特別寄稿(2回シリーズ) ウズベキスタンの世界建築遺産紀行 (その2) 建築家 三木 哲 修復工事中の世界遺産の 街・シャフリサブス (写真34~39) サマルカンドの南、約80㎞に位置 する人口約5. 3万人。高度は622m。 ティムール朝の建国者ティムールが 誕生した街である。1379年にティ ムールが征服したホラズム地方の学 者、職人たちは家族ごと移住させら れ、1381年にクルト朝の首都ヘラー トの住民と城門が移される。1380 年よりアク・サライ宮殿の建築が開 始され、メドレセ (神学校)、僧院、 宿泊所、貯水槽が街の内部と周辺地 域に建てられた。ティムールはこ こに自らの墓を建設することを計画 し、建国当初シャフリサブスを首都 に定めることを考えたが、立地と冬 季の交通の便の悪さのため、サマル 写真 34 カンドを首都に据えた。16世紀に ティムール朝に代わって成立したブ ハラ・ハン国がこの都の大部分を破 壊した。 ソ連崩壊後、ティムールの再評 価に伴い、2000年に15世紀のティ ムール朝時代に建築された建築物の 現存する地区がユネスコの世界遺産 に登録され、観光による街づくりが 現在急ピッチで進められている。こ の小さな街には宿泊施設、レストラ ン、公衆トイレなどの観光インフラ が欠けているので、歴史的建造物の 修復をはじめ、多くの建造物が工 事中で、街中が観光街づくりの建設 24 写真 35 Vol.41 No.488 2016-3 ウズベキスタンの世界建築遺産紀行 写真 38 写真 36 写真 39 ク は、 コ ク・ グ ン バ ッ ズ・ モ ス ク (青色のドームを持つモスク)の名前 で知られている。内部の壁面は、近 世に修復されたフレスコ画で彩られ ている。グンヴァズイ・サイダーン 廟は1437~1438年の間にウルグ・ ベクによって、一族の墓所として建 立された。廟内部の一番奥にあるコ クダッシュ(青い石)という墓石に 写真 37 は病気を治す効力があると信じられ ており、拝観者たちが石を触ってい ラッシュであった。 装飾が落ちて露出したレンガがモザ くために、石の表面には窪みができ イク状になって壁面を飾っている。 て い る。 シ ャ ム ス ッ デ ィ ー ン・ ク アク・サライ宮の門 この王宮の北側では、ブハラハン ラール廟は1374年にティムールが 国によって破壊された城壁(写真37 父タラガイと、ティムール親子が師 ティムールの夏の王宮(写真34)。 参照)を復元するサンプル(写真38) 事したスーフィーの聖者シャムスッ ま た の 名 を 白 い 宮 殿 と 呼 ば れ る。 が建てられていた。 ディーン・クラールのために建てた ティムールの建築物の中でも最も雄 また街の幹線道路沿いに、鉄筋コ 墓所。最初タラガイの墓はキシュ近 大である。1380年に征服したばか ンクリート・組積レンガ造りの建物 郊に建てられていたが、ティムール りのホラズム地方の職人をシャフリ が何棟も建設中であった。 は安定した政権を築いた後、キシュ サブスに強制移住させ、建設が開始 に父の墓を移した。 ドルッテイロヴァット (瞑想の家)の建築群 された。 1405年に完成した往時のアク・サ ライ宮の入り口には50mほどの塔が 建ち、屋上にはプールが設置されて 1435年にウルグ・ベクが父シャー・ いた。塔の内側は青と金色のタイル、 ルフを偲ぶために建設した金曜モス Vol.41 No.488 2016-3 こ れ ら の 建 物 も 現 在 修 復 中 で、 ドームの上部には工事用仮設足場が 設置されアスファルト防水と思われ る黒色の塗膜が施されていた。 25
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