鎌倉の史跡を巡る 2月号:杉本寺から釈迦堂切通を抜ける ①頼朝が、新装なった大蔵御所に入場の際、朝比奈通り付近の上総広常の別邸から軍列を整え入場し た。以後、幕府の有力御家人たちが、この六浦道沿いに屋敷を構えたという。 ②浄妙寺から報国寺寺域周辺は、幕府崩壊後の公方:足利・管領:上杉両家の逸話が多い。「田楽辻子の 道」の伝承は、北条高時死亡以後、鎌倉公方の時代も「田楽師の住域」であったろう。 ③室町期には市民の「坂東三十三観音霊場」巡礼がはじまる。江戸期には、道楽を兼ね流行し札所や 門前が賑わう。十返者一九「金草鞋」に、庶民は江戸から坂東札所廻りは「一番浅草寺、二番弘明 寺、三番杉本寺に参るべし」と札所番に関係なく、関東を大きく右回りコースを辿ったと記す。 この「釈迦堂切通の道」は、杉本寺~安養院~長谷寺への「巡礼道」であったろう。 坂東三十三観音霊場 巡礼のスタート 浅草寺 13 番 大宝寺寺宝:新羅三郎義光坐像 杉本寺は実質四体の 北畠軍攻撃で敗死した斯波武士軍 十一面観音像を祀る 供養塔越しに見る「杉本観音堂」 弘明寺 14 番 一番札所 杉本寺 釈迦堂切通 佐竹氏所縁の“大宝寺”門前は“三浦道” :三浦半島へ抜ける道。また裏山祇園山 の裾辺りは、源義光因縁の寺社がある 大宝寺 三番札所 安養院 四番札所 長谷寺 小雪舞う観音堂の雛壇で 本日の巡礼のスタート! 二番札所 岩殿寺 巨大な楼閣?釈迦堂切通 “釈迦堂”辺りの風景 唐糸やぐら近くに、やぐら内 磨崖仏!廻る栄枯を見届けて 安養院:政子の宝篋印塔 本堂に、田代観音堂から移座 した「千手観音菩薩」を祀る
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