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Title
手こぎ漁舟の研究-3 : ペーロンおよびその類似船の船型
Author(s)
柴田, 惠司; 真野, 秀弘; 高山, 久明
Citation
長崎大学水産学部研究報告, v.45, pp.33-42; 1978
Issue Date
1978-08
URL
http://hdl.handle.net/10069/30673
Right
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長 崎 大学 水 産 学 部 研 究 報告
33
第45号33∼42(1978)
手 こ ぎ漁 舟 の研 究―III
レ
ペ ー ロンお よび そ の類 似 船 の船 型
柴田
Studies
Various
Keishi
恵 司 ・真 野
on Rowing
Hull-Types
季 弘 ・高 山
Boats
of Peylong
SHIBATA, Suehiro
久明
for Fisheries-III
and
MANO, and
Analogous
Hisaaki
Boats
TAKAYAMA
Peylong is a kind of boat racing ordinally introduced to Nagasaki from China in 1655.
Based on construction-diagrams,
the hull types of 16 peylong boats in Nagasaki City and
adjacent villages were studied and compared with those of 89 boats of analogous types, i. e.,
one dragon-boat in Hongkong, eight so called inkoro (meaning dog-killer) which are a kind
of fishing boats in the western area of Kyushu, two old whaling boats built in early 19th
century from north-western
Kyushu, five sabanis of Okinawa, and 57 commercial fishing
boats in the surrounding areas of Nagasaki City.
Some results obtained are;
i) While peylong boats have many common features in construction with commercial fishing
boats in Japan, they are much finer in hull type than the commercial fishing boats. The
hull types of inkoro craft which is used both for commercial purpose and for racing on
festive occasions, is essentially the same as that of peylong boat exept for the stern part.
Sabanis have an independent hull type from any other type of boats.
ii) The stem decoration of peylong boats are well handed down from the old whaling
boats in Kyushu, but the hull types of the both are quite different.
1929年5月10日
よ り9月8日
まで,長 崎 日 日新 聞 に
落 名 な どが描 か れ て お り,船 体 中央 付 近 に 「ど ら」,
連 載 さ れ た黒 岩 義 嗣 「ペ ー ロン大 系 」,お よ び1656年 天
太 鼓 を 取 りつ け これ に合 わ せ て 漕 ぐ。 ま た,乗 組 員 数
草 民 報 社 刊 行 の 小 松原 濤「天 草 の ペ ー ロ ン志 」に よれ ば,
は33名 と規 定 さ れ,そ の 内訳 は 太 鼓打 ち,「 ど ら」 た
ペ ー ロン競 技 は,長 崎市 お よび 西 彼 杵郡 に お いて 現 在
た き,舵 取 り各1名,あ
盛 ん に行 な われ て お り,そ の ほか 古 くは 島原 市,壱 岐
で あ る。
地方,天 草 地 方,八 代 湾 お よ び鹿児 島,兵 庫両 県 の一 部
か くみ2名,お
よび 漕 手28名
これ ま で ペ ー ロン につ い て,前 述 の風 俗 史 的 報 告 が
等 で も行 な われ て い た と い う。 この 外 に,本 邦 に は こ
な され て い る が,本 報 で は,主
れ とき わ めて 近 縁 の競 技 で あ る琉 球 ハ ー リー も あ る。
につ い て,そ れ と近 縁 の船種 と比較 しなが ら考 察 を行
ま た1975年 長 崎市 深 堀 町 ペ ー ロ ン協会 発 行 中山 正 美
編 「ペ ー ロ ン考 」 に よ る とペ ー ロ ンは,1655年
に中国
と して ペ ー ロ ンの 船 型
な った 。
本 研 究 に用 い た資 料 は,ペ ー ロン16隻 の外 これ と の
か ら長 崎 に 伝 来 したが,当 時 は 全 長10肌 前 後 の軽 快 な
比 較 の た め の後 述 の鯨 舟2隻,イ
ン コ ロ舟8隻,サ
鯨 舟 等 が ペ ー ロ ン競 漕 に使 用 され て い た と い う。 一 方
ニ5隻,ド
よび 長 崎県 島原 半 島
現 在 のペ ー ロ ンは,船 首 材 の 先 端 に 「ち ゃせ ん 」 型船
口之津 町 か ら同 県 西 彼 杵 半 島外 海 沿 岸 ま で の間 で 採 集
首 飾 りを 取 りつ け,外 板 に は 波 模様,太 陽,矢 印,部
され た 長 さが4.2肌 以 上 の 和船 造 り漁 舟*57隻 計6種
ラゴ ン ボー ト1隻,お
バ
*一 般 に ,伝 馬 とは船 首 材 が突 出 して い な い小 型 和 船 の 総 称 で あ り,例 え ば長 崎 地 方 で い う 「ひ き伝 馬 」 の よ うな
もの と され て い る。 そ こで,本 報 以 降 前報(6)におけ る伝 馬 を,和 船 造 り漁 舟 と改 め る。
34
柴田・真野・高山 ペーロンおよびその類似船
89隻の手こぎ舟の建造用図である。
現在のペーロンの船型は鯨舟およびインコロ舟を原型
なお,本報における船に関する用語は歩主として長
とし,次第に競漕に適した形に移行したという。
崎市近郊において用いられるものに適宜説明を加えて
本研究においては,基本的には和船造りであるペー
用いた。
ロンの船型について考察すると同時に,その原型と考
えられている早舟およびインコロ舟,ならびに類似の
船 型
船型である香港ドラゴンボート,琉球ハーリー用サバ
ニ,ならびに和船造り漁舟(以下漁舟とする)の各船
前述の小松原濤の「天草のAo L一一mン志」によれば,
型について比較検討を行なった。
C
Fig. 1. Three types of peylong boat.
A. Built by M. Takatsuji of Oniike, Amakusa in ab. 1900. L x B x D==9,66×1.47 x O.61 m.
B. Built by T. Kuwahara of Nagasaki City in 1910. L x B x D=15.22×1.55 x O.58 m.
C. Built by N. Nakamura of Tarami Town facing Omura Bay in 1977.
L×B×D=12.15×1.20×O.59 m.
各種のペーロン。
A) 1900年頃建造,天草郡高高,高辻正宏の板図より引用。
B) 1910年頃建造,長崎市柿泊,桑原常市の板図より引用。
C) 1977年建造,大村湾多良見町,中村登の建造用図より引用。
1.ペーロン
た船尾下端が,旧式のものとは逆に後方に突出してい
ペーロンの船型*1を図1に示す。 この図における
る。これは,近年AO・・一ロンの長さ*2が12.Imと規定
Aは,明治時代に天草地方で用いられていたものであ
され,これに対応して水線長をできるだけ長くし,船
り, 「航」が船首部において,上方に屈折しているな
体抵抗を小さくするために採用された改良であろう。
ど,長崎付近のものとは若干異っており,後に示して
またBでは凌波性を考慮して,大きなシャーを採用
いる図7の戦前長崎市茂木で用いられていたインコロ
しているが,Cででは舷端がほとんど直線的なものに
船とよく似ている。またBは1910年頃の長崎市柿泊
移行し,船首材の突出した長さがかなり短かくなって
のものであり,Cは現在使用中のものの一例である。
いる。なおBでは船首部の漕手は柄の長い擢を使用
図1のBおよびC図によって長崎市付近のペーロ
するため大きな労力を要する。
ンの新旧両型を比較すると,両者は大体相似の船型で
1977年長崎県ペーnン選手権大会出走直前の状態を
あるが,現代のものは船首材が比較的立っており,ま
図2に示す。この図におけるペーロンの「ちゃせん」
*1本報における船型図は,上方に側面図,下方に平面図を示し,船尾部分に長さlmに相当する長さを示す。な
お側面図においては,必要な部分の横断面をつけてある。
*2和船造り漁舟の長さ:外板上縁と船首材後面が接する部分から,船尾戸立(トランサム)の上縁内側までの間
の長さ。
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長崎大学水産学部研究報告 第45号(1978)
A−B一一一一一一!1b−::S
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」LE.i」{{!il)一
Fig. 2. Peylong 60ats ready for racing.
The old whaling boats of Kyushu had
n
o
ICKicM
nearly the same stem decoration as recent
Fig. 3. Various sculls.
peylog boat illustr,,pt.ed here. lts own
A. Peylong scull. Handle and blade are
painting decoration tell the spectators the
made separately and bound together
name of village to which the boat
by rope.
belongs.
B. Sabani scull, made from Japanese
競漕直前のペーロン
「ちゃせん」が,水引で船首へ結止され,船
首,船側には,それぞれ所属部落個有の模様
が描かれてあり,また船尾には,ろで操舵し
ている状態が見られる。
cypress.
C. Canoe scull of South Pacific Ocean,
made from lauan wood.
罹の実測図。
は,図1−Aに示すような固有の船首材の上に重ねて
定してある。
B) サバニ,ひのき単材。
C)南太平洋のカヌー,ラワン単材。
固定されている。
A)ペーロン,かし材の水かきを杉の柄に固
また,現在,長崎県各地には図2のような大きさの
ものの外に,長さ約8m(20人乗り)の小型ペーロン
平板部と柄の部分が分離できるようになっている。
も多いが,その船型は大型のものと差はない。
なお,ペーロンの舵は漁舟の「ともろ」を船尾中央
なお,図3にペーロン(A)および,これと同じ漕
の右舷側で使用する*。
法のサバニ(B),カヌー(C)の罹の実測結果を示す。
一方,ペーロンと同様な競漕で知られている香港の
これらは互によく似た形であるが,漁舟用の罹とは全
ドラゴンボート(27人乗り,太鼓打ち,舵取り,各1
く異なった形状である。
名等を含む)を図4に示す。この艇は船首尾にそれぞ
Aはペーロンの船体中央部左舷側の漕手のものであ
れ大きな龍頭,龍尾の飾りを持つが,漕手座の配置お
り,その構造は,他の一理が一枚板であるのと異なり,
よび側面の伊州は,ペーロンよりもさらに西洋式競漕
。 100crfi
Fig. 4. Dragon boat, built after a design by Peter Yue Associates Ltd. in 1977,
一
LxBxD=10.64×1.00 x O.76 m. Dragon’s head and tail at fore and after ends are not drawn
in this figure.
ドラゴンボート
1977年建造,Peter Yue Ass, Ltd., Hong Kongより引用,
船首尾における龍頭,龍尾は省略してある。
*上野(1)によれば,古事記に「熊野諸手船をもって……事代主神に使す」とあり,この船は天回船(速い船の意)
とも呼ばれ,諸手すなわち,大勢の人で漕ぐ我が国における早船の初めである。現在,島根県美保関町美保神社
の祭事に用いられる諸手船がこれである。この船は,縫合船の一種であるが,8本の罹(長さ1.06肌)と船尾の
操舵用の大野(長さ2. 58m)を用いている(2)。諸手船のこのような罹の編成はペーロンの場合とよく似ている。
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柴田・真野・高山.ペーロンおよびその類似船
用ボート近い。すなわち,船体中央より前後二部は,
上方に曲げられ,船首尾両端において短角材に外板と
ほぼ同一の船型であり,また,船体中央部の艇長の約
共に固定された構造になっており,和船造りのような
半分に当る部分は,ほとんど同一の断面型を示す。さ
長大な船首材および平板的な戸立を有していない。
蠣の方左
0.凶,岬町誌鱈 ユラノ
0 ユ巧ク
B 艦の方声声
團夏敦¥戒心4寿幅七ス
一秀与す・’分ユ増か昏孝、鑑紹
鴨+嘔年一一ゑ一滴榔ろ燭携八コ胴囲
ス豪弓ゆフ
圏鯛]一派教切娯長ブや尋砂山ペ
ニ寸物イ幅摘八ゴ羽脂一∠撃玄ぺ
ら よ ノ
無難蟻壁首ユ尊亀骨身の禦
クそのんた湯ク
園旧團舷望ずの多窒
な物モ萬委選款ぴ蜘一二
も凄璽φて璽各
ぞ3捻鹸叢塵への廻儀どみ﹂し
二男ハ讐各週
瑳ユ久の製ひし國
2鷺量ゑ選
難解鞠繕璽
らに,この部分の両舷から船首尾端に向って龍骨板は
画
ク
aV
Fig. 5. The old whaling boat in Kyushu.
Cited from lsanatoriekotoba (=lllustrated Story of Whaling) published in 1829.
鯨舟(勢子舟)
1829年以前のもの,勇魚取絵詞より引用。
2.鯨舟
平戸市松浦史料博物館所蔵の長崎県生月町益富家版
「勇魚取絵詞」 (1829)によれば,かって長崎県一体
ている「ちゃせん」型であり,当時の紀州熊野の鯨舟
の船首飾りとは明らかに異っている。
また,長崎県壱岐郡芦辺町,柳沢文三郎が1823年に
が沿岸捕鯨の好漁場であった時代に用いられた鯨舟に
設計した芦辺浦の鯨組,三品組の勢子舟,持双舟の建
は,勢子舟(長さ10.5肌,幅2.lm,8丁ろ,羽差し
造用図*から複写した勢子舟を図6に示す。この原図
1人,加子14人乗組),持双舟(長さ10.5m,幅2.2
には「ちゃせん」型飾りは記入されていないが,本図
m,8丁ろ,羽差し1人,加子12入乗組),および網
には上述の「勇魚取絵詞」から想像されるこの飾りを
船である双海舟(長さ12.1m,幅3.6m,8丁ろ,乗
点線で加えた。この舟は前述の「勇魚取絵詞」の勢子
組10人)があったとされている。そのうち最も軽快な
舟とほぼ同時代に建造されたものと推定され,両者は
勢子舟が初期の競漕用として用いられたと想像できる
その長さおよび幅がほとんど等しい。このことは,当
が,船体の装飾についての明確な図面は現存せず,上
時,益富,脹満両組が協業的な関係にあったことを裏
記の「勇魚取絵詞」と長崎県立図書館所蔵の長崎県上
付けるものであろう。また,土佐の鯨舟(4),および後
五島町二方家の「五島における鯨捕図説」(1831)に
述のインコロ舟は,この鯨舟とかなり似た船型である。
よって,わずかに当時の様子を知ることができる。図
なおこの勢子舟では図1−Aの天草のペーロンと同様
5は「勇魚取絵詞」から引用した1800年頃の勢子舟で
船首部分の「航,かわら」がわずかに上方に傾斜して
あるが,船首部飾りの形は現在のペーロンによく似て
いる。この「小直し」と呼ばれる船首部航の工作は有
おり,その型式は大規(3)が,九州型勢子舟の特徴とし
明海沿岸等の漁舟に多く見うけられるが,これは海岸
*恐らく現存する唯一の九州型鯨舟の設計図であろう。なお,大規(3)によれば,兵庫,淡路屋某が当時,三舟を全
国に納入していたという。
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長崎大学水産学部研究報告 第45号(1978)
一
lrXk)M
Lt一一:i
Fig. 6. The old whaling boat in north−western coast of Kyushu, built by Bunzaburo Yanagisawa of
Ashibeura, lki lsland, Nagasaki Prefecture in 1823.
Redrawn from the original design possessed by Mr. Bunshiro Yanagisawa. The dotted line
is estimated d.rawing from Fig. 5.
1823年(文政三年)における壱岐国芦辺浦の鯨舟(勢子舟)
同所の柳沢文四郎氏所蔵の原図を長崎地方舟大工の作図手法に従って一部訂正した。点線部は「ち
やせん」の推定図である。
Fig. 7. An inkoro craft built by T. Yoshihiro of Mogi, Nagasaki City in 1943.
L×B×D=9.17×1.81×O.66 m.
インコロ舟
1943年建造,長崎市茂木町,吉弘天万の建造用図より引用。
に船を引揚げ易いように設けられたものという。
を持ち,その船首材の傾斜が大きく,またその突出部
ろ.インコロ舟
もかなり長い。この舟は和船造り漁舟のうちでも最も
インコロ舟は,長崎市戸石,茂木等において発達し
軽快であるといわれているが,船尾型状が通常の漁舟
た船型といわれているが,調査を行なった範囲では,
と同様であることを除けば,ペーロンの船型にきわめ
南は鹿児島県阿久根市㈲,北は長崎県平戸市および同
て類似している。この舟は,現在,ます網の網持舟と
県五島列島t帯に分布しており,「犬殺し」とも呼ば
して用いられているが,二二(6)で触れたように大村湾
れている。この船型は現在でも大村湾の多良見町で見
喜々津付近では,この舟を用いてペー一Vン式漕法で最
ることができる。なお,これとよく似たものに対馬の
「なが舟」がある。図7は戦前まで長崎市茂木で建造
近まで競漕を行なっていた。
4. サバニ
されていたインコロ舟である。この図に示すように通
琉球列島の諸島では,手こぎ舟としては日本本土の
常の漁舟に比べて,この型の舟はかなり大きなシャー
和船造り漁舟に代って,丸木舟から発展したサバニの
Fig. 8. Sabani (ltomanhagi), local fishing craft in Okinawa.
LxBxD=8.10×1,38xO.47 m.
沖縄県で普通に見られるサバニ(糸満ハギ)
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柴田・真野・高山 ペーロンおよびその類似船
みが用いられている。またサバニはその構造上,糸満
各種船型の比較
ハギ,南洋ハギおよび中間ハギの3種に大別されるが,
そのうち代表的な糸満ハギを図8に例示する。この舟
以上述べてきたペーーロン,鯨舟(勢子舟)インコロ
は和船造りと異なり,厚板からくり抜いた龍骨板を有
舟,サバニおよび漁舟のそれぞれについて,船体各部
し,その両舷に外側に傾斜した外板を接合するいわゆ
の平均寸法ならびにドラゴンボートの主要寸法を表1
る三枚構造となっている。この外板の傾斜角は,船体
にまとめた。なお標本数が複数の場合,それぞれの無
中央で鉛直線に対し約260である。一方,和船造りの
次元化された各部寸法の平均から船の長さ10mの標準
漁舟において,これに相当する上板の傾斜角は0。∼6Q
化船型を求め,各寸法間の割合を簡単に比較できるよ
であり,サバニの場合は漁舟よりもその傾斜は大きい。
うにその各部寸法をあわせてこの表の下段に示した。
その外,漁舟との主な相違点は,B/しが漁舟の0.28
本表によると船の平均長さは,ペーロン,インコロ舟,
に対してサバニでは0.18であり,漁舟の約半分である
サバニおよび漁舟の順に大きく,標準化船における幅
ことで判るようにかなり細い船型である。シke・一も漁
および深さはペーロン,一サバニ,インコロ舟および漁
舟の平均0.02に比べて,サバニでは平均0.05とかなり
舟の順に小さい。 また上段最下列の「かじ木」*の開
大きい。
きでは,漁舟は0.80∼0.97の間にあり,また鯨舟
Table 1.
Mean dimensions of various boats and dimensions of standardized hull types of them
船種別平均寸法と標準化船寸法
Kind of boats
Means
Length (m)
Nagasaki Amakusa
ペーロン
長崎地方 天草地方
船種
Sample size
Peylong boat
隻数
14
2
Inkoro Fishing Sabani
Dragon Whaling
インコロ舟漁 舟 沖縄サバニ
鯨 舟
ボー ト
craft boat
8
57
5
boat boat
ドラゴン
1
1
平均寸法
長さ
10.22
7.26
5.58
6.62
1.33
1.53
1.51
1.46
1,11
1.00
2.10
O.42
O.76
O.84
幅
9.82
Width (m)
10.64 10.04
Depth (m)
深さ
O.53
O.61
O.49
O.48
Lk (m)
二二さ
4.29
5.33
3.48
3.15
5.14
La (m)
とも特長さ
3.89
3.50
2.00
1.43
2.76
かじ木の開き
O.77
O.74
O.85
O.92
10.00
10.00
10.00
IO.OO
10.00
B
1.45
1.52
2.10
2.90
1.69
D
O.58
O.61
O.68
O.95
O.65
Lk
4.41
4.84
4.82
5.69
La
3.95
3.33
2.77
2.63
P (cosine)
O.67
O.84
Standardized hull−type
L
標準化船寸法
Remarks: Lk is the length of main keel, La is the length of stern keel and P is’ the inclination of
A−plate in cosine.
LkおよびLhはそれぞれ航およびとも航の長さであり,またβは二二の値で示した「かじ木」
の傾斜角である。
*「かじ木」とは,大和型船において龍骨板(かわら)に連続する外板をいい,根板とも呼ばれる。また「開き」
とは,舟の横断面において,基線と外板のなす角をcosine表示したもので,通常,船首に近い「赤間」および
「航」と「とも航」の継手から,この位置における航幅の半分だけ船首寄りの「とも開き場」における値を表示
する。表1に示した値は後者のものである。ただしドラゴンボートおよびサバニでは,船体中央断面の値である。
長崎大学水産学部研究報告 第45号(1978)
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(勢子舟)では0.84と漁舟の下限に近い。しかし,
舟→二心→漁舟となるが,サバニは以上のどの船型と
ペーロンは0.75∼0.80であり0.80を上回ることは
も異質である。次に5種の主要寸法相互間の関係を通
ない。一方,インコロ舟は0.76∼0.87,平均0.85と
して各船型間の相違について考察する。
三舟同様に漁舟とペーロンの中間にある。
船の長さと幅:図9は長さと幅の関係を示す。この
次に各船型別に主要寸法間の直線回帰性について検
討する。
ペーロン:この資料には,1977年度長崎県ぺe一一・Mン
図において縦軸は船の長さ,横軸は幅である。またそ
れぞれの船型毎に回帰直線*を与えているが,これら
はペーmンおよび漁舟は実線,インコロ舟およびサバ
選手権大会出場艇3隻を含む現用艇10隻および明治,
ニは鎖線で示してある。
大正時代のもののうち富岡の2隻を除く4隻,計14隻
図9において,ペーロンでは12m級と7∼8m級お
である。ペーロンではDに対する相関関係が他の主
よび富岡ペーmンの3群があるが,すべて幅は1.1∼
要寸法に比べて比較的低い。
1.55mの範囲にあり,またインコロ舟も1.3∼1.81m
インコロ:本資料は天草から長崎県一帯で採集され
範囲にある。両者とも漁舟に比べてB/Lは小さい。
たもの8隻である。インコロ舟には多くの変型がある
一方,サバニの回帰直線の傾斜は漁舟のそれとほぼ等
らしく,すべての主要寸法間の回帰式の有意水準は低
しいが,漁舟より小さい船幅を持っている。
い。
長さと深さ:ペーロンの漕走時の漕手の姿勢から見
サバニ:本資料は那覇市近郊で採集されたものであ
て乾舷はできるだけ小さい方がよいが,海水流入角の
り,サバニでは主要寸法比に一定の法則があるらしく,
関係から0.25m程度が限度と考えられている。このた
その相互間の相関係数(最小で。.92)および回帰式
めに,ペー一uンの深さは,0.45∼0.62mの範囲にあり,
はすべて高い水準で有意と認められる。
D/Lは可成り小さく,深さは長さと無関係に,この
漁舟:長崎県ロノ津町から西彼杵半島外海岸の間で
乾舷を得るべく決定される。図10は前項と同様の手法
採集された漁舟85隻のうち長さが4.2m以下のものを
で示された長さと深さの関係を示す。この図によれば,
除外した57隻によった。本船型は他の3つの船型に比
インコ白班の深さはペーロンと異り,回帰直線の傾斜
べて各主要寸法間の直線回帰性は全般的に高い。
は,サバニとともに漁舟の回帰直線と平行であるが,
判別関数による船型判別:以上主要寸法間の直線回
インコ白班およびサバニでは漁舟より深さが小さい。
帰性について検討したが,各船型の相違を端的に明ら
すなわち,B/しおよびD/しでは,両者とも漁舟
かにするため全89隻について計測した船体各部の寸法
が最も大きく,サバニは最も小さい。また,その中間
を無次元化した各18ケの資料によって各船型の判別関
に長崎,富岡の両ペーロンおよびインコロ舟が位置し
数による弁別を行なった。
ている。さらに鯨舟は漁舟と全く一致している。一方,
ペーロン,インコロ舟,サバニおよび漁舟の4船型,
ドラゴンボートは,他の船型から全く独立したもので
6種の組合せにおいて,それぞれ2船型間の判別を誤
あると判断される。
まる確率と判別方程式とを求め,次いで本報に用いた
航ととも航:図11は通常船舶の龍骨に相当する「航」
すべての船の無次元化された寸法を代入し,それぞれ
とこの後端に連続する「とも航」の長さの関係を示す。
の判別関数を求めて船型の比較検討を行なった。この
漁舟と異なった構造に属するドラゴンボートおよびサ
結果,サバニは本報における他の何れの船型とも全く
バニではこれに相当する区分がなされていないから,
異質なものと判断される。一方,判断を誤る確率(以
これに近似する部分の長さを図示した。この図によれ
下誤判別率)7.5%と最も大きいものにインコロ舟と
ばペーロンの回帰直線における右辺第1項がほとんど
漁舟の組合せがある。すなわちこれは,この両者が船
1に近く,両者がほぼ等しい長さである。また漁舟で
型的に最も近縁のものであることを示している。また,
は, 「とも航」と「航」の長さの比は。.5より小さく,
ペーロンとインコロ舟の組合せでは誤判別率は0.013
インコロ舟においては,ペーロンと漁舟の中間値を示
%であったが,ドラゴンボート,天草のペーロンは長
し,ほぼ0.5である。この点でも鯨舟とインコロ舟は,
崎のペーnンに近く,これに反し,鯨舟および漁舟は
ペーロンと漁舟の中間にある。
インコロ舟に近い。一方,ペーロンと漁舟との組合せ
ペーUン競技では,回送浮標を回る往復水路におい
では誤判別率はO.002%であり,明らかに区別できる。
て実施されるから,直進速度と同様高い回頭速度が要
以上判別関数による解析の結果をAO・一一ロンを基準に模
求される。このため図1および図11に示す如く「とも
式的に考えると,ペーロン→天草ペーロン→インコロ
航」を長くし,旋回中心をできるだけ前方へ移行させ
*5%の危険率で有意と認められる場合のみ回帰方程式を記入した。
40
柴田.・真野g高山 ペーロンおよびその類似船
る工夫がなされている。
ならべると,長崎ペー一nン,天草ペーロン,インコロ
以上総括すると,サバニは構造的にもまた船型的に
舟,鯨舟および漁舟の順になる。
も,ペーロンおよび漁舟などとは全く異なっているも
一方,鯨舟は明治時代の漁舟にきわめて近似してい
のと考えられる。その他の船型をぺ7ロンに似た1頂に
る。
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幅 B(C凹)
Fig. 9. Length−width relationship of various boats.
Each line represents the regregsion line for the boats of a type as shown by a symbol in
the bracket on the upper end. P: modern peylong, *: peylong of Nagasaki before 1926, A:
peylong of Amakusa in 1910, D: inkoro craft, S: sabani of Okinawa, W: old whaling boat, 十:
commercial Japanese fishing boat, H: dragon boat of Hongkong.
船の長さと幅の関係。
図法の.直線は各船種ごとの回帰直線であり,対応する船の種類は,図中と同符号をかっこ付で示す。
P:現在のペーロン,*:昔の長崎ペーロン,A:昔の天草ペー一uン, D:インコロ舟, S:沖縄のサバ
ニ,+:和船造り漁舟,W:鯨舟,H:ドラゴンボート。
41
長崎大学水産学部研究報告 第45号(1978)
ペーロンの船首飾りは,九州型鯨舟の特徴をよく伝
の諸氏に心から御礼を申し上げると共に貴重な御助言
承している。
を賜った水産庁漁船研究室,石井謙治技官に感謝の意
を表する。また古文書の閲覧に際し多くの御配慮を頂
本調査において鯨舟の設計図に関し柳沢文四郎氏,
いた平戸市松浦資料博物館,および長崎県立図書館の
また現用ペーロンについて中村登丁丁および漁舟につ
関係各位にあわせて深謝する。
いて各地の舟大工諸氏に大変お世話になった。これら
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深さ D(CM)
Fig. 10. Length−depth relationship of various boats.
Each line represents the regression lincs for the boats of a type as shown by a symbol in
the bracket on the upper end. P: modern peylong, *: peylong of Nagasaki before 1926, A:
peylong of Amakusa in 1910, D: inkoro craft, S: sabani of Okinawa, 十: commercial Japanese
fishing boat, W: old whaling boat, H: dragon boat of Hongkong.
船の長さと深さの関係。
話中の直線は各船種ごとの回帰直線であり,対応する船の種類は,畠中と同符号をかっこ付で示す。
P:現在のペーnン,紀昔の長崎ペー一uン,A:昔の天草ペーnン, D:インコロ舟, S:沖縄のサバ
ニ,+:和船造り漁舟,W:鯨舟,H:ドラゴンボート。
42
柴田・真野・高山 ペーロンおよびその.類似船
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Fig. 11. Lengths of main keel−stern keel relationship.
Straight lines are the regression lines for peylongs and for commercial fishing boats,
respectively.
LK is the length of main keel, and LA is the length of stern keel. P: modern peylong, *:
peylong of Nagasaki before 1926, A: peylong of Amakusa in 1910, D: inkoro craft, S: sabani
of Okinawa, 十: commercial Japanese fishing boat, W: old whaling boat, H: dragon boat of
Hongkong.
「航」と「とも航」の長さの関係。
言下の直線は各船種ごとの回帰直線であり,対応する船の種類は,図中と同符号をかっこ付で示す。
P:現在のペーロン,*:昔の長崎ペーロン,A:昔の天草ペーロン, D:インコロ舟, S:沖縄のサバ
;,+:和船造り漁舟,W:鯨舟,H:ドラゴンボート。
引 用文 献
380.恒和出版,東京
4) 橋本徳寿(1960).日本木船図集,109.海文堂,
1)上野喜一郎(1952).船の歴史,1,57,195.天
神戸
然社,東京
5)農商務省水産局編(1918).日本遠洋漁業調査報
2) 櫻田勝徳(1966).改訂「船名集」(6>,海事史研
告.第6冊,乙,69.
究,7,93.
6)柴田恵司・真野季弘・高山久明(1977).手こぎ
3)大規清準(1808).鯨史稿..(1976,復刻)..86,..374,
漁舟の研究一1[,・本誌s−45,51.