内 堀 守 発行人 人 法 団 社 益 公 発 行 「 高校生の成長に出会うとき、 希望としての生徒会 ・高校生の自主活動」 「 高校生の自主活動 ・生徒会活動を考える」総合研究会 だ け で な く、 体 験 す る こ と が 重 要 」 という発言がありました。主権者と して必要な力をHR活動・生徒会活 月 日(土)高校会館で開催さ れました。参加は 数名と少し寂し かったですが、内容の濃い学ぶこと ○ Rづくりの 年間 井沼淳一郎氏(大阪高生研) 「希望としてのホームルーム ・ 生徒会をどう育てるか」 回の総合研究会を開催しました。 動や自主活動を通じて育てようと今 校生活指導研究協議会)の理論家・ R 実践家を講師に招きました。高生研 は 「 歳を市民に」を合言葉に づくり・生徒会づくりの理論と実践 を研究する民間サークルです。 ○教室で、学校で市民を育てる 月のHR開きから始 かそう!」で講師の佐貫浩氏(法政 育のススメ憲法を学ぼう!憲法を生 状況について話していただきまし とそれを困難にしている現代社会の まって 年間を見通したHRづくり 大学)は、子どもたちの世界あるい よる方法」が対抗している、教育実 法」と「暴力による支配と被支配に た。 Rについて、 生徒会活動の基礎単位であるH 1 今 回 は 大 阪 と 青 森 の 高 生 研( 高 の多い研究会でした。 10 は教室は「人権と民主主義による方 4 H 地域から近現代史を問い直す 左上7頁『胡桃澤盛日記』(7 頁) 右上『軽井沢浅間杯』(5 頁) 下「なぎさのランウェイ」(4 頁) 6 月では良い出会いの場をつく り、 活 動 の 楽 し さ を 体 験 さ せ ま す。 月の遠足などの行事では班活動の 会では憲法改悪の危機感の中で「民 起しました。また、高教組の定期大 ることに全力で挑戦して欲しいと提 すこと、子どもを教室で市民に育て 界や教室に民主主義の政治を作り出 体の活動を仕切るリーダー候補が登 でクラス全体の一体感が生まれ、全 す。 最初の人間関係のトラブルも生じま スの中に居場所を得ますが、一方で、 リーダーが登場し、生徒たちはクラ 月の体育祭などでは練習など 主主義について教科書の言葉を学ぶ 践や学級づくりを通して子どもの世 1 6 教文 通信 今号の紙面より… 12 18 2013年度夏季合宿研「憲法教 H 4 5 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (1) 教 育 文 化 会 議 長野県教育文化厚生協会 教 育 文 化 会 議 ●おもな内容● 高校生の成長に出会うとき 01-03 希望としての生徒会・高校生の自主活動 がん治療最前線 ( 学保全県研究会) 03-04 今を生きる高校生 04-06 07 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (2) 教 育 文 化 会 議 場 し ま す。 月 月は文化 くり)へとダイナミックに発展させていきます。 ○消費者の群れとなったHRは生徒会の基礎 単位にならなくなった し か し、 井 沼 氏 は こ う し た セ オ リ ー 通 り に H R集団づくりができない現状にあるといいます。 年代以降の大幅な選択科目の増加を背景として 「市民を育てる、 市民として扱う生徒会活動」 酒田孝氏(青森高生研) の地味でうまくいかない日々の中で「私たちはこ の討論と決定が行われます。そして、文化祭まで 的なクラス全員 ど、 初 め て 実 質 なったことを原因として指摘します。消費者の群 育サービスの消費者として位置づけられるように が学校づくりや生徒会活動の自治的主体でなく教 から学習集団に発展させていく道筋の喪失、生徒 生徒の居場所としてのHRの喪失、HR活動の中 みが特徴的だといいます。 事が活発であること、ボランティア活動の取り組 生徒総会での発言が活発なこと、文化祭などの行 ており、予算配分や出納を生徒が行っていること、 酒田氏が勤務する青森県立三沢高校の生徒会活 動について報告していただきました。三沢高校は んなに頑張っているのに、あの人たちは…」とク れとなったHRは、行事活動も生徒のストレス解 ○ 「生徒会予算を教材にすること」にこだわ る 月は文化祭の到達点を踏まえた 名ほどの執行部がいつも活発に活動し ラスに分裂と対立が生じます。一方で一人一人の 消か、「思い出づくり」に終わってしまいがちです。 祭に臨みます。 ての自治活動だけでなく、生徒の生活と結んだ学 H R づ く り の 課 題 は、 生 徒 会 の 基 礎 単 位 と し 算を編成しています。手順は①各部の予算要求 ②在庫・活動状況調査 ③予算折衝 ④1次回答 っていると言います。3ヶ月以上かけて丁寧に予 算し、監査を行ことの教育効果は絶大で、酒田氏 もあります。また、文化祭を通じて登場してきた びを提起し、学ぶHRづくりにもあります。HR る課題は一層深刻になっています。 新しいリーダー層が生徒会役員に立候補していき で起きる数々の「事件」を掘り下げていけば、「い ○ 自 主 活 動 ・自 治 活 動 を通 じて何 を育 てる か? と仲間の評価が行われます。 クラス文集づくりを通じてクラス総括・個人総括 ーダー層による学年行事の運営に挑戦し、最後は 独自のHR活動を展開します。そして、学年のリ ールづくりとルールを作るルールの討議、クラス してのHR」の再生が始まると課題を提起して講 生徒が他者と世界に出会い直すとし、「居場所と にしていくかが、指導の課題です。学びを通じて 的な人と人との関係を通じてどう生徒自身のもの 題に必ず突き当たります。これらの学びを、具体 「過剰な競争」「自己責任」など現代的な学びの課 じめ」「虐待」「暴力」「ジェンダー」「発達障害」 あ り、 時 に は 質 問 攻 等で説明する必要が ぜ必要なのかを総会 を購入する際にはな き ま す。 大 き な 備 品 ら予算案を決めてい 何度も話し合いなが ⑤復活折衝 ⑥2次回答(最終予算)で、生徒 会執行部は部長達と 見表明する力、統治する力を育てます。HRづく りを学年集団づくり、全校集団づくり(生徒会づ ま す。 執 行 部 の 生 徒 めにあうこともあり 演を終えました。 ます。 年間のHRづくりの後半は、クラスのル はこのことなしに生徒会の指導はありえないと思 20 ○学ぶHRづくり 生徒会は 個性がつながり出したり、問題を抱える生徒への 数 百 万 円 の 予 算 を 生 徒 が 配 分 し、 出 納 し、 決 9 対立と分裂を超える討議でクラスを再統一し文化 働きかけがあったりします。夏休み後の 一方で、貧困・家族の崩壊・暴力など生徒の抱え ス目標の議論な 議・ 決 定 や ク ラ 会の方針案の討 祭 に 向 け、 生 徒 から 6 月は、 90 8 クラスの中間総括をしますが、中だるみの時期で 10 自主・自治活動を通じて世界に参加する力、意 1 教文事務局へのメールは [email protected] 達は生徒会の予算を扱うことで、自分たちの活動 「ゆるっと赤シャツワークショップ」 小川智道さん(伊那弥生ヶ丘高校) や予算の使途について気迫を持って語ることがで きるようになると言います。酒田氏は、予算案の 「がん治療最前線」 学校保健全県県研究会 巷では、インフルエンザも心配される中、 月 日(土)松本市相澤病院で第 回学校保健全県 編成権はまさに権力であり、全会員から集めた会 活性化について意見交換や活動しようと2013 研 究 会 が 開 催 さ れ ま し た。 相 澤 病 院 は 今 年 か ら 「ゆるっと赤シャツワークショップ」は、上伊 那の高校生、大学生、社会人がまちづくりや地域 月にスタートしました。小川さんにはこれま の中で話し合いながら解決することで、生徒達は 予算を生徒が扱っていると様々な問題が起きま す。その問題を事件として取り上げて、公共空間 ートレイン」や、 月に伊那市で開催した「全国 して実際に企画・運営した「伊那谷アドベンチャ ベント列車コンテストに応募し、最優秀賞を獲得 での活動の中から、上伊那観光連盟が主宰するイ で平日には開催できず、土曜日開催ですが、会員 、須釜裕也先生にバトンタッチです。会場の関係 師にお願いした荒屋正幸先生は急に都合がつかず 、がんの陽子線治療が開始されたばかりです。講 名の参加がありました。講演の 市民として生きる力を着実に身に付けていきま の関心も高く、 高校生合宿」について紹介していただきました。 番 総会に委ねられていることを生徒たちが実感でき した。生徒会予算の決定権が、本当に生徒や生徒 必死の反論にもかかわらず、修正案が可決されま 議を提出し、討論を2日間に延長され、執行部の 域で保障していることは大きな意味があると語り とや、高校生が自由に考え、意見表明する場を地 は、高校生が学校と家の往復から一歩踏み出すこ 体験学習で楽しんでもらったそうです。小川さん 那谷クイズ、ザザムシ探しや草木図鑑作りなどの 赤いシャツを着た高校生が て い る 点・ 照 射 位 り範囲を微調整し な施設では世界初だそうです。がんの大きさによ 葉では言い尽くせません。凄いです。コンパクト の高さが施設の至る所に行き届いていました。言 後、施設を見学させていただきました。全国 た貴重な機会だったと酒田氏は述べました。 ました。 高校生徒会の活動を様々な面から紹介していただ ンティア、三者協議会で発言する高校生など三沢 味と可能性について考えたいものです。こうした 域の人たちと一緒に考え、行動していくことの意 高 校 生 が 地 域 に 目 を 向 け て、 地 域 の 課 題 を 地 険に加入していれ 先進医療付きの保 ことも伺いました。 高校生自身の「権利としての自治」が、今後、高 て高校生に何を育てるのか、その意義を学ぶこと OKということで の見直しをしては さ い。 こ の 際 保 険 すのでご安心くだ 課題であると思いました。 ができたとの感想が寄せられました。 で す の で、 費 用 の きました。 取り組みは、いくつかの高校で始まっています。 ば保険で支払いが 80 参 加 者 か ら は、 生 徒 会 活 動・ H R 活 動 を 通 じ 芸 で す。 私 は 庶 民 置決めは正に職人 目、甲信越では初の施設です。関係者の思い入れ この他に、文化祭の取り組み、市の選挙管理委 員会から本物の用品を借りて実施する生徒会役員 13 42 8 子どもの権利条約が批准され 年になります。 高校生に対する「教育としての自治」だけでなく、 選挙、東日本大震災に立ち上がった生徒会のボラ 名の親子に飯田線伊 す。ある年の生徒総会では、予想以上の新入部員 83 「行くぞ伊那谷アドベンチャートレイン!」では、 費をいかに配分するかは政治そのものであると言 います。 年 12 ○生徒の自 治 空 間 を 守 る 13 を迎えた男子バレー部が予算増額を求める修正動 8 校生の学校づくりへの参加の中で追求されるべき 20 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (3) 教 育 文 化 会 議 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 。まずは検診が大切です。人間ドックも受診しま ています。がんとうまく付き合っていきましょう 人に1人はがんになると言われ も今年度から先進医療特約付きが発売になりまし いかがでしょうか。これはPRですが、全教共済 協力体制、関係機関との連携はもちろんのこと、 なことがあるかわからないと思いました。職員の 対応―多くの生徒・職員を預かる学校はいつどん の豪雨、そして交通の遮断―帰宅困難生徒職員の の視点で報告があり、突然のモデル校指定、突然 告対応養護教諭として」です。いずれも養護教諭 に気がつきました。 川高校生と上高地線の関係性が変化していること とにしました。すると取材を進めて行くうちに梓 ていることに興味を持った私たちは番組を作るこ しました。電車に可愛いキャラクターが印刷され 「渕東なぎさ」という可愛いキャラクターが誕生 た。これからは しょう。陽子線治療について詳しく知りたい人は 県の指示も仰ぎながらしなやかに乗り切ってこら 年前は梓川高校生にとって上高地線は、通学 学校保健研究会会員までご連絡ください。 調査研究の報告です。長田惠美先生(富士見高 校)と横地京子先生(上田東高校)中心にまとめ れたことが凄いと思います。盛り沢山な一日では 今では上高地線が無くなっても困らないという言 の足として無くてはならない存在でした。しかし、 評価票) 」を用いてまとめに当たって千葉大学岡 康的な学校づくりに関する評価票日本版(PHS く」が付きます。 ・かわいい・勉強になる・頑張ったご褒美に「ふ した。最後に学校保健研究会は楽しい・おいしい を制作しようと路線変更しました。 変わってしまったのか?そのことについての番組 年前の半分に減っていました。なぜ生徒の意識が を使っている生徒の人数を調べてみたところ、 葉が生徒の口から出てきました。実際に上高地線 ありますが、充実した内容になりました。 年間ご協力ありがとうございま 田加奈子教授に何回もご指導もいただきました。 学校保健研究会 山野井美智子(飯山高校) 会員の皆様 千葉県以外で全県的な調査は長野県が初の試みで 年で 年であ に も あ り、 実 際 に は 運賃もこの まり変わっていませ と 思 い、 上 高 地 線 を ん。 も っ と 深 い 理 由 梓 川 高 校 放 送 部 は、 梓 川 高 校 生 の 通 学 の 足 で ある上高地線と梓川高校生との関係を映像化し、 運営しているアルピ があるのではないか 大塚ショートフィルムフェスティバルで最優秀賞 コ交通なら何か心当 たりがあるのではと た。 す る と、 ア ル ピ 思い取材に行きまし 梓川高校放送部部長 もその理由が分から もっと高校生を見てほしい 」 「 年 荒倉翔太 2002年私たち梓川高校放送部は、高校のす ぐ隣を走る、上高地線という電車についてラジオ ず、 さ ら に こ の こ と コ交通の担当者自身 年、上高地線に 番組を制作しました。あれから 12 す。多くの研究は何年計画なのに長野県は まとめるのは 「 なぎさのランウェイ」 生徒に聞いてみると、「運賃が高い」という意 見が多くありました。しかし、この意見は 年前 ていただきました。職務に対する評価の試み「健 12 2 シリーズ「今を生きる高校生」① 1 を受賞しました。 梓川高校放送部 12 凄いと絶賛さ れました。 実践報告で す。 長 野 南 高 校の有賀佳代 子先生からは 日南 !! 「がん教育モ デル校になっ て」 、と蘇南 高校の生駒千 月 陽子先生から 「 土石流災害報 木曽町梨子沢 9 3 12 7 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (4) 教 育 文 化 会 議 1 12 教文事務局へのメールは [email protected] 年間蓄積され えました。運賃が高いと言う 問題があるのではないかと考 交 通 の 方 の 危 機 感 の 無 さ に、 もしかすると、このアルピコ い よ う に 感 じ ま し た。 私 は、 について、あまり危機感が無 の利用状況は無いと言われ、生徒自身が学校の教 とになった。アルピコ交通に取材に行くと年代別 うなったのか」と生徒が疑問に思い調べてみるこ と「本校生の上高地線の利用状況は以前と比べど 作成したラジオ番組を聞き直すことにした。する た。そこで以前放送部の先輩が上高地線について うまくいかないと、暫く膠着状態になってしまっ シリーズ「今を生きる高校生」② 軽井沢高校将棋部 「軽井沢浅間杯」開催 将棋愛好家が集まり腕試し はないかと・・・。 た結果減ってしまったなので あった。人からの伝聞でなく自分自身で調べ比較 この間、生徒の活動を見ていて特に思ったこと は、「実際に自分で調べてみることの大事さ」で たなテーマとなった。 めて減少していることに気づき、今回の作品の新 った。グラフにしてみると本校生の利用状況が極 務室に行き電車の利用状況を調べてみることにな 白熱した対局が行われ激戦も多く、私も軽井沢高 2つに分かれており、もちろん有段者の部では、 軽 井 沢 浅 間 杯 は、 有 段 者 の 部 と 級 位 者 の 部 の きたことを嬉しく思います。 しました。今回、高校生主催の将棋大会を開催で 目的に他流試合の機会を設けようと将棋大会企画 軽井沢高校将棋部2年 SK 私たち軽井沢高校将棋部は部員の棋力向上を 緊張の大会運営 次回も頑張る 今回の受賞で、全国に上高地線のことを知っても すること。実際に調べてみるまで本校生の電車の 校の選手として有段者の部へ出場しましたが、あ 生徒の不安が らい、さらに私自身もローカル鉄道のことを考え 年前に比べてほぼ半減しているこ 言をもらいながら作り上げた作品が今回の「大塚 徒自身何回も構成を考え、また放送部の先輩に助 るかが大事であった。そのための編集・演出。生 とは判らなかった。さらに、この事実をどう伝え 級位者の部は ませんでした。 ち2勝しかでき しまい5戦のう っけなく敗れて い」ということが伝わればと思いました。また、 ショートフィルムフェスティバル中高生部門グラ 初心者や高校生、 ました。 「多くの出会いと経験を今後に生かしたい」 ンプリ」という結果になった。生徒自身、この受 小 学 生、 大 人 の 人、 年生 人)で、主な活動は朝放送 5 梓川高校放送部顧問 伊藤光宏 私は今春梓川高校へ転勤し放送部の顧問とな った。梓川高校放送部は部員 名( 年生 人、 賞により多くの出会いがあり、特別な経験もした。 年生 3 今回の作品は既に前年度よりテーマを決め取材 活動が始まっていた。当初は、上高地線の「渕東 動会や花火大会等のアナウンス)である。 と思う。 なぎさ」というキャラクターに絞って取材してい く予定であった。しかし、番組を作る上で構成が 、 運営側として す。 なったと思いま り、 良 い 大 会 に 棋ファンが集ま 方まで幅広い将 方、 お 年 寄 り の 12 この番組を通してアルピコ 交通の方に、 「もっと私達梓川高校生を見てほし 直すことができました。とても貴重な経験をさせ 利用状況が、 !! ていただくことができ、本当にありがとうござい 12 年生 10 是非この経験を今後に生かし、そして 4 や集会等の放送機器の取り扱い、放送コンテスト 1 の放送部員は今後の活動に活かしていって欲しい 1 への参加、そして地域でのボランティア活動(運 2 1 2 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (5) 教 育 文 化 会 議 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (6) 教 育 文 化 会 議 現れることを期待しています。 が強くなり、来年5月の高校選手権大会で成果が 調子で頑張って行きたいと思います。部員みんな くできたので、ほっとしました。次回以降もこの 手間取ってしまいましたが、大きなトラブルもな いました。受付は慣れない作業だったために少し は、初めてだったということもあり、皆緊張して して腕を磨き、いつかは雪辱を果たしたいと思っ あっけなく敗退となりました。今後も大会を開催 回目は自分の慢心で敗れ、本気で挑んだ2局目も めて2度戦いを挑みましたが、2連敗でした。1 しました。ちなみに、私はその女の子に練習も含 相手に3勝を飾っており、すごい選手が多く出場 の中でも最年少である小学3年生の女の子が大人 「井の中の蛙」を経験することになりました。そ 一歩及ばず準決勝で敗 た。 春 の 大 会 で は あ と も届くようになりまし 応援の声が部員の耳に も確かな存在を認める う に な り、 学 校 内 か ら でも賞状を手にするよ な っ て き ま し た。 大 会 志が感じられるように 次回、腕を磨いて雪辱を 退 し、 全 国 大 会 出 場 は ています。 お預けとなりました。 3 年 引 退 後、 練 習 試 合や一般大会に参加す 軽井沢高校将棋部顧問 土屋 稔 将 棋 の 指 導 で 最 も 重 要 な こ と は、 生 徒 の 意 識 る 中 で、 生 徒 か ら 棋 力 生徒が企画運営した将棋大会 した。参加した人達は、小学校3年生から、ご老 改革だと思っています。大切なことは「指導者と アップを目的に他流試合の場として、大会を行っ 生が開催及び、運営を担当した記念すべき大会で 人まで様々な年齢の方々が来てくれました。初の の信頼関係」であり「もっと強くなりたいと欲す るケースは極めて稀で画期的な事だと思います。 全 国 で も 生 徒 自 ら 大 会 を 企 画 し、 運 営 し て い 運営だったので大変なことや分からないことだら やテクニックは、後から何とでもなることだと思 てみたいとの声が上がりました。 軽井沢高校将棋部2年 BT こ の 軽 井 沢 浅 間 杯 は 第 1 回 な が ら、 初 の 高 校 !! る気持ち」だと感じています。極論を言えば作戦 け で し た が、 私 個 人の感想としまし うのです。 日に「第一回軽井沢浅間 に向けて同好会をスタートさせたのです。ダンボ です。 1年かけてようやく3人の生徒達と夢の実現 いところにクラブを創設するのは想像以上に大変 職員の理解、活動する環境や道具の調達、何もな 棋部が存在しませんでした。賛同する部員の確保、 現 在 第 二 回 大 会 を 計 画 中 で す。 こ う し た 前 向 皆さんの協力で大成功のうちに幕を閉じました。 戸惑うこともありましたが、参加してくださった 長野等、遠方からの参加者も加わり総勢 名を超 なかったらとの不安もありましたが松本、大町、 杯」開催の運びとなりました。当初は参加者が少 月 ールにマジックペンで線を引き、紙の将棋盤を作 きな気持ちが生徒を強く成長させるのかもしれま 入念な準備を重ね ったのがつい昨日のことのようです。2年目を迎 せん。来年の高校将棋選手権大会での活躍を期待 4 年 前、 私 が 軽 井 沢 高 校 に 赴 任 し た と き は 将 え「同好会」から「部」に名前を変えたころから 執着心と、どんな相手にも臆せず向かってゆく闘 してペンを置きます。 30 徐々に生徒の意識が変わりクラブ全体に勝利への 11 ては上手くできた 名以 と思いました。 参加者が 上と予想をはるか に越えた人数でし た の で、 大 成 功 を 収めることができ ま し た。 私 た ち も その大会に出場し ま し た が、 強 い 子 ども達や経験を積 んだご老人が沢山 い た た め、 ま さ に える素晴らしい大会となりました。運営その他で 50 50 教文事務局へのメールは [email protected] シリーズ私の実践・私の研究 地域から近現代史を問い直す は養蚕をとおして、日本と世界の新たな時代に視 野を拡げ、主体的な自己形成を遂げる世代であっ た。 会運動が発展し、普通選挙運動や自由大学運動な この時期の下伊那は青年運動を中心に農村社 戦争体験の継承が進展したことがあったことをあ どの、全国的にも質の高い運動が展開し、下伊那 地となったのである。 げたい。下伊那では2002年に「満蒙開拓を語 巻と別冊)を刊行し は農村における大正デモクラシー状況の最先端の 『下伊那のなかの満州』(全 り継ぐ会」が結成され、その後2013年までに、 田中雅孝 ( 飯田OIDE長姫) 『胡桃澤盛日記」を手がかりに 一 地域から近現代史を問い直す 私が教職について、この 年ほどの社会科教育 と地域史研究の間で自分なりに模索してきた課題 意識として以下のテーマがある。 1 9 2 9 年 の 世 界 恐 慌 の 打 撃 は、 蚕 糸 業 に 特 に満蒙開拓記念館が開館した。この ことになった。この農村危機のなかから地域ファ た。さらに、この年に住民の期待のなかで阿智村 と帰結する大国主義が不可避の途ではなく、日本 されている映画「山本慈昭~望郷の鐘~満州開拓 ッシズム運動が展開し、1931年の「満州事変」 日 本 近 現 代 史 に お い て、 太 平 洋 戦 争 の 破 局 へ 国憲法の平和主義に連なる小国主義の選択可能性 団の落日」(山田火砂子監督)もこうした機運の 化した下伊那地方を「農村解体の危機」に陥れる を、地域に生きた民衆の生活から問い直していく なかで作製されたものである。 の可能性はいかなるものかを探究することであ 代の地域再生の課題につながる自律的な地域形成 記』の翻刻を行った。その後、「刊行会」が結成 私の担当する住民参加の「近現代史ゼミ」にて『日 発掘の契機である。飯田市歴史研究所において、 者から日記の所在を知ることができたのが『日記』 「語り継ぐ会」による調査過程で満州移民体験 モクラシー状 那 の「 大 正 デ こ さ れ、 下 伊 弾圧事件がお は 二・四 教 育 私 も 関 与 し て き た『 胡 桃 澤 盛 日 記 』 (全 し つ つ、 村 の 青 年 会 で は リ ー ダ ー 層 を 担 っ た。 ﹃盛日記﹄と地域史 胡桃澤盛は大正期の青年時代には農業に従事 た。 は村議に当選 1933年に 返 し つ つ も、 時期に思想的 戦 時 動 員 体 制 の 熱 狂 に 巻 き 込 み、 1 9 3 3 年 に の刊行がようやく完結した。本書は地域に根ざし され、飯田市歴史研究所の監修を経て刊行される 況」は終焉す る。 た歴史教育を考えていくうえでも、有効な素材と ことになった。第1巻は2011年に刊行され、 二 ﹃胡桃澤盛日記﹄刊行の経緯 1920年代の下伊那地方は養蚕業の急速な発展 し、 村 の 中 堅 巻) なる可能性があると考え、この場をお借りして、 胡桃澤盛は1895年に下伊那郡河野村(現豊 丘村河野区)に出生し、 歳の1923年から、 により、農民の出資する協同組合組織として産業 人 物 と し て、 紹介する次第である。 戦時中の村長時代を経て1946年の死去間際ま 組合製糸が各村で設立される組合製糸地帯として 上 か ら の「 農 『 日 記 』 を 刊 行 で き た 地 域 社 会 の 条 件 と し て、 た『日記』を残した。 落、家庭内の人間関係にいたるまで、克明に記し 19 今世紀になってようやく、満州移民体験者からの に動揺を繰り で 年間にわたって、激動する社会情勢から、村 地域経済は繁栄した(拙著『両大戦間の組合製糸』 村経済更生運 6 ﹇御茶の水書房﹈参照)。大正期の下伊那の青年達 第 る。 盛 は こ の 12 巻が2013年末に刊行されて、完結に至っ による対中侵略戦争の開始は下伊那の村落社会を ことである。さらには小国主義の基盤となり、現 月から上映 10 30 6 23 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (7) 教 育 文 化 会 議 ホームページアドレス http://kouseikyoukai.com/ 教 文 通 信 No. 220 (2014-10) 2015 年 1 月 1 日 発 行 (8) 教 育 文 化 会 議 ーニングポイントとなったのである。 る農村危機と満州事変の衝撃が盛の思想旋回のタ へと組み込まれていくのであった。昭和恐慌によ 動」に邁進しつつ、 「参加と動員」の総力戦体制 1920年代と1930代を大衆民主主義の時代 ぜ 暗 転 し て い っ た の だ ろ う か。 私 は こ の 問 題 を と に な る「 農 村 フ ァ シ ズ ム 」 の 先 進 地 へ と、 な 1930年代には満州移民を最も多く送出するこ ラシー状況」の先進地であったにもかかわらず、 (松本市勤福センター) 月 日 日 ( ) 1月 日 土 ( ) 技術・職業教育全県研究会 るが、地域・日本・世界との重層的連関において、 (高校会館) 分村移民の絶望的情報が次第に明らかになりつつ 「全体史」として読み込むことで、この問題を地 盛 は 太 平 洋 戦 争 下 で 村 長 の 任 に あ た り、 河 野 として把握し、その連続性において考えたいと思 ○今後の日程○ 村の満州分村移民を決断した。河野村の分村移民 図書館教育全県研究会 名の小規模編成の団員で渡満す う。それは現代の日本社会まで貫通する構造を有 は1944年に するものであろう。 るが、集団自決により、現地召集の男性以外の団 人のみが帰国しえた。盛は戦後、 あるなかで、村長としての戦争責任を引きうける した。 ざまな方法で伝えていくことの大切さを実感しま 報をお寄せください。▼年末に『望郷の鐘 満蒙 開拓団の落日』を観ました。満蒙開拓の歴をさま くさん紹介していきたいと思います。編集部に情 む高校生の姿や会員のみなさんの実践や研究をた 受けました。今年もクラブや生徒会活動に打ち込 では会員のみなさんの豊かな実践や研究に感銘を 気をいただきました。また、「私の研究・私の実践」 に打ち込む高校生と暖かく見守る先生方の姿に元 た。シリーズ「今を生きる高校生」では一生懸命 大勢のみなさんに教文通信に寄稿いただきまし ▼あけましておめでとうございます。今年も教 文会議と教文通信よろしくお願いします。昨年も ○編 集 後 記○ 家庭科冬の学習会 員では、少年 24 1 域に生きた人々の日常生活の深層から、照射して 2 月に自死するに至った。 かのように1946年 問い合わせ先 『胡桃澤盛日記」刊行会 代表 田中雅孝 Mail:[email protected] (あがたの森文化会館・松本県ヶ丘高校) 全 6 巻セット販売 18, 000円 誰しも、 『日記』を内在的に読み進めるならば、 『胡桃澤盛日記』 青年期はいうまでもないが、戦時下においてさえ も盛の意志や願望と戦争の無惨な結果とが、なぜ かくも乖離せざるをえなかったのかと暗澹とした 想いにとらわれるに違いない。 飯田市歴史研究所監修 7 大衆民主主義からファシズム状況へ 下 伊 那 地 方 は 1 9 2 0 年 代 に は「 大 正 デ モ ク 『胡桃澤盛日記』刊行会編 いく手がかりとなるに違いない。 『盛日記』の「生の経験」は微視的歴史ではあ (えんぱーく 塩尻市) () 2月7日 土 定通教育全県研究会 95 1 教文事務局へのメールは [email protected]
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