Page 1 Page 2 図ー 調査地域および測量地点 に分類することができる

53
瀬戸内海,播磨灘沿岸における完新世後期
の海水準変化に関する資料
成瀬敏郎*小野間正己**村上良典***
(昭和60年1月12日受理)
1.はじめに
1980年代に入って,それまで日本各地で行われてきた完新世の海水準変化に関する研究
がまとめられるようになり(井関, 1980;Naruse , 1981;Ota et al., 1981など) ,
今後日本各地でより詳細な研究が要請されるようになった。
瀬戸内海地域でも,早くから完新世の海面変化に関する研究が進められており,梶山・
市原(1972)の大阪平野,小野(1975)の山口県の海岸, 1970年代の後半になると前田
(1977ほか)による,大阪湾の沖積層の研究,安田(1978)の大阪平野,福本はか(1978)
の淡路島の研究などが行われた1980年代に入ると旧海水準の復元を目ざして,前田(1980)
の大阪湾・播磨灘沿岸の研究,小野(1980)の山口県の研究,藤原はか(1980)の広島平
野・尾道平野の研究,安田(1981)の大阪平野の研究,田中(1981)の赤穂平野の研究な
どが進められた。最近では,前田(1982)の研究をはじめ,高橋(1982)の三原平野,良
揮(1983)の田辺湾沿岸,前葉(1984)の明石平野,田中(1984)の赤穂平野についての
研究などが続けられている。
筆者ら(1984)は,播磨灘西部にある黄島,前島,大多府島に発達する海食洞,波食棚,
海岸段丘を調査し,約2,000年前頃に+ 2mの高海水準期の存在と,約6,000年前頃の高
海水準期の存在の可能性を指摘した。本報告は,瀬戸内海の旧海水準の復元を目的として
昭和56年春から58年までの問に播磨灘沿岸各地で海岸地形を調査し,そこで得られた資料
などをとりあえずまとめたものである。
周知のように瀬戸内海は潮差が大きく,宇野港で最大293cm,赤穂港で最大224cmであ
る。瀬戸内海では平均高潮線に海食洞が形成されていることが多いので,離水海食洞の高
度をもって旧海水準を復元する場合,求められた高度は当時の平均海面ではなく,平均高
潮線高度である可能性が高い。したがって本報告で表わす高度も明記しないかぎり平均高
潮線(HWL)からの高さとした。なお平均高潮線高度は平均海水準(MWL)から飾磨港
で46cm,宇野港で48cm,池田港で74cmの高さにある。なお最高高潮線(MHWL)は飾磨
港で88cm,宇野港で73cm,池田港で104cmである。
2.波食棚.海食洞.海岸段丘の高度
調査地域は図1に示すように播磨灘沿岸の32地点である。調査地域には図2に示すよう
に波食棚,海食洞,海岸段丘がいろいろな高度に発達している。
これらの地形面の高度を福山市沖の仙酔島(凝灰岩) ,笠岡市沖の北木島(古生層粘板
岩)の実測例を加えて図3のように分類してみると, I :高潮線に一致する, Ⅱ : +0.7
-1.0m, m:十1.7-2.4m, W: +3.0-3.6m, V :4.0-5.0mの5群の地形面
*兵庫教育大学第2部(社会系教育講座) **浜松市立中部小学校***鹿児島南高等学校
54
図1調査地域および測量地点
に分類することができる。この分類は成瀬(1982主成瀬・小野間(1984)の分類基準と
多少異なり, IV・V両群の高度を変えている。
5群の地形面のうち, Iの高潮線に一致する波食棚や海食洞は現成の地形であることは
明白である。
Ⅱに属する地形面は付着生物が多く,高潮時には波浪が達し,分布域も広いことからス
トーム・ベンチ的な性格をもつと考えた(成瀬・小野間, 1984)しかし,後述するよう
に現成の地形面ではなく,過去の高海水準期(ステージ7)に形成され,現在,さかんに
波食を受けている地形面の可能性がある。
Ⅲは海食崖の後退とともに消失しつつある地形面である。前島Bの断面では,洞穴の天
井から剥落した崩積物上に多年生の植物が繁茂していることや,海岸段丘上に樹齢数百年
とみられる樹木が生育していることからみて,すでに離水したものと判断される。
同様に, IV, Vに属する地形面も離水した地形面であり,過去の海水準の高い時期に形
成されたものと思われる。なお播磨灘沿岸全体の傾向として下位の地形面はど広く分布し,
上位の地形面はど分布域が限られる傾向にある。例えばⅣ, Ⅴに属する地形面は4例を数
瀬戸内海,播磨灘沿岸における完新任後期の海水準変化に関する資料
A
二‥__∴‥
)、L 1-5U
6m臣ヨ砂礫
[=]
こ!ノし!卜
-二I-主
巨;ヨ
rn¥ 【SiMfi日当wm
ト.M酎I'I*v ′,り.・0
10.
二二二一二_
墓]5m
MV
-2
HWL
MWL
図2播磨灘沿岸の披食棚,海食洞,海岸段丘の実測断面
断面位置は図1に記入Mi:御津, Ai:相生, A:赤穂, M:前島
K:黄島, 0:大多府島, S:小豆島
55
56
:,工x_x
5
4
V
一一IQ、-C
=C.二二二二〕二二二二T二:
′//..././
3
'/蝣/
/
2
1
lV
=
Tf]M.TL招-m.TMmuw/mFWTmfm7J.V:fm?
ilformm.
Il
且Vfl
C
P
P
P
p
pC
∫
R.PC一-P-P
-1
OJU.1
1;
酔木
島島
前貴大
寡
島島府
少赤和御
u
島
穂生津
島
図3彼食棚.海食桐,海岸段丘の高度による分類
P:鍍金棚, C:海食洞, T:海岸段丘
えるにすぎず,その多くは形成後の波食作用により消失してしまったものとみられる0 Ⅳ,
Ⅴに属する海岸段丘の場合,上部が崖錐堆積物で被覆され,浸食を免がれたものだけが残
っている。
表1 14C年代資料
試料採取 地点
コー ド番号
鷲f
i n (Hm W Lm )
試
料
14 C 年代
(y. B . P . )
堆積環境
赤穂小島
N - 4707
十1.0 m
木
炭
1,3 10 士 6 0
古 土壌
黄
島
N - 4504
十1.0 m
木
炭
2,7 4 0:±8 0
古土 壌
竹
岡
N ー47 0 6
+ 2 .6 m
木
炭
3,9 1 0 ± 6 5
古土 壌
1 - 13ー
744
十3.0 m
御津 新舞子
土壌中の腐 植 4,3 5 0 士 14 0
古土 壌
3. 4段の海岸段丘について
5群に分類された地形面のうち,波食棚や海食洞については,今のところ残念ながら形
成期に関する資料を得ていないoしかしながら同高度にある海岸段丘については形成期を
示す資料をいくつか得ることができた。以下, 4段の段丘の形成期について述べることに
する。
1)御津段丘
兵庫県揖保郡御津町新舞子海岸に発達する(図2, MiのA) 。図4に示すように+
3.2-3.5mまでは崖錐堆積層であり,崖錐堆積層の上部30cmには古土壌層が発達してい
るo古土壌は3-]の有機物(0.3mmのふるいを通過した試料の重量%)を含有し,この
有機物の14C年代は4,350±140 y.B.P. (I -13,744)であった。古土壌層中には地
表に繁茂する現成の植物の根が深く入り込んでおり,多量の細根が混じっている14C年
代測定にあたっては細かい根を極力取り除いたが,なお含まれていると思われ,コンタミ
瀬戸内海.播磨灘沿岸における完折仕後期の海水準変化に関する資料
57
ネーションの結果,年代値が若く出た可能性がある。
古土壌にはこのほかアカホヤ火山灰(Ah) (火山ガラスの屈折率n-1.499-1.511,
mean range=ニ1.507-1.511,新井房夫教授による同定)が含まれており,はかに姶良Tn
火山灰のガラスも極く少量含まれている。
古土壌層上には+ 5 mの高度まで御津海成礫層(平均5 -10cm径,最大20cm径の円・亜
円礫)が堆積する。礫層の厚さは, 40cmないし,見かけの厚さ190cmに達する。礫層は上
部を崖錐堆積層によっておおわれている。
0
2
4
6
8m
図4御津町,新舞子海岸の御津段丘の露頭(図2のD)
Ⅴ:アカホヤ火山灰
したがってこの御津段丘礫層は4,350 y.B.P.よりも古く,約6,300年前に鬼界ア
カホヤ火山灰が堆積した後,まもなく+5mに近くなった海水準に対応して堆積したもの
と考えられる。ただし,付近に発達する現成の浜堤は最高+150cmの高さであり,それを
差し引くと当時の海水準は+3.5-5mとなる。
2)竹岡段丘
御津町竹1司の海岸に連続した露頭が認められる。図5に示すように+2.4mまでは崖錐
堆積層であり,上部に厚さ20-30cmの古土壌層が認められる(図2 , AiのE) 。古土壌
層には亜円∼亜角礫が多く,下位の崖錐堆積物に比較して細粒であり,中に多量の木炭が
包含されている。この木炭の14C年代は3,910+65 y.B.P. (N-4706)を示す。古
土壌の直上には厚さ30-40 cmの分級が良く,層理も明瞭である,竹岡海成礫層(平均3
cm径,最大10cm径の偏平礫)が堆積しているO海成礫層は厚さ60cmの崖錐堆積層におおわ
れている。竹岡に分布する竹岡海成礫層の上限は+3.0-3.lmで,下限は-1.67m,最
大層厚は150cmである。また,竹岡付近に発達する現成の浜堤は+72cmであり,この高さ
を考慮して当時の海水準を復元すると+2.3-3.1mとなる。
58
図5御津町竹岡,竹岡段丘の露頭
3)黄島段丘
黄島南岸のD地点には+1.7mの海岸段丘が発達する(図2 , KのD) (成瀬・小野間,
1984)cこの段丘では2,740+80 y.B.P. (N-4504)を年代を示す木炭を含む古土
壌層をおおって黄島海成礫層が堆積しており,さらに海成礫層は浅い谷によって刻み込ま
れている。谷を哩積する砂礫層中には5世紀後半- 6世紀初頭の須恵器片が包含されてい
るので,黄島海成礫層は2,700 y.B.P.よりも新しく,古墳時代後半よりも古い時期に
限定されるある一時期に+ 2 mに近い高海水準の下で堆積したと考えた。
赤穂市坂越の沖合いにある生島の北岸には+ 2mの海岸段丘が発達し(図2のAi
のJ) (図6の1),段丘上には神社があり,樹木が生い繁っている。地表から1m下まで
は5 -10cm径,円∼亜円の黄島海成礫層で,最上部には厚さ20cmのA層が発達している。
黄島海成礫層下には古土壌層が埋没しており,この古土壌層から弥生式土器が出土する。
土器は弥生中期前半(2,000-1,800 y.B.P.)の畿内第Ⅲ様式のもので,外面はヘラ
磨きが顕著で,内面は-ラ削りが認められず,ロ縁端には凹線文が施されていない。
したがって,生島における海成礫層は,弥生中期以後, + 2mに近い海水準の下で堆積
したものであり,黄島の場合と一致する。ただし,生島北岸の現成の浜堤の高度は1.0
mであるので,当時の海水準は+1.0-2.0mと見積られる。
4)赤穂段丘
赤穂市の小島から釜崎に至る海岸に沿って+1.2mの赤穂段丘(図6の2)が発達する。
この段丘は幅4mほどで,やがて+ 2mの高さとなり背後の丘陵につづく。赤穂段丘の最
上部は厚さ20cmの土壌が発達し,かつてはこの段丘上で耕作が行われた形跡が残っている.
平均1 -2cm径,最大5cm径の赤穂海成礫層の下には1,310+60 y.B.P. (N-4707)
瀬戸内海,播磨灘沿岸における完新世後期の海水準変化に関する資料
59
図6赤穂市坂越,黄島段丘(1)と赤穂段丘(2)の地形,地質断面
の年代を示す木炭を多量に含む古土壌層が埋没している。したがってこの赤穂海成礫層は,
少なくとも奈良一鎌倉時代あたりの高海水準期に堆積したものと考えられる。付近の浜堤
の高度は+80cmであるので,当時の海水準は+0.4-1.2mと見積られる。
図7披食棚,海食洞の高度と海岸段丘の発達の関係
4.完新世後期の海水準変化復元の試み
播磨灘沿岸各地で測定した波食棚,海食洞,海岸段丘は,図3に示すように高度的に5
群の地形面に分類され,さらに波食棚・海食洞と海岸段丘の発達の関係については図7の
ように対比させて考えることができる。
ただし,これまで述べてきたように現成の浜堤の高度と高潮線の高度が一致することは
波浪の穏やかな瀬戸内海でも少なく,ほとんどの場合,現成浜堤は高潮線上1 mはど高い
60
位置付近まで発達している。したがって段丘面の高度を指標に旧汀線高度を復元する場合
に,本研究では段丘が発達する付近の現成浜堤の高度を考慮に入れて数値に多少の幅をも
たせることにした。それは海食洞・波食棚の場合も同じで,多くの場合,現成の海食洞や波
食棚は高潮線の高度付近に形成されているとはいうものの,なかには中潮線や低潮線に形
成されているものもある。したがって離水した海食洞や披食棚の高度を指標に旧汀線高度を
復元する場合にも,数値に多少の幅をもたせてやる必要がある。こうした理由から海食洞・
波食棚と海岸段丘を高度的に厳密に対比するのにはやや問題があることは否定できない。
つぎに,海水準変化曲線を求める場合に,地殻変動の影響や,沖積層の厚い三角州で特
に顕著である自然沈下量などを考慮に入れる必要があるが,本調査地域では,そうした影
響は比較的少ないと考え,これまで得られた資料をもとに完新世後期の海水準変化の復元
を試みた(図8) 0
早
縄
期 /
弥尋 秦 室
文
時
代
良 町
∼以
前 鞠/ 4 斯 後 期′芸 目
宵 墳 轟
倉降
( 3 .5 -5 m )
( 2 .3 - 3 .1m )
/ 二
ノ
メ.
′
′
′
ト 2 m )(0 .4 - 1 .2 m )
1/'^
^ ¥ (0 .4 - 1 .
二 二二
ー .一Gr
/
10
1
0
( xlO3y.B.P.]
図8播磨灘にみられる完新世の相対的海水準変化
荏) 10,000-6,000 y.B.P.の曲線は前田(1980)によった。
1)ステージ1 (6,000 y.B.P.ごろ)
前田(1980)によると,瀬戸内海の海水準は約IO.OOOy.B.P.には-30m付近にあっ
て,以後急激に上昇し, 6,000y.B.P.頃には+2.2m付近まで高まったとされている。
本報告でも約6,300y.B.P.にアカホヤ火山灰の堆積後に御津海成礫層が堆積したこと
が明らかとなった。当時の海水準は+3.5-5mである。当時の海水準について田中(19
84)は赤穂平野で標高4m,高橋(1982)は三原平野で標高3m以上,前妻(1984)も標
高2m以上に高まったとしている。
瀬戸内海,播磨灘沿岸における完新位後期の海水準変化にf対する資料
61
2)ステージ(5,000-4,000y.B.P.)
+3.5-5mの高さにあった海面は,その後低下し,ステ-ジ2の段階になると少なく
とも+1.6mよりも低くなったとみられる。それは竹岡海成礫層下の埋没谷が最も低い地
点で-1.67mにあるからである。広島県福山市の沖合いにある宇治島では縄文中期から後
期前半に- 1m以上低かったと考えられている(川越はか, 1984) 。前葉(1984)もこの
時期に海面が低下し,砂州が形成されたとしている。
3)ステ-ジ3 (3,900 y.B.P.直後)
崖錐上に生成された3,900 y.B.P.の年代を示す古土壌層をおおって竹岡海成礫層が堆
積する。当時の海水準は+2.5-3.0mである。この時期の高海水準の存在については明石
平野で前葉(1984)が指摘しており,日本各地でも横田(1978) ,太田はか(1978) ,森
脇(1978) ,豊島(1980)など多くの研究例がある。
4)ステージ4 (2,700 y.B.P.)
この時期の海水準は,黄島礫層下の古土壌層の高度からみて+ I mよりも低く,現在と
同じかやや低いとみられる.高橋(1984)も2,540-2,740 y.B.P.にかけて標高-60-75cmに海水準が低下したと考えている。
5)ステージ5 (2,000-1,800y.B.P.)
黄島や生島に発達する黄島段丘がこの時期に+ 1 - 2 mの高海水準の下で形成された。
黄島では2,740y.B.P.に生成されていた古土壌をおおって黄島海成礫層が堆積し,生島
では弥生中期前半の土器を含む古土壌層をおおって海成礫層が堆積している。この時期の
高海水準について,小野(1980)や安田(1978)の研究例がある。
6)ステージ6 (古墳時代)
この時期の海水準は,赤穂段丘下に埋没する古土壌層の高度+80cmよりも低く,現在の
平均海面に近いか,あるいは低かったとみられる。
7)ステ-ジ7 (奈良∼鎌倉)
この時期になると, 1310士60y且P.の木炭を含む古土壌をおおって赤穂海成礫層が
堆積し,当時の海水準は+0.4-1.2mまで高まったとみられる。
5.まとめ
瀬戸内海は,地殻変動の影響を地震性地殻変動区におけるはど重視する必要がないこと,
外海ほどには波浪が小さいので小規模な波食地形や堆積地形も残り易く,完新世の海水準
変動を復元するにあたって好個のフィールドとなろう。この点平井(1983)が進めている
湖沼での研究も同様と思われる。
本報告で明らかにされた完新世後期の海水準変化は次のようである。
1 )約6,000y-B.P.に+3.5-5mまで高まった海水準の下で御津段丘面が形成され,
Ⅴ群に属する海食洞や波食棚も形成された。その後, 5,000-4,000y.B.P.になると
+1.6mよりも低下した。
2)約3,900y.B.P.直後に+2.5-3mまで海水準が高まり,竹岡段丘面が形成され
62
た。その後2,700y.B.P.頃になると再び海水準は低下し,少なくとも+ I m以下にな
り現在と同じかやや低くなったとみられる。
3)約2,000-l,800y.B.P.になると+1 2mの高さに海水準が高まり,黄島段丘
面が形成された。この時期の高海水準も古墳時代に入ると再び低下した。
4)奈良時代に入ると海水準は+0.4-1 m程度上昇し,赤穂段丘面が形成された。
5)以上の様な海水準の変化は,これまで紹介した研究のはかに,中元・大内(1978) ,
海津(1879) ,中田ほか(1978) ,藤井はか(1982)などや松本(1984)の研究にみられ
るように,約6,000年以降,小規模ではあるが変動を伴ないながら現在に至っているよう
である。
謝辞
本研究を進めるうえで,火山灰の同定を行っていただいた群馬大学新井房夫教授,土
器の鑑定をお願いした加東郡教育委員会森下大輔氏,測量を手伝っていただいた井上隆
治・鈴木裕司両君に厚く御礼申し上げます。
なお,昭和58年度からスタートした広島大学藤原教授(代表者)による一般研究LA)
「瀬戸内海地域における完新世海水準変動と地形変化」の研究の下で引きつづいて調査を
行っている。したがってその後得られた新しい知見については改めて報告する予定である。
巨蝣i;K3迅
藤井昭二・藤員雌(1982) :北陸における後氷期以降の海水準変動.第四紀研究, vol. 21, 183-193.
藤原健蔵・安田喜憲・成瀬敏郎・中野武登・加藤道雄・松島義章・堀信行(1980) :瀬戸内海中部
における旧海水準の認定。井関弘太郎編『完新世における旧海水準の認定とその年代に関する研究』
159p., 71-81.
福本紘・小林正恒・吉田光孝(1978) :兵庫県淡路島の海浜地形について.地理学報, no. 17, 1634.
平井幸弘(1983) :小川原湖の湖岸・浅湖底の微地形と完新世最大海進期以降の湖水準変動.尭北地
哩, vol. 35, 81-91.
井関弘太郎編(1980) : 『完新世における旧海水準の認定とその年代に関する研究』 , 159p.
梶山彦太郎・市原実(1972)大阪平野の発達史-14C年代データからみて-.地質学論集,
no. 7, 10ト112.
川越哲志・古瀬清秀・小池伸彦・小沢毅・入倉徳裕・鈴木康之・藤井孝毒(1984) :福山市宇治島
北の浜遺跡の第1次発掘調査.内海文化研究紀要, no. 12, ll-41.
前田保夫(1977) :大阪湾の自然史.科学, vol. 47, 514-523.
(1980) :海成層の上・下限からみた大阪湾および播磨灘の縄文海進.井関弘太郎編『完新
世における旧海水準の認定とその年代に関する研究』 , 159p., 112-119.
前田保夫・松島義章・佐藤裕司・熊野茂(1982) :海成層の上限(marine limit)の認定.第四紀
研究, vol. 21, 195-202.
前葉和子(1984) :玉津田中遺跡周辺の地形環境. 『玉津田中遺跡調査概報日,兵庫県教育委員
会,5-14.
松本秀明(1984) :海岸平野にみられる浜堤列と完新世後期の海水準微変動.地理学評論, vol. 57,
720-738.
森脇広(1979) :九十九里浜平野の地形発達史.第四紀研究, vol. 18, 1-16.
瀬戸内海,播磨灘沿岸における完新世後期の海水準変化に関する資料
63
長滞良太(1983) :田辺湾沿岸の海岸地形の形成過程と後期完新世海面変化.東北地理, vol. 35,
ll-19.
中田高・高橋達郎・木庭元暗(1978) :琉球列島の完新世離水サンゴ礁地形と海水準変動.地理学
評論, vol. 51, 87-108.
成瀬敏郎(1982) :瀬戸内海海岸に発達する離水海食洞・波食棚の地形と海水準の関係. 『地域-そ
の文化と自然』福武書店, 710p- 389-398.
成瀬敏郎・小野問正己(1984) :播磨灘西部,翁島・前島・大多府島にみられる完新世後期の海水準
変化.第四紀研究, vol. 22, 327-331.
Naruse , Y. (1981) : Climatic and sea-level changes during the Quaternary. Recent
Progress of Natural良ziences in Japan, vol. 6, 191-202.
小元久仁夫・大内定(1978) :仙台平野の完新世海水準変化に関する資料.地理学評論, vol. 51,
158-175.
小野忠燕(1975) :考古地理学からみた響灘沿岸の砂質海岸の形成.第四紀研究, vol. 14, 239-250.
小野忠燕(1980) :考古地理学からみた完新世の海水準変動と海岸平野の形成,井関弘太郎編F完新
世における旧海水準の認定とその年代に関する研究』 , 159p., 82-88.
Ota , Y., Matsushima, Y. and Moriwaki , H. (1981) : Atlas of Holocene Sea Level
Records in Japan. 195p., 1 -13.
高橋学(1982) :淡路島三原平野の地形構造.東北地理, vol. 34, 138-150.
田中真吾(1981) :赤穂の自然環境. 『赤穂市史』 , 1巻, 6-106.
(1984) :赤穂市地形・地質図の説明_ F赤穂市史・第4巻』 , 1-43.
豊島吉別(1980) :山陰海岸における完新世海面変化.地理学評論, vol. 51, 147-157.
海津正倫(1979) :更新世末期以降における濃尾平野の地形発達過程.地理学評論, vol. 52, 199208.
安田喜憲(1978) :大阪府河内平野における過去一万三千年間の植生変遷と古地理.第四紀研究, vol.
16, 211-230.
(1981)爪生堂追跡の泥土の花粉分析(I).爪生堂追跡調査全編『爪生望遺跡Ⅲ』, 347371.
横田佳代子(1978) :房総半島南東岸の完新世海岸段丘について_地理学評論, vol. 51, 349-364.
64
Some Data on the late Holocene Sea-level Changes in Harimanada,
the Seto Inland Sea
Toshiro NARUSE, Masami ONOMA & Yoshinori MURAKAMI
Shore platforms, marine caves and marine terraces develop along the coast
of Hanmanada, the Seto Inland Sea. These land forms were classified into
five groups by the height above high water level (HWL) as follows (in Fig.3) :
Group I ; O metre, GroupH ;0.7-1.0 metre, GroupDI ; 1.7-2.4 metre, Group
IV ; 3.0-3.6 metre, GroupV ; 4.0-5.0 metre. There were no date about the formation age with regard to the erosional features such as shore platform and cave.
We could get the some date regarding the formation age of marine terraces. Manne terraces consist of shallow marine gravel layer of 0.3-1.9 metre thickness.
Mitsu terrace gravels of Group V deposited on the paleosols in which Akahoya
ash (ca. 6,300y.B.P) was much mixed. Takeoka terrace gravels of Group IV deposited on the paleosols which contained the charcoal (3,910y.B.P). Kiiima
terrace gravels of Group E deposited on the paleosols which contained the charcoal (2,740y.B.P.). Ako terrace gravels of Group II deposited on the paleosols which contained the charcoal (l ,310y.B.P.).
Sea level changes in the late Holocene in Harimanada are shown in Fig.
8. Four maxima of sea level rise can be inferred, with 3.5-5 metre above HW
L at 6,OOOy.B.P., 2.3-3.1 metre at 3,800y.B.P., 1 - 2 metre at 2,000l,800y.B.P-, and 0.4-1.2 metre at l,200y.B-P. Relative drop in the magnitude of 1- 5 metre may be posutulated three times, at 5,000-3,900y.B.P., 2,700
y-B.P., and l,500y.B.P.