2015年04月号(No.128)

新日鐵代々木倶楽部で開
ちほどご挨拶いただく石
れている。この詳細はの
が、そろそろ次の移転先
所を置かせていただいた
務所に東京四極会の事務
部の見直しを行おうとし
背景とした、教育福祉学
20 18年問題︵
学の今後の動きとして、
た準備を始めること、大
済学部、工学部も新しい
お願いできる方がおられ
いることなども紹介いた
学部のあり方を模索して
歳の人口が
年こ
)
年理事会
今後の予定
◆平成
総会
水(
)
)
年新年会
)
・
問い合せは、 E-mail:
info@tokyoshiwasukai
.jp または、 Fax:03へ!
5641-1542
新日鐵代々木倶楽部
2月6日 土(
◆平成
カントリークラブ
習志野
9月
◆秋の懇親ゴルフ
田町ニュートーキョー
8月3日 月(
◆若手会員の集い
年 数回
◆東京四極囲碁会
年 数回
◆たまには歩こう会
新日鐵代々木倶楽部
6月6日 土(
26
平成二十七年
東京四極会
新年会開催!
催した。大分の四極会本
川四極会会長からお話を
する賃上げ、国ではない
http://www.tokyoshiwasukai.jp/
本部ベースでは、今年の
4月に全学部のOB会に
時か
よる連合会発足が予定さ
2月7日︵土︶
名の参加を得て
ら、恒例の東京四極会新
部からは新たに就任され
いただけると思う﹂
年会を
た四極会会長石川公一氏
イスラム国の出現など、
を来賓としてお迎えした。 の 大 幅 下 落 、 政 府 が 誘 導
回︶が担当。
を考えなければならなく
ていること、加えて、経
次長︵第
司会は大坪孝幸事務局
今までとは異なる状況が
生まれている。このよう
な中で本日の新年会を迎
年代から中 続いて、石川新四極会
えた。東京四極会の会員
∼
通しした連合会組織を本
同大分大学全同窓会を横
活躍はこれからの課題に
年 4月 1日付で結成する
年代の
なっている。また別の課
予定であること、経済学
年、
年代に移っている。 会 長 が 自 己 紹 介 の あ と 、
構成は
心が
題として、長年、浦崎貞
部創立 100周年に向け
その後の
回︶の会計事
なった。実質 1坪程度の
治氏︵第
松浦隆志事務局次長︵第
場所をお借りしたいが、
どなたか会員のご関係で
︶を
※
回︶による開会の辞で
新年会がスタートし、ま
ず姫野易之理事長︵第
回︶が挨拶にたった。
ればご連絡をいただきた
だいた。︵
大学に進学
※
する
検索
東京四極
60
い。本件は、とにかく何
の寄稿文、過去の会報アーカイブなどをアップしています。
30
らかの対応策を講じてい
掲載できなかった歩こう会の記録・写真、会員皆さんから
20
16
会報「 東京四極だより」は、東京四極会ホームページ
46
28
(HP)
と連動して編集しています。HPは紙面の制約上
12
﹁新年のご挨拶を申し上
姫野理事長挨拶
18
ろから減少に転じる社会
東京四極会ホームページもご覧ください
50
40
きたい。また、四極会の
18
姫 野 易 之
発 行 責 任 者
奥 川 隆 生
編 集 責 任 者
東 京 四 極 会
発
行
所
〒103−0007
東京都中央区日本橋浜町3−45−3
浜町野島ビル5F 浦崎税理士事務所内
TEL/FAX : 03−5641−1542
【書:篠田直雄 東京四極会初代理事長・昭和3年卒 高商4回】
60
55
げる。最近は、原油価格
44
47
2015年(平成27年)4月1日(水曜日)
東京四極だより
第67号(会報通算128号)
1
年が約 4500
現象。﹁大分県の出生数
は昭和
回︶、都
文博︵第
回︶、石川公博
回︶、小俣秀記︵第
回︶
、金馬弘明
回︶、松浦
土田謙二
同
( ︶、鶴田幾雄
上村憲吾︵第
回︶、亀井
敏幸︵同︶、小林伸彦︵第
回︶
、内田孝一
︵第 回︶、濱
回 平・4︶、
回︶、柴原
佳 史︵衛 藤 晟 一 参 議 院 議
員秘書︶
されてすぐ、自社で事務
所を引き受けようと決断
されて大いに助かったの
もてなしたとの大風呂敷
ヒノキ風呂の中に敷いて
は失礼と、
特産の羽二重を
義・安藤幸生・綿貫功さ
龍雄・種田為博・山本文
濱田健・大塚達雄・渡邊
猛・松川正・白木賢二・
い た 。 理 事 会 に は 有 座 野口さんが交詢社に初
を思い出す。
伝説がある。
そんないわれ
んら、大先輩をはじめ論
回︶・元副理事長
のある風呂敷に資料を一
刻﹁貴台のような同窓が
を許され光栄だった。後
る機会があり、私も同席
をお訪ねし、ご高説を承
代理事長の篠田直雄さん
杯詰め込んで、
松川正さん
健在することは心強く、
四極会は幸いで光明があ
る。﹂とのメッセージを
理事として野口先輩に初
野口さんが理事長に就任 大 分 高 商 ⇩大 分 経 専 ⇩
が大きかった。昭和
年、 拝受した。
熱費や事務所費用の負担
相当な期間、会では光
客が目白押しだった。
を集金されていた。
が卒業生を訪ねて年会費
寺田洋太郎︵第
回︶、
田 光 徳︵同︶、松 木 正 典
大町拓也︵第
回︶、米井晃彦︵同︶、大坪 ︵同︶、高橋哲夫︵第
俊生︵同︶、百田秀実︵同︶、 ︵第
英文︵同︶、姫野易之︵同︶、 松田俊秀︵第
溝 辺 憲 治︵同︶、宮 田 豊
許斐秀司︵第
石川県に籍を持つ私が
61
めてご挨拶する機会を頂
地元で聞いたものに、
前田 そ ん な 頃 、 私 は 卒 業 年
侯が都から大殿様を招い
た際にじかにお入り頂く
72 67
︵同︶、大道久夫︵第 回︶、 山下政晴︵同︶、伊賀勝秀
回︶、奥川隆生︵同︶、 孝幸︵第
55
野口旦夫理事長に捧げる言葉
隆志︵同︶、渡邊秀生︵同︶、 ︵同︶、豊田秀造︵同︶、河原
59
57
0名に対し、最寄りの年
佐藤勝峰︵同︶、田中省三 ︵第
回︶による
渡邉俊彦
︵第 回︶、一万田
道敏︵第 回︶、梅谷覚雄
︵同︶、小倉章吾︵同︶、小野
二六︵同︶、佐藤泰久︵第
回︶、小迫邦彦︵同︶、石橋
泉三︵第 回︶、大山博康
征 志︵第
︵同︶、利光国高︵同︶、 城
靖弘︵同︶、小林康祐︵第
︵同︶、永野基昭︵同︶、松浦
53
48
回︶、西依章郎︵同︶、 小橋薫︵同︶、渋谷宝︵同︶、 ︵第 回︶、近藤昌則︵同︶、 千葉
史︵第
︵第
名︶
年︶、寺田洋太郎︵第 回︶
、
池辺和郎︵第 回
で約9600名と激減﹂
局次長︵第
新年会は、江藤晟一参
議院議員の代理挨拶を芝
原秘書が行ったのち、恒
回・たまには
例の各行事紹介を梅谷覚
雄氏︵第
回・囲碁会幹
歩こう会幹事︶、松岡幸
秀氏︵第
回︶
事︶が、ゴルフ会は高橋
信行副理事長︵第
歌斉唱から高橋信行副理
回︶、釘 宮 孝
事長の中締めまで宴は賑
やかに続いた。
回︶、宮本泰雄︵同︶、吉迫
一同、これからの 1年
の会員の健康と四極会活
俊英︵同︶、高橋信行︵第
回︶、田川俊夫︵同︶、竹上
動の盛会を祈って散会し
47
46
63
54
60
その後、西依章郎事務
回︵6
50
名︶の紹介を行った。
回︵ 4名︶と
年次で今回多く参加した
事務局長︵第
回︶が単
宴の半ばで、佐藤勝峰
った。
乾杯の音頭で新年会に移
46
が行ったあと、校歌・寮
経・専
︵石川会長︶
参加会員 ︵
60
30
45
50
45
23
51
30
25
31
48
た。
60
44
24
39
43
44
38
52
38
40
41
2
第67号(会報通算128号)
東京四極だより
2015年(平成27年)4月1日(水曜日)
して行く中で初めて本格
大分大学経済学部と変遷
駅に近い便利な場所に
野口さんの会社は中目黒
は、高商から経専に移り、 勤 さ れ た 記 憶 が あ り 、 四
その頃すでに会員の主力
極会に寄せられた思いの
本格的新聞に脱皮させた。 テルを利用させて頂いた。 め た 感 じ だ っ た が 、 野 口
原 久 州 男︵第
弓 部 義 繁︵第
深さが感じられる。
若返りが良策とされ、
太 郎︵第
藤
浩︵第
さ ん は 新 年 会 ・ 総 会 に 皆 ︵敬称略︶。
んは以下のとおりです
的な東京四極会会員名簿
さらに経専から新制大学
いろんな活性化の方途が
時期に差し掛かっていた。 新理事長の前川さんも
卒が多くを占めるような
あって、喜子夫人の名を
ぶりが窺えた。工場には
と称し、野口さんの愛妻
冠した﹁三喜美術印刷﹂
を整備しようとなり、私
が命を受けて当時の新型
ワープロに卒業年理事が
まとめた名簿を打ち込ん
れ る こ と と な り ま し た。
ら は 多 く のOBの 皆 様 の
こ の た め、2 0 1 5 年 か
回︶、栗
行かれている新宿囲碁セ
ン タ ー は、
NHK学 園 の
な り ま し た。新 宿 囲 碁 セ
ンターで開催することと
回︶、後
回︶、渕 光
回︶、簑 部 源
きた頃、毎年の総会で役
敏さん、姫野易之さんに
を願い、以来、一万田道
憲 治︵第
光 忠 興︵第
松 浦 靖 弘︵第
回︶、溝 邊
れ て い ま す。囲 碁 会 の あ
とには懇親会も行ってい
ま す が、そ ち ら が 楽 し み
れた。今は個人情報管理
同窓連携に大いに活用さ
会員名簿はビジネスでも
確認を進めた。理事長の
名簿に基ずく会費振込の
て意思疎通を図りつつ、
定期的に開くことに決め
し、卒業年次別理事会を
を熟知することができた。 お 願 い を 展 開 す る こ と と
して若返りに弾みをつけ
ろ経専卒にバトンタッチ
になっている。﹁そろそ
大卒なのにトップが高商
かった故に会員の多くが
数年理事長職を手放さな
改革と組織化を果たされ
興の祖と呼ぶに相応しい
等々まさに東京四極会中
刊、会費の振込制導入
﹁東京四極だより﹂の創
事会の定例化、機関紙
0 14年
だ い て お り ま し た が、2
サロンを利用させていた
お 世 話 に な り、赤 坂 囲 碁
員 名 簿 の 発 行 、 卒 業 年 理 会 場 は、渕 光 太 郎 氏 の
希 望 の 方 は、四 極 会 事 務
大 歓 迎 で す の で、参 加 ご
者を含め囲碁会参加者は
い ら っ し ゃ い ま す。初 心
で参加下さっている方も
面から名簿の出番がない
るのは如何?﹂と進言し
た野口理事長のご功績は
12
を伝える媒体として不定
増田てつ︵吉の字を二つ
会社の会議室や、住友の
名簿整備後の会員動静 幹事会は、野口さんの
見かけすることがない冷
人は、退任後は一度もお
から賛辞を送り、ご冥福 昭和
野口さん前の理事長お二 いま訃報を前にして心
誕生することとなった。
をお祈りしたい。
と輝く。
回︵三九会︶
周
時から小迫邦彦君の名司
会に花を添えた。午後6
年記念全国大会﹂が平成
日、秋晴れの
余名を代表
者に対する歓迎の挨拶が
して佐藤泰久君から出席
地元幹事団
好天のもと、東京・港区
あり、続いてはるばる沖
年間本部
性2名の参加もあって大
であり、さらに同期の女
続く2年ぶりの全国大会
で開催された前回大会に
た。今回は、大分・別府
念の品が手渡された。こ
佐藤代表から相良君に記
君への謝辞が述べられ、
事果たした同期の相良浩
四極会会長職の重責を見
君から、この
のホテル・アジュール竹
名もの仲間が集まっ
芝で開催され、群馬から
月
会で懇親会が始まった。
年卒業の同期生
50
50
縄から参加した牧野浩隆
17
沖縄に至る全国各地から
年
大学
大学卒業 周年を祝い
全国大会を東京で開催
局までお申し込み下さい。
ようで、名簿作りの煩雑
旗振りで財政安定化の道
東京四極会の歴史に燦然
期の新聞発行が提議され
並べた文字︶三先輩にお
城
月末で閉鎖さ
さを懐かしむといささか
たらOKが出て、経専の
回︶、豊 田 秀
OBの 田 中 氏 が 講 師 も さ
回︶、 囲碁講座も行われており、
回︶、梅谷覚雄︵第
員改選が諮られる折、続
なって現在に至るのはま
回︶、大石勝︵第
治︵第
セット機が並び、精密機
さにご同慶の至りに思う。 造︵第 回︶、松岡幸秀︵第
早々と荒木襄さんに出馬
械関係の得意先が多いと
投のお気持ちに見受けら
開け運営が軌道に乗って
稿を野口さんの会社で印
れた野口さんからご下問
高価な西ドイツ製のオフ
刷して配布した。発送業
伺った。
回︶、吉
務は会社にサービスして
41
エース前川徹朗理事長が
回︶
頂いた。私は打ち込み作 この頃から会費を集金
だ。出来上がった名簿原
32 29
事務所費用の合理化、会
44
が定着した。
業のお蔭で会員のお名前
44
寂しい。
50
39
による﹁四極三九会
願いして都市センターホ
回︶
回︶
た。理事各位から寄せら
る と 1点 減 り ま す し 、 優 征志氏︵第
回︶
田中典明氏
12
10
れたニュースをワープロ
下の方々です。
囲碁会幹事・松岡幸秀︵第
◎8 月
勝すると
になっていますので、対
準優勝
回︶
−大分大学経済学部昭和39年度卒業生 四極三九会50周年記念東京大会−
33
33
があった。前々任者が十
40
37
制から銀行振込に変える
38
52
26
に打ち込み、野口さんの
東京四極囲碁会だより
会社のテーブルに並べて
かもしれませんが、勝つ
レイアウトを決め、輪転
と点数が 1点増え、負け
だき、3か月ごとに開催
日
優勝
くの皆さんにご参加いた
機にかけて頂いてタブロ 東京四極囲碁会は、多
しています。対戦は段級
イド版の﹁東京四極だよ
り﹂が誕生した。編集打
点 増 え る こ と 準優勝
該当者なし
ち合わせ時には必ずビー
局 を 重 ね る こ と で 適 正 な 利男氏︵第
日
優勝
中里
位ではなく点数をつけ、
点数に収斂すると考えて 月
点数差によってハンディ
◎
ルが理事長から出されて
が決まります。点数は各
︵第
10
52
の優勝者、準優勝者は以 その他の参加者の皆さ
自の申告によりますので、 い ま す 。 最 近 の 囲 碁 会 で
当初は有利・不利がある
13
44
41
30
喉を潤した。
ほどなく文芸センスに
れた安藤幸生さんが編
集を担当、今につながる
12
48
37
10
11
2015年(平成27年)4月1日(水曜日)
東京四極だより
第67号(会報通算128号)
3
年間の四極
れにこたえる形で、相良
東利雄、梅崎正人、大町尚
浩、有松英俊、泉幸彦、伊
赤松常好、阿南次隆、阿部
が っ て 観 音 堂 に 入 り、本
ん で 色 鮮 か だ。石 段 を 上
り一帯はかなり紅葉が進
陀如来坐
︵国 宝︶。鎌 倉
宗 の 寺 院 だ。本 尊 は 阿 弥
院・清 浄 泉 寺 と い い 浄 土
坂を扇ガ谷に下りて左折
ろ し て 昼 食 タ イ ム。化 粧
広 場 に 出 た。適 宜 腰 を 下
左に続く路を裏の墓地へ
葉 が 出 迎 え、山 門 脇 か ら
を進むと色付き始めた紅
金子祥子さん、首藤静子
君、南条宏君、紅2点の
らく歓談のあと、阿部浩
が縷々披露された。しば
会会長としての思い出話
佐藤泰久、猿渡信正、首藤
彦、相良浩、佐々本孝文、
徳三郎、久保一年、小迫邦
加藤凱章、川野宏之、草留
夫、金子︵旧姓江口︶祥子、
があったが左に向かわず
すぐに光則寺の石の道標
牟尼は
美男に
の︵鎌 倉 や
みほとけな
ス 停 に 戻 り 県 道 を 進 む と m 。境 内 に は 与 謝 野 晶 子
長谷寺を出て長谷観音バ
れど釈
分に点
お は す 夏 木 立 か な︶の 句
を 含 め た 高 さ は 1 3,5
尊 の 十 一 面 観 音 を 拝 観。 後 期 作 の 青 銅 造 り で 台 座
殿︵薬師堂︶があり本尊の
置 し て い る。左 手 に は 仏
る本堂で十一面観音を安
正面が﹁龍護殿﹂と呼ばれ
の 寺 院 だ。境 内 に 入 る と
だ。山号は扇谷山、臨済宗
すると間もなく海蔵寺
前。駅 近 く の 店 で 軽 く 反
駅に着いたのは午後3時
夫妻とはここで別れ、鎌倉
ご 夫 妻・松 永 政 弘 さ ん ご
墓︶がある。松岡幸秀さん
のやぐら︵岸壁に掘られた
向かう。北条政子・源実朝
君からこの
さん、さらに村上秀義君
碑 が あ る。 時
グコースへ。
呼を採って大仏ハイキン
昭、重松恒夫、田熊勝二、
日 蓮 宗。開 山 は 日 朗 上 人
懐かしんだユーモアたっ
で 日 蓮 上 人 を 祀 る。比 較
し て 知 ら れ て い る。こ の
次に訪れたのは鎌倉大
開 基 は 北 条 長 時、本 尊 は
真言宗泉涌寺派の寺院で
路 を 渡 り、県 道
収玄寺から北へ向かって
海 光 山・慈 照 院︵長 谷 観
JR横 須 賀 線 に 沿 っ て や
参 加 者 ︵生 田 陽 代・ 城
年2月
日
(回 )
︵敬称略︶
謹んでお悔やみ
申し上げます
平成
月
前川
徹朗
年
年
碇
照美
平成
(回 )
日
(回 )
野口
旦夫
年8月
の尼寺で開基は家康の側
平成
を洗うと何
唐 門・鐘 楼・祠 堂︵英 勝
(回 )
月
伊藤
英二
中原
時信
(回 )
年9月8日
平成
伝 わ る お 勝︵英 勝 院︶。本
室で太田道灌の後裔とも
という信仰
尊阿弥陀三尊
たたび急坂
院の墓
浩一
化 財 に 指 定 さ れ て い る。 江藤
平成
月
続いて隣接する寿福寺に
立 ち 寄 る。亀 谷 山 寿 福 金
年
山公園に到
剛禅寺という臨済宗建長
平成
月
切通しの先
寺派の寺院で鎌倉五山の
月
第 三 位。総 門 を 入 り 参 道
年
が立つ
の
登って頼朝
年
の急坂を
平成
る。化 粧 坂
︶は 神 奈 川 県 文
を登り源氏
・仏 殿・ 平成
が あ る。ふ
倍にもなる
霊水でお札 東 光 山 英 勝 寺 は 浄 土 宗
烈
っ て お り、 や南に下り、踏切を渡る。 内田
財天︶を 祀
堅
︵重 文︶。 南
窟の奥に市
題 に な り ま し た。今 後 も
出るとすぐ左手に収玄寺
長 谷 観 音 バ ス 停 を 左 折。
音︶と し て 親 し ま れ て い
阿弥陀三尊坐
く ぐ っ て 洞 窟 に 入 る。洞
秋の天候で曇りがちでし
同期生に声をかけ多数の
が あ る。こ の 寺 は 日 蓮 宗
だらだら坂の突き当りが
あった鎌倉武士の四条頼
る。山門の﹁長谷寺﹂の赤
杵姫命︵弁
仏。山 号 は 大 異 山。高 徳
たが涼しくて林間コース
参加でこの会の盛会を祈
の寺院で日蓮の高弟で
基︵官 位 が 左 衛 門 尉=唐
32
が祀られている。
征志・坂井大和・竹上英文・
武下孝治、田中和夫、千葉
土 田 謙 二・野 田 和 文・野
親、土屋義方、中島龍樹、
号 線 を 山 側 に 進 元 の 道 に 戻 っ て、化 粧
村聡・松浦靖弘・松岡幸秀・
ぷりのスピーチや歌唱の
坂 入 口 を 過 ぎJR横 須 賀
披露があった。懇親会の
線の下をくぐるとすぐ左
美 知 子・松 永 幸 一・松 永
的小さな寺だが四季折々 県道
で 右 手 の 階 段 を 登 る。分
む。大 仏 ト ン ネ ル の 手 前
政弘・紀久子・溝部憲治・
回︶、高橋信行
回︶、山下正晴︵
回︶、都
俊
回歩こう会
じんまりとしているがな
で大きな立木に圧倒され
念し散会しました。
さ ん、齋 藤 道 憲 さ ん が 初
い 提 灯 が 目 に つ く。境 内
した。
の花が咲き、﹁花の寺﹂と
手 に 八 角 の お 堂・海 蔵 寺
回︶、斎藤道憲︵ 回︶、吉
岩舟地蔵堂が見えてき
高橋信行
信、広井洋介、藤井恭一、 ベスグロ︵ ︶
岐を右に向かい源氏山公
藤原宏章、本多廣、牧野浩 準優勝
全員肩を組んで校歌、寮
園 を 目 指 す。入 口 で 右 に
歌を斉唱し、中締めは猿
日は紅葉がまだ色付き初
迫利英︵
回︶、 め で あ っ た が、山 茶 花 や
桑山茂春
回︶、野村聡︵
回︶
夫︵ 回︶、前田信夫︵
石松英二︵
山 下 正 晴、 ︵
隆、松 田 洋 三 郎、宮 本 龍 第3位
梅谷覚雄︶以上
也、村上秀義、森瀬清博、 ニアピン賞
た。地 蔵 堂 の 先 を 左 折 し
渡信正君と藤原宏章君に
折れ急坂を降ると銭洗い
よって行われ、3時間に
回︶、佐藤泰
︵晩秋の鎌倉散歩︶第
過ぎに江ノ電の長谷駅に
か な か 風 情 の あ る 寺 で、
の 揮 毫 は 東 郷 平 八 郎。こ
のレベルの高さとゴルフ
集 合。長 谷 駅 で 降 り て 線
日︵土︶午前9時
43
ながら、
さらに大きなバン
参 加 し 健 闘 さ れ ま し た。 名・金 吾 で あ っ た の で 四
に 入 る と、眼 前 に 妙 智 池
期の桑山茂春
がらも楽しくプレーする
条 金 吾 と も い わ れ る︶の
カーや多彩な池に悩みな 今回は
ことが出来ました。
屋敷跡に建てられ山号を
どが凄腕の持ち主でレベ
成績は次の通りとなりま
と 放 生 池。観 音 堂 に 登 る
今回の参加者はほとん
背 後 の 斜 面 を 含 め、あ た
名
センリョウの赤い実が目
てさらに進むと浄光妙寺
齋藤道憲、
高橋信行
入 口。泉 谷 山 浄 光 妙 寺 は
森園寛、山崎喜国、山本良
弁 天。入 口 に﹁宇 賀 福 神
及ぶ楽しい全国大会初日
社﹂の石碑があり、鳥居を
参加者氏名
︵東節信
記︶ 江藤浩一︵
照、山本良一、吉永憲司
■出席者 ︵敬称略︶
43
色付き始めた源氏山公園の紅葉
52
名参加で開催しました。 に対する熱意と努力が話
月
69
48
48
43
48
44
秋 の 気 配 が 漂 っ て い た。
があり改めて経済出身者 ティでは全員で自己紹介
第 回秋の懇親ゴルフ会
恒例の秋の懇親ゴルフ
会を9月 日︵水︶に習志
48
号線に
野CCク イ ー ン コ ー ス で
38
四 条 院 と い い、境 内 に あ
24
(回 )
日
(回 )
日
(回 )
日
18 35 27 32 20 38
22
回︶ る﹁四条金吾邸址﹂の碑文
吉 迫 利 英︵
回コンペ入賞者
40
10
25
11
11
11
12
11
15
14
36
19 17
26
はお開きとなった。
についた。
南 条 宏、早 川 国 光、東 節
40
最後は、東節信の指揮で
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26
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薬師如来︵別名啼き薬師︶ 省会の後解散した。
そのまま直進してしまい
久︵ 回︶、桑山茂春︵
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後 戻 り。行 時 山 光 則 寺 は
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ら 各 代 表 か ら 大 学 時 代 を ︵旧姓工藤︶静子、重岡洋
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17
ルの高いゴルフ会となり 第
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26
26
32
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ま し た。プ レ ー 後 の パ ー 優 勝
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2015年(平成27年)4月1日(水曜日)
東京四極だより
第67号(会報通算128号)
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