新聞12月号(第51号) 『戦争と杉さん』

かけがえのない日々
∼柏原杉義さんの戦争体験∼
参加希望者は全員男性
名 古屋市博 物館で﹁ 横井庄一 さんの くらし
道具 ﹂とい う企画 展が開 催されま した。 芸術
サー クル主 催で希 望者を 募り、私 は柏原 杉義
さん ︵以下 杉さん ︶をお 誘いしま した。 杉さ
んは いつも お風呂 で﹁自 分は何度 も死に そう
にな った。 ここで こうし て生きて いるの も奇
跡だ ﹂と戦 争のお 話しを して下い ます。 横井
さん の話を した時 も、横 井さんと 言った だけ
で、 感極ま り目に は涙が たまって いまし た。
それから杉さんは、お
部屋にある昔のアルバ
ムから﹁これっ﹂と一
枚の写真を見せて下さ
いました。それは、グ
アムのジャングル奥深
くで、今は亡き奥さん
の里子さんが写ってい
る 写真 で し た。 戦 後、
横 井さ ん が 年 住 んで
い た場 所 を 家族 旅 行で
訪 れた と き の写 真 だそ
うです。
昭和 初 期、 歳 の杉
さ んは お 国 のた め 、家
族 の平 和 の ため に 一線
で戦 ってお られま した。 一番辛か ったの はひ
もじ いこと 。仲間 が死に 逝くこと 。異国 、中
国で 山の上 まで追 い詰め られ何日 もお腹 が空
き、 生きる ために 何でも 食べたと 語られ まし
た。 杉さん は、展 示品の 数々を見 ながら 言葉
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奥様と横井さんの洞穴へ
今月のベストショット
今月のおススメ本
令状が 来てし ょうとく ︵軍隊 の名前 ︶へ入 隊
しまし た。始 めは護衛 の仕事 をし、 その後 、
第一次 世界大 戦でソ連 と激突 し戦い ました 。
人 の仲間を 喪った。 突然戦 争を止 めろと 言
われソ 連から 降伏しま した。 両手を 挙げて 出
て行った。行った場所はいったいどこなのか?
今でも 分から ないそう です。 捕虜と なり車 に
乗った 。大き な倉庫に 入れら れ、機 関銃を 向
けられ ずっと 見張られ た。逃 げ出そ うとし た
仲間が 撃ち殺 された。 生きる か死ぬ かギリ ギ
リだっ たと。 ある日、 漁に行 くから と収容 所
から車 に乗せ られ連れ て行か れた。 途中で 馬
に乗り かえて 着いた場 所はモ ンゴル の砂漠 地
帯だっ た。そ の時初め て漁は 嘘だっ たとわ か
り、杉 さんは そこで一 年ひど い訓練 に耐え 続
けまし た。指 を逆さに 折られ たり、 手錠か ら
抜け出 す方法 、縛られ 逃げる 方法、 ひどい 仕
打ちに 耐え、 それらは 全て訓 練だっ たと。 自
分は言葉を覚えるために養成されていたのだっ
たと気 づいた そうです 。戦争 が終わ っても 杉
さんの戦争は 歳を過ぎても終わっていなかっ
たので す。訓 練が終わ り、元 の収容 所へ戻 さ
れまし た。﹁ ダモイ﹂ =帰る 。突然 言われ た
そうで す。船 に 日間 乗って 、列車 に乗り 換
え、よ うやく 北海道に 着きま した。 ﹁これ で
やっと日本人になれた﹂杉さんは話されます。
帰国し てから も警察の 取り調 べを受 け、日 本
警察の 後は米 国の憲兵 隊。寝 ずに三 日三晩 取
り調べ に耐え ました。 取り調 べから 戻った 杉
さんに 長野の 母は﹁よ う帰っ て来た 。しば ら
くゆっ くり体 を休めて ほしい ﹂と言 われま し
たが杉 さんは 、村の年 寄りた ちが道 路の舗 装
整備を やって いた姿を 見て、 胸を打 たれ﹁ こ
れでは いかん ﹂年寄り たちに こんな ことを や
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ラジオ体操 の後、フ ロアを一周 歩かれ、 ニコニコ
で 戻ってこら れた千代 子さんとま さ子さん 。いつも
の ように椅子 に座り、 千代子さん が﹁今日 は、千代
ばぁ∼と一緒にお泊りだよ∼﹂とまさ子さんに向かっ
て 言われ、う なずかれ るまさ子さ んに周り にいたス
タッフも胸ほっこりでした。
に ならな い想い を噛み しめてみ えたの ではな
い か と 思 い ま す 。 横 井 さ ん の 暮ら し を 見 て
﹁ それに しても すごい な。これ だけの 物を一
人 で作っ て考え てやっ ていたっ てこと は並大
抵 の人で はない な﹂﹁ こんなに たくさ んの物
が あの小 さな洞 穴に入 っていた なんて ⋮﹂と
感 心ばか りされ ておら れました 。時々 胸が熱
く なって おられ る様子 で、一時 間かけ ゆっく
り 見 た 後 、 最 後 に杉 さ
ん は 一 冊 の 本 を 迷わ ず
購 入 さ れ ま し た 。帰 っ
て す ぐ に 杉 さ ん は本 を
開 い て お ら れ ま した 。
杉さんの目頭は熱くなっ
ていました。
長野県 下伊那 郡根羽 村で 人 兄弟の 末っ子
と して生 まれた 杉さん は学校で も有名 な乱暴
者 ︵笑︶ 先生も 手を焼 いていた とご自 分で話
さ れます 。 歳 の時に 静国︵し ずくに ︶兄さ
ん を頼っ て東京 へ行き ました。 そのす ぐ後に
出産の姉を助けるため満州へと旅立ちました。
﹁ 今思え ばこれ がすべ ての始ま りだっ た﹂と
杉さんは言われます。
南満州 鉄道に 入社し 、機関士 になる ため機
関 士学校 へ入り ました 。 年半 勉強し 機関士
に なった 杉さん を大き な事故が 襲いま す。機
関 車は後 ろから 水を送 って蒸気 で走る のです
が 、 走 っ て い る 最中 に
爆 発 し 列 車 の 外 へ投 げ
出されてしまいました。
こ の 時 腰 の 骨 を 折る 大
け が を し 意 識 不 明で 入
院 さ れ ま し た 。 完治 し
た の は 歳 の 時 。 召集
お知らせ 各ユニット忘年会には、沢
山のご家族様にお越しいた
だきありがとうございます。
年末年始、ご 自宅に帰省される 予定の入
居者さんは、早 めにユニットスタ ッフにお
知らせいただきますようお願い致します。
また、入居者さ んの居室の大掃除 にご協力
お願い致します。
らせ ていては ⋮と。 杉さん は﹁自 分の命 はも
う終 わってい るから ⋮﹂﹁ やる気 さえあ れば
なんでもできる﹂﹁人を喜ばせる事がしたい﹂
そう 憤って木 材屋で 働き、 人のた めにな るこ
とは 何でもや ってき たと言 われま す。そ のお
言葉 通り、杉 さんは 今でも 他の入 居者の 方を
気遣 って声を 掛けた りお世 話をし たり⋮ それ
も杉 さんのこ んな深 い想い があっ たから だっ
たのだと初めて知りました。
﹁あんな悲惨な 事は二度とあってはいかんと
思う ﹂杉さん の震え た声に 私も涙 をこら え切
れな くなりま した。 ﹁こん な思い をする なら
いっそ死んだ方がよいと思ったこともあった﹂
﹁戦 友が一人 いたん だ。腕 を切断 した戦 友。
どこ の人かも 名前も わから ないが 一緒に 働い
た。 生きてい るのか 、死ん でいる のかも わか
らな い﹂杉さ んをは じめ明 治大正 昭和初 期の
方々 のお蔭で こうし て今、 自分た ちが生 きて
いら れる。﹁ 僕の人 生、満 足のい く人生 でも
なか ったけど 、それ でも皆 のため に頑張 った
と思うよ﹂最後にポツリと話されました。
感謝の想いを杉さんに伝えなければならない。
そして 、杉さ んの戦争
体験を 子供た ちに伝え
なけれ ばなら ない。こ
れが私 たちの 役目では
ないか⋮と。時代によっ
て人生を変えられた杉さん
と共にこうして毎日を過ご
せる意味をもう一度深く考
えさせられました。戦争の
辛い体験をたくさんお話し
下さり本当にありがとうご
ざいました。 浜嶋いづみ
総理大臣より
どなたにも優しい杉義さん
∼横井庄一生活資料∼
12歳
一番左が杉義さん
平成27年12月16日
聞
新
郷
の
ず
す
第51号
第51号
す
ず
の
郷
新
聞
平成27年12月16日
一つ下の妹、佐竹圧子さんに会いに、実家のある岐阜県の関市洞戸の施設へ行きました。圧子さん
の手を握り「私、よし江、よし江だよ」と一所懸命話しかけておられました。圧子さんは「はいー」
と大きな声でお返事され、13年振りにご姉妹の再会を果たされました。この日は名古屋から妹さんの
竹内よし江さん
娘さんご夫婦も駆け付けてくださり「あれ、かよちゃんやないの。かよちゃん、ちょっと太ったな」
妹さんに会いに…
「静子は?」と普段寡黙なよし江さんが笑顔でたくさんお話しされる姿に驚きました。「ちょっと外
を見せて」と施設の窓から見える板取川の景色を見せてほしいとのことで、ベットで休まれてみえた
妹圧子さんもご一緒に外へお散歩へ出掛けました。故郷の景色はずっと見ていても本当に落ち着くも
のです。昔は雪が多く降ったそうです。人気のない山々の景色に透き通った板取川のせせらぎが聞こ
えます。たまたま外で焼き芋を焼いていたいい匂いがしてきました。施設の方が一本下さりアツアツの焼き芋を姉妹二人でペロッと
食べちゃいました。一口食べ終わる度に焼き芋に手が伸びる圧子さんを見て、よし江さんも笑ってみえました。 また来るからねと
約束して施設を後にしました。施設の向かいにある喫茶店レストラン幸に入りました。昔から洞戸にはここしかお店がなく、この先
は一つもお店がないそうです。地元板取川で採れた鮎の釜めし定食がとっても美味しそうでしたが、よし江さんはカキ釜めし定食を
頼まれ6個のカキを召し上がり、その食べっぷりに驚くばかりの息子さんと私でした。その
先にある実家は、そこからさらに山奥へ行きます。一本の川と山々があるだけ。徐々に家々
も一軒もなくなっていきました。実家近くには今有名なモネの池があります。湧水で出来た
池は日本とは思えない神秘的な自然の作り出した芸術です。実家では義姉や甥っ子さんやお
嫁さんが迎えてくださり15年振りだと。お
嫁さんと手を取り合ってよし江さんの目に
はうっすらと涙がたまっていました。自宅
の前では甥っ子さんがたき火をされ、ここ
だけ時間の流れがゆっくりに感じました。
よし江さんはこんな素晴らしい環境で幼少
期を過ごされたんだなと羨ましく思いまし
た。これからも故郷の自然にたくさんふれ、
お墓参りや、妹さんにもまた会いに行きた
15年ぶりの再会!!
実家にて
アツアツの焼き芋美味しい いと思います。
浜嶋いづみ
淺野うたさん
クラシックコンサートで
偶然の再会
11月15日、明治中学校にて吹奏楽部の
生徒さんたちと、名フィル弦楽四重奏の
演奏会があり、音楽好きの笹野直子さんと淺野うたさんが参
加されました。
以下は淺野うたさんの感想です∼
明治中学での演奏会、学生さんたちは非常に立派でした。こ
れからも益々精進に励んで下さい。さぞ立派な楽団ができる
と思います。弦楽四重奏も大変立派だと思いましたが、益々
精進して下されば、より一層すばらしいものになることでしょ
う。昔のお知り合いにもお逢いすることができ、思い出深く
良い日であったと思います。(淺野うた)
うたさんは、プログラムをご覧になる度に、「楽しみだね…」
と終始笑顔。また、偶然にも、旦那様の教え子の方にもお会
いすることができ「こんなところで会えるなんて…」と涙ぐ
まれていました。思い出話にも華が咲き、「あの人は昔から
優秀な方だったのよ。一目見た時にすぐ
分かったわ」と、とて
も嬉しそうに話して下
さいましたうたさんの
人望の厚さと地域交流
の大切さを改めて実感
した一日でした。
(杉山新菜)
偶然にも…教え子さんと感動の再会
今秋は、干柿を作っ
たり、畑で収穫した芋
で焼き芋をして、秋の
味覚を味わい、季節の
雰囲気を楽しみました。
干柿を作られたのは、南谷秋枝さんと、藤
江良子さん、山田きぬゑさん、浅井みねさんの4人。何年も
包丁を手にしていなかった藤江さんでしたが、皮を剥くのが
とても速く、ご本人も「体が覚えている」と驚いていました。
山田さんは干し柿が大好きで、かつてたくさん干し柿を作っ
ておられたそうで、山田さんも、浅井さんも包丁を持たれる
とあっという間に剥かれ、流石だなと思いました。天日干し
で栄養満点の干柿を食べた感想は「甘くて美味しい!」とみ
なさん大満足でした。
もう一つの味覚!サツマイモの焼き芋は、内田秀子さんのお
宅で収穫され、施設の見学者のために、ご自
身が綺麗に洗ってへた
を取って下さり、西館
で熱々ほっかほかの甘
い焼き芋にして楽しみ
ました。一つ残らずあっ
という間になくなって
しまい、秀子さんもご
満悦でした。
(柴田英里)
皆さん 上手に皮を剥かれます
すずキッチン
から
こんにちは
山中千代一さん
奥様とデート
11月27日、山中千代一さんは名古
屋市科学館へ奥さんと一緒に行かれ
ました。千代一さんは、元高校の生
物・化学の教師をされていました。校長先生にもなられた方で施
設のスタッフからは「先生」と呼ばれています。科学館のお話を
すると興味を持たれ「行きたい!」と言われたため今回の外出を
計画しました。元素周期表の場所では、スタッフが聞いたことの
ない元素記号を尋ねるとすぐ答えられ奥さんも「私も知らない事
をよく知っているね。昔のことはよく覚えているんだね。」と驚
かれていました。―30℃を体験できる極寒ラボにも入り、プラ
ネタリウムも見ました。今後も千代一さんが喜んで頂ける機会を
設けていきたいです。(佐藤宏則)
∼同行された奥様の秀子さんへのインタビューです∼
普段施設にいる時より目が開いていたり、私
が知らない難しい化学記号を言ったりとあん
なにしっかり話をするとは思ってもいません
でした。昔のことはよく覚えているのでしょ
うね。私が入らない−30℃の部屋にも入っ
ていったことに感心しました。帰ってからし
ばらくたった今でも覚えているのはすごいと
思っています。私自身もロケットや竜巻がウ
ワァーとなるところを見たことが印象に残っ
ておりよかったです。プラネタリウムも初め
て行ったので感動しました。
科学館デート♡
(奥様:山中秀子さん)
武光観光だより ∼新そばと養命酒で信州の秋を満喫∼
11月11日秋を満喫し、健康になるツアーとして信州駒ヶ根に行
きました。当日は絶好の行楽日和となりました。中津川を過ぎた
頃から紅葉を楽しむことができ「きれいやね∼」と大歓声。恵那
山トンネルを抜けて長野県に入ると、アルプスの高い山の頂きは
もう白く雪が積もっているのが見えました。昼食は皆さんお待ち
かねの新そばで通常はざるそばが付く御膳でしたが、お店の方の
ご配慮で温かいおそばも選ぶことができ、かけそばを選ばれる方
もみえました。天ぷらの盛り合わせにりんごの天ぷらがあり、皆
さん美味しいと喜ばれました。食後は皆さんお馴染みの養命酒健
康の森で工場見学をしました。案内係のお姉さんについていくと
養命酒が瓶に入れられて箱に詰められる工程を見ることができま
した。海外にも出荷されているそうで、「すごいね∼」と感心さ
れていました。工場では養命酒の試飲もさせてもらい「懐かしい
味やね」と言われる方もみえました。アルコールが飲めない方は
養命水をもらいました。今回のツアーは豪華お土産付プランとなっ
ており、信州の秋を感じるリンゴ、洋ナシ、お漬物、なめこの瓶
詰め等ご用意いたしました。帰ってからも楽しんで頂けたプラン
となった事と思います。2月は知多の梅まつりといちご狩り。
締切は1月1日です。
(田口剛)