<松崎秀樹浦安市長と金沢剛純浦安JC理事長の対談>

<松崎秀樹浦安市長と金沢剛純浦安JC理事長の対談>
理事長「来年浦安JCとして、35周年を迎えることになりました。
松崎市長は、チャーターメンバーのお一人ですが、
浦安JC設立当時の思い出をお話頂けますでしょうか?」
市長
「市役所と文化会館の間に、千葉県の<マキの木>があるけど、
これは浦安JCの設立を記念したものだよ。
当時は小さかったけど35年の間に本当に大きくなったと
実感している。35年間の象徴を今度、是非見に来てよ。」
理事長「設立の時は、自然と我こそはと(JCに)人が集まったのですか」
市長「自然ではないよ。私は、青年会議所設立メンバー募集が自治会の
ポスターに書いてあって、それを見て入った。
35年前当時、
(私は)浦安に転入したばかりで、右も左も
分からないし、小中高の同級生一人もいない。しかし、猟師町の
雰囲気がすっかり気にいって「the 元町」の堀江2丁目にはじめ
住んだ。ところがその当時の浦安は、まだまだ漁師町の雰囲気が
とても残っていて、剣道部の後輩からの第一声が「人の住むところじゃないから先輩住まない方がいい」って。
その後輩は警察官になったばかりの男で、
『とにかく一日も早く異動したい』と。理由を聞いたら『金、土、日
眠れない、けんか、けんかで。酒飲んでのけんか、とにかく排他的でよそ者を受け入れないまちだよ』と『先
輩がこれから来たって苦労するだけだよ、しょっちゅうけんかで血の雨が降っている。』。
浦安JCは設立するまでに実は2年かかったんだけど、認証伝達式までに一緒にやってきた優秀な人間がばた
ばた辞めちゃったんだよ。」
理事長「どうして辞められたのですか?」
市長
「会議所だから会議するかと思ったら会議にならないですよ。それと今だから笑っちゃうけど、
農地改革なんて言葉はピンとこないよね。私は今64歳で戦後世代にあたるだけど、その農地改革の
影響をものすごく色濃くうけているのですよ。要は地主階層と小作人と雇われ漁師があって、網元
地主の下に雇われ漁師と小作人がいるわけですよ。これが農地改革で初めて土地を手にする。
浦安JCメンバーの元町の人たちも地主層と小作人層の二つに分かれた。初代理事長はまさに地主層の流れ
です。町長は代々その人たち(地主層)で順繰りしていたわけですよ。わたしなんかはけんかを
して仲間を作ってきたんですよ。ところが10人20人いても会議にならないわけですよ。それは
どういうことかというと地主階層の出の人が一人でもいるとみんな引いちゃうんですよ。いなければ
議論が盛り上がる。会議終わると飲みに行って終わりまでどんちゃん騒ぎして。でもそこに地主階層の人間
が一人いて、
「そんなのおかしいだろー」って言われちゃったら、一気にひっくり返っちゃうの。何時間も議
論していたのに。そしてまた来週集まると否決されたところからスタートするから、弁護士や公認会計士、
大手企業の営業課長などの錚々たるメンバーがやってられないってやめちゃったんだよ。
」
理事長「まあそうでしょうね」
市長
「何なんだ青年会議所は!と言いながら。それぐらいおかしなスタート」
理事長「その10年後に松崎市長は理事長になられるわけですけれども、
雰囲気はまったく違っていましたか?」
市長
「いやその十年間が大変だったよ。仲良しクラブじゃないって
意識をもっているから、気にくわなかったらとことんみんなで
やっつけたり、だから分裂しかけたのが何回もあるんですよ。
だから、もう、しょっちゅうけんか(笑)
」
理事長「そういう意味では今はけんかはないですね」
市長
「そうやって聞くから だからもったいないなと思ってね。けんかすることによって、ものすごく仲間意識が
高揚するんだよね。」
理事長「10代の理事長の時の最も思い出に残っている事というのはどんな事でしょうか」
市長
「県庁の担当者ともいろいろあったけど、一番は社団法人化だね。たまたま社団法人化の手引きなんてものが
日本青年会議所から出ていた。」
理事長「昨年、寄付金付きごみ袋事業が、浦安JCとして、初めて日本JCのアワードを受賞して、市長にも
報告をさせていただきました。昨年私は、専務理事で、政策提言、ごみ袋、市との協働事業である
就業体験など新しい事をかなりやりました。高梨直前理事長は「悔いは一切ない」という話をされている
のですが、市長として、そんな2013年の浦安JCをどう見てられていましたか?」
市長
「かなり能動的な一年だったような感じがします。ちょっと惜しかったのは、ちょうど去年はまだ復興に
着手できない時だった。復興というのはまちをつくり変えるある意味ものすごいチャンスで、今新浦安の
駅前に新しいステージなんかも、ストリートダンスのメッカにしようと思っている。平時だったらあれは
できない。まずストリートダンスについてどう思うかなんて調査したりしなくてはいけない。まさに復興
復旧の最中だからできた事があるんだけど、そういう時に、いろんな提言が本来出来たんだよね。本格的な
工事が始まってからまだ半年たっていない8月の頃です。そういう意味ではずいぶん期待していたのは、
政策提言なんですよ。そういうところにもっと突っ込んでくるのではと思っていたのが、ちょっともったい
なかったかなと。動いたわりにはもったいなかった。ごみ袋は大したものだと思いますね。」
理事長「ゴミ袋は浦安JCのなかで、販路という所では苦戦をしているところもあるのですが、日本JCの中では
相当評価されていまして、浦安から発信をして他の地域でやれるところはないのかと、色々聞かれる事も
あります。同じようなスキームで色々な事をやっていきたいというLOMも結構出てきていますので、そう
いった意味では、去年やった事がすごく良かったかなと思っています。浦田さんが日本JCの副会頭で出ら
れたという事で、日本だったり、世界だったり、そういうところに目線が向いてきた結果、そういう発想も
出てきたのかなと思います。復興の最中だからできたというお話があったのですが、これから2020年の
東京オリンピックがまだ先ではありますが、すぐ来るといえばすぐ来ます。東京オリンピックの時に、浦安
で出来ることはないか考えていますが、JCに期待する事とか、浦安市としてどんな事がやりたいというこ
とがあれば伺いたいです。」
市長
「ホテルの客室が今8600室、それから市の方に来ているの
3つのホテルが立てば、10000室。16.98平方キロ
メートルのまちに10000室の客室を擁するというのは
他ではまずあり得ない。人口密度も高いけど、ホテルの密度も
非常に高い。30周年で年間3000万人来場している
ディズニーリゾートがあるまちで、隣でオリンピックが
行われるわけだから、これは黙っている手はまずない。
では何が出来るかというと、日本に東京に来る外国人に
おもてなし、ホスピタリティの部分で、このホテルとこの地域に何ができるかというのは大いに議論して
いいのでは。スマートウエルネスシティ構想というのがある。今までのオリンピックをやってきた都市や
国の経済効果なんかを見ていると、だいたい6年ぐらい前から助走をしている。だから今から考えるべき
だと思っている。これは決してスポーツだけではなくて、文化芸術でも、そういう面でいくらでも我々は
できるよね。要するに先ほど言ったストリートダンスのメッカもそこから出ている。世界各国から来る
だろうから、その人たちに見せられるまち、アピールできるまちは何かあるはず。うち(浦安市)は特に、
ホテルあり、海があり、親水性はないけど総合公園や海浜公園を海岸部に持っている。東京湾を背景に今ま
で薪能をやったこともある。これがすごいんですよ。真っ暗の中に本当に薪を焚いたりして、今まで震災の
直前までやっていて、これは定着するなと思ったら震災になってしまった。能というのは必ず狂言の中に入
る。新浦安の所にホップという居酒屋を作った。昼間は元行政サービスセンターなんだけど、今は障害者雇
用の場で、不用品販売、リサイクルショップ、5時ぐらいから飲み屋に変わる。そこのNPO社会福祉法人
と一緒にスウェーデンに行った。市民公募で。そのスウェーデンの福祉を何とか浦安で展開しようというの
が、私の夢でもあり、障害者の団体もそうなんですよ。ホップというのは、ハッピーのスウェーデン語。」
理事長「ほおー、そういうことなんですね。」
市長
「現役メンバーのグスタフ君の仲介で、スウェーデンと交流が出来た。薪能なんかああいう人たちは見る事が
ないからスウェーデン大使夫婦を招待した。そしたら狂言でげらげら笑っているの。日本人が笑うところで
ちゃんと笑っているの。日本語が通じないのに。これは文化とか芸術とかは、いくらでも広げられると自信
が生まれたので、今後そんな事をやりたいなと。実は皇室にも働きかけようと翌年しようとした。皇居のあ
そこの門なんていったかな?日本橋を突き抜けたところの。皇居ぶつかるじゃない?」
理事長「日本橋からですか?」
市長
「浦安からいくと、浦安のシンボルロード、やなぎ通り、葛西橋通り、永代通り、それを真っ直ぐ行くと、
実は皇居にぶつかるんです。だから、皇室とも縁が無いわけじゃないよなと。」
理事長「強引ですね(笑)」
市長
「理事長:(笑)」
市長
「それから水準標石が土木遺産になったでしょ?http://www.gsi.go.jp/WNEW/koohou/475-5.htm
それが、堀江(清瀧神社内)にあるから、オランダにも縁がある。幕末の時に、江戸川堤防を定めるために、
標高。あれを定めるために、最初に起点を置いたのが浦安なんです。それが堀江なんですよ。その縁が
あって、数年前に日本とオランダの通商400年を記念して、あそこに碑を創りました。また、向こう
からは姉妹都市の話もあった。オープン時、浦安に大臣まで来られたんです。」
理事長「知らないことが多いな~。
」
市長
「そんな文化的な縁もある。浦安で市が100人を収容できるホテルを持っているの知っている?
うらら・めーる。」
理事長「うらら・めーる。はい。知っています。
」
市長
「あそこに選手を泊めて、あと体育施設を開放したって良いしね。地元が強いのは雰囲気とか気候に
慣れているからでしょ?だったら4.5年前からうちのほうで提供して。」
理事長「これは本当に市とかに限らず、普通の企業にとっても、大きなチャンスでもありますので、JCとしても、
何かしたいと思っています。あと毎年毎年、単年度制で1年1年理事長の所信をもとに、運動をしていく
という形ですけれども、そろそろ、5年間とか10年間とか複数年で考える視点というのも持っても良いの
かなと思っています。そういった視点をもって考えてみようと今年はやろうとしています。最後にJC
メンバーに、期待する事とか、そういったことを一言頂ければと思います。
」
市長
「期待する事ね、やっぱりけんかし合うべきじゃないかなと思うよ。
」
理事長「やっぱり、けんかし合ったことによって、いろんなことが分かち
合ったりだとか、いろいろな成果も変わってきたりだとか、
その喧嘩し合った経験というのが、今の市長の市制に生きている
のですか?」
市長
「まあ、もともと協調性はゼロに近いよね。(笑)
けんかするってことはみんな真剣なんですよ。」
理事長「私が(JCに)2006年に入って、8年目ですが、入会当時と比べると、一歩引いたり、
遠慮したりする部分が多くなってきている気がします。みんなで真剣にやって、言い合うこと
必要ですね。本日は、ありがとうございました。
」