郡山青年会議所報 smile ~この まち に 笑 顔 を ~ 郡山JC 公益社団法人 郡山青年会議所 がくとくん の妹 「おんぷちゃん」 「がくとくん」 577 発行/2015年5月18日 2015年度公益社団法人郡山青年会議所スローガン 想いはひとつ!未来のために語り、ともに歩みだそう!! ~このまちに笑顔という大輪の花を咲かせるために~ JR東日本郡山駅 発車メロディ変更プロジェクト オープニングセレモニー 4月1日 〈2〉 577 「JR東日本郡山駅 発車メロディ変更プロ ジェクト」により本年四月一日からJR東日 eNの楽曲をアレンジした発車メロディととも 「キセキ」、在来線ホーム「扉」へと、それぞ メッセージ紹介や「がくとくんバンド」の演奏 駅 発車メロディ変更プロジェクト」オープニ ン グ セ レ モ ニ ー で は、 G R e e e e N か ら の にスタートしました。当日の「JR東日本郡山 れ郡山ゆかりのアーティストであるGRee などで、駅内は大いに盛り上がり、ふくしまD 本 郡 山 駅 の 発 車 メ ロ デ ィ が、 新 幹 線 ホ ー ム eeNの楽曲に変わった。(公社)郡山青年 感謝申し上げます。 の次代を担う地元の若者たちに勇気を与える GReeeeNの楽曲から、地元の方々が多 数利用される在来線の発車メロディには、郡山 Cのスタートに花を添えて頂きました。心より 会議所、二〇一五年度理事長 成田英樹君が 発起人代表となり、郡山市、JR東日本、G 日の運用開始に合わせJR東日本郡山駅にて 「扉」が、遠方からお越しになるお客さまが多 ReeeeNと協力し実現した。また四月一 オープニングセレモニーが行われ、郡山市長 数利用される新幹線の発車メロディには、郡山 「GReeeeNからのメッセージ」 僕らが出会い、絆を深めたここ郡山は 今でも僕たちの故郷だと思っています。 こ の 度 G R e e e e N の《 キ セ キ 》 《扉》が発車メロディーとして流れるこ と、大変光栄に思っております。 通勤通学で利用される方も多い在来線 では電車の扉が開く度に新しい一日が始 まり次の自分に出会えるような気持ちに なっていただけたら幸いです。 また新幹線は、観光・ビジネスなどに よく利用されることと思います。 を持って頂けたら嬉しいです。 品川萬里様、JR東日本郡山駅駅長 百々潤 「キセキ」が選ばれました。必ずや皆様に感動 郡山で生まれたこのメロディーが流れ ることで一人でも多くの方が郡山に興味 ニバーサルミュージック 山崎吉史様にご出 席頂き、新しい発車メロディをお披露目する を持って受け入れられ、郡山の宝として、末永 これからの郡山の更なる発展を願って おります。 青年会議所の歴史を学ぶとともに、ご協力頂 の事業が出来たきっかけから、(公社)郡山 今回の広報誌五月号では、郡山市の魅力を 伝える特集記事として、本事業を特集し、こ で頂く列車です。 をご賞味頂きながら、車窓からの景色を楽しん す。福島の旬の果物を使った美味しいスイーツ 郡 山 駅、 会 津 若 松 駅 間 を 結 ぶ リ ゾ ー ト 列 車 で のイメージを忘れないでお持ち帰り頂けるよう 事が出来た。セレモニーには遠方からも多く く愛されるものと確信しています。 司様、郡山商工会議所会頭 丹治一郎様、ユ の方がお越しいただき、なかには、福岡県北 いたGReeeeNからのメッセージや、セ 北九州市 在住 濱野 しえり 様 素敵な時間をありがとうございました! 距離が遠くなかなか行く事は出来ませ ん が、 必 ず ま た 足 を 運 ぼ う と 思 い ま す。 つ増えました。 ができ、郡山での素敵な思い出がまた一 めて郡山に住む人達の温かさを感じる事 した。今回セレモニーに参加した事で改 郡山には昔から特別な思いを抱いていま 頃 か ら「 G R e e e e N 」 の フ ァ ン で、 動で胸がいっぱいになりました。学生の 福岡から新幹線で約七時間…たどり着 いた郡山駅で「キセキ」が流れた時は感 「一般来場者からのコメント」 aaaaaaaaaaaaaaaaaa 二〇一五年四月一日 GReeeeN 九州市より参加くださった方もいた。 四月二十五日には、走るカフェ「フルーティ アふくしま」がデビューしました。この列車は レモニーに参加頂いた一般の方からのコメン です。 線沿線の地元の方々に親しまれ愛されれば幸い この列車も、発車メロディ同様に「郡山のフ ルーティア」として郡山市民のみならず磐越西 トを頂いた。 eeeeeeeeeeeeeeeeeeee 東日本旅客鉄道株式会社 郡山駅 駅長 郡山市には、ふくしまDCをきっかけに、二 つの「宝物」が誕生しました。これからも、私 くましく発展できるよう、思いを持った方々と 百々 潤司 様 二 〇 一 五 年 四 月 一 日 J R 東 日 本 郡 山 駅 は、 「ふくしまデスティネーションキャンペーン」 力 を 合 わ せ「 宝 物 」 を 発 掘 し、 育 て て 参 り ま (以下ふくしまDC)オープニングセレモニー しょう。 たちのかけがいのない「街」郡山が、元気でた と郡山市で結成されたアーティストGReee 577 〈3〉 山口 最初の打合せでは、我われの想いとメン バーの想いが合致してい ればという話になり、そ の二週間後、シークレッ トでメンバーとビッグア イで会う事になった。そ こでメンバーから、 「郡山は夢を開く場所であり、 扉を自らの力で開き、夢に向かって挑戦する人 びとを応援するまちであること、そして疲れた 時はいつでも心を休めるために帰ってこられる ように『扉』のモニュメントを作りたい」とい う熱い想いを聞き、我われの想いと合致し、二 〇〇八年の五月にモニュメント作成が決まった。 幕 田 二 〇 〇 八 年 五 月 か ら 話 を 進 め 完 成 ま で は、 設 置 場 所 等 な か な か 決 ま ら ず に 苦 労 し た が、二〇〇九年の三月十一日に完成し除幕式を 行った。 山口 我われとしてはメインの西口広場に設置 を希望していたが、市からは東口にという話に なっていた。時間をかけて打合せを重ね、我わ れの想いが通じ年末に西口への設置が決まり、 年明けから本格的に動くことができた。 椎根 年末に決まり発表までの三ヶ月で話を進 め非常にタイトなスケ ジュールだった。 幕田 最終図面等の日付 が二月や三月になってい ることからも当時の慌た だしさが伺える。 山口 二月にホテルハマツの一室でGReee 今回行われた「JR東日本郡山駅 発車メロディ変更プロジェクト」では郡山 ゆかりのアーティストであるGReeeeNにご協力頂き、郡山を、そして(公社) 郡山青年会議所を全国に広く発信する事が出来た。 (公社)郡山青年会議所とGR eeeeNはこれまでも様々な事業で共に郡山を盛り上げてきた。これまでの歴 史を振り返ると共に今後の可能性について、当時の理事長である、第四十八代理 事長 山口松之進先輩、第四十九代理事長 幕田宙晃先輩、第五十三代理事長 椎根 聡人先輩にお話を伺った。 栁 沼 ( 公 社 ) 郡 山 青 年 会 議 所( 以 下 郡 山 J C)とGReeeeNが初めて出会うきっか けを教えて下さい。 幕 田 二 〇 〇 八 年 の S M I L E S O U N D FESTIVAL(以 下スマフェス)が最 初のきっかけとなっ た。丁度ここにいるメ ンバーで私が専務理事 で、松之進さんが理事長、椎根さんが担当委 員長だった。 椎根 スマフェスで、GReeeeNに出演 依頼を出したのが始めのきっかけとなった。 全国大会の後で「音楽都市宣言」をした郡山 を盛り上げるために、合唱・合奏だけでない 音楽で郡山を盛り上げたいという想いでスマ フェスの第一回目をやらせて頂いた。その時 に郡山を代表する音楽グループとなっていた GReeeeNにぜひ出演して頂きたかった が、 G R e e e e N の 活 動 方 針( 顔 出 し N G)もあり出演は叶わなかった。しかし我わ れの想いは理解してくれ、別の形でスマフェ スに協力して頂くこととなり、スマフェスと GReeeeNのダブルネームのエコバック を作成することになった。その中でGRee eeNと共に扉のモニュメントを作りたいと いう話が上がった。我われとしても、最後ま でスマフェスに出演して頂きたいという想い もあり、当時の理事長である山口松之進さん と仙台の事務所へ打合せに行った。 eNの手形・足形をとり、本当にギリギリの中 で作業を進めていた。 幕田 公務のため、手形・足形をとりに立ち会 えなかったのが残念だった。あと大変だったの は「 扉 」 設 置 後 か ら 発 表 ま で の 一 週 間、「 扉 」 を仮囲いし、交代で警備した。 椎根 事務所側から外部への情報の漏えいが厳 しく言われていたため、「扉」の前で寝泊まり していた。 山 口 設 置 後 様 々 な 声 が あ っ た が、 当 時 の 幕 田理事長のコメントがGReeeeNの公式サ イトにアップされるなど、結果として郡山JC という名前を全国に発信出来た。また当時不登 校だった少女に勇気を与え立ち直ったというこ とも伝え聞き、それだけでも、この事業が成功 だったといえると思う。 栁沼 続いて二〇一 三年に行われた「桜 colorプロジェ クト」についてお話 をお伺いします。こ の事業のきっかけ を教えてください。 椎 根 同 タ イ ト ル のCDが発表にな り、 そ れ に 合 わ せ て「 扉 」 を 桜 色 に 〈4〉 577 塗り変えられな いかとGRee eeNから話が き た。 二 〇 〇 九 年から郡山JC とGReeee N と が 良 い関係 を築けており、メ ンバーの想いと歌 詞の内容にも我われの想いと一致する部 分があり、再度GReeeeNと共に事 業を行う事となった。また郡山を代表す るアーティストとなったGReeeeN との事業は最大限の発信力があり、この 時もWEBニュースのトップを飾り全国 に郡山JCの名前を発信することが出来 た。また、CDジャケットにも郡山JC の名前と事業の趣旨が入り、CDを手に した何万人もの人びとに我われの想いを 伝えることができた。 山口 GReeeeNが夜中にきて「扉」 の前で写真を撮っていたという話もあ る。それくらいGReeeeNにとって も想い入れのある場所となっている。ま たこのモニュメントはただのGReee eNのためのモニュメントではなく、郡 山の音楽都市宣言の記念のモニュメント となっている。そのため、メッセージ盤 にも全国大会のシンボルマークが記され、 郡山で行われた全国大会がこの「扉」と 共に永遠に残るものとなっている。 栁沼 最後にこれからの郡山をさらに盛 り上げるために今後の郡山JCに期待す る事を教えてください。 幕 田 J C に た だ 入 っ て い る と い う ス テ ー タ ス だ け で 終 わ ら せ な い で ほ し い。 JCはやってこそ面白いし、どんどんJ Cを利用してほしい。また、今後もこの GReeeeNを通して事業を行うので あれば是非大きなことに挑戦してほしい。 椎根 二〇〇八年からの流れでGRee eeNにお世話になっているが、もとも と彼らも郡山のストリートミュージシャ ンから始まり、今や全国で活躍し大きな 発信力をもっている。これから音楽を通 してJCの力で第二、第三のGReee eNを作っていくのも面白いと思う。心 に響く歌詞やメッセージ性のある言葉を 使った音楽をやる若者を探せるような事 業がこれからの楽都郡山につながると思 う。私自身もJCを卒業したが「がくと くんバンド」などの音楽活動を通して郡 山のまちづくりにどんどん貢献していき たい。 山口 JCに使われるのではなくJCを 使ってほしい。JCと会社は決して別物 ではなくJCというものを使って会社に 活かし、会社を使ってJCに活かすこと が大切だと思う。郡山が元気になり人口 が倍になれば我われの商売の可能性も倍 になる。逆に人口が半分になれば、可能 性も半分になる。JCを使ってこのまち を元気にする事で必ず自分の商売に返っ てくる。そしてJCをやるからには、ぜ ひ 出 来 な い 事 に チ ャ レ ン ジ し て ほ し い。 JCは失敗し ても良いのだ から出来る事 を役割分担し てやるのでは なく、難しい 事にチャレン ジし自分自身 が成長する事 が大切だと思 う。 事 業 報 告 公益社団法人 郡山青年会議所 一月例会・定時総会 一月二十七 日、 ビ ュ ー ホ テ ルアネックスに お い て( 公 社 ) 郡山青年会議所 「一月例会・定時 総会」が 開 催 さ れた。 例 会 で は、 理 事長成田英樹君 の挨拶で一年間の想いが語られ、会務報 告・出向者報告では、各委員会・出向者 の今年度の抱負が語られた。その後、新 入会員へ入会許可書の授与が行われ、新 入会員一人ひとりが挨拶の中でJC運動 に対する意気込みを語った。 定時総会では、議長増子譲君、副議長 椎根健雄君によって「二〇一四年度事業 報告」「二〇一四年度決算報告」「二〇一五 年度全国大会 東北八戸大会 全員登録」に ついて審議可 決 さ れ た。 最 後に理事長成 田英樹君から 直前理事長二 瓶健一君へ感 謝状が贈呈さ れ、 定 時 総 会 は閉会となっ た。 ccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccc 公益社団法人 郡山青年会議所 二月例会並びに小島彰氏講演会 二月二十六 日、 郡 山 市 労 働 福祉会館におい て、 (公社)郡 山青年会議所 「二月例会並び に小島彰氏講演 会『 地 域 経 済 と これからの郡 山』 」 が 開 催 さ れ た。 二 月 例 会 に お い て は、新入会員にとって初めての設営とな る例会であったが、新入会員オリエンテー ションでの努力が実り、無事例会を終え ることが出来た。小島彰氏の講演会にお い て は、 公 開 の講演会であ り一般市民と 青年会議所メ ンバー併せて 約百二十名の 市民が集まり 多くの学びを 得ることが出 来た。 577 〈5〉 福魂祭 FUKUSHIMA SOUL 三月十一日、ビックパレットふくしま に お い て「 福 魂 祭 F U K U S H I M A SOUL」が開催された。 今年で第四回目を向かえたイベントで は、第一部で東日本大震災四周年追悼式 が行われ、犠牲者の方への鎮魂と世界か らの多くの支援への感謝、そして福島の 復興・現状が全国へ向け発信された。第 二部では華原朋美をはじめとする多くの ア ー テ ィ ス ト に よ る L I V E が 行 わ れ、 風評被害に負けず、未来に向かって進む 元気を頂いた。 ( 公 社 ) 郡 山 青 年 会 議 所 か ら は 理 事 長 成田英樹君をは じめ多くのメン バーが後援者と し て 参 加 し て、 会場内の警備に あたり無事にイ ベントを終了す ることが出来 た。 (公社)日本青年会議所 東北地区 福島ブロック協議会 第一回アカデミー委員会 三 月 十 四 日、 福島県農業総合 センターにおい て「 (公社)日 本青年会議所東 北地区福島ブ ロック協議会第 一回アカデミー 委員会」が開催 さ れ た。 当 日 は開催地LOM理事長挨拶として(公社) 郡山青年会議所理事長成田英樹君より挨 拶が行われその後、アカデミー委員会が 開催された。 当LOMからは栁沼克郎君、伊藤和樹 君 が 出 向 し て お り 自 立 し た 人 材 に よ る、 光輝く「ふくしま」の創造に向けた人財 の育成を目的としたアカデミー委員会に 相応しい、非常に有意義な委員会であっ た。 第一回会員拡大会議 三月十九日、事務局において「第一回 会員拡大会議」が開催された。各委員会 からの出向者を含め十八名が会議に参加 し、会員開発委員長橋本裕君から「今年 度の会員拡大方針」について説明があ り、その後「心構え・入りたいと思わせ るLOM作り」のワークショップを行っ た。 ワークショップでは、入会候補者が入 り た い と 思 う L O M 作 り を 目 的 に、 J C の「 良 い と こ ろ・ も っ た い な い と こ ろ」について話し合った。良いところと して「年代を超えた付き合いや仲間が出 来る。」、もったいないところとして「J Cの良いところが市民に上手く伝わって いない。」などの意見があがった。また、 今後のJCのあり方も同時に考える機会 となった。 公益社団法人郡山青年会議所 三月例会並びに親子で運動教室 「来るゴールデンエイジに備えて」 三月二十八日、郡山市東部体育館にお いて(公社)郡山青年会議所「三月例会 並びに親子で運動教室『来るゴールデン エイジに備えて』 」が開催された。 親子で運動教室で は、健康運動指導士 角田誠氏が講師を務 め、一般市民を含む 参加者が楽しみなが らからだの動かし方 を学んだ。子どもの 運動能力の発達や運 動神経の形成に影響 する時期に、家庭で実践できる運動を学 んでもらおうと開催した。四歳から小学 校中学年までの子ども達とその保護者約 二百人が参加した。 参加者は、幼少期の必要な運動や体力 の重要性などについて説明を受けたほか、 掃 除 の 動 き を 取 り 入 れ た「 お 掃 除 体 操 」 やバランストレーニング、体幹を鍛える トレーニングに挑戦し、爽やかな汗を流 していた。未来を担う子ども達が元気に 運動するための 家庭教育の在り 方を学ぶ機会 となった。三月 例会では理事長 成田英樹君より 総務委員会委員 金山慶一君とま ちづくり委員会 副委員長川村憲 司君にご結婚の お祝いが渡され た。 「新・東北三つの夢総決起大会」 四月十一日、山形市のホテルメトロポ リタン山形において(公社)日本青年会 議所東北地区協議会による「新・東北三 つの夢総決起大会」が開催された。当 〈6〉 577 日は現役会員だけで なく、多くの先輩が 集まり盛大に行われ た。当大会は二〇一 三年度の小畑会頭輩 出、二〇一四年度J CIASPAC山形 大会の開催、そして 新・東北三つの夢の 最終章二〇一五年度 第六十四回全国大会 東北八戸大会の開催を成功させるため東 北が一つとなるべく開催された。まず始 めに東北全LOMによる第六十四回全国 大会東北八戸大会主管・副主管締結式が 行われ、主管LOMと各地区ブロック協 議会会長による調印式が行われ、無事主 管・副主管締結式が終了した。続いて 行われた総決起大会では各地区の郷土 料理が振る 舞われるな か多くの現 役会員、先 輩方が参加 され、東北 一丸となっ て第六十四 回全国大会 東北八戸大 会を成功さ せることを 誓った。 公益社団法人郡山青年会議所 四月例会並びにチェリーパーティー 四月二十日、ビューホテルアネックス四 階山桜並びに三階麓山において「四月例会 並びにチェリーパーティー」が開催された。 チェリーパーティーとは毎年、桜の季 節に行われる(公社)郡山青年会議所の現 役会員とOB会会員との交流の場である。 桜の花びらが入ったドリンクで乾杯 し、現役会員とOB会会員で昔話しに花 を添え楽しく交流した。 今年度は音楽で楽しむということで郡 山市在住でCMやミュージカル音楽、ドラ マ作曲や編曲で活躍中の金蔵直樹氏をお 招きし、桜や春の季節感のあるピアノ演奏 で会場は大いに盛り上がった。 OBの先輩達は とても素晴らしい 設えだったと絶賛 をしており終始和 やかな雰囲気で会 は 進 行 し、 最 後 は 現 役 会 員、 O B 会 会員が輪になり「若 い我ら」を合唱し、 閉会となった。 しゃくなげCUP二〇一五 チャリティーゴルフコンペ 四月二十六日、会津磐梯カントリーク ラブにおいて福島ブロック協議会「しゃ くなげCUP二〇一五 チャリティーゴ ルフコンペ」が開催された。当日は朝か ら雲一つない快晴で最高のゴルフ日和と なり、 (公社)郡山青年会議所からもOB 会会員と現役会員合 わせて十九名と多く のメンバーが参加し た。二〇一四年度の 団体優勝ということ でディフェンディン グチャンピオンとし て臨んだ今大会だっ たが、惜しくも団体優勝は逃してしまっ た。しかし個人の部では、OB会会員の 橋本勝先輩がグロス七十八(BEST G ROSS)という素晴らしいスコアで準 優勝を果たすなど、多くの(公社)郡山 青年会議所メンバーが活躍した。 第五十四回「久米賞・百合子賞」 第一回実行委員会 四月二十八日、第 五十四回「久米賞・ 百合子賞」第一回実 行委員会が郡山市役 所西庁舎会議室にお いて開催された。 当日は実行委員会 役 員 が 一 堂 に 会 し、 まず初めに理事長成田英樹君が実行委員 長として選出された。 その後、中学生が文学に触れる機会と してより良いものとするべく、開催要項、 実行委員会規約、作品応募要項、審査委 員の選定、年間スケジュールなどについ て、所属を越えた活発な意見交換が行わ れた。 PEP Kids Koriyama 支援協力 三月十八日・四月十五日に(公社)郡 山青年会議所メンバーは「PEP Kid s Koriyama(ペップキッズこお りやま) 」のボールプール清掃に参加をし た。 今年度で四年目を向かえた「PEP K ids Koriyama」は、東日本大 震災後に、屋外で遊ぶことが難しくなっ た子ども達のために設立された屋内遊戯 施設であり、 (公社)郡山青年会議所は、 オープンした二〇一二年度から郡山市の 子ども達の為に毎月一回、ボールプール の清掃に協力してきた。 ボールプールは二万個を超えるボール が敷き詰められた中を、子ども達が遊ぶ こ と が で き る 施 設 で あ り、 そ の 性 質 上、 衛生面・安全面において特別の配慮が必 要となる。この日は、郡山青年会議所メ ンバーだけでなく、メンバーの子ども達 もお手伝いに参加をして、大量のボール をプールの外へと出してから、危険物が ないかの確認及びプール内の雑巾がけを 577 〈7〉 した後、ボールの入れ替える作業も行な われた。 第五十回 郡山市こどもまつり 五月五日「第五十回 郡山市こどもま つ り 」 が 開 催 さ れ た。 本 年 で ち ょ う ど 五 十 回 の 節 目 と な る 毎 年 の 恒 例 行 事 は、 郡山市開成山公園を中心に、約四十のア トラクションブースが設けられた。 ( 公 社 ) 郡 山 青 年 会 議 所 は サ ブ グ ラ ウ ンドで「昔遊びコーナー」の一角として、 ビンゴ輪投げを実施した。輪を縦横斜め に揃えて入れることができた際には、景 品として駄菓子をプレゼントした。また、 残念ながら揃えることができなかった際 にも参加賞をプレゼントし、参加した子 ども達全員が楽しい時間を過ごせるよう 設営した。 その他にも、元サッカー日本代表の城 彰二氏によるサッカー教室、子ども達に よるうねめ太鼓、ロッククライミング体 験、消防車の展示などが併せて行われた。 午後からは春らしい陽気となり、盛り だくさんの内容に来場者は途絶えるこ とはなかった。当日は高校生ボランティ アとともに、子ども達のために想いをひ とつにし、来場者に楽しい時間を提供し た。 京都会議を終えて ありがとうございました。 【大谷 拓明】 去る一月二十三 日より三日間の 日程で京都会議に 参加しました。入 会後まもなくの遠 征でしたので、ど のような会議やフォーラムをどんな雰囲 気で行うのかなと不安でしたが、大槻委 員長をはじめ総務委員会の皆様、引率担 当のまちづくり委員会の皆様に手厚くサ ポートをしていただいたおかげでその不 安も少しずつ解消していきました。 はじめに、私は 二〇一五年度の新 入会員として、京 都会議を「青年会 【石川 恭世】 議所とはどのよう 入会して初の遠 な団体か」を理解 征事業の京都会議 するはじめの一歩と考えて参加しました。 参 加 は、 自 身 に とって「青年会議 次に二日目夜のトーキングナイトに於 いて、直前理事長の二瓶健一君から、青 所」を知る事の出 年会議所とは、他の団体が生み出せない 来る素晴らしい三 事業を生み出す組織であること、そして 日間となりました。 過去に郡山青年会議所が行って来た事業 全国、また世界からも沢山の青年会議 の内容を聞き、自分もそのような事業を 所の人達が京都の地に集まり、想いを一 創り出したいとの強い想いを持ちました。 つにすべく、多くのセミナーや事業が開 催されていました。知識と経験を惜しみ また、日本青年会議所会頭の所信を直 接会場で聞き、正しいナショナリズムを なく提供し、一人ひとりの向上を切に願 持つためにはJCのような国際的組織の う姿勢にとても心を打たれ、また自分自 身も改めて「郡山の為に、福島県の為に、 力が不可欠であるとの言葉が最も心に残 りました。 そしてこの日本の為に何ができるか?何 最後に、京都会議へ参加し、青年会議 をすべきか?」という気持ちを強く持つ 所がどのような団体かを、心と身体で体 きっかけを頂けました。 験したと思います。このような機会を与 最終日、日本青年会議所、柴田剛介会 頭 の 所 信 演 説 を 拝 聴 し 柴 田 会 頭 の 想 い、 えてくださった皆様に心から感謝し、京 都会議の感想とさせて頂きます。 青年会議所の目指すべき方向、個々の行 動全てが自分たちの住まう場所、地域創 ****************** 生が重要であると明言されたことにとて も胸を打たれました。 【菅野 浩二】 私は女性という立場で、郡山発展の為、 地域創生の為、これから自分に何ができ るかを仲間と共に切磋琢磨し郡山の地で JC運動に励みたいです。 このような大きな事業に参加できたこ とを理事の皆様を始め引率して頂いた 方々、郡山青年会議所の皆様に感謝いた します。 ccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccc 会頭所信、各種フォーラムでは、青年 会議所がどのような取り組みをし、これ からどのような運動を我々青年が起こし て、日本の再興・地方の創生をしていく か な ど、 こ の 国 で の 存 在 意 義 や 組 織 面、 構想面でのスケールの大きさに驚かされ ました。 これからの日本が衰退・消滅しないた めには地方を盛り上げなくてはなりませ ん。我々が当事者意識を持ち積極的に行 動し、その地域を活性化させ影響力のあ る地方にするべく青年会議所活動に邁進 してまいります。 ****************** 淳 】 【武田 今回二〇一五年 度京都会議に参加 させて頂き、様々 な学び、気づきを 新入会員の皆さん と得ることができ ました。日本青年会議所会頭柴田剛介君 の所信表明で、三つの戦略を説明する中 であった次の言葉が非常に印象に残りま した。 「失敗してもいい。全てが成果であ り、だからJCは面白い。 」地方に活気を 生み出すのは、国の援助ではなく僕ら若 い世代の行動力であり、その為には誰か がやるではなく、自分がやるという考え が必要だと思っています。それは型には まった考え方をしがちな、保身的な僕ら の世代だからこそ必要だと感じました。 ま た、「 人 生 の 成 功 者 で あ り、 人 生 の 失 敗 者 で は い け な い。」 こ の 言 葉 は 非 常 に強く心に響きました。 二〇一三年から二〇一四年は自分の今 後にとって大きな選択をしてきた年であ り、今年は足掛かりになる重要な年と考 えていました。その為に後悔せず、やり 年会議所が主催する新年の始まりの場に きる為にこの言葉を今年度の自分の指針 参加させていただきました。 としてやっていこうと思います。 ****************** 様 々 な 事 業・ セ ミ ナ ー が あ り ま し た が、 京 都 会 議 の メ イ ン セ レ モ ニ ー で あ る柴田会頭の所信表明を生で聞くこと 【本名 創】 が で き、 終 盤 に 会 頭 が 力 強 く 話 さ れ た 平成二十七年一月 二十三日から二十五 「あなたを待つ人は必ずいる。一度しか な い 人 生。 ~ 失 敗 し て も い い。 そ れ ど 日まで、京都会議に こ ろ か、 ど う せ 失 敗 す る な ら 派 手 に 失 参加させていただき 敗しようではないか。」との言葉を聞き、 ました。 心 を 奮 い 立 た さ れ、 失 敗 を 恐 れ ず 何 事 今回の京都会議は にも真剣に取り組もうという気持ちに JCに対しての認識を大きく変えてくれる なりました。 体験になりました。 同じ年代の方がここまで強い信念を 私にとってJCは地域の若手経営者たち 持 ち、 真 剣 に 語 る 思 い に 心 打 た れ、 中 が地域貢献のために個々の地区で動いてい 途半端な自分が恥ずかしくなりました。 るという認識でした。 これからのJCライフをできる範囲 しかし、京都会議で見聞き、体験したこ で 精 一 杯 活 動 し、 自 分 の 成 長 と 人 の 為 とは、日本全国どころか、世界規模のスケー に 役 立 ち、 感 動 を 与 え ら れ る 人 間 に 変 ルでことが語られており、自分の世界の狭さ 革する努力をします。 を痛感しました。好きな言葉に「ACT LOCAL THINK GLOBAL 同 期 の 絆 も 深 ま り、 気 付 き や 学 び が できた京都会議に参加できて本当に良 FEEL THE UNIVERSE」とい かったと思い皆様に感謝致します。 う言葉がありますが、まさにそれを体現し ている組織、それがJCであると感じた三 日間でした。 一人前のJAYCEEとして一日も早く 力を発揮できるように精進します。 また、同期の新入会員と寝食を共にするの と近い経験ができ、絆を深めることが出来た と感じています。出会いと機会に感謝します。 19 ****************** 公益社団法人 郡山青年会議所 二〇一六年度 新入会員募集要項 【募集期間】 二〇一五年度一月一日〜 二〇一五年度十二月三十一日 【入会資格】 郡 山 市 及 び そ の 周 辺 に、 住 所 ま た は 勤務先を有する年齢が満二十歳以上 三十八歳未満の品格のある青年で、青 年会議所運動をするのに支障のない条 件を備えていること。 【会員の責任】 毎月開催される例会、委員会及び各種 遠征事業に積極的に参加すること。 【入会申し込み手続き】 郡山青年会議所に入会を希望する者に は、現役会員の推薦が必要です。会員 選考委員会による書類選考と、推薦人 同席による面接があります。 理事会により入会承認が決議されれば 入会資格を得られます。 【入会承認後の手続き】 ①提出書類(入会承認を入会希望者の 推薦人に通知後二十日以内に提出) 入 会 申 込 書( 会 員 原 簿 ) 入 会 承 諾 書・推薦人確認書・住民票・写真 ②納入諸費用(入会申込書提出後一ヶ 月以内に納入) 入 会 金 五〇,〇〇〇円 二〇一六年度年会費 一四〇,〇〇〇円 以上の手続き完了後、二〇一五年度一 月一日より正会員となります。 【お問い合わせ】 公益社団法人 郡山青年会議所事務局 TEL 〇二四 九三二 二二八九 FAX 〇二四 九三二 二八五七 ※入会申し込みに関してご不明な点や ご質問等はお気軽にお問い合わせく ださい。 − − 今 後 今の 後日 の程 日 程程程程程程 ○第十八回わんぱく相撲郡山場所 日 時 五月二十四日︵日︶ 場 所 郡山相撲場 ○ 五月例会並びに地域の魅力を大いに 語ろう!大交流会 日 時 五月二十五日︵月︶ 場 所 郡山ビューホテルアネックス 四階 福島ブロック大会 ○ 第十八回わんぱく相撲 日 時 六月十四日︵日︶ 場 所 福島相撲場 ○ 二〇一五年度 サマーコンファレンス 日 時 七月十八日︵土︶∼十九日︵日︶ 場 所 横浜 集 後 記 ○ 第三十一回わんぱく相撲全国大会 日 時 八月二日︵︵日︶ 場 所 両国国技館 編 2857 広報委員長 栁沼勝恵 二〇一五年度も早くも五ヶ月が経 ち、初夏の風も爽やかな頃となりま した。皆様におかれましてはいかが お過ごしでしょうか。 広報誌﹁sm ile ∼このまちに 笑顔を∼﹂五月号では郡山青年会議所 の活動報告を中心にお届けいたしまし た。その中でも四月一日に行われまし た﹁J R東日本郡山駅 発車メロディ変 更プロジェクト﹂では、多くの関係者 の皆様からのコメントや郡山青年会議 所の歴史を振り返り、郡山の魅力発見 としての特集記事を掲載させて頂きま した。これから郡山青年会議所が展開 する事業も本格化し、まちづくり事 業・青少年育成事業と盛り沢山の内容 となっておりますので、どうぞご期待 ください。 広報委員会 委員長 栁沼 勝恵 2289 FAX024 932 成田英樹 − − − F 電話024 932 − − 新入会員紹介 太田 善雄 一般財団法人 太田綜合病院 総務部長 ■発行所/事務局 福島県郡山市堂前町 3 平成二十七年一月 より郡山青年会議所 へ入会させていただ いてから目まぐるし く日々が進む中、京 都会議という日本青 号 − 5 − 哲幸 】 【吉田 NO・ 5 7 7 〈8〉 577
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