401 自著「ノスタルジア鈴鹿の山」

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鍋尻山(839m)、保月集落
この山はどの方角から見ても鍋を伏せたような形から名前がある。
近江霊仙系カルスト台地の一角にあり、山頂には石灰露岩のカレンフェルトが点在する。
このなかに「雨壷」と呼ばれる岩穴があり、雨水がたまっている。この水はいかなる旱魃でも
涸れることがない神聖な水だ。旱魃のときは近隣の集落か人々が集まり、登拝して雨壷の
水を入れ替えるという。雨水を持ち帰ることもしない。雨壷の清掃が本当の目的らしい。
鍋尻山は雨壷の水替えだけでなく、山頂での火炊きも行われたらしい。近江多賀町の各集落
では、いまもドンド焼きが盛大に行われているし、雨乞い太鼓踊りも残っている。
鍋尻山登山口の保月は廃村になって久しい。
昭和27年ごろ秋祭りで賑わう保月を覚えているが、
村の若い青年男女が蓑笠をつけ、きらびやかな衣装
で踊っていた。このとき唄われたのはつぎのような
ものという。
音に聞こえし鍋尻山へ
登れば諸国に雨が降る
〔廃村 保月〕
音に聞こえし“男女が森”へ 参れば諸国に雨が降る
音に聞こえし“朝ハゲ森”へ かかれば諸国に雨が降る
(脇ヶ畑史話)
この保月の踊りは、小踊り、中踊り、大踊りとあって雨乞いは15才から20才までの男が
小踊りする。これは脇ヶ畑と多賀町の多くの集落で踊られたという。
ある年の秋、ふわくで CL1736K さん、SL 私でこの鈴鹿を横断する峠の五僧越えを行った。
この年は近来にない美しい紅葉、時山集落から牧田川源流一帯、五僧峠から保月そして杉集落、
多賀大社に至る周囲の山々、実にこの世とも思われない深紅の紅葉に埋もれていた。
このとき鍋尻山に登ったが、保月集落の最後の住民老夫婦を息子がマイカーに乗せ、村を離
れていく場面に遭遇した。
かって小中学校、役場、郵便局もあった大集落。それがこの年を最後に廃村になってしまう。
私たちも実に複雑で寒々とした心境になったのである。
〔鍋尻山〕
〔鍋尻山 山頂〕