士一 - アステラス製薬社友会

TEL (
0
3
) 3664-4628
FAX(
0
3
) 3664-4621
R
新年あけましておめでとうござ
います。
会員の皆さまには、日頃から社
友会の運営にご協力、ご指導いた
だき心より感謝申し上げます。
一昨年の東日本大震災及び福島
原発事故の復興も一歩一歩進んで
いるようですが、被災されました
方の厳しい生活の様子も多く報道
され、心痛む思いがいたします。
一日も早い復興をお祈り申し上
げます。また、昨年は近隣諸国と
の間で、国境問題等のトラブルも
顕在化し、国の在り方が厳しく問
われる時代になりました。そのよ
うな日本社会を覆う閉塞感のなか
で、世界に先駆けて ipS細胞を
開発した京都大学・山中伸弥教授
の医学生理学分野のノーベル賞受
賞は素晴らしい快挙で、日本人と
しての誇りを感じる、本当に明る
い話題となりました。思い起こせ
ば、団塊の世代といわれる私たち
の若い頃にも多くの出来事があり
代表理事 太田仁司
年頭所威
一
開 F
ました。世界ではニクソン訪中を
きっかけとした中国の国際社会へ
の復帰、ベトナム戦争終結、ウォー
ターゲlト事件、沖縄復帰、円の
変動相場制移行、オイルショック
等大きな出来事がありましたが、
国を挙げての取り組み、国民の頑
張りで乗り切ってきました。安心
して暮らせる社会実現のために、
今日も当時と変わらない不断の努
力が必要と痛感しています。
さて、社友会も発足9年 目 に 入
り、運営体制も会員の皆様のご努
力、ご協力のお蔭で軌道にのって
まいりました。理事会において、
昨年、拡大マスタープラン検討委
員会を開催し、社友会の持続的な
活動を維持するため、現況と諸課
題について議論してまいりまし
た。特に、新入会員をどう確保し
ていくか、収支構造をどのように
維持、改善するのか、また、これ
からの社友会のあるべき姿といっ
たテl マについて、支部代表者の
方より御意見も頂き、現状に関し
て、幅広い検討を行って参りまし
た。今後はこれらの検討内容を整
理し、どのように具体的に進めて
いくかが課題になります。一層魅
力ある社友会活動とするために、
社友会の存在意義の原点を絶えず
音凶'識した組織運営を心掛けてまい
ります。会員の皆様のご理解とご
協力を改めてお願い申し上げま
す
。
皆様の今年一年のご健康とご多
幸を祈念し、社友会活動の積極的
な参加をお願いして年頭の挨拶と
いたします。
l
編集者向田孝義
中島
干1
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3
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12 東 京 都 中 央 区
日本橋堀留町 1
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おめでとうござω
ま言
・
・ ・
一一
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2012年 1
2月27日 発行
友 (
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29
)
社
アステラス製薬社友会会報
γ日一…仇………勺
士
一
額得窃肪まして
発行所
旧正月“山形初市"原因純(仙台)
アステラス製薬社友会
共に、アステラス製薬に所属していた
が健康の一因になっていると感じると
つ便利になりました。趣味を持つこと
きるようになり、一層楽しみが増え且
取り込んで現像やプリントが手軽にで
メが普及し、自分で直ぐにパソコンに
楽しんでおります。数年前からデジカ
ともに体力は確実に衰えていることを
に考えたこともなかったけれど、年と
う過ごそうかなんて、今まで余り深刻
した 。 こ れ か ら の 残 り 少 な い 人 生 を ど
デオとパソコンだけになってしまいま
スで楽しんでいます。囲碁の相手はビ
デオ、パソコンなど歳相応のマイペー
で今でも散歩や庭仕事、日曜大工、ビ
の為に通院は欠かせませんが、お蔭様
持で一杯です。毎月の検査と数々の薬
を配ってくれたからと、今は感謝の気
ら、そして健康管理に妻が殊の外、気
持て余し気味です。それでも一面では
らして、今は四百程度ですがそれでも
一時 は 六 百 鉢 を 超 え ま し た が 、 逐 次 減
こちらへ帰ってから始めた洋らん、
と、思っております。
る疲れもなく、まだまだいけるものだ
ました 。 日 帰 り の 旅 で し た が 、 さ し た
元と言うか、暫し別世界にある感がし
木が林立していて、神秘と言うか、幽
て来ました。青味がかった湖面に、枯
和 五 九 年 の 地 震 で 出 来 た 自然湖へ行っ
し ん で お り ま す。 先 日 も 御 岳 山 麓 の 昭
一
・ 二回程信 州 方 面 へ の ド ラ イ ブ を 楽
行が出来ないので、自分の車で、年に
d宜
昨年の
ことが、今日の幸福に?ながっている
実感しています。時々焦りを感じるこ
、
いきいき人生
田中治三郎
と感謝しております。
ともあり、捗らないけれど古い資料や
のためと考えて続けております。写真
-2-
花の美しさに魅せられ、一面では健康
はその一ショットです。
に官県日ロ事と戦二にげよ、寿社
アルバム等整理して、お世話になった
を偲び、趣味もほどほどに整理するこ
備ゴ松陸椅工勤全.生まり誠の友
今は亡き多くの先輩、友人、後輩たち
今年が米寿の
とにしています。そして周りの人たち
i
ま
EZ五甲官 5EZ二申子高号室
戦任葉十空軍練皇、世上心き米、
される事を生き甲斐に、そうだ﹁ピン
を楽しませて頂きましょう。
末筆ながらアステラス製薬の益々の
発展と社友会の皆様のご健勝とご多幸
E
には迷惑や心配をかけぬよう、頼りに
ρ お祝いとのお招
ピン・コロリ﹂を目標にもう少し人生
r
を頂いて誠に有
ー きを頂き、社友
会の皆様方から
ーも 数 々 の ご 祝 辞
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難うございました。思えば喜寿のお祝
をお祈りいたします。
は ド 間 軍 型 ;1
二三
塁.
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遇に
入
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に
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言説議こ ト
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を頂いて早や十年余。
あっという聞に八十も後半となって
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大の別半の仕洋事け
空工甲ば勤。戦件、
いたことに今更ながら驚きました。
私が山之内製薬に入社したのが戦後
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d小 Ilj三
回j I
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襲兵種に労旧全
間もない昭和二十二年、当時お世話に
なった大瀬さん(後の常務)に﹁君は
蒲柳の質なんだね﹂と言われたように
体が丈夫でなく、病院を紹介して頂い
たりして職場の皆さんにもいろいろ迷
惑をかけました。それがここまで無事
に生きてこられたのは、多数の職場の
方々の本当に温かい支えがあったか
・
・…
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東戸軍学場労太二を
京市特業へ奉平六受
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7日 発 行
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アステラス製薬社友会会報
2012年 1
2月27日 発行
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士
アステラス製薬社友会会報
校の一部は愛知県豊橋市の予備士官学
ぇ、四月二十九日天長節の日に工兵学
の様子を報じて居ります。役員の皆様
報を知ると本当に寂しく心の中で参加
の方々とご一緒楽しく過し又物故者計
昭和七十年三一月、職を辞し大過なく
の友人・知人を得ることが出来ました 。
現在の体調は足腰が弱まったと感じ
で一杯です。昭和十六年大阪庖入社図
にお世話になり皆様とお会出来る楽し
は四十二砥に減少し、栄養失調の状態
案部経理課勤務、暮十二月に山内社長
山之内側を
職を果したと思って居ます。
校に移動し、卒業寸前(当時軍曹)の
で、再び学生々活に戻り卒業。戦後の
にお目に掛り転勤のお話決心戦時中大
この度、社友
て居りますが医者からは、どこも悪く
混乱期、食糧難時代の昭和二十一年七
変な所神戸より出航女子初めての社命
︺ 会より米寿の慶
八月十五日終戦を迎え復員した。戦後
月に藤沢薬品に入社大阪・京都・名古
にて中国上海山之内製薬附経理課に転
ないと云われています。自動車の運転
屋・大阪の各正場勤務を経て四十八年
勤、後終戦により三十一年一月引揚者
の恩恵に感謝致し会社の益々のご発展
七月に本社総務部勤務、五十四年六月
、
山に有難く、御礼
みを私の健康の支としてアステラス附
関係会社のフジサワ・ストアサービス
として身体 一つ で帰国終戦の年三月六
月に三回の空襲により家族焼出され十
のお祝いを戴き
去って六十七年
附へ、五十七年五月側道栄設立時に出
!
を
申
上げます。
一
ー、
六月十七日の
した深く感謝し
有難うございま
余り、アステラ
向し、六十三年一月に退職致しました。
八年より連絡取れず帰国後真先大阪庖
誕生日には、近所の友人などと、祝の
映画﹁独立愚連隊﹂﹁日本の 一番長い日﹂
その間経理・人事厚生・労務関係の職
に伺うが正月休日にて唯一人会ず連絡
会をさせて戴きました。
沖縄決戦﹂などの作品を残し
﹁肉弾﹂ ﹁
務に従事し、多くの先輩や後輩の方々
取れず様子訳らず一人で家族探求大変
大正十四年六月十七日、この世に、
やめましたが酒は医者の了解のもと一
の御指導と御支援を頂き有難く感謝し
だった 。会社にも其の間出社出来ず自
生を受けて八十八年の現在を振り返る
希望を打ち砕かれ、目の前が真暗になっ
免許書は警察に返上しました。煙草は
ております。在職中若い頃、余暇活動
然退職の状態、やっと母広島姉弟大阪
と、走馬灯の如く、過去の想が次々と
て居た時長崎経済専門学校の二年転入
と皆々様方のご健康ご多幸を心より祈
として全藤沢の野球部でサッカー部で
となる事分る)現在長男長女次男各夫
と別々の生活(私帰国 一ヶ 前に父故人
若い頃、米寿とか白寿と聞きましで
思いだされ、感無量であります。
学が許され、一年半後の昭和二十二年四
念致して居ります。上海山之内側当時
対外試合に出場した思い出が残ってお
婦孫七人曽孫六にも恵まれ主人他界よ
も自分には関心のない遠い先のこと
ス附社友会より
ります。
り二十五年余り一人毎日を大切に過し
と、思って居りましたが、改めて神仏
月に無事卒業出来た山之内製薬の求人
た監督の故岡本喜八氏も同期だった。
年金生活に入ってからはテレビが友
て居ります。平成二年二月事故により
票に五番以内とある先生に相談し二人
日二合の晩酌をしています。御陰でよ
の生活でスポーツ番組で一喜一憂、一
左右半身歩行困難七年脳梗塞心筋梗塞
昭和二十二年四月一日に山之内製薬
に感謝申し上げる気分になりました。
受験し一人許され福岡支庖勤務となっ
た。配属されたのが経理係で専ら珠算
私にも心遣い下
方スポーツクラブに入会し体力維持に
左 半 身 不 随 一時 生 死 危 ぶ ま れ ま し た
株式会社に入社し、日本橋の小舟町の
による伝票計算だった。学校では経済
入隊時に六十砥あった体重が復員時に
努め、現在腰肩痛治療のため整体院に
が、二十一年余りの苦痛も自分の力で
社屋に通勤し、社会人として、スター
関係の理論と原書講読が主で珠算を
く寝れます。元気に頑張って白寿に向
通院し乍ら人間死ぬまで足腰を動かし
色々努力、現在シピレ痛も無くリハビ
トを切りました。業務は経理、管理畑
持った事が無い若い女子社員が一時間で
の他界された方々の心から安らかなご
て元気に生きることが大切と思い、ト
リ中止左半身不随も普通の状態日常生
が主でした。台湾山之内製薬股扮有限
さり感謝の気持
レーニングに精を出す昨今です。
活が元に戻り主治医先生も奇蹟だと喜
公司の設立にも加わり、台湾にも多く
V
祝金を戴き、誠
4
り申し上げます。
米寿に当り過
昭和 二O年 八月の敗戦により将来の
去を振り返ってみたい。
ます。
この度は米寿
終りに社友会の皆様の御多幸をお祈
ます。
かって余生を生きて行き度く思ってい
終りに社友会の皆様の御健勝とアス
ば れ て 居 り ま す。 故 藤 本 様 の お 陰 で 社
冥福をお祈り申上げます。
テラス製薬の益々の御発展を心から御
友会の行事に参加させて頂き先輩後輩
山田信次
祈り申上げます。
司ペリ
過しました。
と熊本にU タ ー ン し て 早 や 一 五 年 が 経
軒 昂 と し て 喜 寿 を 誼 歌 し て い ま す。 会
フコンペは八十四回目を数え益々意気
Uタl ン後の生活は概ね七年を 一区
石岡キセ
社並びに社友会のご発展を祈念しま
す。
出来るものを半日やっても出来ないので
習し夜中に及ぶ日を続けた処大分自信
切りとして過ごして来た様に感じてい
情 無 い 思 い を し た 。 珠 算 を 一生 懸 命 練
がついて来た。昭和三一十六年十月札幌
最初の七年はあちこちの団体から依
ま す。
家族と 一緒 に 土 曜 日 に 福 岡 を 発 ち 其
支庖営業管理課課長の辞令が下りた 。
武田三干穂
社友会総会に
てお祝いをいた
だき有難うござ
いました 。 月日
四の経つのは早い
E
昭和十一年生
頼を 受 け て 講 演 を し た り 、 地 元 中 小 企
一も の で 古 希 の 祝
﹄いを頂いた頃は
業のお手伝いや自治体のアドバイス、
れは、今年が数
﹂ 体調が今ひとつ
の日に本社の社 長 、 営 業 へ の 挨 拶 を 終
え歳七十七 。 遠
でしたが、再手術後は体調も良く体重
えた 。 翌 日 曜 日 の 朝 札 幌 便 に 乗 る 為 八
い先の話と思っ
も四十二キロから五十二キロまで増え
町おこし活動などをして過ごしてきま
した 。 次 の 七 年 間 は も う 少 し 世 の 中 の
ていた私も喜寿
体力もついてきました。胃がん全摘手
重洲ターミナルで待って居た処部次長
を迎えることに
が見送りに来て戴いたのですごく恐縮
なりました。これを祝って社友会から、
術から八年目には入りましたのでもう
お役にたつ様な仕事をしてみたいと
医薬情報を発信してもらえないだろう
お祝いを頂き有難うございました 。
思っていた矢先に東京の医薬品業界紙
かと依頼がありました 。 私の好き様に
入 社 以 来 、 本 社 の 電 話 交 換手 として
した 。 羽田に 着 いたら社長が居られた
家族を紹介した処子供の頭を撫でて
させてもらえるのであればと 言うこと
長年お世話になりました。私のシャイ
ので行って挨拶したら君を見送りに来
下さった 。日曜日にも拘らず会社のトッ
で平成一六年からボランティアとして
も皆様のお声は、はっきりと記憶に
な性格には良く合った仕事でした 。 今
より九州在住者として現地から九州の
プ御三人に御見送り戴き吾々家族一人
九州各地を回り、九州が生んだ医療人
たと云われたので 一層驚いた。
一人に人生最良の原動力を戴いたと思
を取材して寄稿していました 。
鉄 筋 の ビ ル に 移 っ た 。 雪 祭りのテレビ
切りをつけてこれらを基に自費出版し
七年が経過した昨年、この活動に区
理、紙芝居を作成、その他、イベント
ボランティア活動、例えば古切手の整
残 っ て 居 り ま す。 退 職 後 は 、 少 し の 体
の 傷 み も 出 て き て い ま す が 、 現在は、
ライブウェイ加賀のホテルへ翌朝輪島
し車三台に分乗し千里浜砂浜なぎさド
から能登半島一周の旅へ金沢駅に集合
に つ れ て い っ て も ら っ て い ま す。 二十
ながらホテルへ次の日は兼六公園、加
金沢武家屋敷の近くで夕食。花火を見
今年からまた新たなスタートになり
二年 度 は 愛 媛 県 松 山 方 面 。昨 年 は 金 沢
に屋上社名看板が出て来るのを見て喜
た次第です。
ています。その中で多くのお友達にも
の朝市、輪島塗工房から千枚田、禄剛
恵まれ、刺激のある毎日を送り、まだ
京組と白馬組みに、子供達のおかげで
賀 百 万 石 の お 城 を 見 学 し 昼食 後 散 会 東
崎灯台、見附島(運艦島)など見学、
まだ人のお世話をし、社会勉強を 重 ね
私たちは白馬へ。昨年は涼しい所で一
ラブにも毎日通い、体力維持に努力し
幸い、今年二月には金婚式を迎え、
ていき、これからの充実した人生に 生
にも数々参加しています。 スポーツク
喜寿祝いと 二重 の 喜 び に 浸 っていたと
かしたいと思って居ります。老いて働
ますが今後は寿命を考え、七年スパン
ころへ四月には地元、熊本日日新聞社
末 に は 子 供 達 が 全 部 そ ろ っ て 喜 寿 のお
覚悟し家を建てた処ジンクス通り東京
創立七O周 年 記 念 論 文 募 集 が あ り 、 ボ
き、お役に立って 、幸 福 に 生 活 し て お
り ま す。
は長過ぎるので 一年 刻 み の 目 標 に 切 り
ケ防止と冷やかし半分で応募したとこ
祝いをしてもらい 二重の 喜 びでした 。
勤務になり多くの人々に助けられ米寿
この度は喜寿
ろ図らずも大賞を受賞することとなり
社友会の皆様方のご健勝とご多幸を
替えねばと考えているところです。
のお祝いを頂戴
三重 の 喜 び に 浸 っ て い る と こ ろ で す。
吉田洋二
し誠に有難うご
Uタl ン後結成した高校同期の桜と
かなか参加できません。体力の衰えを
ゴルフ同好会に入っておりすまがな
週 間 過 す こ と が で き ま し た 。 今 年 三月
ざいました。藤
の月一飲み会は一五年目を迎え、ゴル
お 祈 り 申 し 上 げ ま す。
てすぐにふるさ
を迎える事が出来た 。尚長生きし度い。
岡に転勤になったので退職後は福岡と
んだもので札幌に三年後東京四年後福
毎年子供達が企画してくれる小旅行
お り 安 心 し て お り ま す。
大 丈 夫 だ と 担 当 医 の 先 生 か ら 言 われて
います。札幌では本社の許可を得て木
阪
造 二階 の 社 屋 か ら 大 通 り 公 園 に 面 し た
大
沢薬品を退職し
-4-
2
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2年 1
2月2
7日 発行
友 (
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)
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士
アステラス製薬社友会会報
お祝いをして頂いたのです。これから
のような気がします。しかし、喜寿の
次の目標は米寿。とても遠い道のり
り方で余生を楽しんでいきたいと思っ
ます。今後の生活もオレはオレ流のや
も恵まれて満足のいく生活を送ってい
の散歩が毎日の生活です。そして孫に
の老化防止の一助になると思い参加し
麻雀同好会に入会し頭のボケ防止、体
社友会のゴルフ、ウォ lキング、カメラ、
多数の犠牲者が出ました。アステラス
地区で死者九二、行方不明者五五と
感じながらもう一度参加したいと思っ
健康管理に注意して一日一杯の野菜
は何が起こっても喜んで行ける事が大
てます。
や果物のジュースを飲む。第二に食べ
ております。以前、呼吸器専門医によ
ています。
る喫煙に関する健康講話を聞いた後
で、喫煙者間で﹁タバコは噌好品だか
より喜寿のお祝
この度社友会
ています。私は最近C T、エコ l等検
ないか﹂等の会話があった事を記憶し
﹁この年になって 止 め て も 遅 す ぎ で は
け平均寿命まで生きられれば本望だ﹂
ら止める気はないね﹂﹁タバコを吸い続
いを頂き有難う
圧司英
先日、イタリア旅行での一コマです。
切と思っています。
下さいますようお祈り致します。
皆さん、お体を大切にしてお過ごし
る順番でまず野菜、魚や肉など次に主
食のご飯類。第三に食事時は三十分以
上かけ一口あたり四十回以上かむこと
に注意しています。
先日、静岡支
ございました。
査を受けCOPD(慢性閉塞性肺疾患)
高橋
部総会の席で喜
と診断されました。これを良い機会と
天候が良ければ毎朝家の前の小さな
寿のお祝いをし
近年月日の経つ
公園の掃除と散歩を毎日実行していま
最後になりましたが、理事の皆様方
て頂きまして、
に生きていきたいと思います。
す。後向きにならず出来るだけ前向き
及び各同好会の役員の方の努力に心か
とらえ禁煙を決意し努力中です。
のが早くなって
の間古希のお祝
iU のです。ついこ
カ
本当に早いも
んお元気です
いに充実した人生だったように思って
輩・同僚に恵まれて、私にとって、大
るまでの七年間の勤務生活が、良き先
が渡会さんでした。焼津工場に転勤す
課に入社しました。その時の工務課長
私は、昭和三十六年に蓮根工場工務
らゴメンナサイ)
が破損したので耐震補強を施し修理し
を受けました。地震により拙宅は内壁
取市は昨年東日本大震災で甚大な被害
市に居住し現在に至っております。名
職後は生まれ育 った 仙台市近郊の名取
支えられ貴重な経験を致しました。退
会社調剤薬局に勤務し、多くの皆様に
薬品、医療関連事業部、輸出部、関連
のですが富山県には北アルプス三千米
年の時です。その延長で登山を始めた
本格的にウォ lキングを始めたのが定
健康で毎日を楽しく過ごせるようにと
庄一括
康でいたからこ
ざいました。健
きありがとうご
を祝っていただ
社友会で喜寿
山本泰輝
いをして頂いたのにもう喜寿のお祝
います。その後の勤務生活にも反映し、
ました 。又菩提寺(永平寺、総持寺が
級がありその一つ立山連峰の雄山から
七年間は特にその感が強く、もう後期
い。少し早いのかなと思いましたがお
また私の人生そのものにも大いに役に
眺めた遥かに連なる山々に感動し、そ
高齢者かと複雑な気持です。私は昭和
めでたいことですので有難く頂きまし
本山)は本堂、山門、庫裡の屋根瓦崩
れが北海道から九州の名のある山に登
当社友会東京支部写真部の作品のう
た
。
立っています。改めて、この紙面をお
の役員をしている関係から修復業者の
落等の被害がありました。檀家護持会
るきっかけとなりました。いつも妻と
ち渡会春雄様の名前を見ると懐かしく
いるように感じます。古希から喜寿の
ありがとうござ
鳥居政雄
幸い体には問題ありません。歯も全
借りして、お礼を申し上げます。﹁渡
選定や資金の捻出で忙しい時を過ごし
三十四年に藤沢薬品に入社し医家向医
部 自 分 の 歯 が そ ろ っ て い ま す。 今 の 毎
会課長、その節は公私にわたりお世話
ました。昨年十月末に応急修復工事を
思います。(名前をだして迷惑だった
日はほとんどここ数年変わりません。
になりました。今後ともお元気で長生
今日は、皆さ
農作業とボランテアのおもちゃの病
きして下さい。そして、写真も見せて
た。津波により市内の閑上、仙台空港
終了し本年護持会総会を実施致しまし
宿がわりにしたりして、ついでに名所
一緒で一 週間から時には 一ヶ月も車を
おやま
そのことです。
院、そしてシルバー人材センターの少
現在、私は趣味の囲碁と一・五時間
下さいネ﹂
ぜ舗
いました。
ら感謝いたします。
刀
日
ロ
しの仕事、旅行、趣味などに使ってい
ます 。
-5
2012年 1
2月27日 発行
友 (
N
o
.
29
)
ネ
土
アステラス製薬社友会会報
に誘われてゴルフを始める 。子供が 生
まれて、父譲りのパブリカに乗り、半
二つ持ちたい﹂
会場で﹁趣味は
だけが残ったが、残念なことに、それ
年を迎えると、僅かにゴルフとスキー
ぃ、まさしく 一人の老人姿、我が身の
さてこの度、喜寿のお祝いを頂くこ
映像に脳内イメージとは全くかけ離れ
とになり、よくぞここ迄生き延びてき
も脊柱問狭窄症の後遺症で不可能にな
や名湯に 立寄り、地元ならではの 美味
えた感動があり何かが心に残りまし
という先輩K氏
の 話 を 聞 い た。
を始め、﹁写真﹂もデジタルカメラで
にありついたりしました 。 四国八十
た。それだけ自信をもってた二人でし
た も の ぞ と 自 分 で 感 心 し て お り ま す。
復活し、これで趣味は 二 つになった V
日のドライブを楽しんだ Vそして、定
年後には新発売のカローラに換えて休
たが、 二年前の十 二月に突然妻が倒れ
お祝い金は日頃は安価な焼酎しか呑
その時、 K氏の
今、二つの趣味が長く続けられるよう、
ある写真展の
生活が 一変しました 。何とも言いよう
めませんので折角の喜寿祝金、私に
V私の趣味らしきものは、中学時代に
趣味は 一つになったとのことであった
た現実に改めて ﹁
俺も爺々になったも
のない押しつぶされそうな苦しい日々
とっては高価なワインで祝杯をあげさ
せて頂きました 。ありがとうございま
さらに、いずれはスキl の復活をも期
る。 幸 いにも、十年ほど前に ﹁俳句﹂
でしたが、在宅介護も一年が経ち、ま
待している。だから、喜寿を迎えたと
わりの人達や介護施設の手助けと励ま
始まる 。数学教師から ﹁アルゼンチン・
しで生活のリズムができつつありま
母は来年百歳になり私達夫婦の金婚式
だろうと涙が出ます。島根に住む私の
みるたびどれだけ悔しい思いをしてる
当 に 嬉 し い も の で す。穏 や か な 寝 顔 を
た想い出話に笑顔を見せてくれると本
と﹂ と 思 う の で す が こ れ が な か な か 難
腹ポツコリっ﹁これは何んとかしない
美味しく、つい限度を越えてしまいお
こと無く毎日、何を食べ何を呑んでも
命に関わる大病、大怪我とは遭遇する
今日に至る迄、悪運が強いのか幸い
ニスを始め、一年生の終りにオートバ
行ってくれた V高校生になり、硬式テ
越からニコライ 堂を撮っ
旅行では、二 一
た。 山とスキーは父が伊吹山へ連れて
か ら の ブ ロ マ イ ド 作 り で あ っ た 。修学
使い専ら友人達と映画雑誌のグラビア
た。映画は洋画を中心によく観に行っ
た。写真 は父のカメラと引伸ばし機を
ました。特に最
が流れてしまい
同年という歳月
り、速いもので
職を引いてよ
いう気分にはなかなかなれない 。
でもあります。共に乾杯しようと約束
の皆さんの墨錬たる元気な姿は驚きで
しい 。 それにしても社友会で会う先輩
ります 。
していた事を何とか工夫して果たした
うもないが元気を頂いています。
す。 私 に は と て も 真 似 る こ と は で き そ
機があった。山とスキlは、本格的な
イに乗った 。右大腿の内側に手動変速
近では、 1週間
た高価なワインを頂き度いと願望しま
喜寿 を 迎 え て 次 の 目 標 は 米 寿 で 、 ま
キl の為にテニスで体力をつけ、家庭
こ と で あ る V大 学 時 代 に は 、 山 と ス
行ってくれた。全てが昭和二十年代の
登山家の同級生の兄が、よく連れて
大きいことを身近に知りました 。
れ、生活の窮乏および新薬への期待の
認められない患者さんがかなりおら
参加しました。そこで、薬の有効性の
運営に薬学専門のボランティアとして
退職後、私は患者・家族の一団体の
が非常に短く感じられてなりません。
ないのだから強い気持と、迫って来る
とだと信じてます。
す が と て も 無 理 で し ょ う。
教師で旅費を工面した V入社後は、社
最高 で す 。
もし無事に米寿を迎えられましたら
内に硬式テニスをする人がなく、いつ
も数年後に止め、スキーだけは年に何
ブ1 ムはその後にやってきた 。山登り
の間にか止めてしまったが、テニス
熱を注いだ筑波研究所を懐しく思い出
領域であり、私も新薬の研究開発に情
ました。高齢化社会でのニ lズの高い
治験薬として多くの制癌薬が報告され
本年度の社友会の総会 では、当社の
アステラス製薬・社友会の益々の発
地下鉄の車窓に
回か出かけて、その後子供たちにも教
万歳日 ﹂
展を祈念して ﹁
映し出された、
えた。東京オリンピックの頃に、同僚
会場に急ぐべく
どこから見ても
社友会総会・
永久保孝行
る事 は優しく妻 に寄りそって生きるこ
家事を上手に手抜きしながら、今でき
竹田正明
いものです。今私が倒れる訳にはいか
かない 妻と交す日常の会話に楽しかっ
す。左半身が全くといっていいほど動
した一人です。定年後もう十七年にな
八 ヶ 所 巡 り も 千 百粁 を 歩 き 身 体 に 自 信
武
した 。私は山之内製薬で定年を迎えま
んだ ﹂と再認識させられました。
田
タンゴ﹂と﹁ジャズ﹂を教わり、 F E
Nや 深 夜 放 送 を 聴 き 演 奏 会 に も 行 っ
がもてました 。どれも楽しく辛苦を越
=
*
=
i
1
'
.
木
金持には見えな
-6-
2
0
1
2年 1
2月2
7日 発 行
友 (
N
.
o
2
9
)
社
アステラス製薬社友会会報
勤務は広大な地域であり、一ヶ月中
す
。
週休 一日であり二十日位は連続であっ
若野
これらの治験薬が順調に進展し、社会
この度は喜寿
しながら、聞き入りました。そして、
貢献に資することを願って止みませ
のお祝いを頂
真常良次
よろしくご支援賜わります様お願い申
し上げます。
大阪
貯
たそのため各県毎定宿の旅館生活で
舶
ん
。
喜寿の慶祝を
在職中は管理業
あった。昭和三十九年東京オリンピッ
務を中心に会社人間として真面目?一
1 、 私は一九六O
年藤沢薬品に入社し、業務部、医薬品
社友を見ますと、多くの方々が趣味、
受けて自身この
結婚後住居は仙台、新潟、千葉、水
部、開発部、開発企画室、経営企画室、
き、誠に有難う
戸、東京を経て最後は大阪豊中が安住
十五年前に退職すると地域社会の一
筋のサラリーマンでした。
海外事業部、台湾駐在、国際人事室、
クの時新潟出張所開所式の次日地震発
事に励んだ上司や同僚の方々の計報に
の地となった。その流転はその時点で
員として、地区自治会活動、市の福祉
地域活動などに積極的に参加され、元
h
接することも多くなりました。私も終
は苦しいこともあったが想い出が多々
委員会活動、等次から次へと不慣れな
藤沢アストラ、アストラジャパンと勤
ございます。藤
の生活の準備を始めようと思いなが
残っている。しかも人生は全生物勿論
務先は多岐にわたり多様な経験をさせ
生したことそれから五十年近くたって
ら、まだ、何の手立もしておりません。
人間もいつかは朽ちる 。 その真理は誰
ンティアガイドをし、老人会会長とし
行事に参加し、現在は熊野古道のボラ
気な日々を送られていることが良く分
私は友人の畑仕事を少しですが手伝
れも否定出来ない真実を知りながら生
て頂きました。お蔭さまで多くのよき
来ました。
上司、先輩、同僚と知り合うことが出
あります 。
のかとの思いが
a
z
a
い、野菜や果樹を通して、自然の恵み
涯を経過する 。そ のため仕合せであり
て、春、秋の旅行、演芸会等多忙な毎
E司
と厳しさを体験しております。畑では
たい。幸せだけでなく、仕え合うこと
日です。
1 歳にまでなった
燕、鴛、賜などの鳴き声も何処からと
即ち仕事をして他人(ヒト)を支え使
沢薬品(大阪)
もなく聞こえてきて、四季の変化を敏
えることと認識することが重要と思っ
東日本の未曽有の災害となった。
感に感じることができます。これらを
昨年は年とともに神社の総代役員に
俳句として残し、俳句仲間との交流を
三日の節分祭等、会社時代の経験を生
い、寡夫となってはや十二年も経ちま
ころ、退職直後に妻に先立たれてしま
自由な時聞を楽しもうと思っていたと
退職後は夫婦で各地を旅行するなど
かし祭の時の受付・景品の発注・総務
一月十日中心の戎祭、二月
を任されあと 二1三年 は忙しい日々が
任命され、
るべく社会のグループ集団(社友会、
とは自明の理であるから。そのためな
続くと思っています。
妻亡き後もかつては山登りにも挑戦
し、息子・娘に連れられて、白山、白
人間は一人孤独では生きられないこ
ています。
ことと心得モットーとしている 。 具 体
同窓会、趣味の仲間など)に参加する
した。
入社以来の社
馬、御岳、木曽駒ヶ岳、立山、八甲田
りましたが、最近は里山程度しか行け
時には、同好会幹事をさせて頂き皆々
なくなりました。
様と久しくさせて頂き、又同好会活動
アステラス製薬社友会とアストラゼ
的には社友会行事に大阪支部に囲碁ク
つとなっています。五 月三十日の絵商
参加させてもらい大切な生きがいの一
ネカ社友会の両方に属し、ハイキング、
は営業(医家)
人は知力、気力、体力の体力は老化
同好会の若葉会展を観賞させて頂き感
山などや台湾の玉山(新高山)にも登
しやすいが知力と気力は落したくない
動致しました。今年度に入り地域の行
ラブを造り上げ毎回初人から却人参加
東、甲信越と東
と毎日望むことにより多数の人と交流
畑一筋であり担
北六県であった。昭和お年頃会社は資
し余生を楽しく過すこと勝手な教訓と
囲碁、写真、ボウリングなどの各種同
(歴史探訪・カルチャー・麻雀等)に
本金二億一千五百万であり売上高三十
好会に参加して楽しむほか、 JASS
されることは快挙である。
億程度と明確に記憶にあり現在の業績
事と重なり、社友会行事の参加が少な
のイベントで天満天神繁昌亭には毎月
くなり残念です。出来るだけ調整して
参加したいと思っています。今後とも
していきたい 。
当地域は北関
又、七年前(二 O O五)社友会発足
歴はその殆んど
矢田郷純造
楽しんでいます。
かります。しかし、他方では 一緒に仕
宏
に比較にならない程の発展は驚異であ
り、その身の半生近くを委ねたことは
感謝であり幸せであったと思っていま
-7-
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2年 1
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7日 発行
友 (
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社
アステラス製薬社友会会報
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社
アステラス製薬社友会会報
通って、大いに笑っています。
この他、高校時代の友人たちと、伊
勢参宮本街道、熊野古道を歩き通し、
後シベリアに近いとの事で逸早く米軍
島北端の塗物で有名な輪島です。終戦
相不変の下手の横スキーですが結構
たのが昨年のこの一枚です。
か病欠することもなく定年を迎えられ
ています。
生命力の不思議さを改めて感じたもの
の事でその道の学会調査の対象にもな
独り悦に入って又、次の機会をと、年
然るに、このように健康状態で居ら
りました。
寄りの冷や水にならぬよう密かに狙っ
れるのは、考えようで何かに役立つよ
が進駐、レーダー基地を造った。又、
うに生かされているとしか言いようが
長谷川茂郎
民俗学的に特異な文化が残っていると
す。とにかく出歩くことが大切だと
そんな土地柄ですから子供の頃から
である。
思っています。こうしたいろんな活動
﹁喜寿﹂を迎
春夏秋冬、水陸両用が遊びの原点で、
えるという未踏
なく、良くしたものでリタイア後は縁
の世界に足を踏
ができるのも、健康であることは勿論
げる等の身体能力で存在を問われまし
みこんだ。これ
あってボランティア活動に勤しむこと
それが現在も活動中の間日本セカン
た。そんな中で私は父親の影響もあり、
ですが、付き合って下さる同好の友
(JASS) の世話役だ
から先どのよう
用具の乏しい田舎故、走る、泳ぐ、投
ドライブ協会
中学、高校、大学と続けて楽しんだの
になった。
が、当初は無趣味で特技なし、その上
な世界がくるの
最後になりましたが、アステラス製
心 か ら 感 謝 し て い ま す。
薬および社友会の益々の発展を祈念し
が バ レ ー ボ ー ル 、 ス キl で し た 。 特 に
最近﹁加齢現象﹂という言葉によく遭
リタイヤ直後の転居先でのイベントづ
遇する 。 多 く は 自 ら が 発 す る 自 虐 の 言
ております。
ルチl ム 要 員 と し て 板 橋 区 民 大 会 、 薬
だろうか。予測は難しいが予兆はある。
業大会、東京都実業団大会等へ駆出さ
日朝寝を叩起こされ山之内バレーボー
積 む こ と で 遊 び の 他 、 老 人 ホl ムの慰
前者は入社して聞もない頃独身寮で休
問や著名な河川沿いの清掃など、多く
し、月日を重ね地元に馴染み、経験を
嶋田雄弘
わが国が長寿
願の海外品を手に入れ、何度か夜行日
体力の低下から来る老いを意識した結
保健関係者等から耳にすることもある。
られたり、或いは町役場などの介護や
おいて医師や医療関係者から直接告げ
葉 で あ る が 、 時 折受 診 す る 歯 科 医 院 に
帰りで信越、白馬方面へ出掛け、又転
果であることは間違いない。この様な
後者は入社して二年目、予てから念
現在の日本人男性の平均寿命まで暫
勤 先 の 名 古 屋 支 庖 で ス キl パ ス に 参 加
ことは﹁還暦﹂や﹁古希﹂の時には感
O数
く時聞があり、今はこの活動を通じ世
させて頂いたりしました。その後は公
の支援・協力者とともに進め、一
長 ら く 人 生 五O
の中に役立ちたいと願う今日この頃で
私共にスキーを楽しむ余裕が少なく、
国の仲間入りを
年と云われ、両
これまでに生かされたことに感謝いた
年が経過した。
親を含め我が家
す次第である。
等 手 に 取 る の が 常 で した 。 二 回 の 開 腹
対する郷愁絶ち難く、寒くなると雑誌
いは随時に集い勉強会や未知の地を訪
拡大していて、色々な場で定期的に或
係者との人間関係の多くが今も継続・
幸い在職中に始まった多くの外部関
じることは無かったように思われるが、
此の度は 喜 寿
術、退任後十年過ぎ、孫にせがまれ三
問したりして、既知情報の再確認や新
今後加速することは避けられまい。
師からも見放され、死線を訪復ほどの
のお祝いを頂き
十 数 年 振 り に ス キl に出掛けました。
規情報の収集に努めている。そこでは
た が 一 向 に 上 達 し な い 割 に は ス キl に
虚弱体質であったと両親から再三聞か
有難う御座いま
レンタルしたセットは材質、用具の進
家族で二1 三 シ ー ズ ン 出 掛 け る 位 で し
系も例外なく、長生きと云うことには
に、このたび喜寿の祝いを戴くにあたり、
されて育っただけに。
す。慶祝のご案
歩著しく﹁こんな短い溝の無いスキー
終了後の飲み会も日常化している。
ある種感慨無量のおももちでいる。
それが分からないもので、その後の
内を頂いたのを
で大丈夫か﹂と半信半疑で滑ってみた
特に幼少期に二度の大病を患い、医
成長過程において、就学時は毎年皆勤
機に子供の頃か
ていい気になって滑って撮ってもらっ
立っているようで、いわゆる﹁医者通
これらの動きは心身の活性化に役
表 彰 の 対 象 に な り 、 四O余 年 の 現 役 生
と酒落てみました。私の生地は能登半
ら の 生 甲 斐 趣 味 を ﹃ 下 手 の 横 ス キl
所、昔苦労した回転技術が簡単に感じ
活では喫煙・飲酒をも噌み、大した節
市中滋郎
全く縁遠いものと思ってきた。それだけ
して久しいが、
れました。
くりは悪戦苦闘の連続であった。しか
人・仲間に恵まれていることをいつも
現在は琵琶湖百八霊場巡りをしていま
﹄
制をした覚えもないが、風邪引きのほ
。
。
﹁米寿﹂が来るが果たして現状のまま
今後の人生の節目として﹁傘寿﹂や
させて 貰 っている 。
い﹂とは縁が遠い充実した毎日を過ご
て み た い な│ │夢 の 又 夢 か な 。
で新車に代え、女性の平均寿命迄生き
後買った自動車もポンコツになったの
負 け な い よ う に 頑 張 っ て い ま す。 定 年
の社友会の麻雀に皆勤し親睦を深め又
が 覚 め た 時 に 通 読 し て い ま す。 年 四 回
確実 に歩んでいる様子で頼もしく見て
バルカテゴリーリーダーとしての途を
アステラスも新経営陣の下でグロー
ております。
かな老後を過ごす場所として気に入っ
場とのコンタクトも多少持ちながら静
貢献 出 来 た も の と 信 じ て い る 。 こんな
繋がり会社の発展に、また学問的にも
転換など新規でユニークな研究成果に
リンからセファロスポリンへの化学的
ジl ル の 創 造 と 製 品 化 に 、 ま た ペ ニ シ
ど行った 。 それがセファゾリンやニパ
威(大阪)
まで生きのびたもの
えると、よくぞこれ
の厳しい混乱期を考
きました。戦中戦後
気で迎えることがで
七巡りの巳年を元
藤崎
経歴から現在もコンサルタントを続け
ている 。
そこまで到達することは可能だろう
これからも会社のますますの発展を
お り ま す。
ろな機会に藤淳、山之内の歴史、未来
楽しみに、社友会の皆様方ともいろい
への夢を語りたいものと考えておりま
社友会の皆様
青木初夫
か 。 最 近 厚 生 労 働 省 が 厚 生 科学 審 議 会
の 部 会 に 提 示 し た ﹁ 健 康 寿 命﹂ と い う
言葉に注目している。﹁ピンピンコロ
リ﹂に通じるものがあるが、可能な限
り 実 現したいものである。
お元気でお過ご
す。
ま す。
会員の皆様のご健勝をお祈りいたし
っか 。
しでしょ 、
併でアスラテス
勝山剛次
先日社友会名
が誕生、社友会
平 成5年 の 合
古屋支部総会で
だと感慨を新たにし
で買 物 、 病 院 通 い の ア ッ シl役 。二 週
います。女房が慢性リュウマチですの
コシ、里芋、ネギ等)に丹精をこめて
ト、 ナ ス 、 ピ ー マ ン 、 西 瓜 、 ト ウ モ ロ
小さい畑の野菜作り(キュウリ、トマ
男定・消毒・雑草取り、芝生の苅込、
手可能で暮らしゃすい良い環境です。
も豊 富、近くの漁港からの海産物も入
域 で す。 農 家 も 多 く 新 鮮 な 野 菜 、 果 物
部に比べ小学生、中学生の多い若い地
の豊かな静かな環境で高齢化の進む北
う印象を持っておりましたが意外自然
河内、和泉などは柄の悪いところと言
大阪北部に住んでいた頃は南、特に
ド、イボガミンやテルベンの全合成な
米 国 留 学 中 に イ ン ドl ル ア ル カ ロ イ
思 い 出 の 一つである 。
を忘れ危うく遅刻しそうになった事も
演に招かれながら余りの美しさに時間
下渓谷の風影が忘れられない。特別講
れたユ lゴ ス ラ ピ ヤ で 訪 れ た 古 城。 地
は 十 数 ヶ 国 に 及 ぶ 。 十 数 年 前 学会 で訪
毎年海外に仕事で出かけ、訪れた国
と進み老後の処し方も変化せざるを得
た時代から寿命八十年を越える時代へ
めざましい抗生物質の創成。優れた医
和 四 年。私が生れた年です。それ以来、
ミングがペニシリンを発見したのが昭
医療の分野に於いても同様で、フレ
頃珍しかったプロペラ飛行機が、今や、
間に一回市立図書館に行き新刊の本の
幾 っ か 会 社 の 顧 問等 の 立 場 で 経 済 の 現
日 本 に 於 い て も 、 人 生 五 十 年 と 言 われ
9
の巴年を返えマ
七⋮込 hy
程、人類にとって発展と変化の激しい
の仲間も倍増し楽しく賑やかになりま
時 代 は 無 か っ た よ う に 思 い ま す。 幼い
した 。 私 は 合 併 後 東 京 オ フ ィ ス で 勤 務
たまのゴルフ
は喜 寿 の 祝 を い
ザl退 任 の 平 成 日 年 に 叩 年 以 上 も 離
イ、
を楽しみに何ん
超 音 速 の ジ ェ ッ ト 機 と な り、 漫 画 の 世
ただきありがと
れていた大阪に帰って参りました 。 以
界 と 思 っていた月への旅行が既に現実の
ま す。
た。お蔭様で
前から家がありました池田に落ち着き
とか過してし
る。 随 分 足 腰 が
4
ちょっと血 圧 が高い程度でこれと云う
ましたが、大学を辞めて動物病院を開
弱くなって来
それにしても我々が生きたこの世紀
病気を煩わず、すこやかに一日一日を
業 した 長 女 の 隣 、 和 泉 市 に 新 し く 家 を
孝(大阪)
過 ご し て い ま す。 へ ぽ な ゴ ル フ は 百 八
建て移転して参りました 。 近所に何人
ものとなって宇宙開発が着々と進んで
い る こ と を 見 る と 隔 世 の 感 が 致 し ま す。
しておりましたが、相談役、アドヴア
十ヤード程度しか飛ばなくなり、その
た 。 二O年 た ち
うございまし
代 りO Bは 出 な く な り ま し た 。 歩 く ス
れます。
かアステラス社員、 O Bの 方 々 が 居 ら
中から考古学、歴史学、民族学、世界
薬品の開発。医療技術の発展等によっ
て人類の寿命が飛躍的に伸びました。
情勢の本を借り雨の日並びに夜中に日
当然かもしれないが、寂しい限りだ。
この頃です。天気の良い日は庭の木の
ピードもやや遅くなり老を感じる今日
紙
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アステラス製薬社友会会報
行けない秘境の山吟行で 一泊皆様と歓
今後共続けていきたいと思 っています。
七回りの所感
仲々に貴重な歳回りであると思いま
れています。俳句の同好会でお世話に
をと云われ 、も
会 社 の 繁 栄 を お 祈 り し ま す。
昭 和 四 年 に 生 ま れ た 約 二百万人は、
んでいたら句友に励まされ家族 斤多勢
なり末席にぶらさがっています。落込
うその様な年に
談、楽しい思い出が沢山有り慰さめら
何に楽しむかが問われる時代です。私
いま推定九十万人弱とされます。 その
の人に支えられ前向思考で頑張って行
す。
も退職後何か永く楽しめる趣味を持ち
数が多いか少ないかは借措き、医療の
こうと思います。 人間何時、何が起き
な く な っ て き ま し た 。定年即隠居と
た い と 思 い 六 十 の 手 習 い で 水 墨画 を 始
進歩、環境の改善そして何より運命の
なったのだな、
言った概念ではなく、第二の人生を如
めました 。毎月教室に通い始めて早二
星のお陰で今日在るのだということ
るかも知れないと云う今回の経験で
と我乍ら驚いて
橋本喜代美(大阪)
十年となり、現在年二回開く展覧会に
に、深く感謝せずにはおれません。
:
も出品して少しは人様に見ていただけ
す
。 一日も早く良くなり元気で皆とお
した 。 色 々 な 思 い 出 も 、 長 い 様 で 又
友人に教えて頂き乍ら、今日に至りま
おります。終戦
幼少より幾分蒲柳の質でしたが、健
の翌年、山之内製薬に入社し、社会人
るようになりました。
逢い出来る希望持ちつつアステラス製
と し て 、 第 一歩を踏み出し、諸先輩、
h
康に注意 しつつ、大病もせず過してこ
薬闘のご発展と社友会会員皆々様のご
e
又、同時に始めた川柳の句会にも毎
られました。問題は、怪我の事です。
健康を御祈り申し上げます。
'
月参加して、世間を皮肉ったりして楽
五七才以降四回ころんで、一度は上腕
代
、
しんでおります。 入選句も千句を越え
高島昭四郎(東京)
部骨折に見舞われました 。
病気に気をくばるのは勿論ですが、
たので、そろそろ川柳自分史としてま
雑な心境です。本来何事にも、興味を
﹁ア ツ ﹂ と 云 う 間 と 云 う か 、 何 だ か 複
、
目
早川出歳。日,
本人
と め ょ う か と 考 え て い る と こ ろ で す。
足元のふらつき易い老年のいま、歩行
もっ方で、社友会ではカメラ部で、御
市つ土寸
η 旧同EEこuhvd可J
,
,
g
a
n
- nunMrfivvrr
七巡りともなると体力の衰えは止む
の平均健康寿命
指導を仰ぎ、楽しませて頂きました。
に は と り わ け 気 を 遣 っ て い ま す。 健 康
花歳を超えて、
今 は 、 俳 句 を 勉 強 さ せ て 頂 き 、季語を
維持も、歩けてこそ、ですからね 。
巳年の諸兄姉方と共に、明るく慎重
追っかけております。年相応に、足腰
三一年六月に脊柱管狭窄症の手術をして
から特に筋肉の衰えを感じるようにな
ることに感謝し
健康を保ってい
却歳で藤沢の営業部に入社。福岡支
いるせいか、大病もせず今日に至って
腹式呼吸﹂が出来て
おり、自発的に ﹁
幸いにも、四十年来﹁謡曲﹂を習って
も、記憶力も、衰えて参りましたが、
自分では、六
庖に却年、東京支庖にロ年、スミスク
安谷照子(大阪)
に更なる日々を重ねて行きましょう。
いるゴルフ会では極端に飛距離が落
りました。現在月 コ一
回1 四回参加して
を得ない事ではありますが、平成 二十
ています。
るような悲哀を感じています。しかし、
巡りぐらいに
ライン藤沢に凶年、卸の管理薬剤師と
ち、スコアもまとまらず、止めたくな
元気に動けることは 幸 せなんだと 言 い
して叩年と、長いサラリーマン生活を
おります。 又孫達が来て食事を共にす
に、実感が湧き
w思 っ て い た の
るのも、楽しみの一つです。これから
μ
進歩のお陰で幾度かの危機を乗り越え
感謝しています。
も ﹁
社友会 ﹂ の 益 々 の 御 発 展 を お 祈 り
生かされている事に、感謝致しており
い、そして色々 学び、刺激を受けなが
ます。 三月末立ち上ろうとして、突然
送りましたが、その聞大勢の人に出会
巳年七巡り
熟は中々困難ですが、全国の主な遺跡
川ません 。
聞かせ、体を動かし脳を使って、老い
を甘受しながら米寿に向かって歩いて
行きたいと思っております。
は、還暦がちょ
右足膝に激痛が走り立でなくなり青天
の震露です。只今療養中です。
講し、新しい仲間たちと、あれこれ論
を見学、講座やシンポジュ l ム等を聴
申 上 げ ま す。
うど五巡り目の
社友会に入れて頂いて居て本当に良
ら、楽しく仕事をさせて頂いたことに
昭和卒業年に当
かったと 喜 んでいます。 元気な時、社
百 医薬品医療の
り、そのまま平
友会行事に出来る限り出席、一人では
進藤能成(東京)
成に入って 二巡
じて楽しんでおりますが、出来るだけ、
んでおり、初歳過ぎてからの智識の習
現在は、友人に誘われて考古学を学
り目の巳年が七巡り日と重なり合う、
U
ハ
1i
木村正春(大阪)
の多忙ではありましたが活気に満ちた
荻原明信(東京)
年生れ、京都、大阪、名古屋、そじて
横浜に居住しております。 顧れば色々
な事を想い出しては、赤面厚顔の極み、
企業戦士の時代を過ごしました 。 この
じ、年経る毎に身体の動きも頭の働き
周囲の人々に教えられ、助けられ、よ
も、すべてスローダウン、まったく困っ
平成と改元さ
つい 二年程前に
れた秋に定年退
社会保険庁から参りましてお元気に過
間多くの方にお世話になったことを感
平成元年に定年退職した際、藤沢薬
マイカーを引張り出し、箱根湯河原あ
大阪フェスティ
品が(社)日本セカンドライブ協会(略
されていますかとの確認に参りまし
た。 調査後雑談で調査対象の抽出はど
たり、ただブラリとドライブ 三味 で す。
くぞ、ここまで来たものと、つくづく
称JASSくらぶ)に加入を決定、関
の様にと伺いましたら、健康保険を 二
も、クヨクヨせず、出たとき勝負、パ
職し早くも四半
西地区運営委員を委嘱されました。以
年以上利用していない人も選択肢のひ
レテパレモト、
謝しております。 医師にはなれなかっ
その向かえにあ
後八年間、薬業はじめ他業種企業の運
とつと聞き自己体験からも納得しまし
た。 時あたかも実在していない人の年
たが、医療に関連する企業で半生を過
る朝日新聞ピル五
営委員の方々と定年後O B・O Gの生
金受給が問題視されている頃のことで
しんでおります。
バルホ l ルが建て
階・朝日カルチャーセンター中之島が
き甲斐づくりイベントやサ ー クルの企
した 。
替えられ来年(平
ある 。一 九 八 九 ( 平 成 こ 年 三月十七
アステラス製薬杜友会O Bの三名の方
画 ・ 運 営 を お 手 伝 い し ま し た 。 現在も
そんな訳で健康には極めて自信の
巳年だから一
感 激 し て お り ま す。 只 今 は 、 な ん と か
日に定年退職し、ピアノ・ダンス・ス
(関東地区大屋俊郎氏、関西地区
あった私ですが、昨年春頃から体調を
生きていますが、年相応の不具合が生
ケッチ・カメラ ・欧州旅行と今日に至
嶋田雄弘氏・桃井克夫氏)がJASS
崩し診察や各種検査の末、入院、手術、
世紀近くになろ
るまでずっとお世話になっていて、こ
くらぶ運営委員として活躍しておられ
定の事が繰り返
う と し て ま す。
れらが私の元気のもとになっているや
ま す。 ア ス ラ テ ス 製 薬 社 友 会 同 好 会 と
い術後の経過は良好で、退院はいたし
と い う 羽 目 に な っ て し ま い ま し た 。幸
ごすことが出来て本当に良かったと振
におもえる 。二 十三年間毎週金曜日に
重複しない多種多様なイベント・サ ー
りす 訳 で は な い
が、﹁時代の変
り 返 っ て お り ま す。
利用しています。 これが私の第 二 の人
クルがありますので、皆様も活用され
成二十五年)一月
にオープンする 。
生 で す。 こ れ か ら も 雑 多 な 趣 味 を 大 切
た ら 如 何 か と 思 い ま す。 (詳細はイン
Eご竺雪
て
:
:
:
:
?
ましたが、暫らくは定期的な検査や薬
戸山 化﹂に関わる 事
ドし が 散 見 さ れ ま
舟
不況oU真珠湾攻撃、アジア・太平洋
m出生 。N Y株の大暴落。 世界的
す。 m
ω新制大学卒が入社。 加藤
戦 争 勃 発。 日
沢プロマネ制度発足。消化器用薬剤(プ
す。一 昨年秋に誕生した曽孫に続き間
もなく二人目の曽孫も誕生間近な今日
とは縁の切れない生活が続きそうで
高橋安備(大阪)
一日 一日を、大切に楽
いい加減なことを、いい加減に、いつ
気分転換でもと、その気になって、
た も の で す。
に探求してゆきたい 。
﹁よ く 生 き
路次美彦(大阪)
残ったものだ﹂
ターネット検索←JASS)
寿 命 は 天 の み ぞ 知 る 。寿 命 の 限 り が
•
此 の 頃 で す。
隆(東京)
リンベラン*トランコロン等)を担当。
縦 横 の 連 携 促 進 。 (*山之内が後発、
知己を得た)加昭和天皇崩御。 昭和か
ら平成へ 。 ベルリンの壁撤去 。定年退
回目の巳年、感
回顧すると、新薬の許認可、 G M P
慨深いものがあ
昭和四
職。明米で同時多発テロ 。私は日入社。
リ山牛﹂也、
1l
れノ宇?す。
年令を重ね、七
いつの間にか
楠
本
と 思 い ま す。 父
親が満鉄社員
最後にアステラス製薬の発展と社友
んばって参りたいとおもっております。
会の皆様のご健勝を心よりお祈りいた
だったため、十
国東北部(旧満州)でソ連軍の侵攻と
します。
三年過ごした中
敗戦後の混乱、八路軍の強制労働を体
験、九死に 一生を得て引き揚げて来ま
した 。 学齢 二年 遅 れ で 再 出 発。 医師を
目指すも大学一回生で父親が急死、己
む 無 く 文 科 に 転 部。 昭 和 二 十 九 年 、 縁
あって藤沢薬品に入社しました 。 時ま
さに高度成長の入り口 。 残業また残業
品目
2
0
1
2年 1
2月2
7日 発 行
友 (
N
o
.
2
9
)
ネ
土
アステラス製薬社友会会報
可Eよ
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2
0
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2年 1
2月2
7日 発 行
友 (
N
o
.
29
)
杜
アステラス製薬社友会会報
の業績が半々の状態に変貌。創薬の概
化。大手企業は海外進出を図り、内外
GCPの実施、環境への配慮等が厳格
感謝しております。
幹事の方々に、親切なご指導いただき、
が ﹁ヒザ﹂の故障で退部いたしました 。
-歩こう会に入部頑張っておりました
にしてしまった日本の政治家達に責任
るのに希望がない 。 夢 の 持 て な い 時 代
いた 。 今 は、この固に物があふれでい
り返ると、物はないが、夢があふれで
に感謝しなければと思う。若い頃を振
出来る体を頂い
毎日元気で活躍
年 を 迎 え ま す。
定年退職後ロ
早いもので定
た親に感謝する
今日この頃で
いました。退職
年が過ぎてしま
として、日年程前から唐津街道沿いに、
た中村研一・琢二兄弟の生家の跡取り
会員であり戦前戦後日本画壇で活躍し
定年後、故郷に戻り、兄弟共芸術院
以上まだまだ元気に活動出来る事と
後直ぐに地元の
年退職から十二
中村嘉彦(福岡)
念が学問の進歩で一新。一方、後発ジェ
を感じてもらいたいと考えている 。
橋本先生の、ご指導のもと、酒盃の
作成から始めております。
3写真同好会
金森世話役のご指導で新しい写真技
中僚康夫(広島)
2向芸部門
みずのとみ
UV
先 輩 始 め 、 ご 存 知 の 皆 様 方 の 、 御 多幸
か た わ ら 農 作 業 ( 稲 作 一 町 二反・畑作
生家美術館をオープンしました。その
術を学んでおります。
す。
ネリック、サプリメントが発生。この
発巳は、時代の﹁曲がり角﹂の年にな
るのかな。
この機会に御指導戴いた先輩各位、
切}が九弘
御交誼の友人各位に感謝します。
私は﹁過去に拘らず、現在を知り、
健康に配慮して、将来に夢を﹂と思っ
を 、 お 祈 り 致 し ま す。
整形外科病院に
としております。他流にくらべて、小
気象と高い品格を、備える事を、理想
の芸風を、一口に申しますと、正大な
長と、入門いたしました。謡曲喜多流
私達十 三名 の 会
喜多流師範で、
十二支の第六、朝十時、南南東とある。
頭に浮かばない。巳を辞書で引くと、
う書けば良いか
がする。何をど
の気持が解る気
きない。物書き
いるが原稿がで
〆切が迫って
ただいていることに感謝しつつパート
と 思 っ て い ま す。 こ の 年 で 働 か せ て い
てやり残していることを成し遂げたい
なりますか 。 も う 少 し 自 由 な 時 間 を 得
年こそはと期待しているのですがどう
だ後任者を得るに到っていません 。 今
者が 二年 間 い な か っ た 影 響 は 大 き く 未
をと願い出ていますが、薬学部の新卒
つくなったので、早急に後任者の採用
す。 さすがにフルタイム勤務は少々き
と言われそのまま今日い到っていま
でいたのが、嘱託でもう少しいてくれ
年ということで五年で退職するつもり
ルガリアや韓国の金海市やポハン市と
深めています。またこの料理教室はブ
料理を作り、地元メンバーとの交流を
、
の料理﹂のメンバーとして、毎月 一回
その他、地元で日年も続いている﹁男
に努力しています。
くり等の役員をやりながら地元活性化
員、宗像市商工会サービス部会、町づ
更に地域活動にも力を入れ、地区の役
で 、 地 元 直 販 所 で も 販 売 し て い ま す。
定の減農薬・減化学肥料米)を行なっ
ています。 野 菜 類 も 無 農 薬 ・ 有 機 栽 培
だわりの米作り(合鴨農法と福岡県認
三反)に取り組んでいます。しかもこ
ています。
佐伯幸男(福岡)
薬剤師として再就職し、六十五歳が定
さな技巧を用いず、大らかなうちに、
ど う し よ う。 私が一番年令を感じたの
の国際交流を毎年行なっています。
の巴与を迎えマ
六一込 hy
まっすぐな精神がこもる、至極単純な
は 、 還 暦 と 言 わ れ た 時 か ら だ 。 人から
の上司、先輩、同僚の許報に接し淋し
タイムを夢見る昨今です。最近かつて
定年退職後、
事ですが、これが初心と老熟を問わず、
年を問われ答えるのが嫌になった。自
町内会の会長と
技巧をこらさず、ひたすら素直な気持
分でも感動・感激する感性を以前より
連合会々長が、
して活動当時の
を、与えられた、節や形に打込む事が
失った気がし、老化を感じ始めた最初
おり年を取るひまがないのが現状で
田中康男(仙台)
大切で、節廻しが拙くとも、人間とし
である。小さい頃、母から巳年は運が
ヒトクチ
ての、良いものが認められる例が、喜
良いとか、お金に困らないとか 言 われ、
す
。
館 、 旅 行 、 地 元 各 種 行事 等 で、過して
このように毎日、農業、会議、 美 術
多流の初心の人達に多くあることは、
とても有頂天になった記憶がある。そ
い限りです。 合 掌
むかつているところの正しさに、よる
れでも今まで健康に生活できた事は妻
ものと自信を持ってよいと思います。
社友会の活動のなかで
1EA
山
つ
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1
2年 1
2月2
7日 発 行
友 (
N
o
.
29
)
社
アステラス製薬社友会会報
昭和泊年旧藤
コタを経て、紅
らインドのコル
昨年四月末か
僅かですが肌で感じることができ有意
と医薬分業に向っている固との違いを
機会に恵まれ、最初から医薬分業の固
米国西海岸のドラッグストアー視察の
ます。新しい仕事を始めて間もない頃、
持って臨みたい。先ずは昨年末にデッ
胆に挑戦し、童心のような探究心を
つよう願いながら、何事に対しても大
る。趣味の絵画を通し、希望が光を放
スタl テ イ ン グ ・ ポ イ ン ト と 考 え て い
感している。私は新年を﹁希望﹂への
後、経口薬のセフスパンやセフゾンが
とを今でも鮮明に覚えています。その
産第一号として華々しく発売されたこ
フアメジンが国際学会好評のもと、国
あるが合成され始め、昭和必年にはセ
フ ァ ロ ス ポ リ ン C誘 導 体 が 徐 々 に で は
ひとつでした。入社後間もなくしてセ
期を迎えており、感染症は主要疾患の
世の中はもはや戦後色はなく高度成長
属されました。
にもかかわり、それが後の平成七年か
をつくった。ドイツのクリンゲ社買収
し、布施さんと欧州初の駐在員事務所
十四年から四年間英国ロンドンに駐在
丁度帝人との提携交渉に関与した。五
発部門の調査企画の仕事をしていて、
し ん だ 。 昭 和 四 十 年 に 藤 沢 に 入 社。 研
いカレ lと 紅 茶 と シ ャ ク ナ ゲ の 花 を 楽
行ってから約五十年ぶりで、なつかし
訪ねて旅をした。インドは学生時代に
にシャクナゲを
いて、﹁自然との共生﹂﹁地域との共生 ﹂
こ、つしたセカンドライブを過ごして
すばかりとなりました。
道府県踏破の目標も各々あと僅かを残
が、海外旅行三十カ国訪問、国内全都
フなどを相変わらず楽しんでいます
国内外の旅行・ビデオ・写真・ゴル
したと思っています。
良い機会を持ちました。貴重な体験を
の大切さ・罪と罰﹂などを深く考える
裁判の状況を思い出す程であり、﹁命
振りに緊張の四日間を過ごし、今でも
ており、我が大切な相
り返れば、一瞬
い。目を閉じ振
は如何にも短
ト ・レ トリバ l) 黒毛 一
2頭 を モ チ ー フ に し 一
( フ ラ ッ ト コ l テッ 一
励みたい。題材は愛犬 -
井上修爾(大阪)
沢薬品に入社
義 で した 。
相次いで商品化されました。これに伴
らのドイツのミュンヘン駐在につな
﹁命との共生﹂ │ 浄 土 宗 で 云 う ﹁とも
で蘇る。
横田好子(大阪)
し、新設された
ジリンの更に奥
茶 で 有 名 な ダl
い抗菌薬を通して長年にわたり社内外
がった。プログラフは知っているが、
いき﹂が大切だとつくづく痛感しま
サ ン し た 、 油 絵100号2点 の 制 作 に
中央研究所・感
の方々と親しく交流する機会をいただ
藤沢は知らないと言われながらの営業
し た 。 今 後 も ﹁ともいき﹂をキ ーワー
ているのは自己満足の痛快感だけ。
過ごしたが、足跡も残っていない。残っ
最近の出来事では裁判員として久し
染症担当部に配
きましたことを心の宝物と思い、改め
は、毎日が未知との遭遇だった。多く
ドにして元気に過ごしてまいりたいと
る
。
いとおしむ気持が増しています。また、
ませんでしたが、年のせいかお互いを
ブは薬剤師の仕事
が、センカドライ
畑を歩みました
入社してから営業
私は藤沢薬品に
伊藤公博(名古屋)
う。晩年に向かい、いつ途絶えるか分
れるのは、残念ながら、必然と言えよ
ターン化した日常生活を、余儀なくさ
は違い限られた狭いエリアの、ワンパ
速いと感ずる老齢になった。壮年期と
運動機能は低下し、時間の経つのが
川村寿一郎(東京)
は週二1 三 回 の ゴ ル フ と 碁 会 所 通 い 、
置、聴櫨の作業所は納戸となり、夏季
退職時、入れ込んで作った窯場は物
感謝した。
外の全ての項目異常なし。ご先祖様に
来るので特別検診に応じたら、性格以
最近、薬剤師健保から熱心に催促が
鏡の前の自分に陶酔する娘さんと違
山之内一途に
七二年の時間
松本紀幸(札幌)
棒でありモデルであ
て感謝申し上げる次第です。
の先輩、内外の同僚、後輩や家族にお
考えています。
昨年は古希を迎えて小・中学校およ
世話になり唯感謝のみ。
び高等学校の同窓会が郷里広島で行わ
昨今では健康維持とボケ防止のためス
がしたいと考え新
からない、貴重な持ち時間を、人生に
小樽カントリー倶楽部の理事会、諸々
老化を認めたくないのである。
い、自分であることを忘れ不快になる。
ポーツジムで汗を流し、趣味(画絵、
しい世界に飛び込
喜びを見出す為に、どう使っていくか、
れました。それまでは同窓会があって
洋裁)や旅行にと幸せを噛み締めなが
みました。この仕事も知らぬ聞に十年
とても大事なエレメントであると、痛
も旧友との交流を温めるゆとりもあり
ら忙しい日々を送っています。
を越え、﹁光陰矢の如し﹂の感があり
円︿
d
Eよ
のO B会で時間を潰す。
冬の札幌は雪が多い、除排雪で汗を
流す 。
浪人生活六年、罪悪感から、ゴルフ
仲間に﹁こんなに遊んで良いのか﹂愚
痴る 。 ﹁今迄働いたのだから良いのだ 。
で温度管理をして作品を作り上げる工
退職致しましでもう十一年も歳月が過
から早や、十年
会社を離れて
姿を拝見して、まだ会社に居るような
お会い出来、楽しいお話と、お元気な
た。というのも毎年、社友会で皆様に
ぎていようとは思いもしませんでし
六巡りの巳年を迎えて数年前よりも
余が過ぎました
秋谷良雄(東京)
体力がある実感をしながらこれからも
に益々会社の良さが、身に染みてこの
そんな 気持でしたので 一年過ぎゆく毎
程が楽しい。
元気に行動していきたい。
で何か身体を鍛
えるスポーツを
今年も月間一一百五十キロを越えるト
したタイムを上回ることができませ
ん。
ていますが、今でも六十九才時に記録
生達、団員の皆様との出会いがあり
合唱団に入団しました 。 そ こ で 良 き 先
楽観賞が好きだ ったことから大阪混声
退職後は何か社会と繋がっていたい
だ と と て も 幸 せ い 思 っ て 居 り ま す。
良き会社でお勤めさせていただいたの
が、ゴルフ以外
間膨 今 年 で 六 巡 目
俊夫(名古屋)
閤魔大王 から迎えが来る迄、今のス
と六十七才から始めたマラソンを続け
間もなく出来なくなる﹂と。
1ま
レーニングを積みこの十月、満を持し
コーラスにどっぷり浸ってしまいまし
た。気が付けば今年の十月で十七年に
タイルを続けることにした。ああ
品
F
日a に入社し営業畑
て臨んだ ﹁しまだ大井川マラソン﹂も
病院、診療所、取り分け水没した志津
大船渡病院、南は石巻日赤病院までの
れど加齢には勝てず﹂を地でいったと
要 一ヵ月休養との事。正に﹁努力はす
タイア。医師の診断では過労が原因で
のですが、それは楽しいコーラス人生
目に挑戦するのです。これが又厳しい
ろんな行事がありそれを目標に団員 一
期演奏会、関西合唱コンクール、等い
ル、大阪府合唱祭、春・夏の合宿、定
一
間に転宅する
川病院、陸前高田の千本松原の中の奇
ころです。 しかし負けてはいられませ
ん。十一月度休養をとり、英気を養い、
でした 。 しかし来年七十 二才になりま
という思いがあり、元来歌うこと、音
を歩んできました。 二十歳台から十 一
スタートから僅か五キロ地点で左脚じ
な り ま す 。毎年混声合唱フェスティバ
と、すぐに小、中、高の友人から芦が
跡の 一本松等 々テレビ、新聞で惨状を
心機一転十 二月からは 二月二十四日の
すので、まだ余力のある聞に退団し、
だ半分か 。
退職後から体
年間東北地方各地を担当し色々の方々
ん帯損傷の為、あっけなく屈辱の初リ
四年山之内製薬
力維持を考え
との出合いは私の貴重な財産です。
掛りゴルフやハイキング、飲み会など
知り大変ショックを受けて言葉もあり
﹁
東京シティ l マ ラ ソ ン ﹂ 完 走 に 向 け
(大阪)
ウォlキングを
昨年の東日本大震災では担当した北は
一年過ぎに原因不明の病
ませんでした。私に出来ることは細や
て新たにトレーニング開始です。
これからも社友会 の一員として誇り
と 模 索 中 で す。
次は又、違ったことを何をしようかな
丸とな って発声の練習、毎年変わる曲
に擢り目は真っ赤、視力は衰える、頭
かな義援金を送る事しか出来ませんが
を始めたが、
皮や背中がぴりぴり痛む。両膝に水が
被災され、今なお、仮設住宅で生活さ
ンに::
。
・
高く、元気に悔いのないように毎日を
製薬の益々の御発展を心よりお祈り致
社友会の皆様のご健康とアステラス
送ることができれば最高です。
ことで社友会編
しております。
い て お り ま す。
しをいただき驚
集委員よりお話
りの年女という
永らえて六巡
久仁子(大阪)
﹁加齢に打ち勝とう!﹂をスローガ
溜まり歩けない 。結局対症療法で一つ
活 基 盤 が 出 来 る の を 祈 る ば か り で す。
一年半後にはステロイドの連用のた
めの副作用で眼圧が上がり手術するは
謝 し て お り ま す。 今は健康に留意し、
在職中は良き上司、同僚に支えられ感
その後は体力回復のためジムやゴル
社友会各種行事に参加し、又家内、中
ます 。
フで楽しんでいる。この間に覚えた作
自宅で使うもの程度しかできない
学時代数名との旅行を楽しみにしてい
めに 。
れている方々の 一日も早い故郷での生
ずつ対応 。
有賀紀
から故郷の阪神
開始。東京生活
1
一1
﹁・ K の巳年を迎え感
a
vF 慨深いものを覚
咽 岡弘えます。 一九六
堀
陶は大きな喜びの一つである 。
が、自分でクろくろ ψを回して作陶し、
で火入れをして 415日間交代で寝ず
高台をとって乾燥させ、仲間同志で薪
林
2
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2年 1
2月2
7日 発行
友 (
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2
9
)
社
アステラス製薬社友会会報
よ
SE
A斗 A
くても、責任を感じ!その問、貴重
業務を仰せつかり、加減良くと 生 かな
のところは昔還
き、静岡支部長でお世話になり、釣り
イジングを意識
暦今古希との思
同好会では、大漁も度々で仲間と楽し
(名古屋)
i 定年退職後の
i 平成十四年七
﹁ 月、五十四年間
いで、何とかアクティブに自分なりの
んでいます。
長町健
仏 過ごした関西か
生 活 を 楽 し ん で い ま す 。海 外 夫 婦 旅 行
な体験・技量を得て、更に大変な、人
司 ら愛知県春 日井
を始め、旧交を温めながらの各種飲み
て、地元の為と思い町民の方々と余 生
する年齢ともな
咽 市に転居、六巡
を楽しんでいます。
りました 。
りの巳年の今年十 一年目を迎えます。
会、ゴルフ、大山街道歩きなどの付き
社友会総会・アステラスの株主総会や
て、迎いが来たら、間まで待てと追い
なら菅、河、加は花、ざかり、卯に成っ
ωは花
そして、最近新たに囲碁に挑戦中で
一つは、印、
す。 石 倉 昇 九 段 が 主 催 す る 囲 碁 教 室 に
今後の余生は、
一部近隣にお分けしています。
畑を少々、野菜を栽培して楽しみ、
町内では、町内会長でお世話になっ
定年後は、社友会をお世話させて頂
的 財 産 も 頂 き 感 謝 し て お り ま す。
健康に恵まれ、そして当地にすっか
合いを楽しみ、ボランティア類参加、
野 菜 や 花 を 作 り 、 自 然 観 察 、 旅 行等 満
各種講演会などの出席で良い刺激も得
ています。
それでも、今
り溶け込み、自然豊かな庭先で好きな
ち足りた日々を過ごしています。これ
もひとえに 三十四年間お世話にな った
時に関西のアクセントを耳にすると
国四年度支部総会日程 圃
各支部の日年度支部総会日程が左表
の通り決まりました 。
支部総会案内・出欠葉書等は日年3
月中旬発送 予定です。
皆様お誘い合せの上、一人でも多く
の 方 の ご 出 席 を お 待 ち し て い ま す。
工陽グランドホテル
4月2
4日同 仙台支部 j
-
藤 沢 薬 品 の お 蔭 と 感 謝 し て い ま す。
通い一から始め、今では各所で囲碁仲
返せと 。
懐かしきがこみ上げるのは、﹁ふるさ
二 つは、ボケたら、アカン長生きし
4月2
4日凶 大阪支部 ヒルトン大阪
同好会
幹事 8月
・ 2月 8月 ・2月
間と実戦を楽しむに 至り、私にとって
4月2
3日制 静岡支部 焼津グランドホテル
同好会記事/写真
との説り懐かしき停車場の人ごみの
ジ
6ヶ月
最後に、﹁明るく、楽しく、活き活き
4月2
2日
(
月)東京支部 東京禽舘
5月
・ 1
1月
なはれや 。
〆
、
え
同好会幹事
アンチエイジングには最適ではないか
毎月
と考えているところです。
忙しく、楽しく、時間を忘れ、人を
と﹂で生きがいを楽しみたいと思います。
愛し、自然を大切に!家庭を大切に!
毎月
中にそを聞きにゆく﹂と詠んだ啄木
最後に、社友会の皆様方の益々のご
健勝をお祈りいたします。
事務局長
の心境でしょうか 。
藤沢時代の記憶は年と共に薄れつつ
ありますが、カルチャー等、 =一同好会
会員動向
4月1
9日(
到 福岡支部 ホテルセントラーザ博多
作品展示 コーナー
5月
・ 1
1月
都度更新
都度更新
岩切一敏(静岡)
定年になり、
都度更新
b
.
7月
1月
7月
1月
お知らせ(
ッ
トプ
ページ
) 事務局長
に参加、それらの活動を通じて人生が
孫達の笑顔を見るにつけ、閉塞感を
よ り 充 実 し た も の に な っ て い ま す。
早く感じます。
で六廻り目!
ロ年毎の順番
間もなくロ年!
るさを取り戻して欲しいと切に願って
増す政治や経済、外交等、今年こそ明
います。
頃、急濯、妻の 実家である焼津市に、
更新計画
4月1
9日(金)札幌支部 ホテルオークラ札幌
4月・
1
0月・
4月
・
1
0月
・
支部行事予定表
2
0日年度
実績 (
o
r予定)
4月1
8日附 名古屋支部 名古屋観光ホテル
都度更新
p
J
T
場
支部
開催日
2
0
1
2
年度
責任者
オz
4月・ 7月
1
0月 ・1月
4
月
・ 7月
事務局長
1
0月・ 1月
3ヶ月
事務局長
日P委員会
常設情報
随時
ウィルス対策
定年間近な
現在の住まいを購入して住民となり、
金原正彦(東京)
私も節目の七十二年を迎え、感慨一
~ぜひと覧になって下さい!~
十
五
年
度
事務局長
(
毎月 )
入・気概新たの心境です。 開戦年に生
現 役 時 代 は 、 焼 津 事業場 か ら 、 大 阪
*
r
物 故 者jは
言ト
報連絡受領次第、「会員動向Jは毎月
更新しています。
4月1
7日体)広島支部 ホテルグランヴィア広島
物故者名簿
1ヶ月
間もなくロ年になります。
支庖、総務部とお世話になり総務関連
[7月更新]
J 1"行事予定」
「
お知らせ(トップページ )
"
第 8固定時社員総会議事録j
「役員人事 J1
[8月更新]
[同好会記事・写真」
[
1
0月更新]
「お知らせ(トップページ)J1"行事予定j
[
1
1月更新]
J写真・絵画・俳句
「作品展示コーナ [1月更新予定]
「お知らせ(トップページ )
J 1"行事予定」
[2月更新予定]
「同好会記事・写真」
九
ー一
平
成
原稿作成
目
項
更新間隔
まれ戦後のドサクサの中で育ち社会に
出て丁度半世紀、思い出も尽きないが
やはり柳か体力の衰えも感じアンチエ
-・・岡両~'-“、=冨読~乏畑町匡iI・H・・・
2012年 1
2月27日 発行
友 (N
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2
9
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ネ
土
アステラス製薬社友会会報
Ei
唱
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o
平成二十四年十一月三十日
、或しいのち継ぎ足す薪作リ
tA
天瀬光雄
小谷吉春
吹きたまるけやき落葉やつむじ風
晩秋の色映しゅく瞳かな
川脇久穂
柿落葉踏みて茶室の客ピなり
小池清司
浮寝烏寄り添ひながら同じ夢
小林達治
やはらかに大地をつつむ落葉かな
島村能宥
平成二十四年十一月二十日
放冷の俄か雨にてなは深L
一橋忠行
片岡幸八
八つ橋の焼くる匂ひや時雨くる
金婚を間近に老の懐手
河村信弘
草紅葉くっきり浮かぶ滑走路
除門喜柊
友井正明
エンディングノlトに迷ひ木の葉髪
源平の戦華やか菊の武岩
六 9 1ロ月主要日程に関する件
七.その他
{第担回理事会} ロ年ロ月4日
一.ロ年度第 E四半期決算報告の件
二.U年度予算実績見通しの件
二
. 日 年 度 予 算 (案)
四. A社株式 一部売却に関する件
五 運営規約等一 部改定に関する件
六.第9回マスタープラン検討委員会
報告の件
-お悔み申し上げます・
7
2東京
仲村信夫
ム、 l
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午
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四.新入会員承認&会員動態報告の件
五.日年度予算編成スケジュールの件
.
ln年度頒布品に関する件
二u
告 の件
u
委 告
日年度頒布品(薬品セット)に関
する件
八.推薦入会会員承認の件
(敬称略)
物故社員報告
V社友の発行が年四回から 三回になっ
た最初の新年号をお届けします。
昨年慶祝の表彰を受 けられた方々と
今年の年男年女の方々のお便りが併せ
て弘通頂きました 。皆様懐しく写真を
御覧になり、 文章をお読みになったこ
とと存じます。
V ﹁社友﹂ では、自由投稿を歓迎致し
ておりますので、皆様の趣味や特技な
どについての記事や、珍しい体験談な
どを 寄稿頂ければ 幸 です。
目
1.
5
九.新入会員承認&会員動態報告の件
十.日年度 ホlムペ lジ更新計画の件
目
タ
日年度主要日程に関する件
目
閉
日年 1 1 4月主要日程に関する
目
さま撞
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1
1
23
十三. その他
目
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員
9
0東京
6
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5
6大阪
7
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8
2福岡
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言
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ご逝去日 氏 名 享
年 支部
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8 池田正臣 7
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よ早宮
ラ期吉
長
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討報白
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件
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6東京
8
3大阪
6
8静岡
9
3東京
8
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後
櫨紅葉他の花おさえ庭飾る
舞ひ落ちる紅葉の中に梓みぬ
橋本喜代美
-﹄ピなつかしさ
神農の虎つけL
安谷照子
どんぐりの轍の跡に責れをリ
桃井克夫
窓ひどっ残L椅木を積む山家
堀田建夫
新藁の陽の迅もりを来ねけリ
東出恭子
弘
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1
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41
8 関根二郎
3
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0 尾寄洋一郎
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01
1
2.
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7.
1
2 ニ宅正敏
11
1
2
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7
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1
9 戸島克俊
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1
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5住山圭助
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8 藤田勝也
集
西
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7
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7
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9風岡興次
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9 須藤繁明
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5 細野寿彰
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2.
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9.
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2
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1
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6林寿美男
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2.
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2有 賀 吉 治
2
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2
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6古城健ニ
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1.
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6山 本 俊
2
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2.
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2小宮久明
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1
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11
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1
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1
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5 多国慶太郎
編
田島昭久
田中国体代
小夜更けて独リたしなむ迅め酒
虫後いの枯葉一葉一枚の先
藤原少砂
彩りて大地にかへる落葉かな
音量
斗
tur-
邑 vbp
トヨバ川 1k
マン、ンヨンの空き地にぽつり木守柿
田
ニマ富
七
十 十
本郷宗祥
森田一宗
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件
お遍路の釆ぜて四過の渡しかな
短日や読経過持津方燈会
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2月2
7日 発 行
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アステラス製薬社友会会報
報
アステラス製薬社友会会報
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2
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社
三徳山投入堂奥井正雄(大阪)
白馬村にて
ベンチの三奏者像伊藤不二雄(大阪)
2
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2年 1
2月2
7日 発 行
永島智昭(東京)
柳橋と船宿松尾宏(東京)
出石の街並
ユーモラスな人形谷村賜郎(東京)
月山坂本勇雄(大阪)
猿沢の池から塔
花田貴宣(東京)
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アステラス製薬社友会会報
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社
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2年 1
2月2
7日 発 行
小さな公園の秋嘉斉靖彦(仙台)
涼しげ、に
地塘輝く
田中治三郎(大阪)
丹羽英夫(名古屋)
水辺の九輪草牧野照男(東京)
紅葉杉本節彦(福岡)
爽秋志村孝(東京)
夕暮れの円山公園筒井浩(大阪)
静寂大沢勲(東京)
1
8
-
※お年玉ジャンボパズルです。チャレンジして下さい!
内容も、少し易しくいたしましたので、多数の方の応募をお
待ちしています。又、正解者の中から、今回は五名増員して
十五名の方に賞品を用意しました。
﹃シャユウ﹄
ととばの遊び耕平
二 重 枠 に 入 っ た 文 字 を A ←L の 順 に 並
べると言葉ができます。それは何とい
う言葉でしょう?
解き終わった盤面で﹁シ﹂﹁ヤ﹂﹁ユ﹂﹁ウ﹂
の入ったマスはいくつあるでしょう?
合計で答えてください。
梅原万義・大森淳平・加藤義則
小島政男・神長倉田鶴子・田中あづさ
中西勝利・中西章子・松原常晴
吉田正子以上同名(敬称略)
。
λノぱ
ーセンリョウ科の多年草。山林に生え、
高 さ 約 初 旬 茎 の 上 部 に 葉 が2対対
生し、十字状をなす。415月噴白
い小花を多数つける。
ーす
草原をーー
2馬を走らせること。 ﹁
る
﹂
3シ ダ 類 の 葉 で 、 間 子 を つ く る 働 き
を持たいす、光合成を盛んに行う葉。
4糸のように細い雨。
キブ ノ
5急を要する機ゲ文
。﹁ーー
ーを飛ばす﹂
6なんとなく壊かわしい。
ー根茎﹂
7花と果実。 7ー
8本 な ど で 、 文 章 の 不 足 を 補 う た め
に、持絵・クラフ・地固などが挿
入されていること。
9他 者 、 特 に 外 国 が も っ て い る 特 許
や技術を使うための法的な許可。
刊上等の品物。﹁│ │の女イ﹂
M
lそ
-あぶら、Il
--きって、Ill
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綜胞団担。
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自ら焼く。
mi叩態度・行動などが大げさなこと。
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V。
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本
引野球・バスケットボールなどで、
近くにいる味方へ、ボールを軽く
すくうように投げ渡す。
目見たり、人から聞いたりすることo
m漢字・漢語に和語を当てて読むこ
と。 また、その読み方。
L I--まち。
mi--hえ、しんーーI
お物事がそれを起源とするところ。
また、物事が今までたどってきた
l-1の念を
引おそれおののくこと。﹁I
ト本選出淑。
m矢の先端につけ、射当てたとき突
発C制利々
c
z
w却剛八月。
初移り変る時代のようすo世の中の
成り行き。
位 明 暦3年 ( 1 6 5 7 年 ) 正 月 、 江
戸本郷の本妙寺から出火、江戸城
および江戸市街の大半を焼失した
+
入
山
人
古
号
。
制織り,系に絹系を混ぜて双子織にし
たもの。
お交通が極端に不便で、周囲から臨
絶している地方や場所を云う語。
おダイコンの別名。
訂夜・季節・年月などがふける。
ぬ植物を焼いた灰を水に浸して得る
拍他/¥﹂
JL
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位他人に対して自分の妻をいう語。
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広I
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m冬至の日に入る風目。ひび、あか
つ
、
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れを治し、又風邪の予防になる
﹀﹂い-70
ーーーを迎える﹂
特別才。 ﹁
日代金や料金がいらないこと。ただ。
ーiーで映画を見る﹂
﹁
臼思いがけないことoまた、そのさまo
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日家族が普段くつろぐ部屋。
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3シソ科の多年草。日本欠ロ地の山地、
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春には上部の葉脈に索色で大都仰の
喜形花春二方向にだけ横向きにつ
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を組み合せ、その意味を合成して
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日この上なく。﹁信州の山有Jtilした作家﹂。
門川フランスの由1笠寸勅主同協慨閉判。枕陪業主ヰ
閉山は七年であったが、一九七五年
以降は四年制のコレllジュに続︿
==ヰの錨官同州市エ寺山[子凶校事﹄い-70
叩この上もなく、よいおこない。
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と。多く頼み事や謝罪・弁解など
をする叫吋の王﹂っき。
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国富論﹂が主著。スコッ
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仇を打てば男子をはらむと
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された。︿平安時間以降)
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の思拍願以筋肉怯付綜仙・寸 λヰ此相引を清且じ
て藤原京に造営されたが、平城遺
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mω岨佃岬俣mW4人田附mw田且ハ品仲。羽楓牛仕同u師、lTZ間
以上の力士の敬称。
小=戸の里五件。
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初心が離れ親しまないきま。
ぬかつては+北ト滑ゆ温 ・サハリン・ず→白﹄同
列島に居住したが、現在は主とし
て北海道に居住する先住民族。
相ハツカネズミの別称。
位長野県東却叫のハ盆地にある市。もと
陣屋町・宿場町。中門込・野沢など
の集落がある。水田義担は有名。
日刊書籍を納めるところ。書庫。
糾ー1
11三寸 のさ-439りに五ロハを身を
市
酬
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特筆をつくること 。また、その業のl入。
羽織物を織る道具。、小つう、動力化
される川笠削の手 官をいう。
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日三岳の一つ o 猛 火 で 身 を 焼 か れ る
刊
川
地描道のこと。
日こす中の単ナ阜市を一撚ョH,A口せた阜市。
弘昭和刊削聞の昭服飾立実保川白家・協円仏竺自由家・
少女雑誌の揺押絵画家となり、自の
大きな八頭身美少女でl人気を得る。
日円形を描くようにして空を飛ぶ 。
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内
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同
市宜
︿応募方法﹀
.記入のしかた官製葉書に、﹁第
訂回の答え﹂として、 四国ふ た
つの解答 (AHO000000
00000、BHO個という具
東京都中央区日本橋堀留町1I2 │日
合に)、郵便番号、住所、氏名
をお書き下さい 。感想があれば
お書きください。同居の方(家
族)の応募も歓迎いたします 0
. 宛 名 干 1030012
アステラス製薬社友会までお送
りください 。
-締切 1月M日(木)消印有効 0
.賞品正解者の中から抽選で日
名様に各2千円の図書カ lドを
お贈りします。
- 発 表 第 初 号 (2013年3月
発行)の社友にて発表します。
解答も同時に掲載します。
-第初回(お号)の答は
AHアサガオイチ(朝顔市)、
BH ﹁8﹂でした 。
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直
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2年 1
2月2
7日 発行
友 (
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アステラス製薬社友会会報