岡田 学(おかだ まなぶ)さん

interview 01
過去も含めて、
自分自身を肯定できるようになりました。
福岡教育大学卒業後、ADHD を公表して就職活動をした岡田さん。福岡県福智町の障がい者支援施設みろく園で勤務をしはじめて、
岡田 学(おかだ まなぶ)さん
丸4年。知的障害者の入所施設で、生き生きと働く岡田さんに、現在に至るまでの道のりを聞かせてもらった。
小さいころはどんな子どもでした?
とにかく多動でしたね。どの方向
へ、どう動き出すのかわからない。
動き方がランダムすぎて、父親は僕
に﹁ランダムちゃん﹂とあだ名をつ
けてました︵笑︶。
幼稚園でも小学校でも、すぐに友
だちとトラブルを起こしていました。
思ったことは何でも言っちゃうし、
すぐに手がでるし。でもケンカは強
くないから逆にやり返されてしまっ
て。ビービーとよく泣いている子ど
もでした。
小学校では、帰りの会でその日一
日の反省や、困ったこと、嫌だった
ことを発表するでしょ。いつも訴え
られてましたね。毎日毎日、帰りの
会の主役でした。
小学校までは授業を聞けばだいた
いのことは理解できていたので、授
業中はよく眠っていました。起きて
るときは、先生が話している最中に
ていました。
うか、子どもであるような感覚は持っ
分だけ周りの子たちよりも幼いとい
でも、違和感はあったんです。自
小学校は楽しくて、好きでした。
を起こしても先生が守ってくれたし、
遊んでくれる友だちもいたし、問題
た。いじめられたこともあったけど、
とか言って、先生を困らせていまし
﹁そんなんしっちょー︵知ってる︶﹂
文・たまき ゆみこ
中学校、高校時代はどんな風に過ごしましたか?
中学校は受験をして私立中学に入学しました。その頃も、
志望校に合格することができました。
した。行って帰ってくるだけの生活で、意欲もないし、自
一貫の学校だったので、キツかったけど六年間通い続けま
があって、どんなことがあっても休みませんでした。中高
るかでした。それでも毎日学校へ行くことには、こだわり
いるときは、ぼーっとして息を潜めているか頭を掻いてい
がってきていました。授業にもついていけず、机に座って
は毎日昼休みになると胃が苦しくなって酸っぱいものが上
で通学していたのですが、毎朝駅でお腹を下して、学校で
こすと、体調も崩れていましたね。電車とバスを乗り継い
いじめは次第にエスカレートしていきました。今思い起
りました。
こいつ﹂ということになりますよね。そしていじめが始ま
よく泣いていたんです。手も出るしね。周りからも﹁なんだ、
大学二年からは一人暮らしを始めていましたが、部屋はぐ
日を守れない。それで単位を落として、再履修・・・。
集中すればできないことではないはずだけど、決められた期
せない。ただ字を埋めて出そうと思ってもそれができない。
大学の授業では必ずレポートが課せられます。それが、出
ました。
どうしていいかわからないまま、悶々と学生生活を送ってい
といってすぐに診断を受けようと一歩踏み出すわけでもなく、
てまるっきり自分のことじゃないか﹂と思いました。だから
HD︵注意欠陥・多動性障害︶について知るにつれ、﹁これっ
した。それで、﹁あれ、おかしいな﹂ってなるでしょう。AD
言っていましたが、そこで発達障害についての講義を受けま
ますが、そこで今でいう特別支援教育、当時は障害児教育と
教育大学へ入学したので、一年目は広く教育について学び
大学生活はどうでしたか?
尊心もないという状態で、何がしたいのかわからないまま
ちゃぐちゃ、片付けられない。ベランダにハトが巣を作って、
感情や衝動を上手くコントロールできなくて、何かあると、
高校を卒業しました。
ですか。
大変な想いをされましたね。そこから大学受験をされたの
学生時代に転機になったことは?
ました。
わない。さすがに母親が来たときに、驚いて掃除をしてくれ
フンがどんどんたまっていっても、片付けようとも何とも思
高校卒業後、親の勧めで予備校に入りました。予備校で
通しが立っていて、いつも誰かがそばにいる中で、しっか
できました。予備校ではいじめもなく、やるべきことの見
ている。そんな環境に身を置くと、長時間勉強することが
備校では常に誰かが見ていてくれて、スケジュールが決まっ
自分一人で勉強をしたことがなかったんです。それが、予
に取り組めました。そもそもそれまでは集中力がないから、
があるようなところで、そこではじめて勉強、暗記や筆記
クラスに一人のチューターがついていて、自習室にも監視
案の定、失敗する・・・ボロボロになりました。
間に合わせられない。授業の計画ができてない、ぶっつけ本番、
習でした。そこはグループ活動ではなかったけど、やっぱり、
とか言われる。それが終われば、今度は特別支援学校での実
てみんなに迷惑をかける。他の実習生から﹁信用できない﹂
間に合わせられない。僕だけが授業案すらできてない。そし
では、実習生がグループで活動をする方式でした。そこでも、
大学三年の時、小学校での教育実習です。実習先の小学校
は勉強に関するスケジュール管理が徹底されていました。
り勉強に取り組むことができました。成績も上がり、無事
思い切って診断を受けに行きました。すると、成人の発達
ンターというのもあるぞ﹂と教えて下さいました。それで、
ぞ﹂と言ってくれました。また﹁地域には発達障害支援セ
書を持ってくれば、学校に支援制度があるから受けられる
うやら発達障害っぽいんですよ﹂というと、先生は﹁診断
と追い詰められて、指導教官に相談しました。﹁自分はど
それでいよいよ、﹁僕は社会に出れないんじゃないか﹂
ちゃうんです。それで、友人が、論文を読み上げてくれまし
しかないページが続くでしょう。そうすると、読めなくなっ
字が活字に見えなくなってくるんです。論文とか、特に文字
の場合、活字が﹁ゲシュタルト崩壊﹂しちゃう。これは、活
卒論を書くには、参考文献を読むことになるのですが、僕
できるか、というテーマでの共同研究をしました。 な場所で英語のリスニングをして、どういう状況で一番集中
が弱いと言われています。そこで、被験体を自分にして、様々
していくのに少々支障がある、というニュアンスの意味だ
多動性です。ところが、ディスオーダーに関しては、生活
注意、ディフィクトが欠如、ハイパーアクティビティーが
ていますが、これは全部英語の直訳です。アテンションが
﹂で、その頭文字をとって呼ばれています。﹁注
Disorder
意欠陥・多動性障害﹂、最近では﹁注意欠如﹂とも訳され
ADHDは英語では﹁
今、思うことは?
障害の診断には生育歴が大事だから、親を連れてきなさい、
た。これも、共同研究という形で、仲間がいたから仕上げる
そうです。それを、﹁障害﹂と翻訳しているんです。僕が
Attention Deficit / Hyperactivity
と言われて、母親に来てもらいました。そこで、診断書を
ことができました。
何に苦しめられてきたかといえば、言葉ですね。自分に﹁障
害﹂というレッテルを付けたとき、当初は結構苦しかった
たら、何曜日の何時間目にここで一緒に勉強する学生を呼
くれました。例えば、﹁一人で勉強に集中できないんだっ
援室では、コーディネーターの方がいろいろ相談に乗って
て、見通しが立ち、とても働きやすいです。掃除をしたり、
の入所施設ですが、毎日の仕事のルーティーンが決まってい
と同時にこちらで働き始めました。ここは障害を抱えた方々
自分がADHDであることを公表して、面接に臨み、卒業
なりました。告知を受けたことで、今までのつまずきは自
を持っていません。ここを生きていこう、と思えるように
だんだん乗り越えていって、今ではネガティブなイメージ
でも僕自身、時間をかけて、だんだん受け入れてきて、
ブなイメージがあるでしょう。
そして、就職活動ですね。
もらいました。
大学では、障害を持った学生の支援制度がちょうどでき
た頃で、それもタイミングがよかったんです。障害学生支
んでおくから、おいで﹂というように、自習室と一緒に勉
洗濯のサポートもしています。体を動かすことの多い、今の
分の努力不足のせいではなかった、とはっきり分かって、
です。日本では﹁障害﹂という言葉にものすごくネガティ
強する学生支援スタッフを配置してくれました。また、レ
仕事はとても自分にあっていると思います。
援室に診断書を持って行き、サポートを申請しました。支
ポートの締め切りや優先順位を書いたカレンダーを、支援
明らかな自己認識を持つ機会となり、現在の職場で、生
き生きと働いている姿を見せて頂きました。桜が満開の
季節に福岡で、これからを生きる子どもたちにとっても、
希望を感じさせてくれる爽やかなお話を聞くことができ
過去も含めて自分自身を肯定できるようになりました。
期、そして大学での挫折と出会いが彼を大きく展開させ、
室の壁に張って、スケジュール管理をしてくれました。
それまで自分の自覚として、誰かと一緒だったら、集中
力が長続きして、手が動くことはわかっていました。また、
レポート提出なども、誰かにスケジュール管理をしてもら
えばいいことも。でも周りにそれをお願いできる人がいま
せんでした。支援室のサポートを受けることができたお陰
で、無事四年間で単位をとることができました。
卒業論文はどうしたのですか?
卒論のテーマは、発達障害の人の聴覚情報処理について
書きました。﹁カクテルパーティー効果﹂って聞いたこと
ました。
ありますか。様々な音の中から必要な情報を聞き分ける能
力、雑音の中でも会話が成立するという、その能力のこと
です。それが発達障害のある人は、必要な音を選びとる力
とにかく多動だった幼少期、辛いいじめを受けた青年