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Philharmony October 2012
©Andrew Garn
l
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M
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r
o
L
今月のマエストロ
ロリン・マゼール
真に偉大なるものとは何かを知らしめる
マゼールの指揮芸術
文
諸石幸生
今月のマエストロ
現代においては、新しい演奏家の
ロリン・マゼール
心も高い。いずれにしても、現代の
進出が著しく、演奏スタイルも激し
い変化を見せている。さらに古楽演
奏が普及・定着・浸透してきた中で、
次の主流はどうなるのかといった関
演奏のあり方と 20 世紀のそれが大
いに異なることは明らかであろう。
それは 20 世紀が「巨匠芸術の時
代」であり、「名演の時代」と呼ば
れたように、音楽を聴くということ
が、名演奏家たちの至芸を聴くとい
うことを意味する、そんな時代であ
ったからである。即ち、20 世紀に
あっては、演奏家たちが主役となっ
て楽壇をリード、ファンも彼らの演
奏家としての魅力はもとより、人格
的な味わいまでも堪能してきたの
である。フルトヴェングラー、ワル
ター、トスカニーニ、クレンペラー、
ベームなどがその代表格だが、21
世紀になってそうしたいわゆる大物
がいなくなってきたこともあり、よ
り作品主体に鑑賞するといった姿勢
が主流となり、音楽の聴き方は大き
く変わってきたのである。
だが、そのような巨匠芸術を惜し
む声は今なお大きいのも事実である。
「巨匠たちの時代」の継承者
今回N響に初登場する指揮者マゼ
ールはそうした 20 世紀の巨匠たち
を直接知るだけではなく、自らをそ
うした演奏芸術の継承たるべきとの
認識をもつ、現代では数少ないマエ
ストロということになる。以下は筆
者が過去に行ったインタビューから
の引用である。
「私はそうした 20 世紀の、いや
19 世紀以来の演奏芸術の伝統を継
承していく責任すら感じています。
幸いにも私はストラヴィンスキー、
ヒンデミット、ラフマニノフ、シェ
ーンベルクを直接知り、さらにクラ
イスラーやハイフェッツ、ミルシテ
インとも交流がありました。もちろ
んトスカニーニの演奏も聴いていま
すし、11 歳の時にはトスカニーニ
のために組織されていたNBC交響
楽団の指揮台にも立っています。ト
スカニーニとは話もしましたが、何
かを教えてもらうというのではなく、
祖父のような優しい方といった印象
でした。偉大なる音楽家を直接知る
人も現代では本当に少なくなってき
ましたから、私にはそうした伝統を
伝えていく責任があるのです。
20 世紀が『巨匠たちの時代』で
あったことは疑いようがありませ
ん。私はこうした栄光の時代が 21
世紀に失われつつあることを危惧し
ています。そしてこれは、演奏家側
の責任というよりも、実は社会の問
題、即ち、現代に生きる人々が偉大
さを見ようとせず、探究する情熱も
失っている、そうした現実に根ざし
ているのではないかと心配していま
す。皆が同じでなくてはならないと
いった考え方がはびこり、偉 大さと
は無縁の生活を送ろうとしています。
こうした傾向はあらゆる世界で言
えることですが、芸術の世界ではこ
ルハーモニー管弦楽団とチャイコフ
ポーツの世界にスターを求めますし、
スキーの交響曲全集を収録していた
恋人を喜ばせるためには血眼になっ
ことなどが懐かしい。もちろんグラ
て最高のレストランを探し求めます。
ズノフの《ヴァイオリン協奏曲》が
でも音楽の世界でそうしたことはし
ウィーン・フィルのコンサートマス
なくなりました。演奏家に対する関
ター、キュッヒルのもとで演奏され
心が希薄になってきたのです。
るのも待ち遠しいし、もっと知られ
でも私はこう思います。人はやは
てしかるべきというマエストロの真
り偉大なる人間に出会いたいし、名
意も必ずや理解されよう。そしてス
演にも触れたいのです。古楽もいい
クリャービンの《法悦の詩》も大作
し、現代の音楽も素晴らしいです。
であり、N響がどのような響きと音
しかし、価値観の多様化が、ともす
色とでこの名作を歌い上げてくれる
ると自分たちの信じるものを放棄せ
のか興味は尽きない。
ざるを得ない、といった不思議な状
Bプロは、マゼール自身が「名曲
況を作り出し、真に偉大なものから
コンサートであり、コメントはむし
離れていく、そんな情況すら作り出
ろ控えて、作曲家たちの天才たる証
しているのではと心配しています」
をお愉しみあれ」といった調子の文
マゼールはこのように語っている
を寄せている(前出:N 響ホーム
が、今回のN響との初共演は、さす
ページ)
。モーツァルトの《
「プラ
がに世界を知るマエストロというべ
ハ」交響曲》はウィーン的な味わい
きか、いや名演の歴史そのものを自
になるのか興味津々だが、ウェーバ
ら歩んできたマエストロならではの
ーの《クラリネット協奏曲》がウィ
骨太のプログラムが 3 つ並ぶ。
ーン・フィルの首席オッテンザマー
ちまなこ
巨匠芸術を堪能する
骨太のプログラム
のソロで聴けるというのもなんとも
ぜい たく
贅 沢 である。さすが にウィーン・フ
ィルとの抜群の相性をもって知られ
Aプロは、ロシアの作品集であ
るマゼールにして初めて実現可能な
り、チャイコフスキー、グラズノフ
人選とプログラムである。もちろん
そしてスクリャービンの名作が演奏
ラヴェルの 2 曲がこの日のハイライ
される。マゼールの各作品への想い
トとなることは論を待たない。心憎
は、マゼール自らが寄せたメッセー
い巧さで作品の核心に肉薄するだけ
ジ(N響ホームページに掲載)をお
ではなく、オーケストラのコントロ
読みいただくとして、振り返ってみ
ールと表現のスケール感という点か
るとマゼールの家系はもともとロ
らもマゼールの巨匠芸術を堪能する、
シア系であり、キャリアの最初期、
聴きどころ満載の一夜となろう。
1960 年代の初めにはウィーン・フィ
そしてCプロは《リング》である。
たんのう
Philharmony October 2012
とに顕著だと思われます。人々はス
今月のマエストロ
これは「歌のない『指環』
」として
はワーグナーの楽劇そのものがもつ
1987 年にベルリン・フィルがマゼー
オーケストラ音楽としての豊かさを
ルのもとで録音をした版による演奏
改めて堪能させてくれよう。
である。それは、ほぼ 70 分で聴く
いずれにしても、今回のプログラ
オーケストラ版の《リング》だが、
ムは初顔合わせとは思えないほど盛
ロリン・マゼール
不思議に聴き手は「指環」の世界を
りだくさんである。こんな贅沢な音
かえってイメージ豊かに、想像力を
楽の祭典はマゼールのみに可能なこ
たくま
逞しくして鑑賞できるように思われ
とであり、これもまた聴き手が憧れ
てならない。ライトモティーフにこ
を胸に浸りきる巨匠芸術ということ
だわるのではなく、作品全体をあく
になろう。
までも自然かつ有機的に再現しよう
(もろいし・さちお 音楽評論家)
としたマゼールの労作であり、それ
プロフィール
マゼールは、今や年齢的にも、キ
ャリアの豊かさの点からも、さらに
名声という点からも、世界屈指の存
在である。指揮者としてのキャリア
も既に 10 歳前後からスタート、神
名ヴァイオリン奏者としても広く知
られている。
ウィーン・フィルハーモニー管弦
楽団とはことに関係が深く、名誉団
員であり、
「ニューイヤー・コンサ
童として話題を集めてきた。トスカ
ート」にはこれまで 11 回登場して
くんとう
ニーニからの薫陶も受けるなど歴史
いる。ベルリン・フィルハーモニー
的な存在でもある。
管弦楽団ともたびたび共演しており、
これまでウィーン国立歌劇場総監
ビューロー・シルバー・メダルが授
督を筆頭に、ベルリン・ドイツ・オペ
与されている。2012/13 年のシーズ
ラ、クリーヴランド管弦楽団、バイ
ンからミュンヘン・フィルハーモニ
エルン放送交響楽団、ニューヨー
ー管弦楽団の音楽監督に就任する。
ク・フィルハーモニック、フランス
1963 年以来、来日を繰り返して
国立管弦楽団など世界屈指のオペラ
おり、最も親しまれている名指揮者
ハウスや名門オーケストラなどの音
の一人だが、NHK交響楽団を指揮
楽監督、首席指揮者を歴任。バイロ
するのは今回が初めてである。また、
イト音楽祭にも最年少の若さで登板
マゼール自身が編曲したワーグナー
するなど、その歩み一つ一つが歴史
の《ニーベルングの指環》管弦楽曲
的な偉業として記録されている。さ
集などのプログラムに期待感が募る。
らに作曲家、編曲家としても著名で、 まさに現代の巨匠である。
第 1736 回 NHKホール
10/13[土]開演 6:00pm
10/14[日]開演 3:00pm
[指揮]
A
1736th Subscription Concert / NHK Hall
13th (Sat.) Oct, 6:00pm
14th (Sun.) Oct, 3:00pm
ロリン・マゼール
[conductor]Lorin Maazel
[ヴァイオリン]
[violin]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
ライナー・キュッヒル
Rainer Küchl
篠崎史紀
Fuminori Shinozaki
チャイコフスキー
組曲 第 3 番 ト長調 作品 55(42’)
Peter Il’ich Tchaikovsky (1840-1893)
Suite No.3 G major op.55
Ⅰエレジー
Ⅱ憂鬱なワルツ
Ⅲスケルツォ
Ⅳ主題と変奏
ⅠÉlégie
ⅡValse mélancolique
ⅢScherzo
ⅣTema con variazioni
休憩 Intermission
グラズノフ
ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品 82
(20’)
Aleksandr Glazunov (1865-1936)
Violin Concerto a minor op.82
Ⅰモデラート
Ⅱアンダンテ・ソステヌート
Ⅲアレグロ
ⅠModerato
ⅡAndante sostenuto
ⅢAllegro
スクリャービン
法悦の詩(20’)
Aleksandr Skriabin (1872-1915)
Le poème de l’extase
Philharmony October 2012
Program
Soloist
Program
A
©Winnie Küchl
ヴァイオリン
ライナー・キュッヒル
Rainer Küchl
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
テット(オーストリア国外およびCDで
の名コンサートマスターであり、ソリス
はウィーン・ムジークフェライン弦楽四
トとしても世界的に活躍している。1950
重奏団)を結成。1982 年からウィーン
年 8 月 25 日、オーストリアのヴァイト
国立音楽大学教授を務め、ヴァイオリン
ホーフェン・アン・デア・イプスに生まれ
科主任のポストにある。NHK交響楽団
た。14 歳でウィーン国立音楽アカデミ
とは、2007 年 12 月の定期公演でプフィ
ー(現ウィーン国立音楽大学)に入学し、
ッツナーの《ヴァイオリン協奏曲》を共
1971 年、21 歳でウィーン・フィル及び
演。また、2011 年 5 月の定期公演では
ウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサー
ゲスト・コンサートマスターを務め、R.
トマスターに就任。カール・ベームの時
シュトラウスの交響詩《英雄の生涯》で
代から現代に至るウィーン・フィルの名
素晴らしいソロを披露した。
演を支える。1973 年にキュッヒル・カル
(山田治生)
チャイコフスキー
1840-1893
組曲 第3番 ト長調 作品55
チャイコフスキーは、
《交響曲第 4
番》(1877 年 ) 以後、交響曲をたびた
び試みては断念する。
1884 年 4 月〜 7 月、ウクライナの
カメンカでは結局、組曲に変え、同
年末に《組曲第 3 番》の最終稿を完
成。ドイツ人指揮者エルトマンスデ
ルファー(1885 〜 1889 年在露)に
捧げた。
《第 3 番》はすぐ人気作とな
った。チャイコフスキーの自作指揮
リストでも、1889 年から 1893 年ま
で全曲を計 9 回ともっとも多い。彼
の組曲は現在、さほど重視されてい
ないが、交響曲の規範から解放され
た作曲者は、自由に純粋な音楽美を
めざす。後の交響曲への試行錯誤の
跡としても、この作品は興味深い。
ォ〉6/8 拍子、プレスト、ホ短調。テ
ンポでほかの 3 曲と対比をなす。A
BAの構造。2 つの動機 — 3 小節
(木管)と 5 小節(弦)— からなり、
2/4 拍子が挿入される。第 4 曲〈主
題と変奏〉主題は 4/8 拍子、アンダ
ンテ・コン・モート、ト長調。
《ロコ
コ風の主題による変奏曲》(1877 年 )
とともに、彼の高い変奏技術を示す。
全 12 の変奏曲で、前半 6 曲は優雅な
主題をあまり変えず、楽器編成など
で新しい表現に挑戦。グレゴリオ聖
歌《ディエス・イレ》を響かせた第 4
変奏(ロ短調)とフーガの第 5 変奏
(55 小節)以外は、曲の長さと調性
などは共通する。後半 6 曲では、多
彩な音楽イメージを発展させた。第
第 1 曲〈エレジー〉6/8 拍子、アン
7 変奏で主題のヴァリアントを表現。
ト長調。ABCBAのシンメトリッ
第 9 変奏(イ長調)で民衆の祭りを
ダンティーノ・モルト・カンタービレ、
第 8 変奏でフリギア旋法を響かせる。
クな構造。2/4 拍子が巧みに挿入され
再現。第 10 変奏(ロ短調)から都会
子、アレグロ・モデラート、ホ短調。
長調)で持続低音を効果的に響かせ、
ゆううつ
る。第 2 曲〈憂鬱 なワルツ 〉3 /4 拍
風の舞踊音楽になる。第 11 変奏(ロ
ワルツを愛したチャイコフスキーの、
第 12 変奏のポロネーズで終わる。
悲しいワルツ。第 3 曲〈 ス ケ ル ツ
作曲年代:1884 年 4 月〜 7 月 19 日/ 31 日*
初演:1885 年 1 月 12 日/ 24 日*、ペテルブル
ク、ハンス・フォン・ビューロー指揮、ロシア
音楽協会交響楽演奏会
※日付は旧ロシア暦。* は西暦。
(伊藤恵子)
楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボ
エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ
ト 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット
2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、
大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、
タンブリン、ハープ 1、弦楽
Philharmony October 2012
Peter Il’ich Tchaikovsky
Program
Aleksandr Glazunov
グラズノフ
1865-1936
ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82
A
富裕な生家、音楽に理解のある両
ひ
ご
親、早くからの楽壇の認知と庇 護
―グラズノフの音楽修業時代は、
ロシアのどの先輩よりも恵まれて
い た。 そ の 後 1890 年 代 に は 作 曲
家、指揮者としてロシア内外で名声
を確立。教育界でも活躍し、20 世
紀初頭には 30 代半ばにして、ロシ
ア音楽界の実力者となっていた。創
作力の絶頂期となる当時の代表作
が、《交響曲第 7 番》
(1902 年)と
《第 8 番》
(1905 〜 1906 年 )
、そし
てこの《ヴァイオリン協奏曲》であ
る。初の協奏曲だが ―13 年前の
ヴァイオリンとオーケストラのため
の小曲《瞑想》作品 32(1891 年)
せい ち
に比べ―二つの媒体の精緻な書法
とそこから生まれる豊かな表現力ほ
か、あらゆる点で作曲当時の彼の円
熟ぶりがうかがわれる。
この作品は協奏曲としては短く、
全体は休みなく演奏される。モデ
ラート、アンダンテ・ソステヌート、
アレグロという、伝統的な 3 つの
楽章を並べながらも、モデラートと
中間楽章を重層的につなげた。その
ため作品は単一楽章とも 2 楽章構
成とも解釈できる。グラズノフは音
楽理論を完璧に修め、完成度の高い
形式を多数試みた。すぐれた形式感
かい ぎやく
で知られる彼の諧謔的な仕掛けとも
言えるだろうか。そこでは、重厚で
壮麗なオーケストラ、名技の魅力に
あふれる独奏ヴァイオリンが躍動す
る。ラフマニノフの《ピアノ協奏曲
第 2 番》を想わせる色彩豊かな半
音階的進行が多用され、哀しさと優
しさ、緊張感と安らぎにみちた美し
つむ
い旋律が次々と紡ぎだされる。ヤッ
シャ・ハイフェッツほか多くの名手
が早くからこの曲を愛奏した。以来
演奏家と音楽ファン双方に絶大な人
気を博し、世界の舞台に定着した数
少ないグラズノフ作品のひとつとな
った。現在ではチャイコフスキーや
プロコフィエフ、ショスタコーヴィ
チらのヴァイオリン協奏曲とともに、
ロシア・ヴァイオリン音楽の名作と
される。
「力強い一団」(ロシア五人組のこ
と)とチャイコフスキーら恩師と先
輩のよき伝統を守り、その発展をひ
たすら心がけた 19 世紀ロシアの古
典派作曲家グラズノフ。16 歳で出
世作、
《交響曲第 1 番》を書いたか
つての「ロシアのモーツァルト」の
創作力は、それからほぼ四半世紀を
経た 40 歳前後で、発展の終わりを
迎えることになる。多くの時間と精
力を要した音楽院の仕事、健康状態
の悪化と、ロシア革命などの社会不
安に加え、ますます強くなる新たな
音楽潮流が影響したのだ。折衷主義
者とされた彼は、音楽史の転換期に
な実験には激しい拒否感を示した。
R. シュトラウスの音楽にさえ嫌悪
感をおぼえ、後輩であるプロコフィ
エフ、ストラヴィンスキーらの音楽
など論外だった―ただし若きショ
グラズノフの新作誕生に、強い影
響を与えたチャイコフスキーの《ヴ
ァイオリン協奏曲》(初版)は、同
じアウアーに献呈されたが初演は断
う よきよくせつ
られ、紆余曲折を経てやっと実現し
た初演(ウィーン)は、ハンスリッ
スタコーヴィチの輝かしい未来を予
クから酷評された。先輩の名曲初演
知できる眼力はもっていたが。グラ
秘話を想えば、この新作はまことに
ズノフの《ヴァイオリン協奏曲》は、
祝福されて登場したのだった。
彼の創作力の絶頂期の終わりを―
第 1 楽章 モデラート イ短調 4/4 拍
少なくとも終わりの始まりを―告
子。自由なソナタ形式。第 1 主題は
げる作品だった。それはまた終わり
イ短調、第 2 主題はへ長調。第 2 主
ゆく後期ロマン派を締めくくる最後
題を中心とした展開部は、完結しな
の輝かしいヴァイオリン協奏曲とな
いままアンダンテに代わる。
った。
第 2 楽章 アンダンテ・ソステヌート
多くの楽器を修得したグラズノフ
変ニ長調 3/4 拍子。変ニ長調の哀し
だが、独奏ヴァイオリンのパートの
げな主題が歌われ、独奏ヴァイオリ
創作には、ペテルブルク音楽院の同
ンのピッツィカートを経て、前楽章
僚レオポルド・アウアーらに助言を
の展開部と再現部が始まる。第 1 主
仰いだ。完成作を献呈されたこの同
題(イ短調)は嬰ハ短調などで展開
僚は初演を快諾。翌年 2 月/ 3 月*
され、前楽章の二つの主題が互いに
の初演で作曲者は誇らしげに指揮棒
応答を繰り返す。作曲者自作の華麗
を振った。第一次ロシア革命直後の
で技巧的なカデンツァが続き、完全
ペテルブルク。少なからぬ音楽院学
に終結しないまま、第 3 楽章に移る。
生が革命運動に参加し、教師の中に
第 3 楽章 アレグロ イ長調 6/8 拍子。
は革命支持派も多い。街には不穏な
自由なロンド形式。狩猟音楽のモテ
空気が充満していたが、演奏会場を
ィーフによる二つの主題は、バグパ
うめた聴衆は、この協奏曲に陶然と
イプやバラライカの響きを模倣して、
なり、アサフィエフほか評論家連も
南ロシアの陽気で楽しい祭りの雰囲
新作を高く評価し、歓迎した。
気を漂わせる。
作曲年代:1904 年
初演:1905 年 2 月 19 日/ 3 月 4 日*、ペテル
ブルク、作曲者の指揮による。独奏レオポル
ド・アウアー。
※日付は旧ロシア暦。* は西暦。
(伊藤恵子)
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ
2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、
トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ
1、トライアングル、シンバル、グロッケンシ
ュピール、ハープ 1、弦楽、ヴァイオリン・ソ
ロ
Philharmony October 2012
あって、新たな可能性を求める大胆
Program
Aleksandr Skriabin
1872-1915
スクリャービン
法悦の詩
A
アレクサンドル・スクリャービン
は、43 歳という若さで亡くなった
ので、作曲家としての活動期間はそ
れほど長いわけではない。しかし、
彼が初期に書いたショパン風のピア
ノ曲と、後半生の作品、例えば後期
のピアノ・ソナタとの間には、同じ
作曲家の作品とは思えないほどの違
いがある。スクリャービンの作風に
このような大きな変化をもたらした
のは、神智学と呼ばれる思想であっ
た。
スクリャービンが神秘主義に傾倒
するようになったのは、創作力が最
も充実していた 1903 年ごろからだ
った。彼は、さまざまな哲学書を読
みふけり、神秘主義的傾向の強い哲
学者ウラディーミル・ソロヴィヨフ
らに強い影響を受け、次第に音楽と
哲学の融合を考えるようになる。こ
の傾向は、1905 年、ブラヴァツキ
ー夫人の著作『神智学の鍵』を読ん
だことにより、決定的となる。
神智学とは、古代ギリシャやイン
ドの思想からカバラや錬金術まで、
あらゆる宗教や思想を統合しようと
するもので、全宇宙の根底には万物
の根源たる絶対的な神性が存在し、
人間はその神性と本質的に同一であ
るというような考え方を基本にして
いる。このような考え方に強く共感
したスクリャービンは、自分と神と
の同一性を信じ、自分の芸術によっ
て世界を変革し、原初の単一性に回
帰させることができると、本気で信
じるようになった。さらには、自分
には奇跡的な力があると信じ、キリ
ストをまねて、ジュネーヴで湖水の
上を歩こうとするなど、常軌を逸し
た行動も現れた。スクリャービンの
周囲には、このような彼の変化につ
いていけなくなった人も少なくなか
った。当時すでに別居していた妻ヴ
ェーラもその一人だった。スクリャ
ービンはヴェーラを捨て、彼の思想
を理解してくれる内縁の妻タチヤー
ナとともに、イタリアへ行き、そこ
に居を構える。
《法悦の詩》をスクリャービンが
作曲し始めたのは 1905 年頃だった。
彼は一時期、朝から晩まで騒々しい
八百屋の屋根裏部屋で、カフェから
借りた音程の狂ったピアノでこの曲
を作曲していたが、作曲に夢中だっ
たので何一つ不平を言わなかったと
いう。作曲中から彼は、《法悦の詩》
を何人かの知り合いにピアノで聴か
せていて、評判はよかったようだ。
全曲の完成は 1907 年冬、ニューヨ
ークでの初演は 1908 年の末だった。
年が明けた 1909 年 1 月には、ペ
テルブルクでフーゴー・ヴァルリッ
ヒの指揮する宮廷交響楽団によりロ
シア初演が行われた。当時ペテルブ
延長線上にある(その間には大きな
であったプロコフィエフとミャスコ
飛躍があるとしても)作品であると
フスキーがこの演奏を聴いているが、
は言っても良いだろう。
将来の大作曲家二人は、この音楽が
なお、この曲と関連して、スクリ
まったく理解できず、当惑して顔を
ャービンは、一つのテキストを書い
見合わせたという。2 月にはモスク
ている。これは、300 行以上にわた
ワでも演奏されたが、評価は二分さ
るかなり長大な詩で、「魂は、生へ
れた。
の渇望の翼をもって、飛翔へと導か
曲は、夢想的な序奏に始まり、寄
れる」と始まり、「宇宙は喜ばしい
せては返す恍惚感の波が次第に高揚
叫びに響き渡る。我あり!」という
していき、鐘やオルガンが鳴り渡る
詩句で終わる、象徴主義風な内容を
圧倒的なクライマックスへと到達す
持っている。彼はこのテキストを重
る。自由なソナタ形式とされている
要なものと考えていたが、結局、楽
が、あまり古典的な枠組みにはめ込
譜には印刷しなかった。詩の内容は、
んでしまう必要はないだろう。
音楽と関連してはいるが、音楽がこ
《法悦の詩》を交響曲と呼ぶべき
れを直接描写しているわけではない
かどうかについては、いろいろな意
ので、描写音楽とみなされることを
見がある。スコアには、
「交響曲」
避けたためと思われる。
こうこつ
の文字はなく、単に《管弦楽のため
(増田良介)
の法悦の詩》というタイトルが書か
れているだけだ。ゆるやかなソナタ
形式とはいえ、単一楽章でトランペ
ットの独奏を持つ外貌も、伝統的な
意味での交響曲という形式に沿って
いるとは言えない。ただ、実際にど
う呼ぶかはともかく、この曲が、楽
あいまい
章融合や調性の曖昧さへの指向とい
う点でも、神秘主義的な内容という
点でも、《第 3 番》までの交響曲の
作曲年代:1905 〜 1907 年
初演:1908 年 12 月 10 日、ニューヨーク、モ
デスト・アルトシューレル指揮、ニューヨー
ク・ロシア交響楽団協会
楽器編成:フルート 3、ピッコロ 1、オーボ
エ 3、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ
ト 3、バス・クラリネット 1、ファゴット 3、コ
ントラファゴット 1,ホルン 8、トランペット
5、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、
トライアングル、シンバル、大太鼓、タムタ
ム、鐘、グロッケンシュピール、チェレスタ、
ハープ 2、オルガン、弦楽
Philharmony October 2012
ルク音楽院の学生で、仲の良い友人
Program
B
Program
B
第 1738 回 サントリーホール 1738th Subscription Concert / Suntory Hall
10/24[水]開演 7:00pm
24th (Wed.) Oct, 7:00pm
10/25[木]開演 7:00pm
25th (Thu.) Oct, 7:00pm
[指揮]
ロリン・マゼール
[conductor]Lorin Maazel
[クラリネット]
[clarinet]
[ゲスト・コンサートマスター]
[guest concertmaster]
ダニエル・オッテンザマー
ヴェスコ・エシュケナージ
Daniel Ottensamer
Vesko Eschkenazy
◆
モーツァルト
交響曲 第 38 番 ニ長調 K.504
「プラハ」
(25’)
Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
Symphony No.38 D major K.504
“Prague”
Ⅰアダージョ―アレグロ
Ⅱアンダンテ
Ⅲプレスト
ⅠAdagio – Allegro
ⅡAndante
ⅢPresto
ウェーバー
クラリネット協奏曲 第 2 番 変ホ長調
作品 74(25’)
Carl Maria von Weber (1786-1826)
Clarinet Concerto No.2
E-flat major op.74
Ⅰアレグロ
Ⅱアンダンテ・コン・モート
Ⅲアラ・ポラッカ
ⅠAllegro
Ⅱ Andante con moto
ⅢAlla polacca
休憩 Intermission
ラヴェル
スペイン狂詩曲(16’)
Maurice Ravel (1875-1937)
Rapsodie espagnole
Ⅰ夜への前奏曲
Ⅱマラゲーニャ
Ⅲハバネラ
Ⅳ祭り
ⅠPrélude à la nuit
ⅡMalagueña
ⅢHabanera
ⅣFeria
ラヴェル
ボレロ(15’)
Maurice Ravel
Boléro
◆ ヴェスコ・エシュケナージ
1970 年、ブルガリア生まれ。ロンドンのギルドホール音楽院を 1992 年に修了。1999 年よりロイヤ
ル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターに就任。コンセルトヘボウ室内管弦楽団および
ピアニスト、リュドミル・アンゲロフとのデュオでも活躍する。N響には 2 回目の登場となる。
Soloist
Philharmony October 2012
©Dieter Schewig
クラリネット
ダニエル・オッテンザマー
Daniel Ottensamer
父エルンストに続き、ウィーン・フィ
の《大二重奏曲》を収録したCDもリリ
ルハーモニー管弦楽団の首席クラリネッ
ースした。オーケストラ奏者としてはウ
ト奏者を務めているダニエル・オッテン
ィーン・フィルハーモニー管弦楽団およ
ザマーは、1986 年ウィーン生まれ。ベ
びウィーン国立歌劇場管弦楽団で演奏し、
ルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首
楽団員を中心とした室内楽にも参加。人
席奏者を務めている弟のアンドレアスと
気ピアニストや歌手たちとの共演も多い。
共に、まだ 20 代でありながら世界的に
その一方でソリストとしても、ザルツブ
注目されるプレイヤーとなった。父弟と
ルク・モーツァルテウム管弦楽団、ウィ
共演したCD『オッテンザマーと息子た
ーン放送交響楽団、東京交響楽団などに
ち』は、ウィーン特有のサウンドを伝え
客演。NHK交響楽団との共演は今回が
る名演として絶賛されている。2011 年
初めてとなる。
にはブラームスのソナタ集とウェーバー
(オヤマダアツシ)
Program
Wolfgang Amadeus Mozart
モーツァルト
1756-1791
交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
B
1787 年 1 月、 モ ー ツ ァ ル ト は 初
めてボヘミア(現チェコ)の首都プ
ラハを訪れた。前月、同地で上演さ
れ、大ヒットとなった《フィガロの
結婚》の作曲者として招待されたの
である。彼はオペラの作曲を依頼さ
も似つかわしいものということがで
きよう。
交響曲の分野では、
《第 36 番「リ
ンツ」
》以来、3 年ぶりの作品であ
る。その間、モーツァルトは 12 曲
ものピアノ協奏曲を生み出し、弦楽
れ、同じ年の秋にもう一度、ボヘミ
四重奏曲集「ハイドン ・ セット」を
ヴァンニ》も、やはり大成功を収
曲した。輝かしいオーケストラの響
おもむ
アの古都に赴く。新作《ドン ・ ジョ
完結させ、
《フィガロの結婚》を作
めた。この年、2 回の旅行を通じて、
き、豊富な楽想、主要諸動機の徹底
きずな
モーツァルトとプラハとは特別な絆
で結ばれることとなった。
その都市の名前が《交響曲第 38
番》の愛称となっているのは、この
曲が 1 月の旅行中に開かれた演奏会
で披露されたからである。もっとも、
交響曲はプラハからの招待に先立っ
て出来上がっていたようだから、同
地での演奏を目的として書かれたと
は考えにくい。完成からボヘミアの
地に旅立つまでの約 1 か月の間に、
ウィーンですでに初演されていた可
能性も大いにある。とはいえ、作曲
家の音楽に深い理解を示した都市で
あり、
「黄金のプラハ」とも呼ばれ
的な活用など、3 年間の創作経験す
べてが、この交響曲に活かされてい
るといってよい。一方では、
《ドン ・
ジョヴァンニ》を予告するかのごと
く、随所に強い劇的な表現も聴かれ
る。2 年半後に書かれる、いわゆる
「三大交響曲」と並ぶ、モーツァル
トの交響曲の頂点をなす作品なので
ある。
第 1 楽章 アダージョ―アレグロ ニ
長調 4/4 拍子。
第 2 楽章 アンダンテ ト長調 6/8 拍子。
第 3 楽章 プレスト ニ長調 2/4 拍子。
(松田 聡)
る美しい中欧の街の名は、この傑作
交響曲のネーミングとして、いかに
作曲年代:1786 年 12 月 6 日完成
初 演: 一 般 に、1787 年 1 月 19 日、 プ ラ ハ の
国立劇場において、とされているが、それ以
前の可能性もある(本文参照のこと)。
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、ファゴッ
ト 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、
弦楽
ウェーバー
1786-1826
クラリネット協奏曲 第2番 変ホ長調 作品 74
18 世紀以降、
「協奏曲」というジ
ャンルは、作曲家と独奏楽器の名手
との出会い、そして共同作業を通し
て育まれてきた。モーツァルトにと
ってクラリネット奏者アントン・シ
ュタードラーがそうであったように、
カール・マリア・フォン・ウェーバー
にとっては、ハインリヒ・ベールマ
ン(1784 〜 1847)という稀代の奏
者の知遇を得たことが、その創作欲
を駆り立てる大きな源となった。
ウェーバーとベールマンが出会っ
たのは、1811 年のミュンヘンである。
ベールマンの卓越した音色や技巧を
聴き知ったウェーバーは、この年に
クラリネットを主役とした曲を立て
続けに生み出すこととなった。経緯
はこうである。まず《クラリネット
小協奏曲 作品 26》が書かれ、宮廷
管弦楽団によって演奏されると、バ
イエルン王マクシミリアンはこれに
深く心を打たれ、ウェーバーに協奏
曲の新作を 2 作も求めたのだった。
1 作目はヘ短調の《作品 73》
、そし
て 2 作目が本作である。
尽くしていた―明快で叙情的な曲
調によって、同年の初演は大いに賛
美された。ベールマンの独奏は、ウ
ェーバーいわく「神のような」演奏
であったという。この卓越した奏者
の特性に精通していた作曲家は、そ
れにぴたりと寄り添う音楽を書いた
のである。当時はクラリネットがマ
イナーな楽器であったためか、正式
な形での出版は遅れたが、現在では
この楽器の魅力をいかんなく発揮で
きる稀有な傑作となって久しい。
第 1 楽章 アレグロ 変ホ長調 4/4 拍子。
協奏曲風ソナタ形式。跳躍をはじめ
とした難解な技巧がちりばめられて
いる。
第 2 楽章 アンダンテ・コン・モート
ト短調。特筆すべきことに、中間部
ではこの楽器に「レチタティーヴ
ォ・アド・リビトゥム」と書かれてお
り、この箇所で独奏者は、作曲者が
得意としたオペラにおけるような自
由な表現性を発揮できる。
第 3 楽章 アラ・ポラッカ 変ホ長調
モーツァルトの《クラリネット協
3/4 拍子。ロンド形式。名称のとお
ェーバーは先人のこの傑作を研究し
ナーレ。
ほう ふつ
奏曲》を彷彿とさせる―実際、ウ
作曲年代:1811 年
初演:1811 年 11 月 25 日、ミュンヘンの宮廷
劇場、ハインリヒ・ベールマンの独奏
りポロネーズ風のリズミカルなフィ
(西田紘子)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、ファゴッ
ト 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、
弦楽、クラリネット・ソロ
Philharmony October 2012
Carl Maria von Weber
Program
Maurice Ravel
1875-1937
ラヴェル
スペイン狂詩曲
B
モーリス・ラヴェルが生涯を通じ
ーフは、第 3 曲〈ハバネラ〉を除き
て示したスペインへの関心は、同時
作品全体を貫く。弱音器の使用や弦
代のフランスに流行した異国趣味と
の分割による抑制的な音量、精妙な
は一線を画す。バスク人の母が歌う
音色の変化が、神秘的な異国の夜を
民謡を子守唄に育ち、
「スペイン音
幻出させる。
楽に最大の称賛の念を抱いている」
第 2 曲〈マラゲーニャ〉十分活発に
と語ったラヴェルにとって、スペイ
イ長調 3/4 拍子。4 音モティーフの
ン音楽の情熱、陰影、神秘性は特別
変形が華やかなトランペットに乗っ
な親近感を呼ぶものであった。
《ス
て紡がれ、活発なリズムをカスタネ
ペイン狂詩曲》は最初の大規模な管
ットやタンブリンが彩る。
弦楽曲だが、ラヴェルはこのオーケ
第 3 曲〈ハバネラ〉十分に悠然と、
ストラの色彩の中に、マヌエル・デ・
つむ
緩慢なリズムで 嬰へ短調 2/4 拍子。
ファリャが言うところの「母を通し
1895 年に書かれた同名曲(2 台ピア
て理想化された形で彼(ラヴェル)
ノ用)の編曲。2 種類の物憂げなハ
が感じてきたスペイン」を溶かし込
バネラのリズムが、様々な楽器で繊
むことに成功している。自らの内に
細に色彩付けられる。
あるスペインの情景を描くことが、
第 4 曲〈祭り〉十分活気をもって ハ
多彩な楽器の組み合わせから洗練さ
長調 6/8 拍子。5 つの民謡風のモテ
れた響きを生む、斬新なオーケスト
ィーフが、打楽器の小気味よい響
ラ書法を導き出す一因となったので
きで生き生きと提示される。中間部
ある。
で前奏曲の雰囲気が呼び戻された後、
ちゆうよう
第 1 曲〈夜への前奏曲〉ごく中庸を
得た速さで イ長調 3/4 拍子。冒頭の
「ヘ―ホ―ニ―嬰ハ」の 4 音モティ
作曲年代:1907 〜 1908 年 2 月(〈ハバネラ〉
の 2 台ピアノのための原曲は 1895 年作)
初 演:1908 年 3 月 15 日、 パ リ、 エ ド ゥ ア ー
ル・コロンヌ指揮、コロンヌ管弦楽団
再び活気が蘇り、夜の静寂を打ち破
けん そう
る祭りの喧騒のうちにフィナーレを
迎える。
(関野さとみ)
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 2、オーボ
エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ
ト 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 3、コ
ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット
3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、
大太鼓、シンバル、トライアングル、タンブ
リン、カスタネット、小太鼓、タムタム、シ
ロフォン、ハープ 2、チェレスタ、弦楽
1875-1937
ラヴェル
ボレロ
モーリス・ラヴェルの作品のなか
でも、特に有名な《ボレロ》は、ロ
シア生まれの名舞踏家イダ・ルビン
シテインの依頼で作曲された。彼女
は元ロシア・バレエ団の一員で、自
分が主宰するバレエ団のために、ラ
ヴェルにスペイン風のバレエ作品を
委嘱したのである。ラヴェルはアメ
リ カ 旅 行 か ら 帰 っ た 後、1928 年 7
月から 10 月にかけて《ボレロ》の
作曲に取り組んだ。
その夏、ラヴェルは、サン・ジャ
ン・ド・リューズで友人と泳ぎに行く
前にピアノでメロディーを 1 本指
で弾いてみせ、「この主題には何か
しつよう
しら執拗なものがあると思わないか
い」と問い、「ぼくはこいつを全然
展開させずに何度も何度も繰り返し
て、自分のできる限り、オーケスト
レーションを少しずつ大きくしてい
こうと思っているんだ」と述べたと
いう。
初演はルビンシテインを主役とす
る彼女のバレエ団によって、1928
年 11 月 22 日にパリ・オペラ座で行
われた。舞台はスペインの小さな酒
場。若い女性が舞台で物憂げなボレ
ロを踊りはじめ、次第に回りの人々
もその踊りに引き込まれ、最後には
全員が踊りに熱狂するという筋書き
である。
ラヴェル自身は《ボレロ》がオ
ーケストラのレパートリーとして
定着するとは予期していなかった
が、案に相違して、この作品は爆発
的な成功を収め、ラヴェルの名前は
津々浦々にまで知られるようになっ
た。ラヴェルは 1930 年 1 月、この
作品の演奏会形式による初演を自ら
の指揮で行って以来、しばしば指揮
台に立ったが、彼の指揮はつねに厳
ちゆうよう
格で、中庸のテンポを守ったものだ
った。ところが、1930 年 5 月初旬、
名指揮者アルトゥーロ・トスカニー
ニがニューヨーク・フィルハーモニ
ー管弦楽団(現ニューヨーク・フィ
ルハーモニック)を率いてパリ・オ
ペラ座で公演を行った際、《ボレロ》
の演奏を聴いたラヴェルはひどく憤
慨した。トスカニーニのテンポが速
すぎ、しかもアッチェレランドして
いたからである。ラヴェルに怒られ
たトスカニーニは「あなたは自分の
音楽がわかっていない。こう演奏す
るしかないんです!」と言い返した。
トスカニーニは結局、1937 年まで
ラヴェルの音楽を一切指揮しなかっ
たが、トスカニーニが改めてラヴェ
ルの音楽に取り組んだとき、演奏会
場にラヴェルの姿はなかった。病気
のため、彼はもはや演奏を聴ける状
態ではなくなっていたのである。
この作品は、スペイン舞曲の一種
であるボレロのリズムに乗って、ス
Philharmony October 2012
Maurice Ravel
Program
ペイン=アラブ風の主題が徹頭徹尾
繰り返されるという単純かつ大胆な
形式によって書かれている。主題は
フルートのソロに始まり、楽器の組
B
み合わせをさまざまに変えながら、
しだいに厚みを増していく。
冒頭の 4 小節において、特徴あ
るリズム主題が小太鼓によってピア
ニッシモで奏でられ、ヴィオラとチ
ェロのピッツィカートが拍子の重点
を補強する。このリズム主題は 340
小節からなる全曲のなかで、169 回
打ち鳴らされ続け、他の楽器が随時
そのリズムに加わる。このリズムか
ら解放されるのは最後の 2 小節だ
けである。そして、和声的な土台と
なる「ハ音 —ト音」が 326 小節に
渡って聞かれる。第 5 小節から始
にハ長調に戻り主和音で終わる。つ
まり、
《ボレロ》は一般的な意味で
の主題の変奏や展開などは一切行わ
れず、もっぱら音色の変化と音量の
増大に焦点が当てられており、「音
色のパッサカリア」と評されるほど
楽器法上の変化に富む作品になって
いる。
なお、自筆譜を調査したラヴェル
研究者のアービー・オレンシュタイ
ンによれば、トライアングルとカス
タネットは当初加えられていたが、
結局、除かれたという。ラヴェルが
スペイン色の濃いこの作品の楽器編
成から、あえてカスタネットを外し
たことは興味深い。
(井上さつき)
まる主題はハ長調で、全音音階的な
部分とより半音階的な部分に分かれ
る。このA・Bは、それぞれ、リズ
ム主題を前奏(または間奏)として
もち、音色を変えながら合計 9 回現
れる。うち 4 回はA・A・B・Bの形
式、最後はA・Bに縮められた形で
提示される。この最後のBの部分で
意外にもホ長調へ転調するが、すぐ
作曲年代:1928 年 7 月〜 10 月
初演:1928 年 11 月 22 日、パリ・オペラ座、ワ
ルター・ストララム指揮、アレクサンドル・ブ
ノワ舞台装置と衣裳、ブロニスラヴァ・ニジン
スキー振付。演奏会形式による初演は 1930 年
1 月 11 日パリ、作曲者自身の指揮によるラム
ルー管弦楽団
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ
2(オーボエ・ダモーレ 1)、イングリッシュ・
ホルン 1、クラリネット 2(Es クラリネット 1)、
バス・クラリネット 1、ソプラノ・サクソフォン
1、テナー・サクソフォン 1、ファゴット 2、コ
ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット
4(ピッコロ・トランペット 1)、トロンボーン 3、
テューバ 1、ティンパニ 1、シンバル、タムタ
ム、大太鼓、小太鼓、チェレスタ、ハープ 1、
弦楽
第 1737 回 NHKホール
10/19[金]開演 7:00pm
10/20[土]開演 3:00pm
[指揮]
1737th Subscription Concert / NHK Hall
19th (Fri.) Oct, 7:00pm
20th (Sat.) Oct, 3:00pm
ロリン・マゼール
[conductor]Lorin Maazel
[ゲスト・コンサートマスター]
ヴェスコ・エシュケナージ
[guest concertmaster]
Vesko Eschkenazy
◆
ワーグナー(マゼール編)
Richard Wagner (1813-1883) /
Lorin Maazel (1930-)
言葉のない「指環」
Der “Ring” ohne Worte
~ニーベルングの指環 管弦楽曲集
~ Orchestral Highlights from the
(70’)
Ring Cycle
Ⅰラインの黄金
ⅠDas Rheingold
Ⅱワルキューレ
ⅡDie Walküre
Ⅲジークフリート
ⅢSiegfried
Ⅳ神々のたそがれ
ⅣGötterdämmerung
*この公演に休憩はございません。
あらかじめご了承下さい。
* Th
is concert will be performed with no
くして、ライン川の〈緑あやなすたそがれ〉
か
が始まる/神々の城への歩み/地の底へと潜っ
たこびとたちが鉄を鍛える/雷神ドンナーが槌
を振り下ろし、喉の渇きを覚えジークムントが
這いつくばりながら、竈のそばにいるジークリ
ンデに水を求める
〈響きの暗号〉のうちに、ジークムントの愛の
眼差しを「見る」我ら/ジークムントとジーク
リンデの逃避行/ウォータンの怒り/ワルキュ
ーレ(ブリュンヒルデの妹たち)の騎行/ウォ
ータンと、その愛する娘ブリュンヒルデとの別
れ、ウォータンの別れと魔の炎の音楽
ーメの「怖れ」/魔法の剣を鍛えるジークフ
ミ
リート/ジークフリート、森をさまよう、森の
ささやき/大蛇を退治/大蛇の嘆き
ークフリートとブリュンヒルデの情熱を包む
ジ
朝焼け/ジークフリートのラインの旅/家臣を
招集するハーゲン/ジークフリートとラインの
少女たち/ジークフリートの葬送行進曲/ブリ
ュンヒルデの自己犠牲
◆ ヴェスコ・エシュケナージ
So beginnen wir also in der “grünlichen” Dämmerung
des Rheins / Treiben flußaufwärts zur Burg der Götter /
Sinken hinab zu den schmiedenden Zwergen / Schwingen
mit Donners Hammerschlag, kriechen mit dem
durstlechzenden Siegmund zum heimatlichen Herde der
Erquickung spendenden Sieglinde
I m Klang-Kode “sehen” wir auch buchstäblich Siegmunds
“teilnahmsvollen Blick” auf Sieglinde / Der beiden Flucht /
Wotans “furchtbare Wut” / Den Walkürenritt der
Schwestern Brünnhildes / Wotans schmerzlichen Abschied
von seiner Lieblingstochter
M imes angsterfülltes Zittern / Wir sehen wie Siegfried das
magische Schwert schmiedet / Dem “Waldweben” lauscht /
Den Drachen erschlägt / Wir hören Fafners mattes
Klagelied
Wir sehen die Morgenröte wachsen um Siegfrieds und
Brünnhildens Leidenschaft / Siegfrieds Rheinfahrt / Wie
Hagen auf dem Stierhorn blasend seine Mannen herbeiruft /
Siegfried und die Rheintöchter / Seinen Tod, den
Trauermarsch und schließlich / Der Götter Ende im
Feuerschein
intermission.
1970 年、ブルガリア生まれ。ロンドンのギルドホール音楽院を 1992 年に修了。1999 年よりロイヤ
ル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターに就任。コンセルトヘボウ室内管弦楽団および
ピアニスト、リュドミル・アンゲロフとのデュオでも活躍する。N響には 2 回目の登場となる。
Philharmony October 2012
C
Program
Program
Richard Wagner
1813-1883
/ Lorin Maazel
1930-
ワーグナー(マゼール編)
C
言葉のない「指環」
〜ニーベルングの指環 管弦楽曲集
オペラにおける「聴きどころ」を
歌劇場以外の場所で演奏するため
には、かならず何らかの工夫が必要
となる。番号オペラであれば、アリ
アや重唱、序曲や間奏曲は独立して
いることが多いので、演奏会で披露
するためにはその部分だけを抜き出
せばよい。だが、歌、オーケスト
ラ、そして演劇が一体となった「総
合芸術」を志し、無限旋律によって
自らの理想とする「楽劇」を追究し
たリヒャルト・ワーグナー(1813 〜
1883)の後期作品の場合は、その音
楽を無理に断ち切り、新たな終結部
を作る必要に迫られる。
もっとも、作曲家自らがその目的
のために手がけた加筆が、必ずし
も成功しているとは限らないのが興
味深いところで、ワーグナー自身が
《トリスタンとイゾルデ》第 1 幕の
最後に付け足した演奏会用終結部が、
現在演奏されることはめったにない。
単に終結部を作ればよいというもの
かも
ではなく、音楽が醸し出す作品世界
こわ
を毀さぬよう、特段の配慮が求めら
れるのだろう(同作の場合は、前奏
曲にそのまま第 3 幕最後の〈愛の死〉
つな
を繫げるという最高の解決策があっ
たことも大きい)
。
上演に 4 夜を要する、ゲルマン
神話に題材をとった超大作《ニーベ
ルングの指環》の場合も、事情は同
じである。現在、歌劇場以外の場所
でこの作品の断片を聴けるのは、超
有名曲となった《ワルキューレ》の
第 3 幕冒頭〈ワルキューレの騎行〉
を筆頭に、
《神々のたそがれ》から
〈ジークフリートのラインの旅〉
〈ジ
ークフリートの葬送行進曲〉などに
限られており、オーケストラだけ
の見せ場に乏しい《ラインの黄金》
《ジークフリート》の断片が演奏さ
れる機会はめったにない。
指揮者としてだけでなく、自らも
作曲の筆をとり、ジェームズ・ゴー
ルウェイに委嘱された《フルートと
管弦楽のための音楽》
、ロストロポ
ーヴィチに委嘱された《チェロと管
弦楽のための音楽》
、そしてジョー
ジ・オーウェルの同名の小説をオペ
ラ化した《1984 年》などの作品を手
がけてきたロリン・マゼール。1987
年、マゼールはベルリン・フィルハ
ーモニー管弦楽団から編曲の委嘱を
受け(逡巡した末にようやく引き受
けたという)
、指揮者・作曲家という
両方の視点から、ワーグナー作品の
編曲にまつわる問題を克服しようと
試みた。マゼールは、この管弦楽曲
を編むにあたり、以下のような 4 つ
の方針を掲げている。この方針から
は、マゼールが《指環》という壮大
に抜き出した箇所を便宜的に補った。
グナーその人に対して抱いている尊
敬と愛情が透けて見えるようにすら
思われる。
《ラインの黄金》
かくして、ライン川の〈緑あやな
すたそがれ〉が始まる(序奏)/
1.全体は自然に、切れ目なく続い
神々の城への歩み /ワルハラ城へ
ていくようにせねばならない。そし
の神々の入城(第 2 場冒頭。正確に
て、物語の筋に沿い、
《ラインの黄
は眠りから覚めたウォータンが完成
金》の最初の音に始まり、
《神々の
したワルハラ城を妻フリッカと眺め
たそがれ》の最後の音で終わらねば
る場面)/地の底へと潜ったこびと
ならない。
たちが鉄を鍛える(第 2 場から第 3
2.曲のつなぎ目は、和声の面から
場への場面転換音楽)/雷神ドンナ
も、時間配分という面からも正統的
で不自然にならないように、そして
曲同士のテンポの対比も、作品全体
の長さと釣り合いの取れた状態にせ
ねばならない。
3.もとの作品のうち、
「声楽なし
で」書かれた音楽はそのほとんどを
つち
のど
ーが槌を振り下ろし、喉の渇きを覚
は
えたジークムントが這いつくばりな
かまど
がら、
(たまたま)竈 のそばにいる
ジークリンデに水を求める(前半は
第 4 場幕切れ近くの同場面。後半は
《ワルキューレ》第 1 幕の前奏曲後
半およびそれに続く同場面より)
使う。歌のある部分で、欠くことの
できない重要な旋律は加えるが、そ
の箇所は、歌の旋律が他のオーケス
トラの楽器で重ねて演奏されていて、
聴き手がその歌を「想像できる」部
分か、
(稀なケースではあるが)完
全に楽器で置き換える部分とする。
4.すべての音符は、ワーグナー自
身が書いたものだけに限る。
上記の通り、オペラの筋書きに沿
って、その順番通りに抜き出された
各部分は休みなく演奏される。この
各部分には以下のような標題が付け
《ワルキューレ》
〈響きの暗号〉のうちに、ジーク
まな ざ
ムントの愛の眼 差 しを「見る」我
ら(前場面より続く)/ジークムン
トとジークリンデの逃避行(第 1 幕
幕切れ)/ウォータンの怒り(第 2
幕前奏曲と幕切れ)/ワルキューレ
(ブリュンヒルデの妹たち)の騎行
(第 3 幕第 1 場冒頭)/ウォータンと、
その愛する娘ブリュンヒルデとの別
れ、ウォータンの別れと魔の炎の音
楽(第 3 幕第 3 場後半より幕切れま
で)
られており、これを見るだけでほぼ
筋書きもわかるように工夫されてい
る。新たにつけられたタイトルに関
しては、
( )内にマゼールが実際
《ジークフリート》
ミーメの「怖れ」
(第 1 幕第 3 場
冒頭から前半)/魔法の剣を鍛える
Philharmony October 2012
な作品に対する、そして作曲家ワー
Program
ジークフリート(第 1 幕第 3 場幕切
れ。正確には鍛えた剣の切れ味をミ
ーメに見せる箇所。ジークフリート
の歌唱部分がトロンボーンで加えら
C
れている)/ジークフリート、森を
さまよう、森のささやき/大蛇を退
治 /大蛇の嘆き(以上 3 箇所、第 2
幕第 2 場)
《神々のたそがれ》
ジークフリートとブリュンヒルデ
の情熱を包む朝焼け(序幕後半)/
手にも、どちらにも違和感なく受け
容れられるような完成度を持つに至
る。1987 年にベルリン・フィルハー
モニー管弦楽団とこの作品を初めて
ともに演奏して以来、この編曲がい
わば《指環》管弦楽曲用編曲の「定
番」としての地位を得たのは、まっ
たく不思議なことではない。編曲者
自らの指揮によって聴くことによっ
て、その説得力はいや増すことだろ
う。
(広瀬大介)
ジークフリートのラインの旅(序幕
から第 1 幕への場面転換音楽)/家
臣を招集するハーゲン(第 2 幕第 3
場)/ジークフリートとラインの少
女たち(第 3 幕第 1 場)/ジークフ
リートの葬送行進曲(第 3 幕第 2 場
から第 3 場への場面転換音楽)/ブ
リュンヒルデの自己犠牲(第 3 幕第
3 場後半から幕切れまで)
わずかの例外を除き、マゼールは
一音符もワーグナーの総譜を書き
換えることなく、見事な手腕を駆使
してみせた。そのお陰で、本編曲は
初めて《指環》の世界に触れる聴き
手にも、そして作品を熟知した聴き
作曲年代:1848 〜 1874 年
楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、ピッコ
マゼール編曲:1987 年
ロ 2、オーボエ 3、イングリッシュ・ホルン 1、
初演:ワーグナー《指環》全曲初演:1876 年 クラリネット 3、バス・クラリネット 1、ファ
8 月、バイロイト。マゼール編:1987 年 12 月、 ゴット 3、ホルン 8(ワーグナー・テューバ 4)、
ベルリン。
トランペット 3、バス・トランペット 1、トロ
ンボーン 4(コントラバス・トロンボーン 1)、
テューバ 1、ティンパニ 2、トライアングル、
シンバル、大太鼓、小太鼓、タムタム、グロ
ッケンシュピール、金床、ハープ 2、弦楽
スクリャービン《法悦の詩》
時代性と歴史性のはざまで
文
小鍛冶邦隆
スクリャービンの特異な音楽的性
る調的カデンツから一定の距離を置
格について、その「神秘思想」が取
く書法によるものである。
り上げられることが多い。またスク
当時流行した「神智学」に由来す
リャービンの音楽には、20 世紀初
る、根源的な調性感=倍音和音の緩
頭から第一次世界大戦前夜のヨーロ
慢で浮動的な響きのエクスタシーと、
ッパ近代音楽、シェーンベルク、ド
しばしばスケルツォ的な逸脱的瞬間
ビュッシー、ストラヴィンスキーと
をはさみながら、エロス=タナトス
は異なる、音楽語法の革新性が見ら
的な忘我的終焉、あるいは変容(ト
れる点からも興味深い存在といえよ
ランスフィギュレーション)に向か
う。
しゆうえん
う音楽は、スクリャービンを時代の
ちようじ
寵児に仕立てた。第一次世界大戦へ
スクリャービンの音楽技法
と向かう不安に満ちた世相が、メシ
スクリャービンの音楽語法、とり
ア的(終末論的 ) な神秘主義の幻覚
わけ《法悦の詩》
(1908 年初演)以
を必要としたといえようか。
降の特徴は、調的であっても音響的
特性の際立った和音(たとえば「神
秘和音」と称されるもの)のきわめ
て緩やかな交代と微妙な音響変化に
「神秘和音」に向かって
《法悦の詩》冒頭から聴かれる、
ぼうよう
茫洋とした響きの和音(変ホ─ト─
より、従来の調的和声機能と音楽形
ロ─変ニ─へ音。譜例 1)は、数年
式が一致した音楽表現とは異なる領
後に完成される《プロメテウス(火
域を探究している。シェーンベルク
の詩)
》
(1908 〜 1910 年)における
の無調性(アトナリティー)に対し
「神秘和音」(ハ─嬰へ─変ロ─ホ─
て、スクリャービンの音楽が汎調性
イ─ニ音。譜例 2)の前形態といえ
(パン・トナリティー)といわれる
るものであるが、「神秘和音」にお
以は、調的機能(トナリティー)
所
けるハ音の第 2 倍音から第 13 倍音
の原点としての倍音的音響に依拠し
を自由に組み合わせたものと比べる
ながらも、3 和音と韻律的操作によ
と、変ホ音上の倍音列(譜例 3)の
ゆえん
Philharmony October 2012
シリーズ 名曲の深層を探る 第 2 回
譜例 1
譜例 2
和声にもとづく音楽形式(変奏やソ
ナタ形式等)とは、明らかに異なる
音楽を作り出している。
譜例 3 変ホ音上の倍音例
またロシア近代音楽特有の鐘の響
きを模した和音(ラフマニノフの音
楽等にも頻出する)と、そのヴァイ
ブレーション・レゾナンス(振動・反
せい ち
響)を精緻に音楽化したかのような
様々なトリル書法、さらに最後のク
第 9 倍音までしか含まない(譜例 1
ライマックスでは本当の鐘が加わり
の和音中、ロ音は第 3 倍音=変ロ音
宗教的エクスタシーが演出される構
の半音階的変化音と考えられる)
。
成においても、《法悦の詩》はきわ
本来、調性和音に対する非和声音
めてユニークな音楽であるといえる。
として考えられてきた半音階的、全
音階的変化音(それぞれ譜例 2 の
「神秘和音」中の嬰へ音やイ音)を
《法悦の詩》の音楽
ところで、スクリャービンが《法
含むこれらの和音が、本来の倍音列
悦の詩》作曲当時に参照していたと
に含まれる構成音を用いた「倍音和
いわれる、ドビュッシーの管弦楽
音」として独立的に用いられる。こ
曲《海》
(1905 年初演)からの影響
れらの和音は、あたかも中心和音=
は、管弦楽的書法に明らかである
主和音(トニック)として用いられ
し、さらに緩やかな和音交代による
るが、同時にその和声的性質(上述
長大な持続から生じる「法悦的」な
した両和音は属 9、ないし属音上の
クライマックスには、ワーグナーの
増 11 の和音に分類される)から属
楽劇《トリスタンとイゾルデ》以降
和音(ドミナント)ともなる。
の音楽の影響(ワグネリズム)が
《法悦の詩》の冒頭和音や「神秘
強く感じられる。しかしながら彼は、
和音」は、スクリャービンがピアノ
すぐれたピアニストとして、創作活
的な音響感覚を通じて、倍音構成音
動初期からピアノ作品を中心に、作
を感覚的に取捨選択したものである
曲家としてのキャリアを築いてきた。
以上に、調的和声のヒエラルキーを
逆説的な意味で、《法悦の詩》には、
一時的に廃棄、ないしは停止する結
ドビュッシーとも共通するところの、
果に至ったと思えるプロセスが重要
従来の管弦楽法の伝統とは異なる、
といえる。この特徴的な音響的性格
を持つ和音から生じる多様なテクス
チュアの並置と、無限とも思われる
反復による長大な持続により、調的
せんさい
ピアニスティックともいえる、繊細
で精密な新しい管弦楽的音響が試み
られているのである。
同時期に作曲され、広く知られた
《法悦の詩》とその音楽的性格(さら
に「法悦の詩」と題された詩的テク
スト)を共有すると同時に、その独
自のピアニズムが管弦楽的書法とし
て《法悦の詩》に反映している。
その意味で《法悦の詩》の演奏は、
楽器法の明確な対比、交代による従
独自の作曲技法として、その音楽語
法に内包される倍音原理から導き出
された複合旋法である「移調の限ら
れた旋法」と「倍音和音」が用いら
れている。
スクリャービンの音楽は時代的な
影響の強さが強調される半面、それ
ゆえか死後その存在が急速に忘れら
来の管弦楽的形式区分と異なる、ピ
れた事実を指摘されることが多い。
ゆうずう む
げ
アノ演奏的な自由で融通無碍のアゴ
一方、上記のメシアンの特異な音楽
ーギク(緩急法)やデュナーミク
書法との共通のみならず、《プロメ
(強弱法)を用いるという意味でも、
テウス(火の詩)》における色光ピ
指揮者とオーケストラに困難な技術
アノの使用に見られる創作原理とし
的課題を要求しているといえよう。
ての音と色彩の交感(共感覚)の応
用といった点にも、メシアンの音
スクリャービンの音楽の影響
(旋法あるいはそこから導き出され
スクリャービンの音楽は、必ずし
た和音)と特有の色彩の対応に共通
も彼の音楽を評価しなかったストラ
する点が認められる。
ヴィンスキーの初期のバレエ組曲
加えてスクリャービン最晩年に構
《火の鳥》や、ホルストの《惑星》
想され「序幕」のスケッチのみが残
等にも見られるほどに、当時大きな
された《神秘劇》における、音楽の
影響をもたらした。またシェーンベ
みならず演劇や舞踊(さらには色彩
ルクがウィーンにおいて主宰し、同
や香り)をも加えた壮大な構想が
時代の新しい音楽を積極的に紹介し
暗示するマルチメディア的側面が、
た「私的音楽演奏協会」においても、
1960 年代以降のスクリャービンの
《法悦の詩》ピアノ 2 台編曲版を含
音楽の再発見につながったように、
むスクリャービン作品が紹介されて
今日その音楽は、特筆されるべき時
いる。これらの影響は、ベルクの初
代的影響力と同様に、歴史的視点か
期作品にも明らかである。
らも捉え直されている。
いっぽうメシアンについていえば、
スクリャービンの音楽は、1980
第二次世界大戦後の前衛的創作に先
年以降の音響的スペクトル楽派の在
立つ時期、ピアノのための《前奏曲
り方にも関わっているとも考えられ
集》
(1929 年)から《トゥランガリ
るが、そうした点にもスクリャービ
ラ 交 響 曲 》(1946 〜 1948 年 ) に 至
ンの音楽における時代性と歴史性の
る音楽には、スクリャービンからの
問題が見られよう。
直接的な影響というより、メシアン
(こかじ・くにたか 作曲家・東京藝術大学教授)
Philharmony October 2012
《ピアノ・ソナタ第 5 番》
(1907 年)は、
A
*11月定期公演の聴きどころ*
Program
11 月の定期公演は、オランダの
ベテラン指揮者エド・デ・ワールトが、
的に取り組んでおり、武満作品では
《フロム・ミー・フローズ・ホワット・
A、B、C、3 つのプログラムを指
ユー・コール・タイム》をシドニー
揮する。
交響楽団と録音している。
エド・デ・ワールトはこれまでロッ
得意のワーグナーからは、《ワル
テルダム・フィルハーモニー管弦楽
キューレ》第 1 幕が演奏会形式で取
団をはじめ、サンフランシスコ交響
り上げられる。前回の客演でのデ・
楽団やミネソタ管弦楽団の首席指揮
フリーハー編曲による《指環〜オー
者を歴任してきた名指揮者。現在は
ケストラル・アドベンチャー》に続
ミルウォーキー交響楽団の音楽監督
いて、今回もワーグナーをたっぷ
およびロイヤル・フランダース・フィ
りと堪能できるのは喜ばしい限り。
ルハーモニー管弦楽団の首席指揮者
《ワルキューレ》第 1 幕はもっとも
を兼務している。また、2011/12 シ
演奏会形式で上演される機会の多い
ーズンまで香港フィルハーモニー管
オペラのひとつだろう。3 人の歌手
弦楽団の芸術監督を務めるなど、ア
がそろえば、合唱も不要で、長さと
ジアとの縁も深い。N響とは 2009
いう点からもコンサートに程よいと
年 4 月に初共演を果たしている。
いう実際的な理由もあるにはちがい
名門アムステルダム・コンセルトヘ
ないが、物語性に依存せずとも一気
ボウ管弦楽団のオーボエ奏者を出発
点として、コンサートおよびオペラ
の指揮者として百戦錬磨の経験を積
んだ名匠のこと、オーケストラの持
ち味を引き出して、円熟味あふれる
か せい
呵成に聴かせてしまう音楽のテンシ
ョンの高さと、シンフォニックな魅
力にあふれた管弦楽の雄弁さこそが、
演奏機会の多さの最大の要因ではな
いだろうか。4 管編成の大オーケス
演奏を聴かせてくれるにちがいない。
トラをステージ上に配して聴くこと
4 管編成の《ワルキューレ》を味わう
オペラ劇場のピットとはまた違った、
Aプロ
管弦楽に焦点を当てた聴き方もでき
Aプロは武満徹の名作《遠い呼び
るはずだ。
ができるのも演奏会形式ならでは。
声の彼方へ!》および《ノスタルジ
ア〜アンドレイ・タルコフスキーの
R. シュトラウスの精緻・絢爛たる
追憶に》と、ワーグナーの楽劇《ワ
響きを味わうBプロ
ルキューレ》第 1 幕(演奏会形式)
という意外な組み合わせ。デ・ワー
ルトは従来より現代の音楽にも積極
Bプロはドイツ・オーストリア系
の作曲家によるロマン派以降の作
品が並ぶ。 メンデルスゾーンの序
続くブルッフの《ヴァイオリン協奏
曲第 1 番》では、現在欧米の主要
高度な機能性を求め、雄大な交響曲
に仕立てているところにこの作曲者
ならではの機知を感じる。
オーケストラから引く手あまたの人
気を誇るジャニーヌ・ヤンセンが登
近年のブルックナー演奏の成果を
場する。N響とは前回の 2009 年の
披露するCプロ
デ・ワールト指揮でも共演し、好評
を博した。豊かなテンペラメントと
確かな技巧によって、作品のロマン
的な高揚感を力強く表現してくれる
ことだろう。
後半の演目は R. シュトラウスの
《家庭交響曲》
。前回客演時の《アル
Cプロではブルックナーの《交響
曲第 8 番ハ短調》
(ノヴァーク版)
が演奏される。幅広いレパートリー
を誇るデ・ワールトであるが、従来
ブルックナーを振る指揮者というイ
メージはなかったように思う。しか
し近年はロイヤル・フランダース・フ
プス交響曲》と同様、今回も大編成
ィル他でこの曲を指揮しており、満
せい ち
けんらん
のオーケストラによる精緻かつ絢爛
を持してブルックナーに取り組んで
たる響きを味わうことができる。作
いる様子がうかがえる。作品の威容
曲者本人と妻パウリーネ、息子フラ
を強調する起伏に富んだ演奏となる
にぎにぎ
ンツらによる賑々しい家庭生活を描
のか、質朴剛健とした聖なる野人像
いた一種の自画像的作品であるが、
を描くのか。この名作にふさわしい
「家庭」というもっとも身近な題材
格別の感銘をもたらしてくれること
を扱いながらも、大オーケストラに
を期待したい。 (飯尾洋一)
*11月の定期公演*
◉ 11/10(土)6:00pm、11/11(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール
指揮:エド・デ・ワールト
ヴァイオリン:堀 正文*、ジークリンデ:エヴァ・マリア・ウェストブレーク、ジークム
ント:フランク・ファン・アーケン、フンディング:エリック・ハルフヴァルソン
*
武満 徹/遠い呼び声の彼方へ!(1980)
*
武満 徹/ノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(1987)
ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」第 1 幕(演奏会形式)(字幕つき)
◉ 11/21(水)7:00pm、11/22(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール
指揮:エド・デ・ワールト
ヴァイオリン:ジャニーヌ・ヤンセン
メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」作品 26
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲 第 1 番 ト短調 作品 26
R. シュトラウス/家庭交響曲 作品 53
◉ 11/16(金)7:00pm、11/17(土)3:00pm (Cプロ)NHKホール
指揮:エド・デ・ワールト
ブルックナー/交響曲 第 8 番 ハ短調(ノヴァーク版)
Philharmony October 2012
曲《フィンガルの洞窟》で幕を開け、