経済学概論 Introduction 1. 学問としての経済学(Economics) (1) 科学的側面 現実の経済現象の根底にひそむ経済社会の基本的な運動法則を科学的な方法 によって(深い洞察力ときびしい論理力によって)明らかにする学問でもある。 しばしば経済学には暖かい心と冷めた頭脳(Cool Head & Warm Heart)が必 要であると言われる。 1 Cool Head,but Warm Heart. 新古典派の経済学者マーシャルがケンブリッジ大学教授に 選出された際(1885 年)の就任公開講義に登場する言葉。 ここでマーシャルは経済学研究の重要性、緊急性を強調した 上で、自らの経済学者としての姿勢を示した。 A・マーシャル(1842-1924) (2) 社会的側面 経済学は、貧困の解消、不公平の是正、物価の安定、経済発展の可能性とい った現実の経済現象に関わり、その解決の方策を模索する実践的な学問である。 経済学(Economics)の語源は古代ギリシャ語の「オ イコノミコス」=「共同体のあり方」から来ていると 言われている。共同体、現在では社会のあり方に関わ る学問だと言えるだろう。 また、「経済学」という日本語訳は福沢諭吉が中国の故事に即して訳した 「経世済民」=「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」 (広辞苑)という意味が語源となっている。世の中、これも 今や社会といって良いだろう。このように経済学は単なる金 儲けのための技術ではなく、社会のあり方や、その変革と深 く結びついた学問である。 福沢諭吉(1835-1901) マーシャル『経済学原理』(1890) 1※ 1 経済学概論 2、経済の歴史と経済学の発展 (1)市場経済と経済学の成立 中世の封建制社会が解体し、市場経済が登場するにした がい、人間の社会活動も市場による商品の交換が中心とな り、その市場の仕組みを解明し、また国の富の蓄積を分析 する学問として経済学が成立した。最初に経済学を学問と して集大成したのが、「経済学の父」と呼ばれるアダム・ スミスである。その後、経済の発展にともない経済学も 発展していった。 アダム・スミス(1723-1790) (2)経済学の発展と論争 経済学は科学的な側面を持つと同時に社会的な側面を持っているため、経済 学者それぞれの生活体験、思想的背景、階級的立場によって異なる経済学説が 生まれ、それがまた社会に影響を与えてきた。これは経済学が分析の対象とす る社会自体が、さまざまな要素が複雑にからみあっていることを示しており、 経済学の難しさもここにある。 そして、経済の歴史の中で登場した経済学は、現実の社会に対しても影響と 変革を及ぼしてきたのである。 カール・マルクス(1818-1883) F・ハイエク(1899-1992) J・M・ケインズ(1883-1946) 2 J・A・シュンペータ(1883-1950) 経済学概論 第1回 市場社会と経済学の成立 1、 封建制社会から商品生産社会(市場社会)への移行と経済学の黎明 農耕生産が中心であった西ヨーロッパの中世社会は 15 世紀~17 世紀にかけ て問屋制家内工業やマニュファクチャー(工場制手工業)の登場によって、生 産物を自ら消費する自給自足の社会から、生産物を商品として市場で売買し、 その対価として貨幣を獲得する社会へと移行した(日本では 18~19 世紀)。 その過程で、商品販売の対価として獲得する貨幣を増加し、さらには国の富 を増やすにはどうしたらよいのかという考え方、経済学の理論が萌芽し始めた。 (1)イギリスの植民地政策と重商主義 16 世紀後半~18 世紀にかけて、イギリスを中心とする西ヨーロッパ諸国で採 られた経済政策や、その思想の総称が重商主義である。一般には貿易差額主義、 すなわち貿易黒字を目ざすべしとし、商工業保護の政策、植民地政策へとつな がった(⇒イギリスの東インド会社など)。 イギリスやフランスの絶対王政の後期、資本主義が産業革命によって確立さ れるまでの初期的段階において、王権が、官僚、常備軍、宮廷貴族など膨張し た財政を維持するため、国富増大を目ざして採用した。この貿易・租税政策で 国家収支は健全化の方向に向かったが,製品コスト引き下げのためにとられた 低穀価政策や穀物輸出の禁止は,農業の荒廃をもたらした。 ※ 『外国貿易によるイングランドの財宝』(トーマス・マン、1664 年) ※ フランスのルイ 14 世時代の財務長官コルベール(Colbert, Jean Baptiste、 1619-1683)など (2)農業国フランスと重農主義 富の源泉は生産的労働=農業によってもたらされ る所得にあるとする経済思想が重農主義と呼ばれる。 「経済表」の説くエッセンスは、この所得が消費と支 出に回り、その一部は生産的階級(農業者階級)の次 の生産の原資として環流し投入され、このプロセスが 等比級数的に蓄積して、かくして国民経済が拡大再生 産と循環過程により運行されることが説明されると いうものである。 3 経済学概論 フランスの医学者・ケネー( Francois Quesnay 、 1694-1774)は、地主階級(所得が帰属する階級)、農業 者階級(生産的階級)、商工階級(非生産的階級とされ る)の三階級を結ぶ財・貨幣の流れのジグザグ線を用い て、これら経済循環のメカニズムを示し、この思想を一 枚の表とその解説に表現した。 経済学の考察の視点を重商主義理論に立脚する流通 F・ケネー 面から生産面へと移し,再生産過程を初めて解明し、古 典学派経済学の形成に重大な影響を及ぼした。 ※ 『経済表』(フランソワ・ケネー、1758 年) ※ フランスルイ 16 世時代の財務長官テュルゴー(Turgot, Anne Robert Jacques、1727-1781)など 2、 産業革命と市場社会の全面化、経済学の成立 イギリスで 18 世紀末に始まった産業革命は、マニ ュファクチャーに取って代わる機械制大工業を実現 した。主要な生産手段の道具から機械への転換と、 それにともなうマニュファクチャーから機械制大工 業への経営形態の転換が産業革命の基軸的な内容を なす。 産業革命の進行期には、農村では穀物需要の増大から地主による耕地、共有 地の囲い込み(エンクロージャー)が行なわれ、土地を失った農民が工場労働 者になっていった。産業革命期にイギリスの農業人口は急速に減少した。また、 当時の工場労働者は、低賃金、長時間労働に苦しめられていた。 マニュファクチャーから機械制大工業への移行と、農業から工業への労働力 の移動によって、生産力が飛躍的に高まり、ここに商品生産=市場経済社会が 全面化するに至った。 古典派経済学の登場 イギリスの経済学者アダム・スミス(Adam Smith. 1723-1790)は、ケネーと 同様に資本蓄積という点から経済成長を見ていたが、産業革命による生産力の 飛躍的な増加を目の当たりにしたスミスは、農業だけを生産的であるという見 解をとらなかった。→第2回「古典派経済学の成立」 4
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