2015 年度 「庄内セミナー」報告書 Contents 2015 年度庄内セミナー「生きることの意味を問う」を終えて 2 「庄内セミナー」の概要… ……………………………………………………………… 3 参加者レポート………………………………………………………………………… 9 資料編…………………………………………………………………………………… 33 2015 年度庄内セミナー「生きることの意味を問う」を終えて 教養研究センター所長 小菅隼人(理工学部教授) 最初に、2015 年度の「庄内セミナー」を無事に終えることができたことをご報告すると共に、 皆様のご協力に心から御礼申し上げます。今年度は、就職活動の時期が大幅に変更になり、学 部 4 年生の参加が少なくなったことが残念ではありましたが、それでも、例年通り、充実した プログラムを新しい学生および一般参加者と展開できたことは、この上ない喜びです。このセ ミナーは、2008 年、慶應義塾 150 年の年に、 「鶴岡セミナー」という名前でスタートしました。 途中一回の休講を挟み、本年で 7 回目となります。これまでの参加者は 200 名以上になり、最 初の参加者は既に社会で大きく羽ばたこうとしています。過去参加者の話を聞いても、この試 みは、我々の予想をはるかに超える成功を収めたと確信を持って言うことができます。 このセミナーの開催趣旨は、慶應義塾大学先端生命科学研究所および慶應義塾大学鶴岡タウ ンキャンパスが山形県庄内地方の鶴岡市に置かれているご縁を活かし、あらゆる教養の根源と なる「生命」をテーマに、その方法の土台となる、「自ら体験し、議論し、思想としてまとめ 上げる力」を涵養するための「学びの場」を、鶴岡市を中心とした庄内地方に創り上げようと する教育・研究上の実験にあります。その際、それは、なぜ庄内・鶴岡でなければならないの でしょうか。それは、このセミナーのテーマである「生命」の慶應義塾における学問的拠点の 一つが鶴岡市にあること、生命を、人文的側面からも、科学的側面からも、そして社会的側面 からも、多角的に論じる為の豊かなリソースが庄内にあること、さらに、教育・研究を行う上 での地元の温かいサポートがあり、また、鶴岡市と私たちとの深い信頼関係が築きあげられて いることがその理由です。 このセミナーは、予算的位置づけを少しずつ変えながら、2014 年度までは慶應義塾未来先 導基金の補助を受けました。今年度は、予算面を含めて、今後の方向性を見極める年となりま した。本年度、私たちは、全ての参加者が、 「生命とは何か」という、人間が常に向き合わな ければならない根源的な問題に真剣に向き合い、格闘し、そして、自分の心の中に生命につい ての何らかの問題意識をより明確にもつことができたことを改めて確信しました。テーマにお いても、方法においても、運営においても、このセミナーには新たな教養の「かたち」を拓く 大きな可能性があります。今後も、これまでの実践を踏まえて、このセミナーを展開し、教育 研究成果として蓄積していきたいと願っています。今後とも皆様のご支援を何卒よろしくお願 い申し上げます。 2015 年度「庄内セミナー」報告書 「庄内セミナー」の概要 2015年度「庄内セミナー」報告書 第 6 回庄内セミナーについて 1.趣旨・目的 ションの実質的な課題となっている。 山形県鶴岡市にある慶應義塾鶴岡タウンキャンパス (TTCK)を拠点とするこのセミナーの目的は「教養力」す いのち ★総合テーマ: 『庄内に学ぶ「生命」―心と体と頭と―』 なわち「自立・自律力」と「社交力」の涵養を通した「教養」 日本海・庄内平野・鳥海山・出羽三山が織り成す庄内とい の基礎体力作りになっており、今回は、以下のような趣旨・ う小宇宙とその歴史の中で育まれてきた「生命 」 の在り様を 目的を掲げた。 学びつつ、慶應義塾において進められている 「 生命 」 に関わ ① 鶴岡市、TTCK を拠点として新たな体験・体感型の「学 る多様な研究・教育の成果をも取り入れることで、「 生命 」 を総合的に考えることを趣旨としたテーマである。 びの場」を創出する。 ② 鳥海山・出羽三山、庄内平野、日本海に囲まれ、歴史・文化・ 自然・人の織りなす多彩な「生命」に恵まれた庄内をフィー ルドとして多角的に「生命」について体験・体感する。 ③ 学 生・大学院生・社会人の参加を募り、それぞれの参加 ★基調テーマ: 「 知る・見る・表現する―行動の教養学入門 」 ★ 2015 年度テーマ: 「生きることの意味を問う」 者が忙しない日常から離れて、じっくりと「生命」につい て考え、地元との交流なども図りつつ、対話と議論を通し 3.セミナーの概要 てコミュニケーション力を高め合う。 第 6 回庄内セミナーは 8 月 28 日~ 8 月 31 日(3 泊 4 日)、 ※庄内セミナーは 2008 年度から 2014 年度まで 6 回 (2011 山形県鶴岡市の慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(TTCK) 年度は除く)開催されており、初年度は「鶴岡セミナー」 を中心に開催された。今年度は「生きることの意味を問う」 として開催、次年度から「庄内セミナー」に改めている。 をテーマとし、学生 16 人と社会人 1 人の計 17 人が参加した。 初日は TTCK に現地集合し、 酒井忠久氏(致道博物館館長) 4 2.テーマ によるご挨拶の後、 4 班に分かれて「生」をキーワードに思考・ 庄内セミナーでは、総合テーマと基調テーマ、そして年度 発想法の一つの「マインドマップ」を作成した。夜は地元か ごとのテーマを設定している。総合テーマはセミナー全体を ら東山昭子氏(鶴岡総合研究所顧問)による「庄内にまなぶ 包み込む大枠であり、庄内において、とりわけ「生命」に焦 いのち」をテーマとした講義が行われた。 点をあてたセミナーであることを物語るものとして設定して 2 日目は注連寺の即身仏を拝観し、その後鶴岡市内に戻り、 いる。これに対して基調テーマは、「心と体と頭と」を存分 松ヶ丘開墾場を見学、 致道館で「庄内論語」の素読体験を行っ に使い尽くして「学び」の場を広げることを意識して、 「行 た。そして、夜は三村將氏(医学部精神神経科教授)による 動する教養」あるいは「教養する」ことを強調しており、セ 「人は死ぬとき何を思うか-精神科からの問題提起-」をテー ミナーの土台を示すテーマである。そして、年度ごとに庄内 マとした講義が行われた。 からさまざまなテーマを選び出したものが年度テーマとなる。 3 日目は羽黒山で山伏修験体験。白装束に着替え、羽黒山 これが参加者たちにとってはグループワーク、プレゼンテー 踏破、滝行、床固め、南蛮いぶし、火渡りで「擬死再生」の 対話と議論 注連寺にて即身仏拝観 た研究成果や施設を見学、その後、各自で初日に作成したマ による「湯殿山一世行人における生と死の作法」をテーマと インドマップを見直し、 「生」に対しての気づきの変化を確 した講義が行われた。 認した。昼食を兼ねた懇親会では、榎本鶴岡市長を囲んでセ 最終日は TTCK にほど近い慶應義塾大学先端生命科学研 ミナーに参加した感想などを披露して解散となった。 究所で展開されている、最先端のバイオテクノロジーを用い 「庄内セミナー」の概要 一端に触れる体験をした。夜は、山内志朗氏 ( 文学部教授) 庄内論語の素読体験 山伏修験体験 5 2015年度「庄内セミナー」報告書 講師を務めた酒井忠久氏(左上) 、東山昭子氏(左下) 、 三村將氏(右上) 、山内志朗氏(右下) 全員集合(最終日) 6 〈事前準備〉 8月3日 8 月 23 日 参加者に対する事前説明会 来往舎 「庄内セミナー」の概要 2015 年度庄内セミナー・プログラム 事前課題「生命の源と死を想い、 「生きること」を考える」について 400 ~ 600 字のレポート提出 〈合宿セミナー〉 [セッション1]アイスブレイク・マインドマップ(1)作成・グループ討議 「庄内文化論」 8 月 28 日 講師:酒井忠久氏(致道博物館館長) [セッション2]「庄内にまなぶいのち」 講師:東山昭子氏(鶴岡総合研究所顧問) 8 月 29 日 TTCK 休暇村 羽黒 [セッション3]即身仏拝観 注連寺 [セッション4]松ヶ岡開墾場見学 松ヶ岡開墾場 [セッション5]鶴岡を知る ・「庄内論語素読体験」 指導:富樫恒文氏(庄内藩校致道館統括文化財保護指導員) 致道館・鶴岡市内 ・自由行動 [セッション6]「人は死ぬとき何を思うか―精神科からの問題提起―」 講師:三村將氏 ( 慶應義塾大学医学部教授 ) [セッション 7]山伏修験体験 8 月 30 日 [セッション 8]「湯殿山一世行人における生と死の作法」 講師:山内志朗氏(慶應義塾大学文学部教授) 休暇村 羽黒 いでは文化記念会館など 休暇村 羽黒 [セッション 9]慶應義塾大学先端生命科学研究所ラボ見学 8 月 31 日 先端研ラボ棟 [セッション 10]まとめ:マインドマップ(2)作成とグループ討議 〈まとめ〉 9 月 30 日 事後課題(「生命」を考える 2000 字程度のレポート提出) 7 2015 年度「庄内セミナー」報告書 参加者レポート 2015 年度の「庄内セミナー」参加者に、次のような事後課題が与えられました。本稿は、提 出されたレポートを参加者の 50 音順に掲載したものです。 〈事後課題〉 1.テーマ:「生命」を考える 庄内セミナーを通じて体感・体験したこと、考えたこと、話し合ったことなどを基礎として、 各自の「生命観」(「死生観」「身体観」などでもかまいません)について述べてください。 2.字数:2,000 字程度(これを超えてもかまいません) 3.締切:2015 年 9 月 30 日(水) *本セミナーでは、 「 「生きること」を考える」を事前課題のテーマとして課しました(600 字程度)。 以下のレポートには、この事前課題を前提もしくは発展させた内容のものも含まれています。ただし、 紙面の都合上、事前課題そのものの掲載は見合わせました。 2015年度「庄内セミナー」報告書 庄内セミナーを通じ学んだ『生命観』について 法学部(法律)4 年 赤城 裕之 1.「即身仏」に対する自分なりの考察 である。排泄される尿ですら塩分を含んでいて不浄だとする セミナーを通じ、 「結局のところ、鉄門海をはじめとした くらい徹底した修行を見れば、彼らが精神的に満たされてし 即身仏になった一世行人たちは、なぜ、即身仏になろうと決 まう状況を忌避していたことがうかがえる。彼らはそのスト 意したのか」という疑問は解決されぬままだった。即身仏に イックさ故に、ある種、生きているうちに悟りに近い状況に なることで飢饉などを乗り越えるためだったのか、自身の過 陥ってしまったのではないか。そして、悟りに近い自分を否 去に犯した罪を清算し、浄土へ往生するためだったのか、は 定するため、さらに自分にストイックな修行を課し、その究 たまた、弥勒菩薩が釈迦入滅後、五十六億七千万年を経て、 極系ともいえる土中入定という発想を得たのではないだろう 諸々の衆生済度のためこの世に再臨するときの案内人になる か。 1) ためだったのか等、様々な説があると学んだ 。しかし、私 なお、この「満たされない欲望を持ちたい欲望」は、現代 はそれらのうちのどの説明も鉄門海らの心中を的確に捉えて のわれわれに通ずるものである。斎藤環『生き延びるための いないのでは、大義名分にすぎないのではないかと感じてい ラカン』では、物質的に成熟している現代において、「満た る。 されない心」を求める若者がリストカットに走るという現象 そこで、フランスの哲学者ジャック=マリーエミール・ラ について論じられている。このリストカットに走る若者と鉄 カン(1901 〜 1981 以下、ラカンと呼ぶ)の思想を援用し、 門海や真如海の心理状況には類似点がいくつかある。そのい 鉄門海らがなぜ、即身仏になると決意したのかということに ずれも、物質的あるいは精神的に満たされてしまい、「欲望 ついて考えてみたいと思う。 を持ちたい欲望」が原因で「私は満たされない心を埋めるた まず、ラカンはその主著『エクリ』において、象徴的去勢 めにこれをしているんだ」という思いが固まってしまったと を経て人間は自分の中心に「言葉という空虚」を抱え込んで いうことが共通項である。この感情こそが、彼らを即身仏に いる。欲望とはその欠如を埋めようというところから生まれ させた主な原因ではないだろうか。 2) てきていると述べる 。 これらのことをを踏まえると、彼らが即身仏、という形で 私は、一世行人の修行を、この欠如を埋める行為と同一視 身体だけはこの世に遺そうとした意味も考察できるはずだ。 できるのではないかと考えている。例えば、真如海は武士を 木食修行をはじめとした修行で浄化された身体とは、彼らに 殺害して大日坊にかけ込み、救いを求め、得度して同寺の行 とって、ラカンの言うところの「一つの欠けたところのない 3) 人となった 。彼にとって、殺害するという行為はほかなら 万能感」である。身体が「一つの欠けたところのない万能感」 ぬ、二度目の象徴的去勢に当たるものだったのではないだろ であり続けるためには、身体から精神を取り除かなければな うか。殺害したという罪の意識が彼の内面に大きな欠如とし らない。 (なぜなら、精神は既に象徴的去勢を経て欠如が生 て存在していたとしたら、それを埋めるため彼は修行という じているから。 )そこで、死というプロセスを経て精神を身 道を選んだのではないか。 体から剥離させようと試みたのではないか。このように考え しかし、ここにおいて疑問が一つ残る。それは、なぜ修行 ると、自身が土中入定し即身仏になるということは彼らに を通じ即身仏になりたいと思うに至ったのかということであ とって合理的な選択肢の一つだったと言えそうだ。 る。 10 私は、この疑問に対してもラカンの欲望に対する考え方を 2.結び 援用すれば、答えが導き出せるのではないかと考える。推測 以上、憶測・こじつけの域に過ぎないが、即身仏になろう の域を過ぎないが、鉄門海や真如海はその一世行人としての とする心理をラカンの理論を用いて考察した。現代に生きる 激しい修行を経て、精神的に満たされてしまっていたのでは 我々にとって、即身仏になるという選択肢は想定しがたいこ ないだろうか。すると、彼らにフロイトの言う「満たされな とかもしれない。しかし、ラカンの思想という色眼鏡を使い、 い欲望を持ちたい欲望」が生じたのではないかと考えられる。 彼らの心理を見ると、少しだけ即身仏になるという気持ちも つまり、自身の満たされてしまった欠如を否定する精神活動 分かるような気がした。即身仏のご尊顔は、非常に安らかで、 1)山内志朗教授の第六回庄内セミナー講演『湯殿山 一世行人における生と死の作法』 (2015.8.30)を参考に記述。 2)本章執筆にあたり、斎藤環『生き延びるためのラカン』 (バジリコ、2006)にて説明されているラカンの主張を、参考にした。 3)山内志朗:前掲講演レジュメ資料より。 きない。そのベクトルを正しい方向に昇華させることが非常 徴界の入り口において禁じられた「享楽」を得ているからか に重要である。そして、精神はともかく、身体を極限まで浄 もしれない。 化させることで享楽に近づくことができるのではないだろう 自身の生命観も、即身仏を見て、またラカンの思想を援用 か。そのモチベーションの源泉が、他者にあればより高次の してこれを考えることで、大きく変化することとなった。や 享楽を得ることができるのではないかと感じた。 参加者レポート グロテスクさは微塵も感じさせなかった。ラカンの言う、象 はり私たちは欠如を埋めたいという欲望からは抗うことがで 11 2015年度「庄内セミナー」報告書 「生命」を考える 政策・メディア研究科修士 1 年 伊作 太一 生きていると、ふと衝動的に未来のことが楽しみになる瞬 いつぶしているだけになってしまう。 間が度々訪れる。 目指すは、今から十年後の未来のことを、更に未来の今か その瞬間とは、学校の授業の合間や、電車での通学時間に ら二十年後に、なつかしむことができるような「なつかしい 訪れて、うずうずと、早く動き始めたいという気持ちがこみ 未来」である。 「あの時は良かったな」と思い出をなつかし 上げてくる。よし、起業するぞ、資格をとるぞ、将来は海外 む時間はいつの時も心地よく、我々に情緒をもたらしてくれ に行くぞ。しかしこうした衝動はいつの時も衝動にしか過ぎ る。いつまでも同じ過去にばかり縋るのはよくないが、こう ず、数分後にはその興奮さえも忘れている。別の時にいざや した「なつかしさ」を生み出し続けられれば、情緒を保ちな ろうと気合を入れても中々ことはうまく進まず、自分が無力 がら日々の変化を生きることができるのではないか。 にさえ感じられることもある。そうしたときにこみ上げる感 こうした「なつかしさ」とは、その人の「日常」の中から 情は怒りでも苛立ちでもなく、強いていうならばそれは一種 生まれてくる。私たちは何か一つのことに時間を費やすこと の切なさである。 によって、次第にそれに愛着を持ち ( 懐き )、それのことが 生きていることの切なさ。寂しさ。なつかしさ。 好きになっていくのである。それはあるいはスポーツだった これが、私が今回のセミナーで感じたことである。 り、学校の授業、会社のプロジェクトなどの活動でも良い 二十歳が過ぎて時の流れが無情に早くなり、残り少ない青 し、本や美術作品などの実態を持った物でも良いし、はたま 春を楽しみたいという気持ちも儚く、私は時間によって人生 た人との関係も一つである。多くの時間を費やすことによっ の道のりを無理やり押し進められる。そんな中、日々の忙し て、それはその人にとっての「日常」となる。そして、多く さに身を潜めて、局所的な楽しい出来事によって気分をなだ の時間をともに過ごすことによって、それにまつわる喜怒哀 めるが、ふとした隙を突いて生きていることの切なさは押し 楽、即ちストーリーが生まれてくる。そうしたいくつものス 寄せてくる。 トーリーが、我々の人生を面白くし、またそれに意味を与え 近年はインターネットの普及の影響もあり、これにさらに てくれるのである。 拍車がかかる。世の中の流れが早まっていく中で我々は忙し この日常は一日一日を見たら変化はあまりないが、日進月 くなり、一つだけのもの、こと、ひとだけに時間を費やすこ 歩で少しずつ変化していく。そしてちょっとした未来から振 とが難しくなった。ウェブ上の記事や動画など暇をつぶすコ り返った時、少し前の「日常」が「なつかしい」と感じられ ンテンツにも困らなくなり、時間を持て余す感覚も中々味わ るようになる。こうした変化のある「なつかしさ」の実感が、 えなくなった。そうしてコンテンツをがつがつ消費していく 過ぎゆく時間を実感させ、切なさとともに、生きている感覚 中で、一つひとつの作品や出来事の印象は薄まってしまった。 をもたらすのではないか。 そして気付けば一ヶ月、一年と過ぎ去っており、ふとした瞬 間に時の流れを恐れることがあるが、振り返ったときに、こ 日々を一生懸命生き、様々な変化やドラマを瞬間瞬間生き れと言って印象に残っていることが無かったりするのだ。 る視点と、ふと俯瞰的になり自分の人生の流れやそのストー こうしたやるせなさを、私は抱えながら生きているのであ リーを意識する視点との行き来が重要だ。こうした二つの視 る。 点は全体と部分で相互作用的であり、お互いを補強しあう。 その中で、生きているという情緒を生で感じ、そしてそれを しかし私は、こうしたことに気づいて、人生に悲観的になっ 意識することができるようになる。こうして、自分が主人公 たわけではない。むしろこうした時の流れや、その先に待っ であるという感覚を、自分がどのようにして「死」に向かっ ている「死」とうまく寄り添うことが、生きることそのもの ているかを意識して始めて、自分が生きる意味を問うことが であると信じている。むしろ「死」という「しくみ」がある できるのではないか。 からこそ、私たちの人生は深みを持ち、ドラマを生み出す。 ひたひたと迫り来る死の静かな恐怖があるからこそ、一瞬一 瞬の出来事は意味を増し、喜怒哀楽を呼び起こすのである。 しかし私達は普段の生活の中で、これを意識をすることは 殆ど無い。毎日同じことを行い、その場を取り繕うような娯 12 楽だけでごまかしているのでは、有限な日々をせわしなく食 そんなことを考えた、鶴岡での日々でした。 参加者レポート 参道の石段 法学部(政治)1 年 大山 美佳 山伏体験の朝に出羽神社へと向かう途中で、私はふと足下 る度にふっと死にたくなるようだった。彼女からの連絡が途 に目を向けてみた。参道には綺麗に石段が積み重ねてあり、 絶えた時、私は遂に彼女が本望を遂げてしまったのかと思っ もう何十年もの間人々が踏みしめた歴史が積もっているよう ていた。だから昨年 SNS を通じて彼女から連絡があった時 な気がした。よく目を凝らして見てみると、苔むし色あせた は本当に驚いた。現在彼女は一児の母になり、毎日幸福そう 古めかしい石段の隙間に細かく筋を入れ滑りにくいよう工夫 に過ごしていた。確かに過去、彼女は毎日人生の底にいるよ された黒々とした新しい石が顔をのぞかせていた。そこから うな生活を送っていた。だが現在は彼女の息子の存在が、彼 先祖から授かった参道を自らの手で所々修繕しながら美しく 女を支えている。本当に自殺願望が強い人が「生きるのが得 保ち、将来の子ども達へと受け継ぐという鶴岡の人々の心意 意でない」とするならば、彼女は子どもを産むことなく死を 気が感じられた。同じ空間を長い年月で共有するという考え 選択するだろう。 が、私には心地よかった。 彼女らの話を踏まえると、人間は決して 1 人で生きること 「生きることは義務か、権利か。」今回のセミナーの中で私 は出来ないのを強く実感する。1 人だったら確かに死にたく が最も気になった問いだ。確かに自尊死やインフォームド・ なることもあるかもしれない。けれど家族がいるから、と愛 コンセントなどで、人々に自分の死に際を決める権利を認 する他者の為なら死を思い留まることが出来るのだ。いくら め始めている。死に方を決められるということは即ち、どう 「生きるのが得意でない」人も、そこに愛着ある他者が介在 やって生きるかを決めることになるからだ。どう生きるか決 する時には自殺を選択しないだろう。結果的に「生きるのが める権利があるならばどう死ぬか決める権利だってあるに違 得意でない」ように見えた人も生き長らえることを選択する いない、という事だ。この問題を考える時、印象に残ってい のだから、そのうち生きることにも慣れてくるだろう。つま る発言がある。自殺の賛否を問っていた時であったと思うが、 り私が言いたいのは、生きることに得意不得意という尺度で 1 人の参加者が「生きるのが得意でない人」もいるから、自 は測りきれないものがあるということだ。人間は社会的な生 殺も個人の権利として認めても良いのではないか、と言った。 き物であるが故に、他者の存在というものはそれほどにも重 この「生きるのが得意でない人」のフレーズが何度も頭の中 要なのだ。 でリフレインした。果たして「生きるのが得意でない人」と 本来、この世に存在するものは全て他者と共有されている は一体どんな人なのか。 ものだと私は考える。しかし現在と過去における、この場合 例えば母子家庭の母親たちは、日本で一番働いている人 の「他者」の捉え方が大きく変わったのではないかと推測す だ。子どもがいる為に正社員にはなれず、かといって非正 る。現在は恰も人間だけが地球に短期間存在していると考え 社員では稼ぎが悪いので昼間は幾つもパートを掛け持ちする。 ているように感じる。だから国家間での地球上の利権の奪い 勿論仕事の合間に子どもの面倒を見て、寝る間を惜しんで内 合いが議論の争点になりやすい。ナショナリズムに目が霞ま 職する。もしかしたら両親と同居していて、彼らの介護もす された人々は「国」という小さな差異に固執して、住む国家 る必要があるかもしれない。彼女らは馬車馬のように働いて の違う「他者」を全く異なる生き物とみなし睨みつけている。 も、尚泣き事は言わない。確かに大変な生活ではあるけれど しかし、それはおかしなことだと言えよう。この世界には今 も、日々地に着いた生活を送っている。私が思うに、母子家 生きる人間以外にもまだまだ他に存在するからだ。 庭の母親たちは不器用に生きている。だがそれでも、彼女た 明治以前の日本には、今よりも人間以外のモノとも共存す ちは生きるのに向いていない、とは思えないのだ。寧ろ誇り る意識が強かったように思える。昔話には必ず獣が大きな役 高い生き方だとすら思う。子どもを中絶し正社員になるなり、 割を果たし、天狗などの妖怪も登場する。これら妖怪や獣な 新たな男性と結婚するなりした方が、ずっと簡単で楽な生き どの存在が意味するのは、人々が認識する以上の「何か得体 方のように思える。それでも自分自身で子どもを産むという の知れないもの」が存在するということだ。得体の知れない 選択を選ぶことは、安易な選択ではない。彼女らは敢えて苦 ものと環境を共有しなくてはならなかった時、明治以前の我 しい道を選択したというだけなのだ。 が先祖達は攻撃的にならず、謙虚に生きることを選んだ。自 では例えば自殺願望が強い人は「生きるのが得意でない」 然界にある資源も必要最低限しか手にすることなく、後は全 のか。卑近な例なのだが、私の友人の中には自殺願望が強い て森の生物や子孫のために残しておいた。物も壊れるまで、 人がいて、彼女は何度も自殺未遂を繰り返していた。彼女は 何度も用途を変えて大切に使った。妖怪や神など超現実的な 普段は普通なのだが、その時彼女が抱えていた問題と直面す ものの存在は、結果的に環境を守っていたと考えられる。昔 13 2015年度「庄内セミナー」報告書 の人々の、世界を様々なモノとシェアしている、という長期 を思い浮かべると、自分の中に長い年月の流れを感じた。そ 的感覚が現代人には欠如している。 して朝に見た石段を思い出す。鶴岡の人々に長く愛着を持っ 夜もネオンが煌々と光る人間の東京の喧噪の中にいると、 て使用されていたあの石段には、長い年月が染み込んでいる。 恰もこの世には自分しかいないような陰鬱な気分がしてくる。 どんなに小さな小石の 1 ピース欠ければ人々は歩き辛くなり、 だが一歩、鶴岡の自然の中に踏み出すとどうだろう。曇天 その 1 ピースを惜しむのだ。だから新しい石と組み替えなが の夜空の下、湿った空気の中の時折聞こえる葉擦れに熊か猪 ら、全体の石段は大切に次世代へ受け継がれていく。社会と かと怯えつつ外で座っていると、今まで見えてこなかった縁 は本来あの石段のようなもので、個人はその石段を構成する や、すっかり忘れていた人々の笑顔を思い出してくる。静か 石のようなはずではないか。我々が石段の一部であるのなら、 な夜空に他者の存在を愛おしく思っていると、自暴自棄な気 どんな個人にもその命果てるまで生きる義務がある、そう強 分はすっかり治まり心がゆったりする。そのまま目を閉じる く感じた。 と、両親や祖父母の顔がまぶたの裏に浮かんだ。彼らの笑顔 14 参加者レポート 「生命」を考える 商学部 2 年 日下田 愛 「生きること」というテーマが与えられ、生命について誰 るを得ない私が自然と自己の生を切り離して考えているのは かと考える機会は庄内セミナーが初めてだった。庄内セミ おかしい。私が自分の生を問うとき、自分の内部だけではな ナーが始まる前に、私なりに「生きること」の意義を明確化 く、外部にも目を向けてこそ自分の生を考えられるのだと思 しようとあれこれ考えてみた結果、私の「生きること」は、 「自 う。私にはその視点が欠けていた。 分で選択・決定し、そしていまを最大限楽しむこと」という 自然だけでなく、私たちは自己の外部に存在する様々なも ことになった。この私なりの「生きること」の意義を問おう のから影響を受けている。庄内を見て回る中で、人々が自己 と決めた。 の外部とつながっていた様子を感じることができた。例えば 私は、死は完全な生の終わりであると思う。死後とは「無」 即身仏だ。即身仏は、ただ菩薩信仰のみで苦行に耐え、即 の世界であり、亡骸はただの物質の塊として自然に帰って 身仏となるのではなかった。飢饉による飢餓救済への祈りや いく。私は輪廻転生や魂の救済のような考えはどうしても受 人々の罪を引き受けるという意味でも即身仏となる理由が け入れられない。死という完全な終わりが存在するからこそ、 あった。即身仏には深い土地への愛が感じられた。自分の 一度きりのいまを最大限楽しむ必要があるし、自分だけの生 生きた土地とそこに住む人々が、即身仏となった者の人生に を自分で決定していかなければいけないのだと思う。 影響を与えているのではないか。人には自分の外部に核とな 庄内では、即身仏という風習があった。即身仏を目指した る何かがなければならないと思う。即身仏であれば弥勒菩薩 人々は弥勒菩薩を信仰し、遥か未来に再び生が得られると信 信仰や庄内という土地であったし、山伏であれば出羽三山で じた。彼らは身体と魂は不可分の関係であり、将来魂を再び あった。以前は宗教色が強く、宗教に依拠したものが多い印 おさめる器として自身をミイラ化し、死後も魂が残ると信じ 象があるが、 宗教だけにはとどまらないだろう。ある人にとっ た。彼らとは考えが違うけれど、彼らの中に私なりの「生き ては自分の夢かもしれないし、またある人は家族や恋人かも ること」の意義を見ることができて嬉しかった。彼らは自分 しれない。人は感情や思考など自分内部でおこる精神的な活 で即身仏になる選択をして実行し、自分の生を精一杯過ごし 動を超えて、自分の外側にある確固たる核としての何かを認 たのだと思う。私なりの「生きること」の意義が昔の素晴ら 識している。 しい人々に見て取ることができたのは、私の考えが一部でも 私は生を自分固有の世界で完結するものだと思ってきた。 合っている証明である気がした。 私の感情や思考は、直接他者が関与できない。だから、私た ちは私たちだけの固有の世界で生を完結させるしかなく、私 庄内地方は、出羽三山に囲まれた豊かな自然に基づく自然 たちの生は自分の内部のみで生まれるのではないだろうか、 崇拝の色濃く残った地域でもある。人間にとって自然という と思っていたのだ。しかし、私たちは私たちの外側に何か自 のが深く影響をもたらしているのが感じられた。ずっと都会 分の核を認識している。自分外部から内部に影響を受けるこ で生まれ育った私にとって、自然はどこかつながりが薄いも とはあっても、自分の核となる何かが外部に存在すると考 ののように思えていた。私が生から連想する言葉といえば、 えもしなかったので、私は衝撃を受けた。そして、私には 「精神」 「身体」 「心」 「先祖・子孫」等、自分自身に関わりの いま自分の外側に核となるものがないのだと気づいた。核と ある言葉ばかりで、自分の外部に存在する「自然」につなが なるというのは、人生を支え、意味づける存在と言えると思 るような言葉はわずかであった。私にとって、生は自分の内 う。私が定義づけた「生きること」は、「自分で選択・決定 部だけで完結していて、外部とは切り離されていたようだ。 し、そしていまを最大限楽しむこと」だった。私は過去・現 しかし実際は、自分の内部より自分の外部に生を成立させ 在・未来のなかで現在を重要視していて、どこか現在の自分 ているその本質があるのだと思う。まず、生命維持に不可欠 の世界が満足すればいいと感じていたところがあった。しか な衣食住はすべて自然から提供されている。自然と接点のな し、自分の外側にある生の核となるものは、ずっと私ととも い生活をしていると気づかないけれど、私は自分の外部から にあったことで生の核として認識されるはずだ。刹那主義的 その生を支えられているのだ。また、人間は自然から精神的 に「生きること」の意義を認識する限り、自己の外側にある にも影響を受ける。庄内地方の出羽三山への自然崇拝や即仏 生の核を見つけ出すのは困難だろう。 身の成立などその一例はすぐに発見できる。人間は自然から 私の中では死によって完全に生が絶たれ、死後はただの無 内部・外部関係なく支えられてその生を成立させているのに、 になってしまう。だからこそ、私はそのたった一度の生の中 私はそのことを実感できないでいる。自然から影響を受けざ で満足したものを作らなければいけない。即身仏が弥勒菩薩 15 2015年度「庄内セミナー」報告書 16 信仰やその土地のために生きそして死を迎えたように、私も 「沈潜の風」 「葉を育てるより根を育てよ」 「目立たず、騒がず、 自分にとって何か生の根源となるものを見つけ、満足して死 ひっそりと」という言葉にも表れているように、目立たない んでいきたい。 ながらもしたたかに堅実に力を養う気風である。自分の身の 私が何か生の核となるものと出会えたら、「目立たず、騒 丈にあった範囲で、自分の生を彩るものから離れず、目立た がず、ひっそりと」生を過ごし死にたいと思う。庄内地方は、 ずに、着実に、堅実に、生きる将来でありたい。 参加者レポート 「生命」を考える 社会人 藏町 有香 今回の庄内セミナーには、修験体験をしてみたいという思 と尊厳死があるが、自殺や尊厳死は倦厭される場合が多い。 いで参加したのだが、ままならない現実の中で下らない欲望 それは、選択する理由が己のためであるからだと思う。尊厳 に拘泥する自分から解き離れたいという逃避願望のためであ 死は、家族に看護の経済的・精神的な負担を与えたくないと る。しかし、むしろ修験によって、煩悩を持った現実の自分 いう理由も含まれる場合等、他者のために選ぶこともあるだ を肯定するのだと知った。山登り、滝打ち、南蛮いぶし等の ろうが、基本的には自らの苦痛から逃れたいから選ぶのであ 身体的に苦しい体験をし、思考している余裕など無くなった る。3年前に父が病気により他界したのだが、病気が発覚し 際に感じたことは、一刻も早くこの場を脱したいということ た時にはもう治ることはないと余命宣告をされたのだが、父 であった。頭の中で何を考えていようと、身体はただシンプ は抗がん剤治療に苦しみながらもできる限り長く生きる道を ルに生きるために突き進んでいるということに頼もしさを覚 選んだ。父の場合は、自分の死により家族を悲しませる日を えた。煩悩を持った現実の自分を肯定するということは、精 なるべく遅くしたい、もしかしたら治療法が見つかるかもし 神がどんな状態であろうとただ生きたいと思っている自分を れないからできる限り延命したいと考えたようである。治療 認めるということではないだろうか。どんなに辛いと感じて は苦しい、肉体は日々衰弱していく、できないことが増えて いる時でも、食欲が湧いてくると、そのうちに大した辛さで いき気持ちも憂鬱になっていく中で生きることに執着できる はないのだと思えるようになる。精神の方が弱く、身体の方 父に畏怖すら覚えたのだが、それはやはり家族等の他者のた がたくましい。だが、身体の強さに頼り切り、精神的な痛み めであったようである。人は、自分のためだけに生きたいと を無視すると、気付いた時には身体にまで損傷が及んでいる 願うことはないのだと感じた。 という事態になるのだろう。精神と身体は分離しているわけ 自殺する理由は、特殊な例を除けば、多くの場合は苦しみ ではないが、完全に一致しているものでもなく、関連してい から逃れたいという自分のためである。近代以前は、人は自 るものと捉えるべきだと思う。 らを家や村の一部としての存在として捉えていたが、現代で 即身仏について、高い台座の上等に設置され近くに寄れな は「個人」の概念によって、生き方は選択するもの、死に方 いように展示されていると予想していたのだが、実際は部屋 も生き方の最後の選択肢であるのだからコントロールできる の隅にごく自然に置かれており、おどろおどろしさも感じら ものだと思っている。したがって例えば親しい友人に「自殺 れなかった。即身仏は、飢饉や天災から村を守るため等、周 したい。 」と言われたら「私が悲しいから、自殺しないで欲 囲の人々を代表しているだけであり誰であっても構わない、 しい。 」と止めたいと思うのだが、自殺をしてはいけない合 一体が朽ち始めたらまた新しい即身仏が作られた、特定の個 理的・普遍的な理由が思い浮かばない。人が家や村の一部で 人としての肉体を永遠に残しているわけではないという成り あった時代には、生まれた瞬間に役割が与えられそれを全う 立ち方を残され方からも感じることができた。権力者の権威 するだけであり、自分が欠けたらいけないという発想すら生 を永遠に示すために死後に周囲が手を加えるエジプトのミイ まれにくい。実力や適性といったものは関係なく役割が与え ラとは、目的も成り方も全く違うのである。即身仏に成るた られることは不自由ではあるだろうが、生きる理由が勝手に めには、生きながらにして食事を制限し積極的に自分を死に 与えられている以上、死ぬ理由はないのである。現代では生 近付けていく。身体からエネルギーが足りなくなると、意識 きる理由を自発的に見つける必要性があり、だからこそ死ぬ が朦朧としてきたり、頭痛や吐き気等にも襲われる等の肉体 理由を見つけてしまう人がいるだと思う。役割を与えられず 的な異常が起こってくる。確固たる信念がなければ、自分の に生まれてきた典型的な現代人は、何を選びとるのも自由で 体を積極的に衰弱させられないはずであるが、それは己のた ある。しかし、目に見えた才能を持っている人以外は、実力・ めではなく、他者のためだから耐えきれたのではないかと思 適性といった形のないものに振り回され、現代では「親の七 う。あくまで想像に過ぎないが、極限状態になった際に、飢 光り」という親の権力で仕事をすることを揶揄する言葉さえ 饉や天災に襲われる村の人々を守りたい、また、即身仏とな あるように、一切を自己責任として、生きる理由も自発的に るために手助けをしてくれる人々の期待に応えたいという思 見つけなくてはいけない。現代では、好きなこと、独自性が いが彼を支えたのではないだろうか。他者を救うために自ら あること、創造性の高いことをできている人が評価される傾 の命を投げ出せる人は少なくない。そのように、他者のため 向にあるが、それよりも他者のために生きているという意識 に自ら死を選ぶ行為はしばしば勇敢だと評され、尊敬される。 を感じられなくなってしまうことが致命的であろう。生きる 一方、同じように積極的に自ら死に近づく行為として自殺 理由は、他者の存在を通してしか感じられないのである。 17 2015年度「庄内セミナー」報告書 今回の庄内セミナーで酒井家 18 代目、19 代目当主のお二 むことも多いだろう。だが、自分の存在が知れ渡っていると 人とお会いしたが、お二人とも名前に代々継いでいる「忠」 いうことは、自己証明をせずに済むという気楽さ、自分に思 の字が入っており、鶴岡市のために生きておられることに驚 いを馳せてくれる人に囲まれているという安心感を与えてく いてしまった。私は東京で生まれ育ち、父方・母方ともに三 れる。自分が他者にどれだけ影響を与えているのか感じやす 代前に静岡、千葉から上京してきたということは把握してい い、地域に貢献できていることがすぐにわかり、己の存在意 るが、出身地の具体的な地名を知らない。さらに半生のうち 義を感じやすい、幸せを感じやすいのではないか。 実家が都内で4回転居しているため、代々守るべき土地とい 最後に余談であるが、4 日間お世話になった鶴岡市に、少 うものも存在せず、家族以外に市内の知り合いもおらず、職 しでもお返しをしたいと思いふるさと納税を使い寄付をさせ 場も離れており特に現在の居住している市への愛着は薄い。 て頂いた。返礼品として「日本海セット」という干物の詰め ベンチャー企業であるスパイバーの創始者が、東京出身であ 合わせを頂いたのだが、どれもとてもおいしかった。鶴岡市 るにも拘わらず鶴岡市で生きたいと思ったことについて、私 自体が魅力的であったこともあるが、普通の旅行以上に文化 はあまり不思議だとは思わない。2011 年元旦の朝日新聞の を教えて頂きたくさんの地域の方とお話させて頂く等、深く 天声人語に「窮屈な幸せ」という話が載ったが、5 人家族の 関りを持ったことで鶴岡市に縁を感じている。「ユネスコ食 全員が 4 面しかないこたつに同時に入るためには、二人が密 文化創造都市」として等、鶴岡市の今後の活躍を見守らせて 着しなくてはいけない 1 面が生じるのだがそれが幸せだとい 頂きたいと思う。 う。窮屈な世界は、人間関係が固定されているために思い悩 18 参加者レポート 死生観について考える 経済学部 4 年 佐藤 友弥 庄内セミナーのテーマである「死生観」、約 4 日間に亘っ 各々意見を出し合った際、予てからの目標が叶った瞬間とい て同世代の仲間と「生きることとは何だろうか」と常に顔を う意見が共通して見られた時だ。確かに、私達は常に何か目 突き合わせて考えた。傍から見れば異様な光景だと思うが、 標を立て現状に何が足りないか分析し、将来の目標達成に向 日々を漫然と過ごす私にとっては非常に刺激的な経験であっ けて努力している。その目標が短期的に達成されるにしても、 たし、学年違えど参加者それぞれの考え方は、自身の将来を 達成後にはまた異なる目標が現れそれに取り組む。そのよ 考える上で一助となった。生意気ではあるが、セミナーを通 うなサイクルを通して、その人独自の生き方が形成されてい して感化された考え方また以前より持ち合わせていた意見を くのだ。この一連の目標を達成しようとする行為を全体とし もとに「死生観」について自分なりの考えを述べていきたい て幸福を追求しようとする行為と称しても問題はないだろう。 と思う。 法学部の学生が勉強を重ねた後に弁護士になり、次は自分自 まず人間における「生」の状態の定義をしてみたい。試し 身の事務所を構えることを目標としようとするように、次か に手元にある辞書で「生」という単語を調べてみると、生命 ら次へと目標を定め、死ぬ間際に良い人生だったと幸せを噛 機能が維持されている状態と記されていた。この定義を人間 みしめるのも一つの幸福追求だし、浄土教に傾倒する人が厳 に当てはめて言うならば、心臓が脈を打って、血液が巡回し、 しい現世の修行に耐え、あの世で極楽浄土に行きたい(報わ 呼吸で取り入れた酸素が体の各組織を機能させている状態と れたい)と考えるのも同じ幸福追求だ。 されるだろう。しかし私はこの生物学的な生の定義では人間 そして今回の即身仏拝観と修験体験を経て、修験者に対し のそれを自我という点で賄うことが出来ないと考える。人間 てもこの考えが成り立つのではないかと考えた。即身仏とは、 は他の生物と異なり、自分という存在を認識し、目の前の対 仏教において人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏 象との距離感を掴んでいる。あらゆる物・事象に名称や意味 になった姿のことを指すもので、生前に千日回峰行という厳 を付与して、身の回りのことから世の中全体のことを理解し しい修行を行うなど成仏に向けて数多くの条件がある。即身 ようとしてきたのだ。これは時間や魂といった概念的なこと 仏になるためには生半可な覚悟では通用せず、事実修行を途 も含まれ、等しく「生きる」ということにも及んでいる。断 中で放棄した者も少なくないと話を伺った。実際に修行のほ 食や自殺といった本能に反する行為も、宗教上の慣習や戦時 んの一部を体験してみると、空腹の状態で何時間も山道を歩 中の特攻といった背景を加えれば、当の本人が生きることに かされ、滝行では非常に冷たい川水を頭から被り、南蛮燻で 対しどのように考え行動したのか多少なりとも見えてくるだ は唐辛子を燃やした煙立ち込める小部屋に放り込まれるとい ろう。このように、生きているという自然的かつ当たり前の う大変厳しいもので、疲労から次の日の一日中、体調が優れ 状態を認識し、そこから意味を見出そうと行動することこそ なかった程だ。ではなぜこの修行を経てまでも修験者は即身 が、人間を人間たらしめ、他の生物との違いを大きく生んで 成仏を達成させようとするのだろうか。拝観した鉄門海上人 いるのではないだろうか。それゆえに人間の「生」の定義に の話から伺うに、それは「衆生済度」の教えによる所が大き は、その人が自我を持っている状態であるという一文を加え い。現世の命あるもの全ての苦しみや悩みを救済し、浄土に るべきだと私は考える。 渡すことを指す言葉だそうだが、事実鉄門海上人は存命中か そうすると「なぜ、何のために生きているのか」という問 ら疫病退散や酒乱治療などの祈祷を行い、困窮者には金銭を いへの答えが重要性を増してくる。これは死生観を考えてい 施すなど多くの庶民から信仰されていたそうだ。この上人に くに当たって肝になる箇所で仲間と幾度となく議論し合った。 とっては自身の身を削るような修行やその結果としての死も、 その中で一つその後の修験体験を通して私の中で固まった考 人々の苦悩を解放する「幸福」と引き換えになるのであれば えがある。それは、人間は自分自身の幸福を追求していくた 容易いことだったのだろう。凡人の私からしたら到底できな めに生きているというものだ。幸福とは、人それぞれ内容や い人生また幸福の選択だが、その覚悟を据えた姿勢や信念か 度合いが異なり、またいつの時点で達成したいのかという点 ら学ぶものは大きい。 においてもバラつきがある。しかも多くの人が自分の幸福が 以上が私の死生観についての考えである。そして実際の所、 何なのか明確に理解はしていない。しかし私がこの幸福追求 私自身どのような幸福を追求していきたいか未だ解ってはい こそが先ほどの問いの答えになるのではないかと考えたきっ ない。今後判明するかどうか不明ではあるが、現時点で何が かけがある。それは仲間との繰り返しの議論の中トピックと 自分にとって良いものなのか選択し続けることが、幸福追求 して「どのような時 / 瞬間に生きていて良かったと感じるか」 の人生において理想的な生き方なのではないかと思う。 19 2015年度「庄内セミナー」報告書 「生命」を考える 文学部1年 菅原 真帆 〈はじめに〉 即身仏とは、人間である行者が世の繁栄を願い、仏となって新 いないだろう。仮にいたとしても、 「生命」とは何かとはっきりと たに生き返るという、擬死再生であるからだ。つまり、生と死は 言うことはできないであろう。私もそのうちの一人であった。私 繰り返す、循環的なものなのである。 はこの春から大学生となり、毎日学校に行って勉強し、友達と遊 〈精神医学と即身仏から見えたもの〉 んだり、バイトをしたり、サークルに参加するといった典型的な 私は 2 日目の三村將教授によるセッションで、精神医学は、外 大学生活を送ってきた。むしろこういった生活が大学生にとって 科と違って心の病を治療するため一見「死」とは関わりがない 当たり前だと思っていた。だが、心の底に、常にある疑問を抱え ように見えるかもしれないが、そうではない。例えば自殺未遂を ていた。それは、 「何のために生きているのだろう、生きるとは おかした者、すなわち「死」と隣り合わせにいる者に、自殺を二 何だろう」ということだ。しかし、この疑問を他者に打ち明ける 度と繰り返さないためのアドバイスをすることがあると教わった。 ことに、きっと「そんなことを考えるなんて、無駄だ」と言われ また、治療を受けた自殺未遂者の大半が「あの時死なないでよ るだろうという一種の恥ずかしさを感じていたため、誰にも話さ かった」と思う傾向があるということを教わった。これは、一度 ずにいた。そんな時に、私は生命について深く考える「庄内セミ 死と直面し、積極的に生きるための治療を受けることによって、 ナー」と出会い、参加を決意したのである。 〈都会と庄内〉 今まで悲観的な見方でしか捉えることのできなかった生を肯定 的に見ることができるようになったということである。 私は庄内を訪れて、都会に住んでいる私たちと庄内に住んで 一方で、即身仏は飢餓などといった悲観的な時代背景に、行 いる人たちとの「生」に対する意識の相違を強く感じた。ここ 者が修行を行い、敢えて自ら死を望み、世が良好となるように祈 で、都会と庄内とを比較してみることにする。都会に住んでいる るものである。また生き仏と呼ばれるように、新たに生まれ変わ 我々は、情報の速さや利便さを追い求める傾向がある。一方で、 ることでもある。 庄内で生活している人々は「目立たず、騒がず、ひっそりと」を では、自殺未遂者に対する精神医学的治療と即身仏から何が モットーに、身の丈にあった生活を送っている。また、都会では 言えるか。それは、両者とも悲観的な生に対し、死という世界に なるべくプライバシーを尊重しようとし、他人との接触を控える 直面することで、新たなかつ積極的な生を手に入れることができ のに対して、庄内ではいのちを自分一人では完結できないものと る手段であるということだ。つまり、患者と行者は生と死を境に、 し、いのちをつなげるためにも積極的に人と関わろうとする、土 新たな自分に生まれ変わることができるということである。 着の強さが垣間見える。さらに、都会では金銭でより快適な生 〈最後に〉 活を送ることが一般的であるのに対し、庄内では近所の人との 私は、この庄内セミナーに参加して「生命」についての考え 物々交換や子育ての助け合いといった人とのつながりで生活を 方が大きく変化した。私は、庄内の地を訪れるまでは「生命」 送ることができるのだ。庄内の人々の生き方を目の当たりにして、 並びに「生きる」ことを、まるで他人事のように外面的にしかと 「生命」の背後には、自分を支えてくれるはかないいのちの存在 があると、私は考えた。 〈宗教的観念から見た生と死〉 20 とは別のものではなく、不可分なものであると考える。なぜなら、 おそらく「生命」について深く考えたことがある人はほとんど らえることができなかった。それは、TTCK に着いてまもなく書 いたマインドマップからも見て取れる。しかし、庄内で、人々の 生き方や古くから伝わる即身仏などの伝統、また中国の孔子から 庄内地方にある湯殿山は、即身仏で有名な場所の一つである。 生き方を学ぶ庄内論語、自ら身をもって体験した修験体験、一 即身仏とは、凶作や天災、飢餓などといった時代背景に、行者 方で未来を先駆ける先端生命科学と出会った。自分の中にある は生きている間に、あえて五穀断ちまたは十穀断ちなどの激しい 死生観を根底から覆されるようなことを数多く、庄内で学んだ。 修行を行い、自らの屍体の腐敗を生前のうちに防いでおくことで そして、私は「生命」というものを自分に引きつけて考えること ある。即身仏は、自ら究極の死を感じさせる屍体であり、死んで ができるようになり、庄内で学んだすべてのことが血肉化したも いるのに生きている感覚であると言われている。私も、実際に注 のとなった。だが、まだ「生命」とは何かという定義に関しては 蓮寺で「鉄門海上人」を目の当たりにして、 同じような印象を持っ はっきり答えることはできない。なぜなら、 「生命」とはあらゆる た。だが、よくよく考えてみると、生者があらかじめ自らの屍体 角度から見ると、多様に変化するものであるからだ。しかし、庄 の腐敗を予防するということは極めて不可解なことである。その 内の地で学んだことを基盤にこれからも「生命」とは何かという 背後には、どのような死生観があるのだろうか。私は、即身仏と ことについて自ら問い続けていきたい。 なった行者が生き仏と言われているように、彼らにとって生と死 参加者レポート 201508280831 商学部 4 年 高橋 慶 8 月 28 日、わたしたち 5 人は途方に暮れていた。 「生きること きることとは何か」を考えるのではなく、わたしたち自身にとっ の意味を問う」というテーマを前にして。 て避けられない生と死、そして生活について、自分そのものを重 わたしたちは、生きていながらにして、いやむしろ、生きてい ねあわせるための内容であった。 るからこそ、 「生きる」ということを自分の身から剥がして眺めよ 身体は、こんなに近かっただろうか。頭を冷たい水に打たれ、 うとしていた。ひとは成長するにつれて多くの社会的なコミュニ 水の重みに意識がどんどん透き通っていくなか、そんな気持ち ティに属すようになり、そうして毎日少しずつ自分のなかの世界 が肺の奥から静かに湧いていた。 が押し広げられていくたびに、主観だけに依存していてはコミュ 死は、どこにあるのか。即身仏は死ではない。死んだ身体で ニティのなかで生きていけないことを自然と身体で覚えてしま ある。どこに死はあるのか。けれど生き物はみんな死ぬことを知っ う。ひとつのモノを自分の視点から眺めるだけでなく、一歩引い ている。この即身仏の魂は、意識が身体から離れる瞬間、どこ た視点から観察し、分析したり、考察した結果を他者と共有し へいってしまったのか。何を思っていたのだろうか。即身仏のう たりすることで、 「わたしの見方」と「他人の見え方」の差を意 つむきがちな眼差しと、わたしは対話を重ねた。 識しながらモノを考えるようになる。わたしはそういう頭の使い 最終日、マインドマップを作成しながら、わたしたち 5 人のあ 方をしながら特にここ数年を生きてきてしまったため、 「生きるこ いだには長い沈黙が漂っていた。初日にも沈黙の瞬間はあった。 と」という生々しい問いを目の前につきつけられても、はじめは しかし皆がなるべくそれを避けようと、とにかく自分の知ってい そこから一歩引いた、ある種擬似的な「生の外側」の立場から ること、 考えていることをたくさん喋っていた。しかし、 8 月 31 日、 それを観察し分析することでしか自身の生を考えることができな わたしたちは何かを語るということに、とても慎重になっていた。 かった。初日にマインドマップを作成した仲間たちのなかでも、 誰もが、自分は「生きること」について分かっていた気になって 「自分の生」は「生」という大きな事象に包括されるひとつの小 いただけであった、ということに気がついていた。自分が今、生 さな事例に過ぎないという合意が自然とその場に生まれ、ゆえに、 きている真っ最中だからこそ、苦しくて、息も切れ切れで、喋る 紙の上には頭で考えた「生に関する知見」があふれた。 「生って ことなんてとてもとても、という気分であった。初日にわたした いうのは…」 「今までこんな風に生きてきて…」と、わたしたち ちは、生きることを走ることに例えた。わたしたちは走っている はこれまでに経験した「生」を、過去のそのときを生きた自分と 人間の喘ぎではなく、道から彼らを見守るものとしての言葉しか、 は離れた今の自分の考察として互いに述べた。そのとき、 「生き 今は使えないのではないのかと。走っていなければ分からないこ ること」を駆け抜けている身体は、とても遠い場所にあった。な とをたくさん探そうと。そうして 4 日間を走り抜けて分かったこ によりわたしたちは、自分が生きてきたことについて述べること とは、 自分の身体や心、 あるいは「生きること」そのものについて、 に精一杯で、どうして自分は今ここに存在しているのか、という 今を生きている人間の視点から分かることは本当に少ない、とい ことに関しては、まったく無関心であった。当たり前であるが、 うことであった。しかしそれと同時に、走っている人間は、道端 人間は一人では生きていけない。帰る家があることから、飲む水 で応援してくれる人の存在に支えられていることに気がついた。 があるに至るまで、そして何よりも自身の生をつないでくれた存 8 月 28 日、自分は観客なのかもしれないと思い込みながら、 在無しには、わたしたちは在るということすらできなかった。し わたしたちは自分の走る道だけを見ていた。8 月 31 日、わたし かし、初日にそのことを口にした者はなかった。これもまた自身 たちは、道から聞こえる無限の声援に耳を傾けていた。庄内セ の生について「何を為してきたか」という外側からの観察にのみ ミナーに参加して変わったことは何か?と問われたら、わたしは 焦点が当てられていることの証左である。 真っ先にそう言うだろう。 庄内セミナーでの体験は、全力でわたしたちの身体に「生き この 4 日間に名前をつけることは、できない。この経験の意味 ること」を突きつけた。これはこのセミナーにおけるプログラム をすべて知ることも、きっとまだできない。わたしはまだ走って の特徴のひとつである。庄内セミナーは「参加者に何かを感じ いる最中だから、振り返るにはあまりに距離が近すぎる。けれど、 させよう」ということを目的とせず、ただ自分の身体に訴えてく この日を境にわたしは、聴こえなかった声が、少し聴こえるよう る体験が数多く用意されていた。それは、修験や修行や論語素 になった。今までに気が付かなかった観客の眼差しを、少しだ 読といった直に身体を使う体験はもちろんのこと、即身仏という け感じられるようになった。その特別な 4 日間もまた、わたしの 死の形を見ることもそうであるし、夜に行われた講演も、頭で「生 走った道の記録として、日付を残しておこうと思う。 21 2015年度「庄内セミナー」報告書 22 「生命」を考える 法学部(政治)1 年 橘 かおり 東京から新幹線で約 3 時間半、山形県鶴岡市は山々の景観 り階段は余裕をもって、運動するような感覚で昇ることがで が美しく静かで自然豊かな町だ。その中に荘厳と佇む TTCK きたが、下り階段がまさに地獄だった。とてつもない恐怖 (Tsuruoka Town Campus Keio)から始まった 3 泊 4 日の庄 の中、後戻りできず進むしかない下り階段を決死の思いで進 内セミナー、その中で今後の大学生活及び人生に大きく影響 んでいくのである。泣いたら涙で視界がぼやけてしまう。自 を与えるような学びや気付きを得ることができ、そこで過ご 分が進まなければ後ろにいる人たちも進めない、極限の状態。 した時間は非常に実りあるものであった。4 日間に凝縮された そんなとき、山伏引率の方が前に出てゆっくりペースを保ち 多くのプログラムの中でも特に私の琴線に触れたことを記す。 ながら先導してくれた。そうすると自然と恐怖が和らぎ、格 庄内の地に住む方に様々なお話を聞かせてもらったが、こ 段に降りやすくなった。このとき、これは人生だ、と直感し の地で語り継がれる歴史・文化の中でも特に印象的だったも た。過去には後戻りできず、未来へと自分の力で進むしかない。 のは即身仏だ。事前に話を聞いて想像していたのは棺の中に 立ち止まって泣いたら何も解決しないどころか前が見えなく 横たわっている白い骸骨が祀られている光景。しかし、注連 なってしまう。そして、本当に困ったときは誰かが手を差し 寺で初めて目にした即身仏「鉄門海」は、人間の形のまま座 伸べ助けてくれる。逆に得意分野は自分だけの力で乗り越え 禅を組んだ状態で保存された“仏”であった。目の前にある て行くことができるが、そのときは困っている人を助け導く ものが自分と同じ人間である ( った ) こと、生きていたものが べきであるということ。当然の考え方として認識はしていた このように保存されていること、全てが衝撃的だった。骨の けど実感できていなかったこれらのことが、参詣の修業を通 塊でもない、確かに”人間”がそこにいた。 して与えられた気づきであった。 即身仏になるためには千日以上の厳しい修行の後、体内の さらに医学部精神神経科三村教授のお話で現代日本の死生 水分・脂肪分を減少させながら漆を少しずつ体内に蓄積させ 観についても考えさせられた。日本で自殺・自殺未遂者が多い ていき、生きたまま土の中に入る。そしてお経を唱え死後 3 理由の一部には、生きることを軽視している風潮が挙げられ 年 3 ヶ月後に掘り出してもらう、という行程が必要である。 る。日本人は無宗教の人が多い。だからこそ、それぞれのここ 苦行を通して自らの罪と汚れを取り除き、永遠の生命と肉体 ろの拠り所がバラバラだったり、曖昧な部分がある。よく、祖 を得ることにより、飢饉や悪病に苦しむ人々の難儀を代行し 母と話していると、 「それはありがたいことだね」 「感謝しなきゃ て救済するために自らの生命を捧げるのだ。最終的な使命と いけないね」などという言葉が会話の中に頻繁に登場する。言 しては 5 億 6 千年後に菩薩が人々を救いに来たとき、人々(生 われて初めて、 「ああこれは感謝するべきことなんだ」と気付 者・使者)を呼び起こす役目を担っている。湯殿山は元々菩 かされることが多々ある。祖父母の代になされていた、儒学の 薩信仰であった。注連寺に祀られていた「鉄門海」は 2 千日 学びや、生きることの厳しさ・感謝する気持ちの教えを享受す 以上の厳しい修業(木の実・皮のみを食す、冷たい池に入っ る機会が減少してきているのではないだろうか。だから子ども てそのまま托鉢を行う等)を経験した後、人々のために加持 たちに庄内論語を素読させることは意義があり、とても素敵 祈祷をした。江戸で眼病が流行った時は自らの眼球を繰り抜 な文化である。論語は何度も素読していると心に染み付いて、 いて祈祷したほどである。即身仏になると決意した上人は、 困ったときに頭に浮かんで助けてくれるという。子どもの頃か 死を迎える瞬間までの生き様が定められる。これほど死ある ら繰り返し学んでいると人生の得になるだろう。 いは死後のことを意識しながら生きる人びとは他にいるだろ 最後に庄内セミナー初日の「生」についてのマインドマップ うか。今回のセミナーのテーマである「生きることを考える」 ①と最終日のマインドマップ②を比較し、自分の生命観の変化 上で死について考えることは重要なポイントであるが、即身 を振り返る。マインドマップ①では基本が(精神的、 身体的な) 仏との出会いは私の死生観に死を意識しながら生きるという エネルギー・動物・健康・スケジュールで、それぞれから派生 点で影響を与えてくれた。 するものは具体的な単語が多かった。死については不明なも 即身仏が行っていた修業や実際の山伏修験とはレベルが異 の、 闇など、 非常に曖昧であった。マインドマップ②においては、 なるが、山伏一日体験は私にとって過酷なものであり、新た 基本がエネルギー・気持ち・生き方・死の 4 項目で具体的な単 な視点を得られた充実した経験となった。特にその中でも、 語が消え、精神的な課題や死に関する単語が増え、軸がはっき 2400 段の石段を昇り降りする参詣が一番の苦業だった。幼 りしている印象を受けた。これからの学生生活そして人生にお い頃から苦手としていた階段、特に下り階段を、手すりを使 いても、庄内の地で出会った文化、人びとを一つの心の拠り所 わずに、そして誰の手も握らずに昇り降りするのである。上 として、そして新たな自分との出会いを大切にしていきたい。 参加者レポート 「生命」を考える 理工学部 1 年 田中 えりな 私は庄内という、穏やかで豊かな土地で、貴重な体験をし も、経済的困窮が定義される社会も、これらを存在たらしめ て様々なお話を聞くことが出来ました。最終日にはまとめ ているのは思考です。人の悲しみを作っているのは人の思考 のマインドマップを作成しましたが、その際 4 日間で得た知 だとも言えると思います。考えて、想像することが出来るか 識をすべて書きだしました。すると、いままで個別のものと らこそ、思い悩んで精神を痛め、さらには身体を死に近づけ して捉えていたキーワード達に共通点や流れがあることに気 てしまいます。三村先生は臨死体験のお話もして下さいまし 付き、また、そこから新たな生命観を得ることが出来ました。 たが、この臨死体験も脳の五感を司る部位に異常が起こるこ ここでは、密度の濃い時間で得る事の出来た、その生命観に とで発生する現象だそうです。命の重心が思考に傾きすぎる 関して述べようと思います。 事で身体がないがしろにされている状況の、代表的な例とい 私が出した結論から言いますと、「人間の身体と魂は、生 えるでしょう。思考することを覚えた人間は、どうしても魂 まれた時には表裏一体であるが、生きていくにつれて魂が身 に左右されがちになってしまうのです。 体から独立してしまう」ということになります。この結論に これら 2 つの気づきから、私は上記の結論を導きました。 至ったのは、2 つ感じたことがあったからです。 普通に生きているだけではきっと、魂と身体の距離は離れる ひとつは、「身体は魂(= 思考)の意志とは関係なく、生 ばかり、それどころか重心も魂によっていきます。バランス きようとしている」と思ったことです。東山先生のお話にあっ を崩し、コントロール不能になってしまえばうつ病などの症 たように、全ての生物は大きな流れの中に生きていると思い 状を引き起こしかねません。現にうつ病を患っている方々は、 ます。バトンタッチしながら何十億年もの生命の歴史を絶や このような自制のきかない魂に振り回されているのではない さず守り抜いてきました。バトンを受け渡すため、生物には か、と私は考えます。 生殖を為そうとする本能が備わっているのだと思います。こ そして修業は、魂を身体に引き戻すための行為なのではな の生殖本能のために、動物としての人間の身体は、生き続け いでしょうか。私たちが体験した山伏修行では、五感を意識 るはずです。吉野弘さんの「I was born」という詩では、生 する機会が非常に多かったように思います。山を登ること 殖のためだけに生きているように思える蜉蝣という虫が登場 で心臓の動きを感じ、滝行の後には体温の暖かさが心地よく。 します。その事実が悲しいかどうかは別にして、生物は基本 南蛮燻では自然に呼吸できることの喜びを知りました。五感 的に「生きる」ようになっていると思います。また、三村先 をフルに活動させているとき、不思議と思考はあまり働きま 生は、自殺を試みて失敗した人が全生活健忘という症状を引 せん。ただ漠然と、自分が生命体であることを思い出すよう き起こすことがあるとおっしゃいました。この話から、人の でした。修業を行う事で、生まれた瞬間の、魂と身体が表裏 身体は自分の生活史を忘れてまでも生き続けようとしている 一体な状態へとさかのぼることが出来る気がします。修行体 のだ、と思いました。加えて、食事の量を減らすと、身体が 験をした際、 「皆さんは生まれ変わります」と山伏の方に言っ 飢餓を察知してアンチエイジングの遺伝子が活性化されると ていただきました。その言葉はおそらく、思考を 0 の状態へ いう話も聞きました。この話からも、身体は飢餓に強く反抗 近づけることで動物としての人間の姿を思い出させるという して執拗に生きようとしていることがうかがえると思います。 意味合いもあるのでしょう。 ふたつめには、「脳が発達している人間だからこそ、思考 日常的に思考している人間が、思考しないことは簡単なこ が独り歩きして身体をむしばんでしまう」と思ったことです。 とではありません。よって魂を引き戻すこと、つまりいまま 人は高度な思考を持っていることから恩恵を受けることがで での流れを逆行することは、難しい作業のはずです。即身仏 きるが、同時に毒を生んでしまうのだと思います。恩恵と は、即(表裏一体)身(身体)仏(魂)という意味合いから は、文化や科学技術のことです。今回のセミナーの最終日に 名づけられています。修業を完全にこなして、表裏一体の状 は TTCK を見学させて頂きました。日本の最先端施設での 態へと逆行しきった存在だということです。苦行を耐え抜い 研究内容は生活に密着したものが多く、明るい未来が想像で たとうことだけでなく、誕生の瞬間への逆行という偉業を為 きて心躍りました。これぞまさに文明の利器です。しかしこ したからこそ、即身仏はスーパースターとしてあがめられる の思考(= 魂)こそが、人間を苦しめるもとになっていると 存在だったのだと思います。 もいえます。三村先生は自殺を試みる理由の上位 2 つは、病 これらが、私が庄内で得た生命観です。 気と経済的困窮だとおっしゃっていました。病気という概念 23 2015年度「庄内セミナー」報告書 「生命」を考える 文学部 4 年 田中 苑子 この夏は、実に色濃かった。真夜中に庄内の山奥にて生き ルで捉えることが多かった。東山昭子先生の「自分を支えて た歴史を目撃したり、片道 25 時間以上かけてひとり絶海の くれている、はかない命にどれだけ眼を向けられるか」とい 離島へ出かけたり…ここには書ききれない程に多様な経験を う講話に始まり、生きたまま仏になり後に人々の信仰の対象 した。それらどの体験においても、これまでのボキャブラリー となった即身仏、安楽死という(周りの人々を巻き込む)選 にないような種類の色に多く出会ったし、またそのどれもが 択の是非など、人々との“つながり”の中で成立する“生” 強い色彩感を放って私に語りかけた。 というものを幾度も感じた。これらは今まであまり意識する もちろん私はこれまでも夏を幾度となく経験している。人 ことのなかった感覚であり、とても大きな収穫であった。 に自慢したくなるような大切な経験もいくつもある。だが、 だが、それと同時に、それらの感覚をそのまま自分事にする どういうわけか今年の夏は少し色合いが違ったのだ。 にしてはどこか違和感があった。 考えるに、 おそらく私は “自分・ 思い当たる節はある。おそらくひとつは、就職という進路 個人所有の” “生”に対して、人一倍執着心が強いのだ。それ が決まったこと。進路決断自体は何度も経験してきたことだ はひとつのことだけをずっとやり続けてきたという経験に基 が、学生という身分を捨て社会に出るという決断には一種の づく価値観によるものかもしれないし、もしくは生まれもっ 終着点的趣きが伴い、これまでとは違う心情の変化をもたら た性格によるものなのかもしれない。いずれにせよ、その感 した。そして、もうひとつは、前述に伴ってピアノと初めて 覚をそのまま自分事に持ち込むにはどうにも距離感があった。 距離を置いたこと。これまでの私はいつもピアノと一心同体 であって、練習に追われるという時間的側面はもちろん、価 ここで、先ほどの“軸”の話に戻る。前述のとおり、今年 値判断という側面においてもピアノを常に最優先において物 私は 20 年来の軸を捨て、生まれたてのように真っ新な夏を 事を選択してきた。 過ごした。そして、 それは予想に反して素晴らしいものだった。 これらの変化によって何が変わったのか。それは、ある種 何故か。何故わたしは一切の負の感情を抱くこともなくた の“軸”が外れたということだと思う。これまでは、モラト だただ日々を味わうことができたのか。“自分で決断したか リアムという名のもとピアノを主軸に置き、良くも悪くもそ ら”というのがひとつの解であるが、もうひとつは、すな れを中心にして生きてきた。学生終了というモラトリアムの わち“つながりがあったから”というようなところだと思う。 終結を目前に感じ、さらにピアノという軸を取り払ったいま、 食物連鎖というレベルでのつながりももちろんそうであるし、 私は、初めて“ただ生きる”夏を過ごしたのだ。 その他にも、常に見守ってくれている家族、面白いことに付 20 年間毎日続けてきたものをいきなりやめるのだ。普通 き合ってくれる友人、物やサービスを通してつながる人々、 に考えれば何かしらの不安感や喪失感を感じそうなものなの 旅先で出会う人々等、世の中には様々なつながりがあった。 に、不思議なことに私は一切そういった感情を持たなかった。 私が純粋に夏を味わうことができたのは、これらのつなが 本能の赴くまま何の制約を受けることもなく、今までならピ りに自分の影を落とすことができたからだと思う。長年ただ アノという優先事のもと避けていたであろう不思議なセミ 自分と向き合うことで自身の中に築き上げてきた軸が、結果 ナーや、長期の一人旅等に出かけ、それらを全身で味わいな 的に自らのアイデンティティや強みとなり、外へ発信する自 がら日々を過ごした。 己表現や意思疎通のツールとなった。そして、何より大きな ことは、それらを受けいれてくれるつながりに恵まれたこと 私は、事前課題において“生きること”と“生き続けるこ だ。軸は、他と交流して初めてその威力を発揮するのだ。こ と”は違うといった趣旨のことを述べた。そのときしたいこ れらの発見は、私にとってとても大切な気付きであったと同 とだけをして“生きる”というのならば話は簡単だが、 “生 時に、これから別世界で生きていく上での強い自信となった。 き続ける”ということを前提にした途端、お金やステイタス 24 等が絡んできて物事が複雑化する。前者は咀嚼経験があるの “生きること”と“生き続けること”は違う、というのは に対して後者にはどこか他人事のような隔たりがあり、これ ひとつの真実であると思う。ただ、相互間には思わぬかたち らの問題とどう付き合えば良いのかが分からないという内容 である種の“つながり”があるはずだ。まずは目の前のこと だったように思う。 に全力で取り組み、その上で自身が生かされているあらゆる 実際のセミナー中は、 “生”を、個を超えたより大きなスケー つながりに目を向けることが重要なのかもしれない。 参加者レポート 「生命」を考える 法学部(政治)2 年 田沼 悠 「つながる命」 ―私たちが生命について考える時、その を持っているからだろう。仮に自殺賛成を謳っている人がい 大半が自分自身の人生や命を思い浮かべるだろう。しかし、 るとして、その人は身内や友人や恋人の自殺を心から勧める 実際私たちは一人で生きてはいけない、また人生を全うする ことはできるだろうか。ただ一つ私が言えることは、人が自 ことは到底できない。したがって、ここでは人とのつながり ら命を絶つことほど愚かなことはないということだ。生きる に焦点を当てて考えたい。 ことは誰もができることではない。地球が誕生して約 46 億 東山昭子先生が紹介してくださった吉野弘の「生命は」と 年。気が遠くなるような歳月の中で、生命なるものが芽生え、 いう詩を引用する。「生命は自分自身だけでは完結できない 今に至るまでの歴史を辿れば、この地球でたくさんの物語が ようにつくられているらしい 花もめしべとおしべが揃って 生まれてきた。これからもこれが続いていく、そう私たちは いるだけでは不十分で虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立 信じているし、もしくはそんなことも気に留めず自らの道を ちする 生命はすべてそのなかに欠如を抱き それを他者から 歩んでいる。しかし、この宇宙が地球がどうして発生したの 満たしてもらうのだ(中略)私も あるとき 誰かのための虻 かも定かでなければ、いつこの地球が宇宙が消滅するのかも だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもし わからない。この曖昧な世の中に生命体として生まれた私た れない」 。この詩を聞いた時、生命の意味を少し理解できた ち、21 世紀を生きる私たちには何らかの使命のようなもの ような気がした。私たちの生命は他の命の犠牲の上に存在し があるのではないかとつい考えてしまう。だからこそ自殺は ている。儚い命の存在、例えば牛や豚や鶏などの動物、そし 愚かな行為だと感じてしまうのだろう。生きている喜びを感 て野菜などの植物。人という生命を維持するために死んでゆ じたことがあるのなら、自分の意志と関係なく生まれたこと く多くの命を普段どのくらい意識しているだろうか。人間を を嘆いてはいけない。 含む動物間のつながる命、そして人間同士のつながる命。今 人は無から有になり、無に帰る。そこには魂などの観念は 日私は誰かの生命の役に立ったかもしれない。今日私は誰 存在しないという私の考えはセミナー前後で変化はないもの かに助けられたかもしれない。それは知りも知られもしない、 の、一つだけ変わったことがある。確かに肉体は消えて、無 そんな無関係な間柄の他者間のやり取りに過ぎないかもしれ になり生産的ではなくなるが、その人が生きた証、生き様、 ないが、それが確かにこの世界を生かしている。些細なほん 歴史は生産的であり続けるということである。それが「つな の一瞬の出来事が、人の命を紡いでいく。私たちはそんな世 がる」ということだと思う。人は人の中で生き続ける。つま 界に生きている、そう感じている。 り、死は終わりではなく、継承するという意味において、つ 即身仏という言葉を 19 年間一度も耳にしたことがなかっ ながりの始まりでもあるということだ。私たちが受け継いで た。修業とは言え、そのような死の選択があるということは きたこの DNA の中にも先祖の生きた証、精神が刷り込まれ、 大変衝撃的だった。私にとって死ぬということは歳をとって、 今の自分なるものを形成している。この課題を書き終えれば、 体が衰えるまで生き抜いたその先にあるという認識だった。 また日常へ、つまり生を意識することのない生活へ戻ること しかし、即身仏と対面してから「死ぬことは生きること」と になるだろう。しかし、ふとした瞬間に生きる意味を考える いう考え方が腑に落ち、人生の終わり方は人それぞれ自由で ことができれば、これからまだまだ長い人生を有意義に過ご あって当然なのではないか、死に方を選択することは生き抜 せそうだ。いつかこの世を離れる時、 その一瞬に一生が詰まっ くことなのではないかと思うようになった。しかし、かといっ た、そんな死を迎えられたら幸せだと思う。そのために、何 て自殺や安楽死を肯定できるかと言われればそう簡単にはい 気ない毎日の中で自分自身と本気で戦って、限られた時間を かない。人には生きる権利があり、同じように死ぬ権利があ 惜しみながら生きていきたいと思っている。 る。他者が口を出す資格もなければ権利もない。どの死の選 今日、誰かに救われたとしたら、明日、私が誰かに幸せを 択をしようが個人の勝手であるにもかかわらず、それを全面 届けたい。明日、誰かのための風になりたい。 的に肯定できないのは私たちには良心や情、すなわち「心」 25 2015年度「庄内セミナー」報告書 「生命」を考える ー感覚をひらくこと 文学部 2 年 中西 未友樹 1.はじめに 彼の人生の晩年の選択と自己との戦いが、集大成として今私 私は、庄内セミナーで感覚が解放されるのを感じた。感覚 の目の前に即身仏となって化身している。 「これが人間の生の が解放される、つまりアンテナを強く張って、受信したもの 力だ」と、生のエネルギーを発散している。 に敏感になり、精密にそれを考えること。身体感覚を研ぎ澄 木や金属と比べて人は脆い。しかし、自在に動き回り、物 ませることは、 「生」に対してより誠実になるということだと を考え、それ同士が絶え間ない交流をする。常に動き互いに 思う。 影響を与え合う存在であるからこそ、病気・老衰・自殺・他殺・ 一部の行程を振り返りながら、現時点の私にとっての「生」 事故……と挙げきれない無数の死に方がある。その中で、仏 について考えていく。 になってからの命が短いことは承知の上で、即身仏として命 を捧げることを選択する。そして、死に方を選ぶことは生き 2.一枚の紙にさえ「生」が現れうる 方を選ぶことでもある。人間として享受できる快楽のほとん 一日目、 「生」を中心にしたマインドマップを作成した。歯 どを拒否し、自らを、身体感覚で知覚できるものをはるかに ブラシ、コンビニ(アルバイト先としての) 、大学、カレンダー 超えた大きな流れに、丸ごと投じる。この、滅多に出来るこ ……。紙一面、縦横無尽に派生した「生」を見ると、私にとっ とではない生き様が今目の前にあるのだ、この生き方を選択 て、 「生」 はほとんど身近なものの集合体だった。対照的に、 「死」 した人が確かにここに居るのだ、と気づいた瞬間に、私は神 は、後から思い出したように頼りなく関連付けられていた。 格に対するそれである畏怖を覚えた。 マインドマップは、文字通り心の地図。一枚の紙がその人 を表しているといっても過言ではないことが、とても興味深 4.感覚がひらく かった。項目自体は少なくとも、本質を突く言葉を慎重に選 三日目は山伏修行体験。羽黒山踏破では、上りと下りで全 ばれている方。生の二面性をニュートラルにとらえ、文に近 く違うものを考えていた。 い形の項目で考察されていた方。上向きのエネルギーを感じ 上りでは、前の人に、列に遅れずについていくことを第一 る項目を多くあげ、マップにも色をつけカラフルに分類され に考えていた。金剛杖をどう使うか、呼吸をどう整えるか。 ていた方。出会って二時間で、その人の人生観を垣間見てい 目の前に続く白装束の流れの一部であるために、自分の体を たという事実は、恐ろしくもあった。 どのように調整すべきか、頭からつま先まですべての神経を 意識していた。参加者の一列を、ひとつの生き物のようにと 26 3.人の脆さと強さ らえていた。そして、私が普段どれだけ身体を意識していな 二日目は、注蓮寺で鉄門海上人の即身仏を拝観した。即身 かったかをまざまざと思い知らされた。指、手のひらのどこ 仏がどういったものであるのかは以前から知っていたが、い に杖の角が触れていたか、呼吸のペースの速さはどのくらい ざ対面してみた第一印象をそのまま言ってしまえば、 「美術品」 だったか、腿がどこまで上がったか……修行体験から二か月 であった。供物の供えられたガラスケースの中に、笑顔にも が経過しようとしている今でも、私はそのすべてをありあり 見えるお顔の御仏がいる。それこそ美術館に展示されている と思い起こせる。 ような、 「歴史的価値が非常に高い、すべての人に共有される そして下りでは、自分の身体隅々まで十分に行きわたった べき財産」であった。しかし、その印象はすぐに砕かれるこ 知覚が、確かに外界まで広く及んだ実感を得た。下りは、私 ととなる。 は完全に自分のペースで歩いていた。前後に白装束の列は見 鮮やかな布の服は定期的に着せかえられ、古い服の生地は えず、時折前に一人の山伏を見るか見ないかという状況だっ お守りなどにもなる―死後着用した服に「お守り」としての た。一つとして同じ表情でない隆々とした根が、すぐ触れら 価値が付与されるということは、即身仏に人格と神格が同時 れる位置に息づく。そして上まで力強く伸びる幹、さざめく に認められている証拠である。しかしながら経年によってい 葉の音。向かいから上ってくる観光客の話声、足音、私に気 つ朽ちてもおかしくない、細心の注意を払うべき存在であり、 が付いた時の表情の変化。挨拶だけでなく、話しかけて下さ うかつに触れることも難しい。 る方も少なくなかった。時折現れる拝殿、賽銭のされた石。 一方、黒く光る肌には強大な生命力を感じ、向きあい続け 上りでも参拝した五重塔に再会したとき、思わず時間を忘れ るほどに、目の前に確かに息づいている存在だとしか思えな て立ち止まり、そして祈った。塔を見上げた時、私のすべて い。鉄門海上人はもう人としての死を迎えているはずなのに、 の感覚が周りの木々のように一直線に真上に伸びていったよ 羽黒山踏破、滝行、床固め。これらでは、命に聖性を感じ 「命」の対になるもの、分類されたときに生まれるべきもう一 つの存在が見つからないのである。 ていた。羽黒山の上りでは、知っていると思っていた自分の 身体が、ここまでの情報を受け取っていたのかという驚きを 6.まとめ 覚えたが、これは自分の体に聖性を感じていたのだと考えて 今回の庄内セミナーで、元から知っている人は先生を含め 差支えないと思う。それと対照的に、南蛮いぶしでは自分が てもほとんど居なかった。そして、行く場所・体験する場所 いかに俗な存在なのかと感じさせられた。 は私を含めほとんどの方が初めてのことだらけだったはずだ。 結論から言うと私は早い段階でリタイアした。開始早々に 年齢も性別も属しているコミュニティも十人十色で、強いて 咳き込んでしまい、そのまま呼吸困難になり、意識が遠のき 言えば「慶應」という共通項があるのみだった。山伏修行体 かけた。部屋から出た後も咳や涙が止まらず、周りに誰がい 験をはじめ、行程内で見るもの出会うものに対して、一人ひ るのか、私に手を差し伸べてくれたのは誰なのか、私はどの とり反応が違うし、きっと考えていることもまったく違うだ あたりの壁に寄り掛かっているのか、 何も分からなかった。 「苦 ろう。いわば、未知にあふれた環境だった。そういった環境 しい」という危険信号だけで、羽黒山であれだけ開いたはず の中で感じること、そして人に与える影響というのは、ほと の感覚がここまで制限され、不自由になってしまう。人はこ んどバイアスのかかっていない、その人本来の性質だと思う。 こまで危うい存在なのかと思うと同時に、なぜか一種の安心 ( 「庄内セミナーという学びの空間である」というバイアスは 感を覚えていた。私はここで、明確に「生きている」と感じ かかっているが、これは学習者自身の感覚をより鋭敏にする たのである。日常に、俗世間に引き戻されたような、そんな 方向に働くものだと思うので、本来の性質をよりとらえやす 感覚だった。 くなっているものだ、とする。 )この四日間で魅力を感じたも 参加者レポート うに錯覚した。 の、人とその言動は、日常生活での同様の発見以上に、自信 5.聖俗と生死 を持っていいものであるはずだ。人の魅力は数値や賞で測れ ここで、聖俗と生死についての、現時点での私の考察を挟む。 るものではないということは、言うだけならば簡単だ。しかし、 大辞林で「聖俗」を引くと、 「①聖人と俗人。②宗教的なこ この四日間で私は、初めてこのことを本当に理解できたと感 とと世俗的なこと。 」という意味を参照できる。 「俗」と言う じた。 とあまりいいイメージを持てないかもしれないが、私は聖が 「死」 、俗が「生」にそれぞれ親和性の高い概念なのではない 三章で、即身仏を通して人の脆さと強さについて述べ かと考えた。 た。そして、四章で人の感覚に関する聖俗を考えた。脆い生 聖という言葉を使うとき、人を超越した、神的なものを意 物である人同士が、一人ひとりそれぞれの感覚を持ちながら 図する。対して俗は、卑近な、身近なものである。身近であ 互いに交流し合っている。その交流の中で人は影響を与え合 りふれたものを超えた、つかみ取って知覚することが難しい い、それぞれ違う死生観を無意識下に構築していく。そし ものが聖だとするならば、それは死ではないだろうか。宗教 て、そういった死生観は、マインドマップのようないたって の大きな役割の一つには死後の世界、そして救済がある。ほ 簡単な手法で表に現すことが出来るし、現れてしまうとも言 とんどの宗教では、死後、人は神に謁見できたり、そこまで える。人はある面では単純で、ある面では複雑だ。 「命を大切 は行かずとも生前よりは近い世界に行けたりするとされて に」と言うのは簡単だ。しかし、人々の種々の要素が無限の いる。死は肉体の最期であるために、生の終わりという、ど 可能性の中で関係しあって、それぞれの命があるのだと気が ちらかと言えばマイナスの印象が先立つ。しかし逆に言えば、 付けた今、私はこの言葉を安易に口に出すことはできなくなっ 俗な世界を脱する瞬間でもある。聖と死、俗と生。一般的な た。これは、四日間という短期間で得るには、あまりにも大 イメージの明暗が逆なもの同士に親和性があると考えると、 きく尊い収穫だったと実感している。 これらを分けることの意味が変わる。人が何かを理解しよう とするときにはどうしても分類する作業が必要になってくる。 最後になりますが、ここでお礼を申し上げたいと思います。 生と死、と分類するとき、確かに身体的には違う状態ではあ 庄内セミナーは、環境にも、メンバーにも、何もかもに恵ま るが、考えを突き詰めていくと最終的には同じ何かを考える れていました。この四日間で関わった皆様にはいくら感謝し ことに行きつく。死が怖いのは、肉体的最期であること以上 ても足りません。またお会いできる日を心待ちにしつつ、こ に、 「生」とひと続きの概念であるから、つまり分類が出来な のレポートを締めさせて頂きます。本当に、貴重な体験をさ いからだ。仮に生と死を「命」と定義する。すると、今私た せていただきありがとうございました。 ちが知覚できるすべてのものは「命」の大きな枠の中にあって、 27 2015年度「庄内セミナー」報告書 28 「即身仏」への修行から人生を考える 商学部 4 年 楢柴 亘大 命あるものはその身体を動かすために多大なエネルギー 2 つが彼らを修行から逃げるという選択をさせず、また何千 を摂取し、活動の糧としている。それは身体を、電気を流す 日という長い期間にわたって命をその身に宿し続けさせたも ことで活動するロボットのように考えれば当然のことである のだと感じた。というのも、自己犠牲によって民衆が救われ が、生き物の、特に人間の身体はそのようにシンプルに動い るという教えを強く信じることが出来なければ、鉄門海上人 ているのであろうか。以前は人間の体といえども、所詮は突 のように眼病を収める祈りのために自分の目を犠牲にすると き詰めれば機械のようにある刺激に対して反応を繰り返して いうことは出来得ず、また苦しい修行を続ける動機の基礎が いるにすぎず、 「体が動いている」という状況を作り出すに 存在しないことになり、そういった曖昧な状態では何千日と は命の存在は問題にならないと考えていた。つまり、人間の いう長い期間にわたって修行の継続はとうてい出来ないだろ 身体のなかに「命」というものが宿っていようがいまいが、 う。一方で、教えを信じていたとしても、それを自らが行う その身体の動きは再現が出来、意味づけを行う必要はないと ことで達成しようとする意思が欠如していれば当然、自ら修 考えていた。しかし、庄内セミナーの中で、即身仏を通して 行をするのではなく、修行してくれる一世行人を待つ側の人 多くのことを学んだ。即身仏とは僧の中でも衆生救済を願っ 間となる。また、多くの人が真似できないような辛い修行を て自らを厳しい修行の中に置き、最終的に自らの身体をミイ 続けている姿を弟子や大衆に晒すからこそ、周囲の人間から ラとして残すことに成功した者を指す。即身仏となるために の尊敬の念を受け、信頼関係を構築することができる。加え は、弟子からの尊敬や信者からの厚い信仰など、周りの人々 て、自己犠牲が民衆の救済に繋がるのであれば、長い期間自 との信頼関係が構築できていることが必要条件である。即身 らを厳しい修行の中に置き、犠牲を自らが背負えば背負うほ 仏となっている湯殿山行者達は一千日から五千日にわたって ど、自らが祈念の対象としているコミュニティに対して長く 五穀断ち・十穀断ちをし、木の皮や木の根等のみを口にし、 強い救済が約束されると考えられる。つまり、当該コミュニ 難行苦行を自ら行っていた。常識的に考えれば、そのような ティに対して強い救済を求めれば求めるほど、修行期間を長 行為を長い期間続けることは不可能であり、命を繋ぐことが くしようとする結果になり、命を削りながらもより長く自分 出来ていることは奇蹟のように感じる。さらに、この木食行 の命をその身に留めようとする。この他者のために自らを犠 だけでなく水垢離などの厳しい修行を行う事は、栄養も十分 牲にし続けようとする意志の強さこそが、彼らが極限の状態 に摂れていない中にあっては自殺行為に等しくさえ見える。 であるにもかかわらずすぐに死には至らず、生き続けること しかしながら彼ら即身仏となった湯殿山行者達は自らの命 が出来た原動力であると考えられる。 ぎりぎりのところまで追い込みつつもなお長くの間生き続け ここから、少なくとも人間はなにか目的を持ち、それを実 た。また、行者の中には元は犯罪を犯したものもいたが、そ 現させようとする強い意志を持ってこそ真に生を全うするこ れでもなお人々からの賞賛と尊敬の念を受けていた。 とが出来、またその姿を周囲の人間が認識することで信頼や 彼らはどうして、まさしく「命を削る」このような苦しい 敬意を享受することが出来るものだと感じる。これはなにも 修行を継続することが出来たのであろうか。こういう風に書 湯殿山行者にのみ言えることではなく、我々のように特別な くと単純すぎやしないかと思われるかもしれないが、私は彼 ことをしているわけではない人間であっても、日々の暮らし らの「自分が犠牲となることで民を救う」ということを信じ の中の小さな事象に対する心がけの積み重ねであっても結果 る力と、その目的を自らが達成しようとする意思の力、この 的に人生を大きく変えることになるであろう。 参加者レポート 私の生命観 経済学部 2 年 仁科 慎也 庄内セミナーが始まった初日の夜、宿泊地の休暇村で講演 納棺師小林は自分の父が葬儀屋からただの死体として処理さ があり、その講演者である東山昭子さんが私たちに山盛りの れるのに黙っていられなくなり、自ら納棺を引き受ける。確 だだちゃ豆を振る舞ってくれた。東山さんの説明によると、 かに父は鞄 2 つしか残らないような人生だったかもしれない だだちゃ豆はかつて、一家の母が副業として稲の隣で育てて が、生きてきたのである。それを誰にも見守られることなく いたもので、作る土地によって味が変わってしまうため苦労 あの世に旅立つかもしれない。誰にも見守られないとは誰に して作られたものらしい。だだちゃ豆を前にした私たちに向 も彼の生を知られないことで、強く言えばまるで彼が生きて かって東山さんは、たくさん食べて体に溶かし込んでくださ いなかったかのように扱われるのと同じだ。そのことが小林 いと言った。この“体に溶かし込む”という表現が、今でも には許せなかったのだと思う。故人をおくるとは、まさに今 印象的である。というのは、体に溶かし込むのはだだちゃ豆 まで生きたことを踏まえたうえで、その延長としてあの世へ だけでなく、作るのにかかったたくさんの苦労も含まれてい と届けることだ。たぶん、死に際して故人の生きた証を我々 るのではないかと勝手に思ったからだ。だだちゃ豆を作るの は確認することで、その死を受け入れる。確認せずには死は には、農家の人々の苦労が労働として投入されている。そう 成り立たない。注連寺の住職は、葬式は本来身内だけでひっ しただだちゃ豆にしみ込んだ苦労を体の一部にして、私は生 そりとやるものではなく、故人にかかわりのある人が集まる きている。そのことは、だだちゃ豆に限らず普段口にする食 ものだと言っていた。そこには、故人はこんな人ともあんな べ物にも言える。自分で作ったものでない以上、見ず知らず 人とも付き合いがあったのかと驚かされることもあるという。 の誰かが作ったものである。私は、誰かの苦労を自分の命を セミナーでの記憶がこの場面と重なった。 維持するために体に取り入れているのである。気づいていな 故人を前にして彼は生きていたと思うように、人は、他人 いだけで、身の回りの生活用品も人の手が加わっている。こ に生きていると思われてこそ本当の意味で生きていると言え こまで考えると、もはや誰一人、ひとりで生きている人はい るのではないだろうか。私は今生きている。生きていると感 ないと思う。ここで言っているのは、経済的に自立している じるが、自分が感じる以上に周りの人は私の生をより実感し から一人で生きているということではなくて、そういう自立 ているものだ。あいつは生き生きとしているという評価のほ した人でも、他人の手が加わったモノを使っている以上、構 うが、自分で本当に生きていると自惚れるより、よっぽど正 造的に他人と関わり合っているということだ。 しいと思う。黒澤明監督の「生きる」に出てくる渡辺のよう 生きているとは、人とのつながりのなかにある。今回の庄 に、本当に生きているとは、本人が考える以上に私たちの目 内セミナーでこのつながりというものに、一番気づかされた。 にはっきりと映る。 山伏体験で行われた南蛮いぶしは、当たり前に吸っている空 2 日目の講演で安楽死や尊厳死は許されるか否かの話が 気のありがたみを非常に痛感し、生きるなかで自然ともつな あった。その時は、自殺はすべてでないにしろ例外的に許さ がっていると思った。私はセミナーを通して“つながり”を れるのではないと思っていたが、今思うと、自分の生は自分 中心に考えたわけだが、セミナー後も生命については考えた。 ひとりのものだという勘違いがあったように思う。たとえ病 考えていくうちにその時はあまり気に留めなかったが、今新 気で他人に苦労をかけることがあろうと、多くのつながりの たに思うこともある。それは、死の捉え方である。 中で生きている私たちは、他人の苦労で生きるのは当たり前 休暇村の廊下に山形で撮影が行われたであろう映画のポス である。その分、自分も苦しんでいるはずだ。それは病気の ターが十数枚貼ってあり、その一つの「おくりびと」を記 苦痛かもしれない。だが、その人が生きていることで周りの 憶していたので帰って観た。そして、納棺師を中心として描 人のなかに励まされる人がいる。身近な人、例えば友人や親 かれる死の捉え方に妙に納得した。これは、鶴岡で即身仏を 族がそうだろう。どんな形であれ、 生きていることでつながっ 見たり、出羽三山信仰を聞いたりしたためだろう。映画では、 ている。それは病気だろうが何だろうが変わらない。そして 納棺師の仕事は「旅立ちのお手伝い」であると言う納棺師佐々 なにより、自分の生を自分で勝手に裁断を下すことはできな 木然り、「死は門だ」と言う火葬場の職員平田然り、死は生 い。周りの人も、私の生を見つめているのだから。これは自 の終わりではないと考えている。死の先に何かが続く。だ 分が実際にそうなっていないだけで、綺麗事に過ぎないかも から何だと言われればそれまでだが、重要なのは生きている しれないが、私はこれを他人に強要しようとは思って述べた 私たちが死を解釈していることだと思う。つまり、死を解釈 のではない。ただ、 これが私の生命観だと言いたいだけである。 しながら同時に、生きるとは何かを捉えている。最後の場面、 セミナーでの貴重な経験や、参加者との交流はどれも新鮮で 29 2015年度「庄内セミナー」報告書 興味深く、多くのことを学ばせていただいた。最後になるが、 いただいた皆様に感謝申し上げたい。 今回の庄内セミナーに関わり、よりよい学びの場を提供して 夏の発見 法学部(政治)2 年 萩原 悠太 30 突然ですが、僕には夢があります。それはダンサーになるこ 吸いたくても思うようにいきません。夜明け前の 3 時、本八 とです。高校 2 年生の春、あるダンサーに出会って以来変わ 合目を発つときには、寒さは痛みへと変わっていました。風 らない僕の目標です。その人のように踊れるようになること が肌に刺さり、石や砂が絶え間なく吹きつけるので、まるで が僕の理想であり、課題です。彼女をたった二つの単語で説 山が神域への侵入を拒んでいるかのようでした。頂上もまた、 明するなら、まさに「自由」で「自然」な人です。いつも飾 凍てつく寒さと強い風で体感気温は氷点下になり、まともに らず、誰にでも等身大で接し、周囲のものごとをあるがまま 目も開けていられない状態でしたが、雲海の先に現れたオレ の形で見つめています。ゆったりとしたシャツを纏い、考え ンジの光は、瞼の上から僕の心の中までも温めていきました。 ごとをするような目つきで床に立っては、時折すうと息を吸 この打ち震えるような感動を忘れることはないでしょう。 い込んで踊りに身を任せます。その伸びやかな肩や背中、し こういった活動の一環として、僕は山伏体験を捉えていま なやかな足腰が、少しも緊張せず、しかし力強く動くのを見て、 した。様々な状況でまだ知らない感覚、感情を探せれば、ダ 僕は全身が解放されていくように感じました。僕の身体の筋 ンサーとしての表現に深みや幅が出るだろうと考えていたの 肉が彼女の使うそれと共鳴して、踊りたいと叫んでいました。 です。しかし、この庄内が与えてくれたものはそれだけでは その踊りには彼女そのものが現れていたのです。この人のよ ありませんでした。セミナーに参加する前、僕にとっての生 うに生きたいと思いました。いつも周りの目を気にして自分 とは非常に狭い世界でした。自分の人生、自分が生きる数十年、 を繕い、あらゆる観念でがちがちに体を固めていた僕の殻は 自分が成し遂げたいこと。僕が夢を持ち、ビジョンや道筋が あっという間に崩れ去り、ああこれが僕の目指していた姿だっ 明確になるにつれ、それらは見えない縄となって僕を縛って たんだと、遠い空か宇宙を見つめる気持ちでぼんやりと考え いたのです。 ていました。それから、僕はダンスなどの表現をライフワー ところが、 「生」とはなんて懐が深いのでしょう。鉄門海上 クとして掲げ、生涯をかけて「自由で自然な身体」を模索し 人の祈りを聞き、白装束に身を包み、滝に打たれ山を歩くう ていこうと決めたのです。 ちに、僕を覆っていたフィルターが一枚ずつ外れ、視界は明 このセミナーで僕が最も楽しみにしていたのは山伏体験で るく広くなっていきました。初日、僕の思考で大きな部分を す。悟りの境地に達するべく、自分を律して過酷な修行に励 占めていた「身体」 、 「ダンス」 、 「表現」というテーマは、最 んだ修験僧たちの行いを、文字どおり体で経験することによっ 終日のマインドマップでは末端の要素にしかなりませんでし て、新しい自分に出会いたかったからです。 た。それに至る前に、僕を生かしてくれている、小さく儚い 思えば、今年の夏は色々な体験をしました。どれも初めて けれども偉大な、数々の命があることに気づきました。親、師、 のことばかりで、多くの学びがありました。自転車で旅をし、 友など、悩みと喜びを共にする人の存在があって初めて、幸 海で遠泳やシュノーケリングをし、山に登り、ハンググライ せな人生が実現するのだと分かりました。命には限りがある ダーやスカイダイビングで空を飛びました。これらは全て、未 からこそ、精一杯今を生きたいと思いました。僕は決して自 知の環境に置かれたとき、僕の身体が何を知るのだろうとい 分の力だけで生きてはおらず、長い連関の中の一部なのだか うことに興味があって取り組んだものです。中でも、富士登 ら、命は有限であると同時に無限なのだと知りました。 山は印象深いものがあります。頂上でご来光を見ようと、仲 僕が今後、表現者を志していくとしても、その夢は支え、応 間と 4 人で山じまい間際の富士に挑みました。しかし、 そう易々 援してくれる方々の存在があるからこそ到達できるのだとい と登れるものではありませんでした。序盤は調子がいいもの うことを忘れずにいたいと思います。庄内セミナーは、僕の の、標高が高くなるにつれ空気は冷たく、呼吸は浅くなってい 心と身体を成長させてくれるものであったと胸を張って言う きました。3000m を超えてからはずんと頭が重くなり、息を ことができます。 参加者レポート 庄内セミナーを経て ー「死生観」と「身体観」 商学部 2 年 村野 元紀 庄内セミナーが始まる前日 15 時 19 分に最寄り駅を発車する この庄内セミナーを通じて、生まれ変わったことを含め様々 電車に乗りお金がない僕は鈍行で鶴岡駅へ向かっていた。まさ な経験をさせて貰った。やはり自分の中で一番いい経験になっ かこの日から死に直面する (少なくとも僕は死ぬのかな、 と思っ たのは即身仏を見て生と死について考えさせられた次の日の た) とは思っていなかった。青春 18 きっぷを使って行ったので、 羽黒山での山伏修行だろう。 途中駅で 30 分ほど乗り継ぎの時間がある場合は高校時代の先 滝打ち修行は酷であった。しかしここで僕の中の身体観が変 生の教えにのっとり地方復興につながるお金を落とすために わった。気温が低いところでふんどし一丁になった時にはすで 駅で降りてその街を見るようにしていた。1 駅目の那須高原に に身体中で寒さを感じた。その時ふと思った。こんな寒さを感 ある黒磯では那い須(ナイス)キャンディーとそばアイスを食 じたことがあるだろうかと。今までは服の上、しかも何枚も重 し、福島では小さな喫茶店に入った。 ね着をした上での寒さだった。温度は違うといえども生身の体 前泊する予定の米沢駅に到着したのは夜 10 時頃だった。こ で風が吹いている外に出てこれだけの寒さを感じる、こんなこ こで問題が発生した。まず行く予定だったマンガ喫茶がない。 とはなかった。これが僕の身体なのか、そう思った。と冷静に 8 月上旬に閉店したようだった。次にうろうろして見つけたカ なって考えることができたのもそこまでで冷たい水に足をつ ラオケに入ろうとしたが、学生証を忘れていたため断られてし けた途端思考が停止し寒いと感じる他がなかった。声を出して まった。野宿するしかないと決めて最上川の河川敷で寝ようと 寒さを誤魔化そうと思ったのだろうか、気づいたら大声で叫ん したが風が強く寒い。薄着できた自分が悪いのだがホームレス でいた。中世ヨーロッパで魔女狩りの被害者になってしまい火 のおじさんに死ぬぞと警告された。驚いた。まさかここで死ん あぶりの刑になってしまう人の気持ちがわかった。なぜ逃げな でしまうのか。身の毛がよだち一気に悪寒に襲われ寝たら死ぬ かったのかはわからない。修行が終わり、服を着ている際にふ と思い歩き続けることにした。しばらくすると会員証を作らず と思った。あのとき、欲望や俗世での利益を求めない状態にな に入れるカラオケを見つけそこで一夜を明かした。 り心が無になったのか、と。今まで武士道の一つである剣道を 次の日は始発で新潟県に抜け日本海沿いに鶴岡を目指して 行っていたが心の無の境地に達することは到底不可能であっ 鈍行で移動した。商店街も何もない駅で降りてタクシー運転手 た。同じことを南蛮燻しでも感じた。逃げればいいものをずっ と話をしたり、登校中の高校生の話を聞いたり、青く透き通っ と無の境地に立ち、もはや耐えるではなくそこに存在するだ た日本海に足を踏み入れてみたり……そこで気づいたのだ。 け。無であるのに存在する、とはヘーゲルの弁証法にもつなが 黒磯駅でそばアイスを売っていたおばさんも、余目駅で話し るところがあるかもしれない。 かけてくれたタクシーのおじさんも、最上川で話しかけてくれ たおじさんも長岡市に就職したいと言っていた高校生も一晩 山と海に囲まれ日本有数の穀倉地帯である自然に囲まれた 無事過ごせた僕もみんなみんな生きているのだ。当たり前のこ 場所鶴岡での 3 泊 4 日は(前日の 1 泊も含め)非常に中身が濃 とだが、自分の中で再確認できたことは大きい。近頃よくネッ い日々で、生きることの意味を問い直すには最適な場所であっ トを通じて人に対し過剰な批判をすることがあったり、あたか た。時期が合えば自らの内を省みる、またさまざまな人と話が も人をもののように考え指図する人々がいたりする。自分もい できるいい機会であったので来年、再来年いつになるかわから らいらした時などそうしてしまうことが多々あった。しかし、 ないが参加したい。 それを目に見える人の前でできるか、いやできないだろう。身 帰りは米沢から宇都宮まで新幹線を使ったがこれほど快適 近でない人とのかかわりを考えさせられた。三村先生の話にも なものを作り上げた先人の努力の積み重ねにただただ感謝す つながるが、死を脳内において身近に感じる(死とは程遠い状 るばかりで、自分も今や将来の人間が快適に過ごせる社会をつ 態だったかもしれないが)ことで生というものを改めて考える くることの手助けになることができればな、と大きなことを考 ことになったのだろう。 えていた。 31 2015 年度「庄内セミナー」報告書 資料編 2015年度「庄内セミナー」報告書 34 1.参加者構成 所属 No. 学年 氏名 No. 所属 4 赤城裕之 18 スタッフ: 慶應義塾大学法学部教授 修士 1 伊作太一 19 スタッフ: 慶應義塾大学経済学部准教授 氏名 1 法学部 2 政策・メディア研究科 3 法学部 1 大山美佳 20 スタッフ: 慶應義塾大学商学部教授 種村和史 4 商学部 2 日下田愛 21 スタッフ: 慶應義塾大学経済学部教授 津田眞弓 5 社会人:会社員 藏町有香 22 スタッフ: 慶應義塾大学経済学部教授 羽田 功 6 経済学部 4 佐藤友弥 23 スタッフ: 慶應義塾大学出版会 小磯勝人 7 文学部 1 菅原真帆 24 スタッフ: 慶應義塾大学教養研究センター 傳 小史 8 商学部 4 高橋 慶 9 法学部 1 橘かおり 10 理工学部 1 田中えりな 11 文学部 4 田中苑子 12 法学部 2 田沼 悠 13 文学部 2 中西未友樹 14 商学部 4 楢柴亘大 15 経済学部 2 仁科慎也 16 法学部 2 萩原悠太 17 商学部 2 村野元紀 大出 敦 工藤多香子 資料編 2.第 6 回庄内セミナー アンケート結果 ・実施日:2015 年 8 月 31 日(月)(セミナー最終日) ・回答数:17(ただし、項目によって複数選択・複数回答・ 未回答あり) 〈項目別結果〉 1.今回のセミナーについてはどのように知りましたか? ポスター:12 Web サイト:3 究科) ・答えの分からない問いだったが、セミナーを通して生 を考えるきっかけになったので、よかったと思う。 (経 済学部) ・死生観についての考察は多く行えたが、意味という一 歩深い部分に展開させることは難しかった。 (商学部) ・このテーマに惹かれてセミナーに参加しました。様々 チラシ:0 な知識を得ながら、深く考えることができて、大変満 教員から:3 足です。 (法学部) 友人から:1 その他:1(第 4 回に参加) 2.今回のセミナーについて、以下の項目に沿ってご意見を お聞かせください。 1)テーマについて「生きることの意味を問う」 難しかった:5 適当だった:12 やさしすぎた:0 【主な意見(自由記入)】 ・生きるというのは当たり前のことであるが、今までにほ 2)時期について(8 月 28 日~ 8 月 31 日) 適当:14 他の時期にすべき:3 【主な意見(自由記入) 】 ・気候がよく、過ごしやすかった。また、夏季休暇中と いうことで参加もしやすかった。(政策・メディア研究 科) ・暑すぎず、寒すぎず、とても過ごしやすい気候でした。 だだちゃ豆のピーク時に来れてよかったです。説明会 がどの程度の時間がかかるかが知りたかった。 (法学部) とんど考えたことのない主題であった。そのため、答 ・事前説明会は夏休み前がよい。 (法学部) えを出すのが難しかった。(文学部) ・説明会はテスト直後、セミナー自体は 8 月中旬以外な ・難しかったが、だからこそ考える価値のあるものだっ たと思う。(法学部) ・考えたことのないテーマで、かつ日常感がうすいので、 難しかったです。(理工学部) ・以前から興味のあった分野だったので、楽しかった。 (法 学部) ・非常に興味深かった。だからこそ参加したし、考えるテー マとしては最適。(法学部) ・確固たる答えのないテーマだったので、自分で考えを 深めなければならず、難しかったです。テーマ自体は すばらしいと思いました。(商学部) ・庄内という環境でこのようなテーマでセミナーを行う のは best だと思う。(商学部) ・大学主催 × 長期休暇の利用という条件下でこそ可能な 有意義なプログラムであった。テーマも“大学生”と いう今の環境にとても適していた。(文学部) ・大きなテーマであるからこそ、個人個人のなかで捕ら えることも難しいテーマだったし、集団の中でコンセ ンサスも全くとれなかった。むずかしいが普段意識す ることが少ないため、最高のテーマだった。(商学部) ・初日のマインドマップ時の議論では「生きること」を、 ら良いと思います。 (商学部) ・試験直後もありかなと思います。 (商学部) ・八朔祭とかぶせたほうがより理解度・体感度が高まる と思った。 (文学部) ・夏の終わる頃でちょうど季節のかわりめということも あり、山自体が大きく動いていた気がする。あと過ご しやすかった。 (商学部) ・実施時期はいいが、説明会の日を 7 月の中旬頃にして 欲しいです。 (経済学部) ・説明会は試験最終日の夕方、セミナーは夏休み前半が いい。 (文学部) ・事前説明会は複数日程あればより良かった。セミナー は 9 月中旬が良い。8 月は、3・4 年生の就職活動の時 期と丸被りする点が難しいと思う。9 月であれば大体就 活は終わっているはず。 (法学部) ・予定が夏休みの真ん中で、長期旅行の予定が出来なく て不便だった。当選発表をもっと早くに知りたかった。 セミナーは夏休みの始まり(8 月上旬)か終わり(シル バーウィーク)あたりが良い。 (法学部) 3)スケジュールについて もう少し余裕がほしい:3 自分の知識で悟ることが多く、表層的になってしまっ 適当:13 たが、最終日にはセミナーを通じて各々が感じた事柄 もう少し内容を盛り込んでも良い:1 をもとに悟れた。(経済学部) ・マインドマップの変遷を見ても、そのテーマに関する 見解が変わったか見れて良かった。(政策・メディア研 【主な意見(自由記入) 】 ・盛りだくさんの内容で素晴らしかったと思う。毎日が 達成感の連続だった。 (法学部) 35 2015年度「庄内セミナー」報告書 ・全体での話し合いだと議論が深められないので、もっ とグループごとでの話し合いをする時間があると、質 問の質が上がると思われる。(法学部) ・18 時頃に食事をとった後、すぐにセッションがあった ため、お腹が苦しかったです。(文学部) ・集合時間・解散時間が中途半端に思う。午前集合夕方 解散はできないのでしょうか。(経済学部) ・朝から夜までスケジュールが組まれていましたが、全 体的に余裕があり、夜も早めの解散だったので、自分 (法学部) ■ 8 月 29 日「人は死ぬとき何を思うか ―― 精神科からの問 題提起」 (講師:三村 將氏) とても良かった:10 良かった:5 普通:2 あまり良くなかった:0 【主な意見(自由記入) 】 の振り返りの時間も持つことができました。(法学部) ・精神分析や精神医学は普段全くなじみがない分野だった ・適度に自由に動ける時間があってよかった。(商学部) ため、医学が死をどう倫理的にとらえているのかの端緒 ・もう少し議論する時間がほしかったです。マインドマッ が分かり面白かった。医学にもスピリットという考え方 プではなく、講演会の内容について ・・・(商学部) があることに驚いた。 (商学部) ・様々な角度からプログラムが組まれていて、ひとつの ・言葉に一切の無駄がなかった。 (思考と並行できた。 ) テー スケジュールをこなすたびに全く思いもよらないよう マも皆の関心度が高い内容であったため、もっと意見交 な発見があった。(商学部) 換の時間が欲しかった。講義がとても有意義であった分、 ・山伏体験がやや不燃焼気味であった。他は適切だった。 (文学部) 4)講演について ■ 8 月 28 日「庄内にまなぶいのち」(講師:東山昭子氏) とても良かった:11 良かった:6 普通:0 良くなかった:0 【主な意見(自由記入)】 ・聞きやすく、分かりやすい、すこしなまった語り口が親 近感をおぼえさせられた。 (法学部) 心残りだった。 (文学部) ・生徒参加型なので、テーマについて深く考えるきっかけ となった。 (経済学部) ・ 「人が死ぬとき何を思うのか」というのは、私も普段か ら関心があったため、とても興味深かった。 (文学部) ・ディスカッション形式にするのであれば、席の並べ方な ど工夫できる余地はさらにあると感じた。 (法学部) ・もっと三村先生の個人的見解をお聞きしたかったです。 安楽死について考えられて良かったです。 (法学部) ・自殺や安楽死について、よりつっこんで考えることがで きた。 (法学部) ・東山氏のお人柄と、庄内の自然や人々の豊かさが伝わっ ・今まで「自殺」について考えることを避けていた気がし てくるような素晴らしい講演だった。東山氏に大変魅力 ました。友人が自殺したときも「彼女は生きることに不 を感じた。 (法学部) 向きだった」で片付けてしまったのですが、今後はもっ ・庄内に生きる人々のあり方がよく伝わりました。 (文学 部) ・庄内に土着した観点、 語り口でとても良かった。だだちゃ 豆おいしかった。 (文学部) ・土地に長いこと住んでいて、そこで生きている人の考え 方そのものに触れられたことと、東山さんご自身がとて も色々な物事を分かりやすく説明してくださって、庄内 の文化や気風がバイアスなしで伝わってきた。 (商学部) ・庄内という土地が影響を与えた特有の気風などが知れて よかったです。 “目立たず、騒がず、ひっそりと”を人 生の標語にしたいと思います。 (商学部) ・庄内の人々の暮らしや、特徴を考える機会となってよ かった。 (商学部) ・庄内の人々の思想、大事にしていることを導入として学 ぶことができてよかったです。 (法学部) ・途中の詩の朗読が心に響きました。 (政策・メディア研 究科) ・学んだことを念頭におきながら、藤沢周平の作品を読ん 36 ・楽しく聞くことができ、詩の朗読は特に感動しました。 でみたいと思います。 (社会人) と自分なりに自殺志願者をひきとめられるような言葉を 用意したいと思います。 (社会人) ・他のセッションとはまた違う観点で生死について考える ことができた。今回のセミナーの中で一番深く生死につ いて考えることができた。 (政策・メディア研究科) ・現状のみを伝える感じで、結論(何を伝えたかったのか) がよくわからなかった。 (経済学部) ・医学の立場の方からのお話を聞くのは初めてだったので、 とても興味深かった。死について様々なことを考える きっかけとなった。 (法学部) ・二日目に「死」を科学的な見地から考えることができた 点は、非常に良かったと思う。科学というある種ドライ な見方をはさんだことで、思い込みを見つめなおすこと ができた。 (商学部) ・科学的な視点から生死について知ることができました。 安楽死や尊厳死は個人的に関心がとてもあるトピックな ので、お話を伺えて嬉しかったです。 (商学部) ■ 8 月 30 日「湯殿山一世行人における生と死の作法」 (講師: 山内志朗氏) 良かった:8 普通:2 あまり良くなかった:0 【主な意見(自由記入)】 ・庄内にルーツをもつ山内先生に、湯殿山について解説 して頂けて光栄でした。(商学部) ・鉄門海上人についての話だけでは理解の及ばなかった 点を、補完することができて良かった。(商学部) ・即身仏、湯殿山についての詳細な知識が得られて良かっ た。(法学部) ・滝行はもう少し長い時間でもよかったなと感じた。また、 修行ごとのホールでの休憩が少し長いように感じられた。 (商学部) ・南蛮いぶしがつらかったです。とても良い経験ができ、 ありがたく思っております。 (商学部) ・身体を使うということは本当にすごいことだな、と再認 識した。滝に打たれているとき、完全に自分が自分を離 れていた気がする。言語を介さない体験だからこそ、持 ち帰る感想が人それぞれで、 共有がとても楽しかった。 (商 学部) ・内容自体はとても良かったが、時間が全て短すぎた。こ ・注連寺に行く前に聞きたかった。(経済学部) れが主目的といっても過言ではなかったため、物足りな ・少し内容が難しく、あまり興味をもてなかった。 (法学部) さを感じた。未消化のまま事が進んでいってしまった気 ・ミイラと生と死について伺えておもしろかったです。 (法 学部) ・出羽三山の信仰について、学術的な視点からの考察が 聞け、大変勉強になった。即身仏や一世行人への解釈 も興味深かった。(法学部) ・実際に山伏体験をしてから、講義を受けたので、より 深く知ることができました。(文学部) ・前日まで見聞きしてきた内容を学問的観点をからめな がら理解することができた。(文学部) ・専門的に即身仏についてなどを研究されている方のお 話を聞く機会はめったにないし、実際に自分が見たも のがそのまま話に結びついたので、新たな発見が多かっ た。また、身体性や他宗教など、全く考えなかった分 が ・・・(文学部) ・百聞は一見にしかず、頭であれこれ考えるよりも体験す ることで、自分の意見をしっかり持つことができた。 (経 済学部) ・雨という天気の中、無事に山登りや滝行などを行えてよ かったです。 (文学部) 7)グループワーク、グループ分けについて(人数など) 【主な意見(自由記入) 】 ・良かったと思います。なぜなら 5 人だと、それぞれの 意見や発言をする際に最適な人数であるからです。 (文 学部) ・4 ~ 5 人が適当だと思う。ただ、部屋割りはまた違う人 と組むのでも良いのではないか。 (経済学部) 野とも結びつけられたことで、自分も自分なりの分野 ・丁度良かったと思います。 (文学部) から即身仏を考えることができた。(商学部) ・良かった。もっとグループ討論があってもよかった。 (文 6)修験体験について とても良かった:10 良かった:6 普通:1 あまり良くなかった:0 【主な意見(自由記入)】 ・身体の限界を久々に感じられるような体験だった。滝打 ちはおおむね満足だが、思っていた滝と少し違う、ダム 打ちのような印象を受けた。 (法学部) 学部) ・3 人くらいのほうがもう少し密に意見交換できると思っ た。 (商学部) ・今回は参加人数が少なくて、4 ~ 5 人となりましたが、 4 ~ 5 人でちょうど良いと思いました。 (商学部) ・多すぎるとグループ内で 1 人が話せる量がどうしても 少なくなってしまうので、4 ~ 5 人のグループはちょう ど良いサイズだと思う。 (商学部) ・グループ行動がほとんどなかったので、何とも言えな ・いぶしは死ぬかと思った。いい経験ができた。 (法学部) いが、マインドマップの話し合いをするには丁度良い ・期待していた分“簡易版”という印象が強かった。簡易 人数だった。 (法学部) 版ならそのままであっても時間をかけて物を考えるすき が欲しかった。 (法学部) ・死ななくてよかった。 (商学部) ・常々やりたいと思っていたのですが、1 人で挑戦する覚 悟はなかったので、貴重な体験になりました。衣装の着 用法で戸惑うことが多かったので、効率化した方がいい と思います。 (社会人) ・幼い頃から苦手としていた下り階段を、恐怖と戦いなが ら下ったのが一番の苦行だった。とても良い体験だった。 (法学部) 資料編 とても良かった:7 ・4 人という人数は絶妙でした。年の違う方とも話せて刺 激を受けました。 (理工学部) ・グループの人と特に仲良くなれたので良かった。ただ、 グループでの行動は少なかったので、他の参加者とも 交流ができたので良かった。 (政策・メディア研究科) ・4 人という人数は話し合いにちょうど良いので、これか らも続けて欲しいです。 (法学部) 3.宿泊施設について よかった:17 普通:0 37 2015年度「庄内セミナー」報告書 良くなかった:0 【主な意見(自由記入)】 ・生き方、生き様、生きる道など。 (法学部) ・ごはん最高でした。ありがとうございました!! (法学部) 8.その他、庄内セミナーに関して自由に意見を述べてくだ ・特に不満を感じる点はなかった。 (商学部) さい。 ・すばらしいの一言です。 (商学部) ・ご飯も場所も本当に本当に素晴らしかった。ありがとう ございました。 (商学部) ・朝などの空き時間に周辺を散歩できる立地がとても良 かったです。 (文学部) ・夜の講演をされた先生方、スタッフとして同行して頂い た先生方、皆様から教養を深く感じることができ、今 後より教養を深めていこうという思いを強めた。 (法学 部) ・1 分も無駄になっていない、とても濃い 4 日間だったと ・大変満足・感動の宿だった。散歩ツアーや備え付けの遊 思います。でも日々の生活でも無駄な、不要な時間は 具もあり、期待をはるかに上回るものだった。食事も庄 みじんもないという事を改めて確認できました。初め 内の豊かな自然を体験する上で、体験適当なものだった て会う人と部屋を共にして、マインドマップを通して と思う。 (法学部) 踏み込んだ会話をし、修験体験をして ・・・ と、またと ・ご飯がおいしかったです。部屋もお風呂も綺麗でした。 (社 会人) ・快適に過ごせました。 (法学部) ・とても快適でした。晩御飯を皆でいただきます出来たら もっと良かったです。 (政策・メディア研究科) ・ご飯がおいしく、散策ツアーや遊具なども充実していた ので、大満足。 (法学部) 4.現地までの交通手段をお知らせください。 JR:12 ない貴重な体験ができました。ありがとうございまし た。 (文学部) ・とても良い機会をくださり、ありがとうございました。 (法学部) ・最初から最後まで楽しむことができ、また沢山の人に 出会い、庄内の地についても詳しくなれて、大変満足 でした! TTCK 見学も良かったです。 (政策・メディ ア研究科) ・来て本当によかった。帰るのが惜しい。このタイミング バス(夜行):7 だからこその学びであった。社会人がんばります。大 空路:2 変お世話になり、本当にありがとうございました。 (文 自家用車:0 その他:0 5.交通費について ・参加者の平均交通費:20,037 円 6.参加費用(参加費+平均交通費)について 学部) ・また来たいです。本当に貴重な体験ありがとうござい ました。参加してよかったです。 (法学部) ・庄内セミナーを始める前、 「生きることについて考える」 というテーマに、自分なりに 21 年間向き合ってきた、 安い:11 という自負がありました。しかし、その多くは「頭で 適当:5 考えた生きること」であって、私は今を生きていなかっ 高い:1 たかもしれないな、ということを身に染みて感じまし 7.本セミナーでこれから取り上げてほしいテーマがあった た。庄内セミナーで最も強く感じたのは、「今」という らお書きください。 時間そのものの重みと、生命のつながりでした。即身 ・大枠で「生」というのは変えないでほしい。その上で 仏を目にしたとき、昔の人と同じように論語を素読し 何かしらの固定化された問いを設置するのもおもしろ ているとき、滝に打たれているとき、今ここに自分が そう。より議論が活発化しそう。(文学部) いて、身体を通して現実を全身で受け止めていること ・毎年このテーマでもいいと思う。このテーマを越える の重みに、胸がざわざわしました。このセミナーを通 人生のテーマはないと思われる。(法学部) して、私は身体が喜ぶ生をしよう、というひとつの目 ・即身仏はある種の自殺なので、自殺にテーマをしぼっ 標というか約束が出来ました。これは間違いなく 5 年後、 てもおもしろいと思います。(法学部) 10 年後、20 年後の自分に大きな影響を与えると思いま ・「身体について」「声について」「信仰について」 す。本当に大切な経験をさせてくださったこと、心よ ・自然(動植物など)に重点を置き、そこと人間との関 りお礼申し上げます。ありがとうございました。(商学 わりを考えるのも面白いかなと思いました。(文学部) 部) ・鶴岡や出羽三山のことだけでなく、酒田や鳥海山につ 38 ・なぜ人は共存を必要とするのか。 (理工学部) ・「生きること」について深く考える良いきっかけになり いても学びたい。(法学部) ました。庄内の「目立たず、騒がず、ひっそりと自分 ・TTCK や先端生命研究所の内容をもっと深く出来た の身の丈に合った生活」の言葉や庄内特有の気風は私 ら、おもしろいと思います。(政策・メディア研究科) の人生を見直す助けになるはずです。「生きる」という ・庄内の北側のことも扱ってほしい。(商学部) テーマを考え、話し合う機会は初めてでしたが、たく ます。庄内セミナーのスタッフ方ならびに関係者様各 た。これからゆっくりと自分らしい「生きる」ための 位、3 泊 4 日間、ありがとうございました。 (文学部) 目的を探していきたいと思います。ありがとうござい ・学生に混じるのはどうなるかなと思いましたが、学生 ました。(商学部) のみなさんはとてもフレンドリーに話してくれたので、 ・お寺の住職さんから鉄門海上人のお話や、お寺につい 何の問題もありませんでした。社会人になって、会社 てのお話を聞いている時にピンと来ない点が多くあっ の研修などは受けるのですが、本意ではないこと、常 たが、おそらく住職さんが常識だと思っていることと、 にやる気を持ち意識の高い発言をするようなものでし 参加者の共通知識に差があったためだと思うので、前 かなく、久しぶりに学生時代のように利益のためでな 提知識を共有できるものがあれば、より理解が深まっ い話し合いや講義を受けることができて、頭をリフレッ たのかもしれないと感じた。(商学部) シュできました。最終日の懇親会で先生方の専門分野 ・修験体験の滝行の時間が少々短いと感じました。 (経済 学部) ・大自然の中で多くのことを学び、深く思考する機会を のお話も聞かせていただき、興味深かったです。(社会 人) ・実際に山伏や素読を体験することで、今まで感じなかっ 持つことができて良かったです。ありがとうございま たこと、考えなかったことに気がつくことができた。 した。(法学部) とても良い経験をさせていただき、ありがとうござい ・ 「生きる」ということについて真剣に考えずに今まで私 資料編 さんの人の考えを聞け、自分の価値観が刺激されまし ました。 (経済学部) は生きてきました。しかし、「生きるとは何か」という ・貴重な体験をさせていただき、また初めて会う人々と 根本的な問いを見出しながら、この庄内における地で 重いテーマについて話し合えたことが刺激になりまし 過ごしながら答えを出すことで、今後どういった生き た。先生方のサポート、おいしいご飯などもあり、と 方をしてゆけば良いかという進路が見出せました。修 ても楽しい 4 日間でした。ありがとうございました。 (理 験体験で、新しい自分に生まれ変わったので、「生」と 工学部) いうことを深く意識しながら生活していければと思い 39 2015年度「庄内セミナー」報告書 40 3.広報資料(庄内セミナーおよび庄内フェア) 資料編 4.掲載新聞記事 2015年8月4日 荘内日報 41 2015年度「庄内セミナー」報告書 42 2015年8月30日 荘内日報 7面 荘内日報 7面 資料編 2015年9月1日 43 2015年度「庄内セミナー」報告書 謝 辞 ―あとがきに代えて― 教養研究センター所長 小菅隼人(理工学部教授) このセミナーを終えるたびに、私たちは、深い感謝を込めて、同じ言葉を新たな気持ちで繰り返す ことになります。すなわち、 「この豊かなセミナーを可能にしてくれたのは、鳥海山・出羽三山、庄 内平野、日本海という豊かな自然と、鶴岡市を中心とする庄内地方にある驚くべき豊かな文化と、そ して慶應義塾を温かく迎え入れ、物心両面にわたって多大なご援助をいただいた鶴岡市および庄内地 域の方々です」という感謝の言葉です。そして、このセミナーを応援してくださった方々のお名前を 全てあげるとすれば、紙数がいくらあっても足りませんが、それらすべての方々のお顔を思い浮かべ つつ、一部だけここであげさせていただきます。 まず、鶴岡市長の榎本政規様と元庄内藩主酒井家 18 代当主の酒井忠久様に、慶應義塾大学教養研 究センターを代表して心より御礼を申し上げます。榎本市長、酒井様、そして鶴岡市民の皆様のご理 解とご協力なくしては、 このセミナーはありえませんでした。また、 本年も素晴らしい講義と 「だだちゃ 豆」の差し入れをしてくださった東山昭子先生(鶴岡総合研究所研究顧問)に御礼申し上げます。学 生には忘れられない体験になったはずです。山伏体験を安全にご指導をいただいた「いでは文化記念 館」の皆様、松ヶ岡開墾場の酒井忠順様(松岡物産株式会社社長) 、注連寺住職の佐藤弘明先生、荘 内論語の素読をご指導くださった富樫恒文先生(統括文化財保護指導員) 、鶴岡市役所の関係者の皆 さま、宿泊・食事・講演セッションの快適な環境作りにご尽力いただいた休暇村・羽黒のスタッフの 皆さま、いつもながら取材・記事掲載を通してセミナーを広く報じてくださった荘内日報社と山形新 聞社に御礼申し上げます。 さらに、身内のことになりますが、講師を務めて下さった、三村將医学部教授、山内志朗文学部教 授に御礼を申し上げます。また、運営、広報に協力してくださった慶應義塾大学先端生命科学研究所 のスタッフ、慶應義塾大学生協(日吉) 、日吉メディアセンターの関係者の皆様にも御礼を申し上げ ます。最後に、このセミナーは、当初、羽田功経済学部教授の強いリーダーシップによって企画され、 以後、横山千晶元所長、不破有理前所長と共に発展しました。三人の元所長の温かく適切なアドヴァ イスに心より御礼を申し上げます。 44 庄内セミナー協力団体・個人 【団体】(順不同) 鶴岡市 松岡物産株式会社 鶴岡市教育委員会 休暇村 羽黒 いでは文化記念館 慶應義塾大学生活共同組合 注連寺 慶應義塾大学出版会 荘内日報 慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス 山形新聞 慶應義塾大学日吉メディアセンター 【個人】(順不同、敬称略) 酒井忠久(公益財団法人致道博物館 館長) 山内志朗(慶應義塾大学文学部教授) 東山昭子(鶴岡総合研究所 研究顧問) 坂田英勝(いでは文化記念館) 三村 將(慶應義塾大学医学部教授) 斉藤友香(鶴岡市企画部政策企画課) 慶應義塾大学教養研究センター 2015 年度「庄内セミナー」報告書 2015 年 11 月 25 日発行 編集・発行 慶應義塾大学教養研究センター 代表者 小菅隼人 〒 223-8521 横浜市港北区日吉 4-1-1 TEL 045-563-1111(代表) Email [email protected] http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/ ©2015 Keio Research Center for the Liberal Arts 著作権者の許可なしに複製・転載を禁じます。
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