卒業式 式辞 ( 3月18日)

平成26年度
卒業証書授与式「式辞」(平成27年3月18日)
本日晴天に恵まれました。本校正門近くにあります樫の木をはじめとする前庭の
樹木からも春の確かな息吹が感じられるこの佳き日に、「平成26年度新潟県立
長岡高等学校・第67回卒業証書授与式」を挙行できますことは、私どもにとり
まして、この上もない喜びとするところです。本日の卒業証書授与式にあたり、
本校同窓会 反町和夫 会長様、親師会 長谷川隆 会長様、後援会 笠輪春彦 会長
様をはじめ、多数のご来賓の皆様、そして保護者の皆様がご多用にもかかわらず、
卒業生の前途を祝するため、ご列席いただきましたことは、誠に有難く心から御
礼申し上げます。とりわけ、卒業生の保護者の皆様に申し上げます。本校での学
校生活を通し、お子様は、ほんとうに大きく成長されました。ここに栄えある卒
業の日を迎えられました。まことにおめでとうございます。
長岡高校での学業を無事に終え、卒業証書を今、授与いたしました、普通科23
7名、理数科81名、合わせて318名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうご
ざいます。これは日頃からの、皆さんの精進と努力のたまものであり、心から敬
意を表するとともに、お祝いを申し上げたいと思います。皆さんは本校入学以来、
本校に脈々と受け継がれてきている、伝統精神である「和而不同」、
「剛健質樸」、
「豪壮快活」の意味するところをしっかり理解し、そのことを実践する日々を送
ってきました。私は皆さんに、機会を捉えて、「長高生として、大きな夢を持ち
なさい、高い志を掲げなさい。」と申してまいりました。その実現のため、「日
々の学習・勉強をしっかりと果たすことはもちろん、学校行事における諸活動、
そして部活動等も全力を尽くしなさい。」「何事にも自信をもってチャレンジし
てほしい」と、申し続けてきました。これがまさに長岡高校の「文武両道」の精
神であり、皆さん一人一人は、長高生としてのプライドを感じながら、充実した
学校生活を送ってきました。こうしたかけがえのない青春の日々を過ごし、研鑽
を積み重ね、本日、晴れて卒業の時を迎えることができたわけでありますが、皆
さんに常に温かい愛情を持って励ましてくれたご家族やご親族の皆様をはじめ、
ご指導いただいた先生方、ともに励まし合った友、そして地域の皆様のサポート
があったことをけっして忘れてならないと存じます。そうした大切な方々に、改
めて、感謝の気持ちを伝えておいてほしいと思います。
長岡高校生に寄せられている期待はこれからもますます大きいものになると思い
ます。長岡高校で学んだ意義をしっかり意識することが大切だということを改め
て感じてほしいし、皆さんにはその自覚をぜひもってほしいことを望みます。我
が校の大切な伝統精神を心に置きながらも、それぞれの夢の実現のために、果敢
に、臆せずに、そして勇気をもって、新たなものにチャレンジしていってもらい
たいと思います。長高生としての自信と誇りをもち、真に生き甲斐のある人生を
歩んでほしいと願っています。長岡高校はこれから、皆さんの大切な母校となり
ます。母校は今、全国でも例のない輝かしい「創立150周年」に向けた歩みを
着実に進めているときです。昨年度からスーパーサイエンスハイスクール事業も
行っています。皆さんにはその先頭に立っていただき、取り組んでもらいました。
これからも、他校にはまねのできない、新たなチャレンジを進めてまいります。
皆さんは、今日から長岡高校・同窓生の一員として、本校を見守っていただくと
同時に、本校へのご支援とご協力もお願いしたいと申しておきます。
さて、私は皆さんに校長講話や和同會雑誌などを通して、それぞれの心のあり方
について、お話ししてまいりました。いくつか思い返してみたいと思います。君
たちの入学式において、私は、中国・明代の陽明学の創始者である王陽明先生の
言葉を紹介しました。王陽明先生の言葉については何度かお話ししました。入学
式では、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」という言葉をお伝え
しました。山中の賊とは、山の中にいる賊という意味で、実際の戦いの相手とい
うことです。これをうち破るのは簡単な事だが、心中の賊、つまり心の中の邪念
をおさえるのは難しいということです。自分で意識していないと、怠け心や正し
くない考えが、自分の心を支配してしまうことがあるということです。気をつけ
ないといけないぞと申しました。
また、平成24年度「和同會雑誌152号」に、私は、次のような内容の記載を
いたしました。「日に一日を慎む」という言葉を伝えておきました。これは中国の
古典「淮南子」に示されているものです。「淮南子」の言葉も何度か皆さんにお示
ししてきました。「日に一日を慎む」。日々、自分の行いを反省し、今日は昨日より
良い自分であるため、明日は今日より良い自分であるため、常に自己研鑽しなさい
ということだ、私は申しておきました。誰かが見ているわけでない、誰かに確認し
てもらっているわけでない、自分自身の日々の地道な努力が自分自身を高めていく
こと、そして、自分を大切にすることにつながるはずだということを記載いたして
おきました。
そして、平成25年度1学期終業式には、同じ「淮南子」から、「陰徳有る者は、
必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。」という言葉を紹介いたしました。
陰徳とは、隠れて徳を積むこと。陽報とは、はっきり現れるよい報いのこと。陰行
とは、隠れて善い行いをすること。昭名とは、はっきりとした名誉があること。こ
れは、人知れず徳を積む者には必ず誰の目にも明らかなよい報いがあり、隠れて善
い行いをしている者には必ずはっきりとした名誉があるものだということだという
ことを教えてくれています。日々の生活の中で、自分にできること、特に良い行
いをすることは躊躇せずに実施せよということを申しておきました。このことも、
自分を高めることに、自分を大切にすることにも必ず通じると、私は考えていま
す。
「日に一日を慎む」、「陰徳あれば必ず陽報あり」を心のどこかにおきながら、
これからの大切な一日一日の生活を過ごしていただければと存じます。そうした
地道な努力や精進が必ず自分自身の大願を成就することにつながると信じてほし
いと思い、改めてお伝えしておきます。
本日は、さらに一言を添えて、皆さんへのはなむけの言葉といたします。イギリ
スの思想家ジェームズ アレン先生の言葉を紹介します。ジェームズ アレン先生
は、19世紀後半から20世紀初頭に哲学、自己啓発に係る多くの著作を残され
た方です。アレン先生は、よきにつけ悪きにつけ心の中の思いが原因となり、成
功や失敗、喜びや悲しみなどといった結果をもたらすとしています。そして、成
功するには、気高い夢を見て目標をもち、単に成功したいと思うだけではなく、
欲望を犠牲にし、自分はそれを達成できるという信念をもって努力をしなければ
ならないとしています。アレン先生の著作の「『原因』と『結果』の法則』から
代表的な言葉を引用します。「人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕
されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの
場合にも必ず何かが生えてきます。もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を
蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い
茂ることになります。優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花
の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を
生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃
し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなけらばなり
ません。」と教えてくれています。人の心も常に手入れを忘れずにしていないと、
荒れ放題になってしまいます。特に君たちに、私は「世界を舞台に指導的な役割
を果たせる人間を目指せ」と申してきました。これからも長高同窓生として皆さ
んには、そのような高尚な気概を抱き自身を磨き続けてほしいと思います。皆さ
んには、常に正しい姿勢で臨んでもらいたいし、その心を常に研ぎ澄まし、純粋
に物事に臨んでもらいたいを申しておきます。長岡高校での学業生活を送った皆
さんには必ずできると信じています。
本校の校歌二番には、
「鋸山はけざやかに 東の空に聳えずや
汪洋として信濃川 西の沃野を洗わずや
秀麗の気を鍾めたる われ等濁りのあるべきや」
とあります。皆さんは、日々過ごしてきた母校の庭から、本日巣立っていきます。
我が母校で学んだ歳月をしっかり心におき、その心の庭を自ら丁寧に正しく耕し
ながら、自らの人生を堂々と良い姿勢で歩んでいただきたいと思います。
それでは結びといたします。本日巣立ちゆく卒業生の皆さん、一人一人が目指さ
れる、夢多き、輝かしい未来に、栄光あれと祈り、式辞といたします。
平成27年3月18日
新潟県立長岡高等学校長
轡 田 勝 祐