パ ル マ 、サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ エ ヴ ァ ン ジ ェ リ ス タ 聖 堂 の天井画と観者の視覚経験 ― 1510-20 年 代 の コ レ ッ ジ ョ に よ る 祭 壇 画 ・ 祈 念 画 と の 関 係 か ら ― 百合草真理子 ( 美 学 美 術 史 学 専 攻 /博 士 後 期 課 程 ) 一.はじめに 活動時期が盛期ルネサンスからマニエリスムへの転換期と重なるアン トニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョの研究は、バロック様式を予見さ せ る 芸 術 的 特 質 や 、拠 点 と し た パ ル マ の あ る エ ミ リ ア 地 方 と 当 時 の 芸 術・ 文 化 の 中 心 地 ロ ー マ と の 関 係 等 、ヴ ァ ザ ー リ 1 以 来 、メ ン グ ス 2 、ブ ル ク ハ ル ト 3、リ ッ チ 4、リ ー グ ル 5、ド ヴ ォ ル シ ャ ッ ク 6、ヴ ェ ン ト ゥ ー リ 7、ロ ン ギ 8を 経 て 、 グ ー ル ド 9、 エ ク サ ー ジ ャ ン 1 10 ら 近 年 の 研 究 者 に 至 る ま で 、様 G . Va s a r i , L e v i t e d e ’ p i ù e c c e l l e n t i p i t t o r i , s c u l t o r i e a r c h i t e t t o r i , 1 5 6 8 , L . C a r l o , L . R a g g h i a n t i ( a c u r a d i ) , M i l a n o , 1 9 7 1 - 1 9 7 8 , t o m o . I V. ( G . ヴ ァ ザ ー リ 『 美 術 家 列 伝 』 第 三 巻 、 森 田 義 之 他 監 修 、 中 央 公 論 美 術 出 版 、 2015 年 )。 ル ネ サンスの中でも最も近代的と見なされるコレッジョの様式を最初に議論の俎 上に載せ、レオナルドやラファエッロと同じ第三期の人々の様式「マニエラ・ モデルナ」に分類したのはヴァザーリであった。彼は、コレッジョを「ロンバ ルディアで当代の様式を始めた最初の人」と位置付ける。 2 こ こ で は 、 版 を 重 ね て 出 版 さ れ た メ ン グ ス の 著 作 集 の 中 で も 以 下 の も の を 参 照 し た 。 A. R . M en g s , O p e r a d i A n t o n i o R a f f a el l o M en g s p r i m o p i t t o re d el l a m a e s t a d e l R e C a t t o l i c o C a r l o I I I , Ve n e z i a , 1 7 8 3 . 3 J . B u r c kh ar d t , D e r C i ce ro n e, ei n e a n l e i t u n g z u m g en u s s d er ku n s t w e r k e italiens, Basel, 1855. 4 C . R i c c i , A n t o n i o A l l e g r i d a C o r re g g i o : H i s L i f e , h i s F r i e n d s , a n d h i s Ti m e , t r a n s . F. S i m m o n d s , 2 v o l s , L o n d o n , 1 8 9 6 . 5 A . R i e g l , D i e E n t s t e h u n g d e r B a ro c k k u n s t i n R o m , Wi e n , 1 9 0 8 . ( A . リ ー グ ル 、 『 ロ ー マ に お け る バ ロ ッ ク 芸 術 の 成 立 』 蜷 川 順 子 訳 、 中 央 公 論 美 術 出 版 、 2009 年 )。 6 M. Dvořák, Geschichte der italienischen Kunst im Zeitalter der Renaissance, M ü n c h e n , 1 9 2 7 - 2 9 . ( M . ド ヴ ォ ル シ ャ ッ ク『 イ タ リ ア・ル ネ サ ン ス 美 術 史 』下 巻 、 中 村 茂 夫 訳 、 岩 崎 美 術 社 、 1 9 6 9 年 )。 7 コ レ ッ ジ ョ に 関 す る ヴ ェ ン ト ゥ ー リ の 論 考 は 数 多 い が 、特 に 、画 家 の ロ ー マ 旅 行 の 問 題 を 取 り 上 げ た 論 文 と し て 、 A . Ve n t u r i , “ U n d o c u m e n t o d e l v i a g g i o a Ro ma d i An to n io All eg r i, d et to il Co r reg g io ”, in L’A rt e, 2 6 , 1 9 2 3 , p p . 2 3 0 -2 3 2 . 8 R. Longhi, ”Le fasi del Correggio giovine e l’esigenza del suo viaggio romano”, in Paragone, VIII, 1958, pp. 34-53. (「 若 き コ レ ッ ジ ョ の 形 成 過 程 と ロ ー マ 旅 行 の 要 請 」『 ア ッ シ ジ か ら 未 来 派 ま で 』 岡 田 温 司 監 訳 、 中 央 公 論 美 術 出 版 、 1 9 9 8 年 、 259-285 頁 )。 9 C . Go u l d , T h e P a i n t i n g s o f C o r reg g i o , Lo n d o n , 1 9 7 6 . 1 0 D . E ks e r d j i an , C o r reg g i o , N e w H av en , L o n d o n , 1 9 9 7 . 3 式論的批評や考察が主流となる。他方で、キリスト教的主題をはじめ、 カ メ ラ ・ デ ィ ・ サ ン ・ パ オ ロ の 装 飾 や「 ユ ピ テ ル の 愛 」を 主 題 と す る 神 話 画、イザベッラ・デステのストゥディオーロを飾った寓意画等、多種多 様な題材を扱った彼の一部の作品に関しては、パノフスキー 11 らによっ て図像解釈学的研究も行われてきた。だが、それらの論考の多くは個々 のモティーフの意味や主題の理解に限定される傾向にあり、画家が錬成 し た 構 想 や 創 意 に 基 づ く 包 括 的・総 合 的 な 考 察 は 十 分 に 行 わ れ て い な い 。 こうした状況に対し、最近の研究では、従来取り上げられてきた種々 の観点を切り離さず、祭壇画を中心に、主題の神学的・思想的背景を基 盤とする表現と内容、さらにそれらと観者の鑑賞体験、また、批評史か ら導き出されるコレッジョの芸術的特質と礼拝や祈念など作品に求めら れた宗教的機能とを緊密に結び付けながら個別作品の理解を深めようと す る 動 向 が 見 ら れ る 。ペ リ テ ィ( 2 0 0 2 )は 、コ レ ッ ジ ョ の 形 体 に 、注 文 主 ( 観 者 ) の 思 想 や 宗 教 的 信 念 を 読 み 取 る と 同 時 に 、 16 世 紀 初 頭 の 北 イ タ リアの歴史的、宗教的、文化的コンテクストを浮かび上がらせようとす る 。一 例 を 挙 げ る な ら ば 彼 女 は 、ヴ ァ ザ ー リ 、ア ン ニ バ ー レ ・ カ ラ ッ チ 、 メングスらがその色彩の美しさを愛で、リーグルやドヴォルシャックが 観 者 の 主 観 的 視 点 を 問 題 と し て い た 《 聖 ヒ エ ロ ニ ム ス の 聖 母 》( 図 1 ) に おけるキリストと、聖女マグダラのマリア及び聖ヒエロニムスとの関係 に、注文主であるパルマの貴婦人オッタヴィアーノ・ベルゴンツィの寡 婦 ド ン ナ ・ ブ リ セ イ デ ・ コ ッ ラ の 属 し て い た 16 世 紀 の パ ル マ の 宗 教 的 ・ 人文主義的状況――特に、神と個人の関係、とりわけ義認に関するエラ スムスの思想――の反映を認める 12。 ま た 、 シ ュ タ イ ン ハ ル ト = ヒ ル シ ュ ( 2008) は 、 こ れ ま で 主 と し て 北 E . P a n o f s k y, T h e I c o n o g r a p h y o f C o r r e g g i o ’s C a m e r a d i s a n P a o l o , L o n d o n , 1961. 12 G. Periti, “Nota sulla ‘maniera moderna’ di Correggio a Parma”, in P a r m i g i a n i n o e i l m a n i er i s m o eu ro p eo : A t t i d e l C o n v eg n o i n t e r n a z i o n a l e d i s t u d i , P a r m a 1 3 - 1 5 . g i u g n o , 2 0 0 2 , L . F. S c h i a n c h i ( a c u r a d i ) , 2 0 0 2 , M i l a n o , p p . 2 9 8 - 3 0 3 . 同 著 者 の 以 下 の 研 究 に お い て も 、同 様 の 問 題 意 識 か ら コ レ ッ ジ ョ 芸 術 に つ い て 考 察 さ れ る 。 G. Periti, Antonio Allegri of Correggio: Private Art, Reception and Theories of Inventio n in Early Sixteenth -Century Emilian Painting , Baltimore, 2003. 11 4 方の芸術や同時代のイタリア絵画との関係等、造形的観点から考察され て き た《 羊 飼 い の 礼 拝 》 1 3( 図 2 )を 対 象 に 、ア ル ベ ル テ ィ や レ オ ナ ル ド ・ ダ・ヴ ィ ン チ の 絵 画 論 、ヴ ァ ザ ー リ の 記 述 に 照 ら し な が ら 本 作 品 の 色 彩 、 明暗、感情表現を観察し、そこで浮き彫りにした本作品の美的特質を、 画家と密接な関係を結んでいたカッシーノ会の神学と関連付けて解釈す る 14 。即 ち 、体 内 か ら 神 的 光 を 放 つ キ リ ス ト を 構 図 の 中 心 に 据 え 、 世 の 闇 を照らすかのようにそこを画面内の光源と一致させた着想に、カッシー ノ会士イシドロ・クラリオやエウセビオ・ヴァレンティーノによる神の 恩寵に関する見解との類比性を指摘する。 注文主と画家を取り巻く歴史的コンテクストを作品分析のための基軸 としたペリティ、絵画の図像的特徴を画家自身の宗教的信条との結びつ きから解釈したシュタインハルト=ヒルシュに対し、スウィッツィアー ( 2012) は 、 レ オ ナ ル ド を は じ め と す る ル ネ サ ン ス の 自 然 主 義 、 ロ ン バ ルディア地方の経験主義、修辞学的伝統等に目を配りつつ、ヴァザーリ 以来の批評的考察において示されてきたコレッジョの造形的特徴を 16 世紀絵画史の文脈に位置付け、その絵画様式によってもたらされる観者 の 感 覚 に 訴 え か け る 直 接 性 ( emotional i mmediac y ) や 主 観 性 の 表 現 ( expression of subjectivity) を 、 宗 教 改 革 前 夜 の イ タ リ ア に お い て 宗 教 画に求められた礼拝/祈念上の機能との関係から論じる 15。 彼女たちの研究により、個々の絵画作品ごとにコレッジョの総合的な 構想に光が当てられつつある。このような研究動向を踏まえ、筆者もま た 、パ ル マ の サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ エ ヴ ァ ン ジ ェ リ ス タ 聖 堂 の 天 井 画( 図 3 )を 対 象 と し て 、形 体 と 内 容 が 緊 密 に 結 び 付 い た 本 作 品 に お け る 画 家 の 創意を考察してきた。これに基づき、本稿では、祭壇画や祈念画を主と したペリティらの論考では十分に扱われてこなかった、聖堂建築と一体 化した天井画を取り上げて、新しい研究成果によって刷新されつつある 本 作 品 は 1522 年 10 月 24 日 、 ア ル ベ ル ト ・ プ ラ ト ネ ー ロ か ら 制 作 を 依 頼 、 1530 年 に レ ッ ジ ョ・エ ミ リ ア の サ ン・プ ロ ス ぺ ロ 聖 堂 プ ラ ト ネ ー リ 家 礼 拝 堂 に 設置された。 14 C. Steinhard t -Hir sch, Correggio s »Nott e«: Ein Meisterwerk d er i t alieni sch en Renaissance, München, Berlin, 2008. 1 5 S . E . S wi t z er, Co r reg g i o a n d S a cred I ma g e, Co l u mb i a, 2 0 1 2 . 13 5 コレッジョ像の一端を補っていく。 二.本考察の位置付け 画 家 が 1520-21 年 に 制 作 し た サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ エ ヴ ァ ン ジ ェ リ ス タ 聖 堂 の 天 井 画 は 、主 題( 図 像 )解 釈 が 盛 ん に 行 わ れ る 一 方 、中 央( ロ ー マ)の芸術との関係やパルマ大聖堂の天井画への展開といった観点から 様式・表現にも着目される、彼の作品の中でも比較的、多方向から検討 されてきた作品である。図像の意味解釈を行った先行研究の多くが典拠 となるテクストとの照合に主眼を置くのに対し、一章に述べた問題意識 から筆者は、典礼との関係、聖堂の建築形体との関係、観者の観察点、 観者への効果、コレッジョの手法等、これまで別個に論じられた論点を 総合しながら作品の解釈を試みた 16 。そ の 結 果 、単 に 典 拠 に 基 づ い て イ メ ージを忠実に再現するという以上に、課された主題に備わる意味内容を 勘案し、建築空間を活用して、その場に立つ観者(外陣/内陣に立つ一 般信徒/修道士)それぞれに適した形体を与えようとした画家の取り組 みが認められた。 また、パルマやマントヴァなどの北イタリアの小都市を活動の拠点と し、生涯、地元のエミリア地方を離れることがなかったコレッジョと、 当時の芸術・文化の中心地であったローマとの関係は、彼の様式を論じ る上で常に問題とされる。特に、ミケランジェロやラファエッロの様式 的影響・形体的借用の認められる本作品は、コレッジョのローマ旅行を 否定したヴァザーリに対し、メングス以来、その証左として常に引合い に出される作品でもある 17 。た と え ば 、本 作 品 の キ リ ス ト 像 及 び 雲 ・ 光 の 表 現 は 、 ラ フ ァ エ ッ ロ の 《 キ リ ス ト の 変 容 》( 1 5 1 8 - 2 0 年 ) と の 類 似 に お いて着目されてきた 18 。だ が そ れ は 、単 に 形 体 的 ・ 様 式 的 な 借 用 関 係 に 留 16 拙 論 、「 パ ル マ 、 サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ エ ヴ ァ ン ジ ェ リ ス タ 聖 堂 の 天 井 画 に つ い て の 一 解 釈 ― 典 礼 に お け る 機 能 と コ レ ッ ジ ョ の 創 意 と の 関 わ り か ら 」『 美 術 史 』 第 177 冊 、 美 術 史 学 会 、 2014 年 、 83-99 頁 。 1 7 そ れ ゆ え 本 作 品 は 、マ ニ エ リ ス ム や プ ロ ト ・ バ ロ ッ ク の 萌 芽 を も 見 い 出 さ れ る 揺 れ 幅 の 大 き い コ レ ッ ジ ョ の 様 式 変 遷 に お い て 、真 に 古 典 主 義 的 な 作 品 と し て 位 置 付 け ら れ る 。R . T a s s i , L a c u p o l a d e l C o r r e g g i o n e l D u o m o d i P a r m a , M i l a n o , 1968, pp. 78-88. 1 8 J . S h e a r m a n , “ R a p h a e l ’s C l o u d s , a n d C o r r e g g i o ’s ” , i n S t u d i s u R a f f a e l l o : A t t i 6 まる問題ではなく、画家が、終末における神の栄光に関わる「変容/再 臨 」の 主 題 内 容 の 重 な り を 理 解 し た 上 で の 借 用 で あ り 19 、さ ら に 、 「変容」 のキリストを、再びこの世に来臨するキリストを予示する姿として、ま た、終末における祝福された人間の復活した姿として捉えた神学的解釈 の伝統を踏まえた上での借用であった 20 。つ ま り 、コ レ ッ ジ ョ が ラ フ ァ エ ッロ作品の形体を踏襲した背景には、両作品の主題に関わる神学的解釈 及びキリスト教的図像の伝統についての画家の深い理解があり、この図 像形式が、本聖堂全体の図像プログラムに置かれたとき適切に機能する ものであったために採用されたのである。 こ の よ う に 、筆 者 は こ れ ま で に 、観 者 の 観 察 点 を 利 用 し た 図 像 の 転 換 、 主題の意味内容を勘案した形体の借用といった観点から、本作品におけ るコレッジョの創意を考察した。以下では、未だ十分な考察を行ってい ない問題――イリュージョニズムと観者の体験という点を取り上げたい。 本作品の重要な論点の一つとして、現実空間と絵画空間とのあいだに連 続性を確立しようとした先例のない包括的イリュージョニズムの問題が あるが、これについて、先行研究では、その着想源はどこにあるのかと い っ た 観 点 か ら 議 論 さ れ て い た 。 そ れ に よ れ ば 、 17 世 紀 の 天 井 画 を 先 取 りするような表現が一地方画家によって単独に突発的に生み出されたか の よ う に 見 え る 背 景 に は 、 メ ロ ッ ツ ォ ・ ダ ・ フ ォ ル リ ( 1 4 8 0 年 頃 )、 ザ ガ ネ ッ リ 兄 弟 ( 1 5 0 0 年 頃 )、 パ ル メ ッ ツ ァ ー ノ ( 1 5 0 0 年 頃 ) ら に よ る 北 イ タリアの仰視法を用いた天井画の伝統があった 21 。ま た 、描 か れ た 図 像 と 現実空間との間に関係を成り立たせようとした点で、ローマで活動して いたラファエッロのサンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂内キージ礼拝堂 d el C o n g re s s o i n t e r n a z i o n a l e d i s t u d i , U r b i n o - F i r en z e, 6 - 1 4 ap r i l e 1 9 8 4 , ed . , M . S. Hamoud, M. L. Strocchi, 1987, pp. 657 -668, 特 に pp. 666-667; D. Ekserdjian, op. cit., 1997, p. 100; C. Steinhardt-Hirsch, op. cit., 2008, p. 155; M. C. Chiusa, G l i a f f re s ch i d i C o r reg g i o , M i l an o , 2 0 0 8 , p . 11 2 . 19 J. Shearman, art. cit., 1987, pp. 666-667. 2 0 拙 論 、「 パ ル マ 、 サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ エ ヴ ァ ン ジ ェ リ ス タ 聖 堂 の 天 井 画 に お け る 《 キ リ ス ト の 再 臨 》 ― 「 変 容 」 と 「 復 活 」 と の 関 係 に つ い て ― 」『 美 学 』 247 号 、 美 学 会 、 2015 年 、 25-36 頁 。 21 J . S h ea r man , “ C o r r e g gi o ’s I l l u s i o n i s m” , i n L a p ro s p et t i va r i n a s c i m en t a l e: co d i f i ca z i o n i e t r a s g re s s i o n i , a t t i d e l co n ve gn o i n t er n az i o n al e d i s t u d i ( M i l an o 11 15, ottobre, 1977), a cura di M. D Emiliani, Firenze, 1980, pp. 281-294. 7 の 天 井 画 ( 1516 年 頃 ) の 構 想 に 先 例 が 見 い 出 せ る 22 。他方で、雲のモテ ィーフを画面全体に用いた構成に関しては、当時イタリアで上演されて いた聖史劇との関連もまた検討される 23 。 これに対して本稿では、特に、天井画の図像がそれを眺める信徒にい かに作用したかという点に留意して、本作品と宗教建築の装飾に適った 祈念のための機能との関わりを考察する。なお、以前にも、本作品が観 者に与える動的体験や、画家の用いた手法によってもたらされる観者へ の効果を論じたことがあるが 2 4 、こ こ で は 、伝 統 的 な キ リ ス ト 教 的 図 像 を 考 慮 に 入 れ な が ら ( 三 - 一 )、 ま た 、 よ り 包 括 的 な 視 野 か ら コ レ ッ ジ ョ の こ の 時 期 の 創 作 活 動 へ と 位 置 付 け る こ と に よ っ て ( 三 - 二 )、 こ の 問 題 を 検討する。 三.観者の視覚経験 (一)身廊に提示されるキリスト像 外陣に立つ一般信徒は、ドームの西側で福音書記者聖ヨハネがそうす る の と 同 様 に 、自 ら の 頭 上 で「 キ リ ス ト の 再 臨 」を 体 験 す る 。だ が 、画 家 は、複数の観察点を想定し、観者との距離に応じて眺望が変化するよう 画面を構成したため、聖堂内のどこからでもキリストの全身像が望める と い う わ け で は な い 。例 え ば 、内 陣 か ら あ る 程 度 離 れ た 地 点 で は 、 「昇天」 の キ リ ス ト を 喚 起 さ せ る 足 先 の み が 覗 く 画 面 が 与 え ら れ る ( 図 6 )。 「昇天」の図像類型の中には、上半身が隠され、下半身や脚のみが見 えているような表現が存在する 25 ( 図 5 )。 即 ち 、「 雲 に 覆 わ れ て 彼 ら の 目 から見えなくなった」 ( 使 徒 1 : 9 )こ と を 強 調 す る 型 で あ る 22 26 。サ ン ・ ジ ョ Ibidem, pp. 281-294. Ibidem, pp. 292-293; A. Buccheri, The Spectacle of Clouds, 1439-1650: Italian A r t a n d T h ea t re , A s h ga t e, 2 0 1 4 , p p . 5 7 - 7 0 . 特 に p p . 6 4 - 6 5 . 24 拙 論 、 2014 年 、 91-94 頁 。 25 雲 の 中 に 消 え か か っ て い く 「 昇 天 」 図 像 に 関 し て は 特 に 、 M. Schapiro, “The I m a g e o f t h e D i s a p p e a r i n g C h r i s t : t h e A s c e n s i o n i n E n g l i s h A r t A r o u n d t h e Ye a r 1 0 0 0 ”, i n Ga z et t e d e s B ea u x - A r t s, ser. 6 , 2 3 , 1 9 4 3 , p p . 1 3 5 - 1 5 2 ; R. De sh man , “ A n o t h e r L o o k a t t h e D i s a p p e a r i n g C h r i s t : C o r p o r e a l a n d S p i r i t u a l Vi s i o n i n E a r l y Medieval Images”, in The Art Bulletin, 79(3), 1997, pp. 518-546. 2 6 作 例 に つ い て は 以 下 の 論 文 を 参 照 。 秋 山 聰 、「 足 跡 と 足 裏 の 図 像 学 ― デ ュ ー ラ ー の 足 裏 へ の 執 着 を め ぐ る 一 試 論 」、『 S PA Z I O 』、 第 7 0 号 、 2 0 1 1 年 。 23 8 ヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井画の場合、主題として選択さ れたのは「昇天」ではなく「再臨」であるが、聖書のテクストには従わ ず、 「雲に乗って来られる」 ( 黙 1:7)は ず の キ リ ス ト が 雲 に 乗 っ た 姿 で は 描かれていない。また、再臨のキリストが座す「周りにはエメラルドの よ う な 虹 」( 黙 3 : 3 ) の 輝 く 玉 座 も な い 。 そ れ ゆ え 、 彼 の 下 半 身 は こ れ ら のモティーフに隠されることなく露わにされ、観者が距離を持ってドー ムを眺めるとき、建築アーチによってキリストの上半身が切り取られ、 上述の「消えていく昇天」図像と重なる、脚だけを見せるキリスト像が 現れるのである。両脚のみを描く「昇天」の図像的伝統を踏まえた画家 が、聖堂の建築空間を利用して、信徒がある地点に立った時に限り、こ の型の像を認められるように、宙に浮かぶキリストの姿を構想したのだ とすれば、その下半身だけの図像――言い換えると、不完全なかたちで しかキリストを見ることのできないと思われるこの眺望もまた、シアマ ンが最も自然な観察点とした交差部空間の入り口に向けられた眺望と同 様に、コレッジョによって意図的に提示された一つのイメージとして捉 えられるのではないだろうか(ちなみに、後年コレッジョが制作したパ ルマ大聖堂の天井画においても、 《 聖 母 被 昇 天 》の キ リ ス ト 像 は 観 者 の 視 点 と 連 動 し て 脚 先 か ら 徐 々 に 姿 を 現 す )。 デッシュマンによれば、 「 消 え て い く キ リ ス ト の 昇 天 」図 像 を 採 用 し た 1 1 世 紀 の 写 本 に お い て 、観 者 は 、画 中 に 描 か れ た 使 徒 た ち と 同 じ よ う に 、 挿絵を通して自らの目の前で消えていくキリストを眺めることになる。 それによって、観者、即ち、肉体を持ったキリストを見ることができな かった信徒に、使徒たちを模範として、霊的な眼で天上世界のキリスト を観想することを求めたのである 27 。これと同じ図像形式が提示される サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の身廊における観者、つ まり、キリストの脚のみを眺める一般信徒に対しても、こうした働きか けが意図された可能性はある。内陣から一定の距離を隔てて立つ一般信 徒 は 、「 脚 」 と い う キ リ ス ト の 人 間 的 部 位 を 通 し て 、 そ の 位 置 か ら 見 る こ 27 R. Deshman, art. cit., 1997, pp. 534-535. 9 とのできない彼の上半身(=神性)を想像するよう促されるのである。 本聖堂ではこの図像が空間的に展開されるため、さらに距離を隔てる と 、そ の 脚 さ え も 見 え な く な っ て し ま う( 図 4 )。こ の 地 点 で の 観 者 に は 、 画面に残された数人の使徒と、彼らの乗る雲のかたまり、また、これら を照らし出す神的な光という限定的なモティーフのみを見て、形すがた を見ることはできないが、たしかにこの空間に臨在するキリストを感じ 取ることが要求されたのだろう。 内陣に近づくに従って、徐々に上半身を顕わすキリストの図像と出会 う信徒は、彼の昇天に立ち会った弟子たちに天使が告げた言葉 [あ な た がたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがた が 見 た の と 同 じ 有 様 で 、 ま た お い で に な る ] ( 使 徒 1:11 ) を 身 を も っ て 体 験 す る こ と に な る ( 図 7 )。 薄 暗 い 聖 堂 の な か 、 キ リ ス ト の 全 身 像 が 金 色の光に染められた雲を背景にぼんやりと浮かび上がるが、 「 光 と 雲 」の モティーフは、光背の成立とも密接に関係する「キリストの神性」を表 すモティーフであった 28 。本 聖 堂 の 交 差 部 空 間 へ の 入 り 口 に 立 つ 観 者 は 、 その人性を象徴する脚を含めて、神性を象徴する光輝に包まれたキリス トの全身像を眺めるのである。昇天後から現在に至るまで、肉眼ではも はや見ることの叶わないキリストに、人間は信仰によって、浄化された 霊的な眼でもって再び会うことが許される 29 。そ し て 、最 後 の 審 判 が 下 さ れるキリスト再臨の日には、本聖堂のドームに描かれたキリスト像と対 面する観者が経験するように、信徒は肉眼で、そして永遠に、人であり 神であるキリストを見ることが可能となるのである [心 の 清 い 人 々 は 幸 い で あ る 、 そ の 人 た ち は 神 を 見 る ( マ タ 5:8) ]。 雲 と マ ン ド ル ラ の 形 成 に 関 し て は O. Brendel, “The Origin and Meaning of the Mandorla”, i n G a z e t t e d e s B e a u x - A r t s , X X V, 8 6 , 1 9 4 4 , p p . 5 - 2 3 . その他、雲の モ テ ィ ー フ に 関 す る 意 味 や 作 例 に つ い て は 、以 下 の 文 献 も 参 照 。辻 佐 保 子『 ビ ザ ン テ ィ ン 美 術 の 表 象 世 界 』、 岩 波 書 店 、 1 9 9 3 年 、 3 9 7 - 4 2 7 頁 ; C , K . K l e i n b u b , Vi s i o n a n d T h e V i s i o n a r y i n R a p h a e l , P e n n s y l v a n i a , 2 0 1 1 , p p . 1 0 - 4 5 ; A . B u c c h e r i , op. cit., 2014. 29 R. Deshman, art. cit., 1997, pp. 533-534. こ の よ う な 解 釈 に 関 し て デ ッ シ ュ マ ン は 、詩 篇 注 解 ( 第 1 0 9 編 ) 等 に 示 さ れ る ア ウ グ ス テ ィ ヌ ス の 見 解 を 参 照 す る 。 28 10 ( 二 ) 1510-20 年 代 の コ レ ッ ジ ョ 絵 画 と 《 ヨ ハ ネ の 召 天 》 内 陣 に 立 つ 観 者 は 、「 ヨ ハ ネ 」 と 「 ヨ ハ ネ の も と に 顕 現 し た キ リ ス ト 」 と い う 二 つ の 対 象 を 見 る こ と に な る( 図 8 )。言 葉 を 換 え れ ば 、 「キリスト の再臨/ヨハネの召天」を描いたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリ スタ聖堂の天井画は、身廊側に向けられる「再臨」の図像を、福音書記 者聖ヨハネのヴィジョンとして表した作品であると言える 30 。この天井 画 以 降 、 1520 年 代 半 ば に コ レ ッ ジ ョ が 制 作 し た 絵 画 作 品 に も ま た 、 聖 な る 存 在( キ リ ス ト 、聖 母 、天 使 な ど )を 、同 一 画 面 内 に 登 場 す る 聖 人 の 内 面的ヴィジョンとして提示した本作品と同様の手法が認められる。 《聖セバスティアヌスの聖母》 ( 図 9)に お い て は 、 「 聖 会 話 」形 式 を 踏 襲 し な が ら 、忘 我 の 状 態 に あ る 聖 セ バ ス テ ィ ア ヌ ス と 聖 ロ ク ス の「 幻 視 」 として聖母子が表される。シアマンは、彼らが共に「ひとつの幻視を経 験しており、一方は夢の中で、もう一方は殉教のエクスタシーの中で、 天国の中からの、聖母子の瞬間的かつ突然の顕現を幻視している」こと を指摘する 31 。画 面 の 大 部 分 を 占 め る 、明 確 な 形 態 を 持 た な い 雲 と 段 階 的 に 移 行 す る 黄 金 色 の 光 、基 軸 の な い 不 安 定 な 空 間 に 配 さ れ た 人 物 た ち と 、 彼らに当たる光と影の交錯を用いて、この瞬間の緊張感が伝えられると ともに、神的存在と交感し恍惚状態にある人物の精神状況が引き立てら れている。 ま た 、《 四 聖 人 の 殉 教 》( 図 1 0 ) に お い て 画 家 は 、 素 描 で は 構 図 の 中 央 に描いた棕櫚の冠を手に持つ天使を、完成作では右端へと移し、それに 伴って対角線を基調とした構図へと修正することで、天使を仰ぎ見る二 人の聖人の眼差しを際立たせた。そこでは、天使はもはや、単に信仰者 の勝利を暗示するために挿入されたモティーフではなく、死の瞬間、剣 を突き立てられて法悦状態に陥った聖プラキドゥスと聖女フラウィアの 30 ドーム西端に描かれたヨハネを中心に展開する図像に関して、先行研究 解 釈 が 大 き く 二 つ に 分 か れ て い た が 、そ れ を「 ヨ ハ ネ の 召 天 」と 理 解 す る よ 、「 パ ト モ ス 島 の ヨ ハ ネ の 幻 視 」 と 理 解 す る に せ よ 、 ヨ ハ ネ の 視 覚 を 介 、つ ま り 、ヨ ハ ネ と い う 個 人 に 与 え ら れ た 幻 視 と し て キ リ ス ト が 表 さ れ た う見解は、両者ともに共通する。 31 J. シ ア マ ン 『 オ ン リ ー ・ コ ネ ク ト ― イ タ リ ア ・ ル ネ サ ン ス に お け る 美 術 観 者 』 足 達 薫 ・ 石 井 朗 ・ 伊 藤 博 明 訳 、 あ り な 書 房 、 2008 年 、 172 頁 (Only Connect: Art and the Spectator in the Italian Renaissance, Princeton, 1992.)。 は せ て い 11 で に し と と みに見える存在として描かれている(死刑執行人はそれに全く気付いて い な い )。 これまでの様式論的考察において、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジ ェ リ ス タ 聖 堂 の 天 井 画 と 、コ レ ッ ジ ョ が 1 5 2 0 年 代 前 半 の 絵 画 作 品 に お い て 使 用 し た 造 形 的 手 法・言 語 と を 関 連 づ け た 考 察 は 全 く 行 わ れ て い な い 。 だ が 、 後 年 の 《 聖 ヒ エ ロ ニ ム ス の 聖 母 》( 図 1 ) や 《 聖 ゲ オ ル ギ ウ ス の 聖 母》 ( 1 5 3 0 年 頃 )に お い て は 、 《 聖 セ バ ス テ ィ ア ヌ ス の 聖 母 》の よ う に「 聖 会話」を主題としながらも、個人の内面体験に焦点を当てた手法(人間 と、その人の見る幻視の対象を画面の上下に配し、雲と光のモティーフ によってそれらを分離すると同時に、幻視を見る人物を介して観者を神 的存在と結び付ける手法)はもはや使用されず、聖人を介さず、直接観 者を画面に取り込もうとする試みが示される。この変遷を踏まえると、 神と人間をいかに関係付けるか、画像を介していかに観者を神的世界へ と 誘 う か と い う 問 題 は 、 絵 画 / 建 築 装 飾 と い う 媒 体 を 問 わ ず 、 1520 年 以 降一貫してコレッジョの関心の対象となっていたと理解される。 サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井画において近接 した視点から捉えられたヨハネは、上空からの光線に鮮やかに照らし出 され、その顔に浮かべた表情がひときわ目を引くものとなっている。そ れは、描かれた人物の感情を強調し、観者の感情移入を可能にする個人 礼拝用の祈念画に通ずる取り組みと言える。本作品を制作する以前、コ レ ッ ジ ョ は 《 若 い キ リ ス ト 》 ( 1 5 1 2 年 ) 、《 聖 ア ン ト ニ ウ ス 》( 図 1 1 )、《 聖 ヒ エ ロ ニ ム ス 》(1517-18 年 )な ど 、比 較 的 小 さ な カ ン ヴ ァ ス に 人 物 の 半 身 像をクローズアップで捉えた作品を多数制作している。短縮法を用いて 観者と絵画を結び付けるこの構図は、そこに描かれた人物に対する共感 を引き起こし私的な観想へと観る者を促す、中世末期以来頻繁に用いら れた手法であった 32 。こ の よ う な 初 期 作 品 で 用 い ら れ た 、あ る 種 の 状 態 に 置かれた人間の精神状態に光を当てた手法は、 《 エ ッ ケ ・ ホ モ 》3 3( 図 1 2 ) 32 S. Ringbom, Icon to Narrative: The Rise of the Dramatic Close -up in Fifteenthcen tur y D e votional Pai nting, N eth erl ands, 1984, pp. 11 -71. 3 3 《 エ ッ ケ ・ ホ モ 》と 作 品 の 祈 念 的 機 能 に 関 し て は 、G . P e r i t i , “ C o r r e g g i o , P r a t i e l’Ecce Homo: nuovi intrecci intorno a problemi di devozione nella Parma rin a sc i men t al e ”, in Em ilia e Ma rch e n el Rin a sci m en to : L’ Id en tità vi siva d ella 12 や 《 キ リ ス ト の 聖 顔 》 と い っ た 1 5 2 0 年 代 の 祈 念 画 、 さ ら に 、《 キ リ ス ト の 哀 悼 》 ( 1 5 2 4 - 2 6 年 ) や 《 四 聖 人 の 殉 教 》( 図 1 0 ) な ど の 物 語 画 へ と 引 き 継がれていく。こうした物語画の要素と祈念画の要素を統合しようとし た 1520 年 代 半 ば の 探 求 34 の萌芽が、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェ リ ス タ 聖 堂 の 《 ヨ ハ ネ の 召 天 》( 図 8 ) に は 認 め ら れ る の で あ る 。 これまでの研究では、本作品の形体・様式的側面は主として、ローマ との関係から論じられてきた。それに対し、上で行ったように、コレッ ジョ自身の創作活動にサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂天 井画を位置付けてみるならば、ドームの西側を中心に展開する《ヨハネ の 召 天 》 に は 、 1510 年 代 に 制 作 し た 自 身 の 絵 画 作 品 、 特 に 祈 念 画 に お い て彼が用いた造形言語や手法が援用されたとも理解される。コレッジョ が本作品において当時の最新の芸術様式を取り入れ、自らの作品に適用 したという従来の見解に異論はないが、そこにはまず、画家が一貫して 抱き続けた「人間を不可視の神といかに結ぶか」という関心がある。ま た、宗教建築の装飾として天井画に求められた典礼・祈念上の機能を果 たすために、いかにして本作品の主題や建築空間を活用するかという課 題に向き合ったことは看過すべきでない。それらを勘案した上で、ロー マの様式は採用されたと思われる。 四.おわりに コレッジョは、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井 画において、過去に自らが使用した手法やローマの芸術様式を取捨選択 し な が ら 、主 題 の 意 味 内 容 、建 築 的 特 性 、観 者 へ の 視 覚 的 効 果 、典 礼 ・ 礼 拝 に お け る 機 能 な ど 、作 品 を 取 り 巻 く 様 々 な 諸 要 素 を 緊 密 に 関 連 付 け て 、 宗教空間に適した一つの造形表現を成り立たせていた。ここにもまた、 この画家の祈念画や祭壇画にスウィッツァーが認めたような 35 、可視的 な画像を介して信徒の視覚経験を誘導し、不可視の神の認識へと至らせ ‘Periferia’, G. Periti (a cura di), Bergamo, 2005, pp. 181 -214. 3 4 A . M u z z i , “ L’ e s p r e s s i o n e d e l d o l o r e i n a l c u n e o p e r e d e l C o r r e g g i o d e g l i a n n i venti”, in Dialoghi di Storia dell’Arte, 1, 1995, pp. 134-145. 3 5 S . E . S wi t ze r, o p . ci t . , 2 0 1 2 . 13 ようとしたコレッジョの芸術的試みの一端を読み取ることができる。 こうした画家の芸術表現の探求は、パルマ大聖堂の天井画をはじめ、 《 聖 ヒ エ ロ ニ ム ス の 聖 母 》( 図 1 )、《 羊 飼 い の 礼 拝 》( 図 2 )、《 ス ー プ 皿 の 聖 母 》 等 の 1520 年 代 後 半 か ら 30 年 頃 の 大 祭 壇 画 制 作 へ と 引 き 継 が れ て いく。晩年には、パルマからマントヴァへと主な活動の拠点を移し、マ ン ト ヴ ァ 公 フ ェ デ リ コ・ゴ ン ザ ー ガ 二 世 ( 1 5 0 0 - 1 5 4 0 ) と そ の 母 イ ザ ベ ッ ラ・ デ ス テ (1474-1539)の も と で 、 そ の 芸 術 的 特 質 を 遺 憾 な く 発 揮 し た 神 話 画 及び寓意を題材とする一連の絵画作品を制作した。それまでの画業で中 心的に従事してきたキリスト教的主題ではなく、異教の神々を描いたこ れらの作品においても、例えば、縦長のカンヴァスの形状と対作品形式 のフォーマットを利用しながら、ギリシア神話の神ユピテルと人間の愛 の物語を借りて、神と個人の魂との神秘的合一 36 を描き出そうとする試 み が 見 ら れ る 点 (《 イ オ / ガ ニ ュ メ デ ス 》) 3 7 、 ま た 、 同 一 空 間 に 既 に 設 置 されていた他の絵画作品の主題内容及び様式上の関連性を意識しつつ、 設置状況や作品の形式においてコレッジョに特別に与えられた条件を活 かすことで、課された主題の意味を視覚的に伝える構図や人物構成を練 り 上 げ よ う と し た 過 程 が 窺 え る 点(《 美 徳 / 悪 徳 の 寓 意 》) 3 8 で 、そ れ ら に 36 ガ ニ ュ メ デ ス を「 知 性 」の 象 徴 と 理 解 す る 新 プ ラ ト ン 主 義 的 解 釈 に つ い て は 、 E. パ ノ フ ス キ ー 『 イ コ ノ ロ ジ ー 研 究 』 浅 野 徹 他 訳 、 美 術 出 版 社 、 1971 年 、 182 頁 。 コ レ ッ ジ ョ の 《 イ オ 》 に 関 す る 解 釈 に つ い て は 、 以 下 の 論 考 を 参 照 。 E. Ve r h e y e n , “ C o r r e g g i o ’ s A m o r i d i G i o v e ” , i n J o u r n a l o f t h e Wa r b u r g a n d C o u r t a u l d I n s t i t u t e , v o l . 2 9 , 1 9 6 6 , p p . 1 6 0 - 1 9 2 , 特 に p p . 1 8 6 - 1 8 7 ; L . F r e e d m a n , “ C o r r e g g i o ’s Io as Reflective of Cinquecento Aethetic Norms”, in Jahrbuch der K u n s t h i s t o r i s c h e n S a m m l u n g e n i n W i e n , L X X X I V, 1 9 8 8 , p p . 9 3 - 1 0 3 . 3 7 《 イ オ / ガ ニ ュ メ デ ス 》 の 設 置 状 況 に つ い て は 、 E . Ve r h e y e n , a r t . c i t . , 1 9 6 6 , pp. 160-192. コ レ ッ ジ ョ 1530 年 頃 の 作《 レ ダ 》と《 ダ ナ エ 》も 同 じ 空 間 を 装 飾 するために制作された。素描から、当初、画家は「ダナエ」を縦長のカンヴァ ス に 描 こ う と 模 索 し た こ と が 指 摘 さ れ る ( D. Ekserdjian, op.cit., 1997, pp. 2842 8 8 . )。 最 終 的 に 、「 ガ ニ ュ メ デ ス 」 と 「 イ オ 」 が 縦 長 カ ン ヴ ァ ス に 選 択 さ れ た の は 、こ れ ら の 組 み 合 わ せ が 対 を な す と き に 地 と 天 の 垂 直 性 、上 昇 と 下 降 の 運 動 を 際 立 た せ る も の と な り 、支 持 体 の 形 状 を 十 分 に 活 か す こ と が で き た か ら で あ ろ う 。 並 置 さ れ る と き 、《 イ オ 》 に お け る ユ ピ テ ル の 下 降 は 、 《ガニュメデス》 の上昇方向との対比的な関係の中で現れる。 38イ ザ ベ ッ ラ ・ デ ス テ の ス ト ゥ デ ィ オ ー ロ 扉 口 両 側 の 内 壁 面 を 飾 っ た こ の 二 点 の寓意画は、構図、人物の構成、姿態、身振り、陰影など諸々の造形要素を用 い て「 美 徳 / 悪 徳 」と い う 対 概 念 を 視 覚 的 に 示 す 。同 じ 部 屋 を 飾 っ た マ ン テ ー ニ ャ 、 ペ ル ジ ー ノ 、 コ ス タ の 作 品 と の 関 係 に つ い て は 、 E. Verheyen, The Paintings in the Studiolo of Isabella d’Este at Mantua , New York, 1971; S Campbell, Cabinet of Eros: Renaissance Mythological Painting and Studiolo of Isabella d’Este, London, 2004. 14 は、本稿で扱ったサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井 画 を は じ め と す る 1520 年 代 前 半 の 宗 教 画 に 通 底 す る 画 家 の 関 心 が 存 す るように感じられる。 従来の研究では十分に明らかにされてこなかったコレッジョの総合的 な 構 想 に 光 を 当 て る た め 、 今 後 は 、 1520 年 代 後 半 の 作 品 に つ い て も 新 し い研究方法を取り入れ、これまで切り離して取り上げられてきた作品を 取り巻く多種多様な論点を総括しながら分析を行うことが必要である。 この新たな画家像の構築が、地方画家としてローマ芸術との従属関係に 置かれてきた従来のコレッジョの評価を刷新するとともに、様式分析に おいて常に問題とされてきたバロック芸術との関係や、イタリア絵画史 における彼の位置付けの再考へとつながっていくのではないだろうか。 図 1 コレッ ジョ 図 2 《 聖ヒ エロ ニム スの 聖母 》 コレッ ジョ 《 羊 飼 い の 礼 拝 》 1530 年 頃 1527 年 頃 、 パ ル マ 、 国 立 美 術 館 ドレ スデ ン、 国立 美術 館 図 3 コ レ ッ ジ ョ 、パ ル マ 、サ ン ・ ジ ョ ヴ ァ ン ニ・エ ヴァ ンジ ェリ スタ聖 堂の 天井 画 、 1520-21 年 15 図 4 外陣に 与え られ る眺 望① 図 6 外陣に 与え られ る眺 望 ② 図 5 《 キリ スト の昇 天》 『 ティ ベリ ウス 詩篇 』 1050 年 頃 、 ロ ン ド ン 、 大 英 図 書 館 図 7 外陣に 与え られ る眺 望 ③ 16 図 8《 ヨ ハ ネ の 召 天 》 図 9 コ レッ ジョ ( 図 3 部分 ) 《聖 セバ ステ ィア ヌス の聖 母》 1524-26 年 、 ド レ ス デ ン 、 国 立 美 術 館 図 10 コ レ ッ ジ ョ 《 四 聖 人 の 殉 教 》 図 11 コ レ ッ ジ ョ 1524-26 年 、 パ ル マ 、 国 立 美 術 館 《 聖 ア ン ト ニ ウ ス 》 1517 年 頃 カ ポデ ィモ ンテ 美術 館 [図 版 出 典 ] 図 1・ 2・ 3・ 8・ 9・ 10・ 11・ 12 D. Ekserdjian, Correggio, London, 1997. 図 4・ 6・ 7 図 5 執筆 者撮 影 G. S c h i l l e r, I k o n o g r a p h i e d e r c h r i s t l i c h e n Ku n s t , Bd. 3, Gütersloh, 1971. 図 12 コ レ ッ ジ ョ 《 エ ッ ケ ・ ホ モ 》 1524-26 年 、 ロ ン ド ン 、 ナ シ ョ ナ ル ギ ャ ラ リ ー 17
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