処理の共同行為
を指示する。⑤設備処理に要する資金融通円滑化のため特定不況産業信用基金を設ける、
などであった。
同法によって1978年から79年にかけて、平電炉、アルミ精錬、合繊4業種、化学肥料3業
種、石油化学、綿等紡業、梳毛等紡績業、フェロシリコン、段ボール原紙、造船など14業
種が指定され、設備廃棄目標などの安定計画が告示された。このうち合繊4業種、化学肥料
2業種、梳毛紡績、段ボール原紙では設備廃棄の共同行為実施が指示された。計画実績はほ
ぼ計画に沿って順調に進展したが、構造不況業種の縮小均衡、事業転換は継続的政策課題
であるとして、84年からはやはり時限立法として特定産業構造改善臨時措置法に継承され
ることになった。勿論指定を受けなかった産業でも設備廃棄、生産拠点の海外移動、高付
加価値製品への比重シフト、業種転換を独自に図った部門・企業は多かった。
こうして今世紀初頭より日本経済の高成長を支えた部門のうち、重工業素材産業に多い
低付加価値業種は縮小均衡を模索することとなり、この段階で協調的生産調整・投資調整
は縮小撤退部門の再編円滑化の手法となった。1990 年代以降、協調的設備廃棄よりも、各
社独自の新製品・新事業開発、他社との事業提携などの構造改善施策を個別に支援する体
制へと転換した。
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