3月号 学校と家庭

岸中学校 学校だより 3月号
平成27年2月27日
学校長 宮田 輝夫
アイ
Iのメッセージ
~磨きあい、響きあい、そして YOUME(夢)~
運命は 笑ひ待ちをり 卒業す (高浜 虚子)
いよいよ三月、学校のまとめ月になります。この頃になると、風情ある日本語がたくさん行き交
います。「水温む<ぬるむ>」、
「山笑う」、
「春一番」、「春眠」、「東風光<こちひかる>」、そして、
「桃の節句」に、
「春雨」や「春霞」
・・・と。ことばが躍り、本格的な春に向かって、成長の証を
示す季節に進みます。自然ばかりでなく、人々もまた躍動的に、ワクワクドキドキする時期となり
ます。三年生の生徒も、月初め(2,3日)には、公立高校の受検を迎えます。学校に残る岸中の
仲間たち、一,二年生の後輩たち、さらには、教職員全員が、受験生に健闘のエールを送り、応援
したいと思います。義務教育九ヶ年で培った確かな学力を存分に発揮して、悔いの残らぬよう全力
投球を期待します。岸中生としての自信と誇りを忘れないで学力検査や面接に臨んでください。
さて、私の巻頭言も、最後となりました。最終回は、少しばかりこれからの中学校教育への思い
や私見を述べさせていただきますので、ご容赦ください。振り返るに、三十数年の間、学校教育に
関わることができました。自らの学生時代を含めると、なんと、今までの人生の五十年近くを、学
校及び学校関係機関で過ごしてきたことに改めて驚いています。
「学校」という、世間一般からする
と特別な場所で、生活を送れたことは、幸せの一語につきます。校舎といく木組み(館<やかた>)
のなかで、様々な人と巡り合い、学び合い、そして、自らを成長させてもらったことに感謝もして
います。教員となって、二十年近くたって(平成9年~12年)教育行政にかかわり、当時旧浦和
市教育委員会教育長であられた浅見匡先生の言は、今でも忘れることができません。先生は、我々
指導主事に、教育指導の原点として、
「教育は愛、学びあい、磨きあい、そして、響きあい」が大切
ですと、事あるごとに述べていらっしゃいました。教師も生徒も、
「学ぶ」ことの基本は、
「ひと、
もの、こと」を「愛する」ということに基づき、お互いが切磋琢磨し、そして感応し合う、そのよ
うな場が、学校であり、子どもったちと教師が集うことに意味があります。」と確かそのようなこと
を伝えてくれたように記憶しています。
改めて、
「学校で学ぶこと」とはどういうことなのか、隠居の身なる機会ですから、じっくり考え
なおしてみたいと思っています。悲しいかな、この二十年間の間に、学校という場所に、効率と成
果(結果)主義が闊歩し始めました(今は大手を振っているかもしれません)
。情報化、グローバル
社会、少子高齢化社会へ、多様な価値観の広がりと、便利な時代、変化の激しい時代の荒波に、未
来を担う子どもたちが四苦八苦しています。
「学ぶこと」の意義が見つけられずに、右往左往し、物
言えぬ子どもも大人も、流れに身をまかせています。これからは、
「学びの質」が問われる時代と言
われます。確かな学力を保証するために、世界に通用する学びを創造するために、
「アウトプット型
学習」が、必要とも言われてもいます。
しかし、どのような時代が到来しようとも、
「学びの原点」は不変であると信じています。
「人が
ヒトを教える」、
「ことばやものづくりを通して、感じ、考え、体験して学びが伝えられえる」
、そこ
には、学校という「学び場」が脈々を存続するはずです。今、
「鍛錬(たんれん)」とか、
「陶冶(と
うや)
」とか、
「忍耐(にんたい)
」
、
「共感・感応」とか、「黙想(もくそう)
」などということばは、
教育の世界では死語になりつつあります。夢を追い求める「あなたと私と」、「本当に学ぶとは」ど
ういうことなのか、ご一緒に考えてみませんか?
何はともあれ、三年生の皆さん、本当にご卒業おめでとうございます。
「陽気に、元気に、生き生
きと」、
「学び」はこれからもずっと、ずっと続きます。良き人生、幸多きことを願って!