2015年 9月 10 日 第 282 号 発行所 石 井 記 念 友 愛 園 宮崎県児湯郡木城町椎木 644 番地 ゆうあい通信 〒884-0102 ℡ 0983-32-2025 愛の道に坂なし 園長 児嶋草次郎 石井十次セミナー(8月 30 日)の、感性への心地よい刺激の余韻にひたって いる暇もなく、秋を迎えています。 9月に入ったらできるだけ早く秋野菜の大根、人参、カブ、そして白菜等の種 まきをやってしまわなければならないのですが、秋雨が続いていて、9月5日現 在でまだ終えることができていません。 5日(土)には、台風で吹き飛んだハウスのビニールを子ども達とともに張り 直し、ハウス内のコンニャクの一部を収穫をしてみました。2月に植えたコンニ ャクの収穫量は 112Kで、一番大きなイモは1個で 1,7Kほどもありました。一 応成功と言ってよいようです。できるだけ早く植えて、できるだけ長時間太陽の 光の下で炭酸同化作用をさせることでイモも大きくなるのでしょう。無農薬コン ニャクのできあがりです。先日ためしに加工してもらい食べてみましたが、弾力 があって歯ごたえも良く、味は上々でした。刺身で食べると格別です。 さて、今年の石井十次セミナーについて、今回は書かせていただきます。出席 されてない方々のために、私の理事長としての挨拶を先に載せさせていただき、 その後に私の感想を付けることで報告とさせていただきます。 このセミナー前後に 10 名以上の石井十次・岡山孤児院関連の研究者達が石井 記念友愛社に集まって来られ、その方々との交流も、この田舎で生活している私 にとっては、新しい都会の臭いや情報を得ているかのような気分にひたれる一時 であり、また、岡山孤児院発掘作業の成果の一端に触れさせていただける機会と もなり、大いに刺激的で、ありがたい石井十次ウィークとなりました。 みなさまこんにちは。第 18 回石井十次セミナーに御参集いただきまして、あ りがとうございます。主催者を代表しまして、一言御挨拶申し上げます。 このセミナーは、もともとは、石井十次・岡山孤児院研究者達の研究成果を石 井記念友愛社の職員や地域の人々に少しでも還元しようという思いから始まっ 1 ています。今回も石井十次研究者が 10 名ほど全国各地から集まって来て下さっ ています。長い人はもう 30 年くらい石井記念友愛社に通って来て、資料の発掘 と整理にあたって下さっています。その研究結果は「石井十次資料館研究紀要」 等に結実しています。今回 16 号が出来ました。石井十次研究で「博士」を取ら れた方もいます。石井十次・岡山孤児院研究も随分進んでおります。若い研究者 も育ちつつあります。 そこで、2年ほど前から、少し趣を変えまして、外国から講師をお招きするよ うになりました。一昨年度は、イギリスのバーナードホーム(現バーナードズ) から2人の職員をお招きしました。石井十次が最も模範とした施設でした。ちょ うどこの頃から、子どもの貧困対策の一つであります日本の社会的養護の支援体 制が大きく変わり始めておりまして、現代のバーナードズからも多くを学ぶこと ができました。 昨年度は、中国・韓国・フィリピンから講師をお招き致しました。新しい社会 的養護の支援体制の目指すものが、あまりに英語圏の欧米へ片寄りすぎる、つま り表面だけをマネしようとしているのではないかという疑問から、アジアの「家 族主義」つまり、子育てのあり方をもう一度検証しておきたいという気持ちにな ったのでございます。国家体制は違いますが、中国の取り組みは参考になりまし た。 今年度は「アメリカの児童福祉の光と影」がテーマです。アメリカの情報はよ く入って来ますので、今回は、その周辺について学ぼうと考えています。 ところで、福祉現場で働いている私は、「子どもの貧困」を考えるにおいて、 三つの視点が必要であると考えています。 一つは、貧困防止のための経済対策あるいは経済的支援が必要であるとする視 点であります。ごく当然のことです。日本の相対的貧困率の上昇が問題になって おり、昨年は、地元宮崎日日新聞が大特集でこの問題を取りあげ、繰返し告発し ました。 この貧困対策・支援については、国や行政の責任として取り組んでいかねばな らないと考えています。 二つ目は、文化的貧困に対する支援が必要であるとするとらえ方です。これに ついては説明が必要であります。私達は、現代の子どもの貧困は、二種類の貧困 が絡まり合っていると解釈しています。マスコミは経済的貧困だけを強調しがち ですが、私達現場の人間からすると、現代日本においては、文化的貧困の方がも っと深刻であろうと考えています。 具体例で説明します。最近、ある若い大学の先生が訪ねて来られました。応接 2 室で色々話をしているうちに、その先生は自分は非常に貧しい家庭で育ったと告 白されました。私は、その貧しさから這い上がる時のエネルギーは何だったので すかと尋ねました。するとその先生は、父親の後姿であり、「大学まで行け!」 と励ましてくれた父親の言葉であると答えられました。 この若い大学の先生の家庭は確かに貧困家庭であったのかもしれないけど、そ れは経済的貧困であり文化的貧困ではないのであります。つまり、家族、家庭と しての機能がまだ働いていたということ。親の役割、家族規範、道徳、しつけ、 互いの励まし等、人が生きていくための文化の伝承が健全に行われたと思われる のであります。 これらの機能が崩壊することを家族崩壊といいます。その現象を文化的貧困と 言うのであります。 その大学の先生の家庭は、確かに経済的には貧困家庭であったのかもしれない が、文化的には貧困家庭ではなかったのであります。だから貧困という谷間から 這い上ることができたのであります。戦後まもない頃の日本の家庭の多くがその ような家庭でありました。 一方、ゴミ屋敷の中で生まれ、育っている子ども達が現代の世の中にはいます。 足の踏み場もないほどのゴミの中でまた悪臭のこもる空間の中で、非常に片寄っ た食事を食べながら体だけが成長していくのであります。幼児はやがて小学生と なり中学生となり、大人に近い年齢となりますと社会に放り出されていきます。 人間として生きていくための生活習慣、知恵、方法等が身につかないままに社 会人となってしまうのであります。そのような環境に置かれている状況を文化的 貧困と呼びます。そしてそのような環境で育った人間は、また同じような生活を 繰返すことになります。これを私達は貧困の連鎖と呼びます。 私達現場の福祉人達の課題は、この文化的貧困に対する支援であると言っても 良いと思います。今極端な例を話させていただきましたが、これからの児童養護 施設、また保育園等に期待される支援であります。石井記念友愛社では、今年度、 県西地区の高原町に新たな児童養護施設を作りますが、これは文化的貧困支援の 拠点作りと位置づけることもできます。 次に三つ目の視点は、貧困の連鎖を絶つというとらえ方です。児童養護施設は この連鎖を絶つための施設と言ってもよいでしょう。親に代って、基本的生活習 慣等この社会において生きていくための知恵や技術を教えるところです。 九州保健福祉大学を経営する学校法人順正学園が「十次記念奨学金制度」を作 って下さり、今年度2名が進学することができました。来年度は5名が進学を希 望しています。大学進学は、連鎖を絶つための重要な支援策であります。 3 以上、少し長くなりましたが「子どもの貧困」に対する三つの視点を紹介させ ていただきました。 今年は、石井十次生誕 150 年という年であります。昨年度は没後 100 年でし た。生誕 200 年の時には、この会場にいらっしゃる方々の多くは、もうこの世 にはいらっしゃらないと思います。50 年に1度しか来ない大きな節目でありま す。その節目に皆様とともに巡り合ったことを感謝し、感謝するだけでなくその 精神や文化をつぎの世代につなげられるように、与えられている課題に取り組み たいと思います。皆様の御支援御指導をこれからもよろしくお願い致します。 愛の宇宙の中を、思いが縦横無尽に飛び回っている。一言で言うと、阿部志郎 先生のお話(基調講演「変革の時 若い福祉人に告ぐ」)はそんな感じでした。 私達よりイメージの世界がかなり広いので、話の展開を追いかけていくのは容易 なことではありません。自他不二、互酬、相互扶助、そのような日本の文化を基 底とするキーワードをメモしていくのが精一杯。4年前の東日本震災時の人々の 助け合いは、まさにそのような精神文化の社会化であり、西洋人達を驚嘆させた わけです。またアンデンティティ、世阿弥の言った「離見」という言葉を使いな がら、石井十次は、孤児救済に「のめりこんでいきながら、全体を見失わなかっ た」とも説明されました。その感性の豊かさのなせる技なのだそうです。 器の小さな私には、阿部先生が伝えようとしたことの 10 分の1も受けとれて ないのでしょうが、テープを聞き直すなどして反芻していきたいと思います。し かし私にとって、阿部先生には、言葉以上にその背筋をのばし粛然としたお姿と、 聖職者のように自律的なオーラに魅力を感じていますので、89 歳とは思えない お元気な立居振舞いに接することができ、満足でした。このような先生の生きる 姿勢に、私達は力をいただけるのです。 九州大学の野々村淑子先生には、 「 『家庭的』という価値観の淵源をさぐり、現 代の社会的養護のあるべき姿を考える」という題で話していただきました。 野々村先生は、500 年前のイギリスに立ちかえりながら、現在児童養護の世界 で一つの旗印となっている「家庭的」について歴史的に解説されました。まだ研 究途上と前置きはされましたが、私にとっては“目からウロコ”で、これからの 「小規模化」に向けて、随分気分的に余裕を持てるようになった気になっていま す。 500 年ほど前までは、あらゆる階層において子どもを従弟や奉公というような 形で他人に委託する慣習があり、あたたかなイメージの「家庭的」という“価値 観”は近代以降に形成されたとするのです。そう言えば日本においても丁稚(で 4 っち) 、小僧というような名称でそのような養育のしくみはありました。 現代の児童養護施設の小規模化の流れの中において、心理学者のや人権主義者 等によって、 「家庭的」は一つの“真理(善) ”になりつつあります。小規模施設 (職員3人程度)においてバーンアウトする職員がけっこう多いと聞いているの ですが、それらの職員は「家庭的」を真理化してしまい、(バイブル化と言って もよいよいかもしれません)うまくいかない場合には罪障感を抱いて自責の念に 駆られてしまうということが多いのではないでしょうか。「家庭的も一つの価値 観なのだ」を自分に言い聞かせることで、随分楽になるのではないかと思います。 価値観が急に変ると人間はアイデンティティの崩壊におちいる場合があるので す。 京都大学の倉石一郎先生の話は、 「アメリカにおけるスクールソーシャルワー カーの歴史―現代日本の教育と福祉の連携を見すえて―」。私達福祉現場の人間 にとって、スクールソーシャルワーカー分野はまだ未知の世界です。しかし、 「子 どもの貧困」が深刻化している現状の中で、今後行政としては最も力をいれてい かねばならない世界とも言えます。小学校・中学校等の貧困児童を一番把握でき ているのは、学校の先生方であるだろうし、福祉の専門職であるスクールソーシ ャルワーカーがいることで様々な専門機関につなぐこともできるでしょう。倉石 先生の調査によると、宮崎県が 10 人に対し、鹿児島 43 人熊本県が 20 人という ことですから、本県においてはまだまだ未開拓のようです。 アメリカという国は移民国家であり、その教育の発展過程において様々な学校 におけるトラブルが発生したことは容易に想像できます。倉石先生は、その歴史 をたどりながらスクールソーシャルワーカーが専門職化していく姿を説明され ました。 アメリカの児童福祉と言えば、光の部分だけが紹介されがちですが、その歴史 をたどることで影の部分も見えてきます。それらの光の部分は先人達の苦しみの 中で形づくられていったものであることを私達も知らねばなりません。 最後に発表された北九州保育福祉専門学校の安東邦昭先生は、石井十次資料館 研究員でもあります。以前のセミナーで発表されたこともあり、今回の題は「ハ ワイに点された望郷の灯火―岡山孤児院の慈善会活動―」。ハワイへの追跡調査 をパワーポイントを使いながら現代の情報もおりまぜて分かりやすく紹介され ました。国が斡旋する本格的ハワイ移住が始まったのは明治 18 年(1885 年)か らだそうですが、石井十次は明治 32 年(1899 年)にはもう幻灯隊による寄付募 集に行かせています。岩村真鉄、渡辺栄太郎、長谷川昇二郎の3人でした。移民 の人達は、まだ苛酷な労働の中で非常に貧しい生活を送っているのに、なけなし 5 のお金を寄付したと、安東先生は説明されました。 阿部志郎先生の話の中に出てきた、相互扶助、互酬の精神が、日本人としての 誇りとともに生き続けていたのでしょう。 このアメリカの寄付募集は、第二陣(明治 35 年 1902 年 林長知) 、第三陣 (明治 41 年 1908 年 小野田鉄弥、高原壽正)と続いています。安東先生は、 アメリカ本土でも調査をされていますので、次の発表を楽しみにしたいと思いま す。 ちなみに、石井十次は渡航前、小野田鉄弥の聖書の扉に「愛の道に坂なし 大 胆の中に妙法あり」と記しています。彼らを鼓舞する言葉でした。彼ら職員達の その時の使命感をイメージしながらこの言葉を思い出し、私自身興奮状態におち いりました―。 6
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