Page 1 Page 2 平成ー7年6月ー0日発行 同窓会長 去る四月.一十五日

卑いで団匡 庫鼠の団・・g ああ卑げや 甘せ愛\-ツぬ チ鹿島-
勃みて尊を 頻かばや 如鱗の太よ-・官尊の速 あ 勃・ めや 率勉剰藩揖 汐賂匡挺る 覇者の普It 噂亀-,乗車の絶
政・まず為を
貌牽驚暴 ああ親む専
単車も.ちぬ 塵を外専る
売子・;)・山
つ-・7LJばや
患魂の薗
庵・・めばや
質質細鹿 威喝の溶
且泌ケ五指
教の守う 蓮華重畳昆 草磯の蜜
桜陵通信
喪心よりお祈り致しますo 察するに余りあり'お二人のご冥福を い思いをしています。ご追放のお心を
賜り深く感謝致しております。昨年
した。大変残念なことで'非筒に悔し 中に二人の学園の同窓生がおられま
平成1 7年6月10日発行
■■l■■■■■■
が怪我をされましたoその1〇七名の が偏らぬ人となり'約四五〇名の方々 人事故が発牡しました。1〇七名の方 1R福知山線の尼崎において痛ましい
去る四月-一十五日午前九時卜八分'
同窓会の活動にはご指導'ご協力を
ヤー寸
同窓会長 小谷 修
」『
挨
拶
■l■■■■■■『
も'二田学園の同窓生であることを凶
ょうかo殆ど無いのではないですか。で 生が占める割合はどれほどあるのでし 我々の普段の生活の中で同窓会'同窓 が無いとは言えないでしょうか。しかし' を踏襲していても退歩あるのみで進歩 事柄と思います。今までのあり方のみ 風を維持していくことも大切な弓の の伝統を諮り'先人たちが残された校 同窓会.少子化が進む中'九C.牛以上 こと は何でしょうか0度校があっての
をお願い致します。 人でも多くの会員の皆様方のご出席 していますので'お誘い合わせのうー■旦 すが、この桜陵通信には開催日を記載 案内を差し げることは出来かねま とを痛感しています。全ての同窓生に
学校にとってはその影響は深刻ですG 館で賄う公立学校はともかく'私立 野でも例外ではありませんり全額を公 対応を迫られておりますが、教育の分 福祉'腐mなど様々の分野で抜本的な かざるを得ない状況にあります。年金' よって、日本の社会は大きく変わって行
申し上げます。 協力をいただき'有り撒く付くお礼
本格的な少r高齢化時代の到来に
ています。 皆様方にご審議をして頂きたく考え ます同窓会総会におきまして会員の らの案につ.きましては、七Eに開催し 名簿案等について換討しました∵」れ 窓会 則の改正案、桐窓会評議員の 監査'事務局長'事務LY員)を開き、同 五月十六Hには役員会(会長'副会長' 務をこなす状態となりました。また'
少なく私共役員の努力が足りな.;こ ありますが'同窓会の総会は出席者が
した山口義雄事務局艮も少しつ 業 の同窓会総においてご承認頂きま7
各支部の総会等には多数の出楯が
今後'同窓会がしなければいけない
ようではありませんか. とプラィドを持って人生をまっとうし れからも榊窓会H として自負と田代 避することは出来ません ならば'こ
ょうか。.いつも本学周のため格別のご が'佃窓の皆様にはいかがお過ごしでし
また新たな年度が巡って参りました
理事長 西門義博
などを提17 =されておりますoいずれも
と'校務分掌における責任体制の確立 担、部活動の時間の配分を考え直すこ 要でありtIJハ体的には特進クラスの設 ようとする意識を改革することが必 そのためには教職員の現状に拘泥し 打ち出すことが必要であると指摘し' せ、「進学校」としての惟格を前面に
'lu学風教育の巻本方針を確立さ 申を頂戴することができました。 ておりましたが、今年の三月にその答 はどう在るべきかを審議していただい 委日長)を発足させ'将来の1. H学園 校改革検討委員会」(増川兵右衛門
多くの障害があるからです。 り'またそれを作り上げていくLでも 各人各様'思い描いている内容が異な
すでに.昨年の夏から「二E:学園学
しくは「学樹の在り方」の中身について' ではありません。「魅力的な学園」も
目減に見舞われているからですo すでにその時代は去り'急激な学齢人 などで一時的な人口増がありましたが' 本学図の周辺ではニュータウンの造成 園にとっても他人ごとではありません: 保に帯悩しているところですが'本学 いるからです。どの私学でも生徒の確 することがますます内報になってきて 子供の絶対数が減少して、牛徒を確保
とが必要ですが'言葉で言うほど簡単 力的なー一lES学園」を作り上げていくこ
これに対応するためには何より「魅
檀
平成17年6月10日発行
桜陵過信
申し上げます。 常様の温かいご支援ご相棒をお願い つもりでありますが'どうか卒業生の その先頭に立サて改革に題進して参る できるものと確信しております。私は る困難な課題をも乗り越えることが 全校が1丸となって弔力すれば、いかな 請に応えて行かなければなりませんC. 思い糾った学園改革を行い'時代の要 親愛包容」の建学の糊神を堅持しっつ'
の教育にかける情熱でありましょう。 た社会的評価'そして本学園の先生方 九十余年の歴史と仏銃の中で培われ た広大閑静なキャンパスと自然環境、
こうした財産を生かし'「質実剛健・
域への学牌の広報といったところに蛮 指導のあり方や近隣の小・中学校'地 充填、多様化している乍徒に適応した 務運営組織の見直し'教職員研修の
じているところでもあります。 れている立場の厳しさをひしひしと感 校の規制緩和が准む中で、私学のおか
しかし手を拭いているのでなく、校
きたところですが'・少子柘齢化と公立 少しでもお役にij'てればと思案して
ついこの間のように感じられます.C
と伝統ある本学園のさらなる発展に 要望などを受け止めながら'この歴史
その間、生徒の様子や父兄'地域の
体制を整えているところであります。 改革推進委員会」を設置し'その実行 すでに、理事と教職員からなる「学校
ら実施に移していく所存であります。 の意識改革をはかりつ 'できるものか 家の意見を聴きながら吟味し'教職員
本学園の財産は小寺先生の残され
あるとされていますo は摂電な検討と周到な準備が必要で になっています。また女子入学について 本学園の間越山を鋭く指摘した内容
り込まれた内容を学識経験ある専門
私といたしましては'この答申に盛
謝申し上げますC いただいておりますことに'心から感 は母校の教育活動に何かとご支横を 勝のこと お香び申し上げますo平素
桜陵会員の皆様には、ますますご健
昨年の4月に着任しま㌦産Jとザ
学校草 森田静垂
・=心ているところです。
希望に胸膨らませて学業励んでく
様の活躍されている文部の大学等で' てくれました々この多くの新会員が皆 名は例年に膚けない進路実績を残し
ているところでもありますo なるかもしれない総体に全力を傾け 砧校`二年生にとっては般後の公式戦と
も無事終えました。次いで部清動では 施するなどあわただしかった新学期 三日で丹波少年日然の家において実 生の入校時訓練を四月一六日から二泊 洋体験学田で実施し、また中学新人 五日から四泊五日の沖縄への平和と海 ます拓校二年生の修学旅行を卯月一
平成17年度同志会捻会のご案内
平成17年度の同窓会総会を下記の要領にて開催いたします。
同窓会H各位におかれましては公私ともご多忙のこととは存じますが、万障
お換り合わせのL多くの方々にご出席をいただけますようご案内申し上げますo
ご参加いただけるガは、l'Ju会場にて受け付けさせていただきますが、出来ま
したらお手数ですが事前に事務局までご連絡いただければ幸いに存じます。
日 時 平成17年7月2日(土)噂 所 有馬グランドホテル
〒651-1401
受 付 4時 神戸市北区有馬町1304-1
tel.0781904-01 81
総 会 4時30分 会 費 8,000円
名でスター を切りましたC 名を迎え'巾・応佼合わせて二五七五 はほぼ満開となった中で高校生二八四 巾で新しい中学生一 四三名を'午後に 八日の朝にはまだ五分咲きと妃える
話力の向上と国際交流の進展を期待 なく教職員も含めて生の英語力、会 導助手〕の先生を迎え'生徒ばかりで 非常勤.名の計二名のALT〔英語指 ろですUこの中には本年度から常勤一名' なり、新たに四名の新任を迎えたとこ
年度当初の大きな恒例行事であり
さて'この奪巣甘.った卒業生二七円
拶とさせていただきます。
くお願い たします。
幣様方のご多幸をお祈りLtご挨
るところでもありますし 点を帯いて'全教職員が取り組んでい
さて'今年は桜の開花が遅れ、四月
教職員では、二名の先生がご退職と
と もにご支援につきましてもよろし
しては新会員への先輩としてのご指導 となると思います。各支部におかれま らのこれからの人生にとって'大きな力
る者もあると推察いたしましす。
先輩方の人脈と畷かい励ましが彼
一方では不安と緊張の生柄を送ってい
れていると期待しているところですが'
桜陵通信 平成17年6月10日発行
せる。
が少年の頃を過ごした三田学園の丘 情景を想い起こさ な自然が残されてい 、新緑の季節ともなれば'かつて私
現在'私が住む東京多摩地区の丘陵地には、まだ罷か
「年金改革法祭の重り探
「あると思うが、t71件の
太平洋戦争下の学園諸事情
Ei i i i Si i i Hi 5gi i 掛野竹山か肌軒や紳
第5 7回東榎信介氏
-舷しい演挙戦を強いら
しという構図に鞘gj
し、市民-感』 『出 多田珊筋参加に批判 年金改革とRi柵練の は、T赦して逆風だ
か、中過半拙・=な点間 rJれ'反論茶遠べる た。相甜碗税は時間
兼松信介滞日民
ただF脱明なく 日和口身が判断
あ/」\た
し
る鬼」
L'幕屯
と
群
・ 小泉改革路緑をとう評
きた」
なり.'常識の聯州で協刀で 弘かったFL l年の凍院滴と光 所を鯉.iL合った'批判の めに白山と公明で足りない なければならない。そのた
む限り、ともに選挙に勝た ・
う一報諸州詔錯鮒g
たい」 だ医照制度改革には聖域を -どんな政治家をE]指し -どの分野に取り組む 閉口任を果たせるようにし 「お むね支持するGたば」 錯誤的な部分も生えたい」 いうことを訴え、今後は脱価する
った
-公明の協力が支えにな
説明責任果たす政治を
第33回卒 橘 匡
▲′
参議院議員初当選
ということは避けたふけれ感党で。自民党にある時代 の差で医療の機会が爽なるまずは否生的な'留年的な つけることにもぢ勺摂待いない二からやり駐す。 入れ ば、人の命に価段をに国政に拡もうとは考えて 市場蚊理主我を医療に放り 「他方満会の経験を前提 設けるべきだo行き過ぎたたい
考えた。 れかけていた当時の記憶を少しだけ懲理しておきたいと の状況について問い合わせがあり、この機会に'私自身、忘 六十咋前の太平洋戦争当時の学園内にあった施設や、そ
ていた一九凹凶年の春のことだった。 は、太平洋戦争のさなか'すでに日本の敗色が濃惇となっ
当時'政府は戦局の劣勢を挽凶しようと'航空機など
このたび'たま 母校三田学園記念図讃館の方から'
私たちが旧制一二円中学校の新`平生として入学したの
党の古い部分変えたい
敬重本法の改正e
制圧を確立づる。 改革C持紙可能な社企保昨
的な政肘左目押す。 ビスを民間に移譲Lt効率 方分椎を止める9行政サー
「三位一仏改革」など地
U、国際ei獄に取り組む。
せるべきだL 現状は危ない。はっきりさ で忌妹が琴与りれてし串つ 分野C潜法についても脈釈 以外では彫替力のなかった あるo県溝会では、広見書
年金・医療・介詔の抜本
よりお礼申し上げます。 は何かとお世話になり心 めている所です。在職中 の人生 (僧職) を歩み始 生活には支障なく'第二 来ませんが'普通の日常 になり'あまり無理は出 致しましたが'今は元気 朋し三ケ月程入院生活を 園を退職'その後体調を 勤務させて噴いた三田学 月末を持ちまして、長年 が'ご承知の通り昨年三
形で支援をLt学園百周 同窓会としても何らかの 百周年が近づいている今' りありがたくも私に創立
とさせて頂きます。 申し上げまして、ご托拶 とご協力を心よりお願い
慶び申し上げますG 勝にてご活躍のこととお
さて私車でございます
この度、同窓会長様よ
お願い申し上げます。 すので'どうぞよろしく
て頑張るつもりでありま 州来る限り百周年に向け 位とのパイプ役として、 教職員の皆様及び同窓各 当の先生方を始めとして' ました。学園の同窓会担 てばと思いお引受け致し め'微力ですがお役に立 なったお返しの意味も込 しても'今までお世話に お前しを噴き'私としま
い」
こんな状況をぜひ変えた かすにも国の許可がいる。 にくかったDバス停1つ勅 えたが、こう変わると示し
「外交や防衛にも興妹が{
「湧挙では地方分椎左訴
した。
同窓の皆様方にはご健
新緑の好季節となりま
を引き受けて欲しいとの 精勤でよいから事務局長 所動をしていくために非 それ故同窓会の充実した をしなければならないC 年を盛り上げるお手仏い
皆様方の増々のご活躍
事務局長
山口義雄
冒
桜陵通信
平成1 7年6月10日発行
円紫に'尼崎市の難波回民学校から八十 われていたC二E=小学校でも節.二寮と第 旧ル童を中心に、地方への集団疎開が行な 避けるため'四民学校(現在の小学校)の
切断され'束ねられて運び川された。 と伐り倒され、その場で燃料用のサイズに いるあたりの山林から、人きな松の木が次々
うものだった。現在は硬式野球場になって ない作業はつらく'ときには伯険をともな 体力のない私たちにとって'長時間の倒れ
l部とさえなっていたC食べ物も充分になく'
これらは通常の学校行事'あるいは教科の 採作濃に山て行くことが多くなったo当時' 農村への勤労作業や'燃料にする木材の伐
1.二年牡も次第に授業時間が短縮され'
には'二E小学校の校碑がついていた。 る。コハク色の粕柴のか った陶製のボタン のボタンと交換してもらったのを髄えてい ンをはずし'止門脇にあった肌罪都で陶製 回収の対象となり、私たちは制服の金ボタ 私たちの制服についていた金ボタンまでも 材料として強制的に肘収された。さらに' 使う金属製の鍋や釜にいたるまで'兵器の
に動E=されて学校を出て行った後'私たち
その頃'都市部では空襲による被害を
二年生以上の卜級牡たちが'軍需工場
私たちの頭上に、突如、南からB29爆撃機. 校の本館(現中学本館)前に集令していた
ていたo
て校庭にまで降りそ いだ。 快や燃えかすが風に乗って'六甲山を越え
とき、南の空が夕焼けのように赤く染まり' 発せられた。空襲で神.〓市街が炎上する 増し、Ct.夜を問わず'たびたび空襲g:報が
その頃になると'アメリカ軍はカに母を小
深瀬中尉というT.十二歳のパイロッ-だった。 の竹林に墜蕗'戦死したのは山形県出身の そのうち一機は岳平村上槻瀬(現三田市) 弾'一.機とも火に包まれて墜落したという。
るため、二年牛から私たち八名が六日の月 行なわれる戦時特別航空訓練に参加す う八月に入っていた。そして、水h郡石生で
戦争が段終段階を迎えた噴'季節はも
Ft・.I::-,;-;
牡になっていた。 に落ちたoそして'四月には私たちは. 午 ぼ中間点にある硫鵜島が'アメリカ甲の手 地があるマリアナ諮砧と'日本 卜とのほ
ようだ。
この年 `二月にはtB29爆撃機の発進苑
阪神地区への空爆はますます激しさを
に勝るP51戦闘機の反似攻撃を受けて被 部の上空でp51戦闘機十数機と交戦'数 進した上T機の日本軍戦闘機が'神戸市北
ものだったo幸い死偽者などは川なかった 離れた長尾村のEんばに着弾'爆発した てた十数発の爆卵が'学校から西に約1キロ
棟が今焼しているo 銃撃'女件や小学生ら八名が死傷、山家四 停車中の貨車や一㌧輪地区の市街地などを 然'低R.Jで三出の市街地に飛来、駅付近に
さらにこの日'人阪八尾の人止鵜地を発
のアメリカ甲p51等スタング》戦闘機が、突
臼されて行った。
によると'七月十九円'午前卜一時頃、裡数 なって'神戸の友人から得たこの日の記録 の襲撃を受けたという崩を聞いたC近年に 業の輔りにへ三川の町がアメリカ甲戦闘機
かった。
七日の半ばを過ぎたある日、相野での作
Dl春のある夜明けのことだったC関西地
帰る児竜もいたという. ての生活がつらかったのか'抜け州して家に 団生活をしていたが、初めての親元を離れ たちは松任の教師や寮付と もに'紫で集 名の児壷を受け入れることになったC児競
この年の十月には'マッカーサー将甲率い
十一月に入ると'マリアナ基地を発進し
び起きたcB29爆撃機が僻り迫に投げ捨 落留のような爆発音に'私たちは驚いて飛 ンドも真っ白な雪で宛われていたC突然の センチ前後も傾もり'校舎の局根もグラウ 方には珍しく'前夜から降り始めた雪が十
までに'帖崎と伊丹の甲需丁場へ次々と動 学年以上の卜紙乍たちは'その年の夏ごろ 制を発令していた。.iE中学校でも第三 前年のl九四一二午六円に学徒戦時動臼体 の兵器を増席する労働力を確保するため、
戦況の悪化にともない'国民の口常件活
次々と南の海に散っていった。 の三E中学校出身の特攻隊口も出撃Lt 行ったのもこの時期だったCその後'何人か 初めて特別攻撃隊が結成され'出撃して 各地の前線で絶望的な戦いを続けていた。 れたフィリピン・レイテ鳥に上陸'日本軍は るアメリカ軍が'この人戦の天上山と呼ば
本土は完全にアメリカ軍の空爆圏内に入っ たB29爆撃機が東京卜空に現われ'日本
そしてl九四五年l月のある日'三山・}学
艦卜戦闘機を発進させて'日本の甲事施 心とする機動部隊を日本近海にさし向け'
を盛いられていた。 となり、一般の人びとはひたすら耐乏生活 に対する統制も強化され'食指も配給制
甲沼物資の不足も深刻になり'家庭で
たu
には'いくつもの航空機工場が展開してい な軍需工場が集巾Lt周辺の明石や幽宮 まったC神.1には油湾施設のほか'大規稚 地方の都市部に対する本柄的な空爆が始 l■月になると、B29爆撃機による関西 的は、阪神地区への:.a初の偵察飛行だったc て飛び去って行った。このB29爆撃機の目 29爆撃機はそのま 'ゆっくりと北に向け ったo幾いて顧ぎ出した私 ちを後目にtB 体は、想像していたよりもスマ1-で美しか ル'長い後退巽を拡げた銀白色に輝く機 機の機影が現われたo高度は約1■Tメ-ト
いた∵
しい仕事で'体朋をくずす者も少なく 道路の整地'資材の運搬など'かなりきび ことになったC相野地区での建設予定地や 兵厳の疎開工場の建設現場に動員される と'いよいよ私たち.一年竹も'人阪陣坤造 成作業に従事していたQそして六月に入る 動E;令が出て'広野地区での地下工場の造
五月にはtl二年牡(第三卜二期生)にも
らは日本の甥をわがもの顔で飛びまわって 戦闘機も、対地に砲火もほとんど無力で'彼 カ坪戦闘機の前に'数少ない日本軍の迎撃 きわめて強力な戦尉能力を備えたアメリ 設などに'激しい銃撃を繰り返していた。
桜陵通信
されなかった。 でもなければ'周辺に立ち入ることも許 には一切知らされなかったし、陸軍の関係者
塗料の質も悪かったのか、そのうち'迷彩は は'1時、茶褐色の迷彩が壌られていたが' が勤務していた。記念図書館の白い外壁に 軍属職員のほか'.・一卜名前後の女子職員
建物には'大量の苫難などが持ちこまれ'
印象に残る。 かり'残照にキラキラと輝いていたのが今も 磁波肪害用のアルミニウムのテープがひっか 木の枝に'B29爆撃機が投下した'レ-ダ
庭で'大量の書類の束を燃やしていた。 毎日のように'職員が記念図書館の西側の クで運び出されていた。また'被服廠では の工場から'工作機械などが次々とトラッ
の頃には食糧難はピークに達し'すべての
な仕事だった。作業の輔途'山際の高い樹 していた資材を'一定の箇所に運ぶことが主 い口々'私たちには即野'藍本地区に分散 の作業に出ることになった。残暑のきびし 生を除き'それぞれの作業現場の後始末
す。(何とも言えぬ味だったとか⊥ 炊事場で料理してもらい食べたそうで 生が巨大ウナギを手づかみで捕え寮の
されるそうです。 軍で歩いて帰ったことを懐かしく思い出 校まで三十八式歩兵銃か えて徹夜行
その後'東京の官立無線電信講習所
戦争中の昭
れたとのこと。
卜の通称「嫁ケ淵」の周辺で'地下⊥場の
ぼ壊滅へ神崎t場の四年生たちは'現在' う。そして'六月には神崎工場は空襲でほ 場は第三十一期生の手に引き継がれたとい 生が三月に卒業して去った後'この疎開工 行なわれていたo上年生だった第1.十九期 れ'航空機用プロペラの部品の加⊥作業が ダー格納庫に'∫作機械が何台も遊びこま
静かだった。 三田の町も母校の校庭も、意外なほどに 相に帰り着いたのは八月も末の頃だった〇
私たちの石生での訓練も申Tmになり、三
昭和十三年四月入学。第十l寮で三
狭間池で池さらえをした時、大前先
軍事教練で'青野ヶ原練兵場から学
伏によって'太平洋戦争は締結した。 l九四五年八月十五日'日本の無条件降 形跡は見当たらない。 服などの生産作業が'実際に行なわれた 凹中学校の敷地内で見るかぎり'軍用被 実現しなかったものと思われる。そして、三 あったとみられるが、敗戦によって計画は に移転LT疎開工場を稼動させる計画が
●青春⑳lln1守●
之先生(ゲンマイ)C 年生まで寮生活を送った。寮監'大前信
[住友金属工場/プロペラ工機]
部を移転させ始めていた。 ⊥場では、三山中学校の敷地内に工場の. 期牛が動員されていた住友念尿工菜神崎 た一九円九年1Ht第二十九期件と第三十l
広島に最初の原子爆弾が授下された朝だ 駅から卜り列車が石生に向かった。それは 催口の朝'抑任の教師に引率されて'二.田
れないま '戦後も放置されていた。 ては確認すべくもないが'いずれも完成さ が被服廠のものであったかどうか'今となっ 屋の建物が幾棟か建てられていた。これら りと思われる地域に'木造、杉は若きの平
風雨に曝されて自然に消えていた。
その頃'現在の市立図書館の褒手あた
大阪陸軍被服廠では'生産設備を三川
平和な光景が日に飛びこんでくる。 らかな声が校庭に響き、底抜けに明るく' 私たちの孫のような世代の生徒たちの'朗 を兄いだせるものは'何ひとつ残っていない。 る母校二E学園には'今はあの戦争の痕跡 ころ、私が二年ごとに訪れることにしてい
今もこ に息づく私たちの青春と も
ったC
阪神t業地帯への空爆の危険が迫ってい
現在の小学新館の南側にあった旧グライ
三田中学校では'動員されなかった一年
三田中学校の構内では、住友金属工業
九月には学校の授業も再開されたが'こ
.im市のニュータウンの上部になっている幽野
[大阪陸甲被服支廠]
造成工場に従事したと聞いた.
旧陸軍の軍事機密に属するもので'外部 たと思われる。これら業務の内界などは' 事務所あるいは倉庫として使川されてい のl部へそれに正門横の旧購買部の建物が' を始めた.記念図書館のほか'東館と西館 都が'三田中学校の施設を利川して疎開 l九四五年四月'人阪陸甲被服支廠の一
平成17年6月10日発行
値が高かった。 厳が残していった「普類」の裏紙は'利用価 もメモ用紙さえも血日並品だった時代、被服 生柄物幣も欠乏していた。学習用のノート
あれから六卜年の歳月が流れたoこのと
書き送っていただきました。 写真2枚と戦前の学校生活の思い出を 第27回卒の山口市郎氏からセピア色の
許を取得さ 線従事者免 へ入学し'無
写真は'
とをBj明する
洗定ナろ那r救無叙雅代迎侶士鑑別6:に世当すらこ
Jの免肝鮎は国際稚気遜侶催釣附属七扱凪.3盤用に
AZ軒横の免許を与えた・0のであること4-仁切する
「」
石の着は七線従邸着E家就放及び免節盟剛に・丁Et常
相和l三年 九 月【1エロ
有効期間
無娘徒歩考免肝征
升 格 別 節一息七換姐店士
巨.I_」
B?並整 理 委月食.
F却l◆咋Y E;I+JE;t
t=和l+一昨一E; L Zr小・ .
・B t gF
火t十l● l lr f EZe
山 口 LB Jl
あったそうです。 の写莫館に行き椋影し、親友と交換し くる余裕などなかった時代'各人が三田 和十八年三月のことで卒業アルバムをつ
中詣時に撮影されたものです。
F=_▲ lllIT甘
もう」枚は'戦後の昭利二十六年免許
賜わるならば幸いである。 が'これらについて諸氏のご指摘、ご叱正を に関する思い違いなどがあるかも知れない いただいた。文巾へ私の記憶の誤りや、事物 郷土史などに関する幣料を参考にさせて それぞれ提供された一`上田学岡の変遷と、 第二十三期の友人である日野義弘訳から 校二出学園記念図書館の泉洋fさんと、
でも続くことを願ってやまない。 に'この桜陵の美しく平和な情宗が、いつま
このたび'この拙文を讃くにあたって'母
桜陵通信
平成1 7年6月10日発行
大会まであと一歩の所まで進みました。 部は昨年、兵庫県の決勝戦に進出し、夢の 大会であります選手権大会。本校サッカー
守りとチームワークが身上のチームは、厳し
キャプテン西洋tcB西村を中心とした
戚勝川彫n肘仙7褒ノ
全国の高校サッカ-選手にとって最大の
夢の舞台まであと少し-。
した。
いぶりであったと誇らしく思います。
に励んでおります。 員は'また新たな飛躍に向け'練習
ことを厚く御礼申し げます。 たくさんの応援をいただきました 様に激励の声をいただき'当日も
大会を通じて、多くの同窓の皆
ウィングスタジアムでの決勝進出となりま
テン西洋も認める「会心の試合」を経て、 開四学院でしたが'3-1と圧倒。キャプ き'準決勝に進出。相手は高い能力を誇る い予選の2試合をともに1-0で勝ち抜
しましたが、彼ら しい常々たる戦 を許しへ後半も加点され'敗れは ながら前半終了間際に相手に点 の堅い守りで防いでいました。残念 手のゴールを脅かし'ピンチも全員 ずゲームをしていました。何度か相 強豪に対し'本校部員は一歩も引か 夏の総体、選手権と連覇している
相手は滝川第二高校。こ 数年
新しい歴史を刻んだサッカー部
第83回全国選手権
サッカー大会兵庫県予選
., ihE.Si:T5:rk:
三三三三 田田田田
l 1 3 0
一一一一
0 0 1 4
明琴関滝 石丘西川 商 学第
院二
第84回卒 酒井書和君
2個の銅メダル獲得!!
前号でその大柄縫蹴りをお伝えした酒井苫和利(84岨卒)が高T・学校3年生在学巾シドニー・パラリンピック出場に続き、
2004年9月17円から28日まで開かれた、アテネ・パラリンピックにも連続出場しすぼらしい成綿を修めました。酒井選手- (視覚
阿漕) -は、 100m背泳と4×100m自由形Rで2個の銅メダルを獲符するなど7種目に出均し入質の栄誉に輝きましたo酒井封
は本校を卒業後、筑波大学附属帯学校に進学、 IFjJ専攻科3年に在学していました0
12歳でジュニアオリンピックロ本代表に出場しながら、二凹学園在学中から目を悪くし、失明の不安と戦いながらも、見事シド
ニー・パラリンピックに川場し11t界記録の金メダルをはじめ4個のメダルを手にしましたo
あれから4年o見事パラリンt:0.ソク連続出場を果たしrl本代表として優秀な成損を修め柄躍したことで、東京都は多くの都民
に感動と勇/.式を与えてくれたとして、知事から阿害者スポーツ功労晋を贈?.し、その功績を鎖彰しましたo
桜陵通信 平成17年6月10日発行
(二)秋季県大会
1回戦 三田 7-0 兵庫商業
2回戦 三田 10-3 津名
3匝Ⅰ戦 三田 9-3 小野
準々決勝 三田
8-1滝川第二
準決勝 三田
2-4 育英
3位決定戦三田
4-3 社
0秋季近故大会
1回戦 三田 0-5 八幡商業
チームの夢から'チームの目標へと チームが一丸となり'「甲子幽」が 出場を果たすことが出来ました。 転し、5年ぶり1 回目の近畿大会 と指示を受け、ようやく7回に逆
ャンスは必ず来る・野球を楽しめ」 ゲーム巾、監督から「束になれ・チ
3-0とリードされる苦しい展開。
位決定戦の杜高校戦は'6回まで の近幾地区大会出場をかけた3 育英高校に2-4と敗退し、翌日 することが出来ました。準決勝で ンドでも打席でも、冷静にプレー 戦え」の言葉を胸に'ピンチのマウ 姿勢を朋きず'最後まで全力で
心より感謝しております。 てくれました吹奏楽部の皆様には' 力強い演奏で'チームに力を与え 思います。最後になりましたが、 り見据えへ葛の大会に備えたいと 球部の伝統を守り'目標をしっか チームになれるよう、一 一四学園野 でしたが、県推薦校にふさわしい は漏れ'センバツ出場はなりません 思います。近畿地区の推薦枠から
ィングで監督から受けた「勝気な そんな時'県秋季大会前のミーテ れそうになった時もありました。 んともいえない重圧に押しっぶさ
2回戦'-と勝ち進むにつれ'な 有地区予選'県秋季大会1回戦' 厳しい練習に励んできました。丹 の信頼関係」を課題に'チームは を上げる」「伝統を守る」「チーム
新チーム結成以来'「意識レベル
う」が評価され'本当にうれしく
組んできた「チーム一丸となって戦 た。チームの課題の-つとして取り
戦いぶりが評価されての選考でし 秋季大会でのチーム一丸となった 三EZ学園の文武両道の東城'県
21世紀枠推薦校に選ばれました。 終r後'県高校野球辿盟の選抜 きると思います。近畿地区大会 チームは頁に向けて人きく前進で
野球部主将 中山 大輔5年
きたことです。この敗戦をバネに' 題が具体的に「勇気」だと認識で が出火ました。それは'チームの課 したが、大事なものをつかむこと でチームは弓の目標を無くしま 敗退してしまいましたご」の敗戦 弱さから'走・攻・守に牛彩を欠き
戦は'克服してきたはずの精神的 会の初戦八幡商業(滋賀県1位) 変わった勝利でした。近畿地区大
平成16年度は数々の災害に見舞われた-牛であったが、巾でも人型で強い台
風23号は10月20口′1二後、三出学園を襲った。創立以来、母校のシンボルとしてそび
え立っていた小-:j'・・ホールdr'Jのヒマラヤスギの一本がなぎ倒されホールの一部を壊
すという鞍害に見舞われたo台風23号は20日夕、兵庫県に烏之接近、県内全域を風
速25メートル以上の暴風域に巻き込み、各地に200-300ミリの人雨をもたらしたo兵庫県の低臥淡路地〟などで特に深刻な被害
を出した.豊岡では円山川が決壊するなど水没や倒壊の危険からピJj時には三千八TT'人が非難する木曾イ1-の被害が発生したo
この口、二田でも午後4時ごろにかなり激しい豪雨に見舞われたが、雨はその後小康化した。これでピ
ークを過ぎたかのように見えた午後8時過ぎから暴風が吹き荒れはじめたoこの強風により数年前の落雷
に傷ついたヒマラヤスギの一本が途中から折れ、ホール入り口付近の屋根を直撃、一部を壊したo
かつて、この場所には別V.当初の班設になるIrl.誇常が建っていたが、老朽化により取り壊され、80周
年Jd念事業となる現在の小寺ホールが建設されたo創立判寺、旧清澄前に植樹されていたヒマラヤ杉
は小寺ホールの建設用地の関係で一本が切り倒されたが、丁度峠を悪く上陸した台地によりIU講堂の
解体によってまともにその風を受けて更なる一本がなぎ倒されたo今回の倒木により残るのは2本のみと
なった。 (大原)
;.i弐
l
Xn
桜陵通信
氏より提案 窓会長小谷 つづいて'同
されました。
平成17年6月10日発行
平成十六年度三田学園同窓会総会
予算が承認 度事業計画、 議案⑤16年 員の留任' ては6名全 役員につい 案④16年度 算報告'議案③監査報告とつづき'議 報牡い・決算報告'議案②「桜陵会」決 お願いしました。議案①15年度事業 右衛門氏を議長に選出'議事進行を 木審議に先立って'第53回卒増E兵 園の近況について報告がありました。 された森田静垂学校長より三田学 市長、そして本年度より校長に就任 会長の挨拶から始まり'西門義博理 ホテルにて開催されました。小谷修 名の参加を得て恒例の有馬グランド 第9回牢の新谷秀雄氏をはじめ48
晴天に恵まれた本牛度の総会は
平成十六年七月一〇日(土)四時三〇分
校歌大合唱にて宴を終えました。 この後'懇親会に移り盛会のうちに なされ'満場一敦で承認されました。 雄前学校長を推薦したいとの提案が 田学園学校長を勇退された山口義 成16年度で三 務局長職に平 から、同窓会事 さらに同会長 になりました。 開催すること 役員会を毎年 れていた総会' 隔年で開催さ があり'今まで
於 有馬グランドホテル
お知らせ
平成17年度の総会は7月2口(⊥)
午後4時30分より、同じ有馬グラン
ドホテルにて開催いたします。
次回は会則変更、個人情報保讃
法関係等多くの提案がなされます。
どうぞ、同窓会会日の皆様のより
多数のご川席をいただければ幸
いですo
長(伯回)'森田静垂校長'同窓会事務 門義博理市長(45川)'小谷修同窓会 お越しくださいました。母校からは西 17回卒から76回卒まで幅広い方々が となりました。本年度参加者は45名' ルセロナホールに会場を移しての開催 日(土)に『ホテルゴーフル神戸』16階バ
平成16年度の神戸三出会は8月訪
神戸三田会
会は盛況のうちにお開きとなりました。 で校歌を歌い'平成16年度神戸三出
し上げております。 さい。怖様のご参加を心よりお待ち申 夏の神戸三田会にも是非ご参加くだ 催いたします。冬の大阪三田会同様'
次回開催は平成17年8月下旬に開
からは国政報告をしていただきました。 市長からは母校の近況報出目'末松議員 に'近況にと話が弾みました。西門理 しみながら'自己紹介を交え思い出話 お祈りLtその後は美味しい食事を楽 関係者諸氏のご冥福を参加者全員で My -nd"をBGMに物故の同窓会 りました。恒例によりIGeorg-aOn
りました。そして最後には参加者全員 び交い沢山の賞品も瞬く間になくな われ、進むにつれて「ビンゴ」の声が飛 寄った賞品による『ビンゴゲーム』が行
宴たけなわの中でそれぞれが持ち
菱部会だより
回)もお忙しい中をご参加頂きました。 選挙で2-選された末松代介議員(ES ました。また今川は先の参議院議員 の受付時間には人勢の同窓牛が揃い ありました。残暑厳しい中、午後4時 局の人原篤夫先生(盟回)のご参加が
戸二円会 長(40回)の挨拶から始ま 幹事(57回)の司会により古杉繁業神
午後4時半'足立裕司神戸三E会
酒水二 (83凶年)
描
桜陵通信
平成17年6月10日発行
祈念Lt後輩.向若手を代表して幸福 氏の第二の人生が幸多からんことを 功氏(47回卒)の挨拶をいただき、同 今春ご勇退の運びとなりました今西 に百り県下の治安維持にご尺、力され' 接拶'続いて'奉職後37年という長き 捧げた後'会長今北弘氏(娼回卒)の を祈り参加者全員で1分間の黙祷を
が在職しております。 県警では'3月末現在で65名の卒業生 が県卜各地から参集いたしました。尚' ほか県警oBを含め多数の会員諸氏 同会初代会長の東郷博氏(出回卒) m正宗教諭をお迎えLt特別会員で 門義博理事長、森田静垂学校長'浦 同じく野間汗志氏'また'学園から西 が代理出席〕'県議会議員梶谷忠修氏' 〔急務のため沌内虎介秘召(78回卒) 来賓として、参議院議員末松信介氏 今西功氏を送る会」が併せて行われ'
られた故・辻昌孝氏(糾凶卒)の冥福 平成15年10月'不慮の事故で亡くな 回卒)指揮の下'同会発起人の一人で
冒頭'本会総合TE会畑雅弘氏(5
血気盛んな丙門教諭(当時)に英語の 筆者は、勉学は不得手でありましたが' 話に花を咲かせました。64回卒業の の近況を語り合い'学牡時代の思い出 の乾杯のご発声の後'それぞれが互い
贈呈いたしました。 を'三宅聡行氏(紀回卒)から花束を
が行われました。
いて。第4回兵庫県警察棲陵会総会
この度の総会では'「第47回卒業生
3月12日'共済施設パレス神戸にお
兵庫県警察樫陵会■
雄克氏(81回卒)が心ばかりの記念品
続く歓談では'和E 英美氏(50桝卒)
の梶谷心修氏(39川卒)、副会長の野
長にも初めて御出席いただいた。
(56回卒)の音頭により'参加者全員
会を終えました。 同窓の団結心を固め、盛会のうちに で三田学園校歌を高らかに斉唱して
4月から新たに就任された森出学校 局を担当されている大原先生'そして 理事長'辰巳中学部長'同窓会事務 において開催された。学園からは丙門 桜友会総会が県庁近くのラッセホール
平成16年6月9日'平成16年度の
県議会議員会員からは桜友会々長
しました。
その玄人はだしの演奏に一同感嘆いた れる、琴、尺八の生演奏の披露があり' 宅入居者の心の支えになったともいわ 込んでこられ、先の大震災では仮設住 れる今西氏からは'同氏が長年打ち のお言葉をいただくと もに'勇退さ
兵庫県職員様友会
した青春時代に思いを馳せました。 の西門節を拝聴Lt故・辻民らと過ご 教えを請うた者のひとりで、久方振り
警察に対する厳しくも氾かい励まし
また'この間、来賓の皆さまから県
最後に'本会代表幹事 仰雅弘氏
城戸康好 (64回不)
いつもの常連出席者'久しぶりの出
胴門.
全員でその壮途を励ます会ともなった。 り'末松氏の力強い決意表明を受けて 議院議員選挙に出馬されることにな
れてのにぎやかさとなった。
末松副会長が7月に執行される参
もなく一挙に盛り上がり'席を入り乱 するのが慣例であるが'今年はその間 た。いつもは出席者が順番に自己紹介 声による乾杯により、宴の開始となっ
この後'副会長である野間県議の発
ぞれの想い出を新たにした次第である。 告を受け'参加者一同が母校でのそれ よる紹介を交えながら学園の近況報 門理事長から学園広報「三凹が丘」に
と一同大いに意を裁くした次第である。 E学図の存在と名声は永遠なるもの 生徒・学生数減少の懸念を払拭し'三 旨の御挨拶があり'少子高齢化による 後のさらなる発展のために尽力したい 両道の二田学園の伝統を守りつ '今
続いて、森口新学校長からも'文武
名が出席Ltにぎやかに開会した。 県職員の現職及びoB会員からは28 回卒)も久しぶりに出席され'また' 氏(26回卒)'同じく池本 智氏(37 回卒)に加え'議員OB会の井本文治 氏(53凶卒)'同じく末松信介氏(5
梶谷会長の開会挨拶に始まり'西
間洋志氏(鵜回卒)'同じく芝野照久
桜陵通信
何年も滞っていた支部活動を復活し 同窓会事務局の大原先生もお招きLt 祝辞を頂きました。又'大西中学教頭' 動や'学校の近況報告等を交えてご 三田支部長より'それぞれ同窓会活 会長、西門理事長、森凹学校長'今垣
(鳩jI)の挨拶のあと'来賓の小谷同窓
と開会の言柴に始まり'作田支部長 た。根本副支部長(舵回)の司会進行 のもとで'久しぶりの開催となりまし 開催いたしました。31名の会員の出席 議室におきまして'二輪支部総会を
平成1 7年6月10日発行
(追伸)末松県議は'この後7月1 日に
5時30分より'二田市民会館二階会
幕を閉じた。 来年度の再開を期して'盛会のうちに 熱唱により盛り上がりはピークに達し、 み合っての応援歌の力唱'そして校歌 の芝野副会長のリードにより、肩を糾 交歓のうちに時が経ち'=. 後は'恒例 儒者ともに杯を重ね'熱気あふれる
念申し上げます。 会員l同'先生の益々の御活躍を祈 て見事初当選を果たされました。 執行された参議院議員選挙におい
さる'平成16年6月13日(日)午後
三輪支部擢会
(50凶卒 南向 記)
頃に終了'散会いたしました。 を祈念して'バンザイ三唱で'午後8時 で締めく られ'母校の更なる発展
に油谷要二先輩(27回)が閉会の言葉 の指揮のもと、校歌を大合唱Lt最後
来ました。そして'安行英文君(Es旧) 間半にわたり和やかな親睦の輪が出
(24回)の乾杯の発声に始まり'約一時
ました。懇親会では'和田延男先輩
ぎて行きました。 の雰囲気で時間もあっという間に過 意したビンゴゲームを催し'和気諸々 手役員からの提案で'豪華賞品を用
きました。 今垣 享(49回卒) 束しつ へ皆さん二次会へと流れて行 ちに中締めとし、次回での再会を約 部長53回卒のl本締めにて盛会のう 肩を組み'校歌を熱唱Lt宮下副支
浦田様のエールで全員が輪になって
した。
近況について詳しく報告して頂きま 況'各クラブの活躍等々'三円学園の 長より恩師の近況'大学への進学肌 お祝いの挨拶、西門理事長'森口校 ました。その後'小谷同窓会長より、 全会一致にて承認され無事終了致し
した。
り交ぜ'総勢31名にて取り行われま 氏より70回卒の前岡氏まで'老若織 お招きし、支部会貝も3 1回卒の梶m 事務局、作問三輪支部長のご来賓を 田校長'和田教頭、浦田同窓会担当 いて、小谷同窓会長'西門理事長'森 会は6月19口(卜)「も たろう」於
議事もH滑に進行Lt提案議案も
その後'懇親会にうつり'今回は井
同窓会二円支部の平成16年度総
三眉支部播会
移り'出席老中損年長の冨永泰史氏 報告が行なわれました。次に乾杯に 部の活動や大学進学状況についてのご り巻く状況のご説明と文化部・運動 姫路西高校長)が挨拶され'学風を取 長(45回)と新任の森田校長(前県東 と挨拶されました。さらに西門理事 同窓生の秤をいっそう深めましょう。」 年齢層の人たちが在いに協力し合い' 部長(41回)が「本日のような幅広い 黙祷をさ げました。続いて坂本支 ずご逝去の連絡があった6名の方々に
思われます。
梶谷幹事(∽回)の司会により、ま
して頂いたことが与かって大きかったと だより」に東京支部の連絡先を明記 す。これは「桜陵通信」3 号の「支部
学生が14名と大挙出席されたことで はこれまでほとんど参加がなかった大 な総会となりました。特筆すべきこと りもさらに5名多い6 名で'一層盛大 部事務局の浦田先生を含めへ昨年よ 門理市長'森田学園校長'同窓会木 出席者は'来賓としてご参加傾いた丙 間」において開催されました。本年の
なった「東京プリンスホテル1 階高砂の 25口(金)午後6時30分より'恒例と
平成16年度東京支部総会は'6月
薫属官部総会
岡=
桜陵通信
平成17年6月10日発行
月に経度省の筆頭局長である経済産 界で活躍する同窓生の一人として'6 の前に殆どなくなりました。途中'各 つもは沢山あまる料理も旺盛な食欲 慮せずに食べろよ」との声がか り'い
に楽しいひと時を過ごしました。 談する人など思い思いの飲み物を手 先生'浦田先生や支部長を囲んで歓 初めて顔をあわせる人'理事長'校長
また大勢集まった学生さん達に「遠
(TELC二l二三五七l二八一) (秩)中央リサーチセンター坂本武司
新宿区四芥三-二Il l TRビル 〒一六〇10 〇四
三田学園東京同窓会
なお東上蓋の連絡先は次の通りですⅦ
ちに閉会となりました。 斉唱し、来年の再開を期して盛会のう
なわれました。 の言葉と もに豪快な一本締めを行 南聡捷氏(42回)が「若人よ'頑張れー」 めの時間となって'昨牛に引き続き河 でした。いつしか時が経ち'早くも中締 今年も楽しみにしている人が多いよう
で学園時代を思い山しながら校歌を れました。‖雨後に大学生14名のリード ロ用カメラで本格的な集合写真が撮ら らはるばる持参された校旗を背に'プ よる入念な準備の後、国旗と学園か 松本寿信氏(39回)と氏の知人上人に シャルの掘影などで知られる写真家'
T年伽りの再会を喜ぶ人、卒業以来 声で音頭を収られ'宴が始まりました。
(2 回)がついに変わらぬ元気な御発
を畠中徹氏(36回)がされましたが' 好者の参加を募る「ゴルフ会」の案内 大いに期待されます。続いて支部の同 窓生は19名とのことで'今後の活躍が によると現在中央官庁に在職する同 氏(51回)が挨拶されました。北畑氏 業政策局長に就任された北畑陸生
続いて記念写真撮影に移り'コマー
谷 誠一郎(41回)
なく歓談に夢中した。 時代に花を咲かせ何時尽きるとも
会は盛況のうち終えた。 凹教頭による万歳三唱でことしの総
脇ロイヤル」で開催しました。 事長'和坦nTPi 校教頭の臨席を賜り「西 集い母校から小谷同窓会長、西門理 7月3口(水)午後6時より2 名が
ら和気諸々でタイムスリップした学園 発声で開宴となる。美酒に酔いなが され村上止恭(35回)先輩の乾杯の 同窓会長より学園の近況報告がな
第31回を迎えた総会は平成16年
金出会長の挨拶で始まり理事長・
閉めは'全員による校歌斉昭と利
西脇lII田会
新谷千久判(4 1凹卒)
挨拶を傾きました。 がありました。続いて来賓の他日様から'i」
挨拶を頂きました。 会長(個回)から同窓会の動向を含めご
続いて川口義雄同窓会本部事務局長
先ず同窓会本部を代表し、今垣亨副
と大阪三川会の趣旨説明を兼ね挨拶 回)かJ皇」山席者の皆様への感謝の言葉
=.#初に大al二出会黒田泰仏会長(3
となりました。 同窓諸氏のご実福をお祈りしスタート
露されました。続い‡」連絡.・,捌いた関係 同窓会・大阪二由会』の同窓会旗が披 志の寄付の下で新調された『三E学風 の司会で開会となりました。目頭で有
た。
定刻の四時を迎,t{西口幹事長(鳩垣
得て開催されました。 今牛は八卜八名と多数の皆様の参加を さの厳しい峠則ですが'大候にも恵まれ'
飛び交い'開会前から熱気に包まれまし
早い時期から元気な掛け声と挨拶が
した。
年初から寒い口が続き'この時期は寒
二十二日(土)午後四時から開催されま 例会場となった柚凹「太湖」においてー月
恒例の大阪三円会新春懇談会は定 「大阪三田会新春懇談会」
大阪三田会 l
闇‥
桜陵通信
は大盛会となりました。 刺交換や情報交換と盛り上がり'交流
三唱により閉会となりました。 山和久常任幹事(EB回)のエールと万歳 より、声高らかに校歌の斉唱が行い'中 ろで、㌘回迄の有志の皆さんのリードに
えつ 会場を後にしました。 友人と連れ立ち'高まった気持ちを抑
ての考え方等についてご報告噴きました。 c周年に向かっての同窓会の運営につい
の開宴となりました。 杯撃」発声により三時間に亘る懇親会 窓会 長)井元文治氏(ES回)による乾
果の集いとなりました。 ぞれワン三ノーブルを幽む等ダブルでの成 得て多数の出席となり'三回数がそれ
例年の如く時間が経過するに従い名
早々と予定の三時間が近付いたとこ
参加者共々に再会を誓い'同期と又
平成17年6月10日発行
した。更に'来る二〇一二年に迎える一c 県大会決勝で惜敗等)の報告を頂きま 球部は近畿大会まで進川。サッカー部は
(t9回・前校長)からご挨拶を噴きまし
今年の大学進学状況や学園の現況(野 メッセージをご披露頂きました。そして かった西門理事長様・森田校長様からの た。先ず'中学校の入試の為出席出来な
祝電ご披露の後'同窓会顧問(前同
今年も各回幹事の皆様のご協力を
西日 勉(鵜回)
まりを満喫しました。
りつ '盛会のうちに会を終えました。 締めく り、同窓生のぶ々の活躍を祈
りしながら'参加者l同'午に一度の集 聴したり'互いの近況を報告し合った りました。現役学生の活躍ぶりを拝
ったもの '大変盛り上がった会とな
「第三十三回桜陵会」
れました。 会する「第三「三回桜陵会」が開か 神戸市の教育関係に携わる者が一同に
件にご参加いただき'参加者は少なか
今回は'森田校長先生'和田教頭先
最後は、恒例の「校歌の大合唱」で
神戸市教職員桜陵会
二月四日(金)、二E学園の同窓で
文責 福本則樹(第七十回)
り'辰巳副校長からは学園の近況や
れました。
と大原先竹のご臨席のもと開催さ 校長'同窓会事務局の山U事務局長 名の会員の参加と'杜校より辰巳副 牛の方までという幅広い年齢層の28 の総会が'26回卒業生から65回乍業
2年に1回開催されている吉川支部 にオープンした山出錦の館において、
平成17年5月14日'昨年吉川町内
当日は、藤田支部長の挨拶に始ま
三田学園同窓会割は槻会
吉川支部総会
GJL.I.7-..宇i -闇等色等-
Ei-- tt -t133-I-lii -・=-:.-I聖
上帆10 倒年を迎えるというお話も
に古本伊符朗氏が選任されました。 小目のあと'役目改選があり新支部良 ありました。また'2年間の会計報
ただくと もに'7年後には母校刷 現役t:徒の捕躍ぶりについて報告い
のうちに閉会しました。 斉唱Lt2年後の再会を期して盛会 中'最後に全員で校歌を小高らかに を超えた懇親の輪が大きく広がった
懇親会では、先仕方を囲んで世代
平成17年度役員会の開催
今年度から役員会、総会を毎年開催することになりました。本年度
の耗会を7月2日(土)に開催するのに先立って、役員会を5月16日(月)
6時より「山崎館」にて開催しました。議題については次の通り。
(D平成1 6年度決算報告
(参平成1 7年度予耳について
消水悟史(62回卒)
③同窓会会則の改正 ④評議員の選出
⑤個人情報保護法について
⑥同窓会名簿の発行について
⑦同窓会総会について ⑧その他
弼
i
l
桜陵通信
平成17年6月10日発行
(事務担当)開∪ 応
果報告 三E学園第19回生の文通同期会の結
席する積りです。 ろう「創立什周年記念式典」には'出
健児の魂は'失っておりません。 者とは云え'意気のみは軒昂! 桜陵 すので'現在は、病気持ち'歩行困難の すが、何れも、戦場生き残りの勇士で
た。
第十九回卒業生の「文通同期会」
を'生存者全員の十二名に配付しまし 所感」を取りまとめ'コピーした一覧表 ーしめて'往復ハガキによる各自の「近況・
l 第十九回卒業生
去る平成十六年六月、集会を取り
私達は'現在八卜七才前後の高齢で
なお平成二十四年に行われるであ
卒業生の集い
(関口 高 記)
ます。小生このところ年々体力の衰え 今井輝夫 毎々ご惇配を賜っており
「第19回生の近況と所感±覧表
三田学園
平成16年度(二〇C四年)
上げます。
愛の程を祈念します。
暑さ厳しくなる候'時節柄御身ご自
和実氏より返信) 脇尾信蔵兄(平成13年7月没'長幼' ス子夫人より返信) 小殿周治兄(平成16年4月13口授'ヤ
御寄付金を頂きました。
有難うございます。心よりお礼申し
尚、堀佐l邸兄より事務狩の.部にと'
ます。
今年の物故者は
(生存者12名・不明-名(古根正一)
り乍ら'意気誠に健康で頼もしく存じ
存じます。
をお届けいたします。 を取り纏めましたので'一覧表(コピー)
さて'各位からの近況所感のご返信
各位には高齢による病気持ちであ
其の後'各位にはお変わりない事と 拝啓 初夏の候
(返信14名'うち物故者2名)
丈夫です。以上近況まで 利川して日活しております。内蔵は大 は楽で、買物に電動アシスー自転車を で余り歩けなくなりましたが'自転車 曲がり腰部脊柱管狭窄症のため腰痛 やり遂げましたが今は知らぬ間に腰が の保久良山の早朝登山三OC二〇回を 河合 彊 虚災前には川の会で近く
んばって長生きしたい。
もその1人である。夫婦健在である、が まともに生活出来ない者が多い.小生 言え情けない。牛の姓で故障が多くて にはu名が牛存している。長寿同とは はしゃいで入学したが米寿を迎えた境 岡田利一学園入学当初幼名余りで' つかしいです。 山で'娘麿の天神で卜宿した場所がな せん。県庁勤務'兵役も神戸の大くら 励んでおりますが'作男は かどりま がにぶり止めました。目下野菜作りに で'あとビデオとりを10年齢才で日'感 職し裁判所の調停委員として和才ま て御礼申し上げます。郵便局長を退 梅田公三 何かと御世読下さいまし
度も多くなり入院もしました。
各位のご健勝を祈ります。
(不整脈)が発作を起こして通院の頻
独居生活を続けております。 を思い知らされておりますが'何とか
しかし昨年末持病の高血圧'心臓病
ですが'各兄は傘寿をすぎ且つ生酒習 を昇天されて'現在は14名とは淋しい 途中日本は変な故障で多くの同期牡 を卒業し'各人は目的に向って進行Lt 辻本義夫 三出学圃(旧三m中学校) ます。 九C∼一CTO才上の長寿を祈って居り スメ1-も14名となり13名の諸兄には が不日巾なので困って尉る処ですoクラ で家に引取らねばならないと私が身体 に引収らねばならずどの施設も満員 設に入れていますが3ヶ月が来ると家 介讃保険は要介護5級で現在介護施 用し'家内は障害者手帳は-種-級で に松葉杖を括りつけ行先でそれを利 しでは歩く事が困難で外出は自転中 佃 明 私の現状は歩行は松葉杖出川 楽しみましょう。 生き延らえて'文通同期生会をお住い です。 ですから'気持は元気で頼もしい限り 各位は'流石に'戦場生き残りの面々 び廻っております。 関口 高 幸いに'心身健康で毎日と 代書'次男 利彦 体の方は、何とか元気です。 りのことも自分で きます。 た。.対一での話は卜分に出来、身のまわ 師の里」(三田市下相野)に入所しまし 今社尚[ 5/ か姦朴施設「薬
桜陵通信
かく'どうにか頑張っております。 響を受けたのかも知れません。が'とも スメ1-の面々のご逝去も心理的に影 あんなに元気だった(と思っていた)クラ 介になることが増えてきました。 に痛みを感じるようになり、医者に厄 は勝てません。昨年の秋頃から肩や腰 堀 佐一郎 突っ張り年は年'年齢に 気です。以上 04・5・26・水 西山 繁春 舶才になりました。元 精々'駅前まで行く位へ夜は出ない。 かず(但しヨボウチウシャはしてない。) る。他は異常なし。昨冬以来'カゼもひ 中田善雄 小極めて近く'これには困 う祈ります。 存される大兄も健康に留意されるよ
旅館で会合をもったことがあります ました。この間'40年程前有馬兵衛 ら'到頭80の歳を数えること なり つは元気でいるだらうか」と思いなが 爾来63年「彼はどうしたらうか'あい 戦の始まる激動の年でありました。 で、その年の12月には第2次世界大
グランドホテル(-泊)で開きました。
-第二十五回卒業生
業生の同窓会を参加者19名で'有馬
私達が卒業したのは昭和16年の春
平成1 7年6月10日発行
ースで終点まで進行しております。生 回想して、心身の老骨に鞭打って'マイペ 先生や松林で中食を食った様なことを ては'若かりし諸兄を思い出し'諸兄諸 時々中学卒業時に交換した写兵を見 楽しく'ほがらかに過ごしております。 るような気がしておりますが'余生を を中心に日の半分を順回し'廃車にな 靴をはいてヨチヨチ歩きで'「家庭医師」 循環器等の故障が続山Lt杖と特殊な 私も腰は曲り'足はしびれ'目は悪く' おられるが'回復は困難のようです。 を友として心身の凶復に努力されて 旧柄になやまされ'「良き医療機関」
(物 故) 脇尾信蔵
皆様の御健勝を御祈り致します。 生前は'お世話になりました。 ました。 父'信蔵は、平成13年7月に亡くなり
まずまずです。 丸岡 隆二 お世話ご苦労様。当方、
いました。我々同期卒業135名の により住所判明者に予備調査を行 たのが2月半ばで'先づ同窓会名簿 を買って出ようと思い'準備を進め 人として'及ばずながら今回世話人 思います。母校の近くに住む者の1
ば卒業以来という人が殆どだらうと 誰だったのか'記憶も脱げで'今会え が'誰が出席していたのか'世話人は
悪くしていましたので永眠いたしまし 平成16年4月13日'老衰と肝臓の方を ございました。 長い間 色々と御世話になり有難う
平成16年5月7日(金)、第25回卒
長男和貿
妻 小殿ヤス子
の連絡で'場所へ時刻を決め'尚は当 を得ました。出席者にはその後数回 の結果は20名の人達から出席の回答 その冥福を祈りました。そして'調香 なっているのには今更のように驚き' 内'戦死者を含め60名の人達が亡く
磨猪一君の開会のことば'福升輿石の 物故者への黙祷'経過報告次いで須 ました。会は記念写異にはじまり' 互いに意気投合談笑する声が聞こえ
(物 故) 小殿周治
た。
したがたちまち若い頃の面影が蘇り' には人物判断が出来ない人もありま 時より始めました。卒業以来で瞬時 直接会場組を併せて19名で'午後6
でした。
同窓会本番は'坐の位校訪間組と
郎君が代表世話人で建てられたもの り、平成13年に'此の日出席の泉五 だ卒業生でつくる親睦会が小心とな この顕彰碑は海軍兵学校などに進ん 霊を慰め併せて平利を祈念しました。 た卒業生3名の顕彰碑を訪ね'その 戦で特攻隊員として戦場で亡くなっ がありました。最後に第2次世界大 の資料や古写真に感動新たなるもの び'又創立以来の歴史を物語る数々 はその優雅な姿を保つ本館に苦を偲 しましたが'90年の風雪に耐えて尚 教室に設けられた資料室等を見学 中央の我々が合併教室と呼んでいた えた旧巾学校の木造本館、その2隅 拝聴Lt次いで小寺ホール、改修を終 先づ新校舎会議室で学校の現況を
案に7名が参加しました。
臼会場集合に先だち母校を訪ねる
母校訪問は集合を午後2時とLt
醍
桜陵通信
平成17年6月10日発行
い出し'楽しい 再会で'昔を思 ③久し振りの (東郷定雄君) ます。
日間でした。 (山本 修君) にタイムスリップでき'本当に楽しい2
ました。感謝し
ごす事が出来 旅館でl泊を過 しかも有馬一の
・姦ムが出来'
過去を論じ合 ているのに'予定通り集まり'夜中まで ②当日になって欠席の出る年齢に達し
の盛会で一同満足のことだったと思い いは出来ませず失礼しましたが'仲々 ①私は都合で会の終りまでお付き合 介させていたゞきます。(順不同) 出席者よりの讃簡の一部を抜粋して紹
ます。 (白井重一君)
もって解散といたしました。 後は夫々の部屋に移り翌日の朝食を ばで約3時間の会を閉じました。其の より参加した泉五郎君の閉会のこと
「千切岳し」の校歌を合唱、遠く千葉 にして夫々の自己紹介を行い'最後に つのも忘れる有様でありました。半ば 0 年の人生等々話に花が咲き'時の経 学んだ学生時代の話'卒業後歩んだ 乾盃と進み'宴に入りました。共に
次に、其の後即話人に寄せられた、
活力を得させてもらいました。 されました。お陰で諸兄に負けじと 傘寿を越えて尚は壁錐たる姿に庄倒 りし学生時代の顔と一致しだしました。 が、時が経つにつれ次第に往時の若か 初は名前を思い出せず戸惑いました ⑥滅多に諸兄に会う機会もなく'当
分かりませんでしたが'1日で60年前 ⑦何十年ぶりに出会って誰が誰だか
様に思い出されました。 木造の中学本館など'走馬燈の巡る
の再会を祈念しています。 同窓会でした。出来るだけ早く次回
ールや資料室'それに昔の姿にかえった 感激の連続でした。又'学園の小寺ホ 苦のガキ大将の頃の懐かしい思い}=に の同級生も、数分で人物判別が出来て' ⑤有馬グランドホテルに集まった19名 せてくれました。 (藤井 光君) 懐かしいものばかりで'昔を思い出さ ルの立派さに感心しました。資料室は 又学校訪問が出来'新校舎'小寺ホー ていた諸兄にも会え感謝しています。 ④飴年振りの同窓会'会いたいと思っ
(世話人 垂良 至 記)
(岡田辰夫君)
(福井 興君)
(田畑茂文君)
まいりました。 れたことから'私たちと旧交を温めて
ラ丁場の体験記をある新聞に掲載さ 神戸の松蔭高女の田中翠さんがプロペ いました。その後工場で同じ職場だった その後は連絡も途絶えた状態となって 戦前に空襲で仁場は壊滅状態となり 徒が働いていましたが'昭和二十年の終
より'記事を掲載していただきました。
この時の様子は神戸新聞のご好意に
l第二十九回卒業生
私たちが旧制中学五年生の昭和十
学徒動員、零戦製造に従事
平成卜六年十一月に実現しました。 松蔭高女の方々二十名の希望があり いただきました。その結果三出学園と が、見学に対し非常に好意的にご承諾 ころ'今は住友精密工業となっています しい当時の工場見学を企画しま たと
態を体験させていただきました。 当時と比べきわめて高い技術レベルの実 り合い感慨の一日でした。現在の工場は
学徒動員から六十年ぶりに工場で再会
として'配属されました。 住友金属工業プロペラ工場に学徒動員 九年のとき'あの忌まわしい戦争中に
同工場では京阪神からも多数の学
今年はあの時から六十年となり懐か
当時の苦労話や懐かしい思い出を語
ロぺ.M= みvL-てる作文 E=.=…・t・内附す.(,L相やプ ヰり糾.T人は、企伽の lあtr 聖・Tった柿沢 T…H…′蕎凹した7 々の血(・6:Hr)ん(tL)〟 Lltることかり、柑托革諾 叫かー.r,ハ十叶HのmUに
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らが印税ふ張り合い、交 から、r'糊付rmの単式姓 性楓斥山地LL ことなど 田巾村r克ハLヒ)がiT岬の
'4.は火や松キ畔芯した 世作りに耽わった.
H町r抗,fm和郎の「中 的附⊥F.のTnとして プロへ7m芯仙琉也友
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十九)年、十ヒttで山崎 年だった 力凹E]指机 ん(・.t)はrlLytWLフル
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り砧が1.'・ハ1竺放りに印余した叩ひたかみtEめた∪ Eq仔の航符偲鮎の別作L・以在韓.m柑下の相和蕉i・ど り斡墓i・ちか十九C].田工鮎で叫申した。繁造りは
舟浩ハr .は旧制中学五 神戸市北沢の糾甲山(
同時で三本min :日日ごり
や_F桜,・lrい,芯市町窯・校(BL;はt=校、抑T∼E犯比.
収のプロ.flソづくりに帆わったrE=_竿的中学校(E5 日
=い小二TJ.LH「∴ijlL;.ド(.-=H:/ tF_・
(二十九回卒 森本和男 記)
現在の工程見学「平和利用幸せ」
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桜陵通信
中惇君、天野両氏に対する感謝状の 長年この会のお世話に携わっていた田 小屋畑氏に対しての感謝状贈呈、又 た業者関西ガーデン(秩)代表取締役 得た。続いて記念植樹工事を請け負っ 会の会計報告がありへ全員の賛同を
この度 記念植樹をした募金状況と 経過を説明し、さらに井上幹事から 挨拶があり、天野幹事が本日の会の 挨拶'続いて西門理事長'森山校長の 事の開会宣言に始まり'円和会長の
Iつ。
を終えることが出来た。 て実施する事に決Ltめでたく行事 0 周年と曹寿の歳であるが'一年早め
平成17年6月10日発行
切会」と刻んだ記念碑の除幕式を行
(枝垂桜)の前に全員席を移して'「千
引き続いて校庭のl角に植樹をした桜 余名が出席して盛大な式此ハを開催し' 来賓としてご臨席賜り'同窓生約50 関西ガーデン(秩)代表者小屋畑氏を 小谷同窓会長、記念植樹工事施工者 寺ホールにて西門理事長'森田校長'
第30回卒業生 60周年記念
9月25日(土)午後1時から学園小
我々は本来ならば平成17年が卒滴
式典は'菊池幹事の司会で中西幹
l 第三十回卒業生
記念植樹'喜寿祝同窓会開催
動。こ では'喜寿の祝いと60周年記 第2会場神戸三田新阪急ホテルへ移 念碑の除幕式'資料館の見学をして、 員壇上にて記念写真の棚影をLt記 に対する黙祷を行う。式典終了後全 勿論会の初めには校歌斉唱'物故者 生の名を後世に伝えること した. し て学園資料室に納めて30回卒業 意書」を会長から西門理事長に手渡 会」と銘打った記念碑を建立した「趣 贈呈を行う。記念植樹の前に「千切
す。 (天野 昭 記)
事を願う者である。 創立一〇 周年の時まで続けられる 立派に育って満開の花を咲かせ学園
勝'ご多幸を祈念してご報告致しま 学園の益々の発展と同窓各倍のご健 配布してお祝いの標しとした。最後に と三田学園と印刷した扇団を全員に 盾を作成'また「質実剛健'親愛包容」 は'校章(当時中学校)入りの記念の
西府二千四年九月二十五日
三田学園 理事長
振り返ってみますと我々の同窓会
植樹の趣意といたします。
の永遠の発展を心から祈念して記愈
を寄せて頂いて'私達の母校三田学園
について同期諸兄から多-の寄金協力 の終生 -る糧となり'この度の金高 田学園の「千勿高し」の牧歌は'私達
学友のご冥福を祈る次第であります。 せに嬬すと共にこのせを施立たれた 十周年記念と喜寿の祝賀を兼ね'後
小寺謙青鬼生が創設された我が三
西門 嵐博 准
同窓会会長 同和一食
という間に時間が過ぎてしまった。 で会員も久し振りの再会とあってアッ 芝婦人の参加も有り'華やいだ祝宴 奥井'宮口3万のご婦人の他に上出、 の会には例年'ご参加されている近藤、 念を祝してのパーティーを開く。今年
この会を見守っていき、やがては桜が は'彼等の意を受け継いで何時までも 福を祈る次第ですが生きている我々 今年も5名の友がこの世を去り'ご冥 君)して'欠席者へも全員送っている。 況報告を掲載した相子を作成(中丙 も近年には通信簿という同窓牡の近 る車がなく'常々として約50年'しか 続けており'出席者の数も30名を下 会が始まりで'毎年欠かさず開催し 大倉という会場で故中山先生を囲む は、昭利30年(一九五 ㌧一〇月)大阪の
申し遅れましたが'この日の記念に
て'学園に横の記愈植樹を行い卒業六
ることのできない地であります.
この度三十回卒業生一同の賛同を得
青春時代を過ごした学舎は生涯忘れ 波乱の時代ではありましたが夢多-
せ界大観の勃蒐'卒業年は敗戦という
ること なったのであります.
於となりました。入学年は'第二次
爾来約六十星霜夫々に喜寿を祝う
の最中四学年修了を玖て学業を終え
せ界大観の末期且つ執時学徒動員中
私達は'西暦t九四五年三月第二次
三十回卒業生記念植樹の趣意書
三田学園 第三十回卒
轡
桜陵通信
平成1 7年6月10日発行
吉崎昭、止木端部'田中昂、河村正昭' 辻菖久治'石井克'宝田礼爾'岸幸雄' 田茂昭'田和.貰'隅井敏彦'仲西袋' 泰彦'西原昭典'松田勝'三宅礼三'上 千種喜作'古河崎隆夫'中西宏'松出
致しておきます。
ご芳名を次の通り記録として'列記
夫、丹羽実'天野昭 治'田中惇'原田晃'山城道明、有井政 田泰彦'石井願助'片桐大亮'辻善久
・i明'今村降良'菊池信男'巾48宏、松
えることが山来た次第であります。 親会を開催して'本年の同窓会を迎 あと地元の二m新阪急ホテルにて懇 工で全員がtかけを行い'記念撮影の 社代表取締役社長小尾畑指貫氏施 の同窓が山席し'関西ガーデン株式会 臨席のもと田和l啓会長以下卜凶名 から現地に於いて'西門義博理事長ご 去る三月二卜九円月曜日午前十一時
す。 (順不同)
西門義博理事長、円和一害会長'井
今回の寄金にご協力頂いた方々の
井上明'島部博至、橋本貿'木村滋'
当日出席された方々は、次の通りで
*追 記
この度の桜(枝垂桜)の仮植樹祭は'
(順不同) 敬称 略
以上 十六名
越智宇多雄'岩崎嘉景'福尾健二'徳 栄一'大杉直央'平瀬彦'山垣昭三郎' 尾崎宏一 '上田喜久男、山本文邸、南 谷垣昭典'岡田守'藤田尭'安藤常男' 的崎亨'神古良雄'佐藤降土'芝景宣' 昭夫'荻野仁司'井上正孝'住谷昭二 藤井半治'川上勝贋へ小林幸雄、吉岡 喬邸、西倉武俊'遠藤昭三、有井政夫' 石井顕助'東郷省二田中正造'木谷 沢義久'深凹哲夫、福田締'小森久倍' 山城道明、桂正治、田中惇'谷山巌'長 宏、丹羽賃、福嶋消'塩谷薫'原田晃' 河崎敦'卿中恭典'上出鋭明'松木晴 池信男、口分田勝'岩城昭三、増日管'
エピソードを披露された後'学園が咋 迄'この桜陵三.i 4には'皆勤出席との 来賓として出席の西門稗事長より'今 16年度の収支報牡=がなされた。そして' 露された。その後'岩崎会計より'平成 位瑞宝刈光章」を贈られたことが披 2月に亡くなった高木 望君が「従六 び級友の消息紹介があり'さらに'本年
挨拶があった。 今後も頑張って行こう。」と含蓄の深い は'少なくとも10年茄返った気持ちで' は和の半ばに差しか ったが'機能年令 で'藤田会長より「お住いに肉体年令 の物故者を偲んで黙祷を捧げた。つい 総会を開き、先ず、全員で71名の同期
続いて'山岡総務より'会務報告及
員で記念写兵を撮影した。13時より た。会の始まる前に大架橋をバックに全 岡崎'西は姫路より約幼名が馳せ参じ 学風より西門理事長をお招きし、東は の桜陵二 会同窓会を開催した〇三出 後新築の『舞子ビラ神戸』にて'第加川 2日'明石海峡大橋をT望出来る震災
桜陵三二会同窓会
一郎'巾安均'今村隆良'西尾止二'菊
桐大亮'塚本威'小林弥百之'嵯峨山 田村辰也へ長谷波清司'滝∪初美'片
l撃一十二回卒業生
岡浩'大野昭
梅の花が飴郁と薫る平成17年3月
以L 八十七名
力強く嬉しく感じた次第です。 説明され'我々同窓生としても、誠に いる状況を'入試状況や進学状況から 今の激しい競争の中で伸長発展されて
を三木君'来者の音頭で全員で高らか 尽きぬもの '=4g後に'三田学園の校歌 交を温める事が出来ました。名残りは い顔ぶれに、至るところで話が弾み'旧 麹谷君始め、久し振りに出席の懐かし 垂郎君の乾杯の音頭で宴会が始まり
総会より懇親会に移り'初出席の林
二:'1-_こご
桜陵通信
上∩氏の別邸と知り'感慨.人であった。
相楽凶を訪ね、初代将校 主小寺謙 忍びずその夜は、元町を歩く。翌朝'
また'丁度'付近の高校の登校時に
りが期待できそうに思う。
母校を見学後 同窓会
桜陵36回生の平成16年度同窓会は'
で卒業写真よろしく記念撮影。 の青春を思い起こさせ'ホテルの写場 校三円に近い神戸の雰囲気が母校で
【撃≡二回卒業生
手にあるラッセホールで開催された。 両氏のお-B話で四午前と同じ神戸山 窓会は10月31日(日曜日)'南部、日等
参加者数は例年通りと思われ'母
期せずして'開始早々南部幹事秘
締めは恒例の校歌斉唱であった。次
小生は散会後'宴会だけで帰るに
戸三田新阪急ホテルで開催。 舎を見学後'三田市ウッディタウンの神 10月15日(土)に三円学園本館木造校
ルを梯子して懇談に花を咲かせた。 さらに'感慨ひとしお' 互いのテーブ 蔵の吾ら恩師のサイン帖が公開され'
らせると脳が活性化Ll段の盛り上が の名前が出てこない'何か三口全員に語 髄えているもの '寄る年波で一人l人 回への期待を一つ挙げれば、旧友の顔は
平成17年6月10日発行
しました。 (鷲由 滋夫 記)
大阪での再会を約して16時頃に散会
三唱Lt名残りを惜しみつ 、来年また、 に合唱し、そして'森君の音頭で万歳を
昭和25中卒'3 河竹(燦 会)の同
l第三十六回卒業生
回再会を祈願した。 春を思い一人感慨深いものがあり、次 遭遇し'その生徒達に混じり'遥か青
(在鎌倉市 的崎 健記)
を撮り'マイクロバスで第2会場へ移動。 業写貞撮影と同じところ)記念写兵
1 時細分頃に本館校舎玄関前で(辛
を見張りました。 派に改築されていてその立派さにH
型ジオラマなどが展示されていました。 創立当初と現在の30 分の1の模 や寮生の資料のほか'学園全敷地内の 選されたこともわかりました。また寮 や'この年に小寺佼主が神戸市長に当
ました。旧講堂は小寺ホールとして立 のため'本船内はゆっくりと見学でき 学んでいますが'当日は「創立記念日」
名人の手紙などが屡ホされていましたo や交友が広かった当時の政財界の知 のほか'校祖が衆議院議員当時の名刺 使用されていた机・硯や再等のq=など 春までの卒業生の写真や小寺校祖が
うち20 人が入学したということ 昭和2 年の受験者は32 人でその の年表が掲げられ'私たちが入学した
南側の教室には'創立以来90年間
現存この校舎は'巾学部の1年生が
料室として整備されていました。
北側の教室には'第1回から昨年
卜がった2階の南北の教室は'学園質 文化財指定)を見学。正面の階段を 時の懐かしい本蝕木造校舎(国の登録 前に集合。一二出中学校に入学した当
第1会場は午前1 時に本館玄関
て散会しました。 般後に全員で校歌を高らかに斉哨し の話題や近況報告など約2時間談笑。 虎で利やかな会食が始まり'在学当時 ら駆けつけた熊本格也君の乾杯の音 加できますように-」と接拶。関東か 気を付けてこの会に何時いつまでも参 ち+Ir希を迎えました。お互いに健康に て以来はや57年の歳月が過ぎ、私たち 表幹事が「桜満開のときに入学をし 故者に黙祷を捧げた後'松原丈夫代
新阪急ホテル2F白楽天で、まず物
甲
i】
桜陵通信
平成17年6月1 0日発行
即刻50周年記念同窓会の準備が12
いることを発見.思いijったが吉日。
語の交歓でもあった。 たい共有の秤の確認であり'男の物 それは全員にとって'なに も代えが 張っているよ」。お住いに確認しあった。
第37回生の卒業から丸々50年経って 87回生の卒業式の記事を見て'我々
桜陵通信第3 nlJ.にあった本年第
らなる躍進をお祈りする次第である。 ためて'母校のますますの発展とさ
た。先ず六年間の学園生活でご指導 急ホテルに移動して同窓会を開催し
の母校は'まさに健在であった。あら
卜さった。
た。三人の恩師も元気に駆けつけて が'半世紀経って占巣に舞い戻って来 いの方向に飛び立った紅顔の美少年
「俺はこんなに元気だぜ」「俺も頑
第37回生卒業50周年記念同窓会
l第三十七回卒業生
ます。 岸田達男 記
レーもあり'シニアゴルフを楽しんでい
かなか脱出できず途方に暮れる珍プ を川すプロ非みの人やバンカーからな でいます。なかにはグロスでアンダーパー mゴルフ倶楽部などでゴルフを楽しん
我々の古巣は健在であった。慈母
36回卒では6年前から定期的に毎
た記念すべきその日でもあった。 を糾年振りにイテロ-選手が更新し 遂げた年間最多安打記録257本 ジョージシスラーが1920年に成し
資料館にとご案内頂いた。 学舎、運動場、小寺ホール'中学 舎' 自ら学園ツアーの先導をされ、高校 園の入学'進学現況のご説明のあと' 事長から歓迎のご挨拶を賜った。学 受けた。記念図書館ホールで、まず理 上田先生へ図書館泉先生の出迎えを 事長を始め'同窓会事務局大原先生' が集合した。休Rに拘らず'西門理 関東からの6名を始め'続々と72名
て'永遠に限りなく輩出し続ける我々 ばたく人材をどんどん輩出し'そし き継がれ'世界の隅々まで大きく羽 規のもとに'建学の精神は脈々と引 を賜った。質実剛健、親愛包容の校 のぬくもりに似た血のかよった歓迎
学園ツアーのあと'神戸三田新阪
同窓会を開催しています。 神戸・大阪の順で持ち回りをしながら 年10日の第3土曜Hに会場を三田・
また'同窓会の前口の金曜日には三
桜陵の丘から.斉に巣立ち'思い思
元気一杯の開会の挨拶に引き続き'恩 兄による'ますます輝き意気旺ん'
名の幹事の手でスタートした。
同窓会開催の日は10月3日であった。
当日1 時。学園の記念図古館に、
上げて'全員心からの黙祷を捧げた。 30人の旧友の名前を、ひとりづつ読み の先生と'早々と黄泉の国に旅立った を頂き'そして亡くなられた数多く
いよいよスター-。幹事代表の細井
続けて来られた橋本先生。早期発見' 弁護士、国会議員と華麗な転身を 独学で司法試験を突破され'教師' 時だけしか'京人に行かれなかったが、 任された め'期末試験と卒論提山
師からスピーチを賜った。
大学人誠合格と同時に学園に赴
でもありの'思い思い 調自由の歌など'何 スピーチや詩吟'転 己pRを行なった。 ステージ墳上から自 者全員一人ひとりが の発声のあと、出席 中前兄による乾杯
であった。
関東を代表して
チに庄倒される想い れ男の恩師のスピー して個性溢れる晴 はずれてユニークへそ 本先生。いずれも並 誰々と説かれた蔵 に向き合うべきかを' を軸に'人件といか 芝田先生。愛妻物語 の極意を伝えられた 短の道であると健康 友達になれる唯一最 早期治療こそ'癌と
桜陵通信 平成17年6月10日発行
臼'rr:-用周でそは日嫉、l'--
新よ き重き
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桜陵通信
平成17年6月10日発行
1日でした。
誓い合いました。夏の日の素晴らしい 話に花を咲かせ、またの口の再会を 73名が参加。時間の経つのも忘れ昔 25年ぶりの再会で川心師・卒業生総勢 の同窓会が盛人に開催されました。
代表幹事 池尻 博史
園の在るべき姿を等 と説くものお 先生方にこれからの我が母校三関学 ひと塊になって談笑していた。また' 間と経過する毎に各々のグループで 全員が着席していたが'1時間2時 の開始30分ぐらいは礼儀正しくほぼ や風貌が一遍しているものも多く、宴
いた。
た)の計3名もの先生方がお見え頂 疋田教諭(現在は定年退職されまし 西中学教虎を筆頭に梅林事務長' 上がりを見せた。母校学園からは大 つけてくれた者もあって'大変な盛り
l第六十九回卒業生
から早や20年の歳月が過ぎました。
も中高l貝教育の男子校の中で培わ
(桜陵63会代表幹事 中山 和久) 西君らの音頭で中締めを行った。 には母校 歌の大合唱の後'同窓
を絶やさなかった69回卒の同志が再 バーに加え'あの当時、教室から「笑い」
えることに違いありません。 事や家庭生活に必ず良い影響を与 心身をリフレッシュさせ'習臼からの仕
今回'掲載した理由は'別布のメン
今回は5年ぶりの集まりと言う事
前3Iの卒業20周年記念に続きま
8月7日⊥曜日午後4時より三
I第六±二回卒業生
び申し上げます。 ては'ますますご隆盛のこと お慶
して'第2回目の開催となります。
をお借りして執り行いました。 田サミッ-ホテル内『中国菜館 芳蘭』
もあり、現在の厳しい経済環境にも
初秋の候'同期諸君におかれまし
り'かなり賑やかであった。
宴開始から3時間後の午後7時
第69回卒の卒業生の皆さん'卒菜
我が同窓会有志一同は'卒業以後
か わらず40数名の参加者があった。
とりわけ遠方からは東京から駆け
卒業からR;年も経過すると人相
を思い山させる至福のときであり'
割の参加人員で開催しています。
旧友と過ごす一口は'青春の一ページ
しながらの参加で'毎凶6割から7
志の巾で'仕事や家庭の都合を調整 12名が参加しました。20名程度の有 ペを行い、厳寒の折りにもか わらず'
を築いてきました。 なかなか形成できない男同志の友情 れた「男の連帯感」という公立では
去る2月には'第3回のゴルフコン
桜陵通信
くが経つ。
く繰り返しているうちに最早2年近
(単なるパーティとも言う。)を忙し
「いっちょ頑張るか1-」と意気込ん 成長を実感でき'その自信を励みに 取れるようになってきたかな- 」と
い-」という車。
-)語学の勉強。それら+国際交流 試験を受けて、(時間・余力があれば
てみると「とにかく時間の経つのは早
に「まぁちょっとはコミュニケーション
きました。
前回の手記からの1年を振り返っ
練習をLt演奏会に出演し、実技
時間の区切りでみれば慌しく過ぎ
平成17年6月10日発行
【 第八十回卒業生
が過ぎ'日本への1時帰国も近づいて
村尾 利博・河原 幸雄
期講座を受講したので英・仏語とも ネ-ヴ大学で行われるフランス語夏 機会となり'またジュネーヴにてジュ りとりが多かったが良い語学実践の
た事を喜びたい。 通して一生続くであろう交流を持て いは大きな刺激ともなり'フルートを パ主要音大からの参加学生との出会
クロアチアでの講習会は英語でのや
から集まった音楽学生と知り合った。
記まで連絡を下さい。 この記事を読んだ同窓生は是非'左 同窓会の場を計画しておりますので'
(住 所)
(TELV
人担 当)
留学当初より早くも1年と半年 ジュネーヴ留学記 vo-・2
を望んでいます。 び集結できるように'積極的な参加
ゴルフコンペに関わらず'いろんな
第6 9回卒同窓会事務局
三田市南が丘2-1 3-65
079・564●2 91
一・7慨妙f
パリ・リヨン・ミュンヘンなどのヨーロッ
ヨーロッパ中
加しそこで クラスに参
トのマスター
れたフルー チアで行わ ンスとクロア
中にはフラ
年の夏休み
ている。
な事が起き でもいろん の留学生活 ているだけ
2004
I ・1..節. VtlL
「むこうが気を使ってゆっくり喋って
なが仏語で話しかけてくる。 以来'英語が母国語の友達以外みん た事にい 気になるのも束の間へそれ やん!おめでとう!」-と誉められ ジーラ ンス詰めっちゃうまくなってる
での演奏・室内楽を含めtI週間で演 験にはなるのだが他楽器の演奏試験 オイシイ演奏会も周ってくるので経
把握してなかったりしてしまう。
オーケスーラとのソリス- という
ールの変更・段取りなど自分一人だけ 当然フランス語であるわけでスケジュ
ーラなど大人数での練習ともなれば さすがに忙しすぎで'しかもオーケス
近い順に学校側は電話をして-る。 事を持っていたりする。)なので家が 来ていたり'すでにオーケスーラの仕
自分の実技試験もあるというのに
(みんな2つめか3つめの学校として
ネ-ヴに住んでいるのが自分一人だけ の割にフルーティス-が少ない上'ジュ 人までしか生徒をとれないので需要 た。というのも音楽院の各教授は8 でスケジュールびっしりになってしまっ も演券-練習に時間を取られる。)
ランス訳に切り替えたところ「リユウ
レッスン・尊顔手続き・そして会話をフ
でいた。
そして音楽院の授業などが始まり'
こちらが主張や依頼をしない限り
るのだがメインは音楽!
ーラ・省内楽・その他 雑用(といって
学期終わりの6月末までオーケス
しかない。
く知らない!」と情けなくとも言う
わからへん!知らない単語はとにか 係なので「そんなに早く喋られても だろう-」という事は皆無な対人関 くれるか英語でもっペん言ってくれる
そんな調子で未だに仏語に難はあ
門
平成17年6月10日発行
送にて放送される。 それらの演奏会がジュネーヴこフジオ放 氏・作曲家クラウス・フーパー氏と共演。 世界的オーボエ奏者ハインツ・ホリガー ヴ音楽院オーケストラと協奏曲を共演。 テルプシコーレ弦楽四重奏団・ジュネー
桜陵追宿
てジュネーヴ音楽院に留学.
203年より文化庁派遣研修生とし 蓉術大学卒業0 エンス賞・武者小路千家賞を受賞。東京 日本フルートコンクール第3位・オーディ に出演。 参加やBS放送「クラシカル・ジャパン」
◆プロフィール
そうである。
張するのが今後の大事な課題となり
い-・こうありたい!」-と自分を主
は「わからない-」に加えへ「こうした
大河ドラマ「北条時宗」レコーディング
(第80回卒業増本 竜士 記)
もって乗り切るしかない。 頑張ろうな-!」・ と精一杯の愛想で
ないので「まぁい 演奏会になるよう
いこきつかわれ方をされる。 関のプロデュースするものとは思えな 奏会10回〓-・というおよそ教育機
イライラや落ち込んでもしていられ 当加減などにいちいち振り回されて
語学を含め、「できない!」あるい
演奏のミスやフランス系人種の適
●19回生 丸岡氏手記●
19回卒で、小生の畏友中島直巳君(大阪ラグビー協会長)が、平成15年9月3日逝去され、9月20日
千里ニュータウンの葬祭場にて、関西ラグビー協会主催のお別れ会が盛大、粛々、催され、小生がご
遺族並びに関西ラグビー協会から依頼を受け、友人代表として下記の『お別れの辞』を捧げました。
(参考)関西ラグビー協会主催
大阪ラグビー協会長『故中島直巳』氏のお別れ会(H15.9/20)
【永年の畏友故中島直巳君へ捧げるお別れの辞】 (第19回卒 丸岡隆二)
9月3日の午後、関西ラグビー協会の前田嘉昭氏より員兄の御計報に接しまさかのことに鷲情痛惜我々
同期の仲間に先立ち幽明境を異にするとは残念至極痛恨の極み兵に寂しい想いがします。
貴兄とは昭和5年兵庫県旧制三出中学に入学の出会いから旧制東京岳帥入学文押大ラグビーで
苦楽を共にし昭和13年12月H支事変拡大に伴い、学菜半ばで共に出陣肖兄は加古川高射砲隊で終
始本f・.防衛に専念され小生は大阪信太LLI野砲隊から北渦中文南方と外地転戦貴兄は 終戦直前
広島1二空防衛隊長として戦闘中原爆の洗礼を受けながらも幸いに命を全うされ小生も敗戦により無事
生還故郷三田の地で再会を祝し大先輩岩野次郎さんのお招きを受けて昭和22年2人揃って大阪府に
出向たまたまln制消水谷高校岳女と円候畷中学の空席にジャンケンで勝った貴兄が三出から近い消
水谷に負けた小生が遠い四催畷に赴任その後貴兄は北野高校に転任数年後2人共に人阪府教委に
勤めた後府立高校長として職員を全うし揃って定年退職をして今日まで同じ路を歩んだ同級生として
実に74年に亙る永年のお付き合いを戴きその間共によく学びよく遊び共に悦び嘆き食いお互い励まし
合う心の友であり頼りになる最高の友でありました。
また戦後のラグビーの復活と普及振興に2人協力して大きな成果を収め特に員兄は大阪ラグビ-協
会長として今後のご活躍を期待されておりましたのに突然のご計報天の無情に痛恨の想いやるせなさ
が身体中を駆け巡っております.
ここに在りしHの貴兄の優しい誠実なお人柄を偲び永年に亘るご厚誼を謝しつつ御霊の安穏をお
祈りしてお別れの辞と致します。 以ヒ
終戦直後の昭和25年夏、当時の全国高校ラグビーの最強を誇った四候畷高校ラグビーが、母校三
田の第10寮で合宿し、当時の二円高校のラグビー部(キャプテン藤田君?)と激しい合同練習をした記
憶があります。