東日本大震災から5年を迎えて 2016 年3月 11 日

東日本大震災から5年を迎えて
2016 年3月 11 日、東日本大震災から丸5年を迎えました。震災やその後の避難生活
で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を願って
おります。
5年前、長崎大学病院は西の果てから機動力を生かして被災地支援に乗り出しました。
地震発生後すぐに緊急災害医療のスペシャリストである DMAT を東北地方に派遣しま
した。また東京電力福島第一原子力発電所内での事故を受け、緊急被ばく医療チームを
福島県立医科大学へ向かわせ、原発内の作業員や住民の被ばく医療体制を整えました。
現在も当時派遣したメンバーが中心となって、福島県内での緊急被ばく医療対応や災害
医療対応の確立、さらには住民の健康調査を担っています。
震災直後の岩手県大槌町では、ライフラインが乏しい避難所で本院医師たちが身体の
不調を訴える方々への診療に関わりました。地震、津波に併せて原子力災害という複合
災害によって混乱した福島県南相馬市では多くの医師や看護師など医療スタッフが避
難し、医療は機能不全に陥りました。そんな中、長崎県をはじめ本院や長崎県医師会は
4月1日から約2カ月にわたり、自衛隊とともに孤立したお年寄りたちの在宅医療を支
援しました。その後も産科婦人科などあらゆる診療科が学会などの要請に応じて医師を
派遣し、被災地の医療を支えてきました。
この5年間、東日本大震災を教訓として、不測の事態に備える必要性を私たちは学び
ました。当時「想定外」とされたことは今では想定の範囲となり、国も自治体も病院も
企業もあらゆる組織において危機意識を持った管理体制は不可欠になりました。その1
つに原子力災害への備えがあります。
原子力災害への新たな支援体制を確立するため、長崎大学は今年4月、「高度被ばく
医療支援センター」および「原子力災害医療・総合支援センター」を長崎大学病院内に
設置します。広島大学や放医研など国内5ヵ所に開設された両センターは災害発生地域
では対応できない専門的な医療や支援にあたる重要な任務を担います。
長崎大学病院にはこれまで蓄積してきた放射線医療のノウハウがあります。1945 年
8月9日以降の被爆者医療をはじめ、チェルノブイリ原発事故の住民らの健康調査、東
京電力福島第一原発事故の作業員らに対する緊急被ばく医療対応など、その経験の1つ
1つが今後の長崎大学病院が担うべき役割を示唆しています。
本院に設置するセンターは本県のほかに、福岡、佐賀、鹿児島を担当領域とし、各地
域の住民の避難、被ばく医療体制を支援し、さらに原発内での事故が発生した場合は作
業員の救急医療に対応します。これは原発稼働に伴う事故だけを対象としたものではあ
りません。原発廃炉に伴う核物質の除去作業の際にも作業員の被ばくは十分懸念される
ので、平時より体制を確立しておく必要があります。長崎大学病院はあらゆる事態を想
定して、関係自治体の協力の下、担当地域の皆さんの安全を確保する責任を果たしたい
と思っています。
今、長崎大学病院の敷地には 70 年前に投下された原子爆弾によって焼け焦げてしま
った一本の大楠の樹が青々と葉を茂らせています。枯れ木同然の樹木は翌年より新芽を
出し、その生命の力強さが長崎市の人々を励ましたそうです。このエピソードに思いを
寄せるたび、故郷の復興に邁進した当時の長崎市民一人ひとりを誇りに思います。これ
からも長崎大学病院は被災地の皆さんのお気持ちに寄り添い、共に被災地の復興を見届
けてまいりたいと思っています。
平成 28 年3月 11 日
長崎大学病院長 増﨑英明