いとをかし - 両口屋是清

特集
礼
れ
い
【い と を か し】
issue
Vol.24 Autumn
2015
い と を か し
essay
遠きにありて
ふるさとは遠きにありて思ふもの
その二」は、こう始まる。もっとも、こ
室生犀星の「小景異情
の詩の結びは《そのこころもて/遠きみやこにかへらばや/遠きみ
やこにかへらばや》となり、今、犀星は故郷にいるわけだ。
それはともかく、何であれ、はるかなところから遠望するもの
は、手が届かないだけに、よりありがたく尊いものに思える。
『日本の
わたしは、小学六年か中学一年の頃、現代教養文庫の
菓子 』という本を愛読していた。 著者は富永次郎。 全国の菓子
を訪ね歩いた記録である。さし絵や写真も入っている、まことに
楽しい本だった。
昭和三十年代、今から半世紀以上も昔のことである。埼玉の
田舎町の子供にとって、そこに並ぶ各地の銘菓は、まさに《遠き
にありて思ふもの》だった。
《和三盆》という言葉も、この本で知った。こう書いてあった。
〔ママ〕
振分離機
近代製糖では砂糖の精製にあたって、砂糖の蜜分を円
で除去してしまうのだが、手工業では数度のしぼりを行ってもま
だ蜜分はのこる。その残った蜜分が菓子の味に欠くことが出来な
いので非常に高価につくにもかかわらず、一部の製菓商はこれを
使用している。
こういうところに魅かれた。童話に出て来る夢の甘味のようだ
った。(それにしても《和三盆》 という言葉の響きに胸をときめ
かしている子供__というのも、なかなか渋いでしょう?)
《和三盆の風味》が値打ちという両口屋是清の「二
であるから、
人静」は、遠い憧れのお菓子のひとつだった。初めて口にしたのは
いつだったか覚えてはいない。だが、
『日本の菓子』
の絵だけで見て
いたそれを、実際、手にし、口にふくんだ時の感じは、格別なも
作家 北村
薫
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のだった。
やはり、お菓子は、遠くで思っているより、自分の舌で味わっ
た方がいい。
きたむら かおる● 1949年埼
玉県生まれ。早稲田大学では
ミステリ・クラブに所属。母校
の埼玉県立春日部高等学校
で国語を教えるかたわら、89年、
「覆面作家」
として
『空飛ぶ馬』
(東京創元社)
でデビュー。91
年『夜の蝉』
(同)
で日本推理作
家協会賞を受賞。2005年『ニ
ッポン硬貨の謎』
(同)
で本格ミ
ステリ大賞評論・研究部門受
賞、09年『鷺と雪』
(文藝春秋)
で直木賞受賞。近著に『太宰
治の辞書』
(新潮社)など。読
書家として知られ、評論やエッ
セイ、また創作や編集について
の著書も多数。
イラスト/田中靖夫
明治の息吹を
肌で感じる野外博物館
吐 き な がら 蒸 気 機 関 車 が 駆 け 抜
明 治の建 物が立 ち 並び、黒い煙 を
躍 的に伸び、その技 術 を 土 台に西
の制 限がなくなり、木 造 技 術が飛
日本の大工技 術が一 番 発 展した
明治時代。 身分制度の廃止で建物
折々の美 しい自 然 を 背 景に本 物の
ける。 明 治の町 並み、そこに生 き
築 保 存 を 夢 見ていた建 築 家の谷口
りにしたことから、 明 治 建 築の移
鳴 館が取 り 壊されたのを 目のあた
る野 外 博物館です。 明治村は、鹿
徴 する建 造 物が移 築 展 示されてい
ルなど、明 治 村は、主に明 治 を 象
イド・ライトの手 が け た 帝 国 ホテ
森鷗外に夏 目 漱石の住 宅、 世
紀 建 築 界の巨 匠であるフランク・ロ
ていたか を き ちんと 理 解 してこそ、 できると喜ばれています。このよう
どのよ うに生 活 し、 町 並 みを 作っ
向かっていった明 治の息 吹 。 人々が
然 を 大 事にしつつ、 新 しいものへと
景、 人 __ 共 通 しているのは、 自
うわけでもありません。 建 物、風
明 治 時 代の服 を 着 せればいいとい
困 難が伴います 。 また、スタッフに
失われた技、 手に入らない素 材
__ 建 物や調 度 品 を 復 原 するには
の魅 力ではないでしょうか。
とが、ほかの博 物 館にはない最 大
時 代の空 気や情 緒 を 感じられるこ
に多 様 な 方々とコラボレーションし
客 様が集 まり、新しい茶 会が体 験
じますね。 全 国から大 変 多 くのお
い空 間が生 まれ、とても 面 白 く 感
茶 室に仕 立てられる。 今 までにな
人のセンスや斬新な発想を駆使して
荘、学 習 院 長の官 舎 までもが、茶
望が建てた数 寄 屋 造の別 邸・坐 漁
は、帝国ホテルのロビー、西園寺公
うことを 目 的に、年に一 度、明 治
こうした明 治 建 築に親しんでもら
しい建 物 を 次々と生み出 しました。
る人々の生 活、 実 際に見て触 れて、 洋の建 築 様 式を融 合させ、素 晴ら
吉 郎( 明 治 村 初 代 館 長 )と、 後 に
本 物が残せるのです 。
たり、 新 しい取 り 組みに挑 戦 した
博物館明治村 館長 中川 武
名 古 屋 鉄 道 社 長、 同 会 長 を 歴 任
日本の歴 史 全 体を人 生に例 える
と、 明 治 は 青 春 時 代 だった と 思い
ためにチャレンジ
ざ ぎょ
り。 伝統的な分野こそ本物を残す
そう
村 茶 会を開 催しています。 今 年 度
する土川 元 夫の2人の情 熱が出 会
年 。 高 度 成 長 の 真っ只 中 で、 ま す 。 江 戸 時 代の確 か な 社 会 基
が必要です。 今
って生 まれま す 。 開 村 したのは昭
盤 を も とに近 代 化へ踏み出 し、 理
和
歴 史 的な古い建 造 物 を 次々と壊し
想への 情 熱 に 意 欲 を 燃 や し た り、 後も中部地区が
誇る宝 として国
ていた時 代でした。 今 年、 開 村か
壁にぶつかってほろ苦い思いを した
し
内外に魅力を発
年 を 数 え、当 初
り。 明 治は人 生の節 目に立ち戻り
信 していき たい
らちょうど
たくなる時であ り、その空 気 を 肌
と思います。
以 上に増 え
ました。 名 古 屋の郊 外である犬 山
で感じられるのが明 治 村なのです 。
かなかった 建 物 も、
市の100万㎡の敷 地の中、 四 季
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長崎湾内の伊王島に
建てられた「大明寺(だ
いみょうじ)聖パウロ教
会堂」。 鐘楼を除けば
外観は普通の農家の
姿、内部はゴシック様
式の教会建築。 地域
に根ざした信仰の形が
建物から匂い立つ。
60
50
40
名古屋の商家を移築し
た「東松家住宅」。 江
戸時代以来の工法であ
る塗屋造で、明治に入
り禁令が解かれると2、
3階を増築。2階には露
地に見立てた廊下や下
地窓を備えた茶室も。
なかがわ たけし●1944年富山県生まれ。工学
博士、早稲田大学名誉教授。専門分野は比
較建築史、文化財建造物の保存修復技術の
研究で、エジプト、カンボジアのアンコールワット、
ベトナムなどの調査研究を長年にわたり行う。カ
ンボジア王国より
「サハメトレイ王国勲章」、日
本建築学会賞(業績賞)
など多数受ける。2014
年より博物館明治村の第6代目館長に就任。
アメリカ人建築家フランク・ロイド・
ライトが設計した「帝国ホテル中
央玄関」。建物内外は、彫刻さ
れた大谷石や愛知県の常滑で焼
かれたレンガ、テラコッタで装飾さ
れ、特に吹き抜けの隅にある「光
の籠柱」は見るものを魅了する。
登録有形文化財。
い と を か し
「通筥」のつぶやき
通筥(かよいはこ)
:葵の御紋入りのお重。
尾張徳川家への御用に使われたとされている。
両口屋是清所蔵。
い と を か し
山根基世さんに聞く
豊かな言葉は
おいしいごちそう
聞き手・篠田尚久
関 係を築 くことができます。 また、 ませること、それは生 涯 を 支 える
NHKのアナウンサーとして多くの番組を担当し、
人気ドラマのナレーションでもおなじみの山根基世さん。
美しい日本語を身に付けることは生涯の力になると、
子どもたちの言葉を育てる活動を続けています。
そのために今、地域社会や大人がすべきこととは?
各 地の町や村でひたむ きに生 きる
謝 罪の言 葉 を 伝 えなくては、個 人
篠田 言葉を習得する機会が極端
用が済み、会話が減っています。
は「ジュース」
「ご飯 」など、 単 語で
は地域のつながりが薄れ、親子間で
が自 然に身に付 き ましたが、現 代
同じ地 域に暮らした時 代は、それ
もの。 赤ちゃんからお年寄りまでが
て話し方を変えるということも学ぶ
に戻った」など、立場や状 況に応じ
づかいだけど、いなくなったら普 通
おじいちゃんのいる間は丁 寧な言 葉
力になるでしょう。また
「お母さんは、
方が語る言 葉は、その土 地の風 土
から国まで、関係が悪くなってしま
篠 田 NHKを 定 年 退 職 されてか
篠 田 言 葉の持つ力 は 大 きいで す
ね。 特に挨 拶は大 事だと思いま す。 ら、子 どもたちの話し言 葉 を 育て
や歴史と相まって、深い味わいを感
る活動に取り組まれています。 きっ
あ
ごめんなさい 」
「りがとう 」「
は魔法の言葉
篠田 長年にわたり言葉に携わって
こられ、「 言 葉ほどおいしいものは
「おはよう」から一日が始まります
うこともあります。
ない」とおっしゃっていますね。
していき ま す。 言 語 形 成 期に日 本
かけは何ですか?
としみじみと心地よさを感じる時、 山根 ええ、
そうですね。私は「“あ
この感覚は何かに似ている……そう、 りがとう”と“ごめんなさい”は魔法
語の美しいリズム、響き、そして人
し、「 ありがとう 」と言われて怒る
の言 葉 」と言っていま す。 何 度口に
間の肉 声のぬく も り を 体にしみ込
人は、まずいません。
おいしいものを食べた後の満 足 感に
してもいいし、言うことで相手との
山 根 た く さんの方にお 会いして
お話を聴き、
「ああ、いい話だなぁ」
近いのです。 著名な方だけでなく、
山 根 子 どもは、周 りの大 人の言
葉 を 聴 くことで自 分の言 葉 を 獲 得
じます。
日本近代文学館にて。緑に包まれた東京・目黒区
駒場公園内にある、日本初の近代文学資料館。
お話を聴き、
しみじみと心地よさを感じる時。
それは、おいしいごちそうを食べた後の
満足感に似ています。
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talk
時間をかけて
自分の解釈を深めていく朗読。
五感で味わい、心に風景を描く和菓子。
その世界観に似たものを感じます。
(篠田)
らしの中で交わす言葉が身に付いて
山 根 何 より 大 事 なのが「 自 分の
気 持 ち を 言 葉で表 現 すること」で
いる『ごんぎつね』の朗読会をするこ
小 学4年 生の教 科 書に掲 載されて
篠田尚久●しのだ よしひさ
(株)両口屋是清・代表取締役社長
に少なくなったのですね。 今の子ど
いないのは、親や先生以外の大人と
す。 言葉が不十分で良い人間関係
お 話 をいた だ き ま し た。 そこで、
もたちの言葉の現状とは?
ふれあう機会がないことが影響して
とに。 市 内 の小 学 校から2名 ず
いるでしょう。
を 築 け ないと、 協 力 が 得 られ ず、
山 根 二極 化していると思います。
読み聞かせの活 動に参 加した子 ど
くなるような言 葉 を 平 気で発した
付 けていま す。 一 方で耳 を 塞 ぎた
山 根 情 報 交 換のツールとしては
便 利ですが、基 本 的には道 具だと
りかもしれませんが……。
篠田 子どもたちは、メールやLI
NEなどで気持ちを伝えているつも
子どもの心に
言葉の種を蒔く
力を育てたいと思っています。
い関 係 を 築 くことのでき る 言 葉の
なる。 地 域 社 会の大 人の力で、良
のある物 語ですよね。 読む人の年
ぎつね』を読み込みました。
半 年 間、毎 月2回 集 まって、『ごん
朗 読グループのメンバー、計
代 までの
り、 空 疎 な 言 葉 しか口にでき ない
思います。言葉は五感を伴って初め
代 から
子 も。 言 葉 は 鏡のよ う な もので、
て相 手の心に届 く もの。 話 す 表 情
つの児 童 と、
自 分が投 げかけたのと同じ言 葉が
山 根 それが面 白いのです。 年 代
ごとに問 題 意 識や関 心の持 ち 方が
幸せな人 生を切り拓 くのが難しく
返ってくるのです。
やしゃべり 方 …… 身 体 全 体で感 じ
クト」に取り組まれましたね。
味を理 解し、自 分なりに解 釈して
中に物 語のシーンを 思い浮かべなが
山 根 呼 吸や発 声など、朗 読の基
本はあ り ま すが、本 番では自 分の
というのでしょうか。
篠 田 朗 読 会 といっても 読 む 練 習
だけではないのですね。 心で読む、
その経 験 がこの先、 自 分 らしい人
地 域で取 り 組 も うという 人が多 く、
頭で考 え、自 分の言 葉で話 すこと。 名の募 集に240名の応 募があり、
ててください、と。 自分の目で見て、 てるリーダーを育成しています。
葉の種 を 蒔 くことはでき たと 思い
うれしく思っています。
取ることで、そのニュアンスが伝わる
にい み なん
ら、そのイメージを聴く人に伝えて
生を築く力になると信じています。
名が
篠田 残 念ながら、それを正 す 機
会も少ないですね。
ものです。
山 根 この年は童 話 作 家の新 美 南
きち
吉の生 誕100年で、 半 田 市 が 運
いきます。 解釈は百人百様です。
や耳に届く肉声の響き、声のトーン
山 根 学 校ではスピーチやディスカ
ッションなど、公 的な話し方は教 え
篠田 ええ、その通りです。 文 字
だ けでは 伝 わ りにくいし、 相 手の
営 する新 美 南 吉 記 念 館から朗 読の
篠 田 2013年には、 愛 知 県 半
田市で「みんなでごんぎつねプロジェ
要 だと思 うのは、日 常で隣の人 と
反応もつかめません。
「 聴 く 」は、菓 銘を耳にして、そこ
いき ま す。 悲しみを 表 現 するのな
そ して「 言 葉の力 を 信 じる子 ども
篠 田 私 たちにもできることはあ
りますか?
座 を
」 開 講し、 朗 読 を 通して地 域
の人々をつなぎ、子どもの言葉を育
ら、 それまでの時 間の中で感 情 を
を 育てたい」という 私の思いの実 現
篠田 児童文学といっても、死や寂
しさを 扱 う など、 悲 し く、 味わい
齢や 状 況によって、 受 け 取 り 方 が
随分違うと思います。
違い、 世 代 を 超 えて話 すことで意
に広がる世界を連想することです。
朗読の世界観に似ていますね。
山根 ええ。 季節感や歴史、湧き
あがる情 感など、 深い背 景がある
素晴らしい日本の文化ですね。
篠 田 ところで最 近、 人の話 を 聴
いて涙があふれることがあります。
年をとったせいでしょうか(笑)。
山 根 和 菓 子 をいただきながら話
みずしく、季節が移り変わっている」
山根 それは、感性が深まっていら
でもあります。
す 場 を、ぜひ! 子 ども た ち がい
ろんな 年 代の人に触れて言 葉 を 聴
など、 小 さなことに喜びを 得られ
くりにこれからも励んでいきます。
っしゃるのですよ! 感じる心があ
れば、「 青 空 が き れい」
「 緑 がみず
篠田 そうした活動をする指導者
の育成に取り組まれているとか。
く 機 会 を 増やし、また大 人 もつな
ますよね。
篠 田 和 菓 子 は五 感で 食 す もの。
菓子は心の栄養にもなりますね。
がりができて、 皆で子 ども を 育て
ます。 あとは自 分で水をやり、育
醸成していくのです。
篠田 時 間をかけて言 葉を自 分の
ものにしていく 意 味 が 見 えてき ま
した。 ぜひ聴いてみたいですね。
34
70
る意 識 も 生 まれま す。 おいしい和
自分の目で見て、頭で考え、
自分の言葉で話すこと。
言葉の力を信じる子どもを育てたいのです。
(山根)
近著の『こころの声を「聴く力」』
(潮出版社)
で
は、数々の著名人へのインタビュー体験でのエ
ピソードと、そこから得た、聴くための極意が綴
られる。また、日本の季節感を表現する美しい
言葉が集められた
『話したい、使いたい 心とき
めくことばの12か月』
(KADOKAWA)
を監修。
ま す。でも、私が子どもたちに必
心 を 通わせるための言 葉です。 暮
山 根 す ぐに成 果が表れるもので
はあ り ませんが、 子 どもの心に言
山根 公益財団法人文字・活字文
化 推 進 機 構で 朗
「 読指導者養成講
もたちは、多 くが言 葉の力 を 身に
13
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篠田 なるほど。 感 性 を 大 事にし
て、お 客 さまの心に響 く 和 菓 子づ
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日本近代文学館は、明治以降の全文学者を
対象に文学資料を収集・保存する施設として
1963年に発足、67年に目黒区駒場に開館。
作家の原稿や書簡、日記や遺品、初版本や
稀覯本、雑誌、同人誌など、資料は110万
点以上。春秋には特別展を開催。国や自治
体の援助に頼らず、作家や研究者、出版社、
新聞社、文学を愛する人の協力のもと独立採
算で運営を続ける。ブックカフェを併設。
山根基世●やまね もとよ
アナウンサー。1948年山口県生まれ。早稲
田大学卒業後、NHKに入局。美術や旅の
番組、主婦や働く女性を対象とした番組、
NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」
「映
像の世紀」など大型シリーズのナレーション等
を数多く担当。女性として初のアナウンス室
長となる。退職後は放送体験を生かして朗読、
読み語りなど、さまざまな活動を行う。2011
年より女子美術大学非常勤講師、15年より
公益財団法人文字・活字文化推進機構にて
「朗読指導者養成講座」
を開講。著書多数。
特集
人生の節目ごとに祝う儀式。
すなわち通過儀礼に託す想いは、
いのち
夫で長生きしている人の力にあやか
結婚式は、成長した霊魂と成熟し
長 する期 間と考 えられた。 そして
の時 期は肉 体も成 熟し、霊 魂も成
めの技量を身につけようとした。こ
をしつつ一人前として認められるた
織り、裁縫といった家事見習いなど
の活動をおこなった。 女児もまた機
霊 魂と肉 体との結 合・分 離を確 実
人 生 儀 礼はこの世における生 を
全 う することを 願っておこなわれ、
ていくための儀礼でもあった。
だけでなく 生 者が生 者として生 き
り 返したが、これらは死 者 を 送る
決別した。 その後も年忌供養を繰
合って食べる食い別れをして死 者と
四十九日目には一つの餅を引っ張り
かなものとする儀 礼がおこなわれ、
の後 も、七日ごとに霊 肉 分 離 を 確
に葬 送の儀 礼がおこなわれた。 そ
肉 体 を土に返し、霊 魂 を 送るため
やがて、肉 体が衰 えると霊 魂は
分 離し、死 を 迎 える。 その折には
であった。
なものとするための信 仰 的 な 意 味
喜寿
た肉 体とが結 合したことを社 会 的
古稀
と社 会 的 承 認を得るための要 素を
厄年
に承 認される儀 礼であ り、男 女と
初誕生祝い
七五三
成人式
結婚
もっていた。
初節供
もに一人前になったことを示す機会
お食い初め
「生命」
への憧憬。
びっく り した 状 態 を「タマゲタ」
というが、 それは一 時 的に肉 体か
るように、 長 寿の人の着 物の端 布
三歳・五歳・七歳と年を経るごと
に、しだいに魂も肉体に落ち着いて
ひゃく
とも言われ、肉 体と霊 魂とは不 安
いき、七五三の祝いを終える頃には
初宮参り
が じゅ
ら魂の消 えた状 態である。 永 久に
をたくさん集めて縫い合わせた「百
定な状態にあると考えられたため、
産 神の加 護から離れ、地 域の守 護
お七夜
その昔、元服、結婚、賀寿は、
三大祝儀と呼ばれていた。
折り目、節目を無事に通過し
幸せでいられるようにとの願いは、
重厚な日本民族の文化を育んだ。
そして、通過儀礼の「礼」には、
魂 が 消 え 去ってし ま う と 死んでし
継 着 物 」などを 着せて、 その生 命
産 神の加 護や人々の助 力 を 受 ける
神である氏 神の傘 下へ入った。 この
年忌供養
地域の力で大人にさせるという
い
ま うので、消 えた魂 を 呼び返した
力にあやかろう とした。 儀 礼 をお
ために、儀 礼はあ まり 間 をおかず
時期は、現在の学齢期と重なってお
死
丸型塗箱に、ツンとお澄ましで鎮座する上生菓子たち。ハレの日
の祝い参りに使いたい引菓子。上段には小豆こし餡入りの薯蕷
饅頭にお宮参りの鳥居と杉木立の社を焼印。こなし製の鈴からは、
音色と共に神様来臨か。仕上げは下段の菓銘『笑顔』の紅白餅。
家族や周囲の人々からの祝福が聞こえてきそう。特製『七五三引
菓子』
(
『いとをかし』誂)
、両口屋是清謹製。
傘寿
倫理的規範や作法が宿っていた。
せ
儀礼 にみる
「生」の成就
り、留めたりする必 要があったし、
こな う 際には家 族・親 族・地 域 社
民俗学者
そうした魂の在り方を社 会 的に示
会の人々が 集 まるので、 母 親 も 孤
は ぎれ
す 必 要もあり、それぞれに儀 礼が
独な子育てをせずにすんでいたので
つぎのきもの
あった。
におこなわれた。 初誕生がやってく
り、中 学を卒 業 する十五歳 頃にな
ある。
る頃には歩 き 始めるが、 それまで
ると、男 児は祭 りや労 働 力などに
特に誕 生 後 一 年 間は、 くしゃみ
をしただけでも 魂が抜 けてしま う
は特に注 意 すべきであると考 えら
おいて、ムラの重要な構成員として
うぶ がみ
出産・誕生
特 集
倉石あつ子
帯祝い
多 くの人の助 力 も 必 要で、特に丈
受胎
れていたのである。 また子育てには
itowokashi vol.24
11
還暦
くらいし あつこ●1945年長野県生まれ。
國學院大學文学部卒業。 博士(民俗
学)
。2015年3月まで跡見学園女子大学
文学部教授。学部長、花蹊記念資料
館長を務め、民俗学、女性と文化、伝
承文化論、日中韓比較文化論などを講
ずる。また、文化審議会専門委員などを
務める。著書に『女性民俗誌論』
(岩田
書院)
『
、柳田国男と女性観』
(三一書房)
、
『子どもと老人の民俗誌』
(岩田書院)
『
、女
の眼でみる民俗学』
(共著・高文研)
、
『人
生儀礼事典』
(共編著・小学館)他。
い と を か し
日本料理の
しきたりと
賀寿の祝い膳
長寿を願う「賀寿の祝い」は、「賀
の祝い」
「 算 賀 」とも 呼ばれ、 長 命
きなど、 白さを 老 人の髭になぞら
また養老豆腐、養老蒸し、養老焼
こ と が 長 寿 の 膳 では 許 さ れ ま す 。
を 祝い、 元 気で長 生 き することを
に変 化しました。 奈 良 時 代の長 寿
う 年 齢や祝 儀の内 容は時 代ととも
奈 良 時 代 頃からの歴 史があり、祝
ること。 健 康 上 問 題 がな け れば、
長 寿 を 祝 う 膳で重 要なのは、主
役の好みや健 康 状 態に十 分 配 慮 す
ことも。
願 う 慶 事です。 中 国 伝 来の風 習で、 えた山の芋を使った料理が供される
の祝いの最初は 歳で、聖武天皇の
歳の賀が初 見とされます。 また、 主 役の好 きな料 理 を 最 良の味で供
ハレ着をととのえ、食活では「ハレの
のことを「ハレ」と区別し、衣服では
と、 歳、 歳、 歳、 歳、 歳、
見られます。 室町時代後期になる
が鳩の形 をした鳩 杖 を 贈る風 習が
平 安 時 代には竹 杖やにぎ りの部 分
膳が完成するのです。
祝儀の思いを込めることで、賀寿の
すのが 何 よりのもてなし。 そこに
日本料理人 現代の名工・農林水産省 日本食普及の親善大使
一 国の文 化は、 その国の宗 教や
建 国の神 話、風 俗や習 慣に支 えら
料 理 」が作られま す。 それぞれの
長島 博
40
れ、 歴 史・民 族の変 遷の軌 跡 とい
70
77
88
歳 を 節 目に、 年 祝いが行われる
61
日 本の料 理には神 道の思 想から
生 まれた多 くの約 束 事やしきたり
食文化に大きな影響を与えました。
やす く、日 本では、神 道 と仏 教が
えます。 食文化はその影響を受け
と食べ物は一 体 化し、「 行 事 料 理 」
をする習わしが生まれます。 行事
に客が集 まり、神 仏とともに食 事
を 祀ることから法 事 となり、そこ
た、 神 を 祀ることからお祭 り、 仏
形式化した料理が生まれます。 ま
持つ意義に合わせて、長い習慣から
た姿が老 人 を 思わせ、堂々たる姿
が伊 勢 海 老。 髭が長 く 腰の曲がっ
加えて、長寿の膳の定番といえるの
用する点は他の祝い膳と同様です。
長 寿の祝いの膳では、赤 飯や鯛、
昆 布 などの祝いの材 料、 料 理 を 活
ようになったとされます。
は格の高い老 人 を 象 徴。 姿 造 りを
料 理は、日 本 料 理に数々の技 術や
の言 葉が使われるようになり まし
はじめ、複 数の料 理に海 老 を 使 う
があ り、また仏 教の修 行 僧の精 進
習 慣を教 えました。 昔から普 段の
た。
「考える力」もそのとき若 返ったの
ときであった。
八 十 歳 を「 傘 寿 」なんていうのも、
だ。 このよ う に 自 在 に「 考 え る 」
この世に生 を え た 出 発 点に還った
漢 字 な らではの愉 快 さ だ。「 傘 」
ことこそが「 考える力」であり、「 老
「 傘 」は「八」の下に「 十 」で八十 。
という 文 字 は、「 人 」が 大 勢いて、
人力 」なのである。
視 覚 的な面 白さもある。
をいうのだ 。
す なわち「 門 」のなかに「 音 」!
「 闇 」とは 神の現 れ た 瞬 間の輝 き
ということらしい。
人 も 大 なり とは、 頭の中が大 きい
字 とな す、 と 中 国の古 書 はいう 。
いよ広いのである。
え体は縮んだって、頭のなかはいよ
老いたからといって「 大」の字にな
って寝ころんではいられない。 たと
ニコニコしている、 といった 風 情で、
を重ねて「サンジュ」となった。
ことを「ケ」、晴れがましい表 向 き
イ コ ー ル
考 える力=老人力
のススメ
ジャーナリスト
でおしまいだ。
轡田隆史
祈っていると、神がお出ましになる
「 人 」といえば、天も地も大なり、
英 語 で は、「 喜 寿 」も「 傘 寿 」
もない。 ただ「ハッピー・バースデー」
気配、
幽かな音がそのあかしである。 人も大なり。ゆえに人が手 足を広
が、 姿は見 えない。 草 木のそよぐ
き、 遅 ま き ながらこの文 字の成 り
そ れ を「 闇 屋 」だ とか 悪い意 味
に用いるのは 神 意にそ む く 行 為で
つまり、体の大 きさではなく「 考
える力 」の大 きさをいうのである。
かす
「 闇 」という 漢 字の姿にこころ引か
立ちが気になった。
ある、という 。
「 闇 」という 文 字によって漢 字の面
くつわだ たかふみ●1936年東京生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日
新聞東京本社に入社。社会部デスク、
編集委員などを経て論説委員となり、夕
刊一面コラム「素粒子」の執筆を8年間
担当。退社後、テレビ朝日系ニュース番
組「ニュースステーション」
などのコメンテー
ターや、日本大学法学部非常勤講師を
務める。日本記者クラブ、日本ペンクラ
ブの会員。ポーラ伝統文化振興財団評
議員。著書に『それでも
「老人力」』
(三
笠書房)
など多数。
書をはじめたのは還 暦のころだっ
た。
文 化 勲 章 受 章の学 者、 白 川 静
が独 力で仕 上げた辞 典『 字 通 』
(平
「 闇 」によって、漢 字の面 白さに目
白さに目 覚めたのが「 還 暦 」のころ。
げた姿 をかたどって「 大 」という 文
凡 社 )に驚いた。
覚めて 幾 星 霜 。いつの間にか 馬 齢
れて、 大 き な 紙に書こう としたと
おまかに言うなら、「門」は神
びお
ょう もん
の廟 門 を 意 味 する。 夜、その前で
いく せい そう
ながしま ひろし●1946年神奈川県生まれ。
東京・築地本願寺「日本料理紫水」元取締
役総料理長。現在、東京エアポートレスト
ラン
(株)取締役総料理長、銀座「長峰」
代表取締役。
(一社)全国日本調理技能士
会連合会専務理事。2008年、ワシントン
DC のケネディ・ センターで開催されたジャ
パンフェスティバルで日本料理を披露。厚生
労働大臣表彰「現代の名工」(08年)
、食
生活文化賞金賞
(12年)
を受賞。黄綬褒章
(13年)
。著書に『日本料理の新味』
(旭屋
出版)
など。
42
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99
い と を か し
人の手と地の利が実をなす
4760本の「丹波栗」
丹波農園
谷 正義
京都府と兵庫県にまたがり、山々に囲まれた風
光明媚な丹波地方。「丹波栗」は、この地の特産品。
しゅうち
色艶の美しい大きな粒と甘み豊かな風味が特徴です。
知(現在の京都府船井郡京
私どもが、故郷である須
丹波町)で「丹波栗」の栽培を始めたのは、 年ほど前
量は、197 年の1500tをピークに減少を続け、現在は
の日照時間が必要です。 京都における「丹波栗」の年間収穫
植樹後は自然に果実がなると思われてきた栗は、実は大変
繊細で、桃、りんご、みかん、柿などの果実の中でより多く
従業員と共に、現在、4760 本の栗を育てています。
され、栗栽培の全国的な指導者である荒木 齋 先生と3人の
ひとし
のこと。 植栽面積は 。 長年栗の生理・生態を研究
30
の林木化、樹の衰弱、枯死を引き起こし、栗農園の廃園に繋
剪定作業を徹底しています。 従業員3人で全ての木を剪定す
がりました。 そのため私どもでは、日照対策に一番力を入れ
るのは骨の折れる作 業ですが、ここは生 産 者の腕の見せ所。
葉が落ちた1月、木の繁みの隅々まで日光が入るように枝を
間引きしながら、樹高を ・5m に抑えます。
種 類の「 丹
〜 tの年間収穫量を目標に励んでいます。 また、
「筑波」
「丹沢」
「ぽろたん」などおよそ
「銀寄」
ぎん よせ
ました。
の指導の下、現在は質・量共に安定生産ができるようになり
栽培を始めて最初の数年間は、冷害などによって900本も
の幼木を枯らしてしまうほど被害を受けましたが、荒木先生
緒になって初めてうまれるのです。
大粒で甘味とコクのある「丹波栗」は、人の努力と地の利が一
実の表面への適度な水分となり、栗の旨味を増してくれます。
丹波高原独特の気候、風土も、良質の「丹波栗」をつくる
大 切な要 素です。 昼 夜の寒 暖 差は実を引 き 締め、霧は葉や
3
肉質、加工適性別に提供できる体制は、素材に合わせて手を
加えていく和菓子職人さんからの信頼に繋がっていると自負し
ています。これからも「丹波栗」を日本最高の栗として故郷に
熟すと自然落下する栗。イガの裂け目か
ら実が顔をのぞかせているものを収穫し
ていく。9∼10 月の収穫時には、延べ
100名以上の人手を借りる。収穫したて
の栗を0℃近くで30日程度寝かせておく
と、実の主成分であるでんぷんが酵素に
よって糖に変化。甘味が約3倍にもなる
という。選別機で1L、2L、3Lのサイズ
別に分けた栗は、人の目で最終確認。
手作業で虫食い穴のあるもの、色の悪
いものを取り除いて出荷する。
12
tほどですが、その背景に見えるのが日照不足。これが栗
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波 栗 」を 品 種 別に栽 培しているのも、私 どもの強み。 甘み、
10
40
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残せるよう、努力を続けていきたいと思います。
たに まさよし● 1935年京都府生まれ。須知高校
卒業後、
京都銀行に入行。90年に退職してからは、
兄が経営する木材開発(株)へ。木質廃材のリサ
イクル事業に携わると共に丹波農園を開園。「須
知の恵まれた環境を活かして故郷へ貢献したい」
という亡き父の願いを胸に、「丹波栗」のブランド
化を目指す。
用の美
と
も
昭和 (1955)年、菓子職人、野尻吉雄さんが両口
れいもつ
屋是清に入社して3年目を迎える頃は、礼物の注文に追
真っ白な薯蕷饅頭を目にする機会は、とんと少なくなった。
もの誕生祝いに親戚や近所に配る紅白饅頭、葬式でもらう
は、高度経済成長期(1960年代)以降。 今では、子ど
ような風習は影を潜める。日本の儀礼が大きく変化したの
人を和ませる力があるという。だが、いつの頃からか、その
おめでたいとき、かなしいとき、人が集まるところには、
いつも和菓子がそばにあった。一説には、甘い物は本能的に
「入社した の頃、日本通運の馬車が、まだ舗装されてい
野尻さん、十干十二支をひと巡りだ。
をつくっていた気がします」。 今年で職人歴 年を迎えた
人生で何かあるたびに、和菓子に置き換えて、新しい菓子
った粽が、両口屋是清で商品化されました。 振り返れば、
家族を思ってつくった菓子が、商品づくりのヒントになる
こともあったという。「生まれたばかりの長男のためにつく
を織部色で表わすなどの気遣いが必要です」
松、また松の中でも若松ではなく老松とし、老木の風合い
を形にすることができるからだ。
菓子では、職人の技によって、子どもの成長や長寿の願い
当時、和菓子は儀礼の席で重宝されていた。甘さがもた
らす効果はもとより、その姿と菓銘に意味をもたせる和
仕事の段取りを考えていました」
が良い日の前日は大忙し。いつも暦とにらめっこをしながら、
は菓子のことを点心と呼びますが、それは人の心に喜びを
験を積めたのは、とにかく菓子が好きだったから。 中国で
だり、昔の記録を頼りに具現化したり、好奇心旺盛に経
と、その思い一心で菓子づくりに専念。 新しい知識を学ん
から機械化が進んだ今日まで、お客様の期待に添うように
た。 今でもその情景は鮮明に覚えています。 不便な時代
ない桜通りをパカパカと走り、本社へ小豆を運んでいまし
喜昆布
絵馬
「傘」の略字「仐」が八十と書くことから「傘
寿」。傘は開くので開運の意味も。こなし製
の紅白の生地に傘を表わす型を模す。
「喜」の略字「㐂」が七十七と読まれることか
ら
「喜寿」。古くから縁起物とされ祝い膳にも
出されてきた昆布を、ういろう生地に巻く。
「人生七十、古来稀なり」
(杜甫)
。昔は人生
50年と言われ、70歳まで生きるのは珍しいと
されていた。薯蕷饅頭の絵馬に長寿を祈願。
友白髪
老松
福俵
「百」
の字から
「一」
を引くと
「白」
になることから
「白寿」
。白髪に見立てた苧環(おだまき)
製。
野尻さんがつくった祝い菓子の中で最高齢。
「卒」の俗字「卆」が九十と書くことから
「卒
寿」。千載の齢を経ても緑を保つ松の老木
にあやかり
「老松」。希少なわらび製。
「米」の字が八十八と書くことから
「米寿」。
末広がりの「八」の字が二重に使われること
から、そのめでたさを祝う。薯蕷饅頭。
お い ま つ
が
と も し ら
かんれき
還暦 60歳(数え61歳)
ま ん ね ん た け
暦が還る、生まれ年に戻るという意味で
「還
暦」。万年茸は縁起物。飾りや献上品とし
て古来中国で重宝されていた。
万年茸
え
ぶ
よ ろ こ ん
赤に染めたこなし生地で包餡し、細長く丸める。せん
すじの板で万年茸の模様を付け、手で形を整えれば完
成。「シンプルですが、手で形をつくるのに技が必要。
昔は三ツ盛菓子として注文が入っていましたが、ここ何
十年とつくっていません。とくに中国では、万年茸その
ものに健康的な効用があると信じられており、すべての
賀寿の祝いに使える縁起菓子です」。
「注文を受けた時期(季節)やお客様が希望される予算、
63
ちまき
われることがしばしばあった。「とくに大安、吉日、日柄
長するイメージの竹ではなく、樹齢を経るごとに趣が増す
のじり よしお● 1937年岐阜県生ま
れ。父親を早くに亡くし、職人として
身を立てることを決意。15歳で、
「生
まれたときからおるような」という両
口屋是清に入社。ご用聞きを2年、製
餡を8年担当した後、焼菓子を6年、
干菓子を8年経て、上生菓子の職人に。
「起きている間はお菓子のことを考え
ている」という人生を送る。入社当時
から描きためてきた和菓子のスケッチ
は、両口屋是清菓子見本帖として保管
されている。
与えることを意味します。 お客様を笑顔にする、その心
蛇の目
め
ふ く だわら
好みに合わせて、賀寿の祝いだけでも何十通りもの菓子を
古希 70歳
こ
き じゅ
米寿 88歳
意気が、いつの時代であっても菓子づくりの原点です」
喜寿 77歳
さんじゅ
べいじゅ
卒寿 90歳
白寿 99歳
ま
傘寿 80歳
じ ゃ
そつじゅ
はくじゅ
き
つくることができます。ただしモチーフには、ぐんぐん成
15
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野尻吉雄の美しきこと
賀寿の祝い菓子
が
じ ゅ
技
心 を点 す和菓子
い と を か し
い と を か し
季節を表現する日本ならではの感
つ用には餡入りの焼き菓子を鞄に
を点て、干菓子といただく。 おや
和 菓 子 をいた だ くのが日 課 だ。
毎朝ラジオの生放送の前にお抹茶
に、余計な肩の力が抜ける。 周り
その繊細な世界観への感激ととも
と、どこか凜とした気持ちになる。
そして、茶道のお稽古の中で出
会ったからか、和菓子と向き合う
性にも女子心をくすぐられる。
忍ばせている。 夜は、自宅でとって
の空気が澄み、時の流れがゆっくり
フリーアナウンサー、エッセイスト
おきの生菓子と濃茶一服……嗚呼、
に な る。 無 意 識 に 顔 がほころび、
本当の宝が、宝に見える。 生きて
玉 生 地でいちごを 包んだ、 ちょっ
のお 菓 子 店 を 真 似て、 白 餡 と 白
は、母手作りのいちご大福。 地元
甘いモノには目がない僕です が、
お菓 子 と言われて思い浮かべるの
て呼ばれることも。
チらに“勝利を呼ぶスイーツ”なん
た日は試 合によく 勝つので、コー
す。いちご大 福の差し入れがあっ
でのキャンプまで持って来てくれま
第
回
左党オヤジの甘口入門
谷 浩志
お酒 との付 き 合いが始 まるのは 歳。 我
が国では成人となって初めて「公式」に飲める
コラムニスト
二十歳は人生の
仮免許!
25
だった。1978年から 年間、成人式と入
にメッセージを送る新聞広告シリーズが秀逸
ようになる。 この「最大の節目」に、新成人
20
住吉美紀
幸せ。
薬 だ。 開 眼 す る と はこのこ と か。
る。 和菓子とお茶は、幸せの特効
の組合せに。 絶妙な美味しさに舌
いるうちに気づけてよかった。 少し
和菓子に楊枝を入れる瞬間を愛で
元々、洋 菓 子の方が好 きだった。
それが昨年、お茶を始めたのがきっ
と心を奪われ、今や別人のごとく
おおげさだけど、そう思うのだ。
と変わったいちご大福です。
振 り 返 れば、 僕の野 球 人 生に
伴走するようにいちご大福があり
年・成人の日)と優しく締める。
当時、先生は 歳前後だったと思うが、その
変なんだ」
(
免 許が取れないのだ。 諸 君! この人 生、大
くいう私自身であるが、実は、いまだに、仮
での約束を守れ」と3つの指摘をした後で「か
酒 を 飲むことは自 分 を 知ることだ、酒の上
そして「憂さを払うような悲しい酒になるな、
ただけなのだ。 仮免許なのだ」と檄を飛ばす。
から酒を飲むことについて勉強する資格を得
なったと思ったら大間違いだ。 諸君は、今日
「二十歳の諸君! 今日から酒が飲めるように
許 」と 銘 打たれた作 品。 それは、いき な り
文庫)。 中でも記憶に残るのは、「人生仮免
ているほど渾身の力作(『 行きつけの店 』新潮
案を考えるのに七転八倒する」と書き残され
短 文 を 寄せた広 告だ。 ご本 人 も「 毎 年、文
社式の日の朝刊に、山口瞳さんが素晴らしい
15
かけで恋に落ちた。 お茶と和菓子
和 菓 子 党に。 色 や 形の愛 ら し さ、
続 く 差 し 入 れの定 番に。 広 島 東
物心がついた頃からバットとボー
ルで遊んでいた僕は、小 学 生から
ました。プロ入りまでの道のり を
洋カープに入団してからは、ホー
野 球 一 筋。 母 は、 部 活や 試 合の
見 守 り、 今 は 試 合 を 楽 しみにし
中東直己 プロ野球選手
際に、よ く 手 作 りのお 菓 子 を 差
てくれている母。いちご大福を作
孝行なのかもしれません。
ム戦や、夜中に車を走らせて宮崎
し 入 れ に 持って 来 て く れ ま し た。
り 続けてもらうことが、母への親
年
78
こと、こっそりお教えします。
羹は、日本 酒とのマリアージュが最 高である
生のものだ。 最 後に、同 店の秋の栗 蒸 し 羊
さんの母 上のアイデアで出 来、今のロゴは先
東京では、三田の「大坂家」の和菓子がお
好みだった。 ここの「 織 部 饅 頭 」は、山口瞳
じゅう。
しく 思い出 す。 よく 合 うのです。 酒とまん
イスキーの水割りのつまみにしたことを懐か
僕はそのうちの一つをホテルに持ち帰り、ウ
まんじゅう 」を 買ってご馳 走 してく ださった。
京都に行けば、昼間は奥様と「麩嘉」の「麩
ふう か
ヒー も よ く 召 し 上 が る「 左 右 両 党 」だった。
文壇酒豪番付ではいつも横綱級だった先生
だが、実は和 菓 子 も 洋 菓 子 も、お茶 もコー
も取れず、この薫陶を胸に刻む日々なのです。
年 をはるかに過 ぎた私 自 身、いまだ仮 免 許
53
たに ひろし● 1953年兵庫県生
まれ。大阪大学人間科学部卒
業後、サントリー
(株)に入社。
PR誌『サントリークォータリー』
の編集長を務め、日本PR誌コ
ンクールでグランプリを3度受賞。
同誌で「山口瞳追悼号」
を発行
し、話題を集める。山口氏の
小説などに「須磨クン」のニック
ネームで登場。また、椎名誠氏
が主宰する
「あやしい探検隊」
では幹事役をはたす。アウトドア
と旅と酒をこよなく愛す。日本旅
行作家協会会員。
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19
高 校 生のと き だったか、このいち
ご大 福 が 好 評で、 以 来、 約
20
すみよし みき● 1973 年神奈川県生まれ。国際基督教大学卒業後、96 年にアナ
ウンサーとして NHK に入局。「プロフェッショナル 仕事の流儀」や海外中継番組な
どを担当。2007年には
「第58回 NHK紅白歌合戦」の総合司会を務めた。11年、
フリーに転向。現在、
ラジオ番組「Blue Ocean」
(TOKYO FM)
、
テレビ番組「オ
ンナの解放区」
(BSジャパン)
などに出演。著書に
『自分へのごほうび』
(幻冬舎)
がある。ヨガの指導者資格を持つ。
なかひがし なおき● 1981年広島県生まれ。小学校1年生から野球を始める。広
島工業高等学校卒業後、東亜大学へ入学。4年生時に捕手として出場した明治
神宮野球大会で優勝。第32回日米大学野球選手権では日本代表に選出される。
その後、JR西日本硬式野球部、Honda鈴鹿硬式野球部を経て、2006年のドラ
フト会議にて広島東洋カープに入団。07年のフレッシュオールスター・ゲームにて
MVPを獲得。現在、外野手を務める。
Made in japan
『野末の秋』川合玉堂 1927年 岐阜県美術館蔵
Made in japan
路
Along a mountain path, a single flower
山路でふと目にとまる一輪の花や、
stretch into the distance catch the eye.
Sweets that portray the changing
autumn landscape spark nostalgia
in the hearts of Japanese.
or the terraced golden rice fields that
遠く続く黄金色の棚田の風景。
移ろう秋の情景を映した菓子は
日本人の心に郷愁を誘います。
ませていま す 。 隠 された 歌 人の意
暦の上では9月は中 秋、 月が
晩 秋 。 きびしい残 暑 も9月に入 り、 図 から、 野 原 を 詠んでいる歌の世
界に、 朝 露にぬれた 桔 梗の花の姿
の わき
はく
なでしこ
二百 十 日の野 分の通 過で涼 しい風
はぎ
が浮かびます 。
ろ
に変 わり ま す 。 二十 四 節 気の「 白
輝き、中 秋の名 月ともなれば、人々
やかな夜 空に月はひときわ大 き く
草の葉に白い露が結ばれま す 。 爽
き ました。 菓 子の世 界でも、花の
どの意匠としてさまざまに使われて
姿から、着 物や帯、家 紋、文 香な
る美しい花色と整った花弁、端正な
露」
( 今 年は9月8日 )を 迎 えるこ
や撫 子 と並んで秋の七草に数
萩
ろには、 夜の間に大 気 が 冷 え 込み、 えられる桔 梗は、桔 梗 色 と言われ
はススキや桔 梗 を 飾 り、 月 見 団 子
形を手 技で形 作る主 菓 子や、木 型
でかたどる落 雁が、 茶 席で秋の訪
ふみ こう
や、里 芋や枝 豆などの畑 作 物 をお
供えして収 穫を祝います 。
の姿を抽 象 的に表しました。
れをそっと告げてくれます。
秋 季の菓 子「 花 桔 梗 」は、 秋 草
にまじって咲 く、凜として美しい花
あき
秋ちかう 野はなりにけり しらつゆ
くさ ば
白露の 置ける草 葉も
色かはりゆく
(古今和歌集 紀友則)
(野には秋が近づいてきた。 白露が
ころだなあ )
端 正な姿とは、また別の風 情があ
つけ た 様 は、 月 見の茶 会で見 せる
な 色 を 重 ね、 ちょこんと 白の蕊 を
しべ
小豆こし餡を道 明 寺で包み、桔
梗 色に染 めた ういろうのやわらか
この歌の御題は「きちかう(桔梗)
のはな」。 冒頭に、
「秋ちか(近)う」
りま す 。
置かれた 草 葉 もだんだんと色づく
と音 便 形 を 使い、桔 梗の意 味 を 含
の姿を描 きました。 実り豊かな田
園 風 景 を も 思 わ す 菓 子の意 匠 が、
を 模した細い線に頭 を 垂れる稲 穂
9月が野 分と月 見の時 季だとす
れば、 月は実 り 月。 野の草が花
を 咲 かせ、田んぼの稲や 山 野の果
さな へ
郷愁を誘います。
きのふ
昨日こそ 早苗取りしか
いな ば
「 豊 葦 原 之 千 秋 長五百 秋 之 瑞 穂
と
わ
あし
( 豊かな水に恵 まれ、葦が生い
国」
くに
とよ あ し は ら の ち あ き の な が い ほ あ き の み ず ほ の
茂るところには、 永 遠に稲 穂 が 実
日本人にとって、稲はかけがえの
ない も ので す。「 古 事 記 」に も、
いつのまに 稲
秋風の吹く
る)と書かれた日本国の姿が記され
葉そよぎて
たのはつい昨日のことだと思っていた
(古今和歌集 詠み人知らず)
なわ しろ
( 苗 代の早 苗をとって、田植 えをし
ていま す。 そ して、日 本 民 族の総
二百 十 日のころ、 一 面に小 さな
花 を 咲かせた 稲田が、やがて穂が
のだろう)
た。 春の田 植 え、 夏の灌 水、 秋の
て、 古 くより 大 切にされてき まし
あるお米は神々からの賜りものとし
瓊 瓊 杵 尊を地 上に降 臨させる際に
あまてらすおおみかみ
のに、いつの間に秋 風が、稲 葉をそ
氏 神 とされる天照 大 御 神が、孫の
黄 熟して重 そ うに下 垂し、黄 金の
稲 刈 り、 冬の田 起こし。 稲 作はい
ににぎのみこと
よそよと鳴らして吹くようになった
稲 穂の波 を 立 たせている。 稲は秋
つも、暮らしの中 心にあったのです。
菓 子は少 ないのだそ う。 秋 季の菓
えるのは、日本人の心に宿る八百万
秋の里 山の田園 風 景が懐かしく 思
かん すい
持 たせたのが 稲 だとか。 稲の実で
ますが、意 外にも秋の実りを表 す
の季語として多くの歌に詠まれてい
子「穂波」は、白と黄色のこなしを
の神々のお陰かもしれません。
やおよろず
重ねて小 豆こし餡 を 巻 き、風の波
Hana-kikyo
Autumn confectionary
Autumn confectionary
Rice is regarded as a precious gift from the Shinto deities. Honami has a smooth sweet bean
paste center which is wrapped in layers of white and yellow konashi, a white bean paste mixed
with wheat flour. Depicting a bountiful autumn harvest, Honami portrays a rural landscape
where the golden brown bowing heads of rice sway gently in the breeze.
These confectionaries are created by Ryoguchiya Korekiyo (est. 1634).
The harvest moon is observed with tsukimi-dango (sweet rice dumplings)
and the “seven flowers of autumn”, one of which is the bell flower. The noble,
bluish purple bell flower is a popular design. Hana-kikyo depicts this majestic
flower in an autumn field. We used a smooth sweet bean paste as a center and
wrapped in a rice powder crepe and then in a sweet rice jelly casing.
Honami
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物が、実りのときを迎えます。
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itowokashi vol.24
21
い と を か し
デッサン&菓子制作・監修/野尻吉雄(表紙、10、16)
い と を か し
谷に愚 痴った。 TVの仕 事で何 度 か 「 そん
菓 子 を 深 く 理 解 す るには 歴 史 を 知 ら な
きゃ… … 夏の終わり 頃、酒の席で加 奈は茶
史に関 する本 を 何 冊か出している。
ーの殿 崎さん。 某 大 学の客 員 教 授で、日本
するのは、茶 谷 編 集 長に紹 介されたライタ
井 香 奈 は 今日 も 早
2015年・爽 秋 。 天
朝の新 幹 線で京 都へと向かう 。 取 材に同 行
んも 一 緒にいてく れるけれど、ま ずは学ん
を聞き出す……それが私の役割。 苦手な歴
ある世 界 観 を 理 解したう えで、より 深い話
『 甘 くて 深い和 菓 子の世 界 』第2 弾の取 材。
でも今回は長 くペンディング状態だったムック
とした味 噌 味のパン、みたいな 」とか、かも。
事 なら、ま ず 直 感でコメントだな。「 も ちっ
風 」を口にし…… う〜ん、TVレポートの仕
なこと も 知 ら ないの 」という 対 応 を さ れ
凹んでいたのだ。 普 段は皮 肉 屋の茶 谷 だが、
だ知識をもとに、自分の言葉で話してみよう。
な
その時 は「 ま あ、 誰で も そこか ら だ 」と 励
「 司 馬 先 生は随 筆で〈石 山 合 戦のときの携
か
ましてく れ、それだけでな く〈こいつと 会っ
帯口糧 〉と 表 現 していま したが、 粗 野 だ け
あま い
てみろ〉と殿 崎さんの連 絡 先 をLINEで!
ど白 味 噌の上 品 な 甘 さが残るしっとり とし
西 本 願 寺の東 本 願 寺に対 する通 称、「 調 進
しつつも、加 奈は「 松 風 」の真 髄に迫るため
加 奈の言 葉 を 聞いた殿 崎が「やるな」とい
った 表 情で 笑 う 。 その笑 顔に 一 瞬 ドキッと
まで思い描かれているようです 」
史 分 野 をサポートしてもらうために殿 崎さ
味 覚 を 文 章で表 現 するには、菓 子の背 景に
… … それが縁で今 回、亀 屋 陸 奥の菓 子「 松
た 食 感で す ね。“ 松 風 ”という 菓 銘の意 味
超短編小説
第十二話
編集者・香奈がいく甘紀行
風 」を 一 緒に取 材 することになった。
と も あいまって、 当 時の戦 場の侘 びた 情 景
菓子の背景に
ある世界
堀 川 七 条の角に「 本 派 本 山 松 風 調 進 所 」
と店 名より 大 き な 看 板が出ている。 殿 崎の
文・多田洋一
所 」が 受 注 生 産の意 味 と 知っている。 も ち
の取材 を続 けた。
レクチャーを 受 けた加 奈は、「 本 派 本 山 」が
ろん「 松 風 」が 登 場 す る 司 馬 遼 太 郎の『 燃
えよ剣 』『 関ヶ原 』等 もしっかり読破してきた。
「 知 識は菓 子 をおいしくしてくれるよ」
ただ よういち ●﹃ごくせん﹄(日本テレビ放送網)、
﹃踊る
大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 ﹄(扶桑社)な
どドラマや映画のノベライズを多数手掛ける。個人誌﹃ウ
ィッチンケア﹄主宰。同誌第6号は2015年4月に発行。
Editorial Staff
エディター イン チーフ/矢崎潤子
エディター/高井紀子、殿井悠子、中野幸子
デザイン/ 杉本千夏
題
字/ 小迫かをり 表紙の結び/関根みゆき
撮
影/ 板野賢治(表紙<和菓子・結び>、6、10、14、16、20、22)
、
圡田有里子(4)
取材・文/ 嶺月香里(4)
、高井紀子(6)
、
中野幸子(14)
、殿井悠子(16)
、増本幸恵(20)
イラスト / 殿井悠子(22)
校
正/ 竹内映子
英
訳/ 株式会社エイアンドピープル
殿 崎の言 葉に笑 顔で頷 き、加 奈は店 内へ
入る。 担 当 者から供された本 家 本 元の「 松
号にいただいたご意見から抜粋しました __
皆さまとのコミュニケーションをめざして
__
●対談に登場している小泉武夫さんの大ファンです。 日本の食文化を守り、後世に
伝えようとされる熱心な姿、応援しています。(愛知県・Tさん)●特集扉の菓子
「鮎」を拝見し、早速両口屋是清さんに買いに出かけたところ、発売前でしたが作っ
Tさん) ● 特 集『 贈 』の「 菓 子を贈る文 化 」を読んで、「ぼた餅 」と「おはぎ 」の名
ていただけることに。 週末、新茶といっしょに美味しくいただきました。(愛知県・
前の由来になるほど、と思いました。(愛知県・Kさん)●「日本人の贈るこころ」
の中で、“お裾分け”と“お福分け”の違いを知りました。これからは心して使わな
くては。(愛知県・Kさん)●廣八堂さんのお話。 なかなか本蕨粉を見ることがで
きなかった理由がわかりました。 また、「“美味しさ”の極み」の水羊羹には、野尻
さんの気合いを感じました。 写真がすべてを物語っています。(長崎県・Nさん)●
多田洋一さんの超短編小説に登場した弥生さん。 京の女性そのもので面白かったで
歳、風流が少
す!(岐阜県・Nさん)●エッセイに共通して“おばあちゃん”との思い出。 すばら
しい。(愛知県・Kさん)●和菓子は季節感が溢れていいですね。
企画・プロデュース/ 株式会社アフタヌーンソサエティ
ストリートメディア 谷 浩志
編集・制作/ ジェイプリント株式会社
株式会社オフィス ノベンタ
02……遠きにありて 北村 薫
04……「通筥」のつぶやき 中川 武
06…… 山根基世さんに聞く
豊かな言葉はおいしいごちそう
10…… 特集 礼
11… 儀礼にみる「生」の成就 倉石あつ子
12… 日本料理のしきたりと賀寿の祝い膳 長島 博
13… 考える力=老人力のススメ 轡田隆史 14…… 人の手と地の利が実をなす
4760本の「丹波栗」 谷 正義
16…… 野尻吉雄の美しきこと
18……あなたにとって和菓子とは?
住吉美紀 中東直己
左党オヤジの甘口入門 谷 浩志
20……実りの和菓子
22…… 編集者・香奈がいく甘紀行 第十二話 多田洋一
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vol.24 itowokashi
itowokashi vol.24
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しはわかる年齢になりました。(三重県・Kさん)
2015 年 9 月 1 日発行
発行/株式会社 両口屋是清
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内三丁目14︲23 TEL:052・961・6811(代表)
FAX:052・961・5275
http://www.ryoguchiya-korekiyo.co.jp/
【 い と を か し】Vol.24
表紙の菓子/
「乙女菊」。薯蕷饅頭をほんのりピ
ンク色でぼかし小菊の焼印を捺す。霜が降りる頃
まで路傍に咲き続ける乙女菊の可憐な様を写す。
表紙の結び/蝶をイメージした結び。サナギが
美しい姿に変身することから、再生のシンボルと
される蝶。その生態を通過儀礼に重ねる。
和菓子職人の竹ベラ・竹箸
/門松の竹を職人自ら削
り、道具とする。
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◎皆さまからのご意見・ご感想を
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short story
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