平成27年9月2日(水) 11:00∼ 上のマッカ遺跡 現地公開資料 竪穴住居跡から出土した円筒上層式土器と礫石器 公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 所 在 地:九戸郡洋野町種市有家第5地割地内 事 業 名:三陸沿岸道路建設事業 委 託 者:国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所 発掘調査期間:平成27年6月15日∼ 調査対象面積:約 3,700 ㎡ 調 査 担 当 者:久保賢治・高橋義介・久保友咲 【はじめに】 上のマッカ遺跡は洋野町有家第5地割地内に位置する縄文時代の遺跡です。本調査事業は、三 陸沿岸道路建設工事に伴うものです。6月後半から調査を開始しました。本日はその成果をご説 明いたします。 【上のマッカ遺跡はどんな遺跡?】 ○時代と位置 上のマッカ遺跡は縄文時代の遺跡です。東に開けた緩斜面地に立地しています。標高は約90 mあります。調査以前は畑や植林された杉林でした。 ○竪穴住居跡 竪穴住居跡と確認できるものが2棟 見つかりました。時代は縄文時代の前 期(約6000∼5000年前)のも のと思われます。竪穴住居跡からは炉 や埋設土器、壁溝(へきこう)がみつ かりました。遺物は縄文土器、石器が 出土しました。 下の写真の住居の大きさは直径約4 m、壁の高さは高いところで約 60cm あります。円形で周囲には壁溝(周溝) が状態良く残っており、住居を一周します。 床面積は8畳ほどで す。 壁溝 壁溝が複数本確認で きることから拡張(現 在のリフォーム)を行 っているのがわかり ます。 写真中央には炉と 埋設土器が見えます。 竪穴住居跡の想像図(御所野遺跡公式 HP から) 竪穴住居跡の全景写真 地床炉(右写真) 住居の中心部に焼けた土(赤い部分:焼 土)が確認できます。床に直接薪をくべ、 火を燃やした跡です。このような炉を地床 炉(じしょうろ)といいます。その中央部 には埋設土器が見えます。どのように使用 していたのかは不明ですが、想像が膨らみ ます。埋設土器の内部からは土に混じり炭 化物が出土しました。科学分析を行う予定 です。 石囲炉(左下写真) 下の写真のように石をロの字状に並べ炉として使用していました。このような炉を石囲炉(い しがこいろ)といいます。石囲の内部は被熱の影響で地面が赤やオレンジ色に変色し、炉石は風 化が進んでいます。炉石はこの周辺にみられる花崗岩が主として使われています。 複式炉(右下写真) 石囲(石をロの字状に並べた部分)が複数あるため複式炉(ふくしきろ)といいます。これは 縄文時代の中期(約4000年前)にみられる炉です。よく観察すると石囲の石の大きさ、燃焼 面の高さや幅が異なっていることが分かります。また写真手前左側の大きな石は炉を作るために 持ち込んだ石ではなくもともとこの場所にあっ たものを利用しています。 ○土坑(右写真) 土坑(穴)が20基以上みつかっています。 直径は 90∼100cm 前後が多く円形で底は平 らです。特に集中してみつかった部分があり ました。用途は不明ですが、食糧の貯蔵穴と 思われます。浅いタイプと深いタイプがあり、 並んでいるようにも見えるところもあります。 じっくり観察してみてください。
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