ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)

ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
URL
アイダ・ターベル研究 (2) : 『The History of the Standard
Oil Company』の解剖 (1)
古賀, 純一郎
茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集
, 19: 23-50
2015.9
http://hdl.handle.net/10109/12712
Rights
このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属
します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。
お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
−②『The History of the Standard Oil Company』の解剖①−
古賀 純一郎
要旨
論文は、連載の8回目。今回は、最大のテーマともいえる米最高裁がロックフェラー帝国
の解体判決を下す原動力となったターベルの連載記事の分析へいよいよ突入する。ここでは、
全米を震撼させ、その名声を確立した金字塔の著作『スタンダード石油の歴史』を考察する。
ターベルは、教会の日曜学校の教師を務めるなど信心深い宗教家と思われていたロックフェ
ラーが最大最強のトラストをなぜ構築できたのかの秘密をこの連載の中で見事に暴いた。カ
ルテルをベースに、嘘と裏切り、詐欺、共同謀議、贈賄、買収などありとあらゆる犯罪的か
つ倫理にもとる商法を駆使させて完成させた巨大トラストの一大スキャンダルの全貌を全米
の市民の前に初めてさらした。マクルアーズ誌の連載は、単行本化されベストセラーとなる。
これがきっかけで、反トラストの世論が一段と過熱する。心ある政治家らは、トラスト規制
の必要性を痛感、米革新主義運動がさらに燃え上がる契機となったのである。
キーワード:スタンダード石油の歴史、南部開発会社、リベート、ドローバック、市場制覇
第1章、鉄槌
マクルアーズ誌に掲載されるターベルの連載は、当初、6回で計画された。だが、人気沸
騰に、12回への延長が決まる。記事が最終回に近づくとまたして続編への要望が強まり、
ついに19回まで及んだ。
当時、世界最大の富豪の名声をほしいままにしていたばかりか、米石油市場の90%を支
配する巨大トラストとその経営者の空前絶後のスキャンダルだっただけに、大きな反響を呼
んだ。
インターネットはもちろん、テレビもラジオもない今から100年前の当時、同社を告発す
る情報が新聞や雑誌などに単発的に掲載されても、悪事を糾弾する力は、限定されていた。
その全貌は、一般の耳にはなかなか届かなかったのである。
秘密主義を貫いた総帥の徹底した工作もあって帝国の恥部や悪事は、ほぼ完ぺきに隠ぺい
され、葬り去られようとしていた。そこに果敢に飛び込み、綿密な調査報道の末に、それら
『人文コミュニケーション学科論集』19, pp. 23-50.
© 2015 茨城大学人文学部(人文学部紀要)
24
古賀 純一郎
をまとめ上げ、一連の記事によるスキャンダルの暴露で鉄槌を下したのが、ターベルであっ
た。
連載は、「大富豪ながらも実生活は質素」、「敬虔なキリスト教徒で日曜学校の先生」とい
う品行方正、実直さばかりが強調されたロックフェラーの虚像を完璧に引っ剥がした。
当時、西部開拓の原動力となった大陸間横断鉄道を完成させ、全米で大きな力を振ってい
た巨大鉄道会社を意のままに操り、倫理にもとる不公正で巨額なリベート、ドローバック(割
戻し)を、強引に提供させ、同時に、鉄道からの輸送関連の不正な情報を活用し、詐欺的な
スパイ行為で出しぬき、ライバルの中小業者を兵糧攻めでつぶし、巨大トラストに発展させ
た反社会的な商法を白日の下にさらしたのである。
煮え湯を飲まされた石油地帯の中小業者らは、連載に、喝さいを送った。その一方で、ロッ
クフェラーと経済的に結びつき、利害を共にする企業からは、後ろ盾を窮地に追い詰め、金
脈を叩くジャーナリストとして目の敵にされたのである。
ターベルに対する妨害工作は、連載を追うごとに増え、取材は、骨が折れ、辛くなる一方
だった。当時のジャーナリズムの花形となっていたマックレイカー(調査報道)の第一人者
として一躍、脚光を浴び、当時、盛り上がりつつあった社会運動、革新主義運動のスターに
祭りあげられそうになった。
興味深いことに、こうした社会改革運動に対してターベルは一定の距離を置いていた。注
目されるたびにターベルは、連載を一刻も早く終えたいと考えるようになっていた。各方面
からの反響があまりにも強かったためである。
自分の主張を敢然と振りかざし、悪行をトコトン批判する正義感の表明については何ら気
おくれすることのないジャーナリストだったが、目立ちたがり屋では決してなかったのであ
る。
ターベルは、自伝にこう書いている。「19回目を脱稿すると、昔の人物の研究ができる安
全地帯、図書館へ逃げ込みたいとの欲求以外は消えていた。
(そこには、)自分の前に立ちは
だかる人も、侮蔑と憐れみ、賞賛と怒りで私を切り裂き、意味の無い、誤った権力あるいは
弱さで嘲る人間は、誰もいない」
。
単行本化された著書『The History of the Standard Oil Company』は、1904年に出版された。
上下2冊の分厚い本だ。この種の文献としては注釈が驚くほど多い。筆者の入手した1904年
の初版本の再版は、上巻が406頁で、うち付記が後半の141頁。前半には、数ページごとに
イラスト、写真が織り込まれている。ビジュアル化によって読者の理解を高めようとしたの
だろう。
注釈の大半は、スタンダード石油幹部の議会証言の記録、同社内文書、ロックフェラーの
ビジネスモデルと言われる南部開発会社の関連文書などが盛り込まれている。
下巻は、409頁のうち付記が101頁。上下2冊には、写真が盛り沢山で、序文の前ページに
総帥ロックフェラーのほか、スタンダード石油の幹部、カルテルを締結し、トラスト構築に
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
25
絶大な役割を果たした鉄道会社の幹部などの顔写真も多数掲載されている。
『The History of the Standard Oil Company』は、ロックフェラーやスタンダード石油の研
究で今なお、必読書となっているのは、正確さ、約半分を占める無類の資料の豊富さなどに
よるのだろう。
前身がスタンダード石油である現エクソンモービル社の凄さを扱った最近のベストセラー
『石油の帝国』
(スティーブ・コール著)にも冒頭からターベルの名前が登場する。
この中で、著者の元ワシントンポスト記者で米コロンビア大学ジャーナリズム大学院の学
部長のスティーブ・コールは、世界最大の石油企業のエクソンについて、
「独立的、あるい
は反抗的な姿勢を貫いてきた」
、「80年後の今もエクソン幹部たちがしばしばワシントンと
の関わりを避け腹の底に敵意を抱えている理由は、この(解体の)痛みが今も克服されてい
ない、ということだった」なとど語っている。今なお、秘密主義、反社会的なロックフェラー
のDNAが社内に充満しているということであろうか。そうだとしたら、恐ろしくかつ、驚
くべき伝統が今なお色濃く残っているということであろう。
本題に戻ろう。記事の連載中のターベルの関心は、記事に対するロックフェラーやスタン
ダード石油の反応であった。
「連中は、がっかりさせる秘策を考えている」との情報が各方面に張りめぐらせたアンテ
ナを通じて入っていた。そうだとしても、「それはロックフェラーの指令を受けたわけでは
ない」とターベルは、考えていた。
共通の友人から、「ロックフェラーは、『一言もない』
、『間違ったあの女については一言も
ない』と語った」と聞いていたからである。秘密主義が信条のロックフェラーは、その路線
を堅持すべきとの立場を一切崩していないことが分かった。自分の記事を読んでも痛くも痒
くもないということである。
別の筋からも「すべてに根拠がない」、「製油所売却を強要したという考え方は馬鹿げてい
る。
(業者は、自分の)製油所を売りたくて我々に売却した。金を儲けたのは誰もいないし、
喜んで売却したのである」、「記事に反論しようかとも一度考えたのだが、連中に好きなよう
にしゃべらせ、攻撃に対して沈黙を続けるのが、常に我が社の政策だったというのをご存知
だろう」という反応がターベルに届いていた。
第2章、The History of the Standard Oil Company(スタンダード石油の歴史)
筆者が、5年前にスタート、今回で第8回目を迎えたこの『アイダ・ターベル研究』は、
前半は、敏腕ジャーナリスト、ターベルの半生を軸に、後半は、ターベルを有名にしたメス
を入れた巨大トラストであるスタンダード石油を描いている。
特に、後半は、総帥ジョン・D・ロックフェラーの生い立ちから、スタンダード石油の設
26
古賀 純一郎
立、それが巨大トラストに生まれ変わり、帝国に成長するまでの過程を分析した。
その核心は、反社会的、反倫理的ともいえる商法の考察であり、それを可能にしたターベ
ルの調査報道の分析である。
連載の論文が半ばを超えた今、ロックフェラー帝国の解体で引導を渡すことになったマク
ルアーズ誌の連載『The History of the Standard Oil Company』を数回に分けて解剖する。
ターベルの特集は、1902年11月号のマクルアーズ誌でスタート、約2年で終了した。
筆者の手許にある再販本の表紙には、石油の聖地タイタスビルの風景を撮影したと思われ
る当時の写真が掲載されている。急傾斜する山肌に沿って石油採掘のためのやぐらが林立す
る、まさに揺籃期の石油産業の原風景である。ここで採掘された原油が精製施設へ運ばれ、
灯油、照明用の油などになり、全米で消費あるいは輸出に回されたわけである。
やぐらが隙間のないほどびっしりと並んでいるのは、当時は、地下に埋蔵されている原油
の所有権の概念が確立されていなかったためである。採掘中のやぐらの隣で新規参入者が石
油を採掘し始めても文句は言えなかった。まさにオイルラッシュである。
石油産業の勃興期のこの時代には、飛行機はもちろん、車やオートバイも発明されておら
ず、多くは照明用あるいはストーブなどの燃料用に利用されていた。飛行機や乗用車用のガ
ソリンの燃料として爆発的に需要が伸びるのは、20世紀入りしてからである。
B5版サイズの上巻をパラパラとめくると、目次の前ページに、くちびるをキリリと結び、
静かにこちらを睨む初老の男性の大きな写真が現れる。
三つ揃いのスーツに身を包んだこの禿げ頭の男性こそが、ターベルの宿敵となったジョ
ン・ダビッドソン・ロックフェラーである。椅子に腰かけ、首を半分横にひねり、こちらを
向いている。社長室あるいは、写真館でのショットと思われる。
キャプションには、撮影したと推定される1904年の年号が記されている。1839年生まれ
だから、誕生日を迎えていれば65歳である。腕利き助手のシダルが入手したのだろう。
シリーズは全18章で構成されている。連載は確か19回だったのになぜだろうといぶかる
向きも多かろう。19回目は、実は、シリーズがいったん終了し、単行本にまとめられた後
の1905年7月にマクルアーズ誌にあらためて掲載された『ロックフェラーの性格研究』であ
る。手厳しく分析した内容で、あまりの酷評にロックフェラー自身もショックを受けたと言
われる内容である。19回目は、幸運なことに、ネット上で閲覧できる。
上巻は、第1章から第8章で構成される。第1章のタイトルは、「ある産業の誕生」、第2章、
「スタンダード石油の誕生」、第3章は、「1872年の石油戦争」、第4章、「汚れた同盟」、第5章、
「トラストの基礎を構築」、第6章、「基礎の強化」、第7章、「1878年の危機」、第8章、「1880
年の妥協」、と続いている。では、ターベルによる渾身の作品を第1章から順を追って考察し
てみよう。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
27
1)第1章、The Birth of an Industry(ある産業の誕生)
ⅰ.美しいバラ
「米国の美しいバラは、そのまわりにあるつぼみを初期の段階で犠牲にすることによって
のみ素晴らしい香りを生み出すことができる」
。
こんな文章が、第1章のスタートする目次の次のページに掲載されている。スタンダード
石油がテーマとなる文献では必ずといってよいほど登場するのがこの文句である。
ジョン・ロックフェラー2世が、米東部の名門大学アイビーリーグのひとつとして知られ
るブラウン大学の学生に対して語り掛けた演説の中に含まれている。なぜ、総帥ロックフェ
ラーの後継者となった息子の言葉を掲載したのだろうか。
これは、素晴らしい香りのバラを生み出すには、その他大勢のたくさんのバラが、間引か
れて、犠牲になっているとの直接的な指摘である。意味しているのは、完成度の高いバラ、
ここでは、作品=完成度の高いスタンダード石油であろう。それを生み出すためには、その
他多くのバラ、つまり中小の多くの業者が犠牲になったとの事実を指摘しているのである。
つまり、2世は、巨大トラスト、スタンダード石油の歴史を振り返り、究極に近い市場独
占に成功した裏には、数多くの中小業者が淘汰されたことを言いたかったのか。引用したター
ベルにも、そうした意図があったことは間違いない。
同じページには、並んで、米独立戦争当時の思想家として知られるエマーソンの著作『自
己信頼』からの引用も掲載されている。
「1つの組織は、1人の人間の延長した影である」
。スタンダード石油という組織は、ロッ
クフェラーの延長した影、つまり分身であるということを意味しているのだろう。
ターベルは、序文の中で、スタンダード石油をなぜ取り上げ、分析の対象としたのかを丁
寧に説明している。
所属するマクルアーズ誌のある日の編集会議で、全米で猛威を振うトラスト(企業合同)
を取り上げることが決定した。「では、数ある中から対象をどれにするか」を議論している
うちにスタンダード石油に絞られた。
理由は、現存するトラストの中で、扱う商品をほぼ完ぺきに支配、最も完全に発展させた
のが同社だったことを挙げている。巨大な利益をテコに鉄道、輸送、ガス、銅、鉄、銀行な
どさまざまな部門を傘下へ置き、巨大トラストを構築していた。
ⅱ.膨大な資料
興味深いのは、同社の活動や商法の分析のための資料が豊富だったことを言及しているこ
とである。調査報道を手掛けるのであれば、資料が多ければ多いほど都合が良い。客観的な
立場の当局の資料であればなおよい。合点のいく指摘である。
膨大な資料を、時間をかけて読みつくし、分析・解剖する。そうすれば、全体像が次第に
28
古賀 純一郎
明らかになる。「巨大トラスト企業の成長過程が、信頼に値する文書によって追跡できる数
少ない企業であったことなども理由であった」とターベルは、説明している。
信頼に値する文書は、ここでは、政府、地方自治体など当局の公開資料を意味している。
1911年に反トラスト法(独占禁止法)違反で米連邦裁判所から解体宣告を受けた同社の商
法は、それを遡る約40年前の創設当初から社会的な批判を浴びていた。不透明な鉄道会社
からのリベートや他社との共謀で自由な取引を制限した疑いなどで連邦政府や州政府からた
びたび調査を受けていた。
こうした公聴会や委員会でのロックフェラーや同社幹部の膨大な証言記録などが残ってい
た。関連する新聞、雑誌などの記事はそれ以上であった。ロックフェラー側の証拠隠滅の努
力が見られ、探し出すのには苦労した形跡があるが、これらを丹念に腑分けし、犯罪的な商
法に迫ったのである。
調査魔で知られるターベルは、こうした公的文書は、探せば必ず見つかると確信していた。
当時のジャーナリストは、読破に時間を要するこの種の政府や自治体による公文書を基礎に
記事を書く習慣がなかったようだ。
だが、ターベルは、新境地を開くべく、公官庁の公開情報をベースに、告発型の記事を執
筆する新しい手法 調査報道 を導入したのである。
これは、それまでのフランス革命の動乱期に活躍した女傑ロラン夫人を扱った著書『ロラ
ン夫人伝』や、奴隷解放を実現したものの凶行に倒れた米大統領の著書『リンカーン伝』、
あるいは、フランスの英雄『ナポレオン伝』の執筆で活用した手法である。収集した公開情
報を基礎に事実関係を確認し、それに足で稼いだ新しい情報を積み上げて、これまでになかっ
た視点を持った新作をまとめていくというターベルならではの調査報道である。
協力者も少なくなかった。トラストによる犯罪にとりわけ詳しかった先輩ジャーナリスト
のヘンリー・ダマレスト・ロイドなどの格別の支援も得られた。連載には、執筆者ターベル
の名前が明記されていたから、読者からの情報提供が殺到した。これが特ダネの連発にもつ
ながった。
幸運なことに、スタンダード石油内部からの協力者も現れた。「地獄の番犬」と称された
スタンダード石油の大幹部ヘンリー・ロジャーズである。内部告発者とまではいかないが、
事実確認のために大きな役割を担った。秘密主義に徹するロックフェラーの意に反して、手
を上げてくれたから、ありがたいことだったころだろう。同書では、実名こそ挙げていない
がスタンダード石油からの協力が得られた由を簡単に触れている。
ⅲ.石油地帯史
「The Birth Of an Industry
(ある産業の誕生)
」とのタイトルから分かるように、この章では、
世界で初めて石油の採掘に成功したタイタスビルなどの、いわゆるオイル・リージョン(石
油地帯)の発展史のほか、誕生した石油産業がペンシルベニア州、オハイオ州、ニューヨー
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
29
ク州へと拡大し、一大産業として成長していく過程を扱っている、いわば石油産業の揺籃期
の歴史編である。
林立する油井やぐらの下で育ったターベルにとって、こうした産業の誕生を語ることは、
自分自身の生い立ちをそのまま語ることでもあった。
冒頭にこの章の中身を説明する小見出しが並んでいる。これは、上下2巻のいずれの章の
冒頭に付記されている。読者の理解を容易にするため小見出しのような気持ちで付けたと推
察される。読者の理解の増進のため番号を符って紹介しよう。
第一章の小見出しは、①石油は当初は珍奇な商品、その後は医薬品②真の価値の発見③大
量生産のわけ④石油の大きな流れ⑤解決されるべき多くの問題⑥保管と輸送⑦石油精製と市
場⑧操業する地域の急速な拡大⑨多額の資金と多くの労働者⑩多発する大災害⑪発生した苦
境と対峙し、すべてを克服⑫各人の努力に対する新たな驚くべき好機の拡がり−。これに目
を通せば、その章の中身はある程度予想できる。
その書き出しは、「ペンシルベニア州北西部の石油地帯は、50マイル(80㌔)に満たない
荒地で、主たる住民は、木こりだったのである」の描写で始まっている。
ここに全米から大勢の男たちが殺到したのは、Colonel
(大佐)と呼ばれる40歳のエドゥイ
ン・L・ドレイクが1859年8月に石油を掘り当てたのがきっかけだった。
ドレイクの軍隊での肩書が大佐というわけではなかった。石油採掘はイチかバチかのリス
クの大きな、危ないビジネスである。上手くいけば、恩恵も大きいが、投資額が膨大だから
失敗すれば、無一文になりかねない。ドレイクも晩年は不遇だったようである。
出資者らが、荒れ野で一人、石油採掘にチャレンジするドレイクの評判を良くするため敢
えてこの肩書で呼んでいたようである。地位が高ければ、信用されるし、身近に感じられる。
日本でも近所の親父さんを実態はそうでなくても、親しさを込めて「大将」
、「社長」と呼ぶ
ことがある。
タイタスビル以外に地下に眠る石油を採掘する施設がなかったのかといえば、必ずしもそ
うではなかった。東欧では、既に小規模な施設があったようだが、本格的なものとは言えな
かった。
ドレイク以前は、泉の中などで地下から噴き出す石油(ロック・オイル)が知られていた。
これは、植物性油や動物性脂肪と区別し、ビン詰めされ医薬品として販売されていた。当初
は、セネカ油、その後は、米国製医療用油などと称され、東洋や欧州に輸出されていた。
だが、ドレイクの採掘が成功した瞬間から様相が一変する。これを聞きつけた全米の山師
たちが、一攫千金を夢見てタイタスビルへ押し寄せ、ゴールドラッシュならぬ石油ラッシュ
が始まった。ターベルの父親もこの1人であった。
当時、原油が採掘できたのは世界で米国に限定されていた。現在、埋蔵量はもちろん採掘
量で、最大を誇るアラビア半島でさえからも採掘はもちろん発見もされてはいなかった。当
然のように、灯油などの石油製品は、欧州などへ輸出された。
30
古賀 純一郎
輸出は、1871年に早くも1億5200万ガロンまでに膨れ上がり、米国の対外輸出品目の第4
位に躍り出た。世界一はしばらく続き、ロシアで石油が採掘されるまで、文字通り米国は石
油産業の世界の中心地であった。
泉に湧き、岩塩の採掘などで地下の埋蔵が時たま発見される石油が暖房用灯油や照明用の
ランプの燃料に有用なことは専門家の研究で分かっていた。だが、まとまった量が見つから
ない。ドレイクは、有用性の知られている石油の大量発見を目指していた。
成功によって、第2 、第3の試掘が始まり、当初、日量25バレル程度だった産出量は、1年
もすると同2000バレル程度まで拡大、その後は倍々ゲームで伸びた。
ⅳ.輸送手段
当初木製だった輸送用タンクはしばらくして頑丈な鉄製へと変わった。輸送手段は、タイ
タスビル近くを流れるアレゲニー川につながる水路や敷設された鉄道だった。油井からの集
積地への運搬は、主に馬車に頼った。家畜は付近の農家から提供されたが、これも鉄道の拠
点を結ぶパイプラインの敷設によって間もなく駆逐された。
主力は、大量運搬の可能な鉄道であった。鉄道は、ロックフェラーが巨大トラスト帝国を
構築するための欠くべからざる源泉でもあった。鉄道を抱き込み、強要したリベートや悪質
極まる第2のリベート、ドローバックをテコに、ライバルの中小業者を蹴散らし、あるいは
傘下に引き入れ独占体制の構築に成功したのである。
ロックフェラーの才覚が発揮された高効率性を誇る経営も相まってスタンダード石油は、
石油市場のうちの精製部門の90%を掌握するまでの、信じがたい超高収益企業に生まれ変
わっていくのである。
石油産業のアキレス腱は、アップストリーム(川上)部門、いわゆる石油採掘部門の脆弱
性、不安定性に尽きる。これを嫌ってロックフェラーは、アップストリーム部門への深入り
を避けた。これは、原油が地上から消えるという枯渇が喫緊のテーマとなっている最近の石
油産業の状況とはやや異なっている。
確認された埋蔵量を石油採掘量で割ったのが可採年数である。最近は、50年程度と言わ
れる。50年先までに新たな埋蔵量が見つからず、採掘量が変わらなければ、半世紀後に石
油は地上から消える。枯渇するのである。
実際は、石油会社は、血みどろになって新規の井戸を採掘するため50年後に枯渇するこ
とはほとんど考えられないが、それでも石油会社にとって枯渇は、今なお大きなテーマであ
る。業界で続く合従連衡の動きは、地下に眠る原油の確保も目的のひとつである。
それは、別として。当時の価格の乱高下は常軌を逸していた。1859年にバレル当たり20
㌦だった原油が61年には、その約40分の1の平均52㌣まで低下。これが63年には、16倍の8
ドル15㌣へ上昇した。4年後の67年には今度は、その4分の1近くの2㌦40㌣へ下降した。埋
蔵が海外で発見されたら産業はどう変わるのか。そんなリポートで原油は、暴落した。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
31
なぜこうも激しいのか。石油に対する需要はほぼ一定なのに対し採掘に成功し、生産量が
増えれば供給過剰となるのは自然の成り行きである。その結果、価格は、暴落する。掘りあ
てても生産量が、予想外に少なければ、供給不足となり、逆に値上がりする。これは、農家
の豊作貧乏に当たる。
石油の発見と並行してペンシルベニア鉄道、エリー鉄道など大手3社が石油地帯一帯には、
1870年代に路線を既に敷設していた。石油輸送のためである。付近のアレゲニー川や水路
を利用した輸送もあった。輸送をめぐる競争は激しく、当然のごとく権謀術数が繰り広げら
れた。
ⅴ.魔の手
スケールメリットというべきか、規模に勝る鉄道が輸送量の確保に成功した。いずれもそ
の裏には、秘密のリペートがあった。鉄道3社にとってリーディング企業のスタンダード石
油との取引は、最優先された。取引は、量が確保されるばかりか、経路も単純、貨車の組み
替えも必要なく、高い効率性が保障された。この輸送に関与できるメリットは大きかった。
先の先の先まで見通し経営する才気あふれるロックフェラーは、最終的には、大量輸送と
いう餌をチラつかせ、鉄道3社を手玉に取ることに成功する。蟻地獄にはまった3社に対し、
搾り取れるだけのリベートを強要した。公定運賃は、正直者の中小業者にのみ適用されてい
たのである。リベートを受け取らなかったのだから、割高となったのは言うまでもない。
当時の石油産業の中心地タイタスビルは、売買業者が組織化され、売買市場も創設された。
人口も1万人程度まで膨れ上がっていた。ドレイク以前は、森と林を除くと、何もなかった
山間地に病院、警察、学校、消防など各種サービスが整備され、娯楽のためのオペラハウス
さえも完成し、新聞社も2つできた。
こうした原油の生産過剰、鉄道による中小業者に対する差別運賃など難題は山積していた。
ターベルよると、住民たちは、こうした複雑な問題を何とか解決し、世界一住み易い町にし
ていたのである。
住民たちが幸福の絶頂期にあったまさに、その時、石油地帯の将来を危うくする巨大な魔
の手が突然下りてきた。その攻撃の素早さと陰湿さは、フェアープレイの意識に満ちていた
住民たちを奈落の底に突き落とした。地域住民らの怒りは頂点に達し、米経済史では、ほと
んどみられることのなかった業者の決起を引き越したのである。
ターベルは、米国史上の前段未聞の事態が発生したことを、第1章の最後にこう記述して
いる。「この魔の手こそが、石油産業の独占をめざし、石油地帯の中小業者を廃業あるいは、
傘下入りを余儀なくさせるロックフェラーの策動なのであった」
。
読者は、初回を読み終えた読者が次号で、ターベルがロックフェラーの悪事をことごとく
暴露するとの期待を持って読み終わることになる。
「次号は是が非でも読まなければならな
い」。読者のはやるこの気持ちは、高まりこそすれ、低くなることはなかった。
32
古賀 純一郎
2)第2章、The Rise of the Standard Oil Company(スタンダード石油の興隆)
ⅰ.クリーブランド
ターベルの天敵ロックフェラーと悪質極まるその商法は、第2章で初めて登場する。業
態を拡大させ、盤石なトラスト帝国の構築に成功したビジネスモデルであるリベートを軸
にライバル企業を蹴散らし、廃業あるいは傘下入りなどに追い込む南部開発会社(South
Improvement Company)が登場する。
冒頭の小見出しをみてみよう。①ジョン・D・ロックフェラーの石油ビジネスとの最初の
つながり②クリーブランドでの初期の人生③最初のパートナー(相棒)④1870年6月のスタ
ンダード石油の組織⑤ロックフェラーの有能な仲間たち⑥石油ビジネスにおける鉄道の差別
料金の最初の証拠⑦リベートは、概して大規模貨物に対して提供されたことが判明⑧秘密連
合の最初の計画⑨南部開発会社⑩リベートやドローバック提供のための鉄道との秘密契約⑪
ロックフェラーとその一味がクリーブランドの石油精製業者らに対し売却か傘下入りかを強
要⑪計画の噂が石油地帯へ−。
ロックフェラーがビジネス拠点とした米オハイオ州クリーブランドの紹介からこの章は、
始まる。1860年代から20∼30社の石油精製会社が既に設立され、タイタスビルなどの石油
地帯と肩を並べるほど石油精製業に力を注いでいた。
工業立地の条件として原料入手の容易さなどが挙げられる。原料の運搬にコストを要する
ことから鉄鉱石の採掘される鉱山付近に鉄鋼業が生まれることが知られている。日本では、
砂鉄が発見され、これを契機に近代鉄鋼業がスタートした釜石市などが典型的な例だろう。
石油精製業でも、原油の入手の容易さが焦点となる。クリーブランドでは、当時、原油は
採掘されていなかった。しかも、石油地帯から北西に300㌔㍍ほどの遠隔地に位置していた。
東京・名古屋間程度の距離である。なぜ、石油精製業が、勃興したのか。
クリーブランドは、実は、工業立地という点からは別の意味で最適の地域であった。石油
地帯から原油の輸送のための鉄道や水路などが整備されていた。しかも、精製した石油製品
を消費地へ輸送するための鉄道はもちろんエリー湖を利用した船舶による格安の輸送が活用
できた。造船業を営む大都市だから労働力は豊富だし、工業用水としては、エリー湖の水が
たっぷり利用できた。
輸送には、船舶の方が鉄道より一般的に安価である。大消費地のニューヨークまで鉄道の
路線が複数敷かれたメリットは大きい。ロックフェラーの視点からすれば、激しく競争する
複数の業者に大量輸送をチラつかせ、競わせることで運賃を存分に叩くことができたのであ
る。これこそが石油精製センターとしてのクリーブランドの優位性であった。
クリーブランドの精油所は、1866年末には既に50を超えていた。そうした中に、石油ビ
ジネス入りを決断した1839年7月8日生まれの若きロックフェラーがいた。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
33
ⅱ.気鋭の経営者
ターベルは、当時の資料などを引用し、貧しい境遇に生まれ、苦労して育ったロックフェ
ラーの幼年時代を紹介している。人物像は、第6回目の論文で既に詳しく紹介した。このた
め重複する部分は割愛し、簡単に触れるにとどめる。
ロックフェラーは、自伝などで、
「13 、14歳の頃は、朝から晩まで、1日10時間働いた」
、
「貯金を覚え、ニューヨークでは違法な年7%の利子を取ることを学んだ」、「カネの奴隷にな
らずに、カネを奴隷できたのは良かった」などと語っている。
運が向き始めたのは、自活を余儀なくされた同55年9月。幸運にも簿記担当の事務員のポ
ストを見つけた。才能を発揮し、順調に昇給する。58年には、12歳年上の英国人と商社ビ
ジネスを開始。南北戦争の勃発も相まって軍向けが好調で、利益をあげることができた。
だが、石油精製業がより将来性のあるビジネスとにらんで進出を決断する。ビジネスは当
初から順調で、生涯の盟友となる交渉力抜群のヘンリー・フラグラーも戦列に加わった。
大消費地であるニューヨークに販売拠点も設ける。1870年、それまでの会社を統合し、
資本金100万㌦のスタンダード石油を立ち上げた。
この頃には、巨額の利益をあげる気鋭の若手経営者として注目を浴びるようになっていた。
ただし、その秘密主義はつとに知られ、記者会見にも応じることはなく、マスコミの取材を
徹底的に避けていた。
ターベルは、この頃のロックフェラーについて、「陰鬱で、用心深く、秘密主義。物事の
中で起こりうるすべての機会とすべての危険の可能性について見通していた」
、「チェスのプ
レイヤーのように自分の優越性を危うくするかもしれない組み合わせも研究していた」と描
写している。
同業者を驚かせたのは、業態を急速に拡大させる類まれなる商才だった。その秘密は何な
のか。効率的に石油精製するにしても限界がある。原料を買いたたいたにしても同様である。
ベールに包まれた帝国のカラクリが、輸送にかかわるリベートにあることを初めて暴露し
たのがターベルのこの連載であり、その暴露が第2章から始まる。「ここまでやるのか」と皆
を驚かせた、手荒で倫理にもとる犯罪的な手法であった。巨大独占を形成し、巨額の利益を
ほしいままにする悪辣な商法に全米は仰天したのである。
ⅲ.悪徳商法
当時のロックフェラーは、日曜学校の教師を務める宗教家としての敬虔な私生活が知られ
ていた。その彼が、不道徳極まる商法に手を染めていたとの落差が、あまりに大きすぎた。
この事実は、驚きをもって迎えられた。当世随一の富豪の青年実業家の一大スキャンダルで
ある。
調査報道によって、ターベルが突き止めたのは、秘密主義を土台としたカルテルをベース
34
古賀 純一郎
に、犯罪的ともいえる破格のリベートを公共サービスである鉄道会社から独占的に受けてい
た点である。割引運賃を実質的に強要していたのである。ライバルの中小業者は、この差別
運賃について一切知らなかったし、かやの外に置かれていた。
中小の業者は、リベートについて、フェアー(公正)でないとして、受け取りを拒否する
正常な倫理観を持っていた。これについて、ロックフェラーは、表面的には同調していたが、
「自分が受け取らなくても、誰かが受け取る」との論理で、裏では秘密裏にたっぷりせしめ
ていたのである。
ターベルは、同業者への取材で、これを余すところなく暴露した。最強のトラスト、スタ
ンダード石油のビジネスモデルの基本は、カルテルであり、共同謀議と取引妨害、リベート、
ドローバック、スキャンダルの隠ぺい、秘密主義だったのである。
ターベルは、章の中で、こんなやり取りを紹介している。ロックフェラーへのリベート提
供を知った業者が鉄道会社に赴き、「他の業者に安い運賃を適用しているようだが、それで
は、
(他の業者との)競争に勝てない」と苦情を申し入れた。鉄道は、悪びれずにその事実
を肯定し、その業者に対しリベートの提供を約束した。驚くべきことに、輸送量のうちのバ
レル当たり40㌣の運賃うち4割弱に当たる15㌣の供与を約束したのである。
ただし、適用されたのは、クリーブランドへ輸送された原油分のみで、ニューヨークなど
東方へ輸送される製品については除外された。
なぜ、クリーブランドへの輸送される原油のみにリベートが適用されたのかいぶかる向き
も多かろう。これは水路などの競合する輸送手段があるかどうかと関係している。3章以降
で詳しく説明する。
これが果たして是認されるのかと驚くような、リベートの一種であるドローバックも受け
取っていた。ドローバックについて、ロックフェラーの伝記『タイタン』を執筆した著者の
ロン・チャーナウは、こう表現している。例えば、ペンシルベニア州西部からクリーブラン
ドへの石油輸送で、スタンダード石油は、石油1バレル当たり40㌣のリベートを受け取るだ
けでなく、ライバルが同じくクリーブランドへ向けて発送する荷物についても同40㌣のリ
ベートを受け取っていた。ドローバックは、
「産業界に比類のない残忍な競争を招いた手法」
との評価もあるようだ。
受領の根拠も判然としない。ライバル社が輸送した製品に対するリベートをライバルであ
るロックフェラーが裏で、こっそり受け取っていたのである。「リベートを受け取らない業
者の方が悪いのだから、その分をオレに寄越せ」という論理だったのだろうか。
ターベルは、他の中小業者の発言を引用し、トコトン腐ったこうした商法について取り上
げている。懸命な読者ならお分かりだろうが、こうした公共交通機関からのリベートはもち
ろん、さらに悪質なドローバックも正当化されるはずはない。不透明な裏取引によるものだ
からなおさらである。それも手厚く、巨額に上っていた。
この結果、リベートなしのライバルの中小業者に対して、価格競争で圧倒的に有利な立場
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
35
に立てたのである。薄い利幅の中で勝負する石油精製業者にとってこれは致命的であった。
同じコストで精製してもいざ輸送する前から勝負で完璧に敗北していたのである。
ロックフェラーは、ライバルを叩きのめすために価格競争も仕掛けた。長期戦に持ち込ま
れライバルは音をあげた。廃業するか誘いに応じて傘下入りを決断するのみである。
スタンダード石油が最盛期に全米の石油市場の90%を支配できた背景にはこうした悪事
を尽くした数々の戦術があった。この犯罪的な手法が全米の反感を買い、最終的には、反ト
ラスト法(独占禁止法)違反で、1919年に最高裁によりバラバラに解体される判決を受け
ることになるのである。
連邦や州政府では、人後に落ちるこうした悪徳商法が問題になり、後年、ロックフェラー
をはじめとするスタンダード石油の経営陣は、詰問を受けた。だが、委員会の証言では、の
らりくらりと答えるだけで、詳細をなかなか明かそうとはしなかった。
膨大な公文書の中からターベルは、リベートやドローバックに関連する証言を突き止めた。
議会での宣誓供述書を引用し、内容などを明らかにしている。
当時、ペンシルベニア州のクリーブランド、ピッツバーグ、石油地帯の3大石油精製地は、
どこがセンターとして盤石な地位を確立し、生き残るかの競争に血眼になっていた。同時に、
石油関係製品の輸送に依存する鉄道3社もそれは、最大の関心事であった。経営の屋台骨に
影響が出兼ねない大きな問題であった。
鉄道間の競争は、いきおい苛烈化しリベートの供与に向こう見ずになりがちだった。ロッ
クフェラーの要求も年々大胆になっていた。大量の貨物を発注するスタンダード石油に対す
るリベートはさらに膨らんでいった。
レイクショア鉄道の副社長のデブロー将軍によると、クリーブランドで最大の輸送量を誇
るスタンダード石油は、同鉄道から特別のリベートを受け取っていた。
この間、ロックフェラーが気にしていたのが、利益の低下である。精製業が儲かるビジネ
スだとみて新規参入が殺到したためである。順調に伸びる石油製品に関税が課けられ、輸出
の鈍化が懸念される情況となっていた。
ⅳ.南部開発会社構想
こうした苦境を打開するための1871年秋の鳩首会談の末に登場したのが、悪名高いSouth
Improvement Company(南部開発会社)構想であった。地域の石油精製会社を秘密裏に統合
し、巨大な会社を創設、特別のリベートやドローバックを裏で受け取り、業態を拡大させて、
市場制覇を目指す内容である。この中心となるトンネル会社が南部開発会社なのである。
参加しない業者は、コスト面で太刀打ちできずに最終的には、南部開発だけが生き残る、
という計算である。
一本化で競争を無くせば、確かに、無意味な過剰生産は解消される。高値も維持できる。
カルテルの妙味である。これは、いわば、ロックフェラーが全米の石油産業の完全独占に向
36
古賀 純一郎
けた戦術であった。
ターベルによると、構想について、ロックフェラー、幹部のヘンリー・フラグラーらは、
懐疑的だった。スタートしたのは、鉄道会社の幹部などが賛成したためである。
1872年1月、フィラデルフィアで会合が開かれ、南部開発株1100株が配分され、ロックフェ
ラー、ヘンリー・フラグラーなどへ180株が、社長に就任する弁護士で、レイクショア鉄道
の役員のピーター・ワトソンに100株などが割り当てられた。
傘下入りしたらどうなるのか。協定によると、鉄道は、まず、石油精製会社に対する製品
の運賃を値上げを断行する。だが、傘下の業者に対しては、リベートに加えて、ライバル会
社の輸送分についての、リベートの一種であるドローバック(割戻し金)を提供する。この
ため実質的な運賃は以前より割安となる。
リベートの受領で優位に立てるばかりか、ドローバックというライバルの輸送分からのリ
ベートさえも受け取れるわけだから、競争では、圧倒的な有利な立場に立てる。このほか、
傘下入りを拒む業者の石油製品の輸送情報が鉄道から提供される仕組みになっていた。
本来、厳しく守るべきである顧客の秘密の輸送情報を鉄道会社が、ライバルに横流しする
のは、ビジネスのルールに違反しているのは明白である。
鉄道からすれば、そうした禁じ手を使ってもロックフェラーの歓心を買いたかったという
ことである。ロックフェラーもその情報をライバルのビジネスの妨害と、自社の利益拡大の
ために最大限利用した。
現在の感覚からは、こうした法外なリベートの受領やライバル社の情報提供は、独禁政策
に反するばかりか産業スパイ行為の一種であり、到底考えられるものではない。共同謀議と
して当時でも、厳しく断罪されたであろう。民事訴訟を提起すれば勝訴するのは当然であり、
賠償金も巨額に上ったであろう。
だが、そうした不正行為の全貌が判明したのはロックフェラーのライバルが石油地帯から
消えて相当、経過した後であった。反ロックフェラー陣営にいたターベルの父にしても既に
病に倒れた後だった。 何でもあり の初期資本主義の時代、こうした狡猾で、倫理や道徳
にもとる協定が結ばれたのである。
南部開発構想の誓約書は、後年、判明し、連載に盛り込まれている。ターベルは、ニュー
ヨーク・トリビューン紙に掲載された記事を引用している。
中身は、①すべての取引を秘密にする②予備的なやり取りは厳に非公開③値段を公開しな
い④この件については、了承なしには公表しない−など秘密を厳守する条項が事細かく定め
られている。
協定は、鉄道間の取り決めが必要である。石油地帯を走るレイクショア鉄道、アトラン
ティック&グレートウエスタン鉄道、ペンシルベニア鉄道、エリー鉄道、ニューヨークのセ
ントラル鉄道がすべて署名した。まさに、企業同士の談合、カルテルである。
1872年1月、南部開発会社は手続きが完了し、スタンダード石油は、資本金を200万㌦に
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
37
引き上げた。これを受けて、ロックフェラーは、当時26社あったクリーブランドを本拠と
する石油精製会社を1社ごと訪問し、構想の説明を開始した。
連載記事の中で、ターベルは、業者に対するロックフェラーらの説得工作を再現している。
「石油ビジネスを完全支配する構想が動き出す」、「枠外の人にはチャンスがない」、
「貴方
の施設を鑑定に出せば、何らかの価値を上乗せして、ご希望の株式か現金を提供する」
、「株
式の方をお勧めするが最終的にはそちらの方が良い」。こんな言葉で相手を説き伏せようと
した。
ロックフェラーは、「抵抗しても無駄だ」
、「提案を受け入れなければ、つぶしてやる」
、「最
後は4-5社になる」などとかなり強圧的な脅迫に終始したようである。
こうした説得の末、クリーブランドが拠点の26精油所のうち21が売却を決断した。これ
によって全米の精製能力の5分の1の掌握にまず成功した。わずか3か月間の短期間のうちだ
から、その交渉力は、見事である。
興味深いことに、工作は、秘密裏に決行され、地元メディアにさえも察知されなかった。
もっとも、悪事は千里を走る。悪い噂は、石油地帯へ瞬時に伝わった。最初は、信じようと
しなかったオイルマンたちも、計画が次第に本当だということが分かってきた。
構想が進展する中で、鉄道と南部開発の間で運賃に関する秘密協定が既に締結されていた。
それに基づく新たな運賃体系が、同2月26日に、何の前触れもなく、実施に移された。独立
系業者に対する石油製品の運賃が突然、2倍近くに値上げされたのである。
「これでは商売ができるはずもない」。中小業者たちの怒りは、瞬時に渦巻いた。用意周到
な共同謀議で実施に移された鉄道の値上げ。これによってどのような大混乱が発生したのか、
との読者の興味をそそらせる形でこの章は、終了している。
第2章は、当時の最大の金満家ロックフェラーの短期間に築くことに成功した帝国の土台
とする商法の恥部がターベルの調査報道により余すところなく満載されている。
用意周到かつ徹底的な隠ぺい工作を図ったということは、悪徳商法に対する罪の意識が
ロックフェラーにあったのだろう。それを緻密で、粘り強く取材、ジャーナリストとしては
初めてと言える公官庁に残る関連の膨大な資料や証言集を読み解き、初期のスタンダード石
油の全貌の解明に成功したのである。ここの記されているトンネル会社の南部開発のビジネ
スモデルこそがロックフェラー帝国の源泉でもあった。
悪質な商法の表面化で、石油地帯を巻き込む大騒動に発展する。第3章は、そうしたロッ
クフェラーと石油地帯の対決を第2章以上に詳しく書き綴っている。
3)第3章、The Oil War 1872(1872年の石油戦争)
ⅰ.組合の結成
ロックフェラーの商法で最も驚く経営手法は、前代未聞のドローバックであろう。製品輸
38
古賀 純一郎
出などに絡み、通常は、払い戻し税などとも訳されるが、この場合は、リベートの一種の追
加的な払い戻しである。信じられないことであるが、ライバル企業の運んだ貨物に対するリ
ベートを鉄道会社から巻き上げ、自分の懐に秘密裏に収めていたのである。
カルテル、共同謀議、スパイ行為、詐欺・・。考えられるありとあらゆる悪辣極まる手法
を駆使したのがロックフェラーの手法である。
これを当時の人気随一の月刊誌マクルアーズ誌に連載し、好評を博した。当時、ニューヨー
ク在住の新聞王ピューリッツアーやハーストなども労働者側に立つ新聞として社会悪の糾弾
に熱意を燃やしていた。ターベルも同じような調査報道を駆使してトラスト王の恥部を全米
に暴露したのである。徹底的な隠ぺい工作、秘密主義を柱に盤石な帝国を築いたスタンダー
ド石油にとっては、驚天動地の記事であっただろう。
ロックフェラーの反応はどうだったのか。暖簾に腕押し。反論することもなく、無視し続
けた。
南部開発構想をクリーブランドの同業他社にちらつかせ、「もはや勝ち目はない」と経営
を諦めさせ、売却か傘下入りを決断させる。ロックフェラーは、スタンダード石油への石油
精製設備の売却を迫り、あるいは傘下入りを求め、着々と業態の拡大を進めた。クリーブラ
ンドの石油精製業をほぼ手中に収めたことは第2章で説明した。
次に矛先を向けたのは、ニューヨークに次ぐ規模を誇る石油地帯の石油精製業であった。
クリーブランドで成功した手法が石油地帯で果たして通用したのか。第3章では、勃発した
ロックフェラーと石油地帯の中小業者の血みどろの争いを紹介している。
読者の理解のため冒頭の小見出しをまず紹介しよう。
①南部開発会社に対する石油地帯の決起②石油生産者組合を結成③南部開発加入者と関与
した鉄道に対する供給遮断③1872年の議会の調査と報告書の公表④南部開発に対する一般
的な非難と公の協議⑤鉄道の担当者が石油生産組合の委員と協議⑥ワトソンとロックフェ
ラーは、会議出席を拒絶される⑦鉄道は南部開発会社との契約を取り消し、石油生産者組合
と契約を締結⑧南部開発への封鎖が解除⑨石油戦争が公式に終了⑩ロックフェラーは、なお
もリベートを受領⑪壮大な計画は、現存−。
戦いの構図は、ロックフェラーの影武者である南部開発会社、実質的には、鉄道とロック
フェラーの連合軍と石油地帯の独立系業者との対決であった。ターベルは、これを第3章の
タイトルである「1872年の石油戦争」と表現した。
幼少期から石油地帯で育ったターベルにとって、父も参加した故郷の男たちの戦いは、他
人ごとでは決してなかった。当初、父は、採掘した原油貯蔵用の木製の樽を業者向けに製造
していた。当時15歳の多感な少女は、父の友人たちが自らの仕事を守るため反ロックフェ
ラーで団結し、行動を起こす姿を目の前で見ていたのである。
最終的には、連合軍の軍門に下って憤死した父を思いやる気持ちが記事の中ににじんでい
るのは、ある程度は避けられないだろう。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
39
いずれにしろ、父の仲間たちの独立系業者が、連合軍に対抗するため大同団結し、石油生
産者組合を間髪入れずに組織する。組合は、南部開発へ参加した業者への原油供給をストッ
プしたほか、生産量を自主的に減らして締め上げにかかる。
最終的には、これが奏功して石油地帯の業者らが勝利する。だが、それは、つかの間の勝
利に過ぎなかった。最後に笑ったのは、ロックフェラーであったことはその後の展開をみれ
ば明らかになる。
ⅱ.アナコンダ
話を最初に戻そう。鉄道運賃の値上げの噂は、同2月ごろから石油地帯に流れ始めていた。
鉄道運賃の値上げは、利幅の薄い石油精製ビジネスを成り立たせなくなるばかりか、独立系
業者が主体の石油地帯に壊滅的な打撃を与える恐れがあった。
噂には、おまけがついていた。一部の業者には、値上げが適用されないというのである。
新しい運賃は、2月26日の地元紙の朝刊に掲載された。例外扱いとなるのが南部開発へ参
加した業者というのである。
危機感を抱いた中小の業者ら3000人は、タイタスビルのオペラハウスで集会を急きょ開
いた。参加したのは、仲介人、採掘業者、石油精製業者らである。「共謀者を倒せ」、「妥協
はしない」、「降参しないぞ」そんなのぼりが会場を埋め尽くしていた。
この3日後には、近郊のオイルシティーで大規模な集会が開かれた。ターベルは、その熱
気は、「戦争のようでもあった」と記している。
集会では、①石油生産者組合を結成②業者支援のため60日間新しい井戸は採掘しない③
日曜日も採掘しないことで原油の生産量を絞る④南部開発への参加業者には原油を販売しな
い−などを決定した。
反ロックフェラー陣営の活動は徹底していた。州議会に代表団を派遣し、南部開発会社の
設立認可書の破棄を要請するとともに連邦議会に対して同社が取引を妨害しているとして調
査を要求した。このほか、全米のすべての裁判所の裁判官、上院議員、連邦と州の議員、す
べての鉄道の業者や大企業の幹部に書簡を送付するなど大々的な攻勢に打って出た。
また、鉄道の妨害を受けたものの悲願の無料パイプラインを敷設する要請も議会に陳情。
州都のハリスバーグに1000人を集めたデモ行進も企画した。
業者たちは、南部開発を「巨大なアナコンダ(大蛇)」「怪獣」などと呼んで気勢を上げ、
数週間に渡り、策動をつぶす工作に、仕事そっちのけで没頭したのである。
石油地帯の業者の最大の関心事は、計画の首謀は一体誰かということであった。当然、南
部開発社長のピーター・H・ワトソンが浮上した。だが、誰もワトソンが首謀者とは受け止
めなかった。
構想の全貌が判明すると、皆が仰天した。石油地帯からの運賃が、マージン(利ざや)を
超える2倍以上の引き上げとなっていたからである。そして、この値上げ分の大部分を鉄道
40
古賀 純一郎
会社ではなく、南部開発が手に入れる段取りになっていた。
南部開発は、自社で石油を輸送する際に他の業者に比べてバレル当たり平均で、まるまる
1ドルは安く輸送できるようになっていたばかりか、ドローバックとして、ライバルが輸送
した石油についても同1ドルの提供を受けることができるようになっていた。
連邦議会の調査委員会に出席した関係者は、この運賃差別による収入は年間600万ドルに
上る可能性があるとの試算を公表した。鉄道は、現行より150万ドル収入増を見込んでいた。
差引の450万ドルが連合軍に回るということか。
試算によると、石油精製業者にとっては、これによって卸売価格は、1ガロン当たり少な
くとも4セント値上がりとなる。
連邦議会の調査委員長は、「南部開発の成功は、傘下入りを拒むすべての石油精製企業の
破壊を意味するのではないのか」
、「すべての生産者を一つの権力の下に置くことになる」、
「誰も触れられない独占を形成することになる」と断言した。
独立系の業者は屈服する考えは毛頭なかった。今こそ、リベート問題に永遠の決着をつけ
る時だと考えていた。鉄道による独占、運賃差別、リベート、ドローバックを厳しく断罪す
る組合は、さらに、州際間の取引についての規制も要求した。窮地に陥った独立系業者をな
だめるため鉄道は、急転直下、新運賃の実施を見送った。
ⅲ.鳩首会談
組合と鉄道の会合が、エリー鉄道の事務所で、同3月25日に開催された。鉄道の幹部が集
結するこの会合に、南部開発のワトソン社長に加えて、首謀者とみなされていたものの、水
面下に姿を隠し、沈黙を続けていたスタンダード石油の総帥ロックフェラーが参加を希望し
た。
この表明は、反対派を土壇場で説得し、強行突破しようとするロックフェラーの最後のあ
がきとみなされた。このため、出席は、組合側に強硬に反対され、実現しなかった。
会合は、最終的に鉄道が、南部開発と締結した協定の廃止と石油地帯の要望を盛り込んだ
新しい契約を結ぶことで合意、契約書へも署名した。
内容は、①全輸送は、生産者、精製業者など全業者が完全に公平に扱われる②種類が何で
あれ、料金の違いや差別をもたらすようなリベート、ドローバック、いかなる性格の取引も
容認も作成もされない③組合のトップへの了解なしに値上げも値下げもしない−などを盛り
込んでいた。
鉄道会社は、同28日に南部開発と結んでいた契約を無効にした。独立系業者は、ワシン
トンへ出向き、連邦議会の調査委員会に出席、グランド大統領とも会談した。
大統領は、「私は、独占の進行に気づいており、政府が介入し、人々を独占から守らなけ
ればならないと長い間確信してきた」と語るとともに議会の調査に関心を示し続けていたこ
とを明らかにした。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
41
同5月に公表された委員会の最終報告では、南部開発構想について、米国の経験したうち
で最も巨大で衝撃的な共同謀議であったとする結論が出された。
これによって全米の石油市場の独占を目指す南部開発構想という化け物は崩壊し、独立系
業者に勝利がもたらされたのである。だが、石油地帯に平安が訪れたわけでは決してなかっ
た。
ロックフェラーは、お膝元のクリーブランドで南部開発の手法を応用して、この石油戦争
の間に、26の製油所の大半を手中に収めていたのである。
第3章の中で、独立系業者の緊密な結束力で、連合軍のたくらみを首尾良く粉砕したこと
を描写した。これによって、読者は、ロックフェラー商法の中身をさらに詳細に触れること
ができたのである。
4)第4章、An Unholy Alliance(汚れた同盟)
ⅰ.戦術転換
初戦で敗退したロックフェラーは、尻尾を巻いて、退却したのだろうか。冒頭に綴られた
小見出しをまず、紹介しよう。これに目を通せば、そうではないことが分かる。戦略家の面
目如実である。
①ロックフェラーとその一派は、組織する連合体の提案を非公表から今回は公開②ピッツ
バーグ計画③計画の主たる強みはリベートで、石油地帯からは許容されず③落胆しなかった
ロックフェラー④3か月後に全米精製業者協会の協会長に就任⑤米国の石油精製業の5分の4
の利益がロックフェラーへ⑥石油地帯が決起⑦生産者組合が、原油の値下がりに歯止めを掛
けるため30日間の閉鎖と採掘停止を命令⑧石油生産を統制するため石油生産者連合を組織
⑨ロックフェラーは、敵対者より勝り、石油精製業者と生産者の連合体を強要⑩生産者連合
と生産者協会は消滅⑪全米石油精製協会は解散⑫ロックフェラーは、着実に勢力拡大−。以
上のような順序で構成されている。
主導したのは鉄道、振り付けがロックフェラー、の市場独占構想が水面下で再び推進され
た。石油地帯の業者は、その内容を知る由もなかった。
2度目の強硬な反対運動が展開される過程でその全貌が次第に明らかになり、怒りは、さ
らに拡大した。
最初の敗北を教訓としたのか、ロックフェラーの次に繰り出した一手は、相手の不安感を
少しでも和らげ、理解を得るため公開を旨とした。それによってライバルを抱き込み、市場
の制覇を目指す戦術に転換したのである。
第4章のタイトルを、ターベルが「Unholy alliance
(汚れた同盟)」としたのは、本来、
敵対すべき間柄の石油地帯の中小の業者が、狡猾なロックフェラーの高等戦術に乗せられ、
同盟を考えるまでに至る思いがけない展開になったことを指している。平たく言えば、両者
42
古賀 純一郎
が、自らの利益を優先し、消費者不在の不公正なカルテルの締結に合意したわけである。
乱高下の甚だしい石油価格を安定させ、収益を確保するにはどうするか。ロックフェラー
が目指したのは、市場の独占である。市場を100%牛耳れば、値段は思いのままに決められ
る。損をすることもない。
買手市場だから原料の購入でも叩かれることは一切ない。むしろ自分が優位に立てる。そ
れは、優位に立つ鉄道との交渉で骨の髄から身に染みて分かったことでもあった。
第3章でターベルが解説したように、ほとんど実態のないペーパーカンパニー南部開発を
軸に一気に攻勢に出たのである。
クリーブランドでは、石油精製会社の買収にほぼ成功したロックフェラーであったが、第
3章で明らかにしたように、石油の発祥地である石油地帯では、業者らの一致団結した固い
守りに無念の涙を飲んだ。
その主因は、公正さからかけ離れた悪辣なリベート戦術が事前に明るみに出たことで、分
の悪さを悟った鉄道会社は、自発的に契約を破棄し、退却を図ったことに尽きる。
鉄道と足並みを揃えてロックフェラーも撤退したのか。そうではなかった。転んでもただ
で起きなかったのである。いや、むしろ、目指す市場の制覇に向けて再度、果敢なチャレン
ジを開始したのである。その第一弾となるこの第4章である。
ⅱ.ピッツバーグ計画
今回登場するピッツバーグ計画とは、市場独占を諦めきれないロックフェラーが、石油地
帯に対してあらためて持ちかけた計画である。
捲土重来、またもや舞い戻ってきた、と判断した石油採掘業者は、再度、反ロックフェラー
で結束を固めた。この姿勢が奏功したのか、前回のように力に任せた強行突破という手段は
取らずに、相手の動きに合わせて譲歩する柔軟な姿勢が見られた。
ロックフェラーは、得意のカルテル戦術を突き付けた。業者たちは、目の前にいきなり美
味しいニンジンをぶら下げられた。筋を重んじるのか、それとも実利を優先するのか。これ
によってターベルの言う 汚れた同盟 が生まれる直前までに至るのである。
前提としてなぜ、ロックフェラーが石油地帯にこだわったのだろうか。ターベルは、これ
を簡単に説明している。
当時、石油の採掘されたのが、ほとんど北米。世界の石油産業の中心地は米国であった。
灯油など精製油は、欧州、アジアなどへ輸出されていた。
石油精製の中心地は、原油の採掘される石油地帯、クリーブランド、ピッツバーグ、フィ
ラデルフィア、消費地の控えるニューヨークなどであった。
クリーブランドを制覇したロックフェラーは、第2の石油精製地である石油地帯を照準に
据えた。目指す市場独占では、石油地帯は避けて通れない地区である。
ターベルは、第4章の書き出しをタイタスビルに、ロックフェラーと南部開発の幹部が突
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
43
然、姿を現したシーンからスタートさせている。
それは、鉄道の契約撤回から2か月程度経過した5月であった。軒を連ねる採掘業者、石
油製品を扱う業者を、廊下トンビならぬ、事務所から事務所へ、通りの隅から隅までを回る、
戸別訪問を開始したのである。それは数日間続いた。
「皆さんは私たちの意図を誤解している」、「ビジネス救済のためであって、破壊ではない。
だからここに来たのです」、「石油業界に秩序なき競争があるのはご存知でしょう。連携でど
うなるのか考えてみましょう」
、「実験してみましょう、それだけです。機能しなかったら、
その時は、元のやり方に戻ればいいだけです」
。
愛想をふりまき、説得活動に当たった。不屈の精神である。もっとも、ターベルが後年、
タイタスビルを訪れ当時の様子を業者に取材したところでは、説得に当たったのは、その他
大勢で、ロックフェラーは、顔を出すには出したが、ほとんどしゃべらなかった。顔に手を
やり、揺れるロッキングチャアーに体をうずめていた。
幹部らは、直ちに計画に参加し、製品値段の是正のため早急に連携し、他の業者の参入を
阻まなければ、ダメになってしまう、と熱心に語り掛けた。
当時、ロックフェラーは、米石油精製業の5分の1を支配していた。残りを独占し、市場
を支配しようとする底知れぬ野望があったのである。
説得工作が終了した3か月後の72年8月、計画が動きだした。ロックフェラーが会長の全
米精製業者協会を設立した。これを知った採掘業者らは、対抗のため石油採掘業者連合を間
髪入れずに設立した。同時に、6か月間の新規採掘の中止の指令が発表された。激突は、昨
年の再来である。
石油地帯の多くの業者がこれに署名した。協定破りを摘発するための自警団も創設された。
強制力を持たせるための30日間の油井閉鎖が提案されるなど矢継ぎ早にロックフェラー追
い落としのための方策が打ち出された。
ⅲ.陽動作戦
「精製業者の奴隷に決してなってはならない」。石油地帯の原油を支配する業者の連合組織
と精製部門の独占を目指すロックフェラー陣営のにらみ合いがしばし続いた。
そうこうするうちに、採掘した原油を独占する業者は、原油をバレル当たり4.75ドルの高
値で購入するよう迫った。
原油が手に入らなければ石油精製業者の商売は干上がる。結束が固いと見たのか、購入に
応じる姿勢を見せた。歩み寄りによる 汚れた同盟 形成の萌芽である。
ターベルによると、業者による新組織の成立は、市場独占を夢見る総帥には脅威と映った
ようである。この策動を、何としても未然に鎮静化させなければ、2度目の敗北となる。
意気軒昂な業者の思惑とは裏腹に、こうした高値は、続かなかった。採掘業者の協定破り
が続出し、再び、生産過剰と化していたのである。石油地帯は、その後もオイルラッシュが
44
古賀 純一郎
続いており、採掘停止により生産を需要に近づける業者の努力は、ほとんど効果がなかった。
精製業者へ掃けずに余った原油はタンクに貯蔵することになっていたが、そのタンクは、
原油であふれかえっていた。
「これで勝てる」。機を見るに敏なロックフェラーが小躍りしたのは言うまでもない。採掘
業者に原油購入を提案した。これは圧倒的多数で、承認された。興味深いことに、締結され
た協定の中には、精製業者は、鉄道から一切、リベートを受け取らないとの条項が盛り込ま
れていた。
だが、ターベルによると、これはロックフェラーのいつもの騙し戦術で実際には、裏でリ
ベートを受け取っていた。お人好しの採掘業者らは、まんまと騙されていたのである。
提携は、当初は、精製業者側がバレル当たり3.25ドルの高値で20万バレル購入の要望を出
すなど順調に進んでいた。だが、数か月経過すると、生産過剰を理由に買いたたき始まった。
提携は、急転直下、空中分解した。
勝利を掴んだスタンダード石油の1872年の利益は、105万㌦を計上した。この利益は、配
当に充てられ37%の高額配当を記録した。
ロックフェラーは、市場制覇に向けて、着々と駒を進めた。製品の円滑な輸送を実現する
ために鉄道用のタンク車を揃え、驚くべきことにニューヨークのターミナル施設の支配権も
取得に成功した。
初戦に敗退したロックフェラーは、捲土重来が叶い、負けたと見せかけ、最後は、採掘業
者を屈服させた。結束の危うい業者たちの脆弱性を知り尽くしていたからである。以降、業
者らは、じりじりと後退を余儀なくされる。その後の展開は、第5章を待ちたい。
5)第5章、Laying the foundations of a Trust(トラストの基礎を構築)
ⅰ.倫理観無き経営
勝利を収めたロックフェラーの市場制覇への暗躍はなおも続く。第5章の要約は以下であ
る。
①3月25日協定の署名後にリベート再復活の証拠②公共交通機関の義務にも拘わらず、大
量の荷主が少量の荷主に優越して扱われるという原則が完全に確立③東方への輸送で3鉄道
の割合を協定で決定④はく奪された石油地帯の地理上の優位性⑤ラッターサークル(書簡)
⑥ロックフェラーは石油精製油を支配する夢の計画の実現に今、密かに着手⑦中央協会の組
織⑧ヘンリー・H・ロジャーズが計画を妨害⑨ロックフェラーは、石油精製業者の同盟を密
かに成功裏に提案⑩リベートが武器⑪統合は、説得か力づくで⑫動きに対処するため努力を
結集し、より多くの協議を−。
ターベルは、この章で、市場支配に向けてロックフェラーが再始動したことをあらためて
取り上げた。その手法は、従来通りの倫理観などに一切こだわらない血も涙もない経営手法
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
45
である。
初期資本主義だから仕方がない、との見解もあろう。だが、善良な業者は、当時でさえも
山ほど存在しており、裏をかかれた業者たちは、地団太を踏み、石油地帯から去ったのであ
る。
1872年に石油採掘業者と石油精製業者らが結んだ生産量規制などのための協定は現在で
は違法のカルテルである。ロックフェラーが一敗地にまみれた同3月の鉄道3社とのリベー
トを一切認めないなどの条項を盛り込んだ運賃協定の成立によって石油地帯の業者は、割引
はもちろんドローバックなどを容認しないなどの裏取引は、すべて解消したと誰もが信じ込
んだ。
ところが現実はそうではなかった。ロックフェラー、鉄道とも、この協定を完璧に無視し
た。鉄道は率先してリベートを提供し、ロックフェラーは罪悪感もなく受け取っていた。こ
れは、スタンダード石油の幹部ヘンリー・フラグラーが後年行った議会証言で明らかになっ
ている。
証言によると、1872年の4月1日から11月15日までバレル当たり25セントのリベートを受
け取っていた。
鉄道のトップであるバンダービルトらは、同3月の石油採掘業者との間で、「すべての輸送
業者、採掘業者、精製業者は、完全に平等で、リベートやドローバック、その他のいかなる
種類のものも作成あるいは容認されるべきではなく、運賃のわずかな差やいかなる種類の差
別もあってはならない」との協定に署名した。その裏で、ロックフェラーに同25セントを
供与する協定を結んでいたのである。
なぜ、こうした2枚舌を使ったのか。それは、「既に巨大企業に膨張していたスタンダード
石油の巨大な貨物の輸送を扱えることが、何よりもうま味だった」、とターベルは、指摘し
ている。その裏には、「企業倫理の欠如、秘密にしていれば誰も分からないさ」、との高をく
くった巨大企業特有の厚顔無恥の傲慢な態度が当然あるだろう。
スタンダード石油の扱う量は、1日60台の貨物、4000バレルを超えていた。それがあれば、
石油専用列車を毎日走らせることができる。クリーブランドからニューヨークまでの貨車輸
送がこれまでの30日間から10日に短縮可能となる。貨車に対する投資は、この協定で、同
じ量の貨物を複数の顧客がバラバラに依頼した時と比較して、約3分の1に減らすことがで
きるのである。
提案を受け入れなかったら、セントラル鉄道は、間違いなくスタンダード石油の貨物の運
送からは外されたであろう。断れば、エリー鉄道やエリー湖を経由した船舶によって運ばれ
たのは間違いない。
利にさといロックフェラーは、エリー湖を使った船舶による運送手段への代替をチラつか
せた。鉄道3社は、手玉に取られ、鉄道が進んでリベートとドローバックを提供するような
形に持っていったのである。
46
古賀 純一郎
鉄道会社は、スタンダード石油の荷主になりたいがために、より多くのリベートとドロー
バックを提供する蟻地獄に吸い込まれていく。まさに自滅の構図である。とばっちりを受け
たのが、ターベルの父や弟を含む独立系の石油業者であった。
この地獄に率先して飛び込んだのがエリー鉄道であった。ターベルは、この章でそれを取
り上げている。
バンダービルトのセントラル鉄道に比べて弱小のエリー鉄道は、スタンダード石油の貨物
の半分を輸送する協定を1874年4月に締結した。決め手となった運賃の規定が、「競合する
西方の石油精製業者がニューヨークへ貨物を運ぶ際に、ライバルの鉄道が提供するより高く
ない運賃」と定められていた。最安の料金を提示するという破格の扱いである。
さらには、ニューヨーク近郊に保有する石油ターミナルを無料で貸し付けることも提案し
た。ターミナルを自由に使えることでロックフェラーは、予想以上のメリットを得られた。
ライバル社の貨物の全情報をスパイできたのである。これがライバル業者の輸送を妨害し干
上がらせるまたとない機会をもたらした。
ライバル社の動向がすべて分れば、ゲームを有利に進めることができる。これ以上のもの
はない。これは、トランプのポーカーで、相手のカードをみながら勝負できるのと同じこと
である。負けることなど一切考えられない。
機密情報の活用で、ライバル社のビジネスの妨害行為にまで手を染めることになる。その
犯罪性と反社会性を示すこれほどの好例はないのではなかろうか。鉄道と組んで中小業者を
市場から追い出し、あるいは叩き潰し、市場独占を実現したのである。
同9月、3鉄道は、大消費地であるニューヨークなどへの輸送の割合についてカルテルを
締結した。新運賃体系は、どの地区から運んでも同一という現在のビジネスの常識からすれ
ば到底考えられないとんでもない内容であった。クリーブランドの本拠のスタンダード石油
および傘下の業者に対しニューヨークなど北米大陸の東方へ運ぶために最大限の利便を図っ
たのである。運賃体系はすべてロックフェラーの損にならないような形で決められていた。
取引業者は、羹に触るように、スタンダード石油の利益を最優先とするビジネスルールを
差し出していたのである。まさに、王様扱いである。
ロックフェラーが考えたともいわれるニューヨーク・セントラル鉄道のジャームズ・ラッ
ターが同9月に出した書簡(Rutter circular)に盛り込まれた新運賃協定についても触れて
いる。精製油の東海岸への輸送でバレル当たり50セントの値上げを盛り込んでいる。だが、
この新協定もロックフェラーに配慮して、クリーブランドやピッツバーグからの輸送はすべ
て値上げが除外されていた。
書簡は、すべての業者を平等に扱うと規定していた。だが、内実は、石油地帯の業者を狙
い撃ちした差別的な運賃だった。これによって石油地帯の業者の地理的優位性は完全に消し
飛んだのである。
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
47
ⅱ.決定的な権力
ロックフェラーは、新段階への突入を宣言する。1874年10月、石油精製を手掛けるチャー
ルズ・プラッツ・アンド・カンパニー社を買収した。これによって悲願のニューヨーク進出
を果たした。ただし、買収は、極秘であった。
19世紀末人口が200万人を突破したニューヨークは、米国の3大石油精製地のひとつとなっ
ていた。拠点の確保は、ロックフェラーの次なる野望の実現に向けた第1歩でもあった。そ
のための増資も断行した。
75年3月には、石油精製業者による別の組織の「中央協会(Central Association)」を立ち
上げ、ロックフェラー自身が会長に就いた。加入を希望する会社は、期間を区切って自社の
設備を協会へ貸与する。
協会のトップであるロックフェラーは、協会を一つの会社として購買量、生産量、鉄道運
賃やパイプラインの使用料金を決定した。これは、まさに、1872年の石油戦争で登場した
南部開発会社の生まれ変わりである。ターベルは、「石油地帯だけが協会の本当の意味を知っ
ていた」と書いている。
ターベルは、当時、チャールズ・プラッツ社に籍を置き、後にスタンダード石油の重鎮と
なるヘンリー・ロジャーズがニューヨーク・トリビューン紙の記者に対して語った解説を引
用している。やや長くなるが掲載しよう。
「米国には、ピッツバーグ、クリーブランド、石油地帯など5か所の石油精製地があった。
ピッツバーグでは、値段の安い原油が入手できるなど各地にメリットがあった。ニューヨー
クが最高のマーケットであった。石油は、需要に対して供給量が3-4倍も多く、精油所がフ
ル稼働すれば、在庫が山のように積み上がる。ビジネスは普通ではなく、ムラがあった。マー
ケットが活発な時は、忙しく、皆繁栄を享受している。2年前に精製業者が組合を組織しよ
うとした。利益は共有できず、協定は守られなかった。今の動きは、その再来なのである。
多くはこの動きを歓迎している。投資した資本を守りたいのである。減産で合意できれば、
マーケットは、皆にまあまあの利潤をもたらしながら調整できよう。油の値段は、現在1ガ
ロン15セントだが、20セントになるだろう」
。
ロジャーズは、当時の米石油産業の構造とその脆弱性を的確に指摘している。石油産業が
はらむその種の脆弱性を早くから見抜いたロックフェラーは、値段の乱高下でリスクの高い、
いわゆる原油を採掘するアップストリーム(川上)部門には進出せず、市場がコントロール
しやすい中流部門以下のダウンストリーム(川下)部門の掌握に努めた。この部門の支配者
になることで高い利益をあげられると考えていたのである。
実際は、どうだったのか。石油地帯の業者は、値段が安くなれば需要が増えると主張して、
こうした見方を頑として受け付けなかった。もっとも、利益が少なくなることは甘受しなけ
ればならないと自覚していたようである。
ターベルは同書の中で、長年この世界で生きてきた石油精製業者の発言を引用し、最も重
48
古賀 純一郎
要な点は、中央協会の役員会が、原油及び精製油の輸送などに関与し、鉄道会社との取り決
めで、独占的な力を持つことになった点にあると指摘している。つまりロックフェラーが会
長を務める役員会が、リベートをベースとした、特別の割引料金を勝ち取るためにすべての
取引に口を挟むことを可能にしたのである。
自由を重んじる独立系の業者は、参加を当然拒否した。いずれにしろ、協会を結成したロッ
クフェラーの狙いは、原油の値下がりと精製油の市況引き上げによる利益の増大であり、最
大のポイントは、大消費地である東海岸への輸送で自らに最も有利な差別的な鉄道運賃を設
定させることであった。
協会は、石油産業の輸送で新しい姿をもたらした。なぜなら、連合には、石油精製業者の
9割が加入していたからである。そして鉄道運賃の交渉で、そのトップのロックフェラーに
決定的な権力を付与した。
ペンシルベニア鉄道は、その圧力を早速感じていた。早くも10%のリベートを要求され
ていた。
鉄道らは、1874年に取り決めた鉄道運賃について協議するための会合を早速開いた。そ
の場で、エリー鉄道は、ライバル2社が10%のリベートを提供していたことやスタンダード
石油が約束していた貨物の割り当てが、契約の50%ではなかったことを知って唖然とした。
騙されていたことが分かったのである。ロックフェラーは、鉄道の特別料金の設定によっ
て驚くべき力を保有しつつあった。
独立系として自由に仕事ができるという選択を上位に置き、悪い習慣だとしてリベートを
受け取らない中小業者をロックフェラーは理解できなかった。ライバルを潰すためしつこい
ほどの安値販売を仕掛け、ことごとく勝利した。
貨物ターミナルを確保し、鉄道から情報を提供させることができたことで、強圧的な手段
も採用した。ライバル会社の原料である原油や輸送のための貨車を入手ができないように妨
害した。原料がなければ設備は動かせない。製品を消費者へ届けることが出来なければ収入
はない。独立系業者は、首根っこをロックフェラーに握られているとの心理的な圧迫感を感
じることになった。
ⅲ.J・D・アーチボルト
「1875年∼79年の石油地帯での石油精製史は異様である」。ターベルはこう書いている。
当初、27の設備が良好な状態で稼働していた。73年に需要が拡大、特に輸出は72年に倍
増した。74年は、前半は不況だった。ラッター書簡によって輸送費が値上がりし、独立系
業者の活動は厳しくなった。製品輸送のための貨車も入手できず、中小業者の市場は、ライ
バルへ渡っていた。
1875年、ロックフェラーの命を受けて、タイタスビルにヤリ手の若きJ・D・アーチボル
トが登場した。独立系業者の吸収を狙って精力的かつ積極果敢に活動を開始した。誰もがス
アイダ・ターベル研究(Ⅱ)
49
タンダード石油の影武者と睨んだが、証拠はなかった。
タイタスビルのほとんどの独立系業者が78年までの3年間で売却あるいは、廃業か系列入
りの決断を迫られた。不承不承、傘下入りする会社もあった。
この4年間で石油地帯のスタンダート系以外の会社は、すべて消えてしまった。この間の
出来事は、この地区に住む人間に忘れることのできない深くて醜い傷跡を心に残したのであ
る。
原油の輸送で運河を利用していたピッツバーグでも同じような事案が発生していた。独立
系のパイプライン業者がピッツバーグまで原油を運ぼうとした。そのためには、ペンシルベ
ニア鉄道の線路の下にパイプを敷設しなければならない。
この敷設の許諾を求めたところ鉄道は拒否。両者の間の小競り合いが勃発した。最終的に、
独立系は鉄道に屈服せざるを得なかった。
原材料の入手などで中小業者は妨害され、結局は、スタンダード石油の軍門に下らざるを
得なくなった。その結果、2足3文の値段で工場を買い叩かれ、売却する業者も現れた。市
場制覇を目指すロックフェラーの隠密行動は、いよいよ苛烈化していくのであった。
(続)
◎参考文献
・R・ホーフスタッター著『アメリカ現代史−改革の時代』(みすず書房、1967年)
・アイリス・ノーブル著(訳佐藤亮一)『世界の新聞王−ジョセフ・ピューリッツァー伝』(講談社、
1968年)
・安部悦生/壽永欣三郎/山口一臣著『ケースブック アメリカ経営史』
(有斐閣、2002年)
・有賀貞など編『世界歴史大系−アメリカ史2』(山川出版社、1993年)
・アンソニー・サンプトン著『セブンシスターズ』
(日本経済新聞社、1980年)
・大森実著『ライバル企業は潰せ−石油王ロックフェラー』
(講談社、1986年)
・猿谷要著『物語アメリカの歴史』(中公新書、1991年)
・ジュールズ・エイベルズ著『ロックフェラー−石油トラストの興亡』
(河出書房新社、1969年)
・スティーブ・コール著『石油の帝国』(ダイアモンド社、2015年)
・高崎通浩著『歴代アメリカ大統領総覧』(中公新書ラクレ、2002年)
・高橋章著『アメリカ帝国主義成立史の研究』(名古屋大学出版会、1999年)
・ダニエル・ヤーギン/ジョセフ・スタニスロー著『市場対国家(上、下)』
(日本経済新聞社、1998年)
・デイヴィド・ナソー著(井上廣美訳)『新聞王ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯』(日経BP 、
2002年)
・デイヴィド・ロックフェラー著『ロックフェラー回顧録』
(新潮社、2007年)
・W・A・スウォンバーグ著(訳木下秀夫)『ピュリツァー−アメリカ新聞界の巨人』(早川書房、
1968年)
・中屋健一著『アメリカ現代史』(みすず書房、1965年)
・長沼秀世/新川健三郎著『アメリカ現代史』(岩波書店、1991年)
・ハーマン・E・クルース/チャールズ・ギルバート著『アメリカ経営史(上、下)』(東洋経済新報社、
50
古賀 純一郎
1974年)
・広瀬隆著『アメリカの経済支配者たち』
(集英社、1999年)
・ビル・コバッチ/トム・ローゼン・スティール著『ジャーナリズムの原則』(日本評論社、2002年)
・本間長世編著『現代アメリカの出現』
(東大出版会、1988年)
・野村達朗編著『アメリカ合衆国の歴史』
」(ミネルヴァ書房、1998年)
・メアリー・べス・ノートン他著『アメリカの歴史④アメリカ社会と第一次世界大戦』(三省堂、1996
年)
・丸山徹著『入門・アメリカの司法制度』
(現代人文社、2007年)
・三十木健著『アメリカ反トラスト法の経済分析』
(近代文芸社、1997年)
・歴史読本臨時増刊『世界を動かす謎の国際機関』
(新人物往来社、1988年)
・ロン・チャーナウ著『モルガン家−金融帝国の盛衰(上、下)』(日経ビジネス人文庫、2005年)
・Adrian A. Paradis著『Ida Tarbell- Pioneer Women Journalist and Biographer』
(1985)
・Allan Nevins著『John D. Rockefeller
(1,2)』(Charles Scribner s sons, 1940)
・Anne Bausum著『Muckrakers』
(National Geographic, 2007)
・Barbara A. Somervill著『Ida Tarbell- Pioneer Investigative Reporter』(Morgan Reynolds Publishing,
2002)
・David Mark Chalmers著『The Muckraker Years』(Robert E. Publishing Company, 1980)
・Daniel Yergin著『The Prize」(A Touchstone Book,1993)
日本語訳は、日本経済新聞社から『石油
の世紀(上下)」で出版されている。
・Dean Starkman著『The Watch Dog That Didn t Bark』(Columbia University Press, 2014)
・Denis BRIAN著『Pulitzer』(John Wiley & Sons, Inc, 2001)
・Ida M. Tarbell著『All in the Day s Work』
(University of Illinois Press, 2013) 1939年の復刻版
・Ida M. Tarbell著『The History of the Standard Oil Company』(Dover Publications INC, 1904)
・Henry Demarest Lloyd著『Wealth against commonwealth』
・John D Rockefeller著『Random Reminiscences of Men and Event』(Dodo Press, 1908)
・Kathleen Brady著『Ida Tarbell-Portrait of a Muckraker』(University of Pittsburg press, 1989)
・Michael Klepper & Robert Gunther 『Wealthy 100』(Citadel Press Book, 1996)
・Robert C. Kochersberger, Jr. 『More than a Muckraker, University of TenneseePress Knoxvilee 1993』
・Ron Chernow著『Titan』(Vintage books, 2004)
日本経済新聞社から「タイタン」のタイトルで日
本語訳が出版されている。
・S. S. McClure著『My Autobiography』(Frederick A. Stokes Company, 1914)
・Steve Weinberg著『Taking on the Trust』(W.N. Norton, 2008)
・Willa Cather著『The Autobiography of S.S. McClure』
(University of Nebraska Press, 1997)
(以上)