鼻尖(びせん)恐怖症 - 曹洞宗 松雲山 長光寺

曹洞宗 心の電話
2014-1
⑤
1/28~2/3
び せ ん きょうふしょう
鼻尖恐怖症
ちょうこうじ
長光寺
ふくしましんえつ
福島伸悦
本を読むとき、自分の鼻が気になって仕方ない経験をしたことが
あ り ま す 。 気 に し だ す と そ れ が 不 快 に な り 、「 気 に し な い よ う に 」
「心配しないように」と、どうにかしようと強迫観念にとらわれて
しまいます。これがひどくなると、鼻尖恐怖症という心の病と診断
されるそうです。私の場合はそこまで重症になりませんでしたが、
治 療 方 法 は 、「 何 か が 気 に な る 」と い う こ と を 、自 然 の 現 象 だ と 受 け
止めることだそうです。
も と も と あ る 鼻 の 先 を 切 り 取 る わ け に も い か な い の で 、「 あ る が
まま」を受け入れて、自分の鼻の先が見えても気にならなくなれば
いいわけです。ただ、鼻は見えるが、それを見ている「自分の心」
は見えないので始末が悪いのがこの病です。
つまらぬことにイライラしないことだとはわかってはいても、そ
の実、イライラして、怒ったり、すねたりすることに似ています。
がしゅう
その原因は何かというと、心の中の囚われ、つまり「我執」なので
す。
世の中には、自分ではどうにもならないことがたくさんあります
が、どうにもならないことに囚われなければ良いわけです。そうい
った心の状況、つまり、見えない「自分の心」を自分でコントロー
ルすることができたら、波立つ心も静まるはずです。
坐禅の姿勢は、何物にもとらわれない姿だと言われます。様々な
思いが浮かんできますが、その思いを追いかけないで放っておける
かどうかが肝要です。そのときどきの「心の動き」に左右されない
穏やかな心の状態を保てるよう、毎日少しでも坐る時間を持ちたい
ものですね。