聖 なる 山 久能山 聖 なる 山 久能山 平成27年1月30日 編集発行:静岡市生活文化局 文化スポーツ部文化財課 静 岡 市 はじめに 静岡市にある「久能山」 という山を知っていますか。 「 久能山」は、駿河湾に浮 かぶようにそびえたっており、山の上にはお寺やお城、神社など時代によって 様々な施設が建てられました。 では、何故「久能山」 には、いろんな建物が建てられたのでしょうか。 この冊子には、今までの調査でわかっていたことはもちろん、静岡市が実施し た調査で新たに判明した発見も散りばめられています。 この冊子を読めば、 「久 能山」が日本の誇りとなるべき山だと驚かれるでしょう。 静岡市の宝である、 「久能山」 についてちょっとのぞいてみませんか。 目次 年表 ………………………………………………………………… 03 神となった家康 …………………………………………………… 05 ごんげんづくり −家康にちなんだ建築様式− ………………………………… 07 「権現造」 なかいやまとのかみまさきよ 家康が最も信頼した大工、中井大和守正清 ……………………… 09 久能山には昔、 お寺やお城があった! ? …………………………… 11 「久能山」誕生の秘密 ……………………………………………… 13 400年間守られている久能山の植生 …………………………… 15 『久能山図』 もりおか歴史文化館所蔵 みどころ …………………………………………………………… 17 江戸時代の久能山を描いた絵図です。 01 02 年 表 ・ 海底の隆起が始まり、久能山が誕生する ・ 補陀落山久能寺が建てられる 康治元年︵一一四二︶ ・ 国宝﹃久能寺経﹄ が完成する しょういちこくし ・﹁茶祖﹂円爾︵聖一国師︶が久能寺で修行する 永禄十一年︵一五六八︶ 永禄八年︵一五六五︶ 康永元年︵一三四二︶ ・ 武田信玄 が久能山城を築城し、 ・ 武田信玄 が今川氏を攻める ・ 今川氏真 が久能寺の観音堂を再建する ・﹁久能山﹂ の歴史をまとめた ﹃久能寺縁起﹄ がつくられる 久能寺は清水区村松に移転する 明治三十三年︵一九〇〇︶ 明治元年︵一八六八︶ 元和三年︵一六一七︶ 元和三年︵一六一七︶ 元和二年︵一六一六︶ 慶長十二年︵一六〇七︶ 慶長八年︵一六〇三︶ 天正十八年︵一五九〇︶ 天正十四年︵一五八六︶ ・ 東照宮三百年祭が行われる ・﹃久能寺経﹄ が国宝に指定される ・ 神仏分離令によって久能山内の寺院が廃寺となる ・ 日光東照宮が建てられる ・ 久能山東照宮 が建てられる ・ 家康 が駿府城にて薨去する ・ 家康 が駿府城に隠居する ・ 家康 が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く ・ 家康 が江戸を拠点とする ・ 徳川家康 が駿府を拠点とする ・ 戦国大名今川氏 が滅亡する 大正四年︵一九一五︶ ・ 東照宮三百五十年祭が行われる ・ 久能山東照宮本殿・石の間・拝殿が国宝に指定される ﹁徳川家康関係資料﹂ が、重要文化財となる こうきょ 昭和四十年︵一九六五︶ ・ スペインから家康 に送られた洋時計を含む 平成二十二年︵二〇一〇︶ 昭和五十四年︵一九七九︶ 永禄十二年︵一五六九︶ 永禄十一年︵一五六八︶ 嘉禄元∼三年︵一二二五∼一二二七︶・ 大火災で久能寺の建物が焼失する えんに 建永元年︵一二〇六︶ ぎょうき ・ 行基 が千手観音を本尊とする ︵伝承︶ ︵時代︶ 04 静岡市では、尊敬の念を込めて 「家康公」 と呼ばれています。 03 飛鳥 10万年前頃 奈良 平安 鎌 倉 南北朝 室 町 安土桃山 江 戸 明 治 大正 昭 和 平成 ※薨去…親王および三位以上の人が死去すること。 つまり、 とても位の高い人が亡くなることを指す。 ◆本冊子では、歴史上の人物の一人として、 「徳川家康」、 「家康」 で統一していますが、 神となった家康 元和2年(1616)4月17日、徳川家康は駿府城で75年の生涯を閉じました。死を い がい 悟った家康は、生前に側近を呼び寄せ、自分の死後は遺 骸 を 「久能山」 に納め、葬式は ぞうじょう じ だい じゅ じ 江戸の増上 寺 で行い、位牌を岡崎の大 樹寺に立て、一周忌を過ぎたころ日光に小さな お堂を建て、霊を迎えてまつるよう命じました。家康の遺骸は、亡くなったその日の夜 に 「久能山」 に運ばれました。天下人となった家康でしたが、遺骸の輸送はわずか数人 の重臣によってひっそりと行われました。 だいみょうじん だいごんげ ん その後、家康を神道の性格が強い「大明神」 か、仏教の性格の強い「大権現」 か、 どち まつ らの神として祀 るか幕府で激しい議論になりました。議論の末、 「大明神」 として祀られ とうしょうだいごんげん た豊臣家が滅びたことから、東から日本を照らす「東照大権現」 として祀られることに ごん げん さま なりました。そして、江戸時代を通して、 「大権現」、 「権 現 様 」は家康を指す言葉となり ました。 ごみずのお ※宸筆…天皇の直筆 05 久能山東照宮楼門 ごしんぴつへ んがく 後水尾天皇御宸筆扁額 伝『家康公御真筆御影』宝台院所蔵 06 ごんげんづくり 「権現造」 −家康にちなんだ建築様式− 久能山東照宮本殿・石の間・拝殿は、 「権現造」 と呼ばれる建築様式が採用されています。 「権現 造」は、神体を安置する本殿と拝礼を行う拝殿を 石の間でつないだ建築様式です。一般的な神社 では、本殿と拝殿は別々の建物となっています。 久能山東照宮の石の間部分は、本殿や拝殿より 一段低くなっていて、畳敷きです。 「権現造」の由来は、 「東照大権現」、つまり家康 を祀る東照宮に多く採用された建築様式という ことからきています。江戸時代を通じて広く普及 し、全国に多くの東照宮が建てられました。久能 山東照宮本殿・石の間・拝殿は、現存する最古の 東照宮ということで文化史的意義の特に深い建 造物といえ、平成22年12月24日付けで国宝に 指定されました。 本 殿 石の間 この部分が 特徴です。 拝 殿 ※左の写真はこの方向から撮影しています。 07 久能山東照宮本殿・石の間・拝殿 08 なか い やま との かみ まさ きよ 家康が最も信頼した大工、中 井 大 和 守 正 清 とう りょう 久能山東照宮を建てた中井大和守正清は、江戸初期を代表する大工棟 梁 です。 江戸時代の初めには、徳川家康に依頼されて、二条城、伏見城、江戸城、駿府城、名古 屋城、京都御所などの建物を次々と造りました。 久能山東照宮は、当時最高の技術を結集したものであり、正清の腕を信頼し、十数 年間にいくつもの仕事を任せてくれた家康への思いが詰まった集大成といえます。 正清が造った建物の中で、現存しているものは4例しかなく、その文化財的価値が 認められたことが、久能山東照宮本殿・石の間・拝殿が国宝に指定された理由のひと つです。 ※棟梁…大工組織の頂点に立つ者 「逆さ葵」 に込められた思い? 久能山東照宮にたくさんある葵紋の中に、逆さになっている紋がいくつかあります。 こ の「逆さ葵」の紋には、 「建物は完成と同時に崩壊が始まる」 という言い伝えがあること から、 わざと未完成のままにするという思いが込められていると言われています。 中井正知氏・正純氏所蔵 重要文化財 09 『中井大和守正清像』 「逆さ葵」の紋を探してみましょう! 10 久能山には昔、 お寺やお城があった! ? ふ だ らく 久能山には、 かつて補 陀 洛 山久能寺があり、海のかなたに極楽を求める観音信仰 の聖地でした。久能寺が初めて建てられた時期は明らかではありませんが、南北朝 時代の康永元年(1342) にまとめられた 『久能寺縁起』 (静岡市指定文化財) によれ すいこ ただひと せん じゅ ば、 「推古天皇の時代(6世紀末∼7世紀初) に久能忠仁が山中に金の千 手 観音を見 出し、お堂を立てて安置したのが始まり」 と伝えられています。その後、高僧行基が 養老7年(723) に足久保(静岡市葵区)のクスノキで造った千手観音を本尊にした といわれています。平安時代には天台宗寺院として繁栄しました。その後、一時期火 が らん 災によって伽 藍 を焼失しましたが、鎌倉時代・室町時代を通して駿河国を代表する 寺院として繁栄しました。 しょ せき 「久能寺経」は、 また、久能寺を代表する書 跡 として国宝「久能寺経」があります。 と ば ほうおう たい けん もんいんたま こ ほ け き ょう 12世紀中頃に鳥羽法皇や皇后の待賢 門 院璋子らが法華経を書写したもので、金銀 そめ がみ や染 紙 を使うなどの装飾がされています。 わら しな に生まれ、後に静岡に茶をもたらした人物 鎌倉時代初めには、藁 科(静岡市葵区) として知られる円爾 (聖一国師) が、 6歳のときに久能寺に入り、 天台宗を学びました。 南海のかなたにあるとされる補陀落山は、観音菩薩の居所といわれており、信仰者はそこを目指しました。 戦国時代、駿河・遠江を領有した今川氏から久能寺は厚く保護されていました。 し げんじょうさんぞう おけ はざ ま 大般若経とは、中国の唐の時代に玄奘三蔵(三蔵法 師)がインドから中国へ持ち帰り、翻訳した600巻の仏 教経典です。 かし、今川義元が永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで織田信長に敗れてから駿河に 進出した武田信玄が、水軍の拠点として険しい久能山に城を築くことを決めたため、 久能寺は現在の地(清水区村松) に移されました。後に駿府へ移った家康も、久能城 てっしゅうじ 現在鉄舟寺(久能寺は明治時代に鉄舟寺と名を改めま を駿河湾からの攻撃に対する重要な防衛拠点としました。 した) には、平安末期∼江戸時代に書写された570巻ほ どが伝わっています。 鉄舟寺は、現在でも大般若経をはじめ、久能寺の繁栄 を感じさせる文化財を数多く 所蔵しています。 ※円爾…鎌倉時代中期の臨済宗の僧 宋で修行し、帰国後、博多の承天寺、京都の東福寺を開山する。 博多祇園山笠の生みの親と伝えられる。 鎌倉時代に作られた 舞楽用の仮面です。 静岡県指定有形文化財 しほんぼくしょだいはんにゃきょう 11 紙 本 墨 書 大 般 若 経 鉄舟寺所蔵 静岡県指定有形文化財 ぶがくめんりょうおう 『舞楽面陵王』 鉄舟寺所蔵 12 現在でも「久能山」 をはじめとする有度丘陵 は、風雨によって浸食され続けており、久能山 びょうぶだに 周辺の切り立った崖は屏風谷と呼ばれ、その恐 ろしいほどに切り立った崖が連なる景観は観光 客の感嘆を呼んでいます。 ゆえ 急峻な崖や谷がみられる特殊な地形故に古 代から神聖視され、山中に寺院や神社がおか れました。中世には要害の地ということを活か して城がおかれ、徳川家康が薨去すると墓所と なり、東照大権現と呼ばれる神となった家康を 祀るために東照宮が建てられました。 ※孤立峰…孤立した山 ※有孔虫…殻を持つアメーバのような生物 ※要害…敵の攻撃を防ぐのに便利な険しい地形 御廟所 愛宕神社 屛風谷 「久能山」誕生の秘密 「久能山」 (標高219m)は、 もともと10万年前頃から始まった海底の隆起によって 久能山東照宮 久能山駅 うどきゅうりょう 形成された有度丘陵(標高307m)、つまり、日本平の一部です。その後、有度丘陵は 海の働きや風雨によって浸食されますが、固い層が残ったため、現在のような孤立峰 となりました。 勘助井戸 旧宝物館 もともと、海の中だった 「久能山」からは、現在も貝の化石や有孔虫の化石が見つか ります。 13 14 400年間守られている久能山の植生 ちん じゅ 久能山は、気候帯では暖温帯に属し、森林タイプは常緑広葉樹林です。 この森林 久能山の植生は、久能山東照宮の鎮 守の森として、約400年間ほとんど人間の手 を構成する樹種は、葉の表面にクチクラ層が発達し光沢をもつため、 「 照葉樹」 と が加えられていない状態で、大切に守られてきました。現在、静岡市の海岸付近に分 呼ばれています。 布している森林の多くは人工的に作られたものですが、久能山の植生を調べること ふもと 海岸部から見た久能山は、麓から山頂手前まで、照葉樹の天然林に覆われてい によって、 この周辺にかつて分布していた植生、つまり、土地と気候に合った植物群 ます。 落を推定することができます。 山頂の西側には、平地が段階状に続き、スダシイ・タブノキ・ヤマモモなどの大 きな木の下には、サカキ・ヤブツバキ・ヒメユズリハなどの低い木が生えており、さ らに下には、テイカカズラ・ヤブコウジ・シダ類が多くなっています。山頂近くの中 りょうせんぶ 央部にはわずかですが、稜線部が形成されていて、アカガシの大径木が数多く生 えています。南側は、海からの強風と乾燥のため、樹高の低い照葉樹林となってい ます。 15 ※クチクラ層…葉の表面を覆う透明な膜 ※鎮守の森…神社を囲むように境内地を覆う森 久能山東照宮境内の植生 麓から見た久能山 16 みどころ いし どう ろう ②石 灯 籠 久能山東照宮の境内に整然と並ぶ石灯籠。家康を崇 しん びょう ①神 廟 める全国の大名によって奉納されました。 家康が埋葬された場所です。石塔は、江戸幕府 3代将軍家光の命で建てられました。近くに家 康の馬のお墓もあります。探してみましょう! ※廟…死者の霊をまつる所 もん えい しょ ④門 衛 所 江戸時代には一般の参詣は祭りの時以外認められて いませんでした。 ここで与力と呼ばれる武士が警固に あたっていました。 ちょう ず ばち ③手 水 鉢 参拝する前に手を洗う手水鉢。 約400年前の元和8年(1622) に作られたも 『久能山真景図』静岡県立中央図書館所蔵 明治時代の久能山を描いた絵図です。 のです。 【日本平ロープウェイ利用】 【久能山下からの徒歩】 交通アクセス 自動車をご利用の方 バスをご利用の方 日本平 久能山 日本平 ロープウェイ 東名静岡インターまたは清水インターより日本平山頂(約40分) →日本平山頂より日本平ロープウェイ (5分)。 バス ロープウェイ JR静岡駅より、 しずてつジャストラインバス 「日本平行き」(約50分)。 終点「日本平」 で下車すると、 ロープウェイ乗り場入口です。 バスをご利用の方 久能山 久能山 自動車 自動車 17 自動車をご利用の方 久能山 久能山下 ※公共の駐車場はありません。 徒歩 東名静岡インターまたは清水インターより国道150号線交差点 「久能山下」(約40分)。山下からは石段が1159段続きます(約20分)。 久能山下 バス 徒歩 JR静岡駅より、 しずてつジャストライン 「東大谷行き」 にて終点「東大谷」下車(約40分)。 東大谷バス停で 「久能山下行き」 のバスに乗り換え、終点「久能山下」 で下車(約15分)。 18
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