1'1ヽ 27`' 1 'サ 州│ 神 │ 11 111 ,12()り ' 1く 「 ヽ2Fl l りr,│:1 711「 ‖ マ ll `│イ │‐ Jモ 1lt,1111:│ 11(1-=_1 "120ぢ [:11111 111■ 171■ 1:: ││lt11`│´ ■ :lil,│ ′12_l=;= │ ヽ ヽ,31-ツ サ, 2=JII `, 外 軟 七 十年 ― ド 写員提供 1靖 コ,Ⅲ 村 呻 ´ 鷹彎年頭の辞 長雷 F ■年 感 ︶味 丼 謹んで新年 の御祝詞を申し上げます。 畏くも 天皇皇后 両陛 下 におかせられま し ては、愈 々お健 やか にお過ご 県内各神社 の神職総代氏子崇敬者 の皆様 には、清 々 しくお揃 いで新年を お迎え になられた事とお慶び申し 上げます。 信 ・ 雄 廣 。 し の趣、誠 に慶賀 の極 み に存 じます。 、 〓家の典子女 王殿 下と、出雲大社 権 官司 一 諄性¨摘 す る御事 では 高円^ 9■家回麿様 の御婚儀 が盛大 に行 われ、日本 の天 つ神 の根源た る阜室と、 賢 ●湯 , ‘ 澤 , こ t t ︶ く ●〓 ● 昨年来、我 々を取り巻く環境はますます変化 の激し い時代を迎え、世 界情勢は全く予断 の許されな い状況であります。また、日本国内だけを のだと いうこと に、改めて気付かされた気が致します。 さて、昨年 の木曽御景山 の噴火、県北部地震 で被災された皆様に謹ん でお見舞 いを申 し上げますととも に、今だ不自由な生活を されて いる 方 々の 一日も早 い復旧復興をお祈り申し上げます。 り ,下、千家,国麿氏 の御結婚誠におめ また、典子女王殿 でとうござ います。皇室と出雲国造家 の御結婚 に、神話 の世界はど こか に傍く消え去 った のではなく、現実 に神話を生き ている人 々が存在する 謹んで皇室 の弥栄と今上陛下のご健勝、県下神社御 社頭 の益 々のご隆日 τお祈均中 し上げます。 新年明けましておめでとうごぎ います。 邊 ギ頭務誌 恣 州 神 (2) 平成27年 1月 1日 国 つ神 の大本たる出雲 の回造家が縁を結 ぶ画期的慶事と国民等しくお祝 い申し上げました。 昨 年中は県神社庁 の庁務執行 に、深 い御理解と絶大なる御協力を賜り まして誠に有難う御座 いました。本年も宜しくお願 い中し上げます。 昨 年は、長野県にありましては、九月末 の御嶽山噴火、亦十 一月には、 震度六弱 の県北部地震と大きな災害がありましたが、今年が平穏無事 の 良 い年 であります事を願 い、皆様 の幾久し い御繁栄、御健勝をお祈り申 し上げましてす年の御挨拶と致します。 , みましても雇用問題、景気問題、年金問題、教育問題、食 の安全性 の問 題等、難間が山積しております。 こうした大変な時代だからこそ、改め て普から の日本 の暮らし の良さや伝統を見直し、新し い年を迎えられた こと に感謝した いと思 います。今まさに我 々は ﹁ 家族L 歴史L 伝統L 文 化﹂を見直す時期に来て いるのだと思 います。 神官を本宗と仰ぎ、々g家庭 の神棚に伊勢 のお札を 祀り、また氏神様 や、 崇敬神社 のお札を祀り 毎 日先ず感謝 の祈りを捧げ ることが大事 です。 そしてそ のお蔭を戴 いて暮らす ことが大切であり、この家庭祭祀を基に、 敬神崇祖 の念を昂め、次 の世代や、百年先、十年先 の命まで、我 々が育 っ てきた自然環境や歴史や文化をきちんと受け継 いでいくためにも ﹁ 受け 継 いで来たも の﹂を見直すことが今求められていると思え てなりません。 皆様 にとりまして、この新し い年がより佳き年 でありますよう心から 祈念致しまして、私から の新年 のご挨拶と させていただきます。 次 県北部 で■度 6弱 神■夫麻 飯在よ 影 新 ■附者 価杉 計 ● 御 進 ■ フ ォ ト ニ ュー ス , 神 Щ の横 ¨ 占 記を英 訳 し て , ●隠神社 式 大茶 に ついて , 神迪 アラカ ルト0 松馬 のデ ジ タ ル″ 几 神道 を考 え る ︵ そ の0 ︶ L”那支 会︶ 給代 だよ り ^ 神社 の いろは ^ 祭祀委 員会︶ , 卜高丼支部 ︶ k部 だよ り ︵ 山岳信 仰を知 る “戦 tl年 時 代 はヽ り ゆく とも想■ の心 は水■ に H誌抄 3 年 m のご検 拶 湯洋● 堆 ■ ” の辞 確 丼茂信 目 M のご案内 5年度 平成 2 ︱決算古 長 野県神社十 歳 人破︱ ︱ ︱ 災■ 救助忠耕 特別会計代 入飛︱ ︱決算計 , 諄賀 新年 子供参 4 5 8 10 11 12 14 16 17 18 19 20 21 22 23 24 28 │ 州 神 1111(3) ]夕 平iヽ 27`「 `[20ケ , t4 一 前川 一 一 ■〓 一^ 華十月, 〓 一 月一 , ■ 化 部 の峰 日ま↓ *教 t月 ヽ■ ・伝 t 式 ■■ ■ 十 ■■年■■一 喘 ●■ ″ ユ 化 一4員会 ︲ ︱ ︲■ イ 工 泄茶人 ”t i ︱ =︱ 初 ︱ 四 ヽ卜 六 ︱ , ︱ 教 工 研修会 F 本 ¨仰 薇山 ︱ 人 ヽ卜九 ︱ ︱ “■ 研修● ︱ , I I志イ ︲■ 一 = ユ ■ ヶ ■● I ■ ■ 一 日 ″ 泄 i ′ 員 会 ■● ス^ ︱ ︱ , , ,, 川 H ■ ● 人 L ” 川 布 ■ ● 会 ● ″︱ ︲ 一 川 = ″ 人, ,■ 社 庁 ︱ t 陥 “ ■会 級 ■■ ■賀会 一 人︱ “■ ,■ ¨ ﹁ ● “ 汁 “ 凧 ︱ ︲ ︱L ■ ホ テル ︲ ー a ■九 ︱ ︱ ● ¨ ■ 研 修 会 ■ ■■ 敲■ 人■ ■L ●﹄ ■︵ , にL コ ■ ■ ル ︲ ︱ ︱ ,︱ ︱■ ●■ ︲■ 人● ︱●′ ′ ︱ 八月 一 ■ ′の” 所 L 会 ● H会 川 = ■ 進 崚 治 ■ = 長 I L 本 部 ”■ 川 国 市 = 神 社 ‘ I F ● t ヽ 人= 一 ﹁ L I 社 ■ 会 搭 ● I ち 合 わ〓 ^ 東 証 ″ 中 “ L人︵I り L r ¨キ■ 川 L L 会 ” 場 人^ ” ■卜 ︱ , ︲● 同 ” 社 ■ 代 公 ︲ , ● ■人 於 ■ ● 初 任神 拉研修 ■ 一 後川一 , ■ 神囁 ,四 ︲ ︱ ム = ︱ ︲仰 ■ ︲■ 人 ■ ︱ ︱ , 卜 l 人 t = 枷 “ “ ■ , ︱m ● 始 ︱ 卜 七 日 神■人■=■■ユ■■一 上 4証 ■ 人︱ 神 ■ ● 員 会 ︱ ︱ l 一少 ■ ■ ■ 進 [ズム ︱ 教 , ヽ 教 “委員^ , 神■i 仲一 ズ“卜●“●4■ , 十日 1 庁 I 締 年 ■, 1 一■1 1会 し ●L I ●●●”●“ ││ ││ 九月 ′ 員会 ソ│ し 六 , it 日 一 │ I ︱ 東 れ 地 L 中 暉 ︱ 一∼ ″ ︱ ︲L ● し 公 イ ﹂ ” 一■ 神 ■ 単 , 枚 桐 i ■ ¨ え^ ■ , 教 年■を¨ ズム 神■人ヽr”“^ス︵ 1公 神 ,人“ ” 掃 ′ 1 ︲ ルた ,● 同 全 =︱ ︲社 t t ︱ 大会 ■剌 会 r 岐 ¨ ク ラ ン ド ︵テ ル ︲ ● ■ヽ 一 ” 円ト ︱ , 一 ー ¨ え一 , 一●一 ¨ 工● え´ 於 ホ テル , ニナ ビ スタ ■ ● た県“ ■ ¨ り■ キ 一” 会 人日 神■本 ,■ ■ ■ ■ ■ ● 会 ム 占 少■ ム 教 t ´ ば 1却 け , 州│ 神 (4) l,11● 2,午 ・ `成 , ● ■、 十 一月 計 , ■ = ■ ¨え ^ ¨ 江 ●県一 ■■ ■ I H 庁 社 柿 ■ ■ ¨ メ^ t ︱ 川 H l i ︱i会 ︲ ︱ t ヽ卜 人 ︱ , ﹁ ■ ●”県 ■ ■ ● 工 の移 ﹂ 一 ●¨ 枚 ■ ケ■ ● ■ コ な ︱ 枚 化 れ 晨 ■ , 一一 ︱ ″ ︱ ム ー , ー ↑ 人■ ¨ ■● 一 卜一同敗 化 去 エ 於 ■社 本■ ︱ ●=続■● え^ 一人︱ ー ■“川狐 、¨ ムー 本人¨ 会 ´ ︲ ︱ ■ 本曹勤サイ続︱ ︲ , ■ンター 一t= 教 調■′¨ ■一 十 二月 仲■ 人ヽ “● 研修介 F ●小 上 部 石 久 r 神■ ︲ ︱ ︲■ 人 “ ■ ● 研 修 会 ︱ r ● “ 那 t 市 人帖 神 ■ ︱ しヽ人︱ ル人︱国 ソ¨ ■■■一■m茶 ︱ F 一 ,■支“■介同公■ ︱ = 本号 のご 感想 一 意見 , 庁報編 集 委員会 へのご 要 望 があ りま したら どう ぞ お寄 せくださ い。 また 記事 の投稿も お 待 ちしております。 終戦 七十年 自虐 に生き る団塊 の世代 たち によ って靖 国 神社 は 軍国主義 のメ ッカ の如 く見 られ て長 らく総理 の参 拝も なか った。と こ ろが年変 やよ し安倍首 相 が戦後 レジ ー ムか ら の脱却 わり星移り靖 回 の周 辺 に変 化 が著 し い。時 を 言一 言 し自 らも靖 国 に詣 で、流 れが変 わ っ た0 つ● ︱ よ 田中,恒清 靖同神社 の十笠則に手を合わせるとき、御 祭神がそ の尊 い命を掛け て守 ろうとされた 神社本庁 美し い日柄を次代 靖 回 こそ心 の安全 保障 な のだ。若者 よ、 こ の日 の栄光 のため に起ちあ がた。時は来 た。 しく感 謝 の誠 を梅げ る日本 の美 風だ けは後 、 時 代 は 移 り ゆ く と も 慰 霊 の ヽも は 永 遠 に やすく に のたを後せ に どう か皆 様 には、 終 戦 七十 年 にあ たり てき た。国会 でも安全保障 の論議が続く が、 ぜ ひとも靖 回神社 にお参 り いただ き、国家 世 に伝え て いかなければ ならな いと存 じま 平成 二F七年 は、昭和 二十年 八月十 五日 す。 の玉昔放 送 で ﹁ 大東 亜戦争終 結 の詔書 ﹂ が 存 亡 の危機 に敢然 と立ち向 わ れた英霊 のみ 靖回神社 宮司 徳 川康久 下され てから七十年 の節 目 の年 にあたりま こころに触 れなが ら、我 が国 のさらな る発 日本遺 族会 会長 尾辻秀 久 わ つ‘ 0 でひ き 世界 の恒久平わ のために 展と平安を祈念 いただけ れば幸 いです。 す。 靖 回神社 には 二百 四十 六万 六千余 柱 の御 祭神 が祀 られ て いま す が、大東 亜戦争 で戦 没 さ れた 英 霊 は 二百 十 三万 四 千柱 に及 び、 世界有数 の経済 大国 へと 発展 し、靖 国神 社 あ つたかをう かが い知 ること ができます。 戦後 、我 が国 は荒 廃 した国十を 再興 し て 英霊 に感 謝と哀 悼 の誠を 捧げ る こと が、世 う え に成 り立 って いる こと を 日本 国民 が決 し て忘 れ る こと な く 靖 回神 社 へ参 拝 し、 平和 が戦争 で散華 さ れた英 霊 の尊 い犠 性 の わ が国唯 一の追悼 施設 であ ります。 現在 の があります。大東工戦争終結七+年を機 に 英霊 に対 して、御霊安かれと、改めて追悼 御心 に応え るべく努力す るととも に、我が 国 の美し い回柄を次代 へと伝え てゆく責務 今 祭神 に占 める割合 の高 さからも、先 の大 戦 が我 が国 にと ってどれ はど 過酷なも ので 遺族 や戦友 の皆様 方 の大き な支えを いただ 界 の恒 久 平 和 に つな が ると 信 じ てお り ま 我が回 の姿が、今 日、果たして御祭神 の願 いに■ って いるのかと、恥入 る気持ちを抱 きます。今を生き る私たち には、御祭神 の き な が ら、大 御 心 のま にま に英 霊 祭 祀 を もま た、御 祭神と 日 々を共 に過ご さ れた御 厳 修 し て参 り ま し た。 そ し て、 来 る平 成 す。 墓 霊に こたえる会 △書^ 中條,高 徳 , 下さ い。 こ の機会 に、ぜ ひ靖図神社 にご参 拝 本年 は、終戦七十年 の節 目 の年 です。 と顕彰 の誠を棒げましょう。 ︵ 靖國神社社務所リーフレ ットより︶ 二十 一年 には神社御創 立百 五十年 を 迎え よ 若オよ 、起ちあがね た方 が齢 七+と な る今 日、過 ぐ る大戦 の記 戦後 七十年 の月 日が流れた。 こ の間、靖 回 神 社 の辿 った道 は多 難 の連 続 であ った。 うた か の 憶 が 国 民 意 識 か ら遠 ぎ か り つ つあ る な か で、回事 に殉 じられた人 々を 祀り、 国民斉 なかし うと し て います。 しかしな がら、終戦 時 にお生 ま れ にな っ 戦争 でかけがえ のな い肉 親を失 った戦没 者 遺 族 にと って、 英 霊 が 眠 る靖 國 神 社 は、 ヘ 繋 ) (120号 州 神 (5) 平成27年 1月 1口 ■m,) 州 神 (6) 平成27年 1月 ]口 四方を急悛な←々に回まれる信州。 ∼登拝班は午 前 t峙 御嶽 神社 ︵ 工滝︶ の大家幸雄総代会長 の先導 で工滝 口登拝道 の起点 とな って いる ロノ原 コースのモ合 曰 2 計標 です。 高 さ約 二十 mの滝 は、御嶽修 験道者 など の 社務所から登拝した。大きな鳥居をくぐり 整備された参道を進むと次第 に辺りが広が り 日の前 には御嶽 凸全景を望む ことがで きた。しばら くし て同神社進 拝所 に到着。 ■人 豊が朝夕によし仲ぐ 、天に準える高き■の頂は 、や々 の御座します 拠。 古来より峰挙 には奥すや祠が記られ、ム缶信枠は多く の人々の専崇を 条めております 。 神 職対象 の教養 研修会 は 例年 長 野県 な 化姜 員会 姜 員撲 千 ネ 各 夫 神社 庁庁舎 で座 学を中心 に行わ れ ておりま 滝 行 が行 わ れる こと で知 られ、御晨神社 の 管 理 によ る男女 別 の更衣室 なども 整え ら れ したが、広 い信州 の各 地 に伝 わ る信 仰を実 地 で学 びた いと いう委員会 の意向を 、庁長 参加者 のなかには登キ の助けとなる檜製 の ﹁ 金剛杖﹂を求 め 日付 入り の焼印を押し てもらう者も いた。 モ月 一日に開山してから この日が 一番 の良 い天気で 尽 った以上に汗ばむ場気。﹁ 大 江人権現﹂を過ぎたあたりから徐 々に道幅 も狭くなり 枕木や石の階級を 一歩 一歩 尺 元を確認しながら歩を進めた。 始 め 関 係 各 位 に御 理 解 を いた だ き、 七 月 十 四日∼十 六 日、木曽 郡王滝村 に て開催 さ を し ても ﹁こ んな水 量 は見 た こと が無 い ﹂ と いう程 の瀑布 は、水 し ぶきを大きく上げ、 途中 ﹁ お か っぱ げ﹂ と呼ば れる赤上 が 崩れた場所 や道中 に祀られた金則童子前 で ておりま す。古 く は こ の滝 など で ﹁ 百 日精 進潔斎 ﹂を した者だ けが登拝を許 さ れ ると い 、厳 し い伝統 がありました。 う 折 から梅 雨 の時季。大 雨 の後 で、経 験者 きました。 夏 と は思え な い涼 し さ。神 社庁 錬茂 行事 助 彦 保科 正広先生 ︿ 御景神社 重 ¨ 沢︶権禰宜 ︾ れ、清滝 で の喫、御嶽 山登拝 など、霊峰 の 里 に伝 わ る ﹁ 山岳 信仰﹂を体感 し て いただ 御嶽神 社 ︵ 王滝 ︶宮 司 であ る滝 家 が■ 々 営まれる 理に旅館﹂ が主会場。 ルプ ス 左 に中央 ア, ルプ スの稜線 が見え 気 が付けば初夏 の清 々し い風が麓から吹き 上がり参加者 の疲れを癒して いた。 道 は愈 々る になりえ場も 不安定 で 周り の米 々も徐 々に追松 が多くな った。頭を上 げると逹か前方 には工滝 口頂上山荘が ま た 振り 返 る と ︵ 生憎富 士 占 は確認 でき な か ったが︶正面には から顔を出した南 ア は ﹁ 昔 は登拝者 が ここで新し い草継 に履 き換え 改 めて登拝して いた﹂ と 大家会 長から詳しく説明して いただ いた。 の指導 の下、滝 に打 たれ大 祓 詞を奏 上。歯 の根 が合わな いほど の冷水 に清 められ た参 二日 日 は午 前 五 時 起 床。 御 嶽 山 ︵ 標高 三〇六七= ︶ に登拝す る班 と、御嶽 山麓を 楔終了後 は御嶽神社 里官 に参 拝。 一 千 ^八 段 の石段を 登り、 翌日 の登拝 の無事 を祈 順 いた しました。 加 者 は 日 々に ﹁ 無我 の境地 にな れた﹂と 話 し ておりま した。 ∼ 御 岳 山 の麓 が あ た る 傾 斜 の地 勢 に椅 リ ニ滝川 に臨 み ヨ官 の神職 と行者 の宿 とを兼 ねた よう な襦宣 のす い家 が この半 蔵等 を待 って いた。川 には橋も な い.出 か ら伐 って来た 材木を並 べ 筏 に組 ん で 村 の人違 や登占者 の通行 に備え てある。∼ ,。 ここに登場す る房讐一の古 い家﹂が滝 旅館 御嶽信仰 の歴史を刻む老舗結 です。 巡拝す る班 に分かれ て研修を行 いました。 以 下、参加 した伊藤光森氏 ︵ 上伊那支部︶ 島崎藤村 ﹃ 夜明け 型 初 日、開講式終 了後 清滝 に て政。御 嶽 山 の雪解 け水を落 と し、水 し ぶき をあげ る (120,) 州 神 (7) 平成27● 1月 ]口 午前十 一時 一行は無事 に工滝山頂 の御 十 二人権 現 八海 山神社 田 ノ原社 務所 大 黒 天 甚 拝所 三笠山神 社.更 に黒沢 の 御嶽神社 里官 に参 拝と 、盛 りだく さ ん の行 こ の登 拝 か ら 七 + 四 日後 の九 月 二十 七 日. ご承 知 のよう に、御獄 山 は噴 火 いたし ま した。 犠 牲 になら れた方 の御霊 の安 らかな るを せ いただきたく存 じます。 お祈り し、被告 に遭 わ れた方 々にお見 丼 い 。江戸時 代 黒沢 口登山 師 滝 和人宮 司︶ 講 三日日、 朝拝 の後、﹁ 御嶽信仰﹂ の講義 ︵ く の生命 が失 わ れ る場所 と な ってしま い、 現場 の報道 を見 る度 に心 が痛 みま した。ま 中 し上げます。 夏 の良 き 思 い出 の山頂 が、 灰色 一色。多 にて夕拝。 こ の晩 は、参加 者 が今 日 の素晴 両班 合流 の後 、滝 旅館内 の御嶽神 社 別殴 らし い経験 を 日 々に語り合 い、長 い長 い夜 程。 と なりました。 嶽神社奥社 に到着.工式参キを行 った後 頂 上である剣 ヶ峰を目指し さら に歩を進 めた。 り あたり に硫贅 の臭 いが立ち込 めるなか 黒 沢︶ 頂 上 約 二十 分程 で頂 上 の御嶽 神社 ︵ そ の後 出 荘 で 昼 食 を 済 ま せ た 一行 は の高 い高 山湖 である 二の地なども見えた。 道を開 いた覚明行者 工滝 口登山道を開 い た普党行者、御嶽講社 の成り立ちなど、霊 奥 れ を 過 ぎ る と噴 気 孔 から 台 い煙 が 上 奥江 へ到着 した。眼 下には国内 で最 も凛高 徐 々 に下画を始 め 早 い者 は 二時 間蒻 で出 発 地点 であ った セ合 日 のロノ原社務所 に到 と呼び、神 の山と慕 い続け る敬虔 な気持ちを、 二十 五名 の参加者 は おります 。 一日も 早 い復 興を心 より お析り いた し て し てや ﹁ 御 山﹂と呼 び、崇 敬す る信仰 の里 に む地 元 の人 々のお悲 し みは如何ば かり 着 。 帰 路 の途 中 では小 さ な 温泉 に浸 かり ヽ身 の疲 れを癒 した。∼ ,拝察 いたします。 かと 三滝 黒沢 の両御嶽神社、木曽支部を始め 御関係 の皆様には、深 い御理解を賜り 様 々 な御協力を戴きま した。誠 になり 峰御嶽と麓 の人 々の歴史をひもとくお話を 載きました。 今回の教表研修会開催 にあたり、滝旅館、 大家 会長 に、御 嶽信仰 の歴史を 始 め、登 拝道 のそ こかし こにあ る小堂な ど詳 細な説 一般 の 明を載き な がら の登拝 でした ので、 コー スタイ ムよ り時 間 はか かり ま した が、 実感することが出来ました。 長野市を離 れ ての開催 で不安も そ の分 じ っくりと御 嶽山を体感 しな がら歩 を進 めま した。 前 日ま で の天気 予報を覆 す、素晴 らし い ︱ 好 天。参加 者全員 リタイ アす る こと無 く︱ ﹂ 頂 にたどつ着 く こと が出来、神 々の恵 み に あ った のですが、高評価を載きま 難く厚く御礼中し上げます。 現代も深 い信仰が息づく御晨山。 おやまと 単人達が古来より ﹁ 御山 ︵ 感謝 いたしま した。山頂 からは木曽駒 ヶ岳 宝剣岳 は中 すも更 に、遠 く北 ア ルプ ス乗鞍 した。今 回 の経験を生かし、さら に教養を深 められる研修会を企画 し て参 ります ので、ご意見を お寄 岳 槍 ヶ岳 など の峰峯 が望 め、ま さ に至福 の時を過ごす こと が出来ま した。 ま た、山麓巡 拝班 は、御景神 社 滝 和人 宮 司 の御 案 内 で、 御 景 山 資 料 館 新 滝 ◆神餃と は 神 に供える飲食 の総称。古くはミケと い う。古くから神 の出現 降臨を願 い、神鋲 を供え て神をも てなし、しばしば神 人共食 つまり神と人が共 に食事をすると いう のが 日本 の祭り の特徴と される。したが つて、 酒、水、塩、穀類、草実、疏菜類、鳥獣魚 介類など、人が採取し作りう る最高 のも の を、最上に飾り つけ て供えられたと考えら れる。そ の意味 で神餃は古代人 の食生活を 反映したも のであるが、長 い歳月 の流れ の なか でそ の調製 調理方法 や盛り つけ 飾 教 化部各社姜 員会 は みづに ,事典﹂より ある。 ﹁ 神道 基本は ﹁ 古くから神 の出現 降臨を願 い、 神撰を供え て神をも てなす﹂ の著了えです。 神様は、﹁ これしか食さな いも の﹂ではあ りません。ましてや私たち の生活 でも、客 人に朝夕同じ献立 で、食事をお出ししな い でし ょう。地元 の産物、珍 し い物を美し い 器を使 い、見目麗しく盛り付けをして、客 人が食 べやす いように並 べ、お出しします。 次 頁 写真参 照 二案の例 一 二案の例 神僕物 の種類と順序 一般的な例 ①米 ②酒 0餅 0魚 ⑤海業 ⑥野菜 ⑦果物 ③菓子 ◎ ⑦ ⑤ ⑥ ③ O塩と水 そ の他 売 飯、王子、土地 の産物等 ④ ② ① ③ り つけが形式化されるととも に、仏教 の仏 供 の影響も受け、また食物 の流通による食 生活 の変化 で、各地 の神散も変化す るよう にな った。明治八年 ︵一八七五︶官国幣社 以下神社祭式が定められ、神餞も全 国的 に かなり画 一化されたも のの、特殊神撲とし てそ の神社独特 の神餞を継承して いると こ ろも少なくな い。神餞 の区分法はその内容 け け ﹄ は ﹂ 赫 い 一 ¨ ﹄ 一肝 盈 臥 動 ヽ 輩 剛 ﹄ 颯 ぅ は に 的 ゆ い 動 蒲 れ 剛 赫 ど ﹄ ﹄ ケ 岬 設 ﹄ 鶏 つ 神前 (120,) 州 神 (8) 平成27年 1月 1日 補足 平金 ︵ 柄 の無 い白 い皿︶ の代用 で自 紙を使 用す る場合は、右前 に紙を折 る。 図参 照 右前 の紙 の折り方 右手前 の角を つま ん で対 面 の角 、また は少 し右 にずらし て祈 る。 1'1戊 27イ l:1,,111 ネ) 19, 州│ `120,, =方 を載せる腰高の机 (案 )を 用意します 立 っての式 座 つての式それそれ高さが 違います. 0酒 ヽ 1ま ■ ) 社寺建築 設計施 エ 御 装 東 御 T度 品 調整 ‐御置宮 訪 全 具 全国各神社 Jイ │ lll ^│[ llJ‖ l■ ′ 11 ■ ,ス 交IJ安 全 │ 1 ,│', 「[‖ lt it, 十 1, そのイ せヽ ´ lit[ │:■ │:Iミ ‖│^イ ギ 1各 ii]11,1蟷 ,=り 神社 ■御用 株 式 会 社 オ寸 甲 630075 名111 lj, 1`析 口1160S '■ itii イ ヽム (052'7,2]212 ]● Aヽ 0今 ■尖萬 名古屋駅よ,1=, 〒4093611 場 帯 000(1715)2296 T0110014 治 i ll星 町 臀 丁 曰6の 3 e― mai「 okazaki‐ szt@maia eonet neJp ■収 i`ヽ 今 オ1 プ J り , “ ,ti1 05,(2,211i14 1'AX 055(27218818 神 代表 同 時 祐 介 Te1/Fax:0774(21)5835 `宇 村紙業株式会社 挫荼共 授 ケ品 祀念品 ネ製 ◎ 式社 沐会 崎 襲 東 する ,11:││八 イ ヽ1`1111如 門 111人 J623711 御余 店●斯守 山駅店 ヽ 神 具 神 言装 末 装 与 品 ,1し て ^│「 rヽ ((52'7'2 12,3 │■ 京都 11■ ,1,11`ヽ 核:す 本 `〒 516-861 ■ ● ■ ,,● 2T日 =● ■● 3=29= `;D5,6 24 58581=00'〕 FAX0596 21 5]10 0本 営業 + t(東 来itl共 = ]丁 ■26`]4 1 ACTビ ル 4嘔 t,L■ ")〒 `二 :'280 672J FAX o1 3280 0721 ti`i;03 しRL http l:,ww kemilisya co i, ) (120け 州 神 (10) ・・ 年 1月 1日 平成 昨年 十 月 二十 五 日 ︵ 上︶ に、標 記合 同総 会 が山 ノ内 町文化 セ ンターを会 場 に、来貧 を含 め約 二百 六十 名 の参加 を得 て盛大 に開 催されま した。 開会 に先立 ち、地元宇木 区 で農業 の傍 ら 活 動 し て いる 七 名 の女 性 グ ループ ﹁エン ジ ェル ハープ ﹂ によ る大正 琴 の演奏 があり ま した。参加 者 は皆 琴 の奏 でる懐 かし い 曲 の調 べに心を和まされま した。 午後 二時 、開会 の辞 に始まり、神官常迂拝 さ れ、 そ の活動 に対 し て昨年、第 四十 八回 吉 川共治文 化賞を受 賞 されま した。竹節 氏 は、組 合 は ﹁ 水 を守 る には山を 守 れ﹂ を ス ローガ ンに、山 に生息 す る虫 獣 から、 そ ることを忘 れ て いな い、と力説されま した。 こに自 生す る 一本 一草 に至 るま で全 てに命 が宿 り、人 はそ の命 を載 いて生 かさ れ て い う時だ﹂そし て ﹁ヽ れま で^ 4庭は 外 で開 い、 下高 井支 部 ユ 剛澤 〓一 喜夫 傷 ついた傷を癒 す ク ツシ ョンの績 衝地帯と 日頃、自 然を対象 化 し て捉え がちな私 た ち に 人間もま た自 然 の 一員 であ る ことを ド に触 れ ること で同様 の効 果が得 られ ると いヽ つこル︶ です。 安 らぎを 与え る効 果 があ る。私たち の鎮 守 の森 で、 そ こか ら発 せら れ る フィト ンチ ツ る作 用があ る。 そ のた め 森林 浴を す る こ と で健康を維持す る のみならず、人 に癒 し ■ に 樹木 には フイト ンチ ッドと いう化学 物 質を自 ら発散 し、微 生物 の活動を抑 制す し て の役 割を 果た し てき た。 しかし、 やが て家庭 こそ シ ョック の震 源地 にな るであ ろ ヽ つ﹂と。 個 人主義 を標榜 す る国 アメリカ で、 こ の ような警鐘 が鳴 らさ れ ること に、忍 び寄 る 家 庭崩壊 の危 機 が如 実 に示 され て いると 言 えます。家庭 の本来 のあ る べき姿 に ついて、 今 私たち 一人 ひとり が真剣 に考え なけ れば 名 の方 々が表彰 さ れま した。神 社 が多 く の 氏子 の皆様 の温 か い想 いに支 え られ て いる ことを改 めて痛感 しました。 今 回は、神 社境内 への王” の奉納 と社務所 建設 への多 額 の寄付を された 一法 人 ■九 休憩後、志賀高原漁業協 同組合 長 竹節高 力だと一 言 えます。 を深 め、 互 いの絆を 確 かめ合 ってると いう お話 があ りま した。是 は当 に、人 々 の心 に 一体感 を斎 し てく れ る神祭り の持 つ大き な 日 々に存 つても 、毎 月 一度 は集ま って親睦 穏な年 であ ります こ の 一年 が、皆 再認 識させ る、と 続く来賓祝辞 では、神社庁理事 瀧浮基氏 の引用 された アメリカ の文明 評論家 アルビ 四郎 氏 によ る 冒 ¨ を守 るには山を 守 れ﹂ と いう演 題 の記念 講演 がありま した。同組合 ことを お祈り申 し 上げます。 な らな い時だと思 います. また、山 ノ内 町長 竹節義孝氏 の祝辞 の中 で、氏と 同世代 の十 二請 の仲 間が、忙 し い ン ト フラー の 一節 がと ても印象 に残 りま し た。 ﹁ 人 類 の未 来 に新 た な る危 機 が 来 る は、長年 イ ワナを放 流 せず に原種を守 り続 け、﹁ 放流 しな い川﹂とし て全国的 にも注 日 様 にとり まし て平 会 へと席を移 しま した。 り 、引き 続き懇親 会裡 に総会 が終 わ でも貴重 な請演 で した。 こう し て盛 とす れば、 それは家 庭本来 の尊 い意義 を見 失 い そ の結果と し て家庭 が崩 壊 し てしま 国歌斉 唱 敬神 生活 の綱領唱 和 ︰I催者挨 拶と続き、次 に功労者表彰 へと移りま した。 会 総 代 だ より つ。 神事 の中 で の献撤 僕 やI帯本 ■ の作法 や神 ︱ 業 .神社 実務 所 輪庁提 ︱ ︱苫類 や神社 の財 産 に ついて の説 明 など 事 務 的 な こと か ら、 総数 が五百名 を超え 、総代 の関心 が高 い事 総 代 祭 式 請 習 会 は 、 四 プ ロ ック の参 加 者 長野県神ユ総代公 ■●■文^長 未¨ ミ 百﹂ 日 ヽ 鑑統は力なり ∼ 氏子参拝旅行 上 伊 那支 会 と し て の事 業 は大 き く 象と し、今 日各地 の神 社を参 拝す る氏子参 ,ック ■伊 那を 四 つのプ ロ ックに分け てブ ロ 拝旅行 支会 の役 員と評議 員 が参 列す る神 社 の施 設 に ついて学び、■ に新 任総代 には 必須 の講習会と な って いる。 毎 に行 う総代察式 証習会 誉内 の氏 子を対 官新ま 感謝祭 があ る。 , 氏 子参 F旅行 は、支 会設立当 初 より始 め られた事業 で昨年 六十九 回 日を数 えた。現 在 では、 一泊 旅行と 二泊旅行 を交 互 に行う バ ス旅 行と な って いるが 高速 道路 の卒備 され て いな い昔 は、電車 で旅を し て いた よ 神宵新穀 感謝祭 への参 列 は言う ま でも な う であ る。昨年 の旅行 は 一泊 日は大阪、 二 泊 日は鳥 羽。大 阪 では住吉大 社と大 阪 天満 格 語を観 賞、伊勢 では遷御 の債を終 えた神 官を参 拝 した。参 加者 は年 々増加 傾向 にあ り 中 し込 みは 四百名 を起え、 バ ス■台を 連ね る年も あ る。 一昨年 は■伊那と し て﹁ お る神社 が無 いか らかも 知 れな いが、講 習会 や大 会 な ど は当 希 制 で各 地 を 巡 る こと か ら、 総 代 各 社 が 強 い責 任 感 で世 当 を受 け 白 石持 ち行事 一に四百名 参加 した が、氏 子 旅 行 の定着 が神 宮参 F へ繋 が ったも のと考 t=えな い。 感謝 l 持 ってく れ て いる こと は、増 しく なり難 く え る.△■+は近 江 への 一泊旅行 が決ま つて おり、す でに募集が始ま って いる。 議員︶が毎 一 ■参列し て いる。 上伊 那 には、別表 神社 のよう に中心と な ︱ い。神 社庁 よりも募 集 のあ る事業 で、︱ 伊 那と し ては支会 の役員と各 地 区 の代表 ︵ 計 │ 繁 呂亭 ﹂ でL方 官を参 拝 し、大 阪 天満言 一 ■ ) (]20り 州 神 ) ] (■ 平崚 71:l月 {lmサ ) 神 (12) 平成27年 1月 1日 カノミタマ ︵ イネの精霊︶をとんでいます。 教 化講 師 山崎 洋文 一年 の中 でも行事 が盛 りだ くさ んな時 が 正 月 です。 松 飾 り を し、 鏡餅 を あ げ ま す。 のが、 ミト シ神。ま た、 オホト ン神 の孫神 に ワカト シと いう名 の神様 が いま す。 これ オホト シ神と カグ ヨヒメと の間 に生ま れた それは誰 に供 え る のでし ょう。 一般 的 には 正月様 に供え る のだと言われ て います。 を つかさど る神 で、 こ の神 のいる方向 を恵 方 また はあ き の方 と呼 び、す べ ての事 に吉 王 の妃だとも いわ れ て いる女神 です。歳徳 神 は、正 月様 とも崇 められ そ の年 の福 徳 れ、 ﹁ あき の方 よ ろず吉﹂と書 いてあります。 店 の方 位神 であ る人将 軍 の母とも 、牛 頭天 ヽ つ。 のならば、 ウ カノ ミタ マの兄 であ る大一 牛神 た ち豊作 の神 々が正 月様 な のでありま し ょ を表すも のです。 ■月 は年 の始 め の予祝 で あ り、そ の年 に収穫 す るも のの豊作を 祈 る のです。年と いう 字 は 一年 に 一度実 るも の を表 します。作付 か ら収穫 ま で の時 の流 れ ら の神 々を漢字 で表すと 大年神、御年神、 若年神 と なり、本来 の意 味 の正 月様 たちな であ る方角 だと いわれ て いま す。 こ の方向 は年 の千支 で決まり、平成 二■ 七年 は乙未 に いき ます。自 分 の家 が見 えな い山 ま で迎 え に行くとが、自分 の山 に迎え に いくと か、 では、 正月 様 と は い った い誰 でし ょう。 暦 の最初 に■妃 のよう な姿 の歳 徳神 が描 か の年 です から、庚 の方角 となりま す。 そ の 方角 は西南西とも 言わ れます が、 正確 には 明 の方 に生 やし ︵ 切り に いく ことを、生 や す と いう ︶ に行 くと か、 いわ れ て いま す。 最近宣伝 し て売 って います 。 一方 、古事 記 では、高 天 の原か ら追 い出 には、恵方 巻と呼 ぶ大巻き を こ の方向 に向 か って切 ら な いで食 べると 幸 せ にな ると ても 松迎え は、盆 の盆花 迎えと対 をなす先 = 迎え の行事 であ る のです。盆 の先 祖 はま は、山日 では我 々を俯 睡 でき る近く の高 い 山 に いると 信 じられ て いま す。 いず れ にし 現 のゆくえ に ついては、ま だ詳 しく述 べて は いま せ んが 先祖 の霊 の行 き着 くと ころ さ て、師 走 の半 ば にな ると、山 へ松迎え 申 と酉 の間 です ので、真 西 から十 五度南 よ り 三卜度迄 のわず か の間 の位 置 です。節 分 さ れた スサ ノ ラは、オ オヤ マツミ の娘 、 カ ムオ ホイ チ ヒ メを妻と し て、 オホト シと ウ だ 記憶 の生 々し い先 祖 の手 であり 正月 の霊はも う神 々に近 い吉 々 の祖先 の■ であ る のです。 です から、正月様 の正体 は祖 霊 リ ハに の ってや ってく る頭巾を か ぶ つた小 であ ると いう説 は、冬 、夏 に祖 霊 が帰 って く ると いう 民俗学 の考え方 な のです 。 ユズ 人 は祖 霊な のです。 そ の祖 生を休 めるため に、藁細 工 でオヤ スを つく ると ころが長 野 県 各地 にあります。筑 北地方 では オヤ ス作 りを公民館 講座 で行 います。 旧大 同村 では、 そ のオ ヤ スが巨大道祖神 と なり、長野 オ リ ンピ ツク の開会 式 に出 場 しま した。お正月様 のあ る形 が世 界 に紹介 された のです。 ︱二 つの考え方 を、紹介 し てみま した 以︱ が 歳 徳神 にし ても 、大 年神 にし ても 、■ 霊 にし ても 正月様 への共 通 の祈り は、新 し い年 が良 い年 であ り、幸 せな 一年 が過 ご ` r成 271■ 神 (120,) 未 来 を 育 て る人 が い る 師窯 1等 訓 賀 建 栞 士高 橋 賢 二 OJIL嚇 本社 :長 野市県町524 ■ 几 醸 TEL026 2∞ 5111 92 T[L0035622001 東京本社 :東 京都中央区銀座 1 本 社 〒3800803長 野市三輪8丁 目 ]6番 lt1 8号 電 話 026(235)]]ア 1/Fax026(205)4766 www k tano coiP 関東 ・ 室 〒1110025東 京都台東区浅草21015 電 話 03(3872)6857/Fax03(3872)6410 l・ 内官に一番近い猜 ぼ ■ 7て ■ ふ人のヽ Cのヽ ︱ Z ■・ ︵︱ 回 ● ■ ・ 人■ 連 ︱ ︱ 早 輌 咎 Ifの ご癸 内 をして お ります 釉鉤 △不 絶品 !秋 は旬の「天然きのこ鍋」、 冬の各種なべ料理が自慢 書 ∼初夏は信州の採れたて 山菜を使う山菜料理が好評 一 こ宿泊 に関 するお 問 い合 わ せ ― 〒Ы60025,勢 市宇治中之切 町 152 TEL0596 22 0001′ FAX 0596‐ 22‐ 1517 長野詞 馨堂 口J2221(権 堂駅 前 ) 8026‐ 232‐ 5901 せます よう にと いう願 いが込 められ て いま す。 では、良 い年 を迎え る正式な方 法を紹介 します。煤払 いの儀式を し、身 の回りをき れ いにし て新 し い年を 迎えます 。特 に神棚 はき れ いにし て、年棚 を設 けま す。 こ の年 棚も しく は神 棚 の中央 に迎え る のは新 し い 神言 大麻、場 所 によ っては、産 土神 のお札 を 一緒 に御 祀りす ると ころもあ りま す。正 月は、新 し い年 を新 し いお神 札 で新 し い時 空 を迎え る偶式 であります。 そ の改 ま った 新 鮮 さ の引き 締ま る気持 ち が良 い年 を 迎え られる原動力 な のであります。新 し い大麻 : お神札を受 け て、良 い年を迎えま し ょう 。 ﹁ 先祖 の話﹄柳 =回男 奪 ⑬ 州 参考文献 ﹃ こよみ事血ε 同 日芳朗 他 '!]││(]3) ` ■ とを 復 元す る方法を 提案 した. さ つそ く業者 に発注 し て、■度 の高 い ■ 豪形を ︰ ,なから テ し、何 度 か︱ ︲■ が を チ 一ックし ︱ , 1 ツ タ ル= = と し て の■ 元 ︱ ︲ ︱ ︱を デ ー タ ー化 ︱ し 総 代 さん には桐 =〓千 記 し て いただ い た。 デー タを 元 にlし 大 き さ の 上 に却 ■十 i l るた め に 中 tイ コー エブ ソン, の塩 尻〓十 1 1印 ︱ “ に持 ち 込 ん で人 ■ 印 “ 性 で︱ ︲ ︱ , ︱ 1 ︲ し、イ ンクがお ちたり、変色 しな, いよう去 前処 理キ・ し て完成 さ せた。 こう し て厳新 の ‐ ︵昂 川 神 社 ︶ I二 , 」 ア ゛ ― 本仙さ れた のであ る. Iさ れた 一枚 の絵 ル は次 の輌り で い l■大社 は■台宗 の■本 山 で かれ て いる. l ,も日I日 の ずれ 一■ 神の使いである■が拙 安茂 里公 民館長 宮 ド 健 司 夕 ■ ノレ イ 憂` ジ 平成 二十 川■ の 秋 長 市 野 ■ ■ ■ にあ る ︱社 の氏■〓代 か ら、げ ■ = ﹁︱ ︲ 川 ■キ 姓 に イ ■げ られ て い る治■ の■ Iに ついて和談を t瓜 雨 にさ らされ て いたた め 受 け た。 長 い︱ l か や色も Fえ かか つて いた.絵ル に 亦 ,あ て て ■を= 形 し、=″ ●染 みこ ■■ を たた ■ ヤ■ そ, の■ のし を 手 が か り コ ン ピ ュータ ー の正面 上 で“え かか つて, いた■ 絵 ´ 1 デジ タ ル復 九千 法と本 にも印 1 ﹂ 可 能 な に度 ︱ ︲ な技術 によ って、 平成 二十 五年 二月 に. ■仙﹂ 治 ■を V成 二十 六十九 月 には ﹁ 山 上十 現 参議 ﹂絵馬 の二面 が ■ され てに 川神社 に , あ る比撤 山■ ●■ の■■神 で、滋賀 県大 津 市 坂 本 にあ ってそ の神 の使 いは■ であ る. ︱久 保 キ 村 ︵ ︱ 西 河 以 小 路 i人円 ■ 出 一 ︱ の産 ■= であ る●=神社 にも 九社 十六年 一一t ● ■ ︶ に 進 さ れ た雌 ■ 一対 の石辻 の■ があ る. , 最 河 L復 一した絵 ル の表 には 一 文 政七年 ︱ 西F 子供 十 一と あり ま書 き に 八月古 ︱ 復元されたf猿 額:絵 馬 馬: の デ = ) l120号 州1 , l ll(11' 111よ 271:lサ . 復元前の味 額J御 も ● 本 = ■ ■ ヽ 一 ″ ● 一■ 一 置 一一 人︱ ︱一︲ あ る 一一●■ i I t 〓■^● 一 ︲■ ﹂ l ︱ ︲ , ,メ■ 一一 人 一 ■一 れヽ 三で水 て、 収■ ●一 ¨ 一 ‘ヽ L¨ ´ ■ 一 ●ルの大 ■■ヽ ● 川 人■ ン 、一■ ン■ 一、 口 さ 一■ ●︶′一 の可, 枚 ■, ¨ , ︱ ン 丼 は ︱ 一 ” セ ● ■ ■ を 一枚 局 い ︱ ︲ ︱ , 〓 ●■ ︱ ら れて いる .■ の■ 人公, く●一 ︱■● ●いであ る● で 化 を■ か〓 て いる ”神 の一 l■■´ 、 ■L ”t l l かヽ︱ ● ●老■ のも こ一 l l ︱ ︱ムをまと つて川“ を かき ■を 大き く■ ︱■ に 旺 いたとな が大 き な■薔 を手 にし て ︱ 1 一七■ か ︱■﹁^1 ︱ ´ ■ ●て いる.そ れ〓 ﹁︱ ︱ ︲ れたL に■■ され た山 ■本を した ●■ 人 の ¨ 1 ヽ“ ‘ ● ● , 0 ∴∴ │.P11話 ,加 :菫 ■ども たち が一 kムを か べ、 しそヽ ﹁Lカ , 峙ナヽ ︲いて い・ 0. , り ︱はそれが ら 一人午後 に本= され もう ︲ ︱ ︲ ︱■= 現参■ の■ ヽ であ る 給 ル の た ﹁︱ . ・ 大き さは■■ 人八■ ン千 れ 一一一 t ンチ のF■ ■■ ﹁ い 幅 ” t ン の外 ■ は■ く ‘ ら れ て いる. ■ ド には , I ” 小 西■ 一 1あ ︱ ■ 渦 には 一k保十 三■■ ■ 四﹁人 ●■ 日 一ル一 ■ かれ て いる こと から、ホ 画t ︱ に十= さ か ら人■■ ●t ︵一人四 一 一 川︱ れ たF馬 であ る. ■ は■吹 いたば かり のも えぎ色 の山 の■ なり の中 に にⅢま れたホ い明=t = が ︱は ︱ ■た 0 に が■ ,■近忠 〓︱ = かれ ■︱ ︱ ︱ ︱ i l ︲ か れ て いる.画面有■ には十 つ卜 い, i ︲間 の i 桜 が 一本 ■ かれて 上 の■ は● から ぶらさ サ が︱ は 性 に II ■ の ■ Iて いる. そ こ へ ︰ , 町場 が うり ︱判 が 女 二人 の子を上 れ てや っ てき て ■ は ,り■ って■ つ姿を■ つけ 女 のr こ, は これか ら向 かう■ ● の方 り の■, ′ を 嗣き 女 の子は そ こを指 さし て いる絵 が ﹂ ﹁ れ て いる. , 》 1 、 ︱ ︱■ ︱ == 久 十 ■ ●■ ■仲 であ った 一︱ ︱■ , 江 ︲一 卜● によ って公 認 さ れ て いた ■ 一が ︲ l I 今 持 参 し てL■ ■ = ●占 HI I t イ に 志 納 〓 ︲日 ′ ●発 行 るキ ■ ︱ ■ に上 一て ¨十 し 一 ︲︱ ︲ ■■ し た● て あ 一■. 川神 = ﹂ L社 ■ ●, 、 ●一 娑●一 を ﹁︲ こ の ■ Tル ● こ の′ ●IL摯■一 ・ . , 念 ︱´ て 画 = 子 供 中 か らネ ■ さ れ たこと が ヽ : ) {セ {'ケ ‖1 ね│ 15, 「 成2テ 年 1,I: 復元前の「山王権現参詣J沿 馬 復元 さltた 「山王穫現参詣J絵 馬 け) (1カ (16) 平成27年 ]月 l日 ﹃ t 亨 た﹄ を 美 訳 し て 現在 す る我 が同最古 の歴史書 であ る ﹃ 古 事 記 一 の紹介と 英訳す る上 で留意 した事 に ついて記 した いと 思 います。 ‘ 檀 績 神 柱 t 司 喧 社 ヤ 碁︵ , 縣 わ迩 辺芸命 の降臨 と そ の孫 のな コ〓最 ^ 合命ま でのこと が記 されて います。 中巻 は神 武 天皇 の東遷 から神 功阜后 の御 子 の応神 天皇 ま で、 下巻 は徳 の高 い仁徳 天 そ の頃、 天皇 のお側 に仕え て いた、 聡明 な糾 田阿礼 に ﹃ 帝罰 と と 一 木 辞﹂ を 誦習 さ を撰び ﹁ 本辞﹂をよく検討し、正し いも の を定 め後 世 に伝えよう と考えられま した。 を内容 とす る ﹁ 本 語﹂ には真実と 違 い、虚 偽 を加えたも のが多 いので、正 し い ﹃ 帝エ の系 譜を 中心と した記録 であ る ﹁ 帝j 型 と 神話 伝 説 歌謡 物 語など伝 承 された物 語 語 で真 の意味 でそ れ に相当す る英語 がな い 場 合 は、 そ のま ま 日本 語 表 記 と し ま し た。 訳す上 で留意 した事 は、 日本 で生ま れた した。 事 記 一の英訳 が思 い浮 かびま した。古事 記 生 誕十 三百年 の年 に上梓 でき た のは辛 いで 今 から十数年前 、英語教師を し て いた頃、 神 職と の共 通点 を 探 し て いるう ち に、 ﹃ 古 O 第 四 十 代 天武 天 皇 ︵ 御 在 位 六 七 三年 ∼ 六 八六年︶ は諸家 に伝 わ って いる歴代 天皇 せま した が、天皇 が崩御 さ れ、 三代後 の元 明 天皇 が太 安 万侶 に稗 日 阿 札 が 誦 習 し た 例えば ﹁ ﹂を 神 ﹁ g θ d ﹂ とした場合、小 文 字 の ﹁g﹂ を大文 字 の ﹁ G﹂ にす ると キ 皇 から■徳太 子 が摂 政を した推古 天阜ま で の事 跡が記 され て います。 〓 仕杞﹄と ﹃ 本辞﹄を記録す るようズ ”じ、太 安 万侶 は和銅 五年 ︵ t 一二︶ に天皇 に献 上 cg am と としま した。又、 ﹁ 神社﹂は ﹁s h ri ne﹂と す ると 聖人 の遺骨 を祀 つた 聖堂を意 味す る ので ﹁ ln Ja﹂ と しま , した。﹁ 氏姓 ﹂ は﹁u , 1、k ab ane﹂、 ﹁ 酒﹂ は ﹁sak e﹂と しまし た。注 でそ の語 の 説明 を加え、斜 宇体 にしま した。又、 人名 リ スト教 の神を表す ので ﹁k am l﹂と し、 ﹁ 女 神 ﹂ も ﹁g θd d e s s﹂ にせず ﹁m しま した。 上巻 中巻 下巻 か ら成 り立 っ て います。 、 一構 ‘咀扶 脚 ”初 抄 て扮 ¨嫌 ガ 継喘ゴ 1 神 高御産 巣 日神 神産菓 日神 が万物創造 の初 めとなり、陰と 陽 の二気 が分 かれ て伊 邪那岐神 伊 邪 那美神 男女 一 神 が ガ物 を+ み出す祖神と な ったと いう内容 で始まり ま す。 天照大御神 が誕生 し、日津神 を 平定 は 日本 語 の表記 通り、姓を先 に名を後 にし ま した。大安 万侶 は ﹁ O nθY a sum a rθ﹂と しま した。 又、神 道 は多神 教 であ りま す ので、神様 の意味 を でき るだけ注 に 一 本しました。 構成 は各 物語 が概略 本 文 lIの 二部 か ら成り立 って いま す。昔話と し て知 ら れ て 、百十 二 いる ﹁ 八岐大蛇﹂ や ﹁ 囚幡 の自 兎﹂ 首 の和歌、地名 説話な ど文学 的 文化 的価 値 があ る我 が国最古 の吉 典 です。多 く の方 に ﹃ 古事 記﹂ を親 し ん で戴 け れば幸 いに存 じます。 国立 国会図書館 長 野県立図書館 上 回 市 立上 日図書館 上 田市立丸 子 図書館 伊 那市 立図書館 安曇 野中央 図書 館 八十 二 文 化財 団 に蔵 書と し て入 って います 。わず 〒三人六 10五0四 か残 部 がごぎ います ので、ビ希 望 の方 は左 記 に御連絡 下さ い。 上回市武 石小沢根 一九 八 8〇 二六 八︱ 八五︱ 二 一六三 清住宗廣 (120■ ) 州 神 (17) 平成27年 1月 1日 0 帰 山 仏拝 観 明治時代 初期 の神 仏分離令 で戸隠神 社を 児 行列、 戸隠 地区各 区 の獅子神楽 が前後 を 心 に成儀物 、宮 司 以 下神職、神楽 行列 、稚 文 化元年 ︵一人 〇四年 ︶造営 の神 輿を 中 あ ったと伝 え られます。 戸隠 では明治 維新 戸隠 に 二判そ れぞれあり、合 わせ て五判 で のが有名 です が、もともとは善光寺 に三判、 O 御印 文 拝 戴 御印 文拝戴 ︵ 頂戴 ︶と いうと善光寺 のも 離 れ、各 地 の寺 院 に引き継 が れた 仏様 が こ かた め、■光社 ヽ中社 間約 ニキ ロの道 のり の時だけ特別 に帰山 し て 一堂 に会 します。 を 二∼〓時間かけ て練り歩きます。 様 にお授け戴けます。 還御 の機﹂ ﹁ 渡御 の儀 ﹂と、 お帰 り にな る ﹁ 二十 六 日∼ 五月 二十 六 日 の約 一ヶ月 間、六 式年大基と を行 います 。 年 に 一度 の ﹁ ○柱 神 事 ︵ 五 十 日︶ 松 月 ﹁ 柴燈護摩﹂ 柱松とは大きな松明 のことで、 が式年大 祭最大 の盛僕 です。 戸隠神 社 は奥 社、中社 生光 社、九 頭龍 とも言われる修験道 の重要な火祭り の儀式 O 御神 座 回廊 特 別参 拝 平成 二十 七年 ︶ 四月 戸隠神社 では本年 ︵ なりま した が、 人 々を救 い恵 み給 う た数 々 です。 ます。 の地 にそれぞ れお遷しさ れ祀られ るよう に 御 祭神 ﹁天 表 春 命 ﹂ はも とも と奥 社 に併 せ祀 られ て いま した。 平安 時代末期 に現在 樹には審m拓 “ψ藁謝怜科 は ﹃臓 封跡F[ の御神業 を御本社 であ る奥社 に御奉告 さ れ 〓光社 の御社殿は、江戸時代 に再建 され、 神 仏 習合 時代 の面 影 が強く残り、彫刻 も大 変見事 な荘厳 な建物 です。今 回は大神 様 が り 平 成 十 五年 の 期 に中断しますが 近年、戸隠 に本来あ っ た信 仰 の形 を見 直 そう と いう気 運が高 ま この他 朝 拝 への参 列 や特 別祈袴、大 々 にお開き し、通常 よりも お側近く でお参 り いただけます。 の神仏 分離以降も御 印文 は大 切 に受 け継 が れ、式年大 祭 の期 間中 に限り、 ご参 拝 の皆 る のが式 年大祭 の始まりと伝え られ ており こ の儀式は、戸隠 では少なくとも鎌倉時 代末期 には行われて いました。江戸時代末 社 の天人意思兼命 のも 式 年 大 祭 でお よ そ 神楽 拝観 など、 戸隠 の大 神様 はもと より帰 現在 では宝光社 の天 と に渡御 され、そ の後 一五 0 年 ぶ り に複 山 した仏様 とご縁 を結 ぶ絶好 の機会 となり た角 度 で世情 を 占 さ や燃 え 方、 倒 れ 注 松 に点 火 す る速 す。 され ております。 皆様 のご来 山を 心 よりお待ち し ており ま 生物館 特別展 や数多く の神賑行事も 企 画 ます。 お鎮ま り にな る内 陣近 くを通 る回廊 を特 別 奥 社 への復命 は宮 司始 ●を果たしました。 ︶ 表圭父”が父神 であ る中 め神職 式年大基尖査員 が 揃 って 登 拝 し、 奉 奥 社 中 社 宝 います。 光 社 を表 す 三基 の 生口祭を厳修 し ておりま す。 ○渡 御 の儀 ︵ 五月 六日︶ ○還御 の儀 ︵ 五月 二十 四日︶ 宝光社 の御祭神が中社 にお渡り になる ) (120ケ 神 平成 ・ 7年 1月 l● (18) 四十歳 のとき来 日し、西洋 人と し てはじ め て出 雲 大 社 を 昇 殿 参 拝 し た。 そ の体 験 を う感 得 した か。明治 二 十 二 年 ︵一人九 0︶ ラ フ カ デ イ オ ハー ン ︵ 小 泉 八 雲 ︶ は、 のみ こころ のまま に﹂と いう意味 があり ま す 。 日本 の神道 神 社 の空 間を外 国人 はど んながら のみち﹂と いう訓 み方 があり ﹁ か 、 んながら﹂と は、 ﹁ 神 のまま に 一 あ る いは ﹁ 神 と満音 で読 みます。我 が国伝統 の訓読 みを す ると 、﹁ かみ のみち﹂と訓 み、次 いで ﹁ か 一般的 には 一シ ント ウ﹂と清音 で読 みま す が、年 配者 や 一部 の人 達 は ﹁シ ンド ウ﹂ O い。先ず 最初 は、﹁ 神道 ﹂を どう読 む か又、 外 国人 は神道をど の様 に理解したか。 先 人詰 兄 が解 釈 解 説 さ れ て いる こと を、 いろ いろな角度 切り 回から述 べて いき た 今 回か ら ﹁ 神 道 ﹂ を ご 理解 頂 く た め に、 け っし て吉 び る こと のな い表象 が、神道 な のであ る。古 風 な迷 信、素 朴 な神 話 いる のであ る。 そし て、 そ の国民 の信仰 心 の最も 純粋 な発 露、 け つし て減 びず 、 て いる のではな い。儀式 や戒律 の中 でも な い。あ くま で国民 の心 の袢 に 日づ いて あ る。 ﹁ 古事 記 一﹃ 日本 紀﹂ ﹁ 祝 詞 一あ る いは偉大 な国学者 であ る本居宣 長 や平 = 篤胤 の語釈 に頼りき ったためた。 し かし、 現実 の神道 は書物 の中 に生 き 学 な宣教師 の中 には、畢党 彼 ら が神道 の源泉を書 物ば かり に求 め て いるか ら で 崇 拝と考え た。また およそ宗 教と は言 い 難 いも のだと いう者もあ るし、も っと無 あ る者 は自然崇 拝と組 み合わ された祖先 し てく れた者 は、 一人と し てな い。あ る 者 は神 道 を た んな る祖 先 崇 Fと 見 な し、 信仰も なし得なか った こと であ る。 ﹂ ﹁ 神 道 が何 であ る のか は っき り 解き 明 か な い﹂ こと によ つて、西■ の宗教 思 く ﹁ 想 の侵略 に対抗 でき た。東洋 の いかな る 家 的な教 理も な い。 しかし、 そ のま さ し 学と、海 のよう によ大 な文学 があ る。神 道 にはな 学はな い。体系 的な倫 理も、抽 おられ る氏子総代皆 様 には、 日頃 の茶事 を 通じ て、神 々に何を感 じ、ま た これ から の ハー ンは、 日本 民族 の■ の根 っこを こ の よう に捕 らえ て いる。 これを御 覧 にな って り、無 識 意 の 本 能 に ま で育ま れたも のだ から。 ﹂ ︵ ﹁■埜 平川祐裕他訳︶ 剛勇 の炎 も、思義 の赤誠も 、信仰 の下情 も、す べては こ の魂 の中 に父祖 より伝 わ この国 の人 々の実 の感覚も 芸術 のオも、 したが つて、神道 が何 であ る のか知り た い者 は、 よ ろしく こ の地 下 には れた魂 の奥 底 へと 踏 み分 け 入 らね ば な ら な い。 ﹁ 仏 教 には 万巻 に及 ぶ教 理 と、 深逮 な哲 ハー ンは紀行文 ﹁ 杵築﹂ に書 いて いる。 ﹁こ の大 気 そ のも のの中 に何 か が在 る︱ 不思議な 呪術︱ これら地表 に表 れ出 た果 実 の遥 か下 で、民族 の魂 の命 根 は 生 々 . 〓 竃一かた卜① . 練導︶ ,庁 報 編 集 委 員 う っす らと霞 む山並 みや妖 しく青 い湖面 に降 り そそぐ 明 るく澄 んだ光 の中 に 何 と脈 打 って いる。 こ の民族 の本能 や活力 や直感も 、また ここに出来し て いる。 十 いです。 祭事 の振 興 にど の様 な展開 が必要と考え ら れ る でし ょう か 奮 つてご意見を 頂け れば , 0 か神 々し いも のが感 じ られる︱ これ が神 道 の感覚と いうも のだ ろう。一 好 ル 部 ぞ ≠ 度 6蒻 'FI崚 ■ 一月 二十 二日 午後十時 人分ご ろ、県 北部を■ 源とす る 強 い地だ があ った。長野市 戸隠、鬼キ ■、北安曇 =小谷ヽ 中 谷、上水内部小川村高府 で■度 6弱.長野市箱清水 伴 野町、 飯縄社 (長 野市浅川福伺 ,本 殿基礎の亀裂 中条 北安!部白馬村 で震度 5強を観測 した. この地I によ り 二■ 四日現在、負 傷者 は計 四十 四人、■宅被各 は全壊 が 自 馬 村 四十 二棟、 小谷 ヽ 四■ に■ った. ま た、白 馬村 では 百 五十 一人、小谷ヽ では百 八十 一人が迎虹所 にL■ し て いる. "交 湯娼′ 1社 (長 野市箱清水)燈 籠の倒壊 森神神1白 馬村神城,本 殿有 い―.lttl・ │「 JJ市 中条 ,境 内玉垣 (長 九栗イ │■ した,。 天段 城嶺│,社 (白 馬●1車 城 (120') 洲1 利1 ]I ⅢⅢ 1月 平成27年 布 別研祉社● ﹁ ■柳 テ和 小林 修 工鵬 みず社 し て の第 一歩を 路 み出 さ せ て いただきま し た こと に深く感謝申 し上げます。 現在 は穂 高神 社 の猥員と し て奉 職 させ て い ただ いております。 先輩 神職 の方 々 の 一層 のご指導 と ご鞭撻 を いただき なか ら 一つ 一つを 吸収 し、此度 の感謝 を い つま でも忘 れ る こと なく、ご迷 惑 と なら ぬよう精 一杯勤 め て参 り た いと 思 います。 どうぞよ ろしく お順 い致 します。 歳 ︹尋 郭劣≒五 こ の度、岩 崎神社権柵 ■を拝命 致 しま し た。 私 にと って神 社 は小さな頃 からと でも 身 近 に感 じる場所 であ り、よく お祭 り にも顔 を出 し ており ま した。 それから今 に至 るま でを考え 、 やはり 一番 に思う のは、多 く の 神職 の方 々はもち ろん、地域 の方 々の信頼、 期待 の心 に支 え られ て いると いう事 でござ います。 そ の信頼、期待 が これからも 続 い て いく よう 人 切 に守 って いけ れば と考 え 一歩 一歩 経験を重 ね ながら奉 仕 し て参 り た いと 思 っております。 ま だ ま だ 未 熟 では ござ いま す が、 何 卒、 御 指 導 御 鞭 社 のほど i し く お 肛 い致 し ま す。 8151 TE[026 224 857 FAX 026 21た さる十月九 日 神社庁神 段 に於 いて神●大麻 頒“ 始本■‘なこオ行.た記 の ■優秀支部 及び■■ ,れた ︵ 本 ■者 に対す るよ杉 が わ 故狂,略 ︶ . , 神 ● 大■ ●よ 杉 頒“優テ■一“ 北t久支“ 木憎■“ 飯 支部 大●諏 神社■●役員 場= よ訛 特別表杉 領布優良本■者 ■小文部 ■出几島“社氏子総代長 よ 田 延丼 , 領 ■, ■ 者 ■ 本 社 1 ●■■■部 少 1 1神社●● ● 丼 工H 市安■文“ 凛占神社獅i 保” 他 州 松班範支部 四ヽ神社■任■● ¨ 騰 一一 彦 , ︱ ,小文部 阿日神社● ﹁ 神 職 神社 庁 たよ 杉 松i坑支“ よ訪社●﹁ ■本 悦t 越■ テ” 市安■文部 上水内支 部 計官神社獅i 総 代 松i銑支部 ¨ 卍■呻袖〓一一●イL″ 日 , 鵬騒叫‘袢命 された神臓 を紹介 します 新 任 神 職 の横 顔 申 村 美 和 子 〓T 四歳 和泉神社 権禰宜 松塩筑支部 こ の度、 本務社、 権袖r を拝命致 しま した。 多 く の方 々のご助言と ご指導 の下、神職と 長野 市東 和 田85た 1 信 州名鉄 長野 ビル7階 〒381Ю αB 長野営業所 ビ ス 株 式 会 社 営業推進部 名 鉄 観 光 ナ ③ にカ ケ) 神 月 1月 (20) 平成″ ‐ 私たちは「人と人の1:会 いJと そこから│=オ tる「コミュニケーション」を大切にし 心,か な卜 [会 の発lltに く献します 0,, (1・ 州 神 (21) 平成27年 1月 1日 を 買 い上げ 移築 したも ので古 く、平成十 四 旧社務所 は明治 八年 に筑摩 県庁舎 の 一部 造営費 弐肝六伯伍拾高 円 社務所改築 矛野建夫 宮司 一 会を 開催。全員 の賛成 により 平成 二十 六年 化 により倒壊 の恐 れがあ る為 に、建設委 員 三十数年前 に建 てられた 両部鳥 居 が老 朽 造営費 一 7伯参拾高 円 大鳥居改築 宮司 宮澤 正廣 0古宮諏訪神社 ︵ 北安曇郡小谷村大宇北小谷︶ 宮 司 宮 川滋彦 年 より始 めた積立金 に足り な い分 は戸数 割 四月二十 日 に解体安全 祈願祭を執 り行 ひ同 0 日方 磐 神社 ︵ 上 伊 那 郡飯 島 町 田切 鎮 座 ︶ 鳥 居改築 で氏子 にご負 担 いただき、計 画より 一年 遅 0仁 之 倉神 社 ︵ 上 水内 部 信 濃 町柏 原鎮 座 ︶ 造営費 工 ︿値伍拾高 円 のご協 力 に感 謝 致 しま す 。 申 し上げ る次第 であります。 子また 関係者 のお力 添え の賜と深く感 謝を 年 七月 二十 六 日 に新 し い皇居 の竣 工を祝 い 竣 工祭を斎 行致 しま した。 これも、偏 に氏 関係各 た。 , ED の明 る い照明 の下 で盛会裡 に終 えま し 使 用 は九 月 の例 祭 で、 そ の宵 祭 の直会 に祭 典年番 の氏子 百 二十余 名 が広間 に座 り、 L 広 間は畳敷きと しま した。竣 工式後 日 の れ の四月 に着 工 九月 に珍 工 いたしま した。 平成 二十年 頃か ら老朽化 による鳥 居 の傾 き が確 認 され るよう になり、平成 二十 五年 に鳥 居建 設委 員会 を ち 上げ た。当初、造 , て石造りも検 討 され 営費 耐 久性を考慮 し たが、伝 統文 化を重 んじ、故神 の念 篤 い仁 之倉 氏 子 の心意気を後 世 に残す べく、欅 に て建立 した。平成 二十 六年 二月取壊奉生晟¨ 四 月 地 鎮 祭、 二 月 の立 柱 祭 を 経 て 八月 二十 日 に竣工した。 エツ 中 牧 一展 各神社から の申請 により、左記金品 の寄 附者に対し感謝状が授与されました。 赤誠 の真心を奉納 いただ いた皆様 に改め て感謝 の意を表します。 支部名 神■ 箔 鎮座地 授与 の理由 氏名︶ ︵ 敬称略 [ 大 北支 部 ] 人幡神 社 ^ 池 田町︶ 人幡神社 に彫 刻 を奉 納 大北支部﹂ [ 人幡 神社 ︵ 池 田町 ︶ 八幡神 社 に祭 具 を奉 納 入幡神社 二丁 目白 治 会 辞 今 ⋮︱ 円円 川 □ 団 回 自 開 出 日 間 目 Ш 十 十 一 一 十二 , 11 1 用1 田M四 1 1□四田∃Ⅲ旧円 いた します 浄 一 階位 身 分 帰曲 籠 ん で抑 ■ の安 らか な ることを お■ t神 社権,Wi 壼, ■ 口■Ⅳ ■■■﹁ 一 氏■‘卿 ■”■4 !置 ロ 名 I薦 ■ ハ 上條 ‘哉 it ^ ぎ員居神札 , 九 二 八 十五 一 命 t 」ヽ II │ 昇級 神戦身分 二級 理 官● ]リ 甲 田 将史 九 ■ ■ 史 ︱ 二■ 一 八 ︱一 : 静訪札 人 忙 神社 須 須岐 水神 社 ●島﹁ 牛¨﹁社 過 砒 ■ つば さ L 〔 支 椰 り│ 1, 名 ' 九 階 ド I T ︱I M問 国 田Ⅲ 問円 H国 幽 園田 ︱ ︲ 本務替 一蛇工 虚 贅涯 れ■ 2 生ん 足“神社 一 t 神社よ 一 , , TEL 026302 0751 綸夕 食iplCOGROUP 雌 ブι 茅野営業所 茅野市ちの341960F TEL 0266 73 1235 ル 暑 忠 ■ ´ イ 松 本 支 店 松本市深忘 123● 31F 1争 1: 飯 餃 上 塩 筑 班 社 長野市小島口町2131番 地 1 TEL 02● 2836900 h 式会社 7Jレ ピコ観光サービ瑞 彫 刻 及 び雲 銭箱 を 本 納 正森 典 子 彫刻 を 奉 納 彫 刻 有志 の会 榊植 樹 及 び社 務 所 塀建 設 に多 額 の浄 財 池 日町榊 葉 会 半 林 成 元 平林 一 2x 横澤 敬 太郎 勝 山 由美 丸 山 忠孝 響 』』 ● 塩 │ 松 ■ 不 本 ││ │ t Jヽ 響 it 光 洋 I 安 曇 総 合病院 アト マ株式 会 社 lll 算 ll 唸 ↓ 皮 甲 田 曽 4ヽ ● l 11 ir 上 寄 =,1 高 本 本 本 本 全面改築工事 に多額 の浄財 仝全仝仝仝仝全 (120,) 神 (22) 平成27午 1月 l口 ■ツ 神 平成27イ Fl月 1日 {a) (1208) 平成25年 度長野県神社庁歳入歳出決算書 (11● :「 式 入の部 千1 議 r特 2 目 工 算額 高 幣 餃 社 i 交 付 3 負 担 金 4 協 黄 全 1文 嘲 L● 6 神 助 金 `f・ 8 諸 人 1文 r,│・ ・ 750 XЮ 750∞ 0 102●48(К0 1028器,D0 S1975(XЮ 321“ ││( 619QαЮ 本「 lrl ' △ 1"m〔 支キ 「``イ 負,今 lil[負 ,金 △ 2① 驚金 ( `力 △ 2る mtl( │ ( ヽ,│キ ●● ■職魚11● "● i ' ",サ ,J“ イ 1'11ど Ч “ ,11:本 すよ 1:給 ,II助 ● 登'参 ユ│ 認1 56123Ю 29"つ 0( 2bt221( 神載 37111テ 4 2 500Ю O( 12116,4 ■加`lⅢ人 lt収 入“ 9 管 理 査 収 入 5,4 FfO 110つ 0( △ 35340 │イ i午 10 過 年 度 収 人 130(獅 2(Ю ЮO( △ rl(Ю0 ll I彙 越 全 2126,517 :│ 17a328 ml ],057 1ズ 各i貫 千彙│ ,■ サ│ 1砦 位11,交 付↑ 入 関係口■●fI`t収 入 'I費 2212517 5″ Sβ 01 167 掟 Jの 部 1 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平成″年1月 彿 饉 賀 奮 正 正 社 三 三 神 社 明 明 節 昭 越 訪 足 ど 長野市中条鎮座 喬 総 官 五 宮 司高 神 橋 合 叩神 邦 木曽郡南木曽町 田立鎮座 県文化財花馬祭 り 澤下 社 社 三 子 三 長司 神 神 宮 司 高 橋 勘 祢 萱 高 橋 穣 i 員 伊 澤 春 一 澤 澤 森 奥州 一之音墜壺神社御分社 官 司大 祢 官 大 1 員 藤 代 福 里 之彦 司近 藤 政 彰 久 飯田市山本銀座 七 子 健御名方富命彦神別神社 飯山市五束銀座 ︵ 日重文若宮人幡社︶ 宮 英安 長野市描清本鎮座 湯 齋齋 長野県女 子神職会顧間 朴明官富 司 萱 司 全国女子神職協議会参与 長野県女子神職会顧問 長野県敬神婦人延合会会長 架神社富司 千山市者官鎮座 佐 良 志 奈 官 司豊 城 憲 和 荏鸞 豊 城 範 夫 外 役 員 一同 上高丼都小布施町鎮座 澤 神 社 司 久保 田 守 彦 谷 東大摩郡筑北村坂北鎮座 無形文化財お口植祭り 刈 子 神 官 司山 崎 洋 総1 ^ 長 神 田林 政 王 大町市 常盤 西山鎮座 八 祢 宮 佐 久市 銀座 神 宮 司 小 間 澤 肇 祢 宜 小 間 澤 〓 只 子 総代会長 高 橋 登 嶋 刻 ョ ー 奎 塵 鹿 析念 申 し上げ ます 日 原 原 鹿峙立 つ社頭より貴家 の弥栄を 総 代 長 宮 司 水 木曽都L松町 司 徳 司 徳 tヽ 官 司 平 林 秀 文 稽 祢 宜 横 澤 敬太 郎 雌 衛 社 ヽ多 富樹 議 有 木曽 郡L松町 官 神社庁松塩筑支部 支 部長 宮 坂 副支部長 山 崎 副支部長 大 和 田 徳俊 ヨ な 社 宮宮 崎 藤藤 は 神 子 社 持 竃 け 神 水 璧 澤 瀬 社 社 社 一文康 宮 穂文 久貴 賢洋信 瀧 神 辺澤 神 神 逢 賀 訪 嶽 夫文 平 諏 駒 (lη 号 ) 州 神 (η ) 平成η年 1月 1日 賀 希 キ 平成27年 1月 1日 大好評につき開催決定 実潮 平成 27年 3月 間 州 II (28, (120,, ! 24∼ 25日 (1泊 2日 ) 又 沐日本の最高● 1天 照皇大御神 l様 をおFEり している 勢の神官のお参り. 「 舞●さんの「舞Jの 見学ができるよ. *20回 目を迎えた子供参宮団.記 念行事も予定してしる よ. *鳥 羽水族館∼海の広さ 豊かさ 不思議さを知る∼ 館内 ま 生きものの種類や 生きものたちが棲息する環境に合わせ ]2の ツーンに分けらllて いる。自分のt■ きなゾーンに進んで 館内を探検しよう ! *フ エリーに乗つて,勢 湾を渡¨ 参加者には辞錮′(ン フレットをお送りします 600∼ 800 1200 1400 1630 │フ al 長野 県内書 増を出発 昼食 (八 ス草 内弁 当 外富 内営 御垣内岬 参拝 御神楽奉納 写真 おかけ模 Tお はらい町散策 お買い物 神富会館 夕食 講話 作文 宿 泊 , 700 800 980 神富会館 朝良 ●官会館 発 鳥羽水旗館 見学 1200 1ラ ,湾 フェリー彙総 昼 食 ]300 帰路 ヽス草 内軽食 ]330∼ 2'00 長 野県内音llに 帰着 (′ ) ,都 合 によ り ]程 が夏 更 に I.る 場 合 も あ りま す : 1開 催 口 t対 象: 平成2フ ●0月 24曰 (人 )∼ 25日 (水 ) 中学生以下 (小 学3年 生以下は保護者同伴にて 参力lし ヽ ただきます) (募 集人員 ' 鏃 行代金, 120名 子I]名 18000円 同lI保 護者 ]名 2C000円 仁復バスヽ 1,J5真 参拝王臼ll ● :,入 場料など 全て言みます 1食 事) 朝 ]□ 昼2回 夜2回 ヽ 宿 泊I 神言会館 (伊 勢│1宮 亭敬会が運営するホテルです ) 52 電言 苦0596(24,7162 伊_t市 宇治中之切]■ 《 聯 切 口, 平成27年 1月 01日 (土 )〈 第一次綺切〉 2月 20日 (金 )〈 最l嚇 切)碇 員になつ次第綺切らせていただきますのでお早めにどうそ 《申 込 先》 池元の神五にお日し込み下さしヽ 尚 集合場所等.I綱 は平成27年 3月 12日 (木 )こ 発送します ) 保 護 者 の皆 様 へ⋮ 程 ケ丼の″eは日本人の大“れ神であられる 内壼︶と、会物を司る豊受人神 天照皇人狗″ ︵ ︵ 外す ︶をヤヽとする、 一 ■^年の座えと、オ 別な百緒をもつ掏●です。 この衆行では、沖●への参キを重じて、き来 感謝﹂と ﹁ 真ヽ﹂を より曰本人が培ってきた ﹁ ム恙し、曰本 の文化に触れる事を 曰”として おります。 全″程に″社″教化部の■我が同なし、来 しく恙義のある水をビなるよう努めます。 どうか狗突ヽの■参″い たださ、ふ休みの良 さ思い 出としてい ただければとなします。参カ をお持ちしております。 主催 長野県凛在庁茨花率 青少年対策泄笙委員公 日 │
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