120号 - 長野県神社庁

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鷹彎年頭の辞
長雷 F ■年 感 ︶味 丼
謹んで新年 の御祝詞を申し上げます。
畏くも 天皇皇后 両陛 下 におかせられま し ては、愈 々お健 やか にお過ご
県内各神社 の神職総代氏子崇敬者 の皆様 には、清 々
しくお揃 いで新年を お迎え になられた事とお慶び申し
上げます。
信
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雄
廣
。
し の趣、誠 に慶賀 の極 み に存 じます。
、
〓家の典子女 王殿 下と、出雲大社 権 官司
一
諄性¨摘 す る御事 では 高円^
9■家回麿様 の御婚儀 が盛大 に行 われ、日本 の天 つ神 の根源た る阜室と、
賢 ●湯
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く ●〓 ●
昨年来、我 々を取り巻く環境はますます変化 の激し い時代を迎え、世
界情勢は全く予断 の許されな い状況であります。また、日本国内だけを
のだと いうこと に、改めて気付かされた気が致します。
さて、昨年 の木曽御景山 の噴火、県北部地震 で被災された皆様に謹ん
でお見舞 いを申 し上げますととも に、今だ不自由な生活を されて いる
方 々の 一日も早 い復旧復興をお祈り申し上げます。
り
,下、千家,国麿氏 の御結婚誠におめ
また、典子女王殿
でとうござ います。皇室と出雲国造家 の御結婚 に、神話 の世界はど こか
に傍く消え去 った のではなく、現実 に神話を生き ている人 々が存在する
謹んで皇室 の弥栄と今上陛下のご健勝、県下神社御
社頭 の益 々のご隆日 τお祈均中 し上げます。
新年明けましておめでとうごぎ います。
邊 ギ頭務誌 恣
州
神
(2)
平成27年 1月 1日
国 つ神 の大本たる出雲 の回造家が縁を結 ぶ画期的慶事と国民等しくお祝
い申し上げました。
昨 年中は県神社庁 の庁務執行 に、深 い御理解と絶大なる御協力を賜り
まして誠に有難う御座 いました。本年も宜しくお願 い中し上げます。
昨 年は、長野県にありましては、九月末 の御嶽山噴火、亦十 一月には、
震度六弱 の県北部地震と大きな災害がありましたが、今年が平穏無事 の
良 い年 であります事を願 い、皆様 の幾久し い御繁栄、御健勝をお祈り申
し上げましてす年の御挨拶と致します。
,
みましても雇用問題、景気問題、年金問題、教育問題、食 の安全性 の問
題等、難間が山積しております。 こうした大変な時代だからこそ、改め
て普から の日本 の暮らし の良さや伝統を見直し、新し い年を迎えられた
こと に感謝した いと思 います。今まさに我 々は ﹁
家族L 歴史L 伝統L 文
化﹂を見直す時期に来て いるのだと思 います。
神官を本宗と仰ぎ、々g家庭 の神棚に伊勢 のお札を 祀り、また氏神様 や、
崇敬神社 のお札を祀り 毎 日先ず感謝 の祈りを捧げ ることが大事 です。
そしてそ のお蔭を戴 いて暮らす ことが大切であり、この家庭祭祀を基に、
敬神崇祖 の念を昂め、次 の世代や、百年先、十年先 の命まで、我 々が育 っ
てきた自然環境や歴史や文化をきちんと受け継 いでいくためにも ﹁
受け
継 いで来たも の﹂を見直すことが今求められていると思え てなりません。
皆様 にとりまして、この新し い年がより佳き年 でありますよう心から
祈念致しまして、私から の新年 のご挨拶と させていただきます。
次
県北部 で■度 6弱
神■夫麻 飯在よ 影 新
■附者 価杉 計 ●
御 進 ■ フ ォ ト ニ ュー ス
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神 Щ の横 ¨
占 記を英 訳 し て
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神道 を考 え る ︵
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山岳信 仰を知 る
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H誌抄 3
年 m のご検 拶 湯洋● 堆
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目
M のご案内
5年度
平成 2
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長 野県神社十 歳 人破︱
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災■ 救助忠耕 特別会計代 入飛︱
︱決算計
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諄賀 新年
子供参
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8
10
11
12
14
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18
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20
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23
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本号 のご 感想 一
意見
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庁報編 集 委員会 へのご 要
望 があ りま したら どう
ぞ お寄 せくださ い。
また 記事 の投稿も お
待 ちしております。
終戦 七十年
自虐 に生き る団塊 の世代 たち によ って靖 国
神社 は 軍国主義 のメ ッカ の如 く見 られ て長
らく総理 の参 拝も なか った。と こ ろが年変
やよ し安倍首 相 が戦後 レジ ー ムか ら の脱却
わり星移り靖 回 の周 辺 に変 化 が著 し い。時
を 言一
言 し自 らも靖 国 に詣 で、流 れが変 わ っ
た0
つ● ︱ よ
田中,恒清
靖同神社 の十笠則に手を合わせるとき、御
祭神がそ の尊 い命を掛け て守 ろうとされた
神社本庁
美し い日柄を次代
靖 回 こそ心 の安全 保障 な のだ。若者 よ、 こ
の日 の栄光 のため に起ちあ がた。時は来 た。
しく感 謝 の誠 を梅げ る日本 の美 風だ けは後
、
時 代 は 移 り ゆ く と も 慰 霊 の ヽも は 永 遠 に
やすく に のたを後せ に
どう か皆 様 には、 終 戦 七十 年 にあ たり
てき た。国会 でも安全保障 の論議が続く が、
ぜ ひとも靖 回神社 にお参 り いただ き、国家
世 に伝え て いかなければ ならな いと存 じま
平成 二F七年 は、昭和 二十年 八月十 五日
す。
の玉昔放 送 で ﹁
大東 亜戦争終 結 の詔書 ﹂ が
存 亡 の危機 に敢然 と立ち向 わ れた英霊 のみ
靖回神社 宮司 徳 川康久
下され てから七十年 の節 目 の年 にあたりま
こころに触 れなが ら、我 が国 のさらな る発
日本遺 族会 会長 尾辻秀 久
わ つ‘ 0 でひ き
世界 の恒久平わ のために
展と平安を祈念 いただけ れば幸 いです。
す。
靖 回神社 には 二百 四十 六万 六千余 柱 の御
祭神 が祀 られ て いま す が、大東 亜戦争 で戦
没 さ れた 英 霊 は 二百 十 三万 四 千柱 に及 び、
世界有数 の経済 大国 へと 発展 し、靖 国神 社
あ つたかをう かが い知 ること ができます。
戦後 、我 が国 は荒 廃 した国十を 再興 し て
英霊 に感 謝と哀 悼 の誠を 捧げ る こと が、世
う え に成 り立 って いる こと を 日本 国民 が決
し て忘 れ る こと な く 靖 回神 社 へ参 拝 し、
平和 が戦争 で散華 さ れた英 霊 の尊 い犠 性 の
わ が国唯 一の追悼 施設 であ ります。 現在 の
があります。大東工戦争終結七+年を機 に
英霊 に対 して、御霊安かれと、改めて追悼
御心 に応え るべく努力す るととも に、我が
国 の美し い回柄を次代 へと伝え てゆく責務
今 祭神 に占 める割合 の高 さからも、先 の大
戦 が我 が国 にと ってどれ はど 過酷なも ので
遺族 や戦友 の皆様 方 の大き な支えを いただ
界 の恒 久 平 和 に つな が ると 信 じ てお り ま
我が回 の姿が、今 日、果たして御祭神 の願
いに■ って いるのかと、恥入 る気持ちを抱
きます。今を生き る私たち には、御祭神 の
き な が ら、大 御 心 のま にま に英 霊 祭 祀 を
もま た、御 祭神と 日 々を共 に過ご さ れた御
厳 修 し て参 り ま し た。 そ し て、 来 る平 成
す。
墓 霊に こたえる会 △書^ 中條,高 徳 ,
下さ い。
こ の機会 に、ぜ ひ靖図神社 にご参 拝
本年 は、終戦七十年 の節 目 の年 です。
と顕彰 の誠を棒げましょう。
︵
靖國神社社務所リーフレ ットより︶
二十 一年 には神社御創 立百 五十年 を 迎え よ
若オよ 、起ちあがね
た方 が齢 七+と な る今 日、過 ぐ る大戦 の記
戦後 七十年 の月 日が流れた。 こ の間、靖
回 神 社 の辿 った道 は多 難 の連 続 であ った。
うた か の
憶 が 国 民 意 識 か ら遠 ぎ か り つ つあ る な か
で、回事 に殉 じられた人 々を 祀り、 国民斉
なかし
うと し て います。
しかしな がら、終戦 時 にお生 ま れ にな っ
戦争 でかけがえ のな い肉 親を失 った戦没
者 遺 族 にと って、 英 霊 が 眠 る靖 國 神 社 は、
ヘ
繋
)
(120号
州
神
(5)
平成27年 1月 1口
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州
神
(6)
平成27年 1月 ]口
四方を急悛な←々に回まれる信州。
∼登拝班は午 前 t峙 御嶽 神社 ︵
工滝︶
の大家幸雄総代会長 の先導 で工滝 口登拝道
の起点 とな って いる ロノ原 コースのモ合 曰
2 計標 です。
高 さ約 二十 mの滝 は、御嶽修 験道者 など の
社務所から登拝した。大きな鳥居をくぐり
整備された参道を進むと次第 に辺りが広が
り 日の前 には御嶽 凸全景を望む ことがで
きた。しばら くし て同神社進 拝所 に到着。
■人 豊が朝夕によし仲ぐ 、天に準える高き■の頂は 、や々 の御座します 拠。
古来より峰挙 には奥すや祠が記られ、ム缶信枠は多く の人々の専崇を 条めております 。
神 職対象 の教養 研修会 は 例年 長 野県
な 化姜 員会 姜 員撲 千 ネ 各 夫
神社 庁庁舎 で座 学を中心 に行わ れ ておりま
滝 行 が行 わ れる こと で知 られ、御晨神社 の
管 理 によ る男女 別 の更衣室 なども 整え ら れ
したが、広 い信州 の各 地 に伝 わ る信 仰を実
地 で学 びた いと いう委員会 の意向を 、庁長
参加者 のなかには登キ の助けとなる檜製 の
﹁
金剛杖﹂を求 め 日付 入り の焼印を押し
てもらう者も いた。
モ月 一日に開山してから この日が 一番
の良 い天気で 尽 った以上に汗ばむ場気。﹁
大
江人権現﹂を過ぎたあたりから徐 々に道幅
も狭くなり 枕木や石の階級を 一歩 一歩 尺
元を確認しながら歩を進めた。
始 め 関 係 各 位 に御 理 解 を いた だ き、 七 月
十 四日∼十 六 日、木曽 郡王滝村 に て開催 さ
を し ても ﹁こ んな水 量 は見 た こと が無 い ﹂
と いう程 の瀑布 は、水 し ぶきを大きく上げ、
途中 ﹁
お か っぱ げ﹂ と呼ば れる赤上 が
崩れた場所 や道中 に祀られた金則童子前 で
ておりま す。古 く は こ の滝 など で ﹁
百 日精
進潔斎 ﹂を した者だ けが登拝を許 さ れ ると
い 、厳 し い伝統 がありました。
う
折 から梅 雨 の時季。大 雨 の後 で、経 験者
きました。
夏 と は思え な い涼 し さ。神 社庁 錬茂 行事 助
彦 保科 正広先生 ︿
御景神社 重 ¨
沢︶権禰宜 ︾
れ、清滝 で の喫、御嶽 山登拝 など、霊峰 の
里 に伝 わ る ﹁
山岳 信仰﹂を体感 し て いただ
御嶽神 社 ︵
王滝 ︶宮 司 であ る滝 家 が■ 々
営まれる 理に旅館﹂ が主会場。
ルプ ス 左 に中央 ア,
ルプ スの稜線 が見え
気 が付けば初夏 の清 々し い風が麓から吹き
上がり参加者 の疲れを癒して いた。
道 は愈 々る になりえ場も 不安定 で 周り
の米 々も徐 々に追松 が多くな った。頭を上
げると逹か前方 には工滝 口頂上山荘が ま
た 振り 返 る と ︵
生憎富 士 占 は確認 でき な
か ったが︶正面には から顔を出した南 ア
は ﹁
昔 は登拝者 が ここで新し い草継 に履
き換え 改 めて登拝して いた﹂ と 大家会
長から詳しく説明して いただ いた。
の指導 の下、滝 に打 たれ大 祓 詞を奏 上。歯
の根 が合わな いほど の冷水 に清 められ た参
二日 日 は午 前 五 時 起 床。 御 嶽 山 ︵
標高
三〇六七= ︶ に登拝す る班 と、御嶽 山麓を
楔終了後 は御嶽神社 里官 に参 拝。 一
千 ^八
段 の石段を 登り、 翌日 の登拝 の無事 を祈 順
いた しました。
加 者 は 日 々に ﹁
無我 の境地 にな れた﹂と
話 し ておりま した。
∼ 御 岳 山 の麓 が あ た る 傾 斜 の地 勢 に椅
リ ニ滝川 に臨 み ヨ官 の神職 と行者 の宿
とを兼 ねた よう な襦宣 のす い家 が この半
蔵等 を待 って いた。川 には橋も な い.出 か
ら伐 って来た 材木を並 べ 筏 に組 ん で 村
の人違 や登占者 の通行 に備え てある。∼
,。
ここに登場す る房讐一の古 い家﹂が滝 旅館
御嶽信仰 の歴史を刻む老舗結 です。
巡拝す る班 に分かれ て研修を行 いました。
以 下、参加 した伊藤光森氏 ︵
上伊那支部︶
島崎藤村 ﹃
夜明け 型
初 日、開講式終 了後 清滝 に て政。御 嶽
山 の雪解 け水を落 と し、水 し ぶき をあげ る
(120,)
州
神
(7)
平成27● 1月 ]口
午前十 一時 一行は無事 に工滝山頂 の御
十 二人権 現 八海 山神社 田 ノ原社 務所
大 黒 天 甚 拝所 三笠山神 社.更 に黒沢 の
御嶽神社 里官 に参 拝と 、盛 りだく さ ん の行
こ の登 拝 か ら 七 + 四 日後 の九 月 二十 七
日. ご承 知 のよう に、御獄 山 は噴 火 いたし
ま した。
犠 牲 になら れた方 の御霊 の安 らかな るを
せ いただきたく存 じます。
お祈り し、被告 に遭 わ れた方 々にお見 丼 い
。江戸時 代 黒沢 口登山
師 滝 和人宮 司︶
講
三日日、
朝拝 の後、﹁
御嶽信仰﹂ の講義 ︵
く の生命 が失 わ れ る場所 と な ってしま い、
現場 の報道 を見 る度 に心 が痛 みま した。ま
中 し上げます。
夏 の良 き 思 い出 の山頂 が、 灰色 一色。多
にて夕拝。 こ の晩 は、参加 者 が今 日 の素晴
両班 合流 の後 、滝 旅館内 の御嶽神 社 別殴
らし い経験 を 日 々に語り合 い、長 い長 い夜
程。
と なりました。
嶽神社奥社 に到着.工式参キを行 った後
頂 上である剣 ヶ峰を目指し さら に歩を進
めた。
り あたり に硫贅 の臭 いが立ち込 めるなか
黒 沢︶ 頂 上
約 二十 分程 で頂 上 の御嶽 神社 ︵
そ の後 出 荘 で 昼 食 を 済 ま せ た 一行 は
の高 い高 山湖 である 二の地なども見えた。
道を開 いた覚明行者 工滝 口登山道を開 い
た普党行者、御嶽講社 の成り立ちなど、霊
奥 れ を 過 ぎ る と噴 気 孔 から 台 い煙 が 上
奥江 へ到着 した。眼 下には国内 で最 も凛高
徐 々 に下画を始 め 早 い者 は 二時 間蒻 で出
発 地点 であ った セ合 日 のロノ原社務所 に到
と呼び、神 の山と慕 い続け る敬虔
な気持ちを、 二十 五名 の参加者 は
おります 。
一日も 早 い復 興を心 より お析り いた し て
し てや ﹁
御 山﹂と呼 び、崇 敬す る信仰 の里
に む地 元 の人 々のお悲 し みは如何ば かり
着 。 帰 路 の途 中 では小 さ な 温泉 に浸 かり
ヽ身 の疲 れを癒 した。∼
,拝察 いたします。
かと
三滝 黒沢 の両御嶽神社、木曽支部を始め
御関係 の皆様には、深 い御理解を賜り 様 々
な御協力を戴きま した。誠 になり
峰御嶽と麓 の人 々の歴史をひもとくお話を
載きました。
今回の教表研修会開催 にあたり、滝旅館、
大家 会長 に、御 嶽信仰 の歴史を 始 め、登
拝道 のそ こかし こにあ る小堂な ど詳 細な説
一般 の
明を載き な がら の登拝 でした ので、
コー スタイ ムよ り時 間 はか かり ま した が、
実感することが出来ました。
長野市を離 れ ての開催 で不安も
そ の分 じ っくりと御 嶽山を体感 しな がら歩
を進 めま した。
前 日ま で の天気 予報を覆 す、素晴 らし い
︱
好 天。参加 者全員 リタイ アす る こと無 く︱
﹂
頂 にたどつ着 く こと が出来、神 々の恵 み に
あ った のですが、高評価を載きま
難く厚く御礼中し上げます。
現代も深 い信仰が息づく御晨山。
おやまと
単人達が古来より ﹁
御山 ︵
感謝 いたしま した。山頂 からは木曽駒 ヶ岳
宝剣岳 は中 すも更 に、遠 く北 ア ルプ ス乗鞍
した。今 回 の経験を生かし、さら
に教養を深 められる研修会を企画
し て参 ります ので、ご意見を お寄
岳 槍 ヶ岳 など の峰峯 が望 め、ま さ に至福
の時を過ごす こと が出来ま した。
ま た、山麓巡 拝班 は、御景神 社 滝 和人
宮 司 の御 案 内 で、 御 景 山 資 料 館 新 滝
◆神餃と は
神 に供える飲食 の総称。古くはミケと い
う。古くから神 の出現 降臨を願 い、神鋲
を供え て神をも てなし、しばしば神 人共食
つまり神と人が共 に食事をすると いう のが
日本 の祭り の特徴と される。したが つて、
酒、水、塩、穀類、草実、疏菜類、鳥獣魚
介類など、人が採取し作りう る最高 のも の
を、最上に飾り つけ て供えられたと考えら
れる。そ の意味 で神餃は古代人 の食生活を
反映したも のであるが、長 い歳月 の流れ の
なか でそ の調製 調理方法 や盛り つけ 飾
教 化部各社姜 員会 は
みづに
,事典﹂より
ある。 ﹁
神道
基本は ﹁
古くから神 の出現 降臨を願 い、
神撰を供え て神をも てなす﹂ の著了えです。
神様は、﹁
これしか食さな いも の﹂ではあ
りません。ましてや私たち の生活 でも、客
人に朝夕同じ献立 で、食事をお出ししな い
でし ょう。地元 の産物、珍 し い物を美し い
器を使 い、見目麗しく盛り付けをして、客
人が食 べやす いように並 べ、お出しします。
次 頁 写真参 照
二案の例 一
二案の例
神僕物 の種類と順序 一般的な例
①米
②酒
0餅
0魚
⑤海業
⑥野菜
⑦果物
③菓子
◎ ⑦ ⑤ ⑥ ③
O塩と水
そ の他 売 飯、王子、土地 の産物等
④ ② ① ③
り つけが形式化されるととも に、仏教 の仏
供 の影響も受け、また食物 の流通による食
生活 の変化 で、各地 の神散も変化す るよう
にな った。明治八年 ︵一八七五︶官国幣社
以下神社祭式が定められ、神餞も全 国的 に
かなり画 一化されたも のの、特殊神撲とし
てそ の神社独特 の神餞を継承して いると こ
ろも少なくな い。神餞 の区分法はその内容
け
け
﹄
は
﹂
赫
い
一
¨
﹄
一肝
盈
臥
動
ヽ
輩
剛
﹄
颯
ぅ
は
に
的
ゆ
い
動
蒲
れ
剛
赫
ど
﹄
﹄
ケ
岬
設
﹄
鶏
つ
神前
(120,)
州
神
(8)
平成27年 1月 1日
補足
平金 ︵
柄 の無 い白 い皿︶ の代用 で自 紙を使
用す る場合は、右前 に紙を折 る。 図参 照
右前 の紙 の折り方
右手前 の角を つま ん で対 面 の角 、また は少
し右 にずらし て祈 る。
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=方 を載せる腰高の机 (案 )を 用意します
立 っての式
座 つての式それそれ高さが
違います.
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(120け
州
神
(10)
・・ 年 1月 1日
平成
昨年 十 月 二十 五 日 ︵
上︶ に、標 記合 同総
会 が山 ノ内 町文化 セ ンターを会 場 に、来貧
を含 め約 二百 六十 名 の参加 を得 て盛大 に開
催されま した。
開会 に先立 ち、地元宇木 区 で農業 の傍 ら
活 動 し て いる 七 名 の女 性 グ ループ ﹁エン
ジ ェル ハープ ﹂ によ る大正 琴 の演奏 があり
ま した。参加 者 は皆 琴 の奏 でる懐 かし い
曲 の調 べに心を和まされま した。
午後 二時 、開会 の辞 に始まり、神官常迂拝
さ れ、 そ の活動 に対 し て昨年、第 四十 八回
吉 川共治文 化賞を受 賞 されま した。竹節 氏
は、組 合 は ﹁
水 を守 る には山を 守 れ﹂ を ス
ローガ ンに、山 に生息 す る虫 獣 から、 そ
ることを忘 れ て いな い、と力説されま した。
こに自 生す る 一本 一草 に至 るま で全 てに命
が宿 り、人 はそ の命 を載 いて生 かさ れ て い
う時だ﹂そし て ﹁ヽ
れま で^
4庭は 外 で開 い、
下高 井支 部 ユ
剛澤 〓一
喜夫
傷 ついた傷を癒 す ク ツシ ョンの績 衝地帯と
日頃、自 然を対象 化 し て捉え がちな私 た
ち に 人間もま た自 然 の 一員 であ る ことを
ド に触 れ ること で同様 の効 果が得 られ ると
いヽ
つこル︶
です。
安 らぎを 与え る効 果 があ る。私たち の鎮 守
の森 で、 そ こか ら発 せら れ る フィト ンチ ツ
る作 用があ る。 そ のた め 森林 浴を す る こ
と で健康を維持す る のみならず、人 に癒 し
■ に 樹木 には フイト ンチ ッドと いう化学
物 質を自 ら発散 し、微 生物 の活動を抑 制す
し て の役 割を 果た し てき た。 しかし、 やが
て家庭 こそ シ ョック の震 源地 にな るであ ろ
ヽ
つ﹂と。
個 人主義 を標榜 す る国 アメリカ で、 こ の
ような警鐘 が鳴 らさ れ ること に、忍 び寄 る
家 庭崩壊 の危 機 が如 実 に示 され て いると 言
えます。家庭 の本来 のあ る べき姿 に ついて、
今 私たち 一人 ひとり が真剣 に考え なけ れば
名 の方 々が表彰 さ れま した。神 社 が多 く の
氏子 の皆様 の温 か い想 いに支 え られ て いる
ことを改 めて痛感 しました。
今 回は、神 社境内 への王” の奉納 と社務所
建設 への多 額 の寄付を された 一法 人 ■九
休憩後、志賀高原漁業協 同組合 長 竹節高
力だと一
言 えます。
を深 め、 互 いの絆を 確 かめ合 ってると いう
お話 があ りま した。是 は当 に、人 々 の心 に
一体感 を斎 し てく れ る神祭り の持 つ大き な
日 々に存 つても 、毎 月 一度 は集ま って親睦
穏な年 であ ります
こ の 一年 が、皆
再認 識させ る、と
続く来賓祝辞 では、神社庁理事 瀧浮基氏
の引用 された アメリカ の文明 評論家 アルビ
四郎 氏 によ る 冒 ¨
を守 るには山を 守 れ﹂ と
いう演 題 の記念 講演 がありま した。同組合
ことを お祈り申 し
上げます。
な らな い時だと思 います.
また、山 ノ内 町長 竹節義孝氏 の祝辞 の中
で、氏と 同世代 の十 二請 の仲 間が、忙 し い
ン ト フラー の 一節 がと ても印象 に残 りま
し た。 ﹁
人 類 の未 来 に新 た な る危 機 が 来 る
は、長年 イ ワナを放 流 せず に原種を守 り続
け、﹁
放流 しな い川﹂とし て全国的 にも注 日
様 にとり まし て平
会 へと席を移 しま
した。
り 、引き 続き懇親
会裡 に総会 が終 わ
でも貴重 な請演 で
した。 こう し て盛
とす れば、 それは家 庭本来 の尊 い意義 を見
失 い そ の結果と し て家庭 が崩 壊 し てしま
国歌斉 唱 敬神 生活 の綱領唱 和 ︰I催者挨
拶と続き、次 に功労者表彰 へと移りま した。
会
総 代 だ より
つ。
神事 の中 で の献撤 僕 やI帯本 ■ の作法 や神
︱
業 .神社 実務 所 輪庁提 ︱
︱苫類 や神社 の財
産 に ついて の説 明 など 事 務 的 な こと か ら、
総数 が五百名 を超え 、総代 の関心 が高 い事
総 代 祭 式 請 習 会 は 、 四 プ ロ ック の参 加 者
長野県神ユ総代公 ■●■文^長 未¨
ミ 百﹂
日 ヽ
鑑統は力なり ∼ 氏子参拝旅行
上 伊 那支 会 と し て の事 業 は大 き く
象と し、今 日各地 の神 社を参 拝す る氏子参
,ック
■伊 那を 四 つのプ ロ ックに分け てブ ロ
拝旅行 支会 の役 員と評議 員 が参 列す る神
社 の施 設 に ついて学び、■ に新 任総代 には
必須 の講習会と な って いる。
毎 に行 う総代察式 証習会 誉内 の氏 子を対
官新ま 感謝祭 があ る。
,
氏 子参 F旅行 は、支 会設立当 初 より始 め
られた事業 で昨年 六十九 回 日を数 えた。現
在 では、
一泊 旅行と 二泊旅行 を交 互 に行う
バ ス旅 行と な って いるが 高速 道路 の卒備
され て いな い昔 は、電車 で旅を し て いた よ
神宵新穀 感謝祭 への参 列 は言う ま でも な
う であ る。昨年 の旅行 は 一泊 日は大阪、 二
泊 日は鳥 羽。大 阪 では住吉大 社と大 阪 天満
格 語を観 賞、伊勢 では遷御 の債を終 えた神
官を参 拝 した。参 加者 は年 々増加 傾向 にあ
り 中 し込 みは 四百名 を起え、 バ ス■台を
連ね る年も あ る。
一昨年 は■伊那と し て﹁
お
る神社 が無 いか らかも 知 れな いが、講 習会
や大 会 な ど は当 希 制 で各 地 を 巡 る こと か
ら、 総 代 各 社 が 強 い責 任 感 で世 当 を受 け
白 石持 ち行事 一に四百名 参加 した が、氏 子
旅 行 の定着 が神 宮参 F へ繋 が ったも のと考
t=えな い。
感謝 l
持 ってく れ て いる こと は、増 しく なり難 く
え る.△■+は近 江 への 一泊旅行 が決ま つて
おり、す でに募集が始ま って いる。
議員︶が毎 一
■参列し て いる。
上伊 那 には、別表 神社 のよう に中心と な
︱
い。神 社庁 よりも募 集 のあ る事業 で、︱
伊
那と し ては支会 の役員と各 地 区 の代表 ︵
計
│
繁 呂亭 ﹂ でL方
官を参 拝 し、大 阪 天満言 一
■
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(]20り
州
神
)
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平崚 71:l月
{lmサ )
神
(12)
平成27年 1月 1日
カノミタマ ︵
イネの精霊︶をとんでいます。
教 化講 師 山崎 洋文
一年 の中 でも行事 が盛 りだ くさ んな時 が
正 月 です。 松 飾 り を し、 鏡餅 を あ げ ま す。
のが、 ミト シ神。ま た、 オホト ン神 の孫神
に ワカト シと いう名 の神様 が いま す。 これ
オホト シ神と カグ ヨヒメと の間 に生ま れた
それは誰 に供 え る のでし ょう。
一般 的 には
正月様 に供え る のだと言われ て います。
を つかさど る神 で、 こ の神 のいる方向 を恵
方 また はあ き の方 と呼 び、す べ ての事 に吉
王 の妃だとも いわ れ て いる女神 です。歳徳
神 は、正 月様 とも崇 められ そ の年 の福 徳
れ、
﹁
あき の方 よ ろず吉﹂と書 いてあります。
店 の方 位神 であ る人将 軍 の母とも 、牛 頭天
ヽ
つ。
のならば、 ウ カノ ミタ マの兄 であ る大一
牛神
た ち豊作 の神 々が正 月様 な のでありま し ょ
を表すも のです。 ■月 は年 の始 め の予祝 で
あ り、そ の年 に収穫 す るも のの豊作を 祈 る
のです。年と いう 字 は 一年 に 一度実 るも の
を表 します。作付 か ら収穫 ま で の時 の流 れ
ら の神 々を漢字 で表すと 大年神、御年神、
若年神 と なり、本来 の意 味 の正 月様 たちな
であ る方角 だと いわれ て いま す。 こ の方向
は年 の千支 で決まり、平成 二■ 七年 は乙未
に いき ます。自 分 の家 が見 えな い山 ま で迎
え に行くとが、自分 の山 に迎え に いくと か、
では、 正月 様 と は い った い誰 でし ょう。
暦 の最初 に■妃 のよう な姿 の歳 徳神 が描 か
の年 です から、庚 の方角 となりま す。 そ の
方角 は西南西とも 言わ れます が、 正確 には
明 の方 に生 やし ︵
切り に いく ことを、生 や
す と いう ︶ に行 くと か、 いわ れ て いま す。
最近宣伝 し て売 って います 。
一方 、古事 記 では、高 天 の原か ら追 い出
には、恵方 巻と呼 ぶ大巻き を こ の方向 に向
か って切 ら な いで食 べると 幸 せ にな ると
ても 松迎え は、盆 の盆花 迎えと対 をなす先
= 迎え の行事 であ る のです。盆 の先 祖 はま
は、山日 では我 々を俯 睡 でき る近く の高 い
山 に いると 信 じられ て いま す。 いず れ にし
現 のゆくえ に ついては、ま だ詳 しく述 べて
は いま せ んが 先祖 の霊 の行 き着 くと ころ
さ て、師 走 の半 ば にな ると、山 へ松迎え
申 と酉 の間 です ので、真 西 から十 五度南 よ
り 三卜度迄 のわず か の間 の位 置 です。節 分
さ れた スサ ノ ラは、オ オヤ マツミ の娘 、 カ
ムオ ホイ チ ヒ メを妻と し て、 オホト シと ウ
だ 記憶 の生 々し い先 祖 の手 であり 正月
の霊はも う神 々に近 い吉 々 の祖先 の■ であ
る のです。 です から、正月様 の正体 は祖 霊
リ ハに の ってや ってく る頭巾を か ぶ つた小
であ ると いう説 は、冬 、夏 に祖 霊 が帰 って
く ると いう 民俗学 の考え方 な のです 。 ユズ
人 は祖 霊な のです。 そ の祖 生を休 めるため
に、藁細 工 でオヤ スを つく ると ころが長 野
県 各地 にあります。筑 北地方 では オヤ ス作
りを公民館 講座 で行 います。
旧大 同村 では、 そ のオ ヤ スが巨大道祖神
と なり、長野 オ リ ンピ ツク の開会 式 に出 場
しま した。お正月様 のあ る形 が世 界 に紹介
された のです。
︱二 つの考え方 を、紹介 し てみま した
以︱
が 歳 徳神 にし ても 、大 年神 にし ても 、■
霊 にし ても 正月様 への共 通 の祈り は、新
し い年 が良 い年 であ り、幸 せな 一年 が過 ご
`
r成 271■
神
(120,)
未 来 を 育 て る人 が い る
師窯
1等 訓
賀
建
栞
士高 橋 賢 二
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本社 :長 野市県町524
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社 〒3800803長 野市三輪8丁 目 ]6番 lt1 8号
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せます よう にと いう願 いが込 められ て いま
す。
では、良 い年 を迎え る正式な方 法を紹介
します。煤払 いの儀式を し、身 の回りをき
れ いにし て新 し い年を 迎えます 。特 に神棚
はき れ いにし て、年棚 を設 けま す。 こ の年
棚も しく は神 棚 の中央 に迎え る のは新 し い
神言 大麻、場 所 によ っては、産 土神 のお札
を 一緒 に御 祀りす ると ころもあ りま す。正
月は、新 し い年 を新 し いお神 札 で新 し い時
空 を迎え る偶式 であります。 そ の改 ま った
新 鮮 さ の引き 締ま る気持 ち が良 い年 を 迎え
られる原動力 な のであります。新 し い大麻
:
お神札を受 け て、良 い年を迎えま し ょう 。
﹁
先祖 の話﹄柳 =回男
奪
⑬
州
参考文献 ﹃
こよみ事血ε 同 日芳朗 他
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■ とを 復 元す る方法を 提案 した. さ つそ
く業者 に発注 し て、■度 の高 い ■ 豪形を
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︲■ が を チ 一ックし
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市 坂 本 にあ ってそ の神 の使 いは■ であ る.
︱久 保 キ 村 ︵
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一一t ● ■ ︶ に 進 さ れ た雌 ■ 一対 の石辻
の■ があ る. ,
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15,
「 成2テ 年 1,I:
復元前の「山王権現参詣J沿 馬
復元 さltた 「山王穫現参詣J絵 馬
け)
(1カ
(16)
平成27年 ]月 l日
﹃
t 亨 た﹄ を 美 訳 し て
現在 す る我 が同最古 の歴史書 であ る ﹃
古
事 記 一 の紹介と 英訳す る上 で留意 した事 に
ついて記 した いと 思 います。
‘ 檀 績 神 柱 t 司 喧 社 ヤ 碁︵
,
縣 わ迩 辺芸命 の降臨 と そ の孫 のな コ〓最 ^
合命ま でのこと が記 されて います。
中巻 は神 武 天皇 の東遷 から神 功阜后 の御
子 の応神 天皇 ま で、 下巻 は徳 の高 い仁徳 天
そ の頃、 天皇 のお側 に仕え て いた、 聡明
な糾 田阿礼 に ﹃
帝罰
と と 一
木 辞﹂ を 誦習 さ
を撰び ﹁
本辞﹂をよく検討し、正し いも の
を定 め後 世 に伝えよう と考えられま した。
を内容 とす る ﹁
本 語﹂ には真実と 違 い、虚
偽 を加えたも のが多 いので、正 し い ﹃
帝エ
の系 譜を 中心と した記録 であ る ﹁
帝j
型 と
神話 伝 説 歌謡 物 語など伝 承 された物 語
語 で真 の意味 でそ れ に相当す る英語 がな い
場 合 は、 そ のま ま 日本 語 表 記 と し ま し た。
訳す上 で留意 した事 は、 日本 で生ま れた
した。
事 記 一の英訳 が思 い浮 かびま した。古事 記
生 誕十 三百年 の年 に上梓 でき た のは辛 いで
今 から十数年前 、英語教師を し て いた頃、
神 職と の共 通点 を 探 し て いるう ち に、 ﹃
古
O
第 四 十 代 天武 天 皇 ︵
御 在 位 六 七 三年 ∼
六 八六年︶ は諸家 に伝 わ って いる歴代 天皇
せま した が、天皇 が崩御 さ れ、 三代後 の元
明 天皇 が太 安 万侶 に稗 日 阿 札 が 誦 習 し た
例えば ﹁ ﹂を
神
﹁
g
θ
d
﹂
とした場合、小
文 字 の ﹁g﹂ を大文 字 の ﹁
G﹂ にす ると キ
皇 から■徳太 子 が摂 政を した推古 天阜ま で
の事 跡が記 され て います。
〓
仕杞﹄と ﹃
本辞﹄を記録す るようズ
”じ、太
安 万侶 は和銅 五年 ︵
t 一二︶ に天皇 に献 上
cg am と としま した。又、
﹁
神社﹂は ﹁s
h ri ne﹂と す ると 聖人 の遺骨 を祀 つた
聖堂を意 味す る ので ﹁ ln Ja﹂ と しま
,
した。﹁
氏姓 ﹂
は﹁u , 1、k ab ane﹂、
﹁
酒﹂
は ﹁sak e﹂と しまし た。注 でそ の語 の
説明 を加え、斜 宇体 にしま した。又、 人名
リ スト教 の神を表す ので ﹁k am l﹂と し、
﹁
女 神 ﹂ も ﹁g θd d e s s﹂ にせず ﹁m
しま した。 上巻 中巻 下巻 か ら成 り立 っ
て います。
、
一構 ‘咀扶 脚 ”初 抄 て扮 ¨嫌 ガ 継喘ゴ
1
神 高御産 巣 日神 神産菓 日神 が万物創造
の初 めとなり、陰と 陽 の二気 が分 かれ て伊
邪那岐神 伊 邪 那美神 男女 一
神 が ガ物 を+
み出す祖神と な ったと いう内容 で始まり ま
す。 天照大御神 が誕生 し、日津神 を 平定
は 日本 語 の表記 通り、姓を先 に名を後 にし
ま した。大安 万侶 は ﹁
O nθY a sum a
rθ﹂と しま した。 又、神 道 は多神 教 であ
りま す ので、神様 の意味 を でき るだけ注 に
一
本しました。
構成 は各 物語 が概略 本 文 lIの 二部 か
ら成り立 って いま す。昔話と し て知 ら れ て
、百十 二
いる ﹁
八岐大蛇﹂ や ﹁
囚幡 の自 兎﹂
首 の和歌、地名 説話な ど文学 的 文化 的価
値 があ る我 が国最古 の吉 典 です。多 く の方
に ﹃
古事 記﹂ を親 し ん で戴 け れば幸 いに存
じます。
国立 国会図書館 長 野県立図書館 上 回
市 立上 日図書館 上 田市立丸 子 図書館 伊
那市 立図書館 安曇 野中央 図書 館 八十 二
文 化財 団 に蔵 書と し て入 って います 。わず
〒三人六 10五0四
か残 部 がごぎ います ので、ビ希 望 の方 は左
記 に御連絡 下さ い。
上回市武 石小沢根 一九 八
8〇 二六 八︱ 八五︱ 二 一六三 清住宗廣
(120■ )
州
神
(17)
平成27年 1月 1日
0 帰 山 仏拝 観
明治時代 初期 の神 仏分離令 で戸隠神 社を
児 行列、 戸隠 地区各 区 の獅子神楽 が前後 を
心 に成儀物 、宮 司 以 下神職、神楽 行列 、稚
文 化元年 ︵一人 〇四年 ︶造営 の神 輿を 中
あ ったと伝 え られます。 戸隠 では明治 維新
戸隠 に 二判そ れぞれあり、合 わせ て五判 で
のが有名 です が、もともとは善光寺 に三判、
O 御印 文 拝 戴
御印 文拝戴 ︵
頂戴 ︶と いうと善光寺 のも
離 れ、各 地 の寺 院 に引き継 が れた 仏様 が こ
かた め、■光社 ヽ中社 間約 ニキ ロの道 のり
の時だけ特別 に帰山 し て 一堂 に会 します。
を 二∼〓時間かけ て練り歩きます。
様 にお授け戴けます。
還御 の機﹂
﹁
渡御 の儀 ﹂と、 お帰 り にな る ﹁
二十 六 日∼ 五月 二十 六 日 の約 一ヶ月 間、六
式年大基と を行 います 。
年 に 一度 の ﹁
○柱 神 事 ︵
五 十 日︶
松
月
﹁
柴燈護摩﹂
柱松とは大きな松明 のことで、
が式年大 祭最大 の盛僕 です。
戸隠神 社 は奥 社、中社 生光 社、九 頭龍
とも言われる修験道 の重要な火祭り の儀式
O 御神 座 回廊 特 別参 拝
平成 二十 七年 ︶ 四月
戸隠神社 では本年 ︵
なりま した が、 人 々を救 い恵 み給 う た数 々
です。
ます。
の地 にそれぞ れお遷しさ れ祀られ るよう に
御 祭神 ﹁天 表 春 命 ﹂ はも とも と奥 社 に併
せ祀 られ て いま した。 平安 時代末期 に現在
樹には審m拓 “ψ藁謝怜科 は ﹃臓 封跡F[
の御神業 を御本社 であ る奥社 に御奉告 さ れ
〓光社 の御社殿は、江戸時代 に再建 され、
神 仏 習合 時代 の面 影 が強く残り、彫刻 も大
変見事 な荘厳 な建物 です。今 回は大神 様 が
り 平 成 十 五年 の
期 に中断しますが 近年、戸隠 に本来あ っ
た信 仰 の形 を見 直 そう と いう気 運が高 ま
この他 朝 拝 への参 列 や特 別祈袴、大 々
にお開き し、通常 よりも お側近く でお参 り
いただけます。
の神仏 分離以降も御 印文 は大 切 に受 け継 が
れ、式年大 祭 の期 間中 に限り、 ご参 拝 の皆
る のが式 年大祭 の始まりと伝え られ ており
こ の儀式は、戸隠 では少なくとも鎌倉時
代末期 には行われて いました。江戸時代末
社 の天人意思兼命 のも
式 年 大 祭 でお よ そ
神楽 拝観 など、 戸隠 の大 神様 はもと より帰
現在 では宝光社 の天
と に渡御 され、そ の後
一五 0 年 ぶ り に複
山 した仏様 とご縁 を結 ぶ絶好 の機会 となり
た角 度 で世情 を 占
さ や燃 え 方、 倒 れ
注 松 に点 火 す る速
す。
され ております。
皆様 のご来 山を 心 よりお待ち し ており ま
生物館 特別展 や数多く の神賑行事も 企 画
ます。
お鎮ま り にな る内 陣近 くを通 る回廊 を特 別
奥 社 への復命 は宮 司始
●を果たしました。
︶
表圭父”が父神 であ る中
め神職 式年大基尖査員
が 揃 って 登 拝 し、 奉
奥 社 中 社 宝
います。
光 社 を表 す 三基 の
生口祭を厳修 し ておりま
す。
○渡 御 の儀 ︵
五月 六日︶
○還御 の儀 ︵
五月 二十 四日︶
宝光社 の御祭神が中社 にお渡り になる
)
(120ケ
神
平成
・ 7年 1月 l● (18)
四十歳 のとき来 日し、西洋 人と し てはじ め
て出 雲 大 社 を 昇 殿 参 拝 し た。 そ の体 験 を
う感 得 した か。明治
二
十
二
年 ︵一人九 0︶
ラ フ カ デ イ オ ハー ン ︵
小 泉 八 雲 ︶ は、
のみ こころ のまま に﹂と いう意味 があり ま
す 。 日本 の神道 神 社 の空 間を外 国人 はど
んながら のみち﹂と いう訓 み方 があり ﹁
か
、
んながら﹂と は、
﹁
神 のまま に 一
あ る いは ﹁
神
と満音 で読 みます。我 が国伝統 の訓読 みを
す ると 、﹁
かみ のみち﹂と訓 み、次 いで ﹁
か
一般的 には 一シ ント ウ﹂と清音 で読 みま
す が、年 配者 や 一部 の人 達 は ﹁シ ンド ウ﹂
O
い。先ず 最初 は、﹁
神道 ﹂を どう読 む か又、
外 国人 は神道をど の様 に理解したか。
先 人詰 兄 が解 釈 解 説 さ れ て いる こと を、
いろ いろな角度 切り 回から述 べて いき た
今 回か ら ﹁
神 道 ﹂ を ご 理解 頂 く た め に、
け っし て吉 び る こと のな い表象 が、神道
な のであ る。古 風 な迷 信、素 朴 な神 話
いる のであ る。 そし て、 そ の国民 の信仰
心 の最も 純粋 な発 露、 け つし て減 びず 、
て いる のではな い。儀式 や戒律 の中 でも
な い。あ くま で国民 の心 の袢 に 日づ いて
あ る。 ﹁
古事 記 一﹃
日本 紀﹂ ﹁
祝 詞 一あ る
いは偉大 な国学者 であ る本居宣 長 や平 =
篤胤 の語釈 に頼りき ったためた。
し かし、 現実 の神道 は書物 の中 に生 き
学 な宣教師 の中 には、畢党 彼 ら が神道
の源泉を書 物ば かり に求 め て いるか ら で
崇 拝と考え た。また およそ宗 教と は言 い
難 いも のだと いう者もあ るし、も っと無
あ る者 は自然崇 拝と組 み合わ された祖先
し てく れた者 は、
一人と し てな い。あ る
者 は神 道 を た んな る祖 先 崇 Fと 見 な し、
信仰も なし得なか った こと であ る。
﹂
﹁
神 道 が何 であ る のか は っき り 解き 明 か
な い﹂ こと によ つて、西■ の宗教 思
く ﹁
想 の侵略 に対抗 でき た。東洋 の いかな る
家 的な教 理も な い。 しかし、 そ のま さ し
学と、海 のよう によ大 な文学 があ る。神
道 にはな 学はな い。体系 的な倫 理も、抽
おられ る氏子総代皆 様 には、 日頃 の茶事 を
通じ て、神 々に何を感 じ、ま た これ から の
ハー ンは、 日本 民族 の■ の根 っこを こ の
よう に捕 らえ て いる。 これを御 覧 にな って
り、無 識
意
の
本
能
に
ま で育ま れたも のだ
から。
﹂ ︵
﹁■埜 平川祐裕他訳︶
剛勇 の炎 も、思義 の赤誠も 、信仰 の下情
も、す べては こ の魂 の中 に父祖 より伝 わ
この国 の人 々の実 の感覚も 芸術 のオも、
したが つて、神道 が何 であ る のか知り
た い者 は、 よ ろしく こ の地 下 には れた魂
の奥 底 へと 踏 み分 け 入 らね ば な ら な い。
﹁
仏 教 には 万巻 に及 ぶ教 理 と、 深逮 な哲
ハー ンは紀行文 ﹁
杵築﹂ に書 いて いる。
﹁こ の大 気 そ のも のの中 に何 か が在 る︱
不思議な 呪術︱ これら地表 に表 れ出 た果
実 の遥 か下 で、民族 の魂 の命 根 は 生 々
.
〓
竃一かた卜① .
練導︶
,庁 報 編 集 委 員
う っす らと霞 む山並 みや妖 しく青 い湖面
に降 り そそぐ 明 るく澄 んだ光 の中 に 何
と脈 打 って いる。 こ の民族 の本能 や活力
や直感も 、また ここに出来し て いる。
十 いです。
祭事 の振 興 にど の様 な展開 が必要と考え ら
れ る でし ょう か 奮 つてご意見を 頂け れば
,
0
か神 々し いも のが感 じ られる︱ これ が神
道 の感覚と いうも のだ ろう。一
好 ル 部 ぞ ≠ 度 6蒻
'FI崚
■ 一月 二十 二日 午後十時 人分ご ろ、県 北部を■ 源とす る
強 い地だ があ った。長野市 戸隠、鬼キ ■、北安曇 =小谷ヽ 中
谷、上水内部小川村高府 で■度 6弱.長野市箱清水 伴 野町、
飯縄社 (長 野市浅川福伺 ,本 殿基礎の亀裂
中条 北安!部白馬村 で震度 5強を観測 した. この地I によ
り 二■ 四日現在、負 傷者 は計 四十 四人、■宅被各 は全壊 が
自 馬 村 四十 二棟、 小谷 ヽ 四■ に■ った. ま た、白 馬村 では
百 五十 一人、小谷ヽ では百 八十 一人が迎虹所 にL■ し て いる.
"交
湯娼′
1社 (長 野市箱清水)燈 籠の倒壊
森神神1白 馬村神城,本 殿有 い―.lttl・
│「
JJ市 中条 ,境 内玉垣
(長
九栗イ
│■
した,。 天段
城嶺│,社 (白 馬●1車 城
(120')
洲1
利1
]I ⅢⅢ
1月
平成27年
布
別研祉社● ﹁
■柳 テ和
小林 修
工鵬 みず社
し て の第 一歩を 路 み出 さ せ て いただきま し
た こと に深く感謝申 し上げます。
現在 は穂 高神 社 の猥員と し て奉 職 させ て い
ただ いております。
先輩 神職 の方 々 の 一層 のご指導 と ご鞭撻
を いただき なか ら 一つ 一つを 吸収 し、此度
の感謝 を い つま でも忘 れ る こと なく、ご迷
惑 と なら ぬよう精 一杯勤 め て参 り た いと 思
います。
どうぞよ ろしく お順 い致 します。
歳
︹尋 郭劣≒五
こ の度、岩 崎神社権柵 ■を拝命 致 しま し
た。
私 にと って神 社 は小さな頃 からと でも 身
近 に感 じる場所 であ り、よく お祭 り にも顔
を出 し ており ま した。 それから今 に至 るま
でを考え 、 やはり 一番 に思う のは、多 く の
神職 の方 々はもち ろん、地域 の方 々の信頼、
期待 の心 に支 え られ て いると いう事 でござ
います。 そ の信頼、期待 が これからも 続 い
て いく よう 人 切 に守 って いけ れば と考 え
一歩 一歩 経験を重 ね ながら奉 仕 し て参 り た
いと 思 っております。
ま だ ま だ 未 熟 では ござ いま す が、 何 卒、
御 指 導 御 鞭 社 のほど i し く お 肛 い致 し ま
す。
8151
TE[026 224 857 FAX 026 21た
さる十月九 日 神社庁神 段 に於 いて神●大麻 頒“
始本■‘なこオ行.た記 の ■優秀支部 及び■■
,れた ︵
本 ■者 に対す るよ杉 が わ
故狂,略 ︶
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神 ● 大■ ●よ 杉
頒“優テ■一“ 北t久支“ 木憎■“
飯 支部 大●諏 神社■●役員 場= よ訛
特別表杉 領布優良本■者
■小文部 ■出几島“社氏子総代長 よ 田 延丼
,
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●■■■部 少 1
1神社●● ● 丼 工H
市安■文“ 凛占神社獅i 保” 他
州 松班範支部 四ヽ神社■任■● ¨
騰 一一
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阿日神社● ﹁
神 職
神社 庁 たよ 杉
松i坑支“
よ訪社●﹁
■本 悦t
越■ テ”
市安■文部
上水内支 部 計官神社獅i
総 代
松i銑支部
¨
卍■呻袖〓一一●イL″ 日
,
鵬騒叫‘袢命 された神臓 を紹介 します
新 任 神 職 の横 顔
申 村 美 和 子 〓T 四歳
和泉神社 権禰宜
松塩筑支部
こ の度、
本務社、
権袖r を拝命致 しま した。
多 く の方 々のご助言と ご指導 の下、神職と
長野 市東 和 田85た 1 信 州名鉄 長野 ビル7階
〒381Ю αB
長野営業所
ビ ス 株 式 会 社 営業推進部
名 鉄 観 光 ナ
③
にカ ケ)
神
月 1月 (20)
平成″ ‐
私たちは「人と人の1:会 いJと
そこから│=オ tる「コミュニケーション」を大切にし
心,か な卜
[会 の発lltに く献します
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(1・
州
神
(21)
平成27年 1月 1日
を 買 い上げ 移築 したも ので古 く、平成十 四
旧社務所 は明治 八年 に筑摩 県庁舎 の 一部
造営費 弐肝六伯伍拾高 円
社務所改築
矛野建夫
宮司 一
会を 開催。全員 の賛成 により 平成 二十 六年
化 により倒壊 の恐 れがあ る為 に、建設委 員
三十数年前 に建 てられた 両部鳥 居 が老 朽
造営費 一
7伯参拾高 円
大鳥居改築
宮司 宮澤 正廣
0古宮諏訪神社 ︵
北安曇郡小谷村大宇北小谷︶
宮 司 宮 川滋彦
年 より始 めた積立金 に足り な い分 は戸数 割
四月二十 日 に解体安全 祈願祭を執 り行 ひ同
0 日方 磐 神社 ︵
上 伊 那 郡飯 島 町 田切 鎮 座 ︶
鳥 居改築
で氏子 にご負 担 いただき、計 画より 一年 遅
0仁 之 倉神 社 ︵
上 水内 部 信 濃 町柏 原鎮 座 ︶
造営費 工
︿値伍拾高 円
のご協 力 に感 謝 致 しま す 。
申 し上げ る次第 であります。
子また 関係者 のお力 添え の賜と深く感 謝を
年 七月 二十 六 日 に新 し い皇居 の竣 工を祝 い
竣 工祭を斎 行致 しま した。 これも、偏 に氏
関係各
た。
,
ED の明 る い照明 の下 で盛会裡 に終 えま し
使 用 は九 月 の例 祭 で、 そ の宵 祭 の直会 に祭
典年番 の氏子 百 二十余 名 が広間 に座 り、 L
広 間は畳敷きと しま した。竣 工式後 日 の
れ の四月 に着 工 九月 に珍 工 いたしま した。
平成 二十年 頃か ら老朽化 による鳥 居 の傾
き が確 認 され るよう になり、平成 二十 五年
に鳥 居建 設委 員会 を ち 上げ た。当初、造
, て石造りも検 討 され
営費 耐 久性を考慮 し
たが、伝 統文 化を重 んじ、故神 の念 篤 い仁
之倉 氏 子 の心意気を後 世 に残す べく、欅 に
て建立 した。平成 二十 六年 二月取壊奉生晟¨
四 月 地 鎮 祭、 二 月 の立 柱 祭 を 経 て 八月
二十 日 に竣工した。
エツ
中 牧 一展
各神社から の申請 により、左記金品 の寄
附者に対し感謝状が授与されました。
赤誠 の真心を奉納 いただ いた皆様 に改め
て感謝 の意を表します。
支部名 神■ 箔 鎮座地 授与 の理由 氏名︶
︵
敬称略
[
大 北支 部 ]
人幡神 社 ^
池 田町︶
人幡神社 に彫 刻 を奉 納
大北支部﹂
[
人幡 神社 ︵
池 田町 ︶ 八幡神 社 に祭 具 を奉 納
入幡神社 二丁 目白 治 会
辞 今 ⋮︱
円円 川 □ 団 回 自 開 出 日 間 目 Ш
十
十
一
一
十二
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TEL 026302 0751
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茅野営業所 茅野市ちの341960F
TEL 0266 73 1235
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松 本 支 店 松本市深忘 123● 31F
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飯 餃 上
塩
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班
社 長野市小島口町2131番 地 1
TEL 02● 2836900
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式会社
7Jレ ピコ観光サービ瑞
彫 刻 及 び雲 銭箱 を 本 納 正森 典 子
彫刻 を 奉 納 彫 刻 有志 の会
榊植 樹 及 び社 務 所 塀建 設 に多 額 の浄 財
池 日町榊 葉 会
半 林 成 元
平林 一
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横澤 敬 太郎
勝 山 由美
丸 山 忠孝
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館内 ま 生きものの種類や 生きものたちが棲息する環境に合わせ ]2の
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参加者には辞錮′(ン フレットをお送りします
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