週報 1183 号 埼玉県立朝霞西高等学校(048-466-4311) (http://www.asakanishi-h.spec.ed.jp/) 2015 年 4 月 17 日 No.1183 埼玉県立朝霞西高等学校 明治を駆け抜けた女性 明治維新に、時代の最先端を駆け抜けた女性が 年間を外国で暮らしたために、捨松にとって英語が ほぼ母語となり、日本語や日本文化の記憶が薄れ、 物の見方や価値観が完全に西洋的なものになって います。日本で初めて海外留学をした大山捨松とい しまいました。大変な努力で日本語を覚え、日本の う女性です。 文化や習慣に適応し、後に捨松が自らの能力と行 捨松は、江戸末期の安政7(1860)年に会津藩 動力を開花させるきっかけとなる人と出会います。薩 家老職の娘として生まれ、8歳の時には戊辰戦争 摩の陸軍軍人、大山巌(おおやま いわお)です。 (会津藩と官軍の戦い)で鶴ヶ城に籠城し官軍と戦 薩摩は会津にとっては敵ともいえる相手、当然家族 いました。戊辰戦争に敗れ、家族とともに会津の地 の大反対に逢うのですが、捨松は同じころにドイツ を追われ津軽半島に渡りました。 に留学し、西洋の空気をいっぱいに吸って帰国した 11歳で、北海道開拓使が派遣した日本初の女子 大山に自分と同じ感覚を覚え、自分の意思を通して 留学生として、後に津田塾大学を創った津田梅子ら 家族に結婚を認めさせました。 4名の女子とともに米国に渡りました。もとの名を「さ 大山巌と結婚してからは、 き」と言いましたが、母親がもう二度と日本に帰って 自分の語学力と米国で身に 来られないかもしれないという思いと「捨てたつもり 着けた社交界のマナー、そし で帰りを待つ」という意味から「捨松(すてまつ)」と改 て行動力をフルに生かし、鹿 名したのです。 鳴館で本格的チャリティ・バザ 渡米後、捨松はニューヘブンの牧師の家に寄宿 ーを開いたり、最初の看護学 しながら4年間必死になって英語を勉強し、地元の 校を設立したり社会活動や女子教育の分野でも力 高校からニューヨークの名門女子大 ヴァッサー大 を尽しました。 学に進学しました。才色兼備で2年になると学年会 この数年、アジア諸国の若者と比べ、日本の若者 会長に選ばれるほどになった捨松は、多くの分野に の内向き志向を危惧する声を耳にします。海外の厳 果敢に挑戦しました。特に看護学と慈善事業への しい環境で生活するよりも日本で穏やかに生活した 関心は、その後日本に戻っ いという気持が働くのかもしれませんが、150 年も前 てからも生涯にわたって関 にこんな生き方をした女性がいます。 わるものとなりました。 わずか 11 歳で親元を離れ、自分の努力と力で人 優秀な成績で大学を卒 生を切り開いた女性、強い意志で社会活動や女子 業し、22歳の時に日本に 教育に奔走した女性の存在は、私たちに大きな勇 戻ってきましたが、言葉や 気をあたえてくれます。 文化を習得する大切な11 (参与 冨永厚生) 週報 1183 号 埼玉県立朝霞西高等学校(048-466-4311) (http://www.asakanishi-h.spec.ed.jp/) 入 学 式 傘やコートが必須の天気でした。 クラス発表の掲示板。 クラスメイトはどんな人かな…? 寒さでますます手が震えます。 心を込めて読み上げてくれました。 校長先生の前で、名前が呼ばれました。 四 月 八 日 ) 誓いの言葉(全文下記) 。 ( ただでさえ緊張しているのに、 す ぼ ん で い ま す 。 326 名の入学が認められた瞬間です。 校歌を歌って歓迎してくれた先輩たち。 (音楽部・サッカー部のみなさん) 平 成 二 十 七 年 四 月 八 日 新 入 生 代 表 前 田 有 紀 す一し 。人た 自も 立の しと たし 生、 徒三 と年 な後 っに ては 卒こ 業こ すに るい こる と全 を員 誓が い一 ま人 そ し て 、 こ れ か ら の 高 校 生 活 を 、 悔 い な く 充 実 め合 合い っな てが いら き、 た朝 い霞 と西 思高 い校 まの す一 。員 と し て 、 互 い に 高 す が 、 様 々 な こ と を 教 え て い た だ き 、 仲 間 と 支 え でい 先こ 生と 方の や多 先い 輩私 方た にち ごは 迷、 惑勉 を強 おを か始 けめ す、 る様 と々 思な い場 ま面 し て い き た い と 考 え て い ま す 。 ま だ ま だ わ か ら な 機き にた 、い 今と ま思 でい はま です き。 なま かた っ、 た高 新校 し生 いに こな とっ にた もこ 挑と 戦を 絶 や さ ず 、 仲 間 た ち と 共 に 一 つ 一 つ 乗 り 越 え て い りめ 組に みも 、、 ど勉 ん強 なや に部 困活 難動 な・ 壁生 に徒 も会 、活 諦動 めに な積 い極 精的 神に を取 し た 高 校 生 活 を 送 り た い と 思 っ て い ま す 。 そ の た ま ん動とち にしな すこ。になは九、たり長 がれ 、った年期。まか 、ま 今たく間待私しっ そで ま私さのにたたた のと でたん長胸ちが冬 中違 以ちのいを新、が でっ 上はこよ膨入本終 、た に、とうら生日わ 一環 責そをでまははり 人境 任の経短せ、、、 一で をこ験かてこ春ぽ 人の 持としっいれのか が生 たをてたまか雪ぽ 成活 ないき義すらとか 長に けかま務。始なと しは れしし教 まっ暖 るてか 、不 ば、た育 よ安 な自。で 高しい りが り分高、 校ま季 充あ まの校私 生い節 活まと 実り せ言生た し た 。 チ ュ ー リ ッ プ も 寒 そ う に に な い 気 候 の 入 学 式 と な り ま 誓 い の 言 葉 桜 の 代 わ り に 雪 の 舞 う 、 例 年 週報 1183 号 埼玉県立朝霞西高等学校(048-466-4311) 「朝西のみなさんに感謝です」 (http://www.asakanishi-h.spec.ed.jp/) 主幹教諭 井上輝也(英語) みんな、自分の力を信じて夢に向かって頑張って下さい。 朝霞西での教員生活は2年でしたが、 みなさんと過ごすことができて楽しかったです。 「パラダイス」という意味での楽しさではなく、 「困難に立ち向かう」という感じでしょうか。 英語の授業にしても、男バスにしても、みんなと一緒に 壁を乗り切るためにはどうすればよいか、考えながら送ってきた朝西の生活でした。 共に考えて目標に向かう「楽しさ」だったのです。 これからも、壁を乗り切る楽しさを感じてください。健闘を祈ります。 「“しなやかに生きる”!」 杉山恵美(書道) 満開の桜に心ほころばせ、私は、本日 38 年間の教員生活に終止符を打ちます。 とうとうこの日がやって来たんだなあと深い感慨に浸っています。長い学校での 生活の中で、たくさんの出会いがありました。その出会いを大切に日々を重ねて きたような気がします。幸い元気にこの日が迎えられたのも、毎日出会う高校生 の若い力と笑顔があったからと思います。喜怒哀楽を共にしながら、皆の成長に喜びを感じ、私自身も 大きく成長させていただいたなあとつくづく思います。最後の 7 年間を過ごせた朝霞西高校では、変わ っていく学校の様子を広報という仕事を通して発信できたこと、温かい皆さんと一緒に過ごせたこと等 などたくさんの良い思い出ができました。最後に皆さんから頂いた心のこもったお手紙、色紙などの 数々、宝物です。本当にありがとうございました。私は“しなやかに生きる”という言葉が好きです。 その場に応じて強くも柔らかくも竹がしなうように対応できる力が あればいいなあと思うからです。とても難しいことですが、皆さん にもそのような力が備わったらいいなあと思っています。どうか、 元気にもっともっと伸びていって下さい。私はこれからも好奇心旺 盛にいつまでも輝いていたいなあと思っています。心暗き日は、朝 霞西での皆さんの笑顔を思い出します。 「失敗から学んで成長を」 ( 生 徒 画 ) 宍戸誠紹(数学) 朝霞西高校は 1 年という短い時間でしたがとても楽しい時間を過ごさせて いただきました。皆さんはこれからもいろいろな経験をしていきます。その 中で失敗も数多く出てくると思います。人間は失敗からしか学ばないので、 失敗した後にどう行動するかが重要です。失敗を恐れることなくチャレンジ し続けて、失敗を乗り越えて成長していって下さい。 「人間は変われる」 坂倉武(英語) 8年間お世話になりました。卒業生とともに転勤で在校生は男子テニス部以外は教 えていませんが、8年間見てきて、朝西がどんどんよい学校になっていくのを見られ てとても幸せでした。人間かわれるんだなぁ、という思いを実感しました。生徒、先 生方の努力の表れでしょう。自分で限界をつくらず失敗を怖がらず力いっぱいやって ください。 週報 1183 号 埼玉県立朝霞西高等学校(048-466-4311) (http://www.asakanishi-h.spec.ed.jp/) 「一人一人が価値」浦田文夫(英語) 朝霞西高校の勤務はわずか1年という短い期間 でしたが、生徒諸君が溌剌と高校生活に臨んでい る姿は、とても印象的ですばらしいと思いました。 これからも勉学に部活に真摯に取り組んで自分に 磨きをかけて下さい。人は一人一人違います。そして、その一人一 人が価値そのものです。いたずらに他を追うことなく、今ある自分 を大事にして、将来に向かって、歩みを進めて下さい。 「自立して人生を切り開く力」堀 佳子(家庭) こんにちは。3年生の皆さんとは家庭総合の授業と総合学習で一 緒に勉強しましたね。被服室ではエプロンを縫い、実技テストに挑 みました。教室では結婚や民法について学びました。スウェーデン 刺繍はいつの間にか誰もが無口になり、無心になって針を動かして いた姿を懐かしく思い出します。ハンドメイド部の皆さんとは、し いのき祭に向けて楽しく充実した時間を過ごさ せてもらいました。ありがとうね。 家庭科は、実生活に生かされてこその教科です。 日々に役立ち、いずれ自立したときに応用、発展 できるようにと授業をしてきました。是非、将来 の暮らしをどのように選び取っていくか、という観点から教科を見 つめ、真剣に授業に臨んでください。そのような姿勢が君たちの人 生を切り開く力になると思います。みなさんの明日が、健やかで、 素晴らしいものになりますようにお祈りしています。 「勇気・激励・支え・信頼」 明楽英世 [幼名 清作](家庭) 私は、旧3年生の担当でした。それゆえ、こ れ以外の学年の生徒のみなさんのことは、あま り意識することがなく、どうもすみません。ま た、旧2-1の生徒のみなさんを調理室掃除の強制労働にこき使って、 本当に申し訳ありません。ハンドメイド部の副々々々顧問として君臨 していましたが、結果はただの幽霊顧問でした。大変申し訳ありませ ん。自分に甘く、他人に厳しい人間でした。どうもすみません。こん な罪つくりの私は、現在、狭山工業高校で心安らかに教壇に立っています(ずっと立っているわけではなく、 自宅にも帰ります)。でも、これができるのも、朝西のみなさんのおかげだと確信しています。お世辞ではあ りません。旧2-1の生徒は、自身が汚した場所ではないのに、調理室を毎回とても丁寧に気持ち良くしてく れました。ハンドメイド部の生徒は、存在の希薄な顧問にもよく声をかけ、おもしろくない冗談にもさわやか に反応してくれました。こういった他者への思いやりを自然に感じさせる関係は、これを経験した者に対して とてつもない勇気・激励・支え・信頼を与えるものだと、あらためて実感し感謝しています。 最後に、ここに紹介した方々だけでなく、すべての在校生のみなさんにとって、朝西での学び(単なる勉強 ではない)を中心とした生活が充実したものとなりますように、心より祈っております。祈るだけではありま せん。現在、平和が脅かされ、放射能の被爆の不安が今後も続くことがますます明らかになっています。これ らは、私たち大人がつくったものです。いじめの背景・環境を産み出したのも、私たち大人です。私は、その 責任をどう果たせばよいかを問いながら、これからの若い世代が人間らしく生きていけるような状況を周りの 人々とともに創り出せるよう、努力を積み重ねていきたいと思っています。では!
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