西土井英昭 - 鳥取県

2016
S p r i n g No.16
とっとりの医療【クリニコス】
2016 春号
BodoniR
スペシャルトーク
鳥取赤十字病院 院長
西土井 英昭 氏
この医師にせまる
鳥取大学医学部附属病院
総合周産期母子医療センター
ワークライフバランス支援センター
センター長
神﨑 晋
氏
女性医師の視点
鳥取大学医学部附属病院 小児科
金子 祥子 氏
鳥取の病院から
医療法人社団
尾﨑病院
鳥取の研修医たち
山陰労災病院
白兎神社
神話「因幡の白うさぎ」の舞台
であり、古事記や日本書記でも
紹介されている神社。神話にち
なみ、皮膚病ややけどなどに効
く神社として信仰されています。
とっとりの医療
【クリニコス】
2016 春号
小さな
「ありがとう」
のために、大きな夢をのせて…
とっとりの医療
鳥取県が舞台と言われている神話
「因幡の白兎」
で、
傷ついた
兎を救った大国主命は、医療の神様とされています。
『K LINIKOS(クリニコス)―とっとりの医 療』は、
鳥取県で展開されている医 療の魅 力を、現 役医 師の皆さんの生の声で伝える広報誌です。
県内の医療機関ではどのような医 師が活 躍しているのか、
どのような研修、チャレンジができるのか、
素晴らしい先生方の取り組みや想いを、特に若い医 師や医学生に発信したいと考えて制作しました。
ギリシャ語の「klinikos」は英 語/ clinicの語 源ともなった言葉で、
患者に対する医療行為を意 味し、米 語辞 書の代 名詞 的存在であるウェブスター辞典では、
「臨床講義」や「 臨床講 義室 」をさす言 葉として紹 介されています。
この冊子に紹介されている先 生方や医 療機 関の取り組みに
休刊のお知らせ
興味を持たれた方は、ぜひ現場を見 学してみてください。
2010冬号の創刊以来、皆様に御支援を頂
願わくば、
この冊子が鳥 取県で研 修、勤 務いただくきっかけになれば幸いです。
もちまして休刊することとなりました。
戴して参りました
「KLINIKOS」
ですが、今号を
今後も鳥取県の医師確保に努めて参ります
鳥取県福祉保健部健康医療局医療政策課
ので引き続き御理解と御協力をお願いします。
米子水鳥公園
山陰屈指の水鳥の生息地である
中海東端に位置するバードサンク
チュアリ。広さ約28ha、
国内で確
認された野鳥のうちおよそ42%の
種類が記録されています。
Contents
02
Special Talk
Access
鳥取県へのアクセス
スペシャルトーク
鳥取赤十字病院 院長
西土井 英昭
東京(羽田)空港
米子空港
氏
約1時間15分(鳥取空港)
約1時間25分(米子空港)
鳥取空港
地方であっても全国レベルの医療を提供できる体制づくり。それが私の大きな課題です。
06
Doctor of Topic
鳥取
この医師にせまる
鳥取大学医学部附属病院
総合周産期母子医療センター ワークライフバランス支援センター
センター長
神﨑 晋
氏
地域の周産期医療を支える手厚い体制づくり
C lose Up Women's
女性医師の視点
岡山
大阪
博多
鳥取大学医学部附属病院 小児科
金子 祥子
氏
約1時間50分(JR特急直通)
約2時間30分(JR特急直通)
約3時間45分
(岡山駅でJR新幹線からJR特急へ乗換)
▲ ▲ ▲
09
出産・育児のため、2度の離職と復帰を経験
12
Doctor’s File
鳥取の病院から
医療法人社団
尾﨑病院
高齢者の人生をサポートするための取り組み
15
Our Story
鳥取の研修医たち
山陰労災病院
高校生の時に児童精神科医を目指す
Staff Credit
発行 ─ 鳥取県福祉保健部健康医療局医療政策課
(http://www.pref.tottori.lg.jp)
編集制作 ─【民間医局】株式会社メディカル・プリンシプル社
(http: //www.medical-principle.co.jp)
ディレクター ─ 山之口 正和
ライター ─ 藤本 勉
カメラマン ─ 河野 義彦
デザイナー ─ 田尻 博美
スペシャルトーク
Talk
Special
Hideaki Nishidoi
02
鳥 取 県 東 部の中 核 病 院であ り 、
た﹂。内 視 鏡 、
レントゲン撮 影 、超 音
番の 魅 力 を 感じ 、迷 わず 選 び まし
も 治 療 もする 場 所でした。そこに一
医学部附属病院の第一外科は、診断
科は消化器外科だった。﹁鳥取大学
れません﹂。医師になり、選んだ専門
をすることだと肌で感じたそうだ。
とは、
手堅い手術、
間違いのない手術
者を治すこと。
西土井氏は、
良い手術
した﹂。医師として大事なことは、患
の場所だったのだ。
の病院でも導入しました﹂
。
最初はコ
されたのが1990年。翌年にはこ
﹁日本で腹腔鏡手術が学会で発表
Hideaki
Nishidoi
地方であっても全国レベルの
医療を提供できる体制づくり。
それが私の大きな課題です。
2015年に創立100周年を迎
波 診 断 な ど も 自 分で 行い、メスも
手堅い手術こそが
良い手術
えた鳥取赤十字病院。
節目の年に院
握った。医局全体がそのような姿勢
のメッセージなどを伺った。
当時、
西土井氏が最も影響を受け
ツがわからなかったが、
浜松医科大学
地域の医療環境を
より良いものに
療、100周年への思い、若い医師へ
長に就任した西土井氏に、鳥取の医
西土井 氏が医 師を目 指したのは
教授︶
だった。﹁若い外科医は、
華麗な
で体験し、〝霧が晴れたように〟理解
た医師は、医局の助教授︵現在の准
手術、
格好いい手術ができるのが良い
できた。
2014年にはダヴィンチS
らだ。子どもの頃から 、道を究める
職業に魅力を感じていた。
それは木
医者だと思い込んでしまうところが
の環境を整えることに注力している。
︵手術支援ロボット︶
を導入。
常に最新
﹁専門性﹂
の高さに魅 力を感じたか
工職 人でも 弁 護 士でも 良かったそ
血を少なく抑えることなどを誇示
﹁例えば、鳥取東部の患者さんが前
あります。
短時間で終えることや、
出
してしまうのです。
しかし、
私が師事
立腺の手術のために鳥取西部にある
うだが、次第に医師に気持ちが傾い
験が3度もあり、
それで病院に興味
した先生は、手堅い手術をする方で
03
ていった 。﹁ 子 ど もの 頃に骨 折の 経
を 持ったという こ とはあ るかもし
西土井 英昭氏
鳥取赤十字病院 院長
ダヴィンチSはこ
新棟の手術室。
こで使用される。
Hideaki Nishidoi
鳥取大学医学部附属病院に入院し
なければならないという状況は、患
者さんやその家 族に大 きな 負 担が
﹁人道・博愛﹂赤十字の
理念を大切に
入りクッキーを配り、
感謝を伝えた。
境をつくるのは、
この病院の責任で
理念です。
当院の職員には、
この理念
の姿だ。﹁人道・博愛が赤十字の基本
西土井氏の求める鳥取赤十字病院
は、
地域全体の医療の向上だ。﹁地方
質の向 上に取 り 組む 根 底にあるの
員の意識や心構えなど、
病院全体の
最新機器の導入、設備の充実、職
医療の質を上げる
ための人材育成
あると考えています﹂
。
を持っていて欲しいと思っています。
病気のときに頼りになるというのが
地 域 医 療を充 実させるための取
であっても、
全国レベルの医療を提供
地域の方にとって、
重い病気や急な
り 組みとして、鳥 取 県 立 中 央 病 院
具体的には、
困った人がいたときに手
できること。地域の患者さんが安心
病院と同 等の治療が受けられる環
との役割分担を明確化させる取り
を差し伸べる、災害があれば率先し
制づく りが重 要です﹂。この考えに
して地元で治療できること。
この体
べて個室になり、
セキュリティの高い
産科、小児科 、緩和ケアの病棟はす
者本位の診療体制を整えた。また、
2015年に100周年を迎えた。
1 9 1 5 年に 開 院 し た 同 院 は
いというのが西土井氏の理想である。
りを持って働ける場所であって欲し
す。
この研修を終えて帰ってきた研
字 病 院は救 急 医 療が充 実していま
十字病院で研修を行う。﹁高知赤十
では、
初期研修時に2カ月間高知赤
た研修制度がある。
例えば救急医療
所。
この大きなネットワークを活かし
高い出産の受け入れが難しくなり、
の産婦人科医が高齢化し、
リスクの
の充実には地域の事情もある。
地域
りスムーズになります﹂。また、産科
設置することで、
緊急時の対応もよ
渡せる位置にナースステーションを
シーに配慮したり、
フロア全体を見
の 動 線 を 分 け る こ とで 、プライバ
した。
新棟では、
スタッフと患者さん
んにご迷 惑をかける 部 分もあ り ま
感じています﹂
。
感謝祭では、
職員たち
を通じて、
すべての職員が結束したと
いました。
この感謝祭の計画や運営
赤十字病院100周年感謝祭を行
行い、
次に地域の方を招待して、
鳥取
感じている。﹁100周年記念式典を
記念事業が職員の結束に役立ったと
年という長い時間への感慨と同時に、
院長に就任した西土井氏。
100周
大きな努力を感じます﹂
。
節目の年に
ということだけを見ても先人たちの
例が多くあるため、
技術と知識が蓄
専門科での研修が行われている。症
各地の赤十字病院で得意としている
る。
後期の専門医としての研修でも、
てていくのは西土井氏の課題でもあ
る。
有効な研修を行い、
人材の芽を育
1ヵ月間の地域研修を義務付けてい
が進んでいる高山赤十字病院でも、
認定され、
地域の医療機関との連携
課題だ。また、地域医療支援病院に
急医療の充実は鳥取県東部全体の
修医は顔つきが変わっています﹂
。
救
積されると同時に、
研修先の病院の
が手作りの催し物を行い、多くの市
民で賑わった。
さらに、
病院に関わる
人手不足の解消にもなるのだ。
同院で受け入れるケースが増えてい
る。
すべての方に西土井氏のメッセージ
西土井氏のメッセージ入りクッキー。
10 0周年記念式典
備など外部のスタッフにも配られた
かかります。東 部 地 域の方も 、大 学
組みも行っている。2016年から
同院の看護師たちは、
とくに赤十字
沿って、人材育成にも取り組んでい
て救助に向かうといったことです﹂。
の職員である意識が強いそうだ。
すべ
る。
日本赤十字の病院は全国で カ
利用されている新棟には、消化器病
科センター 、リウマチセンターを 設
ての職員が赤十字の理念を胸に、誇
センター、
内視鏡センター、
頭頸部外
置。専門性の高い医師を採用し、患
病 棟 となった 。﹁これまでの病 棟は
ありますから、
100年間続いている
﹁病院経営は良いときも悪いときも
92
昭和 年代、 年代に建てられたも
40
ので、療養環境という面では患者さ
30
病院の職員だけではなく、清掃や警
04
﹁温故知新﹂。
過去も知りぶれない目を
新 ﹂。これはそのま ま 若い医 師への
西 土 井 氏の座 右の銘は﹁ 温 故 知
メッセージでもある。﹁常に新しいこ
とを勉強し、自分のものにしていく
ことは大切ですが、古いことも知っ
ておくべきだと 思います。新しい治
療 法 、新しい技 術が出てきても 、そ
れが正しいかどうかは、自分で検証
していく必要があります。
いま正し
いとされていることも数年後には否
定されているかもしれません。
ぶれ
ない目を養うことです﹂
。
新しいもの
が正しいのかどうか、判断するとき
の基準のひとつが、過去の事例や技
子。穏やかな表情
術だということだ。
で患者に接する。
﹁ 良い医 者の 条 件 は 人 間 性 とコ
西土井 英昭 にしどい ひであき
ミュニケーション能力です。
これがな
鳥取赤十字病院 院長
ければ、
診断も治療も進みません﹂
。
日々の勉 強 と 同 時に人 間 性 も 磨い
ていくことが、医師として大切なこ
05
外来での診察の様
鳥取大学医学部卒
鳥取大学医学部附属病院
済生会江津病院
鳥取大学医学部附属病院
国立米子病院
鳥取大学医学部附属病院
鳥取赤十字病院
同副院長
同院長
1976年
1976年
1978年
1978年
1982年
1983年
1990年
2005年
2015年
とだと考えている。
Pro f ile
Doctor of Topic
鳥取大学医学部附属病院
総合周産期母子医療センター ワークライフバランス支援センター
センター長
神﨑 晋 氏
Susumu
Kanzaki
2006年に設置され、鳥取県内や島根県東部からの患者を受け入れている
鳥取大学医学部附属病院総合周産期母子医療センター。
MFICU(母胎・胎児集中治療室)6床、NICU(新生児集中治療室)
12床を備え、
充実したスタッフと地域の病院や診療所との連携で、新しい命の誕生を支えている。
06
父親も小児科医だったという神﨑氏。
医師を志したのは、高校2年生ぐらいのときだった。
地 域の周 産 期 医 療を支える
手 厚い体 制づくり
ます 。これは 、 代 女 性の〝 痩せ す
附 属 病 院の 総 合 周 産 期 母 子 医 療
入れ、治 療を 行 う 鳥 取 大 学 医 学 部
高 度な 医 療が必 要な 患 者 を 受け
しいこ と です ﹂。例 え ば 妊 娠
週
考 え ら れていま す 。先 進 国では 珍
渡 ら ないこ とが原 因ではないかと
ぎ 〟に よって 、胎 児 に 栄 養 が 行 き
え 、機 器の問 題でできない手 術は、
また 、医 療 機 器 も 最 新のものを 備
から こ その 手 厚い体 制 といえ る 。
置 さ れている 。十 分 な 人 材 がいる
にNICU専 任の当 直 医 も 1 名 配
2 名の 小 児 系 当 直 医 がいて、さ ら
センター 。M F I C U 、N I C U
での 出 産 な ど 、かつての 医 療 水 準
高 度な 心 臓 手 術 だけ とのこ と だ 。
地 域の 産 婦 人 科や小 児 科から 、
な ど を 備 え 、産 科 や 新 生 児 科 、脳
め 、統 計 的に 数 が 増 えている とい
同センターの役 割などを 伺った。
り 、小 児 科の 教 授であ る 神 﨑 氏に
いる 。同センターのセンター 長であ
て新 生 児のケアを 総 合 的に行って
て大 きな ものとなっている 。
同 センター の 存 在 は 、地 域 に とっ
る 母 体や 新 生 児の 異 常 も 多 く 、
だ 。ま た 、出 産 の 高 齢 化 に 起 因 す
方 を 改 めて 考 え させら れ る 現 象
う 側 面 も あ るが、現 代 社 会のあ り
注意していることは「 親の話を
では 救 えなかった 新 生 児 もいるた
同センターの 設 置 は 、厚 生 労 働
県 内 お よ び 島 根 県 東 部から も
センタ ー に 連 絡 が 入 る こ と も 多
しっかり聞く」
こと。
神 経 小 児 科 、小 児 外 科などの専 門
省の 周 産 期 医 療 対 策 事 業に 基 づ
患 者 を 受 け 入 れ てい る 同 セン
い。﹁ 狭い範 囲にはな り ま すが 、近
診療中の様子。
「子どもは正直、
家 に よ り 、妊 娠 中 か ら 産 後 、そし
万 人 あ た り 1 カ 所 の セン タ ー を
いた ものだが 、当 初 は 人 口 1 0 0
村 の ご 理 解 と ご 協 力 が あって 設
隣の 産 婦 人 科で 生 ま れた 子 ど も
ター 。﹁ 小 さ く 産 まれる とわかって
置するこ とができ ました ﹂。
の 状 態 が 悪い場 合 、当 センター の
設 置 す る と い う 指 針 が あ った た
医 師 2 名が保 育 器を 持って駆けつ
い る 患 者 さ ん が 出 産 前 に 当 セン
﹁ 現 在 最 も 問 題になっているの
け ま す ﹂。派 遣 さ れ た 医 師 がその
め 、人 口の 少 ない鳥 取 県への 設 置
は 、低 出 生 体 重 児 のケアです 。出
場 で 診 療 を 行い、状 況に よって 同
ターに 入 院 す るのが 理 想 的 ﹂では
生 率 がかつてよ り も 低 く なってい
センター に 入 院 さ せる か 、その ま
あ る が 、新 生 児 の 状 態 が 悪 く 、同
るにもかかわ ら ず 、低 出 生 体 重 児
を 中 心に 、鳥 取 県 、県 内の 各 市 町
の 数 は 増 えていま す 。出 産の 高 齢
ま 出 産 し た 医 療 機 関で治 療 を 続
は 困 難 を 極 め た 。﹁ 鳥 取 県 医 師 会
化に よ る もの と 考 え がちですが 、
しんどいときはしんどい顔をする」。
26
け るか判 断 す る 。同 病 院には 常に
07
20
代 の 母 親 の 出 産 で も 増 え てい
20
Doctor of Topic
﹁一隅を 照 らす ﹂が神 﨑 氏の座 右
﹁一隅を照らす﹂人々を
応援する気持ち
﹁ 2 0 1 6 年からは 学 童 保 育 も 始
人 材 育 成、人 材 確 保、
地 方の医 療 現 場が抱える問 題 解 決のために
職 場ですから 、この 取 り 組 みは 医
る という 意 味のこの 言 葉 は 、地 方
手 厚い人 材 配 置 を 支 え るのは 、
る 事 業 所 はあ るのですが、夜 間 ま
で 医 師 をしている 私に 合っている
の銘だ。
﹁ そ れ ぞ れの 立 場 で 頑 張
広 がっていき ま し た ﹂。現 在 では 、
で と な る と 、ほ と ん ど あ り ま せ
とい う 感 じ がし ま す ﹂。自 身 に 向
めていま す 。学 童 保 育 を 行ってい
男性も含めたワークライフバランス
ん 。良い待 遇に よ り 良い医 師 やス
け ら れた 言 葉では あ る が 、同 時に
師 だ け では な く 、すべての 職 員 に
プ も 国 内 留 学 で 技 術 を 高 め てい
体 制 だ 。﹁センター 内のどのグルー
を 支 援 す る のが 、支 援 センター の
タッフが 集 ま り 、人 が 集 ま る こ と
医 師や看 護 師 、助 産 師などの教 育
ま す 。東 京などで最 先 端の 技 術 を
によってまた 良い待 遇ができ る と
という 気 持ち も 表している 。
目 的 に なっている 。育 児 だ け では
いう 循 環になる こ とが理 想で
総 合 周 産 期 母 子 医 療 センター
な く 、介 護やメンタルヘルスの 問 題
す ﹂。実 際 に 結 婚 や 育 児 を 理 由 に
での 地 域 医 療 と の 関 係 づ く り 、
学 ぶ 道 が 開 かれている のです 。ま
も 支 援している 。病 院の 敷 地 内に
辞 め る 看 護 師 は 大 き く 減ってい
﹁一隅 を 照 ら す ﹂人々を 応 援 し たい
は 症 例 が 少 ないこ とから 、山 口日
は 、保 育 所を 設 置して、深 夜 保 育 、
る 。ま た 、夕 食 持 ち 帰 り サー ビス
た 、助 産 師 の 場 合 は 、当 院 だ け で
本 赤 十 字 病 院で研 修を 行い、多 く
病 児 保 育 も 行っている 。病 児 保 育
ター でのス タッフ一人 ひ と り の 立
では 、同 院の 小 児 科 医 がす ぐに 駆
など も あ り 、家 庭 と 仕 事の両 立を
場に 立った 支 援 体 制 は 、正に﹁一隅
の症 例を 経 験できる よ うにしてい
けつ け ら れ る 体 制 が と ら れ て お
支 え る さ ま ざ ま な サ ポー ト が 行
ワ ー ク ラ イ フ バ ラ ンス 支 援 セ ン
り 、夜 勤 があ るスタッフ も 安 心 し
ます﹂。
同 センター の トップ と し て 、忙
を 照 らす﹂人々のためのものだ。
すことができる」。そこに大
場 合が多いが、子どもは治
医療センターが設置された。
く、延命や維持が目的となる
2006年に総合周産期母子
われている 。
児のケアを
「総合的」
に行うこ
「大人の病気は治すのが難し
とができる医療施設を目指し
て 働 け る 環 境 が 整 え ら れている 。
医学博士
日本小児科学会 専門医・指導医
日本内分泌学会 内分泌代謝科
(小児科)
専門医・指導医
しい日々を 送 る 神 﨑 氏には 、も う
神﨑 晋 かんざき すすむ
ひ とつの 重 責 があ る 。ワー ク ラ イ
フバランス支 援センターのセンター
長 という 役 割 だ 。都 市 部 では 、医
師の 数 は 十 分 だが、地 方では 大 学
病 院であっても 人 材 難 という 状 況
がある 。そこで、出 産や育 児によっ
て医 療 機 関を 辞めてし まった女 性
医 師 の 現 場 復 帰 を 大 き な テ ーマ
に、
ワークライフバランスの制 度が
始 まった 。﹁ 女 性は 医 師に 限 ら ず 、
キャリアアップの 時 期 と 出 産や育
児 の 時 期 が 重 な る 傾 向 があ り ま
岡山大学医学部医学科卒業
岡山大学大学院医学研究科修了
国立岩国病院医長
(小児科)
岡山大学医学部附属病院講師
(小児科)
鳥取大学医学部教授
(小児科学
(周産期・小児医学)
)
1979年
1985年
1985年
1993年
1999年
す 。鳥 取 県から も 女 性 医 師の職 場
復 帰に 対 する 要 請があ り 、その 支
援 が 大 き な テーマにな り ま し た 。
病 院は 看 護 師 も 含め 、女 性が多い
鳥取大学医学部附属病院
総合周産期母子医療センター
ワークライフバランス支援センター
センター長
鳥取大学
医学部附属病院
「健康の喜びの共有」
を理念
に掲げる鳥取県西部の中核
病院。最重症の母体と新生
きなやり甲斐を感じている。
08
医師
の
視点
出産・育児のため、
2度の離職と復帰を経験。
金 子 祥 子 氏は、鳥 取 大 学 医 学 部 附 属 病 院の
総 合 周 産 期 母 子 医 療センターに勤 務 する小 児 科 医 。
出 産 や 育 児のた め 4 年 近 く 医 療の現 場 を
離 れ ていた 経 験 を 持 ち 、
同 院の職 場 復 帰 支 援 システムを 利 用し て 、
2 0 1 3 年 に 職 場 に 復 帰し 、
仕 事 と 家 庭 を 両 立 さ せるた めに、
忙しい日々を 送っている。
属 病 院 の 小 児 科 に 入 局 し た 。 り、2007年、鳥取大学医学部附
家族の力を借りて
乗り切った最初の復帰
金子氏が医師を目指したのは、
父
﹁実家の医院は夫が継いでくれる
親が整 形 外 科の開 業 医だった影 響
が大きい。
いずれ父親の医院を継ぐ
う時点で、
かなりの回り道だった上
こ とにな り ました 。そこで、
かねて
に、ブランクも あ る という こ とで、
ことを念頭に金沢医科大学の整形
元々は整形外科としてしっかり働
当初は大きな不安があったという。
ました﹂。整 形 外 科から 小 児 科とい
き、子育てもしたいと考えていた金
このと きは 職 場 復 帰 支 援システム
から 興 味のあった 小 児 科に入 局し
子氏だが、
医療現場に戻ることを考
外科に入局したが、
まもなく出産の
えたと きに、﹁ 誰かのサポー トが必
は ま だ 存 在 し ていな かった た め 、
ために職場を離れた。
要﹂
だと考え、実家のある鳥取に戻
鳥取大学医学部附属病院 小児科
金子 祥子
氏
09
女
性
Women's vol.09
C lose Up
Shoko
Kaneko
ることができました﹂
。
ことだけが医師の役割ではないと考
他の先生が重症の患者さんに集中で
えている。﹁ 他の先生は一年でどんど
き ます﹂。年 齢 的には後 輩にあたる
鳥 取 大 学 医 学 部 附 属 病 院には 、
センター﹂
が設置され、
その取り組み
医師にアドバイスを仰ぐことも多い
んキャリアアップしていきますが、
私
や成 果はテレビ番 組などでも 取 り
という金子氏。医師として大切なこ
育児・介護・メンタルヘルスケア・健康
上げられている。
とは、﹁患者さんに不都合なことが絶
私が軽症の患者さんを診ることで、
職 場 復 帰 支 援システムは鳥 取 県
対ないこと﹂
だと考えている。
自分の
のスピードはゆっくりです。
それでも
と同院の連携事業で、育児・介護等
判断で症状が悪化することがないよ
援する﹁ワークライフバランス支 援
で休職中の医師が、
ブランクを心配
うに、自分が担当しきれないと思っ
管理・職場復帰などの面で職員を支
技・知識等について、研修プログラム
たら、
なりふり構わず人に聞くとい
する こ とな く 復 帰でき る よ う 、手
を用意している。
う姿勢を貫いているのだ。症状が良
くなることが第一であって、
自分のプ
ます。母親にはだいぶ迷惑をかけま
親なしでは乗り切れなかったと思い
﹁帰宅が深夜になることも多く、母
子どもの世話は母親に任せていた。
ない、と自分を抑えているようなと
ますが、
子どもの母親は私一人しかい
かったと思います。
医者はたくさんい
どもが4 人いる ということ も 大 き
はためらいがあ り ました。また、子
いような重症な患者は診ることがで
ため、夜も付き添わなければならな
5時まで勤務している金子氏。
その
現在、原則として平日の9時から
期と結婚や出産を考える時期が重
﹁女性医師は、
キャリアアップの時
ライドは捨てるという姿勢だ。
した﹂。
それでも努力を重ね、当直を
ころもありました﹂
。
現場への復帰ま
きない。
しかし、
重い症例を担当する
患者に不都合なことが
絶対ないように
任 される よ うな 立 場になったもの
でには、さまざまな葛 藤があったの
約4年間にわたって、医療現場を
職場復帰支援システムに
後押しされた2度目の復帰
ません。
ですから、
本当に仕事と家庭
のサポートを念頭に置くことはでき
らしているため、以前のように母親
で、
大きな後押しになりました。
現在
は実家を離れ、
夫と子ども4人で暮
を 歓 迎してく れているかど うかな
「健康の喜びの共有」
を理念に掲げる鳥取県西部の中核
病院。育児・介護・メンタルヘルスケア・健康管理・職場復
帰など、職員を支 援し、快 適な職 場 環 境を整 備するため
女性医師が働き続けるには
リサーチが大切
の、出 産や子 育てのため、2 0 0 9
職場復帰支援システムを利用して復
だ。
最終的に復帰を決めたのは、
同じ
離れることになった金子氏。
その間
を両立できそうかどうか、女性医師
からだった。﹁実際の経験を聞くこと
た。﹁病院へのお誘いは何度か受けま
にも 職 場 復 帰の誘いは 何 度かあっ
した。
しかし 、
一度 現 場を離れると 、
2010年に「ワークライフバランス支援センター」
を設置。
帰した医師の話を聞くことができた
年 には 再 び 現 場 を 離 れ る こ と に
え、保育士も勤務している。
なった。
総合周産期母子医療センター
ど、
不安に思っていることを確認す
〒683-8504 鳥取県米子市西町36-1
のスタッフ。医師、看護師に加
しんどい思いがよみがえり 、復 帰に
鳥取大学
医学部
附属病院
医師
視点
の
女
性
自分のプライドは捨て、患者第一で行動する。
10
なります。
ですから、
ずっと医師とし
て働きたいと思う方は、色々なこと
をリサーチしておく必要があると思
子育てのサポート環境、短時間の勤
います﹂
。
夫の考え、
家族のサポート、
務が可能か、勤務する病院や医局が
本 当に女 性 医 師を歓 迎してくれて
庭を両立させていくためのハードル
談室。すべての職員が対象で、育児や介護
いるのかなど、女性医師が仕事と家
金子 祥子 かねこしょうこ
は決して低くない。
鳥取大学医学部附属病院 小児科
﹁今はしっかりした環境を整えて
もらっていますが、
それでもしんどい
などの相談にいつでも応じている。
ことはあります。
朝の仕事の始まり
と帰宅してからの家事の始まり。
一日
のスタートが2回ある感じです﹂
。
仕
事と家庭を両立させるため、
めまぐ
るしい日々を過ごす金子氏。
一番欲し
「ワークライフバランス支援センター」の相
2002年 金沢医科大学卒業
2004年 臨床研修課程修了
2004年 金沢医科大学整形外科入局
2004年 同上退職
2007年 鳥取大学医学部附属病院小児科入局
2007年 米子医療センター勤務
2009年 同上退職
2013年 鳥取大学医学部附属病院小児科勤務
いのは
﹁一人になる時間﹂
だと語る笑
Profile
顔に、
日々の充実の様子が窺えた。
11
Women's vol.09
C lose Up
ターの新生児治療回復室
総合周産期母子医療セン
で診療にあたる金子氏。
Doctor’ s
File
鳥取の病院から
医療法人社団
尾﨑病院
鳥取空港から車で数分、鳥取市湖山町。多くの学校が集中する文教地区に位置する尾﨑病院。
透析センターや健診センターを備えた病院に加え、
通所リハビリテーションや訪問看護ステーションも運営し、
「人生後半のトータルサポート」を理念とした地域の高齢者を支える病院だ。
12
治 療や予 防などを 目 的に
行われるユニークな取り組み
﹁出前講座﹂も同院ならではのユ
ニークな取り組みのひとつ。地域の
人たちに医療の知識を活用して欲
﹁人生後半のトータルサポート﹂
とりの人﹂、周りの円は尾﨑病院に
のロゴマーク
︵図︶
だ。
中心の円は
﹁ひ
リ﹂
だ。
これは人工透析中に行う運
的 な 治 療のひとつが﹁ 腎 臓リハビ
現 在 、同 院で行われている 特 徴
言 葉は〝いつまでも 、自 分の足で透
ベーションも上がるようです﹂。合い
やすいので 、患 者 さ んた ちのモチ
れることが多い。講座を行うスタッ
みだ。
公民館や介護施設などで行わ
講座から希望の講座を選べる仕組
高 齢 者の人 生をサポート
するための取 り 組み
しいという 思いで始められた活 動
で、腰痛予防、認知症予防など の
を 理 念に掲げ、地 域の高 齢 者が安
ある
﹁ の部門﹂
を表現し、
尾﨑病院
17
心して相談できる病院を目指して
ターを使用。
私たちのよ うな 小 さな 病 院では 、
人のサポー トが必 要にな り ます 。
﹁人生後半は、
色々な技術を持った
指針などについて伺った。
病 院の地 域での役 割 、今 後の活 動
理 事 長でもある 尾 﨑 舞 氏に、尾 﨑
いる 尾 﨑 病 院 。医 師であ り 法 人の
師 長のよ うな役 割を決め、病 院と
ために、介 護スタッフの中で、看 護
しているという。
その壁を解消する
タッフの間には見えない壁が存 在
う同院だが、
医療スタッフと介護ス
の人をサポー トしていきたいとい
医療と介護の連携を取り、地域
いう姿勢を意味している。
全体でひとりの患者を支えていくと
九州で実地訓練を行いました。
この
いる 所が多 く 、実 施にあたっては、
うだ。﹁九州の病院では取り入れて
QOLを向上させる効果があるそ
を 行 う 。体 力 が落 ち るのを 防 ぎ 、
ゴメーターを用い 分 程 度の運 動
い、状 態が安 定したところで、
エル
人 工 透 析 の 開 始から 1 時 間 ぐ ら
動療法で、目に見える効果がある。
レントゲン技師により実施。毎年
.M
.S
月の第三日曜日に行われるJ
性医師である尾﨑理事長と女性の
抵 抗なく 受けてもらえるよ う 、女
診にも 力 を 入 れている 。少しでも
らず 、受ける 人が少ない乳がん 検
また 、罹 患 率が高いにもかかわ
も広がりを見せている。
析室へ〟。
この取り組みは全国的に
ている。患者からの申し出がなくて
り介護用の食器を試したりするこ
に病院で出される食事を試食した
ろから 始めたこの取 り 組み 。実 際
いて
﹁ 食べにくそう ﹂と 感じたとこ
ニークなものだ。患者の食事を見て
また、﹁ 美 楽 食 ﹂
の取 り 組みもユ
フも楽しんで行っている。
折衝できるような人を育成したい
地域で取り入れているのは、
尾﨑病
︵日 曜日に乳がん 検 査を 受けられ
も、
スタッフの気づきで食事とその
とで、
スタッフ全員の意識が高まっ
びらくしょく
高 齢 者が安 心して暮 らすには 、医
それがやりやすいと感じています﹂
。
師や看 護 師 、理 学 療 法 士などの医
環境が改善されていく仕組みだ。
る日︶
の活動にも参加している。
10
院だけだと思います。
効果が分かり
開放的なナース
と 考えている 。﹁ 介 護スタッフが意
ステーション。
療に関わるスタッフだけではなく、
す る 機 会 が 失 わ れ ま す ﹂。介 護ス
ベッドにおけるサ
見を 言 えないと 、言いな りで働 く
タッフが発言できる環境づくりが、
人工透析中のリ
よ うにな り 、気づいたこ とを 改 善
サービスをスムー ズに 提 供してい
同 院の理 想に近づくためのひとつ
ハビリテーション。
必 要になる 。医 療や介 護に関わる
イズのエルゴメー
15
介 護に関わるスタッフとの連 携が
きたいというのが、
同院の理念の中
の手段と捉えられている。
13
心になっている。
図 ロゴマーク
理念を端的に表しているのが同院
運動療法を行うリハビリテーション室。
12
女 性が多いのはどこの病 院にも 言
看護師や介護スタッフなど働く
実 情に合わせて勤 務 形 態が選べる
前中だけ、外来だけなど、各医師の
をしている。パート勤務も認め、午
師の働き方にも幅を持たせる努力
働 く 女 性の
ワークライフバランスをケア
費 用を補 助することで、働 く 女 性
制度がある。
えることだが、同院では、保育園の
への支援を行っている。通常の保育
している。﹁自分磨き手当﹂
は、例え
こ の よ う な 制 度 は 、独 身 のス
ば N H K な どの 講 座 を 受 講 す る
料 以 外 の 部 分 の 全 額 補 助 がそ れ
保育についても全
と一定の費 用を 補 助する という も
タッフや男 性には 適 用されないた
額 補 助 し てい ま
の。まだ利用するスタッフは少ない
め、全 員に適 用される 制 度も 実 施
育児を理由に辞め
そうだが、同 院の人に対する 考 え
す﹂。これによ り 、
る人が大きく減っ
方が表れている一例だといえる。
り。
ベッドの上でもできる
﹁セルフリ
問 看 護や訪 問リハビリの体 制づく
﹁ 時 間 笑 顔で診る ﹂ことを
実 現するために
尾﨑病院が進める3つの柱の基
本的な考え方は、
地域の患者を
﹁
ども取り組みのひとつだ。
まだまだ
ハビリテーション﹂
のメニュー開発な
医師もスタッフも足りないというこ
時 間 笑 顔で診る ﹂という 目 標を 前
することによって、
病気を早期に発
とだが、地域にとっても働くスタッ
提にしたものだ。
検診や外来を強化
見すること。
リハビリを強化するこ
フェスペース。
て、
着実な歩みを続けている。
医 師たちが自由
フにとっても 理 想 的な病 院に向け
に 利 用できるカ
とにより、
より早い在宅復帰を促す
訪問の強化
こと。
在宅でも安心して過ごせる訪
生活に根ざしたリハビリメニューで在宅復帰を支援
鳥取しゃんしゃん祭に参加。ユニフォームの背中には尾﨑理
URL:http://www.ozakihp.or.jp/
24
自宅でも安心して暮らせる訪問看護、訪問リハビリの充実
3
リハビリの強化
2
早期の発見、治療と啓蒙活動で地域の健康に貢献
1
病 児 さ らに 学 童
Doctor ’s
File
24
検診・外来の強化
スタッフの努力が埋もれてしまわないように報告書には返事
た 。ま た 、女 性 医
尾﨑病院3つの柱
を書くという尾﨑氏。
だ 。﹁ 休 日 、夜 間 、
鳥取の病院から
DATA
医療法人社団 尾﨑病院
見学などのお問い合わせ先
医療法人社団
〒680-0941
尾﨑病院
鳥取県鳥取市湖山町北2-555
TEL:0857-28-6616
FAX:0857-31-0730
事長のファーストネーム
「舞」
の文字。
14
鳥 取 の 研 修 医 たち
Our Story
山陰労災病院
勤労者の健康を維持するための予防医学プロジェクトを推進。地域住民のための救急
医療にも積極的に取り組んでいる山陰労災病院。毎年5名の研修医を受け入れている。
の前田先生にお話を伺った。
研修2年目で、子育てもしながらキャリア形成を行う朝倉先生と指導医である内科部長
〈研修医2年目〉
朝倉先生
高 校 生のと き に
児童精神科医を
目指す
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 私が医 師を
目 指し たのは 高 校 生の と きでし
た 。順 番が逆ですが、医 師 よ り も
先に、児 童 精 神 科 医になりたかっ
たのです。当たり前の話ですが、児
童 精 神 科 医になるためには、医 師
になり 、精 神 科 医にならなければ
なり ません。そこで医 学 部を目 指
しました。
私が高 校 生の頃 、新 聞やニュー
スを賑わせていた話題のひとつが、
児童の虐待やそれに伴ううつ病な
どの病気でした。自分の周囲にも、
家庭環境の影響で高校に通ってい
ない人がいて、話を 聞 く 機 会があ
りました。本当は普通の高校生に
憧 れていても 、それができ ない状
況にあ り 、心に傷を 負っているこ
と を 知 り ました 。こ ういったエピ
ソードも、児童精神科医を目指し
た動機のひとつです。
児童精神科はアメリカでは当た
り前にある分野でしたが、
当時の日
本にはあ ま りあ り ませんでした。
だからこそ、自 分が児 童 精 神 科の
医 師になって、問 題 と 向 き 合いた
いという気持ちがあったのです。
15
〈指導医〉
前田先生
についても 考 え ましたが、この 病
院の初 期 研 修2年 目に鳥 取 大 学
医 学 部 附 属 病 院での研 修が予 定
されていたので、その 時にまわろ
うと考えました。
︿ 指 導 医 ﹀前田先 生 当 院では 身
時までの勤務で、当直は
体 的な 負 担がかかりすぎるので、
原則は
分もあり 、色々な先 生に相 談して
ました。精神科か小児科か迷う部
う 脳 神 経 小 児 科にも 注 目してい
ローズアップされ 、その診 療を 担
その 後 日 本 では 発 達 障 害 がク
度の 高 さです 。当 直は 、子 ど も を
グラムを自分で組めるという自由
と 。それから 、研 修 2 年 目の プロ
と、
コモンディジーズが診られるこ
病 院 であ り 、症 例 数 が 豊 富 な こ
由は、当直義務がないこと、忙しい
なりストレスがかかっていたのでは
ていたら、当直をこなし、自分にか
があ り ますから 、その病 院に行っ
でした。私は 負けず嫌いなところ
いた 病 院は 研 修 医の 当 直は 義 務
いました。別に候 補 として考えて
じて日 直があるので、救 急に関し
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 2 年 間を通
のではないでしょうか。
急 を 経 験する と 即 戦 力になれる
はないかと思っています。当院で救
スタンスです。
ある意味、理想的で
2年目には
﹁やらせてみる﹂という
目の研 修 医には﹁やってみせる ﹂、
きく成長してくれます。私は1年
れだけに、初 期 研 修 2 年の間に大
れてくるのではないでしょうか。
そ
メだよ﹂
というアドバイスをいただ
いこと もある 、早 計に決めちゃダ
んの担 当をすると きに﹁ 正 解がな
別の先 生は、根 治が難しい患 者さ
ているように感じています。また、
療しなければいけないと教えられ
常にしっかりした根 拠を持って治
てくれる先生がいらっしゃいます。
す。
例えば、
毎日ひとつ課題を出し
く 、日々色々なこ と を 学んでいま
です。診療経験が豊富な先生が多
前田先生の言葉で印象的だった
のは﹁ 医 者 は天 職 ﹂という 言 葉で
す。私が家 庭と 仕 事の両立で悩ん
でいた 時 期に、色々な 先 生に医 者
た 医 師はた く さんいるのですが、
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 影 響を 受け
と言ったことは本当に印象に残っ
ですが、前田先 生が明るく﹁天職 ﹂
るのか質 問していたことがあるの
という 職 業についてど う 感じてい
最 近であれば、この病 院の先 輩 方
﹁ 医 者 は 天 職 ﹂という
明 るい言 葉
を感じることができます。
います。
す。
その上で、
この病院を選んだ理
く で 暮 ら す 必 要 があった こ と で
が生 まれたため、自 分の実 家の近
に選んだ理 由は、結 婚して子ども
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 鳥 取を研 修
出 産 、子 育 て 、
自 由 な プログ ラ ム
いたことがあります。
急 患 者の6 割 近 くは 当 院に運 ば
が多い病 院であり 、米 子 市 内の救
希 望 者だけとなっています。救 急
22
ては、1 年 目の自 分と 比べて成 長
2013年 宮崎大学医学部卒業
2013年 山陰労災病院にて研修医
● 趣味:子どもと遊ぶこと
ないかと 思っています 。大 学 病 院
朝倉 静林 あさくらしずり
抱えている私には難しいと感じて
研修医/研修2年目
16
鳥 取 の 研 修 医 たち
︿指導医﹀
前田先生 その発言は実
ています。
てくるのではないでしょうか。
ているかどうかも、
これから決まっ
取 り 入れるかど うか、自 分に合っ
して欲しいと 思います 。これから
る 、バランスのとれた 医 師に成 長
のスタッフとも良好な関係が築け
ます。
周囲のすべての医師が教師に
像を作り上げていくことだと思い
の 方 も 気 軽に 声 をかけてく れ ま
部 門 間の垣 根 もないし 、
スタッフ
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 この 病 院は
えていただけなくて、少し傷ついた
い気 持 ち を 持って 、さ らに一人 前
この 病 院の 皆 さんの よ う な 優し
つけて、
前に進んで欲しいですね。
も仕事と家庭のバランスにも気を
は憶えていないのですが、
そう思っ
ていることは確かですので、言った
ことは間違いないでしょう
︵笑︶
。
私
なり得ると思います。
す。と くに子 育ての先 輩である 看
りしていたのですが、
それでも毎日
の 技 術や 知 識 を 持った 医 師にな
は教 科 書やガイドラインには載っ
見守る前田先生
バランスのと れ た
医 師 に成 長 し て 欲 しい
若いう ち は 学 問 的 な こ とや 技
護 師 さ んがた く さ んいるのが 心
通って、
やっと話していただけるよ
りたいです。
前田直人 まえだ なおと
が大 事だと 思 うのは、色々な先 輩
術 的なことを 重 視しがちですが、
強いです。﹁お子さん大 丈 夫?﹂
の
うになり ました。最 後には悩みを
︿ 指 導 医 ﹀前田先 生 朝 倉 先 生の
指導医/
山陰労災病院内科部長
を見ることで、自分が目指す医師
年 齢 が 進 む と 、も う 少 し 広い範
一言で救 われたこ と も あ り ま す 。
︿ 研 修 医 ﹀朝 倉 先 生 患 者さんで
打ち明けてくれるよ うになり 、患
にな るのです 。そ う な る と 、答 え
ていません。経 験が大 切になり ま
印 象に残っているのは 、ご 高 齢の
間 性 こそが大 事 だと 考 える よ う
囲 で 考 え る よ う にな り ま す 。人
医 師 と し ての
大切な経験
すか ら 、
一つひ とつの 経 験 を 大 事
︿ 指 導 医 ﹀前 田 先 生 それは良い
経 験をしましたね。医 師を続けて
いく上での動機付けになるような
ことだと思います。例えば、私はご
高齢の方と接するときなど、丁寧
語を使わないこともあり ます。あ
えてそうすることで、距 離が縮 ま
るのを 感じるのです。これも 医 師
としてのひとつのスタイルでしょう
ね。
朝倉先生がこういうスタイルを
17
朝倉先生の診療を
1985年 鳥取大学医学部卒業
1989年 鳥取大学大学院医学研究修了
1989年 鳥取大学医学部附属病院勤務
1990年 六日市病院勤務
1990年 公立社病院勤務
1991年 国立浜田病院勤務
1996年 鳥取大学医学部附属病院勤務
2012年 山陰労災病院勤務
同内科部長
● 趣味:読書、
ゴルフ
言 う よ うに、患 者にも 慕われ 、医
病等の対策の一環として内科系を充実させている。
者 さん と 心が通 じ 合 えた 気がし
療に早くから力を入れ、現在では、職業性疾患、成人
男 性の方です。入 院された当 初は
早期社会復帰促進を図るため、
リハビリテーション医
にしながら 、学んで欲しいと 思っ
医療を提供する地域中核病院。被災労働者の治療と
学 的な 向 上 心 もあ る 、そして、他
山陰地方の勤労者医療を行う病院であり、質の高い
ました。
山陰労災病院
こちらが話しかけてもほとんど応
〒683-0002 鳥取県米子市皆生新田1-8-1
ています。
Our Story
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(子育て離職医師等復帰支援コース)
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支援センターと協力し、現場復帰のための研修
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研修後の復職についても、仕事と家庭の両立
見学を
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望される
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希
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考えている方へ
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院見学
方で病
、
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合
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検 索
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鳥取県福祉保健部健康医療局医療政策課医療人材確保室
〒680-8570 鳥取県鳥取市東町1-220
TEL:0857-26-7195 FAX:0857-21-3048 Mail:[email protected]
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