NPOネットワーク 2015年6月号-2p

イベント取材レポート
第 4 回 まずは、知らなきゃね!
∼東日本大震災を経て∼
「今、伝えたいこと」
2015 年 6 月 5 日(金)19:00 ∼
四日市市文化会館、第 3 ホールにて
講演会が開かれました。
講師:高木仁三郎市民科学基金 事務局 菅波 完(すげなみ・たもつ)氏
主催:一般財団法人ハハプロジェクト
1966 年、東京都生まれ。京都大学理学部を卒業後、
三菱銀行、WWFジャパンを経て、2002 年から高木
仁三郎市民科学基金事務局。現在、「原子力市民委員
会」「脱原発弁護団連絡会」などでも活躍中
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から 4 年が過ぎ
ました。震災後、私自身の仕事の内容、人生も変わったなと
思います。
高木仁三郎さんは、2000 年 10 月に 62 歳で亡くなった
んですが、もともと東京大学の核化学を専攻していた研究者
です。実際、仕事をするなかで、どうしても原子力業界の閉
鎖性とか、本当に核のエネルギーを人間が扱っていけるのだろうか?…と真剣に考えるようになります。
大学を辞め、「原子力資料情報室」という市民団体の立ち上げに関わり、市民の立場から核、原子力
の危険性を研究、情報発信し続けました。
2001 年、亡くなった後の遺産で基金をつくり、市民が目の前の環境問題、公害被害の問題などを
調べる活動を応援しています。(高木基金の助成は市民からの会費・寄付に支えられています。ハハプ
ロジェクトさんからも震災後寄付をいただきました。http://www.takagifund.org/)
私は事務局として、福島原発事故の原因分析や放射能汚染の調査、被災
者の救済や原発運転差し止めを求める裁判などにも関わってきました。
それとともに別のNPOの活動を通じて、被災した東北三県の高校生の
支援として、奨学金を支給する仕事にも関わっています。奨学生からの声
を一部ご紹介します。
2012 年 3 月に卒業、就職した福島県出身のMさん (2011 年度に震災枠で採用)
奨学金を支給している宮城県の
学校を訪問した時に撮った写真
石巻市門脇小学校
震災直後は何も考えられない状態でしたが、今は日常を取り戻した生活に
なっています。しかし、原発事故は収束しておらず、私も家族も今後どうす
るかについては、未だにはっきりと決められない状況です。福島からの避難
津波で町がすっかり流されてしまった。
ガードレールがひん曲がっている。
先での勉強は、とても大変でした。また、福島からの避難者は必ずしも歓迎
されてはいなかったことも事実です。一番頑張ったことは何かと聞かれれば、
その環境に負けないように自分を維持していくことでした。原発事故によっ
て思いもしなかった避難生活と転校を強いられ、精神的にも経済的にも最悪
な状況になった時、高校を中退することも考えました。そんな時に奨学金を
頂けたことは本当にありがたく、なんとか頑張ることができました。本当に
感謝しています。ありがとうございました。
全国のみなさんに
切実というか切ないです。三陸地方はこれまでも大きな津波に見舞われ
てきた歴史がありますが、それでも豊かな海と共に生きてきました。し
かし今回は、原発事故によるダメージが深刻です。
(他に、福島出身で東京に家族で避難し、東京でのせわしない生活の中で、とも
すれば 3.11 の出来事を忘れてしまいそうになる。そんな時は、家族で被災地の
状況や復興について話し合う。今自分にできることはあの日のことを絶対忘れな
いことだから。そして将来、福島の復興の役に立ちたいと社会学を学ぶために大
学に進学したEさんの声も紹介されました。)
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こんな看板があちこちに