Untitled

毎年
■■ あなたも
100Ⅳ レを
ハ イチは、母子の死亡率が西半球で一 番高 い 国
で現
ロータリー財団は、ハイチの遠 隔地域に住む妊婦
の健診を援助するため、医療器具を搭載 したした
車両を寄贈 しました。11人 のボランティアが乗車
できるこの車のおかげ で 僻地 に住む女性たちも
医療が受けられるようになりました。
日―タリー財団の年次基金へのご寄付により、世
界中の母子の健康を改善することができま魂
皆さまからの ご寄付をお待ちしていま魂
ww‖ Юtary。 Orgttaた Ont‖ bute
ご寄付で実現した
活動をご覧ください
で
よいことをしよう
A Message from President Bane■ ee
■ R:会 長 メッセー ジ
鯉
鐵
世 界 を 旅 して
こころの中を見つめよう 博愛を広げるために
Kalyan Banettee
カルヤン・バネルジー
2011-12年 度 R:会 長
・ バ ピRC
イン ド
ロー タ リーの兄弟・ 姉妹の皆さん、6月 は、過ぎ去ろう
としている ロー タ リー年度について考えてみる時です。そ
言 したことに圧倒されま した。
南太平洋のフィジー とバ ヌアツでは子 どもたちの死亡率
して、間もな く始 まる年度を待 ちわびる時でもあ ります。
の減少を支援 し、安全な住 まいを提供 しているロー タ リア
私たちは この一 年を振 り返 り、何を成 し遂げ、私たちが決
ンたちに感動 しま した。アラブ首長国連邦のアブダビでは
めた日標に向かつてどれだけ進 歩 したかを評価 します。
高等教育・ 科学研究大臣のシ ェイク・ ナ ヒヤーン・ ビン・
ロータ リー では、見直 しのために立ち止まることがある
ムバラー ク・ アール 0ナ ヒヤーン氏の 「私たちは この地で
かも しれません。 しか し、それは自分たちの栄冠の上に安
初めてのクラブができ、 日―タ リー がスター トすることを
住するためではあ りません。私たちはや り遂げればや り遂
心待ちに しています」 という声明を、うれ しく思いま した。
げるほど、まだまだ しなければならないことがた くさんあ
また、か つ て ビノタと私が訪ねた ことがある南極に近 い、
ることを知るか らです。
チ リのバルディビアでは知的障害を持 つた子 どもたちとと
献 身 的 な ロー タ リア ン との 出会 い
2011-12年 度は著 しく進展 した年で した。幸い、妻
もに活動するロー タ リアンたちに心を打たれま した。
皆 さ ん の 会 長 と して 奉 仕 で き た こ と に 感 謝
のビノタと私は ロータリーの世界のさまざまな特色のある
しか しなが ら、何 にも増 して私たちに心温まる思いをさ
場所を訪ね、
各地の ロータリアンたちがいろいろな形で
「こ
せて くれたのは、世界中で受けた歓迎、それに、数多 くの
ころの中を見つめよう 博愛を広げるために」を実践 して
ロー タ リアンたちが ロー タ リー の理想 を暮 ら しに取 り入
いる姿を見ることができました。
れ、「 こころの 中を見 つ めよう 博愛を広げるために」を
南スーダンで私たちは、とてつもない難題にもかかわら
望んで くれているとい う点で した。皆さんの会長 として奉
ず良い変化を生み出すために頑張つている ロータリアンた
仕する機会を持てたことに感謝 し、次年度のテーマ「奉仕
ちに出会いました。この国における人道的な問題はとても
を通 じて平和を」を構築するため、共に働けるのを楽 しみ
大きく、基本的なところから始めなければな りません。現
に しています。
在のところ南スーダンには、機能 している病院がありませ
ん。次年度は、世界中のロータリアンが、最も新 しいロー
タリ…の加盟国に手を差 し伸べ、 この国が必要とする援助
をするものと確信 しています。
ウガンダでは、大勢の大臣や役人たちが ロータ リアンで
あることがわか りま した。そ して彼 らが ロー タ リーの理念
を 自らの仕事上の暮 らしに取 り入れているのを見て、 うれ
Kalyan Banettee
しく思い、元気づけ られも しま した。ネパ ールのカ トマン
20H-12年 度 国際 ロー タ リー会長
ズでは、バングラデシュ、ブー タン、モルディブ、ネパ ー
ル、パキスタン、ス リランカといった南ア ジアの国が、共
に 2017年 までに 100%読 み書きができる地域 にすると宣
平成 24年 6月 号
『Rotary Japan』 のホームページに、英文の
RI会 長メッセージを掲載 しています。
黒ミ
回
w.rotary.or.,p
―
回―タ リーの友
1
口",ツ ■8秩 ■ 諾撫
⊂ONttENttS
6月 は ロータリー親睦活動月間です
l
RI会 長メッセージ
5
世 界 を旅 して ③
RI会 長 カルヤン・バネルジー
11
33
36
座談会『ロータリーの友』を語る
心は共に 14東 日本大震災
ロータリー、
多岐にわたる活動
岐阜長良川 辻
/13「
精二/い わき常磐 橋本
芳家/
〒1)棋 原黒:夕轟轟 ミ /泰
第2640地 区/東 京小石川 ホ
寸
瀬 泰雄/大 阪東南 RC
非暉よ
30
4
48
49
50
53
53
久/
東日本震災復興基金日本委員会からの報告 (7)
東日本震災復興基金日本委員会委員長 Jヽ 沢 一彦
■ロータリーとは
■エバンス トン便 リ
■管理委員長の思い O
■ロータリー掲示板
RC事 務所住所変更。RC例 会変更・クラブ名称変更。
新 :AC・ :AC終 結 。
新 RAC。『友』英語版NQ70の ご案内・
趣味で広がる親睦の輪
私を変えた一冊 (2)
米子東 上森 明郎/さ いたま新都心 野辺
博/
宇都宮陽北 熊倉
学/川 崎麻生 イ
と輪 孝一/
つくば学園 田‖ 幸男/山 口 矢野 美喜/
小諸 濱嶋加津男
第2570地 区・朝霞 栗山
昇
第2760地 区・小牧 河村 嘉男
第2730地 区・宮崎 水居
徹
司会 ロータリーの友編集委員会副委員長 片岡 信彦
23
ロータリー親睦活動月間
七尾 神野 正博/大 阪南 平岡 英信/
東京城南 野上 征利/御 坊 古久保恭一/
パラマリボ Michael Vervuurt/東 京神田 池原 郁夫/
川崎幸 毛利 尚方/原 町 野田 祥二
同論 0異 論
日本回―タリーEク ラブ2650 刀根荘兵衛/
福岡イブニング 守田 則一/旭 川東 中村 良一/
豊/東 京小石川 武田 康弘/
横浜西 野並
葉山 慶松 憲 三/東 京昭島中央 前澤外喜男/
高崎東 豊泉
清/東 京葛飾東 鍋島
享/
宇治 内良 益雄/― 宮中央 松前 憲典/
東京調布むらさき 黒滝 直昭/松 江南 山口
章/
東京八王子南 坂本 俊雄/札 幌東 青木 功喜/
神奈川 川久保 格/船 橋南 浜名 賢一/
横浜港北 桑原
薫
18
特集
よねやまだより
ありがとう、ロータリアン !③
出会 いが 開 く、未来
米山学友 趙
柏飛
地 区大会 略報 Ⅲ
38
第2580地 区 。
第2750地 区 。
第2730地 区 。
第2680地 区 。
第2720地 区 。
第2530地 区 。
第2800地 区 。
第2650地 区・
第2740地 区 。
第2820地 区 。
第2640地 区 。
第2700地 区 。
第2520地 区 。
第2560地 区/次 年度地区大会予定一覧
42
明 日の指導者を養成する
国際ロータリー RYLA委 員会委員 海沼美智子
44
46
47
日本 国― タリー 写 真 館 11
はじめる一歩
ロー タリー の 徽 章
「ロータリー活動」フォトコンテス ト開催
!
広報誌 ROTARY(一 般向け/会 員勧誘)の ご案内・
。 誌ご購読部数
2012-2013年 度ロータリー手帳のご案内『友』
変更についてのお願い。
地区別クラブ数/会 員数/出 席率一覧表。
『友』7月 号主要記事予定
■日本 回―タリー分布図
■奥 付
^般 社同法人 ロー タリー の友 事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階
Te1 03-3436-6651 Fax 03-3436-5956
編集部メール hensyu@rotary no tomojP
● 縦組み の ‖次 は、反対側の 表紙 を開いた ところにあ ります。 本 文・写 真などの無 断転載・複製を禁 じます。
2
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY‐ NO… TOMO
P23-29 東 日本大震災か らの復興のため、 ロータ リアンはさまざまな支援活動を しています
特別顧問
高野
本 男 岬 府)
板橋
敏雄 促 利東
安平
和彦 ∝路
副委員長
片岡
信彦
RI理 事
近藤
R旧 事工
松宮
雅臣
(土 浦南)
(千 里)
剛 げヶ働湘南
問
6月 号
泰明 (層 1西 )
河辺
由清 (小 D
大島
達治
14JI台 )
安藤
元二
G山 西
一
中村
昌平
中山
義之 鮨阪 D
2540
池田
泰久 伏 曲)
神崎
正陳 停殖悧渤
2550
2560
2570
竹田
真 臣 (斜 3宮 目剌
2610
野城
27tXl 野 中
英朗
宮田
康雄
小串
民義
(新 富士)
2710
西海
俊 夫 鰤 丼西
大谷
澤治
(四
日市)
昭男
(熊 本
染谷
英壽
(春 日船
坂部
貢
徹
(宮 崎)
鈴木
正弘
(木 更津東)
河村
嘉男
(小 ω
2720
2730
2740
石井
2770
2790
2800
2820
伊藤
義彦
(山 形西)
2620
2630
2750
2760
2780
渡辺
治夫
(横 須賀)
(結 城)
2640
京谷
ニッ
クス
知明 傷フェ
(東 京口布)
(東 京Jり
孝 伽
籠夫
(壬 生)
桑月
心
(高 山)
高原
武彦
(有 田)
石川
正一
(那 口西)
瀬下
)
佐 久間崇源
"卜
平成 24年
顧
)
澤田
秋山
上野
委 員 長
2500
2510
2520
2530
2830
2840
2580
2590
2600
)
(東 京目黒)
地 区
代表委員
栗山
海老澤
)
(柏 崎)
昇 編 霞)
功
西村
昭紘
(弘 前東)
村上
明男
(富
増田
義和
(東 京)
小原
孝之 は浜東)
熊谷
則之 鯛
m
勲 (叙 百万石
)
(東 京白金)
)
2650
2660
2670
加藤
哲夫
上
敏郎 (大 阪城南)
2680
2690
岩野
長野宏―郎
了
馬野慎 ―郎
水居
古川
編集長 二 神
(京 都南)
(鴨 島)
(神 戸東)
(倉 吉)
(福 岡城東)
)
D
信利 帳 崎1じ 東)
典子
ロータ リーの友
(東 京築地)
2011-12 Rlテ ー マ
ロータリー の誕 生とその成長
20世 紀初頭 の シカゴの街 は、著 しい社会経済の発展の
陰で、商業道徳 の欠如が 目につ くようになっていました。
ちょうどその ころ、 ここに事務所を構 えていた青年弁護
士ポール・ハ リスは この風潮 に堪 えかね、
友人 3人 と語 らっ
て、お互いに信頼のできる公正な取引を し、仕事 上の付き
合 いが そのまま親友関係にまで発展するような仲間を増や
したい、 とい う趣 旨で ロー タリー クラブ とい う会合を考 え
ました。 ロー タリー とは集会を各 自の事務所持ち回 りで順
番 に開 くことか ら名付け られたものです。
こ うして 1905年 2月 23日 にシカゴロー タリー クラブ
が誕生 しました。
こころの 中を見つめよう 博 愛を広 げるために
それか らは、志を同 じくするクラブが、つぎつ ぎ各地に
生 まれて、国境 を超 え、今 では 200以 上の国 と地 域 に広
が り、クラブ数 34,196、 会員総数 1,218,269人 (2012年
2月 29日
RI公 式発表)に 達 しています。
そ して、 これ ら世界 中 の クラブの連合体 を国際 ロー タ
リー と称 します。
このよ うに、歴史的に見ても、 ロー タリー とは職業倫理
ロー タリーの綱領 は、有益な事業 の基 礎 として奉
を重んずる実業人、専門職業人の集 ま りなのです。その組
仕 の理想を鼓吹 し、 これを 育成 し、特 に次 の各項
織 が地球の隅 々にまで拡大するにつれて、ロー タリー は世
を鼓吹、育成することにある
界に眼を開 いて、幅広 い奉仕活動を求め られるようにな り、
現在は多方面 にわたって多大 の貢献を しています。
第
1
第2
ロー タリアン各 自が業務を通 じて社会に奉
10月 20日 に創 立 され た東 京 ロー タ リー クラブ で、翌
1921年 4月 1日 に、 世界 で 855番 目の クラブ と して、
仕するために、その業務を品位あ らしめる
こと
第3
功を忘れる ことができ ません。
その後、 日本 のロー タリー は、第 2次 世界大戦 の波 に洗
われて、 1940年 に国際 ロー タリー か ら脱退 します。戦後
1949年 3月 にな って、再 び復帰加盟 しますが、 この 時、
復帰 に尽力 して くれたのが国際 ロー タリーの第 3代 事務総
長 ジ ョー ジ・ ミー ンズで した。
その後の 日本 におけるロー タリーの拡大発展は目覚 まし
いものが あ ります。 ロー タリー財団へ の貢献 も抜群で、今
や国際 ロー タ リー における 日本 の地 位 は不動の ものにな
りました。現在、 日本全体でのクラブ数は 2,292、 会員数
88,734人 (2012年
4
;
ロー タリアンすべ てが 、その個人生活、事
業生活および社会生活に常に奉仕 の理想を
リスの片腕 として ロー タリーの組織をつ くり、海外拡大に
創立 の準備 に奔走 した米山梅吉、福島喜三次な どの先達の
;
事業および専門職務 の道徳的水準を高める
きであるとい う認識を深める こと :そ して
わが国最初 の ロー タ リー クラブは、 1920(大 正 9)年
情熱的 に取 り組んだ初代事務総長チ ェス リー・ ペ リー と、
奉仕 の機会 として知 り合いを広めること
こと ;あ らゆる有用な業務は尊重されるべ
日本 のロータリー
国際 ロー タリーに加盟が承認されました。
日本でのロー タリー クラブ設立については、ポー ル・ ハ
:
適用する こと
第4
;
奉仕の理想に結ばれた、事業 と専門職務に
携わる人 の世界的親交 によって、国際間の
理解 と親善 と平和を推進すること。
四 つ の テス ト
言行はこれに照 らしてから
1.真 実 か どうか
2.み んなに公 平 か
3.好 意 と友情 を深 め るか
4.み んなのためにな るか
どうか
3月 末現在)と なって い ます。
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
rtary Fellowships
Rotary Irr,liow:lrips
Rotary Fellowships
ロー タ リー親睦活動 グル ー プとは、スポ ー ッ、趣味な ど共通の関心 を持つ ロータ リアン、
その配偶者、 ロー ター アクターが活動 を通 し、親睦を深め、奉 仕 をする、国際 ロータ リー
(RI)か ら承認 されたグル ー プです。現在、60以 上もの親睦 グル ー プが世界各地で活動
してお り、 その リス トは、 RIの ホ ームペ ー ジ (httpノ /wwworotary.org/)か ら見 る こと
ができます。趣味を通 してロー タ リー での経験を楽 しみ、 さ らに充実させませんか。
ロータ リアンのアンテ ィー ク、 クラシ ック、および歴史 的 自動車親睦 グ
ループが毎年開催するクラシ ックカーラ リー。地元の協力企業、参加者
にロー タ リーの親睦 と奉仕の精神を広める機会 ともな つています (本 文
7ベ ージ)。 写真 :山 梨 日日新聞社提供
Hotary Fr llowship.,
Rotary Fellowships
lnternational Fe‖ owship Of Rotarian⊂ onvention Goers
www.convention goers.org
大会参加 ロー タ リアンの 国際親 睦グル ー プ
国際大会へ のい ざない
別なエ キシ ビシ ョンは、並の旅行では
神野 正 博 (七 尾 RC)
か。活動は、このグループ名が背中に
2005年 、 シカゴで開催 された ロー タ
リー 創 立 100周 年を祝 う大会が初 め
経験できない。特に、バー ミンガム大
入 ったベス トが支給 され、 これを着て
会での 中世 の 占城を貸 し切 ったエキシ
国際大会の友愛の家に設置 される同グ
てであった。会場で、姉妹 クラブであ
ビシ ョンは忘れ られない。帰 りのバ ス
ループのブースヘ 行 くこと (だ け)で
るアメリカ・ カ リフォル ニ ア州 モン ト
の到着が遅れたにもかかわ らず、寒 く
ある。そ こでは、以前か らの友人のよ
レーロー タリー クラブの会 itと 偶然会
なった深夜 まで老若男女のロー タリア
うに仲間が待 っているはずである。
って 旧交を温め、大会 の魅力を知る こ
ンが整然 と並んで待つ 姿 に、上質な ロ
とができた。
ー タリーの世界共通な道徳観をも感 じ
私 に とって 国 際 大 会 へ の 参 加 は、
以 後、 な ん とか 時 間 を 見 つ け て
(第
Goersは 、 このよ う
た。 20H年 ニ ューオ ー リンズは手配
れた会員による親睦
していたものの、東 日本人震災の救援
活 動 グル ー プ の 一
事業 のためキ ャンセル した。
つ で あ る。 会 員 は
な国際大会に魅 rさ
約
500人 、 う ち 日
本 のロー タリアンは
3人 の
ンテーシ ョンは内容 とともに大変参考
私 を含 め て
になる。同 じロー タリアンとい うだけ
ようである。読んで
で世界中の会員 とフランクに交流でき
字 の ごとく「大会参
る。そ して、主催者が提供する、 陛界
加者」 グル ー プ とい
の一 流アー ティス トのコンサー トや特
うことになるだろう
The Conven■ on Goersの ベス トを着てバナー交換する筆者 (左 )
owship of Rotarians(l YFR)
www.isfrski.org
ロー タ リア ンのための 国際 ヨッ ト親睦 グル ー プ
ヨ ッ トを通 して、花見、釣 り、そ して奉仕
平岡
世界 中 にた くさんの友達 が で きま し
親睦活動 グル ー プの 中でも伝統あるグ
た。花見や釣 り、そ して親睦旅行、酒
ル ー プの一つ で、 1947年 、イギ リス
盛 りと思い出は数 え切れ ません。
のロー タリアンがヨッ トに ロー タリー
旗 を掲 げた ことか ら始 ま り、現在 32
今 までの中で最 も記憶 に残 るのは、
創 立 2年 目に起 こった、阪神 。淡路大
か国 3,200人 を超 える会員が います。
震災です。 当時、 コモ ドア (提 督 )を 引
日本 では、 19年 前 に ヨ ッ トに興味
き受けていた私 と幹事の山田和 義会員
をもつ ロー タリアンの熱 い思 い と協力
の、何 とか したい とい う思いが全会員
を得 て組織 され、現 在 は 150人 に及
に加│き 、延 べ 38日 間、人 と物を被災
ぶ組織 となっています。北海道、西九
の型 ‖か ら大阪 l「 内のマ リー ナを集約
和歌山、琵琶湖 に
場所 として、岸壁が崩れて大型船 が着
フリー トを有 してお ります。私は、 こ
岸できな い 中、 ロー タリー フラ ッグを
州、大阪湾、神′
6
THE ROTARY―
NO―
TOMO
英 信 (大 阪南 RC)
IYFRは 、数あるロー タリアンの
f、
ヨ ッ トの 冒険家、鹿 島郁夫会員 (中 央前 )と 、
山田和義会員 (中 央後 )
2610地 区 石川県)
The Convention
役員 による上 品で上質な所作、プ レゼ
lnternational Yachting Fe‖
との再会を楽 しみに ……。
た。
2008年 ロサ ンゼルス、2009年 バー
ミンガム、2010年 モ ン トリオ ー ル、
2012年 バ ンコクに家内 と共に参加 し
国際大会 の、洗練 された会場運営、
リスボン大会へ も行 こ う。友人たち
の
IYFRの 活動で、国内はもとよ り、
掲げた小 JIJボ ー トとヨットを駆使、輸
2012 VOL.60 NO.6
小企螢塾事旦■■ソ.I嗣 墜重勲貝閾
送ボラ ンテ ィア として活躍 しました。
その翌年 か らは、子 どもたちへ の
ロイヤルホテル まで水上交通 を企画、
さらには水の都大阪 の観光 に寄与する
`b
途切れる ことがないの も特徴です。
来年 は 4年 に 1度 開催 され る全 国
フ リー ト大会があ ります。設立 20周
ケア として、「 リフレッシュフェスタ」
ことができました。同時 に世界中の
と題 し、 クルージングやハーバー での
YFRの 仲間 とも再会 し、京都で開催
年 と重な り、 いろいろなイベ ン トがあ
パーベ キ ュー 、大阪市所有 の帆船「あ
したお座敷晩餐会 もいい思 い 出です。
ります。水辺を こよな く愛する人 には
IYFRは
I
、 自由 さが売 り。老 い
ぜひご入会いただきたい と思います。
ました。
も若 きも「板子一枚下は地獄」 を身上
地元 にフ リー トを作 って 親睦 を図
記憶 に残 る も う一つ は、大阪 で 開
催 された国際大会。故・ 吉川勤司パ ス
に、助け合 うことと、楽 しむ ことがメ
る、また友達ができる、 と楽 しいこと
ー ンテーマです。また、 もしロー タリ
が増 えます。 IYFRこ
トガバ ナー か ら相談を受け、メー ン会
ー を退会 しても、 IYFRは 続け られ
in Rotaryで はないか と自負 してい ま
場 の大阪 ドー ムか ら宿泊施設の リー ガ
ますか ら、 ロー タリー とのつ なが りは
す。
こがれ」を利用 した体験学習を開催 し
Antique′ ⊂lassic and Historic Automob‖ eworld Fe‖ owship
(第
of Rotarians(ACHAFR)
そ、Rotary
2660地 区 大阪府)
wwwoachafr.eu
ロータ リアンの アンテ ィー ク、 クラシ ック、および歴史的 自動車親睦 グル ー プ
ロー タリー フェロー シ ップカー ラ リー を通 して
野上
征 利 (東 京城南 RC)
元 ロー タリー クラプを通 して被災地の
業 として、山梨県民の皆さまとともに
小学校 に渡 した り、また地球環境 に寄
2013年 3月 下旬開催 に向け、準備を
東京を中心 に日本、韓国、 フィリピン
与するマング ロープの植樹を東京城南
進めてお ります。古 い車を愛するロー
の 中 の 5つ の地 区、 13の クラブの会
タリアンの皆 さん、 この大会 に参加 さ
員で役員理事組織を構成 し、毎年、 ク
RCの 姉妹 クラブであるフィリピン・
マ カテ ィ・ サ ウス RCの 協力を得て、
れ、山梨県をステージに 「友情 と親睦
ラシックカー ラ リー を開催、今回で 8
行 つています。
の絆」を築 くお手伝 いができたら幸 い
私 たちは、 国際 ロー タ リー に 承認
され た、 ACHAFRの
アジア支部。
回 目を迎 えま した。大会名誉会長 は、
当大会 は、 クラブや地 区 の垣 根 を
タレン トで東京城南 ロータリー クラブ
超 え、ロー タリアン
(RC)名 誉会員の堺正章 さんです。
同士が手を結 び助け
今 年 の「ロー タ リー フ ェロー シ ッ
人たちや企業 の応援
3月 31日 ∼ 4月 1日 に開催 されま し
を いただきなが ら進
た。昨年、開催地だったものの東 日本
めています。ロー タ
大震災 のため 中止 となったのですが、
リーの哲学 “
親睦 と
再度時間を費や して、山梨県各地を も
奉仕 "を 、大会 に携
れな く調査、事業の計画を練 り上げ本
わるロー タリアン以
大会を迎 えま した。
外 のさまざまな人 と
メンバー 自慢 の 58台 が、東京を発
交わ り、額に汗する
着 とし、笛吹市や北杜市、甲府市を中
ことでロー タリー の
400 kmの
神髄を理解 し、奉仕
コースを快走。そのほかにも、県立考
活動を共 に実践する
古博物館でのクラシ ックカー競技、チ
中で、その 目的を深
ャリティーゴルフ大会、そ して、山梨
く認識 し、理解を深
県知事・ 横内正明氏 と司葉子会員 (東
めてもらうことを 目
京恵比寿 RC)の 先導車両による、春
的 とした事業です。
の交通安全 パ レー ドが行われ ました。
ロ ー タ リー フ ェ
これ まで の 大 会 運 営 を 通 して 約
ローシ ップカー ラリ
2,000万 円が集 まっています。 ハ リケ
ー 2013は 、みたび、
ー ンカ トリー ナの復興支援金 として地
山梨県文化祭協力事
平成24年 6月 号
(第
2750地 区
東京都 )
合 い、さらに地元の
プカ ー ラ リー 2012」 は、 山梨県 で、
心 に 通 る春 の 甲斐 路、約
です。
クラシックカーのパ レー ドに地元の人も声援を送 ります。写真 :ヴ
ィンテージリゾー ト株式会社提供
ロータ リーの友
7
lnternational Fe‖ owship of Flying Rotarians(I FFR)
www.iffr.org
国際飛行 日―タ リアン親睦 グル ー プ
世界 の空 の仲間 とつ ながる
恭一
古久保
IFFRは
、 1965年 アメ リカ 。ワ
(御 坊
RC)
る機会があ り、同好会結成に向けて機
親と友情を深める歓迎を受けました。
シン トン州 シア トルの ロー タリアン、
運が高 ま り、南紀白浜空港をベー スに
数 年 前には、 ドイ ツの メ ンバー か
E.エ ジソン・ ケ ンネル氏の熱心な働
活動 している飛行機を操縦するロー タ
ら自家用ジェットでの IIL界
きかけによ り正式に承認 され ま した。
リアンが中心 となって、 1990年 、 J
トをするので途中、 日本 (関 西国際空
現在、アメ リカ、 ヨーロ ッパ 、オセア
RPC(日 本 ロー タ リアンパ イ ロ ッ ト
港)に も立ち寄 りたい、 11本 を案内 し
ニ アを中心 に 、約 1,000人 の 会 員が
クラブ)が 設立 しました。創 立総会に
てほ しい、 との連絡があ り、近畿のメ
います。
は全国各地 か ら向家用機や マ イカー 、
ンバー イ∫
志で京都観光 と京都lFA園 で歓
当時定 期 便 だ った YS-11な どで
迎会を持ち、感謝されたものです。
日本 で パ イ ロ ッ ト同好会 が結成 さ
れ たの は、30年 ほ ど前、 今 は亡 き、
28人 が集 ま りました。
^周
フライ
毎年 開催 され る国際大会 では、友
せ っか く発足 したの だか ら IFF
愛 の家にブースを設けるほか、 EU圏
地区、福島県・ 山形県)の 呼 びかけが
Rに 加わ りたい とい うことで、発足か
やアメ リカであれば、近隣の空港な ど
きっかけ。その数年後、八尾空港で、
ら 2か 月後、 ア メ リカ 。ポ ー トラ ン
を利用 し、 自家用機による懇親会 も行
飛行機を操縦するロー タリアンが集 ま
ドで行われた国際大会に参加 して、友
われています。個人的に、 IFFRメ
濱 田五左術 門 ガバ ナ ー
―
‐
ご
勢
―.
(`
当時第 253
1驚
―
繭
ち
ご
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人
T?:,E貫 i
ンバーに連絡を取 って訪ねた ことが あ
りますが、見ず知 らずの私を空の仲間
き、アメ リカの ロ
として歓迎 して くれたのは、 ロー タリ
ー タリー飛行機野
ーの素晴 らしさの表れ と思い、今 も心
郎 の総会に出席 し
に残 ります。
て、 JRPCに つ
当初 は パ イ ロ ッ トだけの親 睦会 で
いて紹介 してきま
したが、現在は航空 に興味 のあるロー
した。会合が終わ
タリアンも参加できるように、名称 も
り近 くの空港で彼
JRAS(日 本 ロー タリー月克空同好会)
らの飛行機にも触
と改名 しています。
らせてもらい、懇
丁he lnternational Skiing Fe‖ ovvship of Rotarians(I SFR)
ロー タ リアンの国際スキ ー親睦 グル ー フ
(第
2640地 区 和歌 山県)
wwwoisfrski.org
世界 の仲 間 とスキ ー を楽 しんで ロー タリー の奉仕
NIlichael Vervuurt(パ ラマ リボ RC)
ISFRは
、 あ らゆ る 年 代 の 、 世
が集 ま りま した。イベ ン トはす べ て、
車 いすを寄贈 したことです。
界 中 のスキー 好 きな ロー タ リア ン とそ
いかにも
(?)ス イス らしく、時間厳
花火 で彩 られ た開会式 も印象深 い
の 家族 が 上 手、下手 にかか わ らず楽 し
守で行われ ました。競技 とい うよ りは
もので した。外国か らの参加者は地元
む集 ま りです。
親睦を重視 しているため、大雪 と視界
の皆さん の家 に招かれま した。私がお
の悪さのため 中止 となったレース もあ
世話 になった家庭では、5時 間 にもわ
りました。
たって、ティ トリス山を望むパ ノラマ
1995年 か ら 1年 お きに、 ヨー ロ ッ
パ の スキー 場 で 国際 スキー チ ャン ピオ
ンシ ップ を 開 い て い ます。 20H年 は
スイ ス・ エ ンゲ ル ベ ル クで 3月 12∼
今 回 の 大 会 で特 筆 す べ き こ とは、
を眺めつつ 、素晴 らしい友情、地元の
困 っている人 に支援する、 とい うロー
ごちそ うでもてなされ、お どろ くほ ど
19日 に 開催 。 ヨー ロ ッパ は もち ろん、
タリーの理想に沼)っ たプロ グラムをヨ
た くさんあ ったワインもすべてな くな
遠 くは ア メ リカ、 カナ ダ、 ス リナ ム 、
ーロ ッパ の大会で初めて取 り入れ、障
りま した。 このほかにも、毎 日、保養
害があるスキーヤーヘ雪上 の移動用 の
所 でいろいろな参加者 とお酒を飲みな
チ リ、 オ ー ス トラ リア か ら約
8
THE ROTARY―
NO―
TOMO
180人
2012 VOL.60 NO.6
小小
が ら語 り合 った こと も思 い 出です。
この ヨー ロ ッパ で 開催 され る国際 ス
り、新 しい友情や
国際理解を築ける
キ ー チ ャ ン ピオ ン シ ップ の ほ か に も、
ことです。体にい
毎 年 、北 アメ リカ・ スキー ウイ ー クを
い だけ ではな く、
開催 してい ます。 なお、次 回 の 国際 ス
ロー タリーの理想
2013年 1
ー
20∼
27日
ス
トリア の サ ン
月
、オ
をさらに理解する
ク ト・ ア ン トン、 北 ア メ リ カ・ ス キ
かになることで し
キ ー チ ャ ン ピオ ンシ ップは
ー ウイー クは
2013年 2月 2∼ 9日 、
ことで気持ちも豊
よう。
ア メ リカ・ コロ ラ ド州 テル ライ ドで開
日本 の 皆 さん、
私たち と一緒 にス
催 が決 ま ってい ます。
私 た ち の グル ー プ で何 よ りも楽 し
キー を楽 しみませ
い の は、世 界 の ロー タ リア ン仲 間 とと
んか。
もにスキ ー の 技術 を磨 い た り、 クロス
(第 7030地 区
カ ン トリー を見 た りす る ことは も とよ
米・ ス リナム)
lnternational Fellowship of Rotary― on―
(ロ
ロータリー親睦活動月間db
南
イタ リア・ マ ドンナ・ ディ・ カン ピリオ で開催 された大会で
Stamps(ROS)
ー タ リーの 切手収集国際親睦 グル ー プ)
www.rota ryonsta
m
ps.org
ラ ンデ ィ島の ロー タリー切手
ROSは 、ロー タリーの創 、
150周
手で、中には通貨単位 も独 自で決めて
郁 夫 (東 京神田 RC)
家 マー チ ン・ ハーマ ン氏は、 1929年
年を前に、各国で記念切手発行を呼び
いる島 もあ ります。イギ リス南西部に
に独 自の切手を発行 しま した。印刷は
かけたのを機 に発足。現在、35か 国
位置するラ ンデ ィ島は、 こ うした地方
に 約 200人 の メ ンバー が、 2,000以
切手を最初に作 った島です。
イギ リス本 国 と同 じ印刷会 社 に依 頼。
`
美 しい、正 当派 の切 手です。
池原
上あるとされているロー タリーの切手
1925年 に この 島を購人 した、実業
1955年 、 ロー タリー 創 立 50周 年
の年、そ して ROSが 承認 された年に、
の収集を中心に、活動 しています。
この ロー タ リー L/J手 にちなん だ話
ランディ島で も三角切手にロー タリー
を紹 介 します。 イギ リスに は、郵便
の徽章を加 えて印刷 した切手を ご く少
局 (Royal Mail)が 諸事情で郵便物の
数枚発行 しました。 この切手は今でも
集配業務を行 っていない「離れ島Jが
切 手マニ アか ら珍重されています。 ハ
30ほ どあ り、そのい くつ かは、独 自
ーマン氏は ロー タリアンだったのか も
に切手を発行 しています。 いずれ もそ
しれません。
の 島内で しか通 用 しないロー カルな切
(第
lnternational FellowshipofRotariansofAmateurRadio(ROAR)
アマチ ュア無線 ロー タ リアンの国際親睦 グル ー プ
2580地 区 東京都)
www.roar― j.jp(ROAR―
」
)
5月 17日 朝 の電波例会 1万 回達成
毛利
日本 ロー タ リー・ ハ ム クラブ
(RO
ン・ シャープ氏 によって提唱 され、現
のブースを 出 した ところ、多 くの人が
24か 国 360人 の 会 員 が
立ち寄 って くださった ことをよ りどこ
AR― J)は 、国際 ロー タ リー (RI)
在 で は世 界
に 承 認 され た ROARに 帰属 してい る
みな無線通 信 の正 式認証された コー ル
親 Il■ グル ー プ です。 ROARは
サイ ンをもってい ます。
1958
年 ア メ リカ・ イ リ ノ イ 州 グ レ ン コ ー
ロー タ リー クラブ
平成 24年 6月 号
(RC)の ブ ライ ア
尚 方 011崎 幸 RC)
ROAR―
ろに、翌年 1月 27日 午前 8時 15分 、
大宮 RCの 故 。大滝益栄 さん と小生が
Jは 、 1978年 、東京 で
短波で交信を始め電波による例会を呼
RIの 国際大会が開催 された際、無線
びか けたの が始 ま りです。 そ してそ
ロータリーの友
9
の 日の うちに五所川原 RC(青 森県)、
持 ち回 りで総会が行わ
小千谷 RC(新 潟県 )、 銚子 RC(千
れ、普段は無線を通 し
葉県)の 会員が参加 し、胎動 し始めま
て交流を深める仲間 と
33年 の長 い 間、一 回の休
実際 に会 うことがで き
した。 以来
会 もな く続けて い ます。
ま す。 今 年 は 7月 に
ロー タリアン同士の絆の強 さ、高度
佐賀県唐津市で開催 さ
な通信技術の切磋琢磨が この偉業を成
れます。各地区大会で
し遂げ られたもので、何物にも替え難
は無線局 移動運用、 R
い私たちの誇 りとな りました。現在会
I国 際大会 “
友愛 の家 "
員は 84人 。名誉会員 の千玄室元 RI
には交流ブー スを開設
理事 も無線の コールサインを持 ってお
しています。昨年 の東
られます。
日本大震災の時には被
日常 の活動は、朝の電波例会。 これ
災会員を通 しての緊急
を毎 回数 百人 の リスナー が私 たちの
援 助 活 動 が ドイ ツの
ロー タ リー に関わ る会 話 を傍受 して
ジャーナ リス トの目に とまり、電 波例
い ますの で、無形 の 広報 として意 識
会 の録音取材を受けました。
し、 活動実績 の情報交換な どを話題に
さらなる参加者を歓迎いた します。
してお ります。年に一度、全国各地を
ROAR― J
(第
2590地 区 神奈川県)
ROAR¨ Jの 電波例 会
7077.5KHz SSB
毎朝 07:30∼ 08:15
(日・ 祭 日除 く)
被災地からの発信
野田
祥 三 (原 町 RC)
た とわか ったのは、翌朝 のニ ュースで
思 いが、遺骨安置を決断 させた。や
1923(大 正 12)年 に発生 した関東
あつた。固定電話や携帯電話がつなが
がて遺族や関係者が次々と本堂を訪
大震災を、世界に向け発信 した無 線
らない状態が数 日続 き、ガソリンな ど
れた。
電波を発信 した塔は、
塔 のあった街。
も入手困難 となった。互いの安否確認
遺骨 を持 ち帰 る遺族 が、「せめて
長波用 で高 さが 200mの 鉄筋 コン
や食料の調達は徒歩か 自転車、情報は
風 呂敷に包んであげたい」 と涙 ぐむ
クリー ト製で強固な地盤が 自立を可
テ レビやラジオ、無線が頼 りの状態 と
姿を見て、寺 としても何 とか してあ
能に したらしい。 このためか、東 日
なっていた。
げたい とい う気持 ちが強 くな った。
私 の 住 む 南 相 馬 市 原 町 区 は、
本大震災で付近 の道路や家屋な どの
その よ うな中、警察や市役所か ら、
そ こで、毎朝
7時 30分 か ら行われ
損壊は少な く、水道、ガス、電気な
私 の寺で 「津波で亡 くなった方の遺体
ている日本 ロー タリー・ハ ムクラブ
どのライフラインは止 まることはな
が身元確認でき次第、
荼毘 に付 したい。
の電波例会で、被災地の状況を、会
か った。 しか し激震は予想以上の津
その後、本堂で遺骨の保管 安置をお願
員 に伝 えた。
波を引 き起 こし、沿岸か ら約
3km
までの家屋や多 くの人の命を のみ込
んでしまった。
正確な情報がなかなか伝わ らず、
南相馬 市で数百人単位 の犠牲者が出
い したい」との依頼があ った。
す ぐに大 阪城 南 ロー タ リー クラ
当本堂は半壊状態であることを話 し
ブの佐々木正治郎さんか ら、宅配便
たが、「この界隈で連絡が つい たのは
で多数 の風呂敷 が届け られた。無線
貴寺だけであ り、助けてほ しい」 との
の力は絶大で、
続 々と会員か ら食料、
こと。できる限 り力にな りたい とい う
懐中電灯、乾電池、ラジオな どの救
援物資が届き、町の人々のために使
わせていただいた。ロー タリアンの
優 しさと善意は、被災者の心に安心
を与えたのではないか と思 う。
震 災 か ら一 年 が経過。 日々 の 電
波例会か ら、被災地の人が普通の生
活を取 り戻すその日まで、力になっ
ていきたい とい う思いが伝わって く
地震で落下 した無線機 (左 )、 遺骨を風 呂敷 で包む筆者 (右 )
10
THE ROTARY―
NO‐
TOMO
る。
(第 2530地 区
福島県 曹洞宗)
2012 VOL.60 NO.6
靡¨
各テーマ について
皆さまの ご意見を
うかが うコーナーです
ロー タ リー で い う親睦 とは 7
前提条件
日本 ロー タ リー Eク ラブ 2650
刀根荘 兵衛
ロー タリーの原点 は「親睦 と奉仕 」
だ と言われ、実 際、新年度 になる と、
ろ うか、 とい うことで した」。 ロー タ
業上 の利益 の増進」を うたった最初の
リーの創立 の原点 にはこのようなフェ
定款ができた。親睦の軸足は ここにあ
ローシ ップ、つま り本 当に心か ら何で
るが、それを現在のロー タリーの 中で
も話 し合える友人を作 るという目的が
いかに捉 えるべ きであろうか。親睦は
「わた し」と「あなた」、そ して「あなた」
あったの も事実である。
しか し、現在 のロー タリー では、そ
と「わた し」の 出会 いを もって始 まる。
日標に掲げるクラブも多い。 日本で親
の 目的は 「奉仕理念を育成 し、 これを
すなわち、換言すれば自己は他者に出
睦 といえば、 いわ ゆる宴会や ゴル フ、
奨励実践す る」 ことであ り、フェロー
会 うことによ り他者を知 り、 自己を知
旅行な どを指す場合 が 多い。 しか し英
シップはあ くまでその前提条件。 つ ま
り、真の親睦が培われてい く。その出
英辞典 によれば、フ ェローシップ とは
り、例会 でお互 いに友情 を温め合い、
会 いの 場 は週 1回 の 例会 であ る。 そ
「何 かを一 緒 に行 う、 または同 じ趣 向
切磋琢磨 して奉仕理念を学び、例会か
こで己の心をあなたに開き、一人の私
を持 っている人 々の 中で生まれる友情
ら一 歩外 へ 出た ら奉仕 活動 を実 践す
でな くなる。それがクラブ奉仕 の心の
の気持ち、すなわち仲間意識、連帯感」
る。そ して、フェローシップを助長す
原点 となる。相手 との人 間関係を取 り
とある。
結 び、その絆を深め、 自分 の生 活態度
い うことだ。従 つて、 いわゆる親睦活
の規範を 自分 自身が培 つていけるとこ
で、ロー タリー を始めた
動だけに うつつ を抜か し、奉仕理念の
ろに、 ロー タリー でい う親睦の一つ の
きっかけを述 べ てい る。「ある晩、私
研 さんや奉仕の実践をおろそかにする
意味がある。
は同業の友人に連れ られて、郊外 の彼
ことだけは、大 いに戒めたいものだ。
親睦 の第一 歩は呼び掛けにある。相
2650地 区 )
手 に 呼 び掛 け る こ とに よ り、相手 を
To Rotary』
の家を訪れ ました。夕食後、近 所を散
(第
歩 していると、友人は、店 の前を通 る
ごとに、店 の主 人 と名を呼んで挨拶を
するのです。 これを見てい た私は、ニ
ューイングラン ドの私の村を思い出 し
ました。その とき浮かんだ考 えは、 ど
吸
ホ
る一つ の手段 として親睦活動があると
ポー ル・ ハ リスは、著書『My Road
「わ た し」 と
の出会いか ら
福岡イブニング 守 田
た」
「あなた」 とい う人格 として認 め、そ
の相手 と人間関係を取 り結ぶ ことがで
き る。例 会 に 出席 し、知 り合 い にな
り、「おい」 と呼べ る間柄にな り、「わ
則一
た し」と「あなた」の人格の交わ りが、
うにか して この大きな シカゴで、さま
親睦 とは、辞書 によれば、「親 しみ
あなたに とっての「わた し」 は「彼」
ざまな職業か らひ とりずつ 、政治や宗
あ う こと、仲 良 くす ること」 とあ り、
で はな く「あな た」 に 変 わ る。 そ こ
教 に関係な く、お互 いの意見をひろ く
素 っ気 ない。“ロー タ リー でい う"と
で、親睦を通 して自分 自身 の生 きざま
許 しあえるよ うな人を、選 び出 して、
縛 りがつ けば、親睦の意 味論的考察が
を磨 き、 さらに奉仕の精神 に接近 し、
ひ とつの親睦関係をつ くれない ものだ
「職
必要である。1906年 1月「親睦」と
Service Above Self(超 我 の 奉イ
士)の
平成 24年
6月 号
ロータ リーの友
同論爆 論
実践 を よ り確 かな もの にす る ところ
は会員同士 の大きな信頼の基盤 と厚 い
「 どこで会 っても、『やあ』 と言お う
に、 ロー タリーでい う親睦の真骨頂が
友情の礎があって、初めてその効 力を
よ」。私が ヨー ロ ッパ 旅行を していた
発揮する ことが できると思います。
時、 ロー タリーバ ッジを着けていただ
ある。
(第
2700地 区 福岡県 )
親 睦 とは文字 通 り「親 しみ 合 う こ
ロータ リーでの親睦は
1丁 目 1番 地
ll東
旭り
中村
良一
と」「仲良 くする こと」 (広 辞苑)と あ
その国の ロー タリアンか ら声を掛け ら
り、まさに ロー タリー でい う親睦 とは
れた ことが ある。
1丁 目 1番 地だか らで しょう。
(第
2500地 区 北海道)
クラブ人会初年度 に配属 されること
が多い親睦委員会は ともするとクラブ
のイベ ン トな どの酒席でのホス ト役で
はないか と思われる節があ ります。
しか し、 この親睦 には大変大きな意
けで「やあ君 もロー タ リア ンか」 と、
ロー タリーのバ ッジが もたらす国際
的親睦、そ してそれによって築かれる
世界平和を期待 している。
親睦その最終 日標 は
世界平和
横浜西
野並
豊
(第
2590地 区 神奈川県)
交流の場 と機会を提供
│1 武 田
東京」ヽ
石り
康弘
味合 いが あ り、酒席での活躍が先輩の
私が所属する横浜西 ロー タリー クラ
日に留ま り、急接近できるチャンスで
ブも 3年 ほ ど前、創立 50周 年を迎 え、
もあるわけで、 クラブの歴 史、地域社
その創立会 員である私 も 53年 余 のロ
思想を元に結成された団体でもあ りま
会 とのつなが り、過去の奉仕活動の話
ー タリー生活を送 ってきた。
せん。高い倫理性を持 った商取引を実
な ど勉強になることが多いと思 います。
ロー タ リー クラブは、
宗教団体でも、
幸 い、 クラブ発足 当時の会長が、 ロ
現するため、高 い倫理感を持 った仲間
このよ うな経過をた どりつつ仲間意
ー タリーの奉仕 も、諸活動 も、すべ て
同上が、 ロー タリー クラブを創立 しま
識が少 しずつ醸成 され、互いの信頼 へ
親睦あ っての ことで あ る と、「親睦に
した。その後、クラブの会員 も増加 し、
と進歩 し、 さらには友情が芽生え、よ
始 ま り、親睦に終わる」を提唱 してき
社会で ロー タリー クラブの認知度が高
り良質な会員 と相和することで切磋琢
たため もあ り、当クラブは楽 しいクラ
まるにつ れ、社会 へ の対応 を迫 られ、
磨 し互恵の精神が誕生するもの と思い
ブになっている。
社会奉仕、国際奉仕が出てきました。
ます。いわば「オイ」 と呼 んだ ら「手
を振 り合 える」 ことがで きる仲間にな
しか し、ロー タリー の親睦はそれだ
けの ものではないはずである。
ここで 同 じ世界的組織 ではあるが、
るわけです。
一 業種 一 会員制だった約
20年 前 と
つ ま り、 ロー タリー クラブの根底 に
あるのは、倫理性の高 い商取引です。
ロー タリー クラブに入会す る人は、高
ロー タリー と別 の 団体 の話を持 ち出 し
い倫理性 と人格を持 った潜在的な取引
比 べ て、現在会員数 は減 っています。
て恐縮 だが、 団体 の役員を私が してい
相手、協力相手 との交流を求めて、ロ
以甫
むは歯車のロー タリーバ ッジの効能
た頃、会 頭 の M氏 が 「 もしアメ リカの
ー タリー クラブに入会す るはずです。
を、 クラブの先 輩 の話や『 ロー タリー
ルーズベル トと日本の東条英機がそれ
もちろん、 クラブ と会員の倫理性を高
の友』誌で拝見 しました。近年は出張
ぞれ若 い時代 に この 会 のメンバーで、
めるため、四つのテス ト、 ロー タリー
先、旅行先でのバ ッジの効能話を聞 く
何 らかの形で交流があ り、個人的親睦
の綱領、奉仕 の精神 な ど不可欠です。
ことがな く大変残念 ではあ りますが、
を結んでいたならば 日米戦争は起 こさ
倫理感 の欠落は、 クラブの存在意義を
われわれ も身の丈に合 った行動を とる
ないで済んだのではないか」 と言 った
消滅させ ます。
ことが重要 と考 えます。
ことが ある。彼の発想には、親睦は単
法人会や商工会議所な どは、商取引
一部 の会員が反 り身になってクラブ
に 同 じクラブの 中で飲んだ り食 った り
を全面に打 ち出 していて、活動 も主に
を取 り仕切ろうとする行動な どは、親
して仲良 くする ことではな く、他国を
商取引 に限定 されています。ロー タリ
睦 の 意味合 いを 大 き く損 な うととも
含め、交流を進めてい くことにこそ親
ー クラブは、奉仕活動や親睦活動を通
に、む しろ滑稽 に映るものです。親睦
睦の価値を強調 したのである。
して、会員間の交流を図 り、信頼関係
12
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO.6
同論・
を築 く役割を果た しています。その 中
ら、 クラブを 辞めて い くで しょうか。
で、各会員がその関係を商取引 に発展
昔 「クラブが面白 くな くなった」 と言
させ る機会を提供 しています。
って辞めて い った人を知 ってい ます。
は一方的で、 ド部層にいきわたる「親
従 って 、 ロー タリー クラブの親睦活
・ 1時 の私は、意味
悲 しい ことですが、
睦論に欠けているのではないか」 と私
動は、他のクラブや国も含んだ会員同
も、止める言葉 も知 りませんで した。
は 2年 前、 国際 ロー タ リー 会 長 エ レ
士間の交流の場 と機会を提供す るもの
今 の私な らば、こ う言うと思 います。
亡 くな られるな どである。
「増強論」
いつ も地区セ ミナー で間 く
ク トの田中作次氏に中 し [1げ たことが
だと思います。活動の中では、倫理 と
「ロー タリー クラブは、 自分 の心 に寛
ある。そ の とき田中氏 は 「 どうして増
人格 の 向上 と、社会へ の奉仕 の精神を
容を育 てる場 ではないのですかJ。 寛
強に成功 しているのか、あ とで項 目別
目指す ことが必要だ と思います。 もち
容を もってすれば、 どんな意見や考 え
に手紙で送 ってほ しい」と言われたが、
ろん、友情 もた くさん生まれて くる こ
の違いも乗 り越 えられると思います。
(2580地 区
とで しょう。
東京都)
語 られな い、
ロー タ リー の 親睦
葉山 慶松
憲三
ロー タリーは「知 己 lAcquaintance)
と友情を十分強調 し、会 員同 上が互恵
関係 を持 った クラブ」 か ら発展 して、
成育 しなが ら現在に至っています。 ま
た、 ガイ 。ガ ンデ ィカー 1923-24
年度 国際 ロー タリー会長の文献には、
良き親睦を形成するもの として「議長、
最近、
私は 「ロー タリー の純粋親睦」
「親睦 が大切 な ことか ら始め る炉辺例
会ではないですか」 と申し 11げ た。
や 「ロー タリーの親睦を育てる」 とい
ロー タ リー におけ る親 睦の大切 さ
う言葉が好きになってい ます。老練な
は、昔 も今 も永遠のテーマだ。 ロー タ
る先輩の方々はもっと若 い方々を飲み
リーの古今束西を問わず、四つのテス
屋に誘 って「ロー タリーの親睦」を若
トを忘れずに、Lか らの H線 よ り下か
い会員 としつ こ く語 って ください。そ
らの意見を よ く聞 くこと。「もらうよ
若 い会員の芽
ろこびよ り、あげる楽 しみのロー タリ
んな場所か ら親睦の
11に
が出て くるのではな いで しょうか。
(第
!1県 )
2780地 区 神奈′
ー を楽 しも うではな いで しょ うか」。
なかんず くコ ミュニ ケーシ ョンの うま
くいっているクラブは 「親睦 も活発 J
人間愛の根本
だ と思 う。ポール・ハ リスが 百余年前
に考 えた 言葉を思 い出せば、 この親睦
東京昭島中央 前澤外 喜男
論は必ず解ける と信 じている。
同僚 たる会員および招待者に対する礼
私は募集テーマが「親睦 とは ?Jだ
儀正 しい行動 J「 老練な企業経営者 に
と知 った とき、やっぱ りきたか と思 っ
して初めてできる、紳 士的振 る舞い と
た。果た して本当の親睦 とはわれわれ
思慮深さ」が挙げ られています。その
ロー タリアンだけではな く、全ての社
他 にロー タリー では、握手や 名前で呼
会 に必 要不可欠な問題であ り、社会の
び合 うことや 、歌を歌 い、自身 の本質
組織 に属する人 1闘 愛 の根本だ と思 う。
でお付 き合いを して、会員同上の親切
会 員増強 を 4年 にわ た って クラブ
を重要視することが親睦の t壊 を作 っ
委 員長 として経験 して、30人 の クラ
│こ
てい くとあ ります。
ブを 50人 にす るため取 り組んで いる
と教 えられた。国際奉仕や社会奉仕な
結果が「大会後 の親睦が いかに大切か」
ど、例会の席上で奉仕 とい う言葉を頻
につながるのである。
繁 に耳 にす るため、ロー タリー活動 の
「ロー タリーの親睦 」を哲学や理論
で武装す る ことには賛成 しませんが、
紳 十 的振 る舞いや思慮深 さにつ いて、
(第
2750地 区 東京都)
意思疎通 と相互理解が
出発点
高崎東 豊泉
清
ロー タリー に入会 した際に、真っ先
「ロー タ リー とは奉仕団体 である」
不思議な ことに私 の所属するクラブ
最重点 目標は奉仕な りと理解 してきた
最近 クラブの 中で聞かな くな りま し
では、 クラブ創立 20周 年を迎 えた年
が、 同時 にロー タリー は親睦団体であ
た。会員同士が、分け隔てな く語 り合
か ら、入会者が退会者を常に 上まわ り、
るという発言 も、奉仕団体 と同 じくら
い、平等なテーブルで、紳
毎年平均 7%純 増 で現在 45人 。退会
い頻繁に耳 に してきた。お!睦 が最重点
者 の理 由は、
人間関係 と不況 のあお り、
日標であるとい うス ピーチを した会長
lr的 振 る舞
い と思慮 深 さを もって話が で きるな
平成
24年 6月 号
ロータ リーの友
13
同論・
も今 までに何人かいた。
親睦 とは、個人対個人の意思疎通 と
子が この疑間に答えを くれ ました。そ
れは、故・佐藤千壽パ ス トガバ ナー (第
ことはあ りませんか。
親 睦の手段 としては、飲 み会 や 同
相互理解が出発点 であ る。学生時 代、
2580地 区 )が 『 ロー タ リー の 原点』
好会な ど、いろいろあ りますが、私た
Birds of a feather■ ock together(羽
と題 しての講演をまとめ られた本で し
ちは もっ と単純 に、人を 好 きにな る、
の色が同 じ鳥は群れて飛ぶ)と い う格
た。
とい う努力が少 し不足 しているのでは
言を教わ った ことが ある。「類 は友 を
親睦 について、「創立 当初の ロー タ
呼ぶ」 に相 当する。 ロー タリアンはロ
リー が、会員同上の親睦 と職業上の互
例会で全ての会員に声をかけて い る
ー タリー精神に共感 して大会 した仲間
恵取引を目的に していた ことは既に皆
か、年長 の 会員 と若い会員 との融和が
だか ら、心の底では基本的な人生観や
様 ご存知だ と思います。然 し創立一年
図 られてい るか。こ うい う視点か ら例
価値観が共通であ り、相 互理解が容易
後 には、 自分達仲間内だけの商売を う
会での親睦活動を見直す ことが大切で
な間柄である。あたか も同 じ色の鳥 の
ま くやろう、 とい うに過 ぎぬのでは社
あ り、例会が楽 しくなるの と、そ うで
群れ のよ うである。ゆえに意図的に親
会的存在意義が無 い と覚 り、地域社会
な くなる ことが、その後の ロー タリー
睦 と強調 しな くても和が保たれるはず
に対する責任 とい う条項を採 り入れま
ヘ の参加を決定 づ ける、重要な要素の
である。
した」 と書かれてお り、 この先 「セン
一つ になるのではないか と考 えます。
ロー タリーは世界各国にクラブがあ
トルイス宣 言」を経て、現在 のロー タ
例会場 で、ロー タリーを楽 しんでいな
る。私 は 今 まで に 7か 国 の クラブの
リー クラブの基礎ができた ことが述 べ
い と感 じられ る方を見かけた ら、声を
例会に出席 したが、ロー タリアンとい
られています。
かけてあげようではあ りませんか。 し
ないで しょうか。
私は この『 ロー タリーの原点』 によ
か し、若 い会 ilが 最初か らベ テランの
盛 り上がる。独断的な認識 と批判され
って、長 い こと疑間 に感 じ、得 られな
会 員に接 す るのは難 しい時 もあ りま
るに違いないが、私はロー タリー を国
かつた答 えがすんな りと心の中に入 っ
す。近 くに若い会員、
新会員が いた ら、
際親睦団体 と位置付け、異文化を大い
てきて、 とても満ち足 りた気分になる
ベ テラン会員か ら声をかけてあげてい
に吸収 して国際的視野を一段 と広げる
ことができ ました。現在 ロー タリー が
ただきたい と思 い ます。私たちはお互
自己研 さんの場 と見な して、国際親睦
抱 えている問題 の答 えも、 この本 の 中
いにもっと近づかなければな りません。
の実績を重ねる努力を今後 も続けたい
にあるよ うな気が します。
うだけで初対面の外国人 とでも会話が
と願 ってい る。Make upと い う制度
(第
2580地 区 東京都)
は親睦 と表裏 一体 の関係 にあると解釈
している。
(第
2840地 区 群16県 )
ロー タリー で行 う奉仕活動の中で、
電要な位置を占めるのは、職業奉仕で
す。 ロー タリー で言 う職業本仕は、 自
人 を好 きになる
分 の職業を通 して行 う、例 えば経営者
な ら会社において、専門職業人な ら自
宇治
親睦から奉仕 ヘ
東京葛飾東 鍋島
内良
益雄
私たちは今 まで親睦につい て深 く考
享
えたことがあるで しょうか。
ロー タリー クラブに人会 して足掛け
口先だけになっていないか。色眼鏡
24年 。 この 間 に 多 くの ことを学んで
で他人を見て、真 の友人を見失 ってい
きたつ もりですが、 ロー タリーの本質
ないか、考 える時間が必要です。 ロー
を理解で きた とは思 えませんで した。
タリー クラブの会員になるとい うこと
とりわけロー タリー は親睦を日的にで
は、クラブの全ての会員 と仲間すなわ
きたクラブであるか ら、親睦が一番大
ちフェローに なる、 とい う ことです。
事であるとの説明 には納得 のいかない
あの人 とは どうも合わな い、苦手 だ、
ものがあ りました。 しか し、一 冊の冊
大先輩は敬遠 しがちになる、 と思 った
14
THE ROTARY―
NO―
TOMO
分 の職場にお いて行 う奉仕活動です。
社業第 一。労力をかけずに親睦を深
め、奉仕 とは何か、皆 さん とともに歩
んでまい りたい と思います。
(第
2650地 lえ
京都府)
学び合 う親睦、
磨き合 う親睦
―宮中央 松前
憲典
ロータリーの心を考えるとき、ポー
2012 VOL.60 NO.6
同論 曝 論
ル・ ハ リスが友情を求めてロー タリー
的 に結 び合 った団体 であ ります。
を創立 したことを考 えます。 ロー タリ
(第
2760地 区 愛知県)
ったとしたら、少な くとも戦争は起 き
ないで しょう。ただ し、親睦は自分か
ー は知人の集 ま りでな く、友人の集 ま
ら求めていかなければ絶対に得 られな
りであ り、温か い友情が基本にあった
い もので もあ ります。
とあ ります。 これが親睦 となってい く
親睦無 くして奉仕無 し
(第
東京調布むらさき
のです。
廣畑富雄 パ ス トガバ ナー は、「ロー
タリーの心Jを
ESSで 表 しています。
E=E可 oy(楽 しむ
黒滝
あま りにも基本的なテーマ なので逆
に答 えに困って しまいます。樹木にと
職 業を代表
っての肥沃な大地、生物 に とっての大
す る会員同十が、信頼感を高めなが ら
気、地球にとっての母なる海。わがク
楽 しむ。
ラブが掲げる次年度の H標 は 「喜ばれ
S=Study(学 ぶ
)。
)。
ロー タ リー か
2750地 区 東京都)
直昭
「それで こそ ロータ リー」
を実践
松江南
人会
山口
章
3年 Hに な り、本年度初 め て
ることを しよう」ですが、副 日標は「親
親睦委員長を務めています。投稿にあ
睦無 くして奉仕無 し」 です。
つ ま り、原点 といいますか、基本 と
た り、「親睦」 の意味をあ らためて考
`
えてみま した。 %初 は容易な問いのよ
ロー タリーにおける親睦 とは、ロー タ
いいますか、親睦は一番重要なものだ
うな気が していたのですが、意外に難
リア ンが 例 会 にお け る出会 いを 尊 重
と思います。
儀を し、袋小路 に入って しまったよう
ら人生哲学、職業倫理を学び、 自己を
人間性を高める。すなわち、
研 さん し、
し、己の至 らぎるところを他のロー タ
ロー タリアンは、年齢、役職、地位、
でなかなか筆が進みません。煮詰まっ
リアンに学ぶ こと。学び合 う親睦、お
収入、性別、人種、全てが異なってい
た中、 ロー タリー のサイ トを眺めてみ
互いを磨き合 う親睦なのです。 これを
て も皆平等です。 この考 え方 の基 とな
る と、親睦 とは fellowshipsの 訳 であ
精神的親睦 といいます。 これが 「ロー
っているものは、お 互いを思いや る気
ることがわか りました。つ ま り「共同
タリー は人を育てる」 と言われるゆえ
持ちだと思 い ます。
体 Jと い うことが本意 のようなのです。
ん で す。Fe1lowship for seⅣ iceす な
わち奉仕のための親睦、 自己研 さんの
ための親睦であ ります。
では、 どうした らお 互いを思 いや
ることができるので しょうか ?
ロー タリー も一つの共同体ですが、そ
の 中外で、さらに職業、趣味、奉仕な
それはお互いが知 り合い、会話を進
どさまざまな視点で多層の共同体を構
S=Service(奉 仕す る)。 「思 いや
め、 クラブでの 与えられた仕事をでき
築 してい くことが求め られているので
りの心で、人のお役に立つ行動を」 と
る範囲で頑張 ってやる。 つ らい ことや
す。そのための L台 を作 り上げる手段
い うロー タ リーの 奉仕を ご く自然に、
嫌な ことを一緒 にやる。 ゴルフや野球
が 「親睦」 とい う和訳に込め られてい
自分 の生活 の 中に生か し、世のため人
の 同好会で思 いっ切 り体を使 う。楽 し
るのではないで しょうか。多 くの活動
のために尽 くす。 これがロー タリーの
いことだけや っても、頭だけでや って
は普段の交流か ら生まれ ます。 ロー タ
真 の姿 であると言われてお ります。
も駄 目だ と思います。得意不得意があ
リーにおける親睦 とは、心の壁を取 り
ロー タリーの 中心概念は、親睦 と奉
るか ら皆同 じとい うわけにはいきませ
払 うための基本行為であると考 えてよ
仕です。 クラブの内は親睦の世界、 ク
んが、そ こには 普段体験できない、年
いので しょう。
ラブの外は奉仕の実践の世界、 これが
齢、仕事を超 えた何かが得 られるので
初期 ロー タリー の考 え方で した。ロー
す。与 えられたことを一 生懸命やれば、
方か ら、人会 1年 日の会員、地元の方、
タリー とは、奉仕 と親睦を大切に、人
必ず共感を持 つ者が生まれ、信頼、信
転勤を して こられた方、留学生、男性、
道的奉仕を行 い、あ らゆる職業におい
用、そ して友人が増 えると思います。
わが クラブ も会員歴
50年 を超 える
女性、 と多様です。その人たちが共同
て、高度の道徳的水準を守 ることを奨
考 えてみて ください。例 えば隣国 との
体 の一 員 として親 しく交われるために
励 し、かつ、世界 における親睦 と平和
関係が うま くいっていない国があ った
何ができるのかが 、親睦委員会には求
を寄 与する職務に携わる指導者が 世界
として、両国の半数以 上が友人同十だ
め られているので しょう。
平成 24年
6月 号
ロータ リーの友
15
同論 理 論
今年度 日々心掛けて いることは、ま
カ タカナ表記 に した 方 がわか りやす
があるが、そ の原点 は配偶者 であ る。
い。
作る こと。そ して会員家族 の和 らげる
フェロー シップは、 ロー タリアンの
時間 と場を作 ることです。月に数回の
友情を育み、情熱を分かち合 って、 セ
例会では、率先 してあいさつをするこ
ミナ ー 、研究会、委員会 に参加 して、
とが多層な共同体を作 る第 一歩 となる
人類 のために役立つ 活動をする ことで
IIWは アメリカで低調だが、欧州 と
アジア諸 国で は順調である。札幌 IW
Cイ ンナーホイール クラブ)は 日本
で初 めて創設 され、 12年 前 に IIW
に正 式加盟 した。わが 国 に IWCが 根
ずは会員相互の親 しくす る時間 と場を
ことを信 じています。親睦 とは、 ロー
あ る と理解 してい る。世界 には 122
差す ことは、会員維持 の意味でも有意
タリーソング「それで こそロー タリー」
万人強のフェロー がお り、自ら楽 しみ、
義 で あ る。 第
を実 践する ことなのです。
楽 しみを他人 と分かち合い、そ してま
バ ナ ーの 配偶者 も札幌
(第
2690地 区 島根県)
親睦をフ ェローシップ
に変えよう
東京八王子南 坂 本
俊雄
英語は一つの 単語 にい くつかの意味
がある。 まずフェロー だが 、親 しみを
込めた仲間 とい うのがふ さわ しい。研
2510地 区 の パ ス トガ
を、友 情を共有する仲間で実践する こ
IWC会 員で、
2010年 の規定審議会で RIも IIW
を承認 した。 IIW大 会 は 3年 に 1
とをフェローシ ップであると考 えてい
度 開催 され、本 年 4月 イ ス タンブー
ず身近な ことか ら人のためになること
る。
(第
2750地 区 東京都)
ロータ リーでい う親睦
の 原点 は配 偶者
札幌東
究者仲間は、意見が違 っても相手を認
青木
功喜
国際 ロー タリー
(RI)の 『手続要
IIW大 会が行 われ た。
ロー タリアンの IIWへ の fellowship
ルで 第 15回
を期待 しています。
(第
2510地 区 北海道)
肝胆相照 らす
友情を育む
め尊 敬 して フ ェロー と呼 び 合 ってい
覧』では、親睦 (Fellowship)の 中で、
る。 したがって、フェロー シップとは
活動 には 配偶者 を考慮 に 入れ る と明
ロー タリーの奉仕理念 のもとに入会 し
記 している。Fellowは 男性を意味 し、
た者を、信頼できると仲間 として認め
RIが 男性会員だけであったときの遺
両輪であると言われて久 しい。 ロー タ
た とい うことだろう。親睦 とい うと親
産 であ る。 わ が 国 で は ■rst nameで
リーでの親睦 とは、 単なる懇親会で終
睦 ゴル フ、親睦旅行や酒を飲む といっ
呼び合 う習慣はな く、新 しい『手続要
わ って しま うの は物 足 りない と考 え
た、 ロー タリー を語っていても何 とな
│1 川 久 保
神奈り
格
奉仕 と親睦はロー タリー活動 の車 の
覧』では削除 された。配偶者 へ の対応
る。親睦は、四つのテス トの うちの一
く遊びが優先 しているように思われが
は、歴 史 の長 い欧州やわが国 と、歴史
つ 、「好意 と友情を深めるか」 の実践
ちだが、親 しくなるために必 要な こと
が
200年 に満 たないアメ リカでは 異
なる。 RIは 約 20年 前 に女性会員を
異 な る者 同士 が胸襟 を開 いて 語 り合
ロー タリーは、戦略計画 に基づいて
認めたが、男性 と対等に社会進 出を し
い、お互 いに理解を深め、肝lB相 照 ら
世界中で活動 している人道的な奉仕組
ているアメリカ と、欧州や 日本 と比 べ
す友情を育む人間関係 まで醸成させる
織である。そ のためには、奉仕理念を
るとその歴史 的背景は異なる。 日本の
ことである。
通 じてのロー タリーの基本を学び実践
女性会員は約 4%に すぎない。 日米 の
例会や ロー タリーの奉仕活動だけか
する使命がある。英語 で表 記された ロ
会員数は激減 し、欧州では安定 してい
らお互いに完全 に知 り合 うのは難 しい
ー タリー用語を無理 に日本語 に訳 した
る。
か もしれない。ゆえに、懇 親会や趣味
であろう。
ため、誤解 されたロー タリー 用語が多
その ものであると思 う。社会的環境の
欧州 には、配偶者の奉仕団体国際イ
の会を通 して親 しみを深める ことも必
く見受け られ る。ゆえに、 この 際、フ
ンナーホイール
(IIW)の 約 80年
要であろう。 しか しなが ら地区大会で
ェロ ー シ ップを 親睦 と訳 す のではな
の伝統がある。わが クラブは、男性 会
の懇親会で国際 ロー タリー会長代理の
く、Fellowshipは フ ェロー シ ップ と
員 100人 以上を持続 し、50年 の伝統
あい さつ が聞 こえないほ どの声高な話
16
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
同論 理 論
し合いは慎むべ きか と考 える。
(第
2590地 区 神奈川県)
収集 とい う一 見狭 い と思われがちな人
りLIが 、 ロー タリー を通 じると、実 は
限 りな く広 い世界 へ の扉で した。
親睦と友情は
世界 に広がる
世界 の どこか にいる 誰かを思 うと
き、私は 「ロー タリーの親睦」を感 じ
(第
ます。
船橋南
浜名
2790地 区 千葉り
it)
賢一
昨年 3月 1l H、 東 日本大震災の直
後、様子を尋ねるメール が海外か ら何
通 も届 きま した。 それ は 国際 ロー タ
リーの親睦グループの一つ「ROTARY
互いの成長を
加速 し合 うこと
横浜港Jヒ
桑原
薫
8月 号から縦組みに
ON STAMPS」 とい う「ロー タリーの
ロータリーにおいて親睦 とは、仲間
切手収集 グルー プ」 の友人たちか らで
i
同士が情報 の交換 と共有によって、 ′
した。翌 日には震源地 と日本のグルー
いの成長を加速 し合 うことです。そ し
各テーマ について、皆 さまの ご意見
を うかが う「同論・ 異論」 のコーナー
プメンバー全 itの 居住地が示 された H
て成長 した 自分を、人 のために役立て
は、縦組 みに移行 し、連載 として リニ
本地図が、会報担 当 (フ ランス桁i住 )
ることが ロー タリー の本仕です。 この
ューアル します。
か らは界中のメンバー に送信 され、そ
親睦 と本仕の ロー テー シ ョンが ロー タ
れぞれの支援活動が始 まりま した。
リー ライフです。
アクシ ョンの迅速 さに感動すると同
毎月 の 募集 テー マ は、順次 お知 らせ し
ロー タリーでは、幕1睦 も奉仕 も手段
時 に、明手好きだけのつなが りと思 っ
であ り、目的 は「人を育てる ことJで す。
ていた自分のrll解 の浅さを痛感 した出
全人類を立派な人に育てることによっ
来事 で した。
て、 界平和を実現しようというのが
1瞳
ます。現在、募集 しているテーマ は、
① ク ラ ブの 合 併 は必 要 か ?
②法人会員の是非
日本支部の月例会では、切手の話ば
ロー タリー運動です。 この運動を 「夢
か りではな く、 ロー タリーのさまざま
のまた夢だ」 と言 って笑 うことは誰 に
原稿 は、600字 以 内でお :書 き くだ
な話題が語 られ ます。 大会 当初、難 し
でもできますが、 この夢を少 しでも現
さい。所属 クラブ/氏 名/連 絡先をお
い話 についていけませんで したが、切
実 に近づけるために、できる ことか ら
書き添 えの
手や郵便資料か ら得 られるロー タリー
や っている人々の ことをロー タリアン
連絡先は H中 ご連絡 の取 りやすい電話
の歴 史にまつわる話は とてもイ∫
意義で
といいます。
(2590地 区
:1県 )
神奈り
楽 し く、趣 味 の 場 とい うよ り学 習 の場
き、や が て本 部 の 会報 を通 じて海外 の
ロー タ リア ン とも知 り合 いにな りま し
1珂
際 大会 に 参加 す るな ど考 えた こ と
もなか ったの です が、 あ るき っか けで
炉辺例会
か つ て 「 炉 辺 談 話 J(Fireside
Meetings)、 通称「炉辺会合」、
「炉辺会談J
『 手続 要覧』 に見 られな くなっています。
│‖ 際 ロー タ リー (RI)ニ ュー スな ど
に1よ 、「Informal(Discussion)Meeting
参加 して以来 、 不慣 れ な英 語 の メール
=IM、 IDM」
とも格 闘 しなが ら、何 人 もの知 り合 い
ラブによってきまざまな名称で行われて
います。
が で き、友人 へ と発展 しま した。 切手
平成 24年
6月 号
番 号もお 〕
眸き添 え ください。
ご提案 をお寄 せ くだ さい。
Annotation
と〕
われた集 いは現在、 〕
許
ヤ
葉その ものが
た。
お送 りください。なお、
また、 今後 の 募集 テ ー マ につ いて も
で した。 そ う した論 議や ともに活動 す
る 中 か ら友 達 付 き 合 い も深 ま っ て い
11、
とい う表現 もあ り、 ク
一 般 社 団法 人
ロー タ リー の 友 事務所
〒 105-0011
26-15
黒 龍芝 公 園 ビル 4階
Fax 03-3436-5956
東 京都港 区芝公 園
編集部メール
hensyu@rotary―
no―
tomojp
ロータ リーの友
17
向
『ロー タリー の友』 を語 る
おかげさまで、地区内の会員に友地 区
出席 者
代表委員の位置付けを理解 してもらえ
第 2570地 区 ロー タリーの友地区代表委員
栗 山
第 2760地 区 ロー タリーの友地 区│に 表委員
河 ホ寸
第 2730地 区 ロー タリーの友地区代表委員
水居
昇
朝霞 RC
るようにな りま した。
嘉男
小牧 RC
片岡
宮崎 RC
い うことですね。
徹
司 会/ロ ー タリーの友編集委員会副委員長
第
2820地 区 パ ス トガバ ナー
片岡
信彦
L浦 南RC
(敬 称 略 )
まあや りがいある 立場だった と
栗山
や りがいのある立場ですね。
河村
第
2760地 区 は、 組 織 Lで は
ポツッと置かれています。地区幹 事が
順番 に 友地 区代 表委 員 にな って い ま
す。私は、来年度 も委 liを 務めさせて
いただ くことになっています。今年度
『友』は保存すると後で役に立ちます
2年 日ですか ら、3年 や ることにな り
ます。私の場合は、地区の広報委員会
年度を終 えるに 当た り、今年度
ではないか 、 と思いま した。私 の地区
にずっと所属 していま したか ら、広報
ロー タリーの 友地区代表委 員か ら、3
では、加 藤玄静さんがガバ ナー をされ
委員 として地 区の会議で話をす ること
人 の方 に集 まっていただきました。 ま
た翌年、 ロー タリーの友編集委員会 の
ができます。 しか し、友地 区代表委員
ず、地区において、皆さまが どのよう
顧 間 にな り、友地 区代 表委 員 は、 ガ
とい うものが どうい うものなのか、地
な 立場 にあるかをお話 しください。
バ ナーの代理者 とい うことで PETS
区内の会員に しっか り知 っていただい
第 1ゾ ー ンの 友地 区代 表委 員
(会 長 エ レク ト研修 セ ミナ ー)を は じ
て、その地位をllt立 してか ら、次の人
の会議では、地区内では蚊帳の外 とい
め、地区協議会な どの地区会合で、 ガ
バ ナー補佐 よりも先に紹介 してもらえ
に引き継 ご うと考えて い ます。
うような意見が多かったですね。その
水居
原因を考えてみたのですが、ガバナー
るようにな りました。 この ことは今後
めてで した。広報雑誌
にあま り理解 されていない ことが原因
も継承 して もらいたい と思 い ますが、
属 して 今 5年 Hで 、去 年は副委員長、
片岡
栗山
18
THE ROTARY― NO― TOMO
私 自身 は 、友地区代表委員は初
IT委 員会に所
2012 VOL.60 NO.6
今年委 it長 です。私 の地区は、広報雑
内するように しています。雑誌の購読
ですか。 まずは読んでいただかなけれ
IT委 員長になると、自動的に友地
は義務 (標 準 ロー タリー・ クラブ定款
ば始 まらない と思いますが。
誌
第 14条 第 1節
区代表委員にな ります。
河村
私 の場合 は今年 2月 か ら、 rガ
購読義務 )で すが、
河村
読んでもらうとい うことは、最
「購」で終わって 「読」があ りません。
初はある程度、
強制 しない とだめです。
水居
買っているだけですね。
読 まれるためには中身を どうす るか と
河村
しかも、購読料が会費 に含 まれ
い う話がよ くHIま すが、読 まない人は
ているので、 自分でお金を出 して買 っ
見ていないのですか ら、そんな ことわ
バ ナ ー 月信』に、「広 報委員会 よ もや
ま話 Jと い うペー ジを 1ペ ー ジ作 っ
てもらうことにな りま した。 4月 の雑
誌月間 には、 この欄 に『ロー タリーの
ている気が しないのです。無料で配布
か らないですよ。
友』 についての記事を掲載 しました。
されていると思 っている人が 多 いので
片岡
どうしようもないです よね。
外か ら見ていた友地 区代表委員
す。
河村
だか ら、 まずは読んでほ しい。
とい うのは、雑誌月間にだけお 日にか
片岡
水居 さんはいかがですか。
読んでみて、中身を精査 してか ら、読
かる くらいで した。友地 区代表委員を
水居
やは り、同 じですね。私は以前、
むか読 まないか、 とい うぐらい まで、
理解 していただ くには どうした らいい
東京西 ロー タリー クラブ
か と考え、ガバ ナー補佐 の協力で会長
籍 していた ことが あ ります。その時、
けない と思 っています。
幹事会において、会長さん に「雑誌月
雑誌委員会 に所属 していました。 この
片岡
間な どで卓話をさせて ください」 と積
クラブでは、雑誌 委員会 が『友 』の 内
栗山 私 の所属する クラブで、確か雑
極的にお願 いを しました。
容 について毎月発表 していました。 ク
`
ラブ例会の会長卓話で、 ロー タリーの
誌月間だ った と思 うのですが、3∼ 4
人次 の例会で当て、今月号 の『友』を
T委 員長 も兼ねていますが、 どのよう
ことを話さな い会長が増えているとい
読んで、一番興味を引 いた記 事をgnJ介
なことをされていますか。
う話が、地区協議会であ りました。私
して ください とい うプ ロ グラムを企画
は「『ロー タリーの 友』 の p・L事 を使 っ
しま した。次の例会の出席率が悪 くな
ポー トを地区のホー ムペー ジにア ップ
て くださいJと お願いを してお ります。
ると困 りますが、 こうい うことはある
しています。私 の場合はまだまだ勉強
栗山
の段階 ですか ら、『友
わったかな と。
栗山
片岡
水居
水居さんは、地区の広報雑誌
I
毎月書かせていただいてい るリ
,‖
の 会議 で得 た
情報 は、 とても勉強にな りました。
(RC)に 在
私 の場合 は、90度 ぐらいは変
片岡
片か ら読んでいましたか。
以前か ら横組みは読んでいまし
われわれがある程度強要 しなければい
そ うですね。
程度必要ですね。
河村
そ うですね。
片岡
皆さん 同 じ気持 ちですね。 どう
河村
そ うですね。
栗山
片岡
次 の話題 に移 りますが、友地区
た。縦組みの方は、何か 自分 の興味が
ですね。
代表委員 になって、『 ロー タリーの友』
あるような記事が出ていると読む、 と
栗山 例 えば雑誌委員長が、 この記事
に対 しての接 し方、読み方に変化があ
い う程度 で したが、就任 してか らは
はクラブ奉仕に、 この記事は社会奉仕
ったか どうか、についてお話をいただ
隅 々 まで読み、その結果、『友』が ロ
に、 この記事は国際奉仕 に関係 してい
ι
ナますか。
ー タリーの情報 の源であるとい うこと
る、 とい う情報を各委員会の委員長に
は、間違 っていなかった とあ らためて
伝 える と、『友』 の活用が広が ってい
思 いま した。
くのではないか と思います。
河村
ものす ご く変わ りました。私は
興味を持 って読んで いる方で したが、
『友』 によ く掲載 されていた友人が 亡
第 1ゾ ー ンには 東 日本大震 災で被
したら読めるのだろうか、 とい う問題
片岡
そ うで す よね。 私 の 場 合 は、
くな り、少 し『友』か ら離れていまし
災 した地 区 の 委員 もい らっ しゃって、
15年 分 の『友』 を書棚 に保存 してあ
た。 しか し、2年 前 に友地区代表委 il
被災状況について、地域・ クラブ状況
ります。それで、例 えば、国際奉仕委
な った時 に、月 に 1卜 1リ ポ ー トを書
の生の声を聞 くことができました。 こ
員 にな った場合 には 2月 号を全 部ひ
かなければいけない ということで、 し
れ も友地区代表委員になったおかげで
っぱ り出 して読みます。読む と、L可 際
っか り読むようにな りました。読みだ
す。
奉仕委員長 として何をやればいいかが
した ら、 とてもいい雑誌だ とい うこと
を再認識 しました。
先 ほ ど、会長幹事会 で私 を 卓話 に
わか ります。
呼んで ください とお願い したとい う話
河村
片 岡 さん のお っ しゃる通 りで
を しま したが、今思 えば、二 神編集長
す。私 も 10年 分 くらいはそろえてあ
感想 を述 べ よ とい う こと
に依頼 し、『友』 に 関す るセ ミナー を
ります。
でや らせています。そ こで、雑誌委員
や った方がよ り効果的であったかな と
栗山
長や会 長に、『友』 を読めば さまざま
思 っています。
には、全て載 っていますか らね。
な事柄に活用できるということを、案
片岡 『友』 の 活用 についてはいかが
片岡
自分 の クラブの 雑 誌委 員 長 に も、
毎月 1口
│、
平成24年 6月 号
そ うですね。月間に因んだ場合
クラブの卓 話 で、各委員長が何
ロータリーの友
19
かするときに『友』か ら引っ張 り出 し
れで、合同での開催 とな りました。
たなんて、あんま り聞きませんが、ぜ
栗山
ひ、利用 してほ しいと思います。
ども中 し上げましたが、東 日本大震災
栗山
そ うですね。『友』活用 の仕方
第 1ゾ ー ンに 関 しては、先 ほ
の関係 で、 被災地 の生の情報を聞かせ
として、
新発見をさせてもらいました。
ていただ く ことがで きま した。 また、
会員増強 と同時に、会員維持が
共通 して言 えるのは、最初 に話題 に出
あ ります よね。今、私の所属 している
ましたが、友地区代表委員について地
宮崎中部分区は、若 い人は入 ってきま
区内で知 られていない とい うことが、
すが、 1年 未満で辞めるとい うケース
話題 に上 っています。
も結構あ ります。その中で、炉辺会合
片岡
みたいな ものを、変形的にや っている
付 き合 いいただき、『友』 に こんな コ
水居
クラブがあ ります。その中で、 ロー タ
徹 (宮 崎 RC)
リーについて教 えています。 ロー タリ
3ゾ ー ンはベ テランが 多 い。
次 に皆 さん 1年 間、『友』 にお
ー ナー があれば、ロー タリアンが もっ
と読むのではないか、 と思 うことが あ
ーについて、新会員に教 えることは必
水居
要な ことですが、実際には、 自分たち
2年 以上、友地区代表委員を務め られ
ですが。
はすでにロー タリー をわか っているの
ている方 もい らっしゃいます。かな り
栗山
で、教 える ことが できないのですね。
頻繁 にあいさつ とか会話をされていま
は、投 稿を してもなかなか 載 らない と
聞かれれば答 えられるのですが、何を
すので、 この雰囲気は いいなあ、 と感
いうことです。全国的に どの程度の応
教 えたらいいのかが、わか らないとい
じま した。 皆 さん、『友』 を どう活用
募があ り、 どの程度載るのかを掲載 し
うことです。
す るか とい う話 を され てい ます。第
ていただけないで しょうか。「出 して
2660地 区
も、載せて くれな いだろ う」 と、最初
私 が 以前所属 していた東京 西 RC
では、「 10 for 2」
とい う ことをや っ
第
(大 阪 )の 上敏 郎 さん は、
りましたら、お聞かせいただきたいの
い ろいろな ところで耳 にするの
読むだけではだめで活用を推進 してい
か ら諦め ているクラブもあると思 うの
ていま した。 これは 2人 の新会 員が、
る、 と話 されていました。
ですが。
10人 の ベ テラン会員 とお酒を飲みな
河村
第
2ゾ ー ンの 友地 区代表 委 員
片岡
そ うですね。 しか し、投稿規程
が らロー タリー について語 り合 うとい
は、『月信』担 当が半分 くらい。皆 さ
に沿 って送 られた原稿はほ とん ど載せ
うものです。新会員が先輩へ の連絡や
ん、『友』 を熟読 されています し、活
ているようです。送 ると次の号に載る
会合 のセ ッティングな ど、すべ てを行
用 もされているとい うことを感 じまし
と思 っている方が多 く、それで載 らな
い ます。 こ うい った時 に、「 は じめ る
たね。
かった と勘違い している方 も多いよう
一歩Jな どの記 事を活用するといいで
水居
すね。
大変 さもわか りますよね。
栗山
ところで、「は じめ る一 歩」 は
河村
自分 で『月信』 を編集す る と、
そ うだと思 い ます。 うちの地区
です。 コー ナーや 月 によって違 います
が、掲 載 までに 2∼
6か 月かか る と
思 って ください。 占くな った記事は掲
いつ ごろか ら、載 っているのですか。
では、友地 区代表委員は単独です。私
載 していませんか ら、活動の記事 は
昨年 の 8月 号か らです。
が今回初めて、広報委員会に所属 した
か月以内にお送 りいただ く必要があ り
とい うことにな ります。
ます。 1か 月 の投稿数は月によって変
片岡
栗山 新会員だけでな くベ テラン会員
に とっても大切な情報である ことを認
今 まで一 番隅 に 置かれて いたの を、
1
わってきます し、欄 によって区切 り方
識 してい ただ くため に も長 く継続 し
何 とか表 に出そ うとい うことで、努力
が違いますので、集計 しに くい とい う
て、一つの小冊 Fに して もらいたいで
しています。次年度か らは、 もう少 し
ことが あ ります。
すね。
レベルア ップさせていけるで しょう。
水居
地区内のクラブか らいろいろな
情報が届 きます。 友編集部が掲載 した
投稿規程を守れば、ほとん ど掲載され ます
い記事 とクラブが掲 載 してもらいたい
記事 の ミスマ ッチを防 ぐために、フェ
片岡
この 辺 りで核 心 に 入 ります が 、
ゾー ン別会議 を経験 し、 そ こで 耳 に さ
しか し、 任期 が 1年 で は無理 だ と思
イスブ ックで地区のペー ジを作 る予定
います。
です。 そ こに 掲載 され た記事 の 中か
れ た『友』誌 へ の 声 、感 想 とか意見 が
第 2760地 区では昨年 10月 に、広
ら、友編集部に掲載できる記事を探 し
あ りま した ら、率 直 にお 聞 かせ いた だ
報雑誌委員長会議を開催 しました。雑
てもらうとい うような ことを考 えてい
けれ ば と思 い ます。
誌委員会がないクラブ もあ ります。そ
ます。
20
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
いる人が、 これを継続できるのだろう
か と心配を していま した。lH当 者が ク
ラブの活動を拾 えない、 とい うのが原
因 らしいのですが。そ こで、地区でフ
ェイスブ ックをつ くれば、記事が集 ま
るのではないか 、 という話が出ている
ようですが、 この ことについて どのよ
うに思われますか。
水居
次年度、第
2730地 区で、実験
段階ではあ りますが、地区でフェイス
プ ックを持つ予定です。実験 とい うこ
栗山
昇
(朝
霞RC)
とでやるのです。フェイスブ ックには
河村 嘉男
2つ の使 い方があ ります。個人のペー
(小 牧
RC)
ロー タリアンは地域において職
ジと団体や会社 のページです。会員制
I:が 低 いですか
イスブ ックだったら敷几
業を代表する人だ と思 っています。で
にする部分があ りますので、当初は私
ら、 クラブレベ ルでもフィー ドバ ック
すか ら、例 えば、職業人欄 といったも
か事務局が、その方が地区内のロー タ
できる話なので。
のがあるといいですねcそ れぞれの専
リアンか どうかを認証する ことに して
片岡 1卜 '│は や つてみて ください。若
います。
いロー タリアンの関心 事としてね。 ツ
栗山
rり
を生か して、ア ドバイスを して くだ
さる コー ナーが あればいいですね。
河村
何 を書いた ら読んで くれ るか、
片岡
確認 した Lで 。それで入れて い
いか どうか、 とい うことですか。
そ うした機能が付 いてい ますか
イ ッターは,i名 だけ ど、フェイスブ ッ
クは自分の名前を出 しますよね。
とい うことはものす ごく難 しい。 しか
水居
し、興味を持たせるには、何を ,1く か
ら。地区内の情報に関 しては、セキ ュ
同級生に 46年 ぶ りに会 う ことができ
とい うことではな いのです。 どのよう
リテ ィー をかけます。そのメンバー以
ました。ああ、あいつだってわかるわ
に載せ るかだ と思います。 とい うこと
外には見る ことができません。
けです。
水居
実名 と顔が出ているか ら、昔の
で、 マンガは ともか く、クイズ くらい
あってもいい と思います。そ うす ると、
横組み を読 んで、今の 回― タ リー を知 つて いただきたい
情さんが投稿 して くれた り、読んで く
れた りします。
片岡
メンバー に しか見ることができ
片岡
1句 il判 皆 さんが『友Jを 読んで
栗山
確か にね。
格調が高過 ぎますよ。
ない とい うことですか。
河村
本 当にねえ。完全に横剰lみ はね。
水居
縦組み の「私 の愛用品」は面白
ペー ジをつ くります。あま り規制をか
方がいいよ、 こうい う見方をすれば い
いよ、 とい うア ドバイスがあったらお
い と思 ったのですが 、毎月は載 ってい
けると、地区内の ロー タリー会員が liF
願 い します。
ないですよね。
かな くな りますか ら、「取 りあ えず古
栗山
いて ください。不都合があ った場合 に
しい会 ,1、 すべ て共通で =争 えることは、
聞きた い」 の 中 に掲載する 予定で した
はわれわれが削除 します」 とい う言い
やは り横糾lみ を読んで ください、 とい
聞 きたいJの 投稿数
方を しようと思 っています。今回、実
うことです。 これは絶対読まなければ
が少な くて掲載できず今月 号で終 了し
験 と :争 っているのは、ルール とモデル
いけない。何年か前 の情報 で、最新 の
ますか ら。 7月 号か らは「私 の愛川品」
を作 ろうとい う理由か らです。
情報が理解 されていない方がい らっし
を「友愛の広場」に移 して掲載する予
片岡
なるほ ど。
ゃいます。それで、五大奉仕はおか し
定です。
水居
例えば、勝 手に ロー タリーの徽
い とか、 クラブ・ リー ダー シップ・ プ
と こ ろで、 先 ほ ど水 居 さん か ら、
フ ェイスブ ヽ
ックの話が あ りま した よ
章を変 えてはいけないわけです よね。
ラン
栗山
片岡
載 ってい ませ ん。「 二
れ ヽたい
が、「言 いたい
はい。一般向け には一般向けの
くださった中で、 ここを読 んでおいた
ベ テラン会員、中
│‖
!の 会員、新
(CLP)な んか知 らない。です
そ うい つた ところを 徹底 しない とい
か ら、最新の ロー タリー情 報を知 って
では今、
『茨城新聞』に「ロ
けないの で、次年度 1年 か けて載L道
いた だ きたい と思 い ます。『友』 は、
ー タリー情報館」 とい うコー ナーを設
に乗せ ようと思 っています。ホームペ
新 しい会員が読まなければだめだ とい
け毎週、奉仕活動の記事を載せてもら
ージです と、担 当が いない とか、更新
うイメージがあ りますが、逆に、ベ テ
っています。 しか し、それを引l・ 1し て
されない とい う悩みがあ ります。フェ
ラン会員ほ ど『友』を読んで新 しい情
ね。私の地
lX‐
平成 24年 6月 号
ロータリーの友
21
報 について勉強 し、常 に「今 のロー タ
特別月間 に合わせてロー タリーに関す
リー」を知 っていただきたい とい う思
る卓話をなさる場合が多いので、ある
いが あ ります。
程度、 ロー タリー情報を取 りやす い と
思 いますが、今、30人 以下 の クラブ
い ろい ろな地 区や クラブで、 ロー
タリーをわか りやす く解説 した冊子を
も増 えて きてい ます か ら、例 会 でロ
出版 していますが、私 も参考になって
ー タリーについてきちん情報を伝 えた
います。 それ はそれでいいのですが 、
り、勉強 した りするのは難 しい と問 い
やは り『友』が中心になって、最低限
ています。地区の中で、画期的な奉仕
の情報、
記事は連載 していただきたい。
活動を発見 した り、 ロー タリアンを発
そ して、
新会員向けのペー ジであれば、
見 した りして、特別月間に話 していた
新会員にはぜひ熟読 していただきたい
だ く、 とい うの もいい と思います。
と思います。
片岡 信彦 (土 浦南 RC)
縦組み につ きま しては、 年齢や ロ
栗 山 さん は『友』 につ いて、 自分
か らお願い して、友地区代表委員 とし
ー タリー歴にかかわ らず、興味があっ
いたのは、「ロー タリーの友 セ ミナー」
て、地区内のいろいろなクラブで話を
た ら読んでいただ くとい うことでいい
ではないに しても、例 えばロー タリー
されているようですが、 クラブが 自発
と思います。ただ横組みだけはやは り
情報委員会な ど、ほかの委員会 と雑誌
的 に『友』を活用するようになればい
読んでいただ くことを切望 してお りま
の委員会が一緒になって、月 1回 、
『友』
いのか な、 とい う印象 を持 ちま した。
す。
を読む会を開 くといいか な、 と思いま
河村
縦組みは、言 ってみれば趣味の
した。
3名 の地 区代表委員 の皆 さまの意見
を まとめ ます と、『友』 は ロー タ リー
世界ですか ら、 これは好みによって読
河村
む とい うことでいい と思います。好み
水居 『友』 を読む会を、や りま しょ
記事だけは読む習慣をつ けていただき
によらず 、特 に、ベ テラン会員はロー
うと。 クラブの理 事会を通 さなければ
たい とい うことです。
タリーの基本について、忘れている人
い けませんが、 これがメー クア ップに
がいっぱいいるのですよ。だか らもう
なるよ うにすれば、多分、た くさんの
一度原点 に戻 ってほ しい、 とい うこと
会員が出席すると思います。それによ
で横組みを読むように、 と私 もクラブ
つて、出席率のア ップにもつなが りま
で勧めています。横組みは ロー タリー
す。そ うい う会の中で、それぞれの会
Annotation
その ものですか ら。若い人、新 しい人
員 に、 自分のお気に入 りのペー ジをつ
は、メー クア ップの仕方か らわか らな
くってい って もらうのが いいか な っ
いわけですか ら、「われわれ も指導 し
て、感 じています。
て、メー クア ップに連れて行 こう」 と
炉辺会合
通称「炉辺談話J、 「炉辺会談」 と
呼ぶ クラプが多 く、「家庭集会J、 「情
報 集 会 」 (す べ て 英 文 は InfOrmed
栗山
そ うですね。
Croup Meetings)な ど、邦訳 71称 に
い うことを「は じめる一歩」か ら読み
片岡
い ろいろな意見が出ました。 さ
取 る ことができます。『友』の活用 と
っき水居 さんが 話 され た「 10 for 2」
い うのはそ うい うことです。
のよ うに、新会員を 10人 くらいの先
は変遷があ りましたが、現在、言葉そ
のものは『手続要覧』に見られな くな
っています。 クラプによってさまざま
そ うですね。
情報 の宝庫ですか ら、 まずは横組みの
本 日はお忙 しい 中、 あ りが とうご
ざいました。
会 員歴 の 長 い、短 い を問わず、 と
輩会員が一緒 になってロー タリー につ
な名称で、行われています。
ク ラ ブ 。リー ダ ー シ ップ・ プ ラ ン
にか く横組みだけは必ず読んでいただ
いて教えてい く場合、本 当に 『友』が
(C:ub Leadership P:an)
きたい、 とさらにクラブの外、地区協
活用できればいいですね。
議会でもそれをお願 い しました。
ロー タ リー につ いて 話 し合 うとい
皆さまが言われるように 「は じ
う こ とは、必要 だ と思 い ますね。 ま
める一歩」は、新会員向けにいいです
た、『友』 を手元に置 く、その保存の
し、宮崎 の場合、中堅 の方 の人数が多
仕方を考 えるとか、 いろい ろなアイデ
く、懇親会や親睦が中心になる傾向が
アをロー タリアンの皆 さんに紹介でき
強 いので、 もう少 し勉強 していただき
れば、 と思います。
水居
たいな、 とい うことで『友』を読むよ
うに勧めています。
今 日、 いい ヒン トを与 えていただ
22
THE ROTARY― NO― TOMO
た また ま今 日は、会 員数 の 多 い ク
ラブの方が参加 して ください ま した。
変動する現代社会に柔軟に適応 し、
効率的、継続的な活動を進め、クラブ
の体質強化を図ることを 目的に、l可 際
ロータ リーがlll奨 するプラン。各クラ
ブが独自の特性 (ア イデンティティー)
を築 くための 11台 を提供す るの も日
的。9項 目の施行手順が提示され、ク
ラブは、自分たちに合った方法を選び、
現状 を点検 し、よ り効果的な クラブ
となるよう取 り組む ことができます。
『2010年 手 続 要覧』P5∼
参照。
6、
P280
会員数 の 多 いクラブは、 ロー タリーの
2012 VOL.60 NO.6
束 日本 大 震 災
ロー タリー 、多岐 にわたる活動
害復興支援プ ロジェク トを創設 し、イi巻 南 RCと 、 ご支
石巻 に桜 を咲かせよう
援できる ことがないか とオ
Π談 してきた結果、両クラブの
協同事業 として、全市が被災 したイi巻 市の 中央 にある羽
黒山公園 に桜を植樹する ことにな りました。私たち岐阜
!IR C会 長
岐 阜長良′
辻
精二
長良川 RCの 所在地域である岐阜市 の皆さまが東北を思
それは一 本 の電話か ら始 ま りま した。 当クラブの会 員
へ の 大学 の 同級生か らの電話であ りま した。そのロー タ
いやる気持ちを桜の前木に託 し「東北、イT巻 に桜を咲か
せよう」 と運動を開始 しました。
リア ンは 3,111日 の 津波 で 工場、家屋敷 を 一 瞬 に して
この計 Lmiを 実現するために、昨年 12月 6日 会員参加
失 い 、 クラブは会員の 半数 が 同様 な被害 に遭い 、例会 も
のチ ャ リテ ィー コンペ 、 12月 25日 会 員、会 員家族参
開催 できない状況を語 られ ま した。 日本全国 の 人 々がい
加のオー クシ ョンと募金、本年 1月 21日
ずれかの義援金 に 協力 したが、す ぐには現地 へ 届かな い。
での街頭募金で、 市民 の告さまの東北へ の関心 の深さを
大 きな組織 への 寄付 も大 事だが直接 の 支援 も必 要ではな
痛感 しました。
いか と、その よ うな内容 の電 話であ った とクラブで報告
結果は ゴルフコンペ 、オー クシ ョンを通 して会員 。家
族延べ 100人 の ご厚志、街頭募金で は延べ 402人 の市
され ま した。
JR岐 阜駅 前
当クラブでは、有′
よの 会員が集 い 、今 こそ汗をか く奉
民 の ご厚`よ をいただきました。 これ までに 500人 を超
仕 が必 要 で あ る と全 会 員 に 呼 びか け募金 を 開始 しま し
える皆さまか らいただいたご厚志で、桜の苗木および植
た。会員の方 々のあ りがたい心 をいただき、昨年 6月 初
樹用資材を用意 し、震災か ら 1年 を前に した 3月 4日 、
旬 に義援金 と救援物資を持 って 石巻 へ 向か い ま した。 本
会員 21人 が、
桜 140本 および資材を携えて石巻へ赴き、
年 1月 再 び 伺 った 折 に、 ロー タ リー どころで はなか っ
イi巻 南 RCの 作業計画に従 って、会員および地ノ
この小学
たのでび っ くりしたが、おかげさまで、毎年の 事業であ
校、高等学校 の児童、生徒たちと一緒 に植樹 しました。
る東南 アジアの学生を 、今年 も 3人 迎 えて学んで もらう
当日は、羽黒山鳥屋神社境 内に 120人 が集合 し、開
機会を提供 できた とのお 話を いただき、お役 に立てた こ
会のあいさつを皮切 りに、全員で桜苗木、ilni材 (添 え木
とを うれ しく思 い ま した。
な ど)を 敷地内の ili営 羽黒山公園へ運び作業を始めまし
今年度、岐阜 長良川 ロー タ リー クラブ
(RC)は 、災
た。あちらこちらに小学生か ら大人まで、いろいろな組
み合わせのチ ー ムが 出来 上が
り、
植樹用 の穴 を取 り囲んで、
腐 葉 上 を投 入、 30kgあ る桜
の 苗木 を持 って大 きな穴 に挑
戦す る子どもたちを助 ける高
校生や大人 たちのほほ笑 ま し
い 光景が見 られ ま した。最後
に、学生が願 い事 を 書いた木
板 を 取 り付 け て 完 成 しま し
た。
この 協 同事業 の 結果、数 年
後 には桜が満開 とな り、石巻
に新 しい桜 の 名所が出現すれ
ば、少 しは被災 され た方 々の
慰 めにな るのでは と考 えてい
ます。
平成 24年
6月 号
(第 2630地 区
ロータ リーの友
t県 )
岐囁
した。そ して震災か ら 1年 を迎える前夜 の 3月 10日 に、
多 くの市民 とロー タリアンの参加の もとに 3,000本 の
福島 に希望 の灯 りを灯す
ろうそ くに 「希望 の灯 り」を ともして鎮魂 と復興の祈願
を しました。
いわき常磐RC
橋本
(第
2530地 区 hrli島 県)
芳家
2011年 3月 11日 の大震災で ここ福島県では 1,925
人 の尊 い命が奪われました。そ して 64人 の方たちの行
方が い まだわか りません。 ロー タリアンも 3人 の方が津
波で命を亡 くしました。大津波で破壊 された家々は無残
成 田 ロー タ リー クラブ
にも上台だけが累々と連な り、その光景はまさに廃墟 の
町です。
地震 と津波 の 被害 にさらなる追 い打 ちをかけたのが、
福島第一原子力発電所の事故です。突然の避難命令に多
くの人たちは、家や財産を残 して取る物 も取 らずに故郷
を追われて、 ここいわき市で避難生活を余儀な くされて
お ります。
阪神・ 淡路大震災の復興を願 って神戸 に ともっている
「希望の灯 り」を分灯 していただき、 いわき市で復興の
祈 りの場をつ くって、家族を失い家々を追われ失望の う
ちに暮 らす人 々の心に「希望 の灯 り」を ともしてあげよ
うとい うプロジェク トを立ち上げました。
2月 26日 、成田国際文化会館で 「エ クレール お菓
早速 いわき分区 10ク ラブの会長、幹事をは じめ多 く
子放浪記」 の 上映会を行 い、約 1,500人 が来場 され ま
の ロー タ リアンに実行 委 員会に参加 していただき、第
した。会場には この 日、当クラブが招待 した成田で避難
2530地 区の後援 の もとに、 1月 17日 に神戸市庁合 の
前 に灯 る 「1.17 希望 の灯 り」 を分灯 して もらい、延
べ 400人 余 の有′
よの方たちが 「希望 の灯 り」を背負い、
生 活を送る被災者約 200人 の方 々の姿 もあ りました。
中山道を徒歩にて 800 kmの 道 の りをいわ きまで運び ま
て約 250人 出演 していて、戦災孤児 とな った主人公が
「お菓子放浪記」 は、東 日本大震災前の石巻市で撮影
され、犠牲になった方、被災された方がエキス トラとし
お菓 7‐ へ のあ こが れを支 えに生 き抜 い たス
トー リー が震災後 と重な る こ とな どか ら、
被災者支援の ために _L映 を決め ま した。
上映 に先立 ち、成 田高等学校音楽部のオ
ー ケス トラ演奏 ・ 合唱 に よる劇 中歌 「お菓
子 と娘」が流れ る中、 平野省 二 会 長が 「被
災地 の 皆 さまへ 支援 の 輪を広げ、 一 日も早
い復興を」 と、あいさつ しま した。
当 日、近藤明男監督が舞台 あい さつ に立
ち、津波の犠牲 にな った 出演者を含 め、 エ
キス トラ全員の名前をエ ン ドロールにの せ
た ことを明か しま した。
映画 のテーマにちなんで会場 で販売 され
たエ クレアは、石巻 で被災後、 成 田市内で
洋菓子店を営 む佐藤成利 さん と会 員企業が
作 った もの。義援金
24
THE ROTARY― NO― TOMO
50円 を含 む 1箱 500
2012 VOL.60 NO.6
束 日本 人 震 災
円 のエ クレアが
500箱 完売 しま した。
会場 に置かれ た募金箱 に も多数の善意 が寄せ られ、チ
ケ ッ ト代金 の一 部 も義援金 に充て られ地 区 ロー タ リー ク
ラブを通 じて 、計
18万 7,000円 を千葉県 内 の被災地 に
(第
送金 させ ていただきま した。
いわ き鹿島 RC
10年 記念事業委 員長
2790地 区 千葉県)
中山
もあ りません。
一 粒 の 種 は、アメ リカ中西部 にあるセ ン トキ ャサ リン
高校 イ ンター ア ク トクラブ
(IAC)会
員
15人 の 手 で
ロー タリアンの原点をあらためて考 えました。 セン ト
キ ャサ リン高校 の生 徒 さん、第
2780地 区第 8グ ルー
まかれ ま した。 3.H東 日本大震災 の ニ ュー スで 、地震、
プの皆 さん、江名小、永崎小 の児童 の皆さん、いわき鹿
津波、原発事故 の 想像 を絶 す るよ うな被害状況 を知 り、
島 RCの 皆さん、 このつ なが りを これか らも大切に して
早速 ツナ ミプ ロジ ェク トを立 ち上 げて 5,000ド ル を 目
い き た い と思 い ます 。
(第
2530地 区
福島県)
標 に募金活動を始めたそ うです。
第
2780地 区
(神 奈 川 県 )第
8グ ルー プで も、何 か
ま とまった支 援活動 を考 えて 、昨年 4月 14日 にプロジ
ェク トを立 ち上げたそんな折、 セ ン トキ ャサ リン高校
予想 をはるかに超 える支援 の輪
I
ACの 活動 を知 り、具体 的な支援活動 に結 び付 けよ うと
思 ったそ うです。
(RC)は 、創立 10年 、
22人
の 小 さい クラブです 。地元 の 市立小学校 2校
会員
いわき鹿 島 ロー タリー クラブ
天童東 RC会 長
志 田
泰久
ある人に託 した義援金が、想像以上 の大きな支援 の輪
となって広が りました。
は校 舎 もろ とも津波 に洗われ、江名小学校 は建物 は何 と
私 たちは、 10月 22日 の 第 3ブ ロ ックのイ ンター シ
テ ィー ミー テ ィ ング (IM)で 、東 日本大震災か ら 3
か復 旧できま したが 、楽器や備 品類 の 大方を失 いま した。
日日に陸前高田に入 り、以後、ず っと支援を続けている
永崎小学校 の 児童は、江名小学校の中の仮教室 で授業を
水戸 ロー タリー クラブ
受 けてい ます。 い わ き鹿 島 RCは 、 ロー タ リー 財団を通
迎 え し、「今後 の私 たちの支援の在 り方を考 える」 とい
して この 両校 への 支援 を要請 していま した。
う重 いテーマ で研修を しました。 氏か らは 「変わ ってい
2780地 区 の 河本 親秀
パ ス トガバ ナ ー が、 同地 区第 8グ ル ー プの 7ク ラブに
く支援のニー ズを、現場 に行 って、見て、考えてほ しい」
とのメッセー ジをいただき、私たちは、会の運営費を節
IACで 集 めた 5,000
『高田松原 ものがた り』 とい う本 と塩羊羹 のチ ャ
約 して、
が、地震 と津波 で甚大な 被害を受 けま した。永 崎小学校
この よ うな事情 を耳 に した 第
声をかけ、セ ン トキ ャサ リン高校
(RC)の 秋山現信氏を講師にお
ドル に加 算す る寄付金を募 り、江名小学校、永崎 小学校
リティー販売、さらに天童西 RCか らの義援金を含めて
に楽器、その他の備品を寄贈 していただ くことに な りま
合計 45万 円の義援金を氏 の活動 に役立ててもらお うと
した。
託 しました。 また、第 2800地 区か らも、細谷伸夫ガバ
2月 23日 、江名小学校体育館 にお いて 、第 2780地
8グ ル ー プ 20人 、 いわ き鹿 島 RC会 員 7人 、両校
校長、 6年 生 の 児童全員立 ち会 いの もと贈呈式が 行われ
区第
ナー の配慮で 55万 円の義援金が追加され、秋山氏たち
の活動を支える体制を整えました。
それか ら 5か 月、その義援金は、
思わぬ支援 の形 となっ
IAC会 員が まいて くれ
て現れました。オラ ンダのアムステルフェー ン市主催 の
た一 粒 の種 は 、はるか海 を越 えて江名小学校 と、永崎小
震災追悼式典 (3月 25日 開催 )に 陸前高田市の「 うご
学校 に大輪 の 花を咲かせ て くれ ま した。悲惨 な体験 を し、
く七夕まつ り」のお囃子チームが招かれ、在オランダ ロ
不 自由な学校生活を余儀 な くされて いる両校 の児童 たち
本大使館 と同市の桜公園で 2日 間 にわたって公演が行
に、大 きな感 動 と希望を持 たせて くれた ことは 申す まで
われたのです。 もちろん、在オランダ日本大使館か らの
ま した。 セ ン トキ ャサ リン高校
平成24年 6月 号
ロータ リーの友
25
族や地域 の人 たちの協力 もい ただき、
支援活動を開始 しました。3月 17日 、
使 い 捨 て カ イ ロ 2万 1,000個 、 水、
食料、折 りたたみ 自転車な どを 4tト
ラ ックに積み込み、会員が直接届けま
した。 また、3月 19日 には、道路が
封鎖 されていた南三陸町 に、 ノエ ビア
化粧品所有 のヘ リコプター で出発。医
師、看護師 と共 に調整員 として会員 も
加わ り救護、救援活動を行 い ま した。
これは AMDA(ア ムダ、国際緊急医
療 NGO)の 指導 の もと行われたもの
です。
支援 も大き くあ りましたが、私たちの義援金は、秋山氏
その後、支援が縁で知 り合 うことがで きた大槌 RCの
と、一緒 に活動 した越谷北 RCの 永田雄治氏お二人 の活
会員か ら中学校の楽器 が津波で流失 したことを聞き、子
動資金 とな り、お囃子チー ムの渡航 のお世話な どに活用
どもたちに希望や夢を与えられれば との思いか ら、楽器
されたのです。
を贈 ることに決定 しました。さっそ く第 2780地 区に働
陸前高田のお囃子チー ム 9人 の演奏は大変な反響で、
日本の伝統文化を通 して、震災へのオランダ国民の支援
きかけ地区補助金を活用 し、大槌町立大槌 中学校、南三
陸町立志津川中学校、歌津中学校、志津川小学校に楽器
に対するお礼 と、さらに、子 どもたちを含めた交流へ と
を寄贈 しました。
膨 らみ、予想以上の成果を上げることができました。
これによ り、今年度の奉仕事業のひ とつ として、3月
また、3月 11日 には、 陸前 高 田市 の 高 田町 で 有志
24∼ 26日 、茅 ヶ崎市 内の 中学校吹奏楽部 による「ス
による震災 一 周忌法要 が執 り行われ、秋 山現信氏が法
プ リングコンサー ト」 に大槌中学校吹奏楽部 の生徒を招
要 の導師を務め ました。 ここで も、「国際 ロー タリー第
待 しました。
2800地 区・ 山形」 として献花 され、さらに、秋山氏た
ちの配慮で慰霊碑に第 2800地 区・ 山形 の名前 も記入 さ
験 してもらうな ど、家族 ぐるみの交流を深め、 コンサー
れました。
ト当日は 2曲 を演奏 して くれま した。 この 日の模様は、
また、現在、オランダ 。
アムステルフェー ンの RCが 、
大槌中学校 の生徒 には、当会員宅でホー ムステイを体
NHK、 JCOM(ケ ー ブルテレビ
)、
朝 日新聞、
毎 日新聞、
陸前高田市 の震災孤児、遺児を支援する基金の創設を検
神奈川新聞、地元紙 タウンニ ュー スな ど、多数のメディ
討 されているとい うことで、私たちの義援金は、さらに
アにも取 り上げ られました。
大きな輪 とな りつつ あ ります。
今回の活動では、行政、市民、団体、学校関係な どの
支援する人を支援する。そんな支援 の形が、予想をは
ご協力をいただき、また、会員の多 くが活動に関わ り相
るかに超える大きな支援に広がるとい うことが実感 され
互の理 解 と絆を深めることができ、さらに広 く皆さまに
る出来事で した。細谷ガバ ナーは じめ、多 くの ロー タリ
ア ンに感謝 申 し上げ ます。
茅 ヶ崎 中央 ロー タ リー クラブ
(第
2800地 区
山形県)
(RC)で は、東 日本大
震災で甚大 な被害に見舞われ た岩手県大槌町 と南三 陸町
に調査 に赴 きま した。震災発生翌 日か ら、会員は じめ家
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THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
2012 VOL.60 NO.6
日本 大 震 災
ロー タリー活動を知 っていただけるもの と確信を してい
ます。
(第 2780地 区
神奈川県 )
しか し、 一 言 で放射能 測定器 と言 って も高級車が一 台
買 える ぐらい高価 な ものです。資金調達 に苦労 は しま し
たが、 東 日本震災復興基金お よび第
2530地 区、友好 ク
ラブの東京池袋西 RC、 千葉県 の 自井 RC、 オ ー ス トラ
未来を担 う子 どもたちを
内部被 ば くか ら守 る
保原 ロー タリー クラブ
リアのプ リンバ ンク・ セ ン トラル RCの 温か い 支援を受
け、 3月 28日 に、伊達 市 に 放射 能測定器 一 式 を寄贈す
る ことが できま した。贈呈式 は例会 場 のスカイ パ レスで
約
30人 が 出席 して 行 われ、志賀正文社会奉 仕委 員長か
ら鴫原伊達市 副市長 に 目録 が贈呈 され ま した。 その後、
保原給食 セ ンターで測定器 の検査状況を視察 しま した。
放射能被害 は これか ら数十年続 きます。 未来 を担 う子
どもたちの健やかな成長を願 ってやみ ません。 これか ら
も息 の長 い社会奉仕活動を続 けてい きたい と考 えてい ま
す。最後 に、今 回 のプロジ ェク トを通 して ロー タリー ク
ラブの素晴 らしさをあ らためて認識 させ られ ま した。 プ
ロジェ ク トに関わ って くださった皆 さまに心か ら感謝 を
申し上げます。
東 日本大震災、そ して福島第一原発事故か ら丸一年が
過ぎました。 クラブのある福島県伊達市は福島第一原発
か ら 60kmの 距離 にあ り、避難 区域 に指定 された飯 館
村や町 の一 部が指定 された川俣町に隣接 し、特定避難勧
(第
2530地 区 福島県)
気仙沼市 立 鹿折小学校 へ
演台贈呈
船橋東 ロー タリー クラブ
です。放射性物質 の汚染による被害はまだまだ現在進行
(RC)は 、気仙
へ
沼市立鹿折小学校 演台を贈呈 した。その贈呈式 には 当
形で、健康 面では被ば くによる直接被害ばか りでな く、
クラブか ら 10人 、気仙沼 RC6人 、市教育委員会 2人 、
ス トレスによる精神被害 も起 こってい ます。経済面では
同校小野寺校長、職員、在校生
直接被害および風評被害 と全産業に及んでお り、特に土
壌汚染による農作物への被害は甚大です。
で挙行された。
汚染地域 に住む私たちが 日々気 にしていることは、今
食べ ているものが放射性物質で汚染 されているか どうか
介で、当クラブ創立 35周 年記念行事 の一環 として、甚
奨地点 の存在する放射性物質による汚染の大 きい ところ
1月 19日 船橋東 ロー タリー クラブ
282人 が参加 し体育館
当クラブ戸澤寿史会長が 「この度 は気仙沼南 RCの 紹
大な震災の被害を受けた鹿折小学校の皆さまにささやか
です。特 に 子 どものいる家庭 では、将来 の
発 がん リス クもあり、毎 日食 べ る もの に よ
る内部被 ば くは深刻な問題 です。
この よ うな状況の中、保原 ロー タリー ク
ラブ
(RC)で は昨年の 9月 、学校給食 セ
ンターに放射能測定器を贈 る「 こどもの未
来 づ くリプ ロジェ ク ト」を立 ち上 げま した。
目的は、給食 に使われ る食材 に含 まれてい
る放射能を正 確 に測定 し、安全 な食材の使
用 で 給 食 を食 べ る約 4,000人 の 子 ど もた
ちを内部被 ば くか ら守 り、将来 の発がん リ
ス クを低減 させ る ことと、保護者 に安心を
提供す ることです。
平成
24年 6月 号
ロータ リーの友
27
なが ら復興のお手伝いができたことを とてもうれ しく思
い ます」 と、あいさつを した。
llil小 学校 の
6年 1組 の塩 田快君が次の ようにお礼の
言葉を述 べ て くれ ま した。「鹿折小学校の校 章 が入 って
いてす ごくいい演台だな と思いました。 この演台で校長
先生から、
入賞 した時の賞状が渡されるのかな と思 うと、
3ク ラブ協 同で
森
、
ふ
す ご くわ くわ くしてきます。 また、
僕たちの卒業式でも、
東京 の 文京 区 にある東京小石川、東京本郷、東京後
楽 の 3ロ ー タリー クラブは、東 日本震災復興基金 日本
この演台 が使われます。僕たちの記念 日に、 こん な素晴
委員会な らびに第 2580地 区の協力を得て、東 日本大震
らしい演台で、卒業証書が渡 されるなんて、本当に うれ
災心理支援 セ ンターに本年度
しく思います」
アち上げた日本臨床心理士会、日本臨
理支援センター を 、
最後 に 5年 生全 員が 「幸 せ を運 べ るよ うに」を合唱
して くれました。 子どもたちの清 らかな熱き思いが伝わ
り胸がいっぱいにな りました。感動をあ りが とう。なお、
720万 円を支援、 この心
床心理学会 とともに被災者の心のケア支援 活動 に取 り組
む活動を開始 しました。
被災者 は最初 の うちは生 きる ことに必死 で頑張 った
この寄贈資金は東 日本復興基金、地区 ロー タリー財団補
が、月日が経ち、だんだん落ち着 いて くると、家族を失
助金 と、当クラブの 35周 年記念事業 予算か ら支出 しま
い、家を失 い、財産を失 い、職を失 い、 7‐ どもはまだ小
した。
(第
2790地 区 千葉県)
さ く、 これか らどうしてや ってい くかな ど、不安 が募 っ
堺市 と和歌 山市 に避難 してい る子 どもたちに
国際 ロー タ リー 第
2640地 区
3月 18日 、大澤徳平ガバ ナー は、堺市 と和歌山市
の教員委員会 と協力 して、東 日本大震災 により堺市 と
和歌山市 に避難 している子 どもたちに、何か してあげ
られることはないか と、ユニバーサル・ スタジオ・ ジ
ャパ ン
28
(USJ)に 招待 した。
THE ROTARY―
NO―
TOMO
参加 した子 どもたち と父母、 ロー タ リー 関係者 の
60人 は、大澤ガバ ナーか ら「今 日は、笑顔 いっぱい
に楽 しんで ください」 と激励を受けた。天候はあいに
くの雨模様であったが、参加 した rど もたちは、楽 し
い一 日を過 ごした。
(大 阪府・和歌山県)
2012 VOL.60 NO.6
束 日本 大 震 災
災復興支援 事業で、宮城県松島町を訪問 しました。仙台
空港到着後、松島 RC高 橋正人会長 と佐藤稜威彦事務局
長 らの出迎えを受け、す ぐに石巻市の被災地視察、そ し
て、昨年度か ら支援 している東松島市の野蒜小学校を訪
問 し、30万 円の 支援金を PTA会 長 に渡 しま した。木
島美智子校長か ら子 どもたちの教育に しっか り役立てた
いとの言葉を いただきましたが、仮校合での学校運営は
これか らも多 くの ご苦労があると思 った次第です。
今 回 の 中古漁船 3隻 の寄贈事業 は第 2660地 区か ら
200万 円の補助を いただき、総額 250万 円で実現 した
て くる。それが,い の病 とな り、 うつ病を引き起 こし、最
ものです。松島町は湾日にある多 くの小島のおかげで津
悪 自殺 に走る、既にそのよ うな現象が出始めているのが
波が弱め られ、波 の高 さは 2m、 防潮堤を超 える寸前で
現状です。
:Lま ったと言 ってお られました。 しか し、松島町磯崎漁
少 しで も心の病 を防 ぐために心理支援セ ンターでは
業組合 の漁船は、保有 していた 200隻 の うちの 30%が
各県 の臨床心理士会に協力を求め、心理士を岩手、宮城、
沈没、30%は 行方不明、残 っているのは 40%に 満たな
福島 の被災地 に派遣、直接何げな く被災者 に寄 り添い、
いそ うで、湾内でのカキ養殖事業に大きな支障が出てい
または電話相談にて話や悩 みを聞き、不安を少 しでも取
るとの ことです。
り除き、心の落ち着きを取 り戻 してもらお うという活動
津波 の 直後 は、 湾内 に散乱 した膨大な量の 瓦礫、沈
を しているわけです。心の病は大人だけではな く、子 ど
没船、養殖筏 のパイプや竹竿の撤去に、組合員全 員が取
もにも引きこもりな どの症状が出て くるのです。
り組み、昨秋にはカキの養殖事業を再開できた とのこと
深刻な悩みを持 った方 々に寄 り添 って話を聞き元気
です。今回、第 2520地 区松島 RCの お世話によ り、大
を取 り戻 してもらうのは、専門教育を受けた心理士や看
阪東南 RCの 漁船寄贈事業が実現 しました。漁協では こ
護師、精神科医な どでなければならず、素人がやるとか
の漁船 3隻 を しっか り活用 し、漁業 の復興 に努めた い
えって逆効果になって しまうので、われわれ ロー タリア
との言葉をいただきました。
ンは心 のケアにかかる経費を少 しでも集めることに協力
松島町長列席 の もと、厳かに進水式を執 り行 った後、
しようとい う支援活動を しているわけです。文京区内の
昼食にいただいた新鮮なカキ とホタテの炭火焼 きはたい
3ク ラブが協同で行 っている初めての協同社会奉仕活動
へ ん美味で、参加 した会員 16人 は新たな決意を胸 に大
です。 この活動は地味で、かつ、息 の長 い活動ですか ら
阪へ戻 った次第です。今回の事業推進に携わっていただ
3ク ラブとしても 3年 間継続を検討 してお ります。
いた皆さんに、心からお礼を申し上げます。
なお本 プロジェク トに ご賛同 いただき、参加を検討
(第
2660地 区 大阪府 )
していただけるクラブがお あ りで したら大歓迎です。束
(TEL.0339413385)ま で ご連
いただけ
れば詳 しくご説明 いた します。なおクラブの
絡
京小石川 クラブ事務局
支援金額は 10万 円でも、20万 円でも 30万 円でもクラ
ブの事情 によってご自由です し、期間も 1年 でも、2年
で も、3年 で も結構 です。
「
(第
2580地 区 東京都 )
百姦県 の漁協 に漁船寄贈
大阪東南 ロー タリー クラブ
震災か らちょうど 1年 の 3月 10∼ 11日 、大阪東南
`
ロータリー クラブ (RC)職 業奉仕委員会 の東 日本大震
平成 24年
6月 号
東 日本大震災関連の記事を、7月 号からは、
縦組み「ロー タリー・
ア ッ ト・ ワー ク」に掲載 します (一 部を特集 として横組みに掲
載)。 引き続き、 ご投稿をお待ち しています。
ロータ リーの友
29
東 日本震災復興基金 日本委員会 か らの報告 (7)
東日本震災復興基金日本委員会委員長 Jヽ 沢 一彦 峨須賀RC)
2011年 7月 1日 に始 まった東 日本震災復興基金 日本
委員会へ の 申請は、3月 31日 を もって、募集を終了い
くとい うことを、 これか らも続けていかな くてはな りま
せん。
た しま した。そ の結果、前 回 の審査か ら 3月 末 までに
復興基金はほぼすべ てプロジェク トの補助金 として役
47件 の応募が あ り、最終 的 に 271件 の プロジェク ト
立て られました。 このロー タリー財団の復興基金の素晴
を審査 してきました。承認 されたプ ロジェ ク トは現在、
らしかった ところは、 ロー タリー精神を持 って、一つ ひ
160件 です。
とつのプロジェク トに海外 も含め、多 くの ロー タリアン
まだ、最終的に再提出いただ くクラブもあ りますが、
が関わ り、被災地を訪れ、心の交流を深めてこられたこ
ほぼ、審査は終 了した ことにな ります。 2月 の時点では
復興基金への寄付 が約 730万 ドルで したが、5月 10H
たちの感動の言葉、 プロジェク トの実 施で元気が出た と
には 780万 ドルを超 える寄付 を いただいて お ります。
い う報告をた くさん いただいてい ます。 これか らも、そ
それだけ多 くのロー タリアンが、プロジェク トに対する
こで生 まれた新 しい絆を大切 に して、継続的 に、強 く、
強 い思 いが あるのをひ しひ しと感 じています。
やさしく支援 してい くことをお願 いいた します。
とです。プロジェク トの実施 のために被災地へ行 った人
震災が起 きた昨年 3月 11日 当初、あま りの被害にぼ
委員会 に残 されている仕事 は、それ らのプ ロジェク ト
うぜん とする被災状況か ら、少 しでも素早 く、世界中か
が無事に終わ り、報告書を集め、まとめて本部に報告す
ら集 まったロー タリー 財団の復興基金を生か した被災地
ることですが、私たちも被災地 の方 々や支援 い ただいた
への支援活動をするために、 この 日本委員会を立ち上げ
方 々の この一 年間の絆を大切 に して、世界 の人たちへ の
ることにな りました。それか ら約 1年 、さまざまなプ ロ
感謝 と日本 の復興を伝えていきたいと思 い ます。
ジェク トが申請されましたが、被災地域の中でも、地区
5月 10日 の現況です。
内に 自ら復興基金を立ち上げて、 しっか りと根強 く立ち
現金寄付
$5,770,612.27
上がる東北の人たちの姿を見 ました。
DDFに よる寄付
$2,044,671.46
総計
$7,815,283.73
気がか りな ことは、表に見えて こない心の病、痛みで
す。プロジェク トの 中にも子どもたちを元気づけるため
34件 のマ ッチ ン グ・ グラ ン ト承認 $1,075,277
のイベ ン ト、地域 の人たちが集 まって心を通わす ことが
(2011年 6月 30日 までに申請 され認証 され た もの )
できる集 会所 の設置、カウ ンセ リングな どがあ り、多 く
日本委 員会 へ 送 られ た送金総額
の人たちが,心 配されていることです。物資の支援だけで
現在 の 残高
$6,4H,139.68
$328,867.05
はな く、私たちはあなたたちの ことを忘れては いな い、
一緒 に頑張ろう、 とい う気持ちを持ち、それを伝えてい
次に新 しい承認 プロジェク トをご紹介 します。
ロー タ リー財団のプロジェク トに使用される東 日本震災復興基金の内訳
プロジェ ク トの実施場所 /概 要
(岩 手県陸前高田市)陸 前高田市民の地 域活動拠点 としての集会場設置。
ロー タリー クラブまたは地 区 (該 当する場合 )
鯖 江 RC、 陸前 高田 RC、 楊 梅 RC(台 湾 )
(宮 城県東松島市)津 波です べ て流 されて しまった東松 島市野蒜小学校 の 仙台 RC
子 どものために中太鼓を購入 し、鼓笛隊に元気を取 り戻 してもらう。仙台
RCが 責任を持 って発注、研修 し、贈呈後 の維持管理は野蒜小学校。
(福 島県福 島市 )震 災 (地 震 と津波 )と 東電福島第 一 原子力発電所 の事故 福島北 RC
によ り影響を受 けている子 どもたちが、安心 して体を動か し、思 い切 り外
で遊 べ るように、地区内の団体な どの協 力 で、イベ ン トを企画 し、楽 しん
でもらう。実施場所 :福 島市農村 マニ ュフ アクチャー 公園 「四季の里」実
施責任者 :福 島北 RC、 使用 した器具類の管理は公園所 有 の福島観光開発
(株 )西 事業所 に委ねる。
(宮 城県村田町)蔵 造 り家屋の損壊部を修結。まちの象徴的建造物を修復 し、 第
2520地 区、村田 RC、 大河原 RC、
復 旧に寄与。工事実施 の進捗状況 の管理 と資金計画の実績管理を村田 RC、 柴田 RC
完成後 の維持管理はむ らた再発見「蔵」の会に委託。
30
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
プロジェク トの実施場所 /概 要
ロー タリー クラブまたは地
(該 当する場合)
LX‐
(宮 城県束松島市お よび石巻市 )東 松島市および石巻 市へ 被災建物 に住む 東 京蒲 田 RC
被災者 へ扇風機 400台 を提供 (夏 場 の住環境整備)。 維持管理は各市。
(岩 手県釜石市 )釜 石湾漁業協同組合 に、漁業復興 に伴 う造船用機材であ 横浜南央
RC
る溶接機 1台 とコンプレッサー 1台 を寄贈。維持管理は同組合白浜浦支所。
(福 島県相馬市 )相 馬市 の 消防防災活動支援 のため、消防団へ携行発電機 東京稲城
RC
と林野火災 の残火処理な どに使用する背負式水 の うを寄贈。維持管理は相
馬市消防団および相馬市地域防災対策室。
(岩 手県宮古 市)宮 古水産高校 の実習現場 へ は定 期 バ スの 本数が少 な く、 宮 占
RC
高校か ら車で 30分 かかるところにあ り、大変不便を強い られているので、
実習現場へ の移動用中型 バ スを 同高校へ 寄贈。維持管理は宮 占水産高校。
(岩 手県大船渡市 )大 船渡市 の仮設住宅 に住む高齢者 のために、大船渡市 岩谷堂 RC、 第
役所に布団 600枚 を贈呈。
(宮 城県栗原市 )震 災 によ り乳牛が死亡廃用 になった北部酪農組合組合員 若 柳 RC、 第
に対 し、酪農家 の生 産意欲 向上 のために乳牛 20頭 を提供。酪農家 へ の飼
養管理は北部酪農組合。
2520地 区、茨木西 RC
2520地 区
(宮 城県石巻市 )国 立国際医療研究 セ ンター 国府台病院の児童精神科専門 石巻南 RC、 第
チームに 1年 間、
石巻市で、小中学校 の養護教諭 と保護者への心理教育 と子
どもの心のケアヘ の対応を してもらう。ア ンケー トと現場でわか った結果
2520地 区、八尾東 RC
や問題点を石巻教育委員会 、日赤石巻病院、宮城県 こども病院へ 引き継 ぐ。
(宮 城県気仙沼市 )市 内の児童館・ 保育所 。児童施設 へ 遊具修理、事務機 神戸西神 RC
器 保育園上履 き、ペーパー タオル・ ホルダーを配布および市立本吉病院
に医療設備 (医 療用ベ ッド型 マ ッサー ジ器 )を 補充。気仙沼南 RCが 物資
の配布調達を実施。
(福 島県南相馬市)南 相馬市 の幼稚園 。保育園へ
720個 の放射線測定器を 第 2710地 区第
市の担 当課を通 して各保育 園、幼稚園 に寄贈。測定器 の維持・ 管理は各保 原町中央 RC
育園、幼稚園に委託する。
(岩 f‐ 県洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉村、大槌町な ど) 第
3グ ルー プ、第 2530地 区、
2520地 区、姫 路東 RC、
盛 岡 RC
綿入 りはんてん 2,750枚 を支給。
(福 島県浜通 り、いわき市、南相馬市 )福 島県 で被災 した 子どもたちの心 第 2530地 区、 福 』
詩岸iR C、 舞525001也 区、
を癒や し、情操教育 の機会 として、同世代 の子 どもたちが 出演する ミュー 東京銀座新 RCほ か
ジカル「葉 っぱのフレディJを 福島県内で上演できるよ う手配をする。福
島県 いわき 。南相馬 の 2か 所で上演。
(宮 城県東松島市、
岩手県陸前高田市)東 松島市矢本子育て支援センター「ほ 長崎出島
RC
っとふる」 と陸前高田市地域子育て支援セ ンター「あゆっこ」 へ 、心 のケ
ア用に思い 出づ くりのためのアルバ ム 100冊 を寄贈。
(岩 手県大船渡市 )市 内小中学校で災害支援の物品運搬や災害にかかる諸 大 山 RC、 大 山南 RC、 大 山中央 RC、
連絡 な どに迅速 に対応す るために必要 な軽車両 2台 を市教育委員会 へ 贈 大 山仙 北 RC、 大船渡 西 RC、
呈。維持管理は大 船渡市立第 一小学校および大船渡中学校。車両運行は市 バ ンコ ク RC(タ イ )
内教育機関な どに所属する教職員および市職員に限る。
18歳 以下 の青少年を甲状腺がんか ら守 るため、登 第
。
録 検査を生涯行 う移動車両寄贈。維持管理は福島医科大学 と福島県。
(福 島県全域 )原 発事故時
(福 島県南相馬市)原 発警戒区域にあるため、福島県内の
2510地 区、第 2530地 区
5つ の 高校 に分 東京立川 こぶ しRC、 参参会
散 していた小 高工 業高校 の仮設校舎を建設 し、全校 生徒が帰 って こられ る
ように したが、足 りない部活動 のための用品を支援。李東建 RI会 長年度
の参参会 (2008-09年 度国内ガバ ナ ー 同期会 )の メンバー が立ち上げ
たプ ロジェ ク ト。維持管理は小高工業高校。
(岩 手県気仙沼市 )気 仙沼光陵支援学校の屋外 プール 修結費用 の助成。光 一 関中央 RC、 第 2520地 区
陵支援学校が維持管理。
平成 24年
6月 号
ロー タ リーの友
31
プロジェク トの実施場所 /概 要
ロー タリー クラブまたは地区 (該 当する場合 )
(北 海道室蘭市および宮城県気仙沼市)気 仙沼 の 少年少女 によるユニー ク 室蘭北 RC、 第 2510地 区
なジャズバ ン ドはクラブ員の転 出、練習施設 の制限、備品の損傷・ 紛失、
楽器 の紛失で、その精神的ダメージは大 きい。そのバ ン ドヘ楽器を寄贈 し、
交流を続けている室 蘭 市立翔陽中学校 のバ ン ドとの共同演奏会を支援。
(宮 城県南 :陸 町および石巻市)津 波 によ り甚大な被害を受けた地域で、
石巻東 RC、 第
2520地 区
積雪寒冷地 にft置 し、バ ス利用者は寒風 の 中、バ スを待 たなければな らな
い状況 の 中、南 三 陸町志津川地区 2棟・ 石巻市北 L町 地区 4棟 、雄勝町 1
棟、牡鹿地区 2棟 ヘバ ス待合所計 9棟 を設置。維持管理は住民 バ ス運行協
議会 (地 元住民で組織 )に 委ねる。
(宮 城県南 三陸町 )町 お こしの一環 で行われ るたつ がね山マ ウンテ ンバ イ 東京田園調布緑
RC
ク大会の参加者に帽子を寄 贈 し、南 三 陸町 の小学校 3校 、歌津中学校 の r
どもたちにも記念 の帽子を配る。
(宮 城県気仙沼 市)魚 市場 の改 善 。効率化を図 るために、 魚体粗脂肪計、 東京築地 RC
非接触温度計を寄贈。維持管理は気仙沼市産業部水産課。
(岩 手県岩泉町)奥 地の仮設校舎で学ぶ児童生徒が町の中′
b部 にあるスポ 東京山の 手
RC
ー ツ施設に体育授業 のために移動する手段 として、中古 バ スを寄贈。維持
管理は岩泉町。
(福 島県放射能影響地域 )甲 状腺を検査す る機械 を積んで どこへ で も行 く 第
3650地 区 (韓 国)、 第 2530地 区、
ことができるよ うに、福島県立医科大学付属病院へ 車を寄贈。維持管理は 第 2780ナ 也区
福島県立医科大学付属病院。
(栃 木県益 r町 )震 災で地元 の産業の中心 となる益子参 考館 の建 物や展示 益子 RC
品な どが大 き く破損 したため、屋根な どの修理を支援する。
(宮 城県石巻 市)人 々の精神的支え となるよ うに、石巻市の神社の伝統的 横浜中 RC、 第
年中行事用 に流 されて しまった太鼓 、付属品、はんてんを寄贈。引き渡 し
後の維持管理は地域住民 の 自治会組織 「水浜区有会」。
2520地 区
(岩 手県大船渡 市)岩 手県大船渡 市 三陸町綾里漁協 に養殖 ワカメの運 送 な 北上 RC、 北上西 RC、 北上和賀
RC
どのための軽 トラック 2台 を寄贈。維持管理は綾里漁業協同組合。
(岩 手県山田町)街 灯が消失 した山田町 の通学路 (前 回は大槌町 )ヘ ソー 東京練馬 RC、 東根中央 RC、 新所沢 RC、
ラー街灯を設置。維持管理は山田町建設課。
柏崎東 RC、 第 2520地 区
(福 島県南相馬市)南 相馬 市民文化 センターで倉本聰氏 の復興支援劇「明 日、 東京恵 比 寿 RC、 第 2750地 区
悲別で」の公演費用 として東京恵比 寿 RCが 倉本聰氏 と協 力 して企 画実行。
(岩 手県岩泉町)仮 設住宅 へ の物資運搬用 の車両を岩手県岩泉町の集会場 東京昭島 RC
へ 寄贈。維持管理は岩泉町。
(岩 手県岩泉町)津 波で壊滅 し現在仮設での授業再開 となっている小 。中 東京昭島中央 RC
学校か ら届いた図書 目録を もとに図書を寄贈 (小 本小学校 。小本中学校 )。
維持管理は岩泉町および小本小 。中学校 に委ねる。
(福 島県大熊町 )要 介護高齢被災者 の支援を 目的 に、社会福祉法人おお く 東京芝
RC
ま福寿会に送迎用 ワンボ ックスカーおよび福祉用具を寄贈 。維持管理はお
お くま福寿会。
(岩 手県宮 占市 )在 学生徒の約 3割 が震災で家が全壊 または半壊以上、収 東京府中
RC
入が半減 とい う生活状況 の生 徒たち に新年度 の副教材 (進 路指導 )、 書籍
や物品 (プ リンター、サ ッカー ゴール他部活用備品)を 寄贈。
(福 島県川 内村 )全 国に避難 している村民 の 帰村宣 言を支援す るために緊 東京三鷹
RC
急時 に使用できる大型テ ン トを寄贈。維持管理は川内村。 郡山北 RCが 協
力。
(岩 手県大船渡市 )大 船渡市住民 と仮設住宅 に住む子 どもたちの精神的安 外(t尺 東 RC、 第 2520地 区、ウ
育26601也 区
定 のためのコミュニ テ ィーセンター 兼児童館を建設。地区住民の中心 とな
るセンターヘ 。維持管理は中赤崎小網組合。
32
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
私 を変 え た一 冊 (2)
5月 号 に続 き、 自分 の生 き方 を変 え た 本 、 影 響 され た 本 、 思 い入 れ の 深 い本 を一冊 挙 げ、 ご紹 介 い た だ き
ま した。 皆 さまの 「私 を変 え た一 冊 」 は あ ります か ?
銀行 を退職 し、縁 あ って 長 女であ る妻 との結 婚 とFnI
時 に 、婿養子 として義父が 創業 した同族会社に人社。 そ
れ以 来、義 父か ら商売 の イ ロ ハ をた た き込 まれ た。 40
歳 で会ネLを 引 き継 ぎ、新 しい 部門を開設追加 しなが ら企
業 の発展 と永続 に取 り組んで きた。気がつ くと 一人娘 も
大学 を卒業、 会社を 手伝 うよ うにな っていた。娘 もまた
婿養 rを 取 った。
当時、私 の 最 大 の 課題 は企 業継 承 と、後 継 者 の 育成
であ った。 その l時 、本書『息 子を どう社長 にす るか』 に
出合 い 、多 くの事例 を参考 に、教 育 の 方向性 、 11業 の 引
き継 ぎを決め 、息
r45歳 の とき (2000年
)、
無 事に 引
き継 ぐことができ、今に至 っている。感謝 に値する ‐
‖
‖
である。
(第
2690地 区 1]取 り
[t)
ハーバー ドか らの贈 り物
・訳
マン/幾 島 幸子
∈墓〕デイジー・ウエイド
m覇認n武 田ランダムハウスジャパン (旧・ランダム
ハ ウス講談社 )
2004年 9月
団
さいたま新都心 RC
野辺
本 書 は ハ ー バ ー ドビジ ネ ス ス クー ル (HBS)の 教
Lに 語 った I訓 話 15篇 を収 めた も
授 陣が、最終講義 で学 ′
のである。 HBSは アメ リカ屈指の経営学大学院で、世
界 中か ら優秀 な学 ′ が集 ま り、その卒業生は ビジ ネス界
│ミ
の リー ダー として 活躍 している。
その よ うな学生 へ の 餞 の 請葉 は、 ビジネスで成功す る
秘 訣な どではない。 各教授 自身が失敗や挫折 を通 して学
んだ ことや 、人生を決定 づ けた出来 Iな どを 率 :riに 披涯
与え られ る ‐
冊だろ う。 ロー タ リア ンに とって も、 リー
した ものである。 その内容か ら、勉強や仕事に行 き詰 ま
った 人 に とっては 、 ′
11き てい く指針を示唆 され 、勇気を
ダー としての 使命、仕 J「 に対す る心構 えを教 えて くれ る
平成 24年 6月 号
良書であ る。
(第
2770地 区
ロータリーの友
埼
Eり it)
33
例会 に 行 くと、 クラブの長老 か ら「『友』 へ の 原稿 を
「 はい、わか りま した
書 いて くれ。『 ノー 』と言うなよ」
!」
で、い さ さか 占い 話 で恐縮 であ ります。 二 十数年 前、
歯科 医師 にな りたての ころ、 まだ今の よ うな歯科 医師臨
床研修制度がな く、卒業後 は大学 に残 るか、勤務医にな
るかであ りま した。 しか るに、身近 にいる先輩や講習会
な どで学び 、 いつか 自分 も人の役 に 立つ 立派 な歯科 医師
にな ろ うと思 っていた ころで した。
す る ことが あ ります。それ は己の未熟 さは 言うに及ばず、
歯科 医療 は、 ごまか しが 利 か ない。 治療 後 ち ゃん と
患者 さんの意 向に よるものや制度 によるものな ど、 さま
咬め るか咬めないかは一 日瞭然、 いや 「 一 咬瞭然 J !
ざまです 。 そんな中、 この本 を知 り「救 われ た」 とい う
丁寧 に一生懸 命治療 して も良い結果 が出ない ことが あ っ
思 い と、 1分 へ の 成め とな りま した。
l′
た り、ああすれば良か った、 こ うすれば良か った と後 悔
木 のいの ち木の こころ
(第
2550地 区 栃木県)
(天)
常― 翻輛罰口 草思社
1993年 12月 (写 真は 2005年 刊・ 新潮文庫 )
曜畢3西 岡
川崎離
RC
花輪
孝一
東 日本 大震 災 か ら 1年 余 りが経過 したが、被 災地 の
復興は い まだ半 ばである。 また、福 島第 一 原発事故 の 収
束 は 、 いまだめ どが立 っていない。あ らためて 自然災害
の恐 ろ しさ と、現代科学 の未熟 さを痛感 した。
今回、 ご紹介す る書籍 は、 1,300年 の歴 史を持 ち、 世
界最 占の 木造建築である法隆 寺の宮大 工 。西 岡常 一 棟梁
の 話を聞 き書 き した ものであ る。 この本 には 、法隆寺大
工の 回伝 な どをilEじ て、師匠か ら弟子 へ 継承 してい く
「師
弟 の 絆」、人 間 も自然 の 中 に生 か され てい る とい う「 自
とん ど失 いかけてい るものを教 えて くれ る、貴重な一 書
然 との調和 」、 また木 も人 もその癖 (個 性 )を 見抜 いて
であ る。
それを生 かそ うとす る「人の育 て方」 な ど、現 代人が ほ
(第
2590地 区 神奈川県)
一‖
1は 、 バ ルザ ックの短編集。 3人 の主 人公 の 死 の 、迷
惑 をかけない 自己満足的 プライ ドにオTい 時、感激。 フラ
ンス革命後 のナポ レオ ンがスペイ ンに遠征 し、捕 虜 を旅
館 に軟禁 した時の こと、仲 の 良 い伯爵人妻 の 麦が脱走者
を匿 った。亭主 はあ る日、押 し入れに 誰か いるのに気付
く。妻 は神 に誓 って 誰 もいない と断言。亭
liは
レンガ と
・ブルテ ー シュ綺謂」)。
漆喰 で入 り口を 1司 めた (「 グラン ド
西洋 で は 良識 、私 た ち は 良 ′
いで しょ うか 。 ご紹 介 す る
34
THE ROTARY― NO― TOMO
対称性がイ
破れて地球が生 まれ、神様 は人 間を相対性 の 内
2012 VOL.60 NO.6
で生活 す る行1命 を背負 わせ ま した。
男女 の 相対性 は確 かに地球をlE服 し
ま した。先人 たちの 計 り知れ ない流
imは 、悟性 ではJ里 解 は無理。利1対 性
に悩 んだ空 海 は画 面を、 バ ルザ ック
は原 因 と結果を 重視 しま した。
そ の 昔、 買 い 出 しの 汽 車 内 で 背
負 った リュックの重 さを忘れ させ た
読 書のひ とときで した。
(2820地 区 茨城県)
雇用・ 利子および貨幣の一般理論
∈畢3 JoM.ケ インズ/塩 野谷九十九・ 訳
冊需覇1東 洋経済新報社
樫菱〕1975年 4月 (第 55刷 )※ 初版 1941年 12月
山口 RC
矢野
美喜
経済学を学ばれた方 であれば大半 の 皆 さんが ご存 じ
の、近代経済学を代表する名著です。高等学校の政治経
済の授業 においてこの本を知│り 、興味を抱 いて読んだこ
とが、その後、大学 に進んで経済学十を志すきっかけ と
な りました。 また大学入学後、2回 生の時に 1年 上級の
先輩か ら「英
,訂
iで 書かれた原 :牛 を読む会をイ
ッ
∫
よで作るの
で、君 も仲‖
1に 加わらないか ?Jと 誘われ、1週 間に 1
11と ともに リーダーの ド
度、5人 の 11級 ′
宿へ 集 まっては、
この本 の原 ユ
│を 一章ずつ読み進め、記載されている内容
もあ ります 。 今 も、 自分 の 中 で生 き て い る 「物 事 の 真 理
を追 究 す る大 切 さ」 を学 ん だ一 冊 で す 。
についての議論を、夜を徹 して交わ した思い出深 い本で
(第
2710地 区 山口県)
「人 の生 涯 …… いや 、剣客 の ′
[1涯 とて も、剣 に よ って
の 黒 向のみに よって定 まるのではない。 この 、 ひろい世
の 中は赤 の 色や、緑の色や黄の色や、 さまざまな 、数 え
LJJれ ぬ色合いによって 、成
り立ってい るの じゃ」 と人間
の 生 きざ まの複 雑 さや矛 盾 を、 その ま ま受 け 人れ る人
′
li観 に 感銘 を受 け、 またス トー リー の 面 ド│さ もあ って 、
1994年 ごろ 出合 い、長距離通勤で も楽 しい時間を過 ご
た読 み返 してみ る と以 前 の 見方 と違 うよ うに思 われ ま
す ことがで きま した。
す。今後、後継が必要 としなければ 、地域 な どの図書館
読 み始 め た らシ リー ズ もの もあ って 、 238冊 (著 者
の 作品す べ て)所 蔵 してい ます。蔵書 に した ものは、 ま
平成 24年
6月 号
に寄贈す るつ も りです。 ほかに藤沢周 平 (全
の本 もお勧めです。
(第
65冊 発行 )
2600地 区
ロータリーの友
長野県 )
35
公益財団法人 ロー タ リー米山記念奨学会 □― タ リー 日本国内全地区合同プ ロジ ェク ト
ありがとう、 ロータリアン ! ③
出会 いが 開 く、未来
米山学友 /セ ミテ クノ (株 )社長
ハクヒ
趙
柏飛 さん
日本 の友人を連れて故郷 の南京 ヘ
チョウ
出身 :中 国
奨学期間
:2004-06
学校名 :大 阪産業大学大学院
世話 クラブ :大 東中央 RC
私 は中国 。南京市 の出身です。反 日感情が強 い土地 と
言われ ますが、80年 代 後 半 には地元紙やテ レビで 日本
出会 いは宝です。私は博士課程最終学年で米山記念奨
の文化が紹介 され、 日本映画 も L映 されていました。 日
学生 とな りました。研究一筋だ った私が、奨学生 になっ
本 についてもっと知 りたい と思 った私は、日本語の通信
たことで ロー タリー を知 り、よ り深 く社会 とのつ なが り
教育を受け、留学を希望 していましたが、その夢はなか
を実感できるようにな りました。大東中央 ロー タリー ク
なか叶いませんで した。
ラブの皆さまのおかげです。 自分 にできることをやって
1990年 の夏 の ことです。友人か ら「日本人 らしき男
性が、うちの店の前で具合が悪そ うに しているのだけ ど、
みようと、日本に帰国 したばか りの中国残留孤児のため、
役所での手続 きを手伝 った り、アルバ イ ト先を紹介する
何を話 しているのかわか らな くて困っている」 と、連絡
な どの支援活動を始めたのも、 この頃で した。
を受けま した。駆 けつけてみる と、「暑 さで体調を崩 し
て しまった」 と訴 えてお り、私はす ぐに介抱 しました。
介抱 した縁 で打 ち解 けた私 たちは、その後 2日 間、彼
の帰国まで親 しく交流する ことになったのです。
しば らくして、手紙が届 きま した。「助けて くれた恩
石 の上 にも三年
また、勉学が進むにつれ、私 の関心 は「日本を知 るこ
と」か ら「アジア共同体」へ と移 りました。
昨年発生 した タイの洪水 でも明 らかにな りましたが、
は忘れない。 もし君が留学 したいのなら、私が保証人 に
もはやアジア全体が、経済的 に切 り離す ことので きない
なる」と。 こ うして、私の 日本留学が実現 したのです。
関係にあ り、関係強化が欠かせ ません。 しか し、近いか
実 際 に会 う こ とが 大 切
私は大阪産業大学で経済学を学び、修士課程、博 七課
程へ と進学 しました。留学中、夏休みを利用 し、北海道
らこそ車L蝶 も少な くあ りません。政治 レベ ルでは関与で
きない ことが多 い と考 えた私 は、む しろ経済分野 におい
て、 日中両国の相互理解・ 発展 のために尽 くしたいと思
うようにな りました。
か ら沖縄 まで自転車で旅を しましたが、道を教 えてもら
卒業後、私は起業する道へ進 もうと決意 しました。未
った り、飲み物をもらった り、土地の風習を教 えてもら
知 の分野なが ら、半導体、液晶、 LEDの 製造工場向け
うな ど、多 くの人 との出会いがあ りました。 こうした体
に消耗 パー ツやフィル ター を供給する会社を 2008年 に
験を中国の友人 に話 し、また、日本の友人を南京に招 い
設立 しました。 ところが、 リーマンシ ョックか ら世界的
て交流の場を設けたことがあ ります。同 じ時間を過 ごし、
経済恐慌 とな り、仕事 らしい仕事があ りません。「 この
テレビや映画の世界 とは違 う本 当の 日本人、中国人 と接
ままでは、 自分だけでな く家族 の生活 も危険にさらして
する ことで、互 いに良い印象を持 って くれたようです。
しまう」。不安 に押 しつぶされ、夜 も眠れぬ 日々で した。
36
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
:よ う
よ11や 去イ
反 日感情が強いと言われる土地で、 日本 へ の関心を持ち、 日本語を学んだ趙柏飛さん。偶然の出会いから日本留
ひら
学へ の道が開け、さらに大学での進学 と卒業、その間の体験、起業へ と、常に人 との出会いに支えられなが ら歩
んできま した。「ロー タ リー を知 り、よ り深 く社会 との つなが りを実感できるようになつた」 という趙さん、 日
本 のロー タ リアンヘのお願 いと、感謝の気持ちを込めて寄稿 して くれま した。
そんな時、世話 クラブの峠松次 さんが「私 も戦後、何
えて くれてい ます。ほ とん どの学友が 同 じ気持 ちです。
もない ところから開拓 し、困難を乗 り越 えてやってきた。
私を含め これか らも夢に向かって進み、胸を張 って会 い
日本 には “
石 の上にも三 年"と い う言葉があって、真面
にいけるよ う頑張 るつ もりですので、皆 さまもどうか、
目に頑張れば必ず報われ る。 もし困 った ことがあれば、
温か く見守 っていただければ と思います。
私が いるか ら心配せずに取引を しなさい」 と言 って くれ
ました。その温か い言葉を胸に、私は中国で営業先を開
川西津音夫氏か ら一言
拓 し、少 しずつ仕事を増や していきました。 日本でも良
「ビジネス
趙君は大変真面日で、
い部品調達先が見つか り、半導体以外にも商談が来るな
よ りも教師向きでは ?」 と何度か
ど、峠 さんのお話か ら 3年 間耐え忍 んだ今年 は、 これ
言 いました。 しか し、彼の決意は
までで一番良い年 にな りそ うです。
固 く、その後は会員の会社を見学
させた り、経営の レクチャー もしました。 日本 の商
ク ラ ブヘ 連 絡 が で き な い 学 友 も
日本 のロー タリアンの皆 さまに申し上げたい ことがあ
ります。 これまでに私は中国で、何人かの米山学友に会
いました。全員が必ず しも理想通 りの人生を送 っている
わけではな く、本意ではない仕事を している人 もいまし
た。忙 しさに追われ、皆さまへの連絡が疎かになってい
る学友 もいると思います。 しか し、彼 らは決 して、恩を
習慣 にはまだ不案内な面 もあ り、われわれのバ ック
ア ップが欠かせません。ただ、中国企 業 は日本企業
との取引に消極 的 ですが、 中国人 である彼 が設立 し
た会社 には信頼が厚 いよ うです。趙君には、 ビジネ
ス面で日中の懸け橋 にな り、両国の長所を伝えてほ
しい。そ うい うことがで きる人物だと信 じています。
ロー タ リー米 山記念奨学会事務局
忘れたわけではあ りません。現実 と夢 とのギャップの 中
で、連絡を取 りづ らい状況にあるのです。
私は、米山記念奨学生にな らなければ、今 日の 自分は
米 山記念奨学事業 に 関す るお問 い合 わせ・ ご意見、ま
たは “よねや まだ よ り"に つ いての ご意見 を、公益財団法
いなかった と思 っています。卒業後 も川西津音夫カウン
人 ロー タ リー 米 山記念奨学会 まで、ぜ ひお寄せ ください。
セラーをは じめ世話 クラブの方か ら励 ましと応援をいた
TEL:03-3434-8681
だいています。奨学生時代 のつなが りが、大 きな力を与
Eメ ール :maiprotary― yoneyama.orjp
FAX:03-3578-8281
寄付のメ リッ トを活用 し、一層 の ご支援を
ロー タ リー 米 山記念奨学会 は本 年 1月 4日 に公益財団法人 へ 移行 したため、 当会 への ご寄付 は新たに「税額控除」
の対象 とな りました。そのため、来年の確定 申告 の際 には、従来 の「所得控除」 に加 え、「税額控除」の どちらかを選
択する ことができ ます。税額控除 とは、寄付額の約
40%の 金額が所得税額か ら控除されるもので、所得控除よ りも控
除額が大き くなる ことが あ ります。特別寄付金のほか、毎年 クラブか ら会員数分お送 りいただ く普通寄付金 も控除の対
象 です (ク ラブか らの氏名デー タ提出が必要 )。 米山記念奨学事業は 日本の全 ロー タリアンが推進する独 自の 国際奨学
事業です。寄付 のメリッ トを ご活用 いただき、 ご支援をよろ しくお願いいた します。
送金先 :三 井住友銀行
平成 24年
6月 号
京橋支店/普 通預金
0920373/口 座名義
公益財団法人 ロー タ リー米山記念奨学会
ロータ リーの友
37
2011-12年 度 地区大会略報 Ⅲ
舅彗25801地 IEE
2012年 2月 22日
2012年 2月 22∼ 23日
帝国 ホテル
登録者 2′ 231人
ザ・ プ リンス パークタヮー高輪
ホス ト 東京 日本橋 RC 登録者 2′ 585人
RI会 長代理・ 茶熙乗御夫妻を迎 えて開
片倉章雄ガバナー 李東建 RI会 長代理を迎 えた大会は、ホ
ス トの東京 日本橋 RCの 、江戸情緒を出 したい との思いを反
ホス ト 東京足立 RC
水野正人ガバナー
第 2750地 区
催 された地 区大会。「震災復興」をテーマに したパ ネルデ ィ
スカ ッシ ョンでは、パ ネ リス トか ら体験に基 づい た貴重な報
告がなされま した。 また、記念講演 「 日本復活、今、 日本人
の持 つべき心は !」 において、金美齢氏は日本精神を思 い 出
せ ! と熱い口調で語 りま した。水野ガバ ナー が掲げる「簡
素 に して充実 したロー タリー活動Jの ビジ ョンのもと、今大
会は日程を一 日に短縮 して行われましたが、その 目標 は十 分
に達成 され、楽 しく有意義な素晴 らしい大会 とな りました。
男彗27301地 IEE
2012年 2月 25∼ 26日
映 し、長唄「勧進帳」な ど、 日本文化 の 良さを実感できる大
会 とな りました。半面、 日本でただ一つ 、海外 のクラブも含
まれる地区の大会は、数か国の国家斉唱な ど、国際性に富ん
だ もので もあ りま した。建築家 。安藤忠雄氏 は、記念 講演
「戦略なき日本」 で今 の 日本を辛 口に批評。本会議で の大会
1年 未満 の会員 の紹介、友愛 の広場での地 区内クラブのプロ
ジェク ト展示な ど、地区内の活力を示 しました。
算彗26801地 IEE
2012年 3月 3∼ 4日
都城市総合文化ホールほか
ホス ト 都城 RC 登録者 1′ 234人
神戸 ポ ー トピアホテル ほか
ホス ト 神戸東 RC 登録者 2′ 000人
都城で開催。武見敬 三東海大教授、第 2520地 区・ 檜山直樹
パ ス トガバ ナー、第 2530地 区 。伊藤浩ガバ ナーエ レク トに
久野薫ガバナー 「響け !再 生 と創造の ハー モ ニー」 の も
とに、永富稔 RI会 長代理を迎 えて開催。東 日本大震災か ら
1年 目を迎 える時期でもあ り、阪神 。淡路大震災を体験 した
よる東北震災シンポジウムは支援の気持ちを新たに し、本会
議は特産 の 弓の試射な どで開幕 しました。公開記念公演・ 渡
辺知子 一座 の「生きるってす ごい」 も大好評。会員交流大懇
親会は地元産 の食材 と焼酎で盛 り上が り、最終 日は ロー ター
アク ト、イ ンターアク トの活動報告な どがあ り、「手 に手 つ
ないで」の合唱で閉幕 しました。
38
THE ROTARY―
NO―
TOMO
被災地 としてテーマ を絞 りました。 2日 目には宮脇昭氏 によ
る「 いのちの森を未来 につな ぐ」の記念講演 に続 き、
神戸 フィ
。
ハー
ニ
・
モ ック 宮城石巻中吹奏楽部 神戸本庄中吹奏楽部
ル
による「いのちの音を未来につ な ぐ」 と題 した合同演奏を実
施。中学生は練習を通 じて交流を深めることができ、別れ際
には涙する場面 も見受け られ ました。
2012 VOL.60 NO.6
2012年 3月 9∼ 10日
2012年 3月 24∼ 25日
崇城大学市民ホールほか
ホス ト 熊本城東 RC 登録者 1′ 238人
郡山ユ ラックス熱海ほか
ホス ト 郡山西 RC 登録者 1′ 348人
本田光崚ガバナー 地区スローガンに「′
い機一 転」を掲げる
本田光噴ガバナーの もと、
横山守雄 RI会 長代理を迎 え開催。
の
ミナーでは、
初 日 地区指導者育成セ
1木 明第 2680地 区パ
ス トガバ ナー が「 ロー タリー と戦略計画」 と題 し講演。 2日
根本一禰ガバナー 「今大会を契機 に皆 さん、 しっか りがん
ば りま しょう !」 と根本 一輛 ガバ ナー が宣言 し始 まった本会
議。李東建 RI会 長代理 を迎 え、佐藤雄平福 島県知事 をは
じめ多 くの来賓が郡山に集結。全村避難中の飯舘村村長・ 菅
目の 講演 「新 しい年 の 東ア ジアをめ ぐってJで は、「熊本を
九州 のワシン トンに」 と力説する熊本出身の姜尚中氏 の「九
野典雄氏の講演に続 いては、今回の 目玉 「芸術文化交流祭」。
震災の 苦境を乗 り越 えるべ く企画され、相双分区の 「相撲甚
州連合体」構想に、会場は盛 り上が りました。東 日本大震災
復興支援 として、被 災地 区 と、震 災遺児 へ の 教育支援 事業
句 と歌謡民謡」な ど、分区ごとに練習 した歌、踊 りな どを披
「ロー タリー 希望 の風奨学金」 へ の義援金が贈 霊されま した。
露、会場は笑 い と拍 手 に包 まれました。楽 しい 中 にも復興に
向けて絆を強めるとい う目的を果たす大会 とな りました。
算彗2800J地 IEE
2012年 3月 31∼ 4月 1日
山形県県民会館ほか
ホス ト 山形西 RC 登録者 1′ 771人
「ロー タリー を学ぶ ことにおいて、年齢 は関係 あ りません。
草 の根 ロー タリアンである皆 さまの活動が とても重要なので
すJと 、一人ひ とりの姿勢、活動が鍵であると強調 しました。
細谷 ガバ ナー は、「東 日本大震 災 によって、人間が本来持 っ
ている人を思いやる心 、絆 の大 切さを思 い起 こす ことができ
ました。私たちは、 これを継続 していかなければな らない と
思 っていますJと 述べ 、継続的な支援を要請。参加者が ロー
タリアンとしてのあ り方を考 える大会 とな りま した。
平成
24年 6月 号
今西信裕ガバナー 「 良き伝統を守 り、新 しいロー タリー に
挑戦 しよう」をテーマ に掲げる今西信裕ガバナーの もと、 R
I会 長代理 に牧田静 ニパス トガバナーを迎 え、開催 しました。
特別講演は 「ロー タリーの価値観」 と題 して、 RI元 理 事・
千玄室氏。 また、記念講演は建築家 。安藤忠雄氏が 「 自ら可
能性を探 さなければ日本に未来はない」 と、いずれ も奥の深
い 内容で熱弁を振 るわれ ました。その後、京都な らではの芸
舞妓 による接遇な ど、華やかに大懇 親会が行われ、盛 り Lが
りの中に 2日 間 にわたる充実 した大会を終 えました。
ロータリーの友
39
2011-12年 度 地区大会略報 Ⅲ
舞彗2740J地 IEE
2012年 4月 6∼ 7日
長崎 ブ リックホ ー ルほか
ホス ト 長崎北東 RC
登録者 1,450人
算彗28201地 IEE
2012年 4月 7∼ 8日
結城市民文化 センターアクロスほか
ホス ト 結城 RC 登録者 2′ 131人
岩永信昭ガバナー 異 │■ 情緒あふれる長崎で開催 された地区
大会。RI会 長代理晩餐会では長崎龍踊 りが披露 され、その
大木勲ガバナー 「地球環境を考 えよ う」 をテ ーマに 開催
された地 F/1大 会 は、昨年震災 によ り急 きょ中 111と なったため、
迫力に圧倒 され ま した。本会 議 は米 山学友 Jisongさ んの澄
んだ歌声で開幕。同期ガバ ナー な ど来賓 一 人ひ とりと握 手を
2年 ぶ りの大会 とな り、多 くの会員が参加 しました。金容休
交わ しての紹介は、岩永ガバ ナーの温か い心が表れて いま し
た。 ll野 孝 RI会 長代理、地区指導者養成 セ ミナー講師の第
2770地 区パ ス トガバ ナー 中村靖治氏、ロー タリーセ ミナー講
は 日本全体がひ とつ になって 片難を克服す る姿に感動 した。
師 の第 2700地 区パス トガバナー廣畑冨i雄 氏は、いずれ もロー
タリーについてやさ しく解説 し、会員の指針 とな りました。
努彗26401地 IEE
義務感 でな く人のために何か したい、 とい う心の底か ら湧 き
あがる情熱を持 っての奉仕が大切」 と呼びかけました。記念
講演は司葉子氏 の 「ロー タリー と私 Jで 、途中退席す る人 も
な く、最後 の懇親会 まで多 くの会員が交流を楽 しみました。
舞ヨ27001地 IEE
2012年 4月 7∼ 8日
2012年 4月 14∼ 15日
国際障害者交流 セ ンター ビッグ・ アイ
ホス ト 堺 フラワー RC
登録者 1′ 410人
福 岡国際会議場 ほか
ホス ト福 岡城西 RC 登録者 2′ 261人
が咲 きほ こる中、「笑顔 で握 手」を スローガンに開催。同地
区が力を入れ ているライラ研修 も行われ、「震災時危機管理」
についての勉 強会 も同時開催 とな りました。Eク ラブ、新 ク
ラブの設立な ど明るいニ ュースに加 え、「昨句iの 東 H本 人震
災 に対する同地区の迅速な支援で、ロー タリー の素晴 らしさ、
実践 frf学 を実感 した」 とい う第 2530地 区 (村 J島 県)大 橋廣
治直 itガ バ ナーか らの言葉。 lJ分 たちの活動 に 自信を持 ち、
活発 に活動 していることをメj確 認 できた大会 とな りま した。
THE ROTARY―
RI会 長代理は流ちょうな日本語 で 「昨年 の東 日本人震災で
NO―
TOMO
小山田浩定ガバナー ↑
イ城県塩釜 :lfか らの桑原茂 RI会 長代理
は、東 日本大震災 の被災地 の被害状況 の報告 と支援に対 して
のおネLを 述 べ ました。ホー ムカミング市1度 で来 日した米山学
友 のイ 。タウン氏は、 ロー タリアンとの交流や近況について
話 し、感謝の意を表 しました。姜尚中氏は記念講演 「束ア ジ
アの絆を求めて」で、東 日本人震災後、世界か ら日本に対す
るエー ルが送 られた ことに対 し、「 │1本 は世界か ら関心を持
たれ、 手を差 し伸 べ たい と思 う気持ちが 自然 にわき起 こるよ
うな 1可 になった とい うことに、誇 りが持てたJと 話 しました。
2012 VOL.60 NO.6
2012-13年 度
地区大会予定 一 覧
(地 区番号・ ホス トクラブ 。日程・メイン会場名 )
2500地 区
2510地 区
第 2520地 区
第 2530地 │え
第 2540地 区
第
第
釘J25501也 区
第 2520地 区
2012年 4月 21∼ 22日
仙台サンプラザホールほか
ホス ト仙台 RC
登録者 1′ 310人
菅原―博ガバナー 昨 句i3月 の 東 [1本 大震 災後、地 区 内 の
会 liが 初 めて-43こ 会する地区大会は、千玄室 RI会 長代理
を迎えて開催 され ました。本会議に先立ち、菅原ガバ ナーの
同期lガ バ ナー をは じめ、地区外か らの参加者は、被災地の状
況や ロー タリーが建てた「津波 fu達 の地」の石碑な どを視察。
これか らの支援 につ いての ヒン トを得る ことにな りま した。
櫻 リトよ しこ氏の i‖ 演 「日本 の進路 と誇 りある国づ くり」 は、
震災後 の「1本 人 の行動、復興 に向けての あ り方な ど、多 くの
聴衆 の共感を得 ま した。
第 25601也 区
106∼ 7 北 見市民会館
1013∼ 14 新 ひだか町公 民館
1戸
420∼ 21 1,T市 民 文化会館
郡 山西北 11.17∼ 18 郡山ユ ラ ックス熱海
秋 田西 11.3∼ 4 秋 lu市 文化会劇1
′
都宮北 7.15∼ 16 宇都宮グラン ドホテル
長 岡 H18
北見束
静内
jイ
シテ ィホール プラザ
アオー レ長 岡
吹 L 4.20∼ 21 鴻巣 l「 文化 セ ン ター
2770地 区 リ!│:1 11.17∼ 18
第 25701也 区
第
川 ‖総 合 文化 セ ンター・ リ リア
算;2790ナ Lレ ξ 朽:プ可剪こ
1020-21
ザ・ マ ンハ ッタン、森 のホール 21
ホテル
2800地 区
2820地 区
第 2830地 区
第 2840地 区
第 2580地 区
第 2590地 区
第
第
第
2600地
南陽東 1026∼ 27 南陽 lド 民体 育館
つ くば学 同 428∼ 29 つ くば国際会議場
1013∼ 14 青森 rl文 化会館
桐 引1 10.13∼ 14 ‖可生市 市民文化会館
宜野湾 2.20 沖縄 コンベ ンシ ョンセ ンター
横浜瀬谷 119∼ 10
青森 中央
パ シフ ィコ横浜会議 セ ンター
コスモス
10.13∼ 14
区 佐久
佐久 ―萬 甲温泉 ホテル ゴール デ ンセ ンチ ュ リー
2610地 区
第 2620地 区
第 2630地 区
第 2750地 区
第
宙 山大 手‖∫ H10∼
町:府
H17∼
11
18 :│1府 富
宙 山国際 会議場
lf屋 ホテル
10.27∼ 28大 洵1フ ォー ラムホテル
東京 日黒 2.21∼ 22
本巣
ザ・ プ リンス パー クタワー東京
第
2760地 区 安城 1027∼ 28
第
2780地 区 鎌 倉 10.20∼ 21
ウェステ ィンナ ゴヤ キ ャ ッスル
神奈川県立 七lI:ガ 浜 高等学校
第
第 2560地 区
2012年 4月 21∼ 22日
ANAク ラ ウンプラザホテル新潟 ほか
ホス ト新潟 RC
登録者 013人
1′
石本隆太郎ガバナー 京都か ら富田謙 三 RI会 長代理を迎 えて
開催。クラブ指導者研修会で行われた新潟大学 DMAT隊 長・
高橋昌先 41に よる講演では、災害医療 について実体験 とユー
モアを交えなが ら息 もつ かせぬ勢いで話され ました。分区ご
とに活動 と特産品を展示するブースも設け られ、慣れない様
2640地 区 大阪狭 J1
10.27-28
第
国際障害者 交流 セ ン ター (ビ ッグ・ アイ)
大津 4.13∼ 14 大津 プ リンスホテル
第
大阪 中之 島
2650地 lえ
2660地 │え
第 2670地 区
第 2680地 区
第 2690地 区
第 2700地 区
第 2710地 区
第 2720地 区
12.7∼ 8 大阪国際会議場
高松 西 4.20∼ 21 サ ンポー トホ ー ル高松
神 戸南
32∼ 3
神 ,fポ ー トピアホテル
10.27∼ 28 倉敷市民会館
久留米 4.13∼ 14 イi橋 文化 セ ンター
呉 10.20∼ 21 呉 llj文 化 ホール
倉敷
大分 中央
38∼
9
人分 オア シス タワー ホテル
第
2730地 区 鹿 児島西 H.10∼
11
鹿児 島 lド 民文化 ホー ル
卜で物を売 る姿 も。
懇親会は身動きできないほ どの盛況ぶ り。
県内各地 の唄 に合わせた新潟芸妓による舞が初披露され、企
第
画を した新潟 RCの セ ンスが光 りました。「手に手 つ ないで」
を、肩 まで触れ合 うほ ど密接 して大合 ‖
H、 散会 とな りました。
2012年 5月 10日 現在。
最新情報は各地区ガバナー事務所、
本誌横組み掲示板・
Rotary」 apan(www.rotary.orJp)な どでご確認ください。
平成 24年
6月 号
2740地 区 佐 賀北 46∼ 7 佐 11:ド 文化会館
ロータ リーの友
41
明 日の指導者 を養成す る
国際ロータリーRYLA委 員会 委員 海沼
美智 r
「ロー タリーの 未来 Jか ら「 RI新 戦 l14計 画」、
「R
園氏 は、
5回 目を迎 え た研 究会
YLAプ
RYLA (Rotary Youth Leadership Awards「 ロー
タ リー 青少 年指導 者養成 プ ロ グラム」)へ の馴!解 を深 め
ロ グラムで取 り組[む カ リキ ュラムJそ して 「近
代的 リー ダー シ ップJま で幅広 いお 話を して ください ま
した。
るため 、 また 日本 の RYLAプ ロ グラム活動の活性 化を
続 いて 、今リト
氏か ら「 RYLA再 考 ∼ IIL界 とロー タリー
はか るため、 2008年 にス ター トした 「全国 RYLA研
の未来 へ の 変化 の 中 で」 とい うタイ トルで講演を してい
究 会」 は 、今年で 5回 ‖を迎 えま した。
ただ きま したり「 RYLAの 仕組 み Jの 解説 と 「急速 に
この 5年 1間 に 、継続 して参加す る ロー タリアンの数 も
変化す るネL会 の 中で の RYLAの 方向性」 を分析 し、 Pnu
iい の地 区 RYLAの 情報交換 を した り、講演
増 え、お ′
題提起 をす るお話をいただきま した。
者 として│イ 1待 し合 った りして、交流の 輸が広が ってい ま
午前 の 部 の 最後 は、 RIRYLA委
11会 委 員の 海沼美
す。 見学 のため他地区 の RYLAに 参加す る熱 ′
な ロー
こ、
「会か ら出 され た新 世代 lld連 の 決定 J「 項
智子が、 RI理 可
タ リアンも出てきま した。 また、今 まで未開 1に の地 区 も
の 報 告、 バ ン コ ク1可 際大会で の RYLAブ ー スの情報 な
開催 を検討 し始め、 RYLAを 休 ILし ていた1山 区で再開
どを伝 えま した。
す る こととな った ところもあ り、 日本国内での RYLA
RYLAが
へ の 川!解・ lll心 が少 しずつ l.Iま って きてい ますЭ
「第 5[:1全 l■・IRYLA研 究 会 Jは 、 2012年 2月 5H
に東京 で開 催 され ま した。 ■1日 、全 1可 か ら 41人 のガ バ
研修 を修
1人 [│は 、 2009句 iに 地 区 RYLAセ ミナー に参加 し
た国連大 学 に 勤務 す る櫻 リト
慎 山さん、 2人 ‖は、 2007
イ
Fに 参加 した 東京 都赤 卜字 im液 セ ンターに勤務 の 篠崎順
11会 の リー ダー たちがお集 ま りくださいま したっ
午前
1011キ 、 l]会 進行の f/1i野 :│:行 パ ス
:Fの 後 、元│]際 ロー タリー
り
2750地 区 の 2人 の RYLArian(RYLA
rし た者 )の 経験 談か ら、ス ター トしま した。
午後 は、第
ナー、 パ ス トガバ ナー 、 ガバ ナ ーエ レク ト、ガバ ナ ー ノ
ミニー 、そ して 93人 の 地 区新世代委員会や RYLA委
き っか けで新 しいチ ャ レンジ
トガバ ナーの 発
治 さんです 。
(RI)理 事で、今研究会 大
櫻 井 さんは、 RYLAセ ミナ ー に参加 した 当時は、筑
会 委 il長 の 今 リト鎮雄 氏 の 点 鐘 で始 ま り、片 倉 章雄 ガ バ
波大学大学 院に在学 中で した。 修 ヒ課Flを 修 了 した後、
ナ ー 会議長 の ごあいさつ 、元 RI理 J「 の 南園義 一 氏 の り
東京 の E「tl連 大学 に勤務 しま したが 、今年退 lllViし て、 6月
調講演 「 RYLAと リー ダー シ ップJと 続 きま した。 l打
か ら JICAの アi年 海外協力隊で、アフ リカのル ワンダ
:【
ロ
、一□一田
驚 忘.R阻
:ι
listrict 27 S0
JAPAN
42
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO.6
に派遣される ことにな りました。ルワ ンダでは水 のプロ
を重ね、素晴 らしい RYLAが 出来上が り、その達成感
ジェク トに関わ り、村落部にお いて給水施設 の管理や水
は大 きかったそ うです。
因性疾患 の病気予防法な どを現地の人々に教 えるとの こ
とです。 このよ うな実践活動へ のチャレンジのきっかけ
は地区の RYLAへ 参加 したことが大 きい と述べ られま
した。
篠崎 さんは、 日本赤十字社か ら、2010年 に、 2回 に
わた り、 ハ イチ共和国に事務管理要員 として派遣 され、
地震後 の現地の人々を支援するために働 いた経験を話 し
ました。仕事 は、人事、経理、契約、危機管理、連絡・
調整な ど幅広 く、プロジェク トの統括 のよ うな責任ある
役 日で した。地震 にも負けないハイチの子 どもたちの明
るい笑顔が印象的だったそ うです。ハ イチの現場で リー
ダー シ ップを発揮 した際、 フォロアー たちの協力を重要
視 したのは RYLAセ ミナー で学んだ経験か らで した。
また、 RYLAセ ミナーの カリキュラムの素晴 らしさ
についても述べ られました。
RYLAの
小牧氏の第
2730地 区
(宮 崎 。鹿児島県)で は、例年
の RYLAは 1泊 2日 ですが、 20H年 は、 4月 の毎週
水曜 日の夜 (18:30∼ 21:00)、 4回 連続で開催 しました。
楽 しく有意義 な RYLAと して、 ビジネスエ チケ ッ ト、
冠婚葬祭 のマナー、 リー ダーシ ップ論、司会 。議事進行
法、行事企画 。運営法、青年期 の危機管理な どの研修を
し、最終 日にディナー でテーブルマナーを学び、経済界
の方 々の話を聞 く機会 も作 つた との ことで した。
浅野氏 の第 2590地 区 (神 奈川県)で は、東 日本大震
災 の被災地でボラ ンティア活動をす る RYLAを 試みま
した。その目的は、 2つ あ り、①夢 と希望に満ちた復興
支援プロジェク トを実践する こと、② リー ダーシ ップを
発揮 できる強 く広 い気持ちを育成す ることで した。また、
東 日本大震災支援活動 を通 して、今年の RIテ ーマ「こ
ころの 中を見つめよ う 博愛 を広げるために」が どのよ
うな意味を持 つか、あ らためて深 く考 える RYLAと
新 しい試み
なったそ うです。
次 にパ ネルディスカ ッシ ョンにな りま した。今年 は、
斬新的な RYLAを 実行 した地区か ら発表を していただ
きま した。モデ レー ター は、 パ ス トガバ ナ ー の飯忠 悟
2670地 区 今治 RC)。 パ ネ リス トは、①春 山
和夫氏 (第 2840地 区 大田 RC)、 ②小牧 二郎氏 (第
2730地 区 鹿児島東南 RC)、 そ して③浅野英人氏 (第
2590地 区 横浜西 RC)の お二人です。
春山氏 の 第 2840地 区 (群 馬県 )で は、20H年 10
氏 (第
若者は世界 の未来
RIテ ーマの生みの親である、カルヤ ン 。バネルジー
RI会 長か ら、今回の「第 5回 全国 RYLA研 究会」開
催 によせて、以下 のメッセージが届いています。
全国 RYLA研 究会 は、地区での RYLA活 動を活発
にすることで、新世代プロ グラムを充実させたい と願 う
月 に、全 く新 しい試み として、外部か ら松下篤史 さん
(RYLArianで 、 国際 RYLAカ ウ ンセ ラ ー)を 招 き、
すべ てのロー タリアンにとって大変実 りある会合です。
RYLAは 、 ロー ター アクター 、イ ンター アクター、
企画制作の陣頭指揮を とってもらいました。 ロー タリア
学友やその他 の将来有望な若者 が集い、スキルを身につ
け、奉仕プロジェク トに参加 し、 ロー タリー とい う世界
ンと一緒 に、ロー ター アクター も企画 の時点か ら参加 し、
手作 りの RYLAを 開催 しました。何回もの打ち合わせ
的なボラ ンテ ィア・ ネ ットワー クとのつなが りを築 くた
めの絶好の機会を提供 します。
この研究会へ の参加が、マハ トマ・ ガ
ンジーの教 え「世界 の変化を望 むな ら、
あなた自身がその変化 にならなければな
らない」 に応えられる若者の育成につ な
District
J
がることと確信 してお ります。
皆さまの地 区の若者は、 ロー タリーの
未来であるだけでな く、世界 の未来 でも
あ ります。 ロー タリー青少年指導者養成
プロ グラム
(RYLA)を
通 じ、 これ ら
の若者を世界 の リーダー として養成する
ご尽力 に深 く感謝 いた します。
平成 24年
6月 号
ロータ リーの友
43
日本 ロータリー写真備
││
1952年 11月 8∼ 9日
開催地
名古屋 :「
大会 プ ロ グラム
前夜懇談会 11,17日 (金 )11後 6:00丸 榮ホテル
第 1日 H月 8日 (11)10:00開 会
10:10 1場 会 の 辞 佐 々部大会委 員長
15 1嗣 催地 区会長歓迎 の 辞
伊藤 名古屋 RC会 長
本部代表、
来賓 RI役 員等紹介
小林 ガバ ナ ー
10:20 歓迎の辞 名 占屋 市長 小林橘川氏
10:30 ガバ ナ ー 報告、 告辞 ガヽ林 ガバ ナー
H:05 来賓祝辞 愛知1県 知1事 桑原幹根氏
11:20 本部代表挨拶 Mr H.T.Thomas
12:05 資格審査委員報告 八木富 J氏
午後 1:00 再開 物故会員に対 して黙祷
05 新 クラブ紹介 Jヽ 林ガバナー
15 講演「 青少年 の指導」 齋藤惣 一 氏 (東 京 )
35 登録委 員報告 神 口1純 一 氏
40 出席率優秀 クラブ表 彰 月ヽ林 ガバ ナー
45 ガバ ナー ノ ミニー 選挙報告お よび紹介
15∼
4:15
4:45
5:45
小林 ガバ ナ ー
部門別協議会
於名 古屋 商 E会 議所
余興 西川流舞踊
本部代表へ記念品贈 里
6:00∼ 7:30 晩餐 (4階 ホール)模 擬店
第 2日 11月 9日 ([│)10:00開 会
10:05 講演 「国際親善に就いてJ
勝沼精蔵氏 (名 古屋)
45 講演 「ロー タリー、フアウンデシ ョンと
スチューデン トプロジェク トJ
H:05
手島知健氏
部門別協議会報告
国人 使
軍糧
(RI理 事 )
各委員長
MA Rob∝ t D Murphy
:3。 ♂ 為 滞
RI大 会 (1953)出 席勧誘
1 1
5
3
5
4
2
0
3
0
3
1 1
10
壽原九郎氏 (小 樽)
決議委員報告な らびに採決
穂積 重威氏 (東 京 )
ガバ ナー 挨拶 小林 ガバ ナ
参加 クラブ代 表挨拶
次り
,]大 会 開催地会長挨拶
余興 音楽
閉会 の 辞 佐 fFl副 委 員長
第 60地 区 地区大会
1952-53年 度、戦 後、 ロー タ
ー
リ に 復 帰 して か ら 1地 区 だ った
日本 の ロー タ リー が東 西 2地 区 に
分割 され ま した。
シ リー ズ最終 回の今 月号では、分
割後、初めて開催 された地 区大会の
写真を紹介 します。
44
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
分割後、初めての地区大会
第 61地 区 地区大会
1952年 11月 15∼ 16日
開催地
福岡市
大会 プ ロ グラム
前 日懇談会 11月 14日 (金 )
第 1日
10:05
10:10
10:15
H月
午後 2:00電 気 ビル ホー ル
15日 (土 )10:00開 会
開会 の辞
歓迎の辞
紹介
大会委 員長
福岡 RC会 長
山脇正次
中牟田喜兵衛
RI会 長代理 Harold T.Thomas
RI理 事 手島知健 来賓
紹介者
ガバ ナー
鳥養利三郎
10:20 歓迎 の辞 福岡市長 小西春雑
10:30 報告告辞 ガバナー 鳥養利三郎
11:00 来賓祝辞
H:15 挨拶 RI会 長代理 Har01d T.Thomas
ll:55 報告 資格審査委員
午後 1:30 再開
1:35 紹介 新 クラブ 紹介者 鳥養 ガバ ナ ー
1:40 講演 RI理 事 手 島知健
2:00 報告 登録委 員
2:05 記念 品 贈呈
2 2
表彰 出席優秀 クラブ
選挙報告
ガバナーノミユー委員長 澤田清兵衛
15 挨拶 ガバナー ノミニー
20∼ 4:20 委員会
会決議委員会および部門別協議会
4:40 余興
6:10 晩餐会 福岡市天神町岩田屋デパー ト
11月 16日 (日 )10:00開 会
第 2日
10:05 講演 パス トガバ ナー 村田省蔵
10:25 報告な らびに採決
決議委員長 大澤 善夫
報告 部門別協議会
講演 福岡 RC前 会長 君島武男
挨拶 ガバ ナー 鳥養利三郎
挨拶 次期開催地 RC会 長
余興
閉会の辞 大会委員長 山脇 正次
10
2
0
1
0
3
1
1
0
3
1
1
0
5
2
1
0
0
0
2
0
5
︰ ︰
1 2
1952-53年 度後半 の、1953年
1月 『 ロー タリー
の 友』 が 創刊 され ま した。『友 』 は、分 割後 も日本全
国 のロー タリア ンを結ぶ雑誌 としてス ター トして、今
日に至 ってい ます。
平成 24年
6月 号
ロー タ リーの友
45
鈴一 歩
ロー タリー の徽章
新会員 の 皆 さんは、 ロー タ リー に人会 して、 ロー タ
歯 :に は 障界各地 で普遍的に ロー タ リー・ クラブお よび
リーのバ ッジを 手に した時、あるいは、襟 に着 けて も
その会 員を表す唯 一 の 図形 です。 (中 略 )徽 章 を適 切
らった時の記憶 も新 しい ことと思 います。
に用 いることによって 、 ロー タ リー を明確 に 認識で き
歯車の 徽章は、 ロー タリア ンであ る ことの 証 しです
る視覚 的 アイデ ンテ ィテ ィー が確 立 され る とともに、
か ら、例会や地 │え 大会 な ど、 ロー タ リー の 会合 だけで
組織 の 公 共イ メー ジが 強化 され ます。 この 理 由か ら、
はな く、常 に着 けているよ うに しま しょう。
ロー タ リー の 徽 章は、 どの よ うな方法 であ ろ うとも、
先輩会 員か ら、 ロー タ リア ン同Jfは 初 めて会 った時
変形、修 lE、 または改造 してはな らず、全体を複製 し
か ら親 しく付 き合 える とい う話を聞かれた ことが あ る
なければな りません」 と書 かれてい ます。
徽章 の 一部 だけを切 り取 って使 っているのを 、 クラ
か も しれ ませ ん 。 Fロ ー タ リー の友
`誌 に も、時折 そ
の よ うな話が掲 載 され ます。相手 は竹 さんの ことを、
ブや地 区 の 印昴1物 で見かける ことがあ りますが、 これ
そ して皆 さんは相手の ことを 、 どの よ うに してロー タ
は規則連反。 また、 この徽章 を薄い色に して、文字を
リアンだ とわか るので しょうか。襟 にロー タリー の 徽
11に 重ね る とい うの も規則違反 です。 さ らに、 ビ
1転 車
iい がす ぐに ロー タ リア ンだ と
章を着 けていれば、お ′
な どの 車輪な ど、何 かの 一部 としてイラス トな どに使
わか ります。
う こともでき ません。
_緒 に、 いつ も ロー タ リー
徽章 の 色 につ いては 、 一 色 だけを使 う場 合は何色を
の 徽章を着 けていたそ うです cケ ンタ ッキ ー フライ ド
使 って もいいのですが、 複数 の色を使 うときは、 ロイ
チキ ンの 倉り
始者 カー ネル・ サ ン ダー ス氏 もいつ もロー
ヤル ブルー と金 色 (ま たはメタ リックゴール ド)と 決
タリーの徽 章を着けて いたよ うで、 日本 の 店頭 にある
め られ てい ます c
松
ド幸之助 氏は、社 rFと
カー ネルお じさんの人形の襟 には、 小 さな ロー タ リー
使用方法 に細 か い 決 ま りが い ろい ろ とあ ります が、
の 徽 章が着 いてい ます。会 った ことの な い人で も、ロー
それ も、 この 歯 車の徽 fFが 、 ロー タ リアンを結ぶ大切
タ リア ンだ とわかれば、親近感がわ いてき ませ んか。
な ものだか らです。
(RI)が 知
「ロー タ リア ンは、 RI会 長 も、 ガバ ナ ー も、 クラ
「ク
13条 には 、
ブ会長 も、そ して新会 14も みんな 平等 Jと ::わ れ ます
ロー タリーの徽章 は、国際 ロー タリー
的所有権 を有 してい ます。 RI定 款第
ラブの各 会員 は ロー タ リア ンとして 認め られ、 RIの
が 、ロー タリーの 徽章を着けて いる と、外 部 の 人 には、
徽 章、 バ ッジまたはその他 の i記 章を着用す る権利を 与
ロー タリア ン とい う以外 に 、新会 員や ベ テラ ンの 会員
え られ る もの とす るJと あ ります。 ロー タ リア ンだけ
を │ズ 別す る手段 はあ りません。みんな 一 緒 に 見 えるの
でな く、 ロー タリー クラブや地 区 も ロー タ リーの徽 章
です。
を使用す る ことが で き ます。 しか し、そ の 使用 には 、
守 らなければいけない規則があ ります。
ロー タリーの徽章 について、 RIの 資料 『 RI視
いつ もバ ッジを 着 け、ち ょっ と背筋を仲 ば して歩 き、
ロー タ リー にい いイ メー ジを もっていただけ るよ う、
日々 の活動、行動 に 気をつ けるよ うに しま しょう。
党 的イ メー ジの ための T‐ 引 き.]に は、「ロー タ リー の
編集長 二神
典子
NAT10NAL ASSOC:AT10N
然
`」
1910
46
THE ROTARY―
NO―
TOMO
2012 VOL.60 NO.6
「 ロータ リー活動」 フォ トコンテ ス ト開催
国際 ロー タリー
!
(RI)で は、ロー タリーの公共イメー
ジの 向上に力を注 いでい ます。ホー ムペー ジやパ ネル展
送付方法
な ど、広報活動を実施 している地 区や クラブも多い と思
います。
応募 は、 Eメ ール 、郵送 の どち らで もお受 けいた しま
す。デジ タル カメラの場合、デ ー タの容量 は 2メ ガバ イ
ロー タリア ン以外 の 人 たちに、 ロー タ リー に興味を
持 ってもらうためには、地域社会に根差 した、または海
外 のニー ズに応えた活動を行 うことか ら始めなければな
ト
解像度 の もの )。 フ ィルムカ メラの場合、 はが きサイ ズ
以 上の紙焼 きをお送 りくだ さい。
応募 は、2013年 6月 末 まで受 け付 けますが、送付 は、
りませんが、それ らの活動を情報 として発信するために
は、活動の様子がよ くわかる写真が必要にな ります。
年度末 に ま とめてではな く、活動 の都度お送 りください 。
しか し、
「写真を使お うと思 っても、いい写真がなか っ
た」とい う経験をお持ちではあ りませんか ?
RIで
は、
広報活動 のためにた くさんの写真を用意 し、 RIの ホー
ムペー ジにア ップ していますが、外国のロー タリアンの
写真がほとん どで、日本で ロー タリー を身近に感 じても
(JPEG)以 上 (TIFFデ ー タの場合 はそれ に相 当す る
なお、お送 りいただ く場合 は、メー ルの件名、封筒 に 、
「フォ トコンテス ト」 と明記 ください。
入 賞作 品 につ い て
①
らえる写真があ りません。
掲載時 にネガフ ィルム、ポ ジフィルム、デ ジタルカ
メラの場合は、解像度 の 高いデー タが必要にな りま
そ こで、2012-13年 度、『ロー タリーの友』 では、
す (そ れ らを取 り置いて ください)。
「『ロー タリー活動』 フォ トコ ンテス ト」を実施 し、国内
②
掲載時 トリミングをする場合があ ります。
にあるロー タリー クラブや地 区の、あらゆる方面の活動
③
掲載 に際 し、賞金ならびに掲載料等 の支払 いはい た
写真を集め、 ロー タリーを知 ってもらうためのツールに
したい と考 えました。
しません。
④
つ きましては、 下記 の 要領で、2012-13年 度内に
行われるロー タリー活動 の写真をお送 りください。応募
の 中か ら優秀作 品を選び、『ロー タリー の友』誌に掲載
ロー タリーに関する出版物、ポスター な どに事前の
断 りな しで掲載する ことがあ ります。
⑤
原則、応募作品の返却は しませんが、要返却写真は、
その旨を送付時 にお書き添え ください。
します。また、活動 の様子がよ くわかる写真は『Rotary
Japan』 にア ップ して、広報 ツール として共有 します。
応募要領
。写真 は何度 で も応募で きます (た だ し、 1つ の 活動 に
つ き 3枚 まで)。
。活動 の情報 を 150字 以 内で作成 して、添付 くださ い。
クラブ名、活動 日、活動場所 を入れて ください (制 限
字数 には含 み ません)。
・ 写真使用時 に 、撮影者名 を明記 して掲載す る必 要があ
る場 合 は 、そ の 旨、明記 して ください。
平成24年 6月 号
ご 注 意 くだ さ い
「ロー タリー 。ア ッ ト・ ワー ク」写真編 /文 章編へ の
ご投稿 と同 じ活動 の写真 の応募 もできますが、必ず別々
にお送 りください。
◆送 り先 一般社団法人 ロー タリーの友事務所
〒 105-00H
東京都港区芝公園 2-6-15
黒龍芝公園 ビル 4階
TEL 03-3436-6651 FAX 03-3436-5956
Eメ ール hensyu@rotary― no― tomojp
ロータ リーの友
47
複雑だ ったために、財団管理委員会で
将来 のプロジェク トパー トナーや会員
は、「マ ッチ ング・ グラン トにおける
候補者、そ してサポー ター たちが皆さ
低廉簡易住宅建設 に関する指針」 の変
んの クラブの実績を知 ることができる
更を採択 しました。 クラブや地区は申
で しょう。 また、
募金で集めた金額や、
請書 のほかに補足資料を提出 しなけれ
l.H供
低廉簡易住宅建設 プロジェク トを
ばな りません。詳細は、国際ロー タリ
働 いた人数、時間な どの情報 も加 えれ
実施 しませんか ?
ーの ホー ムペー ジ
(―
.rOtary.org)
した物 IICの 価値、ボラ ンテ ィアで
ば、 ロー タ リー の全 プ ロ ジ ェ ク トの
世界的影響を RIが 示 し、私たちの組
で見 ることができます。
織が世界中に与 えている良い効果を売
Rotary Showcaseを 利用 しよう
皆 さ ん の ク ラ ブ の 活 動 を、 多 く
の 人 に 知 らせ ませ ん か ?
Rotary
り込む手助けにもな ります。詳細は R
Iの ホー ムペー ジ
(―
.rOtary.org/
showcase)を ご覧 ください。
Showcaseで は、皆 さんの クラブや地
タリー
リー財団の マ ッチ ング・ グラン トで、
このアプ リケー シ ョンで、利用者 は文
低廉簡易住宅建設プ ロジェ ク トを実施
章、写真、 ビデ オをア ップ ロー ドする
することができます。安全で持続「J能
ことができ、 フェイスブックやツイ ッ
な低廉簡易住宅 とは、きれいな水、衛
ターの よ うな ソー シャルネ ッ トワー
生設備、道路、学校、 コ ミュニ ティー
クを通 してすべ てを共有することが
センターヘ のア クセスがあるものを示
できます。
します。 このプロジェク トは手続 きが
地元で採れたものを食べ よう
一
(RI)句 i次 大会で発表 された
加 していないクラブや地 区は、 ロー タ
一嗜
する ことができ ます。 5月 の 国際 ロー
2012-13年 度、未来 の夢計画に参
¨ ¨
﹁
区の奉仕活動をイ ンター ネ ッ トに掲載
Rotary Showcaseを 利 用 す れ ば、
んで した」 と彼は思い起 こします。そ
は栄養 的な価値 がほ とん どないことで
農業技術指導者 として 40角 i前 にパ
の結果は、その 土地で採れる植物につ
す。 自11し ている植物の方が栄養価が
プア・ニ ューギニ アに赴任 した時 、オ
いての 本 の シ リー ズ化、そ して 2万
高 く、害虫や病気に対する適応力 もあ
ース トラリア出身のブルース・ フレン
5,000種 の 食 用植物 の デ ー タベ ー ス
り、気候にも適 しています」 とグリー
チ氏 は、学生たちに自生の食用植物 に
を所蔵 す る非営利 IJ体 「Food Plants
ン氏は指摘 します。
つい て教 えてほ しい と頼 まれ ま した。
lnternational」
「パ プア・ ニ ュー ギ ニ アで採れ る食川
とな りま した。「栄養
フ レンチ 氏 とグ リー ン氏 は、2007
に富んだ植物 はた くさんあ りますが、
116月 、発展途 上国の人 た ちの栄 養
植物 について何 も知 らなか ったので、
人々はその ことを知 らないのですJと 、
的なニー ズに応 える地元の食物 の栽培
学ぶ ところか ら始めな くてはな りませ
オース トラ リア・ デボンポー トノース
を支援す る、Learn Crowプ ロジェク
RC会 員で、農学者
トを 立ち上げま した。 昨年初め、国際
のバ ズ 。グリー ン氏
ロー タリー
は言 い ます。「発展
タリアン行動 グルー プ「食用植物栽培
途 L国 のロー タリア
推進」を承認 しました。同グループの
ンチームは、食料生
195人 の メ ンバー が、 この プロジ ェ
産問題を西洋の方法
ク トを支援す る ことに な っている と、
で解決 しようとしが
同グループの委員長であ り、元 RI理
ちですJと グリー ン
事のジ ョン・ ソー ン氏は話 します。
ソロモンで試験的プロジェク トを立ち上げたブルース 。フレンチ氏
48
THE ROTARY― NO― TOMO
(RI)の 理 事会は、 ロー
「問
氏は説明 します。
2010年 8月 、Learn Growの 試 験
題は、食料 の種類が
的プ ロジェク トをソ ロモン諸島で開始
ほ とん どない発展途
しま した。 同プ ロジェ ク トは、 20の
上国 の 人 た ち に と
発展途 L国 か ら要請を受 けています。
って、西洋の作物に
束テ ィモールで も進行中です。
2012 VOL.60 NO.6
1泊 あ た り、 バ ル セ ロナで 96ド ル 、
クラブ数 34,196ク ラブ
パ リで 205ド ル なのに対 し、 リスボ
地区数
ンでは平均 80ド ルです。 ― Susie Ma
532地 区
国 と地域 200以 上
今後の R:国 際大会
ロー ター アク ト会員数 210,979人
・
クラブ数 9,173ク ラブ
2013年 6月 23∼ 26日
国 と地域 160以 上
ポル トガル・ リスボン
イ ンターアク ト会員数 329,015人
2014年 オース トラ リア・ シ ドニー
2015年 ブラジル・ サ ンパ ウロ
クラブ数 14,305ク ラブ
国 と地域 120以 上
コンベ ンシ ョンカウン トダウン
次期開催地は リスボン
来 年度 の 国際 ロー タ リー 年次大会
は、2013年 6月 23∼ 26日 に ポ ル
トガル・ リスボンで開催 され ます。そ
の親 しみやす く、 くつ ろげる、魅力的
で、刺激的な ヨーロ ッパ の都市を、大
会 に参加する ロー タリアンは楽 しむ こ
とができるで しょう。
絶景の続 く景観
リスボンはタグス川
の河口にある丘 陵地で、大西洋岸か ら
の眺めは絶景です。
値打ちのある散策
曲が りくねった道
2012年 2月 29日
統計
全世界 ロー タリアン総数
1,218,269ノ `
の
呈
11員 百
管理委員長の思い
*2012年 3月 30日
キ
鷲鍵口可
p
⑩ 上工
達成の年
_記 壺
2011-12年 度ロータリー財団管理委員長 ウィリアム B。 ボイ ド
ロー タリー
年度が終わ り
しょう。
ジ ョン・ヒュー コ事務総長はまた、
に近づ い た
ロー タリアンと職員が持 つスキルを
今、
年度中 に、
これまで以上 に効率的 に結集できる
私たちが共 に
よう、新 しいアイデアに取 り組んで
達成 してきた
います。 これによ り、 ロー タリアン
を行 くと、占いロマネスク様式 の教会、
ことを、振 り
の活動が劇的 に向上するに違 いあ り
ゴシ ック様式の建築物、赤い屋根 の建
返 ってみたい と思います。
ません。
1月 に ビル・ アン ド・ メ リンダ 。
物な どがあ ります。歩いて風景を楽 し
まず、イ ン ドにおいて野生ポ リオ
むの もよし、路面電車か ら眺めるのも
ウイルスの感染が食い止め られた と
ゲイツ財団が、ポ リオ撲滅活動に対
よいで しょう。
い うことは、歴史的に大 きな達 成 で
し新 たに 5,000万 ドル を寄 付 す る
夏は太陽 の光が限 り
した。現在 も 3か 国が ポ リオ常在
と発表 した ことは、あ らためて、国
な く降 り注ぎます。国際大会が開催 さ
国 として残 ってお り、ポ リオ撲滅活
際社会におけるロー タリーの重要性
れる 6月 の平均気温は、 21度 です。
を示す もの とな りました。 ビル・ ゲ
ほかの ヨーロ ッパの都市にもひけをと
動は継続 していかなければな りませ
んが、イ ン ドでの達成は喜ぶべ きも
イツ氏は、 ロー タリー と私たちの撲
らない文化的名所
リスボンの丘の上
のです。先 日の ロー タリー とイ ン ド
滅活動 が 引 き続 き重要 な役割 を果
に位置するのが 、歴代 のポル トガル王
政府 によって開催 されたポ リオサ ミ
たす ことを認識 し、困難な状況下で
が住んでいたサ ン・ ジ ョルジェ城。古
ッ トでも、 この大きな達成を祝 いま
も目標達成のために精力的に活動す
代 ローマ人、西 ゴー ト族、 ムーア人に
した。
る ロー タリアンに敬意を表 していま
ほぼ完璧な天気
も支配 されてきました。 タグス川はポ
また、私たちが将来に向けて財団
ル トガル人探検家のバ スコ・ ダ・ ガマ
を築 くための重要な年でもあ りま し
とフェルディナ ン ド・マ ゼランが 出帆
した ところで、ベ レンの塔はポル トガ
ルの大航海時代の偉業に敬意を表 して
建て られました。 ジェロニ モス修道院
周辺 には、 16世 紀 ポル トガルの典型
的なマ ヌエル様 式 の華麗な建築物がた
くさんあ ります。
物価の安さ
この ところリスボンは物
価が安 くなっています。 4ツ 星ホテル
平成 24年 6月 号
す。
最後に、 ロー タリー に対する皆さ
た。「未来 の夢計画」 の 試験段階 の
まの寄付について触れたい と思いま
1年 目は、試験 地 区 と職 員 の 両方
す。私が申 し上げたいのは、皆 さん
が新 たな試みに伴 う課題 に直面 し、
の寄付は、 ロー タリー財団のためで
2年 目では 1年 目の課題 を克服 し、
はな く、財団の活動のため、つ ま り、
未来 の夢 の利点を明確 に確認する こ
世界をよ り良 い場所 にするとい う私
とができました。次年度は、研修 に
たちの使命を支えているとい うこと
力を注 いでいき ます。 2013年 7月
です。
1日 の全地 区導入は、 ロー タリアン
と財団に とって大 きな転機 となるで
皆さん のさらなるご活躍をお祈 り
してお ります。
ロータ リーの友
49
事務所住所変更 (7月 か ら)
七飯 (2510。 北海道
)
〒 041H12亀 田郡七飯町鳴川 1-6-29
敬弔 第 2730地 区 。吉松成人氏が 3
月 30日 逝 去 され ま した。88歳 。謹
んで哀悼の意を表 します。
(都 城中央 RC会 員・200304年 度 G)
││ア ル ミ内
石り
能代 (2540・ 秋田県)
敬弔
〒 0160894能 代市萩 の台
事務所住所変更
512
敬正寺内
七戸 (28300青 森県)
大曲 (2540。 秋田県)
T039-2525_LJヒ 郡 ヒ戸r町 字七戸 48-3
〒 0191400仙 北郡美郷町六郷小安門
七戸町商工会内
84
〒 206-0802稲 城市東長沼 1733-3
グリー ンハイツ 202号 室
東大阪西
(2660。
東宝物産内
〒 865-0016玉 名市岩崎
〒 306-0233古 河市西牛谷 1718-1
多良木 (2720・ 熊本県)
〒 868-0503球 磨郡多良木町奥野 797-2
鰺 ヶ沢 (2830・ 青森県)
正田ビル 1階
藤本完士 方
〒 038-2753西 津軽郡鯵ヶ沢町本町 93
宏和商事内
例 会場・ 曜 日・ 時間変更
茅 ケ崎ラスカ 6階
タガ ミ薬品内
新宮団地保育園内
│1原 中央 (2830。 青森県)
五所り
)
〒 899-6102姶 良 郡 湧 水 町 中 津 川
〒 037-0069五 所川原市若葉 21-8
小矢部 (2610・ 富山県)ば んば
茅 ヶ崎中央 (2780・ 神奈川県
えびの (2730・ 鹿児島県)
546-8
五所川原 (2830。 青森県)
釧路南 (2500。 北海道)釘 I路 東急イ ン
730
玉名温泉 白鷺荘別館内
やす らぎ内
〒 0370033五 所川原市鎌谷町 139-1
鎌倉大船 (2780。 神奈川県)
ホテル・ メ ッツ 第 3の み
玉名中央 (2720。 熊本県)
古河中央 (2820・ 茨城県)
柳井西 (2710・ 山口県)
〒 7420005柳 井市天神 17-6
〒 872-H07豊 後高田市臼野 10190-78
山 (2550。 栃木県)
〒 323-0034小 山市神鳥谷 2-6-3
佐野智浩方
オルグ上町 502
んで哀悼 の意 を表 します。
(下 呂 RC会 員 。1996-97年 度 G)
)
大阪府)
〒 543-0001大 阪市天王 寺区 上本町
6-8-21
Jヽ
H日
2630地 区
豊後高田 (2720。 大分県
シーモアオカダデザイン内
東京稲城 (2750。 東京稲城)
月
。中川 良 三 氏 が 4
逝 去 され ま した。 87歳 。 謹
第
『 ロー タ リー の友』
英語版 No 70ご 活用を
鮮魚飛鳥内
19:00
板柳 (2830。 青森県)
〒 038-3644北 津軽郡板柳町大字横沢
字花岡 60
各種変更はお早めに
お知 らせを
野辺地 (2830。 青森県)
「掲示板」原稿 は、ガバ ナー
〒 039-3131上 北 郡 野辺 地 町字 野辺
月信、各 ロー タリー クラブか ら
成田 りん ご園内
測し1-42
野坂 ビル 内
文書で通知 され た ものを基 に、
作成 してお ります。
クラブ事務所 。例会場 。例会
裾野 (2620・ 静岡県)
〒 410-H21裾 野市茶畑 544
フジライ ト内
曜 日や開始時間な ど、各種変更
鈴木晴之方
については、決 ま り次第、 ロー
タリーの友事務所 までお知 らせ
ください。
ほかにも、本欄 にはさまざま
な情報を掲載 してお ります。毎
月、 ご確認 いただきます よ う、
お願いいた します。
50
THE ROTARY― NO― TOMO
直方 (2700・ 福岡県)
〒 822-0017直 方市殿町 750
直方商工会議所 3階
…
天草パ ルライン (27200熊 本県)
〒 869-3601上 天 草 市 大矢 野 町登立
8958
田畑駅 内
野中亀 二郎気付
日本 のロー タリアンの活動を海
外 の人たちに、
知 ってもら うため、
毎 年 1回 発行 して い ます。海 外
クラブヘ 訪問する時 のプレゼン ト
にいかがで しょうか。 また、交換
学生やその受 け入れ先の ご家族 に
差 し上げるな ど、あ らゆるシー ン
でご活用できます。 ご注文はロー
タリー の友事務所 まで。
1部 525円
(本 体 500円
。
消費税 25円 /送 料込)
2012 VOL.60 NO.6
頴娃 (27300鹿 児島県)
〒 891-0702南 九 州 :「 頴娃 町 牧之内
2038-3
スズキ 自販牛垣内
出水 (27300鹿 児島県)
(第
2003年 6月 30日 終結
甲府第一 高等学校
正行不動産内
松浦 (2740。 長崎県)
(第
2620地 区・ 山梨県 。甲府城北)
2012年
〒 857-0361北 松 浦郡 佐 々 町小 浦免
1572
佐 々木冷菓内
例 会場・曜 日・時間変更 (7月 か ら)
白老
火 →水
(2510。
2012-2013年 度
2770地 区・ 埼玉県・ 春日部)
〒 899-0126出 水市六月田町 415
Jヒ
新 年度 には
春 日部工業高校
大曲 (25400秋 田県)第
5 18:00
湯沢 (25400秋 田県)
会長
本巣
入口襲 ^^l
会員数 26人
湯沢グラ ン ドホテル
板柳 (28300青 森県)
桶川イ ブニ ング (2770・ 埼玉県)
ドレス、地区大会の予定や、各月
会員数
15人
143-2
池戸
本巣 ロー タリー クラブ内
亮介
幹事
田口 知弘
広幸隈誌
岡 山丸 の 内 (2690。 岡山県)
lMl山 全
連事項 も掲載 してお ります。
2011-12年 度 か ら、大 きさ
も男性上着の内ポケ ッ トに入る縦
やす い よ う、2012-13年 度手
下 呂 (2630・ 岐阜県)水 → 月
ホ テル グラ ンヴ ィア岡山
の強調月間名 な ど、 ロー タリー関
長 に一新 しましたが、さらに使い
19:30
岡 山 (2690・ 岡山県)
バナー 名、ガバ ナー事務所の住所、
電話 。フアクス番号、Eメ ール ア
幹事
発会 2012年 3月 17日
会長
予定が記入 できます。各地区のガ
平木 綾佳
2630地 区・岐阜県 。本巣)
直佳
〒 5010455本 巣郡北方町高屋伊勢田
板柳町商工 会会館
2012年 6月 ∼ 2013年 12月 の
鈴鹿国際大学内
岡本
(第
リー活動に役立てて いただけるよ
せて製作 し、新年度用 の ものは、
2630地 区 。二重県 。鈴鹿西)
しらおい経済センター 2階
!
う毎 年、 ロー タ リー 年度 に 合 わ
新 ロー ター アク トクラブ
〒 510-0298鈴 鹿市郡山町 663-222
北海道)
ただい ま販売中
「ロー タ リー 手帳」 は、 ロー タ
4月 17日 終結
鈴鹿西 (第
。
し入 ^^● ^‐ ^n^.日
2月 21日
発会 2012年
『 回― タ リー 手帳』
ROttA R Y
(一 般 向け /会 員勧 誘 )
好評 発 売 中
日空 ホテル
帳は、開き具合な どに微調整を施
しペ ンサ ックを太 くしま した。
付録 の 年間スケジュール帳、ア
ドレス帳、 ロー タリー 資料集 の 3
点 もすべ て最新版に改訂。印刷用
岡 山西南 (26900岡 山県)
アー クホテル 岡山
インクも、また用紙 も環境 に配慮
直方 (2700。 福岡県)
したものを使用 しました。色は ロ
直方商 工 会議所
3階
イヤル ブルー、詳 細 は 2月 1日
佐 土原 (2730。 宮崎県)
付でクラブにお送 りしたご案内状
フェニ ックス・ シーガイア・ リゾー ト
をご覧 ください。現在、追加注文
サ ンホテル フェニ ックス
を承 ってお りますが、お早 目のご
世界 と日本の ロー タリアンの活
クラブ名称変 更
動を、写真を交え紹介 している広
!│→ 東 となみ (2610・ 富山県)
丼波庄り
2012年 4月 17日 承認
報誌です。一般向け、会員勧誘用
として、ロー タリアンの用途に合
わせた、2つ の タイプを制作 して
お ります。
新 イ ンターアク トクラブ
ご案 内状 (申 し込み用紙付 き)
連絡を、お願 い 申 し上げます。
11部 630Fヨ
(本 体 600円
。
消費税 30円 /送 料別)
お申 し込みは、 クラブ事務局を
通 して、 ロー タリーの友事務所 ま
でお願い します。すでにご注文い
は、昨年 9月 号 と同送で、見本誌
ただきま した『手帳』は、5月 中
と一緒にクラブヘ お送 りしてお り
旬 に『友』 誌 送付 先 と同 じ住所
会員数 90人
ます。 ご注文は フアクスまたは電
に発送 いた しました。請求書は 5
〒315-0057か すみがうら市上土田 6901
話 にて、 ロー タリー の友事務所 ま
月 25日 付 で、 クラブ事務所あて
でお願い します。
に別便でお送 りしました。
東風高等学校
(第
2820地 区・ 茨城県 。土浦南)
発会
20H年
11月 10日
つ くば国際大学東風高等学校内
会長
松本
真紀
平成 24年 6月 号
幹事
中川
宣之
ロータ リーの友
51
◆ ご案内
日本は 2009年 7月 か ら 3
地区別クラブ数 。会員数・ 出席率一覧表 (3月 末現在)
ゾー ン編成です。本 ペー ジ毎 号掲載の
一 覧表 は 3つ の ゾー ン順 で、横組み
P53奥 付 の、 日本 ロー タリー分布図
の色分け と対照 し、 ご覧 ください。
地区
第 2500地 │ズ
第 2510地 区
第 2520地 │ズ
第 2530地 区
芽525401L区
第 25501也 区
『 友 J誌 ご 購 読 部 数
変 更 につ い ての お願 い
① 次年度『友』誌上半期分 (2012年
7月 号∼ 12月 号)の 減部の ご連 絡は、
第 2560地 区
第 25701也 区
第
第
2770地 区
2790地 区
舞ヨ28001也 区
第
2820地 区
第 28301也 区
2840地 区
第 2580地 区
2012年 6月 5L]ま でに直接友事務所
第
にお願 いいた します。ご連絡は、
郵便 。
電話・ FAXの いずれでも結構です。
第 25901也 区
第
2600地 区
減部 はご容赦 ください。
第 26101也 区
舞j26201也 区
第 2630地 区
第 2750地 区
③ 6月 6日 以降の会員変動による減部
第
② 7月 号 の発 行部数決定や発送準備
の都合
L、
6月 6日 以降は、7月 号の
2760地 区
10Hま でにご連絡いただけ
第 27801也 区
れば、「8月 号∼ 12月 号」の減部 とし
第 26501也 区
は、7月
て対応させていただきます。
④ 7月 11日 以降にご連絡 いただいた
減部 はす べ て、 ド半期 1月 号か らに
な りますのでご r承 くださぃ。
⑤ 追加購読は、残部がある限 りお受
けいたします。随時ご連絡 ください。
⑥部数変更の ご連絡がない場合 には、
2012年 6月 号と同 じ部数を送付させ
第
2640地 区
第 26601也 区
2670地 区
第 2680地 区
第 2690地 区
第
舞
区
2710地 区
第'2700'也
2720地 区
第 2730地 区
第 2740地 区
34地 区 合 計
第
RC数
会員数
66
2.248
2.631
2,220
2,287
1,017
72
81
67
42
50
57
53
78
84
52
59
40
47
74
75
80.11
82.79
82.73
2,531
81.28
2.762
1,646
2,066
8103
1,075
80.76
83.35
85.97
85.78
89,045
82
66
73
97
83
74
74
67
60
8229
84.00
2,300
92
84.98
80.70
2,059
1,766
64
57
71
81.50
1,711
1.948
3.120
2.270
2,084
2.649
3.094
3.216
4.573
4,893
2.259
2,128
4.608
3.707
2,973
2,935
3,111
3,169
3,302
2,432
2,348
2.207
62
56
66
79
80
出席率 (%)
87.54
*第 2520地 区の数値は概数です。
日本のロータ リー
会員数 88,734人
クラブ数 2,292
(左 の表 中 34地 区 合計か ら、第 2750
地区の PBグ ループを引いた数です)
ガバナー月信よ り 第 2750地 区の クラ
ブ数・ 会 員数は、 PBグ ルー プ 8RC
311人 (北 マ リアナ諸島・ グアム・ ミ
クロネシア・パラオ)を 含みます。P4「 日
本の ロー タリーJ数 は、34地 区合計から
PBグ ループをり│い た数にな ります。
83.91
87.89
83.83
88.00
86.70
80.85
93.96
8263
85.01
89.55
8750
84.95
92.75
86.12
88.81
9008
8620
82.27
84.47
修 正 第 2780地 区会 員数 修 正 :本 誌
11月 号横組み P57(8メ 〕
2,244
木)表 中、
人、34地 区合計会 11数 を 89,227人 へ
修 正。表外、 P4「 日本 の ロー タ リーJ
最終行 の会 11数 を 88,901人 に修 11。 同
12月 号横組み P44(9り J木 )表 中、
2,250
人、34地 区合 :卜 会 11数 を 89,432人 へ
修 :[。 表外、 P4「 日本の ロー タ リーJ
最終行 の会 ll数 を 89,108人 に修正。同
1月 号横組み P46(10月 末)表 中、
2,252
人、34地 区合 ::「 会 員数を 89,655人 へ
修 正。 表外、 P4「 日本の ロー タ リーJ
最終行の会員数を 89,333人 に修正。同
5月 号横組み P48(2月 末 )表 中、第
2760地 区 14均 出席率を 9494%へ 修正。
第 2760地 区会員数を 4,909人 、34地
区合計会 ll数 を 89,373人 へ修正。表外、
P4「 !1本 のロー タリー」最終行 の会員
数を 89,062人 にlly:l:。
*Iロ ー タリージャバ ン :の「ロー タリー
関連資料」には、データ修 lに 後の表を掲
載 してお ります。
ROTARY
黒日鍵Otary.o■
里
『
,p
ていただきます。
以上、よろしくお願い中し上げます。
90,ツ
ー OA
7月
号主要記事予定
田中作次新 RI会 長 の紹介、新 ガバ ナー
横組み 特集記事
の横顔、RI会 長 メ ッセー ジ、RI理 事 松宮
剛、ロー タリー
米山記念奨学会理事長、 ロー タリー文庫運営委員会委員長、
ロー タリー の友委員長あい さつ
2012年 バ ンコク国際大会 リポー ト
ご投稿・ お問い合わせは――
〒 1050011 東京都港区芝公園 2615
黒龍芝公園 ビル 4階
一般社団法人 ロータ リーの友事務所
rOtary.orjp
ホームペー ジ
ー
Tel.03‐ 3436-6651
Fax.03-3436-5956
縦組み
本 質 を 見抜 く
これからの環境 エネルギー問題
東京大学名誉教授 養 老
この人、この仕事 菅形
孟 司
基道
RC)
(赤 磐
編集部メール hensyu@rotary― no tomojp
52
THE ROTARY― NO― TOMO
2012 VOL.60 NO.6
E*n -t.)
-afiB
ROTARY DISTRICTS
OOOOOO_
'0tr
7u t-uoooooo.fit\t-z
ooo
-.
n x1)->
4t'I-"
E xtv->
2770
(埼 玉南東 )
三□
明
2570
li桂
醍
興馬 精―
(埼 玉西北 )
脚
立原
“
層・
獣
習
(大 阪府北部
岡部
)
(大
阪府南部・和歌山
大澤 徳平
泰鑑
ネ ラJ
『
名髯
品
ご
拝
)
雅夫
i
『Rotary」 apan』 www rotary orjpに 各地区のホームページをリンクしています。
■ 理事会
代表理事
月刊
口…タリーの友
第 60巻
6月 号
理
事
2012年 5月 31日 印刷 2012年 6月 1日 発 行
■職
安平 和彦
■社
員
松宮
剛
水野 正人
(茅 ヶ崎 湘南 )
(東 京 )
平成 24年
穣二
(東 京北 )
野崎
恭子
(横 浜南 )
山名
愛
昌平
神崎 正陳
(茅
上野
(横 浜 )
孝
集
(壬 生
経
)
冨澤
美子
半田
弥生
(高
山)
高原 武彦
(有
田
石川 正一
(那 覇 西
佐久間崇源
(東
小林聰一郎
(甲 府北 )
印
奥津
勉
(横 浜 )
表紙 印刷
)
高木
洋一
01崎 中
岡部
(大
三井住友銀行浜松町支店
振込銀行
)
京 目黒
(横 浜鶴 見 北 )
)
京 町田サル ビア )
)
(東 京 臨海 )
渡辺 誠 二
(東 京み な と)
二神 典子
(東 京築 地 )
高良
明
011崎 西 )
船越
豊
一
(千 葉 中央 )
秋山
鈴 木弥 寿 子
理
心
大澤 成美
)
)
飯 田亜 由香
ヶ崎 湘南 )
上澤摩壽雄
6月 号
稲 川 やよい
黒野
(東
相談役
編
(足 利 東 )
行俊
監 事
(東 京築地
敏雄
森本
)
典子
板橋
(東 京 日本 橋 )
阪城 南
二神
(甲 府 )
片倉 章雄
泰鑑
(東 京みなと
編集長
(土 浦 南 )
桑月
(千 里 )
誠二
本男
瀬下 龍夫
近藤 雅臣
渡辺
高野
中山 義之
ロータリーの友 事務所
員
長
所
片岡 信彦
中村
一 般 社 団法 人
(姫 路 )
口座番号 (普 通)7450015
口座番号 001808694591
大日本印刷 (株
半七写真印刷工業 (株
郵便 振 替
刷
)
)
一 般 社 団法 人 ロータリーの 友事 務 所
〒105-0011
東京都港区芝公園 2615黒 龍芝公園ビル 4階
電話 03-3436‐ 6651
FAX 03-3436-5956
ホームページ WWw rotary.OrJp
定価
210円
(本 体
200円 ・ 消 費 税 10円 /送 料 別 )
(東 京調布 )
ロータ リーの友
53
像
各国特許=
。
江戸時代の書門店
□□ あ舅
世 界 特 許 を誇 る
革 新 技 術 だけがな しうる
格調高い
真実 迫真の 彫 像。
1回 の 撮 影 で ―― ―
◎生気 に満 ちた
◎芸術 の香 り高 い
◎迫真の彫像
賀寿 金・銀婚式のお祝いに
叙勲受章のこ記念に、
また学校・会社などの
創立者・功労者のこ顕彰等
最上と存じます。
米山 梅吉氏の像
1933年 8月 17日 当社にて撮影・制作
全国有名百貨店にても
こ用命を承っております。
大屋書
房
。
和本 浮世絵錦絵版画
古地図・巻物・古文書 etc.
OHYA‐ SHOBOLTD.
OLD」 APANESEILLUSTRATED
nlヮ θPrinrs`υ π
_4〃
JIIヮ
B00KS
yθ ゼツ θ′
ごル″ρs
どs〆 Japa″ θsθ Graic 4ri
創立1882年 〒101‐ 0051東 京都千代田区神田神保町lJ´ 日1番 地
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法人企業や団体の創立者、功労
者のこ顕彰に。叙勲、
褒章、
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退任のこ記念に。還暦、古希、
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録に。金、銀婚式などのお祝に、
また遺影を肖像画にしますと仏
間の暗さが減じ明るくなります。
褪色のない油彩肖像画・・・・
是非お薦め申し上げます。
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l■l日
本肖像
11月 日景慧局斤//τ P03-5285… 3141
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熊 本 本 社 /〒 861-1102熊 本県合志市須屋3882‐ 1
容 096-249」 081 FAX 096… 249… 1082
京都 本社 /〒 6008213
東 京 店 /〒 146‐ 0001
築 地 店 /〒 1040045
ホL幌 店 /〒 064‐ 0919
仙 台 店 /〒 9800021
近江草津店/〒 5250027
︲
﹁
一
日本肖像は日本で一番権威のある肖像画家の団体
「全日本肖像美術協会」の一流先生方の揮竃によ
いたします。
i:i
京 都 市 下 京 区 七 条 通 新 町 東 入 0(075)371‐ 3131(代 )年 中無休
東京都 大 田区仲 池上 2丁 目 8-13 ● (03)3755‐ 3488(代 ).水 曜定休
東京都中央区築地0151礫 地本願寺内)● (03)3546-8228(代 )・ 水曜定休
L幌 市 中 央 区 南 19条 西 9丁 目 奮 (011)512‐ 3455(代 ).日 曜定休
オ
● (022)2130666(代 ).日 祝定休
仙 台 市 青 葉 区 春 日 町 8-5
● (077)564‐ 1011(代 )水 曜定休
草 津 市 野 †
寸 l T目 3-10
福 岡 営 業所 /新 潟 営業 所
仏壇匿索
http:〃 www,wakabayashi.co.jp/若 林
k
毅
耀
岡 丼
ここは、合掌造 り で名高 い白 川郷 の公開 され
りな が ら昔 にタイム スリ ップ し て、少年 の日々
る囲炉 裏 が実 にな つか しく、 しば らく火 にあた
間 に囲炉裏 が あ って鍋 が掛 け てあ り、 い つも季
て いる民家 の囲炉裏 ば た。鉄 瓶 の湯気 が立 ち の
白 川郷 は、岐阜 県 北 西部 の庄 川と支流 の渓 谷
節 の野菜 やイ モなどが煮 てあ って、 お いし い匂
を思 い出 しま した。あ の頃 は、ど の家 にも茶 の
流域 にあ り、大 野 郡自 川村 と旧荘 川村 ︵
現高 山
いが し て いました。敗 戦後 のな にも な い頃、 お
ぼ り、 お のず と昔 日 の面 影 が 偲ば れ る。
市 ︶ の 一部 に ひろが る呼 称 で、
一九九 五年 、有
節 のも のが下げ てあり、軒 下 には大 根 や干 し菜
町お こし事業 とし て給水 スタ ンドを設 け て業者
椀 一杯 いただく のが何 より のご馳 走 でした。 囲
など がぶ ら下が って いま した。今 では、ど この
向 け の販売 を し ており、
一般 の観光客 など にも
名 な白 川郷 ・五箇 山 の合掌 造 り の集落 が ユネ ス
近世後期 から明治末期 ご ろま で、家 長 と長 男
農家 に行 っても見 られなくな りま したね﹂
東荒 川ダ ム親水公 園﹂ を東荒 川ダ
利 用 でき る ﹁
炉 裏 のそば に魚 の干物 や干 し柿 や か き餅 など季
のほかは結婚 を許 され な い大 家 族制度が つづ い
と、 西方 俊輌氏 は言 う。
コの世界遺産 にな って いる。
た ため、巨大 な合掌 造 り の民家 が今 に残 って い
●。
フ
ム湖畔 に設 け て いる。
仏教 の盛 んな奈良 時 代 に信者 た ちが高 原山 に登
由来 をたど れば 、歴史 はま こと に古 く、山岳
撮 影 は 二〇〇九年 五月。
一九六 一年 の御 母衣ダ ム の完 工にはじまり、多
く のダ ム建設が つづ き、岐 阜 や高 山方 面 から の
わ が 国 ほど 四季 そ れぞ れ のし っと り し た渓
幻想的 な渓谷 の流 れ にそ いなが ら森林浴 でリ フ
湧水 で身 を清 めた と伝 えられ て いる。
近 年 では、
拝す るとき、 この尚仁 沢 ︵
昔 は精進 沢 とも︶ の
スキー場 やゴ ル フ場 も つく ら れ て往来が にぎ や
谷 美 に恵 ま れ た 国 は さ ほど な い の で は な か ろ
交 通 網 が整 備 さ れ、 自 山 への登 山 口でも あ り、
か になり、観光 地 とし ても脚光 をあび てきた。
レ ッシ ュす る光景 も︱︱ 。
撮影 は、 二〇〇六年 六 月中旬 。
う か。 こ こ栃 木 県 塩 谷 郡 塩 谷 町 の尚 仁 沢 湧 水
は、 そ のな か でも 指 折 り の景 観 が ひ ろ が り、
納 得 が いく 作 品 が 撮 れ た と自 負 す る 一枚 であ
0。
フ
何 回となく撮 影 に出 向 いた林 明氏が 、 ついに
町 のシ ンボ ルとも いえ る高 原山 ︵
釈迦 ヶ岳 と
﹁ア マチ ュアカ メ ラ マンの撮 影 で にぎ わ いま
ど ぶ ろく祭 り の館﹂ など
化財 の和 田家住宅 や ﹁
も︶ の中 腹 にあり、付 近 一帯 は樹 齢 数 百年 にも
すが、名水 を汲 み に来 る人たちも多 いです 。遊
一九 八 五年 、 ﹁
水環境保全状 況が き わめ て優良﹂
及ぶ 原生林 におおわれ、十数 力所 から湧 き出 て
歩道 の入 り 回から 一番奥 の湧水 群 ま では約 一時
どぶ ろく
もあ り、自 川八幡宮 など で催 さ れ る ﹁
一年中 、 ほぼ十 一度 C前後 で、真
く る湧 水 は、
間 ほど 。奥 へ行 けば 行 く ほど絶妙 のポ イ ントが
とし て ﹁
名水 百選﹂ にも選ば れ て いる。
にぎ わう。
﹁
わが家 は農 家 でし た か ら 、 あ かあ か と燃 え
冬 でも凍 結 せず 、
一日 の豊 かな水 量 は六 万五千
ジ ャーナ リ スト︶
︵
悠 久 の名水 映 え る黒南 風よ 輝生
この秀作 に添 え て、
一句を︱︱
現 れ てきます﹂
と、林 明氏 は言 う。
占 大 尽﹂ が奉納 され て
祭 り﹂ では、郷土芸 能 ﹁
岐阜県 の重要文化財 九棟 のほか、 国 の重 要文
*
長 い間、隔絶 した秘境 と し て知 られ て いたが、
「朝もやの尚仁沢」 (栃 木県)
撮影 林 明
(2770 久喜菖蒲)
ト ンと いわれ る。水質 は天然 アル カリイ オ ン水
で、
一九 九七年、全 国 三十七都 道府 県 から集 め
た お国自慢 の水 の中 で ﹁
お いし い水 ﹂第 一位 に
かが や いて いる。
こ の貴 重 な 天然 資 源 を 生 か し て塩 谷 町 では、
○
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
)
(2560 新発田
「郷の朝」 (岐 阜県)
撮影 西方 俊輌
over Story
C
表 紙 のメッセージ
ロータリ… アントワーク
せ てもら い、 省 エネ と健 康増 進 にも
入賞 を逃 し、一一位 に終 わりま した 。
家、 お笑 い芸 人など 、各 自 の将来 の
説家、 サ ツカー選手 、 シ ェフ、研究
わが ク ラブ では ﹁
来 年 はも っと大
夢 を発表 。感謝 の手紙 を ﹁
あ りが と
感 激 した様 子 でした 。
規模 な応援を しよう﹂ と、 早く も来
う﹂ と 言 いなが ら保護者 に手渡 し て
第 一回から の大会 の特徴 は、広島
在住 の各 県出身 者 によ って ﹁
県人会﹂
年 を 見据 え て います 。
効 果が 出 て いるよう です 。
プ ロジ ェクト の期 限 は六 月末 です
が 組織 され 、郷土 料 理 のブ ー ス展開、
いま した 。ク ラブ から は 四宮英 男会
長が森 の話をし、併 せ て励 まし の言
︵
三宅恭次 。記︶
レー ス時 には郷土 の名前 を染 め抜 い
選 手 団 を 招 い て の前夜 祭、 慰 労 会 、
が、 最終 的 にど のよう な結 果 にな る
か、今 から楽 し みにし て います 。
︵
増田民夫 ・記︶
中 心 に結城市健康 の森 で年 間を通 し
江 川北小学校 では毎 年、 四年生 を
葉など を児童 たち に伝 えました 。
健 康 の森 でミ ニ成 人 式
た旗 を打 ち 振 り応 援す るなど 、郷土
色が 豊 かな こと です 。
われ われ は当 然 、広島 県人も同様
ころに ﹁
広 島 県 の選手は各自が荷 物
た 。と ころが 昨年末、あ る会 員 のと
で 一〇歳 を迎え る、結城市 立 江 川北
一月 二五日午 後、結城市 健康 の森
第 二八二〇地区 茨城県
った冬 の森 など 四季 の移 り変 わりを
やド ング リ の秋 、葉が 落 ち 明るくな
吹き の森 、緑濃 い夏 の森 、色づ く葉
ミ ニ成 人式 もそ の 一端 です 。春 の芽
て自然 環境教育 を行 っており、 この
を管 理し、 大会 が 終われば そ のまま
小学校 四年生 三六 人 によ る ミ ニ成人
味わ いなが ら昆虫 や樹 木 の観察を行
ブ
結城ロータリ12フ
解散 であま り にも かわ いそう 。 ロー
式が 行われ、保護者 や当 ク ラブ 会員
って います 。卒 業 を間近 に控 えた 三
の活 動 を し て い る と 思 って いま し
第 二七 一〇地区 広島県
タ リー でそう いう場 を設け てもらえ
も参加 しました 。
都道府 県対抗 男 子駅伝 で
広島 県選手 団を応 援
﹁天皇 盃第 一七 回全 国 都 道 府 県対
な いか﹂と いう申 し出が ありま した 。
当 日は児童 の司会 で進 めら れ、﹁
感
広島安佐ロータリ12フ
ブ
抗 男子駅伝競 走大会﹂は 一月 二二日、
われわ れ はそ の実 情 に驚 くと とも に
謝 の言葉﹂ や ﹁
森 への誓 い﹂が 述べ
会 で決 定 さ れま した。
が採 択 され、 国際 ロータ リー理事
議 会 で、o3 に 変 更 す る 決 議 案
口Φでし た が 、 一^
〇 一〇 年 規 定 審
な お、 英 文 の主 語 は も と も と
提案 されま した。
︵一八六 八∼ 一九 二 五︶ によ って
サー ・フレデ リ ック ・シ エルド ン
ータ リー初 期 の指 導 的 人物 、 アー
n 最もよく奉仕 す る者 、 最も多く報
o
a いられ る
t
。
一
n 公υヨo﹁雪
5oい
こす0い0﹃
一
一ど
o﹃
いヨ
くoい
n
A
口
9じ
ロータ リー の第 二標 語 です。 ロ
います 。
月には、六年生 の記念植 樹 も行 って
広島県 にあ る 二つの世 界遺 産 、 原爆
﹁これ こそ社 会 奉 仕 ︰こ と 団結 。大
ら れた後、バ ン屋、花 屋、 医者 、小
る こと にしま した 。
当 日は急 き ょ制 作 した、自地 に赤
の﹁
広 島 県﹂と染 め抜 いた旗 を持 ち、
スタ ート とゴ ー ル時 に沿道 で声 の限
り応援 。途中 、 レー スの模様 は会 員
経 営 の飲 食 店 一フ ロアを 借 り 切 り、
大型 画面 で観 戦 しま した 。
大会 終 了後 は全 選手、指導者 など
関 係 者 が こ の 店 に 集 合 し、 大 慰 労
会 。 この話 を持 ち 込まれた指導者 は
﹁一七 年 目 に し て初 め て の こと 。あ
りが た い。ぜ ひ来 年 は優勝 を !﹂ と
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
〇
会 は迫 って いま したが 、全 面支援 す
将来の夢を発表する児童たち
ド ー ム と 宮 島 を 結 ぶ コー ス で行 わ
れ、わが 広島 県チー ムは残 念 なが ら
沿道で、広島県の選手を応援する会員たち
ロータリー アントワーク
放 し で感 謝 の声が 届 いて いる。
待 合室 には ﹁ロータ リー は地 球 か
らポ リオを撲滅す るた め汗 し て いま
す﹂ など の文 を ステ ッカ ー にし て貼
り、 多 く の人 に読 ん で いただ いて い
る。文 言 は時折変 えなが ら、 ロータ
リー の公共 イメージ を高 め る媒 体 と
し て これ からも末永 く活 用を し て い
く 予定 であ る。待合 所 には ロータ リ
ー関連 の展 示物 しかな く、広報 効 果
は限 りなく大き いと確信 し て いる。
︵
渡遷恭久 。記︶
ロータ リーラ ンナ ーカ走
東京 八王子南 ロータリ12 フブ
第 二七五〇地区 東京都
はそ のメ ンバ ーを中 心 に結成さ れた
チームが 一丸 とな って練 習を重ねた
結 果、 ニチー ムと も念 願 の完走 と い
う快挙 を 果た しま し た 。大会終 了後
の慰労会 には、パ ストガ バ ナ ー の坂
本俊雄会 員 はじめ会 員多数が出席 し
多数 の会 員が 応 援 に駆け つけた中
実感す る機会 とな ったよう に思われ
昂揚 を 、会 員 それ ぞれが 身をも って
ー シ ョンを高 め、 ク ラブ の 一体感 の
長 の重視 す る会 員相 互の コミ ュニケ
だ 結 果と いう ことも できます 。そし
て、 この駅伝 大会出場は、松村聰会
四〇代 の新 会 員増 とな って実 を結 ん
員 長 によ る ﹁
増強プ ロジ エクト﹂が
的 に歩 かれ て いるよう です 。
た﹂ と いう話も間かれ、 皆 さ ん精 力
シー に乗 って いた のを歩 く こと にし
飛び 交 う よ う にな り、 ﹁以前 は タ ク
あなた はど こま で﹂ と い った会 話が
会 でも ﹁
私 は熱 海 ま で行 った けど、
遊び 心が あ った せ いか、当初 から
の参加 を得 て活動 を開始 しま した 。
中 の方が 二人、 二回 目挑 戦 中 の方が
神 戸間を 二回歩 き切 り、 三回目挑戦
昨年 一二月末 での成績 は、東京 ∼
関心 を持 って いただ いた よう で、例
ます 。
東 海 道 一人 旅
六 人と、想定 以上 の成 果 。参加者全
とな り、すべ て歩 いたと仮定 し換算
員 の歩 行距離 は約 一万四〇〇 〇計肝
第 二七九〇地区 千葉県
す ると、ガ ソリ ンの節約 量が ド ラム
ブ
茂原ロータリ12フ
前年 度 、当 時 の渡 辺明会 長 エレク
缶約 七本分 にな りま した 。
さ ら に、 ﹁体重が 三計 筈 減 り、 尿
ト から ﹁
来 年 度 の環境委 員会 活動と
し て、 多 く の会 員が 参加 でき るプ ロ
話が あ りま した 。地球温暖化防止 に
酸値も 下が った ﹂と い った 話も聞 か
会 員 ラ ンナ ー の年 齢 は 三〇 ∼六〇
貢献 し つ つ、会 員 の健康 増進 に役立
ジ ェクト を考 え てくださ い﹂ と いう
王 子夢 街道 駅伝競 走大会 に、 ク ラブ
代 と幅 広 いと は いえ 、 結 東 は 固く、
選手をたた えま した 。
から ニチーム 八人 の選手が 出場 。タ
学生 、社会 人 に交 じ って力 走す る姿
二月 五日開催 の第六 二回全 関東 八
スキ を つな いで見事 完走 しま し た 。
に沿道 から は ﹁ロー タ リーク ラブ 頑
ムが 招待 さ れ、ゲ スト ラ ンナ ー に谷
継 所 には、 ク ラブ 名 を染 め抜 いた幡
一日から会 員と、 そ の家族 の 二九 人
に配り、万歩計 を各自 用意 し て、
九月
離を計算 し てく れ る ソフトを皆 さ ん
こと に。毎 日 の歩数 を入れれば 、 距
五八〇 キロ屑 ︶ の仮想 一人歩きをす る
人 旅 ﹂と 名 づ け、 東 京 ∼ 神 戸 ︵
約
考 え、プ ロジ エクト名を ﹁東海 道 一
ただ 歩 くだ け では長続 き しな いと
グプ ログ ラムを企 画しま した 。
つも のはな いかと考 え、 ウオ ーキ ン
東 日本大 震災被災地 を支援 す るた
川真 理さ んを迎え るなど 、全 四八七
を立 てるなど 、
一般 市 民 の皆 さ んに
め 、岩 手県山 田町立 山 田中学 校 チー
チー ム 一九 〇〇人を超 え る エント リ
対 す る広報 活動 と し ても、 ロータ リ
張れ !﹂ と声 援 も 飛び ま した 。
ーが あ った そう です 。
ー の認知度 ア ツプ を 大 いに期待 させ
るも のが あ りました 。
また、 これ は鈴木 丈史 会 員増強委
〇
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
当 ク ラブ は 一昨年 から 一チー ムが
出場 し て いましたが 、昨年 はク ラブ
と し て積 極的 にバ ツク ア ツプ 。今 年
東京∼神戸間を歩き、例会で表彰
沿道の声援を受けなが ら、力走する会員
ロータリー フリトワーク
孫 の回借 り て親 父 に意 見す る
わき腹 を押 さ え て のぞく 万歩計
の信念 や哲学 を執筆 し てもら う と い
の事業 所 の起業 や継続 の苦労 、 経 営
等 の生業﹄ を編さ んしま した 。会 員
年度 の事 業 とな りま した 。
も実施 し てみよ うと いう こと で、今
した 。 このため、今 度 は地 区全 体 で
を得 ると いう好 ま し い結 果とな りま
ど の会 員 のペ ージ も内容が充実し
う も の で、 初 め て の試 み で し た が 、
七 四人 の会 員 か ら 寄 稿 し ても ら い、
ナ ー では、代表者 三人 に発表 し ても
二月 四日 の地 区職業 奉 仕部 門 セ ミ
多く報 いら れ る﹂や ﹁
四 つのテ スト﹂
本 理念 ﹁
最 もよ く奉 仕す る者、 最も
共 通し て言え る のは、職 業奉仕 の基
てお り、 本 当 に感 動 の連 続 でした 。
ら いま した 。映像 も織 り交ぜ 、 日頃
大 変充 実 した書籍 とな りま した 。
の思 いや信念 、職業 倫 理等 の観 点 か
に沿 った経 営が 現在 に つなが ってい
る、永 続が かな って いると述 べ てい
集 ﹄ を 発 刊 した ことが あ り ま し た 。
同委 員会 では過去 に ﹃
社 訓 。家 訓
ような、 そんな素 晴 ら し い書籍 とな
員から職業 奉仕 理念 の神髄が 見える
る こと でした。さ まざ ま な企業 、会
ず 、 設置が 果たせず に いた 。しかし
客 数 を 基 に し た J R の基 準 に 満 た
ら の魅力的な発表 でした 。
私 の所 属す る行 田さく ら ロータ リ ー
二〇 〇 九 年、 ﹁
滝 川駅バ リ ア フリ ー
︵
市 民 か ら の浄 財 を得 て︶ によ リ エ
北海 道 運輸 局、 JR北海道 、滝 川市
加 。結 果、昨年 一二月、 国土交 通省
が立 ち 上が り、当 ク ラブ も それ に参
てホ ーム待 合室 の設置を 目的 に市 民
化運動﹂ と し て エレベーター、加 え
りま した 。
滝川ロータリ12フ
ブ
駅ホー ムに待合 所 を設け
PRの ステ ツカ ー掲 示
︵
行田さくらR⊂ 細井保雄 ・記︶
ク ラブ では、 それをき っかけ に、今
回の ﹃
我等 の生業﹄ のク ラブ 版 と も
いえ る冊子を編さ ん。 この時 は普 段
最後 に参加 会 員 の談 話を紹介 した
い。 ﹁
何 気 な く 見 て いた 山 や花 に も
心動 かさ れ、 回ず さ みなが ら指 を折
か ら付き合 いが あ る会 員 同士 でした
が 、 お 互 いによ り深 い理解 と親 近 感
って いる自 分 に気 付 かさ れ た ﹂ と 。
この大会 を契 機 に、会 員 の文芸 への
興味が 芽生 え た こと に最大 の喜び を
感 じ、次 年 度 、第 二回大会 開催 への
なぐ跨 線橋 の階段 は、特 に障害者や
吹き寄 せ て いた 。駅舎 と ホ ームを つ
のホー ム には待合 室 はな く、寒 風が
真冬 に氷点 下 三〇 度 にな る滝 川駅
いただ き、当 ク ラブ と滝 川商 工会議
で設 置 し てほし い﹂ と要望 。 了解 を
と か ら、 ﹁
わ れ わ れが 寄 付 を す る の
は J R側が ﹁
設置は無 理﹂ とした こ
と ころが 、 ホー ム待合室 に ついて
レベ ータ ーが 設置された。
高齢者 には難 儀 な も の。冬 はヒータ
所 によ り、 工事費約 二五〇 万円をか
第 二五 一〇地区 北海道
ーを作動 させ ても階 段が 凍 り、毎年
本当 に良 いことをし てくれた﹂ と手
市 民から は ﹁ロータリーさ ん ︱
け て設置 に こぎ 着 けた 。
置 の陳情 や運動 を 行 ってきたが 、乗
問題解決 に向 け、 エレベ ーター設
数 人 のけが 人が 出 て いた 。
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
大 きな エネ ルギ ーとな った。
︵
松永忠義 ・記︶
書籍 ﹃
我 等 の生 業 ﹄を発 刊
第二五七〇地区
埼玉県
当地 区 では今 年度 、地 区職業 奉仕
部 門委 員会が 中 心 とな って、
書籍 ﹃
我
完成 した待合所で回―タリーの PR
NO‐
THE ROTARY‐
①
第 1回 文芸大会で優秀作品の作者を表彰
ロータリー フントワ…ク
対 象 に 二種 目 合 計 で競 わ れ る大 会
で、今 年度 は主 催 す る音 更町 スケ ー
ト協会 の好意 によ り ﹁
音 更 ロータ リ
ーク ラブ 杯 ﹂ と 冠を 付 けた大 会とな
大 阪 アーバ ンRC
認証状伝達式
第 一一
六六〇地区 大阪府
大 阪 ア ー バ ン ロータリ12 フブ
寄 付を募 り、学 年 男女 別 の優勝 カ ッ
こ こ大 阪 の地 に、絶 え て久 し い新
りま した ので、協 賛 金 の他、︿〓員から
プ と大会 用横断 幕 を寄 贈 しま した 。
と への感謝 の気 持 ち を忘 れな いよう
と マナーを順守 し、競 技が でき る こ
ルール
ロータリー の紹介 と と も に ﹁
加 。開会式 では 岡 田幸紀会 長 に代 わ
り、帯広 スケ ート連 盟副会 長 の私が 、
ク を 会 場 に 約 二〇 〇 人 の選 手 が 参
ポ ンサ ー無 し、会 員を 一から募集 す
な式典 に 一同感動 の 一夜 でした 。 ス
宗宏 初 代 会 長 の決意 表 明など 、 見事
鑑ガ バ ナ ー の開幕 のあ いさ つ、 西 口
を含 め 三 二〇 人が出席 の中 、 岡部泰
認 証状 伝達式 を開催 。近藤 雅 臣国際
の式 に際 し見事 に実 証さ れました。
の方 針 は現実 に 可能 であ ると、今 回
緊密な連 携を保 つ、 としま した。 こ
かな い。⑤会 員 の親 睦 は Eメールで
ク ラブ が 誕生 しました 。一一
月六 日夜 、
にし てほし い﹂と あ いさ つしました。
るなど 、初 手 から創立 さ れ るク ラブ
四月末 現在、 会 員 は 三〇 人 に達 し
一月 八日、 音 更 町営 スケートリ ン
この日は マイナ ス 一五度 と いう今
と し ては、当 ク ラブ が今 年度 日本 で
ロータ リ ー理事 など地 区内 外 の来 賓
季 最低気温 を 記録 した真冬 日 でした
唯 一のク ラブ とお 聞き します 。
音 更町と いう 限ら れた地域 での奉
うれ しく 思 いま した 。
情 を 見 ると、後 援 でき た ことを大変
ま したが 、 選 手諸 君 の誇ら しげ な表
子茂 昭副会 長が 優勝 カ ップ を授与 し
援 に感激 しま し た 。表彰式 では、猪
① スポ ンサーク ラブ 無 し。②会 員 の
た の です 。創 立 の基 本 方 針 は 五 つ、
石火 の早さ で昨年 一二月末 に創 立 し
年 にし て 二七 人 の会 員 を得 て、 電光
ラブ 創 立準備 委員会﹂ を発 足し、半
新ク
代 副会 長 ほか地 区役 員 八人 で ﹁
と し、 西 口初代会 長、 山 田芙 美 江初
横 山守 雄パ ストガバ ナーを特 別代 表
泊 ま り の節 は水 曜午 前七時半 から の
ラ ンヴ ィア大 阪 。皆 さま 、大 阪にお
ラブ 例会場 は大 阪駅構内 のホ テルグ
け、頑張 りた いと思 って います 。ク
しく成 長 し て いけ るクラブ 作 りに向
各会 員が 、 ロータ リ ア ンと し て楽
が 当 日 の感動 の主役 でした 。
が この式 に賭 け た熱 い思 いと行動力
目を集 め る特徴 の 一つです 。新会 員
若 い会 員が多 いことが、 地 区から注
ま した。 ロータ リーが初 め てと いう
が 、晴 天に恵 ま れ、 児童 のたくま し
仕 ですが 、他 の組織 とも協力 しなが
ら、青少 年 の健全 育 成 に、地域 なら
経済 的負 担 を、市内 既存 ク ラブ の約
ラジ オ体操 と朝 食 の例会 にお立ち寄
昨 年 七 月 に岡部ガ バ ナ ー のも と、
では のスポ ー ツを 通 じ て貢献 できた
三分 の 一に 下げ る。③業務 に時 間的
い滑走 と指導 者 や保 護者 の大きな応
こと にあ らた め て感 謝 し、今後 も継
吉馴茂子 ・記︶
︵
りくだ さ い。お待 ち し て います 。
動 は会 員主体 で運営、事 務職 員 は置
負担が 少 な いモー ニング 例会 。④ 活
220人 の出席者を得て、認証状伝達式
続 す る意義 を感 じま した。
田中義博 ・記︶
︵
第 一回文芸大会 に
優秀作品多数
雲 仙 ロータリ12 フブ
第 二七四〇地区 長崎県
ク ラブ 創立 四 二年 目にし て第 一回
文芸大 会 を 開催 した 。大会 要項を九
月 に発表 し、会 員と家族 に投稿 をお
願 いした 。初 め ての事業 であ り、締
め切りま では期待 と 不安 で い っぱ い
だ った 。 結 果、 短 歌 三 一首、 俳 句
一七句 、 川柳 二四句 、計 七 二作 品 の
寄稿 を得 た 。選考 は、新 聞 の文芸欄
など で選者 と し て活 躍中 の先生 に依
頼 。多忙 中 にも快 くお引 き受 けくだ
さ り、 最優秀 作品 一点、 優秀 作 品六
点 の選考 と 入賞 作 品 への寸 評ま で い
ただき 、感謝感 激 の極 み であ った 。
新春 家族祝 賀会 ﹂
一月 二七 日 の ﹁
で成績発 表 と表 彰式 を実施 。最優秀
賞 は例会 場 ホ テル の女将 で、 石田直
生会 員夫 人 の明 子氏 の作 品、
元朝 の決意 新 に女将帯
が 選ば れた 。優秀賞 は次 の通り 。
いにしえ の弥勒菩薩 に会 いにゆき
現し世 の美 と出会 う も縁 か
緊 張 の面持 ちたた え茶 を運ぶ 小
さき 子ら の手世 界を つなぐ
私 には私 の物差 し冬銀 河
山裾 に湯気 の香 りと蝉 しぐれ
⑩
ロータリーの友
6月 号
平成 24年
加盟認証状伝達 式
ロータリー フツトワーク
だ 有料 で高 価なた め、特 に親 の いな
い子、施設 に入所す る子ら は接 種を
受 けられず に いる のが 、 現状 です 。
こうした現状 を鑑 み、〓 一
月 四日、
当 ク ラブ会 員ら によ って、福 岡市 の
社 会 的養護 を必 要とす る施 設 の子ど
もた ち約 四〇 人 に、 これら 二種 の ワ
ク チ ンを同時接 種 しま した 。 ワク チ
ンは ロータ リー財 団 の地 区補 助金 を
いただ き、薬 品会社 を営 む会 員 の好
意 によ って入手 しま した 。接 種 は会
員 の小児科 医師 を はじめ看護 師 など
四人 のグ ループ で各施 設を直 接 訪 れ
て行 い、職 員から大変喜ば れ ま した 。
国際 ロータ リー の支 援 で、 子ど もた
ち に温 か い手 を 差 し のべ た こと は、
意 義 深 い奉仕活動 と 思わ れま す 。
負 ったま ま では、適 切な育 て直 しを
母親 の愛情 を知 らず 、 心 に深 い傷 を
す 。 これ ら の 子 は家 族 のぬ く も り、
一二月 一八日、 NPO団体 と の共催
育 って ほ し い、 と いう 願 いを 込 め
の自 然 と 歴史、文化 を愛す るよう に
奉仕が できた 一日 でした 。
手分け し て行動 しま した 。良 い社会
準備、当 日 の運営 など ク ラブ の皆 で
音 更 ロータリ12 フブ
ミ ニスプ リ ント大会を
後援して
︵
杉尾哲 。記︶
で大 淀 川親 子ウ オーキ ング 大会 を開
コー スは宮崎市役 所 の駐 車場 を ス
経験 しな ければ 、将 来、社会性 のな
せん。わが 国 の ロータ リー の奉 仕活
タ ー ト し、 橋 か ら 橋 へ、 大 淀 川 の
催 しま した 。
動 の 一つと し て、 これら の子にも物
河 川 敷 を 周 回 す る 約 五計 層 の道 の
い成 人 にな る 可能性 も少なくあ りま
心 両面にわ た る支 援 を行 いた いも の
り です 。 途 中 に は せ せ ら ぎ 水 路 や
塚 節 ︵一八七九∼ 一九 一五︶ の文学
小 戸神 社 、大淀 川を歌 った 歌 人 。長
国 。十勝﹂ と称 さ れ、 冬季 オ リ ンピ
です 。十勝 は ﹁スピ ード スケート 王
音 更町は十勝 平野 の中央 にあ る町
第 二五〇〇地区 北海道
碑 、水 防 施 設など各 拠点が あ り、 こ
を この地 の選手が 占 め るほど、 この
当 日は、朝 の集合時 には寒 か った
ケート大会 ﹁
音 更 町 ミ ニスプ リ ント
ック の同種 日では出場 選手 の約半数
競技 の盛 んな所 です 。
一六 六 二年 の大津波被害 で遷宮 した
です 。
子どもたち のため の
ウオーキ ング大会
宮継里円ロータリークラブ
第 二七 三〇地 区 宮崎県
れ ら に関 わ る 一二間 のクイズ を親や
き ょうだ い、友達 と 一緒 に考 え て解
な 恵 み を も た ら し て く れ て いま す 。
の です が 、 風 のな い晴 天 に恵 ま れ、
大会﹂ を後援 し て います 。小学生を
クラブ でも前年度 から スピ ード ス
次 の時 代 を 担 う 子ど も た ち に は 、 そ
元気 な 子ど も 一二〇 人が家 族 と 一緒
川 は 、 私 た ち の暮 ら し にさ ま ざ ま
いてもら う こと にしました 。
のよ う な 故 郷 の 川 を 大 切 に し 、 宮 崎
に参加 し てくれました 。参 加者 総数
は 二 一〇 人 にな りま した 。中 には幼
児も いて心 配しましたが 、全 員、 予
定 の時刻 ま でに完歩 できま した 。
ゴ ール会場 のホ テル では、丸 山 一
郎 S AA ︵
会 場 監 督 ︶が 司会 を し、
鬼 東 孝 仁会 長が クイズ 正解 の多 か っ
た 子ど も に賞 品を手渡 しま した 。子
ど もた ち には 一足早 いクリ ス マスプ
レゼ ント にな ったよ う です 。
警察 署 など への事 前 の届け出 やク
イズ の作 成、参加賞 の寄 付 、賞 品 の
児童たちがた くま しい滑走を披露
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
①
近 年 、 わが 国 では親 の いな い子、
虐 待 を受 けた 子が 増加 し つ つあ りま
受付に集まつたウオーキング大会の参加者たち
施設の子 どもたちに予防接種を実施
口…タリ… アントワーク
島根大学 の留学生と
そば 打 ち によ る 国 際 交 流
ブ
松江東ロータリ12フ
第 二六九〇地区 島根県
一二月 八日、島 根 大 学 の留学生 に
日本 の食 文化 の理解 を 深 め てもらう
そば打
ため、前年度 に続 き 第 二回 ﹁
ち 体 験 ﹂ を 企 画。 中 国、 ベ ト ナ ム、
イ ンドネ シア、スリ ラ ンカ、ド イ ツ、
卜を 五回開催 し てきました 。
そ の目的 は、 長期 にわた る闘病生
活 を送 っておられ、外出が 困難 な患
者 の皆さ ん に、 ひととき のやす らぎ
を も って いた だ く こと に あ り ま す 。
地道 な奉 仕を 目指す当 ク ラブ の誠意
と 琴線 に触 れ る活 動 です 。
吹奏楽部 四〇 人 の若 い力 と音が弾
け る演奏 は迫力 満点 。さすが 全 国大
会 出場経験 のあ る学校 の演奏 は、患
者 はもとより、 われ われ の会 場準備
会 場 を 旭 川赤 十 字 病 院 に移 し ま し
今 年 度 は安 井 敏 春 会 長 の方 針 で、
できま した 。誠意 によ る社 会奉 仕活
者 の皆 さ んとと も に実感 す る ことが
の創意 工夫 によ り、大 きな感動 を患
の疲 れも忘 れさ せ るほど でした 。
た 。距離が これま でより遠 く な った
動、 ロータ リー活 動 の原点 に触 れた
難 しか
参 加 者 の感 想 を 聞く と、 ﹁
た め、中学生 の大型バ スで の移 動 や
ような気が しま した 。
モ ロッコ、ベ ラル ー シから の留学生
った けど 楽 しか った 。
お いしか った 。
楽し
日本 の食 べ 物 は素晴 らし い﹂、 ﹁
楽 器 の運送など の困難も あ りま した
一六 人が 参加 し て開催 しました。
﹁
切 り方 ﹂ の順 に実 演 し た 後、 四班
く 素 晴 ら し い体 験 を さ せ ても ら っ
ね て麺 を作 る のです よ﹂ と 言 って手
したが 、
一人も対象者 はなく、 ロー
初 め は そば アレルギ ーを心 配しま
水 ま わ しL 練 りL のば し﹂
講師が ﹁
に分かれ てそば 打 ち を スタ ート 。中
際 よく こね て いま した 。また、 二回
タ リ ア ンと も和気 あ いあ いと非常 に
院職 員 の方 々 の斬新 な アイデ アや絶
〓 一
大 な協力 を いただ き、
月 一〇 日
﹁日赤 ロビ ー ・コンサ ー ト﹂ を 開催
す る ことが でき ま した。多 く の患者
が 会 場を埋め、大盛 況 でした 。そ っ
と椅 子を追加す る病 院職 員 の優しさ
親 のいな い子らに
予防接種 の奉仕
福 岡城 西 ロータリ12フブ
第 二七〇〇地区 福岡県
そ の日 のため に練 習した ﹁天城越
が 遅れ て いま したが 、最近 にな って、
進 国と いわれ るほど 、 そ のシ ステム
わが 国は諸 外 国と比べ 予防接 種後
え﹂ など の演歌 、合 唱 の熱演 には特
まだ十 分と は いえな いま でも、整 備
う そう︶ や、 おた ふくかぜ など の日
に大 きな拍手が 沸き 、ど よめ きが会
緑が 丘中学校 の生徒 の熱意 、休 日
頃流 行 し て いる病気 のワク チ ンはま
一方、水痘 ︵
水ば
され てきま した 。
返上 で協力 し てくだ さ った病 院職 員
場 をさわやか に吹 き抜け ま した 。
が 、 と ても印象的 でした 。
患者たちにひとときの安らぎを、と演奏
︵
中西信行 。記︶
た﹂ と非常 に感謝をされま した 。
帰 国後 はそ
目 の参加 とな る学 生 は ﹁
和 やか に時 間を過 ごし、と てもうれ
当 ク ラブ では これま で、旭 川医大
が 、横断幕 やポ スタ ー配布 など 、病
中 国 でも小麦を こ
国 の女 子学生 は ﹁
ば 屋を始 めた い﹂ と いう ほど の腕前
しく楽 し い国際交流 とな りま した 。
加偏型果 ロータリ︰クラブ
患者 のた め の
コンサートを開催
でした 。
打ち終 わ った そば は出 雲地方 で有
割 り 子 そば ﹂ に し ま したが 、
名な ﹁
中 に はうど ん のよ う な 太 麺 も あ り、
笑 いの中 で楽 しく食 し ま した 。
そば のほか に、 ロータ リ ア ンが お
鍋 い っぱ いに作 りま したが 、あ っと
病院 の ロビ ーを会場 に、旭 川市立 緑
第 二五〇〇地区 北海道
いう間 に売 り切 れ 。 日本 の食文化を
が 丘中 学 校 吹奏楽部 によ る コンサー
でんと宍 道湖 のし じ み の味噌汁 を大
大 いに堪能 し て いるよ う でした。
①
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
真剣な表情でそば打ちに挑戦する学生たち
ロータリ… アントワーク
口︰タリークラブならび に
地 区 の活 動 を 紹介 、6 0 0
字 以内 。関連 写真 が あ れ ば
添付 してくださ い。
た。協 同組合 では これま で、 足踏 み
式 ミ シ ンで製 作 さ れ た製 品を販売 し
こう と 思 いま す 。
︵
泉英 明 ・記 ︶
救急車を南太 平洋 の
てお り、製 品 の完 成 度が 低く、 販売
価格 も低 く設定 せぎ るを得な い状態
バ ヌ ア ツ共 和 国 ヘ
ブ
川崎北ロータリ12フ
だ った よう です 。
今 回 の支 援 によ り製 品 の品質が 上
ス 用 と し て は 足 踏 み ミ シ ンを 拡 充
し、 より多 く の女 性 に職 業 訓練 の場
ビ ラ中 央 国立 病 院 に救 急 車 を寄 贈 。
川崎 北 ロー タ リ ーク ラブ ︵
R C︶
では、バ ヌ ア ツ共和 国 にあ るポ ート
第 二五九〇地区 神奈川県
を提 供 でき るよ う にな るだ ろうと の
三月 二四日、 この事業 に協力 し てく
が り、収 入 の増 加が 期待 でき るだ ろ
う、 と の こと 。ま た、 職業 訓練 コー
話 でした 。
さ ほど大 きな支 援 金 ではありま せ
川崎 中 原 R C、 川崎 と ど ろ き R C、
れた近隣 ク ラブ と し て、川崎中 RC、
年 間 にわた る交 渉 の結 果、今年 一月
バ ング ラデ シ ュで
女性 の職業訓練支援
ん でしたが 、非 常 に価値 のあ る支援
川崎高 津 南 RC の各会 員と総勢 一七
に譲 渡 さ れ た 中 古 車 両 です 。な お、
た。
が できたと 思 います 。 K nKによ り
人 で、 現地 の贈 呈式 に参加 し てきま
も報 じられました 。
救急車 は、 川崎市消防 局と の約 一
第 二七七〇地区 埼玉県
ます と、今 後 、職業 訓練校 の更な る
この時 の譲渡式 は、新 聞や テレビ で
大 宮 中 央 口!タリ12 フブ
私ど も のク ラブ では今 年度 、 認定
した 。
ク ラブ では 一二年 ほど 前 から、バ
係者 など 、多く の人から感 謝 の言葉
現地 での式典 では、バ ヌア ツ共和
そ のよ う な縁 で、
一昨年 開催 した
を いただきま した 。救 急車 も今 ごろ
ヌア ツ共 和 国 での マラリ ア撲滅 を 目
ク ラブ 創 立 五〇 周年 記念式典 に同病
ピ ーポ ー、ピ ーポ ー﹂ と
は現地 で ﹁
デ シ ュの貧 困家庭 を支援 す る活動 を
院 医院 長 を含 む 三人 のスタ ツフを招
活 躍し始 めた こと でし ょう ︵
あま り
国保健省 の事務次官、 WH O の現地
待 し、滞 在 中、 日本 の最先 端 の医療
活 躍しな い方が よ いのですが ⋮ ⋮︶。
指 し、各 種 の医療機 器を 同病院 に送
現場 を案 内 しました。そ の際 、 川崎
ご協力 くださ った近隣 ク ラブ の皆さ
行 って います 。
市消 防 局を訪 問し、救急車 を 見た医
ま に、あらた め てお礼 を申 し上げ ま
︵
大塚正 一・記︶
院 長 の ﹁こんな救急車が バ ヌア ツ共
ら、今 回 の寄 贈計 画は動きだ しまし
す。
代表 、地 元 の ロータリ ア ン、病 院 関
︵
K nK︶ の活 動 を 通 し てバ ング ラ
N P O法 人 ﹁
国境 な き 子ど も た ち ﹂
日本か らバ ヌアツ共和国に贈 つた救急車
和 国 にも あ れば ⋮⋮﹂ と いう 一言か
り続 け てき ま した 。
ク ラブ では支援 に先立 ち 、昨 年 九
月 二〇 日 の例会 で、 K nK の守 谷 季
美 枝 専 務 理事 に活動内容 とバ ング ラ
デ シ ュの現状 に ついて、卓 話を し て
も ら いま した 。
二月 八日には、支援金 三 二万七〇
〇 〇 円 で購 入した 電動 ミ シ ンなど が
届 いた と の報告とと も に、 現地 の協
同組合 でミシ ンを使 う女性 のう れ し
そ う な笑顔 の写真が 送ら れ てき ま し
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
〇
Att WORK
拡充 を計 画し て いると の こと です の
で、ま た機会が あ った ら支援 し て い
寄贈された電動 ミシンを使つて製品づ くリ
ROttARY文輔
ロータリー アントワーク
そをれ奎 四十周年t︵一童^
リークラブ い
でいいのか日本︰一
盲 導犬 ﹁
クレオ﹂
で︱す ︿
桑名西RC﹀
財 団法人中部盲導犬協会 の盲
導犬育成事業 の支援活動を、
社会奉仕委員会担当 で実施 。
午前 =時から盲導犬 クレオ君
とともに、 アピタ桑名店付近
の路上 で、通行人 に協力と募
金 を呼びかけた 。続 く例会 で
は、 伊 藤 久 雄 会 長 が 賛 助 金
0
1万円と募金 4万8374円
を 同協会 の田嶋順治所長に手
渡 した。田嶋所長からは感謝
状 を受け、卓話 ﹁
盲導犬 の歴
史 に ついて﹂を聞 いた。
9日 第 2 6 3 0地 区
︵
2月 2
三重県︶
﹁
いそなれ会﹂ 創立 0
4周年を
迎え て ︿
整戸須磨R⊂﹀
神 戸 須 磨 R C夫 人 の会 ﹁いそ な れ
0周年 を記念 し、岩手県釜
会﹂創立 4
石市 の釜 石東中学校 に理科実験 用具
を寄 贈。また、今 も東 日本大 震災 の
復興 に奔走、尽力 し て いる吹浦忠 正
氏 の講演会 ﹁これ で いいのか日本 !
次 世 代 に 伝 え た い こと ﹂ を 開 催。
ローター アクタ ー、地域 の人 々を含
め 2 0 0人 が 参 加 し た。今 後 と も
ロータリ アンととも に奉仕 の精神 と
会 員相 互 の親睦 をますます深め てい
こうと の思 いを強くした。
4日 第 2 6 8 0地 区 兵 庫
︵
3月 1
県︶
親睦ボウリ ング大会開催
︿
佐伯 RC﹀
佐伯市内 のボ ウリ ング場 で、佐伯市内
の障が い者施設 の入所者、職員たちと
クラブ の親睦ボ ウリ ング大会を開催、
5人が参加した。ピ ンが
夜 6時半から 2
倒 れ るたび に大 き な 歓 声 が ま き 起 こ
り、盛 り上が った。最後 に、会員から
集めた景品を、菊池良次会 長が施設 の
人たちに進呈し て大変喜ばれ、よ い交
流 の時間とな った。
︵3 月 7 日 第 2 7 2 0 地 区 大 分
県︶
︿
熊谷東 RC﹀
ポ ール ・ハリスの月椎樹を植樹
5周年記念事業 の 一環 で、ポ ー
クラブ創立 3
ル ・ハリ スゆ か り の月桂 樹 の記念 植 樹 を
行 った。ま だ 肌 寒 い中、 来 賓 の熊 谷流 通
セ ンタ ー の大 久 保 和 政 理事 長 を 囲 み、 植
樹 式 を 挙 行 。ポ ー ル 。ハリ スが 来 日 し た
1935年、帝国ホテルに記念植樹 した月
桂樹 のひ孫にあた る木 で、例会場近く の公
園 の片 隅で、ク ラブともども成長す ること
を会員は願 って いる。
4日 第 2570地 区 埼 玉県︶
︵
3月 1
口︰タリ︰クラブ奉仕活動をカラー写真で
写真と150字程度 の説明文。必ず
紹介。
活動日を入れてくださ い。記念写真 ︵
集合
写真︶は掲載できません。
①
ロータリーの友
6月 号
平成 24年
\-
ロータリー アントワ…ク
ROTARY Att WORK
TSUcHluRA― MINAMi
JAPAN
現 役 1 0 0 歳 に ﹁コ ス モ ス 賞 ﹂ ︿
小林 RC﹀
電波時計を設置 ︿
四街道RC
クラブ の創立 記念 日に、長年活躍す る団体 ・個人に ﹁コ
スモス賞﹂を贈呈し て いる。今年 は茶道 ︵
裏千家︶、華
道 ︵
池坊︶を 100歳 の今 日ま で教育現場や 一般社会 で
5年 2月 3
指導 してきた殿所 ハル エ氏を表彰した。明治 4
2
日生まれ の現役 の100歳 。若 いころは和服を着 て自転
車 で教室ま で行 った ことなど 、音 の苦労話など の思 い出
を語 った。まだまだ 元気 で指導 に当たると のこと、ク ラ
ブ では今後 のますます の活 躍を祈 っている。
4日 第 2730地 区 宮崎県︶
3月 1
︵
県内 7校 目のIAC誕生
︿
東 風高 等 学 校 I A C﹀
1月 0日、 東 風高 等 学 校 ︱
昨年 1
1
ACが 、 土 浦 南 R ⊂ の提 唱 で設
立 さ れ、 今 回、 つく ば 国際 大 学
にお いて認 証状 伝 達 式 を 開 催 。
大木 勲ガ バ ナ ー か ら 同 I A C に
国際 ロー タ リ ー の加 盟 認 証 状 が
伝達 さ れ た 。式 典 に は中 川清 土
浦市 長や 、 宮 嶋 光 昭 かす みが う
ら市 長、地 区、近 隣 ク ラブ 会 長 ・
幹 事 など 約 1 5 0人が 参 加 し 、
今 後 の活 動 や 発 展 を 祝 し た 。
5 日 第 2 8 2 0 地 区
︵
2月 2
茨 城 県︶
四街 道 市 民 の憩 い の場 で、市 内 唯 一の公
的 文 化 施 設 。四街 道 文 化 セ ンタ ー の前広
場 に大 時 計 を 設 置 。 ﹁四 つの テ スト﹂ の
石碑 と大 き な 影 石、美 し い植 栽 を 施 した
中 に建 てら れ 周 囲 に溶 け 込 ん で いる。太
陽 電池 式 の電 波 時 計 で環 境 に優 し く、日
常 の管 理 も 容 易 に でき るタ イプ で、同 セ
ンタ ーを 利 用す る多 く の市 民 に利 便 性 を
供 与 でき る 。大 時 計 の前 で、佐 渡 斉 市 長
に 目録 を贈 呈 し た 。
︵
3月 3 日 第 2 790地 区 千葉 県︶
つな ぐ ︿
八潮 を ういRC﹀
明 る い未 来 に希 望 を
今年度創立 8
1年 目を迎える八潮
7年 目を迎え る八
中央 RCと、 1
潮 シテ ィRCは、会員同士親 し
い者が多 か った こと、活動地域
が重複している こと、昨今 の会
員減少 に悩ん でいた ことから、
合併を模索し ていた。昨春 ごろ
から話し合 いが 具体化し、 三國
明ガバナーの指導やRI日本事
務 局の協力 でRI理事会 に合併
3日付 で承
申請書を提出。2月 2
認 さ れ、 八潮 み ら い R Cが 誕
︲R⊂の
生 。昨年脱会 した草加 2
元会員たちも合流 し、 にぎ やか
な初例会を行 った。
︵
3月 1日 第 2 7 70地 区
埼 玉県︶
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
○
ロータリー アントワーク
大須なう フォト コンテスト
第 2760地区 愛知県
名 古 屋大 須 ロータ リー ク ラブ
1610年 に名古 屋城 の建 設が 始ま り、徳 川家康 は
大 阪 に次 ぐ城 下町 にしよう と、12年、
名古 屋を江 戸 。
当時 尾張 の中 心地だ った清 洲 から清洲城 下町を丸 ごと
移転 させ、岐阜 県 羽島市 大 須 にあ った宝生 院 ︵
大 須観
音︶も名古 屋城 下に移動 。大 須観音 の周り に門前 町が
誕生 し、 町 の歴史が 始 ま りま した 。それか らち ょうど
400年 とな る今年 、 ク ラブ では新地 区補 助金 を活 用
し ﹁
大 須な う フォト コンテ スト﹂ を実 施 しました 。
大 須はそ の歴史 の中 で、 門前 町から歓楽 街、 オタ ク
の街など 、名古 屋 の街 の中央 にあ りなが ら 下町 の雰 囲
気も併せ持 つ懐 の深 い町 に変 化 しました。 このバ ラ エ
テ ィーに富 んだ 町を 一枚 の写真 に切り取 るならど のよ
うな 一枚 にな る のか ? 一般 o
ジ ュニア ・
女性 。
外 国人 。
5日∼ 2月 9日ま で公募 。応募
携帯 写メ の部 門 で1月 1
2
総数 は幅広 い層から 3 62点が 集まりました 。募 集期
間中 はカメ ラを手 にした 人が い つもより多 く訪 れ、 レ
ト ロな路地 や アーケ ード街 のあち こち から シ ャ ツタ ー
を押す音が 聞 こえ てき たよう です 。全会 員 で審査 し入
賞者 を決定 。 4月 2∼ 6日 に名古 屋中 郵便 局 で作 品 展
を開催しま した ︵
写真 は特賞 ﹁
怖
いのフし 。
な
く
0年前 に札幌
表彰式 の席 で、外 国人部 門 入賞者が 約 3
南 RC の元交換学生 だ ったと判 明。留学が き っかけ で
日本が好 き にな り現在 は名古 屋 で会社 を経営 し て いる
方 で、また 一つロータ リー の輪が つなが ったよう です。
2次審 査 通 過 以降 の作 品 は ク ラブ H P ︵
耳6 ミ〓〓要・
照井 栞 。記︶
コ8 oヽ 6〓 ・
Q9 に掲載 し てお ります 。︵
○
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
ラリアなど が米 軍 に合流 し て献身的 な支援 を
し てく れた ことも特筆す べき こと です。 ただ
し、これ に対 し て感謝ど ころか、いろ いろな良
くな いうわさが 聞 こえ てく る のも事実 です 。
な ど と考 え てお り ま し た 。
した が 、残 任 期 間 も 四 か 月 足 らず にな った な 、
当 時 私 は、 ク ラ ブ の会 長 を 務 め て お り ま
ら った旅 であ り ま し た 。
を 、被 災地 への ﹁エー ル﹂ と感 じ、 元気 を も
に楽 し む ことが でき ま し た 。 あ の エネ ルギ ー
う大 きな惨 事 が起 きた折 のこと です。 レーダ
一九 八五年 、 あ の日航ジ ャンボ機 が墜落 と い
報 道 。 私 の周 り では 人 的 被 害 はあ り ま せ ん で
し た 。 そ の後 、 思 いも よ ら ぬ原 発 事 故 発 生 の
員 の安 否 確 認 や 例 会 場 の被 害 確 認 に追 わ れ ま
皆 さ ま か ら のご 支 援 に よ り 、 私 ど も のク
こと とあ らた め て感 じ ま し た 。
ず 、世 界 から の応 援 も ロー タ リ ー な ら では の
義 援金 を お送 り いただ き ま し た 。 国内 に限 ら
当 ク ラブ 会 員 の親 族 が 台 湾 在 住 と いう ご
ー でお お よ そ の位 置 を つか ん で いた米 軍 は、
した が 、 程 度 の差 は あ れ 、 多 く の方 が 職 場 や
ラブ は この四月 に、 創 立 一六 周年 を迎 え る こ
そ ん な 金 曜 日 の午 後 に突 然 あ の揺 れ が 襲
直 ち に最新 の救急 医療器具などを備 えた強力
自 宅 の建 物 な ど に被 害 を 受 け ま し た 。 ま た、
と が でき ま し た 。
縁 もあ り、 台湾 の新 竹 東 北 R Cか ら も多 額 の
な レ スキ ュー隊 の派遣 を中 し出 た の です が、
郡山 市 内 の七 つのク ラブ の合 同事 務 局 が 人 っ
ってき ま し た 。 週 末 か ら 週 初 め にか け て、 会
日本側 に ことご とく断 られ た と の こと です。
て いるビ ルが 全 壊 の被 害 を 受 け 、 立 ち 人 り禁
そ れ に つ け て も 思 い 出 さ れ る の は、
あ の時、間髪 を 入れず救助 に出動 し て いれば 、
止 と な ってしま いま し た 。
ま ま な らず 、 今 後 の例 会 の予 定 も 立 た な い。
す。
■0地 区 福島 県 司法 書士︶
丘^
︵
第 ..
希 望 を持 って歩 ん で いき た いと 思 ってお り ま
か ら いただ いた 友 情 を 忘 れず に、 これ か ら も
こ の 一年 間、 国 内 外 の ロー タ リ ー の仲 間
もう何 人 か の命 を救 う ことが できた のに、 と
世 の中 の事 情 、時代 がそうさせ ると いえば
そ ん な 中 、 友 好 ク ラブ であ る、 岸 和 田東 ロー
ク ラ ブ の事 務 局 か ら の荷 物 の持 ち 出 し も
そうかも しれま せん。けれども人命 に関 わ る
タ リ ー ク ラブ ︵R C︶の坂 東 桂 子会 長 か ら 早 々
米 軍当 局者 は大変残念 が っておりま した。
緊急 の場合 に、まず そ の善意 、好意を そ のま
し た こと はあ り ま せ ん でし た が 、 受 話 器 か ら
さ せ て いただ き ま し た 。
て いる 町 や村 への義 援 金 と し て、 有 効 に活 用
ま し た 。 そ れ ら の浄 財 は 、 原 発 事 故 で避 難 し
の方 か ら も 、 多 額 の義 援 金 を お送 り いた だ き
そ の後 、 岸 和 田 束 R C、 そ し て そ の会 員
あ りま した。
力 強 く 言 って いた だ き 、 本 当 に心強 い思 いで
り ま し た ら、 遠 慮 な く 中 し出 てく だ さ い﹂ と
し い気 持 ち が 感 じ ら れ 、 ﹁
役 に立 つ こと が あ
聞 こえ てく る声 か ら は 、 同 じ仲 間 と し て の優
にお 見舞 い の電 話 を いた だ き ま し た 。 お 会 い
ま 受 け 入 れ る こと が でき な いも の でし ょう
か。
︵
第 二五 八〇地 区 東京 都 英 語 通 訳︶
〓
一震災 から 一年余 りが
過ぎ て
郡山アーバン 寿や甲・
割軍夭一
右 往 左 往 し 、 ぼ うぜ ん と し、 そ し て これ か
ら の事 を 漠 然 と考 え た り し て いる う ち に 一年
ま た 、昨 年 九 月 の岸 和 田 の ﹁
だ ん じ り 祭 り﹂
にも 招 待 いただ き 、 熱 く 勇 壮 な お祭 り を 存 分
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
余 り が 過ぎ て し ま った よ う な気 が し てお り ま
す。
岸和田東 RCか らの義援金の一部を宮岡町ヘ
イ 、 マレ ー シ ア 、 イ ンド ネ シ ア と な る と 各 国
語 が 多 く 、 完 全 英 語 例 会 は 比 較 的 少 な いよ う
です 。
こ の意 味 か ら 、 台 湾 で 二 つ の ク ラ ブ が 日 本
語 例 会 を 開 催 し て い る こ と は 、日 本 人 と し て 、
感 謝 に堪 え ま せ ん 。
︵
第lL五0地区 東京都 鋼管製造︶
震災 か ら
尼崎北 堂 本 一
黒巳
く 、皆 が 集 え る コミ ュニテ ィー ホ ー ルも 必 要 、
また冷 暖一
房 の設 置 を 、 と伝 えた 。 続 いて岩 沼
市 消 防 本 部 を 訪 れ 、 皆 さ んを励 ま し た。
あ の津 波 で、 防 風 林 も 電 柱 も 引 き ち ぎ ら
れ 、 ガ ー ド レ ー ル も橋 も押 し流 さ れ て いる現
状 。 自 然 災 害 に は想 定 も 、想 定 外 と いう だ栗
も 通 じな いと 思 った 。 予想 さ れ る東 海 、 東 南
海 、南 海 地 震 、 首 都 直 ド 型 地 震 にも 、 ま た全
国 の火 山 活 動 にも 十 分 な 注意 が 必 要 だ し 、 各
人 が 自 ら身 を 守 る こと、 1 ・一 一を 決 し て忘
れ てはな ら な い。
i
六八〇地区 兵l
︵
第..
︲県 団体役員︶
,
を つけ てよ いや ら 、 時 間 ば か り が 過 ぎ て いく
︲ 月 一 一日 のあ の恐 怖 か ら 一年 、 何 か ら手
心 か ら の お 見 舞 いと 激 励 の気 持 ち を 伝 え た
い。
今 、 強 く 立 ち L が ら ん と す る 東 北 の方 々 に、
応 の 遅 れ 、 と だ 重 苫 の 中 で 耐 え、 そ し て
現状 だ 。 市 制 四〇 周年 を 迎 えた 岩 沼 市 に向 か
と か 仙 台 空 港 に着 いた 。空 港 も 津 波 で ひど い
す か も し れ ま せ ん﹂ のアナ ウ ン ス の中 、 な ん
悪 天 候 のた め 中 止 さ れ た = であ る。 ﹁
引 き返
丹 を 飛 び 立 ち 現 地 に向 か った 。 同 = 天 皇 、 中
私 も 昨 年 五 月 一^
=強 風注 意 報 発 令 の中 、伊
地 震、 汁 波 、 原 発 事 故 、 風 評 被 害 、 対
現 実 。 阪 神 。淡 路 大 震 災 の時 と は地 震 の強 さ
う 。 死 者 一八 〇 人 、 行 方 不 明 者 二 人 、 約 六 五
の ロー タ リ ア ンは大 変 感 銘 を受 け た と聞 いて
好意 、 善 意 に
ど う 対 処 します か
も 、 被 害 の大 き さ も 、 ま た そ の面 積 の広 さ も
〇 〇 人 の市 民 が避 難 所 で一
眉を寄 せ 合 い化 活 さ
お りま す。
専 門 家 や知 識 のあ る人 は大 勢 いる はず だ 。 ま
へ﹂ と呼 び か け た 。 阪 神 の大 震 災 を 経 験 し た
アも 、 民 間 人 も 、 企 業 や防 災 の専 門家 も 現 地
仮 設 住 宅 に関 し て、0 一^
次 災 害 に注 意 ② 家
長 と は今 後 の こと に つい て話 し合 った 。 特 に
と会 いし 、 お 見 舞 いとご 労 苫 を ねぎ ら う 。 市
市 の災 害 対 策 本 部 に 伺 い、 井 日経 明 市 長
特 殊 車 両 、 土 木 重 機 な ど を投 入 し て救 援 、復
H、
I 生 活 援 助 な ど に尽 力 し感 謝 さ れ てお り ま
す 。 ま た、 アジ ア の親 H的 な 国 々、 オ ー スト
戦 ﹂と称 し、 何 万 と いう人 員 、 航 空 機 、 船 舶 、
て は 、そ の直 後 か ら 在 日 米 軍 が ﹁ト モダ チ 作
今 回 の東 日本 人 震 災 の津 波 被 害 な ど に際 し
ー タ リ ア ンか ら多 額 の見 舞金 が 贈 ら れ 、 日本
う のに震 災 発 生 後 直 ち に、 ア メ リ カ な ど の ロ
ロー タ リ ー が 誕 生 し てわず か ^^
∼ 二年 後 と い
一九 一^
二年 に起 き た 関東 大 震 災 は 、 日本 に
塞層 生中央 祖 父江重夫
一〇 倍 も 、 一^
○ 倍 も違 う 。 当 時 、 尼 崎 市 消 防
れ て いる 。情 報 を 得 る には ラジ オ が 確 実 だ と、
た 、 現 場 を 仕 切 る リ ーダ ー シ ップ を 持 つ人 も
族 一家 が 住 め る よ う に O 個 人 住 宅 だ け でな
后 両 陛 ド が 岩 手 県 入 り さ れ る予 定 であ った が
局 長 と し て震 災 を 経 験 し た 私 は 、 ︿′同 マス コ
阪神 の震 災 で得 た教 訓 を 伝 えた い。
阪神・ 淡路大震災の経験を役立てたい と井口岩沼 (左 )市 長を激励
ミ の取 材 を 受 け 、 ﹁
人 は 出 せ る。 ボ ラ ンテ ィ
いる だ ろ う 。
②
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
は あ
や の
一 大
ラブ と の友好 活動 、ゴ ル フ同好会、神 奈 川県
活動 に信 頼 を持 って接 され て います。海外 ク
ん ば り ま す !﹂。 会 場 は割 れ んば か り の拍 手
︱ ﹂ と の司 会 者 に、 ﹁
次 の年 男 が 来 る ま でが
木 村 さ ん が わ が ク ラブ に人会 し た のは 、 八
でし た 。
ても 参 加 者 支 援 を 続 け てく だ さ ってお り ま
〇歳 。 以来 一八 回 の皆 出 席 を 重 ね ら れ て いま
ロータリーク ラブ野球連 盟、野球大会 にお い
す。 日 々 の教 示 とし て、 ﹁
継続 は力 な り﹂ と
職業 奉 仕 では、故 ・
佐 藤 千壽 パ スト ガ バ ナ
族 か ら の忠 告 が あ り 、 今 は小 型 の電 動 四輪 ス
て例 会 に いら し て いま し た が 、 さ す が にご 家
一年 ほど 前 ま では 、 ご自 身 で車 を 運 転 し
す。
ー の正 義 を 貫 く生 き方 への感銘 、 ﹁ロー タ リ
ク ー タ ー でき っそ う と出 席 さ れ て いま す 。
有言実 行居士 です。
ーは誇 り高 く、慎 みを持 つ﹂が濱 田会 員 の背中
。
し ょ う ■い
︵
第 二六 七 〇地 区 徳島 県 特殊自動車 ︶
外 国 で の日本 語
例会 ク ラブ に感 謝
壼暑 田 野 口 広
力 、不断 の精進 に輝 く栄光を、ク ラブ の会 員
今 回、 濱 田会 員 の これ ら のた ゆ み な い努
ラブ の最 も尊敬 し、誇れ るおやじ の背中 です。
少 々 。 そ し てカ ラ オ ケ は得 意 の ﹁
南 国上 佐 を
1が ってお られ 、 お 酒 も
も 驚 く ほど よ く 召 し1
か な ﹂。 例 会 で も 食 欲 旺 盛 です 。 祝 賀 会 当 日
く よ く よ せ ず に、 よ く 食 べ、 よ く 眠 る こ と
が 日本 語 で例 会 を 行 って い る こと は 有 名 で
と、米 山 学 友 を中 心 に創 立 し た 台 北東 海 R C
台 湾 の高 雄 寿 山 ロー タ リ ー ク ラブ ︵R C︶
掲 載 さ れ て いま し た 。
に新 し い日本 語 ク ラブ が 誕 生 ﹂ と いう記 事 が
﹃
友﹄ L 月 号 ﹁
よ ね や ま だ よ り﹂ に、 ﹁
台湾
総意 とし て ﹁
顕彰状﹂を贈呈 し、 日ご ろ のご
後 に し て﹂ コム者 ワ ル ツ﹂ を 楽 し そ う に歌 っ
す 。A′回創 立 し た台 北 南 山 R Cは、 初 代 会 長
長 寿 の秘 訣 は ? と の 問 い に、 ﹁う ︱ ん 、
尽力 に感謝 しよう、と いう こと になりま した。
てお ら れ ま し た 。 こ の分 だ と 一〇 八歳 も 夢 で
は 日本 人 です が 、幹 事 は米 山 学 友 の欧 元韻 さ
に刻 ま れ ております。 この背中 こそが わがク
参 加 いた だ いた来 賓 の皆 さ ま か ら も 盛 大
は な いか も 。 年 男 の祝 賀 会 、 ま た盛 大 に し ま
海 外 で 日 本 語 で行 わ れ る 例 会 に出 席 す る
んが就 任 し て いま す 。
な拍手 を頂戴 し、ますます のご壮健 と、ご 多
幸 を祈念 し て会 を結びま した。
︵
第 二L 八〇地 区 神奈 川県 花井 栽 培 ︶
と 、私 はな ん と な く 懐 か し いよ うな 、 意 外 な
感 じを受 け ま す 。
東南 アジ ア の英 語 圏 に は、 香 港 、 フ ィリ ピ
ン、 そ し て シ ンガ ポ ー ルが あ り ま す が 、香 港
は イギ リ ス領 時 代 、 四〇 ク ラブ 中 、 標 準 中 国
あ った そ う で す 。 日 本 人 が 比 較 的 多 いク ラ
語 と広 東 語 で例 会 を し て いるク ラブ が 二∼ 三
ブ も あ り ま し た が 、 例 会 は す べ て英 語 だ っ
のた め、 す べ てが 英 語 例 会 です 。 し か し、 タ
す 。 フ ィリピ ンと マレ ー シ アは 公 用語 が英 語
た と 問 い て いま す 。 現 在 は 中 国 特 別 区 と し
て、 標 準 中 国 語 も 使 用 さ れ て い る と 思 いま
NO―
満 一〇 〇歳 の祝賀 会
徳島北 ルヶバ﹁
一一
豆
ロ
去 る 二 月六 日、 わが徳 島 北 ロー タ リ ー ク ラ
ブ 自 慢 の木 村 晴 大 会 員 の満 一〇 〇歳 祝 賀 会 を
開催 し ま し た 。 四年 前 のイ ンタ ー シ テ ィー ミ
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
THE ROTARY―
〇
ー テ ィ ング で、 そ の年 の ﹁
年 男 ﹂ の最 年 長 者
と し て紹 介 さ れ た 本 村 さ ん。 ﹁お 元 気 で す ね
「 くよくよせずに、よく食べ、よく眠ること」
長寿の秘訣は、
家 族 と し て温 かく 接 し、 ま た 生 徒 た ち も素 直
に応 え る や り と り が 垣 間 見 え ま す 。
一週 間 と は いえ、 ロー タ リ ア ンの家 庭 で の
滞 在 は、 お 互 いの国 の文 化 、 言 語 、 食 事 など
を 学 び 、 両 国 の友 好 を 深 め 、 将 来 の親 善 、友
好 に役 立 ち ま す 。
京
こ の青 少 年 交 換 事 業 は 、当 地 区 と韓 国 ︵
畿 南 部 地 区 。第 三七 五 〇 地 区 ︶ が 姉 妹 地 区 を
締 結 し、 そ の記 念 事 業 と し て始 め た も の で、
今 年 で 二 四年 が た ち ま し た 。 毎 年 、 約 五〇 人
のイ ンタ ー アク ト の生 徒 た ち が 、 お 互 いの国
と 同 を訪 れ て いま す 。
こ の出 版 を機 に、 日本 の ロー タ リ ア ン、特
に新 世 代 部 門 の皆 さ ま に読 ん で いただ き た く
ご 案 内 いた し ま す 。 そ し て、少 し で も 青 少 年
交 換 事 業 にご 理 解 いた だ け れ ば 幸 いです 。
︵
第二七七〇地区 埼玉県 事務用機器販売︶
る のを 祝 って、 記念 例 会 を 開催 し ま し た 。 例
会 に は、 元 会 員 の方 々 も 招 き 、 ﹁五 〇 年 の 一
のた め に尽 力 いただ いた パ スト会 長 、 物 故 者
緒 に歩 いた仲 間 た ち﹂ と し て、今 ま でク ラブ
第 二七 七 〇 地 区ガ バ ナ ー事 務 所
※本 に関 す るお 問 い合 わ せ は 、
を出 版 し ま し た 。 地 区 のイ ンタ ー アク ト 海 外
を 含 む 元 会 員 の思 い出 の写真 を スラ イ ド で紹
タ リ ー 財 岡 にし ても そ の実 績 は数 知 れ な いも
種 寄 付 実 績 も 、米 山 記 念 奨 学金 に し ても ロー
の ニク ラブ が 創 立 しま し た 。 ロー タ リ ー の各
原 平 成 ロー タ リ ー ク ラブ ︵R C︶ と 足 柄 R C
初 代 ガ バナ ー と し て活 躍。 在 任 中 に は、 伊 勢
第 二七 八 〇 地 区 と の二地 区 に分 割 さ れ た時 の
濱 円会 員 は、神 奈 川県 が 第 二五九 〇 地 区 と 、
介 しま した 。
電 話 〇 四 八︱ 八 二七 ︱○ 〇 三 二ま で
ま と め た も の です 。
研修 で韓 国 か ら来 日 し た 生 徒 た ち と の文 通 を
永 遠 の出 会 いに﹄
の仁 美 夫 人 が 、エ ッセ イ 集 ﹃
こ のた び 当 地 区 の津 田健 三 パ スト ガ バナ ー
出版
エッセー、海外の 回―タ リークラブ訪間
記、時局雑感な ど。1,000字 以内。関連
写真があれば添付 して ください。
越谷南 片寄 芳美
﹃
永 遠 の出 会 いに﹄
PLAL
生 徒 た ち に 日本 のお 母 さ ん と し て、本 当 の
祝卒寿 会 員 歴 ・皆 出
席 五〇年お祝 い例会
伊勢原 西部 康 男
^月 ^´
五 日、 当 ク ラブ の創 立 会 員 で 一.
代=
い る 濱 田 勝 輛 会 員 が 、 ロー タ リ ー 歴 五 〇 年 、
り 、 金 は出 し ても 日は出 さ ず 、 と若 い会 員 の
わ が ク ラブ の活 動 にも活 発 に応 じ てく だ さ
のが あ り ま す 。
皆 出 席 五 〇年 を 達 成 、 九 〇 歳 の誕生 Hを 迎 え
会 長 、 今 も ク ラブ の中 心 人 物 と し て活 躍 し て
(左 )に 感謝
わがクラブの誇 り、濱田先輩
⑩
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
■lt,│
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Club Banner
、
」
Zζ 嵐
蜜
仁
魔btア 現脇管,釜t来
[2ぜ 肇
富
隻
鳥
話
根
茂 原 中 央 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2790地 区 (千 葉県)
藤 丼 寺 し ゆ ら ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2640地 区 (大 阪府)
七戸ロータリークラブ
太平洋の青を背景に、緑の地図は房総
半島、自い建物は日蓮聖人が開山 した
藻原寺 (そ うげん じ)の 山門です。隣
接する茂原公園は桜の名所であ り、国
内の池の中島に祭 られる弁天堂は赤い
欄干で結ばれています。慈愛と風光美
を描いています。
1978年 、藤丼寺市の三ツ塚古墳周濠
内か ら大小 2つ の修 羅 と呼ばれ るそ
りが出土 しま した。バナーには大石を
動か したとされる修羅 と前方後円墳を
デザイン。大きな修羅にロータ リーの
心を乗せ、奉仕の理想の実現を願 つて
制作 しま した。
八幡岳の豊かな緑に包まれた七戸町は
名馬の産地。また、ツツジの名所でも
あ ります。鮮やかなツツジと、地元の
牧 場 で育 ち、競 馬 で数 々の Glレ ー
スを優勝 した名馬グ リー ングラスをモ
チー フに、創立 45周 年を記念 して作
りま した。
大 阪 城 北 口 … タ リー ク ラ ブ
第 2660地 区 (大 阪府)
結 城 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2820地 区 (茨 城県)
太 田 中 央 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2840地 区 (群 馬県)
Il敷 を
大阪城北公園には、旧淀川の河り
利用 して造 られた大きな池 とシ ョウブ
国があ り、バナーのハナシ ョウブはこ
の公園のものから取 りま した。国内に
は約 250品 種、 1万 3′ 000株 が 栽 培
されてお り、6月 には大勢の人が訪れ
ます。
平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍
した結城朝光か ら 18代 秀康 (徳 川家
康の次男)ま でが君臨 した結城城の城
址の桜、 ここか らりし
める筑波山に、特
産品である結城紬 (ゆ うきつむぎ)の
機織 りと糸取 りを図案化 しま した。
当地には多 くの古墳があ り、出土 した
「埴輪 (は にわ)飾 り馬」は県や市の
重要文化財に指定されています。 この
飾 り馬を地元のデザイナーに依頼 して
図案化。後世に残るようなクラブ活動
の象徴に したいと思 つています。
第 2830地 区 (青 森県)
蓑
奮賃 .
一
●薫
一
康稚士 .
ヽヽ
.
①
THE ROTARY― NO―TOMO
2012 VOL.60 NO.6
Club Banner
SET0
2760
D‐
JAPA N
大 宮 南 西 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2770地 区 (埼 玉県)
瀬 戸 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2760地 区 (愛 知県)
恵「
調 ロ ー タ リー ク ラ ブ
第 2630地 区 (岐 阜県)
大宮市西部の錦 ヶ原はかつて、有名な
サクラソウの 自生地で した。クラブ創
立時、創立会員によって錦 ケ原のサク
ラソウを復活させようと、育成、保存
のため保存会を立ち上げま した。それ
ゆえ、サクラソウをデザイン したバナ
ー となつたそうです。
陶磁器 の街・ 瀬戸 の 伝続 にふ さわ し
いものを作 ろ うと、創立 40周 年時に
5人 の陶芸作家会員がバナー用にそれ
ぞれ陶板を創作 しバナーに付けていま
す。今回は亀丼勝氏の作品ですが、ク
ラブではこれ らを順に使 つています。
恵那は木曽谷への入 リロ、奇勝・ 恵那
峡を有する観光都市。朱色の恵那峡両
岸は熱意 と願望、群青色の岩石は希望
と努力、黄色は実 りの秋、水色はおお
らかな奉仕の精神、余自の自地は潔自
である ロー タ リー 精神 を表 してい ま
す。
寒 河 江 さ く らん ぼ ロ ー タ リ … ク ラ ブ
岩 国西 口 … タ リー ク ラ ブ
第 2710地 区 (山 口県)
日本 ロ ー タ リ… Eク ラ ブ 2650
第 2650地 区 (福 丼県・ 滋賀県・ 京都府・ 奈良県)
クラブの例会場からは、天下の名勝・
錦帯橋 (き んたいきょう)と 岩国藩吉
川氏の居城・岩国城、夏の風物詩であ
る、錦川のウ飼いが…望に見渡せま
す。まさに、その情景を一幅の絵とし
てバナーに再現 しています。
寛容、慈愛、忍耐、成長、学びといつ
た 日本人 らしさと、創立に携わ つた 5
人を桜の花び らと日本地図で表 してい
ます。波の棋様 は Eク ラブの「E」 。
伝統を守 りながら、かつ新 しい視点の
斬新的なクラブヘ発展 してい く願いを
込めま した。
第 2800地 区 (山 形県)
地域の名前が一般的なロータ リーにあ
つて、 当クラブでは初代会長 によ つ
て、全国に先駆け地域特産の果物の名
前を採用 しま した。寒河江市は「さ く
らんぼの里」 として名を馳せてお り、
これをイメージ してバナーを制作 しま
した。
平成 24年 6月 号
ロータ リーの友
①
う か﹂。 昨 年 度 の年 次 プ ログ ラ ム
基 金 の 一。
五倍 、ポ リオ ・プ ラ ス
基金 と ほぼ 同じ額、 つまり、世界
の ロー タ リ ア ンの寄付金総額 に等
し い額 を、投資 で損を した ことが
﹃ロー タ リ ー 入 門書 ﹄
にみる説 明 への疑 間
福岡イブニング 卑ユⅢ一
Ⅲ利一
本 文 で は② と 解 釈 し、 そ の結 果 ③
であ り 、 施 し と いう も のは善 意 か
ら 出 た も の では な く ロー タ リ ー の
社 会 奉 仕 は こ のよ う な こと では な
いと 説 か れ て いる。 論 拠 の ﹁
施 し﹂
の意 味 を 単 純 に ② の意 味 に解 し、
アーサー ・フレデリ ツク ・シ エル
ド
ン
︵一八六八∼ 一九 二五︶
ロータ リ ー の第 二標 語 ﹁最 も
よ く 奉 仕 す る者、最 も 多 く 報 い
何 より も投資 と いう ﹁
事業﹂ の目
他 の テ スト の判 断 に至 り ま せ ん。
重 要 です 。これが満 たされな いと、
誠実 であ るか、 のテ ストは非常 に
え て いるか、 ロータ リ ア ン全 てに
﹁
み んな に公平か﹂ も問題 です 。
﹁真 実 かど うか ﹂、つまり真実 を伝
情 ﹂が損 われな いか、心配 です 。
資特 有 の事情 のため に ﹁好意 と友
は関係 あ りません。私たち はむし
ろ、将来 の損 と得が不明と いう投
な いのであ ります﹂ と、本文 では
仕 は、決 し て これ であ ってはなら
りません。④ ロータ リー の社会奉
利己心 のカム フラージ ュでしかあ
も のではなく、自 己防衛 、 いわば
て います。③ これ は善意 から出 た
貧 困者 に金 品を恵 む ことを意味 し
の人 々が 己 の罪滅 ぼ し の気持 ち で
葉があります。② これ は富裕階級
る。便宜上、文中 に番号 を付 け引
① ﹃
施 し﹄ と いう言
用す ると、 ﹁
で 六 行 日 以 後 の記 載 に疑 義 が あ
は良書 であ るが、私 には本書 四二
く 、 富 裕 者 の罪 滅 ぼ し の行 為 でも
は利 己 心 のカ ム フラ ージ ュでも な
を提 供 す る︶ を 意 味 し、 そ の施 し
︵
場 所 を 譲 る︶、 房 舎 施 ︵
自 分 の家
︵
他 の た め に 心 を 配 る ︶、 床 座 施
で でき る こ と を 奉 仕 す る︶、 心 施
し い言 葉 で接 す る ︶、 身 施 ︵
自分
や か な 顔 で接 す る ︶、 言 辞 施 ︵
優
し で接 す る ︶、 和 顔 悦 色 施 ︵に こ
七 施 、 即 ち 、 眼施 ︵
優 し いま なざ
典 ﹃
雑 宝 蔵 経 ﹄ に説 か れ る無 財 の
し﹂ は恵 ん でや る罪滅 ぼ し ではな
い。 元 来 ﹁
施 し﹂ と いう意 味 は仏
ち な み に、 わ れ わ れ医 療 の ﹁
施
そ れ に よ り ③ を 導 いた と ころ に疑
的 を 示す ことなく、 いきなり損 失
社会奉仕を① と② を根拠 に、③ か
なく 、 里 口
意 か ら出 た も の でな く﹂
※ 響曰いた い 聞きた い﹂欄 は今
﹃ロータ リー入門書﹄ ︵
著者 。前
の ﹁回復 ﹂ や財 務状 況 の ﹁上 昇 ﹂
を強 調 す る報告文、例 えば ﹁
国際
ら④ への論法 で消 去法的 に説明 せ
で はな く 善 意 そ のも の であ り 、 そ
号 で終 了します 。次 号から は、各
﹁み ん な のた め﹂ にな る でし ょう
か。過去 に いく ら得を し て いるか、
ロー タ リー ︵
RI︶ は本年度 も引
んとし て いますが、社会奉仕概念
の根 本 は愛 の思想 であ る 。
一
ます。当決議 の全文 に ついては、
一 ﹃二〇 一〇年手続要覧﹄ の 一一四 一
∼ 一一六でをご覧くださ い。 一
四つのテスト ηすo﹁
0 一
ocT〓●ヽ﹁0い
四 つの問 いを中心に、事業と専 一
一
一
門職 におけ る倫 理 に ついて述 べ 一
一
た声 明。﹁
真実 かどうか、 みんな 一
、
一
に公 平 か 好 意 と友 情 を 深 め る 一
一
か、みんな のためになるかどうか﹂ 一
二年 に ハーバード ・テイラ 一
一 一九二.
一
︱により創作され、 四三年 に国際 一
一
ロータリーに採用されました。 一
︵
第二七〇〇地区 福岡県 内科医胃腸
うだ ろ う 。
③ を 、 改 訂 版 では再 検 討 し てはど
広場﹂欄内 に て掲載 します 。
用品﹂ は引 き 続 き募 集、 ﹁
友愛 の
ジ に掲 載 しま す 。な お、 ﹁
私 の愛
表欄 ﹁
同論 ・異論﹂を縦組 みベ ー
テー マに沿 った、会 員 のご意 見発
科︶
誤 解 を 招 く お そ れ のあ る① 、② 、
義 が あ る。
き続 き 純 資 産 を増加 さ せ ま し た ﹂
と、当 時 のRI会長 は語 って いま
の積極的説明 はなく、 この文脈 で
原 勝 樹、 改 訂 共 著 者 ・重 田政 信 ︶
す 。さ ら に、
金融市場 の下落 によ る
は新会員 は ロータ リー で いう社会
られる ︵
03 聟o”お 〓o∽
︵〓ぎ
r28 ]8静
ビを提案 した、初期 の
指導的人物 です。なお、
英文 の主語
は当初、国oでしたが、 二〇 一〇
年 規 定 審 議 会 で、oお に変 更 す
る決議案が採択され、国際 ロータ
リー理事会 で決定されました。
決議 二三︱ 三四
﹁社 会 奉 仕 に関 す る 一九 二 三
投資 損 失 と 一人 ひとり の会 員 の財
奉仕が理解 できま い。
し か し、 こ の議 論 は さ てお き、
次 の こと だ け を 指 摘 し てお き た
い。即ち、① の ﹁
施 し﹂ の意味 を
年 の 声 明 →掲 ωで臓 ヨ8 8 ● ・
8と の こと で 一
の。日ョ ユO F2︻
一
。 .
^
・ す 一九 二 〓年 のア メ リ カ ・セ 一
・
ントルイ ス国際大会 で採択 され、
以後 の国際 大 会 で改 正 さ れ て い
団 寄 付 を 同 列 に語 る財 務 の報 告
に、 何 か モヤ モヤを感 じ る のは私
た ちだ け でし ょうか。
︵
第 二八 四〇地 区 群 馬県 弁護 上 ︶
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
○
Annotation
﹁
奉仕 の理想﹂の
日本語訳 に ついて
浦和 岩渕 均
と書 いて いま す 。
この ﹁
与 え る べき奉 仕 ﹂ に注 目
し てく だ さ い。 具体 的 な物 事 を 示
し てお り 、つま り ♂qく”
8 ﹂と は 、
事 業 お よび 専 門職 務 に携 わ る者 が
提 供 す る業 務 を指 し て いる、 と読
そ れ は、綱 領 が 基 本 的 に ﹁
事業家 ﹂
念 ﹂と訳 す こと に は 異 を 唱 えま す 。
J8 巴 a F a い
奉 仕 の理
8﹂ を ﹁
変 参 考 にな り ま し た 。 ただ 、 私 は
綱 領 ﹄ の和 訳 に つ いて 3﹂ は、 大
五 〇 ∼ 五 三 で の ﹁﹃ロー タ リ ー の
し て﹂ と書 か れ て いま す 。 こう 見
っと 明 快 に ﹁
有 益 な 事 業 の基 礎 と
前文 ︵
内 容 的 には ﹁
本文 し にはも
第 二項 では ﹁
事 業 生 活 ﹂ と あ り、
項 に は ﹁事 業 お よ び 専 門 職 務 ﹂、
点 に戻 る と、 綱領 の第 二項 と第 四
ま た、 ﹁
事 業 家 ﹂ の綱 領 と い う
の 一番 大 切 に し て い る ﹁
︻
8巴 R
いず れ に せ よ、 ロ ー タ リ ア ン
捨 て難 いと 思 いま す 。
り づ ら く と も、 ﹁
奉 仕 の理想 ﹂ は
ロータリー財 団 の ﹁二〇〇九︱
プ ログ ラム の問題 です。
それは ロータリー財団 による投資
み取 れ ま す。
の綱 領 だ か ら です 。 事 業 家 の提 供
てき ま す と、 ど う し ても ﹁
奉仕 の
﹃
友 ﹄ 二〇 一二 年 二 月 号 横 組 み
す る も の は 最 終 的 に は サ ー ビ ス、
r 2い
8 ﹂ で す か ら 、 多 く の意 見
のことを ﹁四 つのテスト﹂ に照 ら
年度 は約 一億六〇〇〇 万ド
ルの投資
損 失 を 出 し た と いう こと です。こ
あります。裏返 せば、〇八︱ 〇九
取 り戻 す結 果 と な って います ﹂と
︵
第二七七〇地区 埼玉県 印刷業︶
出 し て いた だ け れば 幸 い です 。
理 念 ﹂ と いう抽 象 的 な 訳 は、 ふ さ
私 は コa①”ご コ oコ 慰 ﹂ の 意
商 品 ・製 品 であ り 、 どのコ”
8﹂ は
す ると ﹁
H
8 ”ご は ﹁理 念 ﹂ の よ
味 を、 ﹁
最 良 のサ ー ビ ス あ る い は
一〇 年 度 年 次 報 告 ﹂に は、 ﹁
財団
、
の投資収益 は五 四三〇 万ド
ルと 前
年度 に被 った損失 の約 三分 の 一を
う な 抽 象 的 な 意 味 で は な く 、 ﹁理
最 高 の商 品 ・
製 品 を提 供 す る こと﹂
を 聞 き十 分 検 討 し た 上 で、結 論 を
想 的 な 人 や物 ﹂ な ど 具体 的 な事 物
と 理 解 し て いま す 。 す る と 、 ﹁有
益 な 事 業 の基 礎 ﹂ と いう 語 句 も 無
いて著 書 ﹃ロー タ リ ー の理想 と友
題 調 査 研 究 小 委 員 会 の定 義 す る 五
最 適 な 訳 と し て、 綱 領 等 翻 訳 問
ず っと前 から気 にな っていた こ
ーク ラブ内 の問題 で解決 できな い
トに照 ら し、少 なくとも ロータリ
し てみま し た。 四 つのテ スト は、
愛 ﹄ の中 で、 ﹁
著 者 の理 解 す る と
つの必 要 十 分 条 件 を 満 た す のは難
とを ロータ リ財 団委 員会 の会合 で
ことはな い、 と言 っても言 い過ぎ
﹁
四 つのテ スト ﹂に
財団 の投資を照らすと
ころ では物 の過 程 の最初 に奉 仕 を
し い こと です 。強 いて言 えば ﹁
理
話 したと ころ、川 口修平委員長が
ではな いと思 います。
理 な く 理 解 でき る の です 。
置 く も の であ る 。 換 言 す れば 奉 仕
想 的 な 業 務 ﹂ でし ょう か。 でも 、
強 い共感 を示された こと に意 を強
まず ﹁みんな のため にな るかど
た優 れた社会規範 です。 このテス
法律家 の日 で見 ても普遍性を備 え
の理 想 を 標 榜 す る者 は、 受 け る べ
これ で は格 調 の高 い﹁
奉 仕 の理 想 ﹂
く し、投 稿 す る こと にしま し た。
高崎南 井 坂 和広
き物 質 に お い て でな く 、 まず 与 え
に か な いそ う も な く 、意 味 は わ か
リ スは ﹁
︼
浄 巴 a r マ︻
の2 に つ
ロー タ リ ー の創 設 者 ポ ー ル ・ハ
を 示 し て いる、 と 考 えま す 。
わ し く な いよ う な気 が し ま す 。
前田 和隆
第 2740地 区 長崎・ 佐世保東
これ ら を 指 し て い る と 思 いま す 。
たエ レガ ットと呼ばれるもの。中
は空洞 で練習 に必 要な生音 も十分
出ます し、アンプか らの素晴 らし
い音 とギターシンセサイザーの音
の 組み合わせ は無限大。演奏 で弦
が切れた時 のため、2本 あ ります。
る べ き 奉 仕 に着 眼 す べ き であ る ﹂
①
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
Godin製 ギターで、ガッ ト弦を張 っ
い﹂ と記 され、親睦 を重視 し、あ
す るも のは行動 しな ければ な らな
﹁
決 議 二三︱ 三 四﹂ に は ﹁
奉仕
であ り ま し よう 。
ロー タ リ ー にと っても 不幸 な 認 識
開 さ れ 、﹁
悪 貨 ﹂呼 ば わ り す る のは、
と も せず 、 I Tを 悪 玉 論 と し て展
Eク ラプ の現 状 を あ ま り 見 よ う
ありま せんし、自分を高 め る努力
ら知 らな いことがなくな る ことは
話 です。人間がど んな に努力 し て
も、情報網が発達 し ても世 の中 か
よりも、増 える要因を考 え るのが
会員増強 に ついては、減 る原因
﹁
敷 居 が高 い﹂ ﹁つま ら な そ う﹂
﹁
会 費 が高 い﹂ など 、若 者 が 入ら
当然だ と思 います。
ってよか ったと思う毎 日 です。
られます。自分 の所属ク ラブがあ
る いは 奉 仕 の理 念 の勉 強 ば か り
で、全 く対外奉仕活動 を行 わな い
を求 め るには不断 の努力が必要 で
な い理由 はあ る でし ょうが、所属
るとしたら心外 です。素晴 らし い
あ り、 そ の手段 の 一つにク ラブ が
堀部氏 の述 べる ﹁
機能 す るク ラ
人が集 ま って知恵 を交換 し ている
ク ラブ がそんなふう に見られ て い
ブ ﹂ は誰 が つく る の でし ょう か。
あ ると思 います。
人 が 集 って知 恵 を 出 し 合 う か ら
﹃
友 ﹄ 二〇 一二年 四月 号本 欄 の
﹁Eク ラブ が 存 在 す る理由 を読 ん
る のも良 いクラブ であり、膝 つき
一方 で、 心が通じ合 う人 に出会 え
ロータ リア ンにはさまざ まな職
り、そ の過程 で ﹁
奉仕 の理想﹂ を
求めまし ょう。
独口
北 笹氣 光詐
Eク ラブ の存在 に思う
︵
第二六五〇地区 奈良県 学習塾︶
は永 遠 に続 け な け れ ば な り ま せ
ん。 そう した活動 のため に、友 人
ク ラブ こそ問題 です。
﹁
機 能 す るク ラブ ﹂ と いう のは
﹁ロー タ リ ー の綱領 ﹂ に従 い、 き
ち んと行 われ る例会 の中 で、奉仕
の理念 を研さんし、 それぞ れ の職
業 理念を高 め、地域社会 に対 す る
奉仕活動、人道的な奉仕 、 国際奉
ク ラブだ、 と大 きな声 で言 いまし
ょう。お互 い、良 いク ラブ を つく
組 み、地域 におけ る ロータ リー の
で﹂ に関 し て、小生 の思う ことを
合 わせ て話す から互 いを わかり合
﹁
良 いク ラブ ︵
Eク ラブと ですが、
イ メージ を高 め、広 く ロータ リア
書 いてみます。
仕 など の実践活動 に積極 的 に取り
ンにな る人材を集 め、人 々 の幸 せ
感 謝 したから こそ、他人を思 う心
えます。
出会 って自分 を高 められ、
他 人 のため のも の﹂ だ と思 い
は ﹁
業 の人が いますが、す べ ての職業
ロー タ リー の創 立 時、ポ ー ル ・
ハリ スが ﹁
寂 しか ったからク ラブ
や世界平和 に少 し でも貢献 しよう
と努 め るク ラブ の ことを、 いう の
ます。そ の職業 を代表す る人 々が、
英知を集め、情熱 を持 って、他人
のため に努力す る のが職業奉仕 の
つなが ると思 って います 。
会 社 の運 営 を 息 子 に譲 って 以
常 に少 なくなりま した。他 人 を範
よ う に、 ﹁入 る を 量 り て出 づ る を
最近 のど こか の国 のかじ取り の
一つの形だ と確信 します。
とし て自分を高 め てきた自分 とし
制 す﹂の ﹁
出 づ るを 制 す ﹂を忘 れ、
来 、他 人 に出会 えるチ ャンスが非
ては、今、最も出会 いの機会 を与
違 いは、 お か し て は いけ な いと思
安 易な ﹁
入 る﹂ を 求 め る よ う な 問
若 い会員と 一緒 に考 え、行動 し、
いま す 。 ロー タ リ ー の原 点 に返 り
え てくれ る のは ロータ リー です。
奉仕活 動が できる喜び は、 ほか に
ま し ょう 。
︵
第 二五二〇地区 宮城県 体育指導︶
はあ りません。自分が謙虚 にな れ
ば な る ほど、多く の目覚 めが与 え
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
NO‐
THE ROTARY‐
が芽 生 え、社会奉仕 や国際奉仕 に
上野 正義
第 2690地 区 岡山・ 岡山西
を つく った﹂ と述 べた のは有名 な
前長船 の 刀 工 に鍛 えてもらった、
居合道 の愛刀。最近、江戸中期 の彫
金師・藻柄子宗典 (も が らしそ う
てん)作 のつ ば、縁頭 を付 け ま し
た。人生終期 の晴れ姿 にふ さわ し
いこしらえ、と悦 に入っています。
だ と思 います。
1979年 に寸法、重 さを指定 し、備
ロー タ リ ー を 語 ろう
二三〇〇人 の地区が 一〇年 間、毎
人 の減。 言 い換 え れ ば 、 会 員 数
リー とは何 か、 いま時代 に求めら
以上 の歴史 を顧 みながら、 ロータ
想的 にな る のであれば、他人が と
見 です 。 Eクラブ に参加す る こと
で、自 分 の ロータリー ライ フが理
また、 尺例会 への︶出席なく し
やかく言 う こと ではありません。
れ て いる ロータ リー の使命 とは何
か に つ い て の共 通 認 識 を 得 る べ
く、ク ラブ で真 剣 に議論す る こと
年 一地区ず つ消滅 し てき た のと同
じ です。
毎年 のよう に会 員増強 を標 榜 し
て親睦 な し、親睦 なく し て奉仕 な
考 停 止 に も 等 し い現 状 のま ま で
は、会 員相互が ロータリー の使命
ロータ リー の根 源 に ついて、思
むしろ、大規模 クラブ の例会 の方
ラブ でも十分 に例会を楽 しめます
し、
親睦 も深 める ことが できます。
な のではな いでし ょうか。
ここで私が提言 した いのは、 い つ
や役割 に ついて の共通認識を持 て
が よ ほど、全会 員 の コミ ュニケー
てきた のに、なぜ こうな った のか。
ま でも同じような ことを繰 り返 し
な いだけ でなく、 RIの方針 に つ
シ ョンを取 る ことが難 し いのでは
し﹂ と述 べられ て いますが、 Eク
は次 々と新 し い方針 を提 言、奨励
いて適 切な判断 や提言す ら できな
近年 、 国際 ロー タ リ ー ︵R I︶
て いいのか、 と いう こと です 。
し て いますが、 これ に対 し て ﹁
ど
ことが できます。
仕 の理念 を研さんす る道場 とな る
ンタ ーネ ット でも十分 に、 そ の奉
です。人生 の道場 です。そし てイ
た中 で、奉仕 の理念を勉強 す る場
例会 は会員同士 の心が打 ち解 け
な いでし ょうか。
Eク ラブ の
正し い理解を
︵
第 二七 八〇 地 区 神奈 川県 塾経 営︶
いこと にな る に違 いありません。
うも最近 のRIはおかし い﹂と か、
﹁
最 近 のR Iは、 わ れ わ れ と乖 離
し て いる﹂ と いうような言葉 を よ
く耳 にします。確 か にそう いう と
ころもあ るかも しれませ んが 、 そ
れ では各ク ラブが 一体ど う いう努
厚木中 渡邊 義治
わが 地 区 の森 洋 ガ バ ナ ー は、 大
日本 回︱タリIEクラブ2650
業 人 とな る こと です。 そし て自分
力 を し てきた のか、自 間す る必要
毎年 のよう に会員増強 を叫び続
﹃
友 ﹄ 二〇 一二年 四月号本 欄 掲
載、堀部正行 氏 の ﹁Eク ラブが存
の業 界 や周り の企業 にそ のよ い影
変 会 員 増 強 に 力 を 入 れ て いま す 。
職業奉仕 はもともと、個人が自
新 年 度 早 々 か ら 、 二回 にわ た リ ク
け てきた にもかかわらず 、大幅 な
在す る理由 を読 ん で﹂ の文中、 E
響 を及ぼ し、社会全体が倫理的 な、
杉 田 博
ラ ブ フ ォ ー ラ ム を 開 く な ど し て、
会 員減少 の原因 に ついて、ど れだ
ク ラブ ヘの移 籍 理由 であ る①例会
職業道徳 に満ちた社会 を つくり上
があ ると思 います。
会 員 増 強 に力 を 入 れ てき ま し た 。
け真剣 に話 し合 い、議論 し てき た
出席 が不可能 な地方 で活動し て い
そ の熱 意 を 受 け 、 わが ク ラブ でも
し か し 、 ク ラブ は 三月半 ば 時 点
のでし ょうか。も はや、会員増強
るため、②個 人的 な生活環境が変
分 の職業 理念を高 め、模範的な職
で年 度 当 初 比 一人増 、 前 年 度 同期
論 や会員増強 テク ニックだ け では
サー ・F 。シ ェルド ンは ﹁
最 もよ
比 二人 減。 地 区 は年度 当 初 比約
ル と合 わ な く な った ため に対 し、
く奉仕 す る者、最も多く報 いられ
げ る こと です。結果的 に、自 らも
栄 える こと でし ょう。 これを アー
会 員増強 と同じか、あ る いはそ
﹁
そ の必然性 を感 じな い﹂と述 べら
る﹂ と言 った のだ と思 います。
わ ったため、③ 仕事 のスケジ ュー
れ 以上 に重要な のは、時 代 の変革
れ て います が 、そ れ は個 人的 な意
厳 し い現実を変 えられま せ ん。
一〇 〇年
期 に直 面し て いる現在、
四〇 人 増 と は いえ、前 年 同期 比 で
は 二〇 人 以上 の減 少 です 。
ち な み に 全 国 三 四 地 区 で は、
直 近 一〇 年 間 で 約 二 万 三 〇 〇 〇
①
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
「ロータリー」ならびに「ロータリーの友」
について感 じたこと、建設的な意見、疑
問 。質問、問題提起など。また、本欄に
掲載の意見 。質問に対する、回答・意見
など。800字 以内.
取 り 壊 す 家 に古 木 の梅 句 ふ
積 雪 量 二倍 と も いう 如 月 の
天 空 に向 き 丹 頂 鳴 け り
青森 。つがる 澤 H 燿
綾
r‐
投稿規定 ◇雑詠 ◇ ク ラブ会 員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人
一枚 に三首ま で ◇締 切日 二0 日必着 ◇葉書 ウラにもクラ
ブ名 ・氏名、電話明記 ◇楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄歌壇 係宛
運動 会 に呼 ば れ る こと も 無 く な り ぬ
何 も か も な い 一人 つぶ や く
鹿旧
ん
島・
奄美 大野 工
員
某 桜 が 裸 木 と な り て つづ く 道
見 L げ る 空 の高 く ひ ろ が る
広島東南 久行 潤 子
秋田。
能代 成 田 繁穂
穏 や か な 述 音 が 片 を 連 れ て来 る
誰 が 為 に鳴 る春 の晩 鐘
氷 の上 に 雪 つも り た る 凍 て 道 を
転 び つ つ行 く タ ベ の 集 ひ に
北海道 ・
浦河 大谷 律 子
風評 に怯 ゆ る人 の心 には
安 全 神 話 の泉 溢 る る
新城 烏居 栄 一
愛知。
粉 雪 を 払 ひ つ つ訪 ふ 避 難 所 に
雪 掃 く 人 あ り ま つ毛 ぬ ら し て
福島 ・須賀川 柿沼 良 訓
”生 の 策 あ り や
過 疎 の町 に起 死 ︱
︱
町 議 選 演 説 寒 空 に聞 く
青森 。三戸 加藤 定 男
〓董 。四日市東 藤 岡 厚 r
し ん し ん と 降 り 積 む 雪 に紛 れ 込 み
異界 より来 る節 分 の鬼
細言
度瀬 嘉夫
岳 つ
塞 示日本橋東
つ
点
大 津 波 寄 せ し 海 辺 の朧 な る
1 一郎
塞泉荒川 井1
お水 取 果 て て帰 り の道 迷 ひ
愛知・岡崎南 中根 よしね
雪 崩 る る や そ ろ そ ろ山 の目覚 め か も
菅
昌 南 升 田 義次
限 り な く 湖 が 吸 い込 む存 の雪
滋賀。
大津 金 子雅比古
由 良 川 の風 に 下 萌 確 と あ り
京都。
福知山 松 山 ひとし
母 よ り も 日 敏 く t 筆 つむ 了 か な
奈良西 中村 たも つ
出 席 のはが き投 画 存 待 てり
和歌山 。御坊 中 野 賢 一
老 い母 と 吾 の為 ま つ る 雛 か な
和歌山北 岩内美登理
我 も また花 恋 ふ る身 ぞ 西行忌
大阪北 吉 田 邦 男
き さ ら ぎ の光 持 て来 る波 頭
東大阪東 村 L 雅 治
蕗 の童 摘 む 手 に 香 う つり け り
大阪・
吹田 石 田 ミ 一^
そ れた
に持 寄 る 昼 鶴 H うら ゝ
ヽ
兵庫・
芦屋川 度瀬 ゆきを
落 慶 の大 屋 根 遥 か 鳥 帰 る
徳島・
脇町 片 山 良樹
大 川 に堰 き 止 め ら れ し野焼 き か な
大分 ・宇佐八幡 金 子 政 則
投稿規定 ◇雑詠 ◇ク ラブ 会 員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人
一枚 に三旬ま で ◇締 切 日 二0 日必着 ◇葉書 ウ ラにもクラ
ブ名 o氏名 、電話明記 ◇楷書 で明確に ◇ ﹃
友﹄俳壇係宛
ハー モ ニカ ふ る 里 の 山 よ み が え る
兵庫・
埜月中 吉井 邦弘
春 で す ね 永 = 町 で も プ ロポ ー ズ
埼玉・入間南 上屋 武義
筍 も蕗 も や さ し く し てく れ る
大阪西 鴨谷瑠美r
国 民 の意 と いう 言 葉 聞 き あ き た
秋田・
花輪 仲澤 誠 一
ポ ケ ット に旅 の疲 れ を 持 ち 帰 り
埼玉。入間南 出 川 敏雄
二 枚 舌 ど ち ら が 嘘 を つく 舌 か
茨城。
竜ヶ崎 渡利 千里
送 られ た花 束 よ り も 心 買 う
大阪金剛 井出俊太郎
逝 く前 に天 国地 獄 見 てし ま い
長野・辰野 河手 欣哉
ナ ー ス さ ん 貴 女 の笑 顔 薬 で す
埼玉。川越 青崎 秀夫
庭 の松 切 ら れ て 孫 の 車 庫 が 出 来
岡山。
倉敷東 遠藤 売之
伸 び る も の今 は も う 爪 髪 だ け に
鳥取 塩 宏
背 中 よ り 鶴 の声 間 き 北 を 向 く
鹿児島・出水 松本美恵子
は や ぶ さ の先 端 技 術 夢 に 見 て
堺 尼崎 一才
大阪。
フリータ ー 日本 再 生 老 人 も
大阪・堺 佐 々木頼典
ロー タ リ ー 信 号 の な い交 差 点
大阪北 熊村 秀人
年 齢 を 言 わ ぬ 友 達 ロー タ リ ー
兵庫・三木 藤本 和孝
投稿規定 0雑詠 ◇ ク ラブ会員、家族 ◇ 一か月に葉書 一人
一枚 に三旬ま で ◇締 切日 二0 日必着 ◇葉書 ウラにもクラ
ブ名 ・氏名、電話明記 ◇楷書 で明確 に ◇ ﹃
友﹄柳壇係宛
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
NO―
THE ROTARY―
○
猿 木
と々
玲p
羊盾
湯 振
客 り
を 落
凸遇 と
昌す し
稲畑汀 子 □
右 手 だ け 冷 た く な って 筆 を 欄 く
千葉 。野田 中 村 藤 一郎
何 か机上 で書き物をされ て いた ことが想像さ
れ る。それも佳境 に入 って筆が止 まらなくな っ
て いる のであろう。人分時間が経過 し て我 に返
ると、右手が冷たくな っていた のに気が ついた
のである。き っと、部屋 の温度は冷たくな って
いた のであろう。右手が冷たくな って いる こと
から想像 される。
左手 はどうしていたか想像 してみた。
風 船 が 夜 の人 井 に漂 へる
岐阜西 員 鍋 倭 文 子
この部屋 には昼間元気 に遊 んだ 子供が寝 てい
る のではな いだろうか。風船を買 って貰 って喜
ん で帰 ってきた のであるが、す っかり眠くな っ
て、寝 るま でし っかり手 に持 って いた風船が手
から離 れ て、天丼 に漂 って いるのであ る。昼間
の元気な子供 の様子を、天丼 に漂 って いる風船
が語 って いる。
俳句 は、短 い詩 であ るから、語られ ていな い
部分 から想像 できる句が秀句 であ る。
春 の雪 冗 舌 な り し 市 の婆
岐阜 。高山西 小 森 丈 一
掛 軸 の立 雛 飾 り 老 いに け り
埼玉・旦昌 高 木 泰 文
三枝 かず を
零 余 子 蔓 引 け ば 小 枝 の跳 ね 返 り
千葉 。宮津中央
佐佐木幸綱 □
暮 鳥 さ ん、 呑 気 な 雲 の行 き 先 の
磐城 平 は今放射能
香川。高松 平 峯 千 春
﹁
おう い雲 よ/ ゆうゆうと/ 馬鹿 に のんき そ
うじやな いか/ど こま でゆくんだ/ず つと磐城
平 の方ま でゆくんか﹂。子供 のころにおぼ えた、
この山村暮鳥 の有名な詩を題材 にし て いる。
この詩が書 かれた大正時代 の福島県 ののんび
りとした平和 な空気と、原発事故 によ って汚染
された空気 とを対比してみせた アイデ ィアがす
ばらし い。詩 の核心を ﹁
呑気な雲 の行き先 の磐
城平﹂ と把握 した力量 にも注 目。
薄絹 を纏 いて山 はお昼寝 か
春 の日射 し と小 鳥 の歌 で
兵庫 ・埜Fベイ 林 陽 子
冬 の季 語 ﹁山 眠 る﹂か ら春 の季 語 ﹁山 笑 ふ﹂
へ移 行 す る 寸 前 。冬 の寒 さ が う す ら ぎ 、か
す か な 春 の 気 配 に 山 の本 々 が か す か に 芽
吹 い て 、薄 緑 に け ぶ った よ う に 見 え る 微 妙
な 数 日 が あ る 。﹁薄 絹 を 纏 い て﹂は そ ん な 数
日 を 表 現 し て いる よ う だ 。
眠 って い た 山 は 、ま だ 眠 く て し か た な い
のだ 。つ い つ い眠 り の世 界 に 誘 い こ ま れ て
し ま う の で あ る 。あ と 十 日 も す れ ば ﹁山 笑
ふ ﹂に な る 、そ ん な 微 妙 な 時 期 の山 を 、て い
ね いに表 現 し た佳 作 。
兵庫 ・柏 原 河 L 灯 風
榊 の実 熟 れ て色 濃 き 紫 は
しで
手 を 染 め お り て紙 垂 にも ぞ 付 く
、
島根 。出雲南 ︱
′ふ側 古ワ丁
後 継 者 育 てざ り し を 我 が 咎 と
先 祖 に 詫 び つ今 日 も 店 に 立 つ
遠 藤しげる 国
挫 折 し た 人 だ と わ か る 掌 の温 み
熊本西南 占競四 修レ
人 間 、長 く 生 き てき たな ら、 たく さん の道 程
が あ った で し ょう 。 辛 い こと も楽 し い こと も。
でも そ の方 の ﹁て の ひら﹂は実 に温 か いのです 。
挫 折 さ れ ても決 し てく じけ たり、 いじけ た りさ
れず に強 く生 き て こられた。
明 る い明 日﹂ に向 か って歩 み続
これ から も ﹁
掌 ︵
手︶
け て いか れ る こと でし ょう。 下 五 の ﹁
の温 み﹂ が実 に効 果的 な ︱︱ 秀逸 です。
寒 風 の中 で ほ こ ろ ぶ 律 義 な 芽
埼玉。所沢西 大 原 律 子
俳句 のひと
ストレート に鑑賞 したならば、 ﹁
つ﹂ にな ってしま いますが、 この作品は川柳 の
表現法 の ﹁
擬人法﹂ になります。暗 いこと の多
過ぎ た、昨年から の四季を いよ いよ到来 の明る
い春 に ﹁
希望﹂を重ねた︱︱ 佳作 です。
踏 む 占 道 森 林 浴 で知 る往 時
新宮 塩暗 公治
和歌山。
山 積 み の マ ニフ ェスト 焼 く 民 主 党
行田さく¨
b 小澤 誠邦
埼玉・
〇
ロータ リーの友
24年 6月 号
平成
Eム キ │
寧参
を 示 し て いる と 、 そ れ を 見 た 警 察 が 、 関
係 者 に連 絡 を し ま す 。 し か し 、 心 臓 が 停
止 し てしま う と他 の臓 器 移 植 が でき な い
た め 、 角 膜 だ け の移 植 と な り ま す 。
T P P に つい て
される原料糖 から徴収 した調整金 を主 な
財源 とし て、 国費 と合 わせた交付金が交
付 され て います。 この調整金 の支援 によ
り、
農家 の経営基盤が維持 され て います。
環 太 平 洋 戦 略 的経済連携 協 定 、 T P P
いまま、補助金 や関税 によ って日本 の農
め、 日本 の農業 は いまだ抜本的改革がな
ツジ糖化工業︵
株︶代表取締役 一旭 シ
影 〓一
いま す と 、角 膜 の提 供 数 が 少 な いか ら で
、
貧 8 ●8 ︲
言 ””﹃
”円 い
争”
︵
●o﹃
U︶ と は 環
業 を 保 護 す る保 護 政 策 が と ら れ て いま
コメ の生産調整 を行 う減 反政策を はじ
す 。 角 膜 は 二 つあ る た め 、
一人 亡 く な る
太 平 洋 地 域 の国 々 によ る経 済 の自 由 化 を
す。農家 は、自 ら辞す る ことなく、生産
角 膜 移 植 は片 日 だ け です 。 なぜ か と い
と 、 二人 に移 植 でき る の です 。
日的 と し た 多 角 的 な経 済 連 携 協 定 の こと
アメリカ、チリ、ペルー、マレー シア、オー
国内市場 は閉塞感 が漂 い、消費 は縮小
原 則 は カ メ ラ の フ ィル タ ー を 換 え る こ
アイ バ ンク に眼 球 を提 供 す る ことを 献
ストラリア、ベトナム、シンガポール、 ニュー
し て いま す。 世 界 の潮 流 は、市 場 開放、
技術、農業経営 を磨 いて新 し い道を開く
眼 と い います が 、 結 果的 に は 角 膜 を提 供
ジ ーラ ンド、ブ ルネイ の九 か 国が 参 加 し て
競争社会。 TPPも そ のひと つです。
で、 環 太 平 洋 経 済 連 携 協 定 、 も し く は 環
す る こと にな り ま す 。 生 前 に アイ バ ンク
いま す 。全 物 品 の関 税 撤 廃 を 原 則 と す る
と と 同 じ です 。 日本 では移 植 の技 術 が 進
に登 録 し て いた だ く と 、亡 く な った場 合 、
交 渉 が 行 わ れ 、大 枠 で合 意 し て いま す 。日
一〇〇彎 五八 一円 の輸入牛肉だ と、関税
か、 それ とも安住 の地 に居を定 めるかが
そ の登 録 に従 って ア イ バ ンク 協 会 に連 絡
本 も 強 く 参 加 を 求 め ら れ て いま し た が 、
が○で にな れば 二 二三 円安 く なりま す。
太 平 洋 パ ー ト ナ ー シ ップ と も い いま す 。
が き ま す 。 す る と 、 ドク タ ー 、 事 務 員 が
一〇 一一
年 一一月に、交 渉参加 に向 け て関 係
エコノミスト によ ると、 日本 の関税収 入
み 、 九 〇 軒 以上 成 功 し て いま す 。
眼 球 を 取 り に向 か い、 処 置 し ま す 。 そ の
国 と協 議 に入 る ことを表 明 しま し た 。
若 い人 も臓 器移 植 に理解 が あ り ま す 。 こ
も 臓 器 移 植 が でき る よ う に な り ま し た 。
最近 、臓器 移植 法 が変 わ り 、 子ど も で
を 含 ま せ て当 て て お け ば 長 持 ち し ま す 。
す が 、 安 い外 国産 の農 産 物 流 入 に よ る食
要 品 日 を 対 象 外 にす るよ う 要 望 し て いま
が 予想 さ れ ま す 。 日本 は、 コメ な ど の重
ト 、 デ メ リ ット が あ り、 交 渉 は 紆 余 曲 折
参 加 国 そ れぞ れ の事 情 によ り 、 メ リ ッ
先進 国とし ての進路 を明確 にし て、公正
か。 国際 社 会 の地 位 低 下 を招 か ぬよ う、
対 三二禰。 日本 開 国か、保護政策を貫く
調査 では、 TPP参加 に賛成 四五で、反
額 は年間約 一兆 円 です。 マス コミなど の
今 、 日 本 の 関 税 率 は 三 八 ・五 で 。
厳 しく問われ て います。
場 合 に は、 目 を 瞑 ら せ 、 タ オ ル な ど に水
れ か ら は、 角 膜 移 植 、 ア イ バ ンク を 理解
な競争 に参加 す るべきだ と思 います。
C会員︶
︵
第二六七〇地区 。愛媛県 ・八幡浜RCで ・同R
糧 自 給 率 の低 下 が 懸 念 さ れ ま す 。
沖 縄 サ ト ウ キ ビ の生 産 農 家 に、 安 く 輸 入
現 在 、砂 糖 の原 料 であ る北 海 道 ビ ー ト 、
し 、 若 い人 にも 広 め て い ってく だ さ い。
︵
第二五七0地区 ・埼玉県 。狭山中央RCで 。日
高RC会員︶
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY‐ NO― TOMO
①
TABLE SPEE〔 H
卓 話 の 泉 ●
TABLE SPEECH
阿畔
仁 丁 、 シー サ ー な ど 一対 で存 在 す る宗 教
的 な 像 の モチ ー フと さ れ て いま す 。
と ころ で、 属 と を 信 じ ま す かっ 生 あ
るも のは必 ず 死 を 迎 え ま す 。盛 者 必 衰 の
いわれ が こ こに隠 さ れ て いる のか も しれ
ア イ バ ンク と は
花家クリ ニツク 院長 片Lル本 書すウ‘
・
れ な いよ う にす る に は ど う す れば い いの
こと は 人 間 の道 理 であ る。 そ れ では 、恐
お 釈 迦 様 が 弟 子 た ち に、 ﹁
死を 恐 れ る
が 間 違 って目 にか か ってし ま う こと な ど
公 的 機 関 の こと です 。病 気 や け が 、薬 品
を 得 て、 移 植 を待 つ患 者 にあ っせ んす る
を 提 供 す る こと に本 人 ま た は遺 族 の同意
ア イ バ ンク と は、 死 後 、 眼 球 ︵
角膜︶
か﹂ を 説 か れ た と き 、 コ´
空 ﹂ を悟 る こと
に よ り 、 角 膜 が濁 ってしま い、 日 が 見 え
ま せ ん。
だ ﹂ と言 わ れ ま し た 。 こ の ﹁
空 ﹂ こそ、
日本 で の臓 器移 植 は提 供 数 が 限 ら れ て
な く な った と き に、 そ れ を 見 え る よ う に
ず れ は衰 え朽 ち て いく も のな の です 。 し
いるた め 、 これ ま では海 外 へ渡 航 す る な
盛 者 必 衰 の いわ れ です 。 人 間 は い っと き
か しな が ら人 間 は自 分 が 衰 退 し て いく こ
ど し て臓 器移 植 を行 って いま し た 。 し か
交 換 し よ う と いう 発想 です 。
阿 叫 は、 仏 教 の呪文 の 一つです 。 イ ン
と を 、 信 じ た く な く 、 認 め た く な いので
し、 W H O ︵
世 界 保健 機 関 ︶ な ど から、
た り とも 同 じ状 況 にあ る こと はな い。 い
ド の公 用 語 の 一つであ る サ ンスク リ ツト
す 。 そ こで ﹁
霊 ﹂ と いう も のに自 分 を置
自 国 の こと は自 分 でし な さ い、 と いう指
3 豊 島 了雄
講謹領餘は谷派︵
語 を 表 記 す る た め の文 字 、梵 字 にお い て、
き換 え 、 こ の世 に は ま だ 未 練 が あ る か の
に臓 器 の移 植 は難 しく 、 心 臓 が 止 ま って
﹁
阿 ﹂ は 口を 開 い て最 初 に出 す 音 、 ﹁
畔﹂
﹁
阿﹂ ﹁
叫 ﹂、 最 初 と 最 後 。 人 間 誰 し も
か ら移 植 でき る のは角 膜 だ け です .角 膜
針 が 出 た こと で、 今 では海 外 か ら の角 膜
表 す 言 葉 と さ れ ま し た 。 ま た、 宇 宙 の ほ
最初 と 最後 が あ り 、 生 老 病 死 の四苦 を背
は、 心臓 停 止 か ら約 一〇時 間 以内 に取 り
よ う に、 自 分 は こん な はず ではな いと い
か にも 、 ﹁
阿 ﹂ を 真 実 や 求 道 心 に、 ﹁
叫﹂
負 い、生 き て いか な け れ ば な ら な いので
出 せば 、 移 植 手 術 に持 って いく ことが で
は 日を 開 じ て最 後 に出 す 青 であ り 、 そ こ
を 仏 教 にお け る いろ いろ の修 行 の結 果 得
す 。人 間 の自 然 の姿 、 そ れ を 大 事 に した
き ます 。
の輸 入 が制 限 さ れ て いま す 。 ま た 、
一般
ら れ た智 慧 や 、 悟 り を意 味 す る涅 槃 に例
いも の です 。
う意 思表 示 を し た の です 。
え る場 合 も あ り ま す 。 ま た 、対 と な る物
︵
六六 地区 。大阪府 ・り中RCで ・同RC
第..
か ら 、 そ れ ぞ れ 宇 宙 の始 ま り と終 わ り を
を 表 す 川 語 と し ても 用 いら れ、 神 社 や
会員︶
こし た と しま す 。生 前 に臓 器 移 植 の意 思
例 えば 、 バ イ ク に乗 った 人 が 事 故 を 起
寺 院 の人 り 回 の 両 脇 な ど にあ る 狛 犬 や
⑩
ロー タ リーの友
6月 号
平成 24年
■「卓話 の泉」は、各クラブの
会報、週報に掲載の卓話の中か
ら、害観 的内容の話題、ミニ 知
識 とな るものを主 に選ん で要
約、掲載 しています。
中 里 さ ん は、 た と えば ド イ ツ ・ド ル ニ エ社 製
と いう よ う な 生 地 を 織 りだ す機 械 の こと を 。
地 の利 も あ って、 マルナ カ にはデ ザ イ ナ ー が
の織 機 に つい て興 奮 気 味 に語 ってく れ た 。 そ の
妙 な実 感 が 職 人 っぼ く てか っこ い い。
よ く 訪 れ る。生 地 を 見 てイ メ ージ を ふく ら ま せ 、
話 は楽 し く 、 織 機 が 文 字 通 り ﹁一糸 乱 れず ﹂ 作
呆 れ﹂ てし ま って大 丈 夫 か 。
作 り手 が ﹁
中 里 さ ん の表 現 は 面 白 く て、 ﹁と ん が った も
グ レ た も の﹂ と いう の も あ った 。 オ ヤジ
の﹂ ﹁
中 里 さ ん ら と意 見 交換 を し た り す る。
動 し て いる様 子 は じ つに美 し か った 。 でも いく
ら面 白 く と も仕 組 み は 理解 でき て いな い。 すご
い機 械 だ 、 と いう こと でお許 しを 。
こう でも な いと 双方 向
ダ メ。 あ あ で も な い、
人 官 女 以下 お供
精密 画 であ る。 お内 裏 様 か ら 〓^
も のを抱 え てき た 。 ﹂
品さ 一.
メ ー ト ル のお雛 様 の
た ヒ ョイ と席 を 立 って、大 き な掛 け軸 のよ う な
﹁
ち ょ っと お 待 ち くだ さ いね﹂。 中 里 さ ん は ま
でや って いか な いと良
の面 々ま で描 か れ た 、 いやプ リ ント さ れ た 、 い
や いや、 これ は 一枚 の繊 物 では な いか 。
雛飾 り展﹂ で
毎 年 、 飯 能 の街 中 で催 さ れ る ﹁
が求 め ら れ る。彼 ら の
と 、 スピ ー ド と小 回り
図 も、 写真 を も と に し て膨 大 な 工程 をプ ログ ラ
真 ﹂ が飾 ってあ る。 これ も織 物 。 雛 飾 り も 市 街
空撮 写
マルナ カ の 一階 の壁 には飯 能 市 街 の ﹁
展 示 さ れ る し 、 ポ スタ ー にも な って いる 。
感 性 にど う 対 応 す る
ム に組 み、 手 作 業 で修 正す る。プ ログ ラ ム に 一
を 注 文 し てき ま す か ら
描 いた﹂ バ ナ ー
の地 に、緑 、青 、赤 、黄 、金 で ﹁
さ ら に飯 能 ロー タ リ ー ク ラブ のバナ ー 。 濃 紺
年 近 く か か るが 織 る のは 一=も か か ら な い。
ね 。 そ れ に応 え ら れ な
元朝日新聞出版写真部編集委員。現在 フリー。
みず むら ・た かし︶
水村孝 ︵
宮本 貢 ︵
みやも と ・み つぐ︶
元朝日新聞記者。退社後、フリーで活動。
と は評 価 さ れ な いん です よ﹂
﹁
た い て い の場 合 、 商 売 を 意 識 し て や った こ
言 った ら、 に こや か な 笑 顔 が 返 ってき た 。
道 楽 み た いな こと に力 を 入 れ る ん です ね え と
も中 里 さ ん のと ころ で織 った 一枚 布 であ る。
た ち に育 てら れ てき た
る さ いデ ザ イ ナ ー さ ん
る。 う ち の会 社 は 、 う
け れ ば 置 い て いか れ
﹁と ん で も な い こ と
か。
ち と仕 事 を し て いる
活 躍 す るデ ザ イ ナ ー た
竹 川さ んな ど 世 界 で
いも のは でき ま せ ん﹂
か ら使 って ほ し い でも
こう いう も のが でき た
な モ ノ 作 り な ん です 。 こん な も のを 作 れ でも 、
﹁フ ア ッ シ ョ ンは感 性 の世 界 。 禅 問 答 み た い
が 呆 れ る よ う な 、 前 衛 的 、 話 題 性 を 狙 った生 地
の こと ら し い。業 界 で広 く使 わ れ て いる言 い方
か 中 里 さ ん のオ リ ジ ナ ル な の か わ か ら な いが 、
中
左
下
X
正
カ
ナ
ル>
マ右
の下
り
盛
︼
花
ヽ
0” わ け です ﹂
機服
織制
ほん と う は 機 械 の こ
工の
二 一
。 ﹁と ん
ル リ とも書 き た い
ド ツ
の イ でも な い注 文 ﹂ に応 じ
慢カ
な んだ 、こり ゃあ ﹂
自 ス て ﹁
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO― TOMO
⑨
一三〇 〇 年 ほど 前 、 東 国 の高 麗 人 た ち を ま と め
て住 ま わ し た のが 始 ま り と いう か ら 恐 れ 入 る 。
マル ナ カ は 明 治 元年 の創 業 であ る。
明 治 の発 展 、 戦 後 の復 興 を 支 え た織 物 も 、 し
か し 一九 七 〇 年 代 にな って衰 退 の 一途 を た ど っ
た 。 中 国 な ど 人 件 費 の安 い国 に太 刀打 ち でき な
ガ チ ャ万﹂︵
織
糸 へん景 気 ﹂や ﹁
く な った のだ 。 ﹁
機 を ガ チ ャ ンと 回す たび に万 のカ ネ が転 が り 込
む︶ な ど の言 葉 も 死 語 にな った 。
二〇 〇 軒 以上 あ った近 在 の同業 者 が次 々 と消
え て いく な か で、 中 里 さ んが 目 を 付 け た のが コ
ンピ ュー タ ー であ る。
わ れ わ れ も 見 せ ても ら った のだ が 、 そ も そも
も 未 使 用 な も のも保 管 し てあ る のだ 。
にバ ンチ カ ー ド を 使 って いた。 そ れ は も とも と
オ シ ャレ に無 知 、無 縁 、無 理 解 な 身 か らす ると、
初 期 の コンピ ュー タ ー ではプ ログ ラ ム の入 力
自 動 織 機 で使 わ れ た 手 法 でも あ って、 両 者 は極
いま の フ ァ ッシ ョン、 中 でも レデ ィー ス の最先
端 た るや ⋮ ⋮な んだ こり ゃあ 。
これ も織 物 ? プ リ ント じ やな いん です か と
や た ら にポ ケ ット が 付 いて いる と 思 った ら そ う
驚 かさ れ た り 、布 地 に紙 を 織 り 込 ん であ った り 、
困 った のが ソ フト であ る。
手 が 込 ん でき ま し た 。 果 れ た も ん です﹂
ね だ り﹄ の世 界 。 と く に レデ ィー スはど んど ん
﹁そ う な ん です 。 フ ァ ッシ ョ ンは ﹃
な いも の
り で⋮ ⋮ 一体 な ん な んだ 、 こり ゃあ 。
ではな く 、 二重 に織 ら れ た 一枚 の織 物 であ った
ザ イ ナ ー のか た 、 入 る と 二時 間 ぐ ら い出 てき ま
デ
社 内 に ヒ ミ ツ ︵?︶ の部 屋 、倉庫 が あ る。 ﹁
禅 間 答 み た いな モ ノ 作 リ
フ ア ツシ ョン は
デ ィー ス商 品 に主 力 を 移 し て い った 。
少 量 化 し つ つ、 時 代 が 求 め る フ ァ ッシ ョン、 レ
コンピ ュー タ ー を 使 う こと で省 力 化 、 多 品 種
た ソ フト が いま も 走 って ︵
使 わ れ て︶ います ﹂
当時書 い
作 ソ フ ト 集 が 二〇 ∼ 三 〇 冊 も あ る。 ﹁
いう 言 語 で書 いたプ ログ ラ ム であ る。 こんな 自
中 は 数 字 と 横 文 字 の羅 列 。 ﹁C O B O ﹂﹂ と
冊 のノ ー ト を抱 え て戻 ってき た 。
と お 待 ち く だ さ いね ﹂。 ヒ ョイ と 席 を 立 つと 数
﹁
ちょ っ
五〇 の手 習 い で し た﹂ と笑 い つ つ、 ﹁
学 校 に通 って マスタ ー し てしま った 。
を自 称 す る中 里 さ ん の真 骨 頂 。 コンピ ュー タ ー
し ま えば い い、 と 考 え る あ た り が ﹁
機 械 バカ﹂
だ った ら逆 に自 分 でプ ログ ラ ミ ング を 覚 え て
チあ か ん の です よ﹂
物 のす べ てを 学 ん でも ら わ に ゃな ら ん。 到底 ラ
﹁
専 門 家 にプ ログ ラ ム を 組 ん でも ら う に は 織
者 は全 国 に 一軒 も な か った と いう 。
前 。 そ の ころ コ ンピ ュー タ ー を使 って いる同 業
思 い切 って導 入 に踏 み 切 った のが 三〇 年 ほど
め て近 い血 縁 関 係 にあ る よ うだ 。
マルナカの生地が採用されたスカイツリーの制月
長
写真提供 東武タワースカイツリー株式会社
せ ん よ ﹂。 開 発 し た 生 地 見 本 が 、 使 わ れ た も の
③
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
﹁
織 る と いう 作 業 は 縦 糸 と 横 糸 の組 み 合 わ せ
に尽 き ま す 。考 え方 は コンピ ュー タ ー そ のも の。
これ は数 値 化 でき る の ではな いか ﹂
生地の見本がズラー リ
ONOusHIG¨
・
仕無
…彙
﹁
五〇 の手 習 い﹂
未来 を切 り開 いた
文 o宮本 〓
貝 写真 ・水村 孝
中里 日
日平
株︶ マルナ カ
■︵
代表取締役社長
飯能 ロータリーク ラブ
いち 早 く
コ ンピ ュー タ ー を 導 入
スカ イ ツリ ー を背 に写真 を撮 り ま し ょう 。
今 回ご 登 場 のテ キ スタ イ ル 会 社 ﹁マル ナ カ ﹂
の中 里 昌 平 社 長 に言 って み た ら 、 ﹁
あ、 い いで
す よ﹂。 気 軽 に引 き 受 け てく れ た 。
開 業 し た スカイ ツリ ー の スタ ッフ の制 服 のう
ち 、 三 種 類 に マル ナ カ の生 地 が 採 用 さ れ た の
だ 。 制 服 のデ ザ イ ンを担 当 し た のは パ リ ・コレ
ク シ ョ ンにも参 加 し て いる皆 川 明 さ ん 。 付 き合
いの深 い中 里 さ ん に声 を か け 、 ツリ ー を イ メ ー
ジ し た素 敵 な 服 が できあ が った 。 そ れ を 記 念 し
て写真 を 撮 り ま し ょう。
四月中 旬 、 絶 好 の撮 影 H和 。東 京 ・浅 卓 の雷
門 界 隈 は大 変 な人 出 だ った 。 平 日 の昼 下 が り な
。
の に暮 れ か 二
I月 か と いう にぎ わ いであ る
隅 田 川 沿 いに名 残 の桜 、 そ の先 にす っき り と
スカ イ ツリ ー 。 にぎ わ う のも 当 然 だ 。
人 ご み の中 で撮 影 し た のが こ のペ ージ の写真
です 。 七 五歳 の晴 れ姿 、 いかが でし ょう 。
埼 K 県 飯 能 市 は 東 京 の池 袋 か ら 快 速 で 一時
一帯 は 占 く か ら 養 蚕 と 織 物 で 栄 え た 。
間 弱。
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THE ROTARY― NO― TOMO
⑦
KONO・ SHIG OTO
KONO‐ HITO
●
いの ちをつ な ぐもの
大 震 災 と ホ ワ イ トバ ー ト
SPEECI― I
機 材 を た く さ ん運 び ま し た 。 気 仙 沼 で透 析 が で
た し、 消 防 ヘリ や自 衛 隊 ヘリ も 患 者 さ ん や 医療
現 地 に入 り 、
一四〇 人 以上 の患 者 を 搬 送 し ま し
国 に 二 四機 あ った の です が 、 そ のう ち 一六 機 が
役 割 を 果 た し ま し た。 当 時 、 ド ク タ ー ヘリ は全
あ りま し た が、 このような患 者 さ ん の避 難 も、
周囲 で避難 しなけ れば ならな い病院 がたくさん
救出 す る ことが できま した。また、福島 原発 の
現地 に残 って いる医師 たちと協力 し て、全員を
いま したが、一〇 〇人 以上 のDMATが関 わり、
ます。
涙 を のん でまず 自 分 の身 を 守 れ 、 と 叩 き 込 ま れ
る はず の何 百 人 の人 の い のち を 救 え な いか ら、
かを助 け る時 に死 んだ ら 、 こ の先 あ な たが 助 け
いう ことが 大 原 則 にな って いま す 。 あ な た が 誰
ま った 中 で、 全 部 の患 者 さ ん を 屋 上 に逃 が し 、
し か し、 この病 院 の職 員 は エレ ベー タ ーが 止
DMATが深 く関 わ って います。
一方 、DMA Tが引 き上げ た後 の医療体制 は、
き な く な った方 は、 自 衛 隊 の大 型 輸 送 機 で札 幌
ま で搬 送 さ れ て いま す 。
こ の原 因 と し て、 今 回 の震 災 では 、 津 波 によ
は た った の 一九 人 でし た 。
です 。 し か し 、 今 回実 際 に広 域 搬 送 さ れ た患 者
広 域 医療 搬 送﹂
ら 被 災 地 外 へ患 者 を 搬 送 す る ﹁
D M A T の大 事 な役 割 の 一つは、 被 災 地 内 か
チーム間 の横 の連 絡 は、良好 に行 われ て いたと
災地 に入りま したが、残念なが ら、 こう い った
引 き上げ、 そ の後 、 たくさん の医療 チー ムが被
MATは発災 後 一週間目ご ろま でには現地 から
います。実際 、今 回 の震災 でも、 ほとんど のD
DMAT の活動期間 は三日前後 と規定 され て
ま た でき ま せ ん でし た 。
し、 ひと り の医 師 と し て、 彼 らを 責 め る こと も
な の です 。逃 げ な け れば いけ な いの です 。 し か
タ ッフを 褒 め ては いけ な い、 絶対 褒 め ち ゃだ め
す 。災 害 医療 の原 則 に の っと れば 、 こ の医療 ス
の患 者 さ ん と 二〇 人 の医 療 スタ ッフは 、 全 滅 で
はや す やす と こ の上 を 乗 り越 えま し た 。 五〇 人
そ こで救 援 を待 って いま し た 。 と ころが 、 津 波
って 一瞬 に し て多 く の方 々 の い のち が 奪 わ れ た
は言 えません でした。また、国とし て統 一した
今後 の大 きな課題 です。
反 面 、 阪 神 ・淡 路 大 震 災 のよ う に、 家 の下 敷 き
動 き の取れ る救護 所を立 ち上げ る ことも、 でき
し か し 、 課 題 も た く さ ん残 り ま し た 。
にな ってけ が を した り、 火 災 でや け ど を し た り
ませ ん でした。
ぎ得 た死﹂ を減 らす役割を担 って います。しか
し、 そ の後 の ﹁
亜 急 性 期﹂ の医療 を充 実 させ、
防
災害 医療 の中 で、 DMATは超急性期 の ﹁
頭 を 下げ て涙 を 流 す し か あ り ま せ ん でし た 。
るか と思 いま し た が 、 こ の病 院 の庭 に立 った時
に、 出 てき た の は 答 え で は な く て、 涙 でし た 。
いう のはど う いう こと か 。 現 地 に行 った ら わ か
の場 に いた らど うす る のか 。 いのちを 守 る、 と
そ し て、 よく わ か り ま せ ん でし た。 自 分 が そ
し て、 地 域 外 に搬 送 し な け れば 救 命 でき な いよ
域 の多 く で、 発 災 か ら数 日間 は交 通 網 も 通 信 も
震災 関連 死を なくす ため には、 DMA T後 の総
う な患 者 さ ん は必 ず しも 多 く な か った こと が 挙
途 絶 し てし ま い、 ど こに患 者 さ んが いる のか も
合的 な支援 システムを整備 し て いく ことが必須
の分 野 でさ まざ ま な活 動 を 行 いま し た 。例 えば 、
そ のか わ り 、 D M A Tは、 広 域 医 療 搬 送 以外
可能性 が あ りま す 。
こと も 、 広 域 医 療 搬 送 のチ ャ ンスを 少 な く し た
り着 け な か った患 者 さ ん も 少 な か ら ず お ら れ た
間 以内 に、 医 療 活 動 が 行 わ れ て いる場 所 にた ど
思 ったら逃げ られ た のです。災害 医療 では、自
ません でした。医療 関係者だ け でも逃げ ようと
め て二〇人。裏 は山 です。建物 は地震 では壊 れ
五〇人 の患者 さ んが いました。職 員が院 長を含
あ り ま す。 震 災 当 時、 石巻 市 立 雄 勝 病 院 に は
何 な のかと いう ことを考 えさせられたケー スが
今 回 の震災 で、奉仕す る、 いのちを守 るとは
け れば と 思 いま す 。 ︵
ホスト 行橋RC︶
絆 、 人 と人 の つな が り 、 そ れ を 忘 れ な いで い
思 いま す 。
常 に応 援 を す る こと。 これ が 大 事 では な いか と
な こと が あ った こと を 忘 れ な い こと。 そ し て、
り添 う。 声 を 掛 け る。 日本 人 と し て東 北 で こん
を 語 り継 ぐ ことだ と 思 いま し た 。 忘 れ な い。寄
ろう と し た 人 た ち が いた こと を語 り継 ぐ 、 そ れ
し て、 いや 同 じ人 間 と し て、 こ こで い のち を守
石巻 市 立 病 院 では 一五〇 人 の患 者 、 二五 〇 人 の
分を危険 にさ らし て人を助 けた ら いけな い、 と
げ られ ま す 。 ま た 、今 回 の津 波 被 害 を 受 け た 地
把 握 でき ま せ ん でし た し 、移 動 の手 段 も 限 ら れ 、
であ ろうと思 われます。
わ れ わ れ に でき る こと は 、 同 じ 医療 関 係 者 と
D M A T の活 動 期 間 と さ れ る、 発 災 か ら 七 二時
職 員 が 取 り 残 さ れ 、水 も食 料 も な い中 で耐 え て
⑤
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
いの ちをつ な ぐもの
大 震 災 と ホ ワ イ トパ ー ド
SPEE(〕 H
も 、 交 通 手 段 も な く 、 ど こ に 行 って い い か わ
き ま し たが 、 これ だ け広 範 囲 にわ た る災 害 は今
ま し た 。 これ ま でも 幾 つか の災 害 に派 遣 さ れ て
朝 に は、 仙 台 市 郊 外 にあ る霞 目航 空 基 地 に入 る
基 地 で大 型 の ヘリ コプ タ ー に乗 り換 え、 翌 日 早
今 回 の地 震 が 起 こ った のが 一四時 四六 分 です
か り ま せ ん。 医 療 装 備 も バ ラ バ ラ 。 そ の た め
が 、 国 の D M A T事 務 局 か ら 三〇 分後 には全 国
こ のよ う に、 今 回 の震 災 では D M A Tと いう
ことが でき ま した 。 そ し て、 わ れ わ れ が 到 着 し
グ を受 け 、 通 信 ・移 動 手 段 を も ち 、 指 揮 命 令 系
の D M A T圧O O O 人 以上 に、 招 集 のメ ー ルが
災害 医 療 チ ー ム が極 め て短 時 間 に参 集 し て被 災
回 が初 め て でし た 。 では 、 今 回、 D M A Tはど
統 が整 った 医 療 救 護 班 を つく ら な け れ ば な らな
届 き ま した 。 そ し て 一六 時 四分 には、 近 隣 の D
地 に入 り 、統 率 の取 れ た 医療 活 動 を 行 いま し た。
に救 え た はず の い のち が 救 え ま せ ん で し た。
いと いう こと で、 国 家 規 模 で整 備 さ れ た のが 、
M A Tは仙 台 の医療 セ ンタ ー か福 島 医 大 に集 ま
これ は阪 神 ・淡 路 大 震 災 当 時 か ら非 常 に進 歩 し
た と き には、宮 城 県 や 山 形 県 の D M A Tが 、 自
D M A T です 。
れ 、 そ の他 の県 の D M A T は自 衛 隊 機 を 準 備 す
た と 言 えま す 。今 回 の経 験 か ら 、 日本 のど こで
う動 いた の でし ょう か 。
D M A Tは、 医 師 一人 な いし 二人 、 看 護 師 が
二人 、 いろ いろ な 手 配 を す る事 務 方 が 一人 、 の
る の で、 新 千 歳 、 伊 丹 、 福 岡 空 港 に集 ま れ、 と
災 害 が 起 こ っても 、数 時 間 以内 に地 域 内 の D M
こう い った 反省 を 踏 ま え、 統 一し た ト レ ー ニン
四∼ 五人 で 一チ ー ム を 構 成 し、 自 分 た ちが 使 う
いう指 示 が出 さ れ ま し た 。。
の災 害 拠 点 病 院 に搬 送 す る のも 、被 災 地 内 外 の
ま た 、 こう や って救 出 し た患 者 を 、 被 災 地 内
礫 の下 の医 療 ﹂ と よば れ る医 療 を 行 いま す 。
人 に点 滴 を し た り 、足 を 切 断 し た り と い った ﹁
瓦
ま す 。 災 害 現 場 では 、 瓦 礫 の下 で挟 ま れ て いる
や そ の周 辺 に行 き 、 さ ま ざ ま な 医 療 活 動 を 行 い
も 自 衛 隊 の松 島 基 地 も 津 波 の被 害 で使 えな い状
に自 衛 隊 機 で宮 城 県 に向 か いま し た。 仙 台 空 港
チ ー ム 一二〇 人 の D M A Tが 参 集 し、 翌朝 二時
し た 。 最 終 的 に、 福 岡空 港 に は、 九 州 か ら 二 四
な水 と食 料 を 三 日分 整 え、 福 岡 空 港 に向 か いま
連 絡 を 受 け てす ぐ 、 医 療 装 備 と自 分 た ち に必 要
私 が 所 属 す る福 岡和 白 病 院 D M A Tも 、 こ の
や患 者 さ ん の搬 送 に は、 ヘリ コプ タ ー が 大 き な
せ ん でし た が、 このよ う な地 域 への医 療 班 派遣
は リ ア ス式 海 岸 で、 陸 か ら も海 か ら も 近 づ け ま
が 大 活 躍 しま した 。 今 回 の被 災 地 のう ち 、 三陸
ま た 、 今 回 の震 災 では ヘリ コプ タ ー と航 空 機
は 国 民 に と って大 き な 安 心だ と 思 いま す 。
Tが 集 ま る と いう こと が実 証 でき ま し た 。 これ
A Tが 活 動 を始 め、 半 日以内 に全 国 か ら D M A
上げ て いま し た 。
衛 隊 員 と と も に テ ント を 張 って、 S C Uを立 ち
医療 機 材 、 水 、食 料 、 寝 袋 な ど を 持 って被 災 地
空 港 にS C U ︵
r”∞い
い∞8 ぉ L”じ と いう救 護
況 でした か ら、 茨 城 県 にあ る航 空 自 衛 隊 の百 里
■︵
医︶
池友会福 岡和白病院副院 長 ・
救急センター長 冨 岡 譲 二
賀大 学 医学部救急 医学講座非常勤講師 。国際緊急援助 隊 医療 チーム、
NPOなど で 一0 回以上 の海外災害救援活動も行 って いる。
震災時、 DMAT隊員として宮城県に派遣、宮城県災害対策本部など
で勤務。地域 での要職を務める傍ら、消防学校 など で講義も行う。佐
会玄海 ヘリク リ ニック所長、医療搬送 用 ヘリ ﹁
ホ ワイトパ ード﹂専 任
医師。
医︶池友会福 岡和白病院副院長。
一0年 ︵
一一年 東 日本大
医︶池友会 福 岡和白病院救急 セ ンタ︰部 長。〇六 年 同 セ ンタ
年 ︵
ー長。〇七年 ︵
医︶池友会救急搬 送 システム部 長兼 任。〇 八年 同
手。九 一∼九 二年 豪州セントビ ンセ ント病院集中治療室留学 。〇 五
八九年 同大救命救急 セ ンター医員助
一九六 一年 宮崎 県生まれ。八六年 佐賀医科大学 医学部 医学科卒業、
所 を立 ち上 げ る のも 、 D M A T の役 割 です 。 な
ぜ 空 港 の近 く に つく る か と言 う と 、 そ こに全 国
か ら自 衛 隊 機 な ど で D M A Tが 集 ま り 、 被 災 地
で の医療 活 動 を 支 援 す る と と も に、 重 症 の方 を
D M A Tが 付 き添 って被 災 地 外 に搬 送 す る、﹁
広
域 医 療 搬 送 ﹂ と いう活 動 を 行 う た め です 。
災害 発 生 後 、 た だ ち に
参集 した DMA T
D M A Tは 、 発 災 前 の時 点 で、 全 国 八 〇 〇 チ
ー ム 以上 存 在 し 、 五 〇 〇 〇 人 を超 え る隊 員 が い
2012 VOL.60 NO.6
TOMO
NO―
THE ROTARY―
⑤
い の ちをつ な ぐもの
大 震 災 と ホ ワ イ トパ ー ド
SPEECH
って いるドクター ヘリと違 い、 ホ ワイト パード
公的 に運営 され、ど こに降 り ても いいこと にな
な患 者 さ ん を お送 り す る こと も あ り ま す 。
乗 る のは 怖 い、 飛 行 機 は乗 せ てく れ な い。 そ ん
〓a い
● 雪 8 ↓8 B 災 害 医 療 救 援 チ ー
8 ︻諄 ∽
︶部∽
が中 心 とな って作 ら れた、 DMA T ︵
一
q
れば な らず 、そ の許可 には最低 二週間 かかりま
の場合 、離 発着場 は 一つひと つ許 可を取 らなけ
た方 のリ ハビ リ が は かど ら な い。 リ ハビ リ は も
が あ り ま す 。 脳 出 血 で、 あ る島 か ら 搬 送 し てき
故 郷 の力 が これだ け強 いのか 、 と 思 った こと
防ぎ 得 た死﹂ が たく さんあ った ことが
く と、 ﹁
の方が亡 くなられま したが、子細 に検討 し て い
阪神 ・淡路大震災 の際 には、六 〇〇〇人 以上
ム︶と いう組織 です。
す。 です からドクター ヘリ のよう に、交通事故
う い いか ら家 へ帰 り た いと言 わ れ 、 ヘリ コプ タ
ー でお 送 り し た ら、 降 り た所 か ら家 に帰 る と 言
って、 歩 き始 め た の です 。 そ う いう お 手 伝 いが
が止ま ってしま ったと いう患者 さんが少な から
って見 つか ったが、瓦礫 を退けた途端 に、心臓
一日た
わかりました。例 えば 、手足を挟 まれ、
現場 に急行 す る、と いう使 い方 は できません。
様、 医師 と看護師が搭乗 し て います。 また、全
でき る こと は 、 貴 重 な こと か と 思 いま す 。
しかし、 ホワイトバードも、 ドクタ ー ヘリ同
く の民営 です か ら、行 政 区域 に縛 ら れま せ ん。
で出 動 した ことがあります 。特 に依頼 が多 いの
保 し てお り、遠く は四国や山 口県 、鹿 児島県ま
北部 九 州を中 心 に、百か所 以上 の離発 着場を確
分 け る こと に よ って、 そ の地 域 に合 った 柔 軟 な
療 の穴 が 埋 ま り ま す し、 そ れぞ れ の ヘリ を使 い
ヘリ コプ タ ー が 加 わ る と いう こと によ って、 医
的 な ヘリ コプ タ ー に、 民 間 のわ れ わ れ のよ う な
消 防 ヘリ、 自 衛 隊 と海 上 保 安 庁 の ヘリ な ど 、 公
ってしま う のです。
質が 一気 に心臓 に流 れ込 ん でき て、心臓が止 ま
端 に、筋肉が崩壊 し てできたカリウムなど の物
によ って、筋肉 などが損傷 し、瓦礫をどけた途
いう状態 で、長 い時 間足 とか手を挟 まれ る こと
ず おられました。 これは、ク ラ ッシ ュ症候群 と
が離 島 で、長崎県 の対馬 へは、毎 年数十 回出動
運 用 が 可 能 にな り ま す 。民 間 の ヘリ コプ タ ー は 、
ある いは、倒壊 した家屋 に挟まれ て余震が来
る、火が迫 ってく る。家族 で助けようとし ても
先 ほど も お 話 し ま し た よ う に、ド ク タ ー ヘリ 、
し て います。
ま だ 日本 で は わ れ わ れ し か や って いま せ ん が 、
もう俺 は いいから捨 てて行け﹂。
助 けられな い。﹁
ホ ワイ ト バ ード の基 地 は福 岡県 にあ り ますが、
そ の少 な い医師が都市 に集中 し、地方 の医療資
これ か ら も っと も っと増 え て ほし い、 と 思 いま
そ こで兄弟 の、親 子 の別 れ、 こう い った ことも
現 在 の日本 では、 医師 が 不 足 し て いる上 に、
源 は慢性 的 に不足し て います。ま た、離島 ・へ
ックを したら助 かる可能性があります。外科 医
が、現場 で足を切断 し、瓦礫 の下から救 い出 す
に十分 に点滴 を し、 心臓 が止ま っても電気 シ ョ
ク ラ ッシ ュ症候群 は、現場 で挟まれ て いる間
医療 でも救命 できたかも しれな いのです。
たくさんありました。 しかし、 これらは当時 の
す。
﹁
防ぎ 得 た 死﹂ をな くす た め に
き地 など で医療機 関を容 易 に受診 できな い地域
もあ ります。 ホ ワイトバードは、主 に こう い っ
た地域 の医療 に貢献 し て います。
ホ ワイ ト バードは、 二〇〇 八年 の運 行開始 か
ら今 ま でに約 五〇〇件 以上出動 し、 この中 には
後半 は、東 日本大震災 の話をさせ て いただ き
ます。私 は、震災直後 から今ま でに八回 ほど宮
城 県 に入 って活動 を し て いますが、 そ の経験 か
ら、 わが 国 は、 今 回 の災害 に対 し、 何 が でき、
ことが できた患者 さ んも いら っし ゃ った でし ょ
。
ノ
n
,
実 は、 こう い った 処 置 が でき る 医 師 は、 そ
心筋梗塞 や脳出血 の方 など、 ヘリ コプ ター でな
ければ助 からなか った方 々が、
少 なく とも 一割 、
また、 ドクター ヘリ では、 回復 した患者 さん
何が できな か った のか、と いう ことをご 紹介 し
五〇 人 以上 は いら っし ゃいます。
を地 元 に送 り届ける ことはし て いま せ んが、私
の時 点 でも た く さ ん いた の です が、 医 師 や 看
日本 の急性期 災害 医療体制 のキー ワード にな
護 師 が 現 場 に行 く 手 段 が 整 って いま せ ん でし
た。 た と え現 地 に入 った と し ても、 通 信 手 段
た いと思 います 。
から来 た脳出 血 の患者 さん で、手術 を し て良 く
る のは、 阪 神 ・淡 路 大 震 災 の後 に厚 生 労 働 省
たち はそ んな こともや って います。例 えば 、島
な ったが 、 リ ハビ リは島 でした い。 でも、船 に
④
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
調 査 によ れば 、 交 通 事 故 の現 場 にド ク タ ー ヘ
し い効 果を上げ て います。例 えば 、千葉 県 での
のもありますし、山岳救助 など も できます。 し
より大型 で、夜 間も 飛ぶ ことが でき る仕様 のも
で、医療搬送 の際 には、 そ の都度 、医師、看護
師、 あ る いは救急救命士 を搭 乗 させ、医療 器材
か し、 防 災 ヘリ兼 用 のも のが ほ と ん ど です の
同 じ よ う な症 状 の方 が 救 急 隊 のみ で の活 動 の
も積 み込む必要があります。 さら に、多く の県
リが出 場 した場 合 は、 平 均 入院 日数 が 二 一。
八
日、 医療 費 は約 一三 二万 円 であ った のに対 し、
場合 には、 入院 期 間 が 三八 ・
五 日、 医療 費 が約
円少なくな ると いう こと です。 ヘリ コプ ター の
間 が 一六 ・
七 日短 く な り、 医療 費 が約 一 一三 万
ター ヘリ同様、出動 は主 に重症症 例 に限定され
場合 、さまざ まな調整が必要 です。また、ドク
では消防防災 ヘリは 一機 しか配備 され て いませ
んし、ドクター ヘリ同様、県境 を越 える搬送 の
二四五万円かか って いま した。 つまり、入院期
出動 コストは、
一回当 た り ほぼ 五〇 万円と いう
ています
自 衛隊 。海上保安庁 の ヘリ コプ タ ーは、海難
こと ですから、単純 に医療費だけを み ても、非
常 に大きな経済効 果が上 が って います。
社 会復 帰 のでき た人 は、
T 五倍 に達 し て いる
比 べ、救命率 は三割 以上向上 し、完全 に治 って
る ことによ って、従来 の救急車 のみ での活動 に
ドクター ヘリが出動 し、現場 から治療 を開始す
ませ んし、
自衛隊とか海上保安庁を動 かす には、
看護師 や医療機材 はそ の都度積 まなく ては いけ
の人を積 む ことも可能 です。 そ の 一方 で、医師 ・
害等 の時 には 一度 に六人とか 一〇 人とか、複数
飛べると いうメリ ットがあ ります。さら に、災
救助 も可能 です し、夜間や、 かな り の荒天 でも
とされ て います から、死亡 や後遺症 の逸失利益
かなり いろ いろな仕組 みが必要 で、 これもまた
また、
救急 ヘリ病院 ネ ット ワーク の調査 では、
が 回避 された ことま で考 えると、ドクター ヘリ
万能 ではな い、と いう状況 です。
このよう に、 日本 の ヘリ コプ ターを用 いた救
が社会 に与 え る利益 は、計 り知 れな いも のがあ
ります。
急体制 は、近年 飛躍的 に進歩 し てき て いるも の
の、公的な ヘリだ け では、まだ完全 とは言 えな
しかし、ドクター ヘリも 万能 ではありません。
ドクター ヘリは公的 なも のです から、出動 には
いのが現状 です。
も らわず に始 めた のが、 ホ ワイ ト バー ド です。
とを やろう ではな いかと、行政 から 一切お金 を
このような状況 にお いて、行政 が やらな いこ
行政がやらな いことを
民 間 でや ろう
一定 の基準があり、重症 が予想 され る症例 への
対応が基本 にな って いま す。さらに、基本的 に
都道府県 ベー スの運用 です ので、県境 を越 え て
出動す る場合 、
費 用按分 など の問題が生 じます 。
また、現在導 入され て いるドクター ヘリは、 さ
まざ まな制約 から夜 間 の運航 は難 しく、 日中だ
け運用され て いるも のが ほとんど です。
一方、消防防災 ヘリ は、
一般 にドクター ヘリ
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
○
冨岡譲二氏 空を行 くホワイ トバー ド
写真提供
2012年 2月 11日 国際 ロータ リー第 2700地 区
第 1グ ルー プ :M基 調講演要旨
いのちをつなぐもの
大震災 とホワイ トバー ド
ドクタ ーヘ リ、消防 ヘ リ、 自衛隊 と海上保安庁のヘ リな ど、公的な ヘ リコフター に、民間のヘ リ
コフターが加わ る とい うことによ って、 医療 の穴が埋 ま ります。 DMATは 、阪神・ 淡路 大震 災
の後 に発足 した、緊急時 に被災地 に迅速 に駆 けつけ、救急 医療 を行 うチ ーム です。 ヘ リコプタ ー
も DMA丁 も、どち らも「絆」 がテ ーマ です。人 と人の つ なが りを忘れ てはな らない と思います。
床 ち ょ っと し か あ り ま せ ん。 そ ん な 小 さ な 医療
法 人 が 、 なぜ ヘリ コプ タ ー を 飛 ば す 必 要 が あ る
のか。これ は今 の 日本 の ヘリ コプ タ ー の行 政 に、
深 く か か わ って いま す 。
つい十 年 ほど 前 ま で、 日本 で の ヘリ コプ タ ー
を 用 いた 医 療 は、 自 衛 隊 機 や消 防 防 災 ヘリ、 海
上 保 安 庁 な ど の機 体 を 使 い、離 島 な ど か ら急 患
搬 送 を 行 う業 務 が 主 な も の でし た 。
し か し、
一九 九 五年 の阪神 。淡 路 大 震 災 で大
の方 が 亡 く な り 、 三 万 人 以上 の方 が 大 け が を さ
いのちを救 う ヘリ コプ ター
今 日 は、
ヘリ コプ タ ー の話 と 震 災 の話 を さ せ
き く 事 態 は変 わ り ま す 。 こ の時 は約 六 四〇 〇 人
絆 ﹂、 人
て いた だ こう と 思 いま す 。 ど ち ら も ﹁
有 数 の ヘリ コプ タ ー 保 有 国 で、消 防 も自 衛 隊 も
れ ま し た が 、 最 初 の 二 四時 間 に ヘリ コプ タ ー で
運ば れ た患 者 は、 た った の 一人 。 二週 間 た って
医 ︶ 池 友 会 が 運 営 し て いる、
まず 、 私 ど も ︵
警 察 も マ ス コミ も み ん な ヘリ を 飛 ば し ま し た
と 人 を つな ぐ ことが テ ー マだ と いう こと で、 こ
医 療 搬 送 用 ヘリ ﹁
ホ ワイ ト バ ー ド﹂ のお 話 を さ
が 、 ヘリ コプ タ ー を 地 上 に降 ろし 、 患 者 を 運 ぶ
も 一〇 〇 人 程 度 で し た 。 当 時 、 日本 は世 界 でも
せ て いた だ こう と 思 いま す 。 ﹁
ホ ワイ ト バ ー ド﹂
と いう仕 組 み や発 想 が な か った の です 。 調 査 の
の 二 つを 選 び ま し た 。
は、最 近 話 題 のド ク タ ー ヘリ と は少 し違 います 。
さ んが 多 数 いる こと も 明 ら か にな り 、 これ を き
結 果、 ヘリ で運 べば 助 か った可能 性 が あ る患 者
現 在 、 患 者 さ んを搬 送 し て いる ヘリ コプ タ ー
っかけ に救 急 医療 体 制 が 見直 さ れ 、 公 的 な シ ス
そ の点 か ら まず ご 説 明 しま す 。
は、 主 に 三系 統 あ り ま す 。 ド ク タ ー ヘリ 、 消 防
テ ム と し、 国 と都 道 府 県 が 予算 を 折 半 す る形 で
ド ク タ ー ヘリ は 、 患 者 を 運 ぶ と いう よ り も 、
防 災 ヘリ 、 自 衛 隊 ・海 上 保 安 庁 の ヘリ コプ タ ー
これ ら は す べ て公的 な も の です 。 ド ク タ ー ヘ
現場 に 一刻 も 早 く 医師 と看 護 師 を 送 り 込 む こと
始 ま った のが ド ク タ ー ヘリ です 。
リ は 、 国 と 都 道 府 県 が 費 用 を 折 半 し て いま す 。
を主 な 目的 に し て いま す 。公 的 な も の です か ら 、
です 。
消 防 防 災 ヘリ は都 道 府 県 や政 令 指 定 都 市 が 運 営
地 域 の救 急 シ ステ ム に組 み込 ま れ てお り 、 救 急
隊 や消 防 機 関 か ら直 接 要 請 が でき ま す 。そ し て、
し 、 自 衛 隊 。海 L 保 安 庁 ヘリ は 国 の管 轄 です 。
し か し 、 わ れ わ れ のホ ワイ ト バー ド は 一〇 〇
現 在 、 約 三〇 の道 府 県 に ヘリ コプ タ ー が 配 備
ほと んど ど こに でも降 り る ことが でき ま す 。
佐 賀 県 に五 つの救 急 医療 機 関 を 運 営 し て いる財
さ れ てお り、 年 間 一万件 近 く 出動 し て、 日覚 ま
育 民 間 運 営 です 。 私共 の医療 法 人 は、 福 岡 県 と
団 です が 、 全 部 合 わ せ ても ベ ッド数 が 一〇 〇 〇
②
ロータ リーの友
6月 号
平成 24年
譲二
F引
冨
(医 )池 友会福岡和白病院副院長・ 救急センター長
Joji Tomioka
い の ち を つな ぐ も の
大震災とホ ワイトバ ード
■︵
医︶池友会福 岡和白病院副院長 ・
救急センター長 [
議二
口
里田¨
一
・
②
ズ この人、ワ
了︱
﹂の仕事 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
昌 平 さ ん ︱ 保 V ルナカ代表 取締役社長
﹁
五〇 の手 習ど で未来を切り開 いた
・
甲 里
文・
宮本 貢 写真 ・
水村 孝
阿時
口
]
音
同
豊中
卓 話 の泉
アイバ ンクとは
八幡浜
◆稲畑 汀 子
◆遠 藤 しげ る
◆佐 佐 木 幸 綱
TP Pについて
ロータリー俳壇
ロータリー歌壇
ロータリー柳壇
言 いた い 聞き た い ︰
ロータリーを語ろう
Eクラブ の正しい理解を
日本回︱タリIEクラブ2650
E ク ラブ の存 在 に思 う 仙ム
北
ロ
・
⑩
・
①
﹁
奉仕 の理想﹂の日本語訳について 浦和
﹁
四つのテスト に財団の投資を照らすと 高崎南
﹂
﹃
ロ
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リ
ー
入
門
書
に
み
説
明
タ
る
へ
の
疑
問
﹄
福岡イブニング 守 田 則 一
●私 の愛 用品
バナー自 慢
友 愛 の広場
﹃
永遠 の出会 いに﹄出版 越谷南
祝卒寿 会 員歴 ・
皆出席 五〇年お祝 い例会 伊勢原
満一
〇〇歳 の祝賀会 徳島北
ロー タ リ l oア ット ・ワー ク
大 須 な う フォト コン アスト ¨
名古 屋大 須 ロータ リーク ラブ
︿
写真﹀
小林/東風高等学校IAC/ 四街道/
救急車を南太平洋のバヌアツ共和国ヘ
バ ング ラデ シ ュで女性 の職業訓練支援
松江東
川崎 北
大宮 中央
八潮みらい/桑名西/佐伯/神戸須磨/熊谷東
島根大学 の留学生とそば打ちによる国際交流
旭 川東
福 岡城 西
患者 のためのコンサートを開催
親 のいな い子らに予防接種 の奉仕
音更
宮 崎南
ミ ニスプ リント大会を後援し て
大 阪 アーバ ン
子どもたちのためのウオーキ ング大会
大阪アーバンRC認証状伝達式
雲仙
結城
広島安 佐
茂原
東京 八王子南
滝川
第 二五七〇地 区
第 一回文芸大会に優秀作品多数
書籍 ﹃
我等の生業﹄を発刊
駅ホームに待合所を設けPRのステツカー掲示
ロータリーランナーカ走
東海道 一人旅
都道府県対抗男子駅伝 で広島県選手団を応援
健康 の森 でミ ニ成人式
表 紙 のメッセージ 岡丼 耀毅
表 紙 横 組 み ﹁
郷 の朝 ﹂ 西 方 俊 輛 含 一
五六 〇 新 発 田︶
七七 〇 久喜 菖 蒲︶
縦 組 み ﹁
朝 もや の尚 仁 沢 ﹂ 林 明 全 一
表 紙 題字 加 藤 光 峰
表 紙 レ イ アウ ト 箕 牧 彰
●横組みの日次は、反対側 の表紙を開 いた2∼3ベージにあります.
●本文 ・
写真などの無断転製 ・
複製を禁じます。
2012 VOL.60 NO.6
THE ROTARY― NO‐TOMO
①
rOtary・
…
編集部メール hensyu@rOtary‐ no tomojp
⑦
著6
黒 鍵口 興 Or.jp
Fax 03-3436-5956
Te1 03‐ 3436‐ 6651
選 選 選
外 国 での日本語例会クラブに感謝 東一
泉蒲田
あの大 震災からはや 一
年 尼崎北 堂 本 嘉 巳
好意、善意 にどう対処しますか 東一
泉福生中央 祖 父江 重 夫
震災 から 一
年余りが過ぎ て 郡山アーバン 安 中 利 夫
I・
一般社 I法人 ロータリーの友 事務所
〒1050011東 京都港区芝公園2615黒 龍芝公園ビル4階
厚
木
中
髯重轟6
和
光
広 均 酢 博
○ O⑫
渡
邊
野 仁 西 片
口 木 部 寄
THE ROTARY‐ NO… TOMO
6月 は ロータリー親睦活動月間です
④
○
辻 花 豊
家 島
井 岩 笹 杉
坂 渕 氣 田
一 康 芳
広 喜 男 美
口",ツ 言ITミ ■ 載
軸
⊂ONttENttS
世 界 には、現在 も、ポ リオ (小 児麻痺 )で
身体 障害 に苦 しむ子 供 たちが います。
皆 さまか らのこ支援 で、この病 を地球 上 か ら
永遠 に拭 い去 ることが で きます。
rotary.org/endpOliOを 通 じてご協 力を。
今こそポリオ撲滅のとき
´
ポリオは
あと少 しで
撲滅 できます
THE ROTARYHNOETOMO
JUNE 2012 VOL.60 NO.6
いの ちをつ なぐもの
冨岡 猥二
■ この人 、この 仕 事
「五〇の手習ι」で未来を切り開いた
中 里 昌平
2012