第 66 回 和算を楽しむ会・大村 和算を楽しむ会 ・大村 場 所 大村市中央公民館(市コミセン 大村市中央公民館 市コミセン・ 市コミセン・1F) 日 時 平成 27 年 6 月 18 日(木 木) 10:00~ ~12:00 テーマ 「遊歴算家 法道寺 善」について 米光 丁 広く各地を遍歴して、和算を教え、和算家を訪ねて親交を結んだ人たちを遊歴算家 とよんでいる。この呼び方は和算家が用いたのでなく、和算研究者によって使われるように なった。 遊歴算家の中には旅行中の日記を残した人たちがいる。遊歴算家の行動範囲は全国津 浦々、期間も数か月から 1 年 2 年にわたる場合があったことがこのれらの道中日記からわ かる。この日記を残した主な人たちをここに紹介してみます。 やまぐち かず 1.山口 和 越後国北蒲原郡水原村(現在の新潟県阿賀野市水原)『道中日記』 さ く ま つづき ようけん 2.佐久間 纉 (号庸軒) 磐城国田村郡石森村(現在の福島県田村市) 『佐久間 庸軒の旅』などがある。 ほう ど う じ ここで紹介する法道寺 ぜん 善も遊歴算家であった。 ほう ど う じ ぜん 法道寺 善は安芸国(広島県)の鍛冶屋に文政 3 年(1820)に生まれ、善は諱で通称は和十 うめぞのとしゆき 郎、字を通達と云い、観山と号した。初め広島藩の梅園敏行に和算ついて学び、1841 年 に内田五観に入門した。 法道寺は先輩小松恵龍(肥前田代駅小松の大興善寺の僧侶)の勧めもあり、長崎で和算 を教えた、その一人に加悦俊興も門人の一人で『算法圓理括嚢』は善の指導により記述 されたとなっている。一時は長崎に居を構えたが、酒のため長崎におれなくなり、長崎 を去って北陸から奥羽地方まで遊歴し、江戸に戻った。広島で明治元年(1868)に 49 歳 で没した。 ※法道寺 32 歳のとき加悦俊興は『算法圓理括嚢』嘉永 5 年(1852)を著す はくふどうさんがくそうしょ この本は中国清の国の時代に『白芙堂算学叢書』(1896)の一冊として復刻された。 ※法道寺 39 歳のとき安政 6 年巳未(1859)4 月にすべて 神田宇平源重文によ富松神社・大村八幡宮・春日神社 の算額は奉納されている。 大村八幡神社だけ長崎 神田宇平源重文となっている ので、長崎の人であろう。
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