版 シリーズ み 読 立 ち 80 株式会社麻布タマヤ 代表取締役社長 志賀 しが りつこ 律子 PROFILE さん 80年続く内装問屋に生まれる。高校卒 業後に渡米してカリフォルニア州立大 学に学び,現地企業で働いていたが,父 親の健康問題で帰国し,経営をサポー ト。父親は回復するが,そのまま日本で 海外にかかわる仕事をした後に,実家 の会社を引き継ぐ。銀行との交渉など を,周囲の支援を受けて乗り切り,経営 の充実を実現して現在に至る。 i n t e r v i e w 株式会社麻布タマヤ 代表取締役社長 志賀 ̶̶ 志賀社長は,麻布で長い歴史を持つ家業 ないタイプだったようです。 「うちはつぶれ が危機的状況のときに引き継がれたそうです ていないのだから,つぶれた所から取り立て ることはない」と話していました。その考え 方は,父にも私にも受け継がれました。当社 は,顧客や銀行からの信用はあったのですが, そのような理由で負の遺産がたまってきてい ました。 その後,不動産の取得などを行ったことで, 銀行からの借り入れは増えていきます。経営 状況の良い時は良かったのですが,マイナス がふくらんでくると,担当者がどんどん変わ るようになり,それまで培ってきた信用が 受け継がれなくなってしまいました。 「良い ときはいいが,悪くなると手のひらを返した ように対応が変わる」とは聞いていましたが, そのとおりだと実感しました。 そして,資金繰りに非常に困ってつなぎ融 資をお願いした際,担当者からは「大丈夫だ ね。どのような経緯からだったのでしょうか。 もともと当社は,80 年ほど前に私の祖父 が創業した内装材料を扱う問屋でしたが,時 代の流れとともに,この業態で事業を続けて いくのが難しくなってきました。問屋という 中間的な業態を飛ばして,製造者と施工者が 直接取引するケースも増えており,ユーザー に直接提案して施工したりしなければ,生き 残れなくなってきたのです。 内装の業界は体質が古く,さまざまなしが らみが存在するため,問屋から小売に展開し ようとすると,一斉に周囲から攻められるよ うな時代が続いていました。とは言え,やが て流通は合理化され,問屋という業態だけで は存在が難しくなるだろうと思い,細々と施 工などを手がけるようにしてきました。 バブルがはじけた頃から,会社の経営は難 しくなってきました。それまでの問屋経営は, 仕事を取りに行かなくても,商売上で自然に 通されていた時代が続いていましたからね。 しかしバブル崩壊後は,流通の見直しやイン ターネットの登場などで競争が厳しくなり, 積極的に営業せざるを得なくなります。組合 との関係もあり,なかなか難しい局面でした が,黙っていれば仕事は減る一方でしたので, それまでのやり方を変えていくしかありませ んでした。 ̶̶ その時期は流通の構造改革もあり,問 屋や商社という中間業態を飛ばすことが多く なりましたね。厳しい時代で,存続できなく なった会社も数多くありました。 創業者である祖父は近江商人の出で,信用 を大切にするスタイルを貫き,銀行との取引 も1行と長く付き合うというやり方でした。 顧客の倒産による貸し倒れなどもありました が,祖父はそういった所からの取り立てはせ ず, むしろ応援するようなことをしていました。 不良債権の取り立てなどは,心情的にでき ろう」と言われていたのですが,支払い目前 になって,融資ができない旨を伝えられます。 当時は,父親が言われるがままに,土地・建 物・株などすべてを担保に入れており,他行 へ行ってもこれ以上融資を受けるのは難しい 状況でした。 困り果てて周囲に相談すると,それまで 培ってきた信用が役立ったのか,多くの方々 が応援してくれ,何とか乗り切ることができ ました。当時,担保に入れていた自社ビルの 不動産価値が随分と上がっており,銀行が取 得して売り払えば,かなりの利益を取れる状 態でしたので,もしかするとそれを狙って, 支払い直前で融資を断ってきたのかもしれま せん。 このとき,弁護士,税理士,不動産会社, 元銀行員の方などが相談に乗ってくれたので すが,不動産売却を考えていた際,ある銀行 関係者が,公共機関の行う制度融資について 教えてくれました。それまでの取引銀行では, 一切教えてくれなかったのですが,行ってみ ると,相談員の方が融資を進めてくれること になりました。 律子さん 問屋という中間的な業態を飛ばすケースが増え ユーザーへの直接提案などをしなければ生き残れなくなってきた 142 回 写真:安岡 嘉 年続く内装関係の問屋に生まれる。 高校卒業後に渡米、カリフォルニア州立大学に学び、社会貢献などの意識を高めるが、 父親が倒れたため、帰国して会社の経営を代行する。 後に、父親は経営に復帰するが、そのまま日本にとどまり、 海外大学の日本進出や英語の論文添削などの仕事を立ち上げる。 その後、麻布タマヤの専務を経て社長に就任するが、 それまでの負の遺産により、銀行からの融資がおりず、経営危機に。 その際、公共の相談制度を活用し、 診断士などのサポートを受けて融資を獲得。 東京都の経営革新計画認定も受けて経営の充実を実現し、 セレンディピティ企業を目指す経営者に話を聞いた。 第 経営者 (㈱クオリティ・オブ・ライフ代表取締役 高知大学客員教授/成城大学非常勤講師 ) 聞き手・文章:原 正紀 診断士の支援で経営危機を突破 セレンディピティ企業を目指す経営者 挑戦 する 企業診断 2015/3 7 ⇒続きは雑誌で
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