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画業50周年記念展出品「横臥裸婦」
(1984年)
若州一滴文庫開館30年
須田剋太展
SUDA
KOKUTA
2015年5月13日㈬∼8月10日㈪
若州一滴文庫 本館1F
須田剋太展記念講演会
▪会 場
▪入 館 料
▪お申込み先
美術評論家 中塚 宏行氏
「須田剋太の芸術世界−オブジェと造型」
2015年6月7日㈰
記念講演
13:00∼
ギャラリートーク
14:40∼
記念講演
:くるま椅子劇場
ギャラリートーク : 本館展示室1F
300円
NPO法人一滴の里事務局 TEL.0770-77-2445
若州一滴文庫
福井県大飯郡おおい町岡田33-2-1
特定非営利活動法人 一滴の里事務局
TEL:0770-77-2445
FAX:0770-77-2366
HP:http://www.itteki.jp/
[休館日]火曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
若狭本郷駅
小浜 線
〒919-2116
若狭高浜駅
至
若狭和田駅
県道 号線
▪講 師
▪演 題
▪日 時
おおい町役場
16
舞
鶴
IC
県道
1号
線
大飯高浜 IC
舞鶴若狭自動車道
加斗駅
国道 27号線
本郷小
小浜西 IC
大飯中
若州一滴文庫
須田剋太展
SUDA
KOKUTA
須田剋太 略歴
1906年(明治39)
埼玉県吹上町、
須田代五郎、
ふくの三男として生まれる。
1927年(昭和2)
埼玉県立熊谷中学校(旧制)卒業。以後浦和に移り
東京本郷の川端画学校に通いはじめる。
1936年(昭和11)
文展「休憩時間」初入選。
1939年(昭和14)
第3回新文展「読書する男」特選。
1941年(昭和16)
浦和を出て群馬県妙義山にこもる。
1942年(昭和17)
第5回新文展「神将」特選。
1946年(昭和21)
第3回日展「ピンクのターバン」特選。
1949年(昭和24)
光風会より国画会会員となる。
また、抽象絵画の長谷
川三郎と出会い共鳴。以後、抽象画を制作。
この頃よ
り道元『正法眼蔵』
に傾倒する。
1950年(昭和25)
岡田静と結婚。
1955年(昭和30)
毎日新聞東京ビエンナーレ国際美術展に「時代の変
心」
「不協雑音」
「作品11」
を出品。以後昭和41年ま
で
(昭和38年は除く)
同展覧会出品。
1957年(昭和32)
ブラジル・第4回サンパウロ・ビエンナーレ展出品。
1962年(昭和37)
西宮市民文化賞受賞。
1971年(昭和46) 1月より
『週刊朝日』司馬遼太郎「街道をゆく」連載が
始まり、
挿絵を描きはじめる。
1973年(昭和48)
兵庫県文化賞受賞。
1976年(昭和51)
吹上町文化賞受賞。
日本橋三越本店にて個展開催。以後昭和53,
54,56,
58年に開催。
「仏頭」56×44㎝ グワッシュ
中條榮一氏所蔵
11月3日 大阪文化賞受賞。
1981年(昭和56)
須田剋太展記念講演会
▪講 師
▪演 題
▪日 時
▪会 場
▪入 館 料
▪お申込み先
美術評論家 中塚 宏行氏
「須田剋太の芸術世界−オブジェと造型」
2015年6月7日㈰
記念講演
13:00∼
ギャラリートーク
14:40∼
記念講演
:くるま椅子劇場
ギャラリートーク :本館展示室1F
300円
NPO法人一滴の里事務局 TEL.0770-77-2445
朝日新聞社より
『原画集街道を行く』
を出版。
1983年(昭和58) 『週刊朝日』
「街道をゆく」の挿絵で講談社出版文化
賞受賞。
1984年(昭和59)
名古屋にて個展開催。
10月 自選グワッシュ画集『私の曼陀羅』
を光琳社出
版より出版。大阪・名古屋・東京にて
『私の曼陀羅』原
画展を開催。
1988年(昭和63)
大阪にて個展開催。
2月 第17回フジサンケイグループ広告大賞受賞。
1989年(平成元)
埼玉県立美術館「須田剋太作品(抽象)展」開催。
1990年(平成2)
長野県飯田市美術博物館「須田剋太の世界」開催。
この年の7月14日逝去(84歳)。
画集「私の曼陀羅」参照
水上勉がかつて伏見の輜重隊で輪卒をつとめていたとき、仲間の一人に越前紙漉き屋の御曹司がいた。その友人とは戦後も交友が
つづいていたが、彼は長年須田剋太に専用の和紙を漉いて納めており、水上は友人宅で須田作品に出会う。そして日を経て「街道を
ゆく」の挿絵の画風に魅かれ、個展の鑑賞を重ねるうちに須田と親交をもつようになった。
須田剋太の画集「私の曼陀羅」に水上勉は「唯我独尊の旅人」と題する賛を寄せた。