超越的言説の構成 ―史的イエスの「原像」― 本田 光男 「聖書」を、特に

超越的言説の構成
―史的イエスの「原像」―
本田 光男
「聖書」を、特に「新約聖書」を歴史的文献という次元に据えて、展望して行くという
立場は、無論「新約聖書」に書かれた記事内容を、そのまま歴史的事件の記録として見る
というのでもなければ、それを無媒介に合理的解釈に付し、それから実際にあり得た出来
事や事件を再構成しようとするものでもない。今日の新約学はそのような観点を既に遥か
以前に清算してしまっている。「新約聖書」を歴史的文献の次元に据えるという意味は、差
し当たりそれを「信仰」の歴史的累積のテキストとして読み込んで行き、その最古層に史
的事件及びそれに近い記憶の核を発見し再構成し得るか、という視点をとることなのであ
る。このような立場は今日の新約学が既にその最低水準として前提にしているものである。
勿論「新約」の場合、その中心はイエスの出現とその振舞及びその言葉、即ちイエスの生
涯をめぐっての諸事件であるから、
「新約」の中でも主たる対象となるのは「福音書」であ
り、この「福音書」から「信仰」の史的累積をくぐり抜けてイエスの原像及びイエスに関
わる史実に接近し再構成を図る、という問題が主要となる。
ところで「信仰」の歴史的累積から「史実のイエス」を抽出するには、まず2~4世紀
の古代教会が「正典(カノン)」の観念によってそれまでに伝承されていた多数の記録から
現福音書を選び出したという「信仰」の構成意図を剥ぎ取らねばならない。この場合伝え
られて来た写本や翻訳という記録そのものにも加筆・集成・削除が加えられていることも
考慮されるべきである。次に「福音書」記者自身の編集及び解釈を剥ぎ取って(この編集
及び解釈には「福音書」記者個人の信仰ばかりでなく彼の属する教団の信仰イデオロギー
も反映されている)、彼がそれを基にしたと思われる資料と口承を復元しなければならない。
この作業は当の「福音書」全体を読み渡して「福音書」記者の編集意図即ちその「信仰」
の思想傾向を把握した上で、次に一文・一節ごとにそれが内容的に見て、あるいは言葉遣
いの点で記者の見解に属するものか、それとも記者が素材とした資料ないし口承からのも
のかを、逐次検討して行く精密なものである。三番目にはこうして復元された資料や口承
がどのような教団・どのような階層によって担われたかを推定して、その教団や階層の信
仰・生活感情によって生じるブレや歪みを考慮しながら「イエスに関する史実」を想像力
の助けを借りて再構成しなくてはならない。このとき問題なのは、「イエスが言った言葉
(ロギア)に関する伝承と、「イエスの振舞」に関する伝承とは、それぞれ「いつ、どこで、
どのような場面で」という実際の状況を脱落させて、後から創作的にそれを付加していた
り、また各伝承を相互に結びつけたり分離したりしていることである。このことは前記の
「福音書」記者の編集の場合についても言えることである。
さて以上のような複雑な手続き(これは様式史的方法及び編集史的方法とよばれる)を
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経て「史実のイエス」は再構成されることになるが、これは実際には非常に困難な作業で
ある。というのは現在「新約聖書」以外にイエスに関する事件についての資料は、聖書外
典たる「トマス福音書」他、ユダヤ教文献とヨセフスの「ユダヤ古代誌」及びスエトニウ
スとタキトウスの数行の簡単な記事など、ほんの僅かな傍証的資料に限られてしまうからで
ある。言い換えれば「新約聖書」の記述だけを頼りとするほかない。そこでブルトマン以
来「史実のイエス」の探求を断念して、「新約聖書」が伝える「宣教のイエス」、つまり「キ
リスト(救世主)として信仰されたイエス」あるいは「信仰に映じたイエス像」を今日ど
う実存的に理解するかが「新約学」の主流となっている。
しかし予想される非常な困難にもかかわらず、それでもなお「史実のイエス」に迫ろう
とする学者はわが国にも存在する。八木誠一・田川健三・荒井献といった新約学者たちで
あるが、とりわけ荒井献の仕事は「歴史学研究の方法」の堅実さの点から言っても、彼の
抽出した「史実のイエス」または「イエスの原像」の内実からしても、ノンクリスチャン
の知性と心情を納得させるものがある。ここでは彼の仕事の内容を詳しく紹介できないが
(手軽なものならば岩波新書「イエスとその時代」を参照するとよい)、結論的には次の四
つの指摘が注目に値する。
ひとつは、
「史的イエス」は自らを「神の子」と称しなかった、という指摘である。勿論
「史的イエス」は自身を「人の子」と称することはあったが、この「人の子」は当時のア
ラム語のガリラヤ地方における用語法によると「私」の婉曲的表現であって(G・ヴァーム
ズの研究成果)、「神の子」と同義になるのは後の原始キリスト教団においてである。この
指摘の意義はあらゆる新興宗教の祖が己れを神格化するのに積極的であるか、あるいは「預
言者」と自称して、ないし「神」の名を頻繁に持ち出して自らを「神」によって権威化す
るのに対して、これを退けることである。「史的イエス」が「神」の名を口にするのは実に
稀であり、それも他者に対して語るときにではなく自らの祈りにおいてのみなのである。
第二は「イエスの(死後の)復活」に関する伝承が最古に属してはいず、後の比較的新
しい伝承の層にあるものだという指摘である。これは、「新約聖書」の中でパウロ書簡が紀
元 50 年または 60 年の成立と正確に規定できるのに対して現行「四福音書」が紀元 70 年頃
の成立と推定されることを踏まえて、パウロが「イエスの復活」ないし「イエスの顕現」
を信仰の根拠とすることなく、あくまで「イエスの十字架死」を信仰の根拠とし、「イエス
は自己において顕現し、自己において生きている」として、そのことを自らの人生の劇的
転換と「新生」の内面的事件及び根拠だと、証言しているのを裏付ける。「イエスの復活」
とはパウロ的に言えば、
「イエス」との関わりにおいて「新たに生まれ変わり、それによっ
てそれまでの現実世界が根本的に新しく見え、そこから新たな人生を生き得た」ことを指
しているのである(八木誠一の著書、例えば「キリストとイエス」参照)。
第三の指摘は、「史的イエス」が祈りを捧げる「神」はのり超え難い現実の矛盾に直面し
た人間に、それに目を閉ざすことなく逆に目を開かせ、自己の存在を相対化させると同時
に相対化した自己をそのまま委ねる「総体的他者」であり、そのことによってのり超え難
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い現実の矛盾をなおかつのり超えねばならない課題としてひき受けて行く勇気を与える
「根源的な力」だとするものである。このような「神」はいかなる場合にも人間に自己の
言動を正当化する手段や根拠として引き合いに出されるのを許さないであろう。
第四の指摘は、「史的イエス」が人々に対して為す「振舞」と語る「言葉」は、その「十
字架死」をも含む総体にわたって、相手と同一の論理水準、あるいは相手の「振舞」や「言
葉」の拠って立つ基盤と同じ基盤にあることなく、常にそれを通り越して人間のあり方の
根底を指し示し、それによって相手の現実的あり方を相対化するとともに「イエス」自身
の「振舞」と「言葉」を相手が自ずと主体的に引き受けざるを得ない「問いかけ」となっ
ている、というものである。これは或る「言説(ディスクール)」が超越性の契機を孕む場
合、それがどのように「構成」されるかについて、ひとつの示唆となり得ると思われる。
以上4点にわたる「史的イエス」に関する見解の意義を総括してみるとどうなるか。そ
れを、今私は多面的多岐的に展開するのをやめて次のひとつを述べるにとどめたいと思う。
ブルトマン以来主流となっている「宣教のイエス」における「イエス」とでは、私たちの
ような日本の精神風土にある「信仰」の拠らない「知性」は、どうしても最後に「対話」
を断念しなければならないことになってしまう。となるとここに心情の「許術」による「布
教」がつけこむ余地が存在する。だが荒井献のような「史実のイエス」の提示ならば不満
を残すとしても、ノンクリスチャンの「知性」が「イエス」と主体的に対話する可能性を
開くことになるであろう。
「史的イエス」は人々の前に姿を現わして僅か1年または2~3年の間の「振舞」と「言
葉」によって、あるいはその短い「生涯」の全体によって、人間的実存の根源的要請たる
「愛と自由と死」の内在的構造及び契機的連関を開示して見せたのであり、しかもそれら
を「必然的過程」として、「超越的言説」の目に見える鮮明な「像」として「生きた」ので
ある。この「イエス原像」は時を超えて、極限的虚無の中を彷徨する今日の私たちに、人
間の存在論的根底を「問いかけて」やまないのである。
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