表紙の絵 『西第一広場の池』 神殿参拝して西第一広場へ足を運ぶ

表紙の絵の描写地
表紙の絵 『西第一広場の池』
神殿参拝して西第一広場へ足を運ぶ。透明度
のよいきれいな池に小さな魚が泳いでいる。
池の淵から全体を眺めると、大きな楠が水面
いっぱいに広がり、無風のためか、水面が大
鏡のようになる。武田勲史(明惶分教会長)
『躍動の泉』通巻 496 号 2015 年 8 月 21 日発行 発行所:天理教泉東分教会 大阪府堺市中区陶器北 909
発行人:村上嗣昭 編集人:古藤一彦
動
躍
ヤクイズ
の
泉
9月
平成 27 年
立教 178 年
2015 年
立教
年こどもおぢばがえり
泉東・眞隆鼓笛隊員 夏のおぢばで
元気に演奏・演技
最終回 茶木谷吉信先生「勇みばなし」
諭達にこもる親心
インタビュー 辻野 優先生
「瑞宝双光章」受勲
レポート
◆鼓笛隊員からよふぼくへ
泉 東 分 教 会 報 通 巻 496 号
178
立教 178 年こどもおぢばがえり
泉東・眞隆鼓笛隊員 夏のおぢばで
元 気 に 演 奏・ 演 技
た? おぢばに着くととても暑
く、子どもたちの体力を奪って
ていけるんだろうかと悩みまし
どうやったらみんなを引っ張っ
おぢばがえりの進行係を任さ
れた時は、どうしたらいいのか、
いただきました。最初は、私な
それと横断幕として参加させて
加 さ せ て い た だ い て い ま し た。
小学2年生の頃から鼓笛隊に参
今年、泉東鼓笛隊のスタッフ
になった北田恵里圭です。私は、
か
いき、集中力がなく、なかなか
んかが子どもたちに曲を教えて
り
聞いてもらえなかったです。だ
あげられるのかな? と、とて
え
けど周りの他のスタッフの人た
も不安でした。
き た だ
ちの支えのおかげで、無事おぢ
な つ き
ばがえりの進行役をつとめれた
練 習 中 に、 ス テ ィ ッ ク を 持
ち、カウントを取る。このいか
い い だ
と思います!
どれだけ難しいことだったのか
北田 恵里圭(直轄)
またパレードでは、横断幕と
いう大役を頂き、練習期間が短
ということを、はじめて知りま
飯田 菜月(直轄)
い中でさせてもらって、一番前
した。練習が終わり、練習風景
今年も7月 日~ 日泉東鼓笛隊の熱い
熱い3日間が大きな怪我、事故 もなく無事
うまくいかないこともたくさんありまし
たが、おぢばではみんな元気に 帰らせてい
が自分たちなのに、どうやった
を振り返ると、本当に私なんか
ポンポン7人、ちびっこ2人、本隊 人、
計 人のメンバーで構成されまし た。今年
終えることができました。
た だ き、 お や さ と パ レ ー ド、 お 供 え 演 奏、
ら後ろのペースに合わせれるん
の指導で、この子たちを夏のこ
12
今回は初めてスタッフになり、 おぢばが
えりに参加してくれた高校1年生2人の感
発揮し銀賞を受賞しました。
から練習を始めました。
からテーマソングも変わり、心 新たに4月
21
想を紹介します。
たくさん勉強させてもらいま
したし、少し成長できたと思い
子どもたちの姿を見て、とても
な? と考えると、不安になっ
たこともありました。それでも、
に も 単 純 で 簡 単 そ う な 作 業 が、
私は今回、鍵盤楽器のスタッフ、
そしてオンパレードと練習の成果を十分に
だ ろ う っ て す ご く 悩 み ま し た。
どもおぢばがえりで演奏するま
ます! 今年のおぢばがえりは
わたしにとって本当に内容の濃
感動し、とても嬉しくなりまし
楽譜が進むごとに上達していく
い3日間になりました!
ごく楽しかったです
けどパレードが終わった時はす
27
で連れていってあげられるのか
25
! (^_^)
泉東鼓笛隊
1
とてもしんどかったです。
また、
高 さ を 合 わ せ る と 腕 が 重 く て、
き ず、 と て も 難 し か っ た で す。
また、初めてさせていただい
た横断幕では、練習があまりで
んでした。
たな、と思ったことはありませ
て参加させていただけてよかっ
た。この時ほど、スタッフとし
いします!
ので、今後とも、よろしくお願
思いますが、精一杯頑張ります
で失敗もいっぱいしてしまうと
す。まだ、慣れないことの連続
私 は、 こ の 感 謝 の 気 持 ち を
持ってこれからも、鼓笛活動の
ありがとうございました。
う こ と が で き ま し た。 本 当 に、
お力になれたらと思っていま
先頭なので歩幅の大きさや、隊
の中心が分からなくなり、とて
も混乱してしまいました。
また、
おぢばがえりでは進行を務めさ
せていただいて、とてもいい経
験ができたと思いました。次々
に時間がせまる中で、自分の対
応力の無さもよく分かりまし
た。このさまざまな経験を通し
て、私はこの泉東鼓笛隊は、た
く さ ん の ス タ ッ フ や 奥 さ ん 方、
教 会 の 方 や 保 護 者 の 方、 ま た、
その他大勢の方々によって支え
られてきたものなんだな、と改
めて知り、実感しました。皆さ
んが、影で私たちのことを支え
てくださっていたからこそ、私
たちは、この鼓笛隊の活動を行
2
立教 178 年こどもおぢばがえり
泉東・眞隆鼓笛隊員 夏のおぢばで
元 気 に 演 奏・ 演 技
眞隆セーラーマンバンド
さんはじめ教
だいた、会長
く承諾をいた
ましたが、快
なってしまい
次祭前日に重
程が教会の月
の関係で、日
また、曜日
の巡り合わせ
りました。
じるものとな
だく喜びを感
帰らせていた
勢でおぢばに
してくれ、大
がえりに参加
側からおぢば
来年以降のお楽しみです。
かったのですが、それはまた
もいい賞を獲らせてあげた
がんばっていたので、ぜひと
重ね、小さいながらもとても
年は鼓笛隊本隊に勝る練習を
賞」を頂ける評価でした。今
あとわずか1点で「優秀演技
でした。しかし、ポンポンは
オンパレードの審査の結果
は「 銀 賞 」。 昨 年 に 続 き、 目
大きな点だと思っています。
ことが、昨年より成長できた
全員でパレードに出演できた
パレードに参加。昨年と違い、
元気に遊び、練習し、そして
故 や 体 調 を 崩 す こ と も な く、
おぢばでの3日間、今年は
雨の心配をする必要もなかっ
一度、土台をしっかりと作り
「基本・準備の大切さ」。もう
指していた賞には届きません
会のみなさま
今回、審査の先生からの講
評 で 学 ん だ の は、
「練習はウ
た反面、非常に暑い日々でし
直し、また来年に向けて隊員、
にも深く感謝です。
た。
ていきたいと思います。
てきました。
今年は、これまでずっと練
習を重ねてきた鼓笛隊の隊員
ソをつかない」ということと
し か し、 こ ど も た ち は お
日 様 の ご 守 護 を 頂 き な が ら、
眞隆少年会では、7月 日
~ 8 月 2 日 に か け、「 夏 の こ
だけではなく、鼓笛隊に参加
プールや水鉄砲など「水」の
どもおぢばがえり」に参加し
していないこどもたちが、遠
ありがたみを感じ、大きな事
(報告・眞隆分教会 松本朝充)
係員の力を合わせてがんばっ
くは名古屋や兵庫県の日本海
31
3
おやさとこどもオリンピックみごと優勝!
これからも少年会活動にご協力よろしくお願いします
4
勇みばなし
〜泉東分教会春季大祭祭典講話〜
茶木谷吉信(大江大教会・正代分教会長)
情 に 苦 し む 人、 悩 む 人 が あ
こ と か ら 始 ま る。 身 上・ 事
「おたすけは周囲に心を配る
一つをこれから申し上げます。
かかりました。その中のほんの
たんですが、これだけで一時間
るのです。これ、
ある教会でやっ
でならないところがたくさんあ
は今回の諭達を読んで、不思議
諭達の精神といいますが、私
ですか?
さい、ですよ。順番逆じゃない
いきなりおさづけを取り次ぎな
では良いですよ。でもその次に
たすけの手を差し伸べるここま
→治まりを願う→声をかける→
を配る→身上事情の人に気づく
だってそうでしょう。周囲に心
「順番が違う!」
丹精したい。
」
に人だすけに向かうまでに
う に と 導 く。 更 に は、 共 々
伝 え、 心 の 向 き が 変 わ る よ
添 う と と も に、 を や の 声 を
の 胸 の 内 に 耳 を 傾 け、 寄 り
れが何に効くのか分からない
でも、何か分からないが、そ
せん。
そんな簡単なものじゃありま
ぞ」って言ってくれますか。
て 言 っ た っ て 誰 が「 は い ど う
で す か。
「寄り添いますよ」っ
たって、誰が開いてくれるもの
を開いてください」って言っ
「 耳 を 傾 け ま す か ら、 ど う ぞ 心
りました。
だってそうでしょう。
でもその答えはすぐに見つか
れ? なんです。
先」とおっしゃっています。あ
け、寄り添う前に「おさづけが
なります。でも真柱様は耳を傾
0
れ ば、 先 ず は、 そ の 治 ま り
私が真柱なら逆ですね。
し、意味も分からないが、この
0
を 願 い、 進 ん で 声 を 掛 け、
胸の内に耳を傾ける→寄り添う
目の前の人は、私のために一生
最終回
たすけの手を差し伸べよう。
→ そ し て お さ づ け を 取 り 次 ぐ、
諭達にこもる親心
病む人には真実込めておさ
懸命祈ってくれている。人前だ
0
そしてをやの声を伝え、導くと
0
づ け を 取 り 次 ぎ、 悩 め る 人
5
profile 茶木谷吉信【ちゃきたに・よしのぶ】正代分教会長
昭和35年生まれ。58年熊本大学文学部卒業。翌59年正代分教会長に就任。
現在、本部布教部布教二課研究員、熊本県玉名市教育委員(委員長職務代理者)、
市男女共同参画審議会会長、熊本刑務所教誨師などを務める。55 歳。
だから「おさづけが先」なの
うか。
い、そう思うのではないでしょ
う、 こ の 人 に 寄 り 添 っ て 欲 し
の人にだったら心を開いてみよ
ことだったら聞いてみよう、こ
ではないですか。この人の言う
る、その真実に人の心は動くの
にたすかりを願ってくれてい
だろうがお構いなしに一生懸命
ろうが、病室だろうが、道ばた
ないのです。
いことを、きれいに言うのでは
言っているような物わかりの良
り 次 ぐ の で は な い。 世 間 で も
ない。スマートなことを人に取
は、体のいいことを言うのでは
がけだからです。にをいがけと
る、願う姿こそ、最高のにをい
す。この人のために一生懸命祈
ぜ か? 理 由 は こ こ に あ り ま
という言葉が出てきません。な
こ の 諭 達 に は「 に を い が け 」
るのです。親神様がそのように
NAがあるから、そこに反応す
放っておいても陽気ぐらしのD
心を打ちます。なぜなら、人は
ブレない。その姿勢は必ず人の
と、 人 の た め に 自 分 を 捧 げ て、
が見ていようと見てなかろう
らないことを一生懸命やる。誰
しい。人のために何の得にもな
ともさわやかな変わり方で、美
しかし、その変人ぶりがなん
の価値がありません。
てい
です。それを真柱様は仰せにな
おつくりになっているのです。
ラスト一年は、この精神が大変
天理教の信者というのは、い
い人ではだめです。いい人なん
重要になってきます。
て、世間にたくさんいます。埋
りたいのだと思うのです。
あるからこそ、共々に人だすけ
没してしまいます。いい人、プ
合って通らせていただきましょ
そういう魂のぶつかり合いが
に向かうまでに、自分のことだ
ラス、あくまで泥臭く、人から
う。ご清聴ありがとうございま
けしか考えなかった人生から人
見たらちょっと変わってみえ
した。 (完)
共 々 に、 し っ か り と 励 ま し
だすけに生きる人生に変えるま
る。そうでなくては天理教信者
でに心が動くのです。
6
祝 春の受勲
瑞宝双光章
泉東直轄・大美野布教所長
ずいほうそうこうしょう
【 瑞 宝 双 光 章 】
日本の勲章の一つで、瑞宝章
)8月の閣
6つのなかで5番目に位置す
る。 年(平成
れた。翌 年5月の閣議決定
五等瑞宝章から名称が変更さ
いて」により、それまでの勲
議決定「栄典制度の改革につ
14
県知事が行う。
よび厚生労働省関係は都道府
所管大臣が行うが、総務省お
中学校長などが多い。伝達は
る。受章者には保護司や小・
章以上を授与するとなってい
に対して、6番目の瑞宝単光
職務をはたし成績をあげた人
度、責任の程度などを評価し、
公共的な職務の複雑度、困難
「勲章の授与基準」によれば、
2003
辻野 優 先生
2002
7
市 役 所 か ら 電 話 が あ り ま し て、
お聞かせ く だ さ い 。
瑞宝双光 章 を 頂 か れ て 、 率 直 な 感 想 を
ておりました。
それは当時の教育長も感銘を受け
教 的 情 操 教 育 」 の 話 を し ま し た。
委員会の話では通用せんので、「宗
がごたごたあった時、一般の教育
つが、夫婦そろって毎月第一日曜
しなさい」と言われ、その中の一
守護いただける。神さんと心定め
上 げ る と、「 こ ん な ん、 直 き に ご
泉東の親会長様にそのことを申し
した。思いがけなく予期せぬこと
すか?
先生の信仰の根底にあるのは何で
しました。
日の午前席の別席を運ぶと心定め
受賞をお受けしますか? という
確認があり、その後封書が届きま
でびっくりしております。
最初の3カ月は続けて悪天候
( 大 雪、 大 雨、 大 風 ) で し た が、
すが、具 体 的 に 活 動 し て こ ら れ た 内 容
生が退職されるほどの難病で、私
で家で療養。当時はほとんどの先
停止になったのです。全快するま
私の入信の話になるんですけ
ど、私の結核の身上により、出勤
いただけたと思います。
を素直に実行したからこそご守護
護を頂きました。親会長様の言葉
常なし。四月から出勤できるご守
その後検査を受けると、結果は異
をお聞か せ く だ さ い 。
は 悲 観 の ど ん 底 で し た。 そ の 時、
以後、このご恩をいつまでも忘
れることなく、にをいがけ・ひの
長年の功 労 、 功 績 を 認 め ら れ た わ け で
指導に回ったとき、天理教の名前
きしんを通してご恩返しさせてい
を出さないで天理教のやっている
ただいております。
各 学 校 の 校 長 か ら 要 請 が あ り、
教 員 に 指 導 し て く れ と 話 が あ り、
こ と や 教 え な ど を 話 し て 回 っ た。
辻野先生、本日は貴重なお話を聞
いわいる「宗教的情操教育」です。
これは私が作った名前です。
いました。
かせていただき、ありがとうござ
また、ある時には文部省から要
請があり、
宗教全体的な話として、
8
堺代表で、東京まで話をしに行っ
たこともあります、先生と子ども
原稿大募集! 『躍動の泉』では原稿の投稿を募集しています。
読む人の勇みの種になるお話をお待ちしております。詳しくは『躍動の泉』編集部までお尋ねください。
泉東分教会五代会長任命お運び
28〜30日 全教一斉にをいがけデー
10 月の主な予定
21日 泉東分教会秋季大祭・午後 1 時
23日 髙安大教会秋季大祭・午前10時
25日 う
ちわけ会別席団参
26日 本部秋季大祭・午前8時
27日 本部第 91 回青年会総会・午前10時
訃 報
26日 本部月次祭・午前9時
はしづま
25日 泉東定例にをいがけ(大深井)・午前9時30分
橋嬬分教会四代会長
(八田山)
24日 髙安大教会秋季霊祭・午前10時
つ ぐ お
23日 髙安大教会月次祭・午前10時30分
杉 本 嗣 男 先 生
21日 泉東分教会月次祭・午後 1 時
76
歳
9 月の主な予定
享年
長年泉東分教会の月次祭にお
いても東京から毎月お運びく
ださりお勤めくださっておら
日
23
れ ま し た、 杉 本 嗣 男 先 生 が、
身上療養中のところ6月
に惜しくもお出直しなされま
27
日、告
日、春木むつみ・扇
した。みたまうつし
別式は
橋分教会長斎主のもと、町屋
斎場で執り行われました。
28
青年会 information
全分会布教推進週間
9 月 6 日(日)〜 13 日(日)
です。泉東につながる青年会員はこの
中で一日でも、リーフレット一枚でも、
何かしら布教活動をさせて頂きましょ
う。
統一活動日は、
◆ 9 月 6 日(日)午前 9 時 50 分 大
阪環状線
芦原橋駅前集合 神名流し・路傍講演
など 12 時解散 ※担当 泉東分会
副委員長 村上康介
◆ 9 月 11 日(金)午後 7 時 泉阪分
教会集合〜神名流し〜あべのハルカス
※担当 泉東分会副委員長 坂口幸
司
◆ 9 月5日(土)〜 6 日(日) 柳島
分教会を拠点に布教合宿 ※担当 東
躍動会委員長 坂口明徳 関東在住の
青年会員向け
ご協力、お力添えよろしくお願い申し
上げます。
9
鼓笛隊員から
よふぼくへ
いけなか よ し の
池 中 理 乃 (久深)
私は今年の 3 月 8 日におさづけの理を拝戴しましたが、この時はよふぼくになったとい
う実感がありませんでした。
2 日後の 10 日、同じ勤め先の女性 M さんに初めておさづけを取り次がせていただきま
した。この方は妊婦さんで、お腹の赤ちゃんの状態がよくありませんでした。初めての取り
次ぎだったので、とても緊張し、体温が上がり、顔が真っ赤になりました。この日から退職
されるまでの約 1 カ月間、ほぼ毎日おさづけを取り次ぐことができました。1 カ月という
短い期間ではありましたが、その中で不思議な出来事が起きたのです。
M さんが退職される日、教祖殿でおさづけを取り次がせていただきました。取り次ぎ終
えた時、最後に教祖のお近くで取り次がせていただくことができて、ありがたいなと心の底
から思いました。すると次の日、数カ月間痛くて曲げるのもつらかった私の腰が曲がるよう
になったのです。
「人たすけたら、我が身たすかる」とはこういうことなのかと実感しました。
今私は、天理高校第二部の 4 年生であり、学生よふぼくでもあります。教祖百三十年祭
の仕上げの年に、たすけの旬に、よふぼくになったということは「しっかりおたすけをして
ほしい」という親神様からのメッセージだと思っています。自分にできるおたすけ、自分に
しかできないおたすけとは何か、しっかり考え、親神様に使っていただきやすいよふぼくに
なれるように成人していきたいです。
10