28.石炭燃焼由来の魚介類中メチル水銀量の海域別調査により 胎児へ

28.石炭燃焼由来の魚介類中メチル水銀量の海域別調査により
胎児への健康被害を防止する
○柿本幸子(大阪府立公衆衛生研究所)
背景と目的
水銀の排出量はアジア地域で世界の約2/3を占めており、現在も増加傾向にある1)。その主要な
排出源はアジア大陸で火力発電に使用されている石炭である。石炭は、他の化石燃料と比較して、
約10倍高い濃度の水銀を含有する。アジア地域においては、火力発電所の排煙処理設備が十分普
及しておらず、発電時の石炭燃焼により水銀が大気中へ排出される。その後、排出された水銀は
アジア大陸からの微小粒子状物質の一種で日本各地に飛来する「PM2.5」と同様、偏西風によって
日本近海まで到達する2)。降雨や自然落下等により大気中から海洋へ移行した水銀は、海洋中の微
生物により代謝されメチル水銀となり、食物連鎖によって特に大型魚介類に高濃度に蓄積する。
日本人の水銀摂取量の80%以上が魚介類由来である。食事を介して体内に取り込まれたメチル水
銀は、血流にのって種々の臓器へ分布する。その一部はシステインと結合し、胎盤や血液脳関門
を通過して中枢神経系へ移行する。メチル水銀は、特に胎児の発育に悪影響を与える3)とされ、問
題視されていることから、水銀濃度が高い海域産の魚介類の摂取を回避することによって、胎児
のメチル水銀への曝露量を減少させ、健康被害を未然に防止することを考えた。
近年、日本近海の海域を特定した上で、魚介類中のメチル水銀含有量を調査した報告はない。
そこで本研究では、ベニズワイガニを試料として選定し、日本近海の水銀汚染状況を明らかにす
ることを目的とした。あわせて、日本海産の生ベニズワイガニ中の総水銀とメチル水銀含有量の
比較を行ったので報告する。
実験方法
1) 試料
ベニズワイガニは、深海(水深400〜2700 m)に生息し、生存期間が長く、生息範囲が限定され
る。そのため地域性が反映されやすいと考え、本研究の試料として選定した。
生ベニズワイガニ10検体、茹でベニズワイガニ35検体を用いた。現行の生鮮食品品質表示基準
では、国産生鮮魚介類の原産地は、水域名の記載が困難な場合は、例外として水域名に代えて水
揚げ港名または、その属する都道府県名を記載することが認められている。実際には、生産・流
通・販売の各段階において生産水域に関する情報伝達が不十分で正確な水域名を確認することが
困難である。そこで、試料購入前に販売者に漁獲水域を聞き取り調査し、あるいは、漁業協同組
合などで発行している産地証明書を取得して、生息地域を出来る限り特定した。また、一匹あた
り500〜800 gのベニズワイガニを試料として購入した。カニの筋肉部を採取し、フードプロセッ
サーで粉砕均一化したものを分析試料とし、総水銀、メチル水銀分析に用いた。認証標準物質は、
独立行政法人産業技術総合研究所 計量標準総合センター NMIJ CRM7402-aタラ魚肉粉末(認証
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値 質量分率 Hg0.61 mg/kg)を用いた。
2)試薬
【総水銀分析法】
過マンガン酸カリウム(試薬特級)、塩化第一スズ・二水和物(有害金属測定用)、硫酸(有
害金属測定用)、塩酸ヒドロキシルアミン(原子吸光測定用)は全て和光純薬工業製を使用した。
酸化コバルト(元素分析用)はキシダ化学製を使用した。水銀標準液は、和光純薬工業製の水銀
標準液(Hg1000)を使用した。
【メチル水銀分析法】
塩化メチル水銀(Ⅱ)(環境分析用)は、関東化学製を使用した。アセトン、トルエン、ヘキ
サン(残留農薬・PCB試験用)、臭化カリウム(試薬特級)、硫酸銅(試薬特級)、硫酸(有害金
属測定用)、塩酸(有害金属測定用)、リン酸二水素ナトリウム二水和物(試薬特級)、リン酸
水素二ナトリウム(無水、試薬特級)、L-システイン塩酸塩一水和物(試薬特級)、テトラフェ
ニルホウ酸ナトリウム(試験研究用)、ポリエチレングリコール300(PEG、試薬特級)は、和光
純薬工業製を使用した。メチル水銀原液は、標準品58.2 mgをトルエンで溶解し、50 mLに定容し
た。(メチル水銀として1000 mg/L)
3)装置
【総水銀】
微量水銀分析計は、Nippon Jarrell Ash製Mercury detector AMD-F2を使用した。電気炉は、Nippon
Jarrell Ash製AMD-A1 HEATING UNITを使用した。電気炉の温度は800℃に設定した。空気ポンプ:
設定流量0.5 L/min
測定波長:253.7 nm
【メチル水銀】
GC/MSは、Agilent社製5973inert GC/MSを使用した。カラム:InertCap 5MS/NP(内径0.25 mm,
長さ30 m,膜厚0.25 µm) オーブン温度 : 70℃ (1 min)→20℃/min→310℃ (5 min) 注入口温度 :
250℃,トランスファーライン温度 : 250℃、キャリアーガス流量 : 1.0 mL/min (He) 分析モー
ド:SIM,注入量 : 1 µL, 定量イオン:m/z 294, イオン源温度 : 250℃ ,イオン化法:EI
4)試料前処理
【総水銀分析法】
試料0.3 gを石英製ボートに秤量し、ほこりが入らないようにして、一夜乾燥した。乾燥試料を
酸化コバルトで均一に覆い、スパーテルの背で押さえた。電気炉で加熱した石英管内に徐々に挿
入し、加熱分解した。水銀をポンプで吸引しながら、過マンガン酸カリウム硫酸溶液に吸収させ
た。吸収液を塩酸ヒドロキシルアミン溶液で脱色し、還元剤を加えて還元気化した水銀を検出器
で測定した。
認証標準物質は凍結乾燥試料であった。日本食品標準成分表においてマダラは、可食部100 g
中水分は80.9 gである。分析に用いる凍結乾燥試料は、マダラから水分がすべて除去されたもの
と考えると、試料量0.3 gに相当する重量は、0.3 g × (19.1 g/100 g) = 0.0573 gである。そこ
で、正確に秤量が可能な0.1 gを採取し、回収実験に用いた。
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【メチル水銀分析法】
菊地らの方法4)に準じた。試料10 gを採取し、アセトン、ヘキサンで前処理した後、順次振とう
し、遠心分離後有機溶媒を除去した。臭化カリウム溶液、硫酸銅飽和硫酸溶液、トルエンを加え
振とう抽出を行い、再度残渣にトルエンを加え振とう抽出を行い、トルエン層をあわせた。トル
エン層をシステイン溶液に転溶し、トルエンで3回逆抽出を行い抽出液とした。抽出液にリン酸緩
衝液、テトラフェニルホウ酸ナトリウムを加え室温で振とうし、遠心分離した。試験溶液に無水
硫酸ナトリウムを加え脱水した。PEG溶液を添加し、試験溶液をGC/MSで測定した。
結果及び考察
1)総水銀の添加回収試験結果
還元気化原子吸光光度法で暫定基準値0.4 ppmの半量値0.2 ppmになるように添加し、生ベニズ
ワイガニとバナメイエビで総水銀の添加回収実験を行った。生ベニズワイガニでは水銀を含まな
いブランク試料が入手できなかった。そのため、水銀を含む試料を用いて添加回収実験を行い、
元々の試料に含まれる水銀濃度を差し引いた後、回収率を算出した。
その結果、生ベニズワイガニ(n=5)、バナメイエビ(n=6)において平均回収率はそれぞれ、99.9%、
93.2%、相対標準偏差はそれぞれ、5.2%、4.6%であった。また、認証標準物質NMIJ CRM7402-a(n=6)
で性能評価試験を行った結果、保証値に対する真度は90.1%、相対標準偏差は6.7%であった。試
料に用いた生ベニズワイガニをn=3で測定したところ、測定値は0.333、0.378、0.358 ppmで相対
標準偏差は6.3%と良好であった。
2)総水銀測定結果
日本海沿岸に面する兵庫県香住産3検体と太平洋沿岸に面する北海道釧路沖産7検体の生ベニズ
ワイガニを分析した。平均値はそれぞれ0.14 ppm、0.11 ppm、標準偏差0.11 ppm、0.04 ppmであ
った。今後検体数を増やし、さらに検討する予定である。なお、ベニズワイガニは深海性魚介類
であり、水銀の暫定的規制値適用外である。仮に適用した場合、今回測定した生ベニズワイガニ
では、暫定的規制値0.4 ppmを超える検体はなかった。
また、加工品のため暫定的規制値の対象外であるが、日本各地で水揚げされた茹でベニズワイ
ガニ35検体を分析した。その結果、平均値は0.25 ppm、標準偏差は0.12 ppmであった。平成10〜
12年の国民栄養調査結果によれば、ベニズワイガニの一日摂取量は、ズワイガニの摂取量をすべ
てベニズワイガニと仮定した場合、生ベニズワイガニが0.2 g、茹でベニズワイガニが0.3 g、缶
詰等の加工食品が0.2 gであった。今回検出した総水銀が全てメチル水銀で、缶詰等の加工食品が
すべて茹でベニズワイガニから加工されていたと仮定する。この場合、日本人一日あたりのベニ
ズワイガニからのメチル水銀摂取量は、0.25 ppm×0.5 g+0.12 ppm(生ベニズワイガニ10検体の
平均値)×0.2 g =0.149 µgとなる。一方、妊娠中かその可能性のある人のメチル水銀の一日耐容
摂取量は0.292 µg/kg体重/日である。体重55.5 kg(妊婦平均体重)の人の場合、一日耐容摂取量
は0.292×55.5=16.2 µgである。本研究でのベニズワイガニからの一日あたりの総水銀摂取量
0.149 µgは、体重55.5 kgの妊婦のメチル水銀一日耐容摂取量の約100分の1の量に相当し、ただち
に健康被害を生じる値ではないと考えられた。
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また、暫定的規制値が適用されない検体の分析例として、各地域で捕獲されたマグロの総水銀
濃度を示す5)。各マグロの総水銀濃度の平均値および濃度範囲は、インドマグロ(8検体)1.27 ppm
(0.79-2.60)、キハダマグロ(16検体)0.30 ppm (0.09-0.54)、メバチマグロ(11検体)1.23 ppm
(0.46-3.10)、本(クロ)マグロ(12検体)1.43 ppm (0.39-6.10)であった。今回のベニズワイガ
ニの総水銀濃度は、前述のマグロ中総水銀濃度と比較し、特に高いものではないと考えられた。
3) メチル水銀分析について
誘導体化時にPP製試験管を使用した場合、トータルイオンクロマトグラムにフタル酸重合物等
の夾雑ピークが多数みられた(図1)。PP製試験管の代わりにガラス製器具を使用することで、夾雑
ピークが減少した(図2)。MS検出器の汚染を軽減させるため、誘導体化時にはガラス製器具を使
用することとした。また、SIMクロマトグラムでは妨害ピークは見られなかった(図3)。
フェニル化メチル水銀の検量線(10、20、30、40、50 ppb)を作成したところ、良好な直線性
を示した。(相関係数:0.99928)。
茹でベニズワイガニで添加回収実験(添加濃度:0.3 ppm、n=5)を行ったところ、回収率は87.4%、
相対標準偏差は4.2%であった。総水銀が検出された生ベニズワイガニA、B、Cの3検体について、
本法を用いてメチル水銀分析を行った。PEG添加の絶対検量線法を用いて、3検体の試験溶液をそ
れぞれ6回ずつ連続測定した。その結果、A、B、Cでは、0.34、0.36、0.19 ppmとなり、メチル水
銀濃度が総水銀濃度より高濃度となった(表1)。相対標準偏差は、それぞれ1.4、0.6、2.3%と
安定しており、GC/MSによる感度のばらつきはメチル水銀が総水銀濃度より高濃度となった原因で
はないと考えられた。
そこで、3検体の試験溶液を標準添加法(未知試料に一定量の既知濃度の標準物質を添加して検
量線の系列を調製し、検量線のx軸切片から未知試料中の測定対象物質濃度を定量する方法)で測
定した。その結果、メチル水銀濃度は、それぞれ0.22、0.30、0.17 ppmとなった。
PEG添加の絶対検量線法では、ベニズワイガニ試料によるマトリクス効果を補うために試験溶液
および標準溶液(検量線)にPEGを加えている。しかし、試料をベニズワイガニとした場合、試料
によるマトリクス効果を補完するには十分ではないと考えられた。また、検体Bでは、メチル水銀
が0.30 ppm検出された。検体Bに含有されるメチル水銀濃度を水銀として換算すると、0.30×
200.59/215.63=0.28 ppmであった。仮に検体Bについて暫定的規制値を適用するとして、メチル水
銀(水銀として)の暫定的基準値0.3 ppmを超えなかった。
従来より、総水銀中のメチル水銀の割合は75%程度であることを根拠として総水銀濃度による
安全性の評価が行われている。今回分析したベニズワイガニ3検体については、総水銀中のメチル
水銀の割合は75%を超える試料があるという可能性を示唆するものである。西村ら6)により、総水
銀中のメチル水銀の含有量が100%であるという報告もある。今後、総水銀中の平均的なメチル水
銀の割合について議論するためにより多くのデータの蓄積が必要であると考えられた。
今後のベニズワイガニ中メチル水銀の測定では、検量線にマトリクスを添加するマトリクス検
量線を用いる予定である。マトリクス効果を補正するために検量線用標準溶液に添加する試料溶
液については、ベニズワイガニでメチル水銀が検出されない検体が得られなかったため、同じ甲
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殻類のエビを用いて検討する予定である。
今後の展望
独立行政法人
水産総合研究センター
東北区水産研究所の御厚意により、太平洋側の生ベニ
ズワイガニの試料を提供していただく予定である。太平洋沿岸の生ベニズワイガニは、市場では
東北地方太平洋沖地震の影響で網元が廃業した事情等により入手困難となっており大変貴重な試
料である。今後、日本海側と太平洋側のメチル水銀の海域別調査を継続し、試料中の総水銀とメ
チル水銀の含有量を明らかにする予定である。
1)IEA,World Energy Outlook 2012
2)永淵ら、山岳大気中の水銀の動態について、特定非営利活動法人 富士山測候所を活用する会 HP
(http://npo.fuji3776.net/document/20100124seika/20100124seika(nagafuchi).pdf)
3) 魚介類中に含まれるメチル水銀について, 食品安全委員会2005年通知
4)菊地ら、暫定的規制値への適合判定を目的としたメチル水銀分析法の開発、日本食品化学学会
第20回総会・学術大会(2014)
5)平成14年度厚労科研「PCB及び水銀試験法の開発に関する研究」(主任研究者:松田りえ子)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/06/s0603-4c.html
6)西村ら、水産加工食品中の総水銀・メチル水銀に関する実態調査 道衛研所報62、61-63(2012)
謝辞
本研究に際して様々なご指導を頂きました国立医薬品食品衛生研究所 渡邉敬浩様に深謝致し
ます。また、今後の展望におきまして、試料提供をご快諾いただいた独立行政法人 水産総合研
究センター 東北区水産研究所 伊藤正木様に深謝致します。
ア バ ン ダン ス
アバ ン ダン ス
IC : re c 3 o l d 0 6 2 5 w o o l . D \ D A A . M
900000
900000
800000
800000
フタル酸のフェニル誘導体化
物
700000
IC : k a n i 2 0 1 p s a . D \ D A A . M
700000
600000
500000
500000
400000
400000
300000
300000
200000
フェニル誘導体試薬
由
600000
来のピーク
200000
100000
100000
6 .0 0
7 .0 0
8 .0 0
9 .0 0 1 0 .0 0 1 1 .0 0 1 2 .0 0 1 3 .0 0 1 4 .0 0 1 5 .0 0 1 6 .0 0 1 7 .0 0
0
6 .0 0
時 間 -->
7.0 0
8.00
9.0 0 10.00 11 .00 1 2 .0 0 1 3 .00 1 4 .00 15.00 1 6 .0 0 1 7 .0 0
時 間 -->
図 2 ベニズワイガニ試料のトータルイオンクロマトグラム例
(誘導体化操作にガラス製試験管を使用)
図 1 ベニズワイガニ試料のトータルイオンクロマトグラム
(誘導体化操作に PP 製試験管を使用)
アバ ンダン ス
IC : k a n i 2 0 2 p s a n a s i . D \ D A A IM . M
1000
総水銀
900
800
(ppm)
700
600
フェニル化メチル水銀(m/z=294)
500
400
300
200
7.00
8 .0 0
ベニズワイガニA
ベニズワイガニB
0.20
0.29
0.22
0.30*
0.34
0.36
ベニズワイガニC
0.17
0.17
0.19
PEG絶対検量線法による測定値は、n=6で測定した平均値
100
6.00
9 .0 0 1 0 .0 0 1 1 .0 0 1 2 .0 0 1 3 .0 0 1 4 .0 0 1 5 .0 0 1 6 .0 0 1 7 .0 0
時 間 -->
ベ
*メチル水銀濃度を水銀として換算すると0.30×200.59/215.63=0.28
pm
図 3 ベニズワイガニ中のフェニル誘導体化メチル水銀
のマスクロマトグラム(SIM)
表1. 生ニズワイガニ中の総水銀とメチル水銀量の比較
経費使途明細
内容
金額(円)
171,299
溶
試料購入費(ベニズワイガニ、郵送費等)
試薬購入費(アセトン等有機
メチル水銀
標準添加法(ppm) PEG絶対検量線法(ppm)
媒、硫酸銅等試薬類)
消耗品購入費(バイアル、バイアルキャップ等)
127,398
5,983
交通費(受贈式出席)
320
合計(受贈金300,000円、受贈式出席旅費5,000円
305,000
- 141 -